はてなキーワード: 奴隷解放宣言とは
歴史上、多くの著名な演説が人々に影響を与え、時代を動かしてきました。
以下はその代表的な例です。
これらの演説は、その内容だけでなく、話し方や構成なども含めて学ぶ価値があります。
今回はその中でもマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I Have a Dream」に焦点を当てます。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I Have a Dream」演説は、アメリカの公民権運動における最も影響力のある演説の一つです。
1963年8月28日、ワシントンD.C.のリンカーン記念堂の前で25万人以上の聴衆に向けて行われました。
この演説は、その後の公民権法(1964年)や投票権法(1965年)の成立に大きな影響を与えました。
また、現代の社会正義運動にも継続的な影響を与えており、平等と公正を求める活動家たちにインスピレーションを与え続けています。
キング牧師の言葉は、人種や背景に関係なく、すべての人々が平等に扱われる社会を目指す強力なメッセージとして今日も響き続けています。
エイブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言に言及し、「100年前」という表現を繰り返し使用します。
アメリカ建国の理念である自由と平等を引用し、現実との乖離を指摘します。
現状の分析
「今こそ時が来た」というフレーズを繰り返し、緊急の行動を呼びかけます。
「私には夢がある」というフレーズを8回繰り返し使用し、平等な社会のビジョンを描きます。
「自由の鐘を鳴らせ」というフレーズを繰り返し、全国的な変革を呼びかけます。
アメリカの建国の理念に立ち返り、全ての人々が自由を享受できる未来への希望を表明します。
「自由だ、ついに自由だ。全能の神に感謝する、我々はついに自由になった」という力強い言葉で締めくくります。
この演説は、アナフォラ(同じ言葉で始まる文の繰り返し)やメタファー(隠喩)などの修辞技法を効果的に使用し、聴衆の感情に訴えかけながら、論理的な構成で主張を展開しています。
また、聖書や歴史的文書からの引用を巧みに織り交ぜることで、演説に深みと説得力を与えています。
この構成により、キング牧師は人種差別の現状を批判しつつ、希望に満ちた未来のビジョンを提示し、聴衆に行動を促す強力なメッセージを伝えることに成功しました。
アメリカ合衆国大統領による
西暦1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領より、特に以下の事項を含む宣言が発せられた。
「西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされている すべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。陸海軍当局を含む合衆国の行政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために..行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。
行政府は、前記1月1日に、宣言によって、人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域を指定する。また、同日時点で、州またはその人民が、その州の有権者の過半数が参加する選挙で選出した議員を、誠意を持って合衆国議会に送っている場合には、これを否定する強力な証言がない限り、それをもってその州およびその人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にないことを示す確実な証拠とみなされる」
これにより今、私、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、合衆国の権威ならびに政府に対する武力による反逆が実際に起きたときの合衆国陸海軍の最高司令官として私に与えられた権限に基づいて、またかかる反逆を制圧するための適切かつ必要な戦争手段の1つとして、前記の日付から丸100日間の全期間にわたり、そうすることを公式に宣言してきたことに伴い、本日1863年1月1日、本日時点でその人民が合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域は、以下の通りであることを定め、明示する。
アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)。そして例外とされた地域は、差し当たり、本布告の対象外とする。
