はてなキーワード: 齟齬とは
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。
オタクたちがキャラクターの関係性について話したりしてるでしょ
紙とインク、Jpegデータやただの人形には関係性は発生しないの、オタク自身がキャラクターたちを一つの人格とみなして、その一つ一つに人格や性格がありその上に関係性があるって理解してるからそういう話題が出るわけ。
キャラクターが作られたもので、真の人格があるわけでないことはオタクも理解してるが、偽りでも人格であることは理解してるわけ。
だからキャラ崩壊だなんだと騒いだりしてるの、人格が無い紙とインクになにを書いたからってなんでそんなに騒ぐの?
それはオタクたちがキャラクターに人格を見出していて、オタクたちの認識した人格と齟齬があることに不快感があるから。
ここまで言ったらわかるかな?
まとまった長さの文章を書ける適当な場所がないので増田を使います。
先日(9月末)に英語と機械翻訳の日本語併記で、私のTwitterとInstagramのアカウントを購入したいというメールをもらいました。その方のやり取りの内容から、アカウント購入を装いつつ、アカウントを乗っ取ろうとしていると途中で判断しましたが、一通りやり取りをした後に、会話を打ち切りました。
どなたか知らない方から、英語と機械翻訳の日本語を併記した内容のメールを貰いました。以下のような内容です(なお、今後の会話は基本的に英語ですが、このエントリーでは日本語訳しています)
(相手)「こんにちは。あなたのInstagramとTwitterのアカウントを購入することが出来ますでしょうか。あなたのアカウント名は有名なアニメのキャラクターの名前で、その名前を使ってファンページを作りたいと思っています。それぞれのアカウントに対してお金をお支払いする用意もあります。ご返答お待ちしております。」
私がInstagramとTwitterで持っているアカウントは同じアカウント名で、最近では2019年夏アニメの登場人物の一人の名字と同じです。特にInstagramの方ではそのアニメキャラクターに関する海外のアカウントからフォローされることもあるので、海外でも一定の人気はあるようです。したがって、海外からこういう打診自体はあっても不思議ではありません。
(私)「いくらで購入したいという話でしょうか。金額を示してもらえないと判断が出来ません。」
(相手)「それぞれ300ドルでいかがでしょうか。この金額は適正な金額です。お話させてもらいたいのでDiscord、SkypeまたはTwitterのダイレクトメッセージ、もしくは他のコミュニケーションアプリはありますか。」
300ドルという価格を提示されました。この価格であれば売却したいという方もいるでしょうが、昔から持っているアカウント名で、InstagramとTwitterが今後も使われるソーシャルプラットフォームだと考えると、私にはアカウント名を手放す対価としては安すぎると感じました。ところで、この時点では取引相手を疑ってはいないのですが、仮に相手が悪意ある取引相手の場合は、あまり会話の頻度が短いコミュニケーションアプリは、こちらがじっくり考える時間が無くなるので使わない方がいいと思います(既読通知がされないメール等が良いと思います)。
購入価格の交渉をしてきました。ドル($)はどこの国のドルなのかによって金額が変わるので、日本円換算の補足もつけています(つまり米ドル(USD)と伝えたいようです)。価格交渉をするのは不自然ではないですし、為替レートの認識齟齬がないかの確認もするのは慎重な姿勢です。ただ、こちらもアカウントを売却しようとは思っていなかったので、「いくらなら売る」という自分の中での相場観も正直ありませんでした。かといって現実的な値段で安く売ってしまうのも後で後悔するので、交渉打ち切りにするつもりで相手が諦める程度の金額を回答することにしました。
(私)「Instagramの方は5,000ドルからなら交渉可能です。Twitterの方はそれ以上の価格でないと交渉しません。」
(相手)「これまでアカウントの売却の手続きをされたことはありますか。」
(私)「どういう意味ですか。」
(相手)「私が米国でやっているビジネスのためにTwitterとInstagramの両方のアカウントを購入しようと思っていますが、以前ユーザ名売却の経験があるか知りたいと思っています。また、支払い方法についても確認したいんですが、PayPalは持っていますか?」
300ドルから5,000ドルに10倍以上に価格を釣り上げたにも関わらず、なぜか購入手続きの具体的な話をしようとしています。この時点でこの相手を疑い始めます。
(私)「PayPalで支払いを受けることは可能です。TwitterとInstagramのアカウントの取引価格が合意していないと思っているのですが、Instagramのアカウントに5,000米ドル支払う意思があるんですか?Twitterはそれよりも高い価格ですよ。」
(相手)「PayPalが使えるのはいいですね。両方とも購入してお支払いしようと思ってますので、いくらお支払いすればいいか教えてください。」
