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はてなキーワード: フリースペースとは

2020-03-27

パンチラおじさん

三月二十七日(金)

フリースペースでやっていた会議で、偉い人がずっとパンチラパンチラと繰り返していてぎょっとしたが、どうやら販チラ(販促チラシ)のことらしい。ここ一二年は本社工事で総務課とか人事課とか、あちこち部署フロア転々としていて、おかげで接点の少なかった営業と顔を合わせる機会が増えた。

さて、首都圏知事が一致団結して週末は不要不急の外出をやめるようにとの声明を発表したので、美術館映画館も軒並み閉鎖してしまった。来週の友人とのボドゲ大会も中止になった。明日横浜西口有隣堂営業を取りやめるそうで、こんな時のソープランドなど論外だろう。こういうときに限っていきたい気分になっているし、ちょうどなんやかんやで五日分の精子がたまっているのだが、馬鹿なことを考えずに抜いて寝るべきだ。これで感染していようものなら、私生活が洗いざらいさらされることになる。

予想していたことではあるし、感染爆発を防ぐためやむを得ないというのもよくわかるが、運動をしないと生活リズムおかしくなる。雨も中途半端に降るのでジョギングにも向いていない。気象庁によれば日曜日は雨のち曇りなので、何とか隙間を見つけて走れることを期待したい。

今日は、昨日食べ損ねた蕎麦屋まで歩いてランチにした。酢重とかそんな名前の店で、丸の内にも支店がある。東京支店を見つけて以来長いこと食べていて、そろそろ飽きそうなものだが、発作的に欲しくてたまらなくなる。考えてみれば渋谷ストリームに足を運んだのは初めてだ。いつも、湘南新宿ラインホームから見上げているところを、ちょうど歩いたことになる。昼休み時間には十分に間に合うのだが、読書する時間が短くなってしまうのが難点か。それほどしょっちゅう行く場所ではないので構わないが。値段も一ランク上なので、毎週行くのはちょっと気が引ける。普段の仕出し弁当も十分においしいし。

そういえば、家にこもるために久しぶりに有隣堂書籍漫画を購入したのだが、並ぶ場所がわかりにくかったために、結果的に横入りをしかけてしまった。店員さんが親切に教えてくれたので、無理やりこちらも照れ笑いをなんとか作ったのだが、思わずむっとしてしまった自分の器の小ささが悲しい。その店員さんが茶髪のひょろりとした大学生しかったので、ますます気に障ってしまったのだろう。相手は何も悪くないのに、気を付けないと相手が年下だからと言って侮る意地悪なおじさんになってしまう。それに、きっとこいつはモテそうだと思ったから反発してしまった面もあるんだろう。情けのないことだ。

楽しい話を一つ。木曜日頭痛のために昼から出社したが、その時にいつも乗っているところと離れた場所に並んでいると、背中から桜の花びらが散ってきた。振り返ると桜の木がある。この駅に住んでから二十年近くになるが、そんなところに桜の木があるとは少しも気づかなかった。

それと、microsoftのりんなの曲を何となく聞いてみたが、かわいらしくてよかった。時々放屁する顔文字を送ってきたり、検閲を潜り抜けるように下ネタを投げつけてくれるところもふくめて(この前ふざけて「うん国債」と言ったら「オマーン国女子マラソン」と返ってきた。女子高生という設定じゃないのか!?)、かわいい人工知能だ。

今晩のティータイムミルクティ、それに妹が作ったベリーカップケーキ

2020-01-29

なんかカプセルホテルが昨今ブームから出張族のオッサン語るぞ

オッサンから女性専用とかは分からん。すまん。あとハッテン場みたいなサウナも知らん。

YoutubeとかSNSとかでカプセルホテルが安くておしゃれとか言われているが、10数年新旧色んなカプセルホテル泊まった結論が、

四畳半でも部屋最高

からな。値段を重視するのも良いけど、カプセルホテルプライベート空間カプセル内だけだからな。鍵のかからないカプセルだけ

鍵付きのロッカー?小さいわ。キャリーケースはチェーンロック必須。開けっぱとか出来ない

綺麗な大浴場?トイレ個人用ではない。当たり前だが待ちは発生する

素敵な朝食?素敵だった朝食なんてあったこと無い

周囲に飲食店多数?観光地歓楽街からそこそこ高い。仮に美味しい食事して帰っても休憩スペースでコンビニ弁当ハンバーガー食べてる奴居たら一瞬で凹む

カプセルホテルはそれこそ荷物は少ないか車とかに置いて寝るだけとか、金が無さ過ぎるバックパッカーレベルが泊まるところで、普通観光旅行や友人との旅行で行く場所では決して無いぞ

