はてなキーワード: 十月とは
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
遺伝子を残すにあたって、ホモサピエンスってメスが不利な生き物だよね。
これはオスとメスで有利不利はない。なぜならオスとメスの数が一対一だから。
これに関してオス的には「そうは思えない」と感じるかもしれないが、
それは全く相手にされない、男性がいる「表」に出てこない見えないメスの存在が計算に入っていないからだろう。
そんなメスを入れた全体を平均すれば、オスとメスの数が一対一である以上、期待値は同じはずである。
これはメスだけにあると言っていいよね。
いうまでもないけどメスは繁殖のために一年近いあいだ腹が膨らみ動きが鈍り、
出産時には(医療技術により減ったとはいえいまだに)死のリスクもある。
これもメスの方が不利。メスは35歳をすぎると出産することの命のリスクや、
50歳前後で閉経すれば遺伝子を残すことが完全に不可能となる。
オスは人にもよるが少なくとも50くらいまでは射精できる場合が多いし、頑張れば70くらいまでいける人も多い。
尚且つ、何歳であっても命のリスクは無い。
つまり、自然界で生き、遺伝子を残す上で、そもそもメスは損な役回り。
人間はオスが効率よく遺伝子を残すように進化した生き物なんだ。
黒人と白人の間にそういった生物としての差はないからだ。「同じなんだから」という論理が通じる。
でも男性と女性はそもそも生物として、オスとメスという違いがある。
同じように遺伝子を残そうとしたとき、同じように交尾相手を探したあと、
女性は腹が膨れ、体調が優れなくなり、動きが鈍くなる=自分で自分を守るのが難しくなる。
こういったダウンタイムがあることで、オスが社会を回した方が効率的ということが、説明できてしまう。
でも今それをそんなに意識せず生活できてるのは、「男女を同じように扱え!」と言えるのは、
社会、技術により安全が確保されて、自分の今持っているもので自分を守ることができる、先進国の人間だから。
そしてこの社会、技術によって確保された安全は、オスにとってもメリットであったから今ここにある。
つまり、「メスが安全に暮らせるようになって、上記差異の重さが減った」のは、
「安全な暮らしというオスにとってのメリット」の副産物でしかない。
だが差異は当然、今もゼロではない。そこに関して今、「同じように扱え!」という声が高まっている。
だが前述の通り、オスはそもそも有利。そこで今以上メスを優遇しても、オスにメリットはなく、デメリットしかない。
「メスも意見を出すことでアイディアが増え、大きな目で見たら社会全体の利益になるからオスにとってもメリットだ」という人もいるかもしれないが、
自分の立場を脅かしてまで社会全体のメリットを考える者がそういるだろうか。
つまりは「同じように扱え!」とメスがいくら叫んでも、それはオスの社会性、もしくは善意に訴えることにしかなってないわけだ。
あーあ、メスって不利だなあ。
嬉しくもありつつ、心のどこかで
(そろそろ出会わないとまじでやばい、二人産むとしたら一人目は32までには産まないと。そうすると31で受精してなきゃだから30くらいには結婚してないといけなくて、
でも1年は付き合ってから結婚したいが、うーんまあ妥協して半年付き合うとしても来年までには「その人」に出会わなきゃいけないけど
昇進、、最初はハードな勉強が必要だろう、少なくとも平日は仕事しかできない、部下のレビューとか客との会合とかあるし、でも土日も勉強しないと、
同期もそうするだろうし、それに比べて劣った上司になってしまったら部下に申し訳ない、あれ、てか産休とって大丈夫なのか?ああああ、、、、
昇進、、うれしい、、、これまでの頑張りが認められたってことで、、、なのに、、あああ)
あーあ、メスって不利だなあって。
家畜に生まれるよりはずいぶん良くて、しかも先進国に生まれたからこそ、
だから個人的には不満はない。私は十分幸せだ。自分の運命を受け入れている。
メスの叫び声が聞こえてくる。
でもそれを実現するには、
これをなんとかするしかないように思う。
男女はここで決定的に「同じではない」んだから。
つまり私が言いたいのは、、、、、作りましょう!!
※ちなみに代理母っていう選択肢が今もあるけど、これは貧困とか格差と切り離して考えにくいらしく、あまり関わりたくないので一旦スルー。
買ってきたヒューマン・エッグに、受精卵をセットすると、十月十日後に、赤ちゃんが誕生する!
誕生予定日前後は休みをとって、誕生を見守り、育休は今の制度のまま、パパとママが平等に取る。(え、育休は今も平等だよね?w)
ヒューマン・エッグは、最初はきっと高価だろう。結婚する時、男は購入を反対するかもしれない。
でも、出産は命がけという前提がある。
愛する女に「お金と私の命、どっちが大事なの?」と言われたらなんて言える?
それでも妻の腹を使った繁殖を望む男性は、そこにおいて婚活市場価値を下げていく。
こうして需要が高まっていけば、商品開発が活発になり、安価なものも発売されていくであろう。
リケジョのみなさん、ぜひ作ってください。
リケダン(?)のみなさんも。儲かりますよ。こんだけフェミフェミした世の中になってきてるんだから。
私はITエンジニアなので、プログラミングとかが必要になったら言ってください。
力になります。
「ウイグル問題を批判するなら難民を受け入れるべき」みたいな物言いがあるが、「難民を受け入れる気がなければウイグル問題に口を出すな」ということになりかねない。結果、ウイグル問題について口を閉じさせて誰も何もしない状態になる方がまずい。
例えばオーストラリアはロヒンギャ含む難民の受け入れを厳格化しているけど、同時にロヒンギャの待遇についてミャンマーを制裁している。
ジョナイドさんらオーストラリアを目指した難民にとって、同国が海を渡る難民の受け入れを厳格化したことも頭を悩ませている。
一九年八~十月、ジョナイドさんらはマカッサルなど複数都市でデモを実施。UNHCRやインドネシア政府に難民の人権尊重に取り組むよう訴え、オーストラリア政府に難民政策の緩和を求めた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/26437
https://www.myanmar-news.asia/smart/detail.php?pid=cNrDT9NmXa
このやり方は拒否された難民にとっては理不尽でも、なんの制裁もせずロヒンギャ難民を受け入れるより多くのロヒンギャを救うことにつながっている。
ウイグルについても、今発生している難民を救わなくても世論で中国に圧力をかけるように動いた方がより良い結果を招く可能性もあるのだから、人の口を封じるようなことをするべきではない。難民を受け入れたくない人でもどんどん声を上げるべき。
一月三十日(土)
彼女とオンラインデートで映画を見た。外出できないのは残念だが、緊急事態宣言下なのでやむを得ない。妹は毎週のようにテニスに、父はコンサートに一度だけ行っているので自分だけ自粛するのはやや釈然としない。なるほど、こういう心理的な機序で自粛警察が生まれるのだな、と一人納得している。しかし、彼女と一緒に過ごせば当然食事をしてマスクを外すわけで、二人に比べれば自分のデートのほうが感染を広げてしまうリスクは高い。彼女に移してしまう恐れまでもある。それに、ズームを使ったデートは自宅で一緒にだらだらしているみたいで、これはこれで楽しい。テレワークもできるだけ利用しつつ、感染の終息を願う。
一緒に観た映画については、プロットが甘いという点で二人の意見が一致した。二人が好きなものが一致するのは大切だが、嫌いなものが一致するのも大切で、むしろ後者のほうが重要かもしれない、と聞く。
ところで、この映画が気に食わないもう一つの理由が、かつて一緒にデートしたが結局おつきあいできなかった女性と見に行った映画だからだ。今の彼女とその映画を見たので、なんというか怨念が成仏した(自分が提案したわけではない。見たのは彼女がずっと気になっていたからだ)。他にも、別の女性と一緒に行った場所に彼女を連れて行っているので、記憶の混同がないように綿密に日記をつけないといけない。
さて、彼女についてだ。彼女はおっとりしているというか善良というか、自分がぼんぼんである以上にお嬢様な感じがする。映画があまり好きじゃなかった、思っていたのと違った、というときにも言葉に棘がない。そういわれるとなんだか一緒に笑えて来てしまう。以前は、もっときびきびした女性と付き合ったほうが楽しいのではないかとも考えていたのだが、結局そういうタイプの女性とのデートは長続きしなかった。鋭いタイプの女性は自分のことを優柔不断でまどろっこしいと感じるのだろうか。学生時代に憧れていた女性もそういうタイプだったが、結局振り向いてもらえなかった。
