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2020-02-22

anond:20200222021737

さっさと金よこせよ。親からもらった小遣い出せや。

おれらの舎弟だからこそ伸び伸びできるメリットがあるだろ?

---

力を持ったサイドが拳を振りかざして脅かしつつ、おためごかし理屈を言って相手丸め込もうとする。この手法を『バッドコップ・グッドコップパターン』っつってる。

住宅街の中の公園でやっちゃダメだろう、ボール遊びは

郊外公園でやれ

匂いベランダを伝わって洗濯物に移るからマンションの部屋でタバコを吸うな

郊外の一軒家で吸え

ホームレス橋の下へ帰れ

黒人スラム街

ダンゴムシは石の下へ

適材適所」・「身のほどを知れ」・「TPO

差別メルクマール

2019-08-03

韓国向け輸出規制についての駄文

韓国の件だけど、自分がここ10年ぐらい関わっている安全保障貿易管理(輸出管理)の分野が日の目を見て嬉しいと思う反面、不正確な報道ツイート拡散も目につく。

そこで、頭の整理も兼ねて、今回の事象に対する輸出管理担当者の考えを、ここに遺しておこうと思う。

■輸出規制ではないのか

最近報道を見ていると「ホワイト国を外れても輸出はできる。だから「輸出規制」にはあたらない」というのが日本政府の言い分であり、最近ネット言説の潮流となりつつある。

しかし、それはあまり形式的な論であり、輸出にかかわる企業側の手間、輸出までの期間を考えると、実質的な「輸出規制」に値するものだと私は思う。

日本の輸出規制

ここで日本の輸出規制について触れておくと、大きくわけて(1)リスト規制と(2)キャッチオール規制という2つの規制に分かれている。

リスト規制とは

貨物性質に着目した規制。たとえば精度の高い工作機械なんかは、核兵器開発に転用される可能性があるので、広範に規制されている。フッ化ポリイミドレジストフッ化水素もこのリスト規制に引っかかる。

リスト規制品を輸出するには

原則は輸出案件契約)ごとに許可を取る必要がある(=個別許可申請)。

ところがこの個別許可申請というのが曲者で、今どき申請は紙ベース。添付する契約書面の内容はもちろん、誤字脱字等についても事細かにチェックされて、まあなかなか許可下りない(90日以内というルールがあるにはあるのだが)。あと許可申請先は経産省安全保障貿易審査課という鬼のように厳しい部署であり、厄介。

■包括許可制度

それじゃ企業経済活動が成り立たないよね、というわけで、一定場合については「包括許可」という、文字通り包括的許可を与える制度を設けて、簡単に輸出できるようにしたわけ。

特にホワイト国向けの「一般包括許可」という制度は、なんだろう、鈍行列車に対する新幹線みたいなもの?あるいはディズニーランドファストパスみたいなもので、電子申請もできて、許可スムーズ下りる。申請先も全国の経済産業局通商事務所で済む。経産省審査課に比べると遥かに楽。

韓国に対する措置

韓国についてはすべてのリスト規制貨物について「一般包括」が使えていたのを、7月1日からはフッ化ポリイミドレジストフッ化水素について使えなくした、つまり個別許可申請必要とした。

そして8月28日から韓国ホワイト国を外れるので、すべてのリスト規制貨物について個別許可必要となる。たとえば等級の高いベアリングリスト規制貨物なんだけど、それ1つ韓国に出すにも、いちいち経済産業省申請必要となってしまう。

(正確に言うと3品目以外については「特別一般包括」という制度を使うという手がある。ただし経産省検査官監査を事前に受け入れなければならなかったり、いろいろ面倒くさい)

結論

つらつらと書いてきましたが、とにかく個別許可申請というのは、言葉上のイメージより遥かに面倒くさいものであり、許可までに時間も掛かる「実質的な輸出規制」に値するものなのですよ・・というのが私の考え。

■3品目を扱う企業対応

フッ化ポリイミドレジストフッ化水素を取り扱う企業について考えると、おそらく案件ごとに個別許可申請して、許可を取って、船を手配して・・・と悠長なことをやってられるような貨物ではなさそう。デカもの工作機械であれば、1件ごとの個別許可申請でも商売が回るのだが(面倒くさいことは変わりない)。

さらに、個別許可申請では「誓約書」という、勝手転売しない旨をうたった文書相手方から取得する制度がある。これ、相手方誓約書に反して転売した場合日本企業責任を問われるという鬼畜制度であり、具体的には罰金輸出禁止処分等のペナルティを課されてしまう。だから工作機械メーカーなんかはGPS機械に埋め込んで、相手方機械を動かし場合はすぐ分かるようにチェック体制を整えている。

しかし、フッ化ポリイミドレジストフッ化水素GPSを埋め込むわけにはいかない。もし韓国企業がこっそり転売をしたら、彼らを信じてわざわざ輸出許可を取った自分たちにペナルティが課されてしまう。こんな状況下でわざわざリスクを取って輸出をするかというと、韓国向け輸出自体をやめてしまうのではないだろうか?

■実際に許可下りるのか?

上記3品目については日本政府は輸出許可を出さないような気がする。もちろん不許可処分を出してしまうと大事になるので、企業自粛を求めるようなやり方になるとは思うのだけど(そういうことが何度かあった)。その意味でも「実質的な輸出規制」に値するものだと思う。

キャッチオール規制審査とは

顧客性質に着目した規制簡単に言うと経産省が発行しているブラックリスト外国ユーザーリストという)に載っているか、輸出された貨物核兵器開発等に使用した前科があったり、今回使用しようとしている顧客については、リスト規制と同じように経産省許可申請をしなければならないとする制度。輸出企業は、顧客名前契約書、HPを調べて、安全顧客かどうかを確認する義務があるというわけ。

ホワイト国向け輸出の場合そもそもこのキャッチオール規制審査免除されていたのだけど、ホワイトから外れると、この審査も行わなければならない。

・・・ただ、担当者の実感としては、この審査自体はさほどの手間ではない。企業によってはホワイト・非ホワイト区別をつけず実施しているところも多いと思う。

ホワイト国を外すこと

ちなみに、ホワイト国というのは現在27カ国あって、国際的レジームに加入しているかどうかが基準になっている。核だったり、ミサイルだったり、生物兵器だったり、汎用品の軍事転用だったり。自分がこの仕事を始めてからは、ブルガリアが追加されたことがあったと思うけれども、基本的には4つのレジームに入っているかどうかがメルクマール(と、自分は教えられてきたし、安全保障貿易管理資格試験でもそのような模範解答とされている)。今度インドが入るんじゃないかと数年前から言われてはいる。

ところが韓国は巷間言われているような北朝鮮への横流し疑惑があるとはいえ、4つのレジームから脱退したわけではない。にも関わらず差別的な取り扱いをするのは、明文化されていないとはいえルールを逸脱した運用だよなあ、と思うところはある。

■今後の着地点

本丸はフッ化ポリイミドレジストフッ化水素の3品目だとすると、これらについては引き続き個別許可申請必要とする一方、今後アメリカ仲介を受けて韓国ホワイト国に戻すというのは、着地点としてありそうな気はする。けど、今の内閣嫌韓世論からすると、それも難しいのかなあ・・・

2018-08-22

なぜ日本各地でゲリラ的な事件が続発するのか?

