はてなキーワード: メカゴジラとは
ゴジラマイナスワン見て思ったんだけど完璧に自分の思った通りのものを期待してる人多すぎない?
ゴジラが進化してなんかでかくなって人間は早口で展開も早くて理解させる気なくてゴジラは紫ビーム(苦笑)口から尻尾から出すしエヴァの音楽は流すし終いには口からジュース飲ませて終わらせる
こんなんみんなが思ってたゴジラだったのだろうか…でも意味不明に面白かったよね
ハリウッド版(2014年)もゴジラお出まししたらいきなりテレビに画面切り替わるし暗いし終いにはハリウッド()お約束のキスしだすし画面暗いしもはやガメラだし
こんなんみんなが思ってたゴジラだったのだろうか…でも新しいモンスター出てよかったしCGもすごかったよね
ハリウッド版第2作もへんなおばさんが世界破壊しかけるとか中学生でもこりゃ駄目だろというストーリーだし
こんなんみんなが思ってたゴジラだったのだろうか…でもラドン、モスラ、キングギドラが最新CGで復活してわちゃわちゃしててよかったよね。ゴジラ赤くなるし
ハリウッド版第3作はもやは怪獣プロレスでストーリーなさすぎるし、スーパーヒーロー物をデカくしただけ感あるし、小栗旬が悲惨だし
こんなんみんなが思ってたゴジラだったのだろうか…でもキングコングとゴジラが共闘してメカゴジラと戦うのはアツいよね。バトルもスピーディーで良かった
そもそもゴジラって何でもありだよね。初代からアニメも含めて全部見てるけど1つの主人公でここまで多様性溢れてるシリーズってそうそうなくない?
ゴジラがシェーしたり
意味わからん骸骨みたいなヒーローが特撮、アニメでも意味不明にデカくなったり
ひざまずくたくさんのモンスターがいたり
魚食ってたり
お涙頂戴のストーリーだったり
でもそれでいいんだよな
俺はゴジラの好きなところ嫌いなところすべてを愛してるよ
ゴジラはほぼ見たことなくて近作もシンしかみてないけど唐突に昭和ゴジラへ行った。
採用理由はふらっと見るなら知名度があるヘドラかなと思って選んだ。
(モスラ・キングギドラ・メカゴジラはシリーズもの過ぎる気がして避けた。)
テーマソングの「かえせ! 太陽を」は結構好き。でも汚れちまったときたら悲しみにが脳に割り込み処理されて困った。
同時に流れる海のヘドロもよくできてると思った。
映像と言えば試験管やシャーレのオタマジャクシのCG?はよかったし、チャレンジングなアニメーションも今から見ると昭和実写映像より見所があったし被害地域とシームレスになる演出はええやん!て思った。ミニチュアとかも予想よりはマイナスにならず気にならなかったけど、テレビへの映像のはめ込みはなぜか、かなり気になった。我ながら細かい。
ヘドラの造形もいいよね。目が横型でまぶたが外側になっているのがお気に入り。瞳が赤いのもいいしおたまじゃくしよりかはデメキンっぽいなと思ってた。ただ飛行形態はちょい雑かなって。あと光線の出る場所ももうちょっとこだわって瞳孔から出すか涙腺を意識するかしてほしかった。なんか目の辺りから適当に出してた印象。
対してゴジラは、うーん…クソダサくない?もっとダサいゴジラも居ると思うけど単体で見てもなんかね。首あたりが。やっぱ着ぐるみに首長は合わないよなあとゴジラが苦手な原因を再確認。でもなぜか最終決戦ではそこらへん気にならなくてかっこいいまであった。謎。
飛行シーンは最初見たときそりゃねえだろって気持ちとまあいいかぁ!って心が二つある~。最初飛ぶのはもう昭和人センスだからかと許せたけど、せめてポーズはもうちょっとあっただろといいたかったし、許した後にヘドラを掴んでカムバック飛行したときはそら許せませんわなぁ!となった。掴んで飛ぶことありきで最初の単独飛行もあのポーズになったと理解してやっぱ許せねぇ!ってなるよ。
怪獣映画はまあ怪獣プロレスを期待してるしゴジラの過去シリーズのどこかはそういう傾向になったらしかったことも見たことあったんだけど。それでも(思考が)人っぽいなあと感じることがあった。
ヘドラはゴジラを掴んで飛んでいい感じのくぼみに落としてヘドロ攻めするところとか。余談だけどこのシーン、ヤギコン好きな人にはたまらないだろうなと思う。ドロまみれであがくゴジラ、えっちくない?
