はてなキーワード: 蓬莱学園とは
蓬莱学園を出してた富士見ファンタジア文庫もAmazonに本を出してるし
にも拘らず中古が2万とか言ってる蓬莱学園のKindle版がないのって
だからさぁ
今回の復刊運動とか
どうも、ピンとこない
https://togetter.com/li/702949
どこでも電子化していいよんみたいに書いてるけど
本当かねぇ?
ってのが正直な感想
実際の経済や軍事にさえも影響力を及ぼすことが可能で、賞罰もリアルマネーで行われることが少なくない。
圧倒的な作り込みとリアルへの地続き感ながら、虚実織り交ぜる実力があれば誰でも何者にもなれるし別人に成り代わることも可能。
驚異的な自由度の高さと方向の見えなさ。
プレイヤーによる自主的なゲーム内非公式イベントも日夜開催されておりむしろそっちがメインコンテンツと言える。
大型プレイヤーによる大規模活動は人々に強烈な影響力を与え、それを受け他の大型プレイヤーが大きく介入することで自体は更なるカオスに。
なぜPBMが滅びたのか。
メイルゲームを知らない人に、辞典的な通り一遍の説明ではなくその魅力を説明するために書いてみた文章なんだが、
知らない人にわかりやすいか、興味を持ってもらえそうか、みなの意見を聞いてみたい。
メイルゲーム(PBM)とは90年代にアナログゲーマーの間で人気になった、郵便を使った物語形式の大人数参加RPGの一種である。最盛期には1ゲームで5000人以上の参加者を集めた。
メイルゲームは主催が用意した世界にプレイヤーが自分の分身になるキャラクターを登録するところまではインターネット上のオンラインMMOに似ているが、メイルゲームでは当然リアルタイムではなく、プレイヤーは1か月に一回の締め切りまでに自分のキャラクターの行動を所定の行動計画書に記述して運営会社に送ると、運営会社のゲームマスターたちは各PCの行動同士を突き合わせ、行動結果を判定して、ゲーム中でのPCの実際の行動と生じた事件を小説形式(リアクションと呼ばれる)にして各プレイヤーに返送する。
これを一般的に12回(12ターン)繰り返して1年で一つのストーリーが終了するのが一般的だった。
メイルゲームの(MMOと比較した)特徴としては以下の点があげられよう。
①時間は拘束されないが期間が拘束される。
1ターンは通常1か月で、プレイヤーは行動結果小説を受け取ってから2週間のうちに情報を集めて仲間と行動計画を相談し、締め切りまでにPCの行動を決めなければならず、かなり忙しい。とはいえ、イベントでもない限り時間配分は融通が利き、拘束されることはない。行動提出した後は、今度はマスター陣が2週間のうちにPCの行動判定をして、小説化して、発送する。その間、プレイヤーは特にすることはないのでのんびり待つことになる。
しかし、一度参加するとゲームを中断しない限り1年間はゲームに時間を取られることになる。
②キャラクターの取れる行動にシステム的な制限がない
MMOであれば、PCがゲーム中で取れる行動はある程度決まっている。自由度が高いゲームでもキャラクターは事前にシステムに実装されている行動しかとることはできない。
しかし、メイルゲームでは「状況や能力が許す限りで、行動用紙に書ける内容であれば」大抵の行動はとることができる。チームを組んで複雑な行動をしようとすることも、新興宗教を立ち上げようとすることも、敵の親玉を口八丁で騙して罠にかけようとすることも、地球を担保に異星人からロボット兵器の購入を試みることもできる。
ただし、その行動が成功するかはマスター陣の判定次第。行動内容が目的達成にはに不十分と見なされれば失敗するし、多くのプレイヤーの行動が相互に影響を与え合うため、時に誰も想定しなかった結果になることも多い。
このように、問題解決において他のプレイヤーとの根回しや行動の創造性がかなり影響する。
③情報が分散して提示される