前述の権限に基づき、また前述の目的のために、かかる指定された州および州の地域内で奴隷とされている者はすべて自由の身であり、今後も自由であることを、そして陸海軍当局を含む合衆国行政府が、かかる人々の自由を認め、これを維持することを私は命令し、宣言する。
そして私はここに、今自由であると宣言した人々に対し、自衛上必要でない限り、いかなる暴力も慎むよう申し渡す。また、あらゆる労働の機会において、正当な賃金を得るために誠意を持って働くことを推奨する。
さらに、適切な健康状態にある者は、要塞、陣地、駐屯地、その他の場所を守備するために、あるいは種類を問わず軍隊の船舶に乗り組むために、合衆国軍隊に受け入れられることを宣言し、周知させる。
そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。
そう思うよ
そもそも差別をするのは国でも人種でも時代でもなくその個人のパーソナリティの問題
人権が怪しく貧しい時代においても重度の障がい者を立派に育て上げ、職や学をつけた親達がいる
映画にも出てたチャン&エン・ブンカー兄弟も貧しく結合双子だったけれど殺されず、
紆余曲折あった末に黒人が奴隷解放されていない時代に白人と結婚して農場主になった
ジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長も奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えて
ジョン万次郎受け入れてる
厳しい時代においても差別しない人は差別しない。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいる
ただそれだけのこと
あと増田が書いてるような指摘は割とあったと思う
【タイトル予想】
「代償」「贖罪」「鳥」「鳥籠」「あの景色」「この世界は残酷で美しい」
【ストーリー予想】
※ ※ ※ 138話までのネタバレあり ※ ※ ※
エレンの首が落とされたので、始祖・進撃・戦鎚が継承待機状態(出産されるユミルの民待ち)。
始祖ユミルが笑顔だったのは「道」での奴隷業をエレンと交代できるフラグが立った為。
ミカサがエレンの居場所を知ったのは多分「道」でエレンと過ごした際に知ったから。
「道」の中の歴代の知性巨人と同様、首切られたエレンも「道」にまだ存在する。
アルミン、大ピンチの仲間を救う為、無知性巨人の動きを止めるよう要求。
エレン&ユミルは拒否、団結してアルミンを攻撃・・・と見せかけて、エレンが「自由だ」とユミルに奴隷解放宣言。ユミルと対立。
アルミンの頭脳戦やらなんやかやあって、光るムカデが敗北。ユミル無力化。
エレン完全死亡(死亡直前にアルミンと共に「未知の世界」を見たり、ヒストリアの赤子を抱き上げる)。
全ての巨人能力は消滅し、13年の呪いが解ける。知性巨人も巨人化した104期生も助かる。
座標と「道」は閉ざされる。進撃を含めた全ての巨人は継承されない。
巨人消滅後、一度は手を取ろうとしたマーレ人たち非エルディア人はPTSD。エルディア人達の巨人化能力は失れてもトラウマは残る。戦争は続く。
アメリカの黒人差別問題は基本的にアメリカの歴史背景から起きたアメリカ独自のもの。アメリカに「在日朝鮮人差別」や「部落差別」がないのと同じように日本に「黒人差別」はない。
アメリカでは奴隷解放宣言後にも有名なタルサの黒人虐殺事件を含め、欧州系人がアフリカ系人を多く殺してきた。アフリカ系人は怒り抗議し人権運動をし、権利は向上しているが、今も警官による殺害は多い。だから差別に対する抗議運動が続いている。
アメリカは現代世界を支配する唯一最大の帝国だから、アメリカの抗議デモの怒りの声はあっという間に世界に波及する。黒人デモを腐す人がよく「こっちはどうなんだ」と例に出す香港デモの怒りの声が波及するよりそりゃ早い。
小島秀夫も絶賛していたらしい、スウェーデンの映画『ボーダー (Gräns)』
取り替え子 (Changeling)・・・トロールなどの子どもと人間の子どもが交換されるヨーロッパの伝承をモチーフにした話で
森で暮らすヒロインがすごーーく醜いって設定
たぶん増田もはてなもミニシアター映画は観ないと思うので以下完全にネタバレ
ヒロインのティーナは不美人だが、人間の感情を嗅ぎ取り読み取ることが出来る特殊な能力を持つ
彼女は税関職員としてその力を遺憾なく発揮し、日々密輸やその他の悪事を完璧に摘発する
醜い容姿から、幼少期は虐められ、大人になり職を得た現在も不躾な視線は一向に無くならず、
疲れ果て、森の自宅へ戻っても、いるのは働かない上に浮気を隠す気がない同居人と襲いかかってくる犬
父親を見舞いに行けば「あの家はお前のものなんだぞ」とは言われるものの、
「彼は優しい。わたしは一緒にいてくれる人が欲しいだけ」と彼女は答えるしかない
そんなある日、税関で自分と似たような外見と不可解な匂いのする大男を見つける
