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はてなキーワード: 情報量とは

2021-03-28

理系男子萌えの私が性的に消費しているものを挙げます

物理教科書

私は理系の男が性的な意味で好きだ。物理数学を愛する理系の男が物理への愛を込めて色気も素っ気もないような無味乾燥教科書を書き上げたんだと思うとドキドキする。アメリカ生物教科書かに比べて圧倒的に分かりづらい不親切な記述。そのくせ書いた本人はとっても分かりやすいと思っている馬鹿さ。物理教科書はとってもえっち


論文

もう一回言うが私は理系の男が性的な意味で好きだ。若干社会不適合者な一面や、独特の言い回し、そして飛び切り有能な頭脳きゅんきゅんする。だがしかし彼らの国語力は微妙である。ああ、ここもっと親切な言い回しがあるでしょうに。と読むたびに思う。しかし大切なのは親切であることよりも一意的であり誤読余地がないことだ。よってそういう言い回しにならざるを得ない。という窮屈な枠組みの中で書かれたちょっと読みづらい文章堅苦しい言葉選び、あ、この人普段あんななのに論文だとこんな文章も書けちゃうのね、ってギャップ萌え。全てが愛しい。


ダサいパワーポイント

理系の男が作るパワーポイントダサい学会スライドから講義資料メーカーのおじさんが出してくる資料までとってもダサい。色使いもおかしい。情報量を詰めすぎである。そういうところが私は好きだ。そもそも内容上コンサルみたいなスマート資料を作るのは不可能である。目盛りと単位までばっちり書いたグラフを載せれば資料はダサくなる。ダサい必要ものは全て揃っている。しかダサい。だがまあそうとしか言いようがない気もする。実用上十分であるが見た目がヤバい、というのはなんともまあ彼らの存在象徴しているようで、はあ、好きだなあ。と思いながらいつも見ている。


【授業】

頭のぶっとんだ理系の男が好きだ。教授なんてその最たるである。本人は一生懸命分かりやす説明をしてるつもりなんだろうけど、全然分かんないよ。なんだお前。本人は分かりやすいと思ってるとこが本当に好き。学生に分かってもらおうと頑張ってるところが好き。その頑張りが全く報われてないとこが好き。応力場が見えるとか言ってくるの意味わからんが。エロい


Web授業】

Web授業の何がいいって顔が見えないことだよ。いい声のエリートが耳元で永遠に知的セリフを囁いてくるとかポルノ?????心がぎゅんぎゅんする。Web授業はアニメと一緒。すなわち二次元。好き。


手書きノート

理系の男が書いた文字エロい精緻に並んだ筆記体の数式とかオシャレ過ぎて泣く。いやお前そんな字書くの???逆にめちゃくちゃ優秀な人がクソみたいな字を書くのも本当に好き。めちゃくちゃ頭いいのに小学生より字が下手な男。しかノートのまとめ方って言うのかな、書き方は頭いい人のそれだったりして、ただ字だけがひたすらに小学生。なんだお前は。好き。

あと頭に手が追い付いてない人。こいつのノートは読めない。そういうのもえっちだ。好き。ノートだけで永遠に萌えられる。試験間中ノート貸してくれた男に何回恋したか。字がエロすぎて。


【#---プログラムコメントアウト---】

まあ基本的学生の書いたプログラムなんてクソクソ読みづらいんだわ。うわー、意味わかんねーって思いながら不親切なコメントアウトを見てプログラムを読み下したりして、分かったときの「ああでもこうとしか書きようがなかったよね」って共感あなたのことを分かってしまったときキュンキュン。でもまあよく考えるともっと他に分かりやすい書き方ない?って思ったりして、でもやっぱりなくて、みたいなね。ずっと引き継がれてるプログラムってそういう歴史が詰まってるじゃん。それを辿りながら読むの、え、えっちー。エロすぎる。凄いものを作れてしまう頭の良さ、しか自分が賢いがゆえにそれを分かりやすく伝えられないところ、親切心と少しの遊び心を含んだコメントアウトを読むの、とっても好き。

推しキャラは幻だった

とあるイケメンキャラカタログゲーに以前ハマっていた

そのゲームストーリーといえるものも、キャラの深掘りもほとんどないのにとあるAというキャラに私は心底ハマっていた

まり目立つ人気がある方ではなかったので、立体化した時は大泣きするレベルだったし、ネタキャラ扱いされた時は表にこそ出さないが心の中でキレまくるほどだったし、愛されたり好きだと言ってる人を見ると幸せだった

だがある時、「自分萌える理想像」をAに押し付けてるだけでは無いか?と気づき始めた

こうだったらいい、こういう人に違いない、とだんだん理想人間像」にAを仕立てあげていっている気がしたのだ

情報量が少なすぎるゆえに脳内補完が過ぎて、どんどんイメージ肥大化していった

それさえも「情報が出たら当たってるかも知れないし」と自分に言い聞かせたが、一度そう気づいてからは楽しく推せなくなった

私が好きになっていたのはAではなく自分の中で都合のいい妄想押し付けたAだった

最初はAが好きだったのかも知れないが、それ以降は想像上のAだったと思う

想像上のAを好きなだけと気づけてよかったのかどうか、今もわからない

2021-03-27

塵芥ゴミソチカスインターネット

誰もが発信できるようになって、誰もが受信できるようになったインターネット

俺のインターネットあなたインターネット。君のインターネット。お姉さんお兄さんお母さんお父さんのインターネットあいつ達のインターネット。それはきっとそれぞれ違うインターネット