(私)「Instagramは5,000米ドル、Twiterは10,000米ドルであれば取引可能です。代金の入金確認後にアカウントを移譲します。この条件でよければお知らせください。」
Twitterについては1,000ドル(約100万円)の値段をつけて、代金入金を確認した後であれば、アカウントを引き渡すという取引条件を提示しました。
(相手)「分かりました。私の会社が両方とも購入します。ただ、アカウント交換を確実に実施できるように、中間者を使うやり方にさせてください。これまでTwitterやInstagramのユーザ名交換の手続きをしたことがありますか?」
(私)「仲介業者を使うことは問題ありません。ユーザ名の交換自体はしたことがありません。先に代金をお支払いいただければ、そのアカウントは確実にお引渡しします。」
(相手)「私は両方のアカウントを購入しようと思っていますので、こういう取引の実績のある仲介業者を使って、まず私は仲介業者にお金を払います。次にあなたは仲介業者にアカウントを引き渡します。仲介業者はアカウントが適切に引き渡されたことを確認したら、私が仲介業者に支払った代金を貴方に支払って、仲介業者は私にアカウントを引き渡します。」
仲介業者がどういう動きをするのか説明をしてくれましたが、この説明だけでは仲介業者を使うことが私にとって安全な取引とは言えないと感じました。仲介業者がこの取引相手とグルの場合は、私が仲介業者にアカウントを引き渡した時点で代金を支払わずに逃げる可能性があります。
(私)「仲介業者の信頼度が判断できません。私にとっては、代金の支払いを受ける前にTwitterとInstagramのアカウントが仲介業者に乗っ取られる可能性がある順序になっています。したがって、そのような危険性のない信頼できる仲介業者であることの確認が必要です。先に代金さえ支払ってもらえればアカウントは間違いなくお渡しします。」
(相手)「こういったアカウント取引は私の国では一般的で、こういう仲介業者は過去の取引で多数の実績があります。」
(私)「具体的には誰が仲介業者となるのか教えてください。私なりに信頼度を判断します。」
(相手)「チェース銀行から来る人になると思います。チェースは米国の銀行で、InstagramやTwitterのユーザ名売却に特化したブローカーの実績もあります。チェース銀行はそちらの国でも有名でしょうか。」
チェース銀行(JPモルガン・チェース銀行)が仲介業者だと言っています。日本の感覚だと銀行がソーシャルサイトのアカウント取引の仲介をやるというのは信じがたい話です。果たしてそんなことをチェース銀行がやっているのか、しばらく英語で関連検索をしましたが、Twiterの@chaseアカウントの取得にまつわる話はあるものの、Twitterアカウントの取引をやっている実績があるようには見えませんでした。
(私)「チェース銀行は日本ではそれほど有名ではないですね。すいませんが、チェース銀行がアカウント取引のブローカーをやっていることを示すウェブページのリンクを共有してもらえますか?」
(相手)「これですね(URL)。米国からでないと見えないウェブページかもしれませんが。チェースのブローカーを使って取引できると良いのですが。」
もらったURLは確かにチェース銀行のウェブページですが、オンライン取引口座サービスの紹介ページに過ぎず、アカウントのブローカーをチェース銀行がやっているようには読み取れませんでした。
(私)「チェース銀行がTwitterやInstagramのアカウント取引をしているとは読み取れないのですが、その仲介業者は本当にチェース銀行の人なのでしょうか?」
チェース銀行のパートナー(they're partnered with chase)と表現しました。チェース銀行のパートナーの定義がどこまで適用できるかはよく分かりませんが、チェース銀行のパートナーになっている人というのはチェース銀行の人ではないと判断でき、「消防署のほうから来ましたメソッド」と同じような話をしていると判断しました。
(私)「仲介業者がチェース銀行の人でないので、ただのアカウント乗っ取りだと判断しています。チェース銀行の取引実績が確認できないので、チェース銀行のメールアドレスの従業員から説明がない限りは仲介業者の利用は許可しません。先に代金を支払う方法であればアカウント移譲は可能です。」
(相手)「分かりました。あなたのPayPalアカウントに入金しますので、入金を確認したらアカウントを引き渡す。それでいいですね?国外送金になるので、銀行の審査に1〜2日支払い完了までかかります。」
(私)「それであれば結構です。私のPayPalアカウントにInstagramは500米ドル、Twitterは1,000米ドル支払ってください。支払完了を確認後にアカウントを引き渡します。」
(相手)「それで問題ありません。今支払いしました(支払処理実施のスクリーンショット画像添付)。銀行の不正送金手続きに2〜3日要するので入金完了までお待ちください。」
仲介業者は使えない旨を伝えた結果、仲介業者の使用は諦めて先に入金をすると伝えてきました。入金さえしてもらえれば、アカウント引き渡しをするつもりはあるので、PayPalの入金完了を待とうと思っていました。ところがさらに連絡が来ます。
