「葬儀屋」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 葬儀屋とは

2024-07-12

きっと祖母が死んでも泣けないと思う

4年前、祖父が死んだ。脳卒中だった。

日中窓の近くで寝そべって新聞を読んで、テレビを見ているだけ。糖尿病で大の酒好き。心配した母がお酒を取り上げると料理酒にまで手を出す人だった。

でも私は祖父のことが大好きだった。囲碁将棋を一緒に遊んでくれた祖父が、父のいない私の父親代わりになってくれた祖父が、大好きだった。

冷たくなった祖父を見て私はわんわん泣いた。人目も憚らず泣いた。葬儀屋さんに「お爺様が亡くなられてこんなに泣くお孫さんは見たことない」と言われたくらい泣いた。

祖父が死んでから祖母の老化が一気に進んだ気がした。

顔面の神経痛があるため病院で薬が複数種類処方されているが、カレンダーテレビを見ているのにも関わらずなぜか日付感覚あいまいなせいで用法容量通りに飲めない。

そのせいでしょっちゅう「薬が効かない」「痛い」と喚く。母が曜日時間帯ごとに薬を小分けにし、わかりやすくしても文字を読まないのか読めないのかわからないが、これでもちゃんと飲まない。

更年期障害を抱えながら、一家の唯一の稼ぎ手として休まず働く母はこの事にイライラを募らせ祖母を何度も怒鳴りつける。

祖父が死んだタイミングで色々と親戚間で揉めてしまい(私はよく知らないので割愛)引っ越しているのだが、四年目にしてまだお風呂を沸かすことも、お風呂場の換気をすることも、インターホン越しに会話することも出来ない。

文字が見えない」と言い訳するので、じゃあ新しい眼鏡を買えというと黙りこくって無視をする。祖母絶対自分の否を認めない。

私の部屋には鍵が無い。そして私はやましいことがあるとか部屋が汚いとかではないが自室に入られることをすごく嫌っている。だから母は部屋に勝手に入らないし、何か用があってもノックをしてくれる。

しかし、祖母は嫌だと伝えても何度も部屋に勝手に入ってきた。自分ストール仕舞ってその場所を忘れたのに、「私が取った」と思って勝手に部屋を漁った。

明らかに物の位置が変わっていたので「また部屋に入ったのか」と聞くと「知らない、入ってない」としらばっくれた。何度も問い詰めたらついに「入ったわよ!だからなんだっていうの!?」と逆ギレされた。

「私は自室に入られるのが嫌いだから入らないでくれ」と怒るのはこれで四回目だった。

電子レンジボタンが見えていないので、何も入れていないのにあたためを押し始める。ガスもついていることに気づかず放置をして、私が家にいなかったら火事になっていたのではないかと思うこともあった。

だが、祖母認知症でない。MRIをとって正式に異常無しとされた。

私や母はしばし祖母を怒鳴りつける。私は今大学生で、社会一般的に見れば大人とはいえずとも「ハンカチ持った?」や「傘持った?」と聞かれるような年齢ではないと思う。

しかし未だに祖母はこれを聞いてくる。そのうえ曜日感覚がないため日曜日にも「今日学校?」と聞いてくる。

そして、それに「日曜日から学校は無い」と答えたとしても、覚えていられないので次の週にはまた「今日学校?」と聞かれる。

気が狂いそうになる。毎日毎日同じような質問をされ、答えたとしてもその回答を覚えてもらえない。やめろといってもやめない、いくら教えても覚えない。毎回尻ぬぐいを私がさせられている。

当然、会話をしたくなくなる。私と祖母はめったに会話をしない。

私が祖母と話すのは祖母がまた間違ったことをしてそれを怒るときか、祖母が「今日バイト学校?」と聞いてくるときだけだ。答えたって忘れるんだから無駄なので聞かないでほしい。

よく「それでも家族なんだから」とか「小さい頃はお世話になったでしょ」とか「年を取ったらそうなるのは仕方ないことだから受け入れなさい」とか、そういう言葉を目にする。