それどころか、どうみても大男なのに女性器を持ち更には手術痕すらないという
なんやかんやあったのち彼女は自分と似たような男(?)ヴォーレを森の自宅の離れに住まわす
働かない上に浮気を隠す気がない同居人は『シリアルキラーかあいつは?なぜ僕に無断で決めたんだ』とおこだったがティーナはシカトした
そしてなんやかんやあったのち、自分は人間ではなくトロールであったことを知る
醜かったわけではなく単純に種族が違っただけだったのだ。彼女は生まれながらに完璧で出来損ないなんかではなかったのだ
人間の世界では疎外感を感じるのでヴォーレと一緒にトロールの同族を探し、同族と共に暮らすと申し出るも、
「キミは人間の世界に適応出来ている。辞めとけ」と言われてしまう
税関で児童ポルノビデオを摘発した能力を買われ、児童ポルノビデオを制作している住所を探し出して欲しいと依頼される
ヴォーレは人間の赤ちゃんを攫っては自分の生み落とした赤ちゃん(無精で出産出来る)と交換し、
人間の赤ちゃんは児童ポルノなど闇組織に売り払い、人間たちへの復讐とフィンランドにいるらしいトロールの同族探しの資金としていたのだ
ティーナはトロールが人間にどんな目にあわされたかはヴォーレから聞いている
トロールは人体実験をされ刻まれ精神病院へ閉じ込められ、その殆どは生き残ることは出来なかった
運良く生き延びられたティーナも尻尾を切られ、人間から酷い虐めを受け、今もなお不躾な視線を向けられ続けているし、
森の家を残してくれた父親にしたって、本当の両親(トロール)のことについて尋ねれば、人間の犯した罪と向き合わず、怒鳴り散らすだけだ
先日摘発した児童ポルノ制作の犯人たちにしたって普通の人間の夫婦で一見はまともなご家庭風だった
ティーナはトロールの同族探しの旅への同行は断り、ヴォーレに警察を差し向ける
ヴォーレは武装した警察官に囲まれるとフェリーから飛び降り夜の海へ消えた
浮気を隠すつもりも働くつもりも襲う犬を躾ける気も無いがとりあえずティーナと一緒にはいてくれた同居人は追い出したし、
トロールの同族だったヴォーレは外道だった上に海に消えたしで、
森の自宅でひとりで過ごすティーナの元に老人ホームから父親がやってくる
トロールの人体実験を行なっていた精神病院に警備員として勤めていた父親は子宝に恵まれず子を欲していた
もちろん、トロールの夫婦は多くのトロールと同様に人体実験の末、病院の裏に人知れず埋められたが、
しかし父親はティーナの本当の名を伝えてもなおトロールの名で彼女を呼ばず、人間がしてきたこと自分が傍観してきたことに向き合わない
完全にひとりになったティーナの元に小包みが届く。その中にはトロールの赤ちゃんとフィンランドの絵葉書が
あるぞ
ヒロインはトロール故に人間の美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど
あと、人間との違い(不気味さ)を出す演出に『虫』を食べるがあったが、
北欧って怖いところだなって思いました、まる
陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが
ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ
(なお、差別は国や特定の人種では無く、個人のパーソナリティだと予め書いておきます。
奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えてジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長然り、
同じく、奴隷解放前に、白人でないばかりか結合双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟(シャムの双子)を受け入れた人たち然り、
厳しい時代においても差別しない人は差別しません。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいます)
人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして虫を食べますし、
なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね
1.黒人~奴隷解放宣言後のアメリカの黒人の立場は非常に低かったが、第一次世界大戦と第二次世界大戦に従軍したことによって、アメリカ国内における黒人の地位が向上するようになった。第一次と第二次の当時は、指揮官になれる黒人はいなかったが、湾岸戦争時のパウエル元国務長官をはじめとして、黒人のエリート軍人も現れるようになった。
2.女性~第一次世界大戦と第二次世界大戦は国家総力戦であり、女性も銃後を支える戦闘員と見なされるようになる。しかし、女性の徴兵は実現できなかったので、戦後も女性の地位は低いまま。北欧では女性も平等に徴兵しているので、女性の社会的な地位が高い。
