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はてなキーワード: 卒業文集とは

2020-10-27

発達障害かもしれない姉との関わり方

増田(35)の5つ上の姉(40)は軽度の発達障害なのではないかと思うようになった。

ただの書きなぐりでオチもなにもない。姉との関係に強いストレスを感じているのでここに吐き出す。


増田:35歳、女、独身IT系正社員コロナで在宅勤務中。

姉:40歳バツイチ子持ちパート労働子ども中学生

両親:ともに67歳。父は定年後、地域ボランティアをしながらまったり生活、母は専業主婦

2世帯5人家族ひとつ屋根の下暮らしている。


姉は知的レベルが高くなく、人とのコミュニケーションにおいて問題を起こしやすいのである

子供の頃:周囲の人より勉強時間が多いのに勉強ができない

思春期青年期:他人をけなすことで自分の優位性を保とうとする

・成人期以降:他人から指摘を受けると「攻撃」とみなして怒り出す


コロナで家にいる時間が増えて、姉の人となりをいままでよりもよく見るようになってきたが、

・気に食わないことがあると家族相手でも人間関係にヒビが入るような暴言を平気で言う

・幼稚で極めて自己中心的性格傾向

が非常に色濃く目立つのである


姉は子供の頃は親が勉強しろと言わなくても自発的勉強机に向かっていたが、

成績は決して上位ではなく、よくて中の上くらい。

父の意向中学受験をするもあえなく失敗、その後、高校受験普通高校合格する。

姉は文系科目、現代文古文漢文日本史世界史は一切ダメ

数学化学は人並みくらいにできていた。あ、英語もできなかったな。

勉強机に向かってる時間は人の2倍、3倍あっても、成績はそれに応じなかった。

からすると何も言わないでも勉強机に向かっているので、

増田勉強しろって言ってもなにもやらないけど、姉ちゃんは言わないでもやるから偉い、

そういう表現をよくされていたが、子どもながらに、なんでそんなに勉強してるのに成績が

そこそこでしかないのか疑問でならなかった。


そんな姉は大学受験を志すが、ごく一部の理系科目でしか得点がとれないので、

合格圏内大学は俗に言うF欄しかなかった。

いくつか受けて、受かったのは1校だけ。いくつ受かろうが通えるのも1校しかないが、

それでも、F欄大学をあそこまで落ち続けるのはなぜなのだろうと疑問だった。


姉の大学生活の話はたいてい自分よりも成績が悪い人や留年してる人を

バカにする発言がとにかく多かった。

自分より下の人を探してバカにするのが日課なのかと思うくらいに。

就職に際しては、希望する職種があって、それを中学卒業文集にも書いていて、

父親も知っていたこから本人の意向確認し、仕事コネを使って、

採用前提の顔合わせをセッティングしてきた。


ところが、姉はその顔合わせをバックレるのである

職場の方が約束時間になっても姉が来ず、携帯もつながらないので、

事故にあったりしていないか心配になって自宅に電話がかかってきた。

当然ながら、家族会議であるが、姉はごめんなさいをするわけでもなく、

就職の世話なんて頼んでない、大学先生に紹介してもらうことになっているから、

そっちは断ってくれ、などと言うのであった。

父の紹介先のほうが待遇もよく、希望職種就職できるのにである

アカハラなどが横行するようなレベル大学でもなく、断っても卒業に支障はないのに、

当日何をしてたかも語ることはなかったようで、今も理解できない行動であった。


姉は就職とともに一人暮らしをはじめたが、2年ほどしたところで、

突然退職してきて実家に戻ってきた。

理由職場の人と付き合ったが別れ話がこじれたことらしい。

その後は実家に住むことになるが、新たな就職先も2年ほどで辞めてしまう。

理由職場上司と反りが合わない、というだけで辞めてくるのである

そんな理由で?と思うような理由会社を辞めてくるのである


2社目を辞めたところで、その当時付き合っていた男との間に子どもができたのを

きっかけに結婚をする。デキ婚である

しかし、旦那となった男は稼ぎが十分でなく、とても無職の姉と子ども

養えるものではなかった。

両親もデキ婚で苦労をしてきたので、不憫に思ってマンションを買い与えるが、

住み始めてしばらくしてから、姉が自分一戸建てに住みたいんだ、と文句をいうので、

当然ながら夫婦ゲンカは耐えない。ケンカと言っても姉が一方的

旦那罵詈雑言を浴びせるものだった。

親族の集まる場でも、自分旦那バカから、が口癖でどうしようもなかった。


かねた両親は新たに一戸建てを買い与え、

これで落ち着いて暮らしていけるかと思ったが、収まるどころかより一層、

姉の暴言はひどくなる一方で、当然ながら離婚である

ここまで結婚してから1年と経っていないのである

別れた旦那がえらいと思うのは、そんな姉に子供養育費を今も欠かさずに

振り込んでいることである子どもへの愛情はあるんだなと


その後はパートなどにいくも、半年や1年で辞めてくる、2年続けば良いほうだった。

家庭での会話は、パート先の同僚(といっても自分よりも年長の人たち)の

PCスキルが低いことをバカにすることだったり、

自分がF欄卒を差し置いて、付き合いのある人の子どもが受験する学校のことを

バカにするようなことばかりであった。

父が一度、子どもへの影響を心配して、人様の家のことをそんなに言うもんじゃない、

と叱るも、別に外で言ってるわけじゃないしバカからいいじゃない、

なんで私が怒られないといけないの、と斜め上のキレ方をした。


の子供はというと、そんな姉に甘やかされて育ち、友達親子みたいになっていて、

親がやるように周りの人をけなす言動の多い子どもになってしまっているので

将来が思いやられる。


そして、コロナである

姉はパート社員のなかで緊急事態宣言から間もなくして、まっさきにクビを切られた。

増田と両親からすれば、普段の振る舞いからして、そりゃそうだろうなと思うほかなかった。

その後、現在に至るまで、ただ家にいて、ネットしてるか酒飲みながら子ども

会うこともない誰かの悪口を言う日々である


いまは増田の両親も健在だから、なんとか、やっていられるものの、

両親の身に何かあったとき、この姉が協力的になるとは思えずどうしたもの・・・

漫画回想シーン好きな人って犯罪者卒業文集見るの好きそう

悪いやつの過去とかってそんな大事なの?

