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はてなキーワード: 検証可能性とは

2024-09-08

M理論ビッグバン関係

M理論を用いたビッグバンの数理的解明は、現代理論物理学最前線位置する課題である。以下に、より厳密な数学的枠組みを用いてこの問題アプローチする。

1. 多様体位相構造

M理論の基底となる11次元時空は、以下のように定義される:

(M¹¹, g) ≅ (R¹,³ × X⁷, η ⊕ h)

ここで、M¹¹は11次元多様体、gはその上の計量、R¹,³はミンコフスキー時空、X⁷はコンパクトな7次元多様体、ηはミンコフスキー計量、hはX⁷上のリッチ平坦計量である

2. 超対称性とスピノー構造

M理論超対称性は、以下のスピノー方程式で特徴づけられる:

D_μ ε = 0

ここで、D_μはスピン接続、εは11次元のMajorana-Weylスピノーである

3. 膜力学作用汎関数

M2-ブレーンの動力学は、以下のNambu-Goto作用記述される:

S[X] = -T_2 ∫_Σ d³σ √(-det(g_αβ))

ここで、T_2はブレーン張力、g_αβ = ∂_αX^μ ∂_βX^ν G_μνはブレーンの誘導計量、G_μνは背景時空の計量である

4. ビッグバンのトポロジカルモデル

ビッグバンを膜の衝突として捉える場合、以下の位相的遷移を考える:

M¹¹ ⊃ M₁ ∪ M₂ → M'

ここで、M₁とM₂は衝突前の膜宇宙、M'は衝突後の統合された宇宙を表す。この遷移は、コボルディズム理論の枠組みで厳密に定式化される。

5. 重力階層問題

11次元重力定数G₁₁と4次元重力定数G₄の関係は、以下の積分方程式で表される:

1/G₄ = Vol(X⁷)/G₁₁

ここで、Vol(X⁷) = ∫_X⁷ √det(h) d⁷y はX⁷の体積である

6. アノマリー相殺整合性条件

M理論の無矛盾性は、以下のBianchi恒等式アノマリー相殺条件によって保証される:

dH = 1/(2π)² [p₁(R) - 1/2 tr F² + tr R²]

ここで、Hは3形式場、p₁(R)は第一ポントリャーギン類、FとRはそれぞれゲージ場と重力場の曲率である

7. 多元宇宙位相的分類

多元宇宙構造は、以下のような圏論的枠組みで記述される:

Multiverse ≅ lim→ (M_i, φ_ij)

ここで、M_iは個々の宇宙、φ_ijは宇宙間の遷移を表す射である

これらの数学構造は、M理論を用いたビッグバン理解に対して厳密な基礎を提供する。しかしながら、完全な証明には至っておらず、特に量子重力効果の非摂動的取り扱いや、実験検証可能性問題が残されている。今後、代数幾何学位相的場理論などの高度な数学手法を用いた更なる研究が期待される。

2023-08-07

anond:20230806202950

騙してる、を説明なしに前提にしているね。

俺もそうやって自分を説得しようと試みたことがあるけど

そりゃ論点先取っていう詭弁法だ。分かるか? 騙してるのは君の方なんだよ。

相手だけに使ってるのか、それとも自分ごと騙してるのかは知らんが。

科学宗教文化に比べて優れている点は、文章にして共有されたとき検証可能だという事。

「なぜ騙しているのか」を君は一切語ってないけど、伏せた考え自体他人を煙に巻くための嘘なのか、実は正しいのかは誰にも分からない。

だけど、あなたの目の前の人は自分の考えを文章にした。文章にして公開したら、それを見た第三者検証して批判することができる。間違ってるか正しいかを、さら自分言葉説明できるようになるんだ。