そんなこと考えられないくらいに、辛いのだ。そういう人たちは実感していないからわからないのだ。自らの心を傷つけられてまで、加害者にどうして優しくしなければならないのだ。

祖母に「部屋に入らないでくれ」と頼む私は、悔しくて辛くて泣いていた。家族なのに、目の前の祖母が、老婆が憎くて仕方なかった。

目がよく見えないから汚れがほとんどついたままになるためするなと言われていた皿洗いを勝手にして、案の定汚れが付いたまま仕舞おうとし、いつも仕舞っている場所がわからないためぐちゃぐちゃに仕舞い、母を激怒させた日があった。祖母はそれでも「ごめんなさい」とは言わなかった。「あら?そうかしら?」と、とぼけるばかりだった。

しばらくして、母はトイレで吐いていた。

血圧も患っている母は祖母とのやり取りで一気に血圧が上昇したため吐き気の症状が出てしまったのだ。「気持ち悪い、頭がいたい」と便器に向かって胃液を吐く母の背中を擦った。

祖母は耳が遠いのでそれには気づかず、ぼーっとテレビを見て、笑いながら誰かと電話をしていた。

その時の私は、一晩中殺人を犯した際の刑期について調べていた。

自分は軽度のうつ病を患っている。中一で自殺未遂をしたあの日から「何かあったら死ねばいいや」とある意味無敵の人状態になってしまっている。

私が祖母を殺す前に、祖母が他の理由で死にますように。

祖母が死んでも、きっと私は泣けないと思います

2024-07-04

父が亡くなった

どこに書いていいのかわからんので増田に書いておこうと思う。

今朝父が亡くなった。朝8時過ぎぐらいに病院から電話がきて、母と弟を連れて病院に着いたのは9時過ぎぐらい。その時点で既に心臓が止まっていた。

蘇生処置は行わないとしていたため、私たちの到着後すぐに死亡確認となった。眠っているような顔で、それでも体は少し冷たくなりかけていた。

昨日お見舞いに行った際にはこちらの声や周りの音は聞こえている様子だったが、喋ることはできず時折うめいているような状況だった。ここ数日は痛み止めの薬がかなりキマっており、夢と現実の間を反復横跳びしているように見えた。私たちがお見舞いに行ったときには、白目を剥きかけながら現実に戻ってこようと頑張ってくれていたように思う。

父の病状は基本的には容赦なく悪化して行ったが、その進行にはある程度の時間がかかったと言うのが唯一慈悲深かったところだと思う。3年近くの時間を稼ぐことができた。私も最後半年は父と過ごすことができた。父にとっては苦しみがいたずらに長く続いただけだったのかもしれないが。亡くなる数日前に食べたいものはあるか、何か買ってくるものはあるか、と母が父に尋ねたところ、父は「命を買うてきてくれえ」と言っていたらしい。父ももっと長く生きたかったと今際の際まで思っていたのだと信じたい。

父が入院する前、夕食後に毎回ハグしていた。最近はずっと管がついててできなかったか今日は久しぶりにハグできた。もうできなくなってしまうと思うと本当に悲しい。

私はたくさん泣いたけど、ひとつも泣かなかった弟は大丈夫なんだろうか。いつもと同じ調子で虚空を見つめていたけど、泣いていないことで後々辛くなったりしないのかな。個人的には泣くと涙と一緒に悲しい気持ちとか記憶を流せるような気がする。

10:00 葬儀屋地域の縁戚の中で顔役的な人に連絡した。葬儀屋病院への到着は正午ごろの予定。顔役の人は昼ご飯を食べたら自宅に来るとのこと。

10:30 私と弟は先に自宅へ戻ることになった。病院に置いてあった父の荷物もまとめて持ち帰った。お客さんに配るためのお茶を道中買った。自宅で作るって選択をしなかったのは正解。

11:00 帰って座敷に布団敷く。頭は西向きまたは北向き。来客用スリッパは出したが結局ひとつも使われなかった。四歩ぐらいやしなー。玄関に出しっぱなしの靴は一旦片付ける必要がある。来客ラッシュが予想されるためお茶を冷やし来客用のコップを洗

