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はてなキーワード: 昭和23年とは

2022-10-19

[]あなた宗教は何ですか?

大野幸一君 あなたの生れた、おとうさんたちは佛教ですか、キリスト教ですか。

証人浦和充子君) そうではありません。

第3回国会 参議院 法務委員会 第9号 昭和23年11月26日 | テキスト表示 | 国会会議検索システム シンプル表示 https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=100315206X00919481126&spkNum=546#s546

理事岡部常君) あなた宗教は何をお信じですか。

証人(淺川隆治郎君) 私は日蓮宗です。

第4回国会 参議院 法務委員会 閉会後第3号 昭和24年1月7日 | テキスト表示 | 国会会議検索システム シンプル表示 https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=100415206X00319490107&spkNum=327#s327

松本(善)委員 私人としてというふうに言われるので、私聞くのですが、先ほど廊下で、一緒に行った森官房副長官あなた宗教何だと言ったら、仏教だと言う。あなた宗教は何ですか。

安倍国務大臣 私も仏教です。

第84回国会 衆議院 内閣委員会 第27号 昭和53年8月16日 | テキスト表示 | 国会会議検索システム シンプル表示 https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=108404889X02719780816&spkNum=395#s395

2022-03-14

当用漢字(1948)から常用漢字(1981)へ

1946 年の内閣告示により 1948 年に制定された「当用漢字」は、

1973 年に改訂され、1981年に「常用漢字」の制定にともない廃止されました。


1973 年の改訂では、添付文書改訂趣旨について以下のように述べています

改定に当たっては,昭和23年内閣告示当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって,漢字の音訓を使用する上での目安とすることを根本方針とした。


これは、1946年~1948 年に制定された「当用漢字」には制限的な意味合いがあった

ということを公式に認めたものだ、と読むこともできます表現規制だぁーww)。


では何故、「制限的色彩」があったかというとあったかというと、

政府公式見解では穏便に:

わが國において用いられる漢字は、その数がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社会生活上、多くの不便があつた。


と言っていますが、当時の人々の本音としては、

大本営発表をはじめとする政府特に軍部から出てくる公式文書や、

戦中の御用メディア(当時の新聞)の文章大袈裟難解な漢語表現ばかりで

「なんかスゴそうだけど、よく考えたら意味不明だった」「あの表現に騙された」という感覚だったんだろう。


まり、大きな流れとしては、1946 年に戦中の反省から当用漢字」ができて、

1973 年に「そろそろ戦争反省より実用性かな」というノリになり、

中曽根康弘総理大臣になる(1982年)ような時代になって廃止されたということですね。


というようなことを週末に家族と話してたんだけど、

月曜の朝にミリタリークラスタが「鹵獲」なる言葉を使ってるのを見てモヤった次第です。


なんで「捕獲」や「接収」じゃダメなの?

英語だと「キャプチャー」という日常言葉と地続きのフツーの言葉なのに、

日本語の「鹵獲」はどの辞書を引いても戦争軍隊という文脈限定

特別言葉」なんだよねー(専門用語ともいう)。


自分は(他人もだけど)専門用語を多用したくなったら要注意だと思ってる。


専門用語を多用したがる「気持ち」はどこからやって来るんだろう?


自分が(他人でもいいけど)専門用語を多用しちゃうのってどういう時かな??

2021-10-22

anond:20211022120843

https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/about_mpd/keiyaku_horei_kohyo/horei_jorei/fuei_jorei.files/jorei.pdf

風営法の言う「病院」てのは、「患者20人以上の入院施設」のことだという議論が当時あった。

それ間違いやで

病院又は診療所 医療法昭和23年法律205 号)第1条の5第1項に

規定する病院又は同条第2項に規定する診療所患者入院させるための

施設を有するものに限る。)をいう。

診療所も含んどるやろ

2021-08-05

丁寧に説明ランキング

国会議事録( https://kokkai.ndl.go.jp/#/ )から「丁寧に説明」「丁寧な説明」を検索し結果を取得、合算

発言者発言年で集計

発言総数は、5509回

 

発言者ランキング

安倍晋三  296

岸田文雄  108

石井啓一  60

西村康稔  55

麻生太郎  52

中谷元   50

菅義偉   49

茂木敏充  42

塩崎恭久  39

岩屋毅   37

吉川貴盛  35

望月義夫  35

野田佳彦  34

世耕弘成  33

林芳正   32

梶山弘志  25

野上浩太郎 25

下村博文  25

赤羽一嘉  24

太田昭宏  24

 

発言者が取得できず不明:272

 

 

■年別推移

令和3年 350

令和2年 391

令和元年 463 (平成31年を含む)

平成30年 621

平成29年 497

平成28年 432

平成27年 569

平成26年 446

平成25年 246

平成24年 188

平成23年 185

平成22年 93

平成21年 76

平成20年 77

平成19年 64

平成18年 102

平成17年 83

平成16年 53

平成15年 39

平成14年 43

平成13年 26

平成12年 31

平成11年 43

平成10年 20

平成9年 16

平成8年 12

平成7年 9

平成6年 6

平成5年 13

平成4年 8

平成3年 14

平成2年 11

平成元年 8

昭和63年 5

昭和62年 5

昭和61年 3

昭和60年 12

昭和59年 3

昭和58年 2

昭和57年 6

昭和56年 4

昭和55年 7

昭和54年 5

昭和53年 5

昭和52年 3

昭和51年 7

昭和50年 3

昭和49年 2

昭和48年 4

昭和47年 1

昭和46年 2

昭和45年 4

昭和44年 5

昭和43年 7

昭和42年 8

昭和41年 4

昭和40年 4

昭和39年 3

昭和38年 4

昭和37年 5

昭和36年 6

昭和35年 2

昭和34年 5

昭和33年 7

昭和32年 6

昭和31年 4

昭和29年 8

昭和28年 8

昭和27年 5

昭和26年 7

昭和25年 8

昭和24年 4

昭和23年 6

anond:20210805014452

名古屋民がゴリゴリ田舎者であることがよく分かったよ。

 19時57分──。あと3分投票箱が閉まるというとき、会場に大きな変化があった。事務所前の道路に停められたステージカーに一番近い、前列ど真ん中に座る72歳の男性が、突然、「待ちきれん!」と言って、勝手に両手を挙げて叫んだのだ。

バンザ〜イ!」

 報道陣に緊張が走り、一斉に男性カメラを向ける。これは予行演習なのか? それとも本番なのか?

 その場にいた全員が微妙時間に戸惑っていると、男性さらに大きな声でこう続けた。

「でっかいキンタ◯〜!」

 まったくわけがからない。多くのカメラマンは生放送していなくてよかったと胸をなでおろしたことだろう。はっきり言って、男性がなぜこのような言葉を叫んだのか、まったく意味がわからない。

「おれは昭和23年まれ。72歳。河村さんと同い年だでよ〜」

 お元気なのは何よりだ。しかし、もっと驚いたのは周りの人たちの反応だ。男性言葉に顔をしかめるでもなく、平然とした顔でおしゃべりを続けている。

「こないだもテレビに出してもらったで。今日は知っとるテレビ記者がおらんね〜」

 誰も男性言動に動じていない。さすがは人生経験豊富支援者だ。椅子に座っている人たちの多くは高齢だが、しばらくすると、インスタライブで中継をしている若者最前列に座った。スマホのインカメラで「◯◯さん、いらっしゃーい。観てくれてありがとー」などと大きな声で生配信を続けている。空気は読まない。時には青いスタッフジャンバーを来た選挙スタッフを呼びつけて「この人が功労者なんです!」などと中継を続けている。その男性は聴衆の中に別の知り合いを見つけると、大声で「◯◯ちゃーん!」とカメラの前に呼びつけていた。その様子をみていた80代の女性が「私もスマホ持っとるけど、孫とLINEするぐらいだわ」と私に話しかけてくる。

