はてなキーワード: 説明会とは
ケーブルストリッパーという物がある。手のひらに収まるサイズの小さなニッパーのような道具だ。
業務でビニールコードの被覆を剥く必要があり、従来使っていたソレが壊れたので新しく購入する必要が発生した。
amazonで検索すれば出てくる500円くらいのやつだ。必要ならポチればそれで終わり。
検索して注文完了まで5分も掛からないし届くのに3日も掛からないだろう。本来ならばね
弊社でこれを購入する時にどういう手順だったかを紹介。
amazon等通販会社へのアクセスが遮断されているのでオレンジブックなどを駆使し品物を見つける。
社内の物品購入履歴システムから過去同様の物品購入があったかを探す。これが面倒で品名が同じとは限らないのだ。
「ケーブルストリッパー」「ケーブルニッパー」「ワイヤーストリッパー」「ケーブル工具」
登録者が好き勝手な名前を付けるため正しい品名かも分からないし、品名ではなく「CS-01W」みたいな型番だったりすることもある。
ここで見つかればそれを購入した購入履歴No.を一旦メモしておく。無いなら無いで構わない。
従来使っていたものが壊れた場合「何故壊れたのか、使い方に問題は無かったのか」を説明。
何年も使っていたものであれば一応「老朽化のため破損」で通るが、
1年程度で壊れていた場合は「修理は出来ないのか、すぐ壊れるなら同じものを買う必要はないのではないか」が来る。
壊れてなくても予備工具で購入する場合は「なぜ今あるのにもう一つ必要なのか」を説明、どうにかして説得する。
商社2社に対して相見積もりを出す。翌日~1週間後くらいに見積もりが届く。
大手メーカー商品の場合amazon価格より安いこともあるが、
今回のような安くて構わないケーブルストリッパーのような工具の場合高くなる事もある。
amazonで500円だったが商社見積もりは1200円くらいだった。
エクセルの購入申請書類と手書きの支払い申請書類だが、この2種類の書類に書く内容はほぼ同じである。
エクセルには「品名、見積もり商社名、見積り金額、購入理由、見積もりpdfへのリンク」を記入し
手書きには「品名、型番、見積もり商社名、単価、数料、合計金額、②の過去購入履歴」を記入する
何故エクセルと手書きで別れているのか不明だがそうなっている。
購入申請書類締め切りが毎週月曜日の正午なので、過ぎると翌週に回される。
購入申請書類は上司、課長、部長の承認を経た後、購買部が動き出す。
商社からの入札で購入先が決まる。申請から発注を行うまでに1~2週間掛かる。
ケーブルストリッパーは【刃物】である。取扱説明書が無いことを上司が問題視する。
「だ~か~ら~~~!間違って指切っちゃったらどうすんの!!?」だと?
しかし取扱説明書など無い、そもそも500円で買える程度の小さい道具にいちいちそんなものはついていない。
メーカーに取扱時の注意点を確認する。取扱説明書は無いそうなのでわざわざ作ってくれるそうだ。
1週間後、商品画像に吹き出し付きで「取り扱い方法、使用上の注意点」のPDFが届いた。
「社内で使用する場合の注意点、起こりうる事故対策等」を追記した後
上司の承認を得て社内サーバーのマニュアルフォルダに保存し、部署内にメールで展開する。
ケーブルストリッパーの使用者を集めてマニュアルとともに使用説明会を5分くらい開催
さあ!使用開始だ。ここまで来るのに1ヶ月位かかったね!
超めんどいね、馬鹿馬鹿しくて寝たくなる。余計なことに時間と頭使う無駄な感じがものすごく嫌だ。
ああ分かるよ、こういう手順を踏むことで不正を防ぐだとか合理的理由があるとかだろ?
でも実際こういうのやらされるとホント疲れるんだわ。
今回のケーブルストリッパーの場合、前回購入が10年くらい前だったので
当時不要だったはずの取説が今回は必要になったという次第(上司の気分だったり仕事アピールだったり…)
そして取説が新しく出来た事で「実際にコレどう使うんだ」ということで説明会。(ただしみんな使い方を知っている…)
「耐切創手袋着用してください。ここを握ってください。ここは刃があるので触れないよう注意してください。
では実演します。このようにケーブルの被覆を剥きます。」みたいな感じ。
(近年厳しくなった刃物取扱ルールのせいで手袋着用なんてあるが、実作業ではやり辛くて誰も手袋付けない…)
たいへん厳しい、とのこと。
感情がついてこない。言われたことは理解できる、適切に返すこともできる、けどよく分からない。
高額になるし成功率はとても低い、可能性の見込めない治療を患者に勧められない、と女医は言う。その通りなのだろうと思う。
体外受精の説明会があるとの事で、診察後受付に申し込もうと声をかけた。会計時に確認するので番号札が呼ばれるまで待ってくれと言われた。
今日の診察代は1000円ちょっと。検査は5万しているので嘘のように安く感じる。
クリニックを出て、いつものように買い物をして食事をして帰りの電車に乗って。
相変わらず気持ちがついてこない。頭が固まってる感じがする。
もうやるべき事は決まっている。
体外受精をいつまでやるか、自分達の限度額・時間を決める。それを超えたら自分たちの子供は諦めて養子を探す。
そうしかできない。それ以外に手はない。それは分かっている。
https://jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546
について、あまりにも恣意的だなと思ったので今の現場の話をちょっと聞いてほしいと思った地方公務員増田です。
タイトルはセンセーショナルに”ゴミ袋”を全面に出してるけど、弁護士会の主張は黒染めスプレーの方ですよね。
以下、ブコメを引用させていただきつつ、上の記事では足りない現場の雰囲気を知ってもらった上で判断してもらえると幸いです。
記事で3月となっていることから卒業式での頭髪指導の話だと考えられます。
”卒業式限定で”このような方法をとっている学校は多いと思います。
という意見もありましたので、最近の一般的だと思われる頭髪指導の前提を説明します。
大前提として、”頭髪を加工してはいけない”という校則があります。
加工してはいけないというのが大前提ですので、地毛は基本スルーします。
(このご時勢無理できんでしょ、やってる学校もあるみたいだけど…)
(髪の毛ぐらい自由にしたらええやん、という意見があると思いますが、校則を変えるには色んな手続きがあって、まぁ校風がどうのこうのとか、割れ窓理論も実際にあると思うしで、なかなか大変なのです。。。ちなみに私も「一回自由にしてみたらええやん」派です。)
なので、教員は校則をもとに指導を行うのですが、だいたいこんな流れだと思います。
ここで、髪がもともと明るいですよーという話を保護者から聞きます。
うちは地毛申請の紙を書いたりはしてないですね。相談に行くこと自体が人権侵害だと言われてしまうと・・・ですが、本当に気をつけて柔らかく対応していますよ。もちろん、ここで聞いた話はデータに残しておいて教員間で共有して今後の指導に活かします。
まずは事情を聞きます。実際に多いのは、「長期休暇に染めて、黒染めしたが落ちてきた」とかですね。その上で、いつまでに染め直すかという相談をします。
長期休暇明けが一番変化があるときなので、一斉に頭髪を確認します。長期休暇中に触って、それがきれいにもとに戻ってれば良いのですが、不十分なためもう一回やろうかという話になることもありますね。その場合も、一度努力してきているのですぐにはやり直させず時期を相談してということが多いと思います。基本は”話を聞く”なので。
これが問題になっている部分ですね。
前提として3年生は、卒業式前になると受験のために自由登校となり学校にきていません。なので、上で述べた頭髪指導を行っていない、いわば長期休暇と同じ状態になっているんですよね。受験が続いている生徒はそういうことは無いのですが、進路が決まった生徒は長い休みなので髪の毛をいじります。
そして、久しぶりの登校となる予行のときに髪の毛明るいね、式には直しておいてね、その状態じゃ式には出れないよという話をするわけです。(今は触っていなくても、当日にやってくる子もいると思われるので全体にそういう話をします。)
そして迎える卒業式当日。「怒られてもいい!自己表現したい!」と思って髪の毛をいじってくる子、「なんとか自分でやったけど・・・」と髪の毛がまだらになっている子、「どうせ先生がやってくれるから」と予行のまま明るい髪で来る子。この子達を「約束通り式には出せないよ」と言って、出させませんか?
