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はてなキーワード: 生肉とは

2021-06-13

anond:20210613154338

ちょっと前に寄生獣アンソロジー企画があったけど、味付けされてない生肉不味いってことで

料理に凝りはじめたパラサイトにも出てほしかったと思う。

ちょっと近いのが太田モアレ作の「おれにとっては健康こそが……!」とか言ってた作品

そもそもパラサイトに味覚が存在するか謎だが「人間部分」を健康管理していくために

食物が適切かを判断する能力必要だろう。

anond:20210612161601

生肉、生魚を食べる奴らなんだから当然

人はなんでこんなに塩味が好きになったんだろうな

2021-06-07

anond:20210607105039

万引なんてしなさそうなやつがなぜか盗むからリアリティあるんだ

ビックリマンに興味もない姉がいきなりビックリマンシールを盗もうと提案したという馬鹿力の投稿ネタがいまも忘れられない

小2の時仲のよかったHと悪ガキの柿崎の3人で僕の家で遊んでいました。Hはたくさんビックリマンシールを持っていて、その日もたくさんビックリマンシールのあるアルバムを持ってきていました。Hが熱心にファミコンをしているときに急に僕の小5の姉が部屋に入ってきて、僕と柿崎廊下に呼んで「あいつのビックリマンシール、ぬすまねえ?」と言い出しました。柿崎はすぐに了承に、僕もHのビックリマンシールは魅力的だったので、こっそり抜き取り山分しました。その後のHtono関係結構普通でした。今不思議に思うのは、なぜビックリマンシールに何の興味もない姉があのとき悪魔のようなささやきをしてきたのかのみです。

スペイン太郎さん)

http://ijuinmania.blog84.fc2.com/?m2=form&no=1258



てかビックリマン子供犯罪者にしすぎ

小学校6年生の頃、その頃はよく甥っ子の年下のR君の家で遊んでいました。その日R君の家で遊んでいるとその頃大流行だったビックリマンシールが大量に出てきました。僕が「へえ、こんなにたくさん持ってるんだ。あ、僕の持っていないヘッドもある」というと、「ヘッド以外だったらダブってるやつあげるよ」と言ってくれ、僕の持っていない天使・お守り・悪魔などをもらいました。そのときはそれで家に帰ったのですが、しばらくしてどうしても欲しいヘッドがあり、必死チョコを買いシールをゲットしていったのですがどうしても出ません。少ししてR君の家に行くと僕の欲しかったヘッドはそこにあります。その夜R君のおばさんから電話があり、「ビックリマンワンダマリアとやらがないんだけど知らない?」と言われました。僕は「知らない。ワンダマリアなんて見たこともない」と言ってその電話は終わりました。ワンダマリアはいまだに僕の宝箱の中に大切に入っています。ちなみにR君の家とはいまだに交流があり、R君はこの番組をきいています。R君、本当にごめんなさい。本当に。

(イクオさん)

5・6年前の小学校ンのときビックリマンが僕ら小学生の間で再びブームとなっていました。休み時間の話は「ビックリマンスーパーゼウスがでない」や「帰りに駄菓子屋協同で箱買いしよう」という話。しかし興味もお金もなかった僕はその話についていけませんでした。ある日教室はいると男子の人だかりができています。なんだろうと見てみると、貧乏でそんなに目立たないS君の手にきらきらしたものがもたれています。そう、それはめったに出ず、店に行くと高額で取引されているスーパーゼウス。僕とS君は貧乏仲間で「俺たちはあんブームには流されない」と言っていたはずなのに。S君はたまたま母親のお遣いでいった買い物のお釣りでかったビックリマンで1発ゼウスを引き当てて一役ヒーローになっています。それにくらべて僕はちょろちょろはえてきたチン毛を風呂場でそったりそらなかったり。そりゃ体育の時間に「腹痛いかトイレいってきます」というフリをして忍び込んで盗みますわ。その後帰りの会で僕が疑われましたが「あいつはビックリマンを集めていないから違う」という理由でシロと断定されました。

フランケンさん)

(上記URLと同じ)

 私は、両親のお金に手を付けた事はありませんが、強いて言えば私が小学校低学年の頃、当時の私の頭の中はビックリマンシールで一杯でした。友達と話す事もいかにたくさんの種類のビックリマンシールを持っているかでした。

