はてなキーワード: カツレツとは
スパロボやジージェネとかで断片的にしか知らないけど今からオリジン読んでみるからその前に今知ってそうな流れを書き留めておく。
けっこう時間が飛んで
レビル将軍が捕まる
ランバラルもここ?
アムロがこいつ動くぞ
シャアが見せてもらうも負けて認めたくない
ルナツーに到達できず、ルナツーのワッケインがやられ、アムロが単独大気圏突入。謎ビニール
ニューヤークに落下
ガルマ編
腐女子が見ている中、ドップり濃厚なBLの傷跡を残すもお父上が悪くてシャアが図る
ギレンの演説
アムロが2回も殴られて脱走
リュウさん死亡?
ジャブロー到着
オデッサ反攻についてく
VSアッザム?
ミハルー!
いい壷が出る
VSマクベ編
オデッサ奪還
マグネットコーティングという見た目の変化0の強化をもらう (別ルートのG-3もまた地味でアレックス寄こせと言いたい)
強化後の無双回?
シャアがララァを助ける?妙に慕われてるが経緯が謎。ララァのNT能力発揮エピソードも謎。部下にする。
シャア、ゲルググとララァ・スン専用モビルアーマーでアムロに挑む
ララァ死亡。刻が見える
ア・バオ・ア・クー攻略へ
ドズルのビグザムがやらせんかったがスレッガーさんの特攻でIフィールドを破って勝利 コアファイターはどこからわいたんだ?
ア・バオ・ア・クー攻略
VSザクレロ? まったく情報を持ってない もしかしたらもっと前かも
シャアが飾り気も赤くも無いジオングで戦う。気にいらんが私にも敵が見えだす
ギレンがキシリアに後ろから額を正確に射抜かれる キシリアは脱走するも失敗?のちにキシリア軍残党が便利に二次創作される
ガンダムの顔がつぶれジオングは顔だけ残るという合体の気配を出すも、実現せず
アムロとシャア、なぜか基地内でパイスーフェンシングする→経緯も結末も謎。シャアは生き残る
アムロ、カツレツキッカの声を受けコアファイターで脱出。こんなに嬉しいことは無い。ガンダムは自動操縦でラスシュー
ラスシューで何を撃ったかよくわからない。ジオング?ソーラーレイシステム?
ザビ家居ないし戦いは数だしなんだかんだでジオンが負けたっぽい。アムロはずっとシャアといちゃいちゃしててジオンに勝ったって気がしない感じで終わる。
うーん、忙しい。
・アムロが反応速度以外にニュータイプっぽいオカルトしぐさを見せたのがララァ死亡時とラストしか思いつかない
・アムロとシャアとララァは生身で鼎談したことある?二人ともララァに固執する理由がよく知らない
・セイラさんって最後までいたっけ?ってかアルテイシアとシャアが対面したのどこ?ニュータイプ設定が判明したのはいつ?
・シャアが情けなさ過ぎる。アムロはともかくザビ家はガルマしか誅殺できてない?あと軍人が民間人にフェンシングでドロー?なのはどうなのよ
・ララァが民間人だったらサイコミュ開発まで早すぎる気がするムラサメ研って初代からだっけ?
・ジオンに政治家とかのサブキャラがいないせいかザビ家の物語になってる。共和国から影薄かったりぽっと出ばかりになっちょる。
・ガンダムがジャベリンやハンマーやナパームを使った場面は思いつかなかった。あと合体変形も。
・ゴップが無能ムーブしたのは?別にそれでWBが危機に陥ったりはしないのか。
こんな感じか。
ゴールド聖闘士と十二支の数が同じなので、それらが十二支のレースをやる。
カツレツキッカがハヤトを虐めていると、アムロがそれを助ける。
竜宮コロニーに向かうと、乙姫のララァを筆頭に新旧女性キャラがいて楽しい歌と踊りを披露してくれる。(ルナマリアのみキャラソンを歌わないくだりがある)
サイコフレーム型玉手箱をもらい地上に帰ったアムロが開けてしまい、白鳥になって空へ消える。
島田荘司の小説を読めずに飢えている少年マガジン読者たちのために自ら焚き火に身を投げ捨て自分を食べてとキバヤシは言うのだった。
まだ現実がここまで追いついていないので見れませんが、いつかみたいですね。
出渕が山へ芝刈りに、伊藤和典がまんが画廊へ行くと北海道からメガネがどんぶらこどんぶらこと流れてくる。
そのメガネから生まれたメガネ太郎ことゆうきまさみがアニメ化のために鬼と戦うことになる。
パトレイバー団子で、横手美智子、川井憲次、犬らを仲間にする。
しかし、パトレイバー団子を食べた犬の自意識は肥大化し、劇場版で主人公たちが殆ど出なかったり、しょうもない続編小説を書いたり、実写版であんなことしたりと、鬼以上の非道を働くのでした。
っ「ゼラルダと人喰い鬼」
食べるのが!!!!