ヘドラと鳴き声で意思疎通してる風なシーンがいくつかあったけど意味を推察することはできなかった。後述すると思うけどゴジラの立ち位置もわからなかったし。
一番辛かったのがしつこく繰り返される腕をちょいちょい(こいこい?)動かす場面。変則でちょっと顔を触って腕ちょいちょいもある。
あれまっっっったく意味わからんかった。最初は「帰れ帰れ」かと思ったけど終盤でもしてるし、「俺はやるぜ」的なヤンキーポーズなのかなと捉えたけれど、いやいらんだろ。俗っぽすぎる。人っぽい。人外生物の威嚇でも成立してない気がする。なんだろ、当時流行っていたポーズのオマージュなのかな?とにかくゴジラが独り腕を動かすだけのシーンが出るたびにテンポも死ぬし人っぽいしイライラした。
さらに悪い知性でいうと最後の人類の兵器をゴジラが活用して倒したこと。人類が一度動作させたのを見ていたならわかるけど一度も動かなかった謎の建造物を活用して倒したのは(偶然にしても)最悪だった。しかも一度ならず活用している。最後の執拗な死体損壊からの徹底的な焼却は動物的本能で飲み込んだけど、ゴジラが自分の熱線より強い人類兵器を(熱線を使い)活用して倒したのは賢いゴジラというよりは強者の生物的プライドがないゴジラだなぁと感じた。もう少しシナリオでカバーできた部分だと思う。(ゴジラは他でも賢いしコミカルな・俗な動きもするヤツだといわれればそうだろうけど)
ウルトラマン風ポーズは…一瞬だしサービスシーンとして許すよ。
そんな感じで作品の悪い部分はだいたいゴジラに集中する。そもそもゴジラは水爆実験の放射能汚染で誕生したんだっけ?詳しくないんだけどたしかそんな風だったと思う。で、人類への怒りとか警鐘をテーマとして少しは背負ってたのかな。
そんでヘドラが公害汚染から生まれた怪獣で、ある意味被害者の会の友じゃない?人っぽい動きするなら人っぽく共感が生まれそうだけど。
それをヘドラから人類を守るってのはなんかなぁ。執拗に人類を狙わず海でひっそり暮らせってスタンスならわからんでもない(からゴジラの腕クイクイは最初、余計なことせず帰れ帰れの意味じゃないかと考えた)
過去作で人類との和解があったのか既にヒーロー路線に入っていたのかはわからないけど、そんな人類(地球?)の守護者的なのはガメラさん担当じゃないのん?って。ガメラもしらんけど。今回空飛ぶし。それガメラさんちゃうの?って。後追いの後追い?
なぜゴジラが現れるのかってのはもうこの時代ですでに考えないお約束になっていたのだろうか。(住処の海をヘドロで汚染された怒りが拡散させそうなヘドラにも向いてたのかなぁと考えている)
公害テーマもわりと淡々としていて、ヘドラが出現したことによる人類全体への警鐘・反省感はやや薄い。いえね、本当に100万人集まって公害反対できればよかったねと言いたいわけではないの。あの彼ら以外のメディアとかの人々のヘドラの出現やその原因についての反応が結構淡白で、公害から生まれちゃったかーしゃーねーどうやって倒すべかなって雰囲気。まさに当時の人々そのままで風刺しているとも言えるけどね。環境を綺麗にするとか体内のヘドロを浄化するとかでアンチヘドラするんじゃなくて(ゴジラの初登場含め)焼却してまえ人々は退避してまえとヘドラへの向き合い方は普通のいち怪獣だった。だから公害はあくまで当時取り上げたテーマで、反公害への"強い"メッセージ性はそこまで感じなかった(無いとは言わない)。見る前の印象が「かなり異色中の異色作」だったから、視聴後はギリ普通の作品の範疇かなと印象を落ち着かせた。
ゴジラの最後のひとにらみが警鐘だ、と解説されてもうーん。わからんかったよ。人が作った兵器で倒して人にメンチ切るのはダサいと感じた。ただ「人原因のヘドラを俺に尻拭いさせんなよ」的な怒りは伝わった。悪く外して読むと「兵器ちゃんと使ってお前らで始末つけろや」みたいな(ゴジラさんのプロレスで壊れたんだけど)
不満たらたらな部分を多く書いたけどヘドラの怪獣の出来はいいしテーマもいい。人間部分もそんな悪くない。昭和映画と身構えても全然見れる映像だったし、トータルでいうと悪くない作品。ゴジラがあまりよくないとは逆に言えば別にゴジラ好きじゃない人間には減点になりにくいのかもしれない。
