はてなキーワード: から揚げとは
晩御飯を食べ終えてぼーっと食卓のソースボトルを眺めながら思った。
いやこれは業務スーパーの一番安いスイチリだったからか?本場はもっと甘辛味なのでは?そんな気がしてボトル裏を見たら、原産国名はタイだった。ちゃんと本場で作られていた。
この甘くて酸っぱくて赤くて唐辛子が入ってるけど辛くはないソース、わたしはそこそこに好きで冷蔵庫に常備している。
そんなに好きならもっと良質そうなものを買えばいいのにまたやっぱり業務スーパーで調達してくるのだから、そこそこの愛である。
そのそこそこに愛されたソースについて、せっかく原産国名がわかったついでに調べてみたら、どうもタイでは生春巻きにかけては食べないらしい。茹で鶏にかけることもないらしい。
信じられない。
タイでは揚げ物のソースとして使われることが一般的で、屋台でも揚げたての肉や魚かけた状態で出てくるようだ。
茹で鶏にかけるかバインミーにかけるか、終わりかけのボトルに調理酒を突っ込んでエビチリのソースに使うかしかなかった我が家のスイチリレパートリーでは考えつかなかったが、そうか、これ揚げ物に合うのか。
なんとなくここまで甘い調味料は揚げ物に添えるイメージがなかったが、考えてみればチキンナゲットの期間限定ソースでもわりと甘口のラインナップあるもんな。
へえ、なんか美味しそうじゃん。
と、思ったはいいが冷蔵庫にも冷凍庫にもチンだけでOK系の揚げ物がない。
晩御飯が終わったばかりだと言うのにここから揚げ物を始めるのは億劫だ。
洗い物をシンクに運ぶのすら億劫で、いまスマホでこれを書いていると言うのに。
食いしん坊ぶりはわたしといい勝負なので、もしかしたら何か揚げてくれるかもしれない。
先週北海道へ行ってきた。2泊3日。ので自慢させてほしい。
天気も雨が降らずかといって快晴というわけでもなかったが、18~22度くらいを行ったり来たりで薄い長そでシャツ+カーディガンでちょうどよかった。
るるぶを読み込む&フォロワーにおすすめを聞いた結果、「回転すしトリトン」か「回転寿司 根室花まる」が評判が良かった。「函太郎」は梅田にもあるらしいので今回は除外。熟考の末トリトンへ。
事前予約ができないので、12時に着いてから1時間ほど車内で待った。でも普通の回転寿司に並ぶくらいの時間だった気がする。
寿司はマジでうまい!ネタも分厚いし、シャリをハーフサイズに選べるのでうれしい。ネタも新鮮!
しいて言うなら脂がノリすぎてて後半で気持ち悪くなったくらい。炙りサーモンとか、炙りエンガワとか、炙り何とか系は気を付けたほうがいいかもね。
アナゴ一本寿司みたいなやつがマジでうまかった。ふわふわのとろとろで、横に付けられた柚子胡椒と合わせるとまたうまい。
飲み物は頼まず2人で4000強かな? あのレベルなら大阪じゃもっと金出してることを考えると大満足。
その後、札幌市内に入っているので、時間を有効活用しようと時計台見学。これはまあ、一生に一回で十分かな……。
すぐ近くの雪印パーラーの本店でパフェを食う。アイスもうまいけど生クリームがウメーんだこれが。
16時前になってきたので、定山渓の温泉宿へ向かう。夕ご飯~朝がビュッフェスタイル。刺身のゾーンやアヒージョにできるゾーンにあった海鮮、おつまみゾーンの多種多様なチーズ・ハムがうまい。おなかがいっぱいなのでおつまみメニューばかりを食べる。
起床。朝食ビュッフェの前に朝風呂に向かう。きれいだったし、天然温泉だった。あ、あとパナソニックのいいって言われてるあのドライヤーだった。
ほどほどにするように心がけて、この日は9時前には出発。
結構かかった気がする。まぁ道路は広いし混んでないしで普通にドライブとして楽しかったから気にならず。