「孫は浜松専門学校行っとるんだけど、私はうなぎは一回しか食べたことがない」

 選挙には全く関係ない。とにかくすごい空間だったことがわかってもらえるだろうか。

https://yomitai.jp/series/election/37-hatakeyama/

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-04-22

anond:20200422000135

anond:20200418204831

上の増田で、「青空文庫で満足してやめてしまうのがおまえの限界だな。玄人国会議事録検索する」って言われたばっかでしょ。

第1回国会 衆議院 本会議 第38号 昭和22年9月30日

というものは、何といいましても自由主義あるいは資本主義のいいところ、すなわち自己責任においてイニシアチーヴをとつていくという利点と、社会主義の利点でございます


第2回国会 衆議院 治安及び地方制度委員会 第12号 昭和23年3月2日

に及びましたが、この前後二十五回に及ぶ諸種の会合を通じ、われわれが、第一には自己責任の建前をとりまして、いたずらに左顧右眄することなく、取入れるべき点は正しく取

ほか多数。

2020-04-11

anond:20200411183628

日経メディカル厚労省疑義解釈通知で明言 ネットで遠隔診療、対面診察なしは医師法違反」(http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/t262/201604/546549.html)。<以下引用

厚生労働省はこのほど、東京都から疑義照会に回答する形で、対面診療を行わずに遠隔診療だけで診療を完結させる事業についての考え方を示した。3月18日厚生労働省政局医事課長名で各都道府県宛に通知した(医政医発0318第6号)。疑義照会の中で東京都は、「対面診療を行わず、遠隔診療だけで診療を完結させることを想定した事業提供しているところもある」と指摘した上で、

これが「無診察治療禁止した医師法昭和23年法律201号)第20条に違反するものと解してよろしいか」と照会。これに厚労省は「貴見のとおり」と回答した。

これにより、対面診療を一切行なわず、遠隔診療のみで完結させる診療医師法違反になることが明確に示されたことになる。このような疑義照会が行われたのは、2015年8月に発出された厚生労働省政局事務連絡が発端。この事務連絡では、情報通信機器が普及している状況を踏まえ、「診療は、医師又は歯科医師患者が直接対面して行われることが基本であるとされているが、(中略)患者側の要請に基づき、患者側の利点を十分に勘案した上で、直接の対面診療と適切に組み合わせて行われるときは、遠隔診療によっても差し支えないこととされており、直接の対面診療を行った上で、遠隔診療を行わなければならないものではない」としていた。これを受け、昨秋からインターネットを用いた遠隔診療を手掛ける事業者が増え、「中には、電子メールソーシャルネットワーキングサービス等の文字及び写真のみによって得られる情報により診察を行い、対面診療を行わずに遠隔診療だけで診療を完結させることを想定した事業提供しているところもある」(東京都の照会文書より)という状況になっていた。この文言解釈について、厚労省政局医事課は「(8月の)通知で『直接の対面診療を行った上で、遠隔診療を行わなければならないものではない』と示し、初診を必ずしも対面にしなくてもよいと譲歩した」としつつも、「『対面診療原則』を崩したわけではない。当然、遠隔診療専門の医療機関は認められない」と、日経メディカル取材に回答。「対面診療必須」の姿勢を明確にしていた。その後、「対面診療原則」については、2015年11月には「特に初診は対面診療で行うべき」という点が強調され始めた。総務大臣政務官厚生労働大臣政務官が行った共同懇談会報告書でも、「医師患者との間での遠隔診療については、患者の症状を診断するに当たって医師嗅覚や触覚が重要な要素となる場合もあることなどを考えると、初診の場面では、直接の対面診療によるべきである」と記されている。そして今回、東京都からの照会に回答する形で、初診時から対面での診療を一切行わずネット診察だけで行う診療行為は、保険診療として認められないだけでなく、無診察治療に相当する違法行為であることが改めて示された格好だ。なお厚労省3月18日の通知で、「遠隔診療を行うに当たっては、『医療情報システム安全管理に関するガイドライン 第4.2版』(平成25年10月厚生労働省公表)に基づき、個人情報管理をはじめとして、医療情報安全管理を適切に行っていただくことが重要」とも強調している。

2019-08-07

少子化対策って簡単じゃない?

結局のところ団塊時代出生率が高かったんだから、その時代制度に戻せばいいんじゃないかな。

Wiki(団塊の世代)には以下の様に書いてある。

"1948年昭和23年)までは、一部の例外強姦姦通)を除き、一般的産婦人科での避妊中絶不妊手術などの行為は、刑法堕胎罪となり禁止されていた。1948年昭和23年)に優生保護法によって限定的容認して、さらに翌年の1949年昭和24年)に同法改正されて、「経済的理由」での中絶容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり、1950年昭和25年)以降は出生率が低下していった。さら戦後結核など伝染病の予防法・治療法が確立されたことで青少年期における死亡リスクが低下し多産の必要性がなくなったことも、1950年代以降に出生率が低下した要因の一つであった。団塊の世代の母親までは、産婆による出産が主流であったが、昭和30年代には産婦人科医療による出産が主流となった[8]。"

ということは、

1, 産婦人科での避妊中絶不妊手術堕胎罪として、刑法で禁ずる。あるいはなんらかの処罰規定を設ける。

2. 産婆による出産を復活させる。より具体的には、助産師のみでの出産介助を前提とした産科診療とする。産婦人科医師への負担軽減にもつながる。

いいんじゃないの?

え?エンゼルプランとか保育サービスだって

なにそれ?無駄だし、実効性ないよね?難しく考えすぎだと思うけど。

2019-06-08

一般人の認識 陸自筋肉 海自オタクいじめ 空自パンツ

海上保安庁海上保安庁は、海上における法令の遵守、安全の確保、犯罪取締り海難救助などを行う国土交通省外局の一つである[8]。 2018年7月1日現在海上保安庁職員数は12,800人[9]、予算規模は、2019年当初予算で2177億5345万7千円[2]である予算のうち、人件費として費やされるのは、2017年予算で999億円(47%)[10][注釈 1]。

法律海上保安庁法)上、明確に軍隊ではないとされている[11]。しかし、「Japan Coast Guard[4]」の標記などから海上保安庁を諸外国沿岸警備隊コーストガード)、国境警備隊と呼ばれる準軍事組織と同様とする見解から、これらの組織有事の際には軍隊の一部として参戦することが戦時国際法では認められていることや、自衛隊法でも特別必要を認めるとき組織の全部や一部を防衛大臣の統制・指揮下に組み込めるなど、準軍事組織との比定が試みられる場合がある。なお、前述の条文(第25条)に従い海上保安庁法には戦時国際法に関する条文などは存在しない。

人員の大部分は、海上保安大学校や海上保安学校で専門教育を受け卒業した生え抜き職員であるが、長官次長、一部の管区海上保安本部長等は、国土交通省や他省庁のキャリア官僚海上保安庁職員として就くことが多い。

英称1948年昭和23年)の開庁当初より米国の主張から、その時々に「Maritime Safety Board」や「Maritime Safety Agency」を用いた歴史的な経緯がある[12]。運輸省所管時の2000年平成12年4月より、「広く国民の皆様に海上保安庁業務を分かりやす理解していただくため、海上保安庁ロゴロゴマーク及びキャッチコピーを定めた。」[4]との公表後に、権限法律の変更は全くないが、国土交通省への移管後の2001年平成13年)以降は船舶などへも、このロゴを用いたJapan Coast Guard略称: JCG :直訳すると「日本国沿岸警備隊」)に変更している。

2017年平成29年3月31日現在では、合計455隻の船艇、74機の航空機保有している[10]。また、2017年平成29年4月1日現在で5,284基の航路標識(光波標識5,175基・電波標識67基・その他の標識42基)[13]を保有している。

2018-10-26

「今の年寄り」がどこら変か分からなくなってくる

例えば40歳年寄りイメージと、20歳年寄りイメージは違うと思うんだ

今の70歳は、昭和23年1948年まれ団塊の世代の上の方だ

1995年に47歳と考えれば大分若いと思わないか

たとえば年寄りといえば機械に疎そうだが、むしろハード機器なら今の20代より明るいはず

 

あっ、なんか怖くなってきた

気づいたら自分年寄りになってそう

2018-02-26

戦争のおかげで科学技術が発展した」論について

戦争のおかげで科学技術が発展した」とかドヤ顔で言っちゃう人たちがいる。

インターネットの元であるARPANET軍事ネットワークだったんだぞ!」みたいな大嘘

未だにバラ撒いている人たちでもあるが、それは脇に置いておく。この人達の言っている事は本当か?

