はてなキーワード: オープンとは
みかんの花咲く丘公園駅前の繁華街の百貨店に勤める知り合いがいて、
関係者のみのそういうに招待してもらったの!
こういう日は、
現地に行ったら下回ってるところおおくて、
期待したほど、なんというか。
平常時は、そんなしけたたけしな顔しないでよ!ばりの料理じゃない。
だからそんな日は超豪華なのよねー
北海道産ホタテの貝柱バター焼きの包み蒸し揚げのおろしポン酢かけ返し風味盛りの海産、
揚げたての気合いの入ったやつが美味しそうに並んでるの。
そんな、イモばっかり食べてないで、
虎ばりに肉かじる様に、虎虎虎!
肉行きましょ、肉!肉!肉!
究極虎のごとし!
まさに、文字通りの
血湧き肉躍る酒池肉林みたいな。
木からぶら下がってる肉に飛びつく虎のようよ。
目の前つるされニンジン馬の肉版ね。
春先に恥ずかしそうに、
まあ、今の時期夏本域の暑さじゃないので、
まだ夜寒いのが玉に瑕だったけどね。
うふふ。
いつも一生だわね。
変わらないのがいいことなのかもね。
なんでもないようなことが、
幸せだったと思う。
255章まで歌っちゃうわ。
それなんだけど、
茶葉って混ぜてもいいものかしら?
今度試してみようかな?
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
性欲強くて悩んでる女の子を何人か連れてったけど、みんなから本当に感謝される。中でやるかどうかは人それぞれだし、やらない子もいるけど、とにかく性に関してオープンということがとてもありがたいみたい。
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、ツナ缶、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)
○調子
はややー。
仕事はやることがなくて、ドキュメントの誤字脱字チェックとか、そういう何でもないことをしていた。
なんかもう三時ぐらいからはあまりにも暇すぎて、頭のなかで今日のポケモンダイレクトのハードルをいかに下げられるかということばかり考えてた。
ちなみに、僕の開始前の予想は、
本命:ポケダン空iOS移植、対抗;ポケランドオープンベータ、穴:ポケモンGO大型アップデートでサンムーンに送ると夢特性3V、大穴:ポケとるパッケージ版
ぶっちゃけ、明日もやることないんだけど、どうしたもんかなあ。
いつかはスイッチも買いたいけど、このタイミングではないかなあ、来週にはスコルピオの発表もあるだろうし。
それから、サンとムーンのマイナーチェンジ、ウルトラサンとウルトラムーンが公開。
マイチェンは久しぶりだね、XYのときになかったし、BWのときは続編だったから。
とはいえ、B2W2のような二本同時発売でもあるから、続編なのかマイチェンなのかまだよくわからない感じ。。
ただ続編ではないのかな? ぶっちゃけ、リーリエとお別れのショックが未だに自分の中で重みになってるせいで、本編で育成や対戦をできてないので、続編でリーリエとの物語を綺麗に終わらせて欲しくもあったり。
あれ? クリスタルは? とは一瞬思ったけど、とりあえずこれでポケモンバンクを通じて全世代のポケモンが集まれるようになったのは凄いと思う。
前に何かで書いたけど、金銀の頃は中学受験の真っ最中だったから、あんまりプレイできてなくて、HGSSの方が思い入れが強いんだけど、これを機にプレイするのも良さそう。
ポケモン熱アッーーープ!
そろそろサンムーンでのメガストーンも解禁されてきているし、本腰を入れ出そうかな。
よーし、色々遊ぶぞー!
●XboxOne
最近、ハースストーンとかシャドーバースとかで流行のデジタルTCG。
ハースストーンはやりたかったんだけど、iPadminiだと頻繁におちるし、iPhoneは容量がいっぱいだからできないでいたので、
とりあえず、チュートリアルをこなして、今はリーダー(MTGでいう色みたいな感じかな?)を解放するために一人用モードを遊んでいる。
今日は、
北方諸国を全ステージ、スコイア=テルを全ステージ、スケリッジを半分クリアした。
場に出た時に、三枚ドローして三枚戻す効果で、手札の質が非常によくなる。
しかも、このマリガン能力でダメージが誘発するモンスターもいるので、超いい感じ。
3ラウンド制で、1ラウンド終わるごとに場はリセットされるんだけど、この継戦能力持ちはリセットされない。
なので、とにかく継戦持ちを強化して強化して、一気に2ラウンドとる戦法が楽しい。
もちろん、この戦法にも弱点があって、ダメージとか関係なく最大戦闘力持ちを除去するカードを使われると、相当しんどい。
サブの勝ち筋も必要な感じかなあ。
●3DS
○ポケとる
とはいえ、捕獲はまだ三匹とも出来ていないので、頑張るぞいや。
○はねろコイキング
コイキングは、25代目。
保守層が支持してるっていうのは嘘くさいよなぁ
私たちは、欧州が、20年以上かけ、電力市場の自由化、開放と、発電・送電システムの分離、そして電力市場の連携と統合を進めてきた歴史に、多くを学びました。
イギリスやドイツの自由化は失敗だったってよく言われてるが、それを踏まえた上でこんなこと国際会議(@イギリス)で言っちゃっていいのか?
当てこすりみたいに聞こえてないといいけど
そして日本でも、つい先日、半世紀以上続いた市場の寡占に終止符を打ち、電力市場の自由化と、送配電の分離を進める意思決定をしたのです。
どうしてこうつながる…
あの頃以上の活気を、日本の随所で取り戻したいのです。ですから若い人を、「日本へ行け」と、どうか促してください。
と、いうのも、国家戦略特区という、総理の私が、直接担当する場所で、徹底的な規制撤廃を図り、世界から資本と、叡智があつまる場を、日本にこしらえるつもりだからです。
なんだ、国家戦略特区ってのは総理自身が直接担当する場所ってちゃんと分かってたんじゃないか。昨日の国会答弁はなんだったんだよ。
というか、国家戦略特区ってもともと、外資に日本で商売させるための制度だったのかよ…
ロンドンやニューヨークといった都市に匹敵する、国際的なビジネス環境をつくる。世界中から、技術、人材、資金を集める都市をつくりたい。そう考えています。
今治もそうなるんですかね。地元サイドが四国に残る人材が欲しいって言ってるのとは、理念がなんだかそぐわないように見えるんですが
世界の「優秀大学百傑」に、せめて10校、日本の大学を入れたいと思っています。まずは国が運営に携わる大学で、外国人教員の数を倍増します。
研究時間を確保させてあげたほうがランキングには効きそうですがね
まとめ:これは平成25年の講演。結構前からヤバイこと言ってたんじゃないか?という感想。もっとちゃんと見ておけばよかった…
http://anond.hatelabo.jp/20170605185724
「あの今、ペラペラ言われましたけど、構造改革特区と、国家戦略特区、全く別物じゃないですか。構造改革特区はボトムアップで上げてくるんでしょ?だから、加計学園の名前が入って上がってくるんですよ、そりゃそうですよ。当たり前!で、国家戦略特区は、総理が全部決める仕組みでしょ、ね、国家戦略特区諮問会議は、地域だって、政令で、総理が決める、諮問会議だって議長は総理でしょ。山本幸三さんなんかね、えー、諮問会議の、議事録をまとめるぐらいの権限しかないんですよ。山本さんいなくたって、諮問会議開けるんだから。全て総理に集中してんですよ。今回、新しい獣医学部認めるということで、告示出しましたけれど、これだって、松野文科大臣と内閣総理大臣の名前で出てる告示ですよ、つまり全ての権限は、総理大臣に集中してるのが、国家戦略特区の仕組みなんですよ。それを全然関係ない、ボトムアップの構造改革特区の話を持ち出して来て、そういう混同させる、これ自体が、本当に、印象操作そのものなんですよ、大体、前川喜平さんに印象操作してんのは総理、あなたじゃないですか?そんなことばっかりやって、恥ずかしくないんですかねぇ(安倍:そっちが恥ずかしいよ)。さて、もう一度聞きますけども、総理、働きかけがあったら、もう一枚のパネル(安倍:冷静にやろうよ、冷静に)責任とるという発言を、3月13日、参議院予算委員会でされていますけれども、総理、責任ってどういう意味ですか?もし、働きかけが証明されたら、どんな責任とるんですか。」
「今、また認識の間違いをされますから、説明しますが、構造改革特区と国家戦略特区、この違いをよく理解されていないんだと思います(宮崎:それはあなたですよ)。まずどちらにせよ、サブスタンスを議論してるんですから、まず皆さんの時は、構造改革特区というのは、上がってきたら、めくら判ですか?違いますよね(宮崎:えー?何をいってんの)上がってきたら、め、めくばらんですか?これ、あがって、あがって、あがってきた、あがってきたものをですね、あがってきたものを精査するわけですよね、で、あがって、あがってきたものについては(宮崎:答弁させてください)、先ほど申し上げましたように、自民党政権においては、熟度等も含め、あるいはですね、獣医師会等との関係においても、対応不可、対応不可であったわけであります。国家戦略特区、国家戦略特区においてはですね、まさに、今治市ということで、それも上がって来るんですよ。で、大きな中で、国家戦略的にですね、国家戦略的に穴をあけていくということで、決めて行きます。ですから、その中で、我々も、医学部を決めました。医学部を決める、新たに新設をしました。でも医学部を決めるに際して、私が成田市とか、言ってるわけではないんですよ。たとえば、私が、養父市とか、言ってるわけではないんですよ。もし、そう思っておられるんだったら、全くこれ、考え方、変えられて、というか、ですね、全く理解が、全く理解が、間違ってると、言わざるを得ないんですよ。で、最終的にはですね、最終的には、何でも、どんな仕組みであれ、最終的に決めるのは、内閣総理大臣ですよ(宮崎:違います。)(この発言やばすぎるだろ。そりゃ私は立法府の長でありますっていうわ。)そして、どんな、色んな会議、たとえば、経済再生諮問会議だって、私が議長です。様々な議長があります。でも私が、そこでですね、勝手に色々なことを決められるんだったら、そもそも諮問会議の意味がないじゃないですか(与党:そうだ!)。私は根本的に、宮崎さんは間違っている、こう思いますよ。で、いずれにせよですね、いずれにせよ(差し出されたメモを見る)。の、今の、あの、めくばら、えーめくら判についてはですね(宮崎:はぁ?めくら判について?)、ちょ、ついては、言葉として、問題がありましたので、訂正をさせて頂きますが(宮崎:ああなるほど、はい)、しかしですね、いわば、これはですね、あの、基本的にはですね、上がってきて、上がってきてですね、先ほど申し上げましたように(宮崎:質問覚えてます?)、国家戦略特区諮問会議でですね、民間議員がですね、民間議員が、民間議員が、真摯に議論をするんですよ(宮崎:質問覚えてますか?)。ですから、皆さんのこういう議論に対して、民間議員の皆さんは、怒ってますよ。その意味に於いてですね、どんな決定においてもですね、どんな決定においても、その決定に、問題があるんであれば、責任をとるというのは、当然のことであろうと。(なぜか席に帰ろうとする)」