検証可能性——… それが君が逃げた科学本質

2023-01-14

anond:20230114134105

相関図の価値崩壊させるようなツッコミ受けそうだと自覚してるから何度も相関図作成を試みて削除してるんだよ

からこそ検証可能性は本気で担保して、かつ、多くの人が理解できるような相関図作成目標にしてる

まぁボランティアだけれど社会福祉的に意義があるし頑張って完成させるよ

anond:20230114132837

それ見にくいし情報が掛けてただろ、団体名や事業名や役職ちゃん検証可能にしないからQマップとか言われんだよ

まぁ実際に手を動かしてみてわかったのは正確に作ろうとすると量が膨大になって視認性が悪くなるから端折りたくなるってことだな

でもそれすると陰謀論扱いされるんで俺は検証可能性を担保しながら正確にやろうと何度も挑戦している

2023-01-03

Colabo騒動自由を得るため皆で関われば良いのでは

以前このようなエントリ投稿したのだが、このエントリ文脈を前提にColabo騒動を考えるのであれば「自由を得るため皆で関わろう」という考え方になる。
ボクのような性質を持った人間情報オープンであることが望ましいと考えるし、その観点から言えばColaboは保護している女性危害が及ばないよう慎重になりながら情報可能な限りオープンとし、我々市民自治体や団体と連携しつつオープン情報活用してデバッグ(検証)とリファクタリング(最適化)を行えるような体制を築いたほうが良い。

そのようなもの理想論だと言いたくなる人も居るだろうが、我々は理想を実現するためにFLOSSやGNU標榜しているのでは無かったか
理想論、それは褒め言葉だろう感謝する。

GNUそもそも製品無償提供サポート業務有償で請け負うと言ったビジネスモデル提唱されている。
そのような中で発展したGNU/Linuxはプロプライエタリ代表格であったMicrosoftWindowsのサブシステムとしてGNU/Linuxを取り込むといった成果が近年見られるし、より一般大衆目線で事例を挙げるのであればAndroidスマートフォンGNU/Linuxベースだ。

FLOSSやGNUの事例を参照し、女性保護無償で請け負いつつも生活サポート有償で行うというような、無償を支えるための有償ビジネスモデルとして様々な無償-有償パターンを洗い出し・議論し・試験し・実現していくことこそ、女性が、そして我々が自由を得るために必要な行動なのではないかと皆さんへ問いたい。

ボクは以前のエントリで語ったように思想には詳しくない。
しかしボクがよく知るハッカー文化は、万人が自由アクセスできる環境や道具や制度を揃え、万人が自由にそれらを選択活用し好きなものを好きなように好きなだけ生産できる社会を是とする。
様々な事情により不自由であった女性保護された先で、自由に使うことが可能選択できる環境や道具や制度社会にあることを知り、好きなものを好きなように好きなだけ生産できるようになることは素晴らしいことじゃないか
更にその生産するまでの過程オープンであるのならば、それを見て憧れ、1人2人と自由に至る女性が増えていくことへ繋がる。

「失敗したらどうするのか?」と言いたくなるだろう。
そんな意見への返答は「動かせばバグ出る!ボクたちはそれをよく知っている!」だ。

バグを恐れるな先ずは動かせ!壊れたら、落ちたら、問題が見つかったら検証し取り除こう!
それがボクたちのやり方だし、だからこそ検証可能性は担保しておかなければならない。だからこそブラックボックスはいけない。

Colaboだけでなく全ての団体へ言おう!
自由オープン社会を目指そう!自由オープン団体となろう!

ボクはそうなれるようこれからもColaboだけでなく全ての団体応援し、FLOSS活動を通してColaboだけでなく全ての団体へ貢献していく!

2022-12-30

不当ではあるが不正は無いって現時点で言って良いの?

Colaboの当初のスタンスでは会計は適切に処理している」だったもの不正な公金利用は行っていない」へ主張が後退していることは認識できているよね?
では、これからColabo関連公文書の開示および会計検査院の調べがある中で現在不正な公金利用は行っていない」から更に後退する可能性はあるんじゃないの?

いや確かに擁護へアクロバティックな思考を導入すれば不正な公金利用を行っていないとは即ち会計を適切に処理しているということだ」という解を導き出すことが可能ものの、それは現時点で可能なだけであって、アクロバティックなその擁護は現時点から主張が更に後退すると崩壊しかねない危ういものだよ?

しか現時点で既に東京都はColaboへ対して監査をまともにやれていないことが東京都監査委員から指摘を受けているのでColabo自身が言うように是正された東京都指導に従わなければならないことが確定しているのは理解しているよね?

まりColaboはこれから起こる会計検査院の調べへ対し是正された東京都指導の元で第三者に拠る検証可能性を明らかにした会計を示さなければならない状態にあるので、現在不正な公金利用は行っていない」という主張から更に後退する可能性は十分にあり得るんだよ?

そのような状況の最中にアクロバティックな不正な公金利用を行っていないとは即ち会計を適切に処理しているということだ」のような擁護を現時点で主張するとColaboが主張を後退させた時点でColabo自身の手によってその擁護梯子は外されることは理解できるよね?