あ、あとゴジラさんなんかリジェネかかってません?目がつぶれっぱなしのヘドラに比べてヘドロが落ちてたりとダメージ描写はあるけどピンピンしててずるいと思いました。
「オタクは現実を見ろ。ゲームもいいけど現実で女でも作れ。大人になれ」のパターンだよな、これ
最後にリアルで金と女を手に入れた明るく若くてゲームも上手い今時のギークたるパーシヴァル(とその他4人)こそが勝者。それ以外は何もつかめなかった負け組。
ラストの「ゲームが遊べない曜日を作って現実を楽しもう!」ってさ、その現実が辛すぎてオアシスというゲームに全世界がのめり込んでるって世界観じゃん。そりゃパーシヴァルは成功して現実が楽しくなった側だからそう言えるのだろうけど、その他大勢はそうじゃない。強者の権力でみんなの娯楽の時間を奪っただけじゃないの?ノーメディアデーとかゲームは1日1時間とかいってる自治体と同レベルじゃん。
そもそもパーシヴァルはオアシス世界を救ったけど、現実社会はIOIが消滅しただけで格差は依然そのままだろうし荒廃した世界には問題が山積み。「現実に向き合え」と言われても、それが出来ない無力感からゲームにのめり込むんでるその他大勢に強者の理屈を押し付けるなよ。
ゲーム画面を広告でベタベタにしてやろうぜってIOIとそもそもゲームを遊ぶ権利を奪ったパーシヴァル。どっちが勝者でもあの世界で受け入れられたとは思えないんだが。
敵側にアイロックというキャラがいる。途中までゲーム内強者として振る舞う強敵ポジションだったのに、爆弾のせいで10年分のやり込みデータが消える恐ろしさからビビって逃げ出すシーンで感情移入してしまった。「ゲーム以外」が無い人間にとって、自分の積み上げてきたデータが1回死ぬだけでロストするって怖いよな……
自分はパーシヴァルのようなトップにはなれない。めちゃめちゃ頑張ってアイロックか、あるいは最終決戦に参加していた「ゲームが好きな無名のモブ」が限界。
データが消えればただの人。トップ5にまで上り詰めれば現実の名声と金を得られるんだろうがそれも出来ない。
自分では上手いと思ってもe-sportの大会やゲーム内ランキングには必ず自分より圧倒的に上の存在が居る。上位3%には入れても1%より上の世界は届かない中途半端な存在。
現実もダメ。ゲームもダメ。じゃあ自分に何がに残るんだろうと考えてしまった。
アイロックはあの後どうなったのかなぁ。
好きな女の子とキスも出来ずに死んだ負け組ナードの象徴として描かれているオアシス開発者のハリデーですら、物凄い才能で理想のゲームを作り上げ世界を巻き込み神とまで崇められるほどの偉業を成し遂げている。
1消費者でしかない自分から見たら、ハリデーこそオタク側の成功者じゃねーかと思ってしまった。なんであんなに卑屈になるんだよもっと胸を張れよ。
そんなハリデーに「現実がうまくいかなかったからゲームに逃げた。でも現実でしか食えないうまい飯があるからお前は俺のようにならずに頑張れ」って言われても全く響かない。
ところで「現実でしか食えないうまい飯」ってリアルに接触する女体のこと?ラストシーンを見て不意にそう思ってしまった。
色々思う所はあったが娯楽映画としては面白かった。デロリアンと金田のバイクがレースをしたり、「好きなゲームはゴールデンアイでオッドショップのチョップ縛り」に笑ったり、ライトセーバーに影響を受けたビームサーベルを使うガンダムがハリウッド映画でメカゴジラ相手に奮闘する下りは胸が熱くなるし感慨深いものがあった。
しかし散々オタクが好きな要素を散りばめ引き寄せておいて最後に「リア充こそ正義」というオチを見せられ、布団の中でもやもやしながら最後には「コンプレックスを刺激されて辛い映画だったなぁ」という感想になってしまった。
よしんばパーシヴァルになりえる前途有望な若者なら純粋に楽しめるのかもしれないが、穿った見方しかできない老人には眩しすぎる。
パーシヴァルにもなれいしハリデーにもなれない。中途半端にオタク側にいるせいでノーランのようにビジネスと割り切って社会的地位も築けない。