『ごみ袋かぶせて黒染めスプレー』は卒業式だけの苦肉の策なんです。
実際、やってる現場に立ち会ったこともありますが、意外に和やかな雰囲気で(3年間の付き合いがあるからだと思います)、なんとも言えない複雑な気持ちになると担当した教員は言っていました。
ってかごみ袋かぶせてってのは自分の子どもの髪切るときにやるでしょ。
何人いるか分からない生徒対応のために、ちゃんとしたケープ買うお金がどこにあるのか・・・
(ちなみにごみ袋にハサミで切り目を入れて頭を出すスタイルですね)
私もそう思います。
でもなかなか変えられないんですよね。。。
ただ、昔よりはちゃんと子どもたちの話を聞くようになったのが変化かなと思っています。
このご時勢、なんでも体罰・SNS行きなのでまずは話を聞いてっていうのはほとんどの学校で徹底されてきていると思いますよ。
それでまた指導にかかる時間が増えるのですが、こういう職業を選んだので子どもたちのためになることはいくら時間をかけても良いと思っていますが、その他のいらない仕事が多すぎて大変しんどくなっています。
こういう指導をやめてしまえば簡単なんですが、子どもの心の変化ってまずは見た目に現れることが多いので、なくなってしまえばそういう変化があった子に話を聞く機会がなくなってしまうのではという危惧はありますね。(警察さんの職務質問も実はこれだったり?)
我々もいろいろ考え悩みながらがんばってるので、あまり罵倒しないで・・・
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65666230Q0A031C2MM8000/?n_cid=NMAIL006_20201030_Y
Sonyはここ最近の決算説明会などでFate Grand Orderやアニメ配信サイトなどのVideo Game以外のおたくカルチャーへの言及が増大しています。
これまでの傾向を分析するとアニメーションの数が増えるというよりは一本の作品に大型投資をする可能性が高い。
Demon Slayerのように時間とお金を使い大きく稼ぐ方向性です。
もしこの話が成立した場合業界全体が一気にSonyに傾く可能性があります。
なぜならSonyは日本の会社だからです。Daisukiなど過去に多数の失敗例がありますがクランチをそのまま吸収できるのであれば話が異なります。また、Netflixは未だに大ヒットの作品を作れていません。
最近日本以外のアニメーションを日本国内で上映するのが普通になってきておりフランスのアニメや中国のアニメも上映されるようになってきました。もちろんまだまだ小規模ですが。
しかし、業界全体がグローバル化の方向性に完全に舵を切り始めています。もしこの取引が成立すればポイントオブノーリターンになる可能性があります。
GoToトラベルキャンペーンが東京発着を対象外とする(当時)ことが発表されたとき、Twitterのトレンド欄に「東京差別」という言葉が上がっていた。当時東京からはるか1,200km離れた九州に住む自分はそれを外国のニュースを見てるような気持ちで見ていた。
1カ月くらい前、仕事で東京の企業の人と会う機会があった。朝上司の運転する社用車で駅まで迎えに行き、3か所で説明会を行い、夕方に駅で解散。その間はすべて一緒の車で移動することになる。
密閉空間である車の中でその人が大きな咳をしたとき、思わず身構えてしまった。そしてそのあと、「東京差別」とはきっとこのことなんだろうな、と思った。普段職場で上司が咳をしても、気を遣えよとは思うがその時ほどは警戒心はめばえていない。別に今住んでる土地にもコロナ患者は出ているわけで、警戒度に差が出るのは本来はおかしいことなのである。車の中で少し反省をした。
ただ、結局警戒心は完全には解けず、そこから2週間は毎日cocoaの通知が来ないかびくびくしてしまった。結局1カ月通知はこなかったし、自分自身は毎日ピンピンしている。本当にその人はコロナではなかったのだろう。
SNSではいろんな差別の話が流れてきて、自分は差別には反対の立場でいるつもりだったけれど、それは自分がその問題に対して部外者に近い存在だからかもしれない。(もちろん根本的に自分に無関係な問題などないのだけど、少なくとも身近ではない問題も多い。)その問題が「自分事」になったとき、自分がどう感じるのか、差別に反対し続けるにしても当事者のそういう感情を一方的に否定するだけでなく対処法も考えるべきではないか、そんなことを考えた。
現在10/5(月)の夜ですが、今日から研究室に復帰しました。今日は片付けだけでなにもしませんでしたが、意外と皆排斥せず受け入れてくれて有り難かったです。申し訳ないです。
「今日からお世話になります!あ、留年が決まりましたので、あと1年半よろしくお願いしますね!」と挨拶回りをしました。
自分も増田と同じ有機合成専攻で、M1の3月に東日本大震災に遭って就活も修論もやる気がなくなり、大学に全然行けなくなって就職決まらず卒業した。(以下略)
増田で有機化学の人なんて見つかると思っていませんでした。コメント有り難いです。震災の時もやはり色々大変だったかと思います。
私はひとまず修士は出るか、と心に決めましたので、頑張りたいと思います。
こないだ久しぶりにマクマリー(学部の有機化学の教科書)を読んで、自分有機化学好きだったな、と思い出しました。
そうだよ、私有機化学好きだったじゃん。巻き矢印とかが楽しかったから有機化学来たんじゃん。高校生の時にカルボン酸とかせっけんとかアセチルサリチル酸とか作ったのが楽しかったから化学科来たんじゃん。
というか有機化学得意じゃないっつったってさ、比較対象は学年首席とかな訳で、まあそれと比べたらちっとも勉強は足りなかったが、有機化学の院生に最低限求められている知識は有していたつもりじゃん。研究室内学力テストだってギリギリだけどパスしたじゃん去年。(でも半年引き込もって多分結構忘れているからまた勉強しないとな……。)
中小製薬は人手不足ですか、本当ですか?製薬は興味自体はありますが、化学の人からすれば薬学部生と争う必要があって狭き門だからあまり視野に入れていなかったのですが、入れそうなら説明会くらい行こうかな…今年はネットだろうしな…
途中自分語りが入ってしまいすみません。なんにせよ頑張ります。コメントありがとうございます。
・研究ってやったからといって結果が必ず出るわけではないけど、やらなければ結果がでることは絶対にない
ある種の信念というか自信がなければ、結果が出るまでやり続けるのはつらい
そうした信念や自信に根拠がないことも多いし、根拠らしきものがあると思っても見当違いだったりもする
自分を信じられるようになるまで、結果がある程度見通せる仕事に就いたほうがいいかもしれない
心にささります。ある種の自信が無いと研究は続けられない、それはそうだな、とすごく分かります。私は少なくともアカデミアは向いてないです。
トラバを汚してしまってすみません。あなたの日記はとてもとても共感しながら読みました。
あなたが、中退という形になりましたが、無事就職できたようでよかったです。私はつまりあなたの過去を歩んでいるので、あなたのこれからについてあまり言えることが無いですが、あなたが納得できる人生を歩めることを望んでいます。
すごく理性的でためになる文章です。ありがとうございます。いわゆる「本当に適正のない」1-2割から「可もなく不可もない」7割にいけているかの自信が無いです。そこそこの条件検討を、先生に許可とってから振ってます。今、ちょうどテーマの切りがよくて、新しいテーマを自分で考えろと言われてすごく困っています。たかだか修士に無理では…?とも思うし、それが出来なければ修士ではないのでは…?とも思ってすごく困っています。せいぜい今までのテーマのまじでちょっと変えた派生しか出てこないです。色んな後輩とか助教の先生とかに助言を聞こうと思います。
私は元からアカデミアは目指していないので、そこは大丈夫です。アカデミックは向いてないな、と研究室入ってすぐ分かりました。
余談ですが、教授の性格はまさに「図太く、楽観主義的で、かつ超強烈な自我をもっている人」なので、先生は
教授に適正があったのだな、なれてよかったな、と思います。あの楽観主義はどこから来ているのでしょう、すぐ上手くいくよ!とすぐに言います。すごいですね。
