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2019-01-12

感想ケムリクサ1話みた

けもフレアニメゲームケムリクサの共通点差分を考えると、たつき本質が浮かび上がってきて面白い

から思ったけど、たつき弐瓶勉に近くない?つくしあきひとにも若干近いが(風評以外)

俺はこの方向性好きだよ、メジャーではないと思ってるが(それにしては最近二瓶やつくしメジャーっぽくなってきててビビるんだが)

こういう、アフタヌーンに居そうなタイプ安易アニメしづらいよね(それにしては最近アニメ化が成功しててビビるんだが)

 

面白さは、けもフレ1話ときよりは分かりやすくてよかった

語尾にびびったが慣れた

でも前例を考えると1話だけで評価しきれないね

10なのか100なのか1000なのかもわからない、12話まで見ないと

 

あとこんだけバトルするとは思わなかった

ゼロベースで考えるとやっぱこの人形劇っぽさは好き嫌い出そう

(極少人数制作を実現するための方法論だから必要とは理解してる)

 

ワカバ視聴者目線かと思ったら、こいつ一番ヤベー奴だった、ちょっとおもしろ

普通世界観なら許されなさそうだが、こういう世界観ならこういうキャラも有りか?

あの性格は一長一短ありそうだけど、話はサクサク進んで良いね

かばちゃんみたいにおどおど系の成長物語でも良いけど、尺取るんだよね

 

どうでもいいけど全員声高くね?w 

まあ慣れるか、尾崎由香も慣れたし(アニマエールめっちゃよかったし)

 

あとリナムはどうした?目

 

俺「リナッチたちはなんで6つ子?設定にしたんだろう?(6つ子じゃないだろうけど)」

俺「CGモデリング労力を減らすためやで。宝石の国で学んだ」

俺「なるほどー」

 

俺「なんかけもフレときより動いてない?」

俺「そらお前、けもフレときは毎度新キャラ出てきてモデリングしてたからな」

俺「なるほどー」

 

__

 

正直にゲスなこと言うとニコ動で盛り上がりたい

ニコ生木曜日らしい

ニコ動は?

2018-11-09

平成って「無」だったな

平成元年まれだけど平成も終わるっつうことで感想でも。

しか・・・平成って無だったな。0でもいいけど。

昭和観念を全廃させて清潔感ゼロベースを土台に平等自由が普及しまくった結果無になったな。マイナスを0にすることばかりで経済力は激減したし。少子高齢化ゼロリスク志向でみんな子供産まないのが原だしな。

こんなこと言うと反感買うかもしれんけど日本人って幼児化したんだろうな。ちょっと前にピュエリリズムって流行ったけどそれだな。

大衆価値観ポストトゥルースってより多様性ベースにしてるふうに見せたポストイデオロギーで結局は0化しただけだったしな。

平成ってどんな時代だったかと言えば無だったな。あらゆるものを無化した時代だったな。なにもかも。

2018-11-01

同質化 vs 異質許容

これって名前付いてないのかな?

「私がAと思うんだから皆Aにするべき」とか

「このグループでは皆Aで揃えましょう」みたいな、差を許容しない同質化の考え方と 

「私はAだけど、隣の人はBで構わない」とか、基本個人自由不干渉みたいな異質許容の考え方

世の中にある用語はどうにも歴史的に要らない意味拡張されてて当てはまりづらい

 

どちらが良いかと言えば、正直どっちもメリットデメリット出てくると思うんだけど

どちらをより好むかで、その人の性格が分かれる印象がある

 

規律規範ルールで縛る なのが同質化側、真面目で保守的でお硬い印象、和を大事にする、最たる例は学校軍隊

自由で最低限のルールにするのが異質許容側、行き過ぎるとアウトロー他人とは別の行動するタイプ

 

世界的には異質許容が主流なように見えてるがそうでもない

「『一部の異質なこと』を許容する」ことを同質化しようとする動きも多くて、あれは同質化側だと思ってる

これ厄介で、自分は異質許容だと思ってるようでいて、実はよりマイノリティーを許さない同質化側がいる

社会的に認められた「異質」は「許容を同質化」するが

社会的に認められていない「異質」は「排除を同質化」するタイプ

あれはやっぱり同質化

近代ベースにした保守的思考なのかなあれは?)

社会的に認められているかどうかってのは個人観測になるから、ややグラデーション存在するし、年齢によって下手すると真逆の答えを出す

から一瞬その人がどっち側の性格なのか分かりづらくなるが、何個か話を聞いてみるとやはりどっちかに偏る

 

もちろん両方をバランスよく使ってる人も居ると思うんだけど、有能な経営者とか

 

___

 

我ながら説明がわかりにくい

言いたいことは「同質化タイプと、異質許容タイプの人が分かれているのでは?(名前付いてないのかな)」って主張

そして色んなラベリングをされながらお互い殴り合ってるけど、一個のルール説明つくのではないか

 

例えば

考え方Aのグループ 考え方Bのグループ が居て

考え方Aのグループ規範である主体判断したとき

・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」が同質化

・「Bのグループは考え方Aになる必要がない」が異質許容

 

面倒なのはメタになる時で

文化C 文化D があって

考え方A = 文化Cと文化Dは尊重されるべきだ ①

考え方B = 文化Dは排除するべきだ ②

 

・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」は、同質化

・「Bのグループは考え方Aになる必要がない」が異質許容

 

に見えるけど、①が異質許容、②が同質化であるとすれば、それぞれ矛盾したことになり一貫性がない

まり私の「主張」がおかしいってことになる

 

ただ、問題は①や②がどう決まったかという経緯で

主体が考えて決めたのか、社会コンセンサスで決まったのか、誰かに影響されたのか、あるいはそれ以外なのか(感情的など)

もし、主体が考えて決めたのではないのであれば、「主張」はまだ成り立つのではないかと思った

 

例えば同性愛の話をすると

昔は「同性愛排除する」が社会的に主流だった

それをベースに考えれば

・同質化の場合社会全員で同性愛排除しよう」になるし

・異質許容の場合同性愛排除したい人がすればいい」になる

 

これを最近にすると、「同性愛は許容すべき」が社会的に主流だから

・同質化の場合社会全員で同性愛を許容しよう」になるし

・異質許容の場合同性愛を許容したい人はすればいい」になる

 

主張が逆転してるんだけど、考え方の根っこはお互い変わってないんだよ

最近は「◯◯の人たちが以前と逆のこと言ってる。彼らは本当に◯◯なのか?」みたいなことを言われるが、こういうからくりなんだと思ってる

そういう風なラベリングがされたら、話がスムーズなんじゃなかろうか

ていうか、同じ結論の中でも同質化/異質許容が混ざってると思う

どうしても「同じ結論」「同じ思想」でグループは分かれちゃうからしょうがないけど、内部でお互い仲悪い印象

 

__

 

こんな分かりづらい意見聞いてもらえて嬉しいのでもう少し書かせてくれ

 

差別の話

差別なんかで

差別をする人を叩くのは差別か?(是か非か?)」

みたいな話がたまに出るんだが、あれの考え方もこの話に似てる

 

異質許容タイプってのはおそらく、世界一貫性を持った小さいルールベース理解したいタイプ

差別はいけない」を「グループを作って排除する行為」と捉えている

そのため「差別するもの差別する」という行為が頭の中で矛盾してバグる

差別もっと深掘りすれば「肌の色で差別してはいけない」「性別差別してはいけない」みたいな社会共通認識があるが

何故それが特別化理解できないので、異質許容タイプは受け入れられない

 

