はてなキーワード: エポックとは
参加したいけれどフォロワーろくに居ないwし、twitterで人気あるデジタルゲーじゃないし、140字じゃまともに語れないしでこっちでやってみる。
人生初SLGだった『連合艦隊(バンダイ)』と迷ったけれど、次にハマったこれに。ややこしいシステムになりやすい空母戦を未確認マーカーと誤認チットを使った索敵、十字型のマスに船を配置して陣形の効果を表現するといった簡素でツボを突いたシステムで表すことに成功していた。デザイナーの鈴木銀一郎氏がTacticsに寄稿したデザイナーズノートもよかった。戦闘参加者の手記の記述から、指揮官が彼我の相対速度を下げて自分が撃たれるのを覚悟で必中を狙ったか(敵味方の被害大)、逆に撃ち逃げしたか(〃小)を分ける必要に気づいて攻撃結果表に組み込んでいく制作プロセスの説明は、シミュレーションゲームのなんたるかを教えてくれた。
野球シミュレーションカードゲーム。各選手ごとにその年の成績から状況別の確率計算で求められた打撃結果パターンと守備力が書かれたカードになっていたが、これは当時手に入る中では最高の野球ビッグデータ集で、数字を見ているだけでも飽きなかった。試合は1打席ごとにサイコロ2つ振り、1・1~6・6まで記された打撃結果番号をランナー別に分かれた結果表に当てはめて打撃結果を求める(時には守備や投手の能力で結果が変化する)。一試合30分で教室の机の上で出来る手軽さから友人達と担当球団を決めてペナントレースをやったりしたのはいい思い出。それをきっかけにパリーグファンになってやがて近鉄合併反対運動に参加するまでになった。今もやきうオタです。
説明不要。多数の要素が(時間差をおきながら)影響を与え合うことで生じるマクロの不断の変化の表現に衝撃を受けてノート取りながらプレイしまくった。やがて「エージェントベース社会シミュレーション」なんてテーマを修士論文のネタに選んだのは間違いなくこいつのせい。
郵便(手紙)を使って数千人がかりで一年掛けてプレイする前Web型のMMORPG。一ヶ月1ターンで自分の行動を主催に送ると、数千人の行動の絡み合いの結果どんな事件が起きたのかが短編小説形式で返ってくる。あくまで自分のキャラの視点で書かれたものなので、他のプレイヤーと情報交換が必要になるがそれが事実とは限らない。来たるべきネット社会を幻視させた予言的なところさえあった。実際2ちゃんねるもそこでの様々な騒ぎもデジャビュを感じたくらい。Web社会論や集合知論なんかの議論に参加する下地を作ってくれた。メイルゲームとのファーストコンタクトの『N90蓬莱学園の冒険!(1990年)』と迷ったが、N90は他に挙げている人がいたんで個人的に楽しめたこちらを。
その期間ってかアニメって基本的にエポックメイキング同士の間ってあまり語られんよ。ヤマトとガンダムの間とか、ガンダムと攻殻機動隊の間とか、攻殻機動隊とエヴァの間とか。で、エヴァの次にエポックを作ったのがハルヒだったってこと。
んで、エヴァ(95)とハルヒ(06)の間に何があったかっていうと色々あって、
とか。
個人的に思い入れが深いのが少女革命ウテナ、カウボーイビバップ、スクライド、カレイドスター。
少女革命ウテナは男装少女が奇妙な学園で戦う話なんだけど、人の心の暗いところをぐりぐりえぐる話。今でも熱狂的なファンがいる。
カウボーイビバップは太陽系を舞台にしたSF×マフィアもの。良質な洋画みたいで話も絵も超ハイクオリティ。
スクライドはなんていうか考えるより感じろ的な熱血アニメ。とにかく見てみろ。
カレイドスターは土曜日朝の女児向けアニメなんだけど、そのまっすぐさが眩しいスポ根話。
ハルヒ以前に何もなかったと思うってことは相当若いんだろうけど、エヴァ以前も相当面白いアニメが山盛りなので、ぜひ色々観てみてほしい。
シックスハートプリンセス(6HP)に関する備忘録
https://anond.hatelabo.jp/20170925233933
アニメ業界の事を語るのもなんだけど、ネットフリックスがアニメ現場に資金を提供して
ギャラが上がっているような話をちょっと前に聞いた。
クリエイターがギャラを得ながらキャリアアップするのがにほんでは難しいので僕はアメリカに逃げた。
現代美術は海外ではオークションのマーケットがあり何倍にも価値が変わるが日本では悪とされる。
そのアートに何億の価値が本当にあるのか。様々な要素が価格を決める。
ここだけの話なんだが、
「透けとる」→「透けとるん」のアナグラムが元になっている。
これを考案したのが大阪の「大木製作工業」という町工場で、ポリカーボネート樹脂を世界に先駆けて家電製品に使用した知られざるエポックメーカーだった訳だが、最初のスケルトン(今で言うトランスルーセント)製品がボールペンだったことが、この件を知られざる豆知識にしてしまった。京都の文具メーカーからのOEMだったわけやね。
大阪と京都の民族性というかトライブっちゅうやつや。どちらの府のメディアにも取り上げられることは無く、歴史に残ることも無かったと。流行の考案者と、それを世に出した者が違うと噂は広まりにくい。なんせ名前が2つあるから、記事にしたときの見出しがパッとしない。
そういう訳だが、いい機会だったので「スケルトンの発祥は日本の大阪なんですよ」ということを改めて書いてみた。今度トリビアの泉にでも投稿してみてください。
現代美術家村上隆が監督するテレビアニメシリーズ(全15話)。
現在は1話のみ完成、MXTVにてバージョン違いで何度か放送されている。
俺の記憶では、村上隆がルーブル美術館に作品展示した頃(注)に、プリキュアもどきのショートアニメを作成したのが大元。
2011年3月頃からテレビアニメとしての制作を始め、途中3DCG版1話が完成するも出来に不満でお蔵入りにして作り直し、
2016年12月30日にMXTVでアニメ版が初放送された。この時アバンタイトル部分はアニメが間に合わず紙芝居方式だった。
アニメ30分に対し、村上隆はじめスタッフインタビュー30分という反省会がついてきていたのが現代アート。
その後、2017年の前半にお蔵入り3DCG版と反省会アートNewを放送。
そして、2017年9月24日に、アニメ版のアバンタイトル完成バージョン+反省会アートNewを放送。
俺は村上隆は嫌いだが、なぜだか縁あって3回とも(3DCGのときはインタビュー部分のみ)見てしまっているので、
オタク界隈で6HPについて触れている記事も少ないこともあり、いずれ忘れる自分のために語っておかなければならないと思う。
今日はMXTVのエムキャスで通知が来て視聴したが、予約したことすら忘れていた。レコメンドだとしたら優秀。