本当にColaboを想うのならば、現時点で不当さが指摘されている状況を真摯に受け止め、是正された東京都指導へ真っ当に対応をし、会計検査院の調べに備えて欲しいと主張するべきなのではないだろうか?
それが出来ないのならば今後一切ヒューマニズムフェミニズムも若年支援も主張しないで欲しい。我々のやる不当は良い不当とも受け取れる主張をする人たちがやるヒューマニズムフェミニズムほど信用できないものはないので。

2022-05-22

やっぱり最後信仰なのでは?

科学宗教とは違う!検証可能性がある!とか言ってるけど、まぁそうなんだろうけど、でも大多数の人間にとって現代科学検証しようにもあまりに複雑だし、そもそも検証特殊機器必要だったり、検証に莫大な費用がかかったりするしで、もはや検証不可能になってる。

大多数の一般人にとっては、科学者(と呼ばれる人)が言っていることを信じるか否かしか選択肢は残されていないわけで、それは結局「教祖様が言っていること、経典に書いてあること」を信じるかどうかという宗教思考過程構造は全く一緒だよね。 

追記

例えば、コロナでも原発でもテーマはなんでもいいんだけど、専門家意見が食い違ったりすることってあるじゃん

そういう場合、どの専門家意見を大多数の一般人は「信じれば」いいんだろうか。その判断基準はどう定めればいいんだろうか?

上記の通り、一般人にとって科学検証可能ものじゃないので、「どの専門家意見を信じるか」こそが肝な訳よ。

その判断基準ってみんなどうしてるの?

その人の経歴?業績?論文の数?現在役職所属組織名前政府専門家会議メンバーか否か?表情や仕草?着ているもの髪型?喋り方?過去発言内容?Twitter投稿頻度?その内容?

自分の専門分野の問題ならある程度判断がつくかもしれないけど、人はあらゆる分野の専門家になれるわけじゃない。

何度も言うように一般人にとってはもはや「信仰」。YouTubeで怪しげな人の解説動画が何十万再生もされているのを見るにつけ、「人から信用される方法」を磨いたやつが最も「信頼」を得て、そいつ意見流通してしまう。

それを専門家が「ちがう、そうじゃない」と必死で訂正しようとしても無駄。なぜなら正しいか正しくないか問題なのではなくて、どっちが信頼できるかの問題から

信頼を勝ち取るのに「主張内容の正しさ」は無力だよ。世の専門家と呼ばれる人達が間違った情報が世に流通してしまっているのを嘆くつぶやきなんかは多々あるけど、それは専門家一般人の信用を勝ち取るための闘争に敗北し続けているからなのではないか

つらつらと書いてみたけど、なんか辛いね。やっぱり中身の正しさで勝負したいよね。一人一人が主張内容を吟味してこっちの言ってることが正しい!という世の中であって欲しい。そんな世界未来永劫やってこないんだろうな。

2022-05-10

求めるもの勝利じゃないからだろう。

今回の騒動批判派は口々に、議論に混乱をもたらす、と言っているが。

議論スムーズに終わらせたいのなら、必要なのは事前の根回しだ。

熱心な水面下のロビー活動を通じて密かに賛同者を集めることで、自分たち要求が通りやすくなる。

名声を得たオピニオンリーダーフォロワーの期待を受け、彼らの信じる主義主張を先導する。

配下信者リーダーを後押しして力となる。代わりにリーダーは彼らを背負う重圧を負う。有形無形の守るべきものを囲う。

リーダー自分党派イメージに気を配らなくてはいけない。対人論法犠牲にならないように潔白に振る舞うのだ。

ここでは誠実さが信頼の土台になる。その先にあるのが、党派勝利だ。

勝者側は、人々を一様に平す力、同調圧力理屈を通す。

まったく逆を行うとどうなるか。

つの仮面を着け外ししながら、クルクルと主張を変える。恥をかき棄てて、人々にどう思われるかなど気にせずに、軽薄短小振る舞うマッチポンプをフル稼働させて界隈をアジテートする。議論エネルギー供給し続ける。

論者は、頼られなくなるだろう。代わりに、論の内容が重要視されるようになる。誰についてるか、味方が何人かなどが説得力にならないから、主張の本質勝負するしかなくなる。

正反対の二つの視点から物事を見ることで、片方からでは見えなかった何かが浮かび上がってくる。相手の話の妥当な部分を受け入れ、自分の説の弱い部分にアッサリ見切りをつける。そうして議論は深まるだろう。