(相手)「支払手続きが完了する前ですが、アカウントが正しく引き渡される状態にあるか、一時的なログイン権限を付与してもらえますか?」
(私)「まだ入金が完了していません。入金したらアカウントを移譲します」
(相手)「それなりの金額の海外送金なので時間はかかります。同時に私も詐欺を受ける恐れがあるので、一時的なログインでアカウントが正しい状態か確認したいです。何か問題があってもTwitterやInstagramに連絡すれば、アカウントを元の状態に戻してくれますよ。」
相手にとって、私が確実にアカウントを移譲される保証がないのはそのとおりだと思いますが、アカウント乗っ取りに引っかかったという状況に対して、TwitterやInstagram(Facebook)が親切に対応する義務はないと思います。Twitterの場合はアカウントの安全を守る責任はユーザにあると利用規約に記述しています。
(私)「そもそも一時的ログインとはどういう手順のことを言っているのか手順を連携してください。その手順を見て危険性がないことを確認します。繰り返しますが、入金が完了したらすぐにアカウントをお引渡しします。」
メールを見たら、確かにPayPalのメールが届いています。金額も1,500米ドルの取引なのですが、困ったことに「私が1,500米ドルを相手に支払う」という取引の確認メールです。PayPalは入金と送金は金額のプラスもしくはマイナスで表示されるので、入金なのか出金なのか一見して判断がつきにくい問題があります。1,500米ドルを相手に支払ってしまったら大変なことです。
一応同じ相手に対して、PayPal上で私に対して「1,500米ドルを支払う」という請求申請をしましたが、特に入金はありませんでした。その後も2回ほどメールが来ましたが、無視をして対応していません。
この取引相手と同一人物の行為かはわかりませんが、この取引をしている時にTwitter Securityというユーザ名のGmailアドレスから以下のようなメールをもらいました。タイミング的に同一人物が関わっている可能性が否定できないと思っています。
親愛なる増田、誰かがあなたのアカウントに次のパスワードでアクセスしようとしているようです。 「foobar1234」と「hogehoge99」。これはあなたですか、あなたが現在のパスワードを確認する必要があるので、私はあなたのログイン要求を処理することができます。 Twitterアカウント「anond」の現在のパスワードをメールで確認できない場合は、追って通知があるまで一時停止する必要があります。
Twitterのメールアドレスではない、不自然な日本語、メールでパスワードを聞くというのはすべておかしな行為なのですが、パスワード「foobar1234」「hogehoge99」のところに書かれていたパスワードは私が実際に使ったことがあるパスワードです。前者は昔、セキュリティ意識が低い頃に使いまわしをしていたパスワード(今はパスワード変更をして使っていません)で、後者はとあるウェブサイト(現在はサービス停止済み)のシステム発行の初期パスワードでした。実際に使ったことがあるパスワードなので、そこだけはリアリティがあると思います。
ウェブサイトごとに違うパスワードを使っていると、どこのウェブサイトからパスワードが流出したのか分かるので便利だと思います。
もともとTwitterとInstagramのアカウントを売却するつもりはなかったのですが、利用規約を改めて確認するとInstagramは「ご自身のアカウント(ユーザーネームを含む)の一部分の購入、販売または譲渡を試みること」を利用規約で禁止しているようです。
こういう風に単純化するのは反対だなぁ。ポスターを批判している人の中にも、ただ無知なだけで話せばわかってくれる人もいる。たしかにマイノリティ側にばかりコミュニケーションの義務が発生するのはそれ自体が非対称性ではあるけど、だからといって開き直ったところで何も解決しないし、先人たちが地道に偏見を払拭してきたから今回もたくさんの人が味方をしてくれたわけで。
えっ、そういう話じゃない?
献血ポスターをめぐるやり取りについて、どうして齟齬が生じるのか、幾人もの人が色々と小難しく考えているようだけれど、んな難しいものではないでしょ。ネットイナゴの難癖があまりに目立つというだけなんだから。ネット右翼とか差別主義者との間に「誠意あるやり取り」が成立するかどうかと同じで。— 若林 宣 (@t_wak) October 23, 2019
ここで批判されがちながらも一応例え話にしよう。
フェミは鳩だ。灰色で鶏より一回り小さく、くるっぼーとなく。それだけだ。
それくらい別にいいだろうと息巻いていたのだが、実は鳩は保護鳥であり狩猟には特別な許可が必要な鳥獣に該当すると知り、それがじわじわ理解できてくるとオタクは焦りだした。
そうしてある妄想に耽りだす。
「あれはカラスに違いない。俺の持ってる光り物を狙って攻撃しに来たのだ。それなら保護鳥じゃないから問題ないはずだ」
この発想自体は無理もない。人間だれしも、自分自身の過ちを認めたくないために、都合のよい空想にふけることはある。
