はてなキーワード: nerdとは
“開発に8年かけて2週間でサービス停止となった新作ゲーム「コンコード」のキャラクターデザインリーダーがやばすぎた・・思想強すぎて完全に…”
WOKEでなくてもクソだった映画とかと違ってWOKEで無ければ良作だったって実例が来てしまって、今のWOKEに文化を牽引する力が無いってのが明確になってしまった感があるね。
というか、日本のオタクが牽引する市場って、今でも50億ドルに届かない程度の規模感でしか無いのに、その4倍の額突っ込んでなお一般人を惹きつけないんだから相当無理だろ……
ブラウニーポイントが一般人に訴求ポイントとして有効に働いていないだけならまだしも、優遇されている各属性の人々に対してすら全く響いていないってのは根本的な間違いがあると思う。
よく考えたら、オタクだってオタクに媚びたようなムーブメントに嫌悪感を示しがちだったしな……
オタクは媚びられることに喜ぶのではなく、媚びた結果だろうが媚びずに出てきた結果だろうが、対象に興味関心、趣味嗜好、性癖などを刺激されるかどうかで判断するし、その辺割とシビアなので結果が伴わなきゃダメなんだよね。
一方で、「媚びた時点でブラウニーポイントが稼げて目的が達成されるDEI」は品質向上に寄与しない。
オタクは「被差別属性と顧客目線を併せ持つ多々買う人々」という、かなり特殊な存在なんだなとあらためて思う所。
WOKEはWOKEに媚びられただけで喜ぶステージを脱して価値創造を始めるべきなんだろうな。
そのためにマス・マーケットの進出から始めてる辺りが構造的にイビツ過ぎる。
オタクのように同人誌やWeb小説といった所から裾野を広げていくプロセスを欠いた結果、WOKE的価値観から創出されるあらゆるモノは「踏襲するモンが何も無いぽっと出状態」に陥っているんではと思われる。
なろう系と呼ばれるジャンルが成立するまでワナビーたちが屍山血河を築くほどに試行錯誤を繰り返してきたように、WOKEを代表するジャンルが成立するまで試行錯誤を繰り返す必要があるんだろうな。
こういった屍山血河を築くにあたって唐突に集団製作から取りかかる体制はデカすぎるんよ、やっぱり。
こういうこと言うと軍師気取りとか言われちゃうんだろうけど、そもそもの話をすればWOKEのためを思ってのことではなく、オタクとWOKEが文化的に共存するにあたっての個人的な願望から来る提案に過ぎんのよ。
オタク文化を侵略・支配して何かを成そうとしているようにしか見えない現状では、対立するしか無くなっちゃってるからねぇ……
オスに生殖を禁じた上でメスを外来種と交配させ続けると現地の固有種が消滅するのと同じように、一部要素の継承を断たれてプロパガンダを押し付けられた文化もまた変容という格好で消滅するんですよ。
WOKEがやろうとしていることはこう、往々にして虐殺の要素を含むものなんで、今の路線でヨソの文化と仲良くできることはあり得ないんだよね。
WOKEが抱えがちな「理解されれば受け入れて貰える」って思考は、その一方で受け入れて貰う側のことをどれほど理解をしているというのか。
自分は相手のことを理解する気がサラサラ無いのに、一方的に受け入れ、愛されて当然だと思える思考は、駄々を捏ねる幼児のそれと変わらんのよね……
オタクの側は実際「WOKEな人に喜んで貰えるかな?」っていう試行錯誤を既に始めてると思う。
そもそも、オタクはオタクだけにウケる作品で満足しないんですよね……
漫画なんかだと、古くは子供に喜ばれるために試行錯誤し、婦女子に喜ばれるために試行錯誤してて、それらを受け取った少年少女はいつしか大人となり、描き手になった。
結果、大人が喜ぶ少年漫画や男が喜ぶ少女漫画、果てはノンケが喜ぶホモ百合漫画が生まれるほどの多様性を獲得して今に至るわけでして。
そうした流れの中で、今だって何が喜ばれるかを試行錯誤してる真っ最中だと思うのよ。
ポリコレとかDEI推進って聞くと拒絶反応が見えるけど、男女平等とか自由主義とか性的指向の多様性なんかの各要素は寧ろ積極的に取り込んでるでしょ。
既にそうした課題に対する改善意識が作劇上の必然として巧妙に練り込まれて来てたから、実はオタクほどフェミニズムやDEI推進と親和性が高かったりするんです。
男女の不平等は「登場人物が遭遇する障害」として登場し、反自由主義は「ディストピア」として書かれ、性的嗜好の多様性はキャラクターの造型として実装される所を飛び越えて、一部はBLや百合など分類可能なジャンルにすらなっている。