社会の流動化



いまや日本若者の大半がネット接続してSNSアカウントを持っている時代。つまりSNSをしている若者が必ずあなたの近くにはあるわけだ。だから犯罪ツールネットがあるというのは、その意味では当然だ。

もちろんそれが非行と直接関係しているわけではない。全国に張り巡らされたインターネット網とIT、それに伴う社会の膨大化によって、今までの日本地域社会の流動化と不安定化が進み、非行を誘発しているのだ。かつ若者高知能・所得のばらつき・欧米化により、市民日常的に目の届かない地域非行が拡大し、それにより初動が遅れる。

おそらく、暴走族活動範囲も、昔であれば地方幹線道路沿いに限られていたのが、都会のインナーティ住宅街などにまで分散しているはずである田舎だけを見回ればすむ時代ではなくなった。しか暴走族のものゲリラ化が進んでいるために警察対処ますます困難になる。こうした理由から、近年都市部を中心に暴走族が異常発生しているのであろう。

さらに、IT技術の高度化により、物的証拠などによる捜査が困難になっているという。特殊詐欺なんて昔から多いじゃないかと思うかも知れないが、インターネットを用いた詐欺事件の続発という状況は、この5年ほどに起きた現象だ。2017年社会問題になったランサムウィルスも、手口が巧妙で何の手がかりにもならない。日本中の人間が、アメリカヨーロッパなどと同じ環境に生きるようになったので、事件の手口がつかみにくくなったのである

かつ、日本社会テクノロジー化は、日本国内のコミュニケーションコミュニティ消滅させた、あるいは衰弱させた。振込みでも銀行ATMを使わなくなるようになり、スマホワンタイムパスワード機械重要になった。書店仕事量は減り、定額で本読み放題という価値観が広がった。そうなると、メディアビジネスも益々やりにくくなる。まして読書メディアチェックすらパソコンスマホで済ませる人がほとんどすべてになれば、新聞テレビ収益も減る。休日の移動で満員電車を使わなくなれば、鉄道会社収益が減る。都会の税収が減って益々不景気になるのだ。

YouTubeで立て続けに犯罪が多発したというのは、どういうことなのか?犯人の顔を知っている人が隣近所にもいなかったのか?まったく不思議だ。コミュニティが衰弱しているのは地方だけの問題ではなく日本全体の問題であると考えなければ理解できないであろう。

こうした日本全土の極端なファスト社会化の大きなメルクマールアマゾンだ。ネット化が進めばアマゾンが台頭するし、アマゾンが便利になればますます個人化が進む。テクノロジー化による個人化が進んで、コミュニティ崩壊し、流動化した地域社会犯罪抑制する機能が低下している。あらぬところから道路鉄道に乗って、どんな犯罪者が来るかも知れない。犯罪者も腹が減るから、たまには仮想通貨支払いで食事をするであろう。しかし周りに知る人はいない。そして駐車場で、たくさんあるアカウント情報のなかから気に入ったアカウントを盗めばよい。

地方都市や大都市ゲリラ不良が多発するのはなぜか?



最近ネットテレビニュースを見るとゲリラ化したヤンキーによる事件毎日のように発生している。後から出てきたニュースもどれの関連ニュースなのかわからない。業務妨害事件といってもどの事件なのか、毎日のように起きているから分からない。しかほとんどの事件貧困層マイルドヤンキーがうようよいるような地方ではなく、景気のいい大都市部で起きている。

ゲリラ暴走族が発生した道路を見ても、都心かと思えるような立派な地区も多い。だから地域的には申し分ない所なのに何故醜悪事件が多発するのだろう。特に暴走族事案が目立つのは何故だろう。子供が荒廃しているとか家庭が荒廃しているとかは前から言われていたことだが、それ以外にも国民コミュニティーが崩壊していることも原因の一つだろう。

もちろんネット社会が悪いわけではない。経済合理化近代化時代の流れで避けて通る事が出来ない。ネットが便利なところは活性化するしネットのもの雇用も創出する。外出せずに食品から生活用品まで全て買い揃える事が出来る。自宅から車で買いものに出かけて大量に物を買って車に積んで帰ってくるような生活が車無しでできる。まったくアメリカ田舎のような生活日本社会に定着した。

私の若いころには便利なネット環境や高度なネット文化はない。用事ときは必ず外出していた。ところが現在ではネットが一人一台の時代が来て、買いものネットショップで買いものするのが普通になっている。貧乏人がクレジットカードを持っていないのは過去の話だ。クレジットカード審査はより甘くなり、手数料無料かも進んでいる。

その結果、東京都心で小銭やお札をお店で目にする機会は少なくなった。持っているのは地方から観光客未成年者ぐらいだ。だから日本でも現金を持ち歩く事がなく生活できる。もちろん地方都市は今でも現金が手放せないが、大都市部のチェーン店富裕層が訪れる地域ではカードの普及が進んでいる。

このようにテクノロジー化した社会ではたとえば事件が起きても犯人捜査もままならず、犯人もあらゆる手口を使って広範囲に移動するから警察適応できない。今までは免許を持たずに生活していた階層免許を取るようになった。オートバイを乗り回す高校生現実になり、それに対する不満も生まれない。近所づきあいも薄くなったか事件の芽があっても近所も気がつかない。

このような環境学生たちにも悪い影響を与えて、学生非行の増加にもつながっているのだろう。戦後アメリカで起きた青少年犯罪の多発が日本でも起きているのだ。一見歴史ある町並みの地域青少年犯罪が発生するのはなぜか。そのような環境では家庭も個人孤立してしまうからだろう。

小説漫画テレビドラマのような社会現実に出現している。SNSを用いたゲリラ暴走族アメリカ少年犯罪象徴だ。日本テクノロジー社会がやってきたからそのようなライフスタイルが実現した。つまり日本欧米のような犯罪多発社会になってもしかたがないのだろうか。チーマーマフィアや極○も衰退し大人子供を狙う犯罪も激減した。多くの人が未知の人間と寄せ合って生活している。日本にあったコミュニティーは崩壊した。

