2019-11-20

推しカプのないカプ厨

私の推しカプは、俗にいえばうちよそからできたカップリングだ。当時はまだそういう言葉はそこまで普及してなくて、今になって私があれはそういうものだったと解釈しているだけになるが。

私の推しカプが生まれたのは今から数年前。

始めはなんてことな交流で、よくあるうちよそみたいな感じで仲良くしてた……というのがうちよそ相手側の感覚だろう。

私はそのカップリング出会った最初から強烈に困惑していた。

そのカップリングの魅力に、なにか恐ろしいものを感じていた。可愛らしい言葉表現するなら“恋の予感”とかになる。事実そういう期待のような、浮ついた気持ちだってあったけれど、そのせいで自分がこれから正気を失うという不安も大きかった。

自分がこれから正気を失うというのが当時の私にでさえわかった。

そういった恐怖から離れようと思えば離れられたけどそうしなかった。それについては今でも後悔するけど、その時私はそれまで好きだったジャンル凋落っぷりにもうついていけなくなって、心に隙があった。ずっとそれだけを好きで居続けたみたいなジャンルだったので、何かで埋めたくてしょうがなかった、というのが一つ。

あと、単純にそのうちよそは企画もの(?)みたいな感じで私とその相手以外にも人が関わっていた。私はその人たちのことが好きで、できれば長いこと一緒にいたいと思っていたから離れることが出来なかった。人間関係って強固にめんどくさい。まあ、途中まではかなり楽しくやっていたからね。

それでそのカップリングは動く度に、どんどん私の好みになってきて、私は普段そんなに大量に創作するタイプオタクでもないのに、(あくま自分的には)はちゃめちゃ絵や漫画を描いたりした。

そこでとても絶望した。

そのカップリング恋愛関係でないのに、私はそのカップリングに付き合って幸せになって、デートとかセックスとかして欲しいとか思ってしまたから。

これが完全に二次創作なら、「まあ二次創作だし」と開き直ってデートだのセックスだのの二次創作をめちゃめちゃ描いただろう。しかし、よりにもよってそれがうちよそで、片方には自分が関わっていて、なんだかそこで、気持ちバラバラのぐちゃぐちゃになってしまった。

二人が“友人として”仲良くしている絵や漫画を描いて、それにうちよそ相手含む身内からかわいいですね~❤」みたいな反応があるたびにものすごく後ろめたい気持ちになった。

私この二人でエロいこと考えてます!!!!!

と、なにもかも白状したくなった。

毎日交流してくれるみんなに嘘をついてるみたいで罪悪感でいっぱいになったけど、一回火のついたカップリング欲に抗えず裏で泣きながらエロ絵描いたりしてた。

それでまあ、そんなふらふらしたメンタル人間関係が上手く回るわけもなく、色々あってその繋がりは絶たれてしまったのだけど、それは今はもう関係ない。完全に過去。若かったしもうしゃーない。問題はここから

あれから数年経った今。

少しは当時のことも薄れて、けれどそのカップリングに対する気持ちはずっと持ち続けたままである

毎日思い出しては辛い時期(酒飲んで深夜徘徊とかしてた。特に何も危険なことはなかったので周囲の治安の良さに感謝)を抜けて、ようやく自分の中での距離の取り方が分かってきたような、そういう心持ち

でも、私の好きの形はそのカップリングの形そのままになってしまっていて、いまさらそこをどうすることもできないとようやく諦めた私は

『じゃあ、あのカップリングモチーフカップリング一次創作で描いてみるか』

と、考えた。そういうことをしても、もう辛くなったり罪悪感でストロングゼロ一気飲みしたりはもうしないし、できないと自分自身に安心できたから。

それで描いてみる。描いてみた。とても楽しい!やったぁ!

今まで自分のやりたかったけど我慢していたこと(ちなみに創作は例の人間関係崩壊してからは罪悪感でできなかった)を思いきりやれると、とても嬉しくなった。連続で何作も描いた。本アカウントとは別名義で公開すると、そこそこ反応もあってそれもすごく嬉しかった。今までずっと心の底で独り愛でていたカップリングが、他人の目からでも可愛く魅力的に思えるのだとわかって嬉しかった。単純に、自分創作の力で顔も名前も知らない他人に褒めて貰えて嬉しかった。

ここで終わればよかったのだけど、まあ不幸は生きていれば発生するので終わらない。

なぜ、私が幸せ創作できていたかの種明かしをすると、それは“交際後のイチャイチャ創作しかしていないから。もっといえば“交際するまでの過程創作”には手を出していないから、である

そして、私が本当に描きたいのは“交際するまでの過程創作”の方だ。

でも描けない。それはなぜか。

交際するまでの過程創作”をやっている途中

『いや、でもあの二人付き合わんし……』

『AはべつにBのこと、そういう対象として見てないし……』

『AがBのことを恋愛対象として見るようになる流れを描きたいけど、Bのことを恋愛対象として見るAってAなの? というかそれって私の好きなカップリングなの……?』

という雑念が私を支配して、編集中のグーグルドキュメントを閉じさせるからなのだ

虫のいい話である。“交際後のイチャイチャ創作”だとそういった考えは浮かばない。“交際するまでの過程創作”を描こうとするときにだけ起こる。というか、今創作してるのは、例のカップリングではなく、私が新しく考えたカップリングなのだから、べつに好きにしていいのだ。AがBのことを好きになっても、ぜんぜんかまわないはず。

しかし、ここからどんどん齟齬が生じてくる。自分の描いてるものが、自分の好きなカップリングとはどんどん別物になっていく。

当たり前だ。あのカップリングは付き合ったりしないのだから

べつに当時ほど辛くて苦しくて、帰り道を泣きながら帰って通行人に変な目で見られるとか、自分の描いた絵や漫画を全消しして少しでも罪悪感から逃れようとしたとか、そこまでの息苦しさでは全くない。

でも、自分はこの“好き”にいつまでも囚われ続けるのだろうなという暗澹たる気持ちがあるのは確かだ。私は自分の“好き”にいつまでたっても真っ正面から顔向けできない。

からツイッターとかで「私の推しは◯◯です!」とハッキリ言える人が羨ましい。それはものすごく幸福なことだから、言いたい内は言えるだけ言っとけと思う。余計なお世話だけど。

特にオチがなくてごめんなさい。こんなこと書いてるけど私は創作を止めるつもりはあんまりなくて、またダメでも、じゃあ違う物書いてみようとか、もっかい交際創作お茶を濁そうとか、たくましく生き汚くやるつもりです。

この感情に決着なんて訪れないのはもう分かっているので、できる限り抱えたままなんとかやっていくしかない。

お話聞いてくれてありがとう

なんかおいしいものでも食べてね。

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