激しい論戦の末に生き残った理屈は、人間にも時代性にも独立になる。あらゆる視座をくぐり抜けてきた理屈は、高い説明可能性を備える。老人にも子どもにも説明できるものになっているはずだ。

検証可能性が唯一、正しさを支える。

真理を求めたいのなら、このスタイル有効だ。

真理は、説明を通して流通する。誰が言ってるか? を気にしなくていいから、QoL が高い。

2021-09-10

anond:20210910081216

「○○によると」という検証可能性があるだけで生き残れた項目だと思う

折に触れて言っているが、Wikipediaユーモアが全く許されないという場所ではない

2021-08-18

anond:20210720185208

Knoa氏の予測方法

Knoa氏の予測方法(7月26日改定版)で分かったこと ★やはり予想通りだった★。

= (散布図を見ながら人力で推定する)

「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。

参考

その他(7月22日朝:過去少女監禁問題は、万一本当だとしても別問題だと思う)

2021-08-03

anond:20210803011046

Knoa氏の予測方法

Knoa氏の予測方法(7月26日改定版)で分かったこと ★やはり予想通りだった★。

= (散布図を見ながら人力で推定する)

「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。

神託としての価値はあるか?

せめて、神託としてある程度でも当たっていれば面白いが、たった一週間後なのに4割以上外れたり、精度悪すぎ。

その他1(7月22日朝:過去少女監禁問題は、万一本当だとしても別問題だと思う)

その他2

2021-07-20

anond:20210719230647

Knoa氏の予測方法

Knoa氏の予測方法(7月26日改定版)で分かったこと ★やはり予想通りだった★。

= (散布図を見ながら人力で推定する)

「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。

参考

その他(7月22日朝:過去少女監禁問題は、万一本当だとしても別問題だと思う)

2021-05-17

anond:20210516225443

科学的な考え方、合理的な考え方を持って自身に未知なる領域踏み込む態度、その限界を弁え、常に検証可能性念頭に事に当る精神リテラシーとはそう言う事。積み重ねられた科学権威理由なく蔑ろにしない、も含む。

https://anond.hatelabo.jp/20210516225443

 これは科学検証可能性反証可能性についての議論ではない。

 「権威」という言葉に納得できないのであれば、われわれは、ある話題について、誰を、どの程度まで信じることができるか、という「実践感覚」を持って生活していると言い換えてもよいだろうか。

 われわれは義務教育教科書に書かれていることは概ね正しいと認識している。義務教育で教える内容はいわゆる「定説」として確立されたものであり、すでに複数専門家による批判検証を経て正統な保守本流知識としての共通認識が成立したものである理解しているためだ。初等教育過程で学ぶ知識の体系はほぼ権威による学びである。もちろん理科であれば実験をおこなうことによって、社会科であればフィールドワークを行うことによって、学んだことを経験によって確認する機会は設けられている。しかし学ぶ知識のすべてについてそのような検証を行うわけではない。教えられる知識検証可能であることを示し正当性担保するためと、検証する方法論を学ぶためである

 われわれは新聞TVというメディア情報が概ね信頼できることを知っている。しか100%信頼できないことも知っている。各メディアごとに信頼度は異なり、同じメディアの中でも話題や分野によって信頼度が異なるという感覚も持っている。BBCCNNのいうことは信頼できるがスプートニク大紀元トンデモだとか、岩波書店の出す書籍の内容は信頼できるが幻冬社の本は紙くずだとか、われわれはこのような無数の相場感覚実践感覚を日々の生活で養いつつ、またそれを以って触れる情報の真偽のグラデーション判断しているのだ。ここで見落とすべきでないのはそれら相場感覚実践感覚あくまでも「感覚」であって客観的基準ではないということである

 元増田への反論論文査読再現可能性、反証可能性を持ち出すのは筋違い議論である。それらは原理的な主張としては正しい。しかしわれわれは全ての情報についてそのような判断をしているわけではない。例えば「SARS-CoV-2は空気感染する」という言説を聞いた時、それを主張する論文に当たり、誰が書いたものか、査読は誰が行ったか、それぞれの研究者の業績等を調べて真偽度を判定するというのは「原理的には」可能であるしかしそのようなことをあらゆる情報について行うことは余程の暇人でなければやっていられない。多くの場合はその分野の権威とみなされる研究者論文信頼性があると判断した(あるいは信頼性がないと判断した)という事実をもって自身判断の参考にするだろう。すなわち権威による判断である

