はてなキーワード: 齟齬とは
公立学校教員の労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います。
教師に残業代が出ない理由を理解するために知っておきたい2つの事実
https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/
残業代ゼロ 教員の長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/
今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。
それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則が存在しておらず、36協定も締結していなかった。
そもそも、私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場の組合の「代表者」を務めている。
酷い話だ。酷いのは自分だ。
私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人が税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。
そもそも、この話は何故始まったのか。
理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員を残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休みに都内の私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事側から聞いた。
私はそれまでの20数年間、残業代が支給されないのは当然のことであると考えていた。
タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。
また、部活動の指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである。
2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。
2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動の顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。
しかし、実際は「公立学校の部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。
理事側の希望としては、2017年の10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。
その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。
給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。
この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員の場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも「残業代に相当するもの」ではない。
勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。
この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。
私を含めた組合側の代表も、「給料の手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。
その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。
・来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。
・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。
・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。
「研修日」とは、公立私立を問わず、中学高校ではよく見られるシステムだ。
週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである。
数年前の又聞きではあるが、都立「高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。
私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見を尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。
2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。
36協定が発効する。
変形労働時間制の年間の案が示される。
その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。
基本的なルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。
・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。
・行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。
・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)
・会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。
・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。
私個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段の仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に「異論」を申し入れることはしなかった。
36協定も改めて締結。
2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。
『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。
この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合、指導が入ることになるのだろう。
36協定も改めて締結。
明らかな変更は、先に述べた「部活動の顧問は強制では無いが、なるべく何らかの顧問を担当して欲しい」という指示があったことである。
どこの学校であっても「あまり文句を言わず、仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。
私の勤める学校の理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図のメッセージを随時発してはいる。
しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。
なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである。
授業準備という「重要な仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。
個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール「楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。
界隈をずっと賑わせていた契約解除になった二人が新しく転生するらしいです。
お別れ会もなくて怒りのぶつけどころを探して暴れていた人たちも少しは落ち着いてくれるといいなという気持ちです。
と、いう事で本格的に二人が消える事が確定したのですが、改めてVtuberの魂について考えてみたいと思います。
Vtuberの魂とは演者と等しいという意見もあります。この意見を絶対と信じている人たちは主にアンチスレに生息していて
ひたすら前世情報と裏アカの情報を探してVtuberというより裏の演者が好きな人達です。
この意見はブーム初期に邪道という事でアンチスレに隔離するという裏ルールで動いていました。
最近は界隈そのものが広がった結果、邪道だったはずの意見が目に見える所に出てきてとても不快なのですが、
界隈そのものが動画中心のキャラを愛でる世界から生中心の人間が皮をかぶって放送する世界へと変わってしまったので仕方がない部分もあります。
それに対してデビュー当初は魂=演者だったものが、活動期間が増えると共にファンと認識を共有して演者そのものではなくて存在しないはずの
