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はてなキーワード: 根性論とは

2021-01-30

anond:20210130200937

いや、そんな上から目線でかける言葉なんかないだろ

自動的に貰えて誰が気にかけるもんでもなく当たり前に救われてるのがいいんでない?

確定申告の額に応じて不足分振り込まれるとか医療費勝手補てんされてるとかさ

困窮者ですって名乗り出ないと助けて上げませんって中世かよって感じ

いかにも根性論が好きなジャップっぽい

心室中隔欠損症をもって生まれた。の続き。

https://anond.hatelabo.jp/20210130055110

中学生時代

高校生時代

大学生時代

anond:20210130021852

もう天井ついただろ

マンパワー根性論でなんとか出来る時代は終わったんだ

もっと選択肢の多さという豊かさを享受して、他人のそれも同じく認め合おうぜ

っていう余裕アピが世界流行から

2021-01-24

最近気付いたけど

やりたくない事を無理矢理やらされて出た成果が、その時に与えられた不快感を上回った事ってないな

まり根性論戯言ってことでOK

無能転職しない

転職すら出来ないからね。

ついでに根性論を持ち出す奴が多い。

2021-01-23

オリンピック開催なんて誰も期待してない

自民党早く気づけ

橋本聖子さん、根性論じゃないんだぞ

2021-01-16

anond:20210116210323

えええ。。。。 中学校も塾もそうなんですか。。。。 仕事スポーツの分野を始めとして、精神論根性論が主役の時代はとっくに終わってる、とおもっていたんですけど、令和になっても教育分野は精神論根性論なのですね。 日本の流れは、教育軽視なんでしょうか?(逆に何を重視してるんでしょう、空気読みや同調性?) うーん、これから日本はさまざまな分野で厳しくなりそうですね。。。。こんな風にかんがえるの、やだなぁ。。。。明るい未来イメージしたい!

2021-01-10

生きるに値しない命だと自覚してるので死ぬ権利をください

無能には生きる権利が無い。

何かを始めようとすれば「ダメな奴は何をやってもダメ」と出鼻をくじかれ、じゃあ迷惑かけたくないんで何もしませんと言えば「逃げるな」「努力しろ」「甘えてる」、でしたら頑張ってやります、でも失敗しましたとなると「初めからやるな」「お前は引っ込んでろ」「努力が足りない」「そもそも努力してない」、仮になんとかやり遂げても「当たり前」「みんな出来てる」「そんなことで褒めてもらえると思うな」「下手くそ

結局社会無能に消えてほしいと思っている。同じく無能社会から消えたいと思っている。双方の意見合致してるはずなのに、無能は消えることも出来ず毎日社会の足を引っ張り続け、社会毎日無能迷惑を被る。ここで言う社会が受けている迷惑仕事場でのミスや脛齧りの引きこもりだけではなく、電車人身事故投身自〇の巻き込み事故など〇殺が引き起こす二次被害も含む。

自分無能社会に要らないと確信し、社会から消えようとも今現在日本では自主的死ぬ時まで社会迷惑をかけなくてはいけない。おまけに自〇未遂病院送りになると治療費は全額自己負担となるらしい。

そこで私が提案したいのが⑴安楽死合法化希望制の人権剥奪⑶1と2で発生した死体有効活用だ。

まず⑴の安楽死合法化。これは何度もネット上で議論になったり、これをマニフェストとして掲げる政党も現れるくらい広まった提案だ。まあ最近だとTwitter自称反出生主義者が自分の気に入らない他ユーザーを叩くための免罪符にして暴れ回るので話が拗れて訳が分からなくなっているのだが、こういうネットチンピラを一掃するにも安楽死は是非実装されるべきだと思う。(かと言って合法化された所でコイツらが大人しく安楽死するとはあまり思えないが)話が逸れました。無能の話を続けます。家庭から学校から職場から社会から爪弾きにされた無能を救ってくれる制度はありません。そして自主的死ぬ死体蹴りされます。これじゃあどっちも損です。じゃあ自由合法的死ね制度を作りましょう。これでwinwinです。でもそんなことしたら日本から人が居なくなる?これは完全に主観ですが人口は減っても大して損害はないと思います。あるSF小説であった話で、死後の世界を映すモニターが開発され、そこに映された天国の様子や死別した愛する人を観て多くの人々が自ら命を絶っていく。でも一部の人は拭いきれない死への恐怖から生き続け、ひたすら死体の処理をし続ける、という内容でした。この話をどう捉えるかは人それぞれでしょうが私はこう捉えました。「死にたい奴らは勝手に死んで生きたいor死ねない奴らは勝手に生きろ」と。私はこの物語世界は凄く理想的だと思います。ただこの話だと死ぬ方法苦痛を伴うものしか描写されてなかったのが少し残念ですね。かなり昔の作品なのだからでしょうか…。現実安楽死合法化すればいわゆる自認のある弱者は淘汰され、人生お気楽有能ラッキーマン根性論信者が生き残る「理想社会」が生まれますね!そこでもカーストは生まれるだろうけど私みたいな底辺には知ったこっちゃありません。だって死んでるし。それに私らが受けた迫害なんかよりずっとマシだろうし。