11:30 おうとしたところ、顔役の人が自宅にきた。昼ご飯食べたらって言うたやーん。葬儀屋病院到着予定時刻を伝えたところ、「ほな13時には着くからみんな呼ぶ時間早めるわー」と仰り各所に電話し始める。ここから怒涛の展開なので時間がよくわからない。

11:45? サブ顔役みたいな人がくる。何か式次第チャートみたいな表を何部も印刷して持ってきててビビる

12:30? 続々と縁戚の人が来訪する。

13:00? 葬儀屋さんと母と父が到着する。ドライアイス処置とか化粧をしてもらう。今の時期虫が発生しやすいので蚊取り線香とかあるといいとのこと。

13:30~14:00? 菩提寺住職さん(女性)と坊守さん(住職さんのお母さん)がきた。お経をあげてもらう。住職さんも代替わりしたばかりで、今回の父への読経デビュー戦とのこと。坊守さんが住職さんへ船場吉兆みたいな指示の仕方をしていた。

14:30~15:30? 田舎葬式は怖い。縁戚の人たちがどんどん式次第を決めていく。家族葬にして後のおかえしの負担を減らすのが父と母の意向だったが、真反対の方向に話は進んでいった。私はぬるっと喪主になった。決裁権者は母だし、そもそも私と母の頭上で色々なことが決まっていくため途中からは流れに身を任せていた。

15:30~16:30 役場に死亡届を出しに行く。様々な書類を書いた。喪主(私)と新世帯主(母)が別人でしか世帯分離してると相当めんどい火葬許可証をもらう。これ火葬場に持って行き忘れるとえらいことになるらしいよ。戸籍の変更の関係上2週間経たないとできない手続きが色々あるらしく、時間をおいてまたいらっしゃいと言われた。

16:45 役場から帰ってきたら勝手口に野菜が大量に置かれていた。顔役の人たちが家にいたけど誰が届けたのかは全然からないらしい。だれぇ……?

17:45 エアコン設置の下見を頼んでいた業者さんがくる。今日キャンセルしたらいよいよエアコン設置が今夏中に行えない可能性があるから実施できてよかった。もっと日中訪問だったら終わってた可能性ある。

17:00~18:00 家に残ってた顔役の人の自慢話を聞く。

今日はこんな感じ。ねむい。

https://youtube.com/live/kNNKxg7TO3Y

2024-06-08

葬儀屋です。遺体必要以上に近づかないでください

ドライアイスを吸うと死にます

ドライアイス遺体に使います

遺体の顔をよく見ようと近づいて死ぬ

こんな死に方やめましょう

2024-06-07

葬式

「亡くなられた方が可哀想なのでもっと高いプランしましょう」が葬儀屋の殺し文句らしいけど、死んだ人間なんてどうでも良くない?生きてる人間負担を減らすのが最優先じゃないの。

自分より先に死んだ時点でザコなんだよなあ。・・(寄生獣みたいにゴミ箱に捨てるタイプ)

