はてなキーワード: 代用魚とは
うなぎパイが好きなんだけど、うなぎが絶滅危惧種って言われて食べるのひかえてる。
うなぎパイが素晴らしい。
お茶にも、コーヒーにも、紅茶にも、それこそコーラやファンタにも、究極をいうと水にも合う。ボルヴィック飲みながらうなぎパイなんて洒落ているじゃありませんか。
でも、このうなぎパイが無くなるなんて人類の損失だと思うんですよ。
北斗の拳の種籾爺さんみたいに、今ある分だけ食べるより、もっとたくさんの人間にうなぎパイを食べてほしいから、俺はうなぎパイ食べるのを我慢するよ。
数十年後、孫ができた時、渡すのはもちろんヴェルタースオリジナルとうなぎパイ。
多分、コレを機に源氏パイが勢力を伸ばすことでしょう。すると平氏の人間が黙っていないでしょうから、平家蟹でバランスを取ろうとするでしょう。
平家蟹って平氏の怨念が映らないと行けないので、バランスを取るために多くの平家である人間が処分されるでしょう。
そんな世の中でいいのですか?源氏パイを勢力拡大させないためにもうなぎパイは必要なのです。
「うなぎパイ 偽物」でググると山のようにでてくる。これらはうなぎ不使用の偽物です。代用魚を使っている。
でもそうじゃないんです。もしこれらの模造品がメインになったら何が起こるか。
そう、人類は食事を人工的に栄養を固められたキューブ状の食料をとるようになる。
じつはうなぎパイの模造品は、それらのキューブ食材の試験場である。
誰もが大好きなうなぎパイを使うことで実験するなんて許せない。
※ この文章は昔、ワードサラダ生成して鍛えた乱文製造能力で作り出しました。あの仕事をしていら乱文を製造しないと気が休まらない体になってしまったのだ。
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
「~~は悪」みたいなムードを作るのは不可能じゃない?どうやっても。
情報アンテナの高い人は理解を示すかもしれないけど、そうでない人との断絶は深い。
既に親しまれている食材だし、日本人は食への執着が強いからね。
だからそういう人道的アプローチじゃなくて、経済的アプローチしかないと思う。
具体的には、業界が結託して、代用魚を「うなぎ」と称して堂々と売り、
いま「シシャモ」として流通しているのは実は本来のシシャモではなくてカペリンなのだけど、
それに不満を言う人はいないでしょ?
そういう風にしていくのが良いと思うんだけど。
頭の悪い人は偽装呼ばわりして騒ぐかもしれないけど、
ならほぼ流通しない本物のうなぎを高値で買うのか、って言えばだいたい黙って適応するしかなくなるでしょう。
近年では近大がウナギの代用魚にナマズを用いるという発表が話題になった。
じゃあどうすればいいのか。
だけどスーパー玉出で売られてるピンクの蒲焼きは色んな意味で駄目だろう。
実は代用として最も知られるアナゴも近々絶滅危惧種に指定されるかもしれない程生産量が減ってるらしく
この間探偵ナイトスクープで田ウナギを代用しようという企画があった時、
実際に食したらそんなに巧くなかったというのがあった。
ただ、食感はそれっぽいので候補に入れてもいいんでないかと思われる。
ただ、価格がウナギも吃驚のクソ高いものなのでそれならウナギ喰うよなってなる。
それじゃあ本末転倒なので出来るだけ価格を抑えられるものが望ましい。
是非優秀な増田の知恵を貸して欲しいところ。