その後富良野方面へと下るがラベンダーはまだ早かったな。夕張メロンとジャガバター、スープカレー、ラベンダーソフトを農場で食べた。
この時点で16時かな?19時半にジンギスカンの予約をしていたため、移動距離を考えて札幌の素泊まりホテルへと戻る。
ジンギスカンの美味しいといわれてるようなるるぶ掲載の店はカウンターが多くて小ぢんまりとしていて予約しづらかった。まぁその分めっちゃ美味しかった。
もやしと玉ねぎが食べ放題だったのでそっちでおなか一杯になっちゃったかも。
二人前7000円。2~3杯ずつ飲んでそれなのでまぁ満足。
最終日。
札幌の美術の森?に行った。ちょうどやっていたピクサー展がめちゃくちゃ面白かった。美術というより、数学も数学と科学との世界だった。子供がいっぱい見に来ていて、これは子供は退屈じゃない?大人のほうが楽しめるんじゃないかな?と思っていたが、体験できるプログラミング講座みたいなもので大人よりよっぽどすごいの作ってたから己の偏見に反省した。
楽しかったけどぶっちゃけ入館料も高いし、美術の森自体は正直そこまで他は見るもんないかなと思う。時間に余裕がなかったらいかなかったです。
その後すぐに小樽へ移動。
14時に小樽のガラス館にて、吹きガラス体験の予約を入れたため、駆け足で海鮮丼を食べる。ウニが地元とは別物レベルでうまい。
噴きガラスは楽しかったよー。3週間~4週間後に郵送されるらしい。楽しみ。
お土産に佐藤水産で海産物を買い、みそバターラーメン、きのとやの極上生クリームアイスを食べて帰着。アイスは色々食べたけどここのが一番うまかった気がする。
お疲れ様でした。
個人的に定山渓の宿が本当に良かった。トマムの星野リゾートを取るつもりが予約が埋まってて急遽探してもらった場所だったわけだけど、風呂はきれいだしアメニティは過不足なく行き届いてるし客室は広くてきれいだしウェルカムティーなどのソフトドリンクがよかった。
値段もそこまで無茶苦茶高いわけでもなく、これが関西にあれば毎年行ってたなぁというレベル。
最初は最終日の宿をここにしてゆっくりするつもりだったけれど、お土産とか買って荷物が増えると思うので札幌の市街地のホテルを後日にした方がいいですよと代理店に進められてホテルを逆にしたからこういう行程になった。
でもぶっちゃけお土産なんて全部新千歳空港で事足りたから、言うこと聞かずに最終日に温泉宿にしたらよかったなぁと話していた。
一万円で買えるスチームオーブンてあるんか。
ちなみにオレがスチームオーブンでやってること列挙
・電子レンジでやること全部(冷凍保存物の解凍とか、ご飯にぶっかけたレトルトカレーとチーズを温めるとか)
・から揚げ揚げる
・魚の干物を焼く
次点で炊飯器の二台目。あるいは電気圧力鍋。あるいはホットクック。これらは機械としてはほぼ同じもので、加熱できる温度調整の範囲や時間などのアレンジが違うだけで値段と名前が変わる。
高くて応用がきき初心者にもつかいやすい順にホットクック、炊飯器、電気圧力鍋だと思う。
一万円なら電気圧力鍋が買えるが、箱に書いてあるとおりの説明書や部品が中にはいってるかよくみること(中国製だとなぜか説明書が抜かれてたりする)
平素より当サービスをご利用いただきまことにありがとうございます。
このたび、長年増田で提供している「手から無限にから揚げを出す能力」につきまして、変更を加えることになりました。
昨今のロシア・ウクライナ情勢および国際的な需要増の影響によりから揚げ粉に使用する小麦および鶏肉のための飼料の取引価格やエネルギー費の上昇が続いており、来客用のお茶を削減するなどの企業努力では吸収が難しい状況となっております。