http://kai-you.net/article/36689
『6HP/シックスハートプリンセス』は、2010年にヴェルサイユ宮殿で開催された村上隆さんの個展で上映された短編映像『Six♡Princess』にはじまり、コスメブランド・shu uemuraとのコラボ商品発売やコスプレパフォーマンスステージに至るまで、さまざまな媒体で展開されてきた。
仁義八行のうち多分6つが猫側で2つが犬側、キュウべえ風の猫が魔法少女にならないかと語りかけてくるけれども本当は
6HPが完成しないのは、滝沢馬琴のライフワークだったことと重ねて敢えてやってるのだとしたら、スタッフお気の毒様ですとしか。
【アバンタイトル】
雪原、廃墟のビル群やタンカーが点在する中、仮面の女型巨人が現れる。
人類軍の多数の空中戦艦などから無数の有人機械が投下されガトリング攻撃。
また攻撃機より発射された巨大ミサイルが連続して頭部直撃。(エヴァ旧劇弐号機vs戦自)
ピンク巫女が弩(いしゆみ)でワイヤーネットを打ち出し拘束、黒巫女が大砲(おおづつ)で頭を吹き飛ばし仕留めたかに見えたが
女型巨人は形状崩壊し肉塊触手状になり2人を飲み込む。(AKIRA鉄男暴走、もののけ姫乙事主タタリ神・シシ神崩壊)
いつのまにか集まり見守っている猫(月猫族)と犬(土犬族)。
肉塊から再生した女型巨人のパーツに巫女から奪った勾玉が2つ追加される。(8つの設置穴に対して6つ揃った様子)
「こんな形で揃ってしまうとは…」「お願い、目覚めて…」犬か猫かの声。
【タイトル・OP】無し
【Aパート】
現代日本ではない、ちょっとレトロな異世界日本の学校、十牛図の授業中。
主人公(ハルカ?ピンク)授業中ぼーっと外を見ているところ先生に叩かれ一瞬のフラッシュバック。
友達子(黒)に鮮明な夢を見ると相談、紙に描いた風景を見せ、文化祭で2人でコレの劇をしよう。
昼、学食のスイートポテトサンド売り切れ落胆、男子から貰う貰わないのやりとり。
「罪獣(ザイジュウってたぶんこう)をハートプリンセスがまたやっつけたんだって」新聞を見せながら食堂で話している女生徒たち。
聞いていた主人公が講談調で割って入る。「なにそれハルカ劇場?」と言った女子(3人目青)に、
主人公学校からの帰路、雰囲気のある町並み。風景は今期で言うならメイドインアビスに近い。
(※ネコ科動物はカギ型の爪のため爪がよくひっかかる木登りは得意、反面降りるのは爪でブレーキをかけることができず苦手、
森の中で暮らすマーゲイは後ろ足の自由度が高いため逆向きに爪を立てて上手に降りることができる。)
【Bパート】
主人公自室、夜。月猫族の仁(ジン)からハートプリンセスにならないかと誘われる。
月猫族は悪い土犬族から珠を守っている、といった説明を主人公は理解できなかったがハトプリになれると深く考えずに契約してしまう。
翌日、友達黒と劇のロケハン。動かない風車の丘、レトロ電車、無数の鳥居でつながった沖の小島にある神社(フセミ神社?伏見稲荷と伏姫)。
神社ついてすぐ主人公がトイレに行っている間に社殿が変形して罪獣になる。目玉はカイカイキキぐるぐる。
こっそりついてきていた仁から圧縮伝心で変身方法を伝授され変身バンク。
村上隆、ロシア出展用の作品(詰めの作業中でアーティスト動いてる)の前でインタビュー。
昨年12月30日の放送版はアバンタイトルがアニメ間に合わず紙芝居だった。
今回の見どころはアバンタイトル部分が完成したところ。
アニメ業界の事を語るのもなんだけど、ネットフリックスがアニメ現場に資金を提供して
ギャラが上がっているような話をちょっと前に聞いた。
クリエイターがギャラを得ながらキャリアアップするのがにほんでは難しいので僕はアメリカに逃げた。
冒険的投資ではなく寄らば大樹の製作委員会方式。
現代美術は海外ではオークションのマーケットがあり何倍にも価値が変わるが日本では悪とされる。
そのアートに何億の価値が本当にあるのか。様々な要素が価格を決める。
リーマンショック後はアートが投資投機対象、アート(エコノミー)アナリズム。
話が散らかってきたので
金回りが悪い、ということと戦ってきた俺なので、アニメの方もなんとか金が回るような形で作っていけたらな。
というような内容の長文の意訳テロップが流れ、アニメと金の話は締め。
アニメの製作ははじめは細田守さんに頼んだりしたけれども毎回頼めるわけではない。なので作った。
2011年3月くらいから作り初めて、ここまで6年半で1話完成。3DCG版で完成したものをお蔵入りにしたことも。
オーガニックにゼロからスタジオ立ち上げると土から作らないといけないので時間がかかる。
2話に取り掛かっている。アニメ業界人にも手伝ってもらってる。
スペシャルサンクス的にお世話になったスタッフ・会社の紹介とインタビュー
主要スタッフ
世界観設計のJNTHED
シリーズ構成・脚本 中川大地(PLANETS編集長・彼女募集中)
外部協力
事情で名前は言えないが、昔から憧れていた某アニメーターに1カットだけ描いてもらった
アバンタイトル、人心が荒廃して世界が滅ぶみたいな内容の現代熟語も使った擬古文の世界観設定が、三石琴乃ナレで流れてくるが、
崩壊世界らしくボソボソとした調子なのにSE音量高くてさっぱり頭に入ってこない。年末紙芝居版は文章が文字で出ていた。
本編、普通のアニメ文法に慣れていると主人公の行動・心の動きになかなかついていけない。
天然の主人公、とか鮮明な夢の事に気を取られてぼーっとしている様子を表現しているんだろうが、トゥーマッチで支離滅裂・
意思疎通困難な人間に見える。セリフやアニメの動きが古かったり、1シーンごとに不要なおちゃらけを入れるのもつらい。
で、何がつらいって普通のテレビアニメだと続く話を見ていくことでアホで棒なサーバルちゃんは素直でポジティブで良い子なんだ
って納得できるわけだけれどもこれ次はいつなんだって話ですよ。何度も繰り返される1話、俺の中でピンクは奇人としての地位を
確立しつつある。助けてまどか。
平成二ケタ代前後に起こった、エポックメイクな曲が巻き起こしたムーブメントと、そこからの流れについてきちんと時系列で語ってた。
ガールズバンド全盛の今とかラブライブのアレとかのムーブメントにつながる流れの大元にある楽曲の紹介として、けいおん!のアレとかハルヒのギターとかあるとかきちんと説明してた。
テレビの地上波の番組なのに、信じられないくらいわかりやすいし、アニソン特集にありがちなドラえもんとか北斗の拳とかハイジとか、いわゆる一般人もみてたアニメ懐メロに逃げず、ここ10数年のアニヲタが通ってきた道とそこにあったアニソンをとうとうと説明してた。
正直、俺氏は嬉しさで涙がでてきたとかでてこないとかいうくらい、素晴らしい番組でした。