私はこれこそがVtuberという本質そのもので見た目が2D、3Dは些細な違いだと考えています。
なので、その視聴者との認識を著しく狂わせる事をしてしまうと炎上騒動になってしまいます。これがゲーム部、キズナアイさんあたりの炎上の本質で、
アンチスレの人たちは別にして、演者だけが別の体に入って新たに活動しても以前のファン全てを引き継げない理由がここにあります。
で、本題なのですが演者が去ってしまったVtuberというのは、もう動かない人形以外の何物でもないので見た目は死んだように見えます。
これは、Vtuberに何を求めているかによって見方が変わります。生放送やtwitterを通じた交流を求めている人達からすると
間違いなく死んでしまった存在なのですが、Vtuber同士で絡んでいるのを見るのが好きで特に本人との交流を求めていないという層も存在しています。
ここで魂の話に戻るのですが、ファン側が魂のある程度を握っているので、演者がいなくなっただけで別に死んでしまった訳ではないという考え方もあると思っています。
Vtuberというのはそもそも魂の範囲内であるならば演者を分離可能な存在です。
これは、ゲームのする人と声を担当する人が別。ダンスする人が別など数多くあります。
そもそもブーム初期から声、ジェスチャーと表情の切り替えを複数人で担当していてそれを魂と呼んでいるので、特に違和感はない話ではないです。
公開されているMMDモデルにモーションつけた動画も数多く公開されていますが、そこに演者は存在しないにも関わらず魂の類似度が高いと本人だと認識できたりもします。
つまり、Vtuberという存在は魂を認識できる人間さえいれば見様によっては不滅ですし、Vtuberという存在からキャラクターに変質するという言い方もできるかもしれません。
演者がいなくなっても消えた訳ではないという考え方もできるので、演者が契約解除や引退したとしても好きだったVtuberまで消えてしまったと悲報する必要はありません。
むしろ、生ものコンテンツからキャラコンテンツに変わった事によって魂の齟齬から違和感があった事もできるようになります。
良くないと思ってはいる。
許容しなきゃいけないとも思ってはいる。
けれども心の底から許せない。
仕事に関わりのあるソフトウェアの仕様調整関連の仕事をしている。
ぼちぼち戻る話が出ている。
何を作るかを明確にし、
各人は目的がないと全く動かないが、
あるべき姿を見ながら仕事をする。
ただし仕事は遅い。
設計図を出して上のロクなチェックもなく通り、
各人はそれぞれ目の前にある仕事だけを最優先で処理して終わる。
上の人は指示するだけ。
ぼちぼち戻る話が出ているが、
戻ってクーデターを起こすか離れるか、本気で考えている。
少なくともこのまま行くとまた同じ轍を踏む。
クーデターを起こすなら、
(1)特に指示が出ていないが次に構想している物の要求仕様を送り
(2)仕様書を全員で考えるよう働きかけ
(4)設計書を書く
という流れを本気で導入したい。
元の所属には
「下にキツめの仕事させとけ」
「次?こんな感じで作ればいいんじゃない?」
「明日使える仕事じゃなくて、数年後に仕事が円滑に回る勉強です」
「しっかり仕様作って齟齬がないようにしないとまたトラブりますよ」
なんて言っても納得してもらえない。
兎にも角にも許せない。
どうしたらいいんだ。
◯味方を増やせたら良いね
同じ所属の人には
・今までのやり方だとちょっとまずいけどどうしようか派
たぶんそうだと信じたいです。
美術の学生を教えていて、近年、怖いなと思うのは、道徳や倫理的判断の話が、美的判断と齟齬をきたすような場合に、安易に、非常に安易に、「でも私はナニナニが好きです」とか「ナニナニは美しいです」とか言ってしまうこと。美は正義ではないので、美的判断が倫理的判断と衝突する場合には、— masako toda (@kumamuta) December 8, 2019
言っている事自体は間違ってないと思いますが、ぼくのかんがえたさいこうの倫理を振りかざすギャラクトロンの群れが暴れまわってるこのご時世にそれを言われても……
というかリベラルなみなさんがた、ほんの数年前まで「道徳教育を許すな!」と声を枯らして叫んでたじゃないですか。
想定する信仰対象は違うにしても、こんな状況になることを怖れてらしたんでしょう?いくら自分たちが教祖になれたからって推進してどうすのさ
美術の学生を教えていて、近年、怖いなと思うのは、道徳や倫理的判断の話が、美的判断と齟齬をきたすような場合に、安易に、非常に安易に、「でも私はナニナニが好きです」とか「ナニナニは美しいです」とか言ってしまうこと。美は正義ではないので、美的判断が倫理的判断と衝突する場合には、— masako toda (@kumamuta) December 8, 2019
これは私も危険だなあと感じていて、
現代は倫理に反した作品や表現をあまりにも安易に消費しすぎているように思う。
そういった物を美しいとかカッコいいとか感じてしまう事にもっと警戒心を持ってほしい。
それは倫理に反する行為を正当化し、美化しているのと同義だから。
表現する側は倫理から逸脱するものを描く際にはもっと慎重に、かつ必然性を伴う場合のみに限定するべきだ。
補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350
これは退職者アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初は自分のブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌。
よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験の生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます。
といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。
この話はここから先はフィクションです。剣も魔法も労基法も出てこないファンタジーです。
地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんとれいきらさんです。
これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係のバイトをしてきました。玉掛とフォークリフトなら任せろーバリバリ
会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。
その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社のシステム部門で人手を探しているとのことでした。会社のホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分のスキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページがDreamWeaverのサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。
面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubやatcoderのアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。
地方の製造業のシステム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書は自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間でプログラムが分かるのは業界未経験の自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。
ちょうど入ったタイミングで情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社のサイトをスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作を委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマで運用してきた様でした。もちろん仕様書やローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分はWebデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssにメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応をしましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。
