はてなキーワード: 掲示板とは
http://anond.hatelabo.jp/20170207203038
今回は、「こういう考え方の人間がたむろしてる掲示板」であることを
書きながら、あまりの幼稚さに呆れを通り越して、自分と他人の考え方の違いを許容できない、
目についた物が気に入らなければ当たり散らすという単純な思考回路に驚きました。
http://www.is702.jp/special/363/
実際に逮捕・補導された子供たちがよく口にする言葉です。掲示板に書き込んだ本人は軽い気持ちだったとしても、
書き込まれた内容を目にした人の中には、恐怖感や嫌悪感を抱く人もいます。それによって迷惑を被る人がいて、
警察に通報して捜査が進めば、威力業務妨害罪、脅迫罪、名誉棄損罪などの容疑者として、書き込んだ本人が検挙される可能性は少なくありません
http://www.is702.jp/special/364/
もし、自分のことが書かれていたらどんな気持ちになるでしょう? 自分がされて嫌なことは、人にもしないようにしましょう。
・人を怖がらせる内容を書き込まない
他人が嫌な気持ちになったり、不安や恐怖を感じるようなことは、絶対に書き込まないこと。警察が調べれば、誰が書いたのかわかります。冗談で書き込んだだけでも、逮捕され、犯罪者になる場合もあります。
子供向けの記事ですが、何がいけないのか、どうしていかなればいけないのか、というところが論理的に説明されている良記事だと思います。
また、上記のような、人としてあたりまえのこと書いてあるはずですが、それを理解できない人間が湧いているということを加味していただくと、最初の記事からの繰り返しとなりますが、晒し同盟がいかに取る足らない掲示板であるかがわかるかと思います。
それでは、本題に入ります。
799スレ
5:無名さん
いちおつ
読み手のこと考えないのは勝手だけどそれを言うならこっちがそんなサイト晒すのも勝手ってだけ
読み手様のことを考えてくれないならいじわるしてもいい、と臆面もなく書きこめる人間がこの世に存在することに背筋が寒くなります。
サイト管理人さんはこういうゴミを一人不愉快にさせたぜ、やったー、くらいの気持ちでいてくれたらと思います。
2/9 12:57
22:無名さん
2/9 23:45
削除
注意書きしてパスついてたら晒されないで済むのか
→いいえ。
おとりサイトのうち2つはパス付サイトでしたが、内容が痛いとのことで晒されました。
そのためのおとりサイトでしたが、痛いというのも主観でしかないと思うのですが、やはり住民は主観で不愉快を抑えきれず行動に移してしまうようです。
2/9 23:47
75:無名さん
注意書きあって裏にパスつけても晒し禁止と書いてあっても…そのサイトのルールは無視する
だけど、。使えばゴミ付きだとそれがルールだと言う同盟は狂ってるな…
→これがわかっていてやっているから本当にたちが悪い。
804
81:無名さん
晒し同盟を潰す?ってサイトは何で晒されやすいサイトの特徴とか書いてあげないんだろうか
こっちとしてはありがたいけど
2/13 19:35
83:無名さん
そりゃ晒したほうが100%悪くて自分に非はないと思ってるからでしょ
2/13 19:37
→痴漢した人が、痴漢された人へ「そんなハレンチな恰好をしているから悪い」と言っているのと同じ論理ではないでしょうか。
まるで晒した人間には非がないような書き方に、最近オチをしていて一番面白く、そして一番気持ち悪いし狂っていると思った書き込みです。晒した方が100%悪い。
85:無名さん
晒されるのが嫌なら非公開にするか文句のつけようがない作品書けばいいのに
→これも上記と同じで、痴漢した人が、痴漢された人へ「そんなハレンチな恰好をしているから悪い」と言っているのと同じ論理だと思います。
個人の行動に安全圏から暴言吐いて悦に浸っているのでしょうか、最近お子さんがいらっしゃる方が叩かれておりましたが、こんな親嫌だなどという書き込みをしている
子供を持った親が可哀そうです。親御さんの前でそのレス読み上げてみてはいかがでしょうか。
余談ではありますが、先日ツイッターで興味深いつぶやきを見つけましたので紹介させていただきます。
https://twitter.com/pinkyweb_tw/status/830364592945573888
自分のしたことに嫌悪感を示す人間が2割存在する。ネット掲示板に晒されたときは、まるで大多数の人がそう思っているかのように錯覚してしまいがち(晒し同盟はIDが出ないのでなおさら)ですが、たったの2割、いえきっと晒し同盟からのアクセス数からするとそれ以下の人数がわめいているだけです。
普通の常識ある人間なら、自分が不快になったものがあったとしても嫌がらせをしてやろうという気にはならないはずです。社会性のある人間なら、自分の嫌いなものを好む人間もいるということを、たくさんの価値観に触れることで学んでいるはずですから。
それができない、学ぶ機会が無かった、等様々な事情があるかと思います。
サイト管理人さんは、アッ友達や先生、親、親類、後輩先輩、上司、部下、近所の人に恵まれなかったんだな、くらいに思ってスルー(リファラ拒否は火に油です。相互リンクも切らず、ランキングも抜けず、数日サイトを触らないことをおすすめします)されるのが良いかと思います。
本当に取るに足らない私怨渦巻く底辺掲示板のために何件のサイトが閉鎖したかと思うと胸が痛みます。
どうか8割の閲覧者のためにサイトを存続していただければと思います。
本日は以上です。
ここまで大きな話になっていることを、正直、申し訳なく思います。
1998年~1999年頃(当時大学1~2年頃)に自分で便秘解消のために実践し、実際に効果があったと感じたのが最初です。
私が一人で勝手にやってればよかったのですが、ネットを検索しても同じことをしている記事や日記などは当時まだ無く、無いならこれは誰かと共有したいと思い、ネット上のあちこちのCGI掲示板などに出向いては、塩水で腸内洗浄できるよということを投稿して、自己顕示欲を満たす日々を続けていました。
尻から水分が勢い良く出ることに妙な快感があり、正直、病みつきになった時期もあります。頻度として週に2回以上行っていた時期があります。耳かきにハマるのと同じくらいの感覚です。一方で、塩水洗浄のし過ぎで痔ができやすくなり、疎遠になった時期もあります。
塩水の飲み過ぎは体に悪いという自覚はありましたが、若さゆえ死ぬことはないだろうという根拠なき自信のもとで行っていました。
さて、当時なぜ塩水を大量に飲むと腸内洗浄になるのかのメカニズムは自分でもよく分かっていませんでした。
一方で、ちゃんとした海水塩だと効果が大きく、いわゆる精製塩(食塩)ではほとんど効かないということも体感として持っていました。
次第に、塩水洗浄に必要な成分は、海水塩そのものではなく、海水塩に含まれる「にがり(塩化マグネシウム)」によるものが大きかったのかな??と感じることが増えてきました。いつだったか「おもいっきりテレビ」とかで「にがりダイエット」として放送されていたことが、気づきのキッカケになったと思います。「あるある大事典」だったかも。うろ覚え。
一旦気づきはしたものの、わざわざドラッグストアで買うほど積極的に「にがり」を入手したいわけでもなく、結局はそれを試すこと無く、手元にある「伯方の塩」などの海水塩を使用して続けました。
その後mixiに招待されてアカウントを作成してからも、塩水で腸内洗浄が簡単にできることをかなり長いことアピールしていました。
こうした投稿に対しあまり批判もされなかったことから、そこまで体に悪いことはしていないのだろうという感覚もありました。
次第に「塩水洗浄やってみたー☆」といった日記が増えてきたことに、嬉しさがありました。さらに「塩水洗浄ダイエットとは?」といった記事も増えてきて、このときは、いよいよ一般化してきたのだなあ、と、寂しさを覚えました。
(所で「ソルトウォーターバッシング」という言葉は、ごく最近に知りました。内容は同じです。ただ、この英語って塩風呂のことじゃなかったでしたっけ?いつからか意味が変わったんでしょうか。)
いずれにしてもキッチンにある調味料だけで実践できることが、塩水洗浄が流行りやすい理由の一つであろうと思います。
私自身は塩水洗浄に対して、今もそこまで批判的な立場ではありませんが、医療関係者の皆さんたちが警鐘を鳴らす通り、体に悪いということは今になって理解できます。
ただ、長いことやっていたのもあり、どうしても洗浄欲が出てくるため、最近は塩水を使うのではなく、マグネシウム系の下剤を使って同じ結果を得ています。
現在、腸内洗浄の目的で塩水を使用している人、あるいは、ちょっとやってみたいかもと思っている人は、できれば海水塩を使うのではなく、せめて「にがり」を薄めて飲むか「マグネシア」など市販のマグネシウム系の下剤をたくさんの水と一緒に飲むほうが安全ではあると自分なりに思っています。しかし私は医療関係者でも何でもありませんので、絶対おすすめしません。
以下感想
・試験の内容について
必修ブロック以外はそこまで難化していないと思う。一部?と思う問題があったもののヒントがあるし、使い回しの問題はあからさまに簡単な問題がチョイスされていたので
「ここは悩ませる問題でこの問題は確実に点とってほしい問題」というのがハッキリしていたと思う。