こう、かつての作家達がこれまで積み上げてきた試行錯誤と努力の結果を、「そこに至って当然の、必然でしかない」と勘違いしてる輩はけっこう混じってるんでないかねぇ……
ンなワケ無いんだよなー……
WOKEとかパヨクは融和に向けた努力を続ける人々のやわらかな物腰を弱みと勘違いしてるのか、強権的な支配を試みるんだよな。
この手の人らは根本的に、支配されるか反発するかの二択しかない中で、「尊重」とか「寛容」といった共存共栄に欠かせない要素を学び損ねてるフシがある。
これらは纏めて「多様性の尊重」と呼ばれる概念になるわけですが、相手を尊重するためには相手への理解が必須なので、多様性の尊重とはただの妥協や我慢ではないんです。
我慢を強いられる事を唯唯諾諾と受け容れるのは「妥協」であって、それは寛容でも尊重でもねえのですよ……
「今度は俺たちが支配する番だ!」
ネトウヨはわからんけど、多くのオタクはWOKEを観察し、理解しようと頑張ってます。
新規ジャンルの開拓とか商売する上での下心があるにせよ、理解しようとしてるんです。
WOKEはオタクを理解しようとしているかといえば、欠片も理解する気は無さそうだった。
これがなぜ過去形かって、オタクやゲーマーが好む要素をきちんと分析して実装していたからこそクソゲーでは無かった「コンコルド」という実績が生まれたからです。
非常に悲しい話ですが、結果的に作品がヒーローシューターという飽和市場に生まれ落ちてしまい、たとえWOKEで無かったとしても爆死濃厚な作品となってしまったこと……
クオリティを高めるために必要だったのでしょうけど、企画からリリースまで8年てのはあまりにも長すぎた……
ただ悔しいし、作り手の無念は想像し得ませんよ実際……
ぼくはリベサヨとして、コンコルドが雑な作りのクソゲーでは無かった事実がGeekやNerdに対するWOKE側の歩み寄りであったって可能性を、どうか頭の片隅に置いてて欲しいと願う……
雑にそれっぽいものをでっち上げるだけなら時間も費用もここまでのことにはなってないハズだからね……
個人的には、漫画が獲得出来ている多様性から考えると、先に挙げたように漫画や小説などの個人製作からジャンルの確立を目指すのがもっとも穏当かつ確実だと思う。
この形態は「支持者が買い支えしやすい」という草の根活動的に最も重要なポイントを抑えているのがデカいです。
コンコルドはおそらく、一般人おいてけぼりのオタ向け路線で同じ事しても、同じ失敗をしていることでしょう。
非ヲタを巻き込まないと成立しない分野に手を出すのが時期尚早なんですね……
って思われるかもだけど、コンソールやゲーミングPCが既に手元にあるおめーらと一緒にすんなって話で、そもそもPS5もゲーミングPCも全然安くねえのですよ……
どんな方面であれ、侵略を伴わない本気の取り組みが報われないことは悲劇です。
CONCORDをただただ笑い者にすることで、逆にオタクの品性が問われる状況にあると認識した方が良いとすら思います。
WOKEの本気を見て、手触りは悪く無いと感じるプレイヤーが多かった事実は決して軽く無い。
それになにより、WOKEが既存のラインナップと肩を並べて困るオタクは居ないだろ。
それはノンケのオタクがことさら百合やBLを叩いたりはしないのと同じ事だもの。
WOKEジャンルが確立すれば、一々既存のシリーズを侵略しに来ることも無くなるだろうから、WinーWinだと思うね。
一々買って応援しろとは言わない(なんならぼくも買ってない)けど、生暖かく見守るに留めたってバチは当たるまいよ。
ここまで読んでくれてありがとナス。
ディズニーシーで働いているスタッフも、来ている客も、みな「一軍」ではない、ということだ。
女性の化粧は薄く、みな髪型がださい。体型は痩せてたり太ったりしているが、男女ともとにかく雰囲気がオタクくさい。英語圏ならgeekとかnerdとか言うのだろう。
実際のところはわからないが、「ディズニーで働いている」ことをアイデンティティにして他に取り柄がない、というような雰囲気の人ばかりなのだ。
帰り際スタッフ通用口の前を通ると、そこから出てくるスタッフらしき女性の集団にでくわした。
どこで売ってるのかわからないチェックのネルシャツ、シンプルなトートバッグ...そうだ、これは池袋でよくみる服装だ。
思い返すと客もそんな雰囲気の人が多かった。
今ディズニーはハロウィン期間でコスプレで入場することが許可されている。(普段はキャラに間違われるからかだめらしい)