玄葉
「いや、責任をと、責任があるから、責任を、私の、私の責任をとると、え、え、これ、中身についてはですね、中身については、あの、敢えて申し上げる必要はないと思います。」
「ペラペラペラペラ適当な制度論を述べられましたが、最後はそのー責任とは、言う必要がないって。いや、総理がね、申し訳ないんですど、構造改革特区と国家戦略特区について、全く理解されていないということが、よく分かりました。これね、たとえば、平成30年4月に開学、あるいは四国に、四国とは限りませんが、広域的に、他の獣医学部がない地域に限る、あるいは一校に限る、こういったものは、ライバルであった京都産業大学を追い落とすために後からはめられた条件じゃないか、こういう疑惑があるわけですよ。それだから、ここに出てきます、藤原審議官、和泉補佐官、木曽参与、萩生田官房副長官、総理の意を受けて一生懸命やっている。それは、この制度が総理の非常に強い権限で、トップダウンで行われる制度だから、そういうことも言えているし、実際に、このように、総理の意向だということが、平然と出てくる状況にある。構造改革特区のように、下からただ上がってきて、それを審査するというものでは、ないんですよ。区域だって、決めるのは、最後は総理がきめてるんですから(安倍:ええー!?)そこ、知らないんですね、知らないのがよく分かりましたよ。もう一つお伺いしたい、テレビ番組で、あ、これ違う、ラジオで、次官なら大臣と一緒に、私のところに確認に来ればいい、内閣府との議論で、なぜ反対しなかったのか、と文科省は反対していたけれど、前川氏個人が、自分のところに反対だと言いに来なかったと。だから、何で来なかったんだと、言いたいんですよね。総理のご意向だと言われても、私に聞けば分かったのにと。そもそも、和泉首相補佐官から、総理はいえないから私がいうと、かまされているんですよ。なんで、そういった状況で、総理に、これ、和泉さんの言ったことは本当ですか?藤原さんの言ったことは本当ですか、と聞きに行けますか?聞きに行けるはずないじゃないですか。違いますか?」
「あのー、まぁ宮崎委員が言ってることは、端から、端から破綻してますよ。今、総理が決めるということは、総理はご存じなかったと言ったんだけど。つまり、それは、私が決めてないから、私が知らなかった。これ、言ってることがですね、全くですね、全く論旨が破たんしてると思いますよ。いいですか、場所等をですね、決めるのは、まさに、まさに国家戦略特区諮問会議ですよ。あの、読みました?議事録、オープンになってますが(宮崎:(元気よく)ゼンブ読みました!)いや、おそらく、いや、それは、私はなかなか、だから、読んでいるとは、いや、それはねー、あの(宮崎:だから大した量じゃないんですよ、公開されてんのは)いやいや、すみません、それはね、いま相当動揺されましたが、それは読解力の、読解力の問題だと思いますよ、読解力の問題なんですよ、その中で、その中で、じゃ、その中で、例えばですね、医学部と獣医学部の意味、についての議論もなされて、なされていますが、ご存じですか。(玄葉:いいから、答えなくていいから)あの、で、で、ご存じないようですが、つまり、それはですね、保険診療、保険診療でやっている、医師とですね、自由診療でやっている医師(獣医師かな)、これは、保険財政、あるいは国家財政にかかわりがないので、根本から自由にすべきだという議論が、これは結構強くありました。しかし、国家戦略特区というのは、その中で何とか、キリのように穴を開けていく、ということであります。そして、それに関わる人たちがいる、業界の人たちがいる中で、キリをあけていく(?)中で、議論を進めたわけで、ありまして、突然ですね、たとえば、加計学園のために、一校に絞るということにしたわけでは、ない、わけでありまして、広域的に、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限る、一校に限るという要件は、獣医師会等の慎重な意見に配慮したものでありまして(これは山本大臣がすでに撤回した言い訳)。これは、獣医師会等から、こういう要請があったんですよ。これは常に、たとえば医学部を作る場合にもですね、医師会と、相談を、します。その中でですね、最初は医師会、強い反対がありましたよ。厚生労働省もそうです、その中で、何とかということで、国際的な大学を作るということで、成田を決めた、わけで、あります。また、安倍政権下においては、東北にも医学部を、作った。それは、いわば、被災地、あるいは、原子力災害から立ち直っていく中において、そうしたものも含めて、医学部を作ったわけでございますが、今回の場合においてはですね、今回の場合においては、鳥インフルエンザとかですね、口蹄疫、狂牛病、これ、一気に広がっていく伝染病、動物から動物、動物から人にうつっていくと言うものに対して、産業医不足している、あるいは産業獣医が不足している、あるいは獣医公務員が不足している、獣医師が地域に偏在をしているという中において、四国に一校もないというのは、どう考えてもおかしいわけであります。四国の多くの議員、ま、獣医師と特別に関係ある人は別ですよ、四国の、多くの人たちも、これは強く望んでいることでありまして、これはまったく、私は、問題がないんだろうと、このように、考えているわけであります。いずれにせよ、私がですね、私の意志で、どこだということをですね、決めるということは、全く、あり、えない、ということは、ハッキリと申し上げます。」(はい答えてないー)
「何か、質問を何をされたのか、忘れてしまったようで、最後まで答弁ありませんでしたけど。ま、色々、デタラメがありましたけれど、例えば、獣医学部ないのは、四国だけじゃないですよね、北陸もないし、信越もないし、北関東もないんです。そして、広域的にない部分に限る、という文章が、獣医師会の意向で入れたというのは、これは全くのデタラメです。これまでの答弁でも、山本幸三氏が、既に、それは撤回をされている答弁です。なぜなら獣医師会は、全国的な見地からという石破4条件を尊重するべきだという考えだったからであります。総理が長々と関係ないことを答弁してくれたので、時間がなくなりましたが、前川喜平氏を証人喚問するように要求をして、私の質問を終りたいと思います。」
今井雅人議員の質疑の中でも、山本幸三大臣が加計学園はA42枚だった、京産大は20枚だったということに対して、加計学園は構造改革特区で、政府に20枚とか26枚とか詳しいペーパーを提出しているんだとおっしゃっていましたけど、諮問会議の議員はその資料を共有して無いでしょ。諮問会議が決めて、総理、大臣はノータッチだって言うのなら、熟度を判断した諮問会議が得ていた情報以外のものを根拠にするバカみたいなことやめて欲しいんだけど。まぁこれは総理のウソだけど。
あと平山佐知子議員に、4条件をクリアしているかと聞かれたときにそれを判断するのは今治の分科会だといってたんだけど、これもウソだよね。
第五条 政府は、国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るための基本的な方針(以下「国家戦略特別区域基本方針」という。)を定めなければならない。
2 国家戦略特別区域基本方針には、次に掲げる事項を定めるものとする。
(略)
3 内閣総理大臣は、国家戦略特別区域諮問会議の意見を聴いて、国家戦略特別区域基本方針の案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。
4 内閣総理大臣は、前項の規定による閣議の決定があったときは、遅滞なく、国家戦略特別区域基本方針を公表しなければならない。
5 政府は、情勢の推移により必要が生じた場合には、国家戦略特別区域基本方針を変更しなければならない。
6 第三項及び第四項の規定は、前項の規定による国家戦略特別区域基本方針の変更について準用する。
7 内閣総理大臣は、必要があると認めるときは、国家戦略特別区域基本方針に基づき、第二項第六号に規定する提案の募集を行うものとする。
第六条 内閣総理大臣は、国家戦略特別区域ごとに、国家戦略特別区域基本方針に即して、国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する方針(以下「区域方針」という。)を定めるものとする。
一 国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する目標並びにその達成のために取り組むべき政策課題
3 内閣総理大臣は、区域方針を定めようとするときは、国家戦略特別区域諮問会議及び関係地方公共団体の意見を聴かなければならない。
安倍さんは自分では国家戦略特区の認定に介入する立場にないとか言ってたけど、残念だけど、国家戦略特区の基本方針を定めるのも総理大臣だし、区域方針を決めるのも総理大臣なんだよね。その中の具体的な区域計画を認定するのは区域会議だけど、そこから上がってきた計画の最終的な決定権はこれまた総理大臣なんだよね。何を持って、自分は関与できないとか言ってるのかさっぱりわからん。構造改革特区は前も言ったけど、関係閣僚の同意が必要だけど、国家戦略特区にはそういうのは全然なくって、諮問会議の役割も最終的に決定するわけじゃなくって、あくまで意見をあげて、総理大臣がそれを決定するシステムになってるんだからいい加減なこというのやめてほしい。
あと分科会の役割については、国家戦略特別区域法には役割の規定はされてないし、石破4条件のような「国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する目標並びにその達成のために取り組むべき政策課題」を定めるのは区域方針で、決定者は内閣総理大臣って書いてあるし。