日本では欧米のような社会理想であると教え込まれてきた。だからこそ誰もがネット接続しそれで買いものや昔ではATMでしていたことをする。しかしその理想が実現したとたん青少年非行化と犯罪が昔のように多発するようになった。凶悪詐欺事件も増えた。日本はこれでいいのだろうか。コミュニティーを再建するにも社会のものの流動化で無理だろう。

2018-07-03

田嶋氏のこと

日本ロシアワールドカップが終わった。

追加時間での圧倒的なカウンターにまさに圧倒された。

何回同じことをとか、田嶋やめろとか色々見るけど、同じじゃないし、田嶋氏が自分から身を引くならともかく、周りから身を引けと言われるのは全く腑に落ちない。

結果の世界で結果を出してるんじゃないか

今回のチームは30年来、氏が手がけてきたソフト面、ハード面での育成強化策における集大成的なチームに期せずしてなったと思う。そういう視点で見れば足りないものはまだあれども、一つのメルクマールだったし、方向性を示したチームだったと思う。

過去2回のベスト16に入った時とは違いそういう評価ができる大会だったと思う。

期せずしてというのは監督解任のこと。選手とうまくコミュニケーションいかなくなったと判断したなら、監督を解任しても仕方ないと考える。人事権を持つもの専権事項だ。

スペインを除外して大会直前に監督を解任するなんてありえない。けど、それをやった。大博打ではあるが、信頼関係が壊れたからこその大博打だったのだろう。もう一つは日本のこれまでの育成強化策と前監督意向マッチしなかったとも考えられる。今回のチームを見てそう感じる。

ずっと育成強化に携わってきた田嶋氏だから決断できた解任劇であったと考える。

博打はいけないとか、検証できないとかいう話もあるが、勝負ごとだ。ギャンブルの要素があるのは当たり前ではなかろうか?ランキング60位のチームと3位のチームでもやって見なけりゃわからない。それがスポーツ。現に大会を通じてランキング自分たちよりはるかに上のチームを脅かし続けたではないか。そして、グループリーグ突破してる。結果オーライではないが、結果は出てる。ホームアドバンテージ(02)もなく、守備的なやり方(10)でもなくである。様々な要素を考慮した挙句博打はありだと思う。

しかし、世界トップにはこの舞台ではまだ勝てない。それだけのこと。これを田嶋氏個人責任にするのはお門違いだ。世界基準の強化策が始まってたかだか30年程度の極東小国なんだから

解任の部分だけを見て氏を評価するのはあまりにも片手落ちだし、今回の結果に彼の功績はあると評価すべきだと考える。

彼の退任を求める方々は、小学生段階からの育成策や強化策、そして指導者養成策が彼が協会に携わるようになってから徐々に、どのように変わってきたのか、そして現場がどう変わったのか検証してから叫んで欲しい。

2018-06-15

anond:20180615203148

うーん、法定速度みたいに明確な要件規定されていない刑罰規定なんていくらでもあるしそっちの方が多いんだよね。このあたりの議論罪刑法定主義のところで散々されてるので調べてくれ。もしくは帰って暇だったら書くよ。

あと、今回提示されてる同意があればいいかどうかなんてびっくりするくらいわかりやなメルクマールだし、それくらいは自分で考えろって思うけどな。事後承諾が許されないことがあるなんて誰にでもわかる話でしょ?

anond:20180615163933

それな。この話、法律家技術者の考え方の違いが明確で面白いと思う。

おそらくだが、今回警察同意があるかどうかでメルクマールを設けている理論根拠は「被害者同意」論だ。大雑把に言うと、被害者放棄可能法益(例えば、財産権生命なんかは放棄が許されていない。)について、実行行為より前に被害者同意した場合、"構成要件該当性または"(""内は訂正。)違法性を阻却する(この点については論争があるが割愛する。)という法理だ。

まあ厳密にいうと実行行為前ってのは今回少し怪しいんだが、そこは無視してもいいと思う。

今回は、放棄可能法益というところは問題いから、問題被害者同意たかどうかってところなんだが、おそらく明示的同意だけを要求してしまうと、それこそ広告アナティクスなんかもアウトになってしまう(少なくとも広告については明確に同意する人、いないと思う。)。

なんで、多分黙示的同意にまで拡大して許容してるんだと思う。で、ここから議論が荒くなる(のでここは議論に乗せたい)んだが、広告は明確に表に出るから、それをスルーして見続けている以上同意があったと犠牲やすい。アナティクスについては少し難しいが、サイト運営のために必要ものからとか、アクセスカウンターというものがあること自体は想定しやすいとかそういう論理正当化可能だと思う。

一方マイニングだが、こちらはソースコードを見ないと気づくことができないし、アクセスカウンターのように一般化されてもいないから想定も難しい、おまけにパソコンに与える負担も前二者に比べて高い、となると黙示の同意存在を認めることは難しいと言える。簡単に整理すると、1.気づくことが容易にできず、2.存在が想定しにくく、3.負担が大きくなるというところからマイニングについては黙示的同意があるとは言えないのではないか。そうすると明示的な同意必要になるので、同意とってる場合は立件しない、という扱いになっているのではないか

余談になるが、警察はこういうややこしい事件は確実に検察相談しながらやっているので、これくらいの法的論拠は当然用意してやってます

2017-05-09

[]精神保健福祉法改正案は廃案にすべき

国会ウォッチャーです。

 参院厚生労働委員会です。塩崎恭久大臣橋本岳副大臣もちゃんと論理的にしゃべれる人なので、逆説的に法案瑕疵が際立ち続ける精神保健福祉法改正案。昨日、今日金田さんは、「一般人告発対象にはならない」、「デジタルデータ監視対象にならない」と迷走されておりましたがね。

 さて相模原事件を受けて、その再発防止としてなぜかでてきた、措置入院後の管理強化をする法案、ただ医療福祉法律で、治安犯罪抑止立法事実としたたてつけは無理だとさすがに判断したのであろうと思われますが、大臣役人が述べているとおり、立法事実が変わっても法案は変わっていないので、グダグダになっている法案

以前の記事

http://anond.hatelabo.jp/20170414142605

この法案については、読売新聞記事がよくまとまっていると思います

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20170428-OYTET50006/

産経のクソみたいな記事と比べると、読売がまだまともな部分があることを気づかせてくれますリンクは貼らないけど。

野党が「共謀罪と一緒」と難クセで法改正の足引っ張り…抜け落ちた「再発防止」の観点

 再発防止なら、まぁ普通の頭をしていれば、障害者差別問題障害者権利の啓発、優生学思想否定障害者隔離しないインクルージョンの推進、というような方向に行くと思うんですが、産経にかかると精神疾患罹患者の予防的隔離監視強化をしないことは野党の難クセだとおっしゃるのがすごいと思うよね。加害者属性日本人とか男性とか若者とか大麻利用者とか他にもいろいろあるわけだから男性刃物を買うことを規制衆議院議長陳情書を出した日本人監視強化するとか、大麻前科者の住所情報共有は本人意思関係なくするとかでもいいんじゃない?私個人はこのどれが「再発防止策」としてでてきても反対するけどね。

