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枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) - 文久2年8月14日(1862年9月8日))は、江戸時代後期の幕末に活躍した佐賀藩の思想家、教育者、国学者。藩校弘道館の教諭。外務卿、内務大臣を務めた副島種臣は実弟。本名は経種。贈従四位。佐賀の尊皇派の中心的存在。
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1 経歴
2 影響
4 関連項目
5 参考資料
経歴[編集]
佐賀藩の藩校・弘道館の教授であった枝吉南濠種彰の長男として生まれる。幼児期より神童と賞され、20歳の時には江戸の昌平黌に学んでいるが、ほどなく舎長に推されている。また、漢学に偏重した内容に異議を唱え、国学を学ぶことを認めさせた。
早くから儒教や朱子学の教えに疑問を抱いており、佐賀藩の哲学である『葉隠』をも否定したといわれる。
26歳で帰郷してからは弘道館の教諭や什物方などを務める傍ら、父南濠の唱えた「日本一君論」を受け継ぎ勤王運動を行った。1850年には「義祭同盟」を結成。天皇を中心とした政治体制である律令制などの知識を伝授するなど、藩論を尊王倒幕に向かわせようとしたが藩主鍋島直正を動かすことは出来ず失敗している。なお、この義祭同盟からは実弟の副島種臣のほか、大隈重信、江藤新平、大木喬任、島義勇ら明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出しており、「佐賀の吉田松陰」とも言える人物である。また、水戸の藤田東湖と「東西の二傑」と並び称された。
1863年、コレラに罹った妻を看病するうち自身も罹患し、死去。享年41。墓所は佐賀市本庄町の高伝寺。
影響[編集]
神陽は律令制を学ぶことを奨励したが、彼の教えを受けた江藤新平(初代司法卿)や大木喬任(2代司法卿)は法整備に活躍した。また、明治政府が当初導入した太政官制は副島種臣が起草したものであるが、ここにも神陽の影響がみられている。
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
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以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
・・・・・
以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
・・・・・
以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
参院厚生労働委員会です。塩崎恭久大臣も橋本岳副大臣もちゃんと論理的にしゃべれる人なので、逆説的に法案の瑕疵が際立ち続ける精神保健福祉法の改正案。昨日、今日も金田さんは、「一般人は告発の対象にはならない」、「デジタルデータは監視対象にならない」と迷走されておりましたがね。
さて相模原の事件を受けて、その再発防止としてなぜかでてきた、措置入院後の管理強化をする法案、ただ医療福祉の法律で、治安、犯罪抑止を立法事実としたたてつけは無理だとさすがに判断したのであろうと思われますが、大臣や役人が述べているとおり、立法事実が変わっても法案は変わっていないので、グダグダになっている法案。
以前の記事
http://anond.hatelabo.jp/20170414142605
この法案については、読売新聞の記事がよくまとまっていると思います。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20170428-OYTET50006/
産経のクソみたいな記事と比べると、読売がまだまともな部分があることを気づかせてくれます。リンクは貼らないけど。
「野党が「共謀罪と一緒」と難クセで法改正の足引っ張り…抜け落ちた「再発防止」の観点」
再発防止なら、まぁ普通の頭をしていれば、障害者差別問題、障害者の権利の啓発、優生学的思想の否定、障害者を隔離しないインクルージョンの推進、というような方向に行くと思うんですが、産経にかかると、精神疾患の罹患者の予防的隔離、監視強化をしないことは野党の難クセだとおっしゃるのがすごいと思うよね。加害者の属性は日本人とか男性とか若者とか大麻利用者とか他にもいろいろあるわけだから、男性が刃物を買うことを規制、衆議院議長に陳情書を出した日本人は監視強化するとか、大麻の前科者の住所情報共有は本人意思関係なくするとかでもいいんじゃない?私個人はこのどれが「再発防止策」としてでてきても反対するけどね。
石橋議員はこの問題では、倉林明子議員、福島みずほ議員と3人で、もう完膚なきまでにディベートとしては勝ってると思います。大臣!の呼びかけ方は割りと不快ですが。国会はディベート大会ではないので、どうなるか見守っているのですが、これを通すようだとちょっともうかなり国会の機能はなくなってるんだろうなぁと思ってメルクマールとして注目しておる次第です。この法案は、まぁ安倍さんにとっては枝葉の問題で、自分が治安維持や犯罪抑止においてなんか実績を上げたんだっていう看板として、「改正した」っていう事実が欲しいだけで、そんなに是が非でも通したい法案というわけではないと思うんですよね。その法案でここまで強権的で、資料の公開はしないで、瑕疵を徹底的に指摘されても撤回しないとするとこれは相当ヤバイだろうと、こう考えておるわけです。
相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チームは、安倍総理の意向を受けて塩崎大臣が設置した審議会で、昨年12月に再発防止の提言を出しています(ぐぐってね)。この提言の、方向性や問題点の列挙まではまぁ理解できるのですが、もってくる対策が頭おかしいとしか、というものなのでね。最低限、支援計画段階での本人参加の法文上の必須化、どうしても警察を入れたいのならば、本人またはその権利の代理人(弁護士等)の同意、また本人が情報の共有措置を停止して欲しいと要求できるラインの確保、などが盛り込まれないとこりゃあどう考えてもダメだろとは思うんですがね。
んで、この再発防止チームの検討会の第7回で、障害の当事者から、警察に入られるとかえって病状が悪化する、など見直しを要求する意見陳述があったのにも関わらず、議事録非公開の第8回検討会を受けてでてきた提言の中で、ケース会議等に本人の同意がなくても病院や自治体の要求で警察が入って、病状、転居情報などの自治体間共有などを行う、というものがでてきたわけです。これはもともと、犯罪抑止を立法事実としてたてつけたときに作られた条文だったのです。それが取っ払われても、政府側としては法案の趣旨は社会復帰の推進で一貫しているから、まったく問題ないという態度なわけです。しかし、犯罪抑止という立法趣旨が消された現状では、警察が入ることが、病状の回復や社会復帰においてどのような好影響をあたえるというエビデンスがなければ、これをいれる意義が見出せないだろう、というのが前回までの石橋議員の指摘で、第8回議事録の個人情報部分があるのならば、そこは黒塗りでも良いから、その立法事実、エビデンスが書かれているというのなら見せてみろ、という状況。
「意訳)資料要求をさせていただいたが、結局エビデンスは提示されなかった。そのことについて聞いていきたい。第7回で参考人から指摘された、警察が情報共有するという兵庫方式にはマイナス面もあるということに対して、その後の第8回でいかなる議論がされたのか。この警察との情報共有が、いったいなぜ患者の社会復帰に繋がるのか、エビデンスがあるのなら示して欲しいと要求してきたが、明確な答弁はいただけなかった。個人情報は黒塗りでもかまわないから、第8回の議事録を提示して欲しいと理事会でも重ねて要求してきたが、今日も出せないとの答えがあった。なぜ出せないのか、ちゃんとエビデンスに基づいた協議をしたというのならば、個人情報に配慮した状態で良いから、立法事実、エビデンスを示してくれと要求したのにゼロ回答ではないか。これでは議論できない。」