 初等教育で学ぶ知識の体系に照らして真偽を判断するということは可能であろう。しか初等教育で学ぶ知識の体系というのは権威による学びであったことを忘れるべきではない。その知識の体系全てについて実験などによる経験として検証したと主張できる人は少ないだろう。(あとで、検証することが原理的に可能であるとしても)我々はそのように<権威によって>「定説」として与えられたものをもとに真偽を判断し、その真偽の判断が他の人の言説にどのように現れるかを以ってその人に対する信頼度評価し、その信頼度においてその人の言説に現れた事象の真偽を評価するのである。そのような信頼と評価の積み重ねから真偽のグラデーション判断する実践感覚が生まれているのだということ、多くの生活の場においてその感覚依存しているのだということを忘れるべきではない。

2021-03-27

anond:20210327221138

たぶん放置されるパターンが一番多いだろうけれど、最も適当対処法としては除去されるべき。出典のない記述は除去されても仕方ないので

記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。

Wikipedia:検証可能性 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

Wikipedia真実を書くサイトではなく、既存の(信頼性のある)情報を寄せ集めるサイトなので、地動説は間違いで天動説が正解という出版物しかない場合には「地球じゃなく宇宙が回ってる(出典:hogehogeという本)」と書かなければならない


出典がない記述誕生日とか学歴くらいなら除去処理で対処されるかもしれないけど、もう少しセンシティブ情報公表していない本名とか国籍とか)ならプライバシー案件で削除される場合がある

2021-03-13

anond:20210313133537

元増田だけど(あえて「検証」という点にフォーカスするなら)

日本に対する記事検証が楽なので、検証した結果「ある国において外国に関する記事眉唾で考えておいた方が良い」という結論になった

では韓国反日キチガイがいるという記事についてはどれくらい信用していいのかな、

という問いなので

検証可能性の違うもの比較と言われてもベクトルとかレイヤーが違う

2020-07-05

anond:20200705221134

じゃあ袋はマイクロプラスチックのうち何%なの?具体的な検証はされているなら言えるはずだよね?科学がどうたらと述べてたけど当然検証可能性に基づいて言ってるよね?どう?

2020-01-16

anond:20200116001914

  1. そもそも中田さんは教育に携わったことがない芸能人
  2. (教育ではなく)経済的利益を得ることを主たる目的としてYouTube動画をあげている
  3. 出典を明らかにせず通説と異なる説明をし
  4. (識者からの)間違いの指摘に対しては対応せず
  5. 見ている人が多い(影響力が大きい)

、という合わせ技だな。自分は「中田さんは御自身ブランディングのために間違いを広めている」という判断した。なので(どうひいき目に見ても良くはなく)悪いことをやっているなあ、と思っている。

この状況をたとえて言えば、遠い異国の地に日本語を教える学校があって、そこの教師

日本人は(現在も)ちょんまげをして刀を腰にさしているんですよ」

と教えていたら、さすがに「その説明は無いでしょ」と言いたくなるよね。そのくらいならまだ笑い話で済むかも、だけど、

日本道路右側通行

と教えていたらどうだろう。教わった卒業生来日したとき交通事故に遭うかもしれない。そうなったとしたら日本語学校教師は無実と言えるのかな。(日本道路右側通行か否か?、そんなこと詳しくは知らないのだけど、たまたま適当に読んだ本に書いてあってそれをうのみにした結果)「いやー知らなかったんです」で済むのかな?そうだとしたら事故に遭った卒業生は気の毒だろうなあ。

こう書くと、

日本道路右側通行」かどうか改めて調べなかった卒業生が悪い

という意見が出てくるのだけど、そもそも教わる生徒側はその対象について「わかってない」のだから、調べようと思ったとしても調べることができないことが多い。だからよく知っている人を教師見立てて「教わる」わけだよね。自分で調べることができれば教師不要なので。

から教師役の人は「できるだけ正しいことを教える義務」というか、自分が教える知識がどういうことに由来しているのかを説明しないとならないのではないだろうか。これは言いかえれば、

「ここまでは(これこれこういう理由で)正しい(もしくは多数の人に支持されている説)なのだけど、別のこの件についてはまだよくわかってない(とか、教師自分個人的にこう考えている)」