現場的な問題は増えたと思うし、疾患がわかっても、患者の状態を評価できないと解けない問題も結構あった。ここらへんをmedu4の某先生は良問だと評価しているのだと思う。
ただネットを見ると出題内容がおかしいという意見が結構。確かに変なこと聞くなあという問題が散見されたし全体を通して良い国試だったとは個人的には思えなかった。
必修は明らかに難化。とはいえ、臨床問題(文章題)については一日目の難易度に会場がざわついたものの二日目・三日目と徐々に簡単になっていったので
多くの受験者は三日間を平均すると8割に乗ったと思う。逆に一般問題(知識問題)は3日通して難化していたと思う。難化もそうだが何でこういうの出題するの?っていうのが多かった。
まずMLF症候群とか脊椎靭帯に関する解剖の問題が「必修」というのはおかしいと思うし、胃管に関する理念の問題はまあ良いとしても学生が実習で経験できない動脈穿刺の手技の問題出すのはどうかと。
必修といえど簡単すぎるのもどうかと思ったのか知らないけど、難易度以前に必修らしい問題がどういうものかをもう少し考えて出題してほしい。
選択肢もなんか微妙感じのが多くて掲示板でも割れまくってるような問題を必修にするのはやっぱりおかしいと思う。
まあ多分出題者も一般は配点低いからっていう理由で意図的に難しくしたのかな、とは思った。自分は一般75%臨床85%みたいな感じなので出題者の思惑通りの点のとり方したのかな。
・試験の結果について
まだお偉いさんが正式な回答を発表してるところがmedu4しかない(しそこも重いから見れない)けど、まぁ合格基準にはなんとか乗っていると思う。
少なくとも一般と臨床は7割くらいは取れてるし流石に落ちないと信じたい。
ただ、必修が今年からいきなり臨床と一般で各々、基準もうけるとかされたら落ちる可能性ある。必修だって掲示板が意見割れてる上に正式解答がハッキリしてないしね…
・実際の試験場の感じについて
殆どの人が大学単位の専属バスにのって、大学単位で注文してたお弁当食べてた。
自分は自力で会場行ったし、コンビニで食事してたけど周り見る限り立地が悪い会場だったので少なくとも移動バスは大学単位のを利用した方がいいと思った。
あたりを見回すと自大学の弁当は揚げ物ばっかりの胃に貯まるヤツで後輩のメッセージも「勝利」とだけ書かれたそっけないものだったけど
他の大学のはバランスが良くてお腹に優しい弁当の箱にムーミンとかのイラストが直筆で書かれてて後輩のホスピタリティの格差を感じられて面白かった。
会場内はいくつかの大学の学生が入り混じってるけど結構な人が立ち食いor椅子を持っていってまで知り合いと食事をしようとしてるのが少し気持ち悪かった。
自分は一切かかわらなかったが会場の外で(受験者以外会場内立入禁止なため)栄養ドリンクやチョコを持って待機してる後輩が散見された。
後輩自信に何のメリットがあるかわからないがあれは見てるだけで可愛いし癒された。
ただ、一つだけ言わせてもらうと仮にも医学部なんだから会場の近くでタバコ吸うのはやめたほうが良いと思う。
試験開始前の空き時間が非常にダルい。試験管理者の方がかならず20分近い事前説明をするから一時間の試験でもトータル1時間30分の作業になる。余りキリキリしてると精神がすり減る。
あと試験管理者に間違いなく当たりハズレがある。荷物の置き場所とかに細かい人とおおらかな人が居るのはまあ良いとしても、
何故か必ず問題冊子を画像冊子の下にのせて配る試験管がいて、自分の周りだけ試験開始までに試験の注意事項の1ページ目が読めないって状況が三日間ずっと続いた。
たった1ページの、何回も読み飽きた情報とはいえ、こういうのは不公平になるからやめてほしい。
それと、マークシートも縦長型と横長型が三日間ずっとどちらかで固定されるからこれも人によっては影響あると思った。自分は縦型だったけど模試で横型シートだとマークミス多いタイプだから助かった。
必修うけるときはメンタルが凄く大事だと思った。実際八割って結構キツイ。問題は一日分で30問あるけど実際は臨床問題の配点が三倍もあるから、
一日30題中の臨床問題15問で3ミスに抑えないといけないってことになる。今回みたいに問題が難しいと2つに絞れるけど最後が絞れないみたいな問題が一日に5問とか普通にあったりする。結構どぎまぎする。
当日に掲示板をみて答えを確認するかについては意見があるけど自分は絶対にやったほうが良いと思ってる。少なくとも必修はすべき。
メンタル弱い人はだめかもしれないけど、自分がどれくらいできてないのか、周りとどう考え方違うかはチェックしておいたほうが良い。
必修の難問は採点対象外になることがあるけど、問題が変でも皆がなんとなくあってるところは削除されないこともあるし、自分の間違え方・当たりが他の大多数と一致してるかは絶対確認すべき。
自分は一日目に考え方が違うのがわかって二日目から矯正してなんとか八割のれたと思ってる。
あと意外と同じような出題が多かったから掲示板で復習できるとちょっとお得。梅毒とか何回だすのって感じのも多いし、必修もやたら循環器・公衆衛生(臨床研究周り)・注射あたりの出題被りが多かった
・これからの国家試験の対策(もし落ちた時の自分の来年のためにも)
必修対策が絶対必要になったと思う。テコムとかmedu4とか多くの塾会社が口をそろえて
「必修で8割いかない人はそもそも一般・臨床で点が足りない。だから一般・臨床で合格ライン乗る勉強すれば必ず必修も合格してる」
みたいなこと言うけど今回の内容見るにこれからはそういうの通用しないと思う。
どうせ今回も難しい問題が除外問題になって調整されるんだろうけど(願望込み)、実際どれが除外になるかなんて偉い人の考え方一つだし、そんなの試験中の安心材料になんて全くならない。
それに、必修の内容が明らかに実践向けになってるから、一般・臨床向けの勉強だけじゃ通用しなくなってきてる。
「この病気のこの治療法はどの段階で有効でどんな人にだめなのか」を徹底的に覚えないといけない。とくに心筋梗塞とか脳梗塞とかの有名な救急疾患は絶対覚えないとだめ。
あと、手技的な出題が物凄い増えてるからこれも対策必須。動脈穿刺とか胃管挿入とかCSF採取とか皮内注射とか学生に経験させちゃいけないことでも平然とその手技の仕方が出題されてる。
手技の本で勉強することはこれからの国試考えると必須になると思う。
・塾講座について
すくなくとも国試直前講座についてはMECが結構的中していた。当日予想メール?もかなり当たっていたらしい。直前講座とかはMECに依存したほうが良いと思う。
通年講座はtecomとMECがあるけど個人的にはMECの方が良いのかなと思った。テコムは病態の学習には凄くいいんだけど、ノート取るのめんどくさいし今となってはmedu4の方が良いように思う
(tecomは大学単位で申し込むせいで五年にならないと動画見れないのもかなり痛い。)
あと年末から開催されるまとめ講座みたいなのはテコムのtargetとメックのsummarizeがあるけど、テコムは過去問の寄せ集めだから最新の話題仕入れたいならsummarizeのほうが良い。
全体を通して、これからは現場的な考えを教えてくれるMECが通年講座でも良いように感じた。
一方で模試はテコムのほうがオリジナル問題多いし、結構予想が当たっていたので模試はテコムをオススメする。
公衆衛生は自分はテコムでやってある程度出来るようになったけど評判悪いみたいなので一般的にはMEC+αで公衆衛生といった所だろうか
ぶっちゃけ基礎は殆ど訳に立たないと思う。強いて言えば病理と薬理、解剖当たりの考えが身についてる人だと4年からの勉強が楽になるのは間違いないけど。
周り見ても卒試国試に強いやつの中には一年から成績良かったやつもいるけど六年から勉強がんばり始めた人も沢山いるし。前半学年は、ゲームなり部活なり恋愛なり好きにすればいいと思う。
四年生の時の動画講座は何故かCBT用の内容絞ったやつがあるけどアレは全く意味ないからやらないほうが良いと思う。CBTはquestion bankやれば動画なんて全く要らない。
でも四年生のときは時間が沢山あるからこの時に自分でお金はらってmedu4の臓器別講座を授業で並行してやればいいと思う。授業では国試に向けて話すのにCBT部分だけ勉強するとか無駄すぎる。
大学の講座はどうせ授業中のプリントなんか捨てるんだから、medu4の国試用の臓器別講座のプリントかレビューブック当たりを持ち込んで授業でなるほどと思ったことを書き込めばいい。
よく塾会社の最新の話題当たって凄い~みたいな話あるけど、ぶっちゃけ四年生の授業で最近~ってのがありますって先生が言ってた所とほぼおなじだった。みんな大学の授業聞いてないんだなと思った。
国試の勉強でイヤーノートは個人的にはいらないと思う。高いし分厚すぎて持ち歩けない。中古のレビューブック買って過去問や動画講座みて学んだことを書き込むだけで十分合格点くらいは取れると思う。
ただ、レビューブックだけだと手技系とか各課の検査の基礎値とか心電図とかそういうのが弱いからそこだけは自分でノート作ったほうが良いかな。
六年のときは皆切羽詰まって勉強してるけど、受かるだけだったらそんなに勉強しなくて良いかも。結局1月から頑張れば就活卒試の勉強しっかりしてる人は大抵受かる。
人によるけど卒業試験終わってからの10月末~12月前半は遊んで良いと思う。この時期凄く安いし早めに卒業旅行でも良いと思ってる。
発言小町とか、アットコスメとか、女しか書き込まないサイトで意味もなく固有名詞が伏せ字になってるのよく見るんだけど、あれなんなの?
