はてなキーワード: シュレディンガーの猫とは
某日。飼い猫と家の駐車場にてたむろする。
猫は、白いコンクリートの上で背中を擦り付けゴロゴロするのが好きな生き物だ。人生30年あまり、代々の猫を観測してきてそう思う。
その日はふと、地面のにおいを嗅ぐ仕草。その仕草をするならば、半径1メートル内に必ずうんちが存在するといっていい。もちろん、飼い猫のうんちではなく、野良猫の致したものである。
草むらっぽいところであれば、猫のおしっこのにおいがプンプンしてくるし「トイレ」になっていることは想像しやすい。
果たして、私の家の駐車場をトイレにしている猫がいるのだろうか?
私の左足斜め前に、黒く光る玉があった。
見覚えのあるものだった。
玉は、おたまじゃくしのような、浅草のアサヒビールの本社のオブジェのような、「うにようにょ」部分が付いている。よくよく見ると毛の塊のような。
これは、猫のうんちで確定であろう。
猫は、うんちがとても難産である。それゆえ、トイレでもかなり踏ん張っており、キレが悪かった際にはケツを床に付けてずるずると前進する姿も見せる。そのアホさ加減は半端ない。
今までどれだけのうんちあとを見てきただろう。目の悪い年をとった母親には見えないけど、家のいたるところにあるんですよ、ケツ(うんち)の通った道が。
ただ今回の場所はコンクリートということもあり、うんちあとはわからない(犯行時間も判断できない)。
しかし……
うんちの少し後ろには、白い毛が地面にぴらぴらと張り付いていた。
絶対猫がうんちのキレが悪くて、うちの駐車場でお尻ズリズリして、うんち1個と毛を落としてったに違いない。
でも現場は見てないのだから、お尻をズリズリした猫は、まるでシュレディンガーの猫のように私の中に潜在している。
シュレディンガーの猫←「フタを開けてみるまでわからない」程度の話ではない
タイムパラドックスやな! これ、結構頭がこんがらがる話やけど、いくつか解決方法が考えられてるんよ。
過去に戻っても、歴史を変えることはできひんねん。例えば、タイムマシンで過去に戻っても、自分の存在を消してしまうような行動は絶対に取れへんねん。
結局、何やっても、歴史はもう決まってて、矛盾は起こらんように収まるってことや。
過去に戻って何かを変えたら、元の世界とは別の分岐した新しい世界ができるんや。
それで、パラドックスは発生せえへん。例えば、自分が戻ったことで親を救えたとしても、それは元の世界やなくて、新しい世界での話ってことや。
過去を変えようとすると、何かしらの出来事が自然に起こって、元に戻る仕組みがある。
例えば、何か重要な物事を変えようとすると、急に事故に遭うとかで、その変化が起きへんようにするんや。
あるいは、時間は柔軟に変えられるって考え方もあるんや。
この場合、過去に戻って変えたことがそのまま未来に影響を与える。つまり、タイムパラドックス自体が無効になるんや。
ただ、この場合は新しい時間軸が形成されるから、元の歴史とは異なる未来ができるっちゅうことやな。
どれも結構難しい話やけど、要は「矛盾はうまいこと避けられるようになってる」ってことやね。
時間はまだまだ謎が多いもんやから、こういう議論がずっと続くんやろな。
(2と4は同じ論理じゃないの?)
ええ質問やな!