決して、昔のインターネットは素晴らしいものではなかった。誹謗中傷の数は今とそう変わらなかった。匿名人間が大量のゴミを残していった。

端的に言うと99%はゴミだった。クソったれ。どうしようもない。残す価値の無い塵芥。

インターネット利用者は、意識せずとも、現実ネットを分けていた。

別の空間だった。その理由は、インターネットを利用するには、人間パソコンの前に座る必要があったからだ。

インターネットアクセスする方法が限られていたからだ。インターネット情報を残す方法は限られていたからだ。

ごみ溜めと呼ばれていた。アンダーグラウンドで、無意味で金にならないどうしようもないコンテンツが大量に存在して、その無価値もの無意味に流動していた。

ネットによって支えられた不毛文化存在した。

インターネットに集まる人間は、その性質上、日陰者が多かった。悲観主義な奴が多かった。孤独な奴が多かった。

それぞれがみんな足りないモノを求めた。全員ハンドルネーム匿名著名人有名人以外はみんな、別人だった。現実にはなりえない何者になろうとした。

現実には存在しない空間を求めた。インターネット上では、現実の何者である必要はない。平等なクソだ。

インターネットは徐々に現実と融合した。どこもかしこも、誰もかれもがスマホ凝視して、インターネットを利用した。

ありとあらゆる問題インターネットに放り込まれた。政治経済、世の中の流れ、人間学問エンタメ情報に次ぐ情報

世界についてのすべて。人が喜ぶ、人が妬む、誰もが注目する情報情報情報

人間関係を可視化して、人間の優劣をつけるためのSNSが現れた。

大量の企業が、政治団体が、利用し始めた。ガキから老人までインターネット内包された。

インターネットはもはや化け物だ。ゴミモンスターゴミモンスター世界を覆い、人間インターネット内包した。粗探し、炎上政治問題社会問題。老若男女問わず情報情報情報

 情報は金になった。経済を回す推進剤となった。

人間現実の全てをインターネット切り貼りして、金に変換した。友情愛情人間関係も犬も猫も芸術政治経済日記も全て。

人間キャパシティーを超える情報量に混乱し、アメリカ合衆国ネット翻弄された。

全てが可視化された。全ての傷口がパブリックものとなり、解剖され弄りまわされ、化膿し、悪化し、感染した。

 ネットはクソのはずだ。誰しも認めていたはずだ。ネットはクソだ。ネットは無価値だ。

まるで、人生のようで、だからこそインターネットに夢中になったはずだ。

インターネット現実のクソではなかったはずだ。インターネット固有のクソであったはずだ。

俺にはクソを選ぶ権利があった。現実のクソとインターネットのクソ。

クソなりにクソの選択肢があった。

今のクソは、現実のクソとインターネットのクソを組み合わせたハイブリットなクソ。

選択肢は一つ。

最高だ。

最高。最高。最高。

スゴいことに気付いてしまったんだけど、

パソコンディスプレイって例えばフルHDでも1920×1080で2,073,600ドットあるじゃん

で、さら色情RGBの各256段階の情報も持っているから、

2,073,600×256×256×256の情報量になるんでしょ?

それをオンボードとはいえ一瞬で計算して描画できるパソコン能力って単純に高機能すぎない?

オンボードでは弱いにしろ

その情報にまた3Dの奥行きとかもあったりするじゃん。

ほんと描画の計算だけでもパソコンってどえらい処理を中でめちゃ高速にしてるってこと?

しかもそれを1秒間に30~60回、それ以上で行って処理してるんでしょ?

世の中どうなっとんじゃい!って思う

2021-03-26

猫さんが死んじゃったの

1ヶ月ぶりに、独り暮らしの母に電話したら

猫さんが死んじゃって、その次の日に私がコロナ入院しちゃってね…」

と、ずいぶんと情報量の多い一言を放った。

母に、コロナ大丈夫なのか?後遺症とかはないか?と尋ねると

「私は大丈夫なの。でも、私のウイルス猫さん感染して、死んじゃったんじゃないの?って姉さんに言われて、もしかしたら、って思うと…」

メソメソと泣き出し、おばちゃん勝手なことを言うもんだとため息をつきながら

「母さん、コロナはヒトからネコ感染はありません!」

と強く、ゆっくりと話すと

「良かった。喉の小骨が取れた気分。ありがとう

と、鼻をグズグズ言わせながら明るい声に変わった。

猫は、俺が中学生の時に拾って、今年の夏で20才、人間になおすと100才だ。

猫さん、私が仕事から帰ってきたら玄関の真ん中で座っててね。小さい声で、かすれた声で、にゃー、にゃぁ、にゃ、って鳴いた後、そのままになっちゃった

お互い看取り看取られの大往生じゃねえかよ、と、今度は俺が泣きながら言う番になった。

2021-03-24

anond:20210324150450

色々な話題縦横無尽に連射するテイストCMなんだと思うよ。ラップのような感じで、まくし立てることで情報量を増やし、なんかいい感じのCM、と思わせようとしているんだと思う。ジェンダーの話と化粧水の話につながりはないと思う。

2021-03-23

ウマ娘やってると企業wikiゲーム動画全盛の不便さが際立つ

ウマ娘ぐらい普通ゲームになってくると、一覧で見たい情報が多い。

企業Wikiはいわずもがなページ単位情報量は少なく、

動画投稿も当然ながら1つの動画につき1つの情報しか扱えないし、そもそもリストを見るようにはできてない。

動画内で表を出してスクショコピーして使ってくださいって言ってるの見て「ええ…さすがにねじれすぎだろ」ってなった)