これは参考資料2にこちらの特区の区域方針をつけてございますけれども、この区域方針の早期実施に向けまして今治市の分科会を設置させていただきまして、この区域方針に記載してございます項目の中で今治市固有の具体的な事業、資料3に小さな点で書いてございますが、7点でございます。クールジャパン外国人材の就業促進から最後の小型無人機の公共インフラの保守管理など、今治市で御活用いただける可能性のある項目につきまして、新たな制度改革、規制改革について重点的、集中的に取り組む仕組みを、こういった分科会という形で議論いただくという趣旨でございます。
って区域会議での分科会設置の趣旨説明でも、政策課題をクリアしているかどうかを判断するかは諮問されてないし。どうみてもそれをするのは総理大臣だって、第6条に書いてあるし。専門家が入った分科会で、問題にされてないから、石破4条件クリアしてるっていう論理は単純に言って、頭おかしいとしか思えないし、それで自分は関係ないっていうのは完全に印象操作としかいえないですわ。
元増田です。なぜか消えてしまってオダミツオさんとかに心配していただいているみたいなんで再掲します。
まあ、私が元増田かどうかも、どうでもいいじゃないですか。「CC BY 4.0」宣言しているんだし。
5/20の再掲が字数オーバーだったのかもしれませんし、捨てアドでアカウントとられたのを、はてなさんが怒っているのかも。
結論:
アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、流通改善に名目を借りた正味戦争の宣戦布告である。この戦争に敗北し、多くの出版社が個別直接取引(e託)に応じてアマゾンのみに特恵条件を与えることは、破壊的な状況をもたらす。
また、直接取引をしたところで流通が改善するという保証はない。アマゾン依存度が上がるほどに、苛烈な「ご提案」に逆らえない状態となる。
在庫ステータス管理の問題は、業界が抱えつづける課題ではあるが、このアマゾンの施策とはほぼ関係ない。
長くなってしまったので、結論を先に書いた。これに納得できた人は、この先は読まなくてもいい。そうでない人、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。
取引正味の現状
出版社から取次への引渡 69%(-2~+10数%)
取次から書店への引渡 77%(-5~+数%)
一般に、老舗ほどよい条件を持っている。(大手がすごくいいというわけでもなく、特に正味が高いのは法学・医学などの高額専門書出版社である)
正味以外にも新興出版社は上記条件のほかに歩戻し(新刊委託手数料)を支払い、新刊の代金支払いは納入の7か月後、さらに3か月から1年の支払い保留を課されるケースもある。
一方で、老舗出版社は新刊でも搬入翌月に代金の半額の内払いを受けるなど有利な取引条件を有している。
かつては出版社ごとの正味の違いは書店への卸正味に反映されていたが、取次間の書店獲得競争の結果「一本正味」が増えている。その結果、老舗出版社の高額商品を卸すと取次が赤字になるという「逆ザヤ」も生じている。
大手出版社が取次の株式を保有しているという背景もあり、こうした取引条件が改定されることはめったにない。
アマゾンの直接取引(e託)は、これを年会費9000円、正味60%の直接取引に一本化しようという提案である。
https://www.amazon.co.jp/gp/seller-account/mm-product-page.html?topic=201463220
ある意味で平等に見えるが、背面では個別に違った取引条件が出版社に持ちかけられている。漏れ聞いたところでは66%の提示までは確認したし、中堅以上からはそれ以上の条件で取引しているという示唆も受けた。
しかし公式以外の取引条件はあくまで特約であり、アマゾンの提示する「条件」が守られなかったと判断された場合は一方的に破棄される。また、契約書をよく読んだ人は、その条件が数年間の時限であることに気づいたはずだ。
アマゾンはこれまで(おそらく)73%くらいで仕入れていた本を、60%で仕入れるようにしたい。まずのところ、「取次に在庫を置いてもらえていない本」から。いきなり60%と言っても受け入れてもらえないから、短期的には優遇条件や集荷などのエサを出す。
なぜこのタイミングで言ってきたのか
アマゾンはアフィリエイトにしてもマーケットプレイスにしても、市場占有率が上がるにつれ、取引条件を何度も改定してきた。取次からの卸を「73%」と推察したのも、天秤をかけられている取次がギリギリ呑めるラインを推察しての話だ。日本上陸時の大阪屋との取引正味が75%で、そこからコンマ5%刻みで4回、計2%下げただろうというのが筆者の読みである。取次のアマゾンに対する態度が「あんな条件では積極的には欲しくない」に年々変わってきたというのが傍証となっている。
それにしても今回の「バックオーダー発注廃止」は急で乱暴な施策に見える。通告メールの文面にも焦りが垣間見え、「3月期の利益が取次対応の遅れによる売り逃しで毀損された」からだと主張している。
3月は新刊が多く、セット搬入等も含めラインは輻輳する。アマゾンと日販の蜜月が終わり、日販が「こんな粗利のところに便宜を図っていられない」と気づいたのもあるかもしれないが、今日に始まったことではない。
より説得的な答えは、「配送料の値上げにより利益が圧迫されるので、別途利益を上げる見込みを立てて早急に本社に報告しないと、日本法人の評価が下がるから」だろう。
アマゾンは、租税回避や配送・資材・仕分の業者を徹底して継続的に買い叩くことに不断の努力を払い、設備投資の源泉を得てきた。そうした抜け道は徐々に塞がれてきたが、その間に無視できないシェアを得た。その買い叩きの対象が、いよいよ本格的に出版社にまわってきたということだ。
アマゾンで品切が頻発する理由
さて、「話題になった本がアマゾンに行ったら品切になっていた」が、なぜ頻発するかの考察に移る。
アマゾンの発注の仕組みは以下の記事に詳しい。
アマゾンのバックオーダー発注の件について小零細出版社が考えるべきこと
このバックオーダーの発生してからのこれまでの流れについては、以下の5年前の記事が(ちょっと出版社が鈍すぎだが)おおむね正しい。そして、この流れは一般書店も変わらない。
amazonの本の補充はなぜ遅いのか
精力的な書店は、発注を出版社に直接行ない入庫処理も迅速なので、出版社に在庫があるもののバックオーダー後の入荷はアマゾンより4営業日以上早い。
このバックオーダー発注を7月1日から「取次を介してやらない。e託しない出版社の取次に在庫のない商品は扱いを中止する」というのが今回の通告である。
そして、高島氏の言うように在庫状態を開示して搬入を早くしても、問題は解決されない。
ベンダーセントラル(VC)でチェックするとわかるのだが、アマゾンの発注は間歇的になされる。たとえば、週に10冊需要のある本は、2か月に1度、100冊の注文が来る。
その冊数の在庫を日販が準備していなければ、大阪屋栗田の在庫を見に行って、それでなければ翌日繰り返す。そんなことをされたところで、それに対応して発注される可能性のある品目を網羅的に取次が在庫することは不可能である。日販にしてみれば、その照会は大阪屋栗田で充足されたかもしれず、明日発注されるかもわからないのに、その数を即仕入れろというのも無理な話だ。
なぜコンスタントに補充をやらないのかという疑問が起こるだろう。在庫が少ないタイミングで受注の波が来たら、アマゾンにしても機会損失になるからだ。
しかし、実際にこの十数年、定番書であっても同じアイテムの「バックオーダー発注」の短冊が数週間に一度、同じ日に何枚も「市川13,6,4、小田原9,5,2、堺20,7、鳥栖6,5,2」というようにまわってきて、その前後でアマゾンで品切になり、回復まで10日間というような事態が繰り返されてきた。
ベンダーセントラルを見ると、受注は多少の波はあれどコンスタントであり、アマゾン自身の「需要予測」もおおむね頷ける値になっている。しかし、発注だけがすさまじく間歇的なのだ。
最初は倉庫の入荷オペレーションのためかと考えていた。しかし、倉庫が各地に増えた現在では、各倉庫の発注時期をずらせば、品切を回避できるはず。アマゾンの優秀な人たちがそれに気づかないはずはないが、折に触れてその点は提案してきた。
「発注時期を倉庫毎にずらせませんか」「バックオーダーの発注を版元に直接送りませんか」
しかし、そのたびに返ってくる返事は「当社独自の計算にもとづき、在庫量・発注時期は最適なかたちでおこなわれています」「流通にご不満がある場合は、e託契約をご検討ください」だった。
いま筆者が持っている仮説は2つ。
「倉庫ごとに時期をずらすと、北海道の発注が佐賀に飛ぶような高コスト事例が頻発しかねないので、各倉庫の在庫を平準化したい」
「在庫についてつねに不安定にすることで、出版社と取次に対して取引カードにしている」
それが穿ちすぎであるにしても、アマゾンの在庫が過小であり、それを解消する意思がないのはあきらかだ。
過少な在庫量と倉庫の人手、発注遅延、そして入荷時期への過大な要求
「アマゾンの在庫が過小だ」と指摘すると、返ってくるのは「市川や小田原や川崎に、あんなに巨大な倉庫を持っているのに、あれ以上投資しろというのは無理」という反応だ。
しかし、あの倉庫は流通のためのスペースが大きく、書籍以外のものも大量に扱っている。書籍の在庫量が売上に対してひどく少ないのは、厳然たる事実である。
業界紙『新文化』 の2017年1月12日号に成毛眞氏がアマゾンのキャッシュフローについて述べている(以下リンクは小田光雄氏の要約)。
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20170201/1485874803]
それによれば、顧客から代金を回収し、納入業者たちに支払う期間のキャッシュコンバージョンサイクルはマイナス18・86日だという。仕入は月締め翌月払いの平均45日サイクルとみて、顧客回収サイクルはどんなに短くみても10日あるだろうから、平均在庫期間は17日、年間在庫回転数21強ということになる。この値は、筆者が複数の出版社から確認しているVC上の在庫/売上比とも整合する。
これは、書店としては驚異的な値で、駅売り雑誌スタンドかと見紛うばかり。ちょっと話題になるだけで「品切御免」となるのも、致し方ないことだ。
話題の週刊文春が売り切れだからとスタンドを責める人は、まあどうかしている。アマゾンは、そういう在庫量でやっていくことを選択しているということだ。