本当に戦争のおかげで我々はより優れた技術恩恵を受けているのか?

サルファ剤もペニシリンレーダーもその起源軍事目的とは関係のないところで始まっている。

それらを「戦争によって(後々民間でも普及するほど)広く使われた」なんて言い出したら何でもありじゃないか

最初結論じみた事を言っておくと、「戦争のおかげで科学技術が発展した」という言葉

間違ってはいないが誤謬がある。話を分かりやすくするためとりあえずターゲットを両大戦に絞ろう。

おれが言いたいことは二つだ。ひとつは「その予算別に使われたらまた違った『発展』があり得た」事だ。

戦争のおかげで科学技術が発展した」というのは、分解すれば「戦争という非常事態では、

国家によって採算性や費用対効果度外視した大量の予算人員が動員される。ために

頃日の当たらない分野が劇的な進歩を遂げたり、ある分野の研究が大きく加速したりする。

よって戦争には技術を発展させる効用がある」と言い表せよう。だが、国家がその予算を別方面

使っていたらどうだろうか。マンハッタン計画では現在価値にして約250億ドル予算が投じられた。

その金によって人類原爆原子炉放射線障害に関する幾ばくかの知見を手に入れた訳だが、

例えば同じ金額平時教育産業振興に投下されていたら、別分野で大きな進歩があったのではないだろうか。

その多くは「今までの3倍頑丈なミシン」とか「今より半分の価格ゴムタイヤ」とか「ちょっとイケてるコーヒーショップ

といった地味極まる結果として出てくるだろう。しかしそれらが相互作用し、あるいは積もりに積もって、

収穫加速の法則」的結果を生んで今より遥かに科学技術進歩した世界が表れないとは限らない。

もうひとつは「戦争による死傷者が起こすはずだったイノベーションはどうなる」って点。

太平洋戦争で軍民合わせて約310万人の人々が亡くなった。戦傷者や震災関連死ならぬ戦災関連死、

戦争で将来をズタズタにされた人を含めればもっと多くの人が未来を失っただろう。彼ら彼女らが

生み出すかも知れなかった「科学技術」とやらは、君たちカウントしてるのか? 科学技術に限らない、

まれてくることの無かった名社長・名先生・名作家・名俳優・名選手始め名哲学から漫画家まで

途方もない可能性が潰えてしまった。戦争があったからこそ生まれた名作や優れた発明があるのも事実だろう。

だがそのために十万百万単位で人が死ぬことを肯定してしまっていいのか?

ヘンリーモーズリー沢村栄治を知らないとは言わせんぞ。なるほど確かに生み出されるのは

科学技術」では無いから「戦争のおかげで科学技術が発展した」という言葉範疇ではなくノーカンだという

論法もアリだろう。じゃあ聞くが科学技術とやらはそんなに偉いのか?

ところで、太平洋戦争によって失われた国富はどのくらいだろうか。資料に寄れば

昭和10年資産一般国富総額は1,868億円(昭和23年価格12兆1,388 億円)、終戦時の残存

 資産一般国富総額は1,889億円(同12兆2,754億円)であった。つまり日本太平洋戦争で、

 昭和10年から20年まで10年間に蓄積した国富を全て失ったことになる」そうだ(出展戦争石油6)

ここまで言ってなお戦争効用を信じる人たちに聞きたい。

310万人+αの人たちの未来を潰し、10年分の国富を吹き飛ばして、それで得られる『科学技術の発展』ってなんなのか。

2018-01-31

福田昌子衆議院議員社会党)による優生保護法案の提案理由説明

第2回国会昭和23年06月24日衆議院厚生委員会

福田(昌)委員 優生保護法案の提案理由説明させていただきます

 わが國は敗戰によりまして四割強の領土を失い、その狹められたる國土に八千万からの國民が生活しておりますため、食糧の不足はやむを得ざることでありまして、しか人口は一箇年に約百二十万から自然増加を呈しておる現状でありますので、この現状に対しましては対策として食糧の増加、移民の懇請とともに、もう一つ優生見地から不良分子の生出を防止するとともに、加えまして從來母性健康までも度外して出生増加に專念しておりました態度を改め、母性保護立場からもある程度の人工妊娠中絶を認め、もつ人口自然増加を抑制する必要があるのであります

 本法案が旧來の國民優生法と異なる点を列挙いたしますれば

一、惡質疾病の遺傳防止と母性保護立場から一定範囲のものには任意に断種手術を受け得るようにしたこと

二、強度の遺傳性精神病その他の惡質遺傳者の子孫の出生を防止するため、強制断種手術を行い得る制度を設けましたこと

三、惡質疾病を有するもの妊娠し、または妊娠分娩によつて母体生命を危險に陷らしむるおそれある場合は、医師の判定によつて妊娠中絶を行い得るようにいたしましたこと

四、妊娠によつて母体健康を害しあるいは暴行脅迫によつて妊娠した場合は、地区優生保護委員会の決定によつて妊娠中絶を行い得ることにいたしましたこと

五、現在妊娠中絶手術の結果しばしば母体生命を失うものがありますために、これを救済するために医師技術並びに設備等を斟酌して指定医制度を設けましたこと

六、三種類の優生保護委員会をつくりまして、地方委員会強制断種手術の判定にあたり、中央委員会地方の判定に対し不服あるものの訴願を審査し、地区委員会人工妊娠中絶手術の適否の決定に当り得ることとしましたこと

七、各府縣に優生結婚相談所を設けて、優生保護見地から結婚相談に應じて、不良子孫の出生を防止するとともに、地方人士に対し優生知識避妊器具選択、受胎調節の方法等の理解に努めしむるように予定いたしましたこと、等であります

 以上大体七項目の改正趣旨に基いて、ここに新法案を提出した次第であります。何とぞ愼重御審議の上御採択あらんことを切望いたします。

(中略)

 第二章優生手術の章におきましては、第三條に同意を前提とした任意優生手術を規定し、第四條から第十一條にわたつて社会公共立場から強制的に行い得る優生手術を規定いたしました。現行制度では、優生手術を受けるには本人、その代理者または公益代表者から申請主務官廳の可否の決定とがなければ行い得ないことになつているのでありますが、第三條に列記したものについては、かような手続を要せず、本人と配偶者同意がありましたならば、医師任意優生手術を行い得る途を開きました。しか任意優生手術は本人が事の是非を十分に判断した上で同意するということがその本質的な要素でありますから未成年者、精神病者精神薄弱者のように自分だけで意思決定ができない者については、これを認めないことといたしまして、この制度相続権侵害のために惡用されることのないようにいたしました。第四條以下のいわゆる強制断種の制度は、社会生活をする上にはなはだしく不適應なもの、あるいは生きてゆくことが第三者から見てもまこと悲惨であると認められる者に対しましては、優生保護委員会審査決定によつて、本人の同意がなくても優生手術を行おうとするもので、これも現行制度にはないのであります。惡質の強度な遺傳因子を國民素質の上に残さないようにするためにはぜひ必要であると考えます。ただこの場合におきまして社会公共立場からはいえ、本人の意思無視するものであるから対象となる病名を法律の別表において明らかにするとともに、優生保護委員会の決定についての再審の途を開くほか、さら裁判所判決をも求め得るようにして、つとめて不当な処置が行われることのないよう注意いたしました。第四條から第十條までがその手続に関する規定であります。また強制断種の手術はもつぱら公益にために行われるものでありますから、その費用を國庫において負担することとし、その旨を第十一條に規定いたしました。

2017-05-25

[]24年組

24年組(にじゅうよねんぐみ)は、昭和24年1949年)頃の生まれで、1970年代少女漫画革新を担った日本女性漫画家の一群を指す。

「花の24年組」とも呼ばれる。

年齢や作風において彼女らの後輩に当たる女性漫画家たちは「ポスト24年組」と呼ばれている。

メンバー

24年組

青池保子昭和23年生)、萩尾望都昭和24年生)、竹宮惠子昭和25年生)、大島弓子昭和22年生)、木原敏江昭和23年生)、山岸凉子昭和22年生)、樹村みのり昭和24年生)、ささやななえこ(昭和25年生)、山田ミネコ昭和24年生)、増山法恵昭和25年生)