入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたことから、いつのまにか新規案件を自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義や技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなときに相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpにjsもcssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。
Windows Server 2012で動いていたサービスをLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHでPowerShellからマニュアルのコマンドをコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...
毎日出退時間を規定のEXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。
これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分の想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識で会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。
チーム開発などという概念は存在せず、「1案件を1人で上流から実装、運用、保守、サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲でギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります。
自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修の概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄な時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これからも物理フォルダーと社内サーバに散逸した各種の情報は混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。
サーバはオンプレでした。自分はクレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。
余談ですがオンプレで面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)
イキってカイゼン・ジャーニーや情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分のロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。
さてお待ちかねメインディッシュですね。
もともと技術やコンテンツの会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋が不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。
これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営の中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝の言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議、日報をエクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。
社内のコミュニケーションツールはLINEだったので使い勝手も悪く、会議でchatworkかslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。
えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人は発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議の議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録が機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分の技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能はマストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。
初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成”しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場はシステム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。
もともと会社は製造業から始まったため、えらい人たちとの見解に齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備とマンパワーと時間が線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間の見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインやマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営者視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署のMTGのためのプロジェクター設定、全PCのwindows updateに伴うドライバの更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。
そして、よくあることですが、理念と実態が乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしまい人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任の所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチのときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。
違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)
総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用・教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明の状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね。
現在はスキー場で住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。
可処分所得・可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます。賃金はふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nestが面白そうな感じです。あと寮のwifiが談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイをルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります。
先のことはなにも決まってませんが、ちゃんとエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがあります。レビューやスクラム、アジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社は日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分は空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外で大麻栽培でも始めようかなぁ。
巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプが生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会の要請ならばそれまでですが。
自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。
といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。
アイドルマスターシンデレラガールズが大きく舵を切って、アニメ由来のイメージを取り込む方向に動いている