つきましては、来月1日より「から揚げが1秒間に出現する個数」(KPS)を10%低下させることを決定いたしました。「一日のから揚げの出現個数」(KPD)の制限も検討しておりましたが、できるだけ「無限」を守りたいという思いが社内にも強くあり、今回の変更となりました。みなさまには多大なご迷惑をおかけしますがなにとぞご理解のほどをよろしくお願い申し上げます。
なお、今回の変更に伴い「2段ジャンプ能力」への切り替えを受け付けさせていただきます。詳細につきましてははてなヘルプのお問い合わせフォームからお問い合わせください。注意点として、「2段ジャンプ能力」につきましても推進に利用する天然ガスの輸入がロシアから滞っているため上昇量の削減を検討中です。こちらも変更が決定した場合には再度お知らせいたします。
今後もさらにシステムの見直しやコスト削減などの企業努力を続けサービスの質の維持、改善を目指してまいりますので、引き続き増田をよろしくお願い申し上げます。
腰パワーがなかなか完全復活しない完全版がディレクターズカットなんだけど、
一昨年に腰パワーゼロになった時と
今腰パワーゼロになった時の自然治癒力の差の違いなのかしら?って思うけど、
前回のパターンならもうすでに直ってもおかしくない状況下におけるこのまだ腰パワーに違和感のある中、
まあ元通りには歩けるようになって結構長い時間毎日のウォーキングの日課の課題の報告をしていいころで、
あの頃に戻れたぐらいの少し遅いペースだけど、
まあ快調に歩けるようになったのよ。
仰向けになって寝ていると少し腰が浮くじゃない、
そうして寝返りを打つと激痛が走るのは相変わらずで、
たしかに
多少はその激痛は直っているのか
だんだんと小さくなっていってる感じはするのよね。
腰パワーの完全復活までには及ばないのよね。
なかなか完全治癒までの道のりは
食は万里の長城を越えるわけない今注文した餃子はどこ?って言ってる場合じゃないのよ。
言い得て妙な感じもするけど、
腰には違和感があって
腰が重い感じがするわ。
明日また腰パワー王のところに
十字キーの上を押したままでいけるように安直な真っ直ぐな道のりで王様の元へいけそうなものの、
いやあれやっぱりバスで腰パワー王のところに通っているとなると
時間が読めなかったので、
やっぱり車で行くに限るわ。
楽チンだしね。
よくよく思ったんだけど、
あれって猫背のアーチ型は腰に直撃の負担を与えないアーチで重さが分散されている発見をしたの。
腰を90度に直角の角度にすると、
腰に直撃する重みの痛みの感じるみがするのよね。
腰に優しい背骨がアーチになっていて、
そこで重さが拡散されていて
大谷翔平選手がこないだ満塁アーチをお見舞いしたのとはまた違う負担だと思うのよね。
あれはあれでスゴかったけど、
直角に曲げずに
よく分からないけど全集中!猫の呼吸!って言いたいだけだから特に深い意味はないので、
ここはサラッと笹舟にでも乗せて川に流してよ!って思うわ。
日頃さ
から揚げ店舗が全店舗何かしらの金賞を受賞しているかのように、
あれはあれでもしかして、
洋服の青山閉店セールって閉店セールって含めるところが正式な店名だったりして!って
そういうカラクリだったのね!
あれはきっとモンドセレクションとか
モンドセレクションって言うと
でもアーって言うのが木の実って意味で、
なかなかそっかアーモンドなのねって木の実なのよ。
木の実ナナさんがあんたもナナって言うんだ!って言いたいぐらいな冒頭のシーンを彷彿させると思わない?
だから、
イコール何かしらのから揚げ協会か何かの参加賞なのかも知れないわ。
金賞ってそしたらどの店舗でも謳えるでしょ?