「我が家では10年以上ラ○オンさんのキ○イキレイを使っています!良い商品です!」って書いてたり。
それをレビューするページなんだけど、名前隠す意味はなんなの?
せっかく誉めてるのに、なんで隠すの?
「バー○ントカレーのルーが余ったのですが余りが使えるレシピありませんか」とか
「昨日放送のダ○ンタウンDXでベ○キーの不倫がネタになってたけど~」とか、こんな感じの文章よく見かけるけど
ほんと意味わかんない。何のために伏せてんの?
この文化無くなってほしい。
海外向けかと思ったら登録してる日本人も居るし、金奴隷解放宣言とか無断転載を粛々訴えるより
海外向けに絵を描いて適当に掲示板に貼って宣伝すればいい。月2ドルでの支援も50人居れば1万円。
あと専門ブログとかやってる人。それを武器にしてる事だからこそアドバイスとか出来るだろうし、
支援者には個別でアドバイスしますとかやれば普通に支援する人も居そう。
こんなこと言うと懐古厨とか言われそうだが、20年前のWeb1.0の時代と比べて、明らかにインターネット世界の文章のレベルが落ちている。
具体名は書かないが、とあるメジャーとは言えないスポーツの日本代表決定戦が先日あり、その内容を解説したコラムが某スポーツ系雑誌の公式サイトに書かれていた。
執筆者はその世界ではよく知られたライターであり、その人らしい、洞察に富んだ、かと言って煽動的でもない、かつボリュームの水増しもない、良質なコラムだった。判を押したような定型リライト記事ばかりのキュレーションサイトや、イケハヤやちきりん等に代表される、無駄に煽動的な炎上狙いのブログサイトとは大違い。
「2000年前後までのインターネットは、個人サイトでこのレベルの記事を一杯見れたよね??」
今と違い、キュレーションのパクり元に出来る公式サイトも揃っていない。
何かについて書きたい場合は、少なくともテレビで映像を見るか現地でライブで見た上で、本屋とかに行って専門誌に目を通して不足分を補完しないといけなかった。または、知人からフォローしてもらうか。
そして、ブロードバンドなんてないから、記事は出来るだけコンパクトにしないといけない。1ページあたり100KB未満が限度ラインとされていた。水増しなんてもっての外。
勿論、執筆対象には強い思い入れも持ち合わせていた。そうでなければ書けないからだ。
Web1.0の時代は、これらの障壁をクリアした素人ライターが一杯いた。彼らは報酬を求めなかった。アクセス数と、掲示板の書き込み、ゲストブックの登録が増えることが報酬代りだった。
中には物理的な報酬を求める人も居るには居た。その代表例が、あのDeNA村田マリである。彼女はWeb1.0時代の異端児だった。
今、当時の素人ライターの人達よりレベルが高いプロのライターは何人居るのだろう?勿論、キュレーションに関わる1円ライターや、炎上ブロガーは比較の対象ですらない。
自分の手と足と目を駆使してネタを仕入れ、まとめ、想いを込めて発表する。これが出来てる記事の割合が激減したのが、今のインターネット上のテキスト達である。
以前は「ねとらぼ」とか見ていたけど、猫記事が異様に増えた時期があって
記事一覧が猫だらけになったんでやめた。
今は「GIGAZINE」を見るようになっていたんだけど、最近やっぱり猫推しが酷くなってきて、
そういうのが世の中の風潮なんだろうか?
あまりにも猫推しが最近酷すぎて、食傷気味ですっかり嫌いになってしまった。
好みは自由だけど、猫好き以外の人にまで押しつけるのはどうかと思う。
動物を扱った掲示板で「ハムスターの可愛い画像」や「ワンコの可愛い画像」を
募集しているスレッドでもいきなり「うちのかわいい猫も見て」って猫好きの人は貼ったりする。
そういうのも嫌われる原因だと思うけどな。
ADHD診断済の者です。
ここ最近、借金玉氏のブログ(http://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事が話題を呼ぶのを見て、にわかにはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています。
そのコメントとは、id:Outfielder 氏の
知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないから高校受験で詰んでしまい人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある
というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。
自分がそれ、と言っても結局中学は公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています。
でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます。
(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD的衝動によるものが本心です)
子供の時から、自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります。
(絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)
問題のポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいから中学受験に向けた塾通いをするようになります。
しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験、しかも提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境に自分のストレス耐性がピークに達してしまった気がします。
と同時に、なぜ今の小学校の友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。
結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達の安心感たるや今でも思い出します。
この公立中学が地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…
が、
心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。
まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネットに桃源郷を見出してしまいました。
テレホタイムは親のPCでこそこそチャットや掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)
今思えば、このあたりもADHDの衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。
はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。
中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)
なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由が言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的な雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。
気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。
多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・」
その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校に一年から入り直すことになります。
ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害、ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。
それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)
そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。
特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分の特性に合ったジャンルを先生が見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります。
その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。
2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクでしょうが、世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。
そして自分の学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います。
興味のある授業内容、自由な雰囲気のキャンパス、そしてどことなく普通じゃない人達の集まる文化系サークルに出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分の人生が本格的に始まった感じがしました。
色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。
就活は例に漏れず苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。
そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・。
といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます。会社に数日行けなくなりました。
体が動きません。会社のメールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。
それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。
メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。
ADHD的に特に難しかったのは、やはり外部とのコミュニケーション、スケジュール管理、企画書作成といったところでしょうか。
これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。
それがここ1年ほどのことです。
再びクリニック通いを再開し、軽うつに対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境で仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。
そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。
それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。
その後、自分はADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります。
中学受験・高校・社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師の理解やサポート、たまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度を回復させていけるようになりました。
中学受験に成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折を経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活の見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います。
一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。
書き起こしたのが2/6なので、2/5のことをずっと“昨日”と呼ばわってますが、お許しを。
2/5(日)。デビュー5周年を迎えたばかりのジャニーズ某5人組の5周年おめでとうイベントに行った。