2024-06-04

ちょっと嫌いになった

こないだ家族四十九日法要があった

特にどこかの檀家とかやってるわけではなかったから、葬儀屋さんに紹介された浄土真宗のお寺でしたんだけど

坊さんが飼ってる猫が式中ずっと目の前うろうろしてて本当に鬱陶しかった

ずっと畳の上走り回ってニャーニャー鳴いてんの

そんでお寺の人もそれ見てフフwってヘラヘラしてんの

親族全員イライラしてたかな、姪っ子はまだ5歳で法事とかよくわかってないかニコニコしてたけど

別に猫が嫌いとかではない むしろ今までどちらかといえば好きだった、飼ったことないけど

そりゃ身内だけの、小さいお寺での法事ではあるけどさ

亡くなってから少し時間は経ったとはいえ、亡くなり方がかなり悲惨ものだったからまだ皆ちょっとブルーだったんだ 本人がまだ若かったし

俺も親父もお通夜で倒れそうになるぐらい辛くて悲しかったんだよ

から一同真面目な気持ち法事に来てるのにさ、坊さんがずっとヘラヘラしてて本当に鬱陶しかった

法事終わってからも「この子やんちゃなんですよwすみませんw」みたいな

坊さんも坊さんの嫁も全然悪いと思ってないみたいだった

いや、じゃあ別の部屋にいさせろよ なんでドア全開で猫入ってくるようにしてるんだよ

終わったあとに姪っ子に「猫ちゃん可愛いでしょ」みたいなこと言ってんのも不快だった

死因とか伝えてないからこう、フランクな感じになったのか?って親父に聞いたけど、

坊さんにはお通夜の時点で死因も身内の雰囲気説明したって

かに通夜ときは真面目にお経読んでたし「まだ若いのに残念で…」みたいなことも言ってた

じゃあ尚更なんで?なんで今そんな茶化すようなことすんの?

納骨もこの人に頼もうって話になってたけど、もうやめることになった 腹立つもん

これ以上関わったら俺も身内も何か言ってしまいそうだし、余計なトラブルにはなりたくない

またご納骨の際はご連絡してくださいって言ってたけどさ

猫も坊さんももう嫌いになりそう

2024-05-25

レジ椅子を置くと葬儀屋が儲かる

立ちっぱなしの仕事なんて日本だけの古い慣習!人権侵害海外にならってレジにイスを置いて誰でもラク仕事できるようにすべき!

なんていかにも現代の「アップデート」した人たちから絶賛される話で歓迎の声が多いようだけど、断言する。

これはたくさんの日本人を殺すことになるよ。

健康な人を増やす

どの仕事にも特有酷使する身体の部位というのはあって初めは誰だってつらい。

私も昔立ち仕事を始めた頃はこんなのムリと思った。

でもそのうち慣れた。

言い換えると身体が強くなった。

先輩も高齢の方もなんら苦にしてないしシャキシャキ歩いてた。

立ち仕事はじつは運動不足現代人にとって貴重な運動ひとつ健康寄与している。

椅子があれば足腰の弱い人でも働ける?

まったく逆効果

椅子があると座りっぱなしになって社会に足腰の弱い人や肥満を増やすよ。

記事椅子置け運動をしてるのが長年働いた従業員でもなくバイト学生団体試験的に設置もしたが反対意見が多かった結果ナシに、というのがあーねという感じ。

そもそも日本レジ椅子は使えない

台所椅子を置いて料理をしてみてほしい。

机とちがって脚が入るスペースがないのでムリな前屈みになり、台が高すぎて二の腕プルプル、右に左に色々な作業しているうちに腰を壊す。

日本レジ椅子を置くとこういうことが起こる。

海外椅子に座って作業してるのはその前提でレジカウンターサービスが作られているから。

じゃあ改修すれば・やり方見直せば、って一部の大手以外そんなことできる?

大半の所では義務的に置かれた椅子腰痛破壊兵器になるか邪魔なだけで使われない置物になるかだよ。

かくして肥満車椅子腰痛その他患者は爆増、医者整体には行列ができ日本人は大量虐殺されたのでした。

む?「人口削減」か……!?

2024-05-06

anond:20240506170756

ジ・アンダーテイカー(The Undertaker、本名Mark William Calaway、1965年3月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州ヒューストン出身

ギミック上の出身地は死の谷とされている。リングネームの "Undertaker" は墓堀人(本来意味葬儀屋)を意味し、転じて「地獄の墓堀人」と表されることもある。TV中継では「テイカー」とも略された。

2024-03-19

多分、興味ないんだろうけどさ

朝、仕事に向かう時に歩く国道の大きな道

大概、憂鬱な気分で歩いてるんだけどさ、

綺麗なんだよね、具体的に何がってわけじゃないんだけどさ

薄曇りの朝、肌寒くて風が強くて、それでも空は青くて高い、太陽光は間接的に建物を照らして、遠くには変哲のない山、ただ濃いグレーが木や土や石の多くの集まりによって作られているだけ