そこに、郊外の農場暮らしのゼラルダが、市で作物を売るためにやって来ました!!!!!
人食い鬼はルパンダイーブで襲いかかりますが、足を滑らせてすってんころりん!!
実は料理上手なゼラルダ!
人食い鬼の応急処置をし、ついでに売り物を半分も使って、おいしい料理を作ってくれました!!!!!!!!
豚と鶏の丸焼き、マスの燻製ケイパー添え、カタツムリのニンニク・バター漬け、オランダガラシのクリームスープ、etc..
そのあまりの美味しさに、最近はキャベツとじゃがいもしか食べてなかった人食い鬼はメロメロ!!!!!
人食い鬼達のパーティがあれば、プロ級、いやもはや普通にプロの料理を振る舞います!!!
ガチョウのレバーのパテ・パイ皮くるみ、きのこのジェリー・仔牛のカツレツ乗せ、ポンパーノ・サラ・ベルンハルン、七面鳥の丸焼きシンデレラ風、チョコレートソース・ラスプーチン、果物の砂糖漬け・レディーフィンガービスケット・アイスクリームケーキ、etc...
こうして人食い鬼は人を食べるのをやめ(!!)、しかもゼラルダとの間に愛が芽生え(!!!!!!!!!!!!!!)、二人は結婚して子供も生まれ幸せに暮らしましたとさ(ハァ????????????????????)
一月三十日(土)
彼女とオンラインデートで映画を見た。外出できないのは残念だが、緊急事態宣言下なのでやむを得ない。妹は毎週のようにテニスに、父はコンサートに一度だけ行っているので自分だけ自粛するのはやや釈然としない。なるほど、こういう心理的な機序で自粛警察が生まれるのだな、と一人納得している。しかし、彼女と一緒に過ごせば当然食事をしてマスクを外すわけで、二人に比べれば自分のデートのほうが感染を広げてしまうリスクは高い。彼女に移してしまう恐れまでもある。それに、ズームを使ったデートは自宅で一緒にだらだらしているみたいで、これはこれで楽しい。テレワークもできるだけ利用しつつ、感染の終息を願う。
一緒に観た映画については、プロットが甘いという点で二人の意見が一致した。二人が好きなものが一致するのは大切だが、嫌いなものが一致するのも大切で、むしろ後者のほうが重要かもしれない、と聞く。
ところで、この映画が気に食わないもう一つの理由が、かつて一緒にデートしたが結局おつきあいできなかった女性と見に行った映画だからだ。今の彼女とその映画を見たので、なんというか怨念が成仏した(自分が提案したわけではない。見たのは彼女がずっと気になっていたからだ)。他にも、別の女性と一緒に行った場所に彼女を連れて行っているので、記憶の混同がないように綿密に日記をつけないといけない。
さて、彼女についてだ。彼女はおっとりしているというか善良というか、自分がぼんぼんである以上にお嬢様な感じがする。映画があまり好きじゃなかった、思っていたのと違った、というときにも言葉に棘がない。そういわれるとなんだか一緒に笑えて来てしまう。以前は、もっときびきびした女性と付き合ったほうが楽しいのではないかとも考えていたのだが、結局そういうタイプの女性とのデートは長続きしなかった。鋭いタイプの女性は自分のことを優柔不断でまどろっこしいと感じるのだろうか。学生時代に憧れていた女性もそういうタイプだったが、結局振り向いてもらえなかった。
ここまで書いて、そういえば自分と長くデートしてくれた女性は全員山羊座だった気がして確かめてみたのだが、確かに一番多いのは山羊座だった。でも、他に十月生まれとかもいたので、自分の記憶違いであった。
彼女はとても真面目で物事を真剣に考えてくれる。真面目だから、セックスは結婚した後がいいと言う。彼女がそう思うならそれでいい。もっとも、神様に真面目な彼女をお願いしたとはいえ、ちょっと真面目過ぎやしませんか、と感じる日もないではない。自分が何をおかずにオナニーしているかがばれたら困惑させてしまうだろう。