「(略)資料を要求していただいている件についてですが、そもそもこの再発防止検証チームの審議会は、そもそも第1回の会議のときに非公開が前提で行われているものであります。個人情報がたくさん入った資料も配られるので、そういったものを含めて公開をしないという前提で、屈託のない議論をいただいたところでございます。ですので、原則非公開としたものを、個別の内容についてお示しすることはできないわけでございます。これは、当然第7回で参考人に指摘されたことを踏まえて、第8回でも議論を頂いたところでございます。公開されている第7回の議事録を踏まえて、第8回の議事は行われているということでご理解を賜りたい。」
「まったく納得できません。第8回でもう取りまとめの議論が出てきてるんでしょう。それが第9回で確認されているんだから。なんで、第7回の議論を受けて、第8回でいきなりとりまとめの案が出てくるんですか、むしろまったく検討されていないということを立証しているんじゃないですか。大臣、認められたほうが良いんじゃないですか。結局立法事実は示せないんでしょ。エビデンスがないなら、どうやったって法案の審議なんかできませんよ。最初から立法事実をはき違え、さらには立法事実がないのにも関わらず、法案を作ってしまった。だから法案の中身がいろいろ問題を持ってしまっているんですよ。今日は具体的に聞いていきます」
続きはトラバでに
24h営業をしているチェーン店で働いている。飲食業界の人手不足が叫ばれているが、御多分に漏れず、わが店舗も慢性的な人手不足である。
今日で〇連勤~と嘆きながら働くフリーターや社員によってこの店舗は回っている。ちなみに増田は勉学に勤しむ学生であるので、その辺は勘弁してもらっている。
たまに「どうしても」と拝まれて出勤することもあるが、こちらもテスト期間に休ませてもらったりしているので、快くレジ打ちをしている。
全体的にどの時間も人手不足なのだが、特に深夜はひどい。深夜というお客さんが少ない時間帯なのに、それをさばけないくらいに人手が足りない。
となるとどうなるか。
増田から見ても彼らはとてもしんどそうで、就活を控える身としては、この企業の現場職として就職したくないと切に思う。
人手不足どうにかしろよ、基本自給1100円にでもしたら求人ホイホイだろ、と心で思ってもいるが、
増田はペーペーのバイトちゃんなので心に思うだけで留めている。
そんな感じで、「慢性人手不足症候群」に罹患している店舗なので、以前、深夜の時間帯に店を連日で閉めることが多かった時期がある。
純粋に人手が足りず、社員も限界で、どうしようもなかったのだ。
疲れ切った上司たちを横目に上がるのは少し引け目を感じていたし、ラストオーダー以降は、レジ打ちは徐々に暇になるからだ。
そんな日々が続いていたが、ある日を境に深夜閉店が減っていった。
聞いてみたら、深夜営業をしていないことに対するクレームが入ったためらしい。
上層部から指摘されてしまっては閉めるわけにもいかず、また深夜帯の超連勤が始まった。
この業界は"お客様"の声によって、過労死の仕組みが出来上がっている。大げさかもしれないが、この一件でそう感じた。
勿論、このような仕組は顧客の一存で成り立っているというわけではない。
クレームを真に受けて、本質を見損なった指示をする上層部と、NOと言えない現場も必要不可欠である。
一方、運送業や介護、福祉の人手不足は深刻な問題となっている。行政も手を打ち始めているところだ。
飲食店はライフラインではないので、休むか減らすかなどしても、社会にさほど影響がないのである。
影響がない、つまり、代わりの手段はいくらでもあるということだ。
終電を逃したら、タクシーで自宅まで帰ってもいいし、ビジネスホテルに泊まってもいい。満喫だってある。
数千円をケチって、この堅い椅子に座って数時間電車の始発を待つほどにお金に困っているなら、そもそも終電前に家に帰った方がいい。
始発を待つなんて無駄な時間を過ごさずに、布団に入って寝るほうが健康的で文化的だ。
人々にそのような寛容さと臨機応変さがなければ、飲食業界は疲弊していくばかりであると思う。
「お客様は神様だ」と言うが、結果的にこちらが疲弊する一方なら、無理に神様と崇めなくてよいはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170407221853
これだけでも問題ではあるが人間誰しも間違いはあるのでそう責められたことでもない。重要なのは平成27年3月24日の答弁である。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0014/18903240014012c.html
松沢議員に前年の国会答弁について政府見解との相違を尋ねられ、厚労相が
○国務大臣(塩崎恭久君) ただいまのお尋ねは、喫煙と病気、肺がんなどについての因果関係についてのお尋ねでございますが、たばこの煙には四十種類を超える発がん物質や発がん促進物質が含まれております。
そして、WHOの報告や、我が国を含めて各国で同様の調査研究が行われておりまして、そこにおいて、喫煙者は非喫煙者に比べて肺がん等の疾病に罹患する危険性が高いということが指摘をされております。国際がん研究機関、IARC、これWHOの専門機関でありますけれども、ここが行いました発がん性分類におきまして、喫煙は最も強い発がん性の証拠を示すグループに分類をされているところでございます。
こういったことなど、喫煙が健康へ悪影響を及ぼすことについては科学的に認められていることと承知をしているわけでありまして、また、たばこ消費と肺がん死亡に関連はありますが、肺がんが顕在化するまでには二十年から二十五年の時間差が見られると、こんなことを我々としては認識をしておるところでございます。
事前通告のあった質問なのか、権威を持ち出すだけの無能な朝日記者と違い「たばこ消費と肺がん死亡に関連はありますが、肺がんが顕在化するまでには二十年から二十五年の時間差が見られる」と麻生発言について明確に否定し、当然この場に麻生氏もいたのである。つまりこの平成27年3月24日までであればああ言った発言もまだ許されはしたが、それ以降3度も同様の発言を繰り返してるのは大臣としての適格性に疑問が生じざるを得ない。漢字の読み間違いなんかよりよっぽどひどい。国会以外でも触れて回ってるようだが周りにイエスマンしかいないのだろうか。麻生グループ経営の病院にだけはかかりたくないものである。
ところで話はそれるが厚労省と公文書と麻生氏と言えば、この件を思い出す。
http://www.afpbb.com/articles/-/2551429?pid=3624875
作家とか作曲家みたいないわゆるクリエイティブ業で考えると理解しやすいかもしれない。
(クリエイティブと呼ばれててもウェブデザイナーとかは多分違う。一部は通じるだろうけど)
あの手の業種は時間を区切って働くことが非常にやりにくい。できる人はできるけど、できない人はまずできない。
他人から見て実際に働いてる時間が8時間でも、脳内で常に仕事のことを考えて、いいアイディアなんかが出れば夜中の三時でも仕事を始める。
本人は寝てる時以外は仕事してるのと同じ精神状態だったりする。
問題は元エントリの人が脳内でそういうクリエイティブな業務を想定してるのにそれにちょっと無自覚で、会社勤めのサラリーマンを想定したような書き方しかしてないところ。
たぶん彼の頭の中でそのへんがごっちゃになってるんじゃないか。