うちの学科の卒業生でITに行く人はそれなりにいます。やはり院生の肩書きは求められているのですね。
学部の教養の授業でさわりだけ(if文くらいまで)触れたC言語は超楽しかったので、プログラムを書くことの適正が全くない訳ではないとは思います。
ただネットワークとかパソコン関係、機械操作にに全く強くないしあんまり興味ないので、それだときつくないか?と勝手に思っています。理系だからね、周りに私より機械に詳しい人が沢山いたらわざわざ覚えようとは思わないよね。
あと増田はIT系の巣窟だからすぐ引っ張り込もうとするが、あんなにITつらいの文章で溢れているのにみすみす行こうと思うのか、いや、ない。
増田の皆様のおかげで場末の大学院生の退学を阻止できたということで、誠にありがとうございます。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
研究職以外の就活として、IT業界を選択肢に入れてみるのもありかも。
院進したくらいだから論理的に物事を考える能力のある人みたいだし、プログラミングやシステムの設計、なんなら機械学習系もやれる素地がありそう。
大手や外資系はそこそこ待遇もよいし、非情報系学部出身者を入社してから育てる方針のところもあるから、
説明会に参加してみるのはどうかな。
冷やかしでも良いと思うし。
https://anond.hatelabo.jp/20200928113830
皆さま沢山コメントをくださって有難いです。トラバもブクマもひとつひとつ読みました。
アドバイスもとてもありがたいです。経験談や、色々なサイトへのリンクもありがとうございます。読んで参考にします。
「俺もそんなんだった」が一番救われる言葉でした。これで救われてはいけないのかもしれませんが。
こう見るとはてなってやはり高学歴が多いのだな、少なくとも一定数はいるのだな、と実感しますね。
慣例に倣い、この日記を印刷して学生相談室に持っていく予定です。
私はいつも優しい増田の皆様に救われています。実はB4の時も似たように、かけらもない進捗報告を発表するのが嫌すぎて逃げたしたときにも、増田で弱音を吐いたら優しく励ましてくれてどうにか復帰しました。あの時は3日で済んだんだよなぁ。
(つまりその時の失敗を全然生かせずにまた同じ轍を踏んでいるということでもある。成長していない。)
めちゃくちゃ赤裸々に書いたから特定されたらどうしよう。まあそれでもいいか。ラボの人間にはてなぁがいないことを信じて色々書きます。
めちゃくちゃ長くなっちゃったので冗長な文章ですが見たい方は暇つぶしにどうぞ。自分の思考の整理も兼ねて書きます。
1:現状報告、2:ブコメ返信、3:愚痴、の構成でお送りしたいと思います。はてな記法が分かっていればよかったんですけど、すみませんすべてベタ打ちで…、申し訳ないです…見出しの付け方分からない…
1:現状報告
昨日(9/28)、教授に相談し、同期にお叱りをくらい、とりあえず復帰することにしました。
最初10月頭からの予定でしたが、意外と必要な窓口業務が多いのと、せっかくなら平日に買い物や病院通いがしたいのと、あと10/1って内定式なので他のM2いなくて寂しいので、来週からにしてくださいとお願いしました。
私交渉した!頑張った!(自分で自分を小さいことで褒めていくスタイル)
それでも月曜日に無理そうならさらに数日後でもいいですかってお願いするんだぞ!出来たら金曜の昼とかに、最低でも日曜の夜には言うんだぞ!
私は「交渉」というスキルを手に入れるんだぞ!私が壊滅的に持っていないものだぞ!
さて、卒業や進路についてですが、事務や両親とも相談して、いくつかの選択肢で迷っている状態です。
・まず今年度の卒業は不可能だと言われました。ラボに行っていないため前期分の卒業研究の単位を落としており、これはどうあがいても今年取らせるつもりはないようです。
・留年して早くて21年の秋、もしくは22年の春になら卒業できるそうです。どちらにするかは多分私の意思で決められます。が、単位の関係で今年中には決め打つ必要があるようです。
・6月(通学再開時)に復帰してくれれば全然大丈夫だったのに、とめちゃくちゃ言われました。そこはそうだったな、家出して逃げるのではなくちゃんとラボに行けばよかったと思います。
電話もメールも手紙まで先生から頂いていたのに、全て無視していました。ご心配とご迷惑をかけて申し訳なかったです。
①専攻を生かした業種・職種
のうちどうするか決めあぐねています。また、研究生活の選択肢として、
A : これから半年研究し、21年の春に中退する(つまり大卒の第二新卒として就職する。この場合就活は必然的に②になる)(もしくは今中退してもいいですが、就職情報が手に入るので就職先を決めるまでは在籍したいです。)
B : これから1年研究し、21年の秋に卒業し、半年空けたあと、22年の春に就職する
C : これから1年半研究し、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
D : (あまり視野に入れていないが一応)今年半年休学し、21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
(ただ、さらに半年行かないでその後復帰できるん?という疑問は大きいからあまり選びたくない。ここから半年は就活に集中できるのが大きなメリット、とはいえ私は就活に集中なんてことをできる人材とは思えない。)(あと休学の書類は9月中だからもし休学するなら超急いでしなくてはならない)
E : (これも一応書いておく、Dだと今年一部の学内サービスが使えないので)制度上はCと同じにして、これから半年は研究室は休むという形を取り、Dと同様に21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
のいずれかがあります。
先生のおすすめはおそらくC、親のおすすめもC、私の現状の希望はB、同期の友人のおすすめはAといったかんじになっています。
ちなみに家の経済的に金の問題は多分無いです。出世払いで返せばいいと言ってくださいました。
焦って決めなくてもいいとは思うので、できたら来週頭くらいを目途に方向性を決めたい。
どれがいいのだろうか。
2:ブコメ返信
目についたものだけですがブコメ返信的なものをします。引用の方法が分からなかったのでコピペベタ打ちで…すみません…
どのコメントも有難く読ませてもらっています。真剣で暖かな言葉をありがとうございます。
思ったよりいっぱいいて少し安心しました。優しい言葉をかけてくださって嬉しいです。
・進路に関するアドバイス
めちゃくちゃ有難いです。身近な人のアドバイスも有難いですが、やはり偏るので、関係ない人からの感想も参考になります。
B4の頃少し読んでいました。いいブログですよね。また改めて読もうかなと思います。
・kokojp 勉強は出来るんだろうからいざとなったら地方公務員試験でも受けるといい。M2までの経歴があればなんとかなるよ
なるほど、それはいいですね。すごく前向きに検討したい。学部時代から興味はあって、去年はそんな暇ない、でやらなかったのですが、今年は説明会くらい行ってみてもいいかもしれない。
誠に申し訳ない。めちゃくちゃ気にしている。どうしたら治るか分からない。この無駄に高いプライドはどう崩せばいいのか。
・augsUK yoppu7 雑誌会=研究室のゼミ、論文レビューみたいなもの
雑誌会はゼミのひとつで、学生が適当な論文を1つ選んでその内容を紹介するやつです。うちの研究室ではそう呼んでいませんが、雑誌会の方が伝わるかと思って使用しました。説明しておけば良かったですね。論文内で使用した反応全ての反応機構や選択性を書く必要があって、手抜きかつ難しくないものなら1週間ちょいくらいで仕上げられますが、やろうと思えばめちゃくちゃ手間をかけられます。学生の優秀さを比較するのに割と強く使われる会です。
・mbr 一大学教員としては「毎年のようにドロップアウトする学生が続出している」なら、増田よりも教員に問題があると見なすよ。増田が引きこもってる時にラボの人じゃなく親が引っ張り出す時点でそれは違うって叫びたい