一方同質化側は、「差別」を特別ななにか(例外)だと脳内定義できている

なのでこちらは「差別するもの差別する」に矛盾が起きない

(ただ、「それは差別だ/差別じゃない」に揺れがあるのでボーダーライン矛盾を起こす)

 

この両者は根本から考え方が異なるため会話するとぶっ壊れる

(どちらが良いという話ではなく、会話がぶっ壊れる理由の話)

 

嫌韓とその他の事象の関連性

 

1.同質化タイプ外国人排除タイプ

2.同質化が嫌いで、異質許容を同質化したいタイプ不寛容排除タイプ=寛容同質化タイプ

3.同質化が嫌いだが、異質許容を異質許容するタイプ(関わりたくないタイプ

 

きっかはいくつかの韓国から干渉

それをもとに3タイプの人が嫌韓になったが、結局別々の道を辿っている

実は1は少なく、その後攻撃的になったのが2だと思う

 

2のタイプは他でも同じ事象が起きていると思う

最近所謂フェミニストへの反発や、何か立法制限を加えるといったときに反発するのが2だ

(これについては名前ついてそう)

 

くそういう一群を指して「あいつら」とか言われるのは、思考タイプが同じだからではないだろうか

 

別の説明の仕方

 

定義ベース思考 vs ルールベース思考

干渉タイプ vs 不干渉タイプ

と言ってもいいかもしれない、それぞれ微妙意味が違うが

 

ルール vs 定義は話が平行線になる」と言ったほうが説明やすいかもしれない

お互いにお互いが矛盾しているか悪魔に見えることだろう

 

結局議論収束させるには

 

定義ルールを一旦なしにしてゼロベースで語るべきだけど

閉じた集団ならいざしらず社会レベル世界レベルでそれをやるのはまず不可能

まり皆が飽きるまで永遠に燃え続ける話題がいくつか存在している

2018-10-02

自然権とは

https://www.asahi.com/articles/ASL9V41MQL9VUPQJ004.html

ブコメが「自然権」の件に噛み付いてる。

かに世の中には自然権というアクロバティックな概念理解してない人たちがいるから、「なんだこいつも自然権を知らないのか教えてやろう」という気持ちで書いているんだと思うが、小林よしのりがその程度なのだとは私は思わない。本当のところは知らんけど。

自然権は、しかしやはりアクロバティックな概念だ。だって人間が生まれとき既に誰か周りにはいるんだから権利もそういう人たちから与えられるものだと考えるのが普通じゃないのか。みんな最初はそう思うでしょ?

でも、「自然状態」という誰もが誰をも支配していない仮想的な世界を思い描くこと、本当はないはずのゼロ地点を見つけて、そこからゼロベースで考える手立てを手に入れることで、本来各人が持っているはずの誰にも制限されない権利ってあったはずよね〜と考えることができる。わからんけど、きっとできる。

自然権とは、だからそういう「自然状態」という無重力フィールドで「権利」を発動させたらその考え方のパッケージが裏返ったような概念であって、なんていうか、やはり、足場がないと脆い概念だ。

もちろんこうした考え方をもとにポコポコ近代国家体制理論的に後ろ盾てきたのだから、これはこれでたいへん尊い考え方だしおれは好きだからブコメの人たちの気持ちもわからないではない。

でも、そもそもその「自然状態」って正しいの?とかみなさんは思わないんだろうか。ゼロと設定したそこは本当にゼロなんですか?自然権自然状態依存するんだからゼロ地点が間違ってたらその時点で自然権とかそんな確固たる地位を持たなくなるんじゃねーの?

いや別に思わないならそれでもいいんだけど、未だにホッブズとか持ち出してきて(古典批判的に乗り換えるためには大切だけど)、教理解説するみたいに援用するのダサくないですか?というようなことを思った。

2018-07-30

anond:20180730142012

思う。

人間は、起きているあいだの十何時間×365日×数十年間を、「1+1=2」レベル情報入力に費やし続けている。

同じ時間を「1+1=2」をゼロベース証明するようなことに費やして、人間人間になれるだろうか?

2018-04-09

anond:20180409102657

割と真面目に、同じ職場なら無給~残業時間範囲対応可能だが?

子供とかを馴らした経験があるなら普通に対応可能だろ。

基本は「何もせんでええ(被害0)」をベースで考えるんやで。

ゼロベースからステップ踏んでどこまでできるかを見極めるんや。

2018-03-12

忖度

・内心を忖度しての行動(以下慣用に準じ単に忖度と呼ぶ)は人間想像力によって行われるため、しばしば思いもよらないところに着地する。

忖度があったかどうかを忖度された側が気づくのは困難である特に意図と違った場合には。

 ・だから忖度はなかった、と言えるのは実行側の人間であり、上役ではない。

忖度により変なところに着地した責任忖度された側に負わせるのは酷である

忖度によってやるべきことをしないあるいはやるべきでないことをするようなことが起きたときは、それでも忖度を優先させるインセンティブを与えてしまったのではないか、という点では忖度された側に責任なしとしない。

 ・ただし想像力がやたら肥大化したやつの暴走まで責任は取れない。

  ・とはいゼロベースで誤解を与える振る舞いはなかったか振り返るぐらいはしてほしい。

・背後に誰かが存在する、というのがハッタリであったとするのはいいとして、それがハッタリとして機能してしまったとするなら、そうさせてしまたことにはある程度の責任があるだろう。誤解を与えるような振る舞いがなかったか振り返り、もし改めるべきところがあれば改めてほしい。

2018-01-05

まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメスプラトゥーン差し替えると良く分かる。

古文漢文って、基本的には要らないよね。

昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。

努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味現代では「積極的廃止すべき」だとも思う。

ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。

元増田の「人生を左右する受験必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。

そもそも立脚点スプラトゥーンとの違い)

高等学校学習指導要領スタートにするのは同意してもらえると思う。

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

だってスプラトゥーン短期間でPDCAサイクルを学べ、さらに非言語コミュニケーションを通じて素早くチームでの立ち位置を明確にして、彼我の戦力差からどのように地形を利用するまでを、なんとゲームとして楽しく学ぶことが出来て現代社会を生き抜く必須技法が学べる、とも言えるわけであって。

オレが思うに、元増田は、「スプラトゥーン受験科目に入っている世界で、それの意義に反発している」と同じなんだよね。

スプラトゥーンに意義があるのは判る。効能も確かにあるだろう、だがそれは受験科目に必須とすべきなのか?と言う。

なぜ漢文効能を謳うだけではダメなのか

とは言え、ゼロベースで積み上げ式で受験科目を考え直そう!という提言でも無かったわけだし、判り難いとも思う。

から、何故に「漢文には○○という効能がある」というのがダメなのかを説明する必要がある。

古典Aと古典Bの効能ではないから、なんだよね。

高等学校学習指導要領における、国語の中の古典で謳われている効能で説得する必要がある。

そこを無視すると「歴史イケメン口説くのに必須」とかと同じになっちゃうんだもの

そんなん教師は知ったこっちゃないし、オマエだけだろソレ、みたいなね。

その観点学習指導要領を読むと、もうブコメ効能とか的外れも良いトコだよね。

古典Aは古典に親しむ態度さえ育てば、一部法律古文っぽいのを読めるようになれなくても問題ないし、

古典Bは人生を豊かにする態度さえ育てば、読解能力が全くつかなかろうが関係ないんだよね。

本来問題にすべき古文漢文の話は、この学習指導要領における目標の部分であって

「態度育てるだけじゃダメじゃね」とか「態度こそが重要だ」みたいにならんとイカンわけよ。

そして、「古典に親しむ態度を育てるとか人生を豊かにする態度を、現代日本人生を左右しかねない受験科目に加える意義とは?」みたいな話になって無きゃ全く話しにならんワケですよ。

その上で、元増田意見には反論できてしま

オレは要らないと思ってるからそれは後述する。

ただなあ、元増田の「古文漢文人生を左右しかねない学力試験必須か?」には、オレは反論できる。

高校学習指導要領に定まっているから。

元増田も言っちゃってるじゃん。「"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない」って。

じゃあさ、そもそも入試って何よって話ね。

大学受験における入学試験学力試験な。アレは何を計測しているの?