石橋通宏要求する再発防止策検討チーム議事録は提出できない

 石橋議員はこの問題では、倉林明子議員福島みずほ議員と3人で、もう完膚なきまでにディベートとしては勝ってると思います大臣!の呼びかけ方は割りと不快ですが。国会ディベート大会ではないので、どうなるか見守っているのですが、これを通すようだとちょっともうかなり国会機能はなくなってるんだろうなぁと思ってメルクマールとして注目しておる次第です。この法案は、まぁ安倍さんにとっては枝葉の問題で、自分治安維持犯罪抑止においてなんか実績を上げたんだっていう看板として、「改正した」っていう事実が欲しいだけで、そんなに是が非でも通したい法案というわけではないと思うんですよね。その法案でここまで強権的で、資料の公開はしないで、瑕疵を徹底的に指摘されても撤回しないとするとこれは相当ヤバイだろうと、こう考えておるわけです。

 相模原市障害者支援施設における事件検証及び再発防止策検討チームは、安倍総理意向を受けて塩崎大臣が設置した審議会で、昨年12月に再発防止の提言を出しています(ぐぐってね)。この提言の、方向性問題点の列挙まではまぁ理解できるのですが、もってくる対策が頭おかしいとしか、というものなのでね。最低限、支援計画段階での本人参加の法文上の必須化、どうしても警察を入れたいのならば、本人またはその権利代理人(弁護士等)の同意、また本人が情報の共有措置を停止して欲しいと要求できるラインの確保、などが盛り込まれないとこりゃあどう考えてもダメだろとは思うんですがね。

 んで、この再発防止チームの検討会の第7回で、障害当事者から警察に入られるとかえって病状が悪化する、など見直し要求する意見陳述があったのにも関わらず、議事録非公開の第8回検討会を受けてでてきた提言の中で、ケース会議等に本人の同意がなくても病院自治体要求警察が入って、病状、転居情報などの自治体間共有などを行う、というものがでてきたわけです。これはもともと、犯罪抑止立法事実としてたてつけたときに作られた条文だったのです。それが取っ払われても、政府側としては法案趣旨社会復帰の推進で一貫しているから、まったく問題ないという態度なわけです。しかし、犯罪抑止という立法趣旨が消された現状では、警察が入ることが、病状の回復社会復帰においてどのような好影響をあたえるというエビデンスがなければ、これをいれる意義が見出せないだろう、というのが前回までの石橋議員の指摘で、第8回議事録個人情報部分があるのならば、そこは黒塗りでも良いから、その立法事実エビデンスが書かれているというのなら見せてみろ、という状況。

石橋

「意訳)資料要求をさせていただいたが、結局エビデンス提示されなかった。そのことについて聞いていきたい。第7回で参考人から指摘された、警察情報共有するという兵庫方式にはマイナス面もあるということに対して、その後の第8回でいかなる議論がされたのか。この警察との情報共有が、いったいなぜ患者社会復帰に繋がるのか、エビデンスがあるのなら示して欲しいと要求してきたが、明確な答弁はいただけなかった。個人情報は黒塗りでもかまわないから、第8回の議事録提示して欲しいと理事会でも重ねて要求してきたが、今日も出せないとの答えがあった。なぜ出せないのか、ちゃんとエビデンスに基づいた協議をしたというのならば、個人情報配慮した状態で良いから、立法事実エビデンスを示してくれと要求したのにゼロ回答ではないか。これでは議論できない。」

塩崎

「(略)資料要求していただいている件についてですが、そもそもこの再発防止検証チーム審議会は、そもそも第1回の会議ときに非公開が前提で行われているものであります個人情報がたくさん入った資料も配られるので、そういったものを含めて公開をしないという前提で、屈託のない議論をいただいたところでございます。ですので、原則非公開としたものを、個別の内容についてお示しすることはできないわけでございます。これは、当然第7回で参考人に指摘されたことを踏まえて、第8回でも議論を頂いたところでございます。公開されている第7回の議事録を踏まえて、第8回の議事は行われているということでご理解を賜りたい。」

石橋

「まったく納得できません。第8回でもう取りまとめの議論が出てきてるんでしょう。それが第9回で確認されているんだから。なんで、第7回の議論を受けて、第8回でいきなりとりまとめの案が出てくるんですか、むしろまったく検討されていないということを立証しているんじゃないですか。大臣、認められたほうが良いんじゃないですか。結局立法事実は示せないんでしょ。エビデンスがないなら、どうやったって法案の審議なんかできませんよ。最初から立法事実をはき違え、さらには立法事実がないのにも関わらず、法案を作ってしまった。だから法案の中身がいろいろ問題を持ってしまっているんですよ。今日は具体的に聞いていきます