ここまで書いて、そういえば自分と長くデートしてくれた女性は全員山羊座だった気がして確かめてみたのだが、確かに一番多いのは山羊座だった。でも、他に十月生まれとかもいたので、自分の記憶違いであった。
彼女はとても真面目で物事を真剣に考えてくれる。真面目だから、セックスは結婚した後がいいと言う。彼女がそう思うならそれでいい。もっとも、神様に真面目な彼女をお願いしたとはいえ、ちょっと真面目過ぎやしませんか、と感じる日もないではない。自分が何をおかずにオナニーしているかがばれたら困惑させてしまうだろう。
一月三十一日(日)
今週もジョギング。先週と比べればずっと暖かい。今年の冬は年末年始が一番冷え込んでいた印象がある。一番寒い時期を半袖にウインドブレーカーを羽織っただけで乗り切ったので、ウエアはしばらく買い替えなくてよさそうだ。単純に買い物が面倒なだけのことだが、気温の変化に対する抵抗力がついたかもしれない。もっとも、半袖のウエアがボロボロになってきたので買い替えろと家族には言われている。夏からずっと着てきたのだから無理もない。
寒さは平気だと言ったものの、北向きの自分の部屋の寒さには参る。温度計の示す温度の割にコンクリートの壁から冷気がしみ込むので体感温度が低い。低温下で運動するよりも、少し冷える部屋でじっとしているほうがずっとつらい。ジョギングは真冬でも汗だらだらになるのに対し、部屋では布団をかぶっていたくなるほどだ。
そういえば、先日の日記でTENGAを購入しても紙袋がもらえないことについて言及したが、今週は試しにコンドームを一緒に購入した。やっぱり袋はもらえない。予想はしていたが、環境を守る方向に本当に強く舵を切ったのだなと感じた。
ジョギング帰りに近所の公演の傍を通ったら工事をしており、見通しの悪い茂みが刈り取られていた。小さい頃はそこに隠れて遊んでいたものだが、不審者が出たのだろうか。遊具も随分と安全なものになった。金属製からプラスチック製になり、九十度近くあった滑り台の角度もずっと緩やかになり、むやみに飛び降りられる個所もなくなった。
二月一日(月)
最近韓国料理を口にしていない。原因の半分はテレワークで、もう半分はなじみの韓国料理屋の混雑だ。昼休みの時間はそれなりにあるが、寒い中店の外で待たされるのは面白くない。もう一年ぶりくらいになるだろうか、かつて通っていた韓国料理屋を訪れたが、やはり数分待ちだという。別に五分程度なら待っても構わなかったのだが、少し行ったところに別の韓国料理屋があることを思い出したので、そこに行ってみた。久々の新規開拓だ。石焼ビビンバはおいしかったが、やはりタンパク質が不足してしまう。そういうわけで、本日の間食はベビーチーズとした。
で、会計をしようとしたら財布を職場に忘れていたことに気づいた。荷物を店に預け、職場まで戻る羽目になった。なお悪いことに、エレベータの定員が三密回避のため少なくなっており、いつも以上に行列ができていた。確かに毎朝九階まで階段を使っているのだが、昼休みが終わるまでに往復しなければならないため、いつもよりも速足で昇らされることとなった。やれやれ! しかも午後の仕事は十二階でだった。
帰路、職場前の書店をのぞくが、目当ての漫画の欲しかった巻がない。アマゾンで頼むべきか。実は、朝一番で書店に足を運んだのだが、新型コロナのせいか開店時刻を遅らせていたので、書店に向かったのは二度目。どうも今日は間の悪い一日であった。電車が少し遅れさえしたし。
今週は新しい韓国料理屋のプルコギ、カレー屋、ビーフカツレツ屋を開拓しようと思う。筋肉食堂も気になっている。夕飯はおでん。
ただ、パラサイトが大ヒットしてミッドサマーが予想外に大ヒットしている間、ニュースで流れる感染の話題に若干の不安も感じつつあった。
三月になる頃には、子供向けの映画が延期になり始めた。しまじろうやアンパンマンやクレしん、ドラえもんそしてコナンなどが次々と延期になっていった。閉めなくていいのかな?映画館内にそんな空気が漂い始めていた。
三月上旬でマスクは7割ぐらいのスタッフが着用。中旬ぐらいからは着用が義務づけられたがしかし、既に市場から消えていたので消毒液もマスクも支給されず、ティッシュを中敷きに同じマスクを使い続けることに。
三月下旬から都市部の映画館が週末休館に。都会は大変だねーと愚痴りあう余裕はまだあった。
四月、ついに都市部で緊急事態宣言が。映画館も終日休館となり、地方の映画館は流す映画がなく旧作でご機嫌をうかがう日々。レイトショーもこの頃やめたんだったかな。
ミニシアターの危機が叫ばれていて、映画館スタッフであるとともにいち映画ファンである私はクラウフドファウンディングにお金を投下し続けた。ちなみにとある映画館は全国規模のやつなので資金は潤沢と言われていた。マジかよ。じゃあもっと金くれよ。
四月中旬、全国の映画館が一斉休業に。仕事がゼロになった。保障があるとかないとかニュースで流れていたけど、まだ決まってないから有給を消化するんならしてくれと人事から言われた。正直、休館になったことは仕方ないぐらいの感覚だったし、保障さえされるのなら出たくなかった。とにかく金だ。金さえ貰えれば。ミニシアターの援助してる場合じゃないのかも…と思い始めた。
五月中旬、緊急事態宣言が解除され、多くの映画館で営業が再開。感染予防策がえぐい。座席の間隔や検温やマスク着用はいいけど、毎回のアルコール消毒にポップコーン提供時の専用手袋配布などほんとにここまで出来るのかな?と思う程の徹底ぶり。マスクしてないお客さんが来たらどうするのか?配るマスクは用意できるのか?不安は尽きない。
六月、全ての映画館が再開。長きに渡る感染予防対策の幕開けである。上映する映画が圧倒的に少ない為、寅さんやマーベル作品など旧作と新作(とはいえ休館前に上映していた作品)が半々。お客さんはまだまばら。時短営業と間引き販売と弱い作品群で売り上げは侘しいものに。経費と売り上げで言ったら経費の方がかかっているのでは?
六月末、ここで映画館の救世主ジブリ投下。これはマジですごかった。ゲドを除くすべてのジブリに人が押し寄せ、ポップコーンも売れたしやっと売り上げが上向き始めた感覚。
それと同時にこの辺りから本格的なお客さんトラブルが起こり始める。
マスクをつけないのはポップコーン食べる以上しょうがない部分もあるけど、とにかく座席の間隔を空けてくれないのだ。
感染予防で一席一席に張り付けていった”この席には座らないでください”の紙なんて丸っきり無視。平気で剥がしたり上から座ってグチャグチャにする。注意しても無視。家族なんだからいいだろ?と怒られる。そして食べながら会話する。必死に注意喚起しても聞いてくれない徒労感。
注意以外の作業もスタッフの心と体をジワジワ蝕む。こまめな清掃がマジでキツイ。手すりを拭きまくりドリンクホルダーを拭きまくりトイレを拭きまくり… 手袋はしているものの、手は荒れマスクで酸欠状態に。マスクの上からフェイスシールドつけてた時期もあったな… あれはいけない。息ができないんだ。お客さんの声も聞こえないし、撤廃になってよかった。
七月、今日から俺は!が始まり客層がさらに悪化。全く注意を聞いてくれない。もともとあった、スマホ使用や会話などの映画館マナー破りに加えての感染予防対策無視攻撃。
大ヒットしたら普段映画館に来ない人たちが来る、それは当然だけど同じように当然のごとくマナーの悪い人たちが増えるという現実。
普段から映画館に来ているお客さん(マナーに厳しい)とそうでないお客さん(マナー無視)との板挟みになるのはいつだってスタッフ。そうなんだ。
スマホの光でいら立つ気持ちはわかる。べちゃくちゃ喋られて気分が悪いのもわかる。けど、矢面に立たされて謝罪するしかないスタッフの気持ちもちょっとだけでいいから想像してみて欲しい。我々はいつも注意してる。気付く範囲で注意してる。何もしてない訳じゃないんだ。それだけはわかって欲しい。あいつがくっついて座ってる、あいつがマスクを外して見てる、わかった、わかったから全てコントロールするのは不可能だと仮定してくれ。あと、そこまで不安だったら映画館に来ないでくれ。
八月、ジブリと今日俺ショックも収まり、ドラえもんは予想を下回る客足。毎年地獄のようになるお盆興業が初めてお盆興業でなかった夏。感染者は出ていたけど、今思えば全然控えめな数字だった。あの頃間引き販売で今の数千人規模で全席販売っていうのもおかしなもんじゃないか。
同九月、待ちに待った洋画の大作が公開。待ってたテネットありがとうノーラン。草なぎさんのミッドナイトスワンも期待以上の集客だった。そしてこの二作品は客層がいい!