基本的には「高校卒業程度の学力があり、さらに追加で一定学力があり、出来の良い方から入れたい」ってことだろ。

要は「高校で学んだはずのことを、より多く吸収できてれば良い」ってことだな。

大学本来学力試験の意義から考えれば、高校でキチンと学んで基礎を身につけてきたかね?

知識人として育てる/育つに値する人物かね?って問われているわけだ。

「機会を与えられたら、余さず吸収できる人間か?」と問う学力試験において、高校で学んだはずの漢文が身について無きゃ、ほかも推して知るべし、と言われても仕方がない。

から高校学習指導要領に定めがあり、高等学校卒業程度認定試験でも問われる学力を、大学学力試験確認するのは、合理性がある。

元増田意見とは異なるが、オレは古文漢文はもう要らないと思う。

さて、高等学校学習指導要領に定まっている科目の全てが大学入試に要るわけじゃない。

保健体育、芸術、家庭とかね。チョロっと書いたけど、高等学校卒業程度認定試験ベースに軽重付けてるのが現状ってところだろう。

正直に言えば、ワリと古文漢文って入試では軽視されてるから、まあ比率としては現代では既にして小さくなってるとも言える。

古典に親しむとか人生を豊かにとか、いわゆる武家公家伝統から来た明治文化人みたいな教養を求めるのは、ちっと早いんじゃないかな、と。

帝国大学国家ノ須要ニ応スル学術技芸教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」の頃から残滓に見える、とも言える。

高い学識と深い教養を持った官僚学者を生み出すために、高等教育を施す場所という意義は、既に失われてはいいか、と。

から高等学校卒業程度認定試験から外すべきだと、オレは思う。

高等学校卒業認定試験学習指導要領に定めのある全科目を試験していない以上、試験している科目は学力として重視していると考えるのが自然だ。

大学入学資格検定の時にはあった家庭科廃止されたのも、趣旨としては同じだろうし)

高校では親しみ、それは高校で学ぶ学力とは別だ、と明確にすべきだろう。

まとめ

元増田の主張は、「古典(古文漢文)を受験科目に加えるな」だった。

それは大学側への要請だ。

増田への反論は、『大学として「高校で学んだ学力試験する」のであれば、国語から古典を除くのは不合理だ』になる。

オレの主張は、「古典学力の一部と看做すのは現代ではそぐわないので、まずは高等学校卒業程度認定試験から外すべき」だ。

学習指導要領古典目標をみても(保健体育や芸術目標意味合いとして近いのに)学力に含めるのは、現代高等教育の意義からするとズレがあると思う。

最終的には、芸術地理歴史の科目として古典を分類し直すのが、筋論としては適切なように思う。

論語を読むのは芸術だろう。漢文(訓読)を使ってきた長い歴史理解するなら地理歴史だろう)

法律文を読み下すため」とか「読解能力を上げるため」とか言うなら、まずは学習指導要領改定するところからだろうと。

そうじゃない実務的な面でだ!現実を見ろ!というのであれば、

入試程度の古典知識でその判定してるってマジで主張するつもりなの?とは思うなあ。

漢文問題法律文を読む適性を試験してますって真顔で言われたらその大学はお取り潰しで良いのではないでしょうか。

もちろん、古典に親しみ、人生を豊かにする態度すら持てないもの高等教育を受ける資格はない、という反論はありうる。

現代日本におけるトップクラスの実務家たる弁護士が、現代語の基礎たる古典程度追加で勉強して試験突破できないのであれば、その学力には疑問符がつくので日本しか通用しない教養であっても歴史的な意義から残すべきである、という主張もありうる。(科挙末期みたいになりそうだけど)

ただなあ、「漢文には○○っていう効能があるよ無知乙」みたいな主張は「スプラトゥーンには○○という効能があるので受験科目にすべき」ってのと同じだと思うよ?

anond:20180104132743

2017-12-07

何をリスクとして考えるかって難しい

 いろいろ思うところがあって長い事勤めた会社から転職しようか検討している中で、話を聞きに行った所が全然悪くなくて参った

 今の職場人間関係給料はそこそこなんだけど、方針運営や将来性みたいなのは期待出来なくて仕事マンネリ面白くない感じで、このまま行ったらだんだん規模縮小しながら給料下って労働時間長くなるのかなーって思ってる。業績を打開するような案もないしね

 話聞いたところは規模拡大してる最中だけど上手く行くのかね、ってとこはあるけど仕事面白そうなんだよなあ。人も良さそうだし

 人間は既に持っているもの価値を高く見積ってしまう、という話は知ってるんだけど、ゼロベースで考えるのは結構難しくて、どうしてもいま手元の物を大事に感じて「転職決断するのか!?」と思うと尻込みしちゃうんだよなあ

 日々の生活もあるし。家族もあるし。あんま無茶出来ないよね

 と考えて自分の中では環境を変えることを無茶と感じているようなんだけど、実際どっちが無茶なのかなんてどんなに考えても何年かしないとわかんないよね

 明らかにヤバイのはわかるだろうけどさ

 そういう中でどっちに賭けて生きていくのかっていう決断って、みんなどうやってしてるんだろうなあ

 実際は現状維持を選ぶのも消極的決断には違いないんだけど

2017-10-21

枝野への礼賛具合が怖い

ネットサポーターと見られる記事が続々と上がり、それをネットサポーターによる大量ブクマホッテントリ

立憲民主党枝野さんの演説を聞いてきたので全文を書き起こす (1062)

https://anond.hatelabo.jp/20171014230038

立憲民主党の高揚感。 (660)

https://anond.hatelabo.jp/20171004210419


批判されるべき言動でもブコメは褒め称える

枝野氏、ニコ生党首握手を一時拒否 「戦う相手に…」:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASKB77DP0KB7ULFA004.html