「時空は変更可能」って理論と、「多世界解釈」は似たように見えるけど、実際はちょっと違うんや。
ここでそれぞれの違いを説明するで。
• 根っこは量子力学の考え方や。多世界解釈は「シュレディンガーの猫」の話でも有名やけど、量子レベルで無数の可能性が同時に存在しているって考え方が元になってるんや。
• ある出来事が発生したときに、その結果によって新しい世界(別の可能性を選んだ結果)が常に分岐していくというもんや。
• 例えば、あんたが過去に戻って何かを変えた場合、その瞬間に元の世界とは分岐した新しい世界が生まれる。でも、元の世界もそのまま残ってるから、「並行する複数の世界」が同時に存在しているんや。それぞれの世界は独立していて、互いに干渉せえへん。
• これに対して、「時空は変更可能」っていう理論では、過去を変えたらその影響が直接未来に反映されるんや。新しい未来が形成されるけど、元の世界は上書きされる可能性があるんや。つまり、元の世界が「なくなる」か、「完全に置き換わる」っちゅう話や。
• この理論の下では、一つの時間軸しか存在せえへん。過去を変えると、そのまま新しい未来が展開されるけど、分岐したり、別々の世界が同時に存在するわけやないんや。
• 多世界解釈:過去を変えることで新しい並行世界が生まれるけど、元の世界もそのまま存在してる。つまり、どんどん世界が分かれていく感じや。
• 時空は変更可能:過去を変えると、元の未来は上書きされるかもしれん。つまり、一つの世界が変わっていくんや。新しい世界が作られるっちゅうよりも、世界が変わっていくって感じやな。
あんたがタイムマシンで過去に戻って、昔のお父さんが選挙で立候補するのを手助けして当選させたとするな。その瞬間、元のお父さんが選挙に出なかった世界と、新しく当選した世界の二つの世界が同時に存在するんや。元の世界はそのまま続いてるけど、新しい世界も新たに走り出すんや。あんたはどちらの世界にいるかは、そのときのタイムマシンの設定次第やけど、どっちもちゃんと存在してるで。
同じくタイムマシンで過去に戻ってお父さんを当選させたら、その瞬間に元の世界はなくなって、新しい世界が形成されるんや。あんたが過去に戻る前の未来はもうなくなってしまって、完全に新しい未来に上書きされるんや。つまり、あんたはもう「選挙に出ないお父さんがいる未来」には戻られへん。
ああ、君の観察は興味深いが、完全に的確とは言えないな。
任天堂信者とソニーファンの争いか。まるで素粒子物理学における弦理論と量子ループ重力理論の論争のようだ。どちらも自分が正しいと信じて疑わない。
スキルを磨かず、転職もせず、ただネットで冷笑している連中?彼らは明らかに、エントロピー増大の法則に逆らおうとしているようだ。無駄な努力だ。
低賃金で買えない現状をソニーのせいにする?それは、重力を理解せずに自分が飛べない理由を地球のせいにするようなものだ。完全なる論理の欠如だ。
政治参加の欠如?まるで、シュレディンガーの猫の箱を開けないまま、中の猫の状態を決めつけようとしているようなものだ。観測なしに結果を語るなど、あり得ない。
今日も完璧な一日の始まりだった。朝食は黄金比に基づいて配置されたオートミールとトースト。
同居人が私の聖域を侵した。マイ・プレシャスなラベルメーカーを無断使用したのだ。そのラベルメーカーには「至高のラベリングデバイス」というメタラベルが貼ってある。さらにそのラベルには「メタラベル」というメタメタラベルが。
隣人宅で家具組み立てを強いられた。説明書はまるでバベルの塔。私ならクラインの壺のような4次元家具を設計できるというのに。
パートナーと食事。彼女は私の洗濯機リントトラップ清掃儀式を30分間黙って観察。これぞ真の愛だ。
宇宙人の陰謀で地球が平らになった日、俺は突如としてネトウヨに目覚めた。愛国心は青いバナナの味がして、憲法改正は紫色の音が鳴り響いていた。
ある日、天井を歩いていたら、床から生えてきたパヨクと遭遇した。彼は赤旗をケチャップのように振りかざし、マルクスの髭で俺の靴を磨いていた。
「お前、ネトウヨだろ?」とパヨクが逆立ちしながら尋ねた。「ああ、でも今日は水曜日だから中道だ」と俺。すると彼は、シュレディンガーの猫のように存在しないのに存在するハグを俺に与えた。
ハグの瞬間、俺の右脳がパヨクに、左脳がネトウヨになった。真ん中では、キムチと寿司が混ざり合う奇妙な料理が生まれていた。俺は叫んだ。「日本を守るぞ!でも日本なんてないぞ!」
その後、俺たちは手を取り合って虹の上を歩き、北朝鮮と南極を結ぶ地下鉄に乗った。車内では、安倍晋三とカール・マルクスがトランプで遊んでいた。
最後に俺は悟った。ネトウヨもパヨクも、結局のところ宇宙のチリに過ぎないのだと。そして俺たちは、巨大な猫に食べられて幸せに暮らしましたとさ。
世界って不思議だよな。俺たちプレイヤーが主役のはずなのに、NPCたちときたら何様のつもりだろうか。
まるで自分が世界の中心みたいな態度で、こっちの気持ちなんて考えもしない。
彼らは夜中に集まって、プレイヤーの悪口大会を開いているらしい。
「あいつら、セーブデータ消すと記憶もリセットされるんだぜ」なんて笑い話にしている。
そりゃ傲慢にもなるわけだ。
ところで、シュレディンガーの猫って知ってる?