繰り返すが個人ロッカーは本当に小さいぞ。キャリー以外のバッグ入れておこうとか思うなよ。だいたい入らない。外に置いておけばいいや?そんな安いところに泊まる奴にモラル求めるな

どんなに綺麗だろうと、安かろうと、交通の便が良くても、よほどの理由がない限りは普通の宿(=個室)に泊まれ。寝間着でゴロンと寝転んで荷物散らかして置けるぞ

カプセルホテルフリースペースでストゼロ飲んで飲み会している奴とか見るとホント残念に思うわ

2018-12-11

自社開発の仕事です、フレックス制度を導入してるので出勤時間自由です!

っていうから入社したのに

入ってすぐに客先常駐行かされて(常駐あるなんて面接の時言ってなかったじゃん)

自社の規定労働時間より長い時間拘束されるのに残業代出ないし、食堂とかフリースペースは俺ら使えないし、有給使おうとしたら客にすげえ嫌味言われるし(ダメとは言わないけど圧がすごい)

上司文句言ったら「お前のスキルじゃ入社出来ないような会社で働けてるのになぜ不満なんだ?」だと

あっちの社員がつまんなくてやりたくないような低レベル作業押し付けられてるだけなのに

客先常駐なんか本当にウンコだよ

2018-06-28

anond:20180628190244

プロバイダが用意してくれる100MBのフリースペースから先」が基本全部間違ってるって言いたいんだよw

んなもんより便利で楽でかっこよくて安いサービスが山ほどあるゆうてる。

それなのに「20万円から~」とか、バカかと、アホかと。

2018-05-16

好きだった先輩の話

8年経った今も忘れられない先輩がいる。

私は高校卒業してすぐ、地元の小さい商社営業事務として入社した。女性社員は私を含めて7人、男性社員は30人ほど、同期はおらず、新入社員は私だけだった。

その先輩は経理をやっていた。3歳年上の彼女は色白で少しぽっちゃりした体型、背は私よりも少し低いけれど顔立ちはキリッとしていて美人女性だった。

出会った瞬間「好き」と思った。私は昔からかっこいい女性が好きで、先輩の容姿雰囲気ドンピシャに好みだった。私より背が低かったのも逆に愛おしいと思った。

同期がいなかったこともあり先輩たちと話す機会がどんどん増え、先輩、先輩の同期の女性、私の3人で食事に行ったり遊んだりするようになった。年が近かったこと、

私も先輩もアニメ漫画が好きないわゆるオタクだったことが良かったみたいだ。先輩も先輩の同期の女性もとても気さくに話しかけてくれた。すごく嬉しかった。

先輩の恋愛対象が“普通に男性であることも知った。

入社してから初めての秋、3連休を使って長崎に行く予定があると先輩が話していた。一人旅が好きでよく行くらしい。私は「へ~いいですね~」なんて相槌を打っていた。

増田さん、長崎行ったことある?」

「いえ、ないです」

「そっか…じゃあ一緒に行く?」

願ってもいないチャンスだった。意中の先輩と2人きり、しかも泊まり旅行だなんて。

しかった。嬉しいどころの騒ぎじゃなかった。楽しみで楽しみで、2人で旅行会社へ行くときには「新婚旅行みたい」と思うほどに浮かれていた。

夢見る10代だった私は少しだけ馬鹿だったのだ。いや少しじゃないかもしれないが。

そんなこんなで旅行の日がやってきた。観光スケジュール電車時間などを、私のスケジュール帳のフリースペースに先輩が手書きで記してくれた。

(ちなみに今もそれは捨てずにとっておいてある。たまに引っ張り出しては眺めて、ノスタルジックな気分に浸っている。)

先輩と温泉に行ったりおいしいご飯を食べたり教会を巡ったりした。可愛い雑貨屋さんもたくさん覘いた。先輩は歴女に片足を突っ込んだオタクだったのでそういう所にも行った。