そう、毎年のようにドロップアウトする学生が続出していたんですよ。偶然かおしなべて女子だったから次は私だってめっちゃ言われてて、事実そうなってしまったから本当にウケる。いつか先輩に会うことがあったら笑ってもらおう。
私としてはドロップアウトする学生それぞれの生来の基質もありますし、就活とかの進路の要因も大きいですし、学生同士の人間関係的な要因もありますし、そもそも有機化学の研究室は拘束時間が長く体力的にキツめ、というのも大きいと思うので、教授の責任はそこまで無いとは感じますが、内部にいるのでよくわかりません。少なくとも私は今の教授はいい教授だと思います。
先生も「自分のせいかな」と思ってはいると思うんですよね、それが申し訳ない。
一応言っておくと誓ってセクハラは無いです。セクハラがヤバい他の教授のエピソードは友人から山ほど聞いています。
・kinaco68 ここまで的確に言語化できて偉い。 M2の時って漠然とした焦燥感があるよね
的確と感じましたか。理解しやすかったのなら少し嬉しいです。今回は自分でも珍しく的確に書けたなと思います。普段の私の文章はもっと取っ散らかっていてかつポエミーで読みにくいです。
・mshota 大丈夫大丈夫。自分が何か間違ったことを言ったりやったりして恥をかくのが嫌なんだよね。
もう本当にその通りです。この無駄なプライドの高さをどうにかしたいです。
最近自覚したよくないクセのひとつに、怒られているときに「そうなんですよ」と返事をしがちなのがあります。つまり私はそれが悪いことだと分かっていますよアピールであり、つまり自分の心を守る言動な訳なので、素直に「はい」と言える素直さが欲しいです。
・トラバ
あなたは頭がいいし、なおかつ(自分が思ってるより)周囲からも愛される人なのではないだろうか?
可能なかぎり最善を尽くすべし。
何故かこれが一番泣けました。幸運にも周りの人には恵まれています。皆さん優しくていい人です。情けないとともに有難いです。
・トラバ
参考になるか不明だけど昔の自分の日記おいとく https://anond.hatelabo.jp/20140306080333
とても共感しました。比較的似ているタイプだと思います。最初は馬鹿みたいに張り切れるところが特に。私はこの基質は躁鬱のケなのではないかと自己診断しています。
そういえば、B4~M1の時、私躁だなーと思っていて、妹にこのままじゃ鬱になるよと言われていたのを思い出しました。まあ修士卒業までの3年くらいは持ってくれるっしょ!と思ってゴリ押ししていたのですが、今年の年明けくらいから躁が終わったな、と感じていました。就活のときこそ躁でいて欲しかったです。無駄な万能感が欲しかったです。
・tarume ここすき "引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。"
このサイトでした。父に教えてもらいました。せっかくなので特に共感した箇所を引用します。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
(引用)
今思い返しても何も思い出せません。虚無です。とにかく毎日、何かを考える事が怖くて、スマホを手に取りゲームや漫画や動画、あるいは据え置き機でのゲームを、ひたすらしていました。最新のゼルダをやったのは確かこの時期でした。コンテンツが途切れると自分の現状に向き合わなければならず、その十字架に耐えられるほど強くなかった僕は、ひたすら絶える事なくスマホを握っていました。罪悪感を、周囲に対する劣等感を、将来への不安を、膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました。スマホの画面を見ていない時間が、そこで顔を出す現実と孤独が怖くて仕方がなかった。弱さに向き合うことすらできない弱さに絶望し、ただひたすら感情を失ってゆっくり腐っていきました。辛いことも楽しいこともほとんどありませんでした。布団に入って目をつむると静寂の中不要な思考ばかりが空転するので、寝落ちするまで毎日眠りませんでした。生活リズムは崩壊し、朝7時に寝て夕方16時におき、夜22時に一日一回の食事を摂っていました。
(引用ここまで)
細かい箇所は異なりますが概ね同じ感じでした。当時の私の心情を代弁しているかの如く同じ気持ちでした。「コンテンツが途切れると自分の中の現状と向き合わなければならず」「膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました」あたりが本当に共感できます。
ちなみに私るる鯖の人狼ログとかでした。増田もめっちゃ見ました。
3:愚痴
ここからは進路を決めるにあたっての不安とか懸念事項とかをつらつら書きます。
本気でめっちゃ長いだらだらした半分自己分析なので、本当暇な人だけ読んでね。キャリアカウンセラーに話す内容の下書きのつもりだからね!推敲していないしマジで口語の垂れ流しなので読みにくいよ。後から文句を言わないでね。
・就活について、私は研究職に向いているのか?…向いていないんじゃないか?M1の時からそう思っていたが、まあいけるやろでだましだまし就活をしていた。でもやはり向いていないんじゃないか?だって現状研究室生活を投げ出したし、そんなにできるほうかと言えば別にできるほうでないのは事実だし。コミュ力無いし。大学院ぽっちの研究を投げ出すようなら企業での研究なんて無理ではないか???
・あとおそらく世間は狭いのだから、私の大学での悪行は広まるのではないか?? 予約してすっぽかした説明会とか、予約をすっぽかした面接とか、予約したにも関わらずすっぽかした面接とか大量にある。把握すらしてない。そんなとこ来年のこのこと申し込めなくない???
・ぶっちゃけM1の1月から研究のやる気本当に無かったじゃん。行くだけ行ってほぼ何もしないみたいな日結構あったじゃん。研究の成果がちっとも出なかったのもあるし、就活で発狂していたのもあるし、先生からそろそろ自分で方向性とか色々考えてみればみたいな雰囲気を感じたので考えてみたけど全然うまくいかない感じとか、プライドが無駄に高いから他人にあまりものを聞けないから研究が行き詰まる感じとか(特にここが大きな問題)、後輩の研究指導が本当にできなくて比較的放り投げるか無駄な助言をするかしかしなかったのとか、その辺めっちゃあったじゃん。
・その辺を横目で見ていたから、同期の友人に「お前研究職向いていないと思うよ、事務職とかがいいと思う」とか言われるのよ。言われて図星過ぎて恥ずかしくて往来でブチキレちゃった。申し訳ない。
(研究生活とはあまり関係ない私的な生活の話だが、似たような恥ずかしい思いをしたときにすぐブチキレちゃうのをどうにかしたいがやり方が分からない。そのために妹とは口を開けば喧嘩ばかりしてしまう。そういえば研究室でもしょっちゅう廊下でこっそり紙を破ってキレ散らかしていた。ラボでも支障出てんじゃん。困る。)
・同期の友人が進路にAを勧めるのは、私の「プライドが無駄に高いから他人にあまりものを聞けないから研究が行き詰まる感じ」を見てるから、来年オレがいなくなった後がつらいんじゃないの、という心配が一番大きいんじゃないかと思うのね。来年と言わず就職後もきついと思うし。
事実色んな人とのそれなりのコミュニケーションや業務を、あいつにおんぶにだっこで研究室生活を乗り切ってきた面は大きい。
・先生に、「自分は本当は退学したいが親に説得されたからやる」では君のモチベーションが続くかは心配、と言われた。それはその通り。
・というか研究室に戻って実験やる気出してやれると思う?正直昔過ぎてどんな思いでやっていたかとかあんまり思い出せないし、今は「まあ行けんじゃね?」と思っているけど、それは半年前の研究のマジでイヤさを忘れているだけかもしれない。
そういえば2月くらいとかgoogleで「しんどい」と打って検索してはよく分からないキュレーションサイトを見る、とか、実験も文献を読むのも就活もやりたくなさすぎてケムステ(化学系ポータルサイト)のしょうもない記事をコアタイム中に読み漁ったりしてたじゃん。何なら一時期はてぶしてたわ。思い出した。やはり私に研究室生活は荷が重いのではないか?