その5人組はジャニーズ内では世間的認知度がたぶんいちばん低くて、このグループが好きなんだよねって言っても誰?って言われることが多い。
それでも約1年前に本格的に沼落ちしてからわたしはこの5人をずっといちばんに応援してきた。彼らはデビュー前にも長い歴史がある上にファンも古株が多いので、度々自分の担歴の浅さに苦しみながらも5人の今とこれからを見守りたくて全力で追いかけてきた。
今まで色々なグループを見てきたけど、正直この1年間がどのグループを応援していた時より充実していて楽しくてしょうがなかった。知名度の低さや売上の伸びなさに勝手に悩むのも、今までなかったことだから正直新鮮で楽しかった。メンバーの1人がオリコン1位を獲りたいと言うから最新シングルは僅かなバイト代から捻出して15枚買ったし、ドームに立ちたいと言えば絶対に同じ景色見ようねっていちいち勝手に決意を新たにしてきた。
昨日のイベントは最新のシングルCDに封入されていた参加券があれば誰でも参加できるというものだった。ポスターお渡し会という名のハイタッチ会である。担当している人のみならず他グループを担当している人なども数多く来ていて、それはそれは盛況だった。2ループまでという制限だったのでわたしはもちろん2ループした。待ち時間はほとんど屋内だったし、長い待ち時間を気遣ってか歴代MVも放映されていたので思ってたよりはつらくなかった。いや、やっぱりちょっと嘘。室内は空気も悪かったし、MVは観すぎてもう向こう3ヵ月くらいは観たくなくなった。1ループ目と2ループ目で合計9時間くらい待った。
結局2回とも剥がしが早すぎて言いたいことなんて何も言えなかった。まあハイタッチ会に何を求めているんだと言われたらそれはそうなのだけど。2回目なんてメンバーは10時間くらいオタクとハイタッチし続けているから明らかに疲れが滲んでいて。
実は去年同様のイベントがあって、それは抽選だったのだけど、それに参加していたわたしは正直ちょっと物足りなかった。
どんなに疲れていてもありがとう、と目を見て伝えてくれる5人のことはやっぱり大好きだなと改めて思った。でも、正直去年の方がおいしかったなとも思ってしまった。売れてほしい売れてほしいと言いながらも現状を手放したくない自分に気付いてしまって、嫌になった。
最近某掲示板で、実際彼らは現状のままでいいと思わない?というスレがあった。そのスレには今後も活動を続けていける程度の勢いを維持してくれればいいとか、倍率も低いし相場も安い今がいちばんとか、おいしい思いしたいから売れなくていいとか、そんな意見がたくさん並んでいた。
わたしは5人が売れたいと言うなら、ドームに立ちたいと言うなら、それを全力で応援するのがわたしの役目だと信じて疑っていなかったし、彼らのペンライト一色に染まるドームの景色を見せてあげたいと心の底から思っていたので、正直驚きしかなかったし、そんなにいい思いしたいならJrにでも降りてろよと思った。わたしは彼らの意思より自分の利益を尊重するようなこの人たちとは違うと思った。
でも、昨日のイベントで、たしかにわたしも少なからず思ってしまったのだ、これ以上遠くに行ってしまったらどうしよう、と。
昨日のイベントは本当に色々な人が絶賛していた。多くの担当がますます彼らが好きになったと幸せに満ちたツイートをしているし、他担も彼らの顔の綺麗さとか優しさとか対応とかにとにかく感激してくれている。これがきっかけで彼らを好きになってくれた人も少なからずいるだろう。
なのにわたしは、ハイタッチじゃ飽き足らず、去年のことを思い出してはやっぱりあっちのほうがおいしかった、今回も抽選でよかったのにと心のどこかで思ってしまった。ハイタッチできただけで幸せとか思えなくなった。誰より彼らに売れてほしいと思っていたはずなのに、彼らが売れるための心の準備なんて微塵もできてなかった自分を知ってしまった。
10時間以上も絶えずファンと接触しながら笑顔を絶やさなかった彼らの優しさを知っているのに、彼らの優しさと愛をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのに、これじゃわたしはあの掲示板の人たちと同じだ。
5年後も、10年後も、その先も、彼らと同じ景色を見ていたい。できることならもっと大きなところで。なのに、もっといい思いしたいとも思っている自分がいて、矛盾しすぎて腹が立つ。もっと大きくなったら、こんな風に気軽にハイタッチすることすら叶わなくなることもわかっているのに。
正直、思ってたようなリアクションが返ってこなかったことによる僻みが少なからずあるっていうのは自分でもわかっているんだけど笑。
たくさんの人の、彼らへの愛を再確認した愛いっぱいのツイートを見ては自分の心の狭さにうんざりした。おめでとうと、ありがとうだけの気持ちで終われなかった自分に、いつの間にかこんなに強欲になっていた自分に。
帰ってから、5人から直接もらったポスターと、入場のときに手の甲に押されたスタンプを見つめて泣いた。シングル買えば誰でも行けるなんて無謀に決まってるイベントを決行してくれた5人の思いにやっと気付いて、祝うためじゃなくありがとうを言うためでもなく、ただ自分の欲を満たすためだけにあの場にいた自分のあさましさを笑った。おめでとう、ありがとう、その10文字をもっと全力で伝えたかったと思った。
今さら何を思ったって遅いし、もう二度と接触の機会なんてないのかもしれない。だってわたしは5人がもっと大きくなることを望んでたんだから。そう考えてまた泣いた。
数年前まで7万人入るスタジアムのてっぺんから米粒くらいのアイドルを応援して満足していたわたしはすっかり欲張りになってしまった。8年応援したあの人たちに、わたしは指1本だって触れることはなかったのに。
オリコンランキングを毎日毎日チェックしてはもっと買い足さなきゃだめかなって心配したりすることがないくらいに。
今年もやるよ!って、当たり前にドームに立てるくらいに。
昔は接触イベントもやったね、今やったら大変なことになるね、って言えるくらいに。
豆粒になっても、米粒になっても、ゴマ粒くらいになっても、当たり前のようにハイタッチしたことが夢だったんじゃないかと思えるくらいになっても。まだ少しだけ心の準備が足りてないけど、5人が目指す未来を、これからもずっと応援しています。
でも、もう少しだけでいいから、ほんの少しでいいから、今を満喫させてください。
色々書いたけど、やっぱり世界一の5人だと胸を張って言えます。
クタクタになったし、ちょっとだけほろ苦い思い出になりそうだけど、今日も5人の笑顔と歌声で元気になっちゃったよ。
未来がどうなるかなんてわからないけど、5人の笑顔が好きだからどこまでもついていきたい。気付いたらすごいとこにいるんじゃないかな。だってわたしが好きになったのは世界最強の5人だから。
5周年、本当におめでとう。そして、ありがとう。
といっても俺はimgしかしらないのでimg板の話だ。
相も変わらずツイピクによるスレ立てが多い。
まず説明する。
delボタンを使って通報される数が一定数を超えると匿名性のある掲示板なのに
なので、スレ立てした内容が荒れネタの場合、スレ主(imgではスレ「」と書く)のidが出てきてしまう。
これなら例えスレ「」にidが出ても、自演がバレることはない。
そもそもルーパチすればid外れるので、idにどれほど意味があるのか。それはまあいい。
トゥギャッターやツイッターで上げてリツイート稼ぎしているのを
逆にまたimgがツイピクしているという双方向性通信を行っている。馬鹿か。
ソシャゲや実況スレが流行っているのだから、当然と言えば当然である。
なぜならそれらを好む層はまたツイッターなどほかのSNSも併用しているからだ。
かくしてそれらが多数派となったimg板ではそれらを嫌う人間こそが少数派でありお客様なのだ。
いずれは「冬のナマズのように」なども大流行してしまうことだろう。
多くの人がツイッターやFacebookなどで冬のナマズネタを使っているところを想像する。楽しみだ。大人しくなってしまう。
起きると寝室には家内も猫もいない。階下におりる。テーブルの上に自治会のチラシがまとまってある。区からのお知らせだ。
のっそりと着替えて顔を洗い、食洗機に洗い物を入れる。
チラシを持って、各家のポストに入れて回る。
ちょうど家から住人が出てきたので、挨拶をするが訝しげな顔をされる。これだけ朝早いのだ。仕方がない。
掲示板にもチラシを貼る。全部で10枚ほど。上下左右をきれいにあわせて、近くから、遠くから眺め貼り具合を確認する。今日もバッチリだ。
実際はアニメを見ていないのにSNSで語られる内容だけで知識を取得し二次創作などで見た気分になってにわか知識で語ってくる現象(ファントムアニメ現象と呼ぶ)があるため
よく尻もしない相手とオタクだからという理由だけで語り合いたいなどとは全く思わない
そもそも自分の好きな作品の良さを他人を介して再確認する必要性がない
オタクという時、自動的に「アニオタ」やら「ゲーオタ」を指しちゃう人らってなんなんだろな。
ま、それはともかくとして。
ちなみに、昔だって各人バラバラで、マイナーなゲームを好きな人はブログや掲示板で同好の士を探したものだ。
15年くらい前の話だ。
「うぐぅ」だって「了承(一秒)」だって、通じない人には全然通じなかったし、
そうかと思えば「海を見た。もう怖くない。」が刺さる人もそれなりに居たり、
まぁ楽しかった。
「昔は話が通じた」と勘違いしてるのは、自分が話が合う所(興味のあるところ)へ積極的に顔を出していたからで
そうして繋がった仲間と「今」会話が通じないのは、それぞれ違うものを見てるから。
小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から「受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。
それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。
そもそも自分は中学受験の必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲に私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離の私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。
通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生がバイクで走り回るなんてことはザラにあった。
力の強いやつが偉い、という暴力的な世界ではあったし、自分はクラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。
その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学も東大・京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。
自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブなイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。
私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間が私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである。公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的に比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。
4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分は公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。
先に述べた通り自分は田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。
息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。
最終的に私立中を受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。
しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親は絶対私立派、父である自分は公立肯定派ではあるが私立も別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな。
仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?