コスプレと言えばリトルマーメイドやアナ雪を想像するだろう。しかしよく目立つのはツイステッドワンダーランドのキャラである。同作品はディズニー公式初の乙女ゲーであり、そこに登場するのはディズニー作品をモチーフにしたイケメンキャラだ。それらをいかにも池袋っぽい男装コスプレ集団が模しているのである。
なぜ"池袋っぽい"と表現したか。休日の池袋サンシャインシティまわりを歩いたことがある人にはおわかりいただけると思う。休日のサンシャインまわりには乙女ゲーの男装コスプレ集団がよく歩きまわっているからだ。
彼女らはいわゆる被写体となるような、作り込みやスタイルに自信をもつコスプレイヤーではない。いかにも非モテのオタク女子が「変身願望でコスプレをしました」というようなちょっと雑な感じなのである。化粧は下手だしスタイルは悪い、衣装も大体雑である。(例外はもちろんいる)
その異様な光景をみたことがある人は、その集団がディズニーを闊歩しているところをぜひ想像してみてほしい。さらにスタッフも客もマジョリティはオタク女子だ。(もちろん例外は多い、念のため)
「メガネをかけた出っ歯の顔」とされ、はっきり言って差別的な意図を含んだ絵文字である。
Google(Android)、WhatsApp、Facebookでは、この絵文字の差別性に気付いているのか、オリジナルの定義から外れて出っ歯ではないデザインとしており、「眼鏡をかけた笑顔」となっている。
また、Windowsではいまだに「出っ歯」が残っているものの、Windows11からは出っ歯を控えめにしたデザイン変更が行われている。
Apple(iOS)やTwitterは、依然として従来のデザインが使用され続けている。
また、Joypixelsでは、出っ歯ではないものの、歯に歯列矯正の金具がつけられたデザインが使用されている。
欧米こそ至高 の はてなーに習い、オックスフォード辞典より、
otaku
(in Japan) a young person who is obsessed with computers or particular aspects of popular culture to the detriment of their social skills.
‘every other otaku can run on about their hobby endlessly’
えらいっこっちゃなぁ
では英語圏でオタクの意味のあるgeekやnerd はどうだろう?
geek
1 An unfashionable or socially inept person.
1.1 usually with modifier A knowledgeable and obsessive enthusiast.
‘a computer geek’
nerd
1 A foolish or contemptible person who lacks social skills or is boringly studious.
‘I was a serious nerd until I discovered girls and cars’
1.1 A single-minded expert in a particular technical field.
‘a computer nerd’
いちばん表現がマイルドではあるが社会性に欠けるガリ勉だそうな
しかし、いちばんマイルドっぽいnerdは日常では単なる悪口らしい
欧米こそ至高 の はてなーに習い、オックスフォード辞典より、
otaku
(in Japan) a young person who is obsessed with computers or particular aspects of popular culture to the detriment of their social skills.
‘every other otaku can run on about their hobby endlessly’
えらいっこっちゃなぁ
では英語圏でオタクの意味のあるgeekやnerd はどうだろう?
geek
1 An unfashionable or socially inept person.
1.1 usually with modifier A knowledgeable and obsessive enthusiast.