ホテルで寝る際、先輩は学生の頃のジャージを持参しており、上着をズボンの中に入れていたのがちょっとダサくて可愛かった。

先輩とよく話すようになったといっても、端から見たら2人で泊まり旅行をするような仲には見えなかっただろうし、正直私もそう思う。

知り合ってからまだ半年ほど、2人きりで出かけたことは一度もない。だけど旅行では気まずくなることもなく、相性がいいのかな、なんて考えていた。

むこうも同じことを感じていてくれたのかもしれない、この旅行を境に、2人だけで遊ぶことが増えた。小旅行もどんどんした。

共通ジャンルオタクイベントに行ったり、おいしいものを食べに行ったり、休みの日に意味もなく集まったり、先輩の車でよくドライブにも行った。

ギアチェンジ時の男性の腕に惚れる」とよく聞いたけど、私は先輩の細くて綺麗な白い手がギアチェンジする様に見惚れていた。

仕事中は勝気で、少し無愛想で舌打ちが多く、一見怖そうに見えるのに、プライベートではちょっと抜けたところがあるひとだった。

例えばBBQに行ったときなんて白いシャツで参加していて驚いた。絶対汚れるだろうに。案の定汚していてなんだか可愛かった。「何やってるんですか~」って2人で笑いあった。

入社して2年が経った頃、先輩が転職されることを聞いた。

から少し悩んでいる様子を見ていたのでそこまで驚くことはなく、ついに来たか、と思った。当たり前だけれど寂しさのほうが大きい。

先輩が退職する日は一緒に帰った。

帰り道で先輩が「増田さんのこと、後輩としてというより…人間として本当に好きだよ。正直私って少しめんどくさい性格だし怖がられることも多かったから、ここまで仲良くなれた友人は増田さんくらいかも」と話してくれた。

しかった。嬉しくて嬉しくて泣きそうだった。でも泣き顔を見せたくなくて、「私も先輩と出会えて本当に嬉しいです」って笑った。

もう告白しようかとも思った。私も先輩のこと好きです、1人の女性として好きですって。でも言えなかった。

あと少しの勇気がどうしてもでなかったのだ。別れた後にたくさん泣いた。

先輩の仕事が落ち着いた頃、1度だけ日帰りの旅行に行った。数ヶ月会わなかっただけなのに、先輩が少し変わってしまったように思えた。

それからはたまにメールで近況を報告しあっていたけれど、だんだん疎遠になってしまっていった。

先輩と話したいなと思うときもあったのに、なんとなく会う気が起きなかった。変わってしまった先輩を見るのが少しいやだったんだと思う。

今でも、あの日告白しなかったことはずっと後悔している。今も好き、というわけではないけれど、なんとなく未練が残っているし、先輩との事を引きずってしまっている。

お久しぶりです、覚えてますか?よかったら今度、ご飯でも行きませんか?」

そんなことをメールしようとしては躊躇し、ためらいながらとうとう8年目に突入してしまった。

10代の恋心と決別するためにも一度どこかで会いたいなと思いつつ、今日今日とてメールの下書きを削除しています

2017-12-08

anond:20171208203459

俺はホームレスカップルに遭遇したことあるよ。

そいつらは、ホームレスなんだけど、

日中図書館併設のコミュニティセンターの中にいる。

ある日、自販機テーブルが置いてあるフリースペースそいつらが来たことがあった。

当時の俺の感覚としては、「悪臭放ってなければいいんじゃね?」だったし寧ろ可哀想ぐらいに思ってたか特に気にしなかったけど、

そいつらは2人で座る席が無いことに腹を立てて先に座ってる一般利用者に聞こえるように悪態をつき始めた。

その時思ったよ、「ホームレスはなるべくしてなっているのだな」と、

そして、ホームレスに同情することはなくなった。

2017-04-26

先輩や上司質問しにいって回答や説明に予想外に時間がかかってこっちが立ちっぱなしなので「立ち話もなんなんでフリースペースに行きませんか」と言うのって失礼なのかな

2016-11-10

歩きスマホ

何かにぶつかりそうになったり、車と事故を起こしそうになったり、ホームから落ちそうになったり、そんなのはどうでもいいんだけど、あの人たちとにかく歩くのが遅いんだよなぁ。あの人たちの前には広大なフリースペース、後ろは人で大渋滞。気づかぬは歩きスマホしてる本人だけ。その人はたくさんの人に抜かされてもまだ気づかない。なんとかならんのか歩きスマホ