当時の息子の塾での成績からすると、その学校はちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。
聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校の東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しかし自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大に合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生が東大に合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。
「中学に合格した直後が自分の人生のピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校に合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。
本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というものは一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずにはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。
人生のピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験ごときで限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。
息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭を見学して自由な雰囲気が気に入った」ということらしい。しかし文化祭や体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である。
だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初に見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれた学校観を友達に披露するような子もいたのではなかろうか。
いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である。
しかし公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値やステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である。
息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校を自分で見極めることにした。
6年生の春になってから、候補となりそうな中学の学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分が中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。
正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しかし校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的なカリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。
なるほど、これが私立か。
確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。
さあ、本人を説得だ。
仕事でクライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングのテレビに映して、自分の気に入った学校に誘導するプレゼンを行った。
学校選びに関する様々な観点を提示し、各候補校のメリット・デメリットを説明した。内容を正しく理解すれば、自然と自分の勧める学校が第一志望になるはずの渾身のプレゼンである。
そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来からの御三家校の名前を挙げた...。自分のプレゼンは何の効果も発揮しなかった。
説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後の最後に説得が成功すればいい。
夏休みが明けると生活は受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。
しかし、塾以外での勉強時間は特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリの時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。
テレビやマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)
ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。
しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月頃からは御三家校を完全に射程に捉えた。
その後は概ね合格圏内をキープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分の見立てた通りのシナリオだった。
第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分のお勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。
この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。
が、残念ながら不合格。
さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事。
「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功に必要な過程のひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」
午後に受けた学校は当日夜にインターネットで合格発表があり、めでたく合格!この学校も自分の評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である。
父お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ。合格発表は翌日朝。
受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校の合格発表の時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...
うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。
実のところこの学校、偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問をちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。
午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校の合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである。
緊張の一瞬。
遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。
合格。
父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。
そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝の言葉をもらえるとは思ってもみなかった。
また、自身の合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。
自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。
それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分の人生を自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。
自由な校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。
(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)
来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものはほとんどない。
息子の受験は成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針や戦略はあくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。
あえて言うなら、
以上、長文乱筆失礼致しました。
この節ではライブ音源を礎と築いた伝説とまで称されるマイク・ミラードという人物を紹介しよう。
彼自身に関してはWikipediaをはじめとして、雑誌の特集や個人のブログ記事を通して幅広い話題があるので人物名のみの紹介で割愛する。
前節でも話に触れたマイク・ミラードが伝説のテーパーと言われる所以は、何も伝説と称される名演を残したことだけではない。
本人の意図せぬ部分である可能性はあるが、彼の歩む足跡に付随したテープ・トレード文化の発展に貢献した軌跡である。
本稿はテーピング・ポリシーに則ったアーティストのテープ・トレードの文化に対して触れることはない。
確固たるシステム、または精神が介在することのない海賊版の流通経路、関わる人間達の側面に対して潜考するための草稿である。
容赦願いたい。
マイク・ミラードがパラノイアと誇張表現を得るまでに至るには、収集家、好事家といった類の人種が関与する。
聖地と呼ばれる西新宿で販売される製品も、データを取り出した後は製品としての価値が形骸化する。
生産数が限られた廃盤製品とは違い、複製されることが前提であるブートレグは実物として鑑賞に耐えうる強度を持たない。
昨日の日付の演奏も、インターネットの海を眺めれば数時間もしない間に流布されたライブ音源を入手出来る。
それは砂浜に漂着した瓶詰め入りの手紙のように。
収集物に関しては興味を持たない人間には一銭の価値も感じられないものが多い。
生前の身内のコレクションを二束三文で手放したという事例を耳にする限りでは少ない話ではない。
"事物が本来の実用的な機能から切り離されて日常とは別の体系に組み込まれること"という哲学者が打ち立てたコレクションの定義を借りて、ブートレグ・コレクターを表するなら鑑賞を前提としない膨大な演奏の記録を持つ人種である。
だが、彼らのコレクションがアーカイブとして日の目を見る日は来ない。
密造酒は興味を持たない人間には味を噛み締めながら酔うことは叶わない。
それは味を理解出来る人間にしか味を説明出来ないことでもあり、コレクターが希少価値を訴える相手が同種の人間に限られる。
マイク・ミラードは自身の録音が外部に供給されないようにテープにデジタル信号を付加するなどの工程を経た。
それは自身の録音のコピーが出回った際に誰が流布したか把握するように念を押した作業であった。
現在では容易にミラード・テープを見つけることが出来るが、当時は残したアーティストの演奏の内容、また入手のし難さから数多くの好事家が録音を欲した。
中には彼の死後に彼の生家を訪ねた者もいるという。
趣味で集め始めた者がいつしかコレクションの穴埋めをするという脅迫観念に囚われ、寄生した。
彼が懸念した事態は奇しくもミラード・テープを愛する人物達からの評価と、年月を経たテープ・トレード文化の発展の影に忘れ去られた。
市場が介在しない空間で語られる希少価値という曖昧な価値観に汚染された人種はやがて、パラサイトとなる。
マイク・ミラードが残した同時期から日本でも同じ状況であり、秘密裏に録音された多数のライブ・テープが存在する。
古くは音楽雑誌での投稿コーナー、インターネット黎明期に於いてはファイル共有ソフト、好きな内容を書き込むことの出来る掲示板まで、ライブ会場で知り合ったアーティストのファン同士の交流から、現在ではSNSまで水面下ではあるが数多くのブートレグが生産され、流通する。
Dead Headsに倣うように群れを成して活動した録音者達が、日本のアーティストの録音を販売したことで逮捕される事案も聞かない話ではない。
YouTubeから連なる動画共有サイトでも初期の段階では、日本のアーティストの動画も数多く見受けられた。エンコード情報を消す手段を知らない者から得られなかった者に供給される状況は、テープ・ヴァインに連なってコンパクトカセットかDATを使用しダビングによる劣化する状況を再現する。
とあるアーティストのニコニコ大百科の項目では、ブートレグの存在を明記されるほど動画共有サイトの発展は影響を及ぼした。
ともあれ、YouTubeでも著作権侵害での削除要請が相次ぎ、現在では日本のアーティストのライブ録音を公に聞ける場面は少ない。
コンサートワッチを嗜む人間は録音現場であるライブ会場で知り合うこともあり、時には機材者の駐車場の取り合いになることもある。
デビューを前提に結成されたアーティストではデビューからブレイクに至るまで、また精力的に活動する現在までの公演の80%の記録が現存すると言われている。
現在ではマスタリングの手法が容易になったこと、高品質の内臓マイクを備えた録音機材が安価であることも鑑みると簡単にミラード・テープに匹敵すると言っても過言ではない録音を生産出来る。またスマートフォンの流行による簡易的な録音も存在する。
特に売上の上位に列なるアーティストの大規模なツアーが行われる期間には、音楽交換掲示板の投稿の量も膨大に膨れ上がる。
彼らの多くはメールで連絡を募り、アップローダーを利用したオンライン・トレードを行う。
海外ではDimeを中心とした界隈があるが、ライブ会場に足を運べなかったファンが、その日の間に新しい演奏を聞こうとするのは日本でも難しいことではない。
時にテーパー、トレーダーの各種が集う場所には目的の物を耳にすることで出来なかった愚痴や被害報告の類も見受けられるが、
ライブ会場でのアナウンスにもあるように禁止行為ということを理解しながら禁忌に触れようとする連中である。
善も悪もないのが前提だ。
表立って行動しない録音者から音源を入手した後に、希少価値を訴え、人の褌で相撲を取るトレーダーも一定数はいる。
マイク・ミラードが至った思考は時代のうねりを渡ろうと、現在のテーパーにも精神は濃厚に受け継がれる。
( 4 ) 決別
筆者自身も隠しもしないがテーパーであり、コレクターでもある。過去形だが。
ひとつの音声ファイルでも再生時間は数時間になり、非可逆圧縮音源だとしても保存容量は比例して肥大化する。
ブートレグを入手することのメリットを語るとすれば、自身の生前以前のライブ音源を聴けることや限られた会場でのみ披露された楽曲を聴けることであろう。
だが、マイク・ミラードが録音を残したことは後世を憂いてのことではない。彼は自身の録音が拡散されることを望まなかった。
彼の近親者のみが入手したfirst-generation copiesと呼ばれる最初のコピーは、彼の直筆のイラストや文字が散りばめられ包装としても凝ったものであった。
簡素なダビングでも済む作業に余計な一手間を付け足したのは、彼がパラノイアであったからではない。
喜ばせることを前提として、実物としての鑑賞にも耐え得る付加価値を生み出そうとしたからだ。
複製の芸術でもある写真を表現手段と選択するアーティストは生産数を限定して、価値を高める。
現在、流通するミレード・テープのコピーに彼の意思は介在しない。
それは現在でも同様に個の間柄から逸脱しては配布されるブートレグに於いては録音者自身の意図は抜け落ちる。
ミラード・テープの精神はテープ・トレードの文化で生まれた星の数ほどあるブートレグにも共通する。
またテーピング・ポリシーを持たないアーティストのファンの間では、流通しないライブ・テープを持ち合わせないトレーダーは相手にもされない。
テーパー同士の限られた関係性の中でしか交換されることのない録音も存在する。同時に寄生虫は繁殖する。
自身の経験を振り返っても、総再生時間にして年単位に匹敵する膨大なライブ音源を耳にすることはない。
愛着と思い入れのあるブートレグ、またはテーパーとしての自身の録音を耳にすることの方が有意義であろう。
ライブ音源を耳することの最大限の感情の再現性にある。時にライブ会場の音響よりも優れた音質で聞かれる演奏には違った感情が湧き上がるかも知れない。
アーティストの込めた感情は違った形ではあるにしろ、いつか聞きたい者の耳に届くことだろう。
パラサイトから見れば喉から手が出るほど欲するブートレグの大半のデータを削除した。
人生を賭けて手に入れようとしたライブ・テープを入手した時から遅かれ早かれ決断しようとしたが、この瞬間に決別をしよう。
ミラード・テープは彼の友人のために。何より彼自身のためにある。我がテープは我が友のために、誰より私のためにある。
Thank You Tapers. I Love You Baby. Fuck You Traders. I Hate You Baby.