あるいは彼は上記のようなクリエイティブ業の働き方を一般的だと思っていて、どんな仕事にもその態度で臨んでいるか。
bottomzlife氏の論調は自分はあまり好きじゃない。障害者なんだから定型と同じアウトプットを望むなってのは、身の程を知れと言ってるのかな。
補助とか支援とか社会的扶助とか、そういうのから発達障害者は外されがちだし、特にある面で能力が高い発達障害者だと隙間から落ちるようになんの援助も得られなかったり。
(↑の主な理由は、能力をうまくいかすと社会での生きにくさが減るので鬱などの二次障害を罹患しにくいため。能力の高低そのものより自分に合う環境が得られたかどうか。)
(元エントリが強者弱者という軸を持ち出した理由も多分↑これだろうと思うけど、理解されてない。二次障害で就労すらままならない発達障害者等に比べたら強者でも、健康な定型発達者から見たら弱者であるという「狭間」にいる自意識がこの言葉を使わせたのでは。元エントリはさらに大企業と定型発達者、中小零細企業と発達障害者をそれぞれ対比して語ってるため分かりにくさに拍車がかかってる。)
http://bottomzlife.hatenablog.jp/entry/2017/02/28/230920
最新エントリで長時間労働が精神面に与える害を書いてるけど、元エントリは「どんどん積極的に毎日でも今すぐに長時間労働したい」とは書いてないよ。
どっちかっつーと、本当はダメなの分かるし自分もやめたいけど残業する他に解決策が見つからないって話をしてる。
この状況の人に、残業がいかにだめかなぜだめかを諭し続けるのは違うんじゃないの。
まず借金玉氏が9時5時会社員の働き方に馴染めない状況説明と、残業する以外に何か方策はあるかを問いかけるような書き方にすればよかったかもしれない。
発達障害者にとって社会的援助は非常に得にくい状況にあり、それでも社会の中で能力を発揮したいと思っている発達障害者の陥っている現状の解決って、どうすりゃいいんだろうね。
はてなにはなぜかアイマスPが多いので、反応や意見を知りたくつらつらと書いてみる。
SideMを知らない人のために少し説明すると、3年ほど前にサービス開始された最も若いアイマスシリーズで男性アイドルプロデュースゲームである。
特徴はキャッチコピーの「理由あってアイドル!」の通り、半数以上が医師や弁護士などの職業経験者でありみんな「理由あり」な事情でアイドルとなっている。
ゲーム自体はソシャゲアイマスの悪いところを煮詰めたようなポチポチ糞UIで、アクティブ数はイベント順位から察するにざっと2〜3万。ガチャ勢よりはシナリオや絡みを知りたい勢が多めかな。
ミリオンライブと同様にゲーム自体より、ライブやCDの方が人気が高く運営もそちらに力をいれている印象を受ける。
もともといたアイドルマスターの数少ない女性Pと乙女ゲー勢からの新規ユーザーなどの女性をメインターゲットとしていたと思われるのだが、実際は男性Pが最近ではかなり増えてきている。
一時はホモマスと呼ばれたりもしたが、曲やライブの質が高く再評価されて現在ではかなり存在感は増してきている。
ここからが本題
一応自己紹介すると私はSP版からのおばさんPで、ゲームはミリ/デレ/765/876と携帯機据え置き機ソシャゲとアケ以外は体験済み。アニメも楽しめたし、声優さんが出て来るニコ生も好き。ライブも少々嗜む。
だがSideMだけは、前述の通りアイマスの中では恐らく一番人気加速度が大きいし、私自身がずばりターゲット層ではあるとは思うのだが、私はいまいち乗りきれない。
また乗り遅れの愚痴日記かと思われるかもしれないが、今SideM人気爆発中のTwitterでは少し言いづらく、はてなで正直な反応を知りたいのでお付き合い頂きたい。
原因ははっきりしていて「中の人問題」と「男性P」の2つである。
「中の人問題」は声優さんや裏方が表に出まくるアイマス界隈では結構メジャーな問題で、アイドルが好きなので声優さん情報はいらないというシンプルなものから、ニコ生での声優さんの言動がゲーム内のアイドルと乖離しすぎて受け入れられなかったり、声優さんのキャラがゲームに逆輸入されることに抵抗感があったりして、ライブやニコ生に拒否反応をしめす問題である。
アイマス声優は個性的なところを売りにすることが特に多く、善きにしろ悪きにしろキャラが濃くて目立つのでなかなかに起こりやすい。
別に何が問題なんだと思うかもしれないが、アイマスは声優さんがMCの公式ニコ生で情報発表や裏話することが多くどうしても避けきれず、感想を言い合うのが大好きな群れるPにとっては死活問題なのである。
大体が食わず嫌いなのでライブを一回生で見ると、声優さんのパフォーマンスの高さと頑張ってる姿に感動して、すんなり受け入れられる事が多い。
有名どころだと地獄のミサワさんも「中の人問題」に罹患していてライブ療法で完治した。
私にはこの療法も無理だった。
思えば第一印象が悪すぎたのもある。SideMにはJupiterというグループがある。アイマス2の9.18事件で一悶着あってアニマスで許されSideMで心機一転再出発という古参向けユニットだ。
別にJupiterは嫌いでもないしむしろ好きなアイドルユニットだが、リーダーの中の人を未だ許せていない。古い話で歳もバレるし恐縮だがココロコネクト事件を忘れられない。
ライブ頑張ってる姿見ても首謀者メンバーの一人の寺島さんを許すことはできなかった。今までのアイマスでちょこちょこ関わってくるくらいなら目を逸らすことができたがここまでメイン張るときついものがある(見に行ったのは1stです)。
それに引きづられるように、センスが90年代のジャニーズで不潔感満載なチャラ大学生と第一印象で思ってしまった他の中の人達も受け入れることができなくなってしまった。
加えて真偽は不明だが好きなアイドルの中の人のBL風俗勤務疑惑なんかがでてきて更に...と言った感じだった。
女性声優さんは男性Pのために百合営業なんて揶揄されてる程過剰にベタベタしあっている。正直同性から見るといくらなんでもやりすぎだろと思うが、不思議と嫌悪感はない。
アイマスの女性声優さんは外の声優ランク付を恐ろしいほど滅して、アイマス内ではイーブンに見せかけてるからだろう。
それと対象的にSideM声優は外のランク付けがそのままヒエラルキー化してるのが見てわかるし、男性特有の力の誇示が表に出過ぎてる。
それがやっぱりココロコネクト事件みたいなおふざけイジメを彷彿とさせてしまうのである。
なんで武内くんや赤羽根くんみたいな一歩引いたプロフェッショナルな仕事をする人選ができなかったのだろうか。
次に「男性P」
私が女性Pで女性アイマスアイドルが好きなのでお前が言うなと言われそうなのだが、男性Pが男性アイドルの中の人にサイリウム降ってるのを見るとなんだかなぁと思う。
ひどい言い方になってしまうが、いわゆるいい年した(アイマスPの平均年齢は30前後だと思う)オタク系の男性がウェイウェイ系の自分より下の男性を応援して一体感を持つことで、自分がなれなかったウェイウェイ系男子大学生に擬似的にメンバーになりきってる姿は可哀想になってしまう。
SideM声優の男性にしかわからない男性ノリが好きなんだとよく言われるが、あなた達はそういうノリできなかった人たちでしょって思ってしまう。
って増田消えちゃってたのか。残念。
私の人生。
もうすぐ40。
独身だ。
初めて彼氏ができたのは26歳の時。
合計3年間くらいだ。
兄弟もいなかった。
両親は共働きで、
わたしに構ってくれることはなかった。
たまに一緒に夕飯を食べる機会があっても、
逃げるかその場にいないようにすることで必死だった。
なんて聞いてくれることは一度もなかった。
暴力が怖くて18で家を出た。
入院することになった。
両親はどちらも見舞いにすらきてくれなかった。
我ながらよく生きられたと思う。
人間的に完成されていないので、
正規雇用はとてもではないが無理だった。