ただそれだけなんだけどさ

今思い出すとなんかこう、涙袋が熱くなるくらい、目の裏に刻んでおける景色なんだよね

自動車がたくさん通って排気ガスなんか物凄いはずなんだけどさ

今日過ごす一日のあまりにも長い時間に比べれば、そのトラックやらバスやら軽自動車やらの編み上げる音なんざ、全然気にならないんだよ

日常ってさ、こういう風に僕の真横を平行に貫く国道を駆ける自動車たちみたいにざーっと過ぎ去っていくんだけどさ

そういう意味では、国道こそわが人生なのかもしれないな

そんな自動車たちに追い縋ろうとして、僕はこんなものを書いたりしてるんだ

こんなことを書いたって所詮は徒歩、牛歩に近い徒歩なわけだから、何も追い縋ることなんて出来ず、ただ自動車毎日びゅんびゅん横を通り過ぎられ、圧倒され、蹂躙され、こうしてコンクリート植木の脇に打ち捨てられた白い不織布マスクなんかを横目にまた一歩一歩なわけなんだけどさ

今、この目で見えているものを見えているものそのままに扱うと、とても鮮やかだよ

今日タスクが、とか、今日上司が、とか、気勢を削いでくるものは色々あるけど

目で見えている生のもの、それは国道を突っ走る自動車的だけれど、実は違うの

吸い込む外気も、空の色も、遠くの山も、建物の外壁も、国道沿いのトヨタやら日産やらの販売ディーラーも、葬儀屋も、iPhone修理屋も、洋菓子屋も、ガソリンスタンドも、信号も、母と子も、中年男性

綺麗なんだよね、

たぶん誰も興味ないんだろうけどさ

2024-02-16

葬送のフリーレンを見たことがない俺がSNSで得た情報だけで予想してみる

アウラというかわいい悪魔がいる

フリーレンはアウラになんでも命令できる

・二人は実は仲がいい

アウラの人気が高いがあんまり出番はなかったらしい

勇者はすごくかっこよくて偉い人

フリーレンは勇者が好きだったっぽい

最後フリーレンと勇者結婚するのがファンの予想

アニメ原作尊重してて評判がいい

アウラが首を切るシーンの何がいいのか分からない。かわいそう

・「男の人ってこういうのが好きなんでしょ?」みたいなシーンがある

・時々下ネタが入る

フリーレンの横にいる少女フリーレンのいとこ

・二人は仲が悪そうで良い

フリーレンはエルフ長生

フリーレンは時々泣く

フリーレンは長生きしすぎて人と感覚が違う

ドワーフみたいなおじさんがいる

戦闘頭脳戦が多い

フリーレンは笑わない

・人気ランキング、一位がフリーレン、二位がアウラ三位勇者

・葬送の意味はよくわからない。葬儀屋かもしれない

残酷なシーンは少なめなので小さい子でも見れなくはない

・ただファンタジーの設定を知ってないと分かりにくいので難しいか

SNSフリーレンの話はよく流れて来るから意外と当たってる気がする

2024-02-12

anond:20240211014407

ぼったくり葬儀屋が全滅してくれれば素直に感動できるんだけどなあ

2024-02-11

anond:20240211014407

自分職業文章の途中で明かし始める部分がツイッター創作文慣れしててなんかイマイチ

私は陰キャオタク葬儀屋に勤めてる、って最初に書かなかった意図は?

祖父お葬式無双した

おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する

.

私はどこに出しても恥ずかしい陰キャオタク

更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。

5歳下の弟は国立大入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業新卒採用された。

私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日

.

絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。

あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家事業継いだり、東京仕事したり、そんな感じ

親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。

.

そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父訃報が届いた。

深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。

夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。

すごく綺麗な姿をしていた。

れいなのだ

おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」

.

おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ

伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め

葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。

私は車から仕事道具を持ち込みながら言った

.

「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」

.

葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃん葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ

専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた

私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている

親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた

半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。

とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。

気がつくと、他の親戚たちから目線

どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。

…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。

.

その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃん相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。

直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。

そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。

.