今んとこ有志のブロガーが時折一覧表を作ってくれるけど、こちらとてブログ形式なので、網羅性を望むのは無理筋

つくづく今って情報ぶつ切りの瞬間消費メディアしか生き残ってないのな

艦これwikiの頃が懐かしい

2021-03-21

(ネタバレ)新劇場版しか見てないんだけどシン・エヴァ面白かった

TV版、旧劇場版を全く見たことなくて序破Q→シン・エヴァだけを見た人間ネタバレ感想です。

序を見てみようと思ったきっかけは覚えてない。最初から話を語り直すよという点が後発組としては見やすいというか、せっかくだから見てみるか!くらいの軽い気持ちだったんだと思う。

序の感想は「あれ、思ったよりも全然わかりやすい?」だった。もっと難解な話だと思ってたので、意外にとっつきやすくてびっくりしたし、何より絵が見てて楽しい戦闘シーンにワクワクした。

破の感想は「あれ!?なんかめちゃくちゃ面白くない!?」だった。爽快感があった。ウジウジしてることで日本一有名な中学生シンジくんが、アスカレイと協力して使徒を倒してて感動したし、ラストシーンは自らの意志レイを救うために突き進んでて、そんな明確な自我の発露できる子だったんだ?!ってびっくりした。あそこでかかる翼をくださいは怖かった。

でも、Qの感想は「…やべえ何だコレ全然わかんねえ!」だった。まじで一気に何もわからなくなって、シンジくんばりに放り出された気分になった。ピアノいたことないはずなのにがっつり連弾できとるの嘘やろ?になって笑ってしまった、カヲルくんとのピアノのシーンばっかり印象が強くて、あとは正直なにも覚えていない…!

そして今回のシン・エヴァの公開。インターネット考察感想で賑わいまくっていて、せっかくならネタバレを経ずにちゃんと見たいなと思い、映画館に行くことを決める。そしてあまりにも話を忘れていることに気づいたので、まずはもう一度序破Qを全部復習した(まじで大半を忘れていたので、見てよかった)。

9年ぶりのQはやっぱしんどかった。見ててとにかく「ディスコミュニケーションは本当に良くない」ってそればっかり思った。シンジくんには、本人にはどうしようもない14年間の空白があるのに誰もそれを埋めてくれなくて、突き放したり否定的言葉を投げつけるばっかで、ようやくすべてを説明してくれたのはよく素性を知らないカヲルくん。とにかく優しい彼にすがるように何か前に進まなきゃ!ってなるシンジくんだけど、あろうことかカヲルくんは目の前で首ぶっとんでしんじゃうし、あまりにもひどすぎる。いや誰かもっと序盤で説明したれよ!みんな、頼むからもっとコミュニケーションをとってくれよ…。でも、「たぶんそういう『他者とのコミュニケーション』がままならないゆえに苦しんでいる話だよな…それをいっちゃあおしまいだよな…」って思って、最後に何を見せてもらえるのかを待とう、って改めてQを見直しながら決意。

そうして復習してから見たシンエヴァなんですが、すごく面白かったです。そして冒頭に、「これまでの新劇場版」を丁寧に振り返る数分間があってずっこけました。復習タイムのいらない親切設計だとは知らなかった。

今回、一番の感想としては、先述の「ディスコミュニケーション」が徹底的に解決されていたところにとても感動したというか、安心させてもらえた。

ものすごく真正から、愚直過ぎるのでは?って思うくらい丁寧に、他者とのコミュニケーションの有り様が描かれていて、見ていてこちらまで肩の荷が下り気持ちになった。

まず第3村の描写、あれこそがずっとシンジくんに足りなかったものだと思った。どうしようもなく傷ついて一人でいたいとき、突き放さず、過剰に干渉せず、でも一人きりにはしないあの距離感大人になったトウジやケンスケ、内面大人アスカシンジに接するあの姿は、Qまでの世界の中でシンジが一度も与えてもらえなかったものから、あの時間物語を終わらせる上で、シンジを立ち上がらせる上で重要なのは納得感しかなかったし、見ていてこちらも癒やされる感覚があった。あの尺は絶対必要だったと思う。でも、加持さん死んどるのはつらすぎた…。

「これが最後だと思うから」って明確に言葉に出してシンジと会話をしに来るアスカ。いやお互いにめっちゃ話通じてるやんけ…ってなって泣いた。

甲板でのミサトさんとのお別れのシーンは、「行きなさいシンジくん!」の呪いから、静かにお互いを解放できている感じがして、どうしたって泣いた。もう会えないことが薄々わかってる、いってきます/いってらっしゃいは辛い。そのあとミサトさん犠牲になるのもえーなんで!?って思ったけど、後を託されたリツコが全く動じずに「ベストを尽くすわ」って引き受けるところ、そのものわかりの良さが辛くて泣いた。

ゲンドウとの対話は、お父さんいつからそんな喋れるようになったん!?ってくらいめちゃくちゃどストレートに心情吐露するからただただびっくりしたし、「いやそれでこの物語成立する?大丈夫カタルシスまれる?」って一瞬ヒヤヒヤして醒めた感じになりかけて見ていたのに、それでも!幼いシンジを抱きしめて謝るシーンは、やっぱりぼたぼた涙が出た。おとうさーん。。気づくのおせ~よ!!!