やっぱつれぇわ……
って事か。
実際はメカゴジラの逆襲なのに、84ゴジラ言って新作っぽく騙すな!だとすごく分かる
相対的には上の年代よりも重症化しにくいけど、上に貼ったWHOと中国の共同レポートだと19歳未満の重症率は2.5%と書かれているよ。子供の感染者の40人に1人は「入院しないといけない」状態になると考えると風邪やインフルエンザと比べると異常に危険だよね。NHKの報道だとこの数字は省略されたよ。あ、名前出しちゃった。
こっちが聞きたいよ。
国際ウイルス分類委員会が2月11日に今回の新型コロナウイルスの正式名称を「SARS-Cov-2(SARSコロナウイルス2)」に命名してから20日以上経ってるけど、
日本どころか海外のメディアも「新型コロナウイルス(novel coronavirus)」表記が今日も目立つよ。冷静ぶったインタビュー記事を載せているBuzzfeedとかでさえ3月3日現在新型コロナウイルス表記のままだよ。酷い奴は新型すら付いてなかったりするよ。
病気の名前が「COVID-19(コロナウイルス疾患-2019年って意味だよ)」、ウイルスの名前が「SARS-Cov-2」になってから半月以上経つのにメディアはどっちも全然使ってくれないんだよね。
SARSの名前を出せば今の20代後半以上の日本人はこんな増田なんて読まなくても恐ろしさを察してくれると思うんだけど、きっと厚労省やメディアには深い考えがあるんだろうね。未だに武漢肺炎なんて呼ぼうとしてる反中派も同罪だよ。(ちなみに医療系メディアはちゃんとSARS-Cov-2と書いてくれている所が多いよ。)
メカゴジラがパワーアップしたメカゴジラ2が街を襲いに来てるのに、フナムシが変異したショッキラスが来てると勘違いさせてるような物だよ。これだとコアなゴジラファンにしか伝わらないから最近の言葉に言い換えると、人型のシン・ゴジラ第5形態よりも進化して姿が全く見えないシン・ゴジラ第6形態が社会に浸透しているのに「ラブカ上陸」って記事出してるような物だよ。ここから更に変異(進化)したら怖いね。
もうイベントとかを心配する前に復興(ワクチンが実用化してイベントが100%何の縮小も無く開催できる時期)まで生きられるように努力した方が良いと思うよ。アメリカでは既に長期戦を覚悟して4月末、5月のイベントも続々中止や延期が決まっているよ。
上で挙げたスペイン風邪の場合、日本の人口は今の半分の6000万人未満だったけど皇族やら文化人やら身分関係無く39万人ほど(総人口の約0.6%)が亡くなったよ。今の日本の人口に当てはまると人口の0.6%も死んだら76万人超だよ。季節性インフルエンザの毎年の死者のおよそ半世紀分だよ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/column35.html
当時と違って今は世界大戦もやってないしインターネットで情報が伝わってワクチンを1年ちょっとですぐに作れるから流石にこんなに死なないはずだけど、ノーガード戦法で広めるバカが増えて実際に罹っちゃったらガチャでピックアップSSR(1%前後)を当てるよりも高い確率で死ぬ可能性があるよ。
5人に1人の高過ぎるにも限度がある重症率だから、これがライブの出演者とか即売会のサークルの間で感染拡大したら病院送りになってそっちで路頭に迷う人が続出する可能性も非常に高いよ。というかその規模になってしまった頃には医療崩壊して日本の致死率も武漢以上に増えてしまう。
ここまでの文章を読んで「ただの風邪でイベント自粛させやがって!」とかまだ思える人はもう一回義務教育からやり直してきてね。あ、休校してるわ。(完)
長々と書いたけど今回の新型コロナウイルス(SARS-Cov-2)は間違いなく後々の歴史に残る大事件です。ウイルス感染のリスクが低い最低限の消費・経済活動まで自粛するような事は不要だけれど(神田うののスキー叩きの記事みたいなのとかやめようね!)、ウイルスを過剰に過小評価(ダジャレじゃないよ)してウェーイってウイルス撒き散らしそうな行動するのも、やめようね!