キャラが死んだらコマ背景に年表か卒業文集が出るくらいでいい

2020-09-28

幼稚園で覚えてること

  1. 幼稚園に行きたくなくて玄関母親駄々をこねている。私は玄関座り込み道路にいる母に向かって「0まで数えたらいく」と大声で叫んでいる。当時私は数を数え上げていくと最後は0になると思っていた
  2. グループで登園する時、女の子と手を繋ぐのが嫌だった。特によく犬のウンチを踏んでいた桐島さんと手を繋ぐと私もからかわれるので嫌だった。
  3. 給食で残したレバービニール袋に入れて持って帰った。玄関で母にみせると母は私がウンチを持って帰ってきたと思って驚いた。私はそれが面白かった。
  4. 母親に腕を引っ張られ文字通り引きずられながら登園している。私は鞄を投げ、上着タンボに捨て抵抗している。
  5. 幼稚園で同じロッカー使用している女の子ロッカーにかけた服がお互いにくっつかないようにとキツイ口調で注意される。私はなぜそれが悪いことなのかわからず、ただその女の子のことが怖く感じる。
  6. 幼稚園担任マミ先生自己紹介をしている。自分の特徴として「お尻が大きいので皆さんにぶつかるかもしれません」と言っている。私は人間の尻に大きい小さいがあるなんて知らなかったのと、お尻がぶつかるというのがどういうことなのかと気になる
  7. 幼稚園にいる夢をみた。私はそれが夢だと気がついて暴れてみた。すごい力が一瞬ででて給食室がぐちゃぐちゃになってしまった
  8. 同じクラスの子工作をしている。いろいろな材料や金づちなどを使っている。私は説明をきちんと聞いてなかったのか皆がどこでそれを手に入れたかからない。1人に聞いてみるがそれでもわからなかった
  9. 手のひらの皮がぼろぼろになる病気になる。毎日先生にみせなくてはいけないのだけど、とても恥ずかしい。
  10. 私は祖父の車の後ろの席に座っている。田んぼの中を走る祖父の家に向かう道だ。そこで祖父から妹が生まれたと聞かされる
  11. 幼稚園帰りの会で妹が生まれたことを突発的に大きな声で先生にいっていまう。周りの子先生も私がわざわざ帰りの会に割り込んでまでそんなことを言い出したことに驚いていたが、優しくよかったねといってくれる。
  12. 夏の運動会大人たちが長ズボンを履いていることを不思議に思う。大人になると暑さをあまり感じなくなるのだろうと勝手に納得する。
  13. 同じクラスの子テレビでやっているドラゴボールの先の話を教えてくれる。次の敵はピッコロというらしい。ジャジジャマルピッコロピッコロしか知らない私は驚くとともに、ジャンプ存在を知る
  14. 劇の発表会の練習をしている。私はペアでリスの役をやる。ペアの子がリスっぽいコミカルな動きをして先生に褒められていたので私も同じ動きをしてみたが褒めてもらえなかった。
  15. 冬の保健室にいる。ストーブの近くにいたらズボンが焦げて穴が開いてしまった。母親にはなぜ穴が空いたかからないとウソをついた
  16. 卒業文集に将来の夢はおもちゃ屋さんと書いた。おもちゃ屋さんなら毎日おもちゃで遊べるからだ。
  17. 夢の下には自分名前を書くところがあった。私は自分で書くよりも先生に書いてもらった方がキレイなので先生に頼んだ。印刷されたものをみた母は恥ずかしいと言ってとても怒った。私はなぜそんなに母が怒るのかわからずショックをうけた
  18. クリスマスの朝、窓枠に小さなロボットが置いてあった。サンタクロース煙突がなくても窓から入れるという両親の話は本当なんだと思った
  19. クラス女の子だが髪の毛が短い子が1人いた。女の子なのに変だなと思っていた。
  20. 近所の友達戦隊ものヘルメットを買ってもらっていたが主役じゃないキャラクター青色だった。私はなぜわざわざ主役以外のものを選ぶのか理解できなかった。私は主役の赤を買ってもらっていた。

幼稚園で覚えてること

幼稚園に行きたくなくて玄関母親駄々をこねている。私は玄関座り込み道路にいる母に向かって「0まで数えたらいく」と大声で叫んでいる。当時私は数を数え上げていくと最後は0になると思っていた

グループで登園する時、女の子と手を繋ぐのが嫌だった。特によく犬のウンチを踏んでいた桐島さんと手を繋ぐと私もからかわれるので嫌だった。

給食で残したレバービニール袋に入れて持って帰った。玄関で母にみせると母は私がウンチを持って帰ってきたと思って驚いた。私はそれが面白かった。

母親に腕を引っ張られ文字通り引きずられながら登園している。私は鞄を投げ、上着タンボに捨て抵抗している。

幼稚園で同じロッカー使用している女の子ロッカーにかけた服がお互いにくっつかないようにとキツイ口調で注意される。私はなぜそれが悪いことなのかわからず、ただその女の子のことが怖く感じる。