ということを峻別する義務というべきものかな。検証可能性担保されていない知識は、虚言と区別がつかないね

2019-05-11

anond:20190511125053

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:信頼できる情報源&oldid=42902310#.E6.83.85.E5.A0.B1.E6.BA.90 

一般に、ウィキペディア記事一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。ウィキペディア記事一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版から公刊されている場合だけです。例えば書記官によって公刊された公判記録、編纂された全集の中に登場する歴史文書といったものがこれにあたります。信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。Wikipedia:独自研究は載せないおよびWikipedia:検証可能性をご覧ください。

2019-02-09

anond:20190209073508

瞑想理解してるなら黙って瞑想とき。仰臥禅(寝っ転がって呼吸と体内の感覚だけに集中する)もいいよ。

「正しいこと」を担保する主体が、昔は誰か正しいことをいう人が正しいと言ったしかなかっただけのこと。故に、因果関係なす主体として神という存在仮定した。

デカルト以降、神は科学検証で立証できる事象に移っていった。だが、科学検証検証可能性と再現性必要から万能ではない。

から科学検証をしていない誰かが正しいと思うと言ったものをもとに、最後自分自身感覚で確かめないとならない。

無論、その誰かが正しいと思うと言ったもの宗教古典はあるだろう。時代の流れによる洗練である程度よいものが残ってはいるだろう。

「これは神だ」と言ってる詐欺師に引っかからんようにね。

2018-12-23

anond:20181217110830

「誰か権威を持つ人が正しいと言ってる」が信仰

検証可能性再現性をもとに科学検証を行った上で正しいという」が科学

昔は、科学検証というものがなかったから、すべてが信仰領域だった。

しかし、科学検証が生まれ、かつ科学検証が馴染むもの信仰から出ていき科学となった。

昔は、天地はどのようにして作られたか?や、人類はどこからたか?も信仰領域だった。

信仰に近い仏教瞑想脳内スキャンの進展によりマインドフルネスということで科学になりつつ有る。これは最近信仰から科学への転換の例としてあげられるだろう。

しかし、対人関係や、社会、体内については、まだまだ検証可能性を整えるまで至っていない部分がある。

検証できないものは、自分が正しいから正しいとしか言いようがなく、他人が言う話を、言うやつの信頼性を含めて各々が判断するしかない。

まりは、「信仰」としてまとめられた書物や、今生きているやつが正しいと思うというだけの言葉から学ぶしかない。

なお、これについて釈迦はある言葉死ぬ間際に残している。釈迦死ぬ間際、弟子がこれから何を信じて生きればいいのですかと聞いたところ。

「自灯明、法灯明」(自分自身を拠り所にし、世の中の正しいという原理を拠り所にしなさい)

2018-10-24

anond:20181024170209

君が君の思う正しい仏教なんてものをやりたいのならそれは知らんよ。

もともとは、いかにも苦しんでるやつを助けるのが第一だったから。

でさ、「これこそが仏教だ!」という言い合いになるじゃん?

君は君が理解している仏教とやらが普遍的だと思ってるようだけど、それは違うから上座部仏教の中にも宗派は有るよね。

釈迦様はこの世にいない以上どれが正しいか認定できるやつは誰もいない。

釈迦といういたずら者が世に出でて 多くの者を迷わするかな」 一休宗純

挙句の果てに「開祖が言ったことと近いかいか」という元祖本家争奪戦になる。

から聞こえる正当性根拠って、開祖が言ったこからいかいかだけだよ。

仏教価値とは全く関係いね

僕に対してはもちろん、きみの宗教臭いのに免疫がない大多数の人に正当性を訴えて意味があると思う?

自称イスラム開祖の教えに近いことをやってる連中がどういう目で見られてる?

そこで、検証可能性再現性を保つ科学立場になってくる。無論、そうやって切り分けできる範囲しかまだ科学立場になっていない。

ただ、科学検証ができていないが、有意義だと思ったことについてだけ持ってきた。

anond:20181024143624

何が正宗で、何が邪宗じゃないか、お釈迦様がいない以上、もう寄る辺はないよ。

悟り」が何を指すのかも、体内感覚である以上他人と共有もできない。無論、議論をして「どのようなもの悟りか」を定義することも不可だと思ってる。

まあ、自己申告で、なんか得たらすごそうなもの程度に使われて、故に、怪しいやつが自己正当性を持たせるためにほざく物という側面もあると思ってる。

君もそれを感じたから「悟りを得たなんて言ってるの?怪しい、、、、」という見解になったのでしょ?