 しかし、1個30円とはいえ小学生の私のお小遣いなどで買える数はたかが知れていました。

 そこで結成したのが『ビックリマン盗賊隊』。友人2人とコンビニに入り、パンツの中にビックリマンチョコを忍ばせて出てくる、これを繰り返すおちゃめな隊でした。

 運がいい事に半年ほどやって1度も捕まった事はなく、気を良くした私たちはいしか大胆になっていきました。

 そんなある日、家の近くのこども銀行のお札を「毎度どうも」と言って受け取る老人のお菓子屋さんで、私はいもの行動に出ようとしていました。

 これまでも何度かやった事がある通り、その老人の目を盗み、いつものように物色。パンツに5個のビックリマンを入れ、出口を出ようとしたその時、老人が静かに言った言葉

 「お姉ちゃん今日はいくつパンツに入れたの?今日は見てなかったから教えといて。あとでまた、お母さんの所にお金もらいに行かなきゃならないから。」

 みんな知ってたのかぁ…。

 次の瞬間、老人の前でパンツからビックリマンを出すと、涙をポロポロこぼしながら「でもね、私にも色々あるから…。」と訳の分からない事を言い、近くのほら穴で泣きました。

 (江東区PN:生肉)

http://ijuinmania.blog84.fc2.com/blog-entry-797.html

 あれは私が小学校2、3年生ぐらいの時です。当時私たちが集まっていたら、それはビックリマンシールの交換会でした。学校男子生徒のほとんどが集めていましたが、私とそのT君を含む6、7人ほどのグループが一番熱狂的でございました。

 ある日、緊急招集がかけられ、私は弟を連れてその公園に行きました。そこでT君が皆に見せたのは伝説と化した『お守りシール』でした。その『お守りシール』はうちの学校では誰も持っていない物で、もう船橋市にはないと言われておりました。

 「手、手にとって見せて。」と言う僕に「ああ、いいよ。」T君は迷わず貸してくれました。

 手に取った瞬間、これまでの苦労が走馬灯のように甦りました。バカな噂に流されて隣町のガードを越えたデイリーストアーのレジの横に置いてある箱の右の列の後ろから5番目のチョコを買ったり、そういった事でした。

 そしてその苦労と同時に私の中に1つの考えが浮かんでしまいました。

 「何で、何であんなに苦労した僕が手に入れられなくて、Tは手に入れられたんだ。」

 そう思うや否や、私はそのシールを持って走ってしまいました。

 逃げおおせて、アパート階段の下に隠れて、改めてそのシールを眺めました。と同時に凄い事に気が付きました。

 明日学校に行ったら、T君や他の皆に出会ってしまうじゃないかということです。この疑問は幼い僕を悩ませました。

 そして5分後、今日の夜12時までに取り返されなければ時効だと自分を納得させました。つまり今日1日安全な所にいればいいんです。

 私は家路を急ぎました。

 家まであと数mとなった時、後ろで叫び声が。

 「いたー!追いかけろー!」

 なんと、私包囲網が出来ていたのです。

 後からわかったのですが、その包囲網はT君達5、6人がクラスの皆に声をかけ、この時既に20人ほどに膨れ上がっていました。

 1時間ほど逃げましたが私は逮捕され、窃盗品は押収されました。

 しかしT君は泣いていました。僕も自分が悲しくなったのでしょう、涙を流して「ゴメン、もうしないから、もうしないから」と謝りました。それ以来、「もう人の物は盗らない」と心に決めました。

 僕は心晴れ晴れと家に帰りました。

 しかし、「ただいまー。」元気良く家のドアを開けると、なぜか母親閻魔様の乗り移ったような顔で仁王立ちです。

 「あんた、T君のビックリマンシール盗ったんですって?」と言います

 僕は「お母さんがその事を知ってるわけはない、お母さんがその事を知ってるわけはない」と思い、

 「知らないよ。」

 そう言った瞬間、私は玄関に倒れていました。

 「本当の事を言いなさい。盗ったの?」

 母親の顔はマジです。もし「盗った」と言ってしまったら、もう1発、今度は正拳が飛んできそうな雰囲気でした。幼い僕はもうシラを切りとおすことを選択しました。

 「違ーう!T君のシールを宝物ということにして、皆で軽ドロ、軽ドロをしてたんだ!」

 完璧な話だと思った瞬間、弟が後ろからナイスアシスト

 「違うよ、クラス人達が言ってたよ。お兄ちゃん盗ったんだよ。」

 私は倒れました。

 「あんウソまでつくのかい!あたしがいつこんな事を教えたの?今から一緒にT君の所に謝りに行くんだよ。」

 私はつい20分前に泣いて友情を確かめ合ったT君の家に、また泣きながら謝りに行くという惨めな思いをしました。

 私はこの事件の後、人の物を盗む事・ウソをつく事を絶対にやらないと誓いました。

 (北区PN:スタン大先生)