もともと、オタク気質の強い人が多いアニメ作品は、ポップコーンやグッズの売り上げも良いしマナーもきちんと守ってくれる(絶対一席づつ空けてくれる)のでありがたい限りなのだが、この辺りの作品もみなさん協力的で嬉しかった。
そして十月。鬼滅だった。鬼滅一色だった。コロナなどなかったように、映画館に人が押し寄せた。同時にマナーの悪い人たちも帰ってきた。むしろ大幅アップした。
公開にあたり、厚労省から”映画館は感染リスクが低いから飲食オッケー”とのお墨付きが出てスタッフは色めき立ったが、別のどこぞの省が待ったをかけた為とある映画館は間引き販売をやめてドリンクのみ販売に切り替え。ただし、フードの販売も禁止ではなく持ち帰りのみ可という建前で販売したせいで現場は大混乱。
まず、先日まで間引いていた席を全席開放したことに怒る常連客の発生。映画館に来た上で「どうして間隔空けないの!危ないじゃないの!」って理不尽過ぎないか。
そして、先日まで飲食可だったスクリーン内でドリンクしか飲めないことに怒るお客さん。飛沫感染防止の為なので…と言っても聞いてくれない。勿論部屋に入ったら食べ始める。ポップコーンを?いや、持参したおやつを。
持ち帰り分だと言って購入したポップコーンを場内に持ち込み、上映が始まったらこっそり食べ始めるお客さんも続出。そうまでして食べたいか?ポップコーンを。注意したらさっと隠してスタッフが離れたらまた食べ始める。いたちごっこである。
十一月、鬼滅は引き続き大ヒット。週末は全席販売でドリンクのみ可、平日は間引き販売でフード類可という変則的なルールのせいで混乱を極める現場。スクリーン内でポップコーン食べてるお客さんを見つけて「コラー!」って注意したら平日だったなんていう悲劇も聞こえてきた。マスクはすっかり定着し、稀に見かけるしてないお客さんもマスクを渡せば極めて協力的な態度。
十二月、ついに全席販売下での飲食も解禁。十二月後半、鬼滅がさらにブーストをかけるべく4DX、MX4Dまでも上映開始。アクキーと新たな入場者特典効果でまたもや映画館は満杯に。
感染は着実に増えていたのに、信じられないほどのお客さんでごった返すスクリーン。周囲ではコロナ感染や濃厚接触の情報が飛び交っていたが、鬼滅で2500万密状態だった映画館ではクラスタが発生していなかったのでどこか現実味がない。そして増え続ける感染者。
現在一月中旬、鬼滅の熱狂も落ち着き、銀魂は初週の鬼滅ブーストのみでその後の動員は凪状態。緊急事態宣言は出されたがレイトショー含む少しの時短のみで通常営業。再び洋邦画の大作が延期され始め、やっとヤバめな空気が映画館にも漂い始めた。
映画館は換気が徹底されているし消毒も頻繁に行っているし、なにより会話が少ないから感染リスクが低い。
たしかにその通りかもしれない。
でも、現場のスタッフは懐疑的だ。だって絶対来てるから。無症状の感染者、症状あるけど来ちゃってる感染者、絶対いるから。
入り口で検温やってるけど、正直あの機械あまり当てにならないから。測るたびに違う温度出るし。
ゴホゴホせき込むお客さんが来るとする。どうすると思います?注意する?帰ってもらう?言えないんですよ。様子見です。さすがに一時間咳っぱなしだったら一回出てもらいますけど、それだって注意に行ける通路寄りの席なら可能だけど奥の方に座られてたら行けないですし。
クラスタは発生していないかもしれないけど、把握出来てないだけなんじゃないかと思う。
だから、お客さんも落ち着いてて新作も軒並み延期になりつつある今、映画館は思い切って閉めたらどうかな。そして国は補助金を出してくれ。とある映画館のような資本金の多い会社はいいから、ミニシアターには補助金を出してくれ。そして安心して休業させてくれ。空気だけで圧かけて自粛させないでくれ。正直映画館はもうギリギリだ。(他の業種もだろうけど)
今書いた一年間がもう一度繰り返されるかもしれないと思っただけで窒息しそう。
いつかコロナが落ち着いて、洋画の大作も世界中の人たちが安心してみられるようになった時、肝心の映画館が息していないんじゃあ意味がないじゃないか。
親父の仕事の周期とも違うが、親が乗り気になるタイミングが同じだったのだろう。
兄である友人が春生まれなのに対して、妹は冬生まれ。1年半以上離れているが、十月十日…と思うと友人が8ヶ月とか一歳になる前に子を授かる儀式をしたんだろう。
名前に雪とか冬とか、寒そうな字が使われているキャラクターの多くが12月24日生まれだったりする。親がその日を狙って子を授かる儀式をしたんだろうな。
絶望先生でも題材にされていたが、11月上旬生まれはクリスマス儀式の結果なんだろうな。
月別にみると、出生月による差はほとんどないものの、7~9月に高く3月が低い傾向がみられた。また、各年にそれぞれ10ポイントを超える月があるが、平成11年は、最高で9.7と10を超える月が一度もなかった。
引用元: https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo-4/syussyo1-2.html
これは、儀式とは違う要因もありそうだ。
たとえば、冬は寒さや転倒による事故が多いとか。
タイトルそのままなんですけど、旧友が結婚してどういう感情を抱いているのか分からなくなったため書き込みました。まあ書いたらすっきりしたんでもういいんですけどね。あとはじめて書き込むので勝手が違くても許して。
友人Aが結婚した。その知らせはあまり親しくはない同級生からのものだった。
学生時代、彼女と私は親友で、休み時間の度に話に花を咲かせていた。好きな男の子の話、嫌いな先生の話、アニメの話、流行りのアーティストの話。どこまでも尽きない話題は、私たちがまだ若く、可能性がたくさん残されていることを示唆しているようであった。
友人Aの人柄は、よく言えば天然、悪く言えば抜けている。気が利くような人間では無いが、いつも笑顔で明るい天真爛漫な性格だ。愛されキャラ、というレッテルのもと皆に可愛がられるタイプである。
お互い三十歳を目前としていた。まわりもやれ結婚だやれ子育てだと、ライフスタイルが変わる頃合いである。私自身三年ほど前に結婚し、今は身重の体である。
話が逸れた。友人Aが結婚したそうだ。一番に、おめでとう、という感情を抱いた。
友人Aとは二年ほど連絡は取っていない。仲違いをした訳ではない。お互い仕事が忙しくなり、私は家のことにも時間を割かなければいけなく、一方彼女は新しく恋人が出来たのをきっかけに、一ヶ月に一回、三ヶ月に一回、半年に一回……と、年々会う頻度は減っていた。そうしているうちに、連絡を取り合わなくなったのだ。
旧友となってしまった間柄に、わざわざ結婚報告などしてこないか。
一縷の寂しさが滲んだ。しかし又聞きではあるが、友人Aが結婚した事実を知った以上、無視することははばかられた。結婚式を開くか、はたまた呼ばれるかは定かではないが、軽くお祝い品を包み、久しぶりに連絡を取ろうと決意したのは、十月の後半であった。
「久しぶり、元気?」
LINEのアイコンは、お互い二年前のままであった。それが妙な安心感を抱かせた。私たちはきっと、色々と変わってしまったけれど、変わらないものもあるのではないか。そう思わせてくれたのだ。
「元気だよー。どうしたの?」
友人Aは突然の私からの連絡にそう返した。きっと、私も逆の立場なら同じ返しをしただろう。彼女が職を変えていなければ、お互い土日が休日となる。会う約束を取り付けるのは容易であった。コロナ禍故、軽くご飯でも、と誘うのにさえなかなか勇気がいるものだ。まあ、断られたらそれまでだろう。そんな心中とはうらはらに、彼女は快諾してくれた。