幼稚園担任マミ先生自己紹介をしている。自分の特徴として「お尻が大きいので皆さんにぶつかるかもしれません」と言っている。私は人間の尻に大きい小さいがあるなんて知らなかったのと、お尻がぶつかるというのがどういうことなのかと気になる

幼稚園にいる夢をみた。私はそれが夢だと気がついて暴れてみた。すごい力が一瞬ででて給食室がぐちゃぐちゃになってしまった

同じクラスの子工作をしている。いろいろな材料や金づちなどを使っている。私は説明をきちんと聞いてなかったのか皆がどこでそれを手に入れたかからない。1人に聞いてみるがそれでもわからなかった

手のひらの皮がぼろぼろになる病気になる。毎日先生にみせなくてはいけないのだけど、とても恥ずかしい。

私は祖父の車の後ろの席に座っている。田んぼの中を走る祖父の家に向かう道だ。そこで祖父から妹が生まれたと聞かされる

幼稚園帰りの会で妹が生まれたことを突発的に大きな声で先生にいっていまう。周りの子先生も私がわざわざ帰りの会に割り込んでまでそんなことを言い出したことに驚いていたが、優しくよかったねといってくれる。

夏の運動会大人たちが長ズボンを履いていることを不思議に思う。大人になると暑さをあまり感じなくなるのだろうと勝手に納得する。

同じクラスの子テレビでやっているドラゴボールの先の話を教えてくれる。次の敵はピッコロというらしい。ジャジジャマルピッコロピッコロしか知らない私は驚くとともに、ジャンプ存在を知る

劇の発表会の練習をしている。私はペアでリスの役をやる。ペアの子がリスっぽいコミカルな動きをして先生に褒められていたので私も同じ動きをしてみたが褒めてもらえなかった。

冬の保健室にいる。ストーブの近くにいたらズボンが焦げて穴が開いてしまった。母親にはなぜ穴が空いたかからないとウソをついた

卒業文集に将来の夢はおもちゃ屋さんと書いた。おもちゃ屋さんなら毎日おもちゃで遊べるからだ。

夢の下には自分名前を書くところがあった。私は自分で書くよりも先生に書いてもらった方がキレイなので先生に頼んだ。印刷されたものをみた母は恥ずかしいと言ってとても怒った。私はなぜそんなに母が怒るのかわからずショックをうけた

クリスマスの朝、窓枠に小さなロボットが置いてあった。サンタクロース煙突がなくても窓から入れるという両親の話は本当なんだと思った

クラス女の子だが髪の毛が短い子が1人いた。女の子なのに変だなと思っていた。

近所の友達戦隊ものヘルメットを買ってもらっていたが主役じゃないキャラクター青色だった。私はなぜわざわざ主役以外のものを選ぶのか理解できなかった。私は主役の赤を買ってもらっていた。

幼稚園で覚えてること

幼稚園に行きたくなくて玄関母親駄々をこねている。私は玄関座り込み道路にいる母に向かって「0まで数えたらいく」と大声で叫んでいる。当時私は数を数え上げていくと最後は0になると思っていた

グループで登園する時、女の子と手を繋ぐのが嫌だった。特によく犬のウンチを踏んでいた桐島さんと手を繋ぐと私もからかわれるので嫌だった。

給食で残したレバービニール袋に入れて持って帰った。玄関で母にみせると母は私がウンチを持って帰ってきたと思って驚いた。私はそれが面白かった。

母親に腕を引っ張られ文字通り引きずられながら登園している。私は鞄を投げ、上着タンボに捨て抵抗している。

幼稚園で同じロッカー使用している女の子ロッカーにかけた服がお互いにくっつかないようにとキツイ口調で注意される。私はなぜそれが悪いことなのかわからず、ただその女の子のことが怖く感じる。

幼稚園担任マミ先生自己紹介をしている。自分の特徴として「お尻が大きいので皆さんにぶつかるかもしれません」と言っている。私は人間の尻に大きい小さいがあるなんて知らなかったのと、お尻がぶつかるというのがどういうことなのかと気になる

幼稚園にいる夢をみた。私はそれが夢だと気がついて暴れてみた。すごい力が一瞬ででて給食室がぐちゃぐちゃになってしまった

同じクラスの子工作をしている。いろいろな材料や金づちなどを使っている。私は説明をきちんと聞いてなかったのか皆がどこでそれを手に入れたかからない。1人に聞いてみるがそれでもわからなかった

手のひらの皮がぼろぼろになる病気になる。毎日先生にみせなくてはいけないのだけど、とても恥ずかしい。

私は祖父の車の後ろの席に座っている。田んぼの中を走る祖父の家に向かう道だ。そこで祖父から妹が生まれたと聞かされる

幼稚園帰りの会で妹が生まれたことを突発的に大きな声で先生にいっていまう。周りの子先生も私がわざわざ帰りの会に割り込んでまでそんなことを言い出したことに驚いていたが、優しくよかったねといってくれる。

夏の運動会大人たちが長ズボンを履いていることを不思議に思う。大人になると暑さをあまり感じなくなるのだろうと勝手に納得する。

同じクラスの子テレビでやっているドラゴボールの先の話を教えてくれる。次の敵はピッコロというらしい。ジャジジャマルピッコロピッコロしか知らない私は驚くとともに、ジャンプ存在を知る

劇の発表会の練習をしている。私はペアでリスの役をやる。ペアの子がリスっぽいコミカルな動きをして先生に褒められていたので私も同じ動きをしてみたが褒めてもらえなかった。