http://ijuinmania.blog84.fc2.com/blog-entry-794.html

2021-04-27

今日増田

富山ユッケ食中毒事件から明日10年経過するそうだ。

運営会社の元社長らは再び不起訴とのこと。

この事件以来、ユッケレバー生肉禁止されるようになったと記憶している。

病院関係者医者だったと思う)から聞いたところでは、鶏肉でも危ないんだそうだ。

それでも、鳥刺し提供しているところは何軒も有り、それを食している客は結構いるようだ。

俺は食べたくなくても、取引先=顧客から「この店の鳥の刺身大丈夫」と言われ、

無理矢理食わされたことは、何度かある。毎回、一口で遠慮させてもらっているが。

馬刺しなら大丈夫と、これも医療関係者からいたことが有るが、しかしその人は食さないとのこと。

あの事件以来、一、二度は食したものの、最近では馬刺しすら遠ざかっているのが現実だ。

昔はたまに食べてた牛のレバ刺し、食べてみたいと思う事はたまにあるが、

命と引き換えにでも食べたいのかと言われれば、そこまでではない。

ユッケは食したことは無いし、もちろんフグの肝も食したことは無い。

命を懸けてまで食べるものなどないと思っているが、

〆鯖はどうなのだろうか。

自分調理した〆鯖でアニサキスにやられ、イレウスで腸閉塞となったことが有った。

大学病院先生に言われたが、「恥ずかしながら、医師医療関係者でも、発症する人はいる」とのこと。

それでも安全な〆鯖は有るので、十分に吟味した上で、こちらはこれからも食すこととしたいが、

やはり危険調理師、職人はいるのだろうな。

とりとめが無くなり申し訳ないが、今日増田としたい。

2021-04-18

anond:20210418220630

生肉や生魚の汁がエコバッグにまで漏れるのを避けたくて、無料の小さい透明ポリ袋結構もらうようになってしまった。

以前は無料でもらっていたポリ袋ゴミ袋として再利用していたが、今はゴミ出し用には自分で買ったものを使っている。

そう考えると、実は自分が使っているポリ袋の総量はむしろ増えている可能性がある。

2021-04-14

窓辺から差し込む支留比亜珈琲の光を眺めながら晩餐をかきこんでいたところ

不意に一つの疑問が浮かび上がってきた。

そして、それと引き換えに指先からこの世のすべて、世界の真理が零れ落ちていくのを感じた。

生肉を掴んだトングで焼けた肉を取ってはいけないというが

肉をひっくり返すときに生焼け肉に触れるのは大丈夫なのか

主よ無限トング授けたまえ

2021-04-08

anond:20210408065827

・嫌いなもの(嫌いだから

・体に合わないもの原材料表示があまいのでアレルギー持ちは自分で調べないといけない)

生肉食中毒から肝炎など後遺症になることも)

油脂・揚げ物(消化に悪くあとで気持ち悪くなる原因だし、太ってのちのち成人病になる)

とにかく外食では生存本能を働かせろ

 

逆に冬場の生野菜などは原価高くて体に良くて最高

ニュースで長雨のせいでレタス一玉500円!?かいっててもサラダバーにはサラダと謳う以上レタスは出さないといけない

かといって一度にそうたくさん食べられるものでもないから店もしょうがないな~くらいの気持ちで暖かく見守ってくれる

 

ちなみに関東圏のやつらはブロンコビリーサラダバー食べたこと無いってほんと?

めっちゃ体にいいサラダバー

2021-03-12

anond:20210312091629

ベースに「生魚を喰う=野蛮」っていう認識があるから問題になる。エスキモーも(もともとは違った意味だけど、)「生肉を食う野蛮人」っていう意味が込められてたか最近では使われなくなった。

から例えるなら、韓国キムチの国、中国餃子の国、って言ってるようなレベルでとらえるけど、

韓国を犬肉の国、中国コウモリ肉の国っていうくらい問題がある発言になるかと。そりゃまぁ差別的意図がるととらえられてもしょうがない。

 