・あれかな、肩慣らしに少し研究やってみて、ダメそうかどうか判断する、のもありなのだろうか。
ただちょうどテーマ変えるか、の段階だったら、どのテーマでやるかから決めなくちゃいけないのだけど。
ちなみにこれはこの日記がこんなにブコメつく前に書いていた研究の目標の文章
https://anond.hatelabo.jp/20200928200744
・M1の時に描いていた理想のキャリアプランは、いわゆる「中堅」と言われる、社員への面倒見がよさそうな企業の、技術系総合職に就職して、できたら研修を長―くやってその後配属を決めるくれるような企業で、研修をして、研究職に配属されて(まあここから違う職種でもいい)、そこで1-3年くらい研究をやったら「あ、向いてないな」と私なり企業なりが思うかもしれないから、技術営業だか知財だか管理部門だか窓際部署だかに異動するかもしくは転職して、後は適宜向いてそうな仕事をする、といったプランだった。
「中堅」にした理由に大きな理由は無いです。そういう企業が多い印象だったから。正直小さめの企業まで見ないうちに就活を投げだしたのもある。
・できることなら理系就職をしたいと感情で思ってはいるが、これは、いわゆる「せっかくこれまでかけてきた投資を無駄にしたくない」気持ち(コンコルド効果、と言うらしい)が8割を占めていると思うのよね。だからそこを差っ引けば私は別に理系就職したくないのかもしれない。
・だってぶっちゃけ増えてる増えてるとは言うが女子社員少ないしさ。普通に生きづらいと思ったこと大学で感じないことも無かったじゃん?
切れたので分けます。
M2なんですよ。
で、ありがちなことに投げ出して引きこもっていたんですよ
原因について言語化したくなくて考えないでおいたんですけど増田にならできる気がするので書きますね。
・今年はコロナの影響で3月-5月は学校侵入禁止だったんです。だから研究ができないから雑誌会をめっちゃやろうかということで月1本くらいやることになっていたんですね。本来は就活が終了した人から大体7月くらいにやるんですけど。
・ついでに自宅で就活をする必要があるではないですか。でもちっとも進まなかったんですよ。自宅なんて寝る用のスペースしか用意していないのに、部屋は妹と同室なのに、自己管理ができないからコアタイムがちがちの厳しめな研究室にしたくらいなのに、説明会も会場に行くのではなく自宅で好きな時間に見るようになってこれまた自己管理の必要性が出てきて、そもそも友達がいないし、まあこの辺は言い訳なのですが、ESが出せない出せない。うっかり期日を過ぎた企業が多数で、何とか出せた数社も締め切り数時間前に滑り込みだし、まあそんな感じでグダグダしていたんですよ。それを横目に数少ない友人は内定を決めてくるしね。
・とはいえ思ったよりも自己を律せられなかったなと思う。1月から発狂したように就活をしていて体力が無い癖にその体力の無さを認められず把握せず管理せず休みもほとんどなく体力的に疲れていたというのもある。コアタイム中に実験をサボって就活をしているというのが快感で、就活をしないのだったら実験をしなくてはならないというのが一応のプレッシャーではあった。これが急に無くなってサボろうと思えば私だけの不利益でサボれてしまうんだもの。
・そんな中雑誌会もしなければならないじゃないですか。私そんなに成績いい方じゃないし本当下から数えたほうが早いし有機化学も得意じゃないしでもまあ実験は好きだから研究室来たんですけど手を動かすのは好きだけど得意とは言っていないのですけど、
で、だからこれまで雑誌会は本当に締め切りのめちゃくちゃ前からゆっくりじっくりやるのが好きだったんですよ。でも就活(やっているとは言っていないが)の合間を縫ってやるのが本当に進まなくて。1つ目は締め切り1週間遅れで無理やり仕上げたけど自分の目で見てめちゃくちゃクオリティ低いし。っていうか普通雑誌会が出来たら発表する前に先輩や同僚に見せるのが慣例なんですけどそんな暇もないし。
・というかね、うっかりもうM2なんですよ。つまりね、後輩の面倒を見なければならないということなんですよ。でもここ2年で全然成長していないし本当成長が遅くて。正直私より後輩の方が普通にできるし。だから私に雑誌会の添削を頼んでも大したこと言えないと思うのよね。というか添削本当に苦手なんですよ。普通に頭悪いし本質を理解せずにパターン丸暗記の段階だから応用が効かないし。ああ私勉強できなかったんだな分かっていたことじゃないか。でもそうすると5人もいる後輩をもう一人の同期がほとんどすべて面倒を見ることになるじゃないですか。同期はまあ面倒見がいいし要領がいいし文句はめちゃくちゃ言いつつもやれると思うんですけどそれは申し訳ないし何より悔しいじゃないですか。でも私事実後輩の面倒を見るの得意じゃないしできないし苦手なんですよ。こう、できないのにできるふりをして無駄に高圧的に的外れなことをいう典型的な悪い上司ムーヴをしてしまうんです。まあ言い訳なんですけど。
(今考えると結果的に投げ出しているので後輩指導を同期に丸投げしていることになっている。意味がない。)
・で、二つ目のも無理やり仕上げたんですけど本当クオリティ低くて。というか2つくらい難しくて分からないけど調べ方が分からなくて。これを晒して後輩に笑われるのが怖くて。恥ずかしくて。
・で、提出を投げ出してすべての連絡を絶って引きこもったんですね。
就活もちょうどいいから投げ出して。推薦で行く予定だった最終面接も投げ出して(これは本当に、後輩に申し訳ない)、ほかもろもろ投げ出して。
引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
私の現状を知った父に引っ張り出され無理やり研究室に行かせられているのが今日である。
・まあ今年の、同級生にありがちな就職は厳しそうだろうなというタイミングだから諦めもついたというのもある。
・正直私は今でも退学したい。恥ずかしい思いをする場から逃げ出したい。
ただこうやって当時の心理を言語化すると感じるが、本当に視野が狭いし、中島敦の「臆病な~」を送りたい状態だな。今もそうであることは否定しないが。
就活でハイになって、先輩もいなくなって、自分の期待値を上げたのが悪かったのかもしれない、敢えて悪者を作るとすれば。
・他の同僚に受け入れられるかという話ですが、みんな意外と優しいので私がヘラヘラしていたら受け入れてはくれるし排斥はしないと思うし、そこはあまり心配はしていないのだけど、普通に受け入れられた後に普通に研究を続けた後普通に研究とかのコミュニケーションでうまくいかなさそうでそれは心配。
・多分留年すると思うんだよね。前期の研究の必修の単位落としたし。
就活どうしよっかな、いっそ別の分野で文系就職をした方がいいのかしら。でも他にとりえもないしコミュ力が無いからこの分野(化学系のメーカー)で就職したいとM1の時に思ったのであって、文系就職の方が苦戦しそうな気がする。
でもなあ、研究室で私がうまくやれていたかというとそんなことないので、きっと雰囲気や求められている資質が同じな化学メーカーの研究職に行ってもどうせダメな気がするなぁ。
そこは迷わないと決め打って就活をしてきたんだけど、こうなった現状迷ってしまうな。じゃあ他の分野と言われても何、って感じだしな。どうやって調べたらいいかすら分からないな。就職イベントとかに行けばいいのか?インターネット苦手だな。
分かんない。どうやって決めたらいいのかわからない。自分で決めて自分で自分の責任を取るのが怖い。
・M2になってさ、できる人にならなくてはならないという思いはまあめちゃくちゃあったよね。そこは諦めたほうがいいんだろうなと言う思いは持つことにした。