枝野幸男氏「辺野古基地ゼロベースで」オスプレイ安全性必要性検証 | 沖縄タイムスプラス ニュース | 沖縄タイムスプラス

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/152516


挙げ句の果てにはどうでもいいニュースさえ褒めポイント

立憲民主党ロゴに注目集まる デザイナーが一晩で作成、「民」の字が大きいのにも意味

http://blogos.com/article/249908/


どこかで見た光景だなと思い出したら韓国でした

コラム批判なき文在寅ブーム朝鮮日報

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/09/15/2017091501860.html


ちなみに韓国ではムン・ジェイン政権鳩山政権に似ていると書かれている

コラム米国現在韓国理解できるだろうか(朝鮮日報

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/06/19/2017061901281.html



鳩山ムン・ジェイン枝野逆輸入されてしまうのかな

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308051243

これまでの経緯をガン無視してゼロベースで考えるなら、

・ 現状を認識させる

・ そうなるに至った経緯、理由説明させる

・ 今後どうするつもりか、どうしたいか説明させる

・ どっちにせよ治らないから別れる

の手順を踏めば良いと思う。

2016-11-20

大多数のプログラマは…

IT業界に努めてもうそろそろ二桁年。

そこそこの企業特にWeb系で渡り歩いた経験から真実を書こう。

一般的プログラマと呼ばれる人たちは

はっきり言う、ほとんどのプログラマ自称する人間の 9 割はコーダーである

言われたものを作る事はできるが、それ以外何も出来ないと言って過言ではなく、何もしない。

そんな驚きの生体をここに晒していく。

一般的コーダー自称プログラマ)は、アプリケーションの基盤が作れない

標準化と呼ばれるプロセスで、プログラマ環境設計、組み合わせ、開発プラットフォームセットアップ、開発環境の構築手順作成、開発手順の作成必要技術考察を行う。

なぜそうなったのかは知らないが、一般的にそうなっている。

その環境に浸っているせいか、彼らはゼロベースものを作ることが出来ない。

彼らにできるのは HelloWorldコマンドプロンプトで表示するプログラム程度の事しか出来ない。

複数ソースの連結、ライブラリの読み込み、サーバへのデプロイ、どれも手動で出来ないのだ。

一般的コーダー自称プログラマ)は、保守性を考えない

彼らは自分に任されたものを動かせればタスクが終了する。

逆にそれ以外のこと、コードの読みやすさや、クローン率の低減、メソッドコメント記載などの保守に関わることをしない。

それは彼らにとって「必要ない無駄作業」としか考えないのだ。

早く仕上げるためなら、似たような動いてる箇所から、よく読みもせずにコピペを行う。

そして彼らは、作るより運用する期間の方が遥かに長くて、その間に修正地獄を見るという簡単論理に気づかない。

…何度味わっても気づかない。

一般的コーダー自称プログラマ)は、勉強しない。

一般的プログラマコーダー)は勉強をしない。

たとえするとしても、業務時間中に業務で使ってる技術ピンポイント学習するだけだ。

勉強会は確かに多い。「.dits」何かがいい例だ。

だが、プログラマと呼ばれる人間の母数に比べれば微々たるものだ。

彼らは言う「土日にまで仕事してられるか」「勉強会行ってるの?馬鹿か?」

あえて言おう、馬鹿は彼らだ。

一般的コーダー自称プログラマ)は、自分の使う道具がわからない

Web仕事をするならIDE統合開発環境エディタコンパイルテストデバッグ実行などを画面から行えるツール)はほとんど必須エディタで済ませる事も出来なくはない)が、彼らは状況に応じたセットアップができない。

たとえば「Mavenプロジェクト管理ツール)、checkstyleコーディング規約チェック)、editorconfig(改行、インデント文字コード設定)」が入っていたとする。

するとEclipseなどを使うとして

  1. どのプラグインを入れればいいか調べられない
  2. どうやってプロジェクトを取り込めばいいかからない
  3. プラグインを入れても設定方法がわからない(IDEデフォルト設定と、プロジェクト内の設定の違いを認識できない)
  4. IDE の設定画面がわからない

マニュアルチュートリアルを用意しないと、道具の使用もままならない。

一般的コーダー自称プログラマ)は、テストコードで書かない

テストをなるべく機械やらせようということの利点が理解できない。

コンパイルして動かして確かめればいいと本気で考えている。

そのために、何十回もコンパイルデプロイアクセスログインの手順を何度も繰り返す。

関連する他の修正を行うたびに繰り返す…。

そしてやっと動くとひと仕事終えたと満足感に浸る。

一般的コーダー自称プログラマ)は、プライドが無いか、変なプライドを持っている

ラリー・ウォールというとある有名な人物Perl開発者にしてC言語ハッカー)がいる。

彼の言う三大美徳に「傲慢」がある。

これは、自分の作るもの完璧なのだ、だから完璧であるように出来る限りのことをするという美徳である

一般的コーダー自称プログラマ)は、このプライドはない。

彼らは金のために嫌々動くだけのものを作るのだ、動きさえすれば報酬は変わらない、よって当然完璧かどうかなどどうでもいい。

同じ金でより良いものを作るのではない、要件だけ満たせばよいのだ。

変なプライドを持つコーダーは、それで運良く成功すると、自分知識は正しい、自分技術は十分なのだと考えている。

こういう人間は、プライドの無いコーダーよりたちが悪く、うまくいかないと他人環境のせいにする。

そして調べず周囲を苛立たせるのだ。

おわりに

土日に自ら勉強会に行くプログラマや、それこそ 50 人以下などという会社であればこうした事はあまりない(んじゃないかと思う。)彼らは自分でなんでもやらないといけないからだ。

だが、大企業に飼われる子飼い企業派遣(そもそも人手のみを求められる企業)、100人以上の企業では、役割分担に伴いこうした状況が多々発生する。

だが役10年、エンジニアを見てきた結果は変わらない。現実問題こうなのだ、こんな人間が大多数なのだ

人の多い企業ほど考えたほうがいい、それでより良いものが生まれるのかと。

必要とされる技術だけを叩き込んで金にしたいと言うのは分からなくないが、基本姿勢思想はどうなんだと。

経営者マネージャーよ、あなた方の言う「最適化」とは現場が日々考え行っている最適化か?人員最適化だけを行って、生産性が伸び悩んでいないか

そのあたりは考えた方がいい。

2016-11-03

プライドはどうしたら殺せるか

最近やっと気づいた。 自分プライドが高い。


しかも厄介なプライドの持ち方をしているようで、表面的にプライドの高さが伺えるような立ち振舞はしてなくて、心のなかでそっと「いや、そんなこと俺は受け入れない」みたいな意見の殺し方をする。


自分簡単な生い立ちを話すと、今は20代前半で、3年間勤めたブラック企業を辞めて新しい環境に就かせてもらっている。

前職の3年は待遇的にも環境的にも悪く、精神がすり減る一方だった。

一番つらかったのは、職場目標とする人や、指導を乞える人が1人もいなかったことだ。

厳密に言えば、入社して1年位は敬える先輩が多くいたが、色々ありどんどん先に辞めてしまった。

そこから、社内に悩みや技術的な相談を気兼ねなく出来る人がいなくなってしまったため、1人でなんでも進めがちになってしまっていた。


一番の失敗は、それでもかろうじでいた唯一の先輩に「この人は大した実力がない」と思い込み相談しても大した答えは返ってこないと勝手に考えてしまっていたことだ。


1人で殻に閉じこもって物事を進めると視野が狭くなり、大幅な成長が望めないことは明白だった。

振り返ってみれば、この3年間は悔しくも全く成長できた実感がない。後悔の3年間だった。


今の新しい環境では、周りに相談やす雰囲気がや仕組みがあり、敬いたくなる上司も出来た。

しかし、人に聞く、尋ねる、相談する、教えてもらう、などと言ったことが上手く出来な自分がいた。

自分はこれを「照れるから」「恥ずかしいから」と思っていた。


しかし、上司といろいろ会話をする内にだんだん自分が「プライドが高いから」であることに気がついた。


おそらくだけど、過去の3年間、曲がりなりにも努力した『つもり』でいるのだ。

ぬるま湯につかってしまっていただけなのに、多少なりとも成長した『つもり』でいた。

現実は、自分ができると思っていたことは新しい環境では全く通じなかった。


初めてではあったが転職をした身であるが故に、あくまでも外面は「中途採用なのだという自覚があり、

周りから新卒以上のことは普通にこなせるだろうと期待をされているはずだ、そう思っている。

しかし、当の中身は新卒と同等かなまじ中途半端な分、新卒よりも素直じゃない。


このプライドは、全くの無駄であることに気づいた。

持っているだけ無駄なのだ


こんなプライド、早く捨ててしまいたい。

過去の3年間など忘れ、新卒と同じようにゼロベースから新しいこと、これまで知った風でいたことを一から吸収していきたい。


こんなプライドなど、早く殺してしまいたい。

2016-07-16

はてなーの大半は池沼である

鳥越氏「築地移転白紙撤回はできないがゼロベースで考えたい」←前半と後半で言ってる事が違うと話題

 