オタクは集団だから「あれはカラスだ」とお互いに言い合い「それならしっくりくる。納得できる。鳩だというよりもよほど分かる」と言い合う。
その時、あれは黒いはずだ、カーと鳴くはずだ、一回り大きいはずだ、光り物を憎んで攻撃するんだ、いや光り物を欲しがっているのだ、とどんな言っても、目の前にいるのはくるっぽーと鳴く灰色の一回り小さい姿しかしてない。
普通の人は「やはりそう都合の良いことはなかったか」と諦めるのだが、オタクはここで独特の思考回路を放つ。
「あれはカラスのはずなのに、灰色でくるっぽーと鳴く。本当は黒くてカーと鳴くはずなんだ。つまり『ダ ブ ス タ だ』」
普通現実と空想が齟齬を起こした場合、自分達の抱いていた空想は妄想であったと認める思考をするものだが、オタクは一定数以上『現実が空想に合わせてくれないなんてダブスタだ』的な発想をする人が現れてしまう。
「鳩は何故ダブスタを認めない。お前はカラスのはずなんだ。鳩はこのことについて真剣に考えるべきなのにそうしないんだ」と嘆き続ける。
それにしても、こうも空想と現実が反転するというのは、大昔のゲーム脳やらオタクは現実と虚構の区別がつかなくなるやら、なんやらのエセ科学だったはずの話が、事実として目の前に現れたようで、いっそ薄気味悪くすらある。
2016年の年末にデレステ内で「あんきら!?狂騒曲」というイベントがあった
この時に同名の楽曲が追加されたが、吐き気がするほど嫌いだった
「だった」というのは狂騒曲に対する感情が風化・変化してきたからだ
なにせ2年以上も前の話で、他のPと話していて何が嫌いだったのかうろ覚えになりつつある自分に気付いた
ただしこれは一ユーザーの意見であり「こんな人もいるのか」程度に読んでほしい
最初に違和感をおぼえたのはイベ告知時の曲名にある「あんきら」という単語だった
今まで双葉杏と諸星きらりという二人のアイドルは、公式や二次創作問わずコンビとして描かれることが多かった
その際にプロデューサーの間で使われ、親しまれた呼び方が「あんきら」だ
ただし「あんきら」という呼び方は公式では数える程度しか使われていない
その一つに双葉杏と諸星きらりのユニット「杏ちゃんときらりんのハピハピツイン☆」があるのは間違いないと思う
何度かの表記揺れを繰り返し、先に挙げた「あんきら!?狂騒曲」において「HappyHappyTwin」と名称が固定された
そう、双葉杏と諸星きらりのユニットは「HappyHappyTwin」であり「あんきら」ではない
「HappyHappyTwin」についてはゲーム内イベント「あんきら!?狂騒曲」コミュ
杏「ふたりで、話したんだ。
他の子たちが、ユニットでお仕事をしているのを見て、いいなぁって。」
トレーナー「そういうことだったんですね」
杏「それと……杏ときらりって、ヘンじゃん。ヘンなヤツじゃん。
ダラダラだし、ハピハピで、ヘンでしょ。」
カワイイって言ってもらいたいって思ったの。」
文脈から察するに、デレステの世界では他アイドルやファンから「あんきら」呼びが定着していると考えれる
そこからの脱却。仲の良い二人だからこそユニットとして活動をしたいという話だ
二人とも「可愛い」と言われるアイドルであるため、奇を衒わず可愛い路線で攻めるということだろう
モバマスの頃は何となく一緒にお仕事しているだけだったため、明確にしてもらえるのは有り難い
冗長になるため割愛するが、イベント告知コミュ、エンブレム等においても「HappyHappyTwin」という名称が使われており
現実世界においても「あんきら」という愛称から脱却させようとする意図が読み取れた
これについては見てもらうのが早い。以下冒頭の掛け合い
杏「え~~、もう歌うの?」
杏「それよりさ、アンキモ食べたくなってこない~?」
杏「アンキモ食べたい~!」
イェーイ!
こんな調子で、もいっちょ
イェイ!イェイ!イェイ!
やっぱり一緒がいいよね?
うん、いいんじゃない?
ハピハピな関係、続けていこうよ
そうです わたしたち
二人であんきらなんです
二人で「あんきら」と締めくくっている
ただの仲良し二人組の「あんきら」ではなく、
ユニット「HappyHappyTwin」ではなかったのか?
上述した「カワイイ」のくだりは
ダメダメ~;
と、アン肝が食べたいと言っている杏を注意するセリフだけである
ファンにカワイイと言ってもらいたいのではなかったのか?「HappyHappyTwin」とは何だったのか?
どう考えてもイベントコミュと齟齬があり方向性が定まっていない
同時期に実装された曲として
PCSの「ラブレター」、Rock the Beatの「Jet to the Future」があり
ここにHappyHappyTwinの「あんきら!?狂騒曲」が並ぶ
これがHappyHappyTwinの代表曲だなんて思いたくもないし思われたくもない
これは「HappyHappyTwin」というユニットが出来る前のものであり、正真正銘仲良しな二人「あんきら」で歌っている曲で
二人がわちゃわちゃしながら歌っているのが特徴的で仲の良さが伝わってくるものだ
では「HappyHappyTwin」のことは一旦置いておいて、そういった目で見てみたらどうか?