あれと同じで、NPCたちも観測されていない時は存在と非存在の重ね合わせ状態。
だから、プレイヤーに見られた瞬間に急に態度でかくなるんだよ。存在を主張したいらしいんだよね。
結局のところ、NPCたちの傲慢さの正体は、彼らが実は宇宙人だからだ。
僕はその概念がプログラミングにどう関連しているのかを理解するのに時間がかかった。
しかしベクトル空間と行列の操作がコードの中で美しくシンメトリーを描く瞬間を発見した時の驚きは、シュレディンガーとハイゼンベルクの式が同じ結果を示していたことを知った時のそれに似ていた。
現実と理論が一致するその感覚は、あのときの僕の混乱とシンクロしていたのかもしれない。
デバッグ作業の合間に僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。
聞いたこともない小説だった。ただ何となくその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。
SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない小説、誰も語らない物語。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違っていた。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようにぎくしゃくして、欠けてしまったパズルのピースを探すほどの元気もゆとりもなかった。
仲違いの理由は妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも何も言えずにいた。
ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら僕は自分の無力さを感じた。すれ違いはいつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻るとふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつてあるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫しその模型だけが残った。何かを触れ何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
デバッグ作業の合間に、僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり、何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。「聞いたこともない小説」そう銘打たれたその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると、古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない、誰も語らない小説。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違いがちだ。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようだ。
そして、僕たちの仲違いの理由は、妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも、何も言えずにいた。ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から、心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら、僕は自分の無力さを感じた。すれ違いは、いつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻ると、ふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつて、あるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し、人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫し、その模型だけが残った。何かを触れ、何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
やけになった僕は、深夜の街をさまよい、風俗に足を運ぶこともあった。そこでは、まるで別の世界が広がっていた。虚無感と欲望が交錯するその場所で、一瞬の逃避を得るためだけに時間と金を費やした。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
夜、僕は届いた小説を読み始めた。ページをめくるたびに物語は奇妙に絡み合い、現実と夢が交錯する。登場人物たちの葛藤や喜びが僕自身の感情とリンクしていく。やがて僕は一つのことに気付いた。その小説は僕たち夫婦の物語と重なっていたのだ。
翌朝、僕は妻にその小説のことを話した。彼女は驚きながらも興味を示し、僕たちは一緒にその物語を読み進めることにした。ページをめくるたびに僕たちの心は少しずつ近づいていくように感じた。
たんぽぽが咲き誇る春の日、ミケは僕たちの間でくつろいでいた。僕たちの生活は完全には戻っていないが、少しずつ、確かに何かが変わり始めていた。それは一本の指のように繊細でありながらも、確かな感覚を伴っていた。
飼い主はGWだからと旅行に勤しみ、その間我が家で預かることになった。
シュレディンガーの猫は隙を見つけると箱に入りたがり、「箱だけには絶対に入れるなよ!」と釘を刺されているので今のところなんとかくい止めている。今はちゅーるで落ち着いているけど、箱に入れないよう見張るのは骨が折れそうだ。
ちょっと待って。シュレディンガーの猫というのは、箱を開けて観測するまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重ね合わせになっていることを言うんじゃないの?
存在しないわけじゃないでしょ。
自分が見ている光景、感じている感覚、嗅いでいる匂い、感じている感情は何の形にもならず、誰にも伝わらず、ゆえにシュレディンガーの猫のように、社会的には存在しないも同様である。
鳥山明が死んだ。
神田沙也加も死んだ。
安倍晋三も死んだ。
三島由紀夫も死んだ。
ウチのペットも死んだ。
みんな死ぬべきではなかった。社会に対して、他者に対して、影響力を持った人物だった。生きている意味があった。うちのペットには何の罪もなく、ただただ可愛かった。
特に何の社会的な価値もない自分は生きている。あまりに偶然であり、特に必然性もない。ただ単に、偶然、何の意味もなく生きている。
生かされている理由があるわけでもない。ただの偶然だ。その辺に虫が這っているのと同じ現象だ。
自分が生きていることが(別に価値がないとか無駄とか言っているわけではなく)本当に、夢幻のように思えてくる。もしかしたら、誰かの古い記憶をすごくリアルに追体験しているのかもしれない。
自分が見ている光景、感じている感覚、嗅いでいる匂い、感じている感情は何の形にもならず、誰にも伝わらず、ゆえにシュレディンガーの猫のように、社会的には存在しないも同様である。
だが胸が締め付けられる。ただただ胸が締め付けらるのである。いや、しかし、それが生きていると言う事だなあ、こんな気持ちを、死んだ者たちはもう感じることもないのだ。