.

翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。

この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。

そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。

代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表あんたじゃないでしょ」と否定的

そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。

.

そんなこんなで、本番。

お経が終わって、孫代表弔辞

名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。

読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。

今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫から言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。

最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧

振り向いたとき揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。

葬儀屋さんも泣いていた。

私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。

.

葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。

あんなに素晴らしい弔辞いたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。

まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。

否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。

どんな仕事でも、活躍の場があるということ。

なんだか、ありがたい経験だった。

からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから大人しく、お葬式は姉に任せなさいね

.

そして、おじいちゃんありがとう

三回忌法要、お参りにいくから

2024-02-04

anond:20240204173322

葬儀屋広告かなんかでモロにミュシャをパクったのを見かけたんだけど、ダサいなぁと思ってしまった

2023-12-03

ある警察官は元同僚の葬儀屋に買収され、元同僚に仕事を優先的に回していた

警官神奈川県警の全てでやってると思う」遺体搬送巡る収賄 有罪

リークされた安倍派のキックバックも、警察官などの買収に使われただろうな

あの世界では、まとまった金を貰いっぱなしで何もしないというのは、ジンギに反するらしい

それで、河合夫妻から収賄有罪になったのは広島市議だけらしい

特捜金銭の流れは追うと思うが、何に使われたかまでイモズルをひっぱれるか、分からんね 

増田はむしろ警察不正検察の指示ではないかと思っているが)

2023-07-29

パートナー写真は撮っておこう

まず書くと、俺は嫁を数年前に亡くしている。

そこの詳細は省くが、先日7回忌を終え気持ちに余裕があるので、おまいらにも同じ後悔をしてほしくなくて書くぞイ!余裕と書いたが別に元気だぞイ!

嫁は写真が嫌いだった。

会社の集合写真でみんな笑顔で!とか言われてたのに1人だけすげー変な笑顔で映っていたか上層部判断で嫁だけ外されたのは今でも義母さん達と話のネタになるぐらい、それぐらい写真に対して抵抗があった。就活の時は証明写真機の前で5時間ぐらい己の中の写真嫌いな気持ちと戦って撮ったらしい。

から俺も嫁の写真は撮ってなかった、別に撮らなくても困らなかった。むしろあれだけ嫌がってるのに撮ろうという気にもならなかった、カメラを向けたら俺は殺されていたかもしれない(^_^)

俺たちは訳あって結婚式とかもしてなくて、嫁もウェディングドレス興味ないって言ってたし、まあ普通にいつも通り旅行行って、嫁の家族食事会して、ぐらいで、だから写真必要な時がなかった。ちなみに食事会の写真は嫁が撮った、結婚指輪持った俺と嫁の家族、何の写真なんだ。

嫁が死んだ時、遺影に使われたのは随分と若い時の写真だった、高校卒アルだ。義母さん達と話し合った結果、これが1番まともに写ってるねとのことで。葬儀屋の方には何度も本当にこれでいいんですね?と確認されて、本人に聞いたらこれもダメって言われますよ、って答えた。こいつらヤバい奴らだと思われていたかもな。

こじんまりとした、知り合いだけのお別れ会みたいな感じで、高校大学からの付き合いがある参列者の人達から、え?なんで?生前からの本人の意思なの?と聞かれまくって、いや実は嫁は写真が嫌いでして…って話をしたら、確かにちゃん写真映りたがらなかったねー!嫌いだったんだー!と言われて、嫁の好きな堅苦しくないお別れができて、それはそれで良かったのかもしれない。

(その後、嫁の友達から微妙に1/3ぐらい嫁の写った写真写真撮るの気づいて残像になってる嫁の写真など送られてきました、ありがたい)

遺影の話があったからか、嫁の写真ないな、と改めて思ったりした。旅行に行った先で撮った写真は数あれど、嫁が写ったものは全くない。(手とかはあるけど)