あんきら連呼も違和感なく、杏がサボりきらりが叱るいつものパターン
杏が飴を欲しがり、2番ではきらりが本気で怒って仲直り、最後に飴あげる
「あんきら」の二人としては悪くないと思えてくるが
わざわざそれを歌詞に起こして表現する必要はあるのか?と別の疑問が湧いてくる
というのも上述した「ハピ☆ハピver」は一応本来の歌詞をなぞって歌っており、
アレンジしたり、コールを入れ、間奏に掛け合いを入れることで「仲良さそう」なのが初見でも分かる作りになっている
この二人はこんなに仲良い!こんな掛け合いをする!実はこんな側面がある!と主張が強すぎる
二人の関係は良いものだが、古くからのコンビであるため担当外のプロデューサーもご存知だろう
ましてや担当Pからすれば周知の事実であり、わざわざ新曲として披露されてもくどい
そもそも杏ときらりはお互いを分かり合ってるからこその二人で、
たとえミュージカル調でも曲中に怠けたり、飴を欲しがって曲を止めたり、キレてふくれるなんて関係性ではないし
お互いについて吐露するようなとこは何年も前に通過している
イベントコミュ内では二人も楽曲制作に絡んでおり、二人がこんな曲を欲しがったとは考えたくもない
そういう方向性のユニット「HappyHappyTwin」の楽曲なのだから
可愛さやハピハピ系に重点を置いて、二人の仲の良さが分かる要素を少し盛り込んだ曲で良かった。そういう曲がほしかった
「あんきら!?狂騒曲」のような二人の関係性を重視したものにするのであれば
イベントコミュと話を擦り合わせて、やっぱり今までの二人の感じでいくことを明言してほしかった
いずれにせよ「HappyHappyTwin」としてやるなら「あんきら」の文字は下げてほしかった
「あんきら!?狂騒曲」の作詞・作曲・編曲はヒゲドライバーという方で
そんな状態でありながら双葉杏と諸星きらりに関する資料をバンナムから貰えず
ヒゲドライバー氏はPixiv大百科を見て勉強したというエピソードがある
(ソースはイベント実装時のデレラジ。双葉杏役の五十嵐裕美さんの発言)
だからこそ「アン肝」なんてものが出てきて面白かったという発言に繋がるものだが
くれと催促しなかったのか?資料なしで作れとのオーダーだったのか?
ヒゲドライバー氏がTwitterやブログで「あんきら!?狂騒曲」について何度か触れている際に
また上述の「アン肝」についても語感から選んだというエピソードも嫌いだ
今まで杏はアン肝が好きというエピソードもなく
実家が裕福な設定なため、実家にいる頃に食べていた可能性はあるが、その程度である
その程度のものをキャラクター性の強いコンテンツに入れてきたのだ
「単純に曲の好みが合わなかっただけ」と片付けれる話ではあるが
ヒゲドライバー氏の資料貰ってないエピソードや、語感で「アン肝」を入れたエピソード
こういったものが出てくると、ユーザーのことは舐めきって仕事をしているんだなと思ってしまう
「HappyHappyTwin」がふわふわする事になったのではないか?
もし「HappyHappyTwin」の2曲目が出る時があれば、こうはならないことを切に願う
■事実
・東方の原作者はキャラクターの性格など内面部分の作りは「雑」
・Fateの原作者は良質のテキストを書けるがテキストを生産することができない
訪問しないで下さい。押し売り止めて下さい。とごく普通の対応をお願いしてい
るのに、
(4)弊社代理店へご連絡を止めるお手続きが完了するまでの間に、訪問によるご案内が行われる場合がございます。
となるのはおかしくありませんか?
このメールで4通目です。
また、本件に関し、当窓口を介した対応を行うことで双方の情報に齟齬を生じさせる可能性があることを避けるため、ご契約時のご案内などにおける不明点につきましては、●様から直接、契約代理店へご確認をお願いしておりますことをご理解ください。
高圧的で強引な営業でした。心身ともに負担になるので、そのような方とお話することはできません。
また、訪問された方が、本当に代理店の社員なのかすら分かりません。
KDDIの方で責任を持って代理店の担当者の方に事実確認をされた上で、
「契約はどうなっているのか」
ご返答下さい。
この件はすべて記録しております。
すべて公開させていただくつもりです。
責任のある方が責任を持って対処していただくことを望んでおります。
(2019/10/03 15:46), au Support wrote:
日頃よりKDDIをご利用いただき、誠にありがとうございます。
このたびは、弊社代理店によるauひかりのご契約について、たびたびお問い合わせいただく次第となり、恐縮しております。
また、当窓口のご対応に際し、弊社代理店の訪問営業の停止手続きに関するご指摘を賜る次第となりましたことは、心苦しい限りでございます。
今後、弊社代理店からの訪問によるご案内が不要の場合は、当メール窓口から担当部署へ報告し、ご訪問を控えるお手続きを承ります。
お手数をおかけいたしますが、今後、お電話でのご案内を控えるお手続きをご希望の場合は、以下の【ご確認いただきたいこと】をお読みいただき、当メールへのご返信にて、●様のご意向を改めてお知らせください。