二週間後の土曜日に待ち合わせとなった。駅中に新しく出来た洋食屋だ。LINE上で結婚したという報告をされるかとも思ったがそんな気配は無く、約束した日はすぐに訪れた。
「久しぶり〜」
洋食屋に先に着いていたのは私であった。単純に、あとから来て声をかけるのが苦手なのだ。それなら待っていて、見つけてもらう方が良い。
やがて私と同じ背丈ほどの女性が店を訪れた。店内のオレンジ色のライトに照らされたその女性は友人Aであり、私が席を立ち上がって手を振ると、小走りで近寄ってきた。
ベージュのトレンチコートを身にまとう友人Aは、記憶の中の彼女とさして変わりはなかった。もともと童顔な造りの友人Aは、老け顔の私と比べると年齢差があるように思えた。
友人Aが向かいの席に座ってすぐ、左手の薬指に指輪がはめられていることに気づいた。
私は知らない体で切り出した。
「うん。まあ、」
彼女は笑顔こそ浮かべていたものの、少し歯切れの悪さが目立った。マリッジブルーだろうか。結婚祝いにと、友人Aが好きなラベンダーを使ったスワッグと写真立てが入った紙袋がゴミにならなければいいのだが。
そんな様子の友人Aであったが、結婚するかどうしようかという相談はおろか、結婚した報告さえもされなかった私が、何かあった?なんて聞くことは気が引けた。気付かないふりをしてメニュー表を広げ、オーダーをした後、改めておめでとう、と大袈裟にはしゃいでみせたことで、友人Aは決意したように口を開いた。
「実は増田、私と付き合っている人のこと、あまりよく思っていなかったじゃん?だから報告するの、悩んでたんだよね」
そう、そうなのだ。まだ頻繁に連絡を取り合っていた頃、私は友人Aが新しく交際を始めた相手(以下A旦那)を良くは思っていなかったのだ。私は友人Aが、A旦那と結婚したという事実に面食らった。
なぜA旦那のことをよく思わなかったかというと、その人に離婚歴があり、親権こそないが中学生の子供もいると聞いていたからだ。さらに年の差も十個ほどあり、普通ならそれなりのポストに着いていてもおかしくは無い年齢であるが、派遣社員をしているという。それに友人Aは喘息持ちであるが、A旦那はヘビースモーカーだそうだ。
私は友人Aが付き合いだした当初、相談(という名の惚気)として上記の話を聞いた。ステータスだけきくと、やめたほうが良いと思った。だが口に出すことはしなかった。
私なんかよりも可愛い顔をした友人Aなら、絶対にもっと素敵な男性を見つけられるだろうに。が、A旦那の前に付き合っていた男性のことを、かなり引きずっていた友人Aが、やっと新しい恋をスタートさせたことに水をさしたくはなかった。友人の恋愛にいちいち口を挟むのはためらわれるが、本当に大切な友人なら止めてあげるべきなのか。しかし言ったところで恋愛中に他人の意見など聞くのか。いやでも…。
当時はかなり悩んだが、最終的に私は友人Aが良いなら良いんじゃない、というスタンスを貫いた。私自身思うところがあったのは事実であるが、それを隠すことも大っぴらに言うこともせず、結局は臭いものに蓋をした形で済ませた。そのことに、友人Aは気づいていたんだな、と二年越しに知ることになるとは思ってもみなかったけれど。
私はここで、友人Aが結婚することを祝う気持ちが、ほぼほぼ消えてしまったことに焦った。
私たちは所詮友でしかない。友人Aが誰と結婚しようが、私には利益も不利益も出ないはずなのに。どんな相手が配偶者になろうと、当人が幸せならそれでいいじゃないか。
二年前の懐かしい感覚が体を襲った。頭では理解しているのに、どうにも体が追いつかない。心臓が嫌な音を立てているが、それを悟られないように、結露した水の入ったグラスを口につけた。
「たしかに、当時は反対する気持ちもあったけどさ。でも、Aがその人のこと大事に思っていて、今ちゃんと幸せならそれでいいんじゃない?」
「増田…」
「Aが幸せなら、私はお祝いするよ!本当におめでとう!!」
口から出るのは頭で絞り出した言葉であった。内心では、なんであんな人と結婚したの?とか、絶対苦労するよ、とか、他にいい人絶対いるよ、とか。酷いことばかりで。抱いたことを飲み込む辛さと、嫌なことを考えてしまうことに自己嫌悪した。
紙袋に入った写真立てに、二人の写真が入れられることを想像すると、今すぐ床に叩き落としてやりたい気持ちであった。が、そんなこと出来るはずもなく、結婚祝いとは言わず適当な理由を付けて祝い品を渡した。
私には、関係のないことだ。大丈夫、友人Aが決めたことなら、それでいい。
「でも、増田がこうしてちゃんと祝福してくれてほっとした!ずっと言おうか言わないか迷ってたんだ〜」
その瞬間全部馬鹿らしくなった。
サプライズとして用意した結婚祝いも、最近連絡を取っていないから報告がなかったと言い訳がましくしていたことも、二年前の葛藤も、今さっき抱いていた自己嫌悪も。
友人Aと過ごした歳月は、決して短くはない。彼女本人から親友だと口にしてもらったこともある。それほどの仲であったのだ。あったのに、だ。
祝福されないかもしれないことを恐れて、報告をしてくれなかったのか。私は心無い言葉をぶつける人間だと思われていたのか。偏見を抱いている自分に対しての自己嫌悪も、友人Aが苦労しないように無理にでも止めるべきであったのだろうかと苦悩したことも、無駄だったのか。今も尚必死に取り繕っている外面も、アホらしくて仕方がない。
でも実際、私は諸手を挙げて祝福できないのだから、報告しなかった友人Aのほうが正しいのかもしれないな。
そう思った時、早く帰りたいなーとスマホで時間を見た。友人Aは久々に会ったことで、学生時代のように話に花を咲かせたがっていたが、私は目の前の和風ハンバーグをつつく気力さえ尽きていた。が、食べ終わったから帰ろうか、という口実をつくるため、無理やり胃に詰めこんだ。
友人Aは結婚式は身内だけですると言っていた。相手の方と年齢差もあり、さらに言えば離婚歴があるためあまり人を呼びたくないそうな。
スズメバチは一年間のサイクルを繰り返す。つまり、女王が生まれ、女王が巣を作り、滅びる。これを繰り返すのである。
いやしかし滅びるってなんなんすかという話であって、勿論字義通りスズメバチの巣は最終的に滅びるんですけど、その時に一体何が起こってるのかについてはあんまりよく知らない人もたくさんいると思うわけです。実際のところ、スズメバチの巣が滅ぶ際には色々常識を超えた現象が起こっています。
女王蜂が巣を作り始めるのは四月とか春の時期で、まあ色々とその時にも障害があります。そもそもきちんと巣を作ってコロニーを形成できる女王は複数いる女王の内の数%程度に過ぎないという説もあるくらいで、巣作りが失敗する理由としては、例えば純粋に病気とか栄養不足のほか、天敵に狙われてしまう場合など色々あります。原理的にコロニーを形成したスズメバチには殆ど天敵はいないのですが、つまりは翻って言うならば、彼(女)らの天敵になり得る存在はスズメバチ自身です。
面白い生き物がいまして、これをチャイロスズメバチと言います。
チャイロスズメバチの女王は基本的に自分で巣を作らずに、他の巣を作ろうとしているスズメバチの女王を襲い、巣を乗っ取ることによって勢力を持つのです。チャイロスズメバチはキチン質の硬い表皮(カブトムシなどと同質)を持っており、よほどのことが無ければ他種のスズメバチの毒針はチャイロスズメバチの表皮を貫通しません。勿論その他の噛みつき攻撃などにも耐性があるので、少数の例外はあれどチャイロスズメバチの女王はなんなく他の女王から作りかけの巣を乗っ取り、あげく成長した働き蜂をフェロモンで支配してその後の巣の運営の為に馬車馬のごとくコキ使ったりするのです。怖いですね。