この二三年ちょっとばかし忙しくて、アニメから離れてて最近の知識はまるでなかったんだけど、けものフレンズ以外で取り上げられたアニソンは全部聞いてきたやつだったもんで、十分話についていけて楽しかった。
これまで地上波でのアニソン特集番組は、アニメやアニソンを常にメジャーラインの下にみてきたというか、ヘンテコな利用法をしようとするためにわけのわからない誰が面白いと思うのかというダイジェスト編集番組しかなかったものが、ここにきてまさかの完璧なアニソン歴史解説みたいになってて、正直夢でもみてるんじゃないかとおもったわー。
基本的にはこれまでの各種オープンワールドゲームを良く研究したうえで良いとこ取りをした総集編みたいな感じではありますね。
その上で、誰もが思いついたであろうが、調整やマップデザイン、ゲーム進行上の都合で実現できなかったであろう「ほぼどこでも壁登り」をゲームメカニクスの前提としたうえで、マップデザインから、各種 POI の配置まで再構築し、しかも滅茶苦茶高いレベルでやりきっているところがエポックだなーと感じます。
単にシステム的にどこでも登れるようにしただけでは、デバッグモードで遊んでるようなもので、攻略もクソもなくむしろ面白さを削いでしまう結果にすらなりかねないと思うんだけど、それを恐らく「300人での通しプレイ」を通じて、徹底的に磨き上げたんだろうなあ。
かつて時オカで、初めてエポナに乗ってハイラル平原を駆け回った時、ただ馬に乗って走り回っているだけなのに何でこんなに楽しく気持ちいいんだ!と感動したものだけど、今作では起伏に富んだフィールドをうろちょろしているだけでもなんかアスレチック的な楽しさがあって、意味もなくあっちを登っちゃこっちを登っちゃしたくなる。地形とのインタラクションのレベルが尋常じゃない。
マリオもクリボーとかノコノコとか敵も出てきますが、実は8割くらいはあれ、地形とのインタラクションですよね。敵の存在は、そこに加わるスパイス的なものというか。やっぱりファミコンの時代からそこを長年やっているという地力の部分が、出てるのかなあーと思います。
(グラビティデイズとかも、重力を操ってどのようにでも動けるのって、システム的には目新しいんだけど、「新感覚」レベル止まりと言うか、ギミックどまりというか、マリオ64に感じたような、動かしてるだけでなんかわからんけどとにかく楽しい!というところまで到達してなかったなー、って余談)
これを一回体験しちゃうと、例えば Fallout の移動とか、非常に平坦な "作業" で、なんてダルいんだと感じてしまうのではないだろうか。(いや、Fallout は好きですよ!)
今作を持ってアクション系オープンワールドの水準は完全に一段上がってしまったので、これからこのジャンルのものを開発するデベロッパーは、かなりしんどいんじゃないかなあ。しかもそれが、単にシステム的に真似ればいいってものじゃないところがまた大変。がんばれがんばれー!
褒めるばかりではアレなので要望も書いておくと、ウチでは Switch 入手できなかったんで Wii U 版やってますが、セーブがアカウントごとに1つってのがね、めんどくさい。俺もカミさんも子供たちもみんなゼルダハマってるので、交代するときにイチイチ Wii U 本体のアカウント切り替えまで戻るの、すごいダルいんですよ!
アカウント切り替え後にまたソフトを起動するのでロードが入って、コレの待ち時間がもう全くのムダ! 普通にセーブデータ複数作れるようにしてくれれば、タイトルに戻って自分のセーブデータをロードするだけで済むはずなのにさあ!
任天堂はわりと 3DS なんかでもセーブ1コだけってのが多い (ポケモンとかな) ので、この辺はホントどうにかして欲しいなと常々思っております。
あと Switch 版と Wii U 版あるので、欲を言えばソニー的なクロスセーブ的な仕組みもあったら嬉しかったですね。いやまあ Switch 自体が据置であり携帯機であるので、PS4/Vita のような役割分担にはならないんだけども、今もう Wii U 版で始めちゃってるので、あとで Switch 入手できても移行できないなーって。Wii U → Switch への一方向引継ぎだけでもあったら嬉しかったなあ。まあ完全に個人的かつ贅沢な要望ですが。
そんな気がしてきた
CGが雑って言われてるけど
よく見るとけもフレのCGはほとんどのカットで横から顔を見た時に口が輪郭の内側にある
/ \\\\\ / ● 川 フ 川
こうなるところが
/ \\\\\ / ● 川 \▽ 川
こうなっている
これはイラスト、特に萌え絵だと主流の表現だけど3DCGでは苦手な部分で
ラブライブやアイカツなんかのCGでも基本的に後者になっている
https://twitter.com/mozuya_/status/754632259559264256
商業作品で、しかもフル3DCGのテレビアニメでこれをやってるのは初めて見る気がする
そもそもフル3DCGアニメとおえばバトルやアクションが主流なのに
意外とこの作品は日本のセルルック3DCGアニメの歴史の中でエポックな作品として位置づけられる可能性を秘めているかもしれない
2008年、僕はその世界に恋をした。
そう、あれは今から8年も前のことで、僕はまだ大学生だった。軽い気持ちで入ったオタサーに所属しており、新作アニメで目についたものを、取り敢えず視聴するのを習慣にしていた。それらの内容について、サークルメンバーとうだうだ語るのが日課だった。とはいえ、ぬるま湯めいたモラトリアム生活にそろそろだれ始めたまさにその時、破格のアニメ、既存の枠組みをぶちこわすような、エポックで世界観をもったアニメシリーズが放映され始めて、僕は瞬く間に虜になった。アニメ一期の遥か前からOVAや企画などの展開があって、物語の背後にとてつもない情報量を含んだ異世界が広がっているのを知って、沼にはまり込むようにその世界へ沈んでいった。DVDを買い、マンガを買い、小説を買い、ゲームを買い、記事の載っている雑誌を買い、ドラマCDを買い、同人誌を買い、SSを読み、ラジオを聞き、イベントに足を運んだ。絶叫上映会で吠えた。自分がこんなに深く、何かに夢中になれると初めて知った。
就職活動をして、社会人になり、いつの間にか新作アニメを追う習慣が失われていっても、そのアニメに対する想いは失われなかった。劇場版やライブイベントに、欠かさず足を運んだ。声優イベントや歌手のライブやアニメ会社のイベントもだ。補給が何度か途切れそうになっても信じて待ち続けていた。だからイベントで、テレビアニメの第3期制作が発表された時には狂喜乱舞して、夜、サイゼで仲間と祝杯をあげた。