ただの愚痴と、いざという時に正式な資料をつくるための参考にする備忘録である。
記述した内容は概ね事実そのままだが、説明すると長くなるような背景事情は省いたり、役職名などは便宜上適当に置き換えている。
最近、勤めていたA社を退職して、プチ競合のような、若干事業領域が重なる業種で独立起業した。
A社の事業は、エンドクライアントから発注を受けた制作物を、A社が持つ外注ネットワーク(外注先が自らA社のシステムに外注先候補として会員登録を行う仕組み)を駆使して制作し納品する、というクリエイティブ系のtoBサービス業である。
A社には、この主力事業を統括する事業部長職として入社したが、社長と壊滅的に相性が合わず、短い期間で退社することとなった。
社長とその取り巻きから理不尽な陰口を言われ続ける日々のストレスはハンパなかった。
もしかすると僕が本当に陰口を言われるに値する無能だった可能性はあるが、それはこの愚痴の本筋とは関係がないので触れずにおく。
退職の際は、社長のさらに上位である会長に「独立起業したいと思っている」旨を相談した。近しい業種ということもあり、後々トラブルになることを避けるため、予定している事業内容の説明など数回の打ち合わせを行い、競業避止義務に関して退職時の誓約書の文面を一部書き換えてもらうなど例外的な対応もお願いしたが、すべて快く対応してもらい、最終出社日には「近い業界なのでこの先また何か縁があれば」と明るく送り出してくれた。
会長は若くしてこの事業を立ち上げて成功に導いた人で、歳は僕よりもだいぶ下だが、会話の物腰も柔らかく人当たりも良いため、人間としてとても尊敬していた。
昼寝の最中だったので寝ぼけつつ電話に出ると、開口一番、聞いたことのない淡々とした口調で「増田さんのA社在職中の問題行為、不正行為について調査をしている」と言われ、
(1)「外注先リスト」のCSVデータを業務の基幹システムから書き出した
(2)外注先に接触を行った
(3)従業員の引き抜きを行おうとした
という3点を指摘され、「民事訴訟や刑事告訴の検討をしている」と告げられた。
「弁護士先生の話では、刑事事件だと1〜3年の懲役になる内容ですね」「どう対処するかは弁護士先生や役会と検討して決定しますが、まずは当該行為をやめてほしくて連絡しました」とのことだった。(どう頑張っても民事の範囲にしか思えないのだが、何の罪の構成要件を満たすのかはわからなかった)
寝起きで頭が回ってないうえに意味が分からない点が多かったので、「とりあえずお話は伺いました」といったような中身のない返事をして通話を終えた。
「また連絡する」と言われたので『待ち』のつもりでいたのだが、「訴訟」「刑事告訴」だのと穏やかではないキーワードが出ていたうえに、よくよく考えてやはり言っていることの意味が分からずムカついてきたので、愚痴の吐き出しと、自分の中での記憶と事実整理のために本件に関する僕の見解を記録しておく。
A社の業務基幹システム(制作物にマッチした外注先などを検索するシステム)には、外注先DBの情報をCSVで書き出す機能がある。Excelなどでのデータの分析・加工や、メールニュースを配信する際にメールアドレスを書き出して社外の配信システムに流し込むといった用途を想定しているものだ。
個人情報を含む情報であるため、セキュリティ上、この機能を使用すると、データ出力を実行したユーザーの名前と日時が記録されるようになっている。
恐らくはこの書き出しログに退職間際の僕の名前を見つけたのだろう。事実、僕は最終出社日の当日か前日かといったタイミングでデータの書き出しを行っている。
が、それは社長命令によるプロジェクトでそのデータを使用するためだ。
具体的には、外注先向けの発注書といった書類を自動で作成・出力するシステムを組むというプロジェクトだったのだが、このシステムは基幹システムとはAPI等で接続されていないため独自に外注先DBを持つ必要があり、そのDBを構築するための元データとして、基幹システムから書き出したCSVを使用した。
このことは、僕の退職後にこの書類発行システムのメンテを担当することになる人間への引き継ぎの際、外注先DBは基幹システムと同期していないため定期的に基幹システムから出力したCSVをマスターデータとして更新をかける必要があることの説明と、CSVデータをDBにインポートする方法の実演まで行っている。
確固たる理由があり、社長命令を遂行するためにデータを書き出したのである。書き出しログが残っていて当たり前だ。
そしてこの話の面白いところは、この基幹システムに「CSV書き出し機能」の実装を決定し、仕様検討、要件定義を行ったのが僕自身だということだ。
そもそも僕は長年IT業界で勤めてきたため職種こそエンジニアではないもののWEB開発の基本知識はあり、職務上、直接本番サーバー上のDBにアクセスできる権限も持っていたので、このCSV書き出し機能を使用せずともデータを丸ごとダンプすることが可能だし、sudoも打てるのでいざとなれば痕跡を消し去ることも可能だ。
痕跡を残さず直接DBからデータを抜ける権限とリテラシーを持った人間が、「確実に足跡が残る」ように自ら仕様を決めたデータ書き出し機能を使用するだろうか。しねぇよ。
足跡が残っている理由も社長命令プロジェクトのためだということは、書類発行システムを引き継いだ人間に確認を取ればすぐ判明する話だ。
ろくに経緯調査もせず、ログだけを見て「データを不正に書き出している!」と脊髄反射的に反応したのであろう。
なお当然ながら、僕の基幹システムのアカウントは最終出社日をもって停止させられている。
事実として掴んでいるのか、「リストを書き出したのだからきっと」と勘で言っているだけなのかは不明だが、外注先へのコンタクトは確かに行った。
A社時代にお世話になった一部の外注先へ「増田会社では制作を手伝っていただける外注先を探しております」といったメールを送ったり、僕の個人的なTwitterアカウントでいわゆる「拡散希望」として外注先を募集した際にリプライやDMをくれた人の中に、偶然A社でも世話になった外注さんがいたりもした。
が、これらは問題なのだろうか。
「クライアント」への接触(営業活動)をして、本来であればA社が受注していた案件を横取りしたとかであれば、独立時トラブルの代表例だし、訴訟というキーワードが出てくるのも理解できる。
しかし今回問題と指摘されたのは「クライアント」ではなく「外注先」である。
外注先候補の数が多ければ多いほど生産性も上がり有利な業界なのは確かなので、仮に(1)の外注先リストを不正に持ち帰ったりしていて、A社が持つ数千件の外注先に一斉に無差別メールでも配信したのであれば、それはそれでA社の資産であるリストを持ち出したという点で問題にでもなりそうだが、コンタクトを取ったのは信頼のおける仕事ぶりだったため名前を認識していた人や、A社在職中に何度かやりとりをさせていただいていて交流があった一部の方々だ。(VCマネーも入り数億の資本を持つA社と、小学生のお年玉みたいな資本金で設立して従業員は僕1名の増田会社とでは事業規模も違いすぎるので、数千の外注など管理していられない。)
それに、外注先はみなWebサイトなどで「お仕事募集しています」と意思表示をしているフリーランスの方々である。
コンタクトを取った際も、文面上「元A社の増田です」と言ったときはA社の問い合わせ窓口や僕の後任の紹介に加え「引き続きA社もよろしくお願いいたします」とフォローを入れたし、僕の名前を知らないであろう人には「増田会社と申します」とまったくの新規会社としてアプローチを行っている。
仕事を募集しているフリーランスに増田会社が仕事の相談をすることがA社にとって問題になるのだろうか。「増田会社の仕事でスケジュール取られたら困る、損害だ」という理屈だろうか。それとも「この優秀な外注先を発掘したのはA社だ、だから増田会社は使うな」というジャイアニズムだろうか。だったら全世界に発信している「お仕事募集しています」Webサイトを取り下げさせて、専属契約でもすれば良い。
こればっかりは「理解できない」としかコメントができない。もし僕の感覚の方がおかしいと思う人がいたらブコメででも教えてほしい。
これは正直ちょっと複雑な話ではある。
退職を社内告知する間際の某日、社外MTGの行き帰り、仲の良い(と、僕は思っていた)部下Aに「退職して、現職に近い業種で起業する」ことを打ち明けた。
それに対する反応は「自分も今のA社の環境に嫌気がさしている。先は長くないかもしれない。」というものだった。
僕が起業予定の会社計画などを話すうち、言われたのが「増田さんの会社で雇ってもらえたらA社辞めれるんですけどね」だった。