いずれにせよ色々な障害のために巣作りが失敗することもあるのですが、上手く発展の軌道に乗る巣も当然存在しています。で、そういう巣は爆発的に発展して人間の目の敵になったりするんですけれど、上手くいけばその巣は十月頃まで発展します。逆に言えば、十月が彼らの滅びの始まりとなるのです。
秋から冬にかけて純粋にスズメバチの食物がなくなるので巣は滅びへと向かいます。その過程では女王殺しが行われる場合もあります。
女王は年老いてくると新しい女王に据え替えられる場合もあり、その際に働き蜂から追放され、悪ければアレされます。この女王殺しが起こる条件には色々あるようなのですが、一説には遺伝子的多様性の確保のために女王殺しが行われるそうです。つまり、複数の女王の血統からなるコロニーでは女王殺しが行われないのに対し、単一の女王の血統のみからなるコロニーにおいては女王殺しが起こりやすいのだそうなのです。どうやら、単一の女王のみが働き蜂を産み育てることで、遺伝子的多様性が崩壊するのを恐れる傾向が、働き蜂にはあるのですね。子の心親知らずというか。逆に言えば、遺伝子的多様性が担保されている場合にはある程度円満にコロニーは運営されます。
いずれにせよ冬に掛けていかなるスズメバチの巣も滅びへと向かいます。基本的には、その際に生き残るのは新しい女王蜂のみです。この新女王蜂は木の虚とか比較的越冬しやすい場所で来春までの時を過ごします。翻って言うならば、そのような女王としての素質を持っていない働き蜂は皆滅ぶことになるということです。
ここで疑問を持つ方もいるかもしれません。つまり、女王蜂と同じように働き蜂も越冬すればええやんけという話です。何なら女王が木の虚とか堆肥とかそのテの越冬しやすい場所で年を越せるのであれば、コロニー内の風通しの少ない場所で働き蜂らもある程度なら越冬できるはずなのです。しかし、そこがこのシステムのミソで、要するに新女王を除いて全ては滅びるようになっています。
スズメバチは社会性昆虫なので、一度コロニーを形成してしまえば基本的に大型の猛禽やクマなどの肉食動物を除いて天敵が存在しなくなります。例えばオニヤンマやシオヤアブ、雀などの鳥類が一時的にスズメバチを打倒できるとしても、数百匹の群れを成すスズメバチに対抗できる動物はさほど多くありません。つまり、繰り返すように基本的にスズメバチにとって天敵は存在しないのです。
となれば、何故スズメバチの個体数はそれほど増加せずに、ある一定の値を保ち続けているのだろう――そういった疑問を持つ方もいるかもしれません。勿論、季節のサイクルにおいてスズメバチの生存が難しくなることは先述の通りなのですが、女王蜂が越冬できる事実から言って、他の働き蜂が皆滅びる運命にしかないと断じてしまうことには些か違和感を持つ方もいるかもしれません。女王が生き残れるのであれば、全体とは言わずとも一部であれば来春まで越冬する働き蜂もいるんじゃねえのという話です。
とは言え、それは現実には殆ど起こりません。全く起こらないというわけではないのですが、まずもって起こらないのです。
それは、スズメバチの一生のサイクルには死というシステムが組み込まれてあるからです。
次に話すのは周知の事実ですが、基本的に子孫を成すのは女王だけで、一般の働き蜂は子孫を成すことができません。当然交尾のための行動も行わないのです。何故ならば、彼女たちは女王の分泌するフェロモンによって生殖能力を制限されているからなのです。女王の持つ権能はそれほどまでに及びます。
しかし、女王もまた定命のものです。時を経れば経るほどに、その肉体的な能力は弱体化します。つまり、その際には女王の出すフェロモンの分泌能力にも翳りが生まれるのです。
女王の出すフェロモンには色々な種類があって、まずは先述の生殖能力を制限する目的のもの、それから、働き蜂らを統制するためのフェロモンです。彼女らが何故馬車馬のようにあくせく文句も言わず働いているかと言えば、女王の出すフェロモンが彼女らを統制しているからに他ならないのです。では、そのフェロモンを出す能力に翳りが生まれるとどうなるのでしょう?
そう、スズメバチの巣には内乱が起こります。巣の内部にいる働き蜂は、万民の万民に対する闘争状態さながらに攻撃を開始します。その攻撃の対象は、女王、幼虫、蛹、全てに及び、そこに見境などありません。彼女らは暴走し、一切を食い尽くし、全てを破壊していきます。新女王蜂だけが先見性を持ち、その内乱から脱出し次の巣を作るという使命を持って行動することができるのです。つまり、スズメバチの巣においては、仮に気候条件が彼らの味方をしようとも、女王のフェロモンの効果が薄れるにつれて必ずや内乱が起こるようになっているのです。そのため、彼らは気候条件の云々によらず、必ず滅びる運命にあるということなのです。
そんなこんなで、彼らは新女王を除いて滅びます。その血統のレースは一時中断し、新女王が次のコロニーの制作に低確率で成功するまでは、その成否は保留されることになるのです。
スズメバチは基本的に世界最強のハチであり、さしたる天敵さえも持っていません。それにも関わらず彼らがその個体数を爆発的に増加させないのには、そのような理由があったのです。言わば、彼らの生命サイクルには、内乱と死が含まれているのです。その死が彼らのシステムに含まれていることによって、その個体数は増加せずに済んでいると言えるかもしれません。
以下の文章は私見となるのですが、あるいはこれは自然の生態系というシステムが破綻を来さないために設けた、一つの安全装置のような気がします。ある種の強大過ぎる種類が個体数を増やしすぎないという、生態系に必要な機能のコア部分が、スズメバチの生態というシステムには凝縮されているように思えるのです。
深夜二時三十四分、薄暗い自室で卓上の電灯を薄く点けてパソコンを立ち上げ、これからこのこの文章を書こうと考えました。
専門店でも専門サイトでもない、ごく一般的な通販サイトで安いからという理由で買ったソレは、正面に置かれた液晶画面にデスクトップ上のアイコンを映し出します。
詳しくはよく知らないですが、電源を立ち上げてすぐは色々なプログラムだかソフトだかも立ち上がるのか、マウスカーソル動作は少しもったりする。友人曰く安いパソコン買ったせいだとか。
特別動作が重い訳でもなし、何か入れ込んだゲームをする訳でも、大それたプログラミングの環境を構築している訳でもない。
安物買いの銭失いという言葉があるけど、安すぎたせいで早期に壊れるとしても二年保てば御の字だと思って買ったのであんまり気にしていません。
ただ虚無を抱えた人間と断ずるには語弊があり、鬱というには日々を生きる活力がある。
けど前に進む気力は無い。焦燥感が背中をぐいぐいと押すのに、ボクはただ立ち止まっている。
大学四年生の十月。周りは順調に就職活動を進めて、内々定獲得。内定式もあったりする。
じゃあボクは何。皆ほど手早く進めていた訳じゃないがやる気自体はあったはずだ。でも結果として駄目でした。
────えっと、大学では〇〇学部(出身大学が普通に絞れらるの伏せる)の人間として色々な事を学びました。学んだのが…
「ああ、いや。別に言わなくていいよ」
────?