ポスト24年組

水樹和佳(昭和28年生)、たらさわみち、伊東愛子、坂田靖子昭和28年生)、佐藤史生昭和27年生)、花郁悠紀子昭和29年生)

https://ja.wikipedia.org/wiki/24%E5%B9%B4%E7%B5%84

2016-10-20

政令指定都市市長の経歴一覧に見る都市構造cf Chikirinの日記

ちきりん

 知事の経歴一覧に見る昭和構造

 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20161017

を見て、じゃあ政令指定都市はどうなっているんだと単純に疑問に思い調べてみた。

ソース指定都市長会のホームページ

政令指定都市市長の経歴一覧>

政令市市長生年回数経歴
網掛け=女性市長70歳以上5期以上中央官庁出身
札幌市秋元克広昭和31年1期市職員
仙台市奥山恵美子昭和26年2期市職員
さいたま市清水勇人昭和37年2期県議会議員
千葉市熊谷俊人昭和53年2期NTT、市議会議員
川崎市福田紀彦昭和47年1期県議会議員
横浜市林文子昭和21年2期日産ダイエー
相模原市加山俊夫昭和20年3期市職員
新潟市篠田昭和23年4期新聞記者
静岡市田辺信宏昭和36年2期市議会議員県議会議員
浜松市鈴木康友昭和32年3期衆議院議員
名古屋市河村たかし昭和23年2期衆議院議員
京都市門川大作昭和25年3期市職員
大阪市吉村洋文昭和50年1期弁護士市議会議員
堺市竹山修身昭和25年2期府庁職員
神戸市久元喜造昭和29年1期自治(総務)官僚
岡山市大森雅夫昭和29年1期建設国土交通官僚
広島市松井一實昭和28年2期労働(厚生労働官僚
北九州市北橋健治昭和28年3期衆議院議員
福岡市髙島宗一郎昭和49年2期キャスター
熊本市大西一史昭和42年1期商社県議会議員

こうして見ると、中央官庁出身者は20人中3人で多くはない。全員中国地方近辺というのは偶然か。

多いのは地方議員(6人)と自治体職員(5人)で合計すると過半数だ。

やはり地方行政組織選挙政治)に密着しているのは強みなのだろう。

民間企業経験者は5人(うち2人はその後、地方議員経験あり)、女性は2人と、

少数派ではあるが、都道府県知事に比べれば構成率は高い。

ちきりんの言う「改革派市長ばかりではないだろうが、都道府県知事比較してみると概ね、

 ・若い

 ・期数が短い

 ・中央官僚は少ないが、政治行政出身が多いことは変わらない。

というのは確かだ。

この結果として、非都市部と比べて、住民利益を受けているのか、不利益を受けているのか、

あるいは、中央対峙しているのか、そうではないのか、といったことは、よく考えてみると、

とても面白いのではないだろうか。それに、各都市構造も一様ではない(大阪市浜松市では中枢性が違いすぎるように)。

また、都市の中の都市である東京23区首長の経歴がどうなっているのかも、調べてみると興味深いだろう。

ぜひ誰か調べてみてほしい。

2015-12-02

[]国立大授業料値上げ試算についての分析

http://www.asahi.com/articles/ASHD15H4PHD1UTIL03D.html

文部科学省は1日、年間約54万円の国立大学授業料について、2031年度には93万円程度に上がるという試算を示した。大学収入の核となる国の運営費交付金が大幅に減らされる可能性があり、大学が減らなければ、授業料で減収分を賄う必要性があるという。

これは財務省運営費交付金を減らすというという方針を打ち出し,文科省がその際の対応として提示した試算だ.言い換えると,運営交付金というパイの大きさは決まっていて,大学が増えたかパイの割り当てが無くなった.だから授業料補填するという理論だ.この論が妥当であるのかを検証してみたい.

なお,大学国立公立私立に三分されるが,文科省の「公立大学財政

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kouritsu/detail/1284531.htm

によれば公立大学への国から支援廃止され,今は競争資金によって支援をしており,その額は2013年時点で30億円であり交付金の額に対しては無視できるほど小さいため,ここでは国立大学私立大学のみを分析対象とする.

大学の財源

まず,「国公私立大学財政の状況 - 文部科学省

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/04/22/1292935_2.pdf

を元に大学財政を整理する.

国立大学財政

主たる財源は国が出す運営交付金

経常経費は2004年時点で23,622億円,2008年時点で26,171億円と増えているが,交付金2004年時点で11,655億円,2008年時点で11,318億円と減っている

なお,交付金の経常経費に対する割合2008年時点で43.2%

私立大学の財源

私立大学の主たる財源は「学生生徒等納付金」,つまり学費であり

2008年時点では全体の76.5%,総額にして24,791億円.

このスライドグラフからは経常経費と補助金額値が読めないので

私立大学等における経常的経費と経常費補助金額の推移」

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002/001/002.htm

を参照すると,2004年時点の経費総額は2004年時点で27,439億円,2007年時点で29,426億円と増えているが,2004年時点の国からの補助費用2004年時点で3,262億円,2007年時点で3,280億円と微増している

から補助金額の経常経費に対する割合2007年時点で11.1%

大学数の推移

次に「学校基本調査 年次統計 9 大学学校数、在籍者数、教職員数(昭和23年~)」

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001015843

から大学数の推移を見てみよう.

国立大学数の推移

1999年には99校だったのが,2015年には86校にまで減っている.

比較のため,前述の期間に絞ると2004年時点で87校,2008年時点で86校とほぼ変わっていない

私立大学数の推移

1999年には457校だったのが,2015年には604校にまで増えている.

比較のため,前述の期間に絞っても2004年時点で542校,2007年時点で580校と大幅に増えている

分析

運営交付金が減額されるのであれば学費値上げで補填するということだが,経常経費に占める補助額の割合国立大学では4割強,私立大は約1割なので,当然国立大の方がダメージが大きい.負担を考えると私立大への補助額を減らし,そこから補填するのがまず先ではないだろうか

もちろん,運営交付金の額を減額する代わりに他分野から補填できる方が望ましい

そもそも少子化と言われている時代私立大学数が1.3倍にもなっていることも気になった.

おまけ・持論

「国公私立大学財政の状況」を見ればわかるが,交付金の配分は旧帝大などの大学に重点的に行われている.

詳しくは学生数を見る必要があるが,「トップ大学優遇してさらに伸ばし,牽引させる」ということなのだろう.

この傾向は「スーパーグローバル大学」に象徴されるように益々強くなっているため,

トップ大学以外への風当たり,及び在籍する学生負担はどんどん高まるだろう.

正常な民主主義は,代表者を選出する投票者がまともな判断が出来てこそ成り立つ.

L型大学G型大学のような優秀な人のみを伸ばし,後は就職しろという論理は大多数の投票者教育をないがしろにすることであり,反対である

2015-10-11

北海道増田投稿歴史

北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。

その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌創成川沿いに設置された。

当時は札幌農学校講師教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書回覧し、開拓使に勤める吏員印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的ブックマークを行ない、出身薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。

ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの政治社会に関するものがあり、それに対する道吏員コメント新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章ブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。

明治44年の後の大正天皇行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである現在雨竜町に大農場経営した蜂須賀茂韶しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道土地を所有したり工場経営する政府要人ブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。

大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事ブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦好景気経験した道民デモラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民記憶に遺されるものであった。

戦時中は統制政策のもと増田文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しか増田家やブクマ家は当局面従腹背うまいことごまかした文章ブクマを行ない、ネタ時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。

戦後民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体野幌現在地民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田さらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情資金面での苦慮により昭和29年増田執筆者公選制度頓挫北海道重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士スキャンダラスネタ増田小説えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界リードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。