‘a computer geek’
nerd
1 A foolish or contemptible person who lacks social skills or is boringly studious.
‘I was a serious nerd until I discovered girls and cars’
1.1 A single-minded expert in a particular technical field.
‘a computer nerd’
いちばん表現がマイルドではあるが社会性に欠けるガリ勉だそうな
しかし、いちばんマイルドっぽいnerdは日常では単なる悪口らしい
確かにgeekは日本でも自称したり褒め言葉に使ったりするがnerdは無い
まぁいずれにせよ自ら『社会性に問題がある』と表明するのは賢い振る舞いとは言えないね
言わんやで
欧米こそ至高 の はてなーに習い、オックスフォード辞典より、
otaku
(in Japan) a young person who is obsessed with computers or particular aspects of popular culture to the detriment of their social skills.
‘every other otaku can run on about their hobby endlessly’えらいっこっちゃなぁ
では英語圏でオタクの意味のあるgeekやnerd はどうだろう?
geek
1 An unfashionable or socially inept person.
1.1 usually with modifier A knowledgeable and obsessive enthusiast.
‘a computer geek’
nerd
1 A foolish or contemptible person who lacks social skills or is boringly studious.
‘I was a serious nerd until I discovered girls and cars’
1.1 A single-minded expert in a particular technical field.
‘a computer nerd’
いちばん表現がマイルドではあるが社会性に欠けるガリ勉だそうな
しかし、いちばんマイルドっぽいnerdは日常では単なる悪口らしい
確かにgeekは日本でも自称したり褒め言葉に使ったりするがnerdは無い
左様。欧米こそ至高 の はてなーに習い、オックスフォード辞典より、
otaku
(in Japan) a young person who is obsessed with computers or particular aspects of popular culture to the detriment of their social skills.
‘every other otaku can run on about their hobby endlessly’
えらいっこっちゃなぁ
では英語圏でオタクの意味のあるgeekやnerd はどうだろう?
geek
1 An unfashionable or socially inept person.
1.1 usually with modifier A knowledgeable and obsessive enthusiast.
‘a computer geek’
nerd
1 A foolish or contemptible person who lacks social skills or is boringly studious.
‘I was a serious nerd until I discovered girls and cars’
1.1 A single-minded expert in a particular technical field.
‘a computer nerd’
いちばん表現がマイルドではあるが社会性に欠けるガリ勉だそうな
しかし、いちばんマイルドっぽいnerdは日常では単なる悪口らしい
確かにgeekは日本でも自称したり褒め言葉に使ったりするがnerdは無い
まず、大前提として、
原語の発音には、「意味のある区別」と「意味のない区別」があり、前者のみを区別し、後者は無視するのが音韻論。基本的に、ある言語のネイティブスピーカーはその言語において「意味のある区別」だけを直感的に感じ取ることができ、「意味のない区別」は意識しないと気づくことができない。
例えば、前回書いた増田( https://anond.hatelabo.jp/20171223040416 )で、「難波」と「あんな」の「ん」は違う音だけど、日本人(日本語のネイティブスピーカー)はその違いを無視すると書いた。ブコメを見ると違いがわからないという声があったので、ここで解説すると、「ナンバ」のように、直後にバ行またはパ行の音が続く場合は、「ん」は「唇を閉じて息を閉鎖し、その息を鼻の穴から出す」音になる。英語であればmに相当する。直後にナ行、タ行またはダ行が続く場合は、「下を上顎にぴったりつけて息を閉鎖し、その息を鼻の穴から出す」音になる。英語であればnに相当する。