「大学で学んだこと、別に意味ないし。それよりも君の事を教えてよ」
一瞬フリーズして喉から声が出るのを必死に抑えた記憶があり、帰り道に転がってた捨て空き缶を蹴飛ばして当たり散らかしました。
就職活動すれば言われる事も分かっていたし、実際に言われるだろうなって覚悟を決めていたつもりだった。
確かに大学で学ぶ四年間は、社会時間スケールに換算するなら薄っぺらいものだろうし。(仮にストレートに新卒二十三歳くらいから働き始めて定年六十歳過ぎ、概算四十年働き詰めと考えればそうだろう)
大学で学んだ事を生かせる会社なんてほとんどないだろうさ。特別優秀な大学に通っていた訳でもないし、この学歴に求められる人材を搔き集めるとしたら凡庸な事学んだ人間ばっかで、英語ペラペラだの特異的な技術取得者だの、高度な教養保持者なんてほとんどいない。社会人の人事部の人間目線ならスペックはどんぐりの背比べ。そもそも優秀な人材なんざ欲しいなら学歴フィルターで足切りされるのだから、そんな凡庸な学歴の自分が面接に呼ばれる時点で自分の評価はそういう事である。
別に学歴フィルターに文句を言うほど馬鹿なつもりはない。学歴がスペックを推し量るフィルターであるのを否定したら、その行く末は社会が駄目になるんだし。
学歴フィルターがどうこう。そうじゃなくて、学歴フィルターを取っ払われて「一時間未満の問答で人柄を理解してくる」のが駄目だった。
お前がボクの何を分かったつもりでいるんだ。趣味で映画鑑賞って言ってLGBTについてだの、映画の歴史だの語って高尚さとか演出してやたらウケてたみたいだけど、映画鑑賞なのは面白い映画観る為だけに決まってんでしょうに。何でフィクションを割り切って視聴するコンテンツに世知辛い現実の問題を持ち込んで鑑賞して語らなきゃいけないんだって思ってのがボクの根底人格ですよ。
頑張って四年間必修の単位落とさないよう勉強して、プライベートな時間削って大事な必修実技講義のレポート山ほど書いて、それで大学で得られた事を教えてくれ?
大学で四年間勉強してきたのは皆当たり前だから他に教えろ? そんな事言われなくても分かってるけど、じゃあ四年間で覚えた美味しい酒場の情報でも披露すればいいのですか。本当に真面目に大学通って友達作らずに勉強してた奴の「面接ウケのいい話」のストックあるのかな?
何でもかんでも四年間の内に御大層な学びや気づきが得られたような人間ばかりだと思わないで欲しい。こちとら遊んで浮かれてレポート未提出をやらかしたら即単位落ちして留年の危機に迫るのに、大学生活で得られたもの?
海外旅行するときの計画立てて海外旅行して知見でも得られたらいいんですか。そうですよね、グローバルな視野持った人間欲しいですもんね。最初から募集要項に留学経験ありのみにしてくれませんか。
何ですか、大学祭でリーダーシップ発揮して皆を先導すればいいんですか。リーダーシップ発揮しなくて名脇役こなして、何か一大事や重要な場面で大立ち回りして何か得られたり気がつけばいいんですか。出店がクソ忙しかったけど黒字儲けが出て、還元率三倍以上になってサークル同期とガハガハとゲス笑いしてた以外あるわけないだろ。最初から部長・サークル長経験ありのみ語れとかにしてくれませんか。
印象的なエピソードやらがポコポコ生まれるほど精力的に大学を満喫していませんことよ。講義のレポートやらに追われ、バイトしたりする日々のせいで虚無です虚無。
大学で開かれた会社説明会とか企業研究会だとかの人事部の人に聞いたら、「自分の事をありのまま話せばいいよ」って言われて、いざ実際にその人の話した会社の面接受けたらバチバチに落ちたよ。落ち込んで大学の同期友人に話したら「馬鹿だねお前」って言われてさ、じゃあ実際面接の時にどうしたらいいのかと思ってバイト先の社員さんとかに聞いたら「テキトーに誤魔化せばいい」って何ですか。
最初は自分もそう思ってたけど、大学のそういう就職活動セミナーみたいなので「人事部の目はプロなので誤魔化しは効かない」とか聞かされて、それを真に受けて興味持ったバリバリに志望したい会社から次々落ちてこれですか。
何なんですか。どうすればいいんですか。
そもそも初対面の人前で喋るのが苦手なのにどうすればいんですか。学生課の就職支援の人とか、練習重ねる相手は顔見知りレベルになるんですけど。
お前の為に勉強した訳じゃないし、純度100%自分の為に学んできた事を前面に押し出したら落ちるのは分かる。けどさ、じゃあ大学で学んだ人間求めるの何で?
そうですね、大学に入学が出来て、大学に通えて、大学を卒業するような「一定ラインを超えている事が確定しているスペックの人間」が欲しいんですもんね。知性とかも含めて多分諸々の。
分かります。下限値設けずに変な入社されたり、限られた社会時間の枠を食い潰すような事したくないですよね。
賛同します。人材もコストですから中々運用とか大変ですし、コスパ求めますよね。
理解します。そうなると求めるのって必然的に明瞭な線引きのラインが「大学出の新卒」となるんですよね。
でもボクはそのロジックを理解していても、もう就職活動が嫌になりました。三月から飛んで半年以上の十月。虚無みたいな中身のない日々を送ればここまで日が経つのが早いものかと感心する。
家に閉じこもって日がな一日寝て過ごして、起きたらご飯食べてパソコン立ち上げて自分好みの動画見る為だけにネットサーフィン。
自己分析自己分析言われて自己分析しても自分の嫌な所しか自己分析出来ないし、深い所まで掘り下げろって言われても浅い所しか掘れない。自己分析力が足りないのか、人生経験の浅さなのか。どっちが真実は自分に見極めきれないまま、どちらにせよ自分自身を薄いかその程度の雑魚だと感じるようになって、世界の中心に自分が居座るわけでもない事が分かり切ってるこの年頃でも中々精神にくる。テキトーに誤魔化す事が自己否定に繋がっているような気がしなくもなくって、自称能天気の「生きてりゃ何とかなる精神」もめっためたになってきた。
周りの人曰くまだ時間はあるから、今からでも内定は取れる。でもだらだら就職活動を進めてる。今。
進める三社程度も大学の学生課の就職支援してくれるところから回ってきた求人情報のメールから適当に選んだだけ。興味がない会社ばっかなのに興味持て状態なんて無理難題。
バイト先で本職とバイトを掛け持ちしている妻子持ちのXさんには「心が落ち着く為にも内定が欲しいよね」と言われ、励まされた。
その時は「そうなんですよねー笑」ってお茶を濁したけどまさにその通りで、自分が働く為に就職活動を進めるのも出来ない状態になっている。自分が今この精神状態を脱するため、楽になりたいだけが今の世界の過半数を占めている気がする。
今のこの状態が自業自得なのかよく分からない。多分自業自得なのだろう。
そろそろこの文章を書くのも嫌になってきた。こんな事してる暇あったらもっと別の事出来たのに、なんでこんなものを書いているのだろうか。
感情と論理が混雑したな思考を巡らせて、ぐちゃくぐちゃのそれを文章に起こすようにまとめて、まとたものをブラインドタッチも出来ない両手でカタカタとキーボードを叩いて捻出してる。
今ここまで文章を書いた上で思うのは、膿は際限なく溢れるんだなぁって所です。そしてこれはまだ続く。
ずっと疲れた、疲れたってなってる。こんなに頭がぐるぐるする事が付かれた。毎日頭の中でぐるぐるしてて明らかに駄目になってて、疲れる。考えたくない。でも考えなきゃいけない
だって考えるのやめていたのが今の十月に至るまでの虚無みたいな中身のない日々だ。
嫌だ。疲れた。ずっと眠りたい。
鬱? それよか楽観的で健康的。
友達と遊ぶのは楽しいし、自傷行為も痛いの嫌だから無理。自殺は嫌なもの見たことあるし、それで「生きてたもの勝ち理論」は証明されたと確信しているので死ぬ気はない。
けど非生産的で、傲慢さや我が儘だけが日に日に膨れ上がっている
A.ニート
まだしばらくこの生活は続くと思います。生命的に死ぬこと、自殺やら自傷だけは絶対ないけど、ゴリゴリと精神が摩耗しつつ美味しいご飯や自分の好きな事だけでモリモリ持ち直すあり方の限界値はどこまでかわかんないです。
少なくとも明日はセーフかもしれないですが、一か月後とか年明けたら駄目かもしれないですね。何とかなるでしょって今も思っているのがもう本当に嫌になりますけど、すんごい楽。
助けてというには余りにも横暴?