1期、2期、劇場版、OVAと違って、今回からは新キャラたちの物語になるのだけれど、大した問題ではなかった。もう一度あの世界がテレビで観れる、と考えるだけで多幸感に満たされた。 第3期の第1話はまず先行上映会で観た。少し引っ掛かる部分はあるにはあったけれど、その場の興奮や、長い時間を経てようやく新作を観れた感激が、不安を押し流した。先行上映会の帰りに、アニメショップで即座にBDを予約した。第1巻にはイベント参加チケットも付属していて、早めに予約しないと参加券が無くなるという危惧もあった。 その後、第1話をとうとうTV画面で観ることになり、少し引っ掛かっていた、違和感めいたところが更に目立つようにはなっていたけれど、それでもまだ、この世界をもう一度TVで観れたという喜びが上回った。録画を何度も視聴し、次回を待つのは幸福な時間だった。
その1週間後、第2話が放映され、地獄に叩き落とされるまでは。
第2話の大半を占め、物語全体でも重要な転機となる戦闘シーンが、正視に耐えない代物だったのだ。いまや流行りのアニメを多少追うくらいの超ライトオタクに過ぎない自分が、耐えられないほどの惨状だった。1期、2期、劇場版、OVAと、8年続いてきた映像の魔法が、一夜にして解けたようだった。海面は水色の板になり、艦船は書き割りになり、航空機は張り子になり、キャラクターは棒人形になった。画面を覆っていたのは、僕を釘付けにした踊るようなキャラの動きではなく、素人でも稚拙と分かるCGの人形遊び、ハリボテの継ぎはぎだった。これがいわゆる「作画崩壊」ならまだ救いはあった。円盤での修正に望みを繋げばいいのだから。でも、そこには欠片の希望も残されていなかった。CGでボロを出さないようにするためだろう、一定の距離を置き続けた、単調で臨場感皆無のカメラワーク、物語や世界観や戦いのリアリティを根こそぎ崩壊させるコンテがそこにあったからだ。万一円盤に修正が入ったとして、コンテから切り直されることはないだろう。
そこからの1週間は、うってかわって、処刑を待つような気分で過ごした。まともな第2話が放映される夢を2回見て、2回とも、目覚めた後、激しい悲しみに襲われた。そうして迎えた3話は、ストーリーに集中することさえできなかった。前話のことは何かの間違いだったのでは、と、祈るような気持ちで画面を見つめ、もう一度裏切られた。戦闘シーンに移るたび魂が削られ、どうかもう日常だけ映していてくれ、と思った瞬間に、突然、反射的にテレビを消した。そしてもう一度電源をつけることも、続きを見ることもできなかった。電源を落として真っ黒になったテレビ画面の前で、リモコンを握り締めたまましばらく金縛りにあったように動けなかった。激しい動揺が自分の中で荒れ狂っていた。
たかがCGが壊滅していたくらいで、自分が、もうこの世界の実在を信じていないのだ、と、気づいてしまって、もはや、続きを見ることはできなかった。
驚いたのは、自分の中にこんな逆鱗があったと気付いたことだ。自分のようなライトオタクとしては、キャラの絆や誇りさえ美しければ良いとまで思っていたし、このアニメについて他人に紹介するときも、世界設定や関係性の話ばかりしていて、戦闘シーンがカッコいいから観て、と言ったことはなかった。そんな自分の不見識を心より恥じたい。あまりにも当然のように実現されていて意識にのぼっていなかったが、この世界や、キャラの喜怒哀楽といったものは、戦闘シーンを含む特殊な動きのリアリティによって説得力をもたされていたのだ。それに以前は、一般論として「作画に比べてCGはダメ」と言われているのを見ても、老害の迷信に過ぎないと考えていた。あの戦車アニメのCGは凄いし、あの劇場アニメのCGは格好いいじゃないか、などと思っていた。今なら分かる。CGは、舐めて使う連中、省エネを考えて安易に利用する者たちの手にかかれば、作品を抹殺する、世界を絶命させる力さえあるのだ。
円盤をキャンセルすると決めた理由は、最初は怒りだった。この世界をこんな風にした連中に、一文たりとも落としてやりたくない。あり得たはずの3期を奪った奴らに、免罪を与えてはならない、と。アニメが壊れていても、まだ小説やマンガは次々出る予定がある、そう考えて、自分を慰めようとした。これまで集めた小説やマンガを読んで、心を鎮めようとした。 しかし、駄目だった。かつて僕の心を満たした幸福も興奮も甦ることはなく、ページをめくるたびに、奪われたものの大きさが実感され、胸を絞られるような痛みが襲った。もうこの世界は壊れてしまったのだ。いま僕の本棚に収まっている無数の物語は、かつて確かに存在した、けれど既に潰えてしまった世界の残骸でしかなく、僕の心は、死者の生前の姿を眺めて安息を得られるような、鈍感な構造をしていなかった。やはり耐え切れなくなって本を閉じた時、怒りよりもずっと深い悲しみが僕を包んで、ああ、きっと僕はもう、この物語の円盤どころか漫画も小説も何もかも楽しむことはできないのだろうと悟った。
僕より度量の広いファンは、「この程度で円盤を買わないというのなら、お前はファン失格だ」と言うかも知れない。だが僕にとっては、円盤を買ってこの作品を認めてしまったら、その時こそ僕は、ファンとして死ぬのだ。
今シリーズも、爆発的にではないだろうが、そこそこ売れるはずだ。昔からの視聴者でも僕より大らかな人間は、作品に満足し、あるいは満足しなくてもお布施として、ソフトを買うだろう。当初目標とされた売上からは大きく落ちつつも、まだ戦える、と、制作側は思い込む。既に戦争は最悪の形で終わってしまったことにも気づかずに。 そして4期なのか劇場版なのかOVAなのかが既定路線的に作られ、しかし売り上げはジリ貧となり、遠からず作品を閉じることになるだろう。そうなったら、なぜコンテンツが死んだのか犯人探しが始まり、新しいキャラや新声優やシナリオが濡れ衣を着せられ、いわれなき誹謗中傷を受けるかもしれない。その時のために、だから、僕は、宣言しておく。
CGだ。あのCGを作った連中が、翼を折り、魔法を潰し、少女たちと世界の息の根を止めた下手人なのだ。
今考えれば、電話などで済ませられたのかも知れないが、円盤のキャンセルなどしたことのない僕は、予約したアニメショップまでもう一度赴いた。ここまで辿り着いたのに踏ん切りがつかず、広くて階層もあるアニメショップをうろついて、このシリーズの小説新刊が目立つように並べられているのが目に入ってしまって、出し抜けに嘔吐しそうになった。声優の結婚が発覚して吐いた、みたいな、よくある都市伝説が、自分の身に起きかけると思わなかった。すっぱいものが、何の前触れもなしに体の奥、心臓のあたりから、とがった感じでせりあがってくるのだ。それを無理やり押しとどめなくてはいけなかった。ほとんど破れかぶれでレジに向かった。キャンセルをしたいという僕の説明が下手で、BD予約に来たと勘違いしたらしい店員が、一旦は、新たな予約申し込み書とイベント参加券を渡そうとしてくれた。ああ、急いで予約したのに、まだ余っているんだな、とぼんやり思った。あまりにも、精神の均衡が狂っていた僕の説明が要領を得ず、店員さんにキャンセルの旨を伝え、イベント参加券を返却して、前金を返してもらうだけの行為に、20分もかかってしまった。