話を聞いてもらって、その先がなかった。
ただ今でもこうしてアルバイトで生計を立てていられるというのは、
恵まれているのだろう。
今の勤め先では、
高学歴で、家族がいて、評価されている正社員の人たちに囲まれている。
その中で私は誰にも評価されず、
飲みにも誘われず、
ただ目の前の仕事をして、
帰ってきて、
たくさんのものを、たくさんもっている、
周りの人たちがとても羨ましい。
1つ目。
ブコメを見る限り、「仮想増田」を皆はおおむね正確に読み取っているように思う。
具体的にはどのあたりのコメントが的外れに当たるのか書いてもらえるとありがたい。
「新しい情報が現れるのを待つのが最適解」ったって、あの仮想増田には追加で聞かないと理解が疎かになる要素なんてない。
2つ目。
「オックスフォード辞典の今年の単語」に「post-truth」が選ばれた。
「世論形成において、感情や個人的信念に訴えるものが客観的事実より影響力を持つ状況」を意味する言葉。http://b.hatena.ne.jp/entry/308558402
大統領選挙の一年を振り返るだけでも「情報によって容易に民意というものが操作できる時代になった」というのはその通りだろう。
ただ、皆がすべきことなのは「仮想増田かどうかを見抜く目を持つ」ではなく「増田が言っていることが仮想かどうかを見抜く目を持つ」だよね。
「そんなに嫌だったら日本から出ればいいじゃない」から始まる一連のお話は、仮想増田が作り出す仮想の世界の中だけではなく「現実にそのような言説が存在する」んだよ。
今回それを代表して「私がネットで言いまーす」と出てきてくれたので、「お、じゃあ世の中に増田と同じ考えを持つ人は少なからずいるので、それに答えておくかな」という話。何も霞に話かけてるわけじゃない。
「現実に存在しない物事を信じ込む」ということと「現実世界に存在する物事に対する考えを述べる」ということは別だよ。後者に何ら問題はない。
政権の問題だって、保育園に特に問題がない状況にもかかわらず「保育園大問題!」と書かれ、それを信じこんでしまうのなら問題だが「日本死ね増田」の言葉をきっかけに、現に存在する保育園政策を話し合うことに問題はない。
増田の言う通り、ネット上には真偽の定かでない、ソースもない情報を何の疑問も持たず信じ込んじゃっているように見える人も多数いる。実際大問題だと思うし、ハテブだって罹患している。
しかし今回の「日本死ねが理解できない」という話を読んでどう思ったかは真偽の話じゃないんだよね。
「日本死ねが理解できない」に書かれていることは最初から最後まで別に誤ったことは言っていないんだから。だから誰も「この文章のここが違う」とは書いてないでしょう。「この増田は元の増田を理解できていない」と書いただけだ。
足が痛いと整形外科へ気軽に行き、
寝る前までカフェインたっぷりの日本茶を飲み、眠れないからと睡眠薬を処方される。
「恵まれたステージ4の乳がん患者」のニュースに対するコメントに
「私も癌ですが、豪華個室に入って、のんびり養生がしたいです。
非正規で休んじゃ食えないので、体にむち打ち、無理して働いています。
この人が、心底羨ましいです。」
と書き込んだら、
「非正規はお前が悪い」
「同じ病に苦しむ人間の立場が一緒にならなきゃいけないルールはないんだから
しょうがない。そんなに悔しいなら金持ちと結婚すればよかったのに」
「ほーんとかわいそうw
自分が癌になったとしても、同じ闘病仲間をこうやって僻みたくないわぁw」
はい、努力はしましたが非正規スパイラルからは抜け出せませんでした。
励ましてくださった方もおられましたけどね。
非正規手取り161,139円、高額医療費の自己負担限度額57,600円。
ガンは治る病気になってきているし、保険内の標準治療で十分だと思っているけど、
だるさ、疲れが取れないまま、勤務を続けているのは、寿命を縮めている実感はある。
本人に自覚があるなら、
理系男子校出身大学時代ぼっちアラサー童貞彼女なし友達なし鬱病趣味なし激務の自分が恋愛感情をいだいた?ときのまとめ
経過
・去年になって産まれて始めて恋?をする。職場の後輩だけど同年齢
・話してて好きになったようだけど、最初はその好きって感情がどういうものか理解できなかった。もともと自分の好みのタイプ(二次元とかの話)とは全然違っていて、自分の中ではタイプではない=好きになるはずがないみたいな考えがベースにあったので、もやもやした感情がどういうものかわからなかった。
・一方で、元々、他人と話しただけで惚れるところがあるのだけど、いつものそういう感情の延長だと思ってたのでスルーしてたんだけど、徐々にコントロールがつかなくなってきた
・相手のことをいつも考えてしまって、仕事に手がつかなくなってきて、良くわかんなかったんだけど鬱以外に何らかの精神疾患に罹患した可能性を考慮したけど解決方法なく、酒と残業を増やすことで忘れようとした。休日出勤を含めると残業は150時間を越えた。ある程度忘れられた。
・自分はコミュ障で仕事と勉強の話しか出来ないから、仕事をしっかり教えてた。
・なんか職場以外でも仕事の話がしたくなったんだけどどうやったらいいかわかんなかったから職場の飲み会にでるようになった。
・ラインを交換したけど自分から送れないので仕事の相談うけたら返すようにした。こちらからは迷惑だろうしスタンプを少し送ったりのみにとどめた。
・仕事以外の話(好きな本とか)の話はできるようになった。向こうに合わせようと向こうの言ってた本をよんでみたけどおもしろくはなかった。逆もしかりだった様子。本の話でもりあがってまとめてSFなどの複数ジャンルを10冊くらい貸したのが間違いだったのかも(これは後で謝罪した)。
・ある時から向こうから誘われたので、飲みにいった。自分は飛びついたが、向こうはいわゆるリア充で、他者と飲みにいくのは普通の感覚だったようす。飲み代は出すほうが良いと知っていたのでこちらが全額出した(向こうは最初は割り勘を希望したものの受け入れていたので、慣れており形だけの拒否だったと推測されるが、これも間違いだったのかもしれない。割り勘にするべきだった?)。
・徐々に自分の感情がコントロールできなくなってきた。向こうのことを四六時中考えるようになって日常生活にも支障がでて、仕事も手につかなくなって、残業して自分をいじめても改善せず。発狂しそうになった。夜間も過換気を何度も繰替えすようになった。どうしたらいいのかわからなくなった。
・いろいろ推測して調べてこれが恋愛感情ではないかと考えるに至った(1年かかった)。けどどうしたらいいかわからなかったし、調べると一般的になんとも知らない他人からの好意は気持ち悪がられるらしいと知ったので我慢した。特に恋愛感情なのか執着なのか性欲の一端なのかストーカー的精神なのかの鑑別がつかなくて(これは今でもついていない)、考えすぎるとストーカー的殺人みたいなのを起こすんじゃないかと恐くなって考えないようにしたけど耐えきれなくなった。いわゆる向こうはリア充のようで、他者と二人で飲みにいくという行為は向こうにとっては(というより普通の人には)普通のものであると把握することは簡単だったので飲みに集中して、その他のことは意識しないようにした。仕事の話を中心にした。
・ほぼ1年残業150時間オーバーで推移した。徐々にやつれた。上司からは心配してもらえた。残業代がちゃんと出るので貯金は増えた。よかった。
・いろいろと耐えきれなくなって仕事に完全に支障を来たすようになって鬱が加速して常にその人か死かってことばかり考えるようになって、まともな生活もおくれなくなり、いい加減これはまずいと判断した。
・いろいろ悩んだが、思いきって好きですと告白してみた(謝罪しながら、どういう返事であっても職場での問題は生じさせないし、仕事上でのサポートは継続すると約束した)。