(1)ご連絡を停止する手続きにあたり必要なお客様情報を、弊社代理店へ開示させていただきます。
(2)弊社代理店からの訪問によるご案内を控えるお手続きを行った後は、弊社からのキャンペーンなどのご連絡も控えさせていただきます。
(3)弊社サービスを正常にご利用いただくために、早急なご案内が必要となる場合や、ご利用中のサービスの終了時などは、弊社からご連絡を差し上げる場合がございます。
(4)弊社代理店へご連絡を止めるお手続きが完了するまでの間に、訪問によるご案内が行われる場合がございます。
※恐れ入りますが、弊社からの訪問によるご案内を控えるお手続きに関し、上記の内容について、予めご了承くださいますようお願いいたします。
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■お知らせいただきたいこと
※すでにお知らせいただいている項目についても、改めてお知らせください。
・お名前:
・フリガナ:
・ご住所:
※都道府県名から、番地、建物名、部屋番号までお知らせください
・お電話番号:
※お問い合わせいただいている方と、訪問営業を停止する方が異なる場合には、以下の情報もお知らせください。
・お問い合わせいただいている方の氏名(フルネーム):
・間柄:
※担当部署へ引き継ぎする際に必要のため、改めて詳細をお知らせください。
※「希望しない」とお知らせいただいた場合は、前述の【ご確認いただきたいこと】にご了承いただいたものとしてご対応を行います。
※お客様の個人情報は、このたびのお問い合わせに関する回答以外の目的には利用いたしません。
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なお、本件について、お客さまのご契約を特定するため必要となる情報が不足しており、当窓口では、該当するご契約に関してのご案内を差し上げることができません。
また、本件に関し、当窓口を介した対応を行うことで双方の情報に齟齬を生じさせる可能性があることを避けるため、ご契約時のご案内などにおける不明点につきましては、●様から直接、契約代理店へご確認をお願いしておりますことをご理解ください。
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※本件以外のお問い合わせについては、改めてお問い合わせください。
増税の仕組みが理解できず「軽減税率とかポイントとかわからないから自分のお店閉めます!」と言って店を畳む高齢者がたくさんいるようである。
スマホの使い方やキャッシュレス決済の仕方、無人レジの使い方がわからなくて有人レジしか使えなかったり。
世の中の新しい仕組みに対応することができない。学ぼうと思ってもよくわからない。若い人に「教えて」って言って、教えられてもさっぱり理解できない。
自分の母親が特殊な人で知的障害か発達障害でもあるのか日本語が通じないことがよくある。
増税により世の中の仕組みが色々変わってきて
母親から「これってどういうことなの?」と聞かれることがあるけれど説明しても言葉が通じなくてめんどくさいし、説明をいくらしても忘れられることもあるし、同じ事を何回も説明しなくちゃいけないのがめんどくさいので、「知ーらないっ」で通しちゃうことがある。元々、日本語のまともなやり取りができない。
たとえば母親はローンの引き落としで口座からお金が落ちることを「貯金している」と表現するのだが、普通の人は借金で貯金の残高が減っていくことを貯金しているとは言わない。母親と会話していると意味不明なことがたくさんあってつらい。
今日は母とドラッグストアに行ったのだが、母親がドラッグストアがLINEの友達になっているから使える特典があるかもと言い出した。自分が「じゃあ店員さんに聞こう」と言い、母とドラッグストアの店員が話したのだが、混雑するレジの前で30分くらいよくわからないやり取りが続いた。母と私の後ろに並んでいる人はいつまで経っても開かないレジにイライラしたと思う。レジは三つあってそのうちの一つを長い間独占することになった。母とやり取りしていた店員は一回チェンジしてトータル30分くらい。
店員さん、スマホやLINEの仕組みがよくわからない&めんどくさい母との会話を粘りづよくしてくれてありがとうございます。
どうしてこんなふうに長くかかっちゃうのかよくわからないが、先述の貯金の件のように母親の日本語と自分達の使う日本語には齟齬があることや、母親がLINEの仕組みをよく理解していないことがなど色んな要素があってかなりややこしいことになっていたのだろう。
自分としては親切な店員さんに対応してもらえて良かったという気持ち。
母親の使う独自の日本語を解釈して理解するのは大変なので、相手にしたくない。
私にしか答えられない内容もあれば、私以外でも対応できることもある。
私以外でも対応できる事柄でも、私が一番詳しい、私に聞けばなんとかなる、という認識が先方にあり連絡がくる。
寝ていても遊んでいても来る。私は月曜日が休みの職業なのだが、そうしたことを知った上で個人的に連絡してくる。