これは、正直嬉しい言葉だった。設立したての小さい会社で働くなんて、よほど相手を信用していなければできない。お世辞や冗談の類かとも思ったが、働くと仮定した場合の待遇の話や、増田会社での業務の進め方など、具体的な質問や話題が多く出た。「これは本気で考えてくれているのかもしれない」と思った。
従業員の引き抜きは禁止されているので僕自身が明確に「うちに来てくれ」と引っぱることは信義則に反するが、誰しも職業選択の自由があり、自らの意思で転職をするのであれば法的にはA社が止める権利はない。
A社退職時には同業種へ転職禁止の競業避止義務についての同意書を書かされるのだが、以前別の部下から「競合のB社に転職したい」と相談されたときには、A社の管理部(人事・法務などバックオフィス統括部署)に確認を取り、「一応サインはしてもらってはいるが、A社の企業秘密を流出したりさせない限り実際のところ転職先に制限をかけることはない」と回答を得ていたので、今回の部下Aについても、社長、会長への事前の説明など、A社への筋を通せば実現不可能なものではないと考えた。
その後も、部下Aからは「増田さんの会社に入社するとしたら何月頃が良いとかありますか?」といった質問を何度か受け、温度感は維持しているもののとくに結論は出さないまま、僕は最終出社日を迎えた。
退職後して少し経った頃。この部下Aが本当に増田会社に転職してくるのかどうか次第で今後の事業計画も変わってくるため、一応「情報交換なども兼ねて近々飲みに行かないか?」とLINEで声をかけた。それ対する回答は「やはり転職はお断りしたい」だった。
少し残念な気持ちはありつつも、「誰かの人生を背負わなくて良いんだ」という安心感と、それと正直、この部下Aの仕事ぶりに関しては若干の不安(仕事をこなすスピードなどは社内ダントツだが、細部が粗かった)があったこともあり、僕は「それなら仕方ないですね」とあっさりと承諾した。
飲みも、お互い仕事の愚痴ばかり言い合う生産性のない会になってしまいそうなので、またいつかにしましょうと返信し、この話は終わった。
しかし僕はこの断りの会話に少々の違和感を覚えた。A社在職中は毎日会話をしていた部下だ。微細な言葉選びの違いや、「なぜ急にこのタイミングでその結論に?」など、引っかかるポイントがいくつかあった。
僕の中で出した結論は、「増田会社に転職する可能性があったことがA社にバレている。かつ、A社からストップをかけられたか、A社に何かしらネガティヴ情報を吹き込まれている。」だ。
詳細を記すと長くなるので省略するが、退職間際に発生していたトラブルを解決するため、独立することを打ち明けていた一部の取引先に対しては、「増田会社にそのうち部下Aが合流するかもしれない」と伝えていた。
前述の通り、増田会社への転職は筋さえ通せればやましい話ではないので、この連絡はA社のメールアドレスから堂々と送っている。
僕の退職後にこのメールのログをA社が見れば「部下Aの引き抜きを行おうとしている」と受け取るだろうし、部下AがA社に「増田会社に誘われた」という表現で報告をしていたとしても同様だ。
しかしいずれにせよ、実際には「増田会社に転職していない」以上、A社には何ら損害が発生しておらず、この話をもって訴訟を起こすとは考えにくい。
よって、A社が言う「民事訴訟、刑事告訴」は(1)(2)のいずれかに対してであり、この(3)については「このことも知ってるぞ」というただの威嚇でしかないと考える。
ずいぶん長くなってしまったが自分の中でも忘れかけていたことを色々思い出して状況整理ができてきた。
つまり現状こういうことだ。
A社は、社外秘情報である外注先リストの書き出しや、外注先への接触を理由として民事訴訟、刑事告訴をすると脅してきている。
ストーリーとしては「リストを書き出し、そのリストを不正に使用し外注先に接触」と考えるのが自然なので、おそらく一番のポイントは「リストの書き出し」という行為を問題視しているのだと思う。
しかしこれは(1)で説明した通り業務上理由があって書き出したものであり、そのことは社内ヒアリングなどで容易に証明が可能。
唯一噛みつかれるとしたら、「業務上必要があって書き出したリストを私的に持ち帰ったのでは」という言いがかりをされる可能性だが、その証明責任はA社にあるので、社内回線の通信ログでも永遠に漁っていていただきたい。
「警察官だって犯罪を犯すことがある」という話をされると身もふたもないが、事業部長として部内の情報管理を徹底させる役目も負い、業務委託先が情報管理に関する事故を起こした際には、監督すべき立場であるA社を代表してクライアントに頭を下げにも行った人間として、データ管理は人一倍徹底していたつもりだ。
それにPCの操作ログでも記録されていれば情シスにはファイル操作が筒抜けなことも理解しているので、ITリテラシーレベルは並以上ではあると自負している人間としては、そんな恐ろしいことに手を出す蓋然性がない。
いよいよもってA社の意図がわからない。
単純に増田会社の営業妨害をしようとしているのではないかと勘ぐりたくなるほど主張に穴がありすぎる。あと(1)〜(3)どれも民事の範囲内で、刑事告訴というキーワードが出てくる余地がない気がする。懲役1〜3年どこから出てきた。
余談だが、僕はつい先日、「A社の競合C社が今度解散するらしい」という噂を聞いた時、A社の人間に「C社の取引先調べて営業かけるチャンスですよ」と伝えた。
A社に伝えず増田会社として営業をかけていれば、増田会社の利益になったかもしれない。
けれども、(社長や一部の人間はゴミクズだったが)A社には短い間ながらお世話になった恩があり、プチ競合のような近い業種での独立を許してくれた感謝という愛社精神があったからこそ情報共有をしたのだ。
今回の件は愛していたものに裏切られたような気分で、残念でならない。よく聞く「愛は憎しみに変わりやすい」という言葉の意味がよくわかる。
実際、僕のA社への貢献(多少はしたと思っている)をすべて否定されたような今回の対応を受けて、A社への愛社精神は薄れ、いまは「嫌い」にシフトしつつある。
なんでこんな会社に自分の人生の貴重な時間を費やしてしまったのか。
もともと、売られた喧嘩は買うし、やられたらやり返す性格の僕だ。
できることなら、A社がちょっとした脱税をしていたこと(A社自身が認識してたのかどうかと、本日時点ではどうなってるのかわからん)や、一時期、DeNAで話題となったのと同様のパクリメディアを運営し、ライターに「このサイトからパクれ」という旨の記述があるマニュアルを配布していたこと、社長が部下、従業員に対して「死ね」「殺したい」といった暴言のほか、人格否定系の誹謗中傷をしていること、その他様々なアレな話題を、便所の落書き掲示板にでも書いたり、しかるべきところに告発してやりたいくらいの気分だ。IPOを目指すと宣言している会社にとっては痛手ではあるだろう。(大人げないのと、後が怖いので実際はできないチキンだが)
それはさておき、A社には「エビデンスを残したいから先日電話でもらった話の内容をメールでくれ」と伝えているが、今のところレスがない。
勝ちが決まっている勝負なだけにその面での不安はないものの(弁護士費用とか考えると頭が痛いが)、待ちのストレスがハンパないのでさっさと対応していただきたい。
職場に左遷されてやってきたおっさんがいる。便宜上、増田さんとよぶ。
増田さんはすごく素敵な人で、増田さんのことを考えると、はればれと自由な気持ちになる。
今日はなんだか自分にはなんの価値もないような気分になっているので、必死に増田さんのことを考えている。
さっきも書いたけど、増田さんは左遷されてやってきたおっさんだ。
かつては現場最前線でバリバリやってたらしい。けど私は知らない。
私が知ってる増田さんはすでに、文房具の補充とかしているおっさんだった。
でも増田さんの席はなぜかけっこう偉い人の近くにあって
増田さんは優しい。
たとえばこんなことがあった。
私がちょっとやらかしてしまって、オーダーメイドの部長に報告しなきゃいけないとき
「ミスっちゃいまして…報告用紙どこでしょう」と増田さんに聞いたら
「だいじょうぶ。私が一緒に謝りにいきましょう」と言うのである。
でも増田さんはマジで一緒に来てくれて、うしろで「はい、がんばって!」とか応援してくれた。
部長は「お、おう」となっていた。
最近気がついたのだが、業務的な共有事項が貼り出される掲示板に
あれは増田さんの掲示板だった。そう気づいてからは毎日チェックを欠かさない。
そんな増田さんだけど、左遷が決まってから1ヶ月は無気力そのものだった。