一月三十一日(日)
今週もジョギング。先週と比べればずっと暖かい。今年の冬は年末年始が一番冷え込んでいた印象がある。一番寒い時期を半袖にウインドブレーカーを羽織っただけで乗り切ったので、ウエアはしばらく買い替えなくてよさそうだ。単純に買い物が面倒なだけのことだが、気温の変化に対する抵抗力がついたかもしれない。もっとも、半袖のウエアがボロボロになってきたので買い替えろと家族には言われている。夏からずっと着てきたのだから無理もない。
寒さは平気だと言ったものの、北向きの自分の部屋の寒さには参る。温度計の示す温度の割にコンクリートの壁から冷気がしみ込むので体感温度が低い。低温下で運動するよりも、少し冷える部屋でじっとしているほうがずっとつらい。ジョギングは真冬でも汗だらだらになるのに対し、部屋では布団をかぶっていたくなるほどだ。
そういえば、先日の日記でTENGAを購入しても紙袋がもらえないことについて言及したが、今週は試しにコンドームを一緒に購入した。やっぱり袋はもらえない。予想はしていたが、環境を守る方向に本当に強く舵を切ったのだなと感じた。
ジョギング帰りに近所の公演の傍を通ったら工事をしており、見通しの悪い茂みが刈り取られていた。小さい頃はそこに隠れて遊んでいたものだが、不審者が出たのだろうか。遊具も随分と安全なものになった。金属製からプラスチック製になり、九十度近くあった滑り台の角度もずっと緩やかになり、むやみに飛び降りられる個所もなくなった。
二月一日(月)
最近韓国料理を口にしていない。原因の半分はテレワークで、もう半分はなじみの韓国料理屋の混雑だ。昼休みの時間はそれなりにあるが、寒い中店の外で待たされるのは面白くない。もう一年ぶりくらいになるだろうか、かつて通っていた韓国料理屋を訪れたが、やはり数分待ちだという。別に五分程度なら待っても構わなかったのだが、少し行ったところに別の韓国料理屋があることを思い出したので、そこに行ってみた。久々の新規開拓だ。石焼ビビンバはおいしかったが、やはりタンパク質が不足してしまう。そういうわけで、本日の間食はベビーチーズとした。
で、会計をしようとしたら財布を職場に忘れていたことに気づいた。荷物を店に預け、職場まで戻る羽目になった。なお悪いことに、エレベータの定員が三密回避のため少なくなっており、いつも以上に行列ができていた。確かに毎朝九階まで階段を使っているのだが、昼休みが終わるまでに往復しなければならないため、いつもよりも速足で昇らされることとなった。やれやれ! しかも午後の仕事は十二階でだった。
帰路、職場前の書店をのぞくが、目当ての漫画の欲しかった巻がない。アマゾンで頼むべきか。実は、朝一番で書店に足を運んだのだが、新型コロナのせいか開店時刻を遅らせていたので、書店に向かったのは二度目。どうも今日は間の悪い一日であった。電車が少し遅れさえしたし。
今週は新しい韓国料理屋のプルコギ、カレー屋、ビーフカツレツ屋を開拓しようと思う。筋肉食堂も気になっている。夕飯はおでん。
現時点で、国際語となっている英語には、すでに多数のバリエーション(つまり方言)が存在しているのだ。イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語が違うことはよくネタにもされるので普通に知っているだろうが、英語を母語とする話者が一定いる地域が誕生すればそこには必ず方言が誕生するのだ。仮に日本が公用語を英語と定め、数世代あとに日本人が英語を母語とするようになっても、気候、歴史、文化等々が他とことなるこの地で話される英語は必ず「日本的英語」、ジャパニーズイングリッシュ、英語の日本弁になってしまうのだ。つまり「統一」など最初からできないのだ。(そして、極めてリアルに想像すれば、方言である「日本的英語」は、英語話者の中では、おそらく社会的に差別される方言になるのだ。日本でも、方言話者がどのように扱われるかを見れば、それは簡単に理解できるのだ。)