何年も音沙汰なかったアニメ由来のユニットをモバマスで登場させ
アニメから広まったアイドルとアイドルたちの関係性のパブリック・イメージを、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツ全体で本格的に統合しようとしている。
アニメの木村夏樹はキャラクターを改変されて、多田李衣菜と前川みくの関係性強化のために当て馬にされた
これによってアニメ化以前からの木村夏樹と多田李衣菜の関係性は破壊された
木村夏樹は多田李衣菜と前川みくのアスタリスクの添え物にされて、安部菜々とニコイチにされた。
木村夏樹といえばアスタリスクwithなつななの木村夏樹、ただのイケメン、木村夏樹と多田李衣菜との関係性は前川みくに劣る。そういったイメージが広まった。
木村夏樹はモバマス以来のイメージを破壊されて、アニメ由来のパブリック・イメージが広まった。
しかしアニメから4年間、何をやってもアニメ以上に影響力あるパブリック・イメージを創造できなかった。
どうあっても木村夏樹はこれからもアニメからの呪縛から逃れられず、アスタリスクwithなつななの呪縛に囚われ続けるだろう
ロック・ザ・ビートも、木村夏樹と多田李衣菜の関係性も終わりだ
いつまでたっても李衣菜の存在感に頼ってイメージを創ってきた木村夏樹
だのにアニメ由来の李衣菜とみくの関係性が、アスタリスクが復権した。
木村夏樹を否定したアニメの多田李衣菜がアスタリスクが復権を遂げた今や、木村夏樹と多田李衣菜の関係性はもうダメだ。
木村夏樹はどうすればよかったのか
この4年間、木村夏樹は逃げ続けていた
アニメでパブリック・イメージをズタズタに壊されたという事実に、向き合うことができなかった
多田李衣菜とのロック・ザ・ビートの関係性を修復してアニメ化以前からのイメージを再建しようとした
新しいユニットや他のアイドルとの交流の広がり、ビジュアルや楽曲のイメチェンで新しいイメージの創造しようとした。
しかしどれも波及効果は薄かった。アニメ以上のパブリック・イメージを創り出すことが出来なかった。未だに木村夏樹はアニメ由来のイメージが強いままだ。
どうしてそうなったのか、木村夏樹はアニメ由来のパブリック・イメージに向き合うことが出来なかったからだ。
ズタズタにされた自己のイメージに向き合わずに、別のイメージの創造することで目をそらし続けてきた
この4年間、ずっとそこにズタズタにされたイメージはあった。
そこに向き合い、そのパブリック・イメージを自らが破壊することで新しい木村夏樹になれた
アニメ由来のパブリック・イメージと、それ以前からの木村夏樹のイメージを統合して、新しくも本質的な木村夏樹になれたはずだった
だがそれをできなかった
なぜ殺意を向けられたのがhagexなのかを説明する(答え合わせ編)を書くために事件の流れをざっと知りたかったのでまとめた。なんかぐぐったら勝手に松本氏を神格化してるアレな人をいっぱい見かけたので、参考にしてもらえると幸い。
・匿名ダイアリーのエントリー(他人の投稿)にひたすら罵倒を繰り返す。
・会話らしきものが成立するとすかさず罵倒しに来るので増田達が盛大に迷惑をこうむる。
・とある増田に徹底的にやりこめられたことをきっかけに、「低能」と連呼するようになる(うろおぼえ)
・罵倒が特徴的すぎて匿名でも一発でわかることから、「高能様」「低能連呼くん」などの呼び名がつくが、最終的に「低能先生」に落ち着く。
・松本氏自身も気に入っていたのかはわからないが、「低能先生」呼びで気を悪くすることはなかった。(あくまで印象)
・はてなブックマークというサービスの仕組みそのものが気に食わないようで、ブクマユーザに噛みつき始める。(開始時期あいまい)
・匿名ダイアリーで、ブックマークコメントにヤジを飛ばす活動を開始。
・はてな運営から「匿名で特定IDを罵倒してはいけない(規約)」と言われる。
・「IDなど、いくらでも取れるのだから匿名と同じ」という理屈で適当なIDを取って活動開始。
・罵倒行為そのものが問題となりアカウント停止。(ここは松本氏の言い分が正)
・運営が気に食わないという理由でここからしばらく運営の罵倒に執心。
・とある個人ブログ(有名人ではない方)が炎上し、ブログ記事に批判コメントを付けている人を対象とした一斉IDコール(罵倒)を行う。
・定期的にIDがBANされるようになる(低速)
・IDを取り直せば実質黙認だから意味がないと、運営あおりのネタにしはじめる。
・ブックマークコメントのインポート機能を使えば、過去の煽りを一括IDコールできると気づき、実行。この辺りから、たがが外れてしまう。
・IDコールを飛ばされた有志は、何かがあった時のためにIDの収集を開始。
・この辺りではてな社が松本氏のアカウントを削除するペースを加速させる。(中速)
・匿名ダイアリーでも継続的に問題になっていたが、消されたIDがあまりにも多いということで面白みがでてしまい、IDの一覧表が作られる。
・松本氏の振舞いに対して、匿名ダイアリーで「ネット弁慶」と揶揄されていて、松本氏自身「ネット弁慶を卒業しないと」と漏らしていた。
・この時点で松本氏は完全におもちゃになってしまい、立場的に詰みかける。(4年間周りを罵倒し続けた呪い返しのようなものだと言える)
・Hagex氏が匿名ダイアリーの記事を発見し、自らも被害者だったので乗っかり記事を書く。
・とある人からの松本氏への情報開示請求が通ってしまう。これによって請求者が書けば素性がいつでも流出する状態になった。(身バレフラグ成立)
・時期を同じくしてHagex氏今後の展開を模索する一環としてセミナーを開催する。
・事件発生。
※大半は当時増田で松本氏から直接聞いたことで、evernoteに保存されているログからのまとめです。
※中期の直前辺りで「匿名ダイアリーから特定IDを批判する行為の禁止」が規約に追加されていたはずですが、前後関係が不明なので記載していません
※中期のどこかのタイミングで、はてなブックマークのインポート機能が廃止になっているはずですが、この件との因果関係があるのかわからないので記載していません。
ざっと読むとわかる通り、この事件の不幸な点は、松本氏が詰むタイミングとHagex氏の進出のタイミングがかぶってしまったことに尽きる。
どちらかがずれていれば、恐らくこうはならなかった。単に被害者が別の人になってしまうだけかもしれないが。
はてなブックマークが炎上(松本氏が言う「ネットリンチ」)を扇動している。
それを言うならtwitterは更なる巨大装置であり、もっと言えば新聞テレビはさらに巨大で一方的な装置であると思う。
炎上の問題は、はてなブックマークが問題ではなく、人間が問題なのだと思う。
怒りを娯楽にする人が消えない限り、はてなブックマークがあろうとなくなろうと問題は消えない。
この事件はインターネットにおける壮大ないたずら電話のようなもので、
松本氏は、気に食わないめぼしい人の家に片っ端から電話をかけて罵倒。
電話回線が止められると、新たに回線を取得して罵倒を再開する。
といったもので、実にたわいない下らない行為であることは前提としておきたい。
決して自分が正義とは名乗っておらず、自分も悪であることに自覚的であった。
事件から1年が経過して、当時の事情を知らない一部の浅い人たちが松本氏を自らに重ね合わせて
という評価を下して擁護しているが、これはとんだ勘違いであるとともに、松本氏に対しても大いなる侮辱となるので、勘弁してあげてほしいという気持ちでいっぱいだ。
watarux "はてなブックマークというサービスの仕組みそのものが気に食わないと思う。" うーんこれ本当なのかな。だとすれば狂人の真似をしているうちにはてブよりもBANしてくるやつが憎くなったって変わってしまったわけだが
なるほど、これは説明が分かりにくいですね。
はじめ、松本氏の定義する「ネットリンチ」を行っている人が気に食わなかったわけです。
で、その内自分がみんなの通報でBANされるようになり、自分もまた「ネットリンチ」の被害者であると認識するに至ったわけです。
行動としては一貫しています。
一覧に項目を増やしました。ありがとうございます。
マジ感謝。
知ってるか、匿名でも恥ずかしさで死ぬことはある。(修正しました。ありがとう)
azumi_s インポートでIDコールが飛んでたのは事実です。被告からアタック喰らってる時期に追いかけてたので、新アカウントに凍結前のブクマが完全に復旧されてるのを何度も見ています。土日はBANされないから追っかけ可能だっ
ありがとうございます。リアルタイムでコールをもらってる人の感覚なら、信頼度が高いと思います。
コメントの指摘で、IDコール爆撃を行うきっかけの部分が抜けていたことに気づきました。ありがとう。
(URLが引用されていないのは、茶化しコメントをしていたのがHagex氏のみではないので、バランスのため引用していません。もうしわけない)
tekken8810 直前に、別の増田から「低能先生は引きこもりでネット弁慶だから何もできないだろう」と煽られていたことにも触れてほしい https://times.abema.tv/posts/4440615
確かにそれも重要なトリガーでした。ありがとうございます。
言われていた時期が結構長いのでどこに入れるか悩みましたが、言われ始めた末期の最初の方に追記しました。