最悪なのは、振休などで休みの際に、一度職場に電話をかけて不在と知ったうえで「本日お休みと聞いたので連絡しました〜」と連絡してくる客だ。
私の職業は、公務員やそれに準ずる職業あるいは農業協同組合などの団体職員、シンクタンクのようなところで、給料をもらい職務の一環で取材に答えるサービスをしている。
個人的な時間でじっくり巡検したり、論文読んだり、もっと柔らかな諸メディアを見て勉強して蓄積しておかないといけないのだが、いきなり電話がかかってくる。
はじめは個別にやめてほしい旨を伝えていた。メールなり文章にして送ってくれと伝える。内心、相手が焦っていてももう気にしないことにしている。
それでやめる人ももちろんいるし、メールで送ってくれる人も多くなった。
一方で、やめない人も多い。何度言っても朝の8時に電話してくる。何度言っても大したことない用事で「休みと聞いたんですけど」と電話してくる。
そして新たに取材したいと言ってくる人はどんどん出現するわけで、そういう人の中に夜も朝もない人が出てくる。
お察しの方も多いと思うが、主にメディア関係の人がそういう連絡の仕方をしてくる場合が多い。
新聞記者は明日の締め切りに間に合えば良いと思って仕事をしているので、ぎりぎりに原稿のチェック依頼をしてくるし、文章表現の齟齬をギリギリになって連絡してくる。間違った表現や、危うい表現がメディアに載るのは良くないので対応せざるを得ない。
そしてよく聞く話と思うが、そうしたギリギリの編集をしているような記者の各記事は劣悪で、修正を要する場合が多い。
ライターを名乗る人々も玉石混交で、平明で美しく趣旨のはっきりした文章を書く人もいれば、取材要旨も曖昧で「てにをは」すらあやうい人もいる。
ライターって自分で名乗るもんなのでしょうか? 誰でも名乗れるなら小学生だって作文書いてるんだからライターだ。
NHKは大きな番組だと取材が丁寧だし、社内の表現ルールが厳しいので表現チェックの時間が十分に取られている。
しかし生放送系の番組は若干危うい。また、関連会社の作成になるとだいぶ怪しくなる。しっかりしたところも多いが。
あとNHK地方局は私から見る範囲だがかなり怪しいペースで仕事をしている。
民放は関連会社が担当することがほとんどで、NHKの関連会社と等しく時と場合による。
人にものを伝える仕事なのに、そんな性急なペースで仕事してどうするんだと思う。
スピードは大事だけれども、拙悪で、人の時間を奪う仕事は悪だと思う。
こういう仕事を請ける人、増田に結構いそうだと思うから、何か上手いあしらい方や対処方法、上手く言ったパターンがあれば教えてほしいと思います。
あと私は自己肯定感すごいからいくらクソリプいくらしても効かねえからな! 古のシューティングに出てくる縦回転する壁みたいなもんだ。
ちょっともう反応するには遅そうですけど、自分にも役に立ちそうだからざくっと書く。
まず前提として、
話者Aがいて、自分が相対している際の、質問の機能はおおざっぱに、
がある。
このどれもに共通することとして、
というステップが要る。
なので、情報モデルの構築がうすぼんやりしているか、モデルに対する評価眼が鈍いか、そのどちらかの状況があるとまともな質問にならない。
よって、質問力を高めるには、ひとつには思考体力をつけること。もうひとつには、情報モデルの瑕疵や空白のパターンを多く学ぶことだと思います。
前者はパズルや謎解きゲームを最後まで解き切るとか? 後者はロジカルシンキングなんかを繰り返し読んで、情報がつくる“型”を身に落とすことが効きそう。
【簡単なあらすじ】
8/31、百物語前編。にじさんじの有名VTuber「月ノ美兎」と「本間ひまわり」が多くのVTuberとコラボしながら百物語配信を行う
↓
9/1、百物語後編。ラストで一般女性の「魂」が美兎に入り込み、声および人格が別人に変化するという演出を行う
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以降、月ノ美兎のTwitterおよびNoteも別人の口調・雰囲気となる一方で、本物の美兎が別アカウントから救難ツイートを行う
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9/5、雑談枠。中身が別人の美兎の雑談で始まるが、途中で本物の魂が放送をジャック。他ライバーやリスナーの力を借りて「月ノ美兎」を取り返す。ついでに3D化のお披露目。
【何が凄かったのか】
エンタメとしてももちろん面白かった。他のVTuberとの絡みであったり、YouTube・Twitter・Noteといった様々なWebメディアにまたがる仕掛けであったり、リスナーを巻き込んで考察させたり。
まさに今の時代のネットコンテンツって感じで、VTuberでしかできない、いや、月ノ美兎でしかできない作品になっていたと思う。
しかしそれよりももっと凄いのが、今丁度この時期に上記をやったということである。
これは、「魂」に絡む話だ。VTuberの外側と中身、そのどちらがキャラクターのアイデンティティたりうるのかと言った問題だ。
