美術の学生を教えていて、近年、怖いなと思うのは、道徳や倫理的判断の話が、美的判断と齟齬をきたすような場合に、安易に、非常に安易に、「でも私はナニナニが好きです」とか「ナニナニは美しいです」とか言ってしまうこと。美は正義ではないので、美的判断が倫理的判断と衝突する場合には、— masako toda (@kumamuta) December 8, 2019
これは私も危険だなあと感じていて、
現代は倫理に反した作品や表現をあまりにも安易に消費しすぎているように思う。
そういった物を美しいとかカッコいいとか感じてしまう事にもっと警戒心を持ってほしい。
それは倫理に反する行為を正当化し、美化しているのと同義だから。
表現する側は倫理から逸脱するものを描く際にはもっと慎重に、かつ必然性を伴う場合のみに限定するべきだ。
人の顔写真を焼いたりするアートなんか特によく議論してほしいと思う。 焼かれている人の死を願っていると思われてもしょうがない。
トリエンナーレの場合こそ必然性があり、 かつ倫理に反する上でも伝えなければならない重要なメッセージがある好例かと 安易に脅迫などと個人的に納得してしまう事こそ問題だと思い...
現代は倫理に反した作品や表現 倫理に反した作品の例で、ぱっと思いついたのが特定の人への脅迫になってしまうような作品だと思った。 トリエンナーレがどうというのはよくわから...
でもキモくて金のないおっさんがモブとして安易に殺害されているような表現は特に警戒することはないんですよねわかります
アニメや漫画によくある戦闘シーンや戦争物語は戦争賛美以外の何者でもない。 エンターテイメントとして当たり前のように消費されているが、それが政府や国家のプロパガンダである...
そういう状態は市場が生み出してるんだけど、じゃあ市場が統制されて倫理的だった時代っていうのは、例えば西洋美術でどうだったかというと、キリスト教関連の絵しか売れないから...