嫁との思い出は俺の中にしかないのだと、唐突理解した。

俺は怖かった、この先嫁のことを忘れていくんじゃないかって、けどその時、何をきっかけに思い出せるだろう。嫁の持ち物や、旅行写真や、そういうもので嫁の顔や声を思い出すことができるんだろうか。

結果、まあ忘れていく。しょうがないよね。旅行に行ったことも、嫁とこんな話したな、ということも、あんなことあったな、こんなこと言ってたな、これ食べてたな、とかおおかた覚えてはいるけど、あの時嫁はどんな顔で笑っていただろうか、そう思うとなにもない。こんな顔で笑っていたな、と思っても、それはもはや俺の記憶の中でしかない、答え合わせがしたいんじゃなくて、もう何もないという事実に押しつぶされそうになったことが何度もある。寂しくて仕方がない。

嫁が死ぬの前提で写真を撮るって話はおかしいけど、演技でもないけどもう死んでるから、もし嫁が死ぬのがわかっていたら、俺は嫌がっても撮っていたかもしれない、それは俺の都合で、嫁は死んだ後にまで嫌いな写真があるのなんか嫌がるかもしれない、けど俺は、ああ1枚ぐらいはあればよかった。そう思ってやまない。

年齢的にももちろん気持ち的にも再婚は考えてないし、義母さん達とは普通に家族同然に仲良くさせてもらっているので、これからも俺は俺なりに生きていく。

嫁のことを細かいことも、場合によっては大きなことも忘れていくのは寂しいけど、まあ死んだ先できっと暇そうに待っている嫁が未来はいると思うと、少し嬉しい、というか、早く会いたいって気持ちがある。お別れしないなら別に写真がなくてもいいから嫁も嫌がらないし。

別に死のうとかじゃないよ!今度義父さんとゴルフ行く約束もしてるしな!

パートナーがいる諸君パートナー写真は少しでいいから撮っておこう。毎日じゃなくても、何かあった時の1枚が積み重なったら生きてても死んでても、意義のあるものになると俺は思う。

あと、俺は俺の知らない幼少期の頃の、まだ写真が嫌いな嫁になる前の、嫁の写真をよく見せてもらう。小学生ぐらいまでの写真が山ほどある、嫁は唯一の子供だったか義母さん達が山ほど撮ってた。義母さん達の家の居間に置いてあるからご飯食べに行った時とかに適当に見ている。知らない頃の嫁だけど、それでもああ嫁だなと思う、っていう話も付け足しておこう。パートナーの幼少期の写真があって見られる人は是非見ておくといい、おすすめだぞイ( ^∀^)

2023-06-07

災害人為的に起こせるんだよな

ウクライナダムもそうだが、コロナ熱海土石流苫東厚真発電所の大停電福島原発

みんな必然的に起きた、隠れた戦争だった

法曹葬儀屋医者はそれで仕事を確保

自民谷垣派が来るんじゃ、あと20年は戦争だろ

2023-05-23

祖父ウニの話

みなさ〜ん、じいちゃんばあちゃん孝行してます!?

(している人が頷く)

天国に昇れ!!!!!!!!!!!

 

 

これは、私の祖父孝行不足に対する後悔の話である

 

 

私には、高校生とき他界した祖父がいる。

祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。

 

しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。

 

祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行北海道に行くことになった。

お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。

 

修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。

 

しかレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。

 

高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。

 

そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。

 

 

ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。

けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父他界した。

危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。

 

葬儀ときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。

病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。

でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。

 

葬儀屋さんや親から最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。

ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。

  

葬儀が済んで半年が経ち、祖父母の家を訪れた。

祖父の座っていたソファ空っぽだった。

空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。

 

祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。

それなのに私は、祖父に何も返せなかった。

返せたものがあるとしたら、それは修学旅行お土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。

祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃん最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。

 

社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。

この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。

 

なので今は、祖母孝行に精を出している。

祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。

 

祖母86だが、膝と耳が悪いだけでまだまだ元気である

離れて住んでいるのであと何回会えるか分からないが、会ったときには祖母を喜ばせられるよう、いい孫でありたいと思う。

2023-05-18

グリーフケア体験談アドバイス求む

6年にわたる闘病ののち、夫が旅立った。

夫はやっと苦しみから解放されたのだろうか。

辛いはずなのに取り乱すこともなくいつも私より穏やかだった。

葬儀屋に預け、一人帰ってきても夫の「おかえりー」が聞こえる気がした。

夫がいないなんて信じられない。

今日一緒にご飯食べたのに?