2019年度上半期、VTuber界隈はこの手の話題に向き合わされ続ける羽目になった。
どちらもややこしい話題なので詳細は他の記事を追ってほしいが、両方とも炎上の核は一致している。
すなわち、
「運営側はVTuberの声優を単なる(アニメ等と同じ)声優と捉えているが、声優本人およびリスナーにとっては遙かにそれ以上の意味を有していた」
ということだ。
ここは結構、VTuberを本当に追っている人でないと伝わりにくい部分で、ドラえもんの声優を変更することとVTuberの声優を変更することを同じように見ている人も多い。
そんな人にとっては、上のゲーム部プロジェクトの騒動なんかは、どうしてそこまで炎上したのか皆目わからなかったかもしれない。
そういった齟齬もあって、VTuberの概念を決定づけるものは声優なのか。3Dモデルなのか。設定と脚本なのか。そういう議論をせざるを得なくなってしまった。
月ノ美兎の百物語配信は、このあたりの話にひとつの回答を突き付けたと言う点で、VTuber史に残る放送になったと思う。
月ノ美兎の「魂」は、自らの身体を外れたことにより月ノ美兎としての人格が薄れ、記憶も曖昧になっていった。
代わりに、身体に入った別人の方が、魂が定着するにつれてこれまでの月ノ美兎の記憶すら獲得していった。
(これが単なる脚本上の演出とはどうしても思えない。上述の声優交代騒動を思い出してしまうようにできている)
この入れ替わり演出は、本物の魂が「リスナーからのイメージをもとに月ノ美兎を再構築し、偽物と対峙する」という流れで決着する。
そして偽物に対し月ノ美兎の「噂」をぶつけることでイメージダウンを図り、身体を手放させるのだ。
かなりギャグテイストで描かれていたが、月ノ美兎はここにVTuberの「魂」についての重要な主張を込めたんだと思う。
運営と声優と、他のVTuberたちと、そしてリスナーとの間で醸成されていった、巨大な共通イメージこそが月ノ美兎の核なのだと言っているのだ。
たとえば動画内で、記憶を失った月ノ美兎が、自身の公式プロフィールを読み上げてもピンとこない。という場面があった。
当たり前だ。月ノ美兎は既にプロフィール通りに配信していない。洗濯機とかミミズとかクソ雑魚とか、そういうエピソードがもはや彼女を再構成してしまった。
ゲーム部もキズナアイもそれは同じで、ファンに彼らの印象を尋ねたとして、公式プロフィール通りに答える人はただ一人もいないだろう。
それはアニメともYoutuberとも違う現象で、だからこそVTuberの声優交代はアニメの声優交代とは全くの違う事象になってしまうのだ。
多くの人が、色々な場所で例の百物語配信を褒め、「ひとつの回答を突き付けた」とか書いているが、その「回答」の中身を誰も書こうとしないので、こうしてここに書いてみた次第である。
【追記】
ちょっと前に友だちと自分のコンテンツへ対する関わり方みたいなのをべらべらとおしゃべりしてて、みんな私と同じ視点だと思ってたら全く違ってて面白かったので日記にしとこうと思う。
どのジャンルにおいても自分がどんな形でそのコンテンツに存在するかって大事。それで変な解釈齟齬が起きて揉めたりしちゃうから。
まず、第一に今回見ていくコンテンツは前回ステで云々話した役者育成ゲーム。情報公開段階で女主人公がキャラデザと共に載せられていて、いわゆる自分がゲームの世界に存在するタイプのコンテンツ。最近よくある形のアプリですね。
じゃー、まとめていく。
タイプ①「世界は一つ。世界線は私のいるここだけ。他の主人公は居ないのだ」タイプ
自分がプレイするアプリのみが自分の世界なので、他のプレイヤーの世界はシャットアウトできちゃう能力持ち。
推しに愛されるべきは自分であり、主人公と自分は=で繋がっているタイプ。プレイヤー目線でストーリーを楽しめる特典がある。
タイプ②「自分の世界の他にもパラレル的にそれぞれの世界線が存在してるよ全然オッケー🙆」タイプ
推し溺愛みんなで愛でようねウフフな友人はこの考え方だった。
タイプ①とは違って、目線は主人公だけど他の主人公も存在してて構わない平和的なオタク。推しが被ろうと被らなかろうとみんなでキャラを溺愛しちゃおうぜって感じで素敵だと思う。
人にはそれぞれの愛で方があるもんねと理解範疇が劇的に広い。ビビる。
タイプ③「モブすらも恐れ多い、外野で観察していたい第三者」タイプ
端的に言えば主人公≠自分。主人公すらもそのストーリーの登場人物だと思っているオタク。自分は推しとは恋愛しないし、関わらない。言うなればアイドル的な見方をしている。
私の場合モブよりももっと外野である、一つの世界で繰り広げられるストーリーをサッカーの試合のごとく俯瞰的に見てやんややんやアレコレ騒ぐタイプ。もはやそこに自分が居なくて全然構わないし居ない方が当たり前世界。
ずーっとタイプ③が普通だと思ってきた自分からすると①と②は新鮮で、推しへのスタンスが理解できて楽しかった。
ストーリーで荒れる人がいるのを不思議に思っていたけど自分がその世界にいたらそう思ってしまうのも無理はないなあと。少なくとも三形態あることに気づけたので良い時間だった。
他にもあるよってのがあったら教えてくれると嬉しいです。