なぜなら、言うまでも無く、日本という地や文化、歴史等々についてこれまで書かれた文献はそのほとんどが「日本語」で記されているのだ。日本に住む者にとって極めて重要な情報源のほとんどが「日本語」なのだ。にも関わらず、それらの文化的リソースを、数世代後の我々の子孫はそれを母語レベルで理解することができなくなってしまうのだ。これはものすごいロスなのだ。もちろん、「その代わりに膨大な英語圏に関する文化的リソースを手に入れられる」じゃない?と反論したいのだろうが、それは怪しいのだ。なぜならば、言葉と文化はセットだからなのだ。文化的な背景、自然、文物に対する理解がない中で言葉だけを習得しても、それは月面で育つ地球人のようなもので、言語的文化的資産の十全な継承などおぼつかない、それは単に「全く新しい文化を一から作る」のとほとんど同じことなのだ。それは「古文・漢文」がかなりの割合で読めなくなってきている現代の日本が抱える問題でもあるのだ。
移行期間といっても、切り替えるだけなら実はそれほど時間はかからず、おそらく数世代で完了するのだ。上で触れた「文語→口語」の切り替えなど、一世代もかからなかったのだ。つまりそういうことは大した問題ではないのだ。ただ、その先に誕生するのは、上で述べたように「日本語的英語を使い、英語文化のバックボーンはなく、かつ過去の自分たち自身のリソースへのアクセス力までも失った、新しい文化を一から創出しなくてはならない1億人」なのだ。人口1,000人の小さな島で起きたことなら、その悲劇を理解する人すらやがていなくなるだけで終わるだろうが、世界に大きな影響を与えるそれなりの規模の国家で行ったらどうなるか、想像するだに悲惨なのだ。まあ、日本が没落することで喜ぶ国があるとすれば、その国にとっては喜ばしいことなのだ。
英語が公用化された第一世代は、日本語が入り交じった、たどたどしい英語を使うのだ(これを「ピジン」という。)一部の人は、留学などを通して「正しい英語」を身に付け特権階級化するが、だいたいの人はピジンの方を使うのだ。そうして次の世代になると、最初からピジンを母語として使いこなし始めるのだ(これを「クレオール」という。)上の方で、日本の公用語を英語にしても、使用されるのは「日本語的英語」になる、というのは、つまりこの「クレオール」のことを指しているのだ。
たとえば「洋食」。カツ。カレーライス。いずれも食のクレオールなのだ。仮に「正しいカツレツとは○○である」とか「カリアー&ライスは一バリエーションであってそもそも英国式はカリアースパイスドシチューだ」みたいな蘊蓄を並べて啓蒙しようとする人がいても、残念ながら世間では「かつ丼」やら「カレー」が登場し、オリジナルの「カツレツ」や「カリアー&ライス」とは全く別の料理が定着し文化になってしまうのだ。かつ丼もカレーもうまいから仕方ないのだ。言語でも、それと全く同じ事が起こるのだ。仮に最初に一所懸命カツレツを作るフランス料理人を招いて教えてもらったところで、最終的に定着するのは「かつ丼」なのだ。従って、「日本語を廃して英語を公用語化しよう」なんて主張しても、「日本の食を全て『フランス料理』にするために和食を廃止する」ことにはならなくて、単に「日本の食を全て『かつ丼』にするために、和食を廃止する」みたいな訳分からないことにしかならないのだ。そもそもかつ丼がうまいのは、和食がうまいからなのだ。つまり本末が七転八倒なのだ。