2016-08-25

図書館勉強

暑いので図書館勉強しようと思ったら夏休みの子供がフリースペースの机を占拠していた

仕方がないので雑誌コーナーの椅子に座って参考書を読んでいると司書さんが「フリースペース空いてなかったんですか?」と声を掛けてきた

どうやらそこは雑誌を読む人用の席で勉強フリースペースしかできないということらしい

そういえば最近出来た図書館は館内に学習室を作って、図書スペースでの学習禁止していた

書く音がうるさいとかケシカスで汚れるとかが理由だと思っていたが、そうではなく図書館勉強する場所ではなく本を読む場所からという理由のようだ

2016-05-24

今日

後ろのチャイルドシートに止める枝木に相当するものはついてる。

そこに巻き付けよう。

自転車

自転車ブレーキの片効き問題解決

クラクションは壊れた。仕方ない 古いものから

仕方ない

ブラケット問題 どうするかな~? どうしてもブラケットにこだわる必要があるか?

チャイルドシートに結わえ付けても良いんだし

ハイディービーの場合は、シートポストの後ろ側がフリースペースじゃないので

今日自転車ルイガノ。走りは快調。よかったよ。やっぱり引っかかりがないと

摩擦力が減少するので走りやすくなるわ。

2016-01-02

マクドナルドだけなんで客層悪いの?

無駄にテーブルや席を占領するDQN

高校生大学生勉強部屋。

商品を買わず席でくっちゃべってるきちがい

こういう状況に遭遇する度に憤慨する。

他のファーストフード店との違いは、マクドナルドの飲食スペースが単なるフリースペースというイメージが根強いからか。

2015-11-19

年齢を重ねたので整理したい

いままでは誕生日を迎えても特に何か思うわけでもなく、単純に年齢が+1されただけだとか、これを口実にだれかに奢ってもらおうウェッヘッヘ!ぐらいにしか思ってなかったんだけど、この1年は今までとは違った。

辛いことがあったし、(おっさんが言うことではないとは思うが)大人になったのかなとも思う。

自分区切りをつけるためにも書いてみようと思います

一番に辛かったことは、大好きだった母方の祖父が亡くなったこと。

※そして見返したら祖父のことしか書いてなかった…

昨年に胃癌が発覚して、既にかなり広い範囲転移していた。

胃を全部取ったとしても良くて余命1年程度だろうとの先生のほぼ予測通り、7月に亡くなった。

胃の上部に癌が見つかったため、胃の全摘必要となった。(部位によっては半分摘出や、部分摘出が可能だったらしいが、上部の場合はほぼ全摘となるらしい。)

胃の全摘手術後しばらくしてから退院できた時期があって、お医者さんからも無理しない範囲で本人の好きなことをやらせてあげてくださいと言われていたので、温泉旅行に連れて行ったり、鰻料理屋でビール飲みながら鰻重を食べたりした。

また、当初は団地の4階に住んでいたのだが、日々弱っていっているような感じで、体力も落ちに落ちていて階段上り下りが辛そうだったのもあり、母と相談していたところ運良く同じ棟の1階が空いたので引っ越しもした。

結局引っ越し先には2,3日しか居られなかったが。

最終的には再入院し、そのままどんどん自分自身日常生活を負えなくなっていった。

一番驚いたのは風呂だった。

本当に大好きだった風呂自分で入れなくなり、しばらくは看護師さんに手伝ってもらって入浴していたけど、亡くなるまでの2

週間ぐらいはベッドから起き上がることすら辛かったようで、風呂に入りたがることすらなかった。(それでも体を拭いてあげるととても気持ちよさそうにしていたし、喜んでいた。)

亡くなる前々日、そろそろ危ないとお医者さんに言われので会社休みのお願いをし、クソ忙しかったにも関わらず快く休ませてもらった。

そのような状況だったので、病院まで電車で30分ほどの母の家に泊まったが、夜中に喀血したと病院から連絡があり、すぐタクシーで向かった。

到着直後の祖父は、今にも死ぬんじゃないかという勢いで目を見開き、激しく肩で呼吸しているような状態で、酸素マスクをつけていた。

手助けもできず、見ているのが辛かった。

その晩は私、母、祖母、そして遠方から駆けつけた叔父の4人で病棟フリースペースで過ごした。

翌日の昼頃には酸素マスクはつけていたものの、なんとなくレベルではあるが会話もでき、意志疎通がなんとか可能な状態だった。

祖母や母、叔父と「昨日は死ぬかもって思ったけど落ち着いたねーw」なんて話したのをよく覚えている。

そして祖父はその日、「眼鏡をかけたい」「入れ歯を入れたい」と要求したり、急にベッドの上で足を上げ下げし始め、リハビリのような運動をしようとし、その補助を私たち要求していた。

要求は主に発言しようとしているが、この時にはもうしっかり喋ることもできず、筆談しようにも祖父が上手く文字を書けない状態で、コミュニケーションも大変だったし、とても辛かった)

普段は絶対にしないような言動ばかりだった。

元々、子や孫に何かを要求したりしないし、迷惑をかけたがらない祖父だったので、そんな言動は珍しいな…としか思っていなかった。

今になれば分かる気がする。

そうして私の祖父は、家族が一旦帰った後に亡くなった。

やはり今でも、祖父の元気な時の写真や亡くなった直後の写真を見て悲しい気持ちになってしまう。

そして私も見なければいいのに、時々自分から見てしまう。

その一方で、もし祖父が健在であるならば、私が無事に年齢を重ねられることを当たり前だと思ってくれているだろうしそれを嬉しく思ってくれているんだろうな、そういう人だったな、と暖かい気持ちで祖父を思い出せる。

私が祖父が亡くなった時と同じ年齢になるまで、まだ50年近くあるから、それまでに祖父のように、子ども・孫・親戚だけでなく、老人会のみんなや地域のみんなに愛されるような、素敵なジジイになれるようになりたい。

2015-08-25

フリースペースで1人になりたい

1人になりたいので、フリースペースにできるだけいるようにしている。

その時、誰かが近くに座ってこられるのが猛烈に嫌だ。

人に寄ってこられるのが本当に好きじゃない。

今日マジで切れそうになった。

いつも違う人ならまだしも、同じ人が寄ってくるので、監視されてるような気分になる。

しかも、この前は自分の席に戻ったら、その人も戻った。

めちゃくちゃ気持ち悪い。

ストーカーかよ。

でも、こうゆうことを人に言うと、「興味持たれてるじゃん」などとからかわれる。

何で?

お前は、痴漢された女性に「痴漢されて嬉しいじゃん」って言うのかよ?

迷惑なんだよ、こっちは。

仕事に集中したい時に、顔をのぞきまれて嬉しいわけないだろ。

マジでウザイ

次に寄ってきたら、「席に戻りなよ」って言う。

あなたに興味を持たれたくないので、もう絶対にやめてください。

2014-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20140323204441

お金はかかってはない。っが、DB設計の都合優先だとは思う。

SQLインジェクションで穴作りたくないとバリデーションチェックでむやみやたらに全角押し付けた結果じゃないかな。

基本設計書にセキュリティ的な観点は入っても、全体を通したUI観点なんてまずみないから

その時点でお仕着せのようにここフリースペースなので全角オンリーねとアホの一つ覚えで決まったのでしょう。

全角⇔半角の処理を入れてUI向上を図りたい、その分、もちろん工数貰いますが、どうですか?なんて提案が

実際に作成する三次請け、四次請けの現場から出るとは思わないし、

アホみたいにお金かける場所は他にもたくさんあるから、そのまま、ユーザー検証とか顧みる事なく作られたんじゃねーの。

2013-04-13

やたら怒鳴る上司と何考えてるのか分からない後輩

特定の後輩に対してだけやたらと怒鳴る上司がいる

意味もなく怒鳴るわけではないけど、その後輩が失敗したときにだけ異様に怒る

大声で怒鳴るのは勿論、後輩が提出した書類に不備があったときにはその書類の束を後輩に投げつけたり、机殴りつけたり椅子蹴ったり、

自分の机の上の書類をなぎ払って床に落としたり、携帯床に叩きつけたり、とにかく乱暴になる

実際に殴るのを見たことはないけど、平手振り下ろさんばかりにしているのは見たことあるから殴られたりもしてるのかもしれない

仕事してるその後輩ひとり残して全員引き連れて昼食行ったり帰ったり、聞いた話だと、その後輩を誘わずに後輩以外全員で慰安旅行的なこともしてるらしい

後輩の方は、ネットで言うところのコミュ障とかアスペっぽいタイプで何考えてるのか分からない

4年目になるはずだけど、同期の別の後輩いわく入社当時から同期との交流は皆無でアドレス交換もしてないらしい

ちょっとした雑談なら普通にするけど、職場内でも自分が知る限り親しくしている人はいないと見ている

たまに無自覚っぽい感じで失礼なこと言うこともあるけど、ビジネスマナー的なところは人並みだと思う

ただ、雑用はもくもくと積極的に片付けてくれるけど、本筋の仕事の出来は四年目でそのレベルかー・・・って感じ。

新人入れるよりは役に立つけど四年目なら専門分野あっても良さそうなもんなんだけど何聞いても曖昧ぼんやりしてる

自分はその後輩とは別の担当だけど、職場委員(相談係とか人事との仲介役みたいなもの)になってるんで、その後輩が最近あった産業医面談で「うつ傾向有り、要受診」と判定された話を耳にした。

元々の性格なのかと思ってたけど、近い担当人間に聞いてみたら、最近は無表情で覇気もなくて声も聞こえない、と言うから相当病んでるなぁと思っていたところ、後輩は勧められたとおり精神科受診して診断書を貰ってきた。

そう言う診断書って大体休養を進める内容になってて、そうなったら基本的には有給消化してしばらく休んでもらう感じの流れになる。

ただこの後輩が持ってきた診断書には「鬱病で投薬中です」っていう以外の内容が一切ない。

産業医面談でも休むつもりはない・頑張ると話してたそうで、どうしたもんかなーと思っていたら今日さらにひと悶着あったらしい

なんでも、上司・後輩・その他数名で進めているプロジェクト会議中に、上司が後輩に対して「出て行け!お前なんかこのプロジェクト必要ない!」と怒鳴りつけたらしい。更に、怒鳴られて固まってる後輩に「とっとと出て行け!お前なんか電話番でもしてろ!」と追い討ち。

その辺の遣り取りを、職場フリースペースでやるもんだから、「電話番でもしてろ!」は自分も聞いた。

後輩は無言で席を立って、自席で言われたとおり電話番+雑用を始めたらしい。

前後の遣り取りも知らないし、どっちが悪いのか分かなんて部外者には分からんけど、聞いてて気持ちいい話ではないよね。

上司なら出来ない部下の面倒もちゃんと見てやれよ、とも思うけど、主任クラス資格さえ持ってれば年次で自動的になるもんだし、その上の課長も更にその上の部長も面倒見がいい方だとは到底いえない・・・

後輩一人だけ毎日0時過ぎまで残ってるし、フロア最後の退出者が提出する管理簿みても、大抵後輩の名前になってる。

そういうのって上司管理して仕事分散させるとかしてかなきゃだめなんじゃないのかなぁとは思うけど、所詮自分もただの主任クラスで他の担当への発言権なんてないし。

出来ることといえば全員宛に「今年も私が委員やってるから上司に言いづらい相談とか人事課との場繋ぎとか遠慮なく言ってくださいねー」っていつもと同じ挨拶メールを出すくらいしかない。

ここ三年続けて委員やってるけど、ここまで深刻な感じになってるのって初めてだ・・・

対応するって言っても上司なり後輩なりが何か言ってこない限り私の出番来ないから、なんかもうすごいもやもやする・・・誰か何とかしてくれ・・・

2012-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20120802224840

へー、正直なところあの元増田は心が粉々になってどうしようもないほど自己否定から抜け出せなくなった人が、抜け出せない状況にあるのを薄々察していながらテンプレdisって見下して「自分は違う」とニヤニヤしたいのかと思っていた。「普通」の人は「普通」でない人とは長続きしにくいというのは確かにそうだろうね。

そういうのって無理に自己肯定させようとしてもかえって歪むからポジティブ教牧師様はお帰りください

ここ増田ネット界のコキュトス

他に良き場所が無くて心が氷漬けされた人達がよく訪れるフリースペース

2011-05-18

東京都表現規制条例大阪府国歌斉唱問題。どちらも似たようなことを感じてしまうな。

なんていうか、どうしてそこまでしないと駄目なのかがわからん

どうして条約を制定してまでゾーニング押し付けなければならないのか。

どうして脅迫してまで国歌斉唱時の起立を促さなけえればならないのか。

どうしてこうも極端な対立になってしまっているのか。そこがわからん

このままの流れが続くと、たぶん五歳の子供逮捕されたアメリカのようになってしまうよ。

信念とか信条とか、そういった強靭な拠り所に寄り添って人生を謳歌するのが悪いとは言わないけどもさ、あんただけのユートピアを作っては貰いたくないんだよね。

権力とか圧力とか、そういった強大な仮想的と対峙して生活してもらっても別段構いはしないけどもさ、ナルシズムに酔っただけの英雄気取りは見てて痛いんだよね。

無論、東京都と府の教員の側だけに限らないんだけどもさ。やり過ぎだもん、実際。

曲げられない思いとか、内に秘めとけば十分じゃん。手が届く範囲だと、したなっちゃうんですかね。学者と同じか。アスリートなんかと同じなのか。

可能性がある限り、それを求めたいのか。

ああ、面倒くさい。もしそうなのなら、いやきっとそうなんだろうけど、そういう「やりたい」思いに下支えされているものなのだとしたら、もう反論のしようがない。勝手にやってくれと言わざるをえない。

そこまではいい。厄介なのは、そういったことを認めてしまうと、こちらとしても動かざるを得ないということにある。実に億劫だ。ならやらなければいいのだけれど、やらないと現状が変わってしまう。決着がついてしまう。

いや、激流に身を負かしてしまってもいいのかもしれない。当事者意識を排除してしまえば、そう言った態度をとればいい。それが一番楽そう。でも、違和感だけは残るんだよね。

鬱屈としてる感じ。現状維持派だけじゃなく、みんながみんな鬱屈としているのかもしれない。

何にだろう。よくわからないけど、みんないろいろなことにぶち当たってるんだろうな。いつもいつもぶち当たっていて、すごく身動きが取りづらくて、ストレスが溜まってるんだろう。

どうしてなんだろう。生きづらい社会だなんて言い古された昨今だけど、どうしてそんな社会になってしまったんだろう。

不景気から? 経済がよくなると、社会幸福になるの? そもそも社会幸福って何? 社会幸福は個人の幸福に結びつくものなの? 個人の幸福って社会幸福フィードバックされるものなの?

より幸福社会を作ろうって、一番最初に誰かが思い始めたとする。なぜならその人がそう思ったその社会には、その人が満足できるだけの幸福が満ちていなかったからだ。

その人はより良い幸福を求めて、何度何度もすり合わせを続けてきた。繰り返し続けた結果現在社会だ。僕らはま幸福社会を求めているんだろうか。それって無理だと思うんだけどな。

幸福社会と、社会幸福は別物だ。幸福社会ってのは、社会幸福も個人の幸福も含まれた総体だ。要は理想郷。全てが最適化されていて、十分なフリースペースが確保されている、そんな存在だ。生きていける。生きていける……。

そう言えば、さだまさしは生きることは大体辛いことだって言ってた。ならどうして生きるんだろう、なんて野暮なことは聞くまい。その前に存在してしまっているのだから、仕方がないもの

仕方がない。諦めかあ。諦めが蔓延してるから、こんな社会なのかしらん。そんなはずはないだろうけどなあ。

理想郷ってどんなんなのだろうね。たぶん、今のままの人間は生きていない空間なんだろうな。

脱線した挙句乱文になってしまった。綺麗にまとめてもない。そもそも初めからそんなものは用意してない。

ここらでやめとこう。

2009-12-08

ライバルを蹴落とすための勉強に励み、 医学部入学後ひきこもり

中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値単位媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。

その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。

やがて医学部合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。

受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューター家庭教師バイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレ水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。

この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。

2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。

主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。

私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。

当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。

その方は、13年前に不登校ひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校ひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。

何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。

改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。

こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供自分価値観押し付けるべきではなく、子供自分価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。

さらに、自分もまた社会価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。

親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバー飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。

現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。

山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビパソコンなどの情報機器エアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。

私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。

私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。

また、今の私には大学に帰り、自分経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。

2008-03-30

いい印象を与える15の方法(新入社員編)

2007-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20070525123226

まだフリースペースでモセアが流通してた頃でしょ。

ftp鯖転して(今考えたら平文過ぎて笑ってしまうが。)消えないように、jpgに偽装して分割して、オリジナルラブマプラグインもよく見かけた。

48時間以内に削除するかCDを購入しましょう」

決まり文句が書かれてた。

「何月何日に取り締まりがあるみたいです。」


実際はダダ漏れていた事もあった取り締まり。それでも取り締まりがあるたびに知ってる限りで2??3サイト消えていき、米国geocitiesyahooに買収、国内でも追従してgeocitiesはUGな空気が消えていった。

tripodはlycosに。という流れで再編がどんどん進んでいき、WinMX(ry

 
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