冬の保健室にいる。ストーブの近くにいたらズボンが焦げて穴が開いてしまった。母親にはなぜ穴が空いたかからないとウソをついた

卒業文集に将来の夢はおもちゃ屋さんと書いた。おもちゃ屋さんなら毎日おもちゃで遊べるからだ。

夢の下には自分名前を書くところがあった。私は自分で書くよりも先生に書いてもらった方がキレイなので先生に頼んだ。印刷されたものをみた母は恥ずかしいと言ってとても怒った。私はなぜそんなに母が怒るのかわからずショックをうけた

クリスマスの朝、窓枠に小さなロボットが置いてあった。サンタクロース煙突がなくても窓から入れるという両親の話は本当なんだと思った

クラス女の子だが髪の毛が短い子が1人いた。女の子なのに変だなと思っていた。

近所の友達戦隊ものヘルメットを買ってもらっていたが主役じゃないキャラクター青色だった。私はなぜわざわざ主役以外のものを選ぶのか理解できなかった。私は主役の赤を買ってもらっていた。

2020-08-16

生きるのが向いてなさすぎるから、もう人生やめていいですか?

人生が向いてない

私は今、床に倒れ込み大泣きしながらこの文字を書いている。きちんと意識している回数だけでもここ4日は毎日泣いているし、それ以前の日だって毎日のように泣きながら暮らしている。

生きたくない。死にたい死にたいと考えている。でも死ぬのは怖い。首を吊るどころか手首に傷をつけるのさえ怖い。痛いのはすごく嫌。でも生きるのはとてもつらい。

現在無職である社会人2年目にして無職。去年は一年間きちんと働いていたが非常に激務であり、契約が切れると同時に退職した。あと1年続けませんか?と何度も声をかけていただいた。しかし、この激務をもう1年間耐え続ける体力も精神力もなかった。適性もないと思っていた。漠然と、何か別のことをしたくて、それなら早いほうがいいと思って、辞めた。

そして現在無職である。一応就職活動をしているが今までとは全く異なる業種を受けており、ことごとく落ちている。その仕事がしたいわけではない。働き方が希望の条件に合いそうだから、それだけであるしかし実際働いたらキツイだろうし、実際勉強もしてるが難しい上に興味もないのでチンプンカンプンでやる気がまるで起きない。このやる気のなさが面接官に感じ取られているのだろう。就職エージェントに勧められるところを一通り受け、していない勉強をしていると嘘をついている。実際のところ全くできないのに。とてもゴミクズである。知っている。知っているのだ。そりゃ正直働きなくない。でも働かないとお金もなければ世間体も保てないから仕方なく働こうとしている。こんな気持ちじゃそりゃ落ちる。わかってる。もう死んでしまいたいのだ。

本当に働きたい人は何をどうしても、がむしゃらに頑張るんだと思う。でも私にはその気力がない。3月末に退職して現在8月、やりたいことがあるわけでもない。虚無。虚無の毎日である

頑張れない。一向に頑張れない。

これは仕事の有無のせいなのかと言われたらわからない。仕事をしていたとき仕事場で一人で泣いていた。辛くて辛くて、死にたいと思っていた。仕事をしていても、やめても、死にたいという気持ちは一向に拭えない。

小学3年生の時には既に死にたいなと思っていた。10歳の誕生日「とうとう10年も生きてしまった」と焦り、20歳誕生日には「子供のうちに死ねなかった」と人生を嘆いた。将来の夢は昔から無い。親に「公務員になったら安定するから公務員になったら?」と言われ、そのことを小学校の卒業文集に書いたらこっぴどく怒られ、いまだにそのことを言われることがある。言われたとおりにしようとしただけなのに。

漫画家イラストレーターになりたいという夢もあったが、そのような技術も才能もアイデアも、なにより根気も無かったのでとっくに諦めてしまった。今は趣味で絵を描く程度だ。そんな死をずっと思い続ける、無気力人間だ。

生きる適正がない。言われたこともできないし、自分なりにもこなせない。どうしていいかからない。相手気持ちがわからない。指示待ち人間で、言われるまで何も動けない。

ここまで救いようがないなら死ねばいいが、でも怖いので死にたくもない。食べる量だけ多くてどんどん太っている。動くのも中学生部活いらいまともに運動をしていない。運動のしかたもわからなければ、運動をする気力もない。めんどくさいという気持ち。変わりたいという気持ちが弱い。きっとそうなんだと思う。それこそ中学生のころは本当に毎日泣きながら暮らし、日々死にたいブログに綴っていた。そのブログはとっくに消してしまったが、10年も経って今、同じことをしている。

身近な人に「相談してね」と言われてもなんと言っていいかからない。その人の前でただただ泣き崩れてしまう。論理的に考える頭がないので、乱文でもこうして文字に起こすことで自分なりに考えをまとめようとしているところだ。

実際、何を「相談」していいのかがわからない。私は何を悩んでいて、どうしたいのかがわからない。言えることは「私は死にたい死ぬのが怖いので、なんとか生きていきたい」だと思うが、そもそも「なんで死にたいの?」なんて聞かれたらわからない。生きるのが向いてないから。じゃあなんで生きるのが向いてないと思う?みんなみたいにうまく立ち回れないから………… みたいな掘り下げをしていると本当に鬱々としてくる。いやだ。あぁ、ここで私の得意技である現実逃避自分と向き合うことが怖い。理屈ではわかってる、わかってるけどそれは相当なストレスで、楽したいから避けている。