・うちの研究室の5年前くらいの卒業生に似たように3年かけて卒業した先輩がいることは知っている。隣の研究室で私の2つ上の先輩に留年した先輩がいることも知っている。前例がいればいい訳ではないが、まあ事実として少しの安心材料にはなる。
・研究についてですが、そもそも個人テーマだし、ちょうど芽が出ないから他のテーマやりたいですと言っていた時期だったし、その意味ではあまり問題は大きくない。
12月に学会に行くと言ってしまっていたので、それをどうするかは教授と相談しなくてはならない。多分振り込みはしたが申し込み書類は書かずに投げ出したし事前のなんちゃらも何もしていないのでどうしたらいいのか教授と相談しなければならない。
・教授はいい先生だと思う。比較的手厚いし、生徒を気にかけているのは感じるし、私に心配のメールを送ってくれていることからもその辺は豆である。
ただ優秀な人には嫌われがち。管理したがりだし、厭味ったらしくはあるし。
・ただ事実として毎年のようにドロップアウトする学生が続出しているのは先生が可哀そうだなと思う。私みたいな学生をうっかり取ってしまって本当に申し訳ない。多分お情けで取ってくれたのは知っているし(私の年は偶然定員オーバーしていなかったから落とされなかったが他に人がいたら落としていたとは思う。似たようなことは取るときに言われた。)、本当はた迷惑な学生で申し訳ない。
母が言っていたが、だとしても取ってしまった以上卒業まで面倒を見るのは仕事なので教授の義務らしい。知らないがアメリカならとっくにクビなのではないだろうか。
その辺は日本の大学の古くて有り難い部分だと思って権利を行使するべきなのだろうか。定期的に頭の中の私が「私にそんな権利ない!やめるべきだやめたいし!」と叫ぶ。
でも父も母も口を揃えてやめるなと言うのでやめない方がいいのだろうな。
・せめて雑誌会をさ、クオリティ低いものを提出するか、せめて「間に合いませんごめんなさい次週でいいですか」の連絡くらいするべきよね。別に就活も投げ出して私生活も投げ出せば許してくれるわけではないから。先生は私がこんな感じなのは十分知っているのだから優しくも「無理そうですか?」というメールもしてくれいていたのだし。
当時は鬼の形相のメールに見えたが今読むと全然そんな事なくてむしろ優しい文面で驚く。
・最近、先生が、なよい学生が増えたから緩くなったよねと言われていて、その一翼を私も担ってしまったのが悔しい。
(悔しいと思う箇所がずれているとはよく言われる。これもそうなのだろうか。多分本当に悔しいことは他にあって、でも言えなくて、まだ言えそうなことになすっているような気がしている。)
・ねえそういえばこれファーストコンタクトを教授にしたけれどさ、普通は同僚の学生とか他の研究室の懇意にしている先生とかに相談すべきだったのだろうか。
もうちょっと書きたいことがあるのだけどまた書いて再投稿します。
【9/29 0時 追記】
とてもあたたかいコメントが沢山ついていて本当に驚きました。ありがとうございます。涙が出ました。
寄りて18%マイナス
引けで14%マイナス
明日は短期リバウンドを取りに来たやつらが利確して下げそうな気がするな
まあそれはいいや
https://ssl4.eir-parts.net/doc/3930/ir_material_for_fiscal_ym/86375/00.pdf
業績予想の94%減ってハンパねえ感じだけど
気になるのが最終ページの受託開発
https://ssl4.eir-parts.net/doc/3930/ir_material_for_fiscal_ym/78937/00.pdf
https://ssl4.eir-parts.net/doc/3930/ir_material_for_fiscal_ym/69684/00.pdf
今後はマンガビューワー屋になるのか
増えた人員は一体何を開発してるのか
多分金にならんブクマは開発してないぞ
どうなるはてな
がんばれはてな
まけるなはてな
「少年の心がわかる」女性は少ないから、週刊少年ジャンプの編集部に配属されない。
不合理な理由で女性の配属を阻んでいるなら、まさに「特定の属性を理由とした除外行為や拒否行為で不利益が生じ」ていることになる。少年誌の区分けが差別を生んでいる。
大学での企業説明会で「少年の心がわかることが大切」という発言があったことを認めた。ただし、女性でも「週刊少年ジャンプ」の編集者になれるかどうかについては明確な回答はなかった。全文は以下の通り。
―――――――――――――
弊社ではいくつかの大学で企業説明会に参加しており、その中でジャンプの女性編集者について下記のように回答しております。
「過去に前例がないわけではありません。“少年ジャンプ+”に女性が配属されていますし、ヤングジャンプなどで女性の編集者が配属されたこともあります。女性ファッション誌の編集部であれば、性別関係なく女性のおしゃれ心を理解できることが必要ですし、少年マンガであれば少年の心がわかることが大切でしょう」。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/jump_jp_5dc155b3e4b0bedb2d52abe2
奇妙な回答だ。
この文章は2013年の自分に向けて書いている。リーマンショックにより続いた世界経済の混乱がようやく終息するかと思われた矢先に、あの東北での震災があり、
サプライチェーンが大混乱し輸出産業が大打撃を受けていたころである。
私が就職した年からアベノミクスが始まり、株価が上がり(少なくとも表面上は)景気が良くなり始めるその直前に当たる。
そのころ私は一浪、無資格、微妙な知名度の私大文系、友達ゼロ、ノンサーというスペックを抱えて就職活動をしていた。
ハナからまともな企業に受かる気はしなかった。半ば投げやりに、就職活動をしていた。
結果として、ある不人気業種の中小に拾われ、社会人生活をスタートさせることができた。
もちろん、「もし」「れば」を考えなくもない。もっとましな選択肢があったかもしれない。
ただ、新卒で入った会社で、組織で働くということや、社会人として最低限の常識は学ぶことができたと思う。結果として間違った判断ではなかったと思う。
なので、仮に今後コロナウイルスの影響で、就職氷河期の再来というようなことになったとき、当時の私と同じような境遇にいる人に参考になればいいと思っている。
を、よく考えてみてほしい。
私は経験がないが、世の中には社員をボロ雑巾のように使い使い捨てる会社はたくさんあるらしい。
そして会社の規模が小さい、中小企業ほどそのような会社である確率は高まる。
このコンプライアンスの時代に、大企業ほど監督官庁からとやかく言われるが、中小企業はそのあたりまだまだ甘い。
そもそも、どういう会社を受ければいいのかよくわからないという人もいると思う。なので何らかの会社選びの軸があったほうがいい。
私が判断の軸としてお勧めしたいのは、ニッチな市場を抑え、利益率の高い商売ができているか?という点だ。
利益率に関しては言うまでもないことなので、「ニッチな市場を抑え」という点について説明したい。
例えば近所でいろいろな会社のスーパーマーケットを回ってみると(できればその地域でしか見かけないスーパーがいい。近所に〇オンしかない?ご愁傷様)
その会社ごとに特色ある売り場づくり、立地、品ぞろえ、店員の配置、をしていることが多い。
そういうのはやはり運営している会社が何らかの意図を持ってやっているに違いない。
そしてそれはほとんどの場合、特定の属性を持った顧客(金持ち、貧乏人、男性、女性、近所に住んでいる人、遠方から車で来る人、ETC...)