そして、取次から入荷後に出荷可能になるまでの期日も遅い。通常の書店でも、入荷後に配架担当者がいなくて1~2日寝る場合はあるが、アマゾンは入荷から出荷まで3日寝るのがデフォルトである。これは、現場の人員と設備を慢性的に不足させて、100%以上の稼働率を維持しているからだろう。そのため、繁忙期や天候不良時には業務がさらに停滞する。
アマゾンの発注判断は遅い。判断に人間を介さないため、需要が急激に伸びた場合にもその要因がパブリシティなのか、ネットのバズりなのか、その需要はいつまで続くのかという読みを外部情報に求めることをしていない。したがって、自サイトでの顧客の行動を見て、「売り逃し」が続いてから発注を増やすという行動になる。
この入荷遅れと発注遅延という行動様式は、e託を導入しても基本的に解決しない。
「いま寄越せすぐ寄越せ、寄越さないならペナルティだ」とクレームする先が、取次から出版社になるだけである。
在庫ステータス22(重版中)のものも、アマゾンは同様の行動様式で発注する。即出荷できないものは発注せず、11になったら最前列に割り込ませろと言う。割り込ませなかったら、特恵条件は破棄される。
新刊については改善しつつある
問題がここ1年で飛躍的に改善したのが新刊である。新刊については、情報が出てから発売までに時間があるので、アマゾンの遅い発注判断でも、じゅうぶんな量の入手が可能になる。そのうえ、アマゾンも「新刊の追っかけ発注は入手しにくい」ということを学習したのか、発注量も多くなった。
新刊委託配本をしない出版社でも、取次とコミュニケーションを密にとれば発売即品切れを回避しやすくなった。
とはいえ、発注タイミングはやはり遅い。「発売前重版」になるような本がアマゾンで入手できず、一般書店には平積みになるようなことは多い。それは、書店としてのアマゾンの能力が低いということの証左だ。発売4週間前に発注しても入手できない個人書店の事情とは問題のレベルが違う。
一方で、アマゾンの利用はどんどん広がっているし、検索順位は高い。話題書をスマホで検索して即注文しようとすると、アマゾンがトップに出てきて「2~3週間後出荷」となっている。そういうときに出てくるのが転売業者だ。
マーケットプレイスで3倍程度の価格をつけ、「希少品につきプレミアム価格です」と説明している。そして、その業者のページを見ると、数十万点の出品物がある。もちろん商品を仕入れているわけではない。受注があってから、hontoや紀伊國屋やヨドバシに発注し、届いたものを転送するのだ。
商品登録から値付けまですべてbotを活用した、「他の書店を探すのが面倒な人」から無知税を搾り取るためのビジネスモデルである。
転売業者も栄枯盛衰が激しいが、いまは「ブックマーケティング」や「メディアフロント」が勢いがあるようだ。関心ある人は探してみてほしい。
彼らの最大利益を追求する商魂や、ネガティブなコメントを即流しにかかる熱意など、学ぶところは多い。
トップ企業であるということは、いちばん情報に疎い人がやってくる場だということでもある。だからアマゾンを偏愛する利用者は他の書店利用者より平均的に無知で、流行に流されやすく、堪え性がない。したがって配送関係でトラブルを起こすことも多い。発送に時間がかかれば、カジュアルにキャンセルしてくる。この層を相手にするのはコストがかかる。だから、アマゾンはそのコストの負担を要求しているのである。
そういう人へ売り伸ばすのは商売の勘所でもある。
どこまでやればいいのか
アマゾンの要求は単純だ。「扱ってほしければ情報を出せ。情報を出したらカネを出せ。カネを出したらもっと出せ」ということだ。
出版社、ディスカバー21の干場社長の証言がある。2014年10月のものだ。
>https://newspicks.com/news/654047>
「これまでは大型パブや広告がある場合、前持って出版社の方で手動で在庫を増やすように指示できたのですが、10月1日より、今後、全てそれまでの平均売り上げによる自動補充にするという通知が10月を過ぎてからただ1通ポーンと送られてきました。
それが嫌なら、去年からアマゾンが出版社に持ちかけているパートナー契約を結べと。つまり年間600万円以上の契約料を払えと。
それはアマゾンによる一方的な評価基準により価格が決まるもので、売り上げに準じたものではない。今回の処置は、パートナー契約を結ばない出版社への締め付けとも受け取れます。」
<<
この書きぶりからすると、ディスカバー21はおそらくe託を利用しているのだろう。というか、取次を利用せず書店と直接取引するのが、柳原書店破綻以降の同社のスタンスである。「在庫を増やすように指示」などが出来たところからすると、導入当初はあるていど優遇されていたようだ。
しかし、依存度が高くなったとみると掌を返す。大変合理的な行動だ。e託の正味60%もいつまでも固定されるとも限らない。
こうした「パートナー契約」によってサイト内の表示順序も左右されているのが現在の状況だ。
都合が悪くなったら出口があるのか?
「e託で条件が切り下げられたら、取次取引に戻せばいい」。そういう意見もあるだろう。
「みんながそうやったあと、取次は数年後も残っているのか」という問題はまず措く。
それにしても、アマゾンは裏切り者を許さない。海外での事例は、反目した出版社の商品に対して注文ボタンの撤去や検索結果への非表示など、アマゾンが自社サイトの優位性を最大限に活用した実力行使を辞さず、読者の利益を損ねることをものともしないことを我々に教えてくれる。
「e託やってたんだけどさ、不利になってきたからやめたよ。e託しなくてもそんなに不都合ないよ」などと公言する出版社の存在が、アマゾンの戦略にとってどれだけ目障りかを考えてみよう。個別取引の合理性などかなぐり捨てて「アマゾンから離れた出版社は倒産した」という事例をつくりにくることは覚悟しなければならない。
複数の出版社でこの問題を訴えようにも「e託契約」も「パートナー契約」も、すべて明細は秘密保持契約(NDA)の向こう側にあり、その訴訟リスクが情報共有と連帯を阻む。今回、筆者が匿名で書かざるを得ないのもそのためだ。
現在でもアマゾンは不定期にポイント付与率の上げ下げを実施している。対抗馬のhontoがもっと派手にポイントをバラまいているので、日本の出版界はそれを非難することもできない。
現在のe託では販売価格の主導権は出版社にあるが、市場を更に占有したところで契約更改は再販廃止が条件となり、「プロモーション」「正味下げ」「値下げ」の3点セットの「ご提案」がつぎつぎに舞い込むことになるだろう。
アマゾンで買えばほかより安いとなれば、消費者はなお雪崩を打ち、発言力はさらに高まる。
電子書籍では、入金額分配契約の出版社の場合、「アマゾンで本を買うと、他の手段より著者への支払いが少ない」という事態は、すでに起きている。これから紙の本にも普及してくる可能性が高い。
アマゾン1社を優遇するなら、出版社は縮小均衡の果てに「アマゾン制作部門の下請け」となる道を選ぶしかなくなるだろう。
もうひとつの解は、アマゾンの条件を呑むのなら、その条件をオープンにし、他の書店にも同様の扱いをするということではないだろうか。60%条件ならば書店を起こせる人は多くなる。1社独占になりさえしなければ、安すぎる正味だとは思わない。本の価格は上がるだろうが、この正味戦争に建設的な出口を探すとすれば、そういう方向しかない気もする。
アマゾンがやっていることは、「すべてのお客様のために」ある。アマゾンが考えるお客様の希望は「手軽で安価な入手」だ。だから、「手軽で安価」な入手に協力する者は優先するし、それに協力しない者を悪く見せるために努力をいとわない。
「ほかの書店はともかくアマゾンで品切れするなんて」「売っていないなんて」という読者と著者の態度が、それを後押しする。
「業界が絶望へ相転移するときのエネルギーを利益に変えている」と言ってもいい。
だから、折りに触れ現れ、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁くあの提案書を追いかけまわして、「そいつの言うことに耳を貸さないで!」と叫ぶ。
あなたが、すべての絶望を希望に変える奇跡の道を見つけるまでは、契約してはいけない。
2017.5.20--追記
思いのほかたくさんの反響をいただきました。
匿名の身ですので、本記事は「CC BY 4.0」転載・再配布・翻案自由とします。
とだけ宣言しに舞い戻ってきたのですが、せっかくなのでもう少し蛇足を。
取次の擁護ウザい。
→擁護していない。取次が硬直的な差別取引で出版社が新しく出てくる芽を潰していることは既述の通り。
→まっぱだかの資本主義が野蛮で不合理な結果をもたらしてきたということくらいは、10代のうちに学んでおこう。消費者利益もエシカルでなければ持続可能にならない。いいからパンツくらい穿け。見ているこっちが恥ずかしい。
独禁法と公取は仕事するべき。
→アマゾンは公取と密接に連絡を取って、アウトにならないギリギリの線を見極めて活動している。そして、紙の本はもちろん、電子書籍においてさえアマゾンは圧倒的な独占を未だ手にしてはいないので、公取は様子見。まあ、ケータイ相手のコミック商売をしている国内勢がまだ大きいからなのだが。
パトレイバーの後藤隊長みたいな言いかたになるけど、役所が動くのは常に手遅れで犠牲が多数出てからだし、そうでなくてはならない。文化的な公害のおそれには予防原則を持ち込むべきではない。
国内勢力を糾合して対抗するべき。
→それこそ公取の出番になる。出版界は笛吹けど踊らない者が多様にいるからこそ、自由でいられる場。そのメリットを手放すのは下策。テーマは変わるが、軽減税率ほしさに政府に嘆願する業界団体は恥を知れ。おまえらは出版界全体を代表してなんかいない。業界が一丸になどなったらあっという間に規制され、規制団体に天下りを送り込まれる。
→流通は改善している。アマゾンで入手できるような本なら、たいがいの書店でさほど待たずに注文できる。アマゾンが1週間以上になっているならば、多くのケースで書店やコンビニのほうが早い。というか、ド田舎以外で入手を急ぐならまずはhonto withでチェックするべき。
書店で取り寄せできないと書店のせい、アマゾンで取り寄せできないと出版社のせいにする読者をネット上で散見するが、実際は逆。アマゾンは出版社に連絡をする労すら惜しむ。
とはいえ、取り寄せを渋ったり、TONETSやNOCSの在庫情報の見方を教育されていなくて「この本は取り寄せできません」とウソをついたりする書店員も、たしかにいる
ーーーーー
なんて書いたんだっけ。