結局、自分と向き合うことができない人は自分人生なんか生きられないんですよね。でもその自分との向き合い方もわからない。今自分自分正論でめった刺しにしているのが辛い。また泣いている。

身近な人にほど相談は難しい。自分の素性を知られたくない。駄目な人って思われたくない。きっとバレているのに。それでも言いたくない。不特定多数に見られるインターネットのほうがよっぽど気が楽である

転職エージェントに言われることは「自信がないから自信を持って」ということだ。面接官にも言われた。身内にもそれは言われるし、自分でも思う。自分には自信がないと。自分課題はそこなんだと思う。

でも、そこまで誇れることも何もないのだ。本当に空っぽ人間なのだ。さも自信がある人間のように、ウソで塗り固めることすらできない。そんな国語力はない。

理想ばかり高くて、そこに追いつけない自分とのギャップで病む。本当は私は素晴らしい人なのになぜ……という気持ちがきっとどこかであるからそうなってしまう。

ここからは人のせいにもしてしまうが、人から認められることなんてないし、そもそも親は私のことを小さい頃からずっと「バカ」と言い続けてきたし、ブスな上に努力もせず、ボーッとしてる上に人付き合いが苦手でいじめに合い……周りから奪われる自信と、それをはねのける自分精神力の無さが原因だと自分では思っている。

みんなうまく生きているのに自分だけこんなんじゃ自信なんてなくなる。自分が信じられないのに他人を信じるなんてできなくて相談も何もできない。信じたいとは思っている。でももしこの人に嫌われていたら?などと考えてしまう。無限ループ無限ループ無限ループ

そもそも何を相談したらいい?人生根底にある自信の無さ?気力を得る方法?身近な人に相談したらその人の気力を奪うだろう。そして嫌われるだろう。孤立するだろう。近寄ってくるのはきっと弱みに付け込むカルト宗教の人たちだろう。もう嫌だ。

ここまで読んでくださった人、もしくは最初の一行目を読んだだけでブラウザバックした人はみんな思っただろう。精神科に行け、メンタルクリニックに行けと。

そう言われたとて、何を相談したらいいかからない。昔から病院どころか保健室さえ苦手だった。症状をうまく説明できない。プレゼン能力の無さ。病院の待合室では症状を伝える練習脳内でぐるぐるするタイプだ。

考えるより行動したいが重い腰が上がらない。もはや家から出るのも怖くなってきた。あぁ、負の連鎖

さすがに床は体が痛くなってきたのでベッドに移動した。あぁ、このまま眠って、息を引き取りたい。穏やかに死にたい。苦しみたくない。もう、生きるのをやめたい。


ーーーーーーーーーーーーーー

追記(8/19)

このエントリーに反応をしてくださった方々、ブックマークしてくださった方々、ありがとうございます

こんな文章タイトルだけで未読スルーするでしょと思っていたので、まさか反応をいただけるとは…と思い少し驚きました。優しいお言葉をたくさん頂いて、気持ちが救われております

私は相変わらずの生活です。ここ最近は本当に寝付きが悪くて、寝ている時も心がザワザワと不安になって夜中何度も目が覚めたりしますね……この症状は去年もあったんですが最近ひどくなってきまして… 人生への焦りかな……今も心がザワザワしている

とりあえず前回投稿してから今日までは床に這いつくばって泣いたりしてないので、少しマシになってるといいなと思いつつ生きております。生きてる!!!

生きてるならいいかな なんだかんだ、コロナにならないようにマスクするし手洗いうがいもしているしね。健康第一

コメントにもありましたが人間いずれみんな死ぬんだから、私も今慌てて死ななくてもいいのかな…。

いまだに希死念慮は拭えず、お世辞にも前向きとは言えない気持ちで日々を過ごしていますが、それでも自分のペースで生きていけたらいいなと思います今日この時点ではまだ大きな病気も無いですし…。最近、両足の薬指に血豆ができたくらいで。

またいつか、誰にも吐き出せない暗い気持ちの波が押し寄せてきたらここに長文を書きに来るかもしれません。もしくは、次はハッピーな報告でもできたらいいな。

追記を書いたら文章がすごい量になってしまいましたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

2020-06-05

犯罪者卒業文集テレビ局に渡してるのは誰なんだ

なんでそんなことするんだよ

なにか見返りがあるんだろうか

そういうことする人、俺ちょっと軽蔑ちゃう

2020-03-01

スクウェア・エニックス退職しました(派遣

追記 続きを書きました。

https://kawahara0814.github.io/sqex_leak.io/

去年の6月からゲームプログラマとして派遣で働き始めましたが1月中頃に会社に出社することができなくなり

そのまま自己都合退職ということになりました。

ある有名タイトルを開発するのに使用されていたゲームエンジンを使っての開発だったため就業してすぐその有名タイトルを買ってクリアしたのですが

直属の上司から「そんなことして何の意味があるのかわからない。くだらない」と言われ

キングダムハーツ3を買ってクリアしないと首にするぞ」と言われました。

キングダムハーツ3は上司が開発に参加したプロジェクトでした。

PlayStation4を持っていないので厳しい」と伝えると「PlayStation4も買わないと首」と言われ続けました。

PlayStation4キングダムハーツ3を買ってクリアし、そのことを伝えると

「買えなんて言ってない。お前が勝手にやった。そうだよな?」と脅され「私が勝手にやりました」と言わされました。

そして今度は「キングダムハーツ3を一回クリアしたくらいじゃだめだ」「3回クリアしないと首だ」と毎日言われるようになりました。

ちなみに上司PlayStation4を持っておらずキングダムハーツ3もやったことがなく「デバッグでやった」「業務外でやるわけないだろこんなゴミ」と言っていました。