3.東北人~明治維新後の東北人は、戊辰戦争の賊軍の子孫として扱われていたので、日本では東北人と言うだけでバカにされる風潮があった。日清・日露戦争においては、伝統的に弱いと言われる西日本部隊を差し置いて、戦況を変えるほどの活躍を見せた。第二次世界大戦時には、東北人の総理大臣を輩出するほどまで、東北人の名誉は回復された。
『同志ウリヤノフ。思想、意思、自制、魅力、統率、扇動であります。』
『………。』
『私にはあと10点が足りなかった。私が革命をついに為し遂げられなかったならば、残り10点の欠落によるだろう。』
――同志アレクサンドロヴナ。風船を用いた飛行船によってルビッチとプペルが煙に突入。全て計画通りに進行中。
鼓膜を擦するような雑音混じりの伝令通信により、アレクサンドロヴナは甘い微睡から目覚めた。
即座に胸まで浸かりかけた追懐を殺す。感傷を潰す。
素早く一つ、いや二つ深呼吸する。
――了解。
憲兵どもの銃弾にこめかみを貫かれた同志ウリヤノフの胸をナイフで引き裂き、大動脈と大静脈を引きちぎって心臓を掻き抱きながら敗走したあの日から、私は私ではない。
埋葬もなく、墓標もなく、告別すらなく憲兵どもの放った犬の餌になり果てた同志ウリヤノフの手足であり、声であり、遺志だ。
故に自身に宿った同志の一粒種にも、父親役を演じる部下を通して同志の言葉を贈り続けた。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」
残党になり下がり、地下に潜った革命軍に残された希望は、少年に育った一粒種ルビッチと同志ウリヤノフの心臓、それのみであったが、心臓の所在が遂に憲兵どもに摑まれた。
当局がまだその存在を把握していないルビッチをアレクサンドロヴナが、同志ウリヤノフの心臓を父親役の部下が、それぞれ抱えて逃走した。
部下は心臓を8つ複製し、それぞれを異なる配達屋に預けたうえ、町の果てまで追走してきた憲兵どもの目の前で自刃した。見事な最期だったという。
何も知らぬ配達屋たちは全員、我々が仕組んだとおりに配達途中で心臓を取り落とした。
手間と賃金を換算し、配達屋たちは目論見通り誰一人捜索に一切着手せず、何事もなかったかのように配達業務に戻った。
憲兵どもに拉致された彼らは尋問され、拷問されながら、自分が何故かような仕置きを受けているのか全く理解できぬまま死ぬことになるだろう。彼らの屍を捧げることで、同志ウリヤノフの心臓の痕跡を消し去ることができる。危機はしかし、好機だったのだ。
私は私ではない。同志ウリヤノフの遺志を継ぐ道具。機械。
故に死後、地獄に落ちることも厭わない。
憲兵どもが配達屋たちを責めている間に同志の本物の心臓を回収し、ルビッチが父のものだと頑に信じている銀のペンダント、それは事実同志ウリヤノフ所有のペンダントで昔日に私に贈られたものだ、を脳核としてヒトガタを造る。
この町の99%を占める最底辺のプロレタリアートそのものである。
脳核たるペンダントから、父親役だった部下の写真を取り出し、代わりにプログラムを埋め込む。
ルビッチには、父親は漁のさなかに波にのまれて死んだと伝えた。
止むことなく流れる涙を見ながら、脳髄に刻むように言い聞かせる。
私は私ではない。私は同志ウリヤノフの遺志を継ぐ道具。機械。私は私ではない。私は私では、、、
――同志アレクサンドロヴナ!ルビッチとプペルが煙を突破しました! その先の何か、その先にある何か偉大なものに邂逅した模様!
この国では労働者は搾取され続け、資本家どもは肥え太り続ける。
労働者は朝も晩も、資本家どもの富の代償である煙に包まれ、煙によって目が冒され、肺が冒され、脳が冒され、死ぬ。
平均寿命は50に満たない。まっとうな状態でいられるのはせいぜい40までだ。残りの10年は苦しみしかない。
煙は資本家どもの贅肉そのものであり、この国を閉塞する蓋であり、持つものと持たざるものを隔てるイェリコの壁である。
しかし今宵、角笛は吹かれた。
壁が崩れる時が来た。
持たざるものが、煙を超えたのだ。
「諸君! 私は確信する! 遠くない未来、我々の矜持を、尊厳を、希望を、光を奪い続けた煙が晴れることを!」
「革命の父、イリヤ・ウリヤノフの息子ルビッチ! ルビッチ・ウリヤノフ! それが煙に突撃し、煙を払う者の名である!」
「同志ルビッチ・ウリヤノフ!万歳! 同志ルビッチ・ウリヤノフ!万歳! 」
「今宵この日は! お金の奴隷解放宣言が叶った日として永劫記憶されるだろう!」
「ギブ&ギブ! ギブ&ギブ! ギブ&ギブ!」
『伝説…』
『どれだけ資質を備えていても、どれほど有能であったとしても、人は不完全だ。しかし民衆は指導者に完全を求める。残念ながら人は人ゆえに、完全には成り得ない。ではどうする?』
『………。』
『理解に至りません。同志ウリヤノフ。』
『彼は選ばれた者なのだ。だから盲信するしかない。そんな諦めだ。