すべてが終わって、地下鉄に揺られている間、これまでの8年間で堪えていたたくさんの悲しみが、走馬灯のように蘇って、一挙に僕に襲い掛かってきた。イベントでアニメの発表がされなかったとき。トラブルでコミカライズの終了が決まったとき。小説を書いてくれた作家が亡くなったとき。世界が壊され、死んでいくのを看取ったとき。週末の夕刻、都営新宿線の座席で、ぶざまに泣きじゃくっていた三十歳近いキモいオタクを目撃した人がいれば、それは僕である。
さようなら、僕の愛した世界。8年間、たくさんの楽しい時間をくれて本当にありがとう。そして、あなたが死んでいったときに、何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい。
写実的で実存感に溢れる流麗な映像と共にかかるThe WHOのMy Generationに、山田尚子監督と京都アニメーションの円熟と"私(達)の時代の話をしているんだ"という監督の高らかな宣言を感じた。
単行本7巻分の原作を2時間にシェイプアップされた映像は、大胆な再構成と説明要素の排除で進行される。
原作で描かれた硝子の主観はほぼほぼ排除されている。硝子は聴覚障害があり、手話と不明瞭な言葉でしかコミュニケーションを取ることが出来ない。
それは劇中でもありのまま描かれ、我々健聴者は彼女が何を言っているのか正確に理解できない。
将也や、その他の登場人物の反応で保管できる部分はあるが、原作のように硝子の視点も用意されておらず、想像の範疇を出ない。(なんとモノローグすらない)
つまり観客は彼女に同化することを構造上許されていないのだ。(これは字幕上映を観ることで考えが変わるかもしれない)
物言えぬ硝子を介して、将也はコミュニケーションを、人の間で生きていくことを学ぶ。
しかし原作で大きく扱われていた周辺登場人物との関係(欺瞞に満ちた映画作り〜かつて失くしたコミュニケーションの復活・その崩壊・硝子による再構築)も排除されている。
将也の成長物語のみに徹底的にフォーカスした結果、将也の成長を促す硝子を含むすべての周辺登場人物へのフォーカスを切り捨てたのだ。
それでは山田尚子監督及び京都アニメーションのスタッフ陣はどのような物語の演出方法を取ったのか?
それは徹底的なリアリズムと情感を託された映像密度と、そこにあるもの以外語らない、という選択だったのだと思う。
ノイジーでインダストリアルな劇伴と静かに喋る将也と物言えぬ硝子。大きなカタルシスを用意するでもなく(物語上には存在するが、ここで挙げるのは演出上のカタルシス)、ただただ丁寧に心の機微は描く。
その役割は言語化されたコミュニケーションが大前提な劇映画では異常なほど、人物(言語)ではなく映像に委ねられている。
象徴的に繰り返し映し出される様々な花のモチーフにも、それぞれ意味があり、雄弁に語る。しかしそこに言語はない。
とても静かな映画だった。
それは聴覚障害・コミュニケーション・少年の成長、という大きな主題を映像化する上でベターな選択だったし、原作モノを再解釈して色を付ける、しかしあくまで原作の範疇から出ることはせず、映像化にあたっての最良の選択だった。
「けいおん!」で見せた山田尚子監督のバケモノ級の構成力がいままさに円熟しているのを感じずには居られなかった。
もちろんその演出を選択できる体力としての京都アニメーションのスタッフの技量があってのこの映画だったと思う。
「響け!ユーフォニアム」で到達点を見せたと思われた、写実的で被写体とキャメラの存在を追求した京都アニメーションのレイアウト〜撮影までの画作りの更なる進化があってこそ、将也の心情に寄り添った雄弁な映像は生まれたのだ。
先週観た「君の名は。」で新海誠が描いていた、印象だけで構成された陳腐で空虚でしかないセンスの欠片もない映像と退屈で死にそうなほど単純なボーイミーツガール、ポストエヴァ世代の終わりなき呪縛を今作は問題外と言わんばかりに完璧に凌駕していた。比較対象が雑魚すぎるきらいもあるが、あらゆる意味で次元が違った。
新海誠に代表されるセカイ系の次世代として2000年代後半に登場した、近景に特化した所謂空気系の旗手として君臨した「けいおん!」は物語の歴史の中でノスタルジックかつアブストラクトなエポック的作品だったが、その監督である山田尚子と京都アニメーションがさらなる次世代を紡ぐ、体制側・システムとしての完成をみたのが今作だったと思う。
オルタナティブとしての物語を自分のストーリーとして受け取る現世代のための物語装置を創りだすシステムとしての京都アニメーション。
圧倒的なクオリティと確実なチョイスで、先陣を切りそれを体現していく山田尚子。恐ろしいことに今回は萌えを武器にもしていないのだ。
派手な爆発も、世界を救う大いなる力も、悩める個人と直結したセカイも、今作の持つ超弩級の冷静さの前では旧態依然とした使い古されたアイデアでしか無かった。
それでも丁寧に丁寧に人の手で作られたアニメーションは、絵が動き、実写以上の実存感を持って我々の心に寄り添い訴えてくる。
同時代に生きられることに感謝し、最大級の賛美を持って新時代の幕開けを向かい入れたいと思った。
必見。
http://anond.hatelabo.jp/20160805000418
私の意見を要約すると。
・シン・ゴジラって3・11の震災と福島第一原発事故の政府対応に重ねてるよね。
・シン・ゴジラではイケメンエリート官僚や科学者がでてきてかっこよく科学的?に処理したけど
・つまりシンゴジラって福島第一原発事故処理に成功した日本政府のIFものだよね。
・これは「第二次大戦で米軍に勝利する日本軍」を書いちゃう、こっ恥ずかしい仮想戦記の類の何かだよね。
・しかもシンゴジラでは自衛隊がゴジラに冷却材(凝固剤)のホースを突っ込むために特攻して全滅しちゃうんだ。
・でも実際の福島第一原発事故では、よくも悪くも戦後民主主義で人命第一の日本政府はそんな事はさせなかったよね。
退避を繰り返し非正規労働者を大量に投入してゆっくりと泥臭く処理したね。
(状況が進捗しないし、かっこわるいね。でも現実はそういうものだよね。
そんなものを描いちゃったら政治的意思表示が必要なんじゃないの?