ここまで書いて何だが、元ネタの話に戻るなら、結局「言語は滅ぶもの」なのだ。これは避けられないことなのだ。日本語だって、10年前と現在ではかなり違うのだ。むしろ、言語は日々滅びており、そして日々滅びることをやめたとき、言語は「死ぬ」のだ。方言が生まれるのも、見方を変えれば「標準語の滅び」だし、方言が消えるのも、見方を変えれば「標準語(という新たな方言)の誕生」なのだ。そこに貴賤はないのだ。だから、言語学者は「言語が滅びてはいけない」というような価値判断をもって言語に向き合うべきではないのだ。もちろん、自分が研究対象としていた言語の話者が絶滅したら途方にくれるのは理解するが、それは文化史論的な見地から言うと、一つの現象に過ぎないのだ。たとえば、関西では最近TV等の影響もあり、日常的にかなり関東風のイントネーションで話す姿を多く見かけるようになってきているのだ。これは、一種の「滅び」でもあるし「誕生」でもあるのだ。なのに、「滅び行く関西弁を守れ」とか言い出したら、それは愚かなのだ。そういうのは、たとえば生物多様性が失われる……といった話とは全く違ってただの懐古厨なのだ。そのあたりを勘違いすると、元ネタの言語学者のように妙なエッセイを書き散らすことになるのだ。
日本語廃止論への反論は、上に書いたように政策的にマイナスであり、そして現実的にも不可能だという話に尽きるのであって、「滅び行く言語を守れ」みたいな感情論に落とし込んではいけないのだ。感情論は現実の利の前には極めて無力なのだ。
低温調理ははっきり言って不味い。Anovaがレストランの味とか言ってるやつが結構いるがそいつらは味覚障害持ちかレストランといえばデニーズやジョナサンだと思ってるような輩だ。柔らかいのがいいなら豆腐でも食ってればいい。結局これはどうにかして胸肉を不味くなく食う方法であって、美味く食う方法ではないんだ。この点に関しては完全に増田に同意する。
そんな俺だけど最近すごく美味い胸肉の調理法を発見したから教えてやろう。ポイントというか基本的な考え方はこうだ。「胸肉が固くてパサつくのは避けようがない。だったら固くてパサパサでも美味く食える調理法・料理にする」
固くてパサパサなら不味いに決まってる?そんなことはない。例えば豚もも肉。もし塊を加熱してそのまま食ったら固くてパサパサで食えねえだろう。でも豚ももはスライスして調理したり、あるいは塊のままチャーシューとかにしても薄く切って食うことがほとんどだ。つまり、「薄く切って伸ばせば固くてパサパサなのは気にならない」ってことだ。むしろ硬さがあるからこそ豚バラ肉や鶏もも肉には出せない肉感が出て美味いんだ。
さて、それを踏まえてのベスト調理法は「カツレツ」だ。胸肉はそぎ切りにしたり観音開きにしたりしてとにかく薄くしろ。できれば叩いて向こうが透けて見えるかなんなら穴が開くくらい伸ばせ。俺はここから塩コショウして白ワインに浸しておくが、なければ日本酒とかでもいいだろう。面倒くさければ多分何もしなくても平気だ。この状態で十分くらいおいたらあとは衣つけて揚げるだけ。くれぐれも丸めたりするなよ。薄いまま揚げるんだ。伸ばしたからほんのちょっとの量でも成人男性の手のひらより大きくなるだろうからフライパンを使うといい。揚げ焼きでもできるが揚げちゃったほうが上手くいく。肉が薄いから長時間揚げる必要はない。衣に軽く色が付けば十分だ。こだわるなら衣にパルメザンチーズや刻んだパセリを混ぜてみてもいいが、そのままでも十分美味い。
他にも薄く切った胸肉を炒めたりとかソテーしたりとかピカタにしても美味いんだとは思う。ただ正直カツレツが美味すぎて他の料理にチャレンジする気が起きない。もし別の料理にチャレンジした人がいたらぜひ結果を教えてくれ。
ただ、最後に一つ注意だ。この調理法は胸肉を美味く食うための調理法であってタンパク源として効率よく量を食うための方法ではない。薄く伸ばすから子供のこぶし大の胸肉でも十分満腹になる。タンパク質が食いたきゃプロテイン粉でも食ってろってこった。まあ逆に超節約メニューであると言うこともできるけどな。