「。社員に流通教育もできない書店はつぶれればいいのに。」までは確かなんだけど。
ラストはガンジーの糸車と塩の行進にからめてなんか書いた記憶がある。だれかとっといてくれてないかなあ。
今日のところはここまでで。
2017.6.18 続きを書きました。
それでは計算いたしませう
ボイス争奪選挙の際最下位レベルの「クラスのアイドル」だったアイドルの担当やってる俺は、1年に1回出番が来れば有り難いと思いながらやっている。
モバマスで篠原礼が初めてのSR(モバマスでは最高ランクのレア度)が出るまでに神崎蘭子は何週もしている。それでも出た。南条光は初登場から再登場まで2年近くの時を要した。それでも出た。待てば海路の日和は必ず来る。
曲に関しては我慢するしかないが、木村夏樹みたいに曲があってもドラマCDが無いアイドルもいる。それはそれで悲しい。ソロCDシリーズのCMに至っては順番待ちの列ができている。
声を目的にするな。確かに声がつけばデレステでの出番は増えるが声付いた後のプッシュ期間が終わったら他の声付きと十把一絡げだ。
ユニットはロワやツアーなどのイベントでどんどん増えてる。もちろん出番に格差はあるが、椎名法子(アニメサプライズ声実装)と大原みちる(声無し)のチームフラワーがトップレベルの登場回数だ。
例としては弱いかもしれないが、このようにモバマスなら声付き声無しの格差は比較的に少ない。新田美波(声付き)がRで来ることもあるし、吉岡沙紀(声無し)が3連続SRで来ることもある。
無論、集金用の最上位アイドルとなれば話は別だが、シンデレラガールになろうものならガチャからアニバアイプロ上位報酬というヴァルハラもかくやという戦いが待っている。
あと同好の士はどんなアイドルでも必ずいる。Twitterでもどこでも探して繋がれ。声がつかないだの負けだのと愚痴を言うより担当の好きなところを存分に語れ。オープンな場所で魅力を語り続ければ他担当の目に入って沼に引きずり込める。
イベントでユニット組んだアイドルの担当には積極的に絡みに行け。そのユニットの可能性を語り世界を広げろ。複数担当持ってるやつは狙い目だ。一途な奴でもユニット組んだよしみで気にかけてくれる奴もいる。
絵でもSSでもパワポでも動画でもFLASHでもwikiでも渋百科にあらゆる情報を詰め込むでもなんでもいいから創作すると気にかけてくれる奴は増える。
上を見るときりがないので現状あるものを楽しむ事も大事。隣の芝は青く薔薇は赤く見えるのは当然だ。
課金はいざという時にとっておき、普段は高垣楓や神崎蘭子といった集金担当アイドルに任せておけばいい。石もチケットもドリンクも溜めておけ。
http://anond.hatelabo.jp/20170528113521
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
このへんの腐女子がんばれよ論とか。
今回の騒動はたまたま選出基準のせいでBLの割合が多かっただけで、本質的な問題はそこじゃないと思う。
どっちかと言えばこれは「自分の作品は公のものだろうとなんだろうと使われ方を全部自分で管理したい」と願う作者とそれに立ちはだかる現実の話だ。
BL二次創作の作者にその手の人の割合が多いという意見は分かるが、別に自分の作品を管理したいのはBLもR18も二次も商業も関係ない。
例えば自分の作品がどこで閲覧できるか。自分の作品が何に紹介されるか。自分の作品が誰に楽しまれるか。自分の作品がどんなことに使われるか。
そういったものをとにかく全部自分の思い通り、想定通りにしたいと願う人は創作活動をしている人の中では別に珍しくはない。単にそれが我侭だと理解しているから周囲に要求してないだけで、内心やめてくれと思っている人はいる。
それは別にプロもアマも関係ない。それなりの年のオタクなら「俺が嫌だと行っている」という言葉に覚えのある人もいるだろう。
魚拓やアーカイブはちょっと見つからなかったので、当時の話題のまとめがあるサイトをのせておく。
http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-12.html
リンク先まで見に行くのが面倒な人向けに簡単に説明すると、あのジャンプに連載していた久保帯人さん(ブリーチの作者の人)が当時私的に書いた絵をファンが喜ぶならとサイトに掲載していたけど、それをDLしてプリントアウト(自分だけで楽しむ、私的利用の範囲でもちろん適法)している人達にやめてくれって言った話。
そうすると当然「私的利用だから別に悪い事でもなんでもない」という反応もあるわけで、そういう正論に対して久保さんが言った(日記に書いた)のが
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」 理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
という一文だった。(本当はサイトに乗せた理由についての話とかもあってもっと長いけど今回は前後の文章は関係ないと思うので該当部分だけ抜き出しました)
で、最終的には絵は削除されました。嫌だと言ってもファンからのDLしたいという問い合わせが尽きなかったため、とのこと。
この問題については確かに作者の態度はあまりよくないものだったかもしれないけれど、「確かに適法ですが個人的には嫌なので止めて欲しいです」とお願いをして、そのお願いが聞き入れられなかったので「では公開を止めます」って取り下げたのは別に何も間違ったことではない。それこそ適法。作品の公開を取りやめるのもまた作者の権利なのだから。
当時はまだブリーチは連載していなかったが、ジャンプに別の作品が掲載されたことはあったはず。つまり既にプロだった時の話がこれ。
その世界で金を払って生きている人でも自分の作品は法律とか関係なく自分が思った通りにしか扱ってほしくない、と思うだけでなく口にする人だっている。
そして個人的には後ろ盾を持ってきて権利を主張するんじゃなくてシンプルに「嫌だから止めろ」とだけ宣言する久保さんの態度は、言い方の問題こそあれむしろ変なごまかしをしない正しい姿勢だと思う。
二次創作は、原作者の意向によるけれどもまだまだグレーゾーン(作者が許可を出していないもの)は多い。公式に二次創作を認めたものもかなり増えてきたが、決してそちらの方が主流ということでもない。(とは言え二次創作=全て何もかも違法、みたいな扱いはどうかと思う)
また、原作にそのような要素がないものをBL化する場合、原作からの剥離度はいわゆる「健全」な本と比べたら高くなりやすい。(エロがないのにエロ化する二次創作も剥離度は高くなりやすい。念のため)
そして男性と比べて女性は慣習的に性的なものに触れることをタブー視されている空気はあると思うので、内圧なり外圧なりで、どうしても後ろめたさを感じる人というのが多い。
そうしたどこかうしろめたいものは、やっぱりあまり衆目には晒したくない、と思う人が多い。大勢の人の目に触れると攻撃される、という怯えがある。
結果、周囲から見た時になんだか妙だなと思われてしまうような妙なムラの掟だとかなんだとかが出来上がったりすることもまあよくある。
そういう意味では今回のような騒ぎが起きたときにはNLよりBL界隈の方が問題になりやすいだろうし、男性界隈より女性界隈の方が問題になりやすいだろう。
ただそれはあくまで傾向の話で、男だからセーフ、女だからアウトという話でもないと思う。可能性の大小の話でしかない。
それについて「嫌なら止めろ」ということは簡単だけれど、そもそもその後ろめたさの理由は内圧も多いけれど外圧だって多いのだ。しかもいわれがないタイプのやつ。
外圧が多いなかで必死に調整しながらなんとか隙間を縫ってきたのに腐女子は文句ばっかり、と言われるのは正直納得いかない。
最初に断っておくが、もちろん腐女子の妙なルールについてはおかしな勘違いだとか我侭前回の俺ルールはある。もう間違いない。
けれど全部の問題がが腐女子の中から出てきたわけじゃない。むしろ外部から「腐女子は存在が気持ち悪い」「目の前に出てこない腐だけがいい腐」とか言われたりすることもあるぐらい(今ではそういった声も減ったけど)で、それこそおおっぴらに腐った話をしたわけでなくても腐という属性を持っているだけで人間のクズみたいな扱いをされることだってあった。
それはゾーニングでどうにかできるものじゃなくて、それこそ作品の名前で検索してBLが出てきたらキャプションがあったりタグがついててもどれだけきちんと注意書きしてても叩く。こんなクソを俺の前に見せやがって。視界に入った時点でアウトなんだよ。という論調でこられる。そういう頭のおかしいとしか思えない人が普通にそこらにいた時代があった。
自分たちは嫌なら見るなというくせに、腐の作品は中身が見えなくてもその存在が目に映ったら理不尽に怒られた。そんな時代があった。
元からひっそりやりたい人はもちろんいたけれど、そもそも別にひっそりやりたいという願望があったわけじゃないけど、オープンにやると文句を言われるので仕方ないからひっそりやらないといけなかったという人もいる。そんな中でお前ら本当に我侭だな、みたいに言われると「我侭なのは分かってるけどそうさせた理由の数割はそっちにありますよね?」と思う。
上に上げたなかの腐女子がんばれ論あたりからは「あなたたち男オタクが僻地に追い込んだくせに今更逃げる事情を説明しろって言うんですか?冗談も大概にしてください」と感じてしまう部分もある。もちろんこれを書いた人が追い込んだ人達ではないだろうし、それこそ一部の頭のおかしい過激派と普通の男オタクを一緒くたにするつもりはないけれど、腐女子を雑に腐女子とまとめあげて上記のような論を展開されると私は性格が悪いのでうっかり厨返しとしてクソオタクとまとめて扱いたくなる。
謎ルールを振りかざして外部にだから配慮しろと言うつもりはないし、お前らが理解してしかるべきなんてことは思わない。理由がどうあれやっぱりやっちゃいけないことはいけないことだ。
そして、摩擦を起こさないように腐女子から動くことも時には必要だと思う。けれど外部から攻撃されてきた経験を持つ人もいる腐女子たち(当然そうでない人もいる)に「尊重してあげるからそっちからローカルルールちゃんと形にして掲げておいてよ、頑張れ」みたいな態度を取られると(そのようなつもりはなかったかもしれないけれど私には少なからずそう見えた)なんでお前のためにやらないといけないんだ、と反発されるだけだと思う。
自分で自分の作品はコントロールしたいけど、それは必ずしも叶えられるものじゃない。特にそれがちょっとばかり我侭な類のものだった場合。