・結果をじっと待っていたが2ヶ月くらい経つと自分でもこれは上手くスルーされたのだなとわかった。一旦言ってしまえばこちらの感情も落ち着いた。向こうもそういうことを知っているのかもしれない。やはり自分なんかよりもそういうことの人生経験が多いのだろう。尊敬する。
・今は大分と落ち着いて、ぐしゃぐしゃになって過換気になることも月に1.2回まで減少した。仕事もできるようになり、何とも思わない時間も長時間出現している(突然爆発するが、嵐をじっと耐えれば大丈夫)。残業も減らせた。酒は続いている。その人にはあまり接触しないようになった。向こうから相談をうければ仕事の相談には乗るようにして、誘われたら飲みに行っているが、向こうも成長して新人じゃなくなってきたので相談も減った。時間経過と共に落ちつくのだろうと考えている。時々相談されると嬉しい。
・相手には迷惑をかけたことを謝罪したいが、謝罪すること自体が向こうの迷惑になるかもしれないので、風化をじっとまっている。悪いことをしたと反省している。
・彼氏はいないって飲み会で言ってた。これは他のリア充が聞いてた。このリア充の悪口を言っているのを聞いたけど、もしかすると裏では仲が良かったのかもしれない。さらっと聞いててすごいって思った。
・今回の件で、発想が相当気持ち悪いと思うのだけど、自分の年齢では結婚とかそういう将来のことを真面目に考えるべきなのだろうが(父親は私の年齢のときに私を産んでいる!)、友達のいない人間はやっぱり気持ち悪いだろうし、恋愛経験もないし、そういうのを乗り越えても結婚式とかに呼べる友人もいないし、親も病気だし、そういうことを冷静に考慮すると結婚は難しいのだろうなと評価した。仮にそれらを乗り越えても、他者との生活がうまくいくとは思えず、うちの両親のように罵り合ってギスギスと生きていくのもいやだし、一生独りでいるのだろうし、そうあるべきなのだろうと結論した
・人生について、こういうことを真面目に考えれたのはあの人のおかげではないかと考えている。感謝している。今までだらだらと生きてきたが、完全に詰んでいることが分かったのはよかった。上手く対応できそう。早く死にたい。
・いろいろと本で勉強はした。モテ術みたいな本をよんで、こちらが上から話しすぎるのはよくなく聞くようにするとよいと学んだので向こうから話をしてもらうようにしてて、聞くことをずっとしてて、それは上手くいったと思う(冷静に考えると、これは向こうが気をつかって話をしていただけなのかもしれない、とすれば悪いことをした)。その他会話を広げるのが重要とのことだったが、難しく、仕事の話以外は天気の話とかしかできなかった。人生経験があまりなく、話題が全然なかった。ファッションは清潔感を意識したが、ダメだったと思う。笑顔は意識して、うまく作れるようになったのはよかった。できるだけ紳士的に接しようと頑張った。
・はてな民は嫌いだろうけど、恋愛工学も勉強して、こういうのが恋愛工学でいうところの非モテコミットとフレンドシップ戦略ということはわかった。けど恋愛工学で推奨されているナンパを繰り返したり女性を下にするような発言は自分には難しかったのでやってない
・相手には本当に申し訳ないと思う。かかわったことをいつか謝罪したいが、これ以上かかわらないほうがいいかもしれない。
まとめ
・恋愛感情?というのは相当の魔物で、これがあると仕事や日常生活に多大なる影響を及ぼすことがわかった。今後はこういうものを産まないようにしたい。 他者に感情を動かされずに生きていきたい。もうこりごり。精神的障害が大きすぎる。
・例えばシンガーソングライターをストーカーを滅多刺しにしたようなニュースがあったりしたが、ああいうのが他人事じゃないなぁって思えるようになった。明日は我が身。気を付けないと。
疑問
・このような感情を他者はどのようにコントロールしているのか? 一般的に恋愛は普通のことらしいが、それで仕事に支障を来しているようには見えない。どうやっているのか。慣れの問題?
・経過の中で悩んでいたことだが、自分のタイプではない人を好き?になるというのは、根っこのところでは相手を第一に考えているわけではなく相手を尊重しているわけではないので、女性差別的考え方ではないのか?という疑問がある。このあたりも他者はどう折り合いをつけているのか?
はてなでの人気ブクマやブコメを見るかぎり、界隈では透析に限らず、自己責任患者への医療自己負担増そのものに反対であるように思う。
医療が限られた物理的・時間的・人的資源である以上、直接的なトレードオフではないにせよ、予防可能疾患に割かれた分の資源は他の領域から差し引かれ、生命予後にも影響を与えると考えられる。
当然、予防可能であった疾患に、努力する必要性を知っていながらそれをせず罹患した患者を救う分の資源は間接的に幼小児患者からも差し引かれ、その結果亡くなる方もいるだろう。
どこまでが自己責任か判断するのは簡単ではないが、例えば生活習慣改善への努力をスコア化するなど、十分に吟味し制度化すれば不可能ではないと思う。
また、予防可能疾患を減らすことで本当に医療負荷が減るのかについても検討が必要だと思う。
だが、好きなようにタバコを吸い、好きなだけ暴飲暴食して要医療状態になった患者を救うために幼い命が失われるのだとしたら何かが間違っていると思う。
流れ:
1. 国立研究開発法人国立がん研究センター:受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍あり,肺がんリスク評価を「ほぼ確実」から「確実」へと評価.日本人の非喫煙者を対象とした受動喫煙と肺がんとの関連について、科学的根拠に基づく評価を示し、受動喫煙の防止を努力目標から明確な目標として提示.
2. JT: それを認めず,「迷惑」や「気配り、思いやり」の問題で解決しようとする.
上記とは別に,元々の公式見解(喫煙と健康に関するJTの考え方)も酷すぎる.
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html :喫煙と健康(喫煙と健康に関するJTの考え方)]
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/index.html: JTが目指す社会]
吸う人も吸わない人もここちよい世の中へ。
たばこの吸われる方、吸われない方が
吸わない人で,ニコチン・タールの混ざった煙を吸わされて心地よく思う人は全くいません.
煙を完全にシャットアウトするような分煙か禁止することを強く望みます.
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/vision/index.html: JTのビジョン]
世の中には、さまざまな暮らしがある。さまざまな人がいる。
そのひとりひとりに、それぞれの思いや感情がある。
たばこについても同じように、いろいろな考えがあると思います。
それを認識したうえで、たばこを吸う大人には、それぞれにたばこを愛用する理由があります。
一方、たばこを吸わない人にとっては、たばこの煙が迷惑になることがあります。たばこを吸う大人は、つねにマナーを守ることに心がけるべきです。
だから、私たちJTは、吸う人、吸わない人が共存できる世の中をめざし、さまざまな活動にいま取り組んでいます。
私たちは「分煙環境の整備」を進めています。それぞれの場所に合うさまざまなやり方で、吸う人も吸わない人も心地よく過ごせる環境を増やしたいと考えているからです。
私たちは「マナーの啓発活動」も進めています。たばこを愛用する人は、周りを思いやることが、何より大切であると考えているからです。
さまざまである、ということ。
それを認め合い、尊重しあえる未来の社会を想像しながら、私たちJTはこれからも、いろいろな活動を真摯につづけていきたいと思います。
マナーの問題で片付けようとするのは,もともとの企業体質のようでこの文章からひしひしと伝わってきます.