追記

日本人で言い合う感じなら、大阪お好み焼きの国じゃなくて、お好み焼きをおかずに米を喰う国、っていうみたいな。

2021-03-09

死んだ飼い猫との思い出

時々ふと思い出す、数年前に死んだ愛猫のこと。思い出すたびに胸の底が冷たくなる。

先に書いておくが、飼い主としてとかではない。私は猫は好きだけど飼い猫にイマイチ愛情を持てなくて、他の家族が可愛がっているのを遠目に見ているくらいだ。

数年前に死んだ猫は私が小学低学年の頃に母が知り合いからもらってきた猫で、大柄で毛が長くて臆病な子だった。

先住猫が既に1匹いたが、結局最後まで仲良くはなれなかった。

若いから晩年まであんまり活発的に動くこともなく"ネコ"の名に相応しいくらい寝てばっかりだったし、そのくせ食い意地だけは張っていて、人が何かを食べていると結構確率で起きてくる。あと人馴れもしなかったんだけど、亡くなる少し前には何故かとても人懐こい猫になっていた。

私は飼い猫が嫌いってわけではなったけど、他の家族が飼い猫のことをずっと可愛がっていたから、ほっといても誰かがやってくれるし世話もしなくて良いや〜っと思っていた。事実、母が頻繁に餌をやっていたし、父は凄く凄く溺愛していた(+トイレ掃除)し、妹は散歩に連れて行ってあげていたので、私の出番は殆ど無い。別にやりたいというわけでもないので、特に何も気にすることはなかった。

飼い猫が亡くなる数ヶ月前、家族で行った買い物先から帰ったところ、キッチンの床に血が付いていた。みんなビックリして何の血かと探したら、飼い猫の口周りに血が付いていた。痛そうにしてるとか怪我してるとかもなくて、本当にいつも通り座っていたものから「鳥とか生肉とかでも食べた?」と考えたりもした。

次の日に大事な親戚の集まりがあって、どうしても欠席は出来なかった。まー普通にしてるし、大丈夫でしょ。みたいな雰囲気になったけど、私は心配で仕方なかったので、飼い猫を壊れかけのキャリーケースに詰めて、検索して出てきた遠くの夜間病院まで行った。

もう終電間際だったから途中で電車が無くなったので、深夜の住宅街をひたすらに歩いてやっと着いた病院。結果は何にも無かったんだけど、何かあったらいけないからということで獣医さんが紹介状を書いてくれた。

それから紆余曲折あって、数ヶ月後に突然死してしまった。今回の話とは関係ないので端折るけど、良い死に方はしなかった。厳密に言えば母のせいではないんだけれど、母が発端となり亡くなってしまったので、母は一時期とても落ち込んだ。

で、初めて飼い猫が死んだので知らなかったんだけど、火葬用の車が家の近くまで来てくれて、一応葬儀らしきものをしてくれるらしい。私は暇だったから参加することにした。父と妹はどうするんだろ?と思っていたところ、二人は「欠席する」との事だった。

???父は元々冷血漢だから別にだけど、妹はイベントか何かがあって行かれないとかで???ん??あんなに可愛がってたのに????世の中にはペットが死んだ場合有給申請が認められてるらしいが、我が家では誰も取る人がいなかった。この記憶が、私の中の心がヒヤッとする思い出の一つである

葬式は、母が終始大号泣葬式を取り仕切ってた人(?)もつられて大号泣、安っぽい小サイズスピーカーから流れる安っぽい音のG線上のアリア。私はこういう"ほら、泣けよ"という演出(捻くれててすまない)が昔から苦手で、気持ちが冷めて二人の雰囲気にどんどん置いてかれて居心地が最高に悪かったことを覚えてる。あと当たり前なんだけど、死後硬直した猫って人形みたいな感じで、死体がすごい苦手なので触らなかった。生前は触れてたのに。

大体1時間くらい近所で骨を焼いて、戻ってきた。母はまた泣いてたけど、私は何も感じなかった。死んだと聞いた時も、葬式の間も、骨になって帰ってきた時も、今もずっと。

何も無いというか、10年以上居た飼い猫が死んだことよりも、その周りのことの方がよっぽど感情を揺さぶられるというのが近い。

あんなに可愛がってたと思っていたのに、飼い猫の死をきっかけに"みんな実は言うほど可愛がっているわけじゃ無いのでは?"と考えるようになった。いや、勿論、世話をたまにしかしない私より、世話をしてるみんなの方が愛情はずっと深いと思う。

でもたまに、あの葬式前夜のモヤモヤ感や、夜間病院の道のりを思い出しては、何とも言えない感情が湧き上がる。

葬式の当日、父は様子を尋ねることもなかった。妹は聞いてきたけど、上記の通り私は完全に気持ちが離れていたので、母のことを中心に伝えた。それ以上のことは聞かれなかった。