そういった時、それこそ商業ベースのものはいくら嫌でもすぐにどうにかなるものではない。お金の問題や、権利の問題が絡んでくる。昨今の作品は個人だけでなくメーカーやらの手が加わってるものも多い。作者一人が嫌だと言ったところでそれに関わる他の人達の意向もあるからじゃあ止めようとはならない。
けれど、それが個人で管理している、それこそ同人作品だったら? 公開非公開を決めるのは自分の一存だ。なんか色々ややこしい商業ベースのものと違ってさくっと公開停止できる。そして消してしまうのは色々楽だ。だってもう問題が増えることはないのだから。
だから同人作品は作者が嫌だと思った次の瞬間公から消え去っている、なんてことがよくある。
それは別に晒されたとかそんなものですらなく、面倒になった、古い作品に耐えられなくなった、なんとなく気分で、そんな雑な理由でも作者が「そう」と決めたらすぐになくなってしまう。
そしてそれは何一つ悪いことじゃない。作者として当然の権利なのだから。
理解していない人も多いだろうけれど、理解した上で、だからこそ自分が管理しきれなくなったら消そう、という人もいると思う。
周囲がなんとなく空気を読んでくれている間はどうにかなるから公開する。周囲が空気を読んでくれる人ばかりでなくなったら管理しきれないから止める。
外から見ると何か起きて初めて公であることに気が付いて公開停止するのと、ついにこの日が来たかと思って公開停止するのと区別がつきにくいが。
ただ、どちらの場合も結局のところやさしく扱ってあげないと消えることに変わりはないので、そこを区別する理由はあまりないのかもしれない。
公に出したものは、法律で条件を満たせば使っていいと決まっている。だから使うことを強制的に止めさせることはできない。
でも「止めてほしい」とお願いすることは出来る。もちろんそのお願いを聞き入れるかどうかは自由なので、我侭で身勝手なお願いを無視することは何も悪くない。
悪くないがお願いすることで聞き入れてくれる人もいるんだから、別に一言お願いしたっていい。寧ろそれで双方が納得するなら円満解決、すばらしいじゃないか。
なんだか法律で認められているだとかそんなことを言うのは我侭だとか言って「お願いすることが非常識」みたいな論調の人が中にはいるけどそうじゃない。むしろ強制することなんて出来ないと分かっている知識ある人だからこそ「お願い」するのである。我侭なのは分かっているけど、できれば勘弁してもらえないか、と。
禁止だなんだとがなるちょっと残念な人達もけっこういるのが哀しいところだけれど。
まあ、個人の自由にすればいいと思う。ただ、当然その行動に見合っただけの結果が帰ってくる。それだけの話だ。
ちょっと気を回すだけで円満に解決するならその方が皆嬉しくてよかったねってことじゃないの、ということだろう。
悪いことしてないんだからヘイト溜める方がおかしいと思うなら、それは高慢だと思う。相手から罵倒してきたり誹謗中傷を投げ掛けてきたりしたらそれは行き過ぎた行為だけど、余計なことをされたせいで安寧が崩れたのなら、そりゃあ不満の一つも抱く。
いくら文句言おうがそれは身勝手な話だから別にどうでもいいと言いきれる鉄人だけが相手の気持ちを無視したらいい。実際身勝手な文句もそこそこ多いので。
感情的に書き殴った本題ではない部分について、ちょっと言葉が足りないところとか大げさに言ったところはあって、いろいろツッコミを受けております。すみませんでした。概ね仰る通りですがいくつか反論したい点もあります。
で、本題に関する部分についてこっちで補足入れると、私がメインで言いたかったのは
というあたりです。
「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないので最初から出しません」というのも一つの正しい手段だけど「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないけどいいこともあるかもしれないので考えた結果上げることにします。ただ、嫌なことが実際に起きたり環境の変化で嫌なことが起こる確率が上がったりするならその時は下げます」っていうのだって正しいですよね。
私の回りにはあの論文に扱いが雑だと怒る人も配慮があってよかったと苦言を呈す人もそういうのはおいといていくら学会発表だからって論文としての出来がアレすぎて「普段私がどれだけ苦労して論文書いてると思ってるんだ論文舐めるんじゃねぇ」と別方面でキレてる人もいますが、あれについて別に法律違反だとかおかしなことを言う人もいなければあの論文を書いた人が悪人だと言う人はいません。
声の大きい人が目立つのはよく分かるんですけど、なんだか嫌なら最初から上げるなよバカだなぁみたいな反応がどうにも目に入ったので(当然そうでない人もたくさんいますけど)そういう人達に「なんで上げちゃいけないんですか? 別に使われたことに文句は言ってないじゃないですか」って言いたかったのです。
ネットに上げて使われたことに文句を言ったりあまつさえ法律違反だとかなんだとかおかしなことを言ってる人は残念だと思います。
id:houyhnhm 剥離はくり→乖離かいり、の方がよくない?
うまくまとまったか自信はないですが書いてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20170531012221
id:chibatp9 「覚悟も無しにあげてたの?」みたいなのは研究側というより、むしろ創作側(非二次)の人が言ってるのを見るが。
個人的にはどっちかと言えば創作には携わってない人が言ってて、研究職の人は観測対象がおしゃかになる的な意味で論文側が微妙といった反応のイメージでした。創作側、というのはあまり感じたことがなかったですが、ひょっとしたら批評慣れしている人やタフネスな人が多いのかもしれませんね。
書き方を見てひょっとして誤解を受けてる? と感じたのですが、なんで上げたの的なことを言う人にちょっと物申したかったけど言う人は研究者側だとか捜索側だとかは特に言ってないつもりです。
上の記事などの今回の論文にまつわる意見を読んでいて気になった論点や意見を列挙します。何か思いついたりおもしろいのを見かけたら追記します
pixivの小説の文章を論文に載せている点とpixivの小説を研究対象として解析している点は別の問題点だという意見があるので、それらは別に扱います
上司と2人飲みでフライドポテト頼んだら「学生気分が抜けてない」って怒られた話見て、義両親と初めて回転寿司屋に行ったの思い出した。
家の近くに最近オープンしたから行ってみたいって言ってたんだけど「アプリがないと入れない」と友達から聞いていたらしい。
多分予約システムのことだと思ってアプリをダウンロードして席を予約。
店についたら飯時で混雑していたけど予約のおかげであまり待たずに席に着けた。
それから席について「画面にタッチして注文する」「注文した寿司が回ってくる」ことに大感激。
ネタも「あぶりチーズ」とか「アボガドのせ」とかそういう今風のを見てはしゃいでいた。
サイドメニューのラーメンとかうどんにもテンションがあがってたけど、さすがに注文はしなかった。
でも「フライドポテトくらいなら」と注文したら、カニ食ってるのかってくらい静かにポテト食べてた。
ポテトうまかったんだろうな。
結局ポテトもう一皿頼んで、完食して帰った。
関連記事で読んだ性教育に力入れてた時期(80年代後半から10年ほど)に当てはまる世代だけど、それでも「授業でやった」を大印籠にできるほどではないと思う。
ましてそれ以前の秘匿&遅れに遅れてた性教育の世代で、女兄妹、PCネット環境・スキルなしで、かつ所謂キモくて金のないおっさんなら?
知らない方が普通と言われてもそう不思議ではない条件が揃っていると思うけど。
そしてその世代はネットの外にはそんなに遠くない距離にいると思う。
授業・教科書で~と言っている人らは、授業・教科書をきっかけに興味・探究心を持ってその後調べたりしたから定着したんだと思う。
それこそ性教育に力入れるようになってから?は、他では絶対に禁忌とされていたおっぱいと性器が無修正で堂々と載ってた訳だし。
授業はさわりだけ過ぎて現実世界の事象とは中々リンクしないと思う。
自身も最初授業でやっても、実物なし・内蔵断面図程度では理解が足りず、その後エロコンテンツなどで触れるまでは挿入場所は女性の前の穴(尿道)だと思っていたし、子供もそこを通って出てくるものだと思っていた。(男女で凹凸対になっているという考え方)
さらに中学生くらいになると定かではないが、ゴムの付け方と意味は男女ともにニヤニヤしながらも受けた記憶があるが、同じような流れで女子の生理用品の話はなかったと思う。
性教育に力を入れていると言われてる世代でもこんなものだし、その頃も「生理」が説明なしの印籠になっていて、男子としてはよくわからないけど、「生理だから全て何もかも仕方ない」以上の知識を得られる事は自身で調べるなり、聞き調査しなければ辿りつけない。
ではナプキン・タンポンの知識はどこでかというと、触りをエロコンテンツで見聞きして「はて?それはなんだろう?エロイ事かな!?」と知的探究心で調べてからかと思う。
前述のように恵まれていれば女兄弟かパートナーから知るのかもしれないが。
そういった意味ではフェミが喚くポルノコンテンツも、悪しきモザイク文化もまわりまわって興味・知的探究心を掻き立てるという意味で、少しはプラスの意味でも性教育に繋がっているのではと思うけどどうかね。
これをより締め上げて禁忌にして、また性教育後退して(お上はそれを望んでいる風にみえる)なんてなったら、最近の若い世代はPCなし、スマホのみで能動的な調べ物も中々しない、しにくい環境らしいから、より生理などに無知になる。
最悪、裏に潜ったエロコンテンツから得た知識でより間違った知識でガチガチになった世代ができるかもね。
そして更にこの世代が所謂キモくて金のないおっさんルートに乗ったら…?
そうでなくても未婚率・パートナーは面倒くさいからと交際相手のいない率も上がってるらしいし、割りと杞憂ではない未来だと思うな。
知ってて当然・授業で習った。はネットの外に出て全世代男性でみたら案外少数派なのでは…?は言い過ぎかも知れないがそれくらいの気持ちで居た方が良いと思う。
余談だけど男はその辺見栄も張るから、知ってる!といいつつも全然知識不足とかありそうだ。
そもそもどこまで知っていれば必要十分なのかもわからないし指針もない。
女性らが言う「知ってて当然」は、どこを何まで?