という記事へのブコメを見た。

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1889246.html

このブコメを見ると、はてなーの大半は池沼であるとわかる。意味理解できていないからだ。

 

はてなーの大半は、こう思っているわけだ。

   白紙撤回する = ゼロベースで考える

これで、前者はできないが後者はやる、と解して、「矛盾だ」と騒いでいるわけだ。

しかし、この両者は矛盾ではない。

 

たとえば、東京五輪について、この両者を当てはめると、こうなる。 

  ・ 白紙撤回する = 東京五輪の開催をやめる。開催権を返上する。

  ・ ゼロベースで考える = プランについて、まったく新たなプランゼロから考える。

 

前者は、現実の開催について述べている。

後者は、プランについての考え方について述べている。

 

要するに、ゼロベースで考えるというのは、考えだけがゼロベースになる(何も前提しないでゼロから考え直す)のであって、開催そのものを「ゼロベースにする」という意味ではない。

この両者を混同しているという意味で、大半のはてなーは、池沼である痴呆老人より、もっとひどいね

 

 

p.s.

ゼロベースにする」なら、 行動が白紙撤回だ。

ゼロベースで考える」なら、思考白紙撤回だ。

そのどちらであるかは、カタカナ語問題ではなくて、「する/考える」という日本語問題だ。

はてなーの大部分は、「する」と「考える」との違いを理解できない。幼稚園児以下。

からこそ、池沼と言える。 

 

2015-10-05

小牧市図書館の整備(ツタヤ図書館)に関する経緯

色々と多すぎるんですが、分かる範囲で。

尚、ソースは全て市のホームページから。(市HP及び市議会記録)

例えば http://www.city.komaki.aichi.jp/shogaigakushu/library/010859.html

あとは http://komaki.gijiroku.com/voices/g08v_search.asp

最近話題は多すぎるんで省略した。誰か補足して欲しい。

平成18年

小牧市図書館意向調査(「図書館に関するアンケート調査報告書」)

平成20年3月

「新小牧市図書館建設基本構想」を策定

平成21年3月

「新小牧市図書館基本計画」を策定

平成21年4月

平成23年2月



平成25年

平成25年4月武雄市図書館改装オープン(現状の形式

平成26年~


平成27年2月

2015-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20150930070800

条件を厳しくするのは当然だからな。

クズデザインしたゴミを応募されても困る。

マイホーム発注するのに日曜大工してる近所のおっさんまで含めてゼロベースで考えますなんて奴はいない。

おまえの会社だって何かを発注するときには「ちゃんとしたプロの人に」というのが暗黙の大前提だろう。

名前も知らない奴の持ち込みなんて門前払いするのが当然。

ちゃんとした社会人はそれが分かっているから、多少の問題はあれど批判するようなことではないと考えている。

「在野の素人デザイナーからも案を募るべき」とか言い出す奴らには呆れるよ。

2015-09-01

何かと騒がせてる佐野問題

氏と同業、同種の仕事(といっても、箸にも棒にもかからない業界底辺の腐れディレクター)の

自分から見ると、的外れ批判も多いと感じる所はあります

なので自分は、同業の人間から見た、意識的な所と言うか、そういう所でちょっと意見を書きたいと。

まず最初に言っておくと、

1)結果として似てしまったもの

2)盗用してしまったもの

  →2−1)意図的に盗用

  →2−2)認識を持たずに盗用

3)業界の体質的もの

という感じで、問題になってる事を分類出来るのかと思うんだけど。。。オリンピックロゴは、1)かなって思っています

もっとも、最近になって出て来た初期デザインがあまりにもアレで、ちょっとゆらいできましたが(笑)

最近出て来た、ロゴの使用イメージに描かれていた街の様子の画像パクリ。あれは3)かな・・・

あれは、この業界、あの手の提案する際にイメージを作る為に企画書内では日常茶飯事的にやっている。

正直世に出るものではなくクローズドダミーイメージとしてつくったのだからあれは見逃してやって欲しい(汗

で、氏の場合過去デザインしたものを見ると、2−2の意識の無い盗用、というのがちょっと多い気がする。

まりにも安易に、モチーフとなったデザインを流用し過ぎてるかなと。

もちろんデザインする時にはゼロベースのものっていうのは存在しないと思う。

多かれ少なかれベースとなるもの体験があってのデザインなので。

「ああ、格好いいデザインだ、自分もこんなテイストのもの作りたいな!」

ってのは自分日常茶飯事的に持ってる訳で。問題はそのやり方と言うか程度と言うか。

氏について言えば、(氏なのか氏のスタッフなのか)

「おまえそれでクリエイティブ名のって恥ずかしくないの?」みたいな。

それはちょっと思う所はあります


実はこの手の問題は、業界大手あたりでは10年ぐらい前から深刻な問題になっていて

社内的に勉強会や、外注先のデザイン事務所を呼んでの勉強会とか、

コンプライアンスに関わる所なのでかなりナーバスになってます

氏の場合業界自体が好き勝手にやってた最も意識が低かった時にバリバリやって、

問題視される頃に会社を辞めて「花形クリエーター」として独立してるもんだから、余計にその意識が低いんでしょうか。

そんな人の下に、ネット検索して出てくるものはタダ、みたな考えが蔓延してる

今時の若手の「デザイナー」(あえてかぎかっこしてますよ)が付いてれば、そりゃ安易にみんな流用するよねって。

なんとなく流しちゃう様なところが社内的に出来ちゃうんでしょうね。

なんというか、一時期の広告代理店の有名クリエーターの皆さん。

個人的には佐藤雅彦さんや大貫卓也さんとか、ああい人達が輝いてた頃と違って

今時の代理店出身クリエイティブの皆さん、自身セルフブランディングばかりに長けていて、

名前でデザンしてるという感じが結構ありますよね。本当にそれクリエイティブなの?って思う人が多いですよね。

本来もっと職人世界であるべきものなのに、そのプロセス含めてセルフブランディング材料にして。

コンビニコーヒーメーカーとか。何の為のデザインかっていう本文を忘れたいい見本でしょう。

失礼ながら最近はその「胡散臭さ」を感じてる人がやはり多くいて、それが今回の一件で一気に批判や叩きに

加速をかけてるのかなぁと、そう思うところも少しあります

私的には、作品的や実績的には比べるべくもない「クソ」な底辺クリエイティブですが、残念なのは、氏と氏のスタッフ

ちょっと見え隠れする意識の低さと言うか、そういうとろが非常に気になったりもする訳です。


ただ、氏の作品や、出来上がったもの、それに対する批判は色々あるでしょうし、それは個人の感じ方ではありますが。

ちょっと全否定な所まで加速してるのがちょっと怖いなぁと言う気がします。


一つだけちょっと擁護しますと、あの事務所。私ら世代人間にとっては、原稿用紙やヤレ紙が

あふれかえった仕事場、クライアントから借りた原稿無くした、ポジがないとか言っていた汚い事務所経験してると

アレぐらいスマートなのがあこがれなんですよ(笑)