ぼちぼちキーボード叩くの、普通に腕も指も疲れてきたし、画面に打ち込まれた文字の羅列とその内容をありありと見せつけられて全部が嫌になってきたのでここいらで書くのを辞めて寝ようと思います
気持ちのいい寝起きがありますようにって思ってこのテキストエディタを閉じます。
バイバイ。
30代前半夫と20代前半妻の夫婦だけどマジで子供が欲しくない。毛ほども子供欲しいと思えない。
お父さんお母さん、お義父さんお義母さん、謎の親戚、なんか知らんけど会うたびに「そろそろ赤ちゃんできた?」って聞いてくる友達、少子高齢化を憂いている人たち、ほんとごめんね。マジで欲しくないんだ。
貧乏でも裕福でもないけどそれなりに遊んで暮らせているし、夫婦共通の趣味で充実してるし、とにかく今の生活を邪魔されたくない。
十月十日腹の中をごちゃまぜにされながら自分のお腹で育てて交通事故並みの傷を負って生んで、その後すぐに地獄の新生児育児、ちょっと動けるようになって1秒でも目を離すと自ら死に向かっていく幼児の育児、それが終われば幼稚園戦争、数年経てばバカみたいな値段の学業投資が始まりニートにも犯罪者にもいじめ加害・被害者にもならないよう丁寧にかつ社会の厳しさを適量与えながら痛みも同時に教え込み22年間をかけて立派な納税者に育てる…。
無理〜〜〜〜〜。
私たちは30代夫と20代妻、身体面では至って健康な夫婦である。
おそらく妊娠は可能だが、結婚当初からあえてピルでの避妊を選択しはや3年余りが過ぎた。
子なしの理由は様々だが、一番の理由はお互いそもそも子供を欲しいと思っていない点が大きい。
特に私(妻側です)の「産みたくない欲」は凄まじく、とにかく産みたくないったら産みたくない。
思えば子供時代からおままごとやお母さんごっこが苦手で、与えられる赤ちゃん型のお人形にはあまり興味を抱かない幼児であった。
おままごとに参加するにしても、常に赤ちゃん役やペット役に徹し、親側の視点には立たないよう心がけていたように思う。
その当時私の家庭事情が複雑で親が暴力により離婚していたこともあり世間一般よりも2〜6歳頃の記憶が濃く、なにせ友達におままごとに誘われると嫌な気持ちになっていたことをよく覚えている。
将来の夢に「お母さん」「お嫁さん」と書ける人間の気が知れなかったし、中学生になった頃にはもしも大人になって結婚したら子供は持たないでおこうと決めていた。
現代医学を持ってしても十月十日自分の子宮に子を宿し内蔵や骨の位置をグチャグチャと変えられながら育てないといけない時点でもう嫌だし、自分の身体を交通事故と同等レベルまで痛めつけないと出産ができない時点で本当に嫌だ。
その後も地獄のような育児が始まり、一秒でも目を離すとすぐ死ににいく生き物を自己責任で最低20歳まで生かさなければならないのも負担が重すぎるし、何より我が子の愛着の形成に全くと言って自信がない。
子に唯一無二の自己肯定感を与えられる教育育児など私にできるはずもない。
おかげで、二人で慎ましく暮らす分には夫の給料だけで十分食べていけるところを、私も自由にフルタイムで働きに行きそれなりの世帯年収でそれなりに二人してドンチャカ遊びながら暮らせている。
「なんで子供いらないのに結婚したの?」とよく聞かれるが、これは「大切な人が危篤になったり亡くなったとき、自分が一番側にいてあげたいから」に尽きる。これが我が国の婚姻制度における一番のメリットなのではなかろうかと思うのだけど、この話をすると既婚の方にさえ「へえ、確かに!そんなの考えたことなかった!」みたいなことを言われるのでこっちがびっくりしてしまう事が多い。
またよく言われること繋がりの話だと、私がまだ20代前半であるため「これから気持ちも変わるよ〜子供欲しくなるよ〜」という言葉をよく頂くことが多いのだが、少なくとも6歳前後から今まで「私、お母さんになりたい!」と思った瞬間が一秒たりとも存在しなかった私が果たして本当に母になる自分を許容できるのかと言われると正直怪しい。
おそらく我が家は生涯子なしのまま、数千年前より長らく続いた命のバトンを我々夫婦で終わらせることになるのだろう。
辛いのは、不妊疑惑をかけられ腫れ物扱いされることぐらい。何度選択子なしだと話してもこればっかりは理解されづらいらしい。仕方ない。
他人の子供は可愛いし知り合いの出産は素直に喜べるので、本音を言えば気を遣わず教えてほしい。
逆に言うと不満はそれくらいのもので、今の生活はとてもとても幸せだ。
かれこれ五年以上二次創作を続けている。
ブクマ数や、いいねなど見ると他の作家に比べれば評価されてるほうだろう。
最初はとっつきづらいのかな、と思ってそっけなかったキャプションを変えたり、マシュマロを設置したりしていた。
それでも感想がこない。
マシュマロは去年の十月から閑古鳥が鳴いてるし、PIXIVのコメント欄にもそれぐらい人がいない。
なんでだ…?
別に畏まった文章じゃなくていいんだ。ここがよかったとか、面白かったとかでいいのに、それすら書けない人がいる。
なんだかここまでくると自分の作品が読み捨てられているようで切ない。
まだ自ジャンルとカプへの愛があるが、感想をもらえないことによって承認欲求が満たされず、撤退したくなってきた。
モチベが意地できない。
正月・ハッピーニューイヤーソングはそれなりにあるが、ポップスのテーマとしてはダサいのであまり出てこない印象
いちばん冬っぽいので冬ソングの舞台にはなってそうなのだが、わざわざ二月であることに言及しないので結果的には雑魚ということになってしまう
年度末ということで卒業とかそういう転機が多いのでかなり良く歌われる 3月9日もそうだし、卒業ソング系は全部三月の傘下 屈指の強さと言ってよかろう
新生活の始まる月だし春の代表なのでかなり強い 大量の桜ソングは全部四月所属と思うと最強候補の一角か
いい季節だが、特徴に乏しいので微妙
イベントも鯉のぼりとかでダサいので振るわない 五月雨は字面的には五月だが実際指してるのは六月なので難しいところ
嫌な季節だが梅雨ソングは意外なことにかなりある かなり詩情のある花であるあじさいを味方につけているのも大きく、結構な実力者といえよう
とはいえ夏休みという分かりやすさがない分八月には一歩及ばずか
夏休みソングがかなりあるし、純粋な夏ソングもこの辺を意識して書かれてることが多い印象 八月というだけでエモくなるので歌詞の中で言及されることも多く、もしかすると最強の月かもしれない
いい季節だし夏の終わりという一大テーマを持っているものの、なみいる列強にはさすがに及ばない印象 しかしいぶし銀!
