はてなキーワード: スタンド・バイ・ミーとは
ジョジョの第何部なんだい?
スタンド・バイ・ミーやイージーライダーが青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。
例えば土曜の部活をサボって多摩川をチャリで下った思い出がある。
車のディーラーやファミレスがセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所の住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップで面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯の時間もあるしそう遠くは行けない。
フラフラとチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日は半ドンで時間もあるし海でも目指してやろうって思う。
最初は楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンションか物流の倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。
途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポットは釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。
段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安。大人になったら人から借りたそういう陳腐な言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。
焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯の時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。
後日友達にチャリで多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。
後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体も拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。
川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミーも青春作品として支持されているのかもしれない。
先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。
今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか、妥協を受け入れてしまったか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。
ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。
茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。
青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。
明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。
死者に会いに行くこと。
そしてその仲間たちの間に深い友情があるということ。
だが物語の紡いだ形は全く違う。
『スタンド・バイ・ミー』は友情を「幼い頃にあった輝かしい宝物」としている。
その友情がそれぞれの人生を輝かしいものにするようには描いていない。
むしろ友情や思い出の有無が人生を決定づけないことにこそ、友情というものが独立して価値あることの証明だと言う主張が見て取れる。
物語の終着点にあるマクガフィンを意図的に無意味なものにすることで、友情の価値を純粋に描こうとしている。
『よりもい』で描かれる友情には成長がある。
友情を通して人は成長し、成長していくことで人生を自分の臨んだ形に切り開いていけると描く。
この作品における友情はある意味で人生を切り開くツールの一つである。
最終目的地にいる死者も主人公一行の1人にとっては重要な人物であり、友情のおかげでこの人物との再開を果たすことが出来たという物語構造となっている。
友情はそれ自体が価値を持つだけでなく、人生における目的を達成させるための助力となるとして描かれているのだ。
『フリーレン』においても友情は人に変化と成長を促すものとして描かれる。
フリーレンの旅は死者の辿った道を再び巡るものであり、そうしようとフリーレンを動かしたのもまた死者との間にあった情愛だ。
旅に出ようとしたことそのものが死者との間にある友情の証明であり、物語の描く過程全てが触れ合いによって人が変化したという結果だ。
それはその相手が死んだあとであっても変わることはない。
他者との関わりが人間の中に永遠の変化をもたらすものとして描く『フリーレン』、他者との関わりは輝かしい思い出以上でも以下でもないと描く『スタンド・バイ・ミー』
どちらが優れいてるという話ではない。
求められる物語が変化したのだ。
「ただ懐かしくて素晴らしかったんだよ」だけの友情物語では納得しないのだ。
「あの思い出が輝かしいから、自分は変われたんだ」と主張できなければ、その思い出の輝きに納得してくれないのである。
即物的で寂しい時代になった……などと老人のように嘆く気はない。