英語であれば、これも前回の増田から持ってくると、water の t と、 talk の t は日本人には全然違う音のように聞こえる。でも、英語のネイティブスピーカーにとっては同じ音。
よく、英語のネイティブスピーカーにとっては違う音なのに日本人には同じに聞こえる発音が取りざたされるけど、逆もあるということ。ある言語のネイティブスピーカーであるということは、その言語にとって「意味のない区別」はしないように訓練されているということを意味すると同時に、「意味のある区別」はするように訓練されているということ。 r と l の区別が難しいのは前者の例だし、 water の t と talk の t が違う音に聞こえるのは後者の例。
同じことは日本語を学んでいる外国人にも言えて、例えば、「難波」の「ん」と「あんな」の「ん」は韓国人にとっては「違う音」なので、韓国人が別の単語を持ってきて「この『ん』はどっちですか?」なんて質問すると、日本人は「は? 『ん』は『ん』でしょ?」となる。韓国語なら「オッパンカンナムスタイル」の「カ」と「ネガチェイチャラガ」の「ガ」は濁音と清音だから違う音だけど、韓国語にはこの区別はないから韓国人は「同じ音」と思っている。
英語のカタカナ化では、「英語において区別のある音は区別し、区別のない音は区別しない」というルールが概ね採られていると思う。いわば、英語のカタカナ化とは、「英語の音韻論をカタカナだけでシミュレーションする」試みと言える。
以下、いくつか一般的だと感じるルールをリストしてみようと思う。なお、発音記号は、New Oxford American Dictionary に基づいている。
アメリカ英語には短母音と長母音の音韻上の区別はないので、ある音を長めに発音しても短めに発音しても同じように理解される。カタカナ語はこの事実を利用して、長音記号で区別することで、合計10種類の母音を区別できるようにしている。なお、10種類でも英語の音韻論を完全に再現するには足りない。実際に長音になりやすい音に優先的に長音記号が割り当てられているようだけど、全てではないように見える。
例 /ə/:sun, bus, an
例 /æ/ : cat, pat, bad
実際これらの音は「ア」に聞こえるという人がほとんどだと思う。cat は「キャット」なので「イャ段」説があるにはあるのだけど、/k/ の舌の形が日本語の「ヤ」の子音に近い為に /k/ の時だけ採用されたのかなと想像している。ちなみに英語には他に「キャ」のように聞こえる音はないので特に問題ない。/æ/は一貫してイャ段にすればいいのにと思わないでもない。
「エ」に聞こえることもある音。とは言え多くの場合「イ」に近く、また「エ」に聞こえる音は他にもあるので妥当。
例:look, good, foot
間違いなくウに聞こえる。
例 /wə/ :Quebec, sequence, quench
例:lot, pot, knot
「『ア』に聞こえる」という人がかなり多いと感じているのだけど、アには割り当てが他にあるので、オに寄せられたのではないかと想像している。
例:mail, male, eight
「エイ」段で書かれる事も多いが、日本語の音韻上「エー」と「エイ」の区別はない。
例:water, talk, ball
形態素とは、「意味の最小単位」。単語の中には複数の形態素からなるものがあって、例えば「文章」なら、「文」と「章」にはそれぞれ意味があり、それが集まって、「文章」という単語ができていると理解できる。英語でも、American という単語は、America と、an が合成されてできている。このそれぞれのパーツを「形態素」という。
カタカナ語は、どうも単語単位でなく形態素単位でやっているように見えることが多い。例えば、today は /təˈdeɪ/ だから、上のルールに従えば「タデイ」になるはずだけど、実際には「トゥデイ」になっている。また、consequence / ˈkɑnsɪkwəns/ も、上のルールに従えば「コンシケンス」だけど、実際には「コンシーケンス」になっていると思う。
しかし、これらは例外なのかといえば、形態素単位でカタカナ化していると考えると説明がつく。today は to-dayに分割できる。そして、to は 「トゥ」。(なお、これは「トゥー」になるはずなので、こっちは例外。too との衝突を避けたものと思う。)day は「デイ」なので、合わせて「トゥデイ」になる。consequence も con /kɑn/ は「コン」、sequence /ˈsikwəns/ は「シーケンス」なので、合わせて「コンシーケンス」。
「カタカナ語はアメリカ英語の音韻論をベースにしているのではなく、単にイギリス英語を聞こえたまま書いただけのものではないか」という指摘が前回の増田であった。