向けに特に自社のサービスがより魅力的になるように意図をしてやっている。つまり万人向けでない限られた市場を抑えることを目的としていると言っていい。
業界の外から見たら、そんなところにニッチがあるの?と思えるような場所にニッチがある。がっちりマンデーで特集されるような会社もそうだが、
もっと微妙で味わい深いニッチを抑えた中小企業が日本にはたくさんある。
そういう小さな市場を抑え、曲がりなりにも継続して商売を成り立たせているような会社ならばおそら入社してからそれなりの経験ができ、入る価値がある会社といえるだろう。
ぶっちゃけ新卒学生の付け焼き刃の知識でどこにニッチがあるかなんて判断はできないと思う。
そもそも、なぜニッチ市場に「ニッチ」なんてかっこつけた名前を経済学者がつけたかというと、それは見つけるのが簡単ではないからだ。
ニッチ市場が素人にも簡単に理解できるくらいのものならば、すぐに他の会社が参入して来てしまう。
はた目からは簡単に見分けがつかないからニッチ市場はニッチ市場と言える。
どうしてその会社が長年ビジネスを続けている中で、つぶれもせず、さりとて大企業にも成りもしなかったのかというと、
おそらくその会社がシェアを抑えている市場の規模の限界がその会社の規模の限界となっているからだ。
あと、ホームページとかで「当社の強みはココです」みたいにかなりざっくりと表現してることが多い。
なので、面接や説明会で聞いてみてもいい、「御社の強みは~~とホームページで見ましたが、~~と理解しました。しかし~~~なのがわかりません、なぜでしょうか?」
みたいに。そしてその答えに納得できればその会社に入ればいいし、納得できなければ辞退すればいい。
今はインターンとかいうものがあるらしいがそれについてはよく知らないので割愛する。
もちろん、このやり方で優良企業を探すとなると、どうしても設立年数の長い、「古い」会社ばかり選ぶ確率が高まってしまうという難点もある。
また、このやり方だと、昔は成長していたが今は停滞もしくは衰退している会社に入る可能性もある。
世の中にはいわゆるベンチャーと呼ばれるような、今は規模が小さいが新しい市場を開拓して絶賛成長中の会社ももちろんたくさんある。
そういった会社のほうが才能や技術に秀でた人材にとっては働きやすく、より面白くて金になる経験ができるように思われる。
ただ私は新卒の時点ではそういうイケてる会社で働ける技術も才能もなく、あるいは新卒無業になるわけにもいかなかった。
結果として設立約80年の老舗の中小企業に入社することと相成った。
そういう会社に入ってみて、結果としてはまあ悪くなかったと思っている。
今では同じ業界の大手に転職できたし、大手は大手、中小は中小でいい面と悪い面があることも分かった。
今まで述べたのは会社の事業の安定性に関することだが、もう一方の重要な要素である、
社風、福利厚生、教育機会の充実などの「働きやすさ」に直結する部分はガチャとしか言いようがない。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
私は、茨城県南のつくばではない市に住んでいる。茨城在住ではない人は茨城について魅力度と納豆ぐらいのイメージしかないだろうが、つくば市は茨城の市というより「筑波研究学園都市」として馴染みがあるだろう。約300の研究機関、2万の研究者を擁し、そのヤバさたるや時に「悪の組織」などと言われるレベルである(実際には多分悪の組織ではない。JAXAの見学とか楽しいし)。秋葉原からつくばを45分で繋ぐつくばエクスプレスが走り、キャンパス敷地内をバスが走るクソやべえデカさの難関国立筑波大学があり、国際会議場があったりもする。茨城にこんな重要そうな場所があっていいのかと思う。
私は、つくば市に原因不明の憧れを持っている。上につくば市の良い(と思われるところ)を挙げたが、それらが理由ではない気がするし、幼い頃から日常的につくば市に行っているのでつくば市への幻想は砕かれていると思う。実際にはホイホイその辺の歩道をロボットが走っていたりはしないし、他の市よりは発展してはいるものの都会を名乗れるほどではないし(なんなら筑波山ふもとあたりはクソ田舎)、国際会議場のレストランの冷やし中華はマズいし、あと交通の便がめちゃくちゃ悪い。つくばエクスプレスはあくまで東京との行き来に便利なのであって、現地民が使うには駅の場所が微妙だし高い。乗ったことないけど通学で使ってた友達がやりづらそうにしてた。あとイーアスへの交通の便も悪い。
それなのに、私はオシャレな街を思い浮かべるとき、渋谷や横浜、名古屋などではなく、曇り空の洞峰公園近くの道路や、日が落ちた後の竹園などを思い浮かべる。3DSのNintendogs+catsの街みてぇな雰囲気のところに住みてぇなと常日頃思っているのだが、それと同じノリでつくばのことが思い浮かぶ。もしかしてつくばってなんかの開発のモデル都市とかになってたりする?よくわからん
自分の住んでいる市が嫌いなわけではない。故郷なわけだしむしろ好きな方。研究学園都市に比べればクソ田舎だが。
田舎者なので先程挙げた渋谷などのようなゴリゴリの都会への馴染みが薄いというのもあるかもしれない。それに比べてつくばの安心感たるや。両親は結婚する前、つくば近郊で働き、つくばのアパートで同棲していた。私は幼い頃はつくばにピアノのレッスンに行き、その発表会をイーアスのホールでやり、シネプレックスつくばに映画を見に行き、国際会議場まで入試を受けに行った。多くの場所がメチャクチャ馴染みがある、かといって自分が住んでる市ほど詳しくはなく、僅かな「特別な場所」感が残っている。つくばは私にとって東京よりも身近な都会なのだ。クッソ高えビルとか巨大な画面のついたビルとかヤバいほど歩いてる人とかに慣れていない私にとってはこのぐらいがちょうどいい。私の家の前歩道の白線すらないし。
これからも世界に羽ばたいてくれ筑波研究学園都市。あとはバス多くしてどっかにアニメイトとかデカめの映画館とか建ってくれたら最高。上映館が少ない映画は柏か水戸まで行かないと見られないことが多いし、シネプレックス死にかけてるし。
住みたいかと言われれば交通の便から微妙だけども、いつか1日かけてつくばをゆっくり見て回る日を設けてもいいかなと思っている。観光名所などではなく、幼き日のピアノ教室だったり、今はもうないアジトオブスクラップの近くのパン屋だったり、母が馴染みだったと言って連れていってくれた洋食屋やケーキ屋だったり。そこで美味しいオムライスを食べながら、受験説明会の時に国際会議場で食べた冷やし中華はクソ不味かったなあと感慨に浸りたい。
外見メイン。
・服装
MBとかいう人を参考にユニクロとかZOZOで小綺麗になるように頑張った。
ほとんどカジュアルな物しか持ってなく、モノトーンのTシャツですら1枚も持ってなかった。
白黒グレーの服を意識的に買うようになったらある程度コーディネートがまとまるようになった。
服に合う靴、靴に合う服とか探してたら出費がめっちゃ増えた。
・メガネ
アンダーリムののオタっぽい眼鏡から細目のウェリントンにした。ちょっと一般人寄りになった気がした。気持ちが大事。
・髪の毛
この年で初めてパーマ当てた。あか抜けた気がした。
・体毛
全部剃るのはやりすぎかと思って腕とか足あたりから股間の方まで短く切りそろえた。
股間は今の季節は蒸れにくくなるのでお勧め。なんだか自分が魅力的になった気がする。
もちろんヒゲは剃ってるし眉毛もムダ毛を剃ってぼやっとした感じにはならないようにしている。
・姿勢
上半身にやたら力が入るので顔と肩あたりの力を抜いて下腹部を意識するようにした。
持続させるのは結構難しい。
以下マッチングアプリについて
後者は女性も有料なので真剣さが上だと思って今はこっちがメイン。
アプリはそもそも顔写真、年齢、年収、身長がまずプロフィールとして出るのでそのあたりが他の人より上回ってないと不利な世界。
身長でフィルターかけられちゃうからその時点で相手から見えなくなってしまう。某企業説明会かな?