2014-09-15

[]統治下の国会

さて蔬菜配給制度も、價格の面から見まして再三再四に亘り、或いは強化したり、或いはこれを緩めたりいたしまして、片山内閣になつてからも、去る六月には殆んど自由に近い程緩和し、一般消費者に喜ばれたのでありましたが、七月の中旬に至りまして、又その筋の指示と称しまして、急に嚴重なる取締になつたのであります。その結果、配給品は有難迷惑だとさえ言われるような鮮度の古い不良品ばかりが時折配給され、これが補給として闇取引の助長を來しておるのであります。而も闇で買う分量の方が配給の分量の何倍かになつておりまして、取締に対する保儉料も含めて相当高い値段でお互いびくびくしながら取引をしておるということになりましては、人心に極めて面白からん影響を及ぼしておるものとして、一刻も速やかにこれが是正を図らねばならないと存ずるのであります

参 - 本会議 - 19号

昭和22年08月04日

追加豫算もたいへん遲れまして――これも大部分において、その筋等の關係において非常に遲れたのでありましたが、まことに恐縮している次第であります。なおそれと同時に提出すべきこの税法の改正法律案が、さらに數日の遲れを見たことであります。これも實は政府といたしましても非常な努力をいたした次第でございますが、その筋との關係、その筋内部の關係におきましてなお數日遲れまして、まことに恐縮に存ずる次第であります

衆 - 財政及び金融委員会 - 39号

昭和22年11月25日

御當局の仕事もはかばかしく進んでおりましたので、私ども地方民も安心しておりましたが、殘念なるかな、今年になりましても路線が敷かれないのでありますそれから御當局につきましていろいろ調査してみましたところが、殘念ながらこれはその筋の關係によりまして、今年度において仕上るということはめんどうだということがわかつた。まことにこれは殘念のこの上もないことである

衆 - 運輸及び交通委員会 - 41号

昭和22年12月04日

國会は、この水害に復旧問題民族の興亡にも関するというような大問題であるというような立場からいたしまして、この機会において、どうしても超党派的の立場をもつて、この問題を打開しなければならぬという考えから、去る一月三十一日の衆議院本会議においては、満場一致をもつて決議案を決定したのであります。この國会を背景として折衝されましたならば、その筋といえども、決してこれをさいぎるはずはないと思います

衆 - 国土計画委員会 - 3号

昭和23年03月26日

終戰直後、たとえば私の知つている限りにおいても、満州などにおける日本の相当の大事会社がその職員のサラリーを拂うことができなくなつて、満州土着の日本人から金を借用して、それによつて職員のサラリーを支拂つておつたという事実があるのでありますたまたまそれらの人々が引揚げて参りまして、支店長の借用書を持つているのであるが、拂つてくれない。そこで私は私の子供がせわになつておつたような関係上頼まれて、その会社に交渉してやつたことがある。ところがその筋から支拂うことを禁ぜられているということを理由に、なかなか拂わなかつたのであります。私は会社の金をもつて支拂うことがその筋から禁ぜられているためにできないというのならば、どういう方法をもつてなされようと、非合法なことを要求するわけには何かないが、少くとも支店長が困つたときに、事情を訴えて金を借りた、その行為に対して、何らか報ゆるところがあつてしかるべきである

衆 - 外務委員会 - 10

昭和24年05月14日

陸上においての取締りでも、往々にして行き過ぎがしばしば見受けられるのでのあります。たとえば経済警察列車内を検査する場合に、列車を停止させて、大勢の乗客に迷惑をかけて、そうして乗客の所持品を検査しておる。これは最近においては非常に運輸交通に障害を興えるものとして、いわゆる取締りの行き過ぎだということで、禁止せよというその筋から意向も出ております

衆 - 運輸委員会 - 23

昭和24年05月19日

大蔵大臣自分の考えでやつていると言われますが、都合のいい時分には自分の考えでやつていると、いつも御答弁になる。少し都合が惡くなるというとその筋が……と、こうおいでになる。

衆 - 予算委員会 - 8号

昭和25年02月04日

只今の御説明では、やはり引上げるごとについて政府も相当お考えになつておるようでありますが、やはりその筋のほうとの交渉によつて思つたようにならんというように、最後はそういうふうに考えられますが、私どもそう見て差支えありませんか。

財源の面もございますが、財源の面と只今おつしやいましたような関係方面との両方の面からいたしまして、只今の段階では通常郵便貯金を引上げるにはちよつと困難な状態にありますが、できるだけ資金の吸収も図りまして、関係方面との面も或る程度いたしまして、将来は可能なる限りその方向に動きたいと存ずる次第でございます

参 - 郵政委員会 - 6号

昭和26年03月30日

一つお尋ねしたいのは、厚生省が本当の厚生省立場において、この省令をお出しになつたものか、或いはその筋から何らかの指示があつてお出しになつたか、こういう点をお尋ねしたいと思います

今の御質問にお答えしたいと思います。この改正は終戰直後に、厚生省としても何とかしなくてはいけないという考えがありましたところへ、たまたまその筋から早くやれと、それでなお一応の原案が示されましたので、それを一応検討いたしまして、大部日がかかりましたんですが、かようなことになりまして、なおこの改正いたしたいということにつきましても大かたの折衝はいたしておりますので、早急に直すべきところは直したい、かように考えております

参 - 農林委員会 - 37号

昭和26年05月23日

最初政府はその地方行政調査委員会議の委員の顔触れにつきましても大体選定をいたしまして、そうして内定をいたしたんでありまするが、その筋からこういうレベル人間では駄目である、これは非常に大きな規模を持つた組織でなければならん、即ちこの大戰後設けられたアメリカにおける行政改革のためのフーバー委員会前大統領であつたフーバー氏を委員長としたフーバー委員会に該当するような権威のあるものでなければならないというので、すつかり政府内定いたしておりました委員の御破算がありまして、そうして今日神戸先生のごとき第一流の方々が集まられて、そうしてこの審議をやつて頂くことになつたのであります

参 - 内閣地方行政・農林・… - 1号

昭和26年05月30日

2014-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20140426115516

昭和23年公定歩合が5.11

平均給与は月10,129円

今月収は3000%になってるが

まり労働者にとって上げることの意味合いが違うんだな

賃上げの美味しさを理解していただけただろうか

2014-01-20

NHK偏向している(!?)

あの田母神さんが噛みついたNHKニュース。そんなにひどかったの?と見直すと、違う意味で「びっくり」!

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140118-00031681

 このエントリは上の記事を読んで書いています








 突然ですが今最も読むべき漫画ってなんでしょう?

 進撃の巨人暗殺教室マギ銀の匙キングダムテラフォーマーズ、……人気漫画名前を挙げだすとキリがないですね。ちなみに僕は目黒あむ先生のハニー推しです。奈緒ちゃんが可愛いからしかし今回僕が選ぶ漫画はこれらの現在連載中の漫画の中にはありません。

 これこそが今最も読むべきだと僕が選ぶ漫画はおよそ20年前の漫画、『ラストニュース』です。

 作画担当するのは弘兼憲史先生ですが、島耕作シリーズ黄昏流星群といった氏の他の漫画に比べると知名度では大きく劣るかもしれません。深夜のニュース番組ラストニュース』の制作スタッフ達をプロデューサー日野湧介を中心に描く報道テーマにした漫画で、原作は前都知事猪瀬直樹氏です。

 20年も昔の作品ですが、作中で語られる問題意識現在でも通じるものばかりで全く古びていません。多くの人に一読することをオススメできる漫画です。

 まあ、なんで今最も読むべきなのかというと作品の質が高いからではなくて猪瀬直樹があんなことになった今読むとこんなに下卑た楽しみを得られる漫画は他にないからなんですが。一話目から扱われる問題が政治とカネの問題でブーメラン突き刺さっててメシが美味い!