確かに、apple, girl など、イギリス英語「聞こえたまま」になっているように見える単語は多数あるが、すべての単語を調べたわけではないから確定的なことは言えないが、これらの単語は、アメリカ英語音韻論説でも同じ程度にうまく説明できる。それに、water, there など、イギリス英語聞こえ方説よりもアメリカ英語音韻論説の方がうまく説明できる例もある。(イギリス英語聞こえ方説をとれば、それぞれ、「ウォータ」、「ゼー」となるはず。)
実際にカタカナ語の多くがアメリカ英語から取られたのかそれともイギリス英語から取られたのかは個人的に知らないのでなんとも言えないのだけれども、カタカナ語とアメリカ英語の間にある程度の法則性が見られるという前提で、その法則を書いてみようと思った次第。
SWの間、故郷に帰っていたベトナム人(20歳・男)のお隣さんが戻って来ました。結婚して、嫁を連れて。
もうアラサー童貞の私としては困ったクマった鬱だ氏のうdeathよ。
ベトナム語なんで何言ってるかは分からないんですけど、イメージとしては……
「Oh, yeah......Hey, come on......」
みたいに5単語くらいを繰り返しうめき続ける洋モノAVの音声だけが、壁越しに聞こえてくる感じです。
たぶんベニヤ2枚くらいの厚さで、押すとちょっぴりしなります。レオパレスも真っ青です。
掛け布団がめくれる音、ティッシュを取る音、イヤホン端子が机にカツンとぶつかる音まで聞こえます。
そんな住環境なので、
「Oh, yeah......Hey, come on......」
が細大漏らさず聞こえてきちゃうわけです。
このベトナム人新婚カポーがまたなんとも香ばしくてたまりません。
代わって新婦はちょいブスだけど愛嬌があって、数多の童貞を勘違いさせ打ち倒してきた、枯れ葉剤も物ともしないアマゾネスです。オタサーの姫やサブカル女子っぽくもあります。
だいたい5つくらいの単語が、姫に結婚をキメさせた材料だと推測されます。さっきから語彙少なすぎるぞ。
情報が不完全な分(かみさんは英語話せるけど、旦那は片言の日本語だけ)、妄想が広がリングです。
少年ジャンプ的な幼稚さを引きずる男の子ならいざ知らず、知性豊かな腐女子の皆々様方にはこの愉悦がご理解いただけるはずです。
二人が互いのA10神経を乳繰り合っている間、私の快楽中枢は高橋名人に16連射され続けます。
「Oh, yeah......Hey, come on......(優しく……して……(恥ずかしそうに目を伏せつつも本当は床上手。受け身でしとやかに振る舞いながら、愛撫・体勢・締め付け具合で完全にリード。実家は男の子を望んでいるから秘め事は排卵日当日。フィニッシュの体位は……))」
一番困るのは外で夫妻とエンカウントした時です。特に""翌朝""は、神妙な面持ちで異文化コミュニケーションするハメ、違う、羽目になります。
私はおもてなしジャパニーズの精神というか、察しと思いやりの信条(葛城ミサト談)で迎えるわけですが、童貞独り身なのでコールド負けDeath。そしてRebirthできなくてAirになります。真実は痛み。溶け合う二人が私を壊す。
江戸期の長屋では、聞こえないふりをしてご近所仲良く暮らしていたといいます。
聾唖者を夢見るホールデン・コールフィールドですよ。笑い男ですよ。
「I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes」
「ベイマックス」の原題はBig Hero 6で、日本の感動主導のPRには問題がある!という意見を見る。
しかし、マーベル・コミックスに馴染みのないナイーブな日本人には限界のPR方法なのだ。
ディズニーの施したローカライズは実に巧妙で、とても良く考えられている。
大量の批判があるのを承知のうえであえて単純に言えば、マーベルヒーローは近親者の死がヒーローを生む構造が多い。
その為、Big Hero 6というヒーローモノを観に行って近親者が死んでも、米国ではそういうものとして受け止められる。
スーパー戦隊シリーズ好きやプリキュア好きの親子で観に行こう!とヒーローを全面に押し出して、
映画館に親子でやってきて、仲の良い兄弟のアニキがハッキリと死ぬシーンを描かれて、後半ついていけるだろうか。
未だに、鳥人戦隊ジェットマンの衝撃が語られるように、基本的に日本では人の死はとてもナイーブに受け止められる。
……まあ、世界に冠たるディズニーが、となりのトトロを観に来た母娘が火垂るの墓を観て茫然自失となったエピソードを知らないはずも無かろう。
映画全体として、兄タダシの死を乗り越え成長する弟ヒロの姿が描かれているので、
CMを観て感動モノかなと思って観に行った人は十分満足して帰宅できるレベルにある。
が、それだけでは無い。
主人公である14歳の天才少年ヒロは、兄タダシの友人達と共に、兄の死に関係がある犯人を捕まえようとヒーローにバージョンアップする。
勢いのあるカーチェイス、迫力のある戦闘シーン、そして過激な女性も可憐な女性も、それぞれの長所を活かして活躍する。
だから、戦隊好きは勿論、プリキュアが好きな女の子にもオススメできる映画なので映画館に行こう!