「それは勘弁してください」と答え続けていると今度は京都アニメーション放火事件があったため

「人がたくさん死ぬと楽しくてしょうがない」「京アニ通夜に行って花火上げてこい」「やらないと首にするぞ」と毎日言われ続けました。

また、台風19号実家被害があった際には「お前の家族がみんな死んだらよかったのになぁ。今から帰省して殺してきてよ」「できないと首だから」と言われ続けました。

このような発言毎日言い続ける理由を本人は「楽しくてしょうがいから。絶対にやめない」と言っており、

彼の様子からそれは本当のようでした。

就業してすぐに手取りを言うことを強要され、毎日「お前みたいのが30万円ももらってるなんていいよなぁ」と言われ

私の給料への妬みだけを理由に月10時間程度の残業ですら多すぎると言われ、残業時間を書くなと毎日言われました。

さらに、「30万円ももらってるからそんな無駄遣いばっかするんだろ。今月でお前を首にしてやるよ」と、

自動販売機社員食堂コンビニ飲食店の利用から上着を着ること、通勤電車を利用することまで禁止されました。

アレルギー食品と辛い料理を食して体調の不調を言ったことがあり、その二点だけは食してよいとされました。

しろ頻繁に食べることを強要されました。そのため会社の外の花壇で隠れて食事をしていました。

そのほか、業務時間内に「なんでまだいるの?」「荷物まとめて帰ってよ」と言われ

何故かを聞くと無言でニヤニヤ笑う、というようなやり取りを毎日、何度も何度もさせられました。

プロジェクト内の半分が外国の方だったため業務外で英語勉強をしていたのですが

それも「くだらない、何の意味があるのかわからない。30万ももらってるからって無駄遣いしてるんじゃねえ」と禁止され、

教材をすべて処分させられ、英語版のゲームを遊ぶことも禁止され、TOEIC受験キャンセルさせられました。

上司基本的に出社したら定時までネットサーフィンをしていて1秒も仕事をしておらず、

そのチームでプログラマーは二人だったので聞き取り調査、調整、実装修正、すべて私一人で行っていました。

ただ進捗の発表だけは禁止されていました。

二週間に一度、全員での進捗発表があり誰でも発表してよい、是非しましょう、ということになっていたのですが

発表用の資料作成するのは私がやらなくてはならない、そして、私が発表してはいけない、というルールになっていました。

ゲーム文字の表示が何故要るのかわからない」

「1600万色と256色のどこが違うのかわからない」

「半透明の画像の表示が何故必要なのかわからない」

コントローラー操作できたら何がいいのかわからない」

「30FPSと60FPSのどこが違うのかわからない」

「FullHDと4Kのどこが違うのかわからない」

「こんなつまらないゲームぽしゃるに決まってるだろ」

レベルが低く殆ど何もわからない上、精神年齢が低すぎて反対言葉を常に使って面白がるため全く会話が成り立たず、仕事障害になっていました。

メッセージウィンドウ文字が表示されると何がいいのかわからない。何で文字が表示されないといけないのかわからない」と(本当に毎回必ず)言うため、

なるべく多くの人に会話に参加してもらい、嫌がらせができないような場を毎回用意しなくてはならず、

もしくは上司が月に10日ほど欠勤・遅刻することを利用してマージ作業を行うなど、対応に追われていましたが、

一方で上司はその要らないゴミ扱いしていた成果を自分のものとして報告していました。

業務中もしつこく付きまとわれ話題をそらすために仕事の話をしても上記のように全く会話が成り立たず

あとは解雇をちらつかせて延々と金の話でした。

私は独身で、且つ小学生の時にドラクエ4コマ漫画を描いて投稿したり卒業文集に「スクウェアエニックスで働く」と書くほどだったので

お金の話は興味がなかったのですが、ついに上司の口からゲームテクノロジーの話が聞けることは一度もありませんでした。

上司技術力は「CPUが速いと何が変わるのかわからない」「グラボが何するものかわからない」と本当に発言するほどであり

私が参画する前にほんのわずかに上司によって書かれたプログラムは、

1,2割が意味のある処理で、残りは大量の空行と無意味な処理かスラッシュハイフンのみの装飾コメントでした。

「楽しくしょうがいか絶対やめない」と上司の言った遊びは参画初日から行われ

半年ほど経過するころには私は気力だけで出社するような状態になり

それから会社相談し、上司の態度は改善しました。

しかし、その頃には私にとって彼の隣で働くのは耐えがたい苦痛でした。

異動させてもらえるように、せめて席だけでも離してもらえるように繰り返し要請しましたが

それは叶わず2か月後に会社に出社することすらできなくなりました。

「それが本当なら出るとこ出ろ」と言われそうですが、録音していたわけではないので証拠もなく、記憶が蘇ってくるのはとにかく苦痛

歯を磨くことすらままならない今の私には被害届を出す気力も弁護士相談する勇気もありません。

信じてもらえないでしょうが私自身は過度に能力が低いこともなく、職場奇人であったこともなく一生懸命、真面目に働いてました。

最後に、その上司以外の方はプログラマーに限らず皆その道のプロフェッショナルであり思慮深く親切で尊敬できる人たちでした。

開発環境内装も外観も、これまで私が働いてきたどの会社より素晴らしくそ上司とさえ関わらなければクリエイターにとって最高の環境であると断言できます

私が理不尽に損したことは諦められますが私のような被害者が増えることはなくなってほしいので、

スクエニイニシャルがFの人とは付き合い方に気を付けていただければと思います

2020-01-21

anond:20200119233455

俺は苦労して医者になった。

両親は高卒で、片方は貧困のため仕方なく、もう片方は学力的に、それぞれの理由大学進学を諦めて働いていた。

俺はそんな両親の長男で、田舎レベルではあるけれど、そこそこの頭の良さと、かけられた期待のおかげで、それなりに優秀と言われて育った。(親戚は高卒だらけだったが、唯一旧帝大卒のおじさんがいてそれを目標に、とか言われていた)