返送される小説はそのPCか、同じグループの視点から知りえることしか書いていない。同じ場所にいて同じ事件に遭遇しても、そこに書かれる情報は大きく異なる場合もある(あるバージョンでは突然起きた正体不明な事件が、別のバージョンではその内幕が詳細に書かれているなど)。
プレイヤーは自分の受け取った情報を他のプレイヤーに伏せておくこともできる。が、その場合、プレイヤー同士の情報交換に参加することが難しくなる。どれだけレアな情報であっても、全体からは局地的な一事件の情報でしかない。なので、ゲーム全体の動向を知ろうと思えば情報交換に参加する必要があり、自分が受け取った情報をどこまで・誰に公開するかが重要な駆け引きになる。
ゲームで必要な最低限の共有情報はプレイヤーに毎月送られる冊子に書かれているけれど、それも「真実」が書かれているとは限らない。真実を知るにはやはりいくつものバージョンを収集して突き合わせるしかない。
特に参加者が多く情報戦重視の遊演体のゲームでは、1ターンに200バージョンを超える種類のリアクション小説が発行されていた。このため、2週間の「プレイ期間」には速報同人誌が発行され、情報収集やプレイヤー同士の作戦会議のためのプレイヤー主催のイベントが盛んに行われていた。
④全体を貫くシナリオとタイムリミットがある
MMOはゲーム内ではシステムアップデートでもない限り大きな変化はないが、メイルゲームでは12ターンの間に解決せねばならない問題が設定されていて、さらにそれが最初は隠されていることが多い。そうした課題は一人では解決不可能で、多くのPCの協力が必要になる。プレイヤーたちは期間内に、自分たちそれぞれの課題を解決したり足を引っ張り合いながら、隠れた課題を見つけ出して集団で解決することを求められる。
例えば90年の「蓬莱学園の冒険!」では、巨大学園都市に新入学したPCたちが、最終ターンで「地球空洞世界」の危機と学園独立騒動を解決して終わる。
わずか12ターンの間にゲーム構造が変わってしまうほど状況の変化が速いことも、情報収集が必要になる原因である。
この「シナリオ」は予定調和的なものではなく、隠された大まかな仕掛けのようなもの。プレイヤーの行動次第でどんなストーリーになるかは全く変わってしまう。
なので、もしプレイヤーがこの問題解決に失敗するとバッドエンドも普通に発生する。93年の「夜桜忍法帖」では人類がほぼ絶滅し阪神タイガースが世界制覇、95年の「鋼鉄の虹」では対立し戦うプレイヤーの所属国が両国とも第三国に攻め込まれ滅亡した。
⑤PCのゲーム内社会への影響力が大きい
数千のPCが相互作用するゲーム世界は一つの社会である。MMOでもプレイヤー同士の相互作用はあるが、メイルゲームはそれに比べても相互作用の強さや範囲はかなり大きい。
さらに、NPCがいる。メイルゲームのNPCは「むらびと」や「モンスター」ではない。ゲーム上の重要キャラクターも操作するのがプレイヤーかゲームマスターかが違うだけで、PCの動向を観察し、時に主体的にPCに関わろうとしたり、PCの影響で行動を変えたりする。
このため、自分の考えたアクションによってゲーム状況に大きな影響を与え、重要な情報を得たPCは、数千人のプレイヤーに知られた「有名キャラクター」に成り上がることもよくある。中には総集編の表紙の中央を飾るほどの出世を遂げたPCもいた。
MMOだと(ブロントさんのような「話題になるプレイヤー」はいても)ゲーム世界の行く末に影響を与えるほどのPCはまず出てこない。
Twitterもない当時ではこのレベルで自己実現欲求・承認欲求を煽る娯楽はなかなか無かった。
もっとも、その地位や影響力は一時的なもので、1~2回的を外した行動を取ってしまうと失われる流動的なものにすぎない。しかし、それが余計に競争心や射幸心を煽ることになった。
こうした「メイルゲーム」のプレイ感覚は、今なら成田良悟のライトノベル小説(「バッカーノ!」「デュラララ!!」など)を読むとわかりやすい。実際、「バッカーノ!」は遊演体のメイルゲーム「こうもり城へようこそ!」のサブストーリーの一つを元ネタにしている。