軽くネタバレすると、ヒロとタダシという兄弟の両親は、ヒロが3歳の時に亡くなっている。
今は、キャスおばさん(叔母か伯母かは不明)に引き取られて生活している。
当然、兄のタダシが死んでしまって、弟のヒロは、ショックを受ける。
劇中、キャスおばさんは、ヒロの前では一度も悲しい顔を見せない。
他の人物もそうだ。
人のつながりがそこには間違いなくある。
アナと雪の女王で有名になったが、ディズニーは単純な和訳を行って吹き替え版を作成したりしない。
劇中に出てくるパーソナル・ヘルスケア・コンパニオンであるベイマックスというロボットは、
米国版では、「I cannot deactivate until you say, You are satisfied with your care.」と言う。
日本版では、「『もう大丈夫だよ』と言ってくれないと離れられません」と言う。
他にも細かいセリフのニュアンスが違っているが日本版は「タダシの死を乗り越える」部分に焦点が当てられている。
「I'm satisfied with my care.」というセリフと
その為、ロボット工学者についてのみ、字幕版での鑑賞をオススメする。
ベイマックスは、「I cannot be sick. I am a robot.」という様に、徹頭徹尾ロボットとして描かれる。
ロボットが自分のことを人間だと考えたり、自らの存在意義に悩んだりはしない。
ベイマックスは、最初から最期まで、ヒロのパーソナル・ヘルスケア・コンパニオンとしての使命を全うしようとする。
ロボットをロボットとして描き、人間とは異なる存在として描きながらも尚、人間との触れ合いを描く。
心の痛みへの対処法すら学んでみせたロボットの「Your health is my only concern.」というセリフや
「Are you satisfied with your care?」と言うセリフには、限りないロボットへの愛情が込められている。
治療法の詰まったディスケットにTadashi Hamadaと書かれている事の意味を、重く受け止められるだろう。
自分の研究室をWelcome to the nerd lab.と言えるロボット工学者は、映画館に行こう!
全方位隙無く万人にオススメできる映画ベイマックスは、是非映画館で観よう!
字幕版を観た人は吹き替え版を、吹き替え版を観た人は字幕版も観に行こう!
一応お伝えしておくと、現在ペットロスで療養中の人にはオススメできない。
一時期、PUNKにはまってたことがある。HR/HMを聴くことに疲れたときに、PUNKを聴くと元気が出た。毎月CD屋に行っては、視聴コーナーに陣取って、聞いたこともないバンドのCDを買っていた。
そんなときに買ったものの一つに、"Welcome To The Looserville / Son Of Dork"がある。日本発売は2006/02/22。ライナーノーツを見ると何か書いてあるんだけど、まあ詳しい経緯は置いておいて、このアルバムにも収録されている"Ticket Outta Loserville"(ほぼアルバムタイトルですね)は、en/Wikipediaにもある通りUKで初登場三位になったらしい。実際に聴くと、ポップで明るくて単純にいい曲なんだけどね。オマージュ云々はこの界隈の標準だし。しかし、このバンドは全く日本では流行らなかった。当時まだ、BURRNとか毎月読んでたころだと思うけど、特集記事を読んだ記憶もない。
そんなこともまあどうでもいい。所詮UK三位くらいじゃニュースバリューも小さいのかもね。でも、その"Ticket Outta Loserville"の歌詞は実は結構Nerdっぽかった。概ね、"17歳のときにフットボールチームに入れなくてチェス・クラブの会報を作っていたような人間だけど王様ゲームで周りに爆笑されながらデートに誘ったら上手くいって夢みたいで信じられないけどマジっぽいからもうSTAR TREKのコレクションはいらないからしまっちゃったんだけどマジになったらフラれちゃって夜になっても叫んで目を覚ます状態なのにスコッティは助言もしてくれないしまたSTAR TREKのコレクションを出してそろそろ諦めないとね"、という感じ。これは賛否両論いろんな意味で日本のサブカル界隈でも盛り上がるのでは、と思ったこともあったんだが、実際はそこでもまったく盛り上がらず。そのころは、"ハレ晴れユカイ"のオリコンランキング入りで忙しかったらしいね、その界隈は。
そのときにいわゆるオタクに対して思ったんだけど、「こいつら偉そうにいろんなこと言ってるけど、本当のところは自分の周りのチャンネル以外は全然見ていないし、かなりアンテナ低いんじゃねーの」って言われても仕方ないのでは。だって一応UK三位だぜ。それに比べて(文庫は名作と言えるかもしれないが)ハルヒのアニメの主題歌(EDか)ごときがなんだってのさ。
#なんだかんだでニコ動にはあるみたいだけど、あること自体が著作権侵害的にどうだかっていう感じだしそもそもアップロード自体が日本発売からも遅いし盛り上がってもいないしなんなんだって感じ。
「読書感想文に決して書いてはいけないこと。」で,読書感想文について触れられていたので少し.