なかなか考えたわね!
あのからあげクンは
あれはあれで金賞を受賞していないのよ。
それがエビデンスよ。
海老天丼の美味さのエビデンスを求めたら皆海老天丼のプロはどう答えるのかしら?
そう思ったら天丼屋さんは何も金賞とか受賞していないわよね。
世の中何かを謳ったもの勝ちなのかも知れないわね。
世の中の真理に気付いてしまって気付かないふりをしているわ。
うふふ。
美味しいコーヒーにはやっぱり美味しい牛乳を入れなくちゃって思うわ!
今日実感したのよ。
格別だわ。
つぎ再現出来ないのが残念なところでもあるけどね。
そうそう!
人気なのかしら?
並んだらすぐ売り切れているみたいね。
今度見かけたらちょっと多めに買っておこうっかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
社会人になって自由な金が増えたのと、激務な仕事こなすために食欲の暴走が止まらなくって学生時代から15キロ太った。
15キロも太ると健康診断の評価もオールAだったのが、BとかCとかがチラチラ出てきた。
手持ちの服のサイズが明らかに合わなくなってきて、あーやばいなーと思いつつも自分をごまかしていたが、
街を歩いている時にガラスに映った無防備な自分の姿が、脳内の自分よりもはるかに分厚いのにショックを受けてダイエットを決意した。
食事レコーディングダイエットと、通勤時に一駅前に降りて歩く・休みの日にも散歩に出る、とちょっとずつ運動し始めて、この1年で15キロやせることが出来た。
学生時代の体重に無事戻ったわけだが、ダイエットの辞め時がわからなくて困っている。
もともと、今回のダイエットも15キロも痩せようとは思ってなくて、BMIの適正体重を目指してー7キロを目標にしてた。-2桁を目標に設定するのはハードルが高くて挫折すると思ったからだ。
が、挫折するどころか順調に7キロ痩せることはできた。もちろん食欲を我慢するとか、人並みなダイエットの苦労はあったけど。
でも適正体重ってやっぱりデブなんだよな、見た目が。デブと言わないまでも、スリムではないいふっくらとした体型。
筋トレで身体が引き締まってれば適正体重でもすっきり見えるんだろうが、せいぜいウォーキングと腹筋運動ぐらいしかしてなかったので
適正体重までのダイエットをクリアしても、物足りなくてあと「3キロぐらい痩せてみるか」と追加で目標を立てた。
そんな風に「あともうちょっと痩せるか」を繰り返して最終的に15キロ痩せた。
が、現状もまだ満足できていない。見た目はかなりすっきりしてきた、着れなかったサイズの服も再び着れるようになったけど。
そもそも人生で人から「痩せてるね~」と言われたことがない、基本標準からやや太めという体型で生きてきた。だからスリムな人間に対する憧れがずっとある。
今こうやって体重の減少ペースは落ちつつもダイエットをコントロールでてきる今が、チャンスなんじゃないかと思ってしまう。
ジムに行こうかなとか、ランニング・筋トレ用具揃えちゃおうかなとか考えている。
しかし、正直レコーディングダイエットにとらわれている状況にストレスを感じ始めている。
予定していない飲み会や昼飯を誘われるとイライラするようになった。
「別にこの食事、今たべたくないんだけどな~。限られた目標摂取カロリーのうち、900kcalも無駄にしてしまった」と、カロリーが気になって楽しいはずの人との食事が苦痛になってきた。
同僚や友達ならある程度断れるが、上司と同行の最中にランチするのが一番苦痛だ。
若いんだから揚げ物とかラーメンとかがいいんだよな!という上司の気遣いが、完全に裏目に出てる。
ここで「ダイエットしてるんで!」と明るく返せばいいんだが、じゃあどの店がいいんだよとなるのも面倒なので結局、トンカツとか食べてしまう。食べたくもないのに。
id:ancient_tarako これが本当のカラ元気ってね
私は楽しみにしていたおおよそ2ヶ月に1度ぐらい訪れるチャンポンチャンスを逃してしまったわ。
いや逃してしまったというと何もしなかった私が悪いのよって言いたいところだけど、
ランチタイムのぎりぎり14時半までに飛び込み前転しながら入店しつつ着席しつつそして日替わりを注文しつつと思ったら、
悲しくなるわね。
でも逆に考えると
人気なのよね日替わりのチャンポン。
また到来する2ヶ月に1度の
私は雪辱を晴らすかのように
定番の定食から揚げ定食を位置について!よーいどん!って言う勢いで頼んだの。
仕方ないわね。
せっかく頑張ってお仕事して今日はチャンポンチャンスだから絶対優勝するね!って誓ったのに!