格好いいから描いたですまされないんじゃないの?
というところです。
「僕達の楽しいエンタメ作品であるシンゴジラ(虚構)」を(現実)フクイチに重ねるのはやめて下さい!!派
上記はつまり「こども(庵野)がウルトラマンごっこ、ゴジラごっこで遊んでるだけ」
なのに政治的意味合いを見出したり回答求めるのはヤメてよ!っていうことなんだろう。
エヴァなんかは「沖縄決戦」パクってごっこ遊びしてもなんでもいいけど。
震災から5年しかたってない2016年に、フクイチを取り扱って子供のふりして許されるわけがない。
逃げまわるつもりかもしれないが、なんらかの政治的意思表明が必要でしょう。
(はどうでもいいです)
シンゴジラでは泥沼感や絶望感や虚脱感がなかった。これを指摘するのは飽きるけどエリートばかりだった。
「軽トラから載せられた日雇い労働者がゴジラに特攻させられる描写」があったらば強烈な皮肉にはなっただろうなと思う。
これにはフクイチという重いテーマを扱ったのに、リアリティに寄せることがなかったことへの苛立ちがある。
とくにラスト。
次期大統領候補云々について、いちゃいちゃしながら喋ってる」
『ボロボロの感じで虚脱状態で「延々続く収束作業を無言で見守る」』みたいなエンドなら伝わったかもしれない。
もしくは、どこかのブコメに「あのまま核攻撃されて東京まるごと吹き飛ばされればよかったのに。」
ってのがあったけど、そうなったらホント庵野信者になったかもしれない。
だがしっくりくる。途中まではフクイチに寄せたが、最後はアニメ演出で完結させる。
「虚構でした!」「この映画はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません」
というオチで締める。
なんだろうかこれは。結構毎回やってるような感じがする。夢オチに限りなく近い何かみたいな。
これは「息の長い芸人・TVのコメディアン」のテクニックとか処世術とでもいうのかな。
ここ2日、創作者ってほんと大変だなと思った。
現実を切り取ってそれを虚構化して、針の穴を通すようにすりぬけて、
「ポリティカルコレクト」から上手く逃げ切る。
最後の感想はやっぱり「シンゴジラはいい、素晴らしい、シンゴジラはいいけど、でもね…。」
に戻るんだな。
ちょっと頭を整理したらまた見よう。
庵野のというより、日本のアニメやら特撮のエポックメイキング的なものを知りたい。
ガンダムも、ヤマトも、999も、初代ゴジラも、ガメラも、見てないのよ。AKIRAとかも。
ここ八年くらいでオタクになったから、ガンダムはレコンキスタと鉄血しか見てないし、ゴジラもメカゴジラやらモスラとかくらい?見た記憶があるだけで、内容覚えてないけど。
エヴァは見た。カリオストロとかジブリは見てる。今監督のは全部見てる。トップも。パト劇場2も見た。ウテナやらナデシコは影響を与えられた作品かな?どっちも凄かった。
一応アニメ見た数は200超えてたんだけど、そういうエポック的なの見てないんだよね。
今年ニコニコの一挙放送でコナン(未来少年)とナディアを見たんだけど、ナディアってすごいコナンっぽいよね。で、最後らへんがすごいヤマトっぽいらしいね。戦艦でてるからか?エヴァの原型っぽいのも出てるのはわかる。だから、影響を与えたものを見たくなった。
これ凄い面白いから見ろ!!ってものじゃなくて、これ凄い他のものに影響をあたえたから見ろ!!ってものね。スピルバーグがカリオストロのカーシーンを歴代トップだ!って絶賛してるみたいに、あの凄い監督に影響を与えている作品とかね。
ガンダム初代、逆シャア、ヤマト、初代ゴジラ、ガメラ123、とか?パトレイバーもか?
ウルトラマンのおすすめとか、特撮の凄いのも知りたい。ああ、ウルトラマンとか仮面ライダーは何のシリーズの特にどの回がおすすめか知りたい。全部見る気力はない。アニメなら全部見れるんだが、、慣れてないのよ。
それではお願いします。
FFDQの昔のナンバリング作品には、ナンバリングするだけの重みがあった
でもゲームハードが進化してから出たものはナンバリングの重みが感じられない
ゲームハードが進化してから出た作品のナンバリングは、最初から重みが感じられない
龍が如くとか
ただナンバリング重ねてるだけでそれぞれがエポック・メイキング的な意味をなさないようなうすっぺらくてライトなものが増えすぎてる
製作者、プレイヤーのゲームについての知識・ノウハウが成熟しすぎて、お互いに惰性になっているのではないか
それすらすれ違ってきているから始末に終えない(制作費高騰のため課金込みで値段を下げた価格にしているのにそれをすると最初からアンロックして売れと言われる。そうすると一時期のコー○ー並になるけどいいのかそれで
耐え忍ぶときなのか
そのあり方について、一度立ち止まって考えるべきだ
立ち止まっている間にハンコゲーを出す分には構わない
ただ、並行してもっと製作者がおもしろいと思うものをつくってほしい
でも最初から商売だけのためにゲーム業界に入ったんじゃないだろう・ゲームをプレイしているわけじゃないだろう
もっと夢を追え
どうあるべきだ?
どうあってほしいんだ?