2015-08-31

例えばググる前に頭を働かしてみた方が良いんじゃないか。

文学って何なんだろうって。

ふと思ったんですよ。

そして、頭の中はすぐに、

文学とは」で検索しようという指令が走って、

ブラウザを開こうとします。

今、そこで立ち止まってここに書いています

何か疑問が浮かんだ時、

昨今ダイレクトググれカス指令が出て、

誰かに聞くよりはもとより、

自身で一度考えるより先にググる習慣が身についています

一定量の知識を仕入れたいときに、

このフローは非常に便利で有効です。

パワフルです。

しかし、

問いに対する、なぜを解決する力はつきません。

世の中で濾された何某かの成果物自身思考の要素として得ることができたとしても、

自身オリジナルの何かを想像する力は尽きません。

得られることは知識と時間の短縮です。

たとい、知識に触れた後、

改めて「文学とは」を振り返って思考をしたとしても、

そこには何か垢に触れた後の思考が待っているだけで、

オリジナル創造とは異なる発想となってしまます

何よりずるいです。

無論人は思考をする場合

何某かの前提知識を必要します。

からググった後に該当の思考をすることも、

ググる前に思考することも、

大きな違いはないではないか、と。

そういう議論もありえます

しかし、思考過程として、

何か疑問に思ったものについて、

誰かからの答えを提示されてから思考と、

答えの無い中(あるいは答えが無いと感じている中)での思考は、

明らかにその本質が異なると思うのです。

基礎科学研究するか、

加工貿易しこしこするかの違いくらいある。

ググるが習慣化されて日々生きることと、

ググらずに問題ゼロベースで常に向き合って生きること。

ここにはきっと大きな差があるし、

生き様人格にまで、きっと大きな影響がある。

それはすなわち社会性にまで繋がると。


文学とは何でしょうか。

いい機会だから

ちょっとググらずに考えてみたい。

2015-07-18

割と予言あたった

新しい案ではなく、ゼロベース見直しだったけど、毎日新聞切込隊長が事後的に私と同じように安保法案との関連を言っているので、まあ当たったということにしよう。

安倍晋三首相が17日、総工費膨張で世論の猛反発を浴びた新国立競技場建設計画の「ゼロベースでの見直し」に踏み切った。秘密保持を徹底し、入念に選んだ「決断」のタイミングは、世論調査内閣支持率を押し下げている安全保障関連法案衆院通過翌日。不支持が支持を上回り、採決強行さらなる支持率低下も見込まれる中、反転を狙い局面打開を図ったようだ。

(毎日新聞 7/17

http://mainichi.jp/shimen/news/20150718ddm003050023000c.html

安倍政権がついに新国立競技場の計画見直しを発表しました。安保法案問題バーターにしているあたり、時期を待っていた節はあります

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150717-00047605/

http://anond.hatelabo.jp/20150712173159

2015-05-22

から学ぶ

から学ぶといえば聞こえは良いが、あまり意味が無いと感じることがある。

同じ業界でそれなりに長く働いていれば、仕事にも慣れてきてまあ無難にこなせるようになる。

まり明示的に言われるわけではないが、人と組んで仕事をする場合にはタスク遂行するだけではなく、チームになった人にノウハウを渡すことを期待されていると感じることがある。

それ自体嫌なわけではないが、おれは教育に関する何らかのメソッドを体系立てて学んだわけではないので、具体的な手法ややり口を渡すことは出来ても、本当に重要な"何か"を渡せていないと感じる。

だが、上やチームの人たちは具体的な手法ややり口が伝われば、それでよいと考えて満足しているようだ。

おれの感覚としては本当に重要な要素を渡せていないという気持ち悪さが付きまとう。


具体的な手法ややり口というのは、基本的におれに最適化されており、他人にはそのまま適用は出来ない。

他人がそれらを再利用しようとした場合、その人が「この抽象度なら自分の状況にあてはめて再利用できる」と思うところまで抽象化していく必要がある。ところが、その過程で多くの人が誤った抽象化/再利用を行っているように見える。「そこまで抽象化したらゼロベースと変わんないよね」とか「そこは抽象度を上げないと適切に当てはまらないのにムリクリあてはめてる」といった状況が目について、非常に気持ちが悪い。

そもそも抽象化できない程に荒い粒度しか物事をとらえられていない人もいるが、それは論外として。


じゃあ、適切な抽象度で伝えれば良いじゃなーい。って話だが、残念なことにおれにそんな能力は無い。

その人が今後遭遇するであろう状況を予想して最も適切な抽象度で伝える。コアな要素は何かを伝える。それをどのように当てはめるか、どのように再利用するかを、その人が受け入れやすい例を挙げて伝える。

そんなことが出来るならおれは本を書いて一発当ててると思う。


まり、何が言いたいかというと、身近な人に何か期待する前に、デマルコ/リスターを読んで。ということ。

2015-05-19

下市長の実績

自身市長報酬4割カット 退職金は8割カット市議会維新が提出した議員歳費3割カット条例案を自民公明民主共産の反対で否決)

職員給与を平均7%カット幹部は15%)

高額だった市営バス運転手の給与を2割引き下げ

人件費を15%、年間360億円削減

事業をゼロベースで見直す‘市政改革プラン’により歳出を380億円削減(当初プラン見込み額のうち96%達成)

天下りポストだった外郭団体を府と統合民営化を含め70団体から団体へ最大9割削減予定(7割削減済み)

競争性の無い随意契約を金額で87%、件数で96%削減。

2013年改選だったポスト公募の無い天下りを29団体37人から10団体11人へ7割削減

前市長領収書不要交付金へと不透明化し、4億円以上ばら撒いていた地域振興活動への補助金を透明化し、全て100%だった補助率を上限75%に引き下げ。

記者会見記者クラブだけでなく、ネットメディアフリージャーナリストにも開放

子育て教育関連予算前市長時代の67億円から336億円へ大幅アップ

塾代バウチャー制で組織への補助金から個人の選択権を重視した教育支援へ     市長現金パチンコに使っちゃう人がいるかICカードでw」

区長公募し、窓口サービス評価を星の数にして公表

局長公募

交通局長の民間登用

市バス事業が31年ぶりに黒字に

重点的医療扶助生活保護医療適正化)、不正受給取締り就労支援生活保護費が22年ぶりに減少(政令市で唯一)

朝鮮総連関連施設について前市長実施していた税の優遇措置を廃止

就学前までだった医療費助成を15歳以下まで拡充

妊婦健康診査無料化

重度心身障害児の情報を一元管理する全国初の医療コーディネート事業 (重症心身障害者らが通う施設を視察した際、家族からの「医療機関への受け入れが円滑になるよう支援してほしい」との要望を受けて)

公立病院運営する病院局を独立行政法人化(非公務員化)