ホビーデータや遊演体でもこうもり城以降は③④⑤をそれほど重視していないとか、ネット88ははじめは小説型リアクションじゃないってのはわかっているんだが、まあ許してほしい。
なかなか味わい深い回答が得られたので転載。わかるやつだけ笑ってくれ。
『蓬莱学園の冒険!』は、日本のライトノベル作品で、作者は竹井10日(たけいとおる)氏です。同作は、学園を舞台にしたファンタジーアドベンチャー作品で、主人公の蓬莱透(ほうらい とおる)が、蓬莱学園で起こる謎の事件を解決するために、クラスメイトとともに冒険を繰り広げる物語です。
物語は、現代の日本を舞台に、妖怪や神話の世界が現れるという設定で展開されます。主人公の蓬莱透は、謎の力を持つ「異端能力者」として、蓬莱学園に入学します。そこで彼は、異能力を持つクラスメイトたちと出会い、謎めいた事件を解決するために、共に戦いを挑みます。物語は、ミステリー要素やコメディー要素も含んでおり、読者を飽きさせません。
『蓬莱学園の冒険!』は、竹井10日氏が手がけるライトノベル作品の中でも人気の高い作品の一つで、アニメ化や漫画化もされ、広く愛されています。
作者だれだよw
中身の方は、もしかするとそういうのもあったのかもしれないので一概に否定はできないが
普通そうじゃないよな?
「鋼鉄の虹」は、1995年に遊演体が主催したオンラインゲームの一つです。当時はまだ一般的ではなかったインターネットを利用したゲームとして、話題を呼びました。
「鋼鉄の虹」は、プレイヤーがパイロットとなり、ロボット兵器「デスターロボ」を操り、仲間とともに敵と戦うという内容でした。プレイヤーは、自分のロボットに武器や装甲をカスタマイズすることができ、戦いを有利に進めるためには、戦術や協力プレイも重要でした。
当時のインターネット接続環境は、現在のように高速かつ安定しておらず、プレイヤー同士の通信が遅延することがよくありました。しかし、「鋼鉄の虹」は、多くのプレイヤーがオンラインで同時にプレイすることができるという革新的な試みであり、オンラインゲームの先駆け的存在として、現在のオンラインゲームの発展に大きな影響を与えたとされています。
「ゲームの歴史」並みに突っ込みどころしかない。なんだデスターロボって。
「鋼鉄の虹」は、1995年に遊演体(ゆうえんたい)というインターネットサービスプロバイダーが主催した、日本初の大規模ネットワークゲームイベントです。当時は、インターネットが普及しておらず、モデムを使って電話回線を介して接続するという、現在とは異なる環境で行われました。
「鋼鉄の虹」は、約3,000人のプレイヤーが参加した、リアルタイムで行われるオンラインゲームで、プレイヤーたちは自分が所属する国を代表して、仮想空間上で互いに戦ったり、情報を収集して自国の発展を促したりすることが目的でした。また、当時の日本のインターネット界隈では、まだオンラインゲームというものが珍しかったこともあり、多くの人々の注目を集めました。
「鋼鉄の虹」は、参加者たちの熱意や情熱によって盛り上がり、その後も遊演体主催のネットワークゲームイベントが数多く開催されるきっかけとなりました。現在では、オンラインゲームは一般的なものとなっていますが、当時の日本のインターネット文化を象徴する出来事の一つとして、記憶されています。
日本最初のオンラインゲーなのか。遊演体はインターット文化史上のエポックだったらしい。
ソノラマだと 旋風の狩猟機とか、富士見ならザンヤルマの剣士とかカイルロッドのシリーズとか蓬莱学園とか。
とはいえ調べてみたら、なんだかんだで電子書籍では読めるは読めるな。
スレイヤーズ・オーフェンはいざ知らず、一番好きだったヴァレリアファイルとかエイリアンシリーズも読めるし。
ただ、冴木忍、当時のタイトル数の割に電子書籍、少なくない?道士リジィオのシリーズってどうなったんだろ?