1 ググることは禁じる
2 ダラダラやっても仕方ないから30分以内にケリをつける
3 頑張って思い出そうとせず思いつきで書く
4 感覚だけで書く
ハルヒが何年前のアニメだったのかはもう覚えていないが、多分2010年代のアニメではなかっただろう。
だが2010年代のアニメが始まる前の世界の土壌にはハルヒがたしかにあった。
ハルヒみたいなすげー流行るアニメとかねーかなーと皆が思っている間に電撃文庫が廃れていって、とある科学の超電磁砲も段々飽きられていた。
皆けいおんに夢中になっていたし、けいおんからアニメに入りましたと言っていた。
それが映画があったり大学生編が微妙だったりしているうちに2010年代が始まった。
パチンコから興味持ってまどマギみてめっちゃハマりました感動しましたとニワカアニオタがめっちゃ増えた。
叛逆の映画が続編あるふうに終わったのにいつまでも続編が作られず、虚淵はおっぱいがプルプルしてる映画やメカゴジラが出てきたり出なかったりする映画を作るのに必死でこの作品は忘れられた。
人々には喪失感が残り、その後とにかく女の子を不幸にさせるアニメがたくさん作られた。
代表的なのは結城友奈は勇者であるシリーズで、これは色々パワーアップしたり過去編をやったりあーだこーだしてソシャゲが出たりしてなんかいつの間にか終わった。
このアニメは流行りはしたけど、女の子を酷い目に合わせれば売れるの限界を感じさせる作品でもあった。
でも刀使ノ巫女とかのアニメは引き続き出てきたし、とりあえず女の子を何度か酷い目に合わせておけばいいというコンセプトはアニメ業界に深く残ることになり、今後もずっと続くだろう。
ただこれが1990年代の深夜アニメにおける悪趣味展開と違って、最終的にハッピーエンドで終わらせようというのが定番になっている。
最近やっていた神無月の巫女風SDゼオライマーことグランベルムも、ベースとなっている作品の通りに陰湿でありながらも最後はちょっと傷跡の残った平和な世界の中で終わっている。
徹底的にボコるけどやや砂糖マシマシのヴィタースイートゥで終わらせる流れはもう10年続きそうだ。
そして今でも流行っている。
いやどうなんだろう。
これも続編が作られると言われ続けまだ製作中のエヴァンゲリオン系アニメだ。
エヴァみたいに続編をダラダラ作り続けるのが最近のアニメの流行りらしい。
無茶苦茶だ。
ガルパンの大きな特徴として、特殊なカーボンという概念がある。
スピルバーグ監督の俺の宇宙では音は聞こえると同じようなものを日本の深夜アニメが積極的に取り入れた瞬間だ。
リアルっぽく描くけどフィクションになる部分は徹底的にフィクションになる。
リアリティのラインを明確に視聴者に提示するということが今のアニメのコンプライアンスである。
これを語らないわけには行かないだろう。
SAOの登場以降、オタク文化においてゲーム的な世界観の中に人間が入り込む作品の数は急激に増えた。
基本骨子は.hackが2000年代に作っていたので真新しさがあるわけではない。
というかSAOが走りというわけでもない。
だが、始まりだした大きな流れのトップランナーであったのは間違いない。
その後次々に誕生したなろう系MMO転生の原点とも言えるが、それらとは違って現実と行き来するというのが時代の境界線を残していて面白い。
なろう系MMOだと作者が副業をしているのを隠しているオーバーロードや、脱税で捕まったNHKでやってたMMOの奴あーもう名前出てこないやとりあえずアレとか、造り手側が半アマチュアで謎の個性を発揮しているものがあ多いように思う。
まあ香ばしさだとお兄様こと魔法科高校の劣等生の作者のネトウヨ中二臭の方が凄いが。
そして様々なヴァーチャル世界が登場する中で一度は、バーチャルは魔法じゃなくてロジックなんだと思わせてからのグリッドマンである。
最後にこれを話したい。
石鹸枠のなろう版と言えばいいのだろうか。
元は、異世界はスマートフォンとともにという作品があまりに低レベルかつ俺TUEEEEすぎて桃太郎のスマホ版かの如き幼児レベルだったので付けられた蔑称だ。
だが、異世界にチート能力を持っていき俺TUEEEEするという作品群のどうしようもなさを表現するのにとても素晴らしいので今では何にでも多用されている。
そして、タイトルに一文字も入ってない単語であっても作品の象徴として言われるほどに、ネットミームのちからが強い時代でもある。
鉄血のオルフェンズなんて作品そのもの以上に止まるんじゃねえぞ💃が有名だし、大昔のアニメであるはずのブレンパワードのクリスマスプレゼントだろ!はシーズンになると動画がツイッター等に貼られまくるので本編を知らないのに諳んじれる人までいる。
深夜アニメ黎明期はアニメのネットミームなんてほとんど生まれなかったし、2000年代でもニコニコで特徴的なアニメミームが生まれることはあってもそれが作品のイメージを完全に固定するほどではなかった。
だが、2010年代のアニメはミームによってその姿を決められる。
それも全部シャミ子が悪いんだよ。
あっ29分。
終わり。