健康上のリスクを認識したうえで,迷惑・マナー・心がけの問題にするのはやはり間違っているのではないでしょうか?
他人の健康上のリスクより愛用する理由が勝る場合などあるのでしょうか?
「大人」云々よりも社会で生活する人間として間違ってませんか?
また,今回のがんセンターの報告で,あなた方のいう未来へひとつ進んだわけですが,なぜ認めようとしないのでしょうか.
あなた方のいうビジョンや尊重・共存に背く行為ではないでしょうか>
引用:https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html : 喫煙と健康]
厚生労働省は、「21世紀における国民健康づくり運動」において、たばこは、肺がん、心筋梗塞等の虚血性心疾患、肺気腫等の慢性閉塞性肺疾患など多くの疾病や、低出生体重児、流・早産など妊娠に関連した異常の危険因子 ※1であるとしています。
※1:
危険因子(リスクファクター)という用語は様々に使われていますが、定義としては以下のようなものがあります。
「”リスクファクター(risk factor)”という言葉は、病気の発生リスクを高めるが、単独では、病気を引き起こすのには不十分な要因を意味する言葉として一般的に用いられています。」(木原雅子・木原正博訳『WHOの基礎疫学』、三煌社 )
「科学的知見に基づいて、意味のある健康関連状況との関連が知られている個人の行動や生活様式の特徴、環境曝露、先天性や遺伝的特性などである。」 (日本疫学会訳『疫学辞典 第5版』、財団法人日本公衆衛生協会)
「病気の発生あるいは他の特定結果の蓋然性を増加させる属性ないしは曝露」(日本疫学会編集『疫学 基礎から学ぶために』、南江堂)
私たちも、喫煙は特定の疾病(妊娠に関連した異常を含む)のリスクを高めると認識しています。また、喫煙とそれらの疾病との関連を具体的に解明するため、今後の更なる研究が必要と考えています。※2
※2:
わが国における男女別の肺がん死亡率と喫煙者率の推移をみると、最近50年間で男性喫煙者率は明らかに低下し、女性喫煙者率はほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女ともに1950年から1995年ごろにかけて顕著に増加し、以降減少傾向に転じているという事実がみられます。喫煙の影響が現れるには20-30年のタイムラグをみる必要があるとの意見がありますが、タイムラグを考慮しても肺がん死亡率の動向を喫煙者率のみで説明することは困難です。
困難であることの理由の一つとして、男女間における喫煙者率と死亡率の関係に違いがあります。喫煙者率は男性では顕著に低下、女性ではほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女で同じ傾向を示しているという事実がみられます。
男女別の喫煙者率と肺がん死亡率推移(グラフ2 軸間隔をいじっているので比較不可能)
また、罹患でみた場合、肺がん罹患率は男女ともに増加しており、タイムラグを考慮しても罹患率の動向は喫煙者率の推移と一致しません。
日本における喫煙者率と肺がん罹患率の推移(グラフ3 データ数が少なくて役に立たない)
さらに、世界各国を男女別に比較すると、喫煙者率と肺がんによる死亡率との間には必ずしも相関関係がありません。
各国の喫煙者率と肺がん死亡率の関係(グラフ4 2009年の喫煙者率と1年前の肺がん死亡率での散布図,過去を見ても意味がない)
喫煙が多くの疾病の危険因子であるとの厚生労働省の見解は、主として喫煙者の集団と非喫煙者の集団の間での疾病発生率等を比較する統計に基づいた研究(疫学研究)によるものです。疫学研究は、喫煙者集団において特定の疾病のリスクが非喫煙者集団より高いことをほぼ一貫して示しています。※3
※3:
喫煙が健康に及ぼす影響に関する厚生労働省の見解および関係情報については、厚生労働省ホームページ中の「たばこと健康に関する情報ページ」別窓で開くをご参照下さい。
疫学研究は、疾病とその要因との関連性を探るにあたり有用な学問です。しかしながら、がん等、喫煙と関連があるとされる諸疾病の発生には、住環境(大気汚染等)、食生活、運動量、ストレス、遺伝的要因等様々な要因が影響しており、喫煙以外の全ての要因を同じにした集団を比較することは困難です。また、疫学研究は喫煙者と非喫煙者の集団同士を比較するものであり、個々の喫煙者について疾病のリスクを明らかにするものではありません。
喫煙の人体への影響を解明するために、疫学研究のほか、動物実験等が行われています。動物実験において、たばこのタールをマウスの皮膚に塗布する実験では、皮膚腫瘍の発生が確認されていますが、たばこ煙のみを吸入させる方法により、腫瘍を発生させることは困難です。※4
※4:
喫煙の健康への影響については今後更なる研究が必要であるものの、私たちは、喫煙が特定の疾病のリスクファクターであると考えています。喫煙するかしないかは、喫煙の健康への影響・リスクに関する情報に基づいて、個々の成人の方が決めるべきものです。
まるで,警察の麻薬撲滅ビデオに出てくる麻薬を勧めてくる悪い大人そのものである.
疫学研究において,特定の疾病のリスクが非喫煙者集団より高いことを示されているのに対し,
全ての要因を同じにした集団を比較することは困難という反論はナンセンスであり,
様々な条件で喫煙が疾病のリスクになっていると結論付けるのが妥当だろう.
肺腫瘍が発生したとの報告もあるのに,ほとんど起きないから大丈夫のような文言も謎.
せめて,リスクは最大で見積もれよ.そんなに人を殺したいのか.
「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」を読むと、彼の主張は
ではなく
「生活習慣を帰院として糖尿病を罹患し、人工透析に到った患者は全額自己負担で医療を受けさせろ。それを拒否するなら死んでもらっても仕方ない」
であろうと思います。なのでここで
という反論をしてもきっとかの御仁の胸に響くことはないでしょう。なので反論すべきは
「なぜ自業自得の透析患者を殺してはいけないのか」あるいは「なぜ自業自得の透析患者を全額自己負担にしてはいけないのか」です。
まず自業自得による糖尿病ってなんなの? という問題があります。
糖尿病は生活習慣病ですから、食べ過ぎ飲み過ぎ、体重増加、運動不足によって病気にかかるリスクが高まることが知られています。
糖尿病 | 生活習慣病 | 一般社団法人 日本生活習慣病予防協会
と思いがちですが、どこからが食べ過ぎ飲み過ぎになるのでしょう?
・毎日、ご飯3合と焼肉400g、ビール1リットルを飲んだら自業自得?
・ケーキが大好きで毎日ショートケーキを1ピースずつ食べている人は自業自得?
・一日おきに牛丼を食べてる人は……?
食べ過ぎ飲み過ぎの線を引くだけでもこれほどあいまいで、境界などありはしないのに、糖尿病は遺伝などによっても発症しやすい体質か否かの差が生じます。毎日ケーキを食べて糖尿病になる人もいればならない人もいるわけです。
長谷川豊氏は一体どこに「自業自得」の線を引けというのでしょうか?