共働きで働いていた両親に変わって、母代わりの祖母が家にいて俺はよく慕っていた。祖母お茶飲み友だちにもお前は頭がいいと褒められていた。

俺が小学校低学年の夏、その祖母交通事故で重傷(ちなみにこれは医学用語ではない)を負ってから、俺は医師になることにした。小学校卒業文集には未来の「増田医院」の話を書いた。

中高時代のことは面倒だから省くが、俺は医学部には入れなかった。偏差値が5以上足りなかった。通える範囲地域で一番の進学校だったけれど、現役で医学部に進学したのは4人(国公立3人、自治医1人)だった。

なんとか浪人させてもらえることになり、政令指定都市うつり寮から予備校に通った。

結果から言えば、俺は医学部には入れなかった。2浪はできないので、センター試験で85%以上なければ医学部は受験しないと両親と約束たからだった(具体的には84%に止まった。全統記述偏差値67程度だったので、無理はできなかった)。俺と同程度の偏差値の奴らが少々の国公立医学部に受かっていった。俺より悪い成績の奴らがいくつかの私立医学部に受かっていった。俺は俺でも受かりうるレベル私立医が3000-5000万の学費がないと通えないことに絶望を覚えた。(当時、帝京大医学部の学費は4900万くらいだった)

やりたいこともなかったが、旧帝大工学部合格したので進学した。

やりたいことがなかったので、1年生のとき単位ほとんど取らなかった。「旧帝大工学部」の合格ときで喜んだ両親をなぜか恥ずかしいと思っていた。2年目は休学した。休学して再受験しようと思ったけど、思っただけで、びっくりするほど何もできなかった(抑うつ的だったし、適応障害的だったなあと振り返って思う)。

復学してからは進級できて、そのまま4年生になり、大震災があり、思うところがあり、残り10ヶ月の期間だけ勉強して医学部を目指すことにした。両親には黙っていた。予備校には通えなかった。教授には2ヶ月後の記述模試でA判定を出さなければ受験を認めない、と言われた。3ヶ月後、教授から受験の許しを得、両親に黙ったまま勉強を続けた。

お金がなく、模試も全部で4個くらいしか受けなかった。2万円弱のセンター試験の出願料だけでも生活費を圧迫した。1校6万円する私立医の併願など、もちろん念頭になかった。

公立医学部を受けるとして、地方の受かりやすいところを探せば統計的には確実に受かりそうではあったが、遠くに受験しに行くお金はなかった。女性ではないので性別理由にした入試差別を受けることはないが、再受験生は性別によらず差別リスクがある。こういった差別的傾向は当時も医学受験界隈でよく言われていて、そのため差別のない(と言われている)大学医学部を受けることが再受験生の受験戦略となるのだった。こうした入試差別は、偏差値に比例してなくなっていくとされていた。旧帝大医学部は純粋学力勝負ができる。俺はそのまま部屋から受験しに行ける旧帝大医学部を受験することにした。

前期試験一発勝負をして、約10日後「合格」の文字を見ることができた。

医学生活は面倒だから省くが、一言でいえば普通に部活をし、遊び、勉強をした。留年することなく進級・卒業国家試験にも合格した。俺は医師になれた。

研修医生活は本題ではないので省く。でもちょっとだけ言うとすれば、医師労働環境は、人間のする働き方ではなかったということだ(俺は比較的楽な方の研修だったが、週1,2回の連続30時間勤務や25連勤でもう無理だと思ってしまった)。女性医師出産や育休で労働時間がああだこうだと言っている人がいるけど、この働き方は男でも無理である東京医師が多いのでまだ余裕があるが、俺の出身地方はすでに医師がどんどん減ってきており、崩壊は当然に時間問題である医師の使命感と根性で成り立っている地方特に女性医師にやさしい環境ではないし、女性医師にやさしい環境でない地域女性医師が残らないので、つまり男性医師も残らないか人柱になって折れるのを待つだけだろう。

俺は地方に残るのをやめ、保険診療医もやめることにした。東京自由診療をして、それなりの暮らしをする。

医学部の合格通知は、約10年経った今でも宝物となっている。

2019-10-22

卒業文集を書かずに卒業したんだけど

友だち少なかったなあ

2019-09-10

大学卒業文集テーマが決まらない

未だにこんなことで悩んでるの自分だけかな。

休み開けたら夏休みの進展を発表することになってるけど自分は一体何を発表すればいいのやら。

卒業した人たちはみんなこれを経験したのかと思うと信じられない。

冗談だけどイカ以外の何者でもない。

2019-07-06

ヒーローになりたかった

私は女だが、兄と弟がいる影響で幼い頃からスーパーヒーロータイムにとても馴染みがあり、戦隊ヒーローではレッドに、仮面ライダーでは主人公感情移入し夢中になって見ていた。 