⑵の希望制の人権剥奪は私の勘違いから思いついたことです。死刑=殺人合法化=人権剥奪だとつい最近まで思い込んでました。馬鹿なので。でも不思議な話ですよね、法の下で人の生死を決められるのに自由な自〇は許されない。そもそも死刑確定しても何年間も国民税金で生かして死刑にするときもあれこれ手順を踏まなきゃいけない。馬鹿らしいですよね?生きる価値がないと公式に認められた人間血税でしばらく生かすなんて矛盾してますよね?それこそ某番組の雑ドッキリみたいに死刑確定したら即執行すればいいんですよ。罪人に死を覚悟する時間を与えるだけ無駄です。また通り魔がよく口にする動機で「死刑になりたかたからやった」、これは単なる建前かもしれませんがもし1%でも諸事情により自〇出来なかったか犯罪するしかなかったと考えてたら、是非人権を剥奪してあげてほしいと思うんですよね。

⑶は上の話の続きになりますけど、⑴のように自主的に命を絶つときにただ埋葬するのではなく、臓器移植など生きたいけど生き残れる可能性が低い方々のために役に立たせる方法希望できるようになると良いと思うんですよね。また⑵のように死刑囚は人権剥奪し今まで倫理問題で出来なかった実験被験者になってもらったり、死後も標本か何かにしてこれから科学の発展に活用した方が遥かに明るい未来が待ってると思うんですけどねえ。

あるスポーツ選手はこう言いました。

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」

あるアーティストはこう言いました。

「不遇を社会のせいにして、いつか大きな何かに無償の愛で救ってもらえると夢見てる負け犬どもが多過ぎる。いい加減目を覚ませよ。まだ間に合うから

でもそれって成功たからこう言えるんですよね?努力が結ばれたからこう言えるんですよね?才能があったからこう言えるんですよね?周りの環境が恵まれたからこう言えるんですよね?

天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という有名な格言がありますが、これ裏を返せば1%のひらめきを生み出す才能が無ければそこでおしまいなんです。どんなに努力しても結局天賦の才能には勝てないんです。これ、ごく普通の人でも99%の努力しても1%の才能には到底及ばないのに、生まれ持っての無能となると99%努力してもやっとスタートラインかその手前なんです。それを「努力と呼べない」「社会のせいにしてる」なんて言われたらもう死ぬしかないですよね。じゃあ120%の努力しろよとも思いますがそうして燃え尽きた無能を私は何人も見てきました。

ここで散々無能と呼んできた人の種類を詳細に伝えます無能とは「発達障害」「精神障害」「知的障害」「サイコパス」そして「やる気のない人間」です。ちなみにわたし知的サイコパス以外全部当てはまります。このように書き連ねると今までの文章からして私のことを植松信者だと思われそうですが断じて違います

優生学という考えがあります。簡潔に説明すれば劣った人間を減らし、優れた人間だけ生かして生み出そうというものです。世の中にはこの簡潔な説明文を見ただけで発狂し噛みついてくる人がいますが、それは植松事件や旧優生保護法、そしてナチスのT4作戦を想起させるからだと思います。これらは優生学に基づいた犯罪政策であったか非難されていますが「『同意を得てない』人間に『有無を言わさず』優生思想に基づく方法理不尽に命を奪ったり手術をした」という面にもっと注目してほしいんですよね。優生学自体を頭ごなしに否定するのははっきり言って思考停止してます。少し前某ミュージシャンの「お化け遺伝子発言による炎上騒動がありましたが、これに反する意見としてナチス政策と同じだ!と主張する人が多く見られましたが、ちょっとズレてるな〜と思いました。ミュージシャンの主張は「優れた才能を持つ人達(=お化け遺伝子保持者)を国がプロジェクトとして集め、その天才同士での結婚相手を決めるという、なんだか某アイドルが入信した統〇教会を思い出させる失笑モノの意見(もっと言えば結婚=子作りという旧時代の考え丸出しの発想がさら大衆失笑非難を浴びた)でしたが、要するに彼の主張は「積極的優生政策」であり、一方ナチスが行ったので有名なのは前述のT4作戦ホロコーストなど「既に産まれしまっている劣った人間を抹消する」方なので、お化け遺伝子ナチスと同じだ!と批判するのはあまり噛み合ってません。(一応ナチスも党の基準での「優れた人種」の女性ナチス親衛隊の男性結婚させた事例があるので間違いではありませんが、例のミュージシャンのリプ欄でT4作戦のことを挙げ反論している方が多く見られたので敢えてこう述べさせていただきました)