「ああ、あの時、ビール一杯ガマンすれば保険で治療できたのに、あなたはお酒飲みすぎラインを越えちゃったから今後は全額自己負担ね」
国民皆保険制度を壊し、こんな医療制度を実現することが可能だというのでしょうか。
100歩ゆずってみんなが納得する自業自得の線が引けたとしましょう。けれど、その線を引けたからといって、やはり自業自得な患者の医療を全額自己負担にするわけにはいきません。
我が国は国民皆保険制度の下で、どんな人も低額で医療サービスを受けることができるようになっています。これは日本国憲法第25条の第1項に
『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』
と規定され、第2項には
『国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』
全国民に認められたこの「社会権」の下、医療保険制度は国民が保険料を負担し、健康機能がおびやかされるに至った別の国民は低額で医療サービスを受けることができる「相互扶助」の精神で運営されています。
つまり、「全員が健康で文化的な最低限の生活ができるように、みんなでお金を出し合って支え合っていきましょう」と決められているわけです。病気を発症する原因を問うことなく、「みんなで病気になった人を助けましょう」というのが日本の医療保険制度です。
人工透析の話に戻れば、長谷川豊氏はこの制度を否定し、「助け合える人間だけで助けあえば良い」「助けたい人間かどうかは助ける側(保険料を支払っている側)の人間が評価すべきだ」と主張されているわけです。
「自堕落な生活で病気になった奴を我々の金で助けるなんて不愉快だ」という感情をベースに人が人の生き死にを左右しようという考え方に見えます。
これほどに極端な記事を掲載した彼の思惑を察するに、「これを起点に医療皆保険制度の議論が活発になれば」ということなのでしょうが、人工透析が医療財政を圧迫していると考えるのであれば、透析医療の値段(診療報酬)を引き下げることを議論すれば良いのです。
あるいは腎臓移植、特に死後移植の活発化を訴えるべきなのです。
彼の極端な記事を読んで
「俺はそんなこと言ってないし、やっぱりネット民はバカばっかりだな」
となお一層調子に乗るだけでしょう。そうではなく、
・国民皆保険制度がなぜ今の日本に存在し、それを破壊することがどのような影響を及ぼすのか
・人が人の生き死にを決めることはどれほど危険な考え方かなのか
スペック:大学時代月1で登山する(登山系の中では)ゆるめのサークルに所属。
富士山登ったことない。テン泊で65リットルくらい?のザック背負って北アルプス登ったくらいの山にわか。高校の体力テストDだったのでそれでもきつかった。
ぱっと見思ったのは「健常者の大人ですら登山はしんどいのに、それを1合目から、大雨の中子供に歩かせるのはどうなの」ということだ。
「天候」
まず気になったのは天候である。大雨で登山はまず足元が滑りやすくなるため危ない。プラスして長時間は低体温症で動けなくなる…なんてこともあるだろうし危険である。
そして何より楽しくない。ウチなんかは緩いサークルだったので登山で綺麗な景色が見たいーって思う人が殆どで、雨が降って景色が見れないと「最早修行だなwww」と笑っていた。自分もそう思う。そんな修行を子供に体験させるというのはあんまりにもな所業である。
また、自分たちのサークルでは夏登山は8月前半、遅くても中盤までに終わらせるようにしていた。理由は後半になると台風先生にやられる確率が上がるからである。まあ早くても運が悪いとやられてたんだけど。ひどい大雨なら中止…なんてことも良くあったが、テレビが関わっている企画で果たして中止が易々と出来たのだろうか
「難易度」
あと気になったのは難易度の高さである。富士山はサークルの女性の先輩曰く「酸素ボンベがなければやられていたぜ…!」だったという。酸素が他の山よりも薄いことがダイレクトに体力を奪ったらしい。「ヤマノススメ」という登山漫画でも女の子が富士登山中に高山病に罹患し泣く泣く富士登山を諦めるというエピソードがあった。(まあ漫画だからって言われたらそれまでだけど)そんな大人、十代の少女でも苦労する山を恐らくそんなに体力のない子供に登らせて大丈夫だったのだろうか。
下山の問題もある。登山は山頂登って終わりではない。下山も結構な体力を使うのでけして楽ではない。体力ない奴だと足がガクガクになる。また下山は登りの方がやって来たら端に避けて、登山者が通過するまで待たないといけないのだがこれも何回もやられると足がやられるし、下るのに時間がかかってしまう。自分が北アルプスを1日で一気に下った時に最後の方で尻餅をついてしまったのだが、足に力が入らずしばらく立ち上がれなくなってしまったという感じだ。足が弱くて座ったら立ち上がれなくなってしまった祖母を介護したことがあるが、その時の祖母の気持ちが分かったような気分になった。本当に力が入らなかった。
「安全」
さらに山には「救急車」を気軽に迅速に呼べない。例えばしんどくなったとしても、サークルの登山とかで尚且つまだ歩けそうなら車道がある道までとか歩かないといけない。最悪ヘリコプターのお世話になる。24時間マラソンは辛くなったら即辞めれるし救急車も呼べるからあまり死の危険はないが、山だとそういう救援がすぐにやってこられないので死の危険度は上がっている。子供なんて大人より体力なくて体調崩しやすいのに救急車呼べない状況に落とすのはヤバイ気がする。
因みに体力テストDだった自分は下山してからだが、疲労で38度の熱を出したことがある。
24時間の子供が心の底から富士山大好き!制覇したい!という子供だったら救いはあったのかもしれないが…ていうか思ってもそんなん安全面考慮して止めろよとも思う。
そもそも24時間で子供にハードなことさせる企画自体やるのに良い気分はしない。もしそれでも24時間で登山を子供にやらせたいなら、「登山が好きな子供に、もっと低い山で、天候の良い日に(台風の来ない時期に)登らせる。そしてその録画を本放送で流すべき」だろう。天気の良い日に登らせた方が登山好きな子供だったら景色見れて喜ぶかもしれないし、大雨真っ白な画面よりはテレビ映えもするだろう。
…しかし大菩薩の下山ですら大学時代足がガックガックになった身としては、やっぱテレビの企画という失敗があまり許されない奴で子供に登山させるのなんてやめた方がいいと思わざるをえない。まあ何言ってもやめなさそうだけど。
余談だが北アルプスとかでも親子でイキイキと歩いてる登山者とかいて、後ろで死にかけてた自分はいやあ子供って体力ある子はほんとすげーなと尊敬しました。
「母親に結構な金が注ぎ込まれてる」(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626 )を書いた元増田です。
まずは予想をはるかに超えて、多くの方から温かいコメントをいただいたことに感謝したい。
こんなにブコメがつくとは思わなかったし、ついたとしても、もう少し甲論乙駁するブコメになるかとおもっていた。
「お金のことなど気にすることはない」という趣旨のコメントを多くいただいた。
本当にありがたいし、そういうコメントに対してこんな返し方をするのも失礼なのかもしれないが、
本心を言えば、多分、そういう言葉をくださる優しい方々が心配するほどには気にしていない。
ただ、やっぱり現実に「60万円」という金額を見ると驚かざるを得ないのは事実だし、