Yoshiya そもそも匿名ダイアリーなんて廃止すべきものでは無かったのか? それと、火に油を注ぐネットウオッチャーの存在もいらない
ならば、日々テレビに向かって愚痴を言っている人は問題ないのでしょうか。訳知り顔で知りもしないでコメントするテレビのコメンテーターは?
臭いものに蓋をするだけでは、別の場所に移るだけで何の解決にもなりません。
自分とは関係ない人の居場所を無意味に奪うような考え方には賛成できません。
あなたのような考え方が、今回の犯罪を生むきっかけを作ります。
tachisoba どんなに正しいことを言おうとしていても「あなたのような考え方が、」という表現を使うのは、それこそが恨みもしくは逆恨みを買って、犯罪を誘発するんじゃないのかなー。流れの記録自体は参考になるのだが。
そうですね。どんな発言でも自分から遠い人間からすれば共感の呼べない頭にくる発言になりうると思います。
あなたの発言も事件に関わりのない人間が無責任なことを言っているようにしか思えないので、こちらから見れば恨めしいと言えます。
corydalis 大抵の犯罪者がいざ裁判になると罪のがれのために罪状を否認する連中ばかりなのに、松本、かなりの部分を素直に認め、本当にそうするかどうかわかんないが控訴もしないという。それ見て水に落ちた犬を棒で叩く増田。
上告期限は12/4です。まだ上告するか否かが確定していない時期に書いています。記事を書くタイミングとは何の関係もありませんし、関連性が見出せません。
なんでもいいから叩く材料が欲しいだけなのは丸わかりですが、言いがかりはやめてもらえますか。
法的処置を行うなどすればよかったのではとは思いますが、1ユーザにそこまで動けたかというと正直無理なんじゃないかと思いますね。
このエントリ書いてみて思ったのですが、かなり対応に苦慮していたのだなと今では思います。
deamu この犯人の悪用が原因ではてなはインポート機能を廃止したような気がしたんだけど、時系列を確認したいが分からん…
そもそも「匿名ダイアリーから特定のユーザ(id)を批判することの禁止」も、松本氏の影響でできた規約なのでは…と、このエントリを書いていて思いました。同じく時系列がわからないので入れていません。
QJV97FCr えらい早業で飛ばしてくるなとは思ってたがインポートでやってたのか。その探求心を違う方向で活かせなかったのか。
ot インポートだったのか。復帰する度に毎回「低脳」罵倒付きでIDコールくるので、来る度に通報&ブロックしてた。IDコール飛ばない仕様ならこんなことにもならなかったのかもしれないよな。雉も鳴かずば撃たれまいに。
「インポートでIDコールが飛ぶ」というのは、松本氏本人から聞いただけなので、実際に飛ぶのかは実はしらないのですが、新規IDでブックマークしたのと同じ扱いなのだろうなぁ、と…
zaikabou コピペみたいだな、と思っていたけど、本当にコピペだったのね…。そして、増田ではそれなりにコミュニケーションは成立していたのだな
neo_Neutral 事件発生後のブクコメで「初期の頃は会話が成立してた」ってのが有ったんだよなぁ。どの辺まではコミュニケーションとれてたんだろ
何がトリガーで「低能」連呼を始めるのかわからないので、基本話にならないんですが。
松本氏の行動の流れのうち、半分ほどは本人から直接聞いていたものです。
同感。恐らく現実のうさばらしに罵倒していたらやり返されて意地をはるうちに後に引けなくなったくらいのつまらない理由だと思ってます。
本当にまずい感じだったのは最後2年ほどかな。
最初の方は社会とのつながりもまだ残ってたのか、余裕そうだった。
enemyoffreedom フォロワーを煽って論敵にけしかける手法は、むしろ彼が擁護するはあちゅう氏らの常套手段と思っていたので一度はてぶで尋ねたが応答はなかったっけ(あるいは垢もろとも消えた?)。増田で聞くべきだったかな
zeromoon0 ネットリンチを「松本氏を集団が寄って集って叩く」と誤読しやすいけど、実際のところは「とある定義により松本氏が気に入らないアカウントに対してゴミ死ねとリプライを飛ばす」だったことは明確にしておきたい
はい、その通りです。確実に松本氏のエゴだったと、こちらの立場としては思っているし、変わることはないです。
「日本の法律に反しているから罰は受けるが、俺は正しい」などという理屈、飲むつもりはありません。
elephantskinhead 現在も元気に特定のジャンルにいるメタブして絡んでくる御仁たちとあんまり変わらんかったって事やな
似たような人めちゃくちゃいますからね。逮捕されてはい終わりじゃ全然ないです…
pero_pero この事件はたまたまハゲ子氏と会うチャンスがあったから起こったわけで、オフ会とかはてなのセミナーとかがターゲットになった可能性は十分あったんだよな
九州など、一時期人材確保のために各種IT企業がこぞって説明会を開いたほどなので、下手したらよりどりみどりだったのではと恐ろしくなりますね。
celaeno_w 最近、otsuneさんとかあんましブクマで見ないじゃん?会社立ち上げて露出したら止める、そういうバランス感覚は大事だよなーと思うんよ。
Hagex氏もゆくゆくはそうするつもりだったのでしょう。
現にハッカージャパン時代はほとんど表にでてません。タイミングが悪すぎたというか、事件にあうタイミングにさしかかっただけというか…
aienstein “炎上の問題は、はてなブックマークが問題ではなく、人間が問題” でもはてな全体で「理が正、情が誤」「手斧を投げ合う」って感じでコミュニケーションの攻撃性を正統化するエクスキューズは文化としてあると思う
はい。twitterの政治、ジェンダー。テレビのワイドショー、報道バラエティにもありますね。ありふれた文化なんでしょう。
だから、根絶できないことが悪いとはいいづらいです。努力すべきという意味なら同感です。
運です。松本氏が見ている記事にブクマしていたか否かです。あと、松本氏の理屈に合うか合わないかですね。
chikoshoot ”怒りを娯楽にする人が消えない限り、はてなブックマークがあろうとなくなろうと問題は消えない。” これを技術や仕組みで解決するのがプラットフォーム提供者の使命なのだと思う。
まさに。悪意が介在しても、必要以上にヘイトをためさせず、悪意の応酬を続けることがばからしくなるように改修できれば…ただの願望ですが。
まあ、「低能先生とよぶのはネットリンチだ」とか言い出す人もいるので、
そういう人達よりはまともで居たいという気持ちの表れという事で。
そう、それですよ。
匿名顔隠しとはいえ証言に立ったみたいで、よくぞそこまでと思いました。
全裸でおっぱい丸出しにしている様な恥じらいのない女はちょっと…。
まあそれはさておき。
表現の自由戦士が負けるとそれらを愛でることが出来ないってことは、これは所謂ポルノを指してるってことで良いのかな。
てことはフェミニズムはポルノを彼等から取り上げる事を目的の一つとしているという認識でOK?
という箇所も気になったんだけど、つまり
・男に女のことを理解してもらう
これが目指すところであるわけだよね。
だとしたら、それはかなりムシのいい話じゃないかなって。
男は女のことを理解すべき。だけど女(フェミニスト)は男にとってのポルノの意味を理解せずただ排除します。って言ってる様なものだからね。
これは別に女とかフェミニストに限った話ではなく、男もそうなんだけど、あまりに異性について自らの性に基づいた常識・視点・観点からしか考えられない人が多い気がする。
具体例を挙げると「腐女子はBL本でオナニーしてるんだろう!」みたいな。まあしてる人もいるんだろうが、そもそも男と女ではオナニーの在り方、性欲の生じ方も違うんだろうなというのは少し話を聞いてるだけでも窺える。
そういうところから生じた男女間の齟齬が拡大して、貴方の言う「『フェミニスト』と表現の自由戦士たちの戦い」になったんだろうなあと。
一男としては
ってところを読んで、「えーっ!?性的にまなざされるより、モノ扱いされる方がどう考えても下だろ!?」と思ったんだけど、そういうところからしてもう男女間のすり合わせが必要なんだよ。
根回しも歩み寄りもなくいきなり仕掛けたらそりゃ戦争になるよ。
なーんか「人間とは常に未熟なものだから死ぬまで成長し続けましょう」みたいなドグマがあるよね。
年末に「来年の目標」みたいなの書かされたりするのだけ嫌なんですよ。
「自分に何が足りないと思いますか?」「どのように成長したいと思いますか?」みたいなのさ。
俺ぁ自分に満足してるんで成長しなくていいんだよぉ。
別にさ、他人から見て、自分が欠点のない完璧な人間だとは思わんけどさ、
俺は現状の自分が好きだから、こっから自分を変えたいとも思えねえんだよね。
いや実際には、いろんな知識を得て、考えも変わっていくだろうけどさ。
なんだろ、いま納得のいく道を走ってる実感があるわけ。
道なりに走ってりゃ納得のいく変化があるだろうと思える。
そこで「もちろんその道は不満ですよね?どこで曲がりますか?」とか言われても困るじゃん。
「みんなが道を変えるのであなたも道を変えてくださいよ」ってさ。
知らねえよ、俺は納得してこの道を走ってんだよ。
でもそこで「今のままでいいです」って言ったら問題になるわけじゃん。
つまり「社会が求める理想の俺」と「俺が求める理想の俺」に齟齬があるわけ。
これってけっこうなジレンマじゃない?