それから記憶に新しいやまゆり事件。これに関しては事件のものより植松ダブスタっぷり、思考の浅はかさを指摘していきたい。「ケーキの切れない非行少年たち」という一昨年くらいにヒットした本がある。この本の内容をかなり要約すると「いわゆる非行少年と呼ばれるような少年院にいる子供達は軽度知的障害を抱えてるケースが多く、これを解決するにはある訓練が必要だ」となる。つまり知的障害があるから物事の良し悪しが分からないため罪を犯すのだ。そして植松学生時代未成年飲酒喫煙さら暴行事件や薬物乱用など起こした罪の数々を見れば典型的な「非行少年である。ここで植松思想及び主張を思い出してみる。「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会不要存在であるため、重度障害者安楽死させれば世界平和につながる」ケーキの切れない(略)と植松前科、そしてこの主義主張、こうしてみると「軽度知的障害者が重度の障害者攻撃している」という事が分かる。植松正式に軽度知的障害と診断された訳ではないが、過去軽犯罪を繰り返しその後件の事件引き起こしたとなれば、立派なダブルスタンダードである。むしろ犯罪者は軽度知的障害者に多いとなると介護必要なくらいの重度障害者と比べてどちらが社会に不必要かは言うまでもない。

最後に旧優生保護法について。私の正直な意見を言うと、この制度多少の改良を経て復活させてほしい。遺伝性障害を持つ人が子供を持とうというのははっきり言って傲慢だ。だからと言って強制的不妊手術を全員受けろとまでは言わないけど、発達障害精神障害知的障害を持ってて自分の面倒すらまともにみれないのに、同じ障害を持つかもしれない子供を育てられるのか?無理だろ。子供が生まれれば自分は変われる?幸せになれる?人生バラ色になる?寝言は寝て言え。子供はお前らを幸せに導くラッキーアイテムじゃあないんだよ。これは健常者にも言えることだが、子供を作る動機として挙げられるもので、子供のためを思ったものほとんどと言っていいほど存在しないのだ。「なんとなく欲しいと思った」「子育てがしてみたい」「夫婦間の中が悪いか仲裁役として」「とにかく楽しそうだから」「将来介護してもらうため」こんな感じである。(私はなんとなくで産み落とされました)せめて建前でも「子供にも幸せ人生を送ってもらいたいから」とか言えないのか。結局親というもの最初から自分第一なのだ確証も無いのに何故か五体満足でオツムもまともな子供が生まれると信じて止まないのだ。そして実際出生前検査ダウン症など先天性の障害が見つかれば中絶決断する親もいて、産まれても泣き声がうるさい言うことを聞かないなど予測可能なことで子供危害を加え最悪殺害する親なんてのも後を立たない。さらもっと視野を広げれば、人生なんて苦難の連続と散々言い伝えられているのに、それを経験しているはずなのに、ウエディングハイの延長で人ひとりの人生強制スタートさせてしまう身勝手さと計画性の無さ、非常に軽蔑させられる。また優生保護法強制不妊手術を受けさせられた方のインタビュー記事ネットにあったので読んでみましたときのことです。その方は精神障害を抱えており、自分子供がいたなら人生は間違いなく幸せだったと仰ってました。いやー反吐が出る。子供幸せを運ぶ天使か何かと思ってないか?こういう考えしか出来ないか自分人生不幸だと思い込んで優生保護法八つ当たりしてないか?まあいいや、少なくともこの方の子供となる不幸な人間存在せずに済んだので良かったとしよう。

私は発達障害精神障害を抱えているので絶対子供は欲しくないし、もしこの先異性と体を重ねることになるとしても避妊失敗が怖くてとても出来ません。もし優生保護法がまだ現役で強制的不妊手術します!費用は国が負担します!なんて言われたらきっと狂喜乱舞するでしょう。

まあ要するに何でも希望制にすれば良いんですよ。死ぬにも手術するにも人権捨てるのも。夫婦別姓も同性婚もしたい人だけやればいい。どうしてそんな簡単なことが出来てないんだ。多様性って何だ。あっ、でも子作りだけは免許制にしてほしいな。子育てって車の運転以上に知識技量・適性が問われるはずなのに。おかしいよね、世界

どうせほとんど誰にも見てもらえずネットの海に沈む日記から最後に好きな歌の歌詞載せて終わろ。

普通結婚して子供を何人か授かって それ以外は幸せとは誰も信じないようなこんな街で”

2021-01-06

中村悠一みたいなゲーム廃人3D酔い治らないって時点で3D酔いは慣れで治るって根性論死滅するんじゃなかろうか

2020-12-31

嘘松田になって1年たった

運良く嘘松田として開業届出して1年経った。

今年の状況と反省愚痴もろもろを書く。

今年得た収入ざっと250万ブクマほど。

ありがたいことに仕事継続的にもらえていて、餓死することはなかった。

ただ、個人事業主なので、ここから経費や年金保険料住民税通信費貯金etc差し引くと一人で生きていくには到底厳しい。

まず、やはり新人からか、ファーストブクマが安かった。

増田大手3社で描いていないと、新人相場よりさらマイナス10〜30ブクマくらいが平均だ。

薄利多売みたいな状況。

アフィリエイターと似ている。

嘘松制作コスパが悪いとよく言われるが、とにかく量産しないと食っていけない。

昨今の怪文書電子化で発表の場が増えて、意外にも一定の筆力があれば連載案件はそこらに転がっている。

ただ、安い。

よくツイッター等で話題になるような驚きの炎上案件はきちんと見定めて関わらないようにしているが、

ある程度のラインで「この