それなりのテーマの広さを持つ月だが、わざわざ言及されることは少ないこともあって印象は薄い
最弱候補 秋でも冬でもない半端さとイベントのなさが相まって歌にされる要素がゼロ はっぴいえんどに救われている
年末とクリスマスを併せ持つ最強月候補 12月24日はおそらく最もポップスで名指しされることが多い一日であり、それを持っている時点でその実力は計り知れない
頭悪すぎ、十月十日でググって
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。
なんと六時間ぐらい散歩をして、たっぷり日を浴びてセロトニンを生成した。
かなり無理して早起きしたせいで、いまとても眠いので寝ます。朝型の分にはあまり困らないので、このぐらいに寝ちゃってもまあいいでしょう。
ですが、このままではダラダラと連休を過ごしてしまうのが目に見えています。
なので、あと七日しかない連休中にやりたいことをリスト化しておきます。来週の日曜のこのゲーム日記を書くときには、全てを達成していたいものです。
いきなり意味不明なしたいことですが、実は前々から考えてたことで、
僕って「何のゲームを遊ぶのか?」というとこを踏み出すのに、とてつもなく時間がかかるタイプなんですよ。
別に遊びたいゲームを好きなように遊べばいいじゃんなんですが、どうもそのスタートを踏み出すのにすごく時間がかかるみたいなんです。
なので、遊びたいゲーム一覧をエクセルに書いてから、簡単にRANDBETWEEN式辺りで、ブックを開くたびに「今日遊ぶゲーム」を決める仕組みを作ろうかなと。
これで出たゲームはまず30分なり1時間なり遊んで、そのゲームがもっと遊びたいならもちろん遊べばいいし、なんか違うから他のゲームがしたいという欲が出たら、それはそれでその違うゲームを遊べばいいし、と思ったんです。
まあちょっとどうなるかわかんないけど、試しにやってみようと思います。
(まず遊びたいゲーム一覧を作るのが面倒そうだけど)
・本を読む(五冊ぐらいは読みたい)
まだ何を読むか決めてないですが、小説読みたい欲があるので、小説読みます。多分、積み本から選ぶ。
まだ何をするかすら決めてないけど、ノベルゲ欲がめっちゃあるのでノベルゲを遊ぶ。
来年の目標決め、日課、イベント箱開け(十箱)、キャンペーンクエスト300周、アーカルムパス消化(アーカルムパス消化が日課じゃないの、僕の堕落しきったダラダラプレイの典型だと思う)
少なくとも、フラーハウスの最終シーズン、ブルックリンナインナインの新しいシーズンの二つは絶対見る。フラーハウスは見るのがかなり寂しいけど、これを見るためにNetflixに入ったわけなので。
ガチャピン。ガチャピンモード直引き。10連でゴムーン。ムックモード10連で2枚抜き。ゴムーンとSSRスタンアリーザ。ゴムーンはリミ武器のリミヴィーラ斧(2本目)。光の神石をやる予定は全くないから、自引きだけで三凸できたら重ねちゃうかもなあ。まあグランデフェスを回す予定は当分ないので、取らぬダヌキですが。
女の人の中でも、自分で妊娠して子供を持てて幸せって人もいると思うし、それは個人の考えだと思う
でも、母親になった人の中には社会でバリバリ働きたいって思ってる人だっているだろうし、もっとキャリアを積んでみたいって人も居るはず
それなのに妊娠したらつわりがあるし、産んだら産んだらで体はきついしかつそこに赤ちゃんのお世話もあるし普通にキツくない!?
妊娠したら職場でも気を使うだろうし、そのまわりの人も気を使うだろうし
男の人は結婚して奥さんが出産しても普通に仕事するし、職場にも何も影響ないしなんなん!ほんまになんなん!?
こんなの当たり前だって分かってるけど私はいやだぁぁぁぁあ!!
なんなんだよー
でも、自分で産むと考えたらデメリットの方が圧倒的に多すぎる(今のところ)
けど、私は今の生活に満足してるし、このまま2人で生活していくのも全然いいと思ってる、それに私は働きたいたいんだよぉぉぉ、クソガァァォァ
それなのにあいつは「そろそろ、じゃない??僕は子供欲しいな」だってよ
はぁぁぁぁあ????
じゃあ、お前産めよ
自分が十月十日、お腹の中で育てるって考えたらそんなこと言わないっておらぁしってるからな!!
今年も早いところでもう十月だ。とは言え今年は九月も暑い日が続いて、十月入ってからも何回かめっちゃ暑い日があった。正直今日も昼間なら半袖でいける。でも朝晩はめちゃくちゃ寒い。
春と秋って、昼間はすごく過ごしやすいんだけど寒暖差がきつい。昼間あったけ〜〜と思って油断してると朝起きた時とか寒くて震える。
面倒くせえストーカーにこれ以上付き合いきれないというメッセージを送ったが一切反応がなくて逆に怖い。もう本当に嫌なので今日アカウントを消す予定だ。
まさか自分がネトストされるなんて思ってもみなかったから珍しい経験ではあったと思う。二度と嫌だしそもそもしたくもなかったが。
作品を作りたいのに作りたくない、作りたいけど作っても思い通りにいかずただ時間が過ぎていく。昔書いたものを越えることばかり意識してうまくいかない。何もかもうまくいかない。創作に対するスタンスが狂いすぎてもう何をどこからどう手をつければいいか分からない。健康に創作出来てた時期が懐かしい。
これも全部台風前の低気圧と寒暖差の影響だと思っておくことにする。心が疲れた。
創作にはこう向き合うべき!みたいな話聞きすぎて見失ってる感はある。かと言って我流すぎるのも問題?なのかなと。ああもうどうしたらいいんだ。
疲れたなあ。子供の頃は山に行くのとかクッッソつまんねえなと思ってたけど、この年になると人生や仕事に疲れた時、ふと「あ〜なんもねえ山行ってリセットしたい」とか思うようになった。
旅行に行きたいけど旅行先でまで人に気を使いたくないから一人旅行きたい。秋の京都とかいいなあと思ってる。今年は暖冬というか今のところ暖秋?だから紅葉の状況とかどうなんだろう。
辞めたら今度はきっと死にます。
ニートになればメンタルは戻るなんて言う人達は、転職できるスキルがあるか、単に年齢が若いか、貯金があるか、太いパトロンがいる方なんでしょうね。
私にはそんなもの無いので、収入がなくなったストレスと、これから始まる十月(就活の書き間違いでした)への不安でさらに死にたくなるだけで終わりです。
それなら「仕事を辞めなきゃいい」と言える人が本当に羨ましい。
子供の頃の私だったら「2000万円ぐらい貯めればいいだろ」と思っていたでしょうね。
「給料が少ないなら節約しろ。生きてればいいことあるんだから一先ずは長生きだろ」とか平気で言ったはず。
今は違いますね。
月に5万ずつ貯めて慎ましく何が楽しくて生きているのか分からない人生を400ヶ月積み上げるぐらいなら、ほんの僅かの楽しみを散財によって何とか手にしながら生きる方がまだマシですよ。
酷い2択に見えますよね。
詐欺師のよくやる手口のような、ろくでもない二者択一の限定にしか見えない人もいるでしょう。
でもね、給料の上がらないようなレールの上しか歩けなくなったポンコツには、その2つしか残ってないんですよ。
細く苦しく長生きする自分か、太く少しの幸せを必死に貪る自分か、そのどちらかを轢き殺さないといけないトロッコ問題なんです。
こんな話をされたら「そんなみっともない人生しかないなら、どっちも轢き殺せよ」とふとよぎった人もいるんじゃないですか?
今の私は私に対してそういう思いでいっぱいです。
そうして思いつく贅沢の中で、一番コスパのいい贅沢が仕事を辞めることなのですが、この贅沢でもなお自分の心は満たされないでしょう。
こういうとき、お酒に逃げられる体だったらいいのにと何度も考えましたし、そうじゃなくて本当に良かったと何度も安堵して、そうして生きていると、酔生夢死のなんと素晴らしいことかと感じる次第です。
もっと曖昧に漠然と生きられたなら、無気力な無能が中途半端に理想を高めて無意味に繊細に生きることのなんと無駄なことかと。
ああすみませんこれぐらいでお開きです。
武烈天皇には特殊能力こそないが、名前の通りの荒々しいエピソードが色々残っていて趣深い
なお、日本書紀は、武烈天皇の異常な行為を記している。その部分を以下に列挙する。
二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
三年の冬十月に、人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
四年の夏四月に、人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、樹の本を切り倒し、昇れる者を落死すことを快としたまふ。
五年の夏六月に、人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
七年の春二月に、人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。