これを男側で応えられる人となると更に減ると思うけど。
(エロコンテンツや自学習で知識は得られても、人自身に寄り添った情報はオープンな家族やパートナーがいないと得られないため)
勿論逆側で、男の生理について必要十分な知識を持っている女性も多いとは思わない。
が、そこで男側は知ってて当然!とはなってない点を見て欲しい。
まずは現実を正しく理解して、生理関連も男子の勃起話をニヤニヤして話すのと同様くらいの空気にしないと、社会や世間単位で知識が広まることはない。
そうなると、普段の生活ではパートナーや家族が理解してくれるから~と問題がなくても、非常時などの時によく話にあがってる(デマかどうかは別として)生理用品突き返しなどの受難があるのではと思う。
どう逆立ちしても性教育が遅れていて、世間としては恥ずかしい物秘匿すべき物という認識の方が多数なのだから、知っていて当然ではなく、知らなくても仕方ない、知らなくて普通くらいの認識の方が当たり前に思える空気にしていかないと長期的にみると大変な事になると思うよ。
Twitterは最初周りでは「オタクの集まりでどんなヘンタイ発言も許容してくれる」みたいな扱いだったのに今やマナーがどうだとかやっぱり腐女子ルールができた。
オタクの集まりでどうこう、にかんしては、腐女子だけの問題ではないようにおもう。
殊に「ツイッター的発言」をするツイッターアカウントは許さないみたいに言う「新参勢」が「古参勢」と喧嘩してたりする。
自分もネットやってるのに「ネット民キモい」って叩きまくる人とか。
ネットでネットスラング使う人が叩かれててどうこうって話はだいぶ前にここであったけど、
ちょっと思うところあって個人の目から見た腐女子ルールの移り変わりとそこにいた私の変化について書いてく。諸説あるから私の渡り歩いてきたコミュニティはこんな感じだったという話で
ヤフー検索で個人サイトとかゴロゴロ出てきてた時代。最初はそんなに検索避けうんたらガーガーうるさくなかった気がするけど、だんだん検索避けはマナーって話になっていったような。
ちなみにこの頃は家にインターネットなんてなかったので学校のPCとかで同人サイトあさってた。多分言うところで言えば殺されると思う。でもそこに別に特に疑問は思ってなかった。たぶん最初はBLがなくNL中心に、年齢制限のない可愛らしいファンアートを漁ってたというのもある。
(このへんの二次創作ユーザーにおけるNLだから問題ないという高慢な考え方は今思うとどうなんって思うけど)
それに先生と仲良くなって放課後とかに許可もらって本当に「遊ばせて」もらってた(授業中に変なサイトいってたわけじゃない)から別に趣味でネサフして何が悪いのって思ってた。
今思うと先生に同人サイトネサフさせてもらえるまで仲良しになってたコミュ力すげぇな当時の私、って思う。今同じこと絶対できない。
・2000年代前半
うっかりBLに染まってしまった。そしてBLのサイトを漁るようになった。そのあたりから検索避けはマナーだと「みんながいいだした」。見るサイトでマナーサイトのバナーを見るようになった。無断リンク禁止という言葉を見るようになった。とても素直で純粋だった(今は見る影もない)当時の私は素直にそういうものなんだと思い、検索避けはマナーだし無断リンクはとても悪い事なんだと考えるようになった。
BLは隠れないといけないんだ!作者の目に触れてはいけないんだ!!って思ってたし、検索避けしてないサイトをなんて非常識なんだろう!って思ってた。インターネットの原則とかそういうものは全く知らなかったしハイパーリンクのなんたるかなんて存じ上げませんでした。
・2000年代中盤
ある一つのサイトと出会う。知ってる人もいると思う。「ガラマニ」さんである。
そこで受けた衝撃はもう本当にものすごかった。こんな世界があるのか、こんな考え方があるのかと正に雷に打たれたような衝撃と言っても過言ではなかった。
確かに言われてみればその通り、と思わされることはいくつもあった。
そこからそもそも検索避けって何だろうとあっちこっち調べて回って、検索避けというものに対してとても色々な考え方があるんだ、とようやく知る事ができた。
恥ずかしい、隠れたい、という気持ちはとても分かるけど、だからっていたずらにマナーだマナーだと隠れるだけじゃなくて、何のために隠れるのか、原作者の方にお目こぼしを貰って二次創作を楽しむ立場の人間として何をするといいのか、色々と考えるようになった。
けどやっぱり世の中の流れは検索避けはマナーで無断リンクは禁止に傾いていた、と思う。
・2000年代後半
オンラインブックマーク禁止とかそういう話が出てきた。この頃はもうそれがインターネットという広い世界からしてみればおかしな話だと分かっていた。
無断リンク禁止がとても我侭な発言だと理解していた。けれど他に都合のいい場所なんてないこともとてもよく分かっていた。
現実ではこんなに仲間と繋がることなんてできない。ネットの世界くらいでしか趣味について話せない。今ネットを経たれてしまったら精神的に死んでしまうかもしれない、というくらい、ネットのコミュニティに異存していた。
だからこそおかしなことはおかしなことである上で、それでも他に代替手段のないこの世界でどうやったら折りあいをつけていけるのかいつも考えていた。
だからネット上のルールを理解した上で、検索避けであったりを使いながら、禁止ではなくて誠心誠意お願いをしながら、どうにかこうにかそれなりにBLを楽しんでいた。
この頃は検索避けしすぎるのどうなの、と言い出す腐女子は増えだしていた。検索避けは必ずしもマナーではないという考え方は、だんだんと珍しいものではなくなっていった。
Pixivが有名になった頃。検索避け的にどうなの、という話はあったけど結局のところ今ではこの通り、超大型サービスになっている。
そう、当時Pixivは私の周囲の検索避け大好きな人達にとっては敵だった。あんなBLが誰にでも見られてしまうようなもの、というくらいの扱いだった。
でも結局個人サイトはどんどんなくなって、二次創作が見たければPixivに行け、という時代になった。結局なんだかんだ言って「たくさんの人と触れ合える」ことは魅力だったんだろう。
けれどやっぱり隠れたい、マナーが、と言う人はいて、Pixiv内にどんどん腐女子の独自ルールが作られていった、みたいだ。というのも、私はそのころPixivはやっていなかった。
その頃はまだ時間も元気もあったので、サイトという自分の城を更新していたし、活動の主体は文章だったから。
それにやっぱり、まだBLが大多数に晒されるのは怖かった、というのもある。あんなところに行っては誰に見られるか分かったもんじゃない、とビクビクしていた。
検索避けや独自ルールはそれでも根強く残っていたけど、もうなんだか最初の主張から比べるとなぜ検索避けするのかの大義名文すらどこかに行ってしまっていたように思えた。
・それ以降~最近
SNSだの何だの発展が早過ぎてむしろ流れをはっきりと思い出せない。
Twitterは最初周りでは「オタクの集まりでどんなヘンタイ発言も許容してくれる」みたいな扱いだったのに今やマナーがどうだとかやっぱり腐女子ルールができた。
腐は鍵垢に篭れとさんざん言われたし、オープンでBLの話をするとマナー違反だと言われた。
時代が「二次創作って黙認だよね」とか「公式で二次創作OKな作品も増えてきたよね」って中でそれでもBLはなんだかケガレみたいに扱われているところがある。
サイトはどんどん閉鎖していき、結果二次創作サイト向けのマナーも語られることはなくなっていった。
かわりにツイッターでのマナー、ピクシブでのマナーが語られるようになった。でもマナーは結局のところわたしたちのかんがえたさいきょうのマナーでしかなかった。
まず腐女子にもいろいろと派閥というか考え方というか立ち位置があってそれぞれで主義主張は違うことは理解して頂きたい。
ネットにそれなりに詳しくて無断引用禁止とかアイタタなこと言ってる腐を苦く思ってる腐はそれはそれで一定数いる。
というかクソみたいに沸きあがってる人もいるけど、むしろ多くの人達は「現実を正しく理解している」からこそ引用は防げないとか法的に問題ないものから逃げるためにマイピクにしたり非公開にしたりサービス移行を検討したりしていると思ってる。
その上で、別に私は丁寧に扱ってくれるなら別に自分の作品を無断で引用しようが研究に使おうがそれが適法ならどうぞどうぞって思ってるのでPixivから移動するつもりはない。
でもあんなクソみたいな雑な扱い方されたら法的には問題ないですけどこっちとしてはこんなんでも色々とない頭でひねりだした作品なんで考えて下さいませんかねぇって愚痴は零すし必要なら声をあげる。
その結果私の主張が受け入れられるかどうかはまた別の話。受け入れられないならまあそれはそれ。そのかわり明日逃げてても文句は言うなよっていうだけの話。
で、それはそれとしていくつか言われていることについてそれはどーなのと個人的に思ってる話をする。あくまで個人的に思ってる話を。別に全腐女子の代表面したいわけじゃなくて私が考えた(正当性があるかは知らん)話を。
―――――ここから元増田の話とは無関係に今回の事件への数々の反応に対して思ったこと―――――
腐女子のネットリテラシーが低いんじゃなくてネットリテラシーが低い人でもネットが使えるようになって、その中には当然腐女子もそれなりの数いるってだけの話で、腐はバカとか腐は法律が理解できてないとかそういう話じゃないと思う。
そもそも今回論文に出てきた作品にはNL(異性での恋愛を取り扱った作品)もあったわけで。
機械とかそういうの好きな人の割合ってやっぱり男性の方が多いかな、とは思うので「男性より女性の方がネットリテラシーが低い人が多いのでは?」という話についてはまあそうかもしれない(統計取ってるわけじゃなく自分の周囲を見ての感覚)とは思うけど公を閉じた空間と勘違いしてやらかした例なんてそれこそいくらでもあって、だからこそバカッターとか言われたりとかあったりするわけで。
考えるべきは腐女子のネットリテラシーの低さじゃなくて、ネットリテラシーが低くてもネットが扱えてしまうこの状況でどうやって教養の平均値を上げていけばいいかとかそんなことを考えた方がいいと思う。
これも別に腐女子がどうという話でなく法律に関して一般人が疎すぎるという話だとは思うけど、ただ、二次創作という法律に密接に関わってくる活動をしておきながら別にそういう活動をしてない人と同程度の理解度なのはどうなん?って言われると仰る通りです。
とは言えこのあたりは技術の進化のスピードが早過ぎていろいろと整備がおいついてないという話でもあると思う。昔は自分の作品を発表するってすごくハードルが高くて色々と調べないとできなかったけど、今は別に深く調べなくても手軽に作品を発表できるし、そもそも色々なネットサービスが「手軽にあなたの作品を発表できますよ!」って手軽さをウリにして顧客獲得しようとしてるところだってある。
で、企業は勧誘してくるけど別に法律については教えてくれない。個人的にはもうちょっと企業だって社会貢献していいんでねぇのと思うけどまあそれを言ってもどうしようもない。
というか二次創作の中に腐作品があるだけで二次創作全部腐ってわけでもなくて、著作権を知らずに作品を公表してしまうことの危うさはそれこそ社会全体に通じる問題なのでは。
もっとこう、やさしい著作権入門みたいなそういうサイトがあったらいいんだろうなあと思うし昔はそういう話を取り扱っていた個人サイトさんとかあったりしたんだけど、そんな個人の善意に頼んだものだといつか限界が来て終わるだけなのでこのへんはもうそういう組織的な何かをつくらないと難しいのかなあと思ったりする。
「そんな無茶な」としか言えない。腐女子っていうのはあくまでその人の属性でしかなくて、その属性の人が皆同じコミュニティに所属してるわけじゃない。
というか腐女子コミュニティなぞ幻想だと思う。同じ腐女子の間ですら「隠れるべき」という人と「そもそも隠れる必要はない」という主張の人がいたりするわけでして。私は割と「隠れる必要はない派」に近い。
腐女子同士が一定の大きさのコミュニティを作ったり、コミュニティ同士にゆるく繋がりがあったりはするけど男オタクだって別に男オタクコミュニティってでっかいコミュがあってそこに男オタクみんな所属してるわけじゃないじゃん。
もちろん同じ属性を持つ者同士だから集団としての特徴とかはあると思うし、そういったものを研究するのは楽しいと思うし有用だろう。
けど、普通わたしたちが説明できるのは「わたしたちの周囲の極めて小さな集団について」なのだ。
今回仮に私がそれをしたとすると、私の周囲の腐女子コミュニティって元増田の例で言えばだいたいBの考えを持っている人達ばかりなので今沸きあがってる人達がなんで沸きあがってるかって言われても「知らんがな」としか答えられない。
慣習の可視化をするには間違いなく「研究」が必要になる。オタクコミュニティ出身者の方が比較的理解度が高いという観点から腐女子の人に研究者になってほしいなチラチラッ っていう話なら理解はできる。
私はそんなものをしたことはない。「むやみやたらに騒ぎ立てません」とは思っているけれど。
このあたり前述の隠れるべきか隠れる必要はないかという話になってくるのだけれど、二次創作にも公式のガイドラインに沿って作られた真っ白なものと特にガイド出てないのに作られたグレーのものと公式からやめてくれって通達のきちゃった真っ黒なやつと、色々ある。
で、公式が黙認してくれてるタイプのグレーゾーンの二次をやるときは(別に公式ガイドラインに沿って活動してても同じだけどグレーの時はとくに)公式が嫌だなって思ったときには止めてくださいって言えるようにしておくのが公式への一つの礼儀かと考えている私にとっては公式の目に触れないように隠れることについては「ガチで探すことができないくらいに完璧に隠れるならいいけど中途半端に尻尾はみでてる奴はただ自分が可愛いだけなんじゃないの」って思ってる過激派(別にだからってそういう人達を晒したりはしませんよ、もちろん)なので。
もちろんだからって作品が何も知らない人の前にいきなり飛び出てくるような環境はもちろんよろしくないと思う。だからこそPixivという「超大型で探そうと思えばすぐに見つけて探せる場所に、でもゆるーくゾーニングされていてきちんと使えばいきなり何も知らない人の前に公式だと誤解を与えるような形で作品を表示するようなことはないシステム」を有り難く利用させてもらっている。
R18設定は単にするべきゾーニングはするべきってだけの話で「ひっそりやってる」んじゃない。むしろPixivというサイトを「適度にオープンだから」使っている。