それでもいいねを返してくれる人を探していた。(プロフ見ていいねして、いいねが帰ってきたら会話ができるシステム)
女性には申し訳ないが、手あたり次第いいねして帰ってきてからプロフを読んでいた。
両アプリ合計で約1000人にいいねして、3人に奇跡的に会うことになった。が、どれも1回会ってからフェードアウト。
情けないけどこの年で女性と2人で話すなんて経験上全くなかったので、こっちがめちゃくちゃ緊張して気を使わせてたと思う。
なるべく笑うようにして相手の話聞きまくったけど全然頭が回らなかったし、会話は途切れるしで申し訳なかった。
自分のプロフは見返してそこまで違和感無いから悪くはない…と思う。
・結果
マッチングアプリは潮時だと思う。
自信がつくと思ったけどそうでもないし、自己満になってしまったので内面は何も変わらなかった。
おわり
学生時代と求職活動中に何度か遺跡発掘のアルバイトをしていました。
楽しくて貴重な経験ができる上に、どちらかといえばコミュニケーションが苦手で働くのがつらい人に向いているにも関わらず、世間にはあまり知られていないであろう遺跡発掘のアルバイトについて書いてみます。
読んで字の如く遺跡を発掘するアルバイトです。正確には「埋蔵文化財作業員」などと呼ばれてます。ただ、一般的にイメージされる有名な古墳や城跡の発掘は大学や研究機関のプロが中心となって行うので、素人のアルバイトごときにはやらせてもらえません。我々の担当は縄文時代の小さな住居跡とか、ゴミ捨て場とか、そういう世間一般ではマイナーなやつです。地方自治体の教育委員会や文化財課が管理してる場合が多いです。
ちなみに日本では毎年7000件以上の遺跡が発掘されていますが、これは文化財保護法で「遺跡を発見したら調査して記録を残さないといけない」と決まっているからです。そしてそのうち99.9%は発掘調査終了後に埋められてしまうと言われています。大抵が道路や建物工事の途中に出てくるやつで、そのままにしておく訳にはいかないですからね。残った0.01%が教科書に載るような有名な遺跡という訳です。もちろん我々のバイト先は99.9%の方です。
都道府県や市町村のホームページ。職員募集のページに載っている場合が多いけど、文化財課や博物館のページに載っている場合もあります。他には自治体の広報誌なども。遺跡の発掘が決まるとその都度募集があり、どこの自治体でも常に募集している訳ではないので定期的に探そう。なお、最近は自治体が民間企業に業務委託していて一般の求人サイトで見つかる場合もあるけど、そっちはあまりおすすめしないです。時給が安いし、民間だからたぶん労働環境とかいろいろ厳しい気がするので。
申し込みの後、1時間程度の仕事内容の説明会と簡単な面接を経て採用となります。特別人気のあるアルバイトでもないので、ごく普通の受け答えができれば大丈夫だと思います。考古学の知識も特に必要ありません。
現場責任者(自治体勤務の学芸員で、文化財課とか博物館とか埋蔵文化財センターの人。1つの遺跡に1〜3人程度いる)の指示に従って遺跡を掘ります。具体的には、重機でおおまかに掘り返された地面を、園芸用の移植ごてや片手鍬などでちょっとずつ削っていきます。作業自体は難しくないですが、正直、非常に地味です。掘っているとごくまれに土器片や石器などが出土します。運がいいと土器がそのままの状態で出てきます。作業に慣れてくると、発掘した土器の整理作業や、測量作業などを任される場合もあります。自分も遺跡の図面とかを書いたりしました。
発掘調査が終わったら埋め戻すような遺跡なので、1つの遺跡につき大体数ヶ月〜長くても1年くらい。何度も参加して現場責任者と顔なじみになると、他の地域の発掘調査を紹介してもらえる場合もあります。
近所のおじいさんやおばあさんが多いです(特に農閑期)。大々的に求人をしないので、どうしても地元の人が多くなります。中には経験豊富で専門家並みの知識や技能を持っているおじいさんおばあさんもいます。他には大学生とかフリーターとか主婦なども。仕事内容のせいかチャラチャラした人は全く見ませんでした。高齢者が多いって聞いて身構える人もいるかもしれないけれど、一応採用面接もあるので変な人はいないと思います。少なくとも自分は遭遇したことがないです。
お役所のアルバイトなので労働環境はきちんとしています。基本的に9時〜17時ぐらいの勤務で昼休みが1時間。残業はまずないです。土日休み。雨の日も発掘ができないので休み。シフトに関してもかなり柔軟に対応してもらえるので、週1日勤務の人もいれば5日勤務の人もいました。あと、どこの現場も大体45分作業→15分休憩といった感じで実際の労働時間はかなり少ないです(熱中症とかになったら大変だからね)。休憩時間はプレハブ小屋やテントでお茶とか飲みながらだらだらと過ごします。一応力仕事とはいえ高齢者でも働けるくらいだし、体育会系でもないので理不尽に怒鳴られるとかそういう事もないです。作業の方法も丁寧に教えてもらえます。
時給は自治体によって違うけど、コンビニのアルバイトと同じかちょっと高いくらいかな。ただし、前述の通り実際の労働時間は少ないし環境も良いので、相当割の良い仕事だと思います。
服装は動きやすく畑仕事に適した格好なら概ね自由。ただ土まみれになるので長靴と軍手だけは必須。自分は基本上下ジャージ姿で、冬場はホームセンターで買った作業着などを羽織ってました。衣類と履物は自前で用意する必要があるけれど、作業に必要な道具類は支給されます。
黙々と作業するのが苦痛じゃない人。あと、コミュニケーションがあんまり得意じゃない人。ゆるい職場なので、初めてのアルバイトや若干引きこもってたような人にも向いてると思います(体力的に心配な人は勤務日数を抑えられるし)。自分は対人接客業は絶対無理だと思ってたので、学生時代にこういうバイトがあると知ってすぐに飛びつきました。もちろん純粋に考古学に興味のある人や、測量作業に興味のある人にも向いていると思います。
やっぱり掘ってて土器とか石器が出てくるとかなり達成感があります。大きな壺なんかが出たりするとみんなテンションが上がります。あと、高齢者が多いので若い人は相当チヤホヤしてもらえます。休憩中にお菓子をくれる人が多かったですね。みんな話を聞いてあげるだけでも喜んでくれるので、会話が苦手な人でも大丈夫です。
あと、就活の面接で遺跡発掘について話すとすごくウケが良かったですね。中々できる体験じゃないので、そういう意味でもおすすめかもしれません。
ふと昔のことを思い出して、気がついたらこんなに長々と書いてしまいました。これを読んで少しでも遺跡発掘アルバイトや考古学に興味を持つ人がいてくれたら幸いです。いろいろと勉強にもなりますし、趣味としても楽しめますよ。
思いのほか反響があってびっくり。みなさん読んでいただきありがとうございました。あと、いくつかの箇所を訂正しました。
(埋蔵文化財調査員は現場責任者のことで、アルバイトは埋蔵文化財作業員という呼び方が正確ですね。指摘して下さった方ありがとうございました。)