自身と比較し秀でているから信じるのではない。自身と比較できないから信じられるのだ。』
『………。』
『たとえばこの煙。どこまで続くか誰も知らぬこの絶望の煙を超えて、その先にあるものにまみえた。そんな、常人では発想することすら笑い話になるような伝説だ。』
『煙の、その先…』
『たとえばの話だがね。…しかし、見てみたいものだな。その先にあるものを。…きみとともに。』
10年に渡る激しい革命闘争の果てに「煙突のルビッチ」を最高指導者に戴く政治結社「赤い星」は、ついに世界史上初めての社会主義革命を成就させる。
ルビッチは言う。
『他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、
信じぬくんだ。たとえ一人になっても。
ドキドキしてる?』
彼が、絵本を子供のために無料にします!奴隷解放宣言!、の後に、
結果が出た後になっててから、実はマネタイズのためでお金も稼げます、
と急に方針転換をするようなとき、その都度批判が来ることに対して
「イタチごっこ」と表現したようだが、だいぶ勘違いしているのではないか。
と思っているのだろうか。相手は複数いて、一人ひとり立場が違うのだから、
異なる分野から、彼の持論の問題点についてそれぞれのベクトルから
疑問が起こるのは何ら不思議なことではない。
勝手に自分が定義した世論の代表者たる、単一の世論マンが発言したことにして、
まず、私は西野氏のファンじゃないので特に肩入れはしていません。
むしろ、氏の作品はまさに商業主義のラッセンを彷彿とさせるので好んで鑑賞はしないと思います。
ただ、氏の発言の一部(の切り取り)が沢山の方々の逆鱗に触れたようなので、こういう考えかただったんじゃないかな?という別の視点の提案をする記事です。
まず、問題のURL(http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html)をどうぞ。
そこまで長くないのでサッと読めるはずです。
>糞ダセー。
ここが特にみんなの堪忍袋の緒専用カッターとなっているようですね。
西野氏が2000円で絵本『えんとつ町のプペル』を販売してしばらく経った頃、小学生に高くて買えんわと意見を貰ったらしいところから本題ですね。
確かに、2000円は小学生にとってはお高めの値段設定。
そこで氏はこう思うわけです。
>《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
せやな。
>双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
>お金を持っている人は見ることができて、
>お金を持っていない人は見ることができない。
うーん?「ちょっと待った!」はこっちがかけたいもんですがもう少し。
>「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
>そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
>糞ダセー。
あ、ダメだこの人。自分が伝えたいことを伝える能力が完全に欠如してる。
その理由の大きなところがこの引用した文章からハッキリと見えますね。
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
この一文もなんだかハッキリせず、微妙な印象。
噛み砕かず要約するとこう。
うーん。チープ。
お金は労働の対価の一つで、生活に必要不可欠、そして評価基準です。
しかし、これは西野氏目線なのです。そう思えば彼の考えるところが伝わりやすくなります。
「クリエイター・生産者が生活がかかってるから無料にできないよ〜」
これは至極当たり前で、西野氏も(言いかたが悪すぎてそう読めるだけで直接)ダサいとは言ってませんね。
そこが、
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
ここから読み取れるはずです。
西野氏は、お金持ってます。本業は芸人です。しかも売れてます。そして、絵本界からすれば外様です。絵本がなくても生活できます。
そんな氏が、「小供にも届けたい」絵本を出して、お金がなくて子供が買えない!と訴えを目の当たりにしたわけです。
氏からすると、生活もかかってないのに「お金が無い人には、見せませーん」はこの上なくダサく見えるんでしょう。自分が。
つまり、これは西野氏が西野氏に対する発言ではないか。叱咤激励なのでは?
私にはそう読めました。
「お金じゃなくて、恩で回る人生があっても良いのでは?本ならそれができる可能性がある。この本を無料化してお金は貰えなくなるけどみんなに読んでほしいからやるで!お金の奴隷解放宣言や!」
「恩で回る」というのは、消費側が生産側に対して自分の払いたい価値を払うということだよね?
>それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。
結局、氏が言いたいことは『お金だけ』の社会の否定であって、『対価』の否定ではないんですね。
西野さんアンタけっこうかっこいいよ。労力かかってるものを相手に委ねるっていうのはお金持ってても中々できないことだと思います。超口下手で誤解させまくってるけど。
あとできれば2000円という選択肢だけじゃなくて、サイトで自分で値段を決めて支払えたら便利だしもっといいと思いました。
>…てなワケで俺は無料にするけど、その代わり他のクリエイターに「西野はタダにしたんだからおまえもしろ」なんて絶対言っちゃダメよ。
キングコング西野氏がプロデュースした『えんとつ町のプペル』で、ブログタイトルにつられてみんなが反応した。
そうだ、「お金の奴隷解放宣言」という一文は、とても昨今のみんなの気持ちを端的に表しているのだ。
お金を出せば世の中を少しだけ動かせるんだけど、それでも自分の欲しいものはもっとお金のかかるもの。
生活費以外でのこったお金で皆やりくりしている。趣味に使うお金はいわゆる「娯楽費」だから、毎月毎月少しずつお金を出して買っている。
けれど、昔のゲームや今の書籍・雑貨のように「買ったら終わり」の世界ではなく、「買っても次々に課金しなければならないゲーム」
「毎月少しずつ払って使うツール(セキュリティソフトなど)」にさえも、
毎月なんらかの維持費としてお金がかかる。
それらは少しずつなんだけども、5つ集まれば相当な金額になる。
自分を少し、楽しませるために欠かせないものだから、出して楽しんでいる。
それらには、「自分が」楽しむものだから、「自分で」買っているんだ。
「食っていくために出した商品としての『絵本』の内容を、クラウドファンディングの出資者とイラストレーターさんに許可を取らずに、勝手に見せた」ことに怒ってる。
しかも「描いてくれたイラストレーターさんや、出版社などに利益を出すために金を払うのは『糞ダセー』とは何事だ!!?」なんていってるんだけど。
『糞ダセー』と言ったのは、「イラストレーターさんや出版社」にではなく。
『西野氏本人』なんだ。
その発言の矛先は、誰でもない、西野氏が自分で自分に言った言葉なんだよ。
責めてるのは、「商品としての作品を販売している人たち」でもなく、
あるいは「生きてくために値段をつけてモノやコトを売っている大人たち」ではなく、
「買って見たらその善し悪しが分かるよ」と豪語して、中身を見せず表紙で絵本を売ろうとしていた、西野氏が、自分に、自分で、言ったんだ。
ぼくらは、いつのまにか、自分が自分が、と自分を先に出してしまう傾向がある。
「お金を稼がなきゃ生きていけない」
「ちっぽけな自分が生きていくには身を粉にして働かなきゃ」
そして、お金を嫌いながらも、お金があるから今日も貧乏なんだと叫んで生きている。
そして、出した商品の「ココが悪い」に蓋をして、「これでいいんだ」と豪語して、買って使う人たちのことを見ないで、その人たちのもってるお金を欲しがっている。
でも、ちょっと待ってよ。
買って欲しい人って、だれなんだ?
『絵本』を買う人ってだれ?
こども?
おとな?
おとうさん?
おかあさん?
絵本という本は、えとぶんで魅せてくれてきれいなのに、それなりにたかくて。
でも、西野氏が書いたのは、まったく「あたらしいものがたり」だから、大人が買うように「買って読んでみる」ができない。
こどもは「おやがしってるものがたり」しか、買い与えられないことが多い。
だから、一番絵本を見せたいこどものことを考えないで、絵本は売れるわけがないんだよ。
こどもだって体験したものは、みんなにみせたいしはなしたいし、かたりあいたい。
こどもたちが体験したものって、どれも「はじめて」だから、しったときのよろこびはおおきい。
それなのに、かってくれるおやが「知らないから」っていって、かってくれないんだよ。
「ええ、これしらないんだよな~」で、こどもの「ほしい」がふうじられる。
こどもの「ほしい」に、おとなが「はんのう」してくれないと、こどもは「ほしいものがてにできない」こどもになる。
あるいは、「ほしいものをちからづくでてにいれるためにおやにほうしする」ようになる。
欲しいものを買ってもらうために、親の言いなりになる子供。そうなってほしい?