が、腐女子の中には確かに「ひっそりやってますという主張のつもりでR18とつけている」人もいるらしい。正直この感覚はさっぱりわからない。分からないけど事実としているようなので仕方ない。
そもそも私はそうは思わない。今回の論文の人が派手にやらかしたのは事実だし、それを足がかりに倫理について研究が進めば皆ハッピーになれるよね、って思うけど、それはあくまで「この人がやらかしたこと」。
だからこそ私は今後もし私の文章を使って何か研究したいって人がいたら別に無断で使うことに文句は言わない。でも雑に扱われたら文句は言う。
というか自分の作品を研究に使われてどう思うかなんて個々人で感覚の違うことに「腐女子内ルールを明文化して下さい」っていうのがそもそもえーっていう。
じゃあ一人一人「私は気にしません」「私は気にします」「腐女子全体ではNGですが私はOKです」とかやるの? 無理でしょ。
私は「配慮して下さい!」なんて言わない。でも雑な扱いに対して怒る自由はある。そして怒った結果受け入れられるかは別の問題。それでおしまい。
それこそが言論の自由ってやつなんじゃないんです?違うの?
今後されるか分からない研究のために予め自分の作品を研究に使うためにはどうしたらいいかガイドラインを作れって言われてもそれこそこっちにそんな労力押しつけられても知らんよ、としか。
そんなクソ面倒なことしないですむように折角法律が引用のルール作ってくれてるのにさあ。
ガイドラインぺっとはっときゃ「これ見て下さい。その上で分からないことがあれば質問して下さい」と言えば説明の手間が省けるからである。
つまり、「ガイドラインがあれば便利だよね」と思えるなら作ろうという動きになるし、「別にそうでもないよね」と思えばそんなものは作らない。
で、今回ガイドライン作ったら面倒が解消されるの?って言われたら、現時点では私はそう思ってない。なぜなら腐女子というなんか大雑把で実態がどこにあるのかよくわからんコミュニティの中に明文化できるほどのルールがあるとは思えず、かと言ってある程度明文化できるくらいの集団に小分けにしたらガイドラインの量が膨大になって作る労力に見合ったリターンがあるとは思えないからである。
「いやそんな大層なもの作っていらんからこれについてだけ教えて貰ったらいいんですよ」って言うならその「これ」っていうのをはっきり教えてもらえたら私ならまあ考える余地はあるかなと思う。
「ガイドラインが存在しないのでもっと大きなルール(法律とか)に従って対処しますね」っていうならそれでいいと思う。
「あなたの作品を研究対象にしてもいいですか?」って聞かれたら何に使いたいか聞いてOKだと思えばOKって言うしNGだと思えばやめてほしいって言う。
断っておくけれど私は間違いなく腐女子だしまあとても大雑把な分け方をすれば腐女子コミュニティに所属すると思うけど、私の考え方が腐女子の平均だとは露ほども思ってない。というか私みたいなやつばっかりだったら今回みたいな騒ぎ起きてませんから。
(でも今回の騒ぎについてはいらんことしてくれたおかげであっちこっち騒ぎは起こるわ筆を折る人も出るわ迷惑なことしてくれたなこの野郎(ビックパンテラおこサンシャインヴィーナスバベルキレキレマスター)くらいには思ってる。思ってるけどそれは私が勝手に怒ってるだけで死人に鞭打つような可愛そうなことはやめとこうと思ってる)
かと言ってこの膨大な腐女子という集団の中には私みたいな奴もそれなりにいるはず(母数が多ければ割合が少なくても数は増える)なので「こういう私みたいな奴もいるんだけどどうやって腐女子のオキテを明文化すりゃいいのよ?」っていう話である。
そういう異常で危険で許されないものである部分に価値や神秘的な何かを感じてる部分も少しあるからな
今回の件をうけて、腐女子の側は一方的に被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、
自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で
また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自のローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は
今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか
・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定の妥当性のある主張だと思う。
・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可な転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。
著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上の基本的なメカニズムだと思う。
炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。
・基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的に中庸な温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。
・基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である。
基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場を採用するべきかを述べる。
法がどうであれ、運用の水準で、実質的に慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたかも普遍的に適用可能な「常識」であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合、炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。
「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。
しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。
たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。
ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術・コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能の世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。
で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビる。めっちゃビビる。超うろたえる。
そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。
「よく知らないものに言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。
ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBTや人種の問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。
私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。
その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。
以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。
もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。
明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的な方法だとも思う。
もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。
腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。
少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。
そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的な著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈の多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。
それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見、配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。
基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。
つまり、言及をする側からの一方的な配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。
もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮を要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮は相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的に配慮されるだけの弱者とかではないと思う。
多くの腐女子のお姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすいコミュニティの形成をしていっていただければ幸いだと思う。
また、今回はたまたま腐女子のコミュニティと一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルなライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。
「慣習は、法の前には下位の基準でしかない」という話についても簡単に触れておきたい。
基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決が回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決が回避可能な場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。
今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルールが特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用」ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。
「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由な言論、政治、社会にとって重要なものだ。たとえば、それを政治的な言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用」ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人の文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言を引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場で議論することに多大な支障が出るだろう。
今回の場合は(1)性的プライバシーの問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープン/クローズ」概念が実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。
この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要なポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。
STEP3、STEP4とかはアクションの担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士、研究者、経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。
腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。
後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちだけが弱者で被害者という立場でないことは理解してほしいとしか。
#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式も問題にしないタイプだから、公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170527202448
流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、
実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。
その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。
オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。