なんだっていいよ、今苦しみを逃れさせる事ができるなら。

そういう意味普遍的に正しい瞑想悟りなんてものはどこにもない。普遍的に正しい条件を模索し続けてるのが科学だが、それゆえに再現性がないもの検証可能性がないものはこそぎ落とす。

2018-10-15

イノベーション起業というのはわからないものから新自由主義が宛にする。

新自由主義は、ケインズの知見を意味もわからず取り去って、自由にしたらうまく行く、以上の意味もない。

恒常期待仮説を元にした国債破綻トリクルダウンマンデルレミングによる公的投資の増大による金利の上昇も起きなかった。

一つ一つの理論は当てはまる場合もあるかもしれないが、企業の強い資金余剰の前にはあまりにも無意味だ。

ただ、なぜその企業資金余剰が起きたかといえば、貸し剥がしフリーハンド法人税減税。資金余りの原因として、累進所得減税。金融分離課税もいれておこうか。

よって不景気を30年創りだした。

資金循環ガン無視で、ほっといたら金を貯めこむところに溜め込ませたら不景気になるというのは自由主義時代産業革命以降1920年以前の思想)の焼き直し。

自由主義時代と一点違うことがある。それはイノベーションという思想が生まれたということだ。それ自体は良いとは思っている。

ただ、どこから誰が起こすかは全くわからない。そのわからなさ故に、叫べば生まれてくるとおもってるのだろう。

新自由主義時代イノベーションなんて叫べば願いが叶う以上の意味しか無い。もはや洪水に人を殺してボンボン投げこめばイノベーションというのが生まれるようにすら思える。

具体的に金の流れをどうするか考えず、かつ、イノベーション必要リスクをとれるのは誰か?というのを完全に無視しているから。

だがイノベーションというのは結局のところ新しい知見で新しい商売が生まれた以上の意味は全くない。

実際創業率は経済成長率と強い関わりがある。創業なんてただ会社を起こしただけだから指標としては弱い。

しかし、それでも第一段階の創業をするという点でも元々の経済成長率を新自由主義の基では鈍化させるから起きなくなる。

これだけイノベーションだ!とさんざん騒いでもね。むしろ起業すると地獄を見るのが知れ渡ったから誰も起こさなくなったというのが正解だろう。

叫び声なんて、それが故にどうなるかというのが何年も積み重ねれば嘘だとバレる。

まあ、これはアカデミックポスト志願者数についても言える。ある程度の競争主義必要だが、競争と、実際得られるポスト比率の調整は必須だ。

ましてや競争資金だよりでポストの数は全く増やさないというものでは一方的アカデミックポスト志願者が減るのみだ。

新しい知見を作るのに時間がかかることもある。それは企業ベンチャーキャピタルでは耐えられないリスクマネーが必要になる。

企業ベンチャーキャピタルとかはすでに投資対効果が見えるものしかさない。とすると、もう理論が完成して、2,3年でうまくいくようなものしかさない。

大学の基礎研究としてやるぐらいしか選択肢は無いだろう。

近年目立ったイノベーションというのは免疫チェックポイント阻害剤だ。ただし、この現象発見されたのは1990年。

そこから実用化が2014年。そして、ノーベル賞だ。

実用化まで24年。一番最初の奇妙な鍵穴の発見をするところから企業ベンチャーキャピタルの金を入れることや、競争資金で持ってきた金で研究することな不可能だ。

まさに1980年代までの高成長を作っていたケインズ主義から新自由主義に切り替わり、バブル崩壊とやらのせいにされる直前の徒花だ。

新しい知見、その元となるのは?もちろん誰でも起こせる可能性はあるが、知見、科学として検証可能性が保てるように整えるのは大学だろう。

失敗した新自由主義を捨て、ケインズに戻し、なにか新しいことがあるかもしれないという息吹の基礎研究を整えること。ここからしか革新的イノベーションは起きない。

ただ創業率を増やす死体を増やせば革新的イノベーションを増えるという考えからぜひ脱却してもらいたい。

翻してみれば、きちんと基礎研究増強に立ち戻らないと革新的イノベーションは起こせない。それには新自由主義の破棄が必要だ。

競争資金一定必要だが、競争資金になじまないほど先駆的なものについては研究研究者の運営費交付金絶対にやらないとならないわけだからあくまで両輪で成り立たせないとならない。

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