 さて、そのラストニュースの中に『圧力』というエピソードがあります

 ラストニューススポンサー企業社長大手新聞社社長通産大臣らとゴルフに行っている。その席でラストニュースのことが話題に上がる。なぜお宅のような企業ラストニュースなどという偏向番組スポンサーをしているのか、と。通産大臣に言わせればテレビ局は中立でなければいけないのにラストニュースは民自党(与党)の攻撃ばかりしていてけしからんし、大手新聞社社長に言わせればああい偏向番組マスコミ不信を助長させるのだ、と。

 そして直後その企業番組偏向を理由にラストニューススポンサーを降りてしまう。当然ラストニュースプロデューサーである日野は民自党の圧力が背後にあることを察するが、なにはともあれ番組存続の危機だどうしよう。とまあそんな感じのエピソードです。

 困った日野は局の専務相談しに行くのですが、そこで放送法をきちんと読んでみるようアドバイスされます。そして放送法について調べた日野番組スタッフ達の前でその成果を披露します。その箇所が素晴らしい。

 まず日野ホワイトボード放送法一条第二項の条文を書き写します。

“放送の不偏不党真実及び自律保障することによって、放送による表現の自由を確保すること”

 それから、「ちょっと読むとわかりにくいが……こっちの言いかただとどうだ?」と条文を別の文章に書き直します。

“放送を自由な表現の場としてその不偏不党真実及び自律保障すること”

 実はこちらの文面は昭和23年国会に提出された放送法原案なのです。

 これについて、日野はこう語ります

「あたまに、「放送を自由な表現の場として」とある。そのために、「不偏不党真実及び自律保障」してもらわないと困る、ということだ。」

「つまり不偏不党」とは中立のことではなく、「権力の干渉があっても立場を歪められることがない」という意味に解していい。」


 つまり、民自党は中立でないことを理由にラストニュースを攻撃するが、その圧力こそが放送の不偏不党を脅かしている、ということです。

 僕もこの日野(=猪瀬)の解釈同意します。中立か否かは問題ではありません。権力の干渉を受けない、そのことこそが大事でしょう。

 何かを発信して、結果それが特定立場にとって都合がよく、別のある立場にとって都合の悪いものになってしまったとしても、それが己の価値観思想理論など内なるものにのみ基づいているのであればそれで構わない。そのように思います

 だいたい、偏向だなんだと騒ぐ人は自分の都合の悪いものには騒ぐけれど自分に都合のいい偏向であれば偏向とみなさない、その程度の人ばかりですからね。



 さて、ここで冒頭の記事に戻りますNHK政府広報みたいなメディアになっててびっくり! という記事でした。

 もともとNHKといえばネットではサヨク代表みたいな扱いをされることが多いメディアでした。それがウヨク代表みたいな安倍総理広報のようなメディアになっているというのだからその転向っぷりにびっくりです。

 僕自身は普段テレビを見る習慣がなく、帰省したときだけテレビを見るのですが、年末年始に見た印象だとやはり「あれ、NHKってもっと左寄りじゃなかったっけ?」という感想を持ちました。具体的にはNHK首相靖国参拝には結構厳しい目を向ける印象があったのですが、実際の報道を見ると「そもそも参拝するなよ」というスタンスは全く感じられず、「理解を得るにはどうすべきか」「中国日本包囲網を作ろうとしている」などという論調が目立ち「あれっ?」と思いましたね。

 ただ、僕の中の「NHKサヨク」というイメージネットを見るうちに作り上げられた虚像で実は昔からこんなものだったのかもしれません。実際のところどうなのかは誰か暇な人に検証してもらいたいところです。

 しかしまあここでは「NHKは変わった」という前提で話を進めます

 NHK右傾化しているとして、果たしてこれは問題なのでしょうか。

 僕の答えは、その変化が内部による自発的なものであれば問題ではない、です。マスコミ権力監視するべきである、という話がありますが、制作サイドが現在権力を支持しているのに無理に批判する必要もないでしょう。右翼的な考えを持つ人物が右翼的番組を作るのは別に構わないことです。

 しかし、もしもその変化が自発的なものではないなら。権力の干渉の結果であるなら。これは大問題と言わざるを得ません。

 日野(=猪瀬)による放送法解釈に戻ってみてください。「不偏不党」とは「権力の干渉によって立場が歪められることがない」ということ。つまり権力の干渉によって立場が歪められているのだとしたら、法が保障する放送の不偏不党が破られているということになります

 実際のところ、NHKが変わったとしてその変化は自発的なものなのかそれとも権力の干渉の結果なのか。僕はNHK人間ではないのでわかりません。

 しかし、権力の干渉を疑わざるを得ない要素はいくつかあります

 ひとつにはNHK経営委員が安倍総理に近しい人物で固められたという事実2001年安倍総理と故中川昭一氏がNHK圧力をかけたのではないかという疑惑。そして昨年7月TBSに対する取材拒否騒動。

 これらから安倍総理メディアに対して圧力をかけることをためらわない姿勢が見て取れますし、そうなるとNHKに対する干渉があるのでは? という疑惑を持つのは決して突飛な発想ではないでしょう。

 特にTBSに対する取材拒否騒動は「報道は中立であるべきだ」という理由で圧力をかけるところが上記のラストニュースエピソード酷似しており、猪瀬直樹安倍総理に「ラストニュースパクりやがって!」と訴訟を起こしていいレベルです(笑)

 まあ実際のところ圧力があるのかないのか、あるとしたらどの程度なのか、それについてはよくわかりませんが、今後NHKや他のメディアを見る際は「ひょっとしたら安倍総理から圧力かけられてるかも」「露骨な介入はないにしても安部総理に目をつけられないように萎縮してるかも」くらいの意識は持ったほうがいいかもしれませんね。

2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月5日 庵野秀明ゲスト回その1

ナレーション

 

食事をとりながら鈴木庵野雑談

 

ナレーション

 

鈴木:いやあ、きょうはね、教えてもらいたかったんです。というのはね、『バッタ君(町に行く)』の……魅力。

庵野はい。魅力……。

鈴木:僕は正直言います告白します。お話のほうがね、なんでこういうものが作られたのかなって、見てるうちに終わっちゃったか(笑)、そこに気を取られて。アニメーション的にどうのこうのの前に、なんでこんなもの作ったんだろうって。だからきょう教えて欲しかったんです。

庵野:まあアニメーションとして好きっていうことですね。

鈴木アニメーションとして優れていますか。

庵野:そうですね……やっぱりアニメーション技術としてすごいと思いますね。やっぱ当時のアメリカは、ディズニーも、MGMも、ワーナーも、やっぱりすごいなって。

鈴木:どういう技術が優れてたの。だってバッタ君』好きだと思ったんでしょ?

庵野:『バッタ君』は好きですね。

鈴木だってEVA』を作った人が『バッタ君』を好きなんでしょ。これみんな聞いてみたいよね

庵野:画で描いて、動かす……なんていうんですかね、エネルギーみたいなものですかね。日本とはもう桁が違うぐらい当時は差があったと思いますね。1940年代ですもんね。

鈴木:41年。

庵野戦前ですもんね。もしくは戦中ですよね。

鈴木太平洋戦争が始まった年。

庵野戦前、戦中、戦後はもう、やっぱり桁が違うと思いますね。

鈴木:ああ、その時代ね。

庵野:ええ。

鈴木戦争挟んで、10年ぐらい。

庵野日本東映動画ができてからはどんどん追いついていったと思いますけど。技術的な部分とかそういうのも含めて。でもあの時代はやっぱりアメリカ世界一ですよね、アニメーション技術は。その技術集大成ひとつだと思いますね。まったく。まあ話は子供向けなんだか、大人向けなんだか、ちょっと、どっちなんだろうってとこはありますけども。

鈴木:あのー、ロトスコープっていうの、アレ? 人間の部分は。

庵野はい

鈴木:あれは正直言うとびっくりしたね、改めて見て。なんかすんげえなと思って。今のみんなが、いわゆるコンピューターでやることを、ああ昔の技術ではこうやってやったんだなって。で、それがあまりにもリアリティがあって。その対照としての虫たちがああやって描かれるでしょ。だから少しそこに世界が違いすぎるから違和感があって。

庵野:ああ、それはよかったです。

鈴木人間のほうがすごく見えちゃったんですよ、僕は。だから、いきなり虫になると漫画になるじゃない。それが、もっと人間を見たかったなって(笑)。で、それを人間がやってるんだと思うとドキドキしちゃって。脚だけしか出てこないのに。でもそれが凄かったから。やっぱり機械じゃなくて人間がやったと思うとすごく見える。それと『(崖の上の)ポニョ』じゃないけれど、やっぱりすんごい描きまくってるね。動きまくってるというか。あのー、『カールじいさん(の空飛ぶ家)』。

庵野はい

鈴木:見た?