大阪市教育委員会委員公募

大阪市立小・中学高校校長公募

通常月1,2回の教育委員会会議を月3,4回開催

府市統合本部設置

中学校給食を導入し、低所得世帯には半額を助成

小・中学校教室エアコンを設置し、夏休みを短縮

点数化により保育所入所基準明確化と入所選考過程の透明化

倍以上の差があった市立と私立幼稚園の保育料を同額にして、助成あくま所得に応じて行う

保育所入所枠3340人増(前市長の1.5倍ペース)、一方で自民党木下市議は市政に介入して保育所定員を減らすように指示。

訪問型病児保育モデル事業(7800円/日、一人親世帯2400円、生活保護世帯市民税非課税世帯600円)

結婚の経歴が無くても一人親世帯には寡婦控除と同じ保育料控除を適用

こども難病医療費助成の新設

校務支援学校教育ICT活用事業開始 現在モデル校に、15年度から全生徒にタブレット端末配布(モデル校では教員1人あたり年間130時間以上の効率効果が見られた)

学校選択制導入

教育振興基本計画により、程度に応じていじめ加害者への対応更生施設活用も含めて明確化

市営地下鉄売店の運営天下り団体からファミリーマートポプラ

汚くて臭かった市営地下鉄トイレを美しく改装

市営地下鉄の薄暗いだけだった通路が駅ナカ商業施設ekimo(エキモ)」に

市営地下鉄ニュートラムの終発時間を延長

芸術文化分野での補助金配分の審査を行う「大阪アーツカウンシル」設置

音楽団補助金無しの自立化

ふるさと納税制度を利用して、市に納税する代わりに文楽など文化への寄付が可能に (単に補助金を待つだけの文化団体ではなくなる)

体罰が横行していた桜宮高校先進的なスポーツ教育を取り入れた改革プランを実行、さら総合スポーツクラブ設立を中心としたS-プロジェクトを推進

特別予算を組み、街頭犯罪多発地域における重点パトロール実施

行人にとって大迷惑だった繁華街キタミナミでの客引き行為を禁止

建て替える予定だった市立住吉市民病院民間に売却し、府立急性期・総合医センター統合

御堂筋の高さ規制を緩和で次々と新ビル誕生(それに伴い企業地下街の整備も)

なみはや大橋咲洲トンネル城北大橋無料化

鶴浜に関西発出店の東京インテリア家具を誘致(年間賃料1.5億円)

住民行政に頼らず自らの負担で自ら街づくりを行える日本初のBID制度

市営地下鉄全線で携帯電話使用可能に

大阪市情報化基本指針により、市営地下鉄公衆無線LANWiMAXを設置

市営地下鉄の運賃を史上初めて値下げ

大阪小学校曾根崎幼稚園跡地、売却予定額68億円を145億円で売却し周辺地域活性化目的にした52階建ての物販・飲食、文化交流施設、900世帯タワーマンションなどの複合施設

大阪城西の丸庭園モトクロス世界大会アジア初開催

5カ国との競合を勝ち抜き「第3回インターナショナルジャズデイ」を誘致、開催は大阪城西の丸庭園

税金管理運営していた大阪城公園委託ゼロ民間委託し、逆に年間2億円以上の納付金と収益の一部を受け取る。

税金管理運営していた天王寺公園エントランスエリア委託ゼロ民間委託し、逆に使用料を受け取る。

ほとんど使用されずに7000万円の税金維持管理していた元大阪市公館維持管理費用を2000万円に縮小、さら民間への貸与で由緒ある美しい建物レストランウェディングパーティ庭園の常時公開などに活用された上、1億円以上の賃料収入に。

ごみ収集効率化し、森之宮・大正の2焼却場の建替え計画を停止。

企業求職者マッチングサイトジョブアタック チャレンジ!」

市有地無償レンタルするイベント特別優遇エリアイベント得区(とっく)』

女性社員活躍社員の子育てを積極的支援している企業女性活躍リーディングカンパニー認証マークを発行

やらかしたこともたくさんありますが、これだけのことをやっています

2015-03-03

道徳》は教えられない。《技術》なら伝わるけど

昨夜、賢者タイム中に「道徳教科化」のニュースを見た。

なんでも道徳が科目として扱われ、成績として評価されるようになるらしい。

  

TBSニュース23「変わりゆく日本」というコーナーで、試験的に行われた道徳授業の様子が放映された。

以下のシチュエーションについて生徒たちの意見を募り、先生議論する。

「図工の時間男の子が、となりの女の子に「赤い絵の具を忘れたから貸して」と言っている」

女の子は(貸してって頼まれるの、今日で3回目だ……)と思っている」

あなた女の子立場なら絵の具を貸しますか、貸しませんか」

  

貸すか貸さないかは評価対象にならない。

しろ相手のことを思いやることができるか、より多面的見方ができるかどうかで判断する。

たとえば「もう2回も貸しているのに、今回貸したらきっと次も忘れちゃう。それはあなたのためにならないから、貸さない」というのは、相手のことを考えているので三段階評価のAが与えられる。

逆に自分のことしか考えていないような回答ならC評価

これを見て私は「何かちがうな」と感じた。

まず「あなたのためにならないから」というのは(もちろん回答例にすぎないのだが)、どうにも押し付けがましい。まるでおかん言い草ではないか。友達どうしでそんな断り方、どんな年代でも普通はしない。

また、絵の具はもちろん一人一人の所有物なのだから、気分任せで「3回目だからもうイヤ」と断って、何が悪いのだろう。これでC評価じゃ、世の中のたいていの大人は道徳的に落第ってことになる。

  

この違和感の正体をつかむために思考実験を試みた。「もしも私に娘がいたとして、高校生になったとき、どんな対応ができるようになってもらいたいか?」

これをゼロベースで、すなわち「道徳からは一旦切り離して、考えてみる。正直に。

  

1.ひと呼吸置く

とにもかくにも、何でもOKする人間にはなってほしくない。頼まれれば、人はついイエスと言いたくなる。でも衝動に流されてほしくはない。なぜなら(もう三回目なのに)という気持ちがたしかにあることを無視してほしくはないからだ。この気持ちは本音として是非とも伝える必要がある。そのためには「いいよ」と簡単に言ってしまわないこと。

2.相手の話を聴く

  

こちらとしては(3回目なのに)という気持ちを伝えてほしいのだが、その下準備として、相手の話を聴く必要がある。理由は、対話技術として、としか言いようがない。「言いたいことがあるときは、まず聴く。そのほうがうまく行くことが多い」ということは多くの人が経験的に知っていることだと思います

ただしこのとき、「貸して」と言われて「どうして?」と答えてほしくはない。なぜなら「どうして貸さなきゃならないの?」という文は反語として解釈されかねない。つまり「貸す理由なんてないでしょう」という意味に。私としては娘に男の子との対話をうながしてもらいたい。「どうして?」という言い方だと、むしろ対話を拒絶するニュアンスに近づいてしまう。

から、やはり対話技術として、相手の言うことをオウム返しにするのがいい。この場合、「貸して」に対して「忘れちゃったの?」と言っておくのがスマートだと思う。こうすれば、発言自体に新しい意味はないけれど、「私はこの件についてあなた対話する準備ができていますよ」という態度を伝えることができる。

それにもしかすると、こちらが想像していなかった理由が潜んでいるのかもしれない。たとえば「きのう買いに行ったんだけど文房具屋が臨時休業だった」とか。聞かないことには、そういう事情も分からない。

  