「本を読むことで人間は変わる」
……という物語なのです。
「この本を読んだことで私はこのように変わりました」
……という、美しい物語を描いてください。
何を考え,感じたのかを「ありのままに表現してください」とか言われても,困る.
心の内側を,赤の他人になんか見せたくない
僕は,大切なことは心にしまっておきたいんです.
不特定多数の他人なんかに,教えたくは無いんです.
そこで僕は考えた.
ストーリーは単純明快で,「ひ弱な主人公(ナード)がある日突然強力な力を手に入れ,世界を守る」というものである.
このような構図は,例えばマトリックスやトランスフォーマーなど多くのアメリカ映画に見れるが,何故だろうか.
アメリカの中学生,高校生を理解するのに不可欠な概念として,その階層構造が挙げられる.
この階層構造は,主に体育会系の支配者層(Jock;ジョック)と,非体育会系,日本で言うオタクなどに相当する被支配者層(Nerd;ナード)で説明される.
またこの背景には,スポーツを趣味とするのが是であり,それ以外の文化系の趣味に勤しむことは変人である,というアメリカ的価値観などが関係していると言われている.
多くのアメリカの映画,ドラマではひ弱な主人公(ナード)と,その主人公の邪魔をする嫌な奴(ジョック)が登場し,また最終的にはひ弱な主人公(ナード)が何らかの活躍をするものが多い.
これは作品の消費者,つまり国民全体に占めるナードの割合が多いこと(一般的に非支配者層は,支配者層より人数が多い),作品の監督など文化人にナード出身が多いことが理由であると言われる.
さて,このような階層構造を理解した上でこの映画を眺めてみると,………
(ここまで:514文字)
主人公であるチャーリーの日記という形で物語は進んでいき,チャーリーが白痴から天才へ,そしてまた白痴へと戻っていく過程を鮮やかに描いている.
本書はダニエル・キイス著「Flowers for Algernon」の訳書であり,翻訳はアイザック・アシモフ著「I, Robot」(邦題:われはロボット)などの翻訳で有名な小尾芙佐氏が行っている.
本書でも,時間経過(知能の変化)によって変化する日記の文体など,氏の文章構成力が光っており,恐らく氏以外の翻訳ではここまでこの小説が有名になることは無かったのでは無いかとすら思わせる.
しかし残念ながら,物語の発端となるチャーリーへの人体実験については,その非科学的なリアリティーの欠如から,物語を素直に楽しむことができなかったのもまた事実である.
物語中では,ネズミのアルジャーノンの結果が出る前に,チャーリーへの実験を開始しているが,動物実験が終わっていない治療方法を,人体に試すことがあるだろうか?
こうした常識的な「科学的考察力」の欠如は,現代社会における様々な問題の一因ともなっているとも言える.
マイナスイオン,水からの伝言(水に「ありがとう」というと綺麗な結晶ができる,という都市伝説),血液型占いなど,これらは基礎的な科学の心得があれば,疑ってしかるべきものである.
SF小説では,いかにしてアイディアに科学的リアリティーを持たせるかが重要な鍵の一つであり,例えばアーサー・C・クラークは軌道エレベータ,………
(ここまで:620文字)
つまり物語そのものだけじゃなくて,その周辺情報について解説・評価すれば,自分自身の内面世界を全く描写することなく,楽々と(しかもそれっぽく)文字数を稼ぐことができる.
先生受けも,それなりに良い.
例:作品が書かれた社会背景と作品の関連についての解説,著者の他の著書や業績,社会に与えた影響,作品の一部分を抜き出してその社会現象について解説する,…
問題は,普段からのそれなりの読書量,周辺知識が無いと書けないこと…かな.