続きはトラバでに

2016-03-13

人工知能は近々宗教になる。既になってるのかも。

人類歴史は道具の歴史だった。

鈍器を作れば、人間が素手で殴るより力が出るし、破壊できないもの破壊することができた。

「素手」の時代が終わった。

火薬人間を超える力で、鉄の玉を投擲した。

蒸気機関は、人間や馬を超える効率で動き続けたし、人類やすやす超える「力」を提供した。

「力」の時代が終わった。

コンピューターが生まれて間もなく、人間の「演繹力」を超えた。

演繹力」の時代が終わった。

古代において知性の頂点であった系統学による「分岐分類」は、

いまやコンピュータによるクラスタリングで行われている。

「分類」の時代が終わった。

多くの「未来予測」はコンピュータ制御シミュレーションされているし、

アルゴリズムトレーディングも盛んに行われている。

大統領選挙ですら、専門知による予測よりもコンピュータ分析の方が正しい結果が出る。

未来予測」の時代が終わりつつある。

コンピュータによる音楽模倣は、20世紀の終わりには専門家区別つかないレベルになった。

記憶力」はGoogleなどの検索エンジンによって拡張された。

記憶力」の時代が終わった。

2000年代ディープラーニング発明され、徐々に結果を残し始めると人間を超える「認知」の力を手にいれた。

Alpha碁はメルクマールとして偉大だった。

碁は「演繹力」と「認知」の力によるゲームであり、それが人類を超えた。

とても素晴らしいことだ。

認知」の時代が終わるということなのだろう。

こうして加速度的に人類しかできないことが機械に置き換えられていくことの先に、

シンギュラリティ」を予測する人々がいる。

地球人類全員を合わせたよりも高い知性にコンピュータが到達する日だというのだ。

この日よりあと、コンピュータはより高い計算資源をみずから設計獲得し、さらに賢くなる。

その日よりもあとは人類理解できないスピード世界が発展していき、様々な問題が解決されるのだという。

これを渇望する人々の話しぶりは、一部プロテスタントの人々の渇望する「携挙」を思わせる。

ある日突然のキリスト復活とともに、信心深いものけが神の国にいき、残りの人々は終わることのない争いに巻き込まれるのだというものだ。

また、これはゴータマの入滅後の遥か未来弥勒菩薩が現れ、

人々を救うという弥勒信仰の類にも近い。

もっと俗っぽいものであれば、ノストラダムスの大予言人類が滅びるみたいのもそうだろう。

人類がまた何か人類よりも上手に行うことができる道具を手にするだけのことだ。

今までと何かががらっと変わるがある意味では何も変わらないかもしれない。それだけのことだろう。

だが、絶望が深いとその日が宗教的イニシエーションになる。

いつか来るその日のために人工知能に残すべき人類だと思われるように

Facebookに『ありがとう』と書くと善良な人間と思われて救われる」とか

Googleに1日5回の神への感謝検索しよう」とか

Wikipedia財団寄付すると徳が積まれる」とか。

「私はDeepMindにアクセスしてあなた未来を見ることができる。財産喜捨すれば、未来を書き換えれる」とか。

きっと今日のように、とても知的好奇心を掻き立てられて未来への希望が開くけど、

ちょっとばかり人類尊厳が減ったような気がするそんな日がさらっとやってくるだけだ。

2015-06-18

ゲンロンへの匿名殴り込み

昭和の延長線上にないもの

あらゆる場所で言われていることだがそれはREMIXという概念のそれに対する窮屈な環境である

レッシングREMIX記憶に新しい。だが実は時代遅れなのかもしれない。

昭和のころは、というよりも人間はあらゆるものREMIXしてきた。例えば音楽の分野でもDJはあらゆる音をサンプリングし新しい楽曲を作る。それは70年代の後半だ。クールハークという伝説DJのおかげだ。あらゆるデータを参照し、再構築し、あたかも新しいもののように世間に出回る。それがおそらく昭和のころは新しいアイデアだ、と賞賛されていた。しかし今は違う。

批評世界でもそうだ。あらゆる、いかにも新しいアイデアというもの過去に出たものの参照でしかない。新しいREMIXももはや賞賛されない。それに対する窮屈な環境というものポスト昭和のはっきりとした特徴であると断言する。

東氏の「動物化するポストモダン」はまさに新世代のバイブルであったが、現代はそれに対する窮屈な環境が少なから存在する。

それに関連し、1968年メルクマール増田米二氏らが「機会」の重要性を説いた。林雄二郎村上泰亮小松左京、様々な文化人知識人がこぞって、ネットワーク理論の原型を説いていた。それは学派の垣根を超えていた。機会の窮屈さもそうだ。そうだ、ここでは関係の窮屈さを提唱しよう。昭和のころと今と比べて関係の窮屈さというものが当てはまる人間は多いだろう。

詳しくは述べないが、あらゆる事象を参照してほしい。だがこれも窮屈なのだ。まさに今書いていること自体に窮屈さを感じるのだ。

それがポスト昭和だ。ちなみに私は昭和64年まれだ。昭和平成の境にいる。

今回は当事者性を感じ、書いてみた。こんな人間もいるのだと一つ参考にしてほしい。

追記 さやわかさん、うんこマシンガン復活してください。

2015-06-16

(ホ) 昭和四二年四月一日付をもつて、組合福島分会青年婦人事務局長であつ

福島営林署経営課勤務の農林技官hを福島営林署二本松担当事務所に配置換

白河営林署分会関係

(イ) 昭和三七年四月一日付をもつて、組合白河分会青年婦人部長であつた白河

営林署事業課販売係勤務の農林技官iを白河営林署牧本担当事務所に配置換

(ロ) 昭和三九年四月一日付をもつそ、組合白河分会青年婦人部長であつた白河

営林署経営経営係勤務の農林技官jを長野営林局上田営林署に配置換

(ハ) 昭和四〇年四月一日付をもつて組合白河分会青年婦人書記長であつた白

河営林署経営課造林係勤務農林技官kを沼田営林署追貝担当事務所に配置換

(2) 本件配置換の手続が異常である

 職員の配置換は毎年職員調書に転勤希望の有無を記載させるとともに、組合と債

務者間に具体的な配置換に際しては、●らためて本人の事情希望を確かめる取決

めがなされているのに本件配置換に際しては、債務者債権者らに事情聴くこと

も、意思確認することもせず全く一方的に配置換をした。

(3) 配置換が組合学習運動を壊滅する手段として使われていることを債務者

自ら認めているのであつて、このことは、昭和四〇年中に開催された第一一回定例

営林署長会議において、「組合学習運動地本指導下に最近活発になつてい

る。-中略-日常のP・Rと共に人事移動等により防止しているが撲滅できない状

態にある。よろしく局の指導を御願したい。」との討議議題が提出されていること

からみても明らかである

三、(保全必要

(一) 債務者は本件配置換に関する団体交渉において、債権者らが昭和四二年四

月一日までに赴任しなければ懲戒処分もありうる旨言明している。

(二) 債権者らが役員をしている組合青年婦人部の大会昭和四二年五月に開催

され、新役員が選任されることとなつているが、前記のとおり債務者組合青年

人部役員に対し集中的に配置換をしてその組織破壊企図している時点におい

て、右大会特に重要な意義を有するのである債権者らは右大会の準備、運営

不可欠の存在であるし、右大会において債権者ら以外の組合員が新役員に選任され

場合には、債権者らは事務引継の必要がある。

(三) 仮りに債権者らが本案判決があるまで暫定的に本件配置換命令に従うとし

ても、前記のとおり債権者らは本件配置換に際し、あらかじめ、事情を聴かれたわ

けでなく全く希望しない任地へ転勤することとなるから、赴任期間一〇日をもつて

しては家庭生活を整理する余裕がない。

 しかも、本件配置換命令発令後四月六日までの団体交渉において、債務者組合

に対し、債権者らの希望があれば組合青年婦人大会において新役員が改選される

まで、赴任を延期してもよいと言明していたにもかかわらず、その後の団体交渉に

おいて突然態度を飜し、四月一〇日までに赴任しなければ懲戒処分もありうる旨言

明するに至つた。

 そのため、債権者らの赴任準備期間は実質的に四月八日、九日の僅か二日間を残

すのみとなり、四月一〇日までの赴任は事実上不可能となつた。

(四) 債権者らは債務者から懲戒処分をうけることを防ぐため、止むなく単身身

廻品を持つてそれぞれ任地に赴いたけれどもこれはあくま懲戒処分を避けるため

暫定的もので、家庭生活の整理、組合活動の整理も全くせず、旅支度に類する

程度の準備で赴任しているので、この状態を長く続けることは不可能であり、現在

帰郷して懲戒処分をうけるか、家庭生活破壊し、組合活動自由放棄するか二

択一を迫られている。

 以上の次第で、債権者らは本案判決に至るまでの間懲戒処分を防止し、家庭生活

破壊組合活動自由剥奪等の状態を防ぐ緊急の必要がある。

第三、債務者の主張に対する反論

(一) 債務者は本件配置換は行政処分であるから、本件仮処分申請は不適法であ

ると主張するが、債権者らと債務者との勤務関係公法関係でなく、私法関係であ

つて本件は民事訴訟法上の仮処分対象となる法律関係である。すなわち、 債権

者ら林野庁職員については、公共企業体労働関係法(以下公労法という。)が適

用され(同法第二・三条)、国家公務員法規定の一部は適用されない。(公労法

第四〇条)