ただ、時代は変化していくのだなと感じるだけだ。
振り落とされないようには気をつけたいな。
遅ればせ、ながら!
暇を持て余して女性Vtuberを含む20人程度をフォローしてる
“女は可愛いというだけで加害だと叩かれ、男は盗撮した話がスタンド・バイ・ミーみたいな情感のある話だと言われるこの世界。” 比較対象がおかしい。例えば男だってエロ目線で動画コメしたら普通に叩かれるでしょ
いや、男のリスナーが女性Vtuberに「かわいい」と発言して叩かれてるのを見たことは、一度もない。
女は可愛いというだけで加害だと叩かれ、男は盗撮した話がスタンド・バイ・ミーみたいな情感のある話だと言われるこの世界。
・ランボー2
敵兵から泥の壁にピントが移ってぎょろりと目玉が現れるとこ
・スターウォーズ ep6
粛清シーンで警官に扮した殺し屋が膝立ちで狙いをつけて撃ち殺すとこ
箸でハエ捕るとこ
ロメロだよそんくらい観とけ
・ソナチネ
雀荘の店主沈めるとこ
高橋の乗った車に手榴弾投げ込んで「車燃やしちゃってどうすんだよ」ってどやされるとこ
昔服を交換した浮浪者に"nice coat"って声かけるとこ
オープニングの出所で抱き合うとこ
逃げ回ってる内にGTAみたいになってくるとこ
川北後光でパワーローダーが出てくるとこ
ジョー・ペシの"Funny how?"でヒエッヒエになるとこ
お出迎えの人形が発火して溶けたのをねっとり映すとこ
ヒッチコックみたいなとこ
・妹が死んだ後青ざめまくった兄貴が取り敢えず寝るとこ
ドイツのおばちゃんが勝手に掃除して主人のおばちゃんにブチギレられるとこ
ジムキャリーが華爛漫踏むとこ
弾避け
避けきれなかった後にトリニティがエージェントの脳天にゼロ距離でぶっ放すとこ
手荷物検査でコートをガバッと開いた時に警備員が驚きすぎてすぐに反応できないとこ
feed me
・千と千尋
・BTTF
栓抜きの使い方をパパに教わるとこ
小学生編
掃除の時間に寺島君から人生で初めて「サボる」という選択肢を教わる
塾をサボりチャリで片道10kmほど走りイオンモールで時間を潰す
中学生編
部活をサボり駅前のマックでアイスコーヒー一杯で半日読書に耽る
高校生編
海を目指して立川辺りから多摩川沿いをチャリであてもなく下るも世田谷辺りで諦める
高尾山に登る
大学編
講義をサボり終電で江ノ島や上野公園へ行って夜通し歩き回ったり、ミッドナイトショーをハシゴしたりして始発で帰る たまにサウナに泊まる
夜な夜な多摩川の河川敷へ出掛けてトランペットを吹くか夜釣りをする
聖蹟のゆうひの丘で音楽を聴きながら一晩中ボーっと多摩の夜景を眺める
こんな事ばっかしてたから菊次郎の夏とかスタンド・バイ・ミーみたいなロードムービーが滅茶苦茶突き刺さるし、思春期やモラトリアムを描いた作品が好きで好きでたまらない
「青春」と言って真っ先に思い浮かぶのは、幼さ故の無根拠な全能感と大人に近づく中で未だ何者でもない焦燥感が入り混じった感情が、時の流れで脚色されたそれはそれはエモーショナルな情念。
だから「青春作品」でパッと思いつくのは『桐島〜』とか『ピンポン』とか。ナイーブだけど人生の中核を成す大切な悩みと真摯に向き合えるモラトリアムを描いた作品が好きすぎる。『スタンド・バイ・ミー』みたいな逃避のロードムービーも最高だね。
でも映画なり音楽なり、ポップカルチャーを見渡すと、(勝手なイメージが多分に含まれる気はするけど)「青春」と来れば爽やかな恋愛をしただとか、逆にできずに暗黒だったけどそれなりに楽しかったとか、それなりの楽しさすらなかったとか、とにかく恋愛を軸に二元的に語られるような気がする。恋愛こそが自分の思う「青春」を感じられる最たるなものなのかもしれないけど。
後ろ暗い青春のバイブルとして銀杏なんかはよく挙げられると思う。これも非モテ、恋愛がテーマ。まあ彼らも童貞ソングだけではないけど。暗くもエモーショナルな青春を愛するオタクくんならゴイステ/銀杏は通っておかないといけないような気がしたけど、なんだかあまり刺さらなかった。
同じくオタクくんなら愛すべき感のあるナンバガのOMOIDE IN MY HEADを今日初めて聴いてみた。歌詞が全く聴き取れんから調べてじっくり読んだら、何故だがどうしようもなく自分の思う「青春」を感じた。夜中にこっそり家を出て目的もなくフラフラ歩き回ってた個人的な経験が歌詞の断片的な要素と結びついたのかもしれない。それが当時抱いてたそのままの感情を掘り起こして、無性に心が掻き立てられたんじゃないかと思う。
スタンド・バイ・ミーのあれが幼少期のトラウマ
上映当時をリアルタイムで経験したくせに、その頃は歌番組やプロ野球といったメジャーなものにノレなかった、
今で言うド陰キャコミュ障のキモオタだった自分は、ハリウッド映画にも全く触れずに過ごした。
おかげですもごっつも、スーパージョッキーや元気が出るテレビとかも、B'zもドリカムもユーミンもスルーしてたのだから筋金入りだ。
そんなキモオタ学生も、今やどこにでもいる冴えないおっさん、いやジジイだ。
そんなジジイがTwitchの推しが「見る」というだけでホイホイ見に行くんだから、まあその、なんだ、特に弁解はない。
さて、きっかけはともかく、同年代からは「は?今頃?」と言われそうなタイミングで、ジュラシック・パークを見た。
感想としては、結構想定外な意味で「いい映画だわ」と余韻に浸る結果になった。
以下、一応ネタバレあり。
正直、今回ちゃんと見るまで「まあハリウッド映画だし終始大スペクタクルで迫ってくるんだろうなー」と思っていた。
でも実際は「そこまで騒がしくない」というか、きちんとSF小説の原作をリスペクトしたというのが納得できる、良作だった。
個人的に小説ベースの名画というとスタンド・バイ・ミーくらいしか出てこないが、あれに通じるストーリーの「真面目さ」「細やかさ」が作品のうまみになっているというか。