しばらく立ち直れそうにない。

真剣グリーフケアを考えないとマジで病みそう。

身近な人の死を乗り越えた諸先輩方のアドバイスがほしいです。

2023-05-03

新潟から東京港区(の南側)に移り住んで驚いたこ

自分大学卒業を機に、新潟から港区白金高輪引っ越した。

住み始めておおよそ3年が経った。

港区」と言っても、白金高輪港区の南に位置する、閑静な住宅街だ。家賃も言うほど高くはない。

そのため、いわゆる「港区」のキラキラギラギライメージを醸成する六本木赤坂とは、趣も異なる。

そんな白金高輪に、私は3年ほど前に、新潟から引っ越してきた。

実を言うと、それまでは白金高輪という地名さえ知らず、恥ずかしいことに「しろがねたかわ」と読んでいた。※正しくは「しろかねたかなわ」

そもそも港区であるということに気づいたのも、契約書にサインする直前だったりする。

そんな地方田舎者には、この地の生活に驚きがいくつかあった。

① 高級車をよく見かける。

私はあまり車には詳しくないが、やはり高級車をよく見かける気がする。

大抵、一軒家の車庫には、素人にも少なくともエンブレムから国産車ではないことは分かる、ピカピカの外車が並んでいる。

暖かくなるこの行楽シーズンには、キラキラオープンカーサングラスのイキりMaxフル装備ドライバーも、日常的だ。

少し前の話になるが、高輪ゲートウェイ駅のお披露目の時には、ガルウィングランボルギーニが停まっていた。

見せびらかすために、わざわざ遠くから来た人だったのかもしれないが。

スーパーに高級品がやたらと並んでいる。

クイーンズ伊勢丹リンコス肉のハナマサといったスーパーが近くになる。

当然、いずれもごく普通リーズナブル商品も一応売っている。

しかし、同じぐらい、妙に高い商品も、「え、みなさんこれぐらいのやつは買いますよね?」といった雰囲気、さも当然のように並んでいる。

1,000円のレトルトカレー、3,000円のオリーブオイル帝国ホテルバターピーナッツクリーム外国お菓子豊富調味料などを見ていると、お土産屋に迷い込んだかと錯覚する。

5,000円ぐらいするブランド和牛ステーキ肉も年がら年中置いているが、こんなもの年末年始誕生日ぐらいにしか買わないだろ、という新潟県民の感性は、白金高輪から外れているようだ。

③ 意外と発展の余地があるように見える。

白金高輪は、近くの広尾麻布と比べると、まだ開発され切った街ではないように見える。

高輪ゲートウェイ駅の開業2020年だったため、これからなのだろう。

坂や道うねり一角には、昔から住んでいるのであろう古ぼけた一軒家、謎の古本屋や良く分から葬儀屋などが残されている。

一口に「港区」と言っても、地域ごとの風情にはやはり、いくらかの差があるのかもしれない。

おかげさまで家賃は抑えることができるため、とりあえず「港区に住んでいる」とイキりたい諸氏には、悪くない選択肢だと思う。

しかし、いうまでもなく、そびえたつタワーマンションは、価格べらぼうに高い。

億越えのマンションは当たり前のようにある。そういった世相には疎いのだが、有名人も住んでいるらしい。

私は見上げ、そのふもとの日陰に涼むことしかできない。


他にもいくつかあるが、おおよそこのあたりが、自分にとっては驚きだった。

総じていえば、住みやす土地だ。

それほど生活費がかさむわけでもなく、中心地に対するアクセスの良さと喧騒から距離を兼ね備えている。

しばらくしたら、もう少し広い部屋に住みたい。

もちろんここ、白金高輪で。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん