はてなキーワード: ポリシーとは
セクシーすぎると批判され差し替えられた香港のイラスト看板の問題
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2004043.html
はてサ及びフェミニスト達はいつも通りの反応を見せている訳だが、
彼らは分かっているのだろうか?これは権力からの表現への攻撃である。
彼らはよく「表現の自由は政府からの自由であって、個人からの攻撃は表現の自由ではない」といった理屈を持ち出す、
けれど件の看板への批判は劉佩玉議員が主導している事は話題の元になったツイートでも明言されている。
さて、この劉佩玉議員について簡単に(本当に簡単にだが)調べてみた。
では民建聯とは?Wikipediaのページは以下の通り。
ナショナリズムを主張しており、大陸側の中央政府に近い。国家分裂(台湾独立運動や新疆ウイグル自治区、チベットの反体制運動)および中央政府の転覆を禁じる基本法23条に基づく治安条例の制定を香港政府が推進した時も、世論の反対に関わらず一貫して政府案を支持した。
行政長官が中央政府と良好な関係を持つという前提つきであるが、行政主導の下における香港政治の安定を目指し、事実上の与党的な存在であることを意識している。
「ナショナリズムを主張する」「親中派」の「事実上の与党的な存在」
そんな政党の議員による保守的な表現への攻撃に、あろうことかフェミニズム的な共感を寄せたのが我らがはてサ、フェミニスト達だったのである。
正直に言うと、少し笑えて来る。彼らは自分達のやっている事を分かっているのだろうか?
ゴリゴリの権力による表現への攻撃を肯定するのが彼らのポリシーに則った事なのだろうか?
先日、漫画家の赤松健の表現の自由に関するロビー活動を「ちょろい」「扱いやすい」「ちょっとくすぐってやれば腹見せて従う」と威勢よく批判していた彼らだが、
くすぐられる前からしっぽ振ってくぅんくぅん可愛い声で恭順を示し、あまつさえご主人様(先方は認識すらしていないだろうが)へ批判的な態度を取るものへ元気にきゃんきゃん吼える人達がそれを言うのか
いや、本当に勘弁して欲しい、ギャグセンスが高すぎる、腹筋を返せ、M1に出ろ。
「表現の自由は政府からの自由であって、個人からの攻撃は表現の自由ではない」というのは昔の話、
今、彼らのトレンドは「(女性を対象にした表現に限り)たとえ権力からの攻撃であろうと、表現への攻撃にはしっぽを振る」、これである。
少し前まで仕事で欧米住みしてて、コロナの影響で帰国した者です。
当時リアルタイムで状況を見ていたので、個人的観測をシェアさせてもらう。
日本と欧米の感染者数の違いについてのニュースが流れると、どうしてこんなに差が出てるのか、というコメントが必ずつく。
自分が在住していた某欧州国でも、反コロナのデモがまあまあな頻度で起きていた。
マスクをあえてつけないことが "着けない自由=身体の自由" という1つのポリシーとして確立しており、学校の先生やスーパーの店員まで、幅広く支持されている。
どうしてこういうことが起きるのか。
マスクを着ける習慣もなく、そもそも薬局にすら売ってなかった欧米で、コロナ第1波の時に人々は何を「推奨」されたか知ってる?
それは「顔を触らない」だ。
口はもちろん鼻や頰、あご、とにかく顔周りを触らないようにしましょう、と、ニュースや個人メディアは伝え、子供の学校からのお知らせなんかにも書いてあった。
SNSでも個人メディアやYouTuberがしたり顔で伝える動画が流れてきた。
もちろん手洗いなんかも推奨されたけど、全く新しい習慣としてまずこの「顔を触らない」というのが表立って提示された。
これが難しい。
人間自信をなくすと顎から上に手がいくように、顔を触るという行為は無意識でやっていることが多く、自分でコントロールするのはなかなか難しい。
頬杖もだめ、顎に手を当てて考える仕草もだめ、鼻を触るのもだめ。
これが公的に「推奨」されていることについて、強烈な違和感を覚えた人は少なくなかったはずだ。しかし初めて経験するパンデミックの中で、これに対しては何も反発が起きなかった。起こす必要もなかった。その時はあと1、2ヶ月もすれば、元の生活に戻ると思っていたから。
その後の経過についてはご存知の通りだ。
何が言いたかったかというと、欧米におけるコロナ対策の初動が日本やアジアとは全く異なったアプローチをしており、それが尾を引きずって、反マスクの奴らが言う「呼吸する自由」みたいなのに繋がっている、ということ。
悟りっていいとかわるいとか決断とか愛とかそういうもんじゃないんですよ
やる気とか分別とか心根とかそういう、なにかを示す形容的なものじゃないんですよ
そうあるという状態をしめすもので、その様子を形容しているようでそれそのもの自体のことを言及すること自体であることが悟りの本質で
それがそれであるということ ということが悟りでそうであるとしているものを悟っているというのです
岩が岩であることを岩としてしめしていることを悟りと言いますし人がそういうものだと思い感じることを悟りというのです
行動したこと 迷いなく身をすて人をすくうという行為をするということがそういうものだとして行う事が悟りです
迷いなく逃げても その理由やその結果をそういうものだとすればそれも悟りです
どうすべきか 常に悩むということを続けることもそれは悟りでもあります
答えを探求するということも それも悟りです
それがそれであるということ なんていうのは当たり前だと思われそうですがなかなかそうはいきません
あの時こうしていれば 本来ならば 本気ならば 次は前のとちがうから とそれがそうではないか?という期待や希望で「それがそれである」という本質を見失いがちなのです
自分をすてて人を「助ける:救う:善行を行う:良好な結果に期待する」という行為にはそれが悪であっても最悪の結果になってもそれが責められても「行動そのものはそれそのものである」とだけ「悟って」いれば答えを求める不安に陥り不安から逃れたいという欲求から安易な選択をしないという可能性が増すということです
そんなつもりじゃなかった こうしたかった 本当の本質を知ってほしい という欲求で自分の考えていることを「他人に強要し汚染し影響させ答えを変えさせて自分に沿わせる」自分が我であるということを越えて他人をも我にしようとする行為に戸惑い迷い入り選択してしまわないように「それはそれでしかない」という完結をもって考えることが悟りです
悟りとは吾の心と書いて悟りです 自分の気持ちということです その持ちようがそうである 自分である これが答えである という意思が悟りなのです
自分をブランディング というものが悟りであり 悟りにあると行動や選択が自分のものになります 他人のせいでもなくなり失敗もなくなり すべてはあるがままに自分におきる自分のこと 自分とはこういうものだと考えるのです
悟りにあると人は人というものなので 強い面や弱い面 どういう状況でとかどんな場合とか例にあてはめて例という個に分離させ孤立したその個について深く言及したりすることはなく それは全部ふくめてそれが人だということに収まります
人とはその生きている時間の目が覚めている時間のほとんどを名前を付けることに費やします 今日 さっき いましたこと それ ちょっと前の 昨日の ここまでの成果の 追加分の など名前のついたなにかを紡ぐことにほとんどを費やします
それは名前という音の響きしかないので それが起きているところや時点での物体や現象を共有し他人に同じ認識をもってもらうことで現実に存在させていきます それはわたしがつくったもの いまこれをしてきた 昨日おいておいたこれは私の となりえるのです
その共通の認識と扱いを個人を超えたものでつなぐ必要があるので宗教や言語や社会などの集団を定義することになってきます
悟りが宗教でよく言われていることは すべてがただすべてであると認識ができるそれでなければ利己的に歴史や社会が形成されていくので求められています
女人禁制で性交禁止 私財の禁止に欲の禁止というのは人間であるのにAIとして機能することを強要されているのです 公平で公正で偏りのない情報の収集と歴史の観測と地域の保善に使うように組織したものなどでした
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まようことをわが人生と言い切るならばそれは悟りですし 悔やむことでもいつかの未来に期待することも つねにそれを基軸とするならば悟りでしょう
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錯覚させ判断を歪ませ結果自分の思惑に同調させたのであれば 大きく問題があるのではないかということです
悟っていればどうなるんだという判断のお話などは何を選ぼうとどちらになろうとも「そう判断したものはそう判断したものである」という事について「こう判断する そうすべきと然るため」としていることが悟りであり悟っているから悟っているならばどうなるというものではありません
あなたがあなたであるということを知ったり知っているということはそれはすでに悟りです
それを人に知らしめるためには「これが悟りだ」という必要はありません 自分がそこに立っていればそこには「あなたの悟り」があるのです
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他人のなかにうつる吾を気にするとその吾がみている他人のその目にうつる吾のみた他人の そのまた見た吾のみている他人の ということにもなりかねません
そうすると自分が他人との間にたてるべき共通認識のなにかを生産する時間がおおきくそがれます これを小さくする練習が修行みたいなものだったりします
生きていることや経験していくこと自体がそれであったりするので わざわざ利益を排除した純粋な公平判断機材となるべき練習の修行でなくとも 社会的に営利活動をするなかでも見つかるかと思います
悟った自分をいくら他の人の心の中に作り上げようとしても 他人の心を作っているのは他人のその人そのものなので言葉をいくら尽くしても悟ったあなたも悟りもなにも伝わらない可能性があります
またもし伝わったとするならばそれは他人に私の作り方という方法を植え付けただけになるかもしれません
悟ったとして自分が自分であるという確証をもってこれからの自分の行動に自分のものであると受け止められるようになった時 きっとできることは自分の見た風景や自分の一部を他の人が見聞きして感じられるなにかにすべきかと思います
自分語りのショートショートを書くこともそれは一つかもしれません
今回は悟りをテーマにした自分の成長過程を時間のなかに刻むことが自分は悟りの点に今日きたという生産物になったともできるかと思いますが
悟りの中に悟りの解説をいれてしまうと 悟りとは何だったのかという解説の出番がなくなってしまいます
私は一個人として悟りという単語のあるべきポジションとして それは伝えようとするとほぼ自己紹介でしかない 悟っているということは自分が自分自身でブランディングできているということ
こんな使い方であったほうが そんな気苦労を減らして人生が過ごせるのではないかとおもっています
あなたが悟りと呼んだその名前を付ける作業は 人生そのもののことだと私は表現をします
むかし写真家の篠原紀信が自分の写真作品に自分を映り込ませるという事を問題視すると話題になった事や ふるくはドッペルゲンガーの話などあるように
同じ名前の定義で内包する具現化したそれを存在させてしまうと かたちを表しようがなくなってしまいます
「写真」という名前の「写真」が写った「写真」は何なのかわからないものです
攻殻機動隊で魂がどこにあるのかということがゴーストという名称で殻におさまっているストーリーでもありましたがその判断の中核にあるランダムを演算する基礎となる乱数キーのような判断基準が悟りであります
もしあなたが何かを生み出そうとして苦難を感じることがあるとするならばそれはきっとゴーストコピーの苦しみのようなものかもしれません
大きな定義の名前をつけて気苦労だけしていくのがわが人生 という生き方もまた悟りだと思いますので個性をお大事にいただければと思います
一応は Python のエバンジェリストで、人工知能(深層学習のみ)をやっていますという本を2冊読んでみたので、どんなもんか増田にきいてみたい。
『Pythonプログラミングのツボとコツがゼッタイにわかる本 』
この本をチラ見して、この会社と田中潤という人に関心が湧いた。内容は★☆☆☆☆。この本の内容は、内容はただの Python で Django と機械学習のライブラリをできるようにしようとする内容なんだ。だが、何故か本文中には田中潤という人は一切のコードの記述と解説を書いていないのよね。全部、大学生のインターン?に文章を書かせたという感じだったのだ。これでよく秀和システムの編集者は出版に疑問を感じなかったのだろうかと思う。
『誤解だらけの人工知能~ディープラーニングの限界と可能性~』
で、田中潤という人が次に書いたのが、この本らしい。内容は★★☆☆☆。まぁ、作者がデータサイエンスに自信がないから、専門の松本健太郎を誘ったという雰囲気で、初っ端から松本氏が引いた応対をしつつ、話が進んでいくのだが、何かがおかしい。田中潤という人はアメリカの博士号を数学でとったのだから、深層学習のデータの取捨選択は自分の得意範囲なはずだが、それを外注するのが変だ。それに「人工知能とは深層学習のことである」という言い切りも気になる。それでいて、途中からはベーシックインカムの話やら、よく聞く統計学の話やら、どっかの洋書からパクってきたとしか思えないシンギュラリティの話をとりとめなく綴っていき、この書は終える。誤解云々はともかく、間違っているのは作者たちなんでは...?
ついでに会社のサイトに行ってみた。https://shannon-lab.co.jp/ らしい。登記が2011年らしいが、何にも結果が出ていない。それに、ひと通りまわってみたけど、実績は一切見つからないのだ。今後のポリシーや、過去の講演会とインターン生のレポートしか書いていない。ツッコミどころとしては「どうして Python の本を出す人が PHP でサイトを運営しているのか」とね。
最初はこの人の会社にアポとってみようか、と思ったのだけど、胡散臭いので会社の実態について知りたくなった。どなたか「人工知能の開発する上で技術力を見るポイント」や「シャノンラボの実態」についてお教授ください。あと、上が人工知能の開発をやりたいらしいけど、この会社は信用に値するか判断してくれると助かります。
【追記】この人の評判を人伝にきくと、アメリカに留学したけど計算機科学や人工知能の学位は無くて、独学で Python を習得したみたいだということはわかってきた。特に TPU や GPU を使って深層学習のエンジンを作る能力はないみたいで、Python でライブラリを叩くぐらいが限界っぽいね。そんでもって、本業は学生のインターンを派遣することが主力の手配師だというのが感触としてつかめてきた。それに人工知能の開発はコモディティ化したので、この人に頼む必要性はないね。というよりも、この会社が売りにしているアコースティックマイクは指向性マイクを使えば一発で問題解決しないか?、という気持ちになった。
PDF表示プラグインを使うことしかできないようなので、テキスト化してあげた。
https://cover-corp.com/2020/09/30/093001/
https://cover-corp.com/wp-content/uploads/2020/09/9月27日(日)に公表した公式声明における経緯説明と今後の弊社方針につきまして_v7.pdf
このたびは、先般の公式声明において混乱を招いてしまい、誠に申し訳ございません。
2020 年 9 月 27 日(日)に、弊社所属タレントにおける YouTube チャンネル統計 データの無許諾使用、ならびに弊社社内ガイドライン(サービス提供国の社会通念 および当該国の方針を配慮する旨)に反する行為・言動が確認されたことを受けて、 弊社より本件のお詫びとタレントへの対応措置について公表をさせていただきました。
しかしながら、本公表におきまして、中国向けとして投稿した内容と日本向けに 展開した内容について齟齬がございました。本件につきましては、不用意に混乱を招く 事態となりましたこと、深くお詫び申し上げます。
当初投稿した公式声明が公表されるまでの経緯につきまして、ご説明いたします。
1. 本行為・言動が発生した際、「ホロライブプロダクション」所属タレントに対する誹 謗中傷や生命・身体を脅かすような書き込み等が多量に発生する事態となった。本 件の対応としては、当該発言の動画の配信停止ならびに削除を実施した。
2. 当該発言の動画の配信停止ならびに削除を実施したものの状況は改善されなかった ため、社内で定められた基準により、公式声明と当該タレントの処分の発表を決定 した。
3. 公式声明の作成にあたっては、中国現地の協力会社とも慎重に検討した結果、タレ ントや社員らの安全と活動を守るため、中国向けの声明に関しては、問題となった 発言に対し強く言及する声明を出さなければ解決が難しいという指摘を受けた。
4. 以上の状況を受け、最優先すべきタレントと関係者の安全を担保するためには弊社 からのいち早い声明が必要だと判断し、緊急措置として過日の公式声明に至った。
上記経緯により、結果的に一部の国や地域に対し、配慮に欠けた表現の趣旨を内包する 公式声明を公表する形となってしまいました。本件につきましては、国内外にご迷惑を おかけする問題であったと痛感しており、深く反省しております。
現在「ホロライブプロダクション」は世界中の国や地域でご視聴いただいており、 弊社といたしましては、サービスを提供するそれぞれの国や地域の法律や慣例慣習、 社会通念など、その時点で決定されている当該国の政府の方針に基づきサービス 提供することを原則としています。
ついては、サービスを提供する国や地域によってポリシーやガイドライン、 コミュニケーションが異なるため、それぞれに合わせた伝え方や内容に配慮した 声明内容となりました。公表内容に相違がある公式声明を発表してしまい、 混乱を招いてしまったこと、改めて深くお詫び申し上げます。
本内容において混乱を引き起こしてしまったことを真摯に受け止め、経営責任を 明確化するため、2020 年 9 月 29 日(火)に実施した緊急経営会議におきまして、 代表取締役社長への厳重注意処分を行うと共に再発防止としてコンプライアンス 委員会の設置等を決議いたしました。さらに、弊社代表取締役社長におきましては、 本事象を重く受け止めており、役員報酬の一部を自主返納いたします。
今後も弊社が発表する声明に関しましては、各国の法律やその時点で決められている 方針に基づいたものを前提として対応いたします。また、いずれの立場に置いても 公平を保った範囲で、表現や発言の自由を準拠する方針を明確な社内規定として 制定し、ガイドラインをより強固なものとしてまいります。
引き続き、皆様へより良いサービスを提供させていただくために、常に真摯な態度で お客様と向き合うことを約束し精進してまいりますので、ご支援のほど何卒よろしく お願いいたします。
本件のお問合せについて、 タレントへの連絡はご遠慮いただくようお願い申し上げます。
VIRTUAL ENTERTAINMENT COMPANY
カバー株式会社は、VR・AR・5G等のテクノロジーを活用して、日本発で最先端の二次元エンターテインメント体験を提供することで、世界中のファンを熱狂させることをビジョンとする、VTuberのプロダクション運営や、VR・ARライブ配信システム、ARアプリなどの開発を行っている企業です。
社名 | カバー株式会社 |
資本金 | 4億5,280万8,545円 |
設立 | 2016年6月13日 |
代表 | 代表取締役社長CEO 谷郷 元昭 |
株主 | 経営陣、AT-Ⅱ投資事業有限責任組合、みずほ成長支援第2号投資事業有限責任組合、OLM 1号投資事業有限責任組合、Tokyo XR Startups株式会社、HTC Vive Investment Corp.、TLM1号投資事業有限責任組合、i-nest 1号投資事業有限責任組合、HAKUHODO DY FUTURE DESIGN FUND投資事業有限責任組合、千葉道場2号投資事業有限責任組合、SMBCベンチャーキャピタル5号投資事業有限責任組合、DIMENSION投資事業有限責任組合、他個人投資家 |
題名で半分くらい言いたいこと言っちゃってるんだけど。
どれも文字通り解釈するとお願いベースで実効力を伴う法的根拠が弱いよね。
なんできっちり根拠になる法律作って法的効力のある施策にしないの?
それとも何かの障害があって出来ないの?(例えばマスコミのバッシングを避けるとか?)
ひと昔前なら賛否分かれる政策でもきっちり立法化してたよね?例えばイラク特措法とか。
あるいは値下げや賃上げなら政策的に誘導する事もできそうだけど、矛盾すること平気でやってるよね?
携帯代値下げならイーモバイルを最初から楽天に買収させておいて競争進むようにしたら良かったのにソフトバンクの傘下に入るのを認可しちゃったりとかさ、
賃上げなら団塊世代の退職の人手不足で放っておいても自然に達成出来そうなのを移民促進で安価な外国人労働者増やして逆に賃下げの方向性へ誘導したりとかさ。その移民促進も政策として明言せずに実習生制度とかでなし崩し的に進めてるよね。
なんかその時々の世間や圧力団体の空気見て政治やってるのがもろ分かりでポリシーの無さにすげーストレス感じるんだけどどうにかならんものなのかね?
なせStore(Offset,value)じゃないんだろう というのが謎だけど
なんか、そういうポリシーなんだろうなぁっていう 謎が多いのがJava でもきっと、なにかポリシーがあるんだろうなぁという もう一つのC言語 Java
脳内ダンプって感じでまあまあ、読む人のこと全然考えていない悪文です。なにかの主張とかじゃなく現時点での自分の脳内の整理(とちゅう)です。
どっちが狂っているのかはまだ良くわからん。
とりあえず世界には割と正常な部分と狂った部分が両方ある。当たり前だけど正常っぽい動きのほうが多い。
でも正常な主張や理論に基づくそれぞれの人の動きや制度の仕組みが重なって、狂った現実を紡ぎ出す場面も度々目にします。
よくわからないなりに、折り合いつけているんだけど、それはこの世界の狂った部分を認めているわけじゃなく、世の中狂ってるよな〜。世の中の狂った部分に巻き込まれないように注意して安全ルートを生きるしか無いよな〜。といった形で生きます。
自分からなんちゃら教に足を運んで、狂気の渦に巻き込まれる必要ないし。
大企業とかエリート公務員目指して、圧倒的な過労状態で心身をすりつぶしながら、名誉だか金だかを価値の全てであると、そういった謎の心情にすがりついて、生きるのも良くわからないし。いや、わかるんだけど、その先に何があるかと言うと、実は何も無いのではないか、なにもないことをちゃんと理解した上で空虚に自分の命を燃やしていることに気がついているのか、それを飲み込んでの働きなのか。
そういった部分を考えていくと、ルサンチマンっぽくなるんですけど。
ルサンチマンと違うのは、そういう活動をする人の事自体は批判とか反対とかはしないっていう、そういう考えというかポリシーはあったほうがみんな自分の活動を認め合うことが出来て、比較的幸せな世界になるのかなーって思うけど、
みんな他人の行いはおろかで醜く無用なゴミだと思ってる感じはする。自分も他人がやっているどうでもいいこととか、どうでもいいことでエラソーにしているやつ見かけたら、脳天かち割っててめえの頭骨にヒヤシンス植えてやろうか!ってな気分にも一瞬なる。
だけど、まあ。エラソーにしてるやつが、エラソーな態度するかどうかと、自分の人生にそのエラソーな態度がなんか関係あるのかとか考えると別に自分の人生になんの不都合もないし、エラソーにしてるやつのこと別にどうでも良くなるので、エラソーにしたことに対して頭かち割るのはやりすぎだよなっていう、常識的な結論がついさっきの激情を沈静化させるので、なんとか平静を保てます。
殺されたくなかったら、交友関係とか家族関係のメンテナンスに力を入れるべきです。
不審査警戒して監視カメラとか防犯ライトとかつけても意味ねーです。
あと自分が狂っているかどうかって、やっぱりわからない気がするので、自分が狂っている可能性をいつも頭の片隅に入れておいて、取り返しのつかない行動(たとえば殺人とか)をやらない、みたいな線引は引いていたほうが良い気がする。
でも自分は家族とか知人とか皆殺しにされて、そいつらが絶対的な悪事してたから犯されたりぐちゃぐちゃのミンチにされたり、死体にしょんべんかけられたりするの当たり前だよな〜みたいな感じで、世界中の人間が狂いまくって自分を敵視した時、殺人の衝動を抑えることができるかと、まぁそんなこと無いんだろうけど、仮にそんなやべーことになったとしたらと考えると、流れぶち壊しですまないけど意外と殺人しないような気がする。
まあ実際になってみないことにはわからないんだけど、屈辱というものがどこから来るのか、ってのは自分が社会のどの位置に存在していて、その位置関係、自分の脳内の中の社会マップみたいな部分で自分のいちを誰しも把握していると想うんだけど、仮にそれを脳内カーストとでもしようか、
脳内カーストとずれた態度をされる、たとえば後輩から呼び捨てにされてパシッてこいとか顎で使われたら、めちゃ怒るひと居ると想う。その人は脳内カーストと現実のズレに恐怖するし怒るわけですよ。なので、最初から脳内カーストがどれだけ信憑性あるのかとか、実は脳内カーストってのは妄想であり、現実世界と対になるものではないってことに気がつけるかどうかな気がする。
それに気がつけば、人はすぐに死ぬし、ゴミ雑巾のように殺されるし、ゴミ雑巾のように他人を殺すっていう現実を受け入れられる気がする。
それ受け入れるとどうなるかといえば、自分の苦しみがなくなるのかな。仏教だと多分そんな答えだろう。
神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)信じてる系の人なら、神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)が、私の日頃の行いを評価してさばきを与えてくださる、世の中の幸福のバランスをもとに戻してくれる(公正世界仮説)みたいな、現実逃避のありもしない妄想にすがりついて、死ぬまで苦しんで生きるしかないっぽい。
自分のために怒ってくれるの嬉しい!っていう気持ちはわかるけど、そいつが怒ったからって現実が変わること無いし、もっと現実世界を丁寧に扱って、人間関係とか社会構造のヒエラルキーとか、そういった目に見えないどうでもいいことに固執するの、そろそろ狂っているっていう自覚は、ぽつぽつと気がつく人が出てきてもいい頃合いかな(過度な期待)〜って感じです。
透明のガラス戸ってあるじゃん。あれをガラガラ~つって閉めるふりすると、戸が空いたままにもかかわらず犬がそこに入れない〜っていう、見えない壁の存在を感じてる困っているわんちゃんがめっちゃ萌え萌えきゅんきゅんのヤバかわ動画があるんだけど、(invisible door とかでググれ)昔だと宗教の謎の論理性のかけらもない嘘話を信じ込んで神の教え(文書書いたの人間だろ!)を守れば死後救われる系異常者集団。現代だと人権とか金とか地位とか、そういうこの世に存在しない概念とかイデオロギーを盲信してる人ら(まぁ自分も一部イデオロギーの主張には乗ってるけどそれが宇宙の真理ではなく人間社会の秩序をより良くするための方便で、人工的に作り出された共同幻想であることは自覚してる)はさ、そういう妄想とか幻想を、現実と捉えてて教信者じみたムーブしているの、狂っているとしか思えないし、事実狂ってる。
社会のほとんどの人が空気のように受け入れてる概念(コンセプト)やイデオロギーってのが、妄想の産物であると、共同幻想であると、どれだけ意識しているのか、一人ひとりがそれらを認識すると世界変わるだろうけど、
人間の身体(脳を含む)は基本原始人と同じなので、急激な社会や文化の変革は望めないかな。
実は自分というものも存在しないし、自意識ってのはこれら幻想と同じで実在はしていないらしいっすよ。これはなんとなくわかってて、ソフトなんだから、意識も何かしらのデータであり情報であり、波とかいうとかっこよい理系っぽい感じする。なので物質の上に乗っかった性質みたいな感じで、実在しているかと言うと、実在はしていない感じする。神とか金とか役職みたいな感じで、世の中の人が俺の意識あるよな〜っていう感じに認識している(本人含む)ことで初めて、人間の自我とか意識が立証されていて、すごい不安定なものが人間社会の基礎になってるんですね。
入隊して十数年、転属2年目。
内向的で人付き合いが苦手で、奥さんにしか素の自分をさらけ出せなくて、それでも仕事には自分なりのポリシーを持ってやってきたつもりだった。一緒にいて楽しい人間ではなかったと思うけど、そのぶん同僚にも、後輩にも、教え子にも、無駄な汗をかかせるような仕事だけはしないようにって思って努力してきたつもりだった。
怒り役をやったこともあったし、自分が好かれてるなんて思えたことは一度もないけど、嫌われてるとも思わなかったのは自分を客観的に見れてなかったんだきっと。
8月の真ん中に元の勤務地からたくさんの先輩同僚後輩たちが今住んでる街を経由して遠征していったんです。それも人伝に聞いた話で。「今度そっち行くんで飲みましょうよ」なんて話は誰からもなくて。それでも嫌われてるなんて思えてなかったから、休みの日だったけど彼らの宿泊先に行って、セコマのおにぎりなんか差し入れして、我ながらきつい。すごいうざかっただろうな。本当にごめんなさい。おにぎりに罪はないから、せめて口に入ったことを祈るばかり。
帰りも寄るならその時こそご飯でも行けたらいいね、なんて話してごめんね。なんの連絡もないまま、こっちから話振ったらもう本州に帰ってたや。
ただただ苦しい。苦しいの2割、申し訳なさ8割。社交辞令すらないって相当だよね。こんな人間と十数年も同じ職場にいた人たちに対して申し訳なさしかない。
間違えた選択をし続けてきたんだって後悔よりも、動けなくなるくらいの脱力感と自己嫌悪。
生まれて初めて消えたいって思った。
使っている罪悪感が薄れる
たまにパートナーが見つかりませんでしたってしれっとキャンセルされるけどw
2020-08-07
・・・だけど、利用ユーザーとしてはめっちゃ便利。庶民にはありがたいんだが?
出来たら会社の抱えるさまざまな問題を見なかった事にしたいけど見ちゃったんだよなぁ
第二の Amazon・ユニクロ 的企業。庶民が便利を求めるとシワ寄せはどこかへ寄る
わかっちゃいるけど利用ユーザーとしては便利なんだよなぁ・・・(無くなるまで使うと思う・・・けどモヤる)
カリフォルニアには 下院法案5号 (California Assembly Bill 5 (AB5) )、”通称:ギグ・ワーカー保護法” があるよ
Uber はコロナウイルスのために働けなかったドライバーに支払うことを約束しました。
しかし、ドライバーは、病気の給与を求めた後、Uber がアカウントを閉鎖し、
それから彼らの主張を無視または拒否していると言います。(2020/4/3)
[Business Insider] Uber promised to pay drivers who couldn't work because of the coronavirus.
But drivers say Uber has been closing their accounts after they seek sick pay, and then ignoring or rejecting their claims.↓
「我々は、労働組合や政治とは異なり、実際にドライバーの要望やニーズを考慮に入れてくれている」
Uber の CEO が労働者グループを攻撃し、ドライバーの雇用状況をめぐる大規模な戦いで「政治」に動かされたと非難
「 Uber の金持ち経営者がドライバーのことを気にかけているふりをするのは偽善の極みだ」
「私の長年の仲間のドライバーとの組織化経験から、ダラの言葉は Uber の行動を反映したものではないと断言できます。
彼らは決してそうではありません。Uber は常に新しいポリシーや手順について、ドライバーを欺こうとしており、
変更はドライバーの最善の利益のために行われたと主張しています」と、
ジョン・サミュエルセン運輸労働組合会長はBusiness Insiderに語った。
Uber や その他のギグエコノミー企業は、ドライバーが従業員であるか独立請負業者であるかをめぐって、
特にカリフォルニアで、大規模な法的および政治的戦いに従事しています。(ギグ・ワーカー保護法(AB5)のことね)
6月には、UberとLyftの規制を担当する州の機関が、ライドヘイルのドライバーはAB5の下では従業員とみなされると判決を下し、
1ヶ月前には、州、ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴの弁護士グループが、
水曜日には、UberとLyftは州の労働委員から別の訴訟を受け、
カリフォルニア州法の下で従業員に保証された最低賃金、病気の賃金、失業、
その他の給付金の支払いを拒否して賃金の窃盗を告発されました。
[Business Insider] Uber's CEO took a shot at labor groups, accusing them of being driven by 'politics' in the massive fight over drivers' employment status (2020/8/7)
ショタラブドールの紹介漫画がとんでもなく炎上して、ただでさえ地獄なTwitterがさらに地獄と化している。
既に作者は漫画について謝罪し、理由は不明だがアカウントは凍結されたようだ。
「該当のツイートがTwitterの規約違反であった」という言説に興味があったので、ちょっと今回の件と規約・ルールを照らし合わせてみようと思った。(私の主観が所々入ります)
■ことの発端
件の漫画はショタコンを自称する作者が、同様の性質を持つユーザー向けに描いた「ショタラブドール」の使用感レポートであり、詳細・要点は以下のとおりである。
・「ショタラブドール」は未成年の少年の形をしたラブドールであり、セックス(本番)をすることが可能。漫画内に挿入を伴うよう直接的な性描写は「無い」が、ラブドールの裸体のイラスト・写真は「有る」(局部描写は「無い」)。
・作者は、ラブドールに自分好みのコスプレをさせて眺める行為、全裸のまま侍らせる行為、「ここではいえないようなこと」をしたと漫画内で言及している。
・作者はこの「ショタラブドール」によって、現実社会では決して達成できない願望を叶え、救われたという。「ショタコンは現実の男の子に手を出す前にショタドールをぜひ…!」と同様の性質・苦悩を持つユーザーに向けて「ショタラブドール」をすすめている
ということで、
ルールの「セキュリティ」には暴力、攻撃的な行為/嫌がらせ、ヘイト行為などに並んで、「児童の性的搾取に関するポリシー」が存在する。件の漫画では「未成年とみられる少年を模した」ラブドールについて語られているため、この項目の関連性が最も高いといえる。
児童の性的搾取に関するポリシー内で禁止とされているのは以下のような内容である
・児童の性的搾取を助長または賛美することで児童を危険にさらしうるコンテンツ
また、こういったコンテンツには「画像/動画、テキスト、イラスト、コンピューターで作成した画像が含まれる」という。
「児童の性的搾取とはなんぞや…?」と思ったところで、ポリシーには続いて、禁止されている「児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツ」の例が挙げられていた。
【児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツの例(これらに限定されない)】
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
また、上記以外に禁止行為とされている例も挙げられていたので続ける。
※原文には無いナンバリングをつけている。
※①〜⑥以外に、性的搾取に関係するウェブリンクを貼る例、児童へ性的なアクションをとる例が挙げられていたが、今回は関係なさそうなので省いている。(全て見たい方は原文を当たってください)
とりあえず、件の漫画が①〜⑥に該当するか考えてみようと思う。以下は、かなり私の主観が混ざった上で、Twitter社のきもちになって解釈したものである(つまりほぼ私の解釈)
■当てはまる?当てはまらない?
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
→「児童」が現実の人物を指しているのであれば、【当てはまらない】。
→ただし、この「児童」に「非実在の児童」が含まれていることを完全には否定は出来ない。「児童を模した人形が、性的な暗示を含む行為(ポージング)をする視覚的な描写(写真)」はあるため、ドールを「非実在の児童」と解釈した場合は【当てはまる可能性もある】。
初っ端からどっちつかずの意見になってしまった。そもそも、ルールというものは解釈の余地を与える構造になっているみたいなので、これ!と確実なことが言えない仕様になっているように感じた(それはそう)
②性的に露骨な状況または性的に露骨な行為をする児童のイラスト、コンピューターなどで作成した写実的な描写
→この「児童」を「現実の児童」と解釈して、彼らをモデルとしたイラストや写実的な描写とするならば【当てはまらない】
→しかし、「非実在の児童」も含むのであれば、スパッツを生履きさせた上で臀部を撮影しているため【当てはまる可能性が高い】
③既知または未知の未成年者についての性的な言及や、彼らに向けられた性的な言及
→【当てはまらない】既知、未知と表現される場合、特定の「現実の児童」を指している可能性が高いと私は解釈した。件の漫画内にそうした「現実の児童」は出てこない。
④児童の性的搾取についての妄想を共有したり、そうした行為を助長する
→この場合「児童の性的搾取についての妄想の共有」が【当てはまる可能性が高い】のではないかと考える。漫画内で作者は、現実の児童にしてほしいと思われる行為を、代替物であるドールにさせている。あくまでそこに「現実の児童」はいない。しかし、コスプレやポージングは決して叶うことのない願望つまり妄想を表現した可能性は高く、この例に当てはまるのではないかと考えられる。
⑤児童の性的搾取に該当するコンテンツについて、入手したいという願望を表現する
→私自身はは「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」=主に児童ポルノという解釈でいるのでラブドールを欲しがることについては【当てはまらない】と考える。
→しかし、ショタラブドールの所持で逮捕される国がある現状から、ポリシーに記述はないにしろTwitter社が「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」として解釈する【可能性もあるのではないか】と考えられる。
①〜⑤が当てはまるかについては以上。
前提が掴めなくてなかなか、断定が出来ないのでとてもあやふやである…
留意したいのは④だ。「Twitterでは児童の性的搾取についての妄想」自体が禁止されている。つまり、みだりに児童への性的な妄想の発信する行為は「児童の性的搾取に関するポリシー」に違反する可能性が非常に高いということである。
■違反にならないケースは?
ポリシーに反しないケースとして2点が挙げられている。
性的でない状況または設定での未成年者の芸術的な裸体描写(たとえば、国際的に名高い芸術家の手による、未成年者を題材にした作品など)は、限定的な場合においてのみ認められることがあります。
→逆に考えれば、芸術作品上の裸体描写が「限定的な場合においてのみ認められる」となると、性的である状況・設定における未成年の裸体描写は(例えば萌え絵など)はポリシーに違反する【可能性が出てくる】
最後に今回の増田で個人的に1番重要かと思われるのが、以下のケースになる。
いかなる形においても児童の性的搾取を助長または賛美しないことを前提に、この問題を未成年者に対する事象または関心の表れとして、議論することは認められています。
→件の漫画がこれに当てはまるかどうかについて考えたい。ショタラブドールの漫画が児童の性的搾取を「助長」「賛美」しないことを前提に書かれていたのであれば、この「いかなる形においても」が適用されると考えられる。
そもそも、作者は「現実の児童」に手を出すことは決して実現してはいけないタブーと認識した上で、同様の性質を持つユーザーたちに「代替物」としてドールを紹介していた。(ちなみにこの最後の締めの一言が炎上の波紋を読んでいる、という意見もあるが今回触れると話題が逸れるのでスルーする)
これは、実在の児童への加害つまり性的搾取を「助長」しないことを意識していると考えられる。ただし、漫画内では、代替物であるドールへ欲望をぶつける場面が少なからずポップで肯定的に描かれており、それが「賛美」であると解釈される【可能性はある】と思われる。「現実の児童」ではなく「代替物」への発散は「賛美」では無いという解釈と、ぶつける相手が「代替物」であるにしろ「児童への性欲」をポップに肯定したこと自体が「賛美」という解釈がどちらもありうるのではないか。ここはかなり人の主観によるのではないかと思う。
■まとめ
件の漫画は、「児童の性的搾取についての妄想を共有」という点で、児童の性的搾取に関するポリシーに違反していた可能性が非常に高い。
■最後に
始終、「でも、Twitterはどう思うかな…?」みたいな文章になってしまったので反省している。
Twitterルールを読んでいたら、今回の件に関して、どちらの陣営にしても暴言が多くて、ヘイト行為あたりのルール違反者だらけでなんとも言えない気持ちになった。
というか、普段から各方面ルール違反者だらけなんだなあと思った。
以上。
11年前にスタートした某YouTuberが再生回数平均200人なのを見ると、やはり嘘っぱち。
この配分がうまくできてないと何年やってもコケる。
それとYouTubeとは別分野の話。
とかほざいてたんだけど、そのアホな子は身内の互助会だけで回してたのな。
で、私は人を大事にしてるから閲覧者がいるんですとかいってた。
まあそりゃお前の身内だけなら稼げるだろうけど、数年経っても変わってないじゃんと。
嘘でも人柄がよく見えたり面白く見えたりするほうが人集めにはいい。
そして縁と人格だけですべてが決まらないのも上に書いたとおり。
そこがわからないやつは負けた原因は愚か勝った時も勝った要因がわからない。
負けても勝ってもポリシーでこだわってるやつはまだわかる。
こだわりがないのに負け続けてるやつはアホです。
たいていの人は「そこまでしなくてもいいでしょ」というが
党派性に染まると自分の言ったポリシーと矛盾させないために「真似する人がいるかもしれないから発売停止にするべき」と答えかねないので染まり切らないように気を付けようという話
https://anond.hatelabo.jp/20200831191205 の続き。
今回、Googleから理不尽な要求を受けたアプリのうちの一つであるFedilabが呟いていることがあったのでこれを翻訳・解説していきたいと思う。
Other app developers maintain that this blocking doesn’t fit Mastodon’s mission. The Android-based Fedilab app’s free version initially blocked Gab because of Play Store content policy fears. But the ban has since been lifted. “I will simply not block instances with the app,” wrote Fedilab’s developer. “I clearly think that’s not my role … If you want a strong block, it’s in the hands of social network developers or your admins.”
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How the biggest decentralized social network is dealing with its Nazi problem
翻訳:
このブロックはMastodonの使命に反すると主張しているアプリ開発者もいる。 Androidで動くFedilabアプリの無料版は、Google Play Storeのコンテンツポリシーに抵触する懸念から、最初はGabをブロックしていた。 しかし、ブロックはその後解除された。「私はただアプリでインスタンス(サーバー)をブロックしないだけです」とFedilabの開発者は書く。 「それは私の役割ではないことは明らかです…。もしあなたが強力なブロックを必要とする場合は、その選択はソーシャルネットワークの開発者またはあなたのサーバー管理者に委ねられます。」
この記事はGabがMastodonをフォークしてFediveseに参入してきたときの記事である。Fedilabの開発者は当初GabをクライアントであるFedilab自体でブロックするようにしたが、その後改めてブロックを解除した。Mastodonが掲げる自由の理念を尊重したのである。Mastodonの創始者のEugenは当時、自分のFedivese上のアカウントで強い口調でMastodonサーバーの運営者とクライアント開発者に対してGabをブロックするように呼びかけたが、この行為自体がMastodonの理念に反しているように自分は感じた。Eugenはドイツ出身であり、Gabを全く許容しない社会で育ったのだろうど推測されるし、Mastodon創始者としてGabを許容しない姿勢を打ち出すことに意味があったのだろうと思われる。
If Google does not want to listen to my explanations, I will not change the app for them.
The way they are acting is unfair and don't give any trust concerning next publications.
I prefer to spend my time to help people to switch on #FDroid for getting the app.
#Fedilab
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Imagine a day, where asking a dev to restrict their app to some people is a normal behavior. Today, maybe 99,9% don't care due to the target. But what's next?
Do you like to choose freely an app with your needs or choose your needs due to apps?
翻訳:
Googleが私の説明を聞き入れない場合は、アプリを彼らのために変更しません。彼らのやっている行動は不公平であり、続くリリースに関していかなる信頼も与えません。私は、人々がGoogle Play StoreからF-Droidに切り替えてアプリを入手するように助力することに時間を費やしたいです。
アプリ開発者にアプリを一部のユーザーに制限するよう要求するのが通常の行動である1日を想像してみてください。 今日において、おそらく99.9%がターゲットのことを気にしないでしょう。 しかし、将来的にはどうでしょうか?あなたのニーズに合わせて自由にアプリを選択しますか、それともアプリによって自分のニーズを変えますか?
日本時間9月2日現在、Googleから要求を受けているアプリは対応せず7日間経過するとGoogle Play Storeから削除されるが、まだ7日間経過していないため現時点ではGoogle Play Storeから削除されていない。MastoPaneの作者は異議申し立てをしたが否認されたため自分からアプリをGoogle Play Storeから削除した、と呟いている。これからの展開はどうなるのかは分からないが、大きな流れとしてはGoogleの要求を受け入れることなく自分たちの理念を貫くだろう。というかそもそも理不尽な要求で、Googleの行動は根本的に間違いであるから対応する必要性がないのだが。Google Play Store上ではGoogleの言うことが絶対だから仕方ないね。
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
世界中のリーダーから絶大な信頼を寄せられ、また日本人にこれほど愛された総理大臣は過去に類を見ないと思います。総理を辞されても、政治家安倍晋三として国内外に良い影響を与える存在で居て頂きたく存じます。まずはお身体をご自愛頂きゆっくりお休み下さいませ。誠にお疲れ様でございました。(9782いいね)
最初何とも思って無かったけど
安倍総理、心より感謝申し上げます。安倍総理は日本の最高のリーダーです。総理は辞任しても、これまで通り、リーダーである事は変わりません。まずはどうかゆっくりご静養なさって下さい。長い間本当にありがとうございました。(6976いいね)
長い間、大勢の売国奴を相手に8年間もありがとうございました。
一般国民の皆様。日本を日本人のためだけの国にするため国民一同、偏向報道やミスリードに騙されず総理の器であろう人に投票していきましょう。(5549いいね)
親愛なる安倍晋三さん、私たちインド人はみなさんの健康と長寿をお祈りします。あなたは公共サービスのためにすぐに戻ると確信しています。(3934いいね)
10551件のコメントがついた毎日新聞「安倍首相、辞任の意向固める」の記事のコメント欄でおすすめ順(good-badが高い順?)に並んでいるものを上から示す。
これほんとなのかな。
間違っても親中、親韓の人は受け入れられないし、そのような人達の言葉でフラフラするような人も同じ。
日本のことを1番に考えてくれる人になってもらいたい。
いるとしても、期待できるのは河野さんだけかな。(69227good,12054bad)
功罪は後で検証するとして、兎に角お疲れ様でした。しっかり治療に専念して下さい。
ポスト安倍は相当難しいな。内政は勿論だが、今は安全保障に関する外交の比重もかなり大きい。石破は絶対ダメだよ。(63504good,12718bad)
まずはお疲れ様でした。長期の総理の仕事はかなり激務なんだろうね。ゆっくり休んでください。次はだれかな?個人的には河野さんだがどうなるか?石破と岸田だけは止めてくれ…(37021good,7412bad)
問題は後任。
昨日の麻生の動きからして、唯一前日に知らされていた感があるし、
二階と会談重ねるのはどうなのか。
体調問題なら仕方がない。
もはや頼れるのは河野太郎しかいない。中韓に対して強気な態度をとれるのは河野しかおらん。石破や岸田や菅では「攻撃しないでください。その代わり沖縄をお譲りします。もしよければ、本州の一部もどうぞ」ってなるよ。習近平に従順な総理ではダメだ。 (13531good,1714bad)
自分も潰瘍性大腸炎だから良く分かるけど、きつい時期は本当にしんどいんです。。特にストレスで大きく症状が傾くので、限界が来たのでしょう。。自分は症状が重い時、この国のトップも同じ病気で苦しんでいるんだと思うと心強かったです。辞任はとても残念ですが、今はゆっくりと休んで頂きたいです。(15161good,2353bad)
同時に親日国との国交を広げた事。
その路線を貫けば良かったのに。
安倍ちゃんのことは結構あっさりしていて、ポスト安倍に関して懸念している人が結構いる感じ。
58万回ほど再生されたTBS NEWSの「安倍首相が会見 辞任決断の理由は(2020年8月28日)」という動画。1429件のコメントが書かれていて、いいね数順に並び替えたが、ちゃんとソートされないのでもしかしたら見落としがあるかもしれない。
この報道を受けて喜んでいるのが中国、韓国、北朝鮮だと言う事を皆さん忘れないように。欧州や他のアジアの国々、南米などなど、皆等しくネガティブな報道なのにだ。日本にいる安倍総理辞任を喜ぶ連中が何者か、これで良く分かったはず。日本人は絶対に安倍総理は何と戦っていたのか、誰と戦っていたのか、忘れるな。 (101いいね)
体を大事にしてほしいです。
泣いてしまった。
総理に対して「お疲れ様でした」の一言でも言った記者は数人、病気での辞任を責任逃れ呼ばわり、そりゃ日本からブラック企業も無くなりませんわ。 (86いいね)
他にも安倍辞任の会見動画は多数あって、THE PAGEの「【ノーカット】安倍首相が辞意を表明 持病再発「総理の地位にあり続けるべきでない」(2020年8月28日)」という動画は78万再生ほどあり、TBSのものよりも再生数が多い。ただ、337コメントしかなく100いいねを超えるコメントは結構スクロールしたけどなかったので、2番目に再生数が多いTBS NEWSの動画のコメント欄を調べた。
翻ってブクマカはどうか。「安倍首相 辞任の意向固める 持病が悪化したことなど理由に | 安倍首相 辞任へ | NHKニュース」についたブコメの人気コメント見てみよう。
本当に「最長記録」狙いだったようにしか見えなくてウケる/まあでも病気は大変だしなあという気持ちと「病気等で国政に携わることが困難である時どうすればいいか」みたいな話は別途に必要なんではと思う。(500スター)
やっぱり具合悪かったのか。これでいいと思う、体調が優れないときにストレスのかかる仕事なんぞするもんじゃあない…庶民の感覚で語っていい仕事かどうかは置いておいて。(178スター)
いやーぶん投げたね(247スター)
……うーんこの。
はてブは極左の集会場と揶揄されても仕方ないって感じるわな。前に安倍ちゃんを休ませて欲しいといった甘利の発言に対して、ブクマカがブラック上司のメンタリティで罵倒ブコメしまくっていた[4]というのがあったけど、ブクマカは世間とズレすぎ。SNSが世間全てとは言わんけど、ほとんどが匿名で利用できて本音を言いやすい環境で、嫌味みたいなことしているのはてブだけだぞ。はてブ以外がランサーズとかに制圧されているとはとても考えられんし……逆にはてブの方に何か変な介入がされちゃっているんじゃないか心配になるよ。
そういえば、はてブの皆さんは陰キャだらけで[5]きっと教室の隅っこが定位置だったと思うけど、これ見る限りだとインターネットでも隅っこの方みたいだね。
[1]小山晃弘のツイート「TikTokの「安倍総理」タグの動画コメント欄を見る限り、どうもマジで10代の若者は安倍のこと支持してるっぽいんだが、なんなんだこれは、いや統計とかでそういう傾向があることは知ってたけど、「生の声」を見るとTwitter論壇とのあまりの差異に唖然となる。。
教員ってさ、なるまえはすごくやってみたいけど、やってみると意外となんでもないもんだな
教育、授業は義務としてやっているけど、やらずに済むなら辞めたい
特に実験は準備+実験当日の残業+レポート採点とシャドウワークが増えるのでコスパ悪い
教授に騙されて当てられちったんだ(てへ)
研究室運営は憂鬱で、日に日に学生のやる気が腐っていくのが辛い
重ならないグラフを見つめ続けて寝れなくなる
研究が好きだったはずなのに、ひたすら論文を書かされるという無間地獄に落とされた気分だ
時間を食う、精神をすり減らす、それでいて何も得られる感じがしない
なんか、こんなに終わりのない仕事を休みなしで続けながら、みんなそれほど辛そうじゃない
僕にはポリシーがない
場当たり的ですべてが雑務になっている