めんどくせーっすわ。
中学時代に結構落ちぶれて、勉強は全てダメだと思っていたし、得意科目なんてないと思っていた。
でもある日模試を受けて、国語で100点を連発した。なんでこんな簡単な文章でみんな60点とか取ってるんだ?って思った。
中学の国語は、教科書作ってるような人が教えていた。そういう人がどんなテストを作るかと言えば、読解力が必要なのは10点分程度。
残りの90点は100人一首の暗記だったり、大学の授業で教えるような知識の詰め込みだった。読解力は評価されない仕組みだったのだ。
読解力問題というのは、端的に言えば「粗探し」だ。論理的な間違いを指摘するだけの簡単な作業。
よくツイッターだと国語の読解問題が叩かれるが、彼らは馬鹿なんだと思う。論理と命題すら理解できない自分の頭の悪さを隠したいだけだ。
話を戻すが、自分の先生は意地悪で、成績の悪い生徒をたまに当てて晒し上げるのが趣味だった。
その日は「スピーチ」の練習で、先生が突然与えた議題を基に即興で文章を作るという物。「りんごとイチゴはどちらが素晴らしいか?」みたいなそんなん好みだろ、と一言で終わるのを
1分間語り続ける。生徒当てルーレットという、先生が目をつぶって座席表をから当てる、という手法で生徒が指名される。
当たり前だが、ベテランの先生なので、目をつぶって居ても狙った場所に当てる事が出来る。先生と目が合ったので自分に来るなと思ったら、案の定自分に当たった。
「うーん、思いつかないっす」で終わろうと思ったが、そういう雰囲気ではなかった。とりあえず適当に出まかせで喋ったら、それらしい文章になり、クラスから歓声があがった。
他の人も当てられたが、皆しどろもどろでうまく言えてなかった。
今考えると、自分は親が厳しかったので、嘘をつく能力が異常に発達していた。その上、作文を毎回授業開始10分前で泣きながら書いていたので、巧く言えた。
自分の持っている読解力と、出まかせで論理をつなげられる作文力は、模試国語の成績向上に大いに役立った。
ここまで読んでわかったと思うが僕は卑屈なくせに、プライドがものすごく高い。
そういう人間がどこに行くかというと、2chだ。兎に角相手の文章の齟齬を見つけ、作文して論破する。
正しさなんてないと知っていた。だから自分の思想を全部捨てて、適当に相手に反論しかみつくことを繰り返していた。
高校でも成績が悪かった。自分にはやりたい夢があったが、得意の論破力で自分の夢さえ否定していた。
先生に学力ややる気に関して何か言われても、それを上回る理由付けで先生を黙らせることが出来た。
友達と遊ばない理由、勉強しない理由、彼女を作らない理由、何かしない理由なんていくらでも思いついたし、それで自分を納得させることが出来たし、周りも納得していた。
正しさなんてないと知っていたのに、自分の「しない事」に関しては正しいと思い込んでいた。
やらない理由を探す努力は、何も実らない、とアニメでやっていた。
それは正しいと思う。経験則でそうだったからだ。実際言い訳ばかり作り、自分と他人を騙し続けた人生。本当にやりたいことはやれなかった。
中学の先生は他の学校がやらないような知識問題ばかり入れてきたのか?と言われれば、優秀故に結局正しさなんて主観でしかないと知っていたからだろう。
国語の問題の答え何てどうにでも言うことが出来る、そんな小手先の論理じゃなく、血と肉となる知識を頭に詰め込みなさいと。
それが経験となり、人生を豊かにさせる。論理なんてただのゴミなのだ。人生においては、10点分程度の価値しかない。
とまぁ、という事をうそぶいて、他人の行動に勝手に意味を与えて、自分の論理の中にねじ込む。
やってることは今までと変わらない訳だ。
でも、と思う。やる理由を探す為にこの国語力を使う分には、少なくとも空しくなることはないんじゃないか。
とりあえず、アニメ『俺を好きなのはお前だけかよ』、毎週水曜-木曜の深夜にやってるから見てみような。
貴方はどうやら憶測だけで物事を飛躍させるのがお好きな方な様ですね
「女性に詳しい女性漫画家が多すぎるくらい実在する」なんて発現、私はしていませんが?
あるいは齟齬があるようなので。
私はその前の
を『「女性」を描いている』作品ではなく、「(なろうに溢れる方の)女性を書いている作品」ととりました
なろう、小説の分野を中心に話している時に漫画の話を持ち出されるとは思わなかったので。
サッカーの話の時に王貞治やイチロー、大谷翔平の話をする人はいないでしょう?
それと。ゴキブリより多い数、という比喩は相応しくありません。
どう思う?