3.自分の気持ちを伝える

「忘れちゃったの?」に対して「いやー買おうと思ってたんだけどさ」とか返事があったとしよう。

この二言三言を挟むだけで「えー、もう三回目でしょ」と言いやすくなる。「三回目だから貸したくないよ」とずばり言い切らないまでも、その気持ちは伝えられる。

  

4.成り行きに任せる

相手の話をうながし、自分の主張を伝えたなら、貸すか貸さないかはそれこそどっちでもいい。気分任せで構わない。まぁこ場合、頼まれれば貸してあげていいと思う。たかが絵の具なんだから

「いやー悪い。頼むよ。次は絶対用意するから」「しようがないなあ。今回だけだよ」みたいな会話は自然だと思う。お互いに不満も残らない。

以上の手続きは、私にもし娘がいたらこうできるようになってもらいたいし、また私自身がかくありたいと望む姿でもある。

なぜ高校生の娘を想定したかというと、私は教員のみなさんのようなスペシャリストではないからだ。一介の素人にすぎない。だから小学生が何を考えているのか、小学生に何ができるのか分からない。でも高校生なら想像やすい。

  

そこで次にこう考えてみよう。「ひと呼吸置く」「相手の話を聴く」「自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」この四段階のすべてを小学生に教えるのは難しい。ならば、最低でもどれができれば、道徳入り口として満足できるだろうか?

まず「ひと呼吸置く」のは小学生には難しいと思う。衝動的な反応を自制するのは、ある程度大きくなってからでないとできない。

「相手の話を聴く」。これはぜひできるようになってほしい。「誰かに何かを頼まれたら、『○○して欲しいの?』といちど聞き返してごらん」と一般化して教えるのは難しくない。

自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」はできてもできなくてもいい。前提条件として「相手の話を聴く」のが先だ。

  

というわけで「あなた女の子立場だったら絵の具を貸しますか、貸しませんか」というディスカッションテーマに対する私の回答は次のようになる。

「『絵の具を貸してほしいの?』と聞き返して、反応を待つ」

  

さて、この回答。みなさんはどう思うだろうか。教員はどう評価するか? 「自分勝手ではないけど、消極的すぎるな」という判断でB評価。こんなところか。

あるいは「貸すか貸さないかで尋ねてるんだから、どっちかで答えろや」と杓子定規考える人いるかもしれない。(道徳の授業なのに……)

また、みなさんはこう思われるかもしれない。「いまお前が並べたのは《コミュニケーション術》ではないか。議題に挙がっているのは《道徳である問題がすり替わっている」と。

しかにそうだ。しか果たして本当に道徳を教えることができるのか。どうだろう。大きすぎて扱いかねる論題だ。それに対して、コミュニケーション術なら教えることができる。少なくとも《技術》として。

思いやりは理屈で教えられるようなものではないと思う。相手がどう考えるか、自分ならどう感じるか、想像したり体験したりするなかで学ぶものじゃないか。対話をうながす姿勢をまず技術として身につけることは、その経験を豊かにする入り口となる。

  

から私は、もし自分の娘が私と同じ回答をしたら、A評価を与えてあげたい。なぜなら、このようなオープン姿勢こそ、思いやりを本当の意味で育むための第一歩であると考えるから

  

仮に《道徳科目を考えるシンポジウム》みたいな場があったとして、もしもくじ引き一般人代表として選ばれたなら、私はこう意見を申し上げる。

先生方は道徳という言葉に引きずられて、やや教条主義的になってしまっているのではないでしょうか。つまり道徳とはかくあるべきものだ』という定義から始めようとしておられる。だけどそのことが不自然な会話・違和感のある評価基準に結びついているように見えます

道徳を直接に教えるのではなく、間口を広くとって考えてみてはどうでしょう。『いま道徳を実らせなくてもいい。将来の芽を植えられればよい』といったように。そうすれば自然対話評価可能な《技術》に焦点を当てられまず。一例として、私が述べたような会話モデルが考えられます

2015-02-09

悲しい物語を読んだ

高浜寛の「蝶のみちゆき」がkindle化されていたので読んだ。

素晴らしい作品だと思ったので、感じたことを書いておきたい。

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こんなにダイレクトに"悲しい"という感情をもったのは久しぶりだ。

最近マンガは良くできていて、いろいろな形で読者の心にリーチできる作家がとても多いと感じている。素晴らしい。

でも、"悲しい"という感情は久しぶりに味わった気がする。

「蝶のみちゆき」にはとにかく無駄な要素が見当たらない。

物語の中に選択的な場面や、想像可能な分岐的な要素が無く、やたら自然で固定的に話が流れていくように見える。

運命かいう話とも違う。物語における運命は外部からの予想外のバイアスであることが多いと思う。この作品にもそうした要素がなくはないが、サプライズ的に扱われてはいない。不幸な出来事過酷環境も、読者が自然に受け入れられるよう細心の注意と一体感で描かれている。作家表現手法の"美しさ"と、丸山という場所が持つ一面の"美しさ"がそれを大いに助けていると思う。

そして、あらゆる要素が物語の中にかっちり収まっていることに驚く。舞台装置登場人物無駄なく重要役割を担っている。

これが完成されているということなのかと改めて認識させられた。

多くの場合、完成された物語は長い年月をかけて多くの制作者達の努力によって積み上げられたものであり、悪く言えばありきたりだったりするものだが、「蝶のみちゆき」はそうした退屈さは見当たらない。完成された物語は見せ方で面白い作品にできる?。いや、この作品は逆ではないか?。完成された物語を見せ方で面白くしているのではなく、各種の要素をゼロベースで組み上げたら完成された物語になったのではないのか?。と思わせる力強さすら感じる(いまどきゼロベース作品ができるなんてことはありえないので、先行する多くの作品から要素を得ているんだろうけど、比喩として)。マンガ小説映画などに類似の作品があるハズなのだが、それらを霞ませている。

主人公である几帳(人の名前)は多方向に要素の線を伸ばしており、その線の先にいる(ある)要素同士が有機的に絡み合う。と書くと珍しくもない構図なのだが、その関係性が高密度かつ自然に描かれている。そして何より几帳は多くの要素を持ちつつもフリーダムな人にならずに統一されたキャラクターを強く保っている。そうした丁寧な描き方から感じるダイナミクスは、線と点のそれではなく面のダイナミクスだ。

読者は、無駄なく高密度に流れていく物語自然に飲み込まれ(怒涛の!とかじゃなくてあくま自然に)、気が付くと悲しい終着点に立ち会っている。何の議論も寄せ付けない、ゆるぎなく悲しい終着点だ。

最初に書いたように、最近マンガ表現が高度になってきており、多くの作家が読者の心にリーチする手法確立していると思う。

にもかかわらず「蝶のみちゆき」がユニークなのはダイレクトな悲しさで読者にリーチしているところではないかと思う。

ストレートな悲しさの表現型は昔の小説漫画映画にはよくあったかもしれない。ただ、最近はあまり取り上げられない表現型ではないかと思う。高浜寛はそれを現代的な感覚と、高浜寛自身の持つ細やかさと高度な表現手法によって類のない完成度でリメイクしたといえると思う。

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面白い作品なので紹介したいと思ったのですが、訳の分からないことを吐き出しただけでした。

とりあえず、高浜寛を読んでる人はこれもすぐ読んでー。知らない人は上の感想などは気にせず、検索するなどして興味あればどうぞ。

一つ前の単行本四谷区花園町」がやや空振り気味だったので、本作は一層歓迎したいところ。

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