 公共企業体等の職員の労働組合は、団体交渉権労働協約締結権があり(公労法

八条労働協約は個々の労働契約の内容を変更する効力を有する(労働組合法

六条ものであるから、右職員と任用権者間の労働関係は、対等当事者間の合意

の支配する私的自治の分野であり、一般公務員のように、その身分が国法上の分限

によつて定められているものとは性質を異にするばかりでなく、公共企業体等の実

態をみても、その企業体は、私人が同種の経済活動を行つているのと本質的に同一

のものであり、債権者らが所属する労働組合林野庁には公労法第八条第四号に関

する協定は現に存しないけれども、これは債務者側において協約締結を不当に拒否

しているためであり、転勤については昭和三五年ころまでは、組合地方本部対応

営林局との間の形態において存し、昇職、転職については、「任官に関する覚

書」、「賃金及び雇用配転その他の労働条件に関する仲裁申請事案の処理に関する

メモ」、「事業縮少並びに事業所閉鎖に伴う職員の解雇及び配置換等の事前通知に

関する協約」等が存し、私企業となんら異なるところはない。

 したがつて、公共企業体等とその職員の関係は、権力服従という公法上の関係

はなく、私法によつて規律される分野にあるものというべきである

(二) そもそも公法分野と私法分野の区別については、学説多岐に分かれ、必ず

しも明確ではないが、少なくとも関係主体が国その他の公法人であるか否かがその

区別メルクマールとなるものではなくこれら公法人もまた私法分野における主体

として行為することがあり得るのである

 そこで人の使用されている関係が私法関係である公法関係であるかは、使用者

私人である国家ないし公共団体等の公法人であるかによつて決せられるべきも

のではなく、その関係慣習法上ないし実定法上いかに規律されているかによつて

決せられるべきものである

 もつとも歴史的には国家本来の統治権の作用、すなわち権力作用を営む場合

その任に当る個人の人権犠牲にしても権力作用の秩序を維持する必要があるとの

理由から上下服従の特別権力関係を内容とする慣習法実定法が生れて来たけれ

ども、国家本来の統治権の作用を離れ、事業活動を営む場合にまでなおその従業

員を法律上特別権力関係に立たせることは決してその本質的必然にもとづくもの

はない。(東京地方裁判所昭和二四年八月八日判決労働関係民事々件裁判例集七号

八六頁参照)