数年前貯金でイギリス短期留学してきたけどスイスは渡航経験なし。
普段2ちゃんやがるちゃんで人生に疲れた系のトピ見てることが多いんだけど、スイスいって安楽死したいって人多くて、それじゃ通訳やってみるかなと思った。
外国人を受け入れてるのはDIGNITASってところだけど、イギリスやドイツではスイスまで同行する団体がいるらしい。
もちろん誰でも受け入れてるわけじゃなくて、向こうでかなり慎重な問診や調査があるらしい。
精神疾患は受け入れまでにかなりかかるとかで、本当に死ぬ意思があったかについては十全なチェックは取られてるっぽい。(後述)
懸念は、家族とちゃんと合意取れてないお客さんの依頼を受けたらトラブルに巻き込まれそうということと、関係ない第三者に叩かれそうということ。
それでも検討している理由は、まず需要がありそうだということと、実現できそうだということ。
ただことがことだけに事後にトラブルが発生した場合かなり大きな問題になるだろうし、かと言って「事前に必ず家族の同意を取って下さい」といっても天涯孤独な人とか親類と疎遠な人もいるだろうし悩む。
あるいは家族の同意が取れない人は申し訳ないけどお断りするか。
※DIGNITASによる自殺幇助ができる条件は
死に至る疾患(末期疾患)、および/または
のどれかが必要で、医師の診断書も必要みたいで、精神疾患はNOとは書いてないものの、ほとんど受け入れられないみたい。
Q:精神疾患や心理的問題を抱えています。ディグニタスで自殺幇助を受けられますか?
A:これは非常に難しく、多くの障害を伴う長く複雑な手続きが必要であり、YESと言える保証はありません。(クライアントの)主治医による診断書によります。病気の明確な診断、その原因と経過の説明、試したあらゆる治療法の結果(成功問わず)に加えて、判断力と識別力に関する詳細な精神医学的評価、また精神疾患の症状による希死念慮ではなく、十分に考慮された末の自己決定であることを確認します。
※追記です。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712?page=2
>日本では他人がサポートすることは自殺幇助罪にあたる可能性がある
とのことで、そもそも通訳することだけでも法に抵触している可能性がありそう。
色々調べていくうちに
・ディグニタスが受け入れてくれるのはほぼ末期や回復不能な疾患のみ
・日本では緩和ケアが発達しており上記疾患があっても苦痛を和らげることは可能
とわかって、最終的に「これクリアしてる人って緩和ケアと尊厳死でいいのでは…?」という思いになった。
歳を取るたびに人生が負債になってきて、いずれ動けなくなった時、財源の乏しくなった日本で公的扶助が受けられるかもわからず野垂れ死ぬのを恐れている人にとっての心のお守りみたいなものにはなりえないんだな。
それにたとえこの条件をクリアしても、医師や団体による対話でちゃんと伝わるよう訳せなかった場合、意思疎通の齟齬で結果的に望まない死を選ばされたなんてこともありうる。
がっつり本職にしないと回っていかない気がする。
残念だけど
・幇助を受けられる層が限られている。
・通訳とはいえかなり責任が重い。依頼者の考えてることが不明瞭な場合うまく訳せないかもしれず面接までによくよく意識をすり合わせておかなくてはならない。それでも伝えきれず幇助が果たされた場合法に触れる可能性もある。
私の推しカプは、俗にいえばうちよそからできたカップリングだ。当時はまだそういう言葉はそこまで普及してなくて、今になって私があれはそういうものだったと解釈しているだけになるが。
始めはなんてことない交流で、よくあるうちよそみたいな感じで仲良くしてた……というのがうちよそ相手側の感覚だろう。
そのカップリングの魅力に、なにか恐ろしいものを感じていた。可愛らしい言葉で表現するなら“恋の予感”とかになる。事実そういう期待のような、浮ついた気持ちだってあったけれど、そのせいで自分がこれから正気を失うという不安も大きかった。
自分がこれから正気を失うというのが当時の私にでさえわかった。
そういった恐怖から離れようと思えば離れられたけどそうしなかった。それについては今でも後悔するけど、その時私はそれまで好きだったジャンルの凋落っぷりにもうついていけなくなって、心に隙があった。ずっとそれだけを好きで居続けたみたいなジャンルだったので、何かで埋めたくてしょうがなかった、というのが一つ。
あと、単純にそのうちよそは企画もの(?)みたいな感じで私とその相手以外にも人が関わっていた。私はその人たちのことが好きで、できれば長いこと一緒にいたいと思っていたから離れることが出来なかった。人間関係って強固にめんどくさい。まあ、途中まではかなり楽しくやっていたからね。
それでそのカップリングは動く度に、どんどん私の好みになってきて、私は普段そんなに大量に創作するタイプのオタクでもないのに、(あくまで自分的には)はちゃめちゃ絵や漫画を描いたりした。
そこでとても絶望した。
そのカップリングは恋愛関係でないのに、私はそのカップリングに付き合って幸せになって、デートとかセックスとかして欲しいとか思ってしまったから。
これが完全に二次創作なら、「まあ二次創作だし」と開き直ってデートだのセックスだのの二次創作をめちゃめちゃ描いただろう。しかし、よりにもよってそれがうちよそで、片方には自分が関わっていて、なんだかそこで、気持ちがバラバラのぐちゃぐちゃになってしまった。
二人が“友人として”仲良くしている絵や漫画を描いて、それにうちよそ相手含む身内から「かわいいですね~❤」みたいな反応があるたびにものすごく後ろめたい気持ちになった。
と、なにもかも白状したくなった。
毎日、交流してくれるみんなに嘘をついてるみたいで罪悪感でいっぱいになったけど、一回火のついたカップリング欲に抗えず裏で泣きながらエロ絵描いたりしてた。
それでまあ、そんなふらふらしたメンタルで人間関係が上手く回るわけもなく、色々あってその繋がりは絶たれてしまったのだけど、それは今はもう関係ない。完全に過去。若かったしもうしゃーない。問題はここから。
あれから数年経った今。
少しは当時のことも薄れて、けれどそのカップリングに対する気持ちはずっと持ち続けたままである。
毎日思い出しては辛い時期(酒飲んで深夜徘徊とかしてた。特に何も危険なことはなかったので周囲の治安の良さに感謝)を抜けて、ようやく自分の中での距離の取り方が分かってきたような、そういう心持ち。
でも、私の好きの形はそのカップリングの形そのままになってしまっていて、いまさらそこをどうすることもできないとようやく諦めた私は
『じゃあ、あのカップリングモチーフのカップリングを一次創作で描いてみるか』
と、考えた。そういうことをしても、もう辛くなったり罪悪感でストロングゼロ一気飲みしたりはもうしないし、できないと自分自身に安心できたから。
それで描いてみる。描いてみた。とても楽しい!やったぁ!