こういうの、電子書籍で読めたり読めなかったりするし、出版社が変わってたりもするし、当時のラノベ出版社が手を取りあって、いっぺんに電子書籍化かしてくれないかなーと思ってる。
話は変わるけど、かたゆでマックシリーズが電子書籍化してたの初めて知った。
休みに読もう
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笹本祐一、妖精作戦は電子書籍になってるのに、エリアルはなってない?
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世代がずれていたラグナロク、未読なんだけど、最初のシリーズは電子書籍になってないっぽい
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このへんは人気の差だろうか
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ブギーポップあたりで世代の壁がある気がするんだけど(角川のゴタゴタとか?)
当然のように電子書籍になってた
読み返してみる
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参加したいけれどフォロワーろくに居ないwし、twitterで人気あるデジタルゲーじゃないし、140字じゃまともに語れないしでこっちでやってみる。
人生初SLGだった『連合艦隊(バンダイ)』と迷ったけれど、次にハマったこれに。ややこしいシステムになりやすい空母戦を未確認マーカーと誤認チットを使った索敵、十字型のマスに船を配置して陣形の効果を表現するといった簡素でツボを突いたシステムで表すことに成功していた。デザイナーの鈴木銀一郎氏がTacticsに寄稿したデザイナーズノートもよかった。戦闘参加者の手記の記述から、指揮官が彼我の相対速度を下げて自分が撃たれるのを覚悟で必中を狙ったか(敵味方の被害大)、逆に撃ち逃げしたか(〃小)を分ける必要に気づいて攻撃結果表に組み込んでいく制作プロセスの説明は、シミュレーションゲームのなんたるかを教えてくれた。
野球シミュレーションカードゲーム。各選手ごとにその年の成績から状況別の確率計算で求められた打撃結果パターンと守備力が書かれたカードになっていたが、これは当時手に入る中では最高の野球ビッグデータ集で、数字を見ているだけでも飽きなかった。試合は1打席ごとにサイコロ2つ振り、1・1~6・6まで記された打撃結果番号をランナー別に分かれた結果表に当てはめて打撃結果を求める(時には守備や投手の能力で結果が変化する)。一試合30分で教室の机の上で出来る手軽さから友人達と担当球団を決めてペナントレースをやったりしたのはいい思い出。それをきっかけにパリーグファンになってやがて近鉄合併反対運動に参加するまでになった。今もやきうオタです。
説明不要。多数の要素が(時間差をおきながら)影響を与え合うことで生じるマクロの不断の変化の表現に衝撃を受けてノート取りながらプレイしまくった。やがて「エージェントベース社会シミュレーション」なんてテーマを修士論文のネタに選んだのは間違いなくこいつのせい。
郵便(手紙)を使って数千人がかりで一年掛けてプレイする前Web型のMMORPG。一ヶ月1ターンで自分の行動を主催に送ると、数千人の行動の絡み合いの結果どんな事件が起きたのかが短編小説形式で返ってくる。あくまで自分のキャラの視点で書かれたものなので、他のプレイヤーと情報交換が必要になるがそれが事実とは限らない。来たるべきネット社会を幻視させた予言的なところさえあった。実際2ちゃんねるもそこでの様々な騒ぎもデジャビュを感じたくらい。Web社会論や集合知論なんかの議論に参加する下地を作ってくれた。メイルゲームとのファーストコンタクトの『N90蓬莱学園の冒険!(1990年)』と迷ったが、N90は他に挙げている人がいたんで個人的に楽しめたこちらを。
10代から、休み休みながらもずっと非商業PBC(なりきりチャット)をやっている
今は5年くらいの付き合いのPLさんがいる
PBCとはプレイバイチャットの略で、なりきりチャットと呼ばれることもある
なりきりチャットというと版権キャラの口調でおしゃべりするものを想像する人も多いだろうが
自分が参加してる界隈については、一人称視点交代式のオリジナル小説に近い
自分のキャラクターの視点から台詞と行動描写を行い、それを受けて相手がまた台詞と行動描写をする