そういえば君が学生かどうか分からないけど、私が学生の時はそういう形で交際をスタートしてみた。ハードルが低そうな女性からスタート。
ブスで、でもお嬢様で、ワガママで、寂しがり屋で拘束時間は長い、sexも男性がリードしないとまずいみたいな女性だったけど、本当にいろいろ勉強になった。彼女と付き合ったからこそ今の嫁さんの価値が即わかった。結婚して9年になるけど嫁さんには感謝してるし愛してる。
ぶっちゃけていうと、ある程度の女性は「女慣れしてる男性」じゃないと交際スタートできない。なんか矛盾してるような気もするが。生物的には一夫多妻構成をナチュラルに求めているような印象がある。
『誰か1人』『この人が最後の人』みたいな考えは捨てて、まず経験値を貯めるという方針がよいと思う。
自分がされて嫌なこと、って人それぞれだと思うんだけど、誰かと交際してるうちに「僕はこれが耐えられないんだな」ってのが分かる、というのもある(ちなみに私は拘束時間が長い、という点が耐えられなかった。が、ずっと一緒にいたい、拘束時間が長い男性というのもいるので、人それぞれではある)
残念だけど、組み合わせの問題はあると思うよ。
追記
id:angmar それが少女漫画的純情純潔イデオロギーに支配された理想主義的よい子ほど現実との落差を埋めるのに失敗するという
うーん、私自身は少女マンガも読む。BANANA FISH、彼氏彼女の事情から始まって月刊誌購入したりとか。好きだったのはヤングyou。 papa told me, ハチミツとクローバー, ベルエポックとかね。 学生の時に読んでた。でさ、そういう女性向けを読んでて思ったのは女性の理想って現実とかけ離れてる、って事。おもしろいのだが。いやまぁ男性の理想もかけ離れてるが...
という訳で早めに『女の子むけファンタジー』の文脈に慣れておく必要があるな、と思った。本当に女性の考える理想の男性像って現実の男性とは違う。という事が良く分かった。で、当時の彼女に対して漫画の中のような誠実な男性として振る舞うと、よい反応が帰ってくる(若干、中毒性が高いように思う)
というか今でもフィールヤングとか読めば中年女性の求めている理想の男性像が見えるのではないか。女性が女性向けファンタジーを現実に求めるのは害悪でしかないが、男性が女性向けファンタジーの文脈に慣れておくのはある程度、価値があるように思う。まぁ落差はあるんだけどね
タイトル | 源氏物語 | うさぎドロップ | これは恋のはなし | 一緒に暮らすための約束をいくつか | 高杉さん家のおべんとう | 星川銀座四丁目 |
---|---|---|---|---|---|---|
作者 | 紫式部 | 宇仁田ゆみ | チカ | 陸乃家鴨 | 柳原望 | 玄鉄絢 |
巻数 | 54帖 | 10巻 | 11巻 | 2巻 | 10巻 | 3巻 |
年上 | 光源氏 | ダイキチ | 内海真一 | 藤木悟郎 | 高杉温巳 | 那珂川湊 |
年齢 | 18歳 | 30歳 | 31歳 | 35歳 | 31歳 | 25歳 |
職業 | 源氏 | 会社員 | 小説家 | 映像クリエーター | 大学助教 | 教師 |
年下 | 紫の上 | りん | 森本遥 | 三浦沙那 | 久留里 | 松田乙女 |
年齢 | 10歳 | 6歳 | 10歳 | 14歳 | 12歳 | 12歳 |
初期の関係 | 血縁なし | 叔母((本当は血縁なし)) | 近所の子供 | 親友の娘 | いとこ/未成年後見人 | 生徒 |
同居/別居 | 別居 | 同居 | 別居 | 同居 | 同居 | 同居 |
最終的な位置 | 正妻格 | 結婚/大学生 | 結婚/専業主婦? | 助手? | 未定(連載中) | 養子/建築士 |
子供 | × | × | ○ | × | × | × |
性描写 | ○ | × | × | ○ | × | ○ |
テーマ | ? | 育児 | 恋愛 | ? | 地理学 | 同性愛 |
年上側の特殊事情 | 皇族 | - | 一家心中サバイバー | 転勤族 | - | - |
年下側の特殊事情 | - | 死別 | ネグレクト | 死別 | 死別 | ネグレクト |
漫画を読んでいて、これは光源氏ものっぽいと思った漫画が溜まってきたので表にして比較してみた。漫画は5種類と源氏物語で合計6種類で比較。
まず圧倒的に巻数が多いのは源氏物語。まぁこれは時代も形式も大きく異なるので比較するものではないけれど。漫画の中では10巻くらいなのが3種類と、2,3巻なのが2種類。比較的巻数の多い、うさぎドロップと高杉さん家のお弁当は、光源氏もの的な部分は結果的にそうなったというだけであって((高杉さんの方は連載中だからどうなるか分からんけど))、それぞれ漫画のテーマは育児と地理学だからという気がする。そうすると、これは恋のはなしはそういう別のテーマみたいなのは無いけどちょっと長め。
物語が始まった時の、源氏の年齢。源氏は18歳くらい((諸説あるんでしょう))。これはこの中では最年少。星川銀座もちょっと若めだがこれは女性だからでしょうかね。他はみんな30歳過ぎ。このへんは、年下側との年齢差でセンセーショナルな感じにしたいけど年上過ぎないくらいが30歳過ぎくらいなんでしょう。これは恋のはなしと一緒に…いくつかは帯に20歳差!とか強調してた気がする。
年下側の年齢は6歳から14歳。突出して若いうさぎドロップはやっぱり恋愛漫画というより育児漫画が結果的に結婚したという印象を受ける。6歳児に女性としての魅力を感じるのは漫画としてもアウトでしょう。でも10歳に魅力を感じるのは許容範囲に入ってくるらしい。それは、これは恋のはなしに顕著。最終巻で、結局出会った時のあの目に引き込まれて云々みたいな終わり方だったし。高杉さんも、最初出会った時からお人形さんみたい的な女の子としてカワ(・∀・)イイ!!みたいな感想の描写があるし。ティーンに恋をするのは許容されるらしい。
職業。源氏は職業なのかわからないけど貴族とか皇族とかでしょう。さすがに、現代で光源氏物をやるときでも、この設定をそのまま持ってくる人はいないらしい。富豪の息子とかグレード財団の息子とかにすればいいのにね。その職業に付いている人が少なそうな順に並べると、小説家<大学助教<映像クリエーター<教師<会社員、ですかね。うさぎドロップはかなり平凡。家も狭そうな平屋だし。教師系が2種類あるのはどういうことだろう。よく、光源氏ものを無垢な女の子を自分好みに育てる話と言われるけれども、実はこの中で子供を自分好みに育てる描写があるものは少ない。星川銀座は教師だからということもあってか勉強教えるし、針路についても結構誘導するようなところがある。高杉さんも針路についてはいろいろ教育していた。でも、その他についてはあまり自分好みに育てるようなことはしてない。一緒に…いくつかはむしろ恋愛感情がわかるように教育されるというような描写まである始末。