今まで自分のやりたかったけど我慢していたこと(ちなみに創作は例の人間関係が崩壊してからは罪悪感でできなかった)を思いきりやれると、とても嬉しくなった。連続で何作も描いた。本アカウントとは別名義で公開すると、そこそこ反応もあってそれもすごく嬉しかった。今までずっと心の底で独り愛でていたカップリングが、他人の目からでも可愛く魅力的に思えるのだとわかって嬉しかった。単純に、自分の創作の力で顔も名前も知らない他人に褒めて貰えて嬉しかった。
ここで終わればよかったのだけど、まあ不幸は生きていれば発生するので終わらない。
なぜ、私が幸せに創作できていたかの種明かしをすると、それは“交際後のイチャイチャ創作”しかしていないから。もっといえば“交際するまでの過程創作”には手を出していないから、である。
そして、私が本当に描きたいのは“交際するまでの過程創作”の方だ。
でも描けない。それはなぜか。
『いや、でもあの二人付き合わんし……』
『AはべつにBのこと、そういう対象として見てないし……』
『AがBのことを恋愛対象として見るようになる流れを描きたいけど、Bのことを恋愛対象として見るAってAなの? というかそれって私の好きなカップリングなの……?』
という雑念が私を支配して、編集中のグーグルドキュメントを閉じさせるからなのだ。
虫のいい話である。“交際後のイチャイチャ創作”だとそういった考えは浮かばない。“交際するまでの過程創作”を描こうとするときにだけ起こる。というか、今創作してるのは、例のカップリングではなく、私が新しく考えたカップリングなのだから、べつに好きにしていいのだ。AがBのことを好きになっても、ぜんぜんかまわないはず。
しかし、ここからどんどん齟齬が生じてくる。自分の描いてるものが、自分の好きなカップリングとはどんどん別物になっていく。
べつに当時ほど辛くて苦しくて、帰り道を泣きながら帰って通行人に変な目で見られるとか、自分の描いた絵や漫画を全消しして少しでも罪悪感から逃れようとしたとか、そこまでの息苦しさでは全くない。
でも、自分はこの“好き”にいつまでも囚われ続けるのだろうなという暗澹たる気持ちがあるのは確かだ。私は自分の“好き”にいつまでたっても真っ正面から顔向けできない。
だから、ツイッターとかで「私の推しは◯◯です!」とハッキリ言える人が羨ましい。それはものすごく幸福なことだから、言いたい内は言えるだけ言っとけと思う。余計なお世話だけど。
特にオチがなくてごめんなさい。こんなこと書いてるけど私は創作を止めるつもりはあんまりなくて、またダメでも、じゃあ違う物書いてみようとか、もっかい交際後創作でお茶を濁そうとか、たくましく生き汚くやるつもりです。
この感情に決着なんて訪れないのはもう分かっているので、できる限り抱えたままなんとかやっていくしかない。
なんかおいしいものでも食べてね。
日本は民主国家であり、中国は社会主義の看板を掛けた独裁国家なのだ。
一党独裁体制と言われるのだけど、強大な権限を持つ指導部がけん引していくことを前提に組織が出来上がっている。
共産党にとって、中国国内は全てシマウチであって、指示に従わない方が変だという姿勢なのだ。
対して、香港は100年近くもイギリスが支配していた。領有地特有のあれやこれやはありつつ、それでも少なくとも民主主義が建前だった。
民主制に於いて国民は、何より尊重されなければならず、一党独裁体制では尊重されるべきは体制の存続だ。
今、日本は『成功した社会主義』なんて陰口をたたかれつつも個人の財産権や自由は保障されている。デモだってハロウィンだって蘇民祭だってやっても殺されることはない。
同じ感覚で中国へ行き、反体制デモに参加すると結果は哀れなものになる。
その中間、民主主義が育ち、独裁に組み込まれた香港ではどうなるか。
はっきり言えば『香港は誰の物なのか?』という問いへの答えが出るまでデモは続くのかもしれない。
香港とそれが醸す民主主義で育った香港の青年たちは当然、それを構成する自分たちの物だと思っている。
すぐに「マーケティングとは?」とか言ってきたりするし、一定以上のレベルじゃないと会話の無駄みたいな態度とるし
たまに説明上手かったり、データ取りから分析・施策までやる人も居るけど、大半はデータ取らせて施策は考えさせて、分析だけやる
そしてシステム屋から見て新卒レベルのプログラミングしか出来ないくせに凄いことやってる感。そのくせPCスペックには文句言うし
マーケティング学んだ人が広義のマーケティングって言葉の意味との齟齬をプライドが許さないのも分かるけど、正直もう少し歩み寄っても良いんじゃね?と思う
例え分かりにくいかも知れないけど、マラソン大会で「記録より楽しもう♪」とか言ってクソ遅い奴みたい。完走はできるし多少は練習してるけど圧倒的に足りない感じ
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。