最後シンジの内側からユイが出てきて守ってくれるところも、そんな都合よくていいんかー!?とも思ったけど、抱き合う両親を後にして自分人生に改めて旅立つことができたシンジくん…って思ったら、いや何よその解放と祝福、って気持ちでまた泣いてしまった。

レイアスカカヲルそれぞれと会話してじゃんじゃんケリをつけていくところも、シンジくんがそんなふうにしっかりとした自我を持って、他者のために自分言葉を使おうとできてる事実が尊くて泣いた。

まり、かなりしょっちゅう泣いて見てました。でも別に「泣かされてる!お涙頂戴だ!」って感じではなくて、物語の持つ情動というか、エネルギーうねりみたいなもの、エンドマークに向かって絶対にこのでかい塊を運んでいくんだっていう意志、そういうものを感じたりもして、ええもん見たな…って涙だった。半ば説明がつかないような、見てると勝手に出てくる涙って感じだった。

ラストシーン、あのシンジくんが!?大人になった姿…!14歳の姿から逃れて、自立した大人として最後に現れるのって、なんて力強く、全力の「今を生きること」の肯定なんだろうと思う。そこでマリが隣にいることには、何故かわからないけど、とてもすんなりと納得がいった。そして何より、海が青くて嬉しかった。

鑑賞後に色んな考察を読んだけど、リアルタイム世代の人とは見ているものバックグラウンドが違いすぎるから、その観点の違いだけでも面白かったです。アスカ名前が変わったことと、旧劇場版ラストとを絡めて、惣流/式波ふたりともきっと救われている、っていう考察複数読めたのが特にしかった。そして宇部興産全然からなかったので知識が増えました。戦闘シーンが物足りないという意見はなるほどと思った。たしかに序破で感じた絵的なカタルシスはなかったかもしれない…というか、シン・エヴァ戦闘シーンは全体的に画面内の情報量が多すぎて、ついていけなかったかも。。

大量の新用語とかカヲルくんの立ち位置の謎っぷりとか理解できてないところも正直たくさんあるんだけど、それでも「楽しかったなー!」って思った。

こんなふうに屈託なく(といったらいいんだろうか?)楽しまれる作品であることを、果たして過去監督作品自体や、はたまたファンが望んでいたのかは正直わからないんだけど、

新劇場版しか知らない人間のひとりとして、最終地点を物語として楽しめた!という感想でした。見てよかったなと思う。せっかくだからなにか感想を書こうと思ったらけっこう長くなってしまった…

2021-03-18

anond:20210317154617

歳取ったせいで流れてくる情報量理解が追いつかずに昔とは違う意味で「どういうこと?」ってなったのが悲しかったわ

2021-03-17

シン・エヴァンゲリオン感想 少年神話になったか

タイトルは半分釣り劇場版シン・エヴァンゲリオン感想をいくつか書く。

・一番印象的だったのは、シンジを支え、見守るのは、旧来の命令強制しかしないオトナ達ではなくて、セカンドインパクト後に生まれた、かつての同世代若い世代だったという事だ。

農村部描写は、安野モヨコマンガアニメの「大きなカブ(株)」と重なると思うけど、今、庵野秀明を支えているのはエヴァを見てた若い世代なんじゃないかなと思った。現在向精神薬を飲んでいる自分としては、動けないシンジの代わりに、アヤナミレイ(仮)(そっくりさん)が農村人間性を取り戻していく過程リアルに感じられた部分。シンジ回復そっくりさん消滅もそういう事かなと。

・裏宇宙でのゲンドウとシンジ描写が、急に安っぽい特撮のような背景になるのは、あそこで物語位相庵野秀明内面描写に移ったからかな、と思った。今回、絵コンテを使わずにプレビズでレイアウトを決めてた辺りも、庵野秀明パンツを下ろして内面を語る為には、従来のアニメ描写の仕方ではなく、実写映画(というかドキュメンタリー)の手法を使いたかったんじゃないかな。

から終盤のキャラを見送るシンジは、プロデューサー立場で、25年に渡って苦労をかけてきた各キャラねぎらう立場だったんじゃないかな。元々は24年前のEoE(旧劇場版)で消費されてしまう筈だったキャラ達は、その後もスタッフキャスト・観客の中で生き続けてきたから、それを演じてきた(という体で)各キャストに見せ場と居場所最後に与えたような気がする。それがこの作品卒業式のように感じられた理由かもしれない。

マリエンドは、個人的にはもうEoEと貞本版マンガアスカエンドはバッドエンドもグッドエンドも見てしまったので、第3の終わり方としてよかったと思う。

個人的に残念だなと思う点を上げれば、いくつかの戦闘シーンは大雑把に見えたこと。物量と情報量を上げればものすごい物が見えるわけではなく、逆に大味になってしまった気がする。

でも最初TVから見続けて26年経って、こんな作品を見られて本当によかったと思う。エヴァンゲリオンという作品シンジアスカレイとカオルは、アニメ歴史に刻まれたと思うし、今後も神話にはならなかったとしても伝説にはなるんじゃないのかな

2021-03-15

anond:20210315130423

ではなぜか。

単に女性にとって情報量が足りないから、「得体の知れない存在」ということなんじゃないか

誰しも情報がないものに対しては、行動を予測できないので不安を感じる。

外国人がいない地域外国人とか)

では情報量を増やすにはどうするか。

LGBTがこの数十年で認知が上がってきたように、「非モテの辛さの認知」を上げるしかないのではないか

映画ジョーカー」はインセルスポットを当てたようで「障害」の要素も強めに入ってて非モテ一般化しにくい感じだったけど、ジョーカー非モテ純化版とかが出てくる素地はあるんじゃないか

古いけど「電車男」みたいなハッピーエンディングではなく、辛さに焦点を当てることで広まってほしい。

情報量不足で草って何やねん

ブコメ、お前のことやぞこの野郎

はてな匿名ダイアリーって書いとるやろがい

情報欲しけりゃ情報誌買え

図書館行け

辞書引け

年表でも読んでろ

2021-03-14

エヴァンゲリオンを全く知らない人が見て討ち死にしたシンエヴァ感想

いやー、なんかすげえ映画だな~と思いました(こなみ

知っている情報シンジとかアスカとかの主要人物の名前使徒ってやつが人類を滅ぼしにくるんで何とかするみたいな雑なあらすじぐらいの情報テレビシリーズ、旧劇場版未観賞、新劇場版テレビやっていたのを少し見たぐらいで観賞。