ヒーローたちは、堪らなくかっこよかった。

自分たちに苦難が降りかかろうとも、困っている人がいれば助けずにはいられない。

そんな姿が眩しく、ただひたすらに憧れた。

できることなら、レッド仮面ライダーになりたかった。

自分が挫けそうでも、困っている人がいたら助けられる人になりたいと、幼いながらに思ったりもした。

それから年頃になり興味のあるものが増え、いつの間にか戦隊仮面ライダーから遠ざかっていた。

嫌いになったわけではない。

けれど、私のなかで戦隊仮面ライダー過去になっていた。

社会人になり自分生活自分で賄えよるうになった頃、「仮面ライダージオウ」の存在を知った。

平成最後仮面ライダー過去ライダーたちも出演するアニバーサリー作品だと知り、興味本意で視聴してみることにした。

初めてみたのは、555回。

面白かった。

視聴を続けることにした。

見れば見るほど、面白かった。

平ジェネForeverはやばかった。

顔が痛くなるまで泣いた。

未視聴の戦隊仮面ライダーを見続ける日々のなか、中学時代の代わり映えのない日常の夢を見た。

目が覚めてから中学時代担任のことが頭に引っかかる。

考えるもこれと言った答えが見つからなかったので、卒業文集など中学時代自分に関わるものを一通り見ていくことにした。

卒業アルバムなかに担任からひとりひとりに送られた手紙が入っていた。

読み返すと懐かしさが胸に広がる。

最後の文に差し掛かり、私の読む手が止まった。

手紙最後には、こう書かれていた。

あなたは、ヒーローのような人でした」

自分人生の見事な伏せん回収に、笑いながら泣いた。

2019-06-18

「将来の夢は日本人です」

卒業文集には、確かにそう書かれていた。

この事実報道された後、日本人禁止すべきという世論形成された。

市役所には、ニートの息子が日本人だという相談が相次いだ。

数年後、日本人法律禁止された。

だが、今も裏社会では日本人が暗躍しているという。

2019-06-04

anond:20190604114921

前後10分くらいじゃ何も背景がわからないだろ

これまでの生い立ちと卒業文集必要

2019-05-27

anond:20190527024559

きっしょ。他人を見下す事で自分を優れた存在だと思う意識高い系によく似てる。小学校卒業文集もって同窓会行って「おまえ社長になるって書いたよなぁ?」とか言ってごらんよ

2019-05-22

知り合いの30代男性かわいいところ発表会

ご飯が美味しいと言って写真を撮りまくる

ご飯食べすぎたからと言ってエスカレータでこっそりカーフレイズをする

フランス人に間違えられたと自慢する

小学校卒業文集に「天文学者になりたい」と書いていた

JUNKリスナーだったが最近サンドリがお気に入り

「セーフ」のジェスチャーをするたびに壁に手をぶつける

AIの話をすると「これが令和か…」と遠い目をする

「これ絶対チキンカツだよ!」と言って食べた揚げ物がハムカツだった

週刊実話に書いてあることはすべて実話と言い張る

赤兎馬というお酒があったので「李炳圭ですね」と言ったら宣銅烈の話を始める

肌が弱いので保湿をよくしている

すぐコンタクトがずれる

ヒゲが美しい

人のハイボールを奪って勝手に飲む

女受けを狙ってライン画像Aphex twin画像にしているが効果は全くない

お姉ちゃんと仲が良いことを隠そうとする

近所で見かけた鹿の写真を見せてくれる

「俺の時計ビンラディンモデル」と自慢してくる

褒めると照れる

いかけると逃げる

逃げると追いかけてくる

この季節なのに冷房ガンガンにかける

案の定次の朝体調が悪くなる

電車に乗り遅れそうと言っているのにホテルの朝食でカレーをもう一杯食べようとする


今回はこんなところです。かわいくないですか?

2019-05-10

ご飯に合うおかずは存在しない

小さい頃から白い米の飯が好きだった。

小学校卒業文集で、『一番好きな給食献立は?』という問いに『ごはん』と書くくらいには。

ご飯を美味しく食べたいから、白いご飯が汚れるのが我慢ならなかった。茶碗でおかずを受けることは絶対にしない。おかずと一緒に咀嚼することもしない。当然何か混ぜたり何か掛けたりする様なご飯料理も苦手だった。ご飯ご飯としてのみ存在すればいい、いやするべきだ。と思うような原理主義者だったのだ。

よく、『ご飯に合うおかず』とか「○○さえあればご飯何杯でもいけます!」という表現を見聞きするが、僕はこれには大きな疑問を抱いていた。

だってさ…。

おかずと一緒に食べたらご飯の味がわからなくなるじゃないか

おかず、とりわけご飯に合うとされるおかずは味付けが濃いのが相場である。そんなものご飯を一緒に口に入れたら…。味覚はおかずの味に支配され、繊細なご飯を味わうことは叶わなくなってしまう。だからあれはあくまでおかずを美味しく食べる方法だ。『ご飯に合うおかず』ではなく、「おかずにご飯が合うだけだろ」とずっと思ってた。

今はどうか。年月を経たせいか、かつてほど極端な食べ方はしなくなった様に思う。

味付きのご飯や、おかずと一緒に食べる食べ方も許せるようになった。大分丸くなったと思う。

…でも。

ご飯の一番美味しい食べ方は、やっぱりご飯だけで食べることだと今でも思う。炊きたてのアツアツではなく、冷ました方が美味しい。かといってでんぷんがβ化するまで冷やしては元も子もない。冷めたてのホヤホヤくらいが丁度良い。

そうだ、今日ご飯にしよう。

2019-04-25

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-24

ふと、小学生卒業文集アルバムを、貰った当日に学校ゴミ箱に捨てたことを思い出した。

後悔する日も来るかなと思ってたけど、30年以上たってもまったく後悔がないな。

もう30年たってもまったく後悔がないと思う。

2019-04-23

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

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