最近は一回あたりのレスに台詞・行動描写・情景描写を組み込んで1000字を超えることもある
参加したことがないのでよくは知らない
非商業でも、商業と似たようなサービスを行っているサイトもたくさんあるんだが
私の利用してきたのは、管理人は基本世界観を決めてチャットルームを用意するだけで、
町のサイトなら公園やカフェの名前のチャットルームというかんじ
そこでであった人と、キャラクターとして会話して人間関係を築く
この頃は今より一回あたりのレスの文字数は少なかった、多くて300字くらいだろうか
しかし、この手のサイトは社会人になるとなかなか時間が確保しにくくなった
同時に界隈全体が縮小傾向で人に会いづらくなったため
これは、はじめから
「こういう世界観で、こういう人間関係という設定でチャットしてください」と人を募るタイプだ
また、幼稚園からの幼馴染みだろうがこの世で唯一無二の神だろうが、
お互いさえ了承していればどんな設定でも始められるのでキャラクターの幅が広がった
ここで今5年くらい続けている方とであい
ついでに文字数が1000字ちかくなりリレー小説化して今に至る
PBCには相性というもんがある
この人の文章なら無限に想像がわく、どんどん展開が思い浮かぶ、という人がいる
何年も二人でリレー小説続けられるような、相性のいい相手に出会えるのはひとえに運だ
このとき相手のPLさんに抱くのは恋愛感情でなく共同執筆者としての尊敬と感謝である
…そう、ここまでぼかしてきたが、私がやっているPBCでは、
PC同士が恋仲になってるのだ
恋仲になるしエロいこともするのだわりとがっつりと
エロい展開の時はエロい行動とエロい台詞を相変わらず1000字くらいかいてお互いにリレーしている
書いた通り、PLさん自身に対してエロい気持ちがあるわけではなく
私は自分がPBCをしていることを、知り合いの誰にも言えていない
なんでこんなこと書いたのかというと、
たとえば私が死んだら、5年かけて築いたこの人間関係は消え去ってしまうんだな、と思ったからだ
名前も知らないしどんな人かも知らない、キャラクターを通じてしか会話していない
けれども、何年も何年も文字をやり取りし続けてきたことによる絆みたいなものはひっそりと感じている
http://blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1194001.html
なんだかなぁって感じ。
この人は自分の言いたいことを言うために旬なものを引き合いに出すから、いつも言うことが破綻する。
結論ありきの論立てだから。
ところが、このABにおいては、実際は復讐がなされたり、何か世界が変わったわけでもないのに、「成仏」が極めて喜ばしい物として描かれ、そしてそれにより、本来未練がいっぱいあったはずの現世も、当人たちにとってとても喜ばしいものであるかのように描かれる。これは一体何なのか?
とかバカか。
ABの学園は現実に復讐するための場所ではないんだよ。
「耳すば」で死にたくなるような人向けの場所なんだよ。
誰だって一度は思ったろ、世界を救う英雄な自分とか、何でも出来る完璧超人な自分とか、大金持ちの自分とか。
そういう願望を実現する場所なんだよ。
そして、それに満足したら消えていく。
遺族が満足するための靖国じゃない。
だから、あそこは本来の意味的にも、現実なんかより全然楽しくなくちゃいけないんだ。
探検も出来るし、戦争も出来る、世界経済を操ったり、夢の新技術を編み出したり、幽霊と交信したり、なんでも出来なきゃいけない。
うつ病の人にガンバレと言ってはいけないように、そういうものが救いになる人がいる。
これはこれであっても良いとは思う。
視聴者にすればこれをメタ視点で見せられているからで、遠まわしに「お前ら卒業しろ」と提示されているからなんだよ。
でも、現実で「卒業」するためには、現実の自分が承認される必要がある。
天才でも、英雄でも、人気者でもない自分が承認される必要がある。
だから、あれはチグハグなんだ。
エヴァと一緒。
エヴァにも乗れないし、周りにはアスカもレイも居ない、誰もオメデトウなんて言ってくれない。
そういう意味で、あの世界で最後「音無」が醜くあがくのは、凄く効果的なんだがね。
誰だって、あの音無には嫌悪感を抱くだろうし、ゆりかごに留まる事を醜く思うだろ?
でもさ。
もう、いいじゃんかさ。
「天使ちゃんマジ天使」で。
その何が悪いんだよと。λ....