どちらかというと気にしているのは「俺らが後期高齢者になっても、これが続けられるのか?」ということなのだと思う。
その解決方法が、少子化対策なのか一億総活躍社会なのか、はたまた移民の受け入れなのか、難しいことはよく分からないが。
「きちんとQOLが保たれているから、ちゃんとしたお金の使われ方だ」「寝たきりに金を注ぎ込むのとは違う」という趣旨のコメントも散見された。
それはそうなのだが、ただ、では、どこで線を引くのかと言われると、それはそれで難しいのではないかと思う。
一度線を引いたら、その線の位置がだんだんずらされていくのではないか? という危惧もあるし。
母はガンの罹患前、「あたしは別にそんなに長生きしたいとも思わない。元気なうちにポックリいきたい」という趣旨のことをよく言っていたが、
逆にガンと戦い始めてから生への執着が強まったように見える。
多分「長生きなんてしなくていい」というのは健康が当たり前な人の贅沢なのであって、
実際、死を意識し始めると、すこしでもそのタイミングを先に延ばしたいと思うのが本能なのではないか?と、最近考えている。
「いつ死んでもかまわない」といっている人に、「じゃあ、あした死んでもらいますね」というと、大多数は「え? ちょ、ちょっと、もう一日待ってくれ」と言い出すのではないか。
で、「もう1日」が毎日続くのだろう。
自分の書いた増田がリツイートされて回ってくるというのも、初めて経験した。
そのなかで @natorom さんが「はてな匿名ダイアリー。抗がん剤加療中のstage 4の母親の話。医療費がメインのエントリーだけど、
現在の抗がん剤治療のリアル(副作用がないわけではないけど普通に生活は可能)が描かれている」
と、拙文を紹介してくださっていたので、この辺のことも触れておく。
母が抗がん剤治療を受けている、というと、患者のことなど考えない医者にやたらめったら薬を打たれ、
副作用でのた打ち回って悲惨きわまる闘病生活を送っているに違いないと勝手に思い込んで慰めてくれる人が、少なからずいる。
はっきりいって迷惑だ。
確かに、副作用がないわけではなく、特に新しい抗がん剤に切り替わった直後などは、食欲も落ち、夜中も何度もトイレにたって、
一日中ほとんど寝たきりになっていることもあるし、母がレディースアデランスの愛用者になっているのも事実だ。
初めての薬を投与して、一週間後の最初の検診までの期間は、当人も家族も緊張はする。
どの程度の副作用がでてくるのか、医者だって正確なところはわからないし。
薬を変えてはみたが、どうやら医者が当初想定したほど腫瘍マーカーが下がらなかったらしい、という局面にも遭遇した。
だからといって、その他の期間は、時に温泉旅行に出かける程度に回復するわけだし、勝手なイメージで同情されても困る。
そういう人に限って「自分が想像しているような、苦しそうな闘病生活」を送っているわけではない母をみると
今度は、「あら~、大変かと思ったら元気そうじゃない! よかったよかった! もうすっかり良くなられたのかしら!」などと、トンチンカンを言う。
「アタシだって、病気と闘っているのに・・・」という母の愚痴を聞くのは、こういう人とあった後だ。
確かに、今ほど抗がん剤が進歩する前は、いろいろと悲惨な状況もあったのかもしれないし、病状によっては、かなり大変な副作用を併発することもあるのかもしれない。
だが、別にがん患者がすべて、あなたの想像するような悲劇の中で生きているわけでもないし、だからといって病気の大変さがないというわけでもない。
おそらく大半の現場の医療関係者は、真摯に最善の治療法を(保険でまかなえる範囲で)考えているし、
製薬会社だって、別に人の命を食い物にして儲けることだけ考えているわけでもあるまい。
とりあえず、何十年前の知識で、抗がん剤批判を繰り広げて金儲けするのはやめろ、近藤誠。
(実際、母親世代には、まだまだ近藤誠信者と思しき人がいる。そういう人との付き合いは、なんとしても切るのが吉だ)
早期発見できた人は違うのかもしれないが、「ステージⅣで発見」という状況だと、「基本的に治ることはない」というのが、周りの人間にとっても難しいところだ。
(当人はもっと大変なのだろうが、自分は当人ではないので、本当のところは分からない)
普通の病気のように「頑張って、治しましょうね」という励まし方はあり得ない。
いかに上手に付き合っていくか、いかに現状を維持していけるか、というスタンスで付き合えないと、患者と家族双方にストレスがたまることになろう。
しかも「いつまで続くか分からない」「いつ悪い方向に進むかわからない」という不安を抱えながら、である。
この辺、バランスを取れなくなった人が、「奇跡の治療法!」とかに走るのだろう。
奇跡はめったに起きないから奇跡なのであって、その奇跡が自分には起こると考えてしまうのは「逃げ」だと思うけれど。
先日、とある観光名所にいったとき、「健康」とか「長寿」とか「家庭円満」などと書かれた名産品が売られていた。
ちょっと考えた上で「長寿」のヤツを、母の土産に買って帰った。本当の意味で「健康」を回復することがない人に、「健康」を祈願するグッズを渡しても白々しいからだ。
ちょっと迷ったが、母に「『健康』ってやつもあったんだけどさ、まあ、いまさら『健康』ってのは無理だから、『長寿』にしたよ」と言ってみた。
母は、「そうねえ、もうちょっと早く『健康』のヤツがほしかったけど仕方ないわよねえ」といって笑っていた。
ああ、この人は強いな、と思った。
60万超の治療費にたいして1万5000円という負担に関して。
これは、母が後期高齢者で、かつ、健康保険の仕組みにおいては、もっとも収入の少ないカテゴリに分類されているので、この金額になる。
もし、母がもっと若かったり、年金以外に収入があったり、夫(自分の父)が生きていて収入があったりしたら、もっと請求されている。
つまり、母は医療費の世界において「相対的貧困者」とされているおかげで、この程度の負担で済んでいるということだ。
ここで「でも、温泉旅行いったり、映画見に行ったりしてるんでしょ? もうちょっと払えるんじゃないの」とか
「息子、治療費全然だしてないのかよ。親子なんだから出させろよ」とか非難されたらと思うと、ぞっとする。
だが、どうやら世間は、子供の貧困に対しては、似たようなことを平気で言うようだ。
ぶっちゃけていえば、あと長くても10年は持たない老女よりも、この先何10年もこの国を支えていく若者のほうが、
ROIは確実に大きいと思うのだが、なぜこうなるのかは、考察に値すると思う。
世の中にはどうしたわけか、掃除に信仰のようなものを持っている人がいて、
「掃除しないから運が悪いんだ」とか、まるで統合失調症の患者のようなことを言う。
そりゃ、掃除が大切なのは間違いないし、バカにするつもりもないが、単なる作業だろう。
大事なのは料理も洗濯も同じなのに、なぜか掃除だけが、やたらスピリチュアルな要素と結びつけられる。
だいたい、掃除するたびに金運が上がるなら、掃除のおばちゃんは今頃大金持ちだぜ。
嘆かわしいことに、組織を率いる人物までもが、この病気に罹患していたりする。
ちょっと儲かると著書を出し、「掃除をするとアイデアが出る!」とかわけのわからないことを言い出すのだ。
他人にやらせるためにそんなことを言っているとしたらムカつくし、
仮に自分でやっていたとしても、そんなんいいからトップとしてやるべきことをやってくれと思う。
本物の宗教組織すら、「これも修行のうち」とか言って下っ端にやらせようとする。
そういうとこは人手が足りないから下っ端にやらせるしかない、とか事情があるのかもしれないが、