2015-05-10

夜鳴き

高校生の時に当然だけど筆記テストがあったんですわ。

もちろん周りは静かでシャーペンの音が響いていたんけど、

たまに女子がァンッ!ってクシャミしたりするんですわ。

あの、押し殺したようなクシャミ。周りが静かだからね。

毎回それを聞くと、ああこいつは夜鳴くときはこう鳴くんだなー

というメルクマールになっていた。

2015-03-11

震災記憶

の子は当時小1(7歳)だから記憶は鮮明だが、下の子は当時3歳になったばかりなので、

地震記憶は全くない」そうだ。

それを聞いた上の子は、「あんな大きな地震を、覚えていないとはありえない」と、お風呂の中で兄弟ケンカが始まった・・・

それは兎も角、今の小学校1年生、2007年4月~2008年3月生まれ世代って、震災時に3歳程度だから

「丁度、震災を覚えているかどうか、微妙」な世代なんだな。

ウチの子早生まれで「3歳になりたて」だったから、震災記憶もない訳だ。

折角だから、公的研究機関が、「首都圏東北の、小学校一年生」に、3・11の記憶存在するかどうか、

大規模児童心理調査をすれば、結構興味深いデータが取れるんじゃないかと思う。

3・11のような「メルクマールとなる出来事」は、幼児記憶研究の格好の題材になりうる。

でも、「記憶の形で覚えていなくても、深層心理に刻み込まれ震災は、その後トラウマになる」という話もあるんだよなあ。

※上の子記憶が鮮明すぎて、放射能騒ぎ等もいろいろ記憶しているんだよなあ。

震災記憶

の子は当時小1(7歳)だから記憶は鮮明だが、下の子は当時3歳になったばかりなので、

地震記憶は全くない」そうだ。

それを聞いた上の子は、「あんな大きな地震を、覚えていないとはありえない」と、お風呂の中で兄弟ケンカが始まった・・・

それは兎も角、今の小学校1年生、2007年4月~2008年3月生まれ世代って、震災時に3歳程度だから

「丁度、震災を覚えているかどうか、微妙」な世代なんだな。

ウチの子早生まれで「3歳になりたて」だったから、震災記憶もない訳だ。

折角だから、公的研究機関が、「首都圏東北の、小学校一年生」に、3・11の記憶存在するかどうか、

大規模児童心理調査をすれば、結構興味深いデータが取れるんじゃないかと思う。

3・11のような「メルクマールとなる出来事」は、幼児記憶研究の格好の題材になりうる。

でも、「記憶の形で覚えていなくても、深層心理に刻み込まれ震災は、その後トラウマになる」という話もあるんだよなあ。

※上の子記憶が鮮明すぎて、放射能騒ぎ等もいろいろ記憶しているんだよなあ。

2015-01-16

教養としてのミステリ

ミステリベスト話題がもりあがってるっぽいので

ぼくもやってみることにした

洋邦あわせてのオールタイムベスト10はむずかしいので

年代別に代表的長編を英米と日本でそれぞれで10作えらんでみたよ

教科書的でベタすぎるかもしれないけど

この手のベストだと叙述系が挙げられがちなので

あえてベタにえらんでみました

海外ミステリ

長編しばりでなので

ポードイルではなくこれを

ま、有名だしね

黄金期にミステリ臨界点を冷静に見つめていたバークリーらしい作品

『第二の銃声』とかもバークリーらしいけど

こっちのほうが一般向けかな

これは英米本格黄金期の成熟を示す名作

国名シリーズもいいどライツヴィルものをとりたい

私立探偵小説の到達点としかいいようがない

チャンドラー苦手なミステリ好きにも

アメリカ警察小説マイルストーン的名作

  • M・Z・リューイン『季節の終わり』

複雑なフロットでグイグイ読ませる

いわゆる、ネオハードボイルド代表する作品

ラムリーやブロックよりこっちをとりま

レジナルド・ヒルの『骨と沈黙』と迷ったけど

現代英国ミステリ代表作としてこれを

昨年逝去されたのが悔やまれます

冥福をお祈りいたしま

いわゆるノワールジャンル分けされる作品だけど

凡百の現代ミステリが裸足で逃げ出すくらいミステリしてる

日本ミステリ

長編しばりなので

名作揃いの初期短編ではなくこれを

  • 蒼井雄『船富家の惨劇

戦前本格長編の成果としてこれを

浜尾四郎殺人鬼』よりはこっちかな~と

言わずと知れた奇作かつ傑作

戦後本格のメルクマール的な作品

角田喜久雄高木彬光鮎川哲也山田風太郎とか

戦後本格の名作はいろいろあるけど

これに代表してもらいます

マニアの人ごめんなさい

点と線』に続く社会派ミステリの名作

戦後の混乱期に材をとったのちの清張作品の原点

本格冬の時代に現れたとんでもない作品

笠井潔の『サマーアポカリプス』でもいいけど

インパクトのつよさでこれを

これも本格復興期の名作

亜愛一郎シリーズも必読

いわゆる「日常の謎」の元祖

現代日本ミステリへの影響力大

新本格からはこれを

なんでこれなんだ、とかいわれそうだけど

多分これが一番読みやすいと思うので

神様ゲーム』もそうだけど

ポストモダン探偵小説だなって思う

マニアックだけど最後くらい独断偏見で選ばせてね

  • 追記

うっかりしてました

北村薫『空飛ぶ馬』って短篇集でしたね

酒飲みながら書いてたので注意力散漫だったようです

ってことで

そこは同じ作者の『秋の花』に差し替えってことでひとつ

米澤穂信とか好きな若い読者にオススメです

2014-11-16

震災記憶

季節外れなネタだが、子供同士がお風呂で会話していたので。

の子は当時小1(7歳)だから記憶は鮮明だが、下の子は当時3歳になったばかりなので、

地震記憶は全くない」そうだ。

それを聞いた上の子は、「あんな大きな地震を、覚えていないとはありえない」と、お風呂の中で兄弟ケンカが始まった・・・

それは兎も角、今の小学校1年生、2007年4月~2008年3月生まれ世代って、震災時に3歳程度だから

「丁度、震災を覚えているかどうか、微妙」な世代なんだな。

ウチの子早生まれで「3歳になりたて」だったから、震災記憶もない訳だ。

折角だから、公的研究機関が、「首都圏東北の、小学校一年生」に、3・11の記憶存在するかどうか、

大規模児童心理調査をすれば、結構興味深いデータが取れるんじゃないかと思う。

3・11のような「メルクマールとなる出来事」は、幼児記憶研究の格好の題材になりうる。

でも、「記憶の形で覚えていなくても、深層心理に刻み込まれ震災は、その後トラウマになる」という話もあるんだよなあ。

※上の子記憶が鮮明すぎて、放射能騒ぎ等もいろいろ記憶しているんだよなあ。

2014-10-06

64のマリオジュゲムがすごかったところ

64のマリオってのはすごかった。新機種を担う任天堂の全力投球だった。

今日指摘したいのは、マリオの動きをジュゲム撮影している、という構造がすごいという点だ。

すなわちゲームで描かれる世界が誰の視点のものか? という問題へのエクスキューズとしてジュゲムがある。

ジュゲム撮影していることで、なぜ私たちマリオを見ることができるのか? という問題を(ゲームの上ではあるが)見事に解決させている。

かつてファミコン時代私たちマリオを横から俯瞰して眺めていた。

マリオは左から右へ進んでいく。よく指摘されることだがこれは実は冷静に考えておかしい。

マリオクリボージャンプすることでしかかわせない。横にかわせない。

そして、そんな構成私たちは横から見ている。

プレイは勿論快適にできるが、視線問題現実的ではない。ゲーム的な表現で言うとリアリティがない。

3Dへのあこがれがゲーム進化とともに現実になるにつれ、よりリアルゲームが生まれ始めた。

その一つのメルクマールとなったのがニンテンドー64だったわけだが、その旗手ともいえるゲームマリオ64ファミコン以来の視線問題クリアにした。そう、ジュゲムのおかげで。

現在多くのゲーム3D空間自由に移動できるものになっている。中にはキャラクター視線のものプレイできるものもあるだろう。

しかし一方で、何らの前提もなしにキャラを後方から眺めて操作するゲームがかなりあることは改めて留意すべきだろう。

そのキャラを後方から眺めていられるのはなぜなのか。誰がキャラを後方から眺めているのか。どうして私たちは後方から眺めてゲームをすることが許されるのか。

実はこうした点は、ファミコン時代の奇妙な俯瞰問題が通底している。視線リアリティが欠如しているのだ。勿論プレイは快適にできるのだが。

マリオ64ジュゲムってのはそういう意味作品リアリティをもたらしている。

リアリティってのは何もゲーム中に美しい、現実に近い風景を描き出すだけにはとどまらない。

実はジュゲム3D時代の影の功労者なのだ

2013-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20131003114034

これのブコメの幾つかがちょっと気になったけど,100字超えそうだから増田で書いちゃう

親告罪から当事者だけの問題だという話をしてる馬鹿

強姦罪親告罪だ。ちなみに集団強姦罪非親告罪だ。

親告罪か否かというのが第三者が当否を語ることの当否のメルクマールになるとするなら,強姦について第三者は口出しては駄目で,集団強姦については口出して良い事になる。なんじゃそりゃ。

親告罪における告訴訴訟要件であるに過ぎず,構成要件に該当する違法行為であることに変わりはない。

(そもそも「権利者じゃない奴は口出すな」と言ってる奴らの日頃の言動を見るに,そいつらが,権利者が告訴して侵害者が豚箱行きになる場合権利者を批判しないなどとはおよそ信じがたい。)

 

が,だからといって強姦罪の問題意識がそっくりそのまま当てはまるかというと,そういうものでもない。

ある犯罪親告罪とする場合の理由は,それぞれの犯罪類型ごとに異なる。

強姦罪親告罪とされたのは,裁判手続等によって被害者名誉が害されることを防ぐためだ。

(当時の立法者は大したもの,といいたいところだが,強姦罪の位置を考えると,上記「被害者」は誰なのか,やっぱり褒めるに値しないかもしれない。)