しかし同時に、声を出してしまうようなカメラワーク(Tレックスとかヴェロキラプトルとか)も随所に散りばめられ、最後まで飽きずに見れたのは、さすが名監督スピルバーグの演出と言っていい。
ちなみに作中のイケメン数学者が薀蓄と口説きで披露するカオス理論は、確かに当時の流行りだったが、それが回り回って今のAIとかにも関係しているんだから、息の長い分野である。
とはいえフィクションの中に出てくるITなんてリアリティ的な意味でロクなもんじゃないし、実際この映画も警備システムをはじめ、微妙な所があちこちにある。
その上で注目したのは、本作での事件の発端となったシステムエンジニア(兼プログラマ)のキャラ。
ピザをクッチャクッチャさせてそうなデブというのは、家庭にあるパソコンがオタクのおもちゃでしかなかった当時では、プログラマのステレオタイプだったわけで。
何より、アメリカでもGAFAが世界の覇権を握るほど伸びてくるまでは、たとえハーバードを出ていてもSE仕事はブラック待遇というのは考えさせられた。
まあ日本じゃ、令和の今もそんな感じだし。
更に当時はWindows95すら出ていないので、業務用にプログラマが使う計算機のうち、フルGUIのワークステーションといえばUNIXとなる。
なので本作でもMotifだかXViewだかをGUIにしたっぽいUNIXワークステーションを、例のデブも使っていたし。
あとUNIXといえば、金持ちじーさんの孫2人のうちパソコンが趣味の姉がUNIXを使えるというのも、もし父親が研究者なら納得である(macでもいいけど)。
01/15金 *7.4% ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序TV版
01/22金 *7.4% ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破TV版
01/29金 *7.9% ヱヴァンゲリヲン新劇場版:QTV版
02/26金 *8.8% スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け
03/05金 *7.6% ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー
03/26金 *7.3% バイオハザード
04/02金 14.0% ハウルの動く城
04/09金 *8.8% ゲド戦記
05/28金 *8.2% スタンド・バイ・ミー
06/04金 11.1% ボヘミアン・ラプソディ
07/02金 *9.4% おおかみこどもの雨と雪
07/23金 *2.4% 君の膵臓をたべたい ※五輪開会式の裏
07/30金 *7.7% ワイルド・スピードICE BREAK
08/06金 *4.5% 僕のヒーローアカデミアTHE MOVIE・2人の英雄
08/13金 13.8% もののけ姫
09/03金 *8.6% ジュラシック・パーク
「スタンド・バイ・ミー」やら「夜のピクニック」やらの青春小説・映画を楽しむのが主に少年少女だと思っているなら、認識を改めた方がいいぞ
それは、スタンド・バイ・ミーのメガネに向かっててめえの父親はクズで母は売女だ、みたいな罵倒を浴びせた男がいて、それも後のセピア色の思い出に変わる、みたいなことなんだろうが、話の見せ方と分かっていても、許容できない層がどうしてもいるんだよ。この話は先日のルックバックの統失の話とも関係はあるけど、あっちは明示はされてない。明示された差別表現を美化して語るってことは難しい。とんねるずにいじられていた定岡正二が例えば裏では別に仲が悪くないとか、電気グルーブでいじられていたまりんと石野らの関係性が別にわだかまりがないとしても、なんとなく良い気分にならない。力関係が完全に見えてきて嫌な気分になる。
こういう関係は割とちょいワルな連中に結構多く、ボス気取りのやつに子分みたいな友達が群がるという構図が現実にもよく見られた。それはもうまったく友達という概念ではなく、友達だとうっすら思ってるのは脳天気なボスだけという構図だった。大体の配下は顔色を伺ってて、傍から見てもプレッシャーを感じる力関係がそこにあった。セピア色になるのは立場が上のやつだけで、虐げられたものの色合いがセピアになることはない。思い出す度に灰色になるだけだ。
スターウォーズ:パパが大悪党だったので緑色のじいちゃんに剣を習ってバッサリ切り落としました。
プレデター:作戦行動中に襲われて仲間が全員死んだけど、倒した。
ランボー:山に引きこもってたけど、大佐が出てこいって言うから出てきた。
ランボー/最後の戦場:軍事政権と戦ってみた(YouTuber感)。
ブレードランナー:レプリカント殺してたけど俺がそうだった件。このレプリカントがすごい!選出。
ブレードランナー 2049:俺が息子だと思ってたけど息子じゃなかった。パパは娘に出会えてよかったね。
スタンド・バイ・ミー:死体探しに行って時折気まぐれに不良に拳銃を突きつけて帰ってきた。
グーニーズ:宝物を探してたら族の仲間と仲良くなって宝も見つかってバンザイ。
オール・ユー・ニード・イズ・キル:なんか繰り返してるうちに攻略法覚えたから楽勝。
ポリスストーリー/レジェンド:この中に犯人がいる、とかやってたら、いた。
カーマ・スートラ:アホの王子が狂乱にふけってると他国に攻め込まれて滅亡。
キッド:俺おとなになったらこうなんのかい。と駄々をこねてどうにかする話。
時計じかけのオレンジ:不良が迷惑を掛けるはなし。
マトリックス:脳内麻薬できぼじいいーーーしてたけど、叩き起こされたので戦う。
オーシャンズ11:潜入しようと思ったので潜入した。
というわけで、Twitterでは今頃スタンド・バイ・ミーの受けと攻めについて腐女子が議論していることだろうな。