死んだ魚の眼をしてデスクトップを見ていた。
今までずっと遅く帰ってたから家に帰っても何をすればいいかわからない。
本当はどうだったのか知らないけど。
50近くにして閑職につかされて、掲示板にコラムを連載したりしている増田さんは
もうどう見ても最高に負けてる。
でも同時に、増田さんは無敵だなあと思う。
みんなが必死に落ちないようにしているところに落とされ、
増田さんを落とした人の視界に、狂い咲いている増田さんが入ることは
きっともうないんだろうけど、
増田さんはもはや別フィールドで戦いはじめてしまっているから、
どうか良い週末を。
http://anond.hatelabo.jp/20170201014659
より続きます。
ボブルヘッド・フェチ? https://www.bobbleheads.com/
SDガンダムとか顔だけでかくてカタカタ揺れるひとし君人形みたいなやつ
最初なんのことかわからなかったが、ボブルヘッドのように頭だけが大きい三次元美女ってことか。コメントに巨大女と勘違いしてる人がいるが、特殊性癖にしてもレアすぎて理解するのに手間取るレベル。なんかすげえ。
英語圏だと、こちらが求めるような頭身の体系を、首ふり人形(Bobblehead Doll)にたとえて呼ぶ傾向がある。ちょっと前に、ある職人が人気女優を巨顔に加工してまとめてimgurにアップして話題になったってニュースが訳されて日本でも少し紹介されていたけど、そのときの見出しでは「Celebrity Photoshop Bobbleheads」と呼ばれていた。
海外のCMではこんなのも。ハゲのオヤジはいいから早く女を出せ。
文章では何を言っているかわからなくて動画で把握できた。それは滝クリみたいに相手が服を脱いでなくても欲情できるんだね? というか服を脱いでいるオカズが世になさそうだな……
ところがあるんだなこれが。
それっぽい単語で画像検索したらでっかいちんちんに混じって女性を4頭身ぐらいに加工したエロ画像が出てきたので意外とある性癖なんだろうか。
「Bobblehead Porn=バブルヘッド・ポルノ」というジャンルが存在することが去年か一昨年、Reddit(英語圏の2ちゃん的なやつ)のあるスレッドで明らかになった。で、実際その専門板もできていて驚いたんだが、そこで上がっていた画像は、5、6年くらい前に4chan(海外の2ちゃんみたいな画像掲示板)に立っていた「Bobblehead Fetish」というスレで見たものとほぼ同じだった。裸なのは構わないけど、やっぱりちょっと生々しすぎるような気が。顔と局部とどっちを見たらいいのかわからなくて意識が分散するのか、思ったより使えない。ただ、これが動画になったらまた変わってくるだろう。巨大女AVがあるんだから、巨顔AVがあったっていいんだけどなぁ。
http://www.レディット.com/r/BigHeadPorn
梅毒が激増してるというニュースが流れると、日本人を悪者にしたくない層の連中が決まって「中国人の爆買いのせいだ」と騒ぎ出す。
しかし、ちょっとデータを調べればそうとは言えないことが分かる。急増が始まったのは2011年からだから、中国人が爆買いの時期とは3年ずれているし、また爆買いの影響であれば、それに陰りが出た去年は減ってなければおかしいのだ。
また、増えてるのは梅毒だけである。HIV新規感染者数は横這いだし、淋病、クラミジアも横這い以下。嘘だと思うなら厚労省のサイトでデータが公表されているので確認されたい。
その原因をいろいろ仮説立てて検証した結果、「2010年を境にホストクラブの枕営業が蔓延するようになったため」という結論だけが行き残った。
以下、根拠。
ヤングジャンプに7年連載され、テレビドラマ化もされた、ホストを題材にした人気漫画「夜王」が連載終了したのがこの年だ。この作品はホスト業界の一般化に多大な貢献をし、業界の拡大に寄与した。
その作品の中で、枕営業をするのは邪道という流れが最後まであったため、2000年代のホスト業界は枕営業をするホストは少なかった。居なかったわけではないが、そういうホストは「枕ホスト」と呼ばれ、下の下とされた。安易に枕に走らず、太客に対してごくたまに枕を共にするくらい、の営業が一般的だった。これは当時から存在している水商売系掲示板サイト「ホストラブ」において、2000年代のうちはホストの枕営業のたれ込みが殆どないことからもわかる。(キャバ嬢の枕に関する話は沢山あった)
ちなみにホストラブは月間ユニークユーザーが240万人いる超巨大掲示板サイトである。この数は、Yahooニュースの実利用者数とされる200万人よりも多い。
しかし、夜王が終わると、枕営業のブレーキ役が居なくなり、枕に走るホストが急増。次第に「枕ホスト」という隠語は業界から出てこなくなり、今では、「担当」「本営」「趣味彼」などのフレーズに現れるが、一人の女性客に複数のホストが枕営業し、ホストも複数の女性客に枕するのがデフォルトとなっている。今やホストラブの掲示板はこの手の話題が大半だ。
またホストクラブの客層の世界では「枕されない客は最下層」という考え方がここ数年で一般化した。余程醜く無い限り枕されるはずという考え方から来ている。女性はカーストの下には居たくない生き物であるので、脱出条件である枕の実践にかなりの力を注ぎ込むようになった。
ホストの客の大半は風俗嬢なので、風俗客から梅毒を移された風俗嬢がホストと枕して移し、その翌日に同じホストが別人の風俗嬢に枕して移し、その風俗嬢が別のホストと風俗客に…という媒介ルートが出来上がってしまったのだ。
これは梅毒の症状の性質と、今時のホストは毎日のように枕営業することと、その内容に起因する。
まず、ホストの枕営業では、ほぼ確実にゴムをつける。育てようとしている客を妊娠させてしまったら元も子もないからだ。これでHIVが増えない理由は説明がつく。オーラルセックスは生だが、オーラルでHIV感染するのは極めて稀だ。
クラミジアと淋病はオーラルでも感染するが、潜伏期間が数日と短いので、数人と枕した段階ですぐ気づける。一方、梅毒は第一期と呼ばれる初期症状が出るまで3週間もある。人によっては第一期は無症状なので、その場合は第二期の症状が出始める3か月後まで待たないとならない。つまり症状が出るまで2桁人数の女と枕出来てしまう。
それでも淋病とクラミジアは梅毒ほどではなくても増えてるはずだが、これは病院に行かずに抗生物質をオオサカ堂あたりで個人輸入して病院に行かずに治してしまう人が増えたからだ。この二つは、抗生物質を1週間飲み続ければ確実に治る。病院に行かないと感染者としてカウントされない。
また、クラミジアは男の半分、女の8割が感染しても無症状なので、感染に気づかないまま何年も経過することが多いのもある。この場合も感染者数にカウントされない。
そして、近年は咽頭クラミジアも増えていると言われているが、これは厚労省が性病として集計していない。つまりカウント対象外。
一方、梅毒は第一期でもペニシリンを二週間以上飲まないといけないし、完治しない間に勝手に症状だけ収まって再潜伏して3カ月後に第二期移行、という事態が珍しくない。第二期になると病院に行かないと治せない。そこで梅毒感染者とカウントされる。梅毒は感染者を見つけたら厚労省に報告が義務づけられているので、カウントしないわけにはいかないのだ。
つまり、梅毒だけが増える環境が、ホストの枕営業蔓延によって整ってしまった。これが、2010年代に梅毒がパンデミックになっている本当の理由である。梅毒の根源は中国ではなく歌舞伎町なのである。
もちろんホストクラブだけが急増の原因だとは思っていない。学生風俗嬢の増加や外国人旅行者の増加も影響としてはあるだろう。ただ、この二つが主要因ならば、梅毒だけ増えるという事象につながらない。
ホストクラブ主要因説も弱いところがあるのは否めない。「ホストの誰々に梅毒移された」という告発が今でも少ないのだ。風俗嬢の誰々に~、ならよくあるが。
ただ、決定的な否定要素にまではならない。ホストが1日に枕できる人数と風俗嬢が1日に相手できる人数が大幅に違うので、ホストに梅毒を移されたと告発すること自体、かなりの特定リスクを伴うし、風俗嬢がホストと枕する前に相手した風俗客から移された場合と見分けがつかないので、ホストから移されたことに気付き難いためだ。
ホスト業界も今さら枕禁止というわけにはいかないだろうが、試しに「三回指名されるまでは枕しない」というレベルの自主規制をやってみてはどうか。歌舞伎町ホストクラブ協力会が音頭を取って。きっと、有意な抑制効果が出るはずだ。