強姦罪親告罪であるのは上記のような目的であるが,親告罪であるがために,被害者が,告訴をめぐる弁護活動(という攻撃)に曝される現状に鑑みれば,被害者保護制度の発達したこんにちにおいては,非親告罪化した方が良いかもしれない。)

これに対し,著作権侵害親告罪とされたのは,著作権者の寛容を許し,もつて文化の発展に寄与するためだ。

したがって,強姦罪おい告訴がない場合著作権侵害について告訴がない場合とでは,道徳的な許容性が異なるであろう。(民事での和解案あたりに反映されるかもしれない。)

 

そうは言っても,著作権法親告罪とした趣旨が全うされるのは,侵害事実著作権利者が認識した場合だけである

権利者のあずかり知らぬところで行われる著作権侵害については,権利者のお目こぼしという正当化根拠は妥当しない。

権利者に黙認して欲しけりゃ侵害してることを権利者に知らせておくべきであって,それをせずに親告罪であることを以って許されるべきだなどと主張するのは盗っ人猛々しい。

親告罪とされたのは大規模な侵害には大規模投資必要だった時代の発想であり,誰もが大規模かつ密かに侵害できる今日おいてはその根拠が揺らいでいるといえよう。

2013-06-11

乙武さんとイタリアンの話

アレっていいメルクマールになったと思う。

普段俺がおもしろいなーと思ってるブロガーってあの件について完全にスルーしてるもん。

やっぱ人気ある人ってセンスがあるんだなと思った。

「これはまともな議論にならないで、それぞれの自分が正しいと思うことを言いたいだけになるな」

って初見で見切ってたあの感じ。

 

当事者同士は早々に和解して解決したのに、みんな無視して当事者以外の人達自分の欲のためにそしてそれに気づかずに、正論をぶつのとか本当に気持ち悪かった。

セカンドレイプってあーいうことをいうんだろうね。

2013-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20130422113636

あと、付き合ってもないのに結婚話はやはり重すぎる。

だってさぁ、会ってもないんだぜ?手もつないでないんだぜ?それで子どもの話する?

コウノトリさんが運んできてくれるの?

そこから文句言うなら婚活なんかやるなよ…

海外留学してそっちで就職してキラキラしてるのはいいと思うけど、それで人生設計全部語って老後はご褒美で日本に帰るのも考えてあげてもいいよとか君は何様なの?

ワンクリックで振れよ…それが婚活の利点だろ…

あと家買ったアピールとかなんなの?そういう大事なの、一緒に越えることじゃないの?

そこはしょうがないだろ…

付き合い→結婚ルートと同じメルクマール踏むことを求めるなよ…

自分年収が600万弱くらいなので相手の年収はなんでもよかったんだが

…結局顔と身長で選ぶ。

ネット婚活の利点ねえだろ…



総括:お前はアホか

2013-04-22

東大卒の私から見たおまえらの姿

知的障害メルクマールの一つに知能指数を使う方法がある。

ウィキペディアによると、軽度の知能障害は、知能指数は50~70程度。

中度の知的障害は35~50程度。

知能指数は、平均を100とした時の偏差をあらわすから、知能偏差値でいえば、25~35が軽度の知能障害、17~25が中度の知的障害、ということになる。

ところで、50が平均なので、25~35や17~25に対応する高いほうの知能偏差は、それぞれ65~75と75~83。

まり偏差値50の人たちにとって偏差値30が知的障害ということになると、偏差値70の人たちも逆の意味である種の障害とみなして良いということになる。

仮にそうだとすれば、東大京大東工大一橋大の偏差値は概ね70だが、この偏差値大学進学を志す人の中での偏差値なので、母集団補正をかければ、さら偏差値は高くなる。りっぱな障害者だ。

逆に、この人たちの集団の中に偏差値50の標準的な知能の人がごく少数入り込んだら、その集団の中では、標準的な知能の人は立派な知的障害だ。

何を言いたいかというと、自分普通だ、と思っている人たちは、単に自分が含まれている集団に庇護されているだけだということだ。

2013-01-04

うわあ、金と時間無駄にしたなあ

21~28歳の奴が絶対懐かしくなる物で打線組んだwwww

http://blog.livedoor.jp/yakiusoku/archives/53865409.html

1(DHスマブラ64

2(二)ビーダマン

3(右)コロコロコミック

4(左)ミニ四駆

5(一 ) 土曜授業→週休2日の移行

6(三)ポンキッキーズ

7(遊)ハイパーヨーヨー

8(中)桃の天然水の謎のブーム

9(捕)小学校の体育で女子ブルマ

007の64版もいれたかった

たまごっちがない。やりなおし。

ベイブレードが無い

89抜いてたまごっちデジモン入れとくれ

ポケモンがない

これらは確かに懐かしいと思った。

(土曜授業、桃の天然水ブルマとかは除く)こういった玩具に金と時間をかけたのもまた事実だ。

で、これらが今の自分の何かの足しになってるのだろうか?

飯のタネになっているか

出会いきっかけになっているか

すべて否だ。

娯楽は将来への投資をその時に消費してしまうのだ。

そのときだけ幸せになる代わりに、将来へ暗い影を落とす。

「今していることは1年後、5年後、10年後に振り返って価値のあるものか」

つのメルクマールとして覚えておこう。

余談:最後の一文を書くために、念の為メルクマーク」の意味をググってみたら、「メルクマール」だったことが判明。

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。

第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである

第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること

↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる

第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない

 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)

 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。

(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)

・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている

科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。

構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-09-08

99人が異常者で1人が常人であるとき、その集団ではその1人は異常者とされること

知的障害メルクマールの一つに知能指数を使う方法がある。

ウィキペディアによると、軽度の知能障害は、知能指数は50~70程度。

中度の知的障害は35~50程度。

知能指数は、平均を100とした時の偏差をあらわすから

知能偏差値でいえば、25~35が軽度の知能障害、17~25が中度の知的障害

ということになる。

ところで、50が平均なので、25~35や17~25に対応する高いほうの知能偏差は、

それぞれ65~75と75~83。

まり偏差値50の人たちにとって偏差値30が知的障害ということになると、

偏差値70の人たちも逆の意味である種の障害とみなして良いということになる。

仮にそうだとすれば、東大京大東工大一橋大の偏差値は概ね70だが、

この偏差値大学進学を志す人の中での偏差値なので、

母集団補正をかければ、さらに偏差値は高くなる。りっぱな障害者だ。

逆に、この人たちの集団の中に偏差値50の標準的な知能の人がごく少数入り込んだら、

その集団の中では、標準的な知能の人は立派な知的障害だ。

何を言いたいかというと、自分普通だ、と思っている人たちは、単に自分が含まれている集団に

庇護されているだけだということだ。

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