庵野:まだです。

鈴木:見てない? ちょっと――ちょっとびっくりしたんですよ。これもね、お話じゃないんですよ。隅々までエネルギーが満ちてて。だから絵筆じゃないけれど、コンピューターでやってるんだけど、ひとりひとりのスタッフの持ってる、描きたい、動かしたいというエネルギー。すごいですね。驚きました。そして、やっぱり比較しました。いろんなところと。いま勝てないと思った。で、そういうスタッフがどんどん育ってる。ちょっとすごいです、あれは。

庵野ピクサー最近食わず嫌いやめて見るようにしたんですね。

鈴木(笑)。どうかなあって思ってたんだけれど。ピートドクターっていうの、監督のね、よく知ってたんで。ちょっと見ようかなって思ったら。ちょっと全然別のそういう感想持っちゃった。お話とかそれは、まあ、ねえ、置いといて。とにかくスタッフがのびのびと、しかもやりたいだけやってる、やりまくってる。それってやっぱり作品を色々膨らませてるよね。

庵野:いや、ピクサーはすごいですね。

鈴木:うん、だから、もしかしたら『バッタ君』も、それに満ち溢れてたのかなあって思って。

庵野アニメーターが多分好きにやってるとは思いますよ。枚数制限なく。

鈴木:一切ないよね、あれ。

庵野:ええ。

鈴木だってすごい余分なところでも動いてるもんね。

庵野:ずうっと動いてますね。

鈴木:うーん、やっぱり凄いのか。

内藤映像に音声をつけるとか、カラー化でディズニーに先を越されてしまって――。

鈴木彼女担当なんだよ。あのー『バッタ君』の担当の、あのー……なんていう名前だっけ。

内藤内藤まゆです。

鈴木:ああ、内藤っていうの。フライシャー兄弟が超えようとしたんでしょ?

内藤はい。けど最終的には越されてしまったんだけど、さっき鈴木さんが仰ってたロトスコープだったり、あとは背景に奥行きを与える、模型を使ってやることで――っていう、そういうセットバックっていう方法を考えて、ひたすら、こう、追い越せーみたいな。

鈴木チャレンジ精神が厚い人だよね。俺はね、『ポパイ』はね、見てたんですよ。フライシャー兄弟でしょ、あれ。子供ときにね、幻灯機っていうのを買ってもらって(笑)。そしたら付いてきたフィルムがね、『ポパイ』だったんですよ。それでね、初めて35ミリフィルムっていうのを見て。これで回すとさ、動くわけじゃない。それで気になるわけよ、一枚一枚の画はどうなってるのかって(笑)。それが子供ときの体験。それで初めてね、幻灯機をね、色々いじるわけ。どうして動くっていうのを思って(笑)

内藤:たしか不思議ですよね。画が繋がってるだけで。それを映しても、なんでそれが動いてるように見えるのかって、すごく不思議で。

鈴木:そうなんだよ。それで子供ながらにね、色々分解したりしてるとね、わかってきたんです(笑)

内藤:えっ、幻灯機をですか。

鈴木:そうそうそうそうそうそ(笑)。って言ってもたいしたあれじゃないけどね。『ポパイ』って、僕は昭和23年で、戦争が終わって3年後に生まれた身としてはですね、漫画って言うと日本漫画もあったけど、一方で『ポパイ』だったんですよ。そのぐらい強烈な印象で。だから、まさかその人の、あれが最後の作品? 『バッタ君町へ行く』。だから、興行的に上手くいかなかったわけでしょ。だからディズニーってのは商業的に上手くいったからね。

内藤庵野さんは、あの作品の中でどのシーンが一番お好きなんですか?

庵野:牛の住んでる楽園が、人間の手でこう次々に壊されていくスペクタクルですね。あれがすごい一番。ええ、工事のシーンですね。工事の車とかシャベルとか無機質さと、この右往左往する虫の動きの、このコントラストっていうんですか。そういうのも含めて、大スペクタクルですね。手で描くのを知ってると「よくまあこんなのを……(苦笑)」とは思いますね。それだけでも、もうすごいと思いますね。

内藤鈴木さんは好きなシーンありますか。人間以外で。

鈴木:俺? 俺はねえ、あの屋上へ行ってね、こうやってアメリカは滅びて行くんだなあっていう(笑)

庵野:結局、楽園ですらも人の手で人工的に作られないと虫は生きていけないっていうことですね。

内藤:当時はもう、ああいう高いビルはいっぱいあったんですか。

鈴木アメリカはそうなのよ。エンパイアステートビルをはじめ、いわゆる高層ビルアメリカの象徴だったから。相当昔から造られてんだよね。いわゆる地震の少ない国だったから。

庵野:なぜ「町」だったんですかね、あれね。

内藤タイトルですか。

庵野:まあタイトルもそうだし、なぜ町を舞台に虫の話をしたんだろう。

鈴木:うーん……。だからまあ多分アメリカっていう国が大きな変化を遂げていった、1950年代、大繁栄を迎えるわけだから。その大繁栄のなかでアメリカ人が見失っていくもの? そこらへんのを予感したんじゃないかな。

内藤:すごい不思議だったんです。そんなに歴史詳しくないんですけど、真珠湾攻撃の直後に公開してるのに、なんでこんな平和というか、一見呑気な話が作れるのかなって。

鈴木世界大恐慌ってあったじゃない、1929年。結局アメリカの、ねえ、そういうのから始まるわけでしょ。それで結局色々やったけれど、ニューディール政策その他。アメリカ復興できなかったんですよ。ところがヨーロッパ戦場になることによって、その恩恵に預かって、それでアメリカ復興していく。結局その戦争を待つことによって景気回復したんだよね。だから、やっぱりこの映画が作られたころ、アメリカは非常に豊かだったんですね。方や日本は、っていう。貧しい国でしょ。小さな国で。やっぱり宮さん(宮崎駿)なんかもね、およそアニメーションを目指す者はこれを見なきゃ始まらないみたいなそういうコメントを寄せて。

庵野:まあ僕はそう思いますね。少なくともアニメーターは見て損はないと思いますね。

鈴木:なんか、ここのシーンだっていうところはあるの? ここがすごいって。

庵野:全編すごいですけど、やっぱり最後クライマックスの壊れていくところ。あの虫のモブを一枚一枚描いている。

鈴木:頭おかしいよね、あれ。

庵野:あれは凄いですね。

鈴木:俺、どっちが先か判らないけれど、僕は……誤解も与えますが、宮さんの一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス(太陽王子 ホルスの大冒険)』だと思うんですよ。最後モブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。

庵野:宮さんのモブは本当にすごいですよね。

鈴木:うん、それで……あれ以来見たことないんだよ(笑)

庵野:やっぱり若いというのはね。

鈴木:いやー、あれはすごいよね。

庵野:すごいです。

鈴木:こんな風に人がね、動いて、しか人間の手で描いて、こんなシーンが作れるのかって。最初に見たときラストシーンどういう人がこの画を描いたんだろう、設計をしたんだろうって。それで後で聞いてね、やっぱり宮さんだってことがわかって。うーん、「すごかったんだなあ」なんていうと怒られちゃうけれど(笑)

庵野:いやあ、アニメ-ターとしては超一流ですよ。『(空飛ぶ)ゆうれい船』とかも好きですけどね、宮さんの仕事だと。

鈴木:やっぱり過不足なく描いてたものね。

庵野東映で、ここはすごいっていうところは大体宮崎駿原画のだったりしまからね。

鈴木:ああ、なるほど。……宮崎駿のことはいつ知ったの?

庵野:「アニメージュ」だと思いますけどね。

鈴木:じゃあ大学生とき

庵野大学……いや、高校のときですね。意識したのは『(未来少年コナン』ですね。その前も好きでは見てたんですけど、なんだろう、ちゃんと見るようになったのはやっぱり『コナンからですね。

鈴木リアルタイムで見たの?

庵野リアルタイムですね。妹とチャンネル権の争いで、なんとか。

鈴木:えっ、裏になんかあったの?