誓ったのにチャンポンが売り切れだなんて。
私は必死必須で必勝かと思った日替わりチャンポンを勝ち取れなかったの。
私はきっとチャンポンチャレンジで日替わりちゃんぽんを無事に食べたあかつきには
ここでまたヒーローインタビューでチャンポン美味しかったわ!って
みんなに聞いてもらおうと思ったのに、
なのによ、なのによ、
チャンポンは酷いわね。
品切れだなんて。
いや日替わりチャンポンには罪はないわ。
私がヒーローインタビューで登る予定だったお立ち台を悲しげに倉庫に片付ける姿想像してみてよ!
すごく可愛そうじゃない?
しくしく。
あんなに楽しみにしていたチャンポンチャンスを掴むことができなかった前髪をつかめなかった私が、
前髪作ってなかった子が前髪作ってきて登校して来てめちゃくちゃ可愛いじゃない!って感じの前髪なのよ!
そんなヒーローインタビューに備えて準備していたお立ち台を片付け終わったら、
チャンポンなんか
私本気出したら作れっからね!
チャンポン麺にチャンポン野菜具材セットにチャンポン肉セットにチャンポンスープを用意したら
でも強がってる訳じゃないの。
だって!
だってよ、
日替わりのシェフが作って食べさせてくれるチャンポンの方が美味しいに決まってるじゃない!
だってチャンポン持ってきてくれた給仕さんが感じのいい人だったら、
それだけで楽しくチャンポン頂けるじゃない!
私分かったわ。
よその人の目線も気にならず、
かと言って
あのときの大将のご機嫌加減でまた味の味わい方も違ってくるってことなのよ。
って私は言いたいわ。
そんなところで睨みを利かせているんじゃなくて
そんなに見られていたら
美味しく食べられないじゃない!
いや完全無人ではなく、
お客さんの前に一切店員さんが出てこなくていいオートメーションラーメンってところが
全うなラーメンがそれこそ真の味わいのラーメンになるんじゃない。
だから私が本気出して作ったとて
美味しいに決まってるそのチャンポンも自分で食べるのはなんだか素っ気ないねって話しで、
味集中システムがあったらいいんだけど、
そこまでは設備整えられないとしても
シェフが作ってくれたチャンポンは美味しいに決まってるんだから!
決まってるんだから!じゃなくって実際美味しいんだから!絶対に。
そしたら私はチャンポンチャンスを手にして優勝ができたのに!
はぁ。
今夜はきっと夢にチャンポンが出てくるの待ったなしね!
みんなも
このチャンポンチャンスを逃した悔しさをバネにして頑張るわって
チャンポン麺とかけましてバネと解く
そのこころは!
チャンポン麺もバネもどちらも伸ばしすぎたらダメでしょう!って
急に訪れた謎の整いと言い切ったところで
うふふ。
カフェオレにしたわ。
これこれ!
出掛ける前朝雨が降る前で良かったと思ったら、
とたんに雨が降ってきて傘取ってきたわよ。
少し肌寒い感じなので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。