はてなキーワード: 食べるラー油とは
出しをしみこませないうちに食ってる短気人なのか?
もしかして調理前の水切りが面倒でやってないのでは?(チンすればいいぞ)
・「食べるラー油」だの「前略ちょっと辛い辣油」瓶詰めを乗せる(にんにくチップとラー油と醤油をかけるより簡単だし)
・ハンバーグやパンケーキに練り込む(クックパッドに山程あるレシピ)
・サラダチキンのかわりにシーザーサラダ風に使う(いろんな素材が必要だが)
・白ごはんと半々にしてシーチキンマヨネーズとか鰹節と醤油とかのせる(要はコンビニおにぎりとおなじ具)
・揚げ出し豆腐でじゅわじゅわにする
・鍋物にいれる
ご飯も単体ではおいしいと思う人は少ないだろうけど
薄味系主食でデンプンではなくタンパク質を取りたい人は毎日とりよせたっていい素材。
あとは豆腐100珍でググれ
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
用意するもの
・鶏がらスープ(粒状のをお湯で100mlくらい)
・絹ごし豆腐 一丁
・食べるラー油(S&Bのおかずラー油でも可) スプーン1杯
・ごま油
・醤油(お好みで)
絹ごし豆腐から水がでてきたら食べる辣油と鶏がらスープを入れて醤油を適量入れる
完成
これはベースなので、ここにもやしとか豚こま肉とか白菜とかいれてもいい。(その場合、醤油での味付けを濃くしておくこと。具材によっては塩コショウでもいい。)
問題は、豆腐を最初に入れてしまうがために鍋に豆腐が焦げ付きやすいってこと。この解消方法は今考えてる。鶏がらスープを最初に入れたらいいかと思ったけどなんかソレだと全然違う。
おかずラー油がちょっと高いから激安レシピってわけでもないんだけど、一瓶で6回は作れる。割高に見積もってラー油が一瓶380円としても豆腐の値段+60円ぐらいで作れる。
流行った時に「俺は流行りものには乗らない」と言って(実際はいついっても売ってなかったからだけど)スルーしてて、この前買い物に行ったら1瓶250円ぐらいだったので試しに買ってみたんだけどやばい。
まず、ラー油なのにほのかに塩味?旨味?を感じる。一口くってわかった。これは応用できるぞって。
用意するのはエリンギ、ナス、そして豚肉。エリンギは輪切りに、ナスはエリンギと同じぐらいの大きさになるように角切りしておく。
まずは、フライパンに食べラーの油だけを入れて、キッチンペーパーでひく。
そうして、フライパンが熱されたら豚肉を炒める。炒めて豚肉から油が出てきたらエリンギとナスを入れて食べラーの食べる部分も入れて軽く炒めたら、蓋をして中火で蒸す。