庵野:裏は『(女王陛下の)プティアンジェ』っていうアニメが。

鈴木:『プティアンジェ』ってのがあったの(笑)

庵野NHKからっていうのでなんとか親を説得して。

鈴木:「NHKから(笑)

庵野1話を見たら、親が続きを見たくなってくれてですね。そのあとは毎週ちゃんと見れるようになった。それまでは『プティアンジェ』でしたからね。

鈴木:そうなんだ(笑)

庵野:『プティアンジェ』、オープニングだけ見ればいいんだって

鈴木:そうなんだ。……それ以来ずっと注目してるの?

庵野:そうですね、あとは『カリ城ルパン三世 カリオストロの城)』ですね。

鈴木1978年、79年か。

庵野:あれは劇場に見に行きましたね。

鈴木:満足しまたか

庵野:2回見ましたね。僕のほうは田舎だったので同時上映があって、そのあいだはロビーに出て。

鈴木:『カリオストロ』はねえ、たしかにねえ。僕が初めて(宮崎駿に)出会ったころです。

庵野:いいですよね。

鈴木:よく働いてた……。

庵野:あれが(制作期間)半年ってのはやっぱりすごいと思います

鈴木:作画4ヵ月だもんね。

庵野:ええ、あのスピードはすごいですね。

鈴木会社から言われたのは3ヵ月で、それで1ヵ月余分にもらって。

庵野:あとでなんかあって「もう1ヵ月あれば」って言ってました。

鈴木だってコンテ描き直したもんね、あのローマ水道のとこ。

庵野:あそこは僕にもなんか悔しいって言ってましたね。

鈴木:でも宮さんって、そういうときに描き直す人なんだよね。

庵野:まあ現実的でいいですよね。できる範囲のものに落とし込むっていう。

鈴木:だから……見てて、よく宮さんがね、「理想を失わない現実主義者」って。これ宮さんも言うし、実は元は高畑(勲)さんかなっていう気もするんだけど。ふたりともそうなんだけど、その理想現実の――なんて言ったらいいかな。微妙ふたり違うんだよね(笑)微妙に違うんだよ。

庵野高畑さんはそんなに詳しくないんで……。

鈴木:よく知ってるくせに(笑)

庵野:でも、こわい人だとは思いますけどね。

鈴木:でもよく覚えてるんだけど――『ホルス』だとね、村があるんだけど、一人狡猾なおじさんがいるじゃない。その人がいることによって村が成立している。(『風の谷のナウシカ』の)風の谷の方はね、300人くらいいて、ああいう悪い人がひとりもいない。

庵野:ええ、みんないい人なんですよね。

鈴木:一種、理想主義に貫かれてるでしょ? それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。

庵野:変えないですよね。

鈴木:変えない。それで遅れたときもね、「それは僕には責任ない」と。「それはプロデュースサイドがコンテができたときに把握してるべきだ」って貫くんだよね。映画のなかは非常に現実主義なのに、映画のなかは。やり方は理想主義というか(笑)

庵野:まったくです。

鈴木:でもふたりのそういう差って、なんですかこれは。

庵野:なんですかねえ。

鈴木:で、宮さんなんかは非常に面白いって思ったのは、結局、『ホルス』作ったあと、それこそ『コナン』もそうだけど、『ナウシカ』もそうだけど、『ホルス』をひきずるでしょ?

庵野はい

鈴木高畑さんは違うんだよね。全然違うものを作り始めるんです。

庵野:まあ宮さんのほうが根っこがいい人なんじゃないですか。

鈴木高畑さんに聞いてみたことがあるんですよ。なんでファンタジーやらないのか、って。そうしたらやっぱり『ホルス』で創造できるもの創造し尽くした、と。でも、唯一その世界に持ち込めなかったのが『思想』である、と言ったんだよね。そうするとファンタジーっていうのはそれが出来る人がやらなきゃ意味がない、それが自分の総括だ、って。僕が聞いて、高畑さんいまになると違うって言うかもしれないけど、すごい印象に残って。だから宮さんが『ホルス』をひきずって。なんかっていうと『ホルス』みたいなのに戻るでしょ、宮さん。

庵野:ええ、基本はそこですよね。ずっと『ホルス』のリメイクをしてるようなね、感じがしますよね。

鈴木宮崎……オタクとしてはどう思いますか? なんつって。オタクじゃないか(笑)

庵野別に宮さんオタクじゃないですよ。

鈴木(笑)。でも面白いよね、そういう宮さんも『バッタ君』のアニメーションの部分って非常に着目してるし。

庵野:やっぱり宮さんは基本アニメーターからだと思いますね。僕もアニメーター上がりなので。

鈴木:やっぱそこなんだね。

庵野:今でもやっぱり原画とか動画とかやっちゃいますよ。

鈴木:ああ、自分で。

庵野:ええ。間に合わないときは。

鈴木:宮さんがいま、原画やってるんですよ、自分で。やり始めたんです。本編やってるでしょ、それでその横で美術館用の短編やってるんだけど、「スタッフがいない」って。最初1分でやるって言ってたのが10分になるからいけないんだけど。老骨に鞭打って。でも結構楽しそうに。でももう69なんだよ。アニメーターっていつまで描けるんですか?

庵野:目と手が動けば大丈夫じゃないですか。

鈴木:手が動けば大丈夫? 本人もう動かないって言ってんだけど(笑)

庵野:やっぱり、目と手ですよね。

鈴木:目は大丈夫なの?

庵野老眼きました。

鈴木:ああ老眼が。もう50になったんだっけ?

庵野:まだです。いよいよ。50代なんて来るとは思いませんでした。

鈴木:宮さん喜んでるよ。「庵野っていくつになったの」って言うから「もう50だと思いますよ」っつったらすごい嬉しそうに。

庵野(笑)

鈴木:「そうか!」つって。「歳取れっ」って。「俺の苦しみがわかる」とかなんか言っちゃって(笑)

庵野:僕が50になったら宮さん70じゃないですか。

鈴木:でもみんな……歳を取ってきたんですね……。

内藤:その宮崎さんが「アニメーターをやる奴は見ておくべき」っていうインタビューをしたときに仰ってた言葉を(『バッタ君』の)宣伝の柱にしてたんですけど、やっぱりアニメーターを目指す方って一部じゃないですか。

庵野:すごく少ないと思います

内藤:もちろん、その人達にはできれば来て欲しいとは思ってるんですけど、やっぱりそれ以外の人に、どう魅力というか、アニメーターは目指していないけどちょっと気になるとか、そういう人に来てもらえるのかなっていうのを考えていて。どうしたら人の心に響くようにできるんですかね。

鈴木:あの作品を?

庵野:僕が『バッタ君』を宣伝するんだったら、ビデオで宮さん撮って、それをテレビで流しますね。ワイドショー枠的なものとかで。それぐらいだと思います。だからバッタ君』を流すよりは宮さん流しますね。それでこっちにちっちゃく枠でそれを流して、なんか宮崎駿お墨付き、これ、っていう。そういう風に。

内藤:そこだけ切り取って。

庵野調子のいいとこだけ切り取って、もう編集して。もう、ほぼ捏造でもいいから、そういう風にして流しますね。それで、あとで宮さんには謝ります。ごめんなさいって。

内藤鈴木(笑)

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035509

2011-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20110114161525

日本国憲法代36条

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC36%E6%9D%A1

死刑(特に現行の絞首刑)については、それが残虐刑に当たるものかどうか意見が分かれているが1948年最高裁判所判例では死刑は残虐刑にあたらないとされている。

(中略)

関連訴訟判例 [編集]

* 死刑はまさに究極の刑罰であり、また冷厳ではあるが、刑罰としての死刑そのものが直ちに同条における、いわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない 。ただ、死刑といえども他の刑罰の場合におけるのと同様に、その執行の方法などがその時代と環境とにおいて、人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、もちろん残虐な刑罰といわねばならぬから、将来、もし死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの如き残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそまさに憲法36条に違反するものというべきである(最高裁法廷判決昭和23年3月12日)[5]。

一応死刑そのものは残虐でなく、火あぶりとかすると残虐になると書いてある。だってさ。俺もそう習った。あくまで残虐な死刑がいけないのであって、死刑は残虐な刑罰とみなさないというのが判例だ。

死刑微妙な論点を含むかも知れないけど、両手を切断するとか残虐な刑罰に関しては、普通は議論の余地はないと思うけど。

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