夜間病院の時、冬間近で小雨も降っていて、寒くて心細かったけど、今考えてみれば飼い猫との唯一の思い出だ。壊れかけのキャリーケースの中でたまに細く鳴く猫の声を頼りに歩いた暗い道を、今でも覚えている。ちょっとスタンドバイミーみたいだとも思う。

もし飼い猫に何かあった時、真っ先に立ち上がるのは自分じゃなくて誰かなんだろうなーと自覚してたし、他の家族にも「アンタは飼い猫に興味ないよね」言われた。きっとあの日までは事実だった。愛情って何だろうね。私が何かあった時、家族に同じ対応されたら、そして手遅れになってしまったらどうだろう?と時々考える。

因みにここまで書くと母が一番猫のことを思っているように見えるけど、多分母が中でも特にヤバい。私よりヤバい。詳しくは書けないけど、猫の対応見てると「あ、この人はやっぱり毒親なんだな」と再確認させられる。

焼肉のタレを使う時は焼いてから使え

今まで、焼肉のたれを使う時は

洗い物削減のために丼にご飯乗せてから具材を乗せてた

その流れで、なんとなく生姜焼きよろしく焼肉のタレも焼く前の生肉に絡めて焼いてた

そして今日、ふと思い立った

焼肉のたれなんだから焼いて肉を乗せた段階でたれをかけた方が美味いんじゃね?と

ということで早速試してみた


カナダ産の豚こま肉 200gに対して塩コショウをテキトーに振って、テキトーに焼いた時点で試食をしてみると、塩コショウだけでも意外と美味い

ご飯のおかずというよりか酒のアテに近いが単品で食う分には全然いける

しかし今回はご飯のおかずにしたいので、焼いた肉を焼肉のたれ(甘口+辛口)に軽くくくぐらせてみる

するとどうだろうか。今までやっていた生肉+たれ=焼肉計算式より、焼いた肉+たれ=焼肉計算式の方が美味く感じるではないか

これは偉大な発見であった。次回は牛や鶏、野菜ターゲット検証をしてみたいと思った

2021-03-02

生肉やん

https://togetter.com/li/1675870

ラーメン屋店主の嘆き「知識のない『低温豚チャーシュー』はホントやめて下さい」…「鶏もヤバい」の反応も

AT先生をおもいだすなどする

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-02-16

anond:20210216134211

マジレスすると、サルバナナを棒で取るが、生肉を棒で取りはしない。

バナナを食べるのがサルからだ。棒がなくてもサルバナナを取る。

 

同様に、人間インターネット非モテ論争をする。

非モテ論争をするのが人間からだ。

インターネットがなくても非モテ論争を俺たちはしてきた。これが好きなんだ僕らは。

2021-01-27

anond:20210126230304

生肉を血生臭いって感じないなら鼻が悪いだけだぞ

2021-01-19

anond:20210118202647

逆だろなー

栄養あるものを旨いと感じるように進化してきただけ。

肉食動物は血まみれの生肉を美味しいと思ってると思うぞ。

ってことはあいつらは怪我したら自分の血が美味いのか?

メンヘラばりにリスカしないか心配しょうがない。

2021-01-03

anond:20210103163820

現代人類はなんでそこまでして生肉を食いたいのだろうか

anond:20210103163204

実はユッケ代替流通品として牛肉生ハムの刻みというのがある

本体結構塩辛いのを差し引いても生肉っぽい食感なのが好評なようなので、やっぱり生肉風味なんだろうなアレ

スーパー正月見切り品で牛生ハムがあったので買ってきた

豚肉スーパー売り生ハムとは風味も味も違って、生肉パワーがおいしいな

即席生ハムでもこれってことは、原木とかで作ってると生肉食ってる感満載なのでは?

2020-12-31

刺身が苦手という増田を見たが

全文同意しかなかった

自分は魚が嫌いというか、生の魚?が無理

同じ理由生肉(に近いやつ)とか、生卵(卵黄を料理の上に乗せる程度なら大丈夫)も無理

火が通ってるなら肉も魚も卵も好き。同じ理由生野菜あんまりきじゃない

もっと野菜メシマズ家庭だったのも影響がありそうだけど


話を戻すと、生魚がダメな原因は幼い頃に寿司で嫌な思いしたのが原因かなって考えてたんだけど

最近になって刺身一口食べてみた。でも無理だった。全然美味しく感じない。エビとかも無理。でもエビフライとかエビチリは好き。自分で作ったこともあるし

そもそも冷たい魚っていうか、冷たいのに脂が乗ってるのが無理。口の中でとろける~とか絶対ウソだろって思ってる

ちなみにそんな人間でも生チョコは好きです

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