血縁があるのは高杉さんくらいか。他は基本的に他人。大幅に年下でかつ血縁とかだと物語の焦点がぼやけちゃうのでしょう。
同居/別居は同居が多いなぁ。これは恋のはなしは、別居と言っても通い妻状態だし、基本的に同居するね。これは、一緒に生活してる方が物語作りやすいからだろうなぁ。もう現実には存在しないであろう、アパート同居ものの漫画が未だに大量生産されるのはきっとそのせい。めぞん一刻の時代ならともかく、僕らはみんな河合荘の時代になってもまだ似たような舞台設定が多用される。
最終的に結婚して話が終わるのがほとんどだけど、子供ができるのは1つだけ。星川銀座はしょうがないけどね。結婚しましたで終わるのは意外と言えば意外か。なんでだろうね。18歳になって結婚して子供作りましたじゃなんか生む機械みたいな感じがするからか。
年下側の針路について対照的なのは、これは恋のはなしと星川銀座四丁目が対照的に見える。これは恋のはなしは、旦那が売れっ子小説家とは言え、高校卒業後結婚してすぐ子供出来て、こう遥側になにかやりたいことことなかったの?っていう気がして生身の人間というよりも舞台装置って感じがしなくもない。星川銀座四丁目は最後建築士になって実務経験を経て独立しましたってところで終わるので、乙女側にむしろ主体性を感じる。というか、湊が家事手伝いして待ってる的な人だし単に入れ替わっているだけで一方が仕事する一方は主婦的な関係はどちらも同じかも。
性描写があるのは、成人向け漫画も書いているお二人。やっぱり基本は描きづらいよねという気はする。
逆に、年下側はほぼ親類と死別してるかネグレクトかどっちか。現代ではその状況じゃないと、他人と同居するという状況は不自然でしょうからね。源氏みたいに、気に入ったからとか絶対非難轟々になる。死別、ネグレクト意外に自然に他人の可愛い女の子と同居できるシチュエーションが思いつけばそれはかなりエポックメーキングな漫画になるということですな。えーと、地球に隕石が落ちて自分と10歳の幼女意外が死滅して…私に物語を作る能力は無いらしい…
自分は10年ほど前にバイオ系の学科を卒業した女だけど、自分のいた二流大学のバイオ系学科は男女比が4.5:5.5(修正:4:6は流石に言いすぎた)と女性が若干上回っていて、そのせいか女子が女子らしくしてても浮かなかったよ。
ファッションで言えばゆるふわ系もいたし、ピンヒールに白衣とかいうご褒美みたいな女子もいましたウヘヘ。
デスクにマスコット置いてる子もいた(まあ男もお茶のおまけのフィギュアとか置いてたし、ここは性差ないでしょう)。もっとも、ピペットは共用だったからシール貼ったら怒られただろうけどな。
小保方博士は可愛いものが好きで、研究領域からして学生時代にそれを抑圧されることもなく、そんで若くしてラボの主宰になって、自分が居心地良いようにしただけなんだと想像する。
理研は割とラボの設計には柔軟みたいだし(壁が一面黒板とか)。
自分は今まったく違う領域の研究機関に(研究職じゃないよ事務方だよ)勤めてるんだけど、そこは男女比8:2みたいなところで、女性は地味目。そういう立場の方から見たらエポックなのかもしれんね。
いえいえどうも。私自身は非モテで、でも結婚して子どももいるみたいな感じです。30代なかばの中年 役に立つかわからないけどいくつか。
・スペック
慶応卒SE、業務内容にもよるけど年収がそれなりにいってるんであれば数うちゃあたるでしょ
あと基本的に金持ちの女性に向かうのはやめた方がいい。 心の底からオススメしない。
http://anond.hatelabo.jp/20130513000542
高学歴男性の結婚しやすさに関して http://anond.hatelabo.jp/20130519010309
君の経済的な結婚力は http://news.nicovideo.jp/watch/np454653 でざっくり確認してくれ。
・恋愛経験すくなめ というのは痛いよね。 いや私がそうだったからなんだけど
嫁さんとはお見合いで出会って、初顔合わせでなんかぐったりしつつも、嫁とはまだ継続しそうだったんで、眠いながら秋葉原書泉で恋愛関連の書籍を漁ってた。
経験値低い男性が「みゃ、脈、まだあるのか」って思うと元気になるよね。心電図でフラットラインから「ぴこっ」って感じ。
いやさ、経験値低いんだったら素直に先人ノウハウ吸収したいな、と思って。
購入したのは内藤 誼人の本。 うん私はアニオタなんだ。よかった増田が匿名で。
理由は
・作者がイケメンじゃない
なところ。 なんか心理学のデータを集めて戦略をねって非モテが実践して成功したって感じがした。
余談だけど心理学やってた人が知見を実際の女性に試して成功率を測ったり、
経済学だった人が今の経済ニュースみて今後にわくわくしたりするのって楽しそうね。 うらやましい。
という訳で本にのっているうち、嫁に適用可能だと思われた方法をいくつか同時に試すようにした。
いくつかはヒットするし、いくつかは効果が無いようであったが、経験値低いままだったら玉砕してたな、と思う。
ずいぶん後になってから、嫁「最初に会った、あの時○○さん少しおかしかったですよ?」、私「いや徹夜明けだったしね」というやりとりがあった。
あとこれは周期的なトレンドだと思うんだけど、「女性が求める男性像」みたいなものが徐々に変わりつつあるような気がする。
余力があったら下記の漫画をちと読んでほしい
・俺物語
・娚の一生
・式の前日
割と登場人物が「オトコ」な感じがしてる。 いやまぁTLとかもあるので結構前から少女漫画のエロ化は激しく進んでいた訳ではあるが、
ただオナニーネタとしての男とは違って、上記作品のなかではパートナーとしての男としても、割と男性性が強い。
いや15年くらいまではパートナーには草食系みたいな感じだったのに。ベルエポックの音無みたいな。話きいてくれて、私の仕事理解してくれて、でも上場企業勤務でメガネでみたいな。
という訳で
・全体的にドランクドラゴンの鈴木を真面目な一般人にしたメガネ男子ww
みたいなのは弱いな、と思う。15年くらい遅い。 あるいは10年くらい早い。
基本、女性慣れしてない男性は避けられる。 とりあえず慣れる意味でも他の女にいっとくのは悪くないと思う。
あと女性がSexで感じやすい年齢だけど29歳くらい、という調査があるんだそうな。個人差は大きいだろうが。
なんつか28歳だとギリギリというかアウトでしょ、と思う。 「お互いいろいろ開発して上手くいった」みたいな方が
結びつきが強くなるじゃない? うちの嫁さんはその辺の年齢で、彼女がイキはじめて、私が動かないけどイキつづけてたってことがあった。
女性観点でイクときって動いちゃうじゃない? その自分の動きで自動的にいくという、なんていうか合理的やね。自家発電的な。
私は腕立て伏せみたいな体勢で動かずみてた。楽しい。 なんか非常に苦しそうになってたのでやめたが。
そいじゃーね