過剰にお金を追い求めなくてもいいから、お金の奴隷から解放するといったのは、こどもたちにたいして、だったのだ。
おこづかいを貯めて買うこともできるけれど、それよりも親に買ってもらうことがこどもにとっては、はやいんだ。
というか単純に、「親に読んで聞かせてもらった」ことの価値は、自分でほしくて買ったときよりも、記憶に残りやすい。
そして、そのときをこどもが思い出す時、親があとで見つけた時に思い出すときの「きっかけ」としての、絵本。
けれど、おやが「買いやすい」ように、「手に取りやすい」ように、「内容がわからないなら見てほしい」ように、
そのことに気付くのが遅かったから、西野氏が自分を『糞ダセー』といったんだ。
むしろ、「無料化」ではなく「有料でネットにあげてしまうと大人たちしか見られない」。
ログインのパスワードをこどもは知らないと見ていいし、ペアレンタルコントロールでこどもが見れるところを制限するし。
絵本を書店からなくしたところで、スマホでもなんでもいいけど、一番見て欲しいこどもたちが、そこまでアクセスできるかな?
で、補足。
この無料化と、ブログのタイトルで炎上してしまった事で、みんなは思った?
「参加したイラストレーターは知っているのか?」と。
昨今は個人で情報を発信できることができ、逆にアクセスされる時代にもなって。
では、みんながそのイラストレーターさんを知って、Twitterやらブログやらに応援ではなく批判したいがために訪問したら最悪どうなると思う?
イラストレーターさんの氏名をなにも載せずに、絵本の内容だけ公開すると決めたのは西野氏であって、この責任を一人で背負うのは西野氏なのだ。
例の人の発言、作品を作って売って生活している人からすりゃあたまったもんじゃないでしょうね。
そりゃお前はお笑い芸人として稼いでいるし、絵本の収入がなくなったところで何も問題ないだろうが。
こっちは作品作って、見てもらって、気に入ったら買ってもらって、それで生活してるんだよ。
お前みたいに名前売るためだけに絵本売って、その知名度とか高感度活かして本職の芸人で稼げるヤツとは違うんだよ。
外様が勝手にやってきて業界のこと生意気に語ってんじゃねーよこの野郎。
……っていうのが、まさに今流行りのFinTech(フィンテック)で起こっていることなんだなぁと。
そりゃお前はアプリ広告や購買データの販売やネット通販で稼いでるし、決済手数料がなくなったところで何も問題ないだろうが。
こっちは口座管理して、信用確認して、複数の金融・決済会社とつなげるネットワーク作って、それを使ってもらった手数料で生活してんだよ。
お前みたいにビッグデータ手に入れるためだけに金融入ってきて、その知名度と情報技術活かして本職のネット通販で稼いでるヤツとは違うんだよ。
外様が勝手にやってきて業界のこと生意気に語ってんじゃねーよこの野郎。
「紙の本買わなくても、ネットでタダで読めるんだやったー」だし、
「振込手数料負担しなくても、個人間で資金移動できるんだやったー」ですよ。
絵本で、映画で、漫画で、音楽で儲ける必要がない人たちだから。
要は作者~読者を繋げりゃいいんでしょ? じゃあPixivで、ニコニコで、なろうで。基本無料にして、他の儲け方考えるわ。
要は人とお金と商品が繋がりゃいいんでしょ? じゃあ個人間送金は無料で、他の儲け方考えるわ。
ってことなんですよ。
ビジネスとして「印税」「手数料」を収益源として見込んでないから。
だから「お金の奴隷解放宣言」、「印税の奴隷解放宣言」、「手数料の奴隷解放宣言」ができるわけですよ。(開放宣言の人は他の仕事で稼いでいるからですけど。)
だから、今回のお金の奴隷解放は自分の属している業界に置き換えて考えてみるといいと思います。
(以下蛇足)
とは言え大手の人って「ワシらは長いことかけて築き上げてきた信用と実績があるからな。手数料は信頼代や。外様なんか相手にする必要ねーわ」とFinTech企業を相手にしてないところが多いですね。
で、お前の言うその信用ってお前が築いたもんなん? お前はその信用を維持するために何をしてきたん? 先代の築いた信用に居座ってるだけじゃないですよね?
という感じですよ。
でも、創作している人らをバカにしたような発言をしたアイツは許さない。
カネを取ることは悪じゃねーんだよ。生きるために必要なことなんだよ。
作品の人気、作家としての信用は紛れもなくその人自身が築き上げたものなんだよ。あの人らはマジで作品作りを中心に生きているんだよ。
……あなた達はもう少し上手に生きてください。