なんかヴィレ?の人たち空気悪そうだなあ、アスカってやつシンジ君に当たりきついなあ、んなこといったってしょうがねえだろ、シンジ君死なせてえなら早くてめえで殺せや、なんて思いながらの序盤。

専門用語が多くて分からん!けどシンジ君前半より顔がシャキっとしてきたなあの中盤

なんかよくわからねえけど人類ピンチやべえ、みんなかましたれや!の後半、あ、そういう締めなの!の終盤となんやかんや楽しめました。砂の器やバキを思い出すシーンもあったりして面白かったです。

まあ、小学生みてえな感想しか出てません。ていうか出ません。これを読んでいる方でシリーズたことないけどこれから見ようって人がいましたら言っておきます

まじで予習必要なやつです。シリーズ25年の積もり積もったものがあるんで作品に浸るのにそれなりの予習が必要なやつです。盛り上がるシーンもあるし、楽しめたけどいきなり見ると情報量の多さに訳分からんくなるし、しっかり作品の味噛み締めたいなら事前情報しっかり集めて観賞した方がもっと楽しめるかと思います

正直、頭の中?ばっかだったけど宇多田ヒカルはいいなあと思ったエンディングでした(まる

2021-03-12

エヴァの内容で云々という論争?を見ていると、オタクって根本的に単純な生き物なんだなって思う。

気に入るにしろ気に入らないにしろ、単純で分かりやすい答えを求めてるんだなあっていう。

まあでもあれだよな。情報革命で世の中の情報量が爆発的に増加して、もうみんな疲れたんだろうな。

真実とかどうでもいいから単純なのをくれよ。みたいな。

2021-03-11

一昔前にあったホームページのあの文章が本当に嫌い

今日はあの未曽有の大災害から10年なんですね。

14:46から1分間黙とうしました。

ところで、良くホームページに「東日本大震災被災された方に~」という文言があるのですが、僕はあれがすごく嫌いです。

だって、あの震災のことを「祝う」人なんていますか?心を痛めない人なんていますか?

たぶん、ごく一部の人はそんな人もいると思う。人生いろいろあるだろうから

でも、圧倒的多数の人は心を痛めただろうし、そのことを考えている人も多いと思う。

そこであの「東日本~」。冷めますよ。さも私たちはこのことを考えています的な「ポーズ」にしか見えない。

そしてそんな一文やバナー画像インターネットリソースとかも浪費してる。

言ってしまえば「情報量零」の情報を無理やり見せられてると感じている。いい加減やめてほしい。

anond:20201130214610

プログラミングは他の領域に比べてインタネットから取れる情報量が莫大なので情報をうまく調べるスキル重要になってくる。

有名な領域日本語でも解説存在するが、探しても英語しか情報がない、なんて事もザラだ。公式ドキュメントにしてもそうだ。

よくわからないものをよくわからないまま使っている人間無茶苦茶多い。それでも使えるようになっているのがソフトウェアからだ。

でも、わかろうとするのはとても大事

もっと言えば、わかろうと調べる事がすごく大事

聞き方を知るのも大事だ。

例えばstack overflowというサイトがあり、ここにはいっぱい質問が並んで、回答もたくさんある。

でも変な聞き方をすると回答は帰ってこない。

中には自分質問して自分で回答している人もいる。疑問に思ったことを質問して、調べた内容をメモして公開する。

そうすると他の人も嬉しい。とてもインターネット文化的だ。

これが他の領域になると、匠みたいな人に弟子入りして現場で技を盗まないとわからんみたいな世界もあるから、すごく差がある。

プログラムを一文一文書くやり方はわかったけどじゃあどうやってソフト作るのか、これがわからんというのはみんな通る道で、これは先人のやり方を真似できないとものすごく大変だ。

でもプログラミングは幸いにしてものすごくたくさんの情報が公開されている。

から、公開されている情報を調べる事がとても重要

英語は苦手かもしれないが、最近だと単語カーソルを合わせると辞書が起動するプラグインとかもあるのでぜひ活用してほしい

2021-03-07

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

2021-03-04

anond:20210304210213

電話チャットよりも情報量多いのは分かってる。

問題電話に至るまでに無駄工程が多いのと、電話での喋り方がこっちのやる気を無くすこと。

2021-03-03

セブン・イヤーズ・イン・トーキョー

東京引っ越して7年になる。

2年ごとに住む場所を変え、現在4件目の賃貸

住む場所によって見える風景暮らし全然違う。

東京はあまりにも巨大な町だ。山手線の中を自転車で横断しようと思っただけで、目に映る景色の変化、人や建物の多さ、圧倒的な情報量にくらくらした。

3年目くらいから、東京住まい新人くん扱いはされなくなり、5年目くらいからはちょっとした中堅扱いだ。

東京に住んで7年間。まだまだ知らない町の姿を掘り起こしていきたい。

2021-03-01

anond:20210228205716

情報量足りないけど、同僚のおめでた報告にコロナベビー(暗黒微笑)って返答したのか

うーん一発アウトじゃない感はあるけどかといって笑い飛ばすのも無理だし結局相手との関係性次第じゃね

2021-02-20

ヒプマイ初心者の2nd D.R.B. 前夜

ヒプノシスマイク、ヒプマイの世界に本格的に魅せられて約1ヶ月が経過した。

まだまだ知らないこともたくさんあるけれど、折角だから今日までの過程を記してみようと思った。

初めてヒプノシスマイクのことを調べたのは2018年の夏、昼過ぎマクドナルド店内だった。

そういうプロジェクト始動したらしいというのはTLで流れてくる情報で得ていたが、私も友人もノーマークで、「名前だけ知っている最近話題のあのジャンル」という認識。友人とマックグランバーガーを遅めの昼食として頬張りながら喋っている中で、どういう経緯かは忘れてしまったが、ヒプマイが話題に挙がった。

検索してサイト情報を2人で眺める。しらいむキャラ可愛いね…としみじみしたのを鮮明に覚えている。某地球を守る系のアニメでの印象が強かったため、こんな可愛い見た目のキャラクターに声をあてられるのか、ポテンシャルいね、みたいな会話をした。

それから神宮寺先生がかなりの高身長なのに体重がめちゃくちゃ軽くて、どういうこと?となった。

名前のことを話した記憶があまりないので、読むの難しいな、程度だったのだと思う。オタクと難読名字は切っても切り離せない関係なのだ

でもサマトキ様という名前はしっかり頭に残っていた。多分ヒプマイのLINEスタンプいつ使うんだよ!というバズったツイートを以前目にしていたからだろう。新しいデカLINEスタンプもサマトキ様の脚が長くて注目を集めており、流石だなと思った。

盧笙先生の「予習復習しっかりせえよ!」スタンプは勢いがあって良いし、二郎くんの「…何のことだ??」から新たな火種が生まれいか心配になる程キレッキレでカッコいい。

それはともあれ、その後ヒプマイについて触れることはなく、ほとんど情報を得ることはなかった。

今せっせと供給を得ては少しずつ生産をしているコンテンツにおいて、好きな絵を描く人を見つけた。ホームに飛んで、遡っていて見かけたのがStellaヤバい、といった趣旨ツイート

これがヒプマイとの再会だった。

StellaはヒプマイのFling Posseというチームの新曲であるとその前後の呟きやRT理解した。ヒプマイ、去年の夏に調べたな〜、聞いてみようかな〜〜と軽率気持ちYouTubeで聞いてみた。

全く理解できなかった。

試しにオススメに出てきたYokohama Walkerを聞いてみた。

何も分からなかった。

ヒプマイ、難しいな、知識不足かと思い、諦めた。

振り返ってみると何も難しいことはないし、今となってはかなり好きな曲なのにどうしてこういう感想になったのか、それこそ全く理解できないのだが、当時の私はヒプマイの世界観に馴染めず縁を切ってしまった。

ただ、その神絵師ジャンルを両立している神だったため、私は自然とヒプマイの情報を断片的ではあるが神から得ていた。神はシブヤと、その後加入が発表されたオオサカがお好き。公開当時からものすごく話題になっていたオオサカのあゝオオサカdreamin' nightのトレーラーも、時流に乗って見てみた。ノリが良いし耳に残るしクセのある歌い方が心地よくてアホほどリピートした。コメント欄広告付けろ金落とさせてくれという言葉何だか良くてすごく覚えている。

その時知ったのが、渋い詐欺師のおじさんが誰かのお父さんということと、漫才師教師が元お笑いコンビであったが解散してしまっていて、今回また同じチームになってテッペンを目指しているということ。全部すっ飛ばして良いとこどりである。その後もオオサカの曲を時折聞きつつ、神から氷山の一角一角情報を得つつ、というコンテンツの消費の仕方をしていた。

神はコンテンツに動きがある度に色んなことを仰っていたので、相変わらず私はいいとこ取りをし続けていた。乱数ちゃんクローンであること、幻太郎さんの一人称が小生であること、帝統君は乙統女さんの息子であること、シブヤの3人とシンジュクの3人の相性がめちゃくちゃ悪いことが私の持っている主な知識。他のキャラクターのことは、職業と大まかな名前を把握している程度だったと思う。

そんなヒプノシスガバガバマイクを改める時が来た。

ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-Ryme Anima放送開始である

音楽原作コンテンツ原作理解できなかった女は、毎週金曜日24:00〜の放送を心待ちにしていた。毎週土曜日は固定シフトで朝6時出勤の5時前起床だったが、1回たりとも欠かさずにリアタイするくらい楽しみだった。放送終了後、布団の中で神や神のフォロワーたちの感想ツイートを見てニヤニヤした。

そうはならんだろ〜!みたいな展開も、それで変装!?って格好も、絆ァ!!!も、全部全部見てて楽しくて最高で、最終回EDテーマが大好きで、ヒプアニ面白かったな、と思った。ずっと声と歌だけを聞いてきたファンの皆さんは、歩いて食べて笑って戦う推しの姿を見て、どんなに嬉しかっただろうと思った。

放送中、既存楽曲に興味が湧き、加入していたAmazon musicでいくつか聞いてみたりもした。パーティーを止めないでを聞こうとしたら制限がかかっていて聞けなかったのでUnlimitedに加入した。これもまた良い曲、キャラクタープロデュース力がすごい。

ヒプアニが終わった後の金曜日喪失感が年明け数週間後も続いたので、何だかおかしいなと感じた。

体がヒプノシスマイクを求めている…?

2月の初頭、知らない人に食事に誘われて行くと答えたら、毒島メイソン理鶯さんに2人で行くのか?と問いただされ、みんなで行くんだよ〜!となぜか焦りながら答えた夢から覚めた時、疑惑確信に変わった。

私はヒプノシスマイクを求めている!!

Amazon musicで片っ端から楽曲に触れ、ドラパに耳を傾け、約1週間で配信されているものをほぼ網羅した。YouTubeでも動画を見た。Anthem+、タマンね〜〜〜

声優さんの収録の様子を見られるだけで感動したのに、キャラに寄せたフリまで付いていて、本当にこれは無料で見ていいのかと本気でビックリした。

1年以上前、全く理解できなかったStellaは本当に幻想的で儚いけれど、Posseの固い意志を詰め込んだ曲だった。今、やっとStellaのヤバさが分かった。2020年2月に出たPosseアルバムのドラパを聞いてから聞いたら、もっとヤバかった。この曲の示す意味がより鮮明に見えてきたような気がして、幻太郎のことも早く知りたい。

Yokohama Walkerもちゃん理解できた。MTCの3人はアニメでは一番物騒でクール日常を送っていたが、心底ヨコハマでの人生を楽しんでいるんだと、矜持を持って生きているんだと伝わってきた。お互いへのリスペクトがすごい3人だとずっと思っているんですが合っていますか?

情報量が半端じゃなかったけれど、アニメを見ていたおかげか、すんなり入り込み楽しむことができた。18人のキャラクターへの理解もかなり深まった。

何故ポッセと麻天狼の仲が悪いのか、アニメでは描かれていなかった点も把握できた。B.B. vs MTCの二番手番手の争い、あれは銃兎さんが悪いんじゃないかなと思ったりもする。

みんなの1回目のディビジョンラップバトルの結果を経て、2回目のバトルへの意気込みも感じた。名実ともに命がけなんだ。

The Champion、ドラパは時系列順に聞いたけれど曲はなかなか手が出なかった。アニメを見て結果を知って、ドラパを聞いて、何だか敬遠してしまっていた。全部聞き終わった後にちゃんと聞いたらかっこよかった。

新参のクセに、と思われて当然のことを言うけれど、このCDが出たとき、他のディビジョンを応援していたファンの人はどんなに悔しかったろう、麻天狼を応援していたファンの人はどんなに嬉しかったろうと思わずにいられなかった。

これが大体2週間前のこと。ヒプマイに少しずつハマりながら、私はヒプステ観劇計画を立てていた。

正直ヒプステの存在ちゃん認識したのも2月に入ってからだった。ヒプマイのHPを見て、ヒプステが公演開始直前だと気付いた時にはもう観に行きたいと思っていて、いつなら行けるかと考え出す自分がいたのだ。普段から.5の舞台に定期的に足を運んでいる身故に決断も早かったと思う。平日の昼間の公演チケットを取り、物販で買ったリングライトを身につけて着席した。

ちょ〜〜楽し〜〜〜〜くて最高だった

重低音が身体に響いて、ハンドサインしながら曲に合わせて手を振って、”現場”って感じでビリビリした。迫真の演技も歌もダンス所作の1つ1つも胸を鷲掴みした。終演後にリングライトを外す手が少し震えていて、帰りたくないなと思った。

リングライトリング部分がプラスチックじゃなくてゴム製だったところにすごく感動した

お土産オーディエンスキットと熱いときめきを抱えて、オフィシャルファンブックを買うべくそのまま池袋に向かった。街中にちらほらとオーディエンスキットのビニールを持っている人が見えて、あ、と思ったりした。オフィシャルファンブックを買って、Enter the Hypnosis microphoneも手に取りレジ直行した。HoodstarのMVを狂ったように見ているので円盤で手元に置いておきたいし、ライブも見たいな、という軽率な行動である

それにしてもHoodstar、Cメロ(あっていますか?伝わるかな)の三拍子でいつも狂ってしまますね。すごい曲だなとつくづく思っています。哀歓悲喜全てが凶器メロディが好きすぎる。この街で1番のbad boys ←大好き

それからファンブックのドラパを聞いて言の葉党大好きマンになったり、Summit of DivisionのMVに出てくる可愛いラクガキつきのイラストが収録されていないことにガッカリしたりした。どこか収録されている場所ありますか?もしあったら情報ください(切実)

アルバムライブ映像、2ndも3rdガッツリ見た。キャストさんもお客さんもすっごく楽しそうで私も見ていてすっごく楽しかった。シャンパンゴールドのコーレスプリンセスってお客さんのことだと思うんですけど、お客さんがプリンセス!!って叫ぶから面白くて、死ぬまでに絶対コーレスしたいと思った。さいこ〜〜〜!!!!!

2ndの最後無花果様が来て、1回目の結果を公表たから頭がおかしくなった。投票って、勝敗をつけるってこういう感じなんだって思って勝手疲弊した。優勝したディビジョンは当然知っていたけれど、こうして目の当たりにして、すごいな、ディビジョンラップバトルは、と痛感した。

今週の内にアベマのシブヤ vs ハマの観覧チケットをとり、HIPSTERにも入った。

これを打っているのは2nd ディビジョンラップバトルの3回戦目の前夜である

正直、ここまでずっぷり入り込んでしまっていて、やばいなと思っている。比較的慎重な方で、なかなか新しいコンテンツに手を出さずに生きてきた私だったが、こんなにも強欲に手を出してしまうとは。

2年半前の私には考えられない行動力、抗えないヒプマイの魅力。おそるべし。

こうして今までヒプノシスマイクというコンテンツとそのファンが築き上げてきたものあやかって楽しませてもらっていて、明日ライブを見て投票することで、私もそのコンテンツに加担する1人になるんだなと大袈裟だけれど考えて、少し緊張している。

ヒプマイって楽しいなと思うきっかけになってくださった神に感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです、ありがとうございます

長々と特に面白みのない独白にお付き合いいただき本当にありがとうございました

これを読んでハマった当時のことだとか、今どう感じているかだとか、コメントとして残していただけると嬉しいです。ヒプマイファンお話、よければ聞かせてください。

これから末永くお世話になると思います、微力ながら応援させていただきます

Do or Die ぶっこんだもん勝ち!!

2021-02-15

anond:20210215151243

途中で自分声優の話してるからうすうす気づいてるんだろうけど、セリフ音読してみろ

とてもいえないような「高速増殖炉もんじゅ」とかいれてねえか?

普通は「買った」ですむとこを「購入」みたいな硬い音読言葉自然セリフにいれてしまってないかのチェックに、音読はなるんだ

 

一度発音してみれば「こうそくぞうしょくじょ、ええとアレ」みたいにどうしてもなることがわかる 

どうしても原語のままつたえたければルビ(逆ルビ)を使う手もある

パン咥えたまま発音するやつのセリフの「んもももももっもっも」のルビに「んなこといったって」といれる 抑揚で大体伝わってるんだなってわかる

あと音便 促音便撥音便きっちりいれてこ 「なんでオレがンなことやんなきゃいけねんだ!」みたいな感じ

方言キャラもいれてこ 「なんでやねん

二葉亭四迷以来、耳で聞いたままのセリフ小説かいていいことになったんだぜ、感謝だな

 

あとはセリフのシチュ

「知らない」ことを「おおげさに」驚くキャラちゃんと驚け

パペマペじゃねえので黒子みえたら終わり

 

別に友達じゃなくていいんだ

そのまま高校生友達同士の会話ひきうつしたって情報量が薄くてつまんないだけだぞ

ピストル原理だっけ(「チェーホフの銃」だった)

ユーチューバでも生会話は生中継しかやらんわ

2021-02-10

[]ブクマカが何度も書いてしまうほど伝えたかたこ




何度も書いているけどと書いてあるのを適当ピックアップしただけで本当に何度も書かれているか確認していない

2021-02-07

anond:20210207102300

そもそもセンサーから情報量情報処理時間分解能が違い過ぎて、不完全観測環境下での運動制御タスクとして考えると人間と比べること自体が間違いだぞ

不確定要素が多いとか定性的な話で誰が納得すると思う?そんなのは深層学習ベイズフィルタの汎用的なあわせ技で解けちゃうから

2021-02-06

日本政府は核攻撃への備え方を教えてくれない無責任

備えあればうれしいな、コロナでないないと思われていた地球規模のパンデミックが実現したことで、その他の緊急事態についても考え始めた。半分好奇心、残り半分は「ゾンビが来たらこうっ」って類の妄想用。日本政府の核への対応策が知りたくなって調べて、呆れるほど情報が出てこなくて愕然とした、という話。以下本文。

  

   

「核攻撃に備えて国民はどうすればいいのか」と気になって「核攻撃 go.up」と検索した

が、出てくるのは弾道ミサイルへの緊急対処方法だけ。それも

・屋内に逃げろ

・しゃがめ

ぐらいの情報しか手に入らなかった。着弾後、運良く生き残ったとしてどうすればいいのか、という情報は書いていない。そのまま屋内に居続ければいいのか、近くの避難所に向かえばいいのか、非常事態においてどこから情報を入手すればいいのか、などさっぱりわからなかった。

日本地理や、国際情勢を考えても核攻撃される可能性は低いかもしれないが、それでも全く核攻撃に関する国民向けの情報が出てこないとは驚く。

突然の警報、光、爆風、熱、破壊された街並み。そのあと国民はどうすればいいのか?戦争か?災害か?事故か?放射能バイオテロは?乏しい情報と混乱のさなかにどうすればいいのかーーそういった情報が一切ない。起きてから伝えればいいという考えなのだろうか?

日本の著しく低い核シェルター普及率はまあいい。俺もそんなものに備えられるよりは、生活保護にあててくれた方が嬉しい。が、日頃から核に備えてシェルターを用意しないのはいいとして、核に備えて何をすればいいか情報ぐらい出して欲しい。

・どこに避難すべきか

・何を備蓄すべきか

・いつまで屋内にいればいいのか

・水や食料がなくなったらどうすればいいのか

まあ核が落ちてから出来ることなんかないだろうし、諦めて死ねということかもしれないが……。しかし爆心地から遠い地域存在するわけで、核が落ちても生き残る人は確実に存在するのだ。日本政府管轄なのだろうか……。

なんにせよ政府を信頼し過ぎていた。日本政府ことなら、核が落ちた時どうすればいいかぐらい教えてくれているのだろうと。どっかの偉い人たちはあらゆる有事に備えて考えていてくれているのだろうと……。「自己防衛、国なんか当てにしちゃダメ」彼のいう通りであった。

  

  

  

一応、その後の検索によって原発が設置された各都道府県が作った「原子力災害のてびき」に辿り着いた。一応、政府声明としての「原子力災害が起きた国民は時どうすればいいか」がどのようであるかはわかった。もちろん核兵器ではなく原発事故を想定したものであるし、情報量は少なすぎるが……。安定化ヨウ素剤の配布などは、原子力災害時に原子力規制委員会行うそうだ。原発限定はされてはいなかったし、核兵器場合もそこらへんが動くのだろうか。他の組織既存災害マニュアルに準じて行動するのだろうな。特別核兵器に対する備えというのはないらしい。

ともかく、今の日本では基本的に核は落ちないものか落ちたら諦めるものとして想定されていて、それに関して「国民が知っておくべきことは特にない」ってことだろう。

 

 

  

そういえば、調べている途中に見つけた

https://h-crisis.niph.go.jp/bt/outline/

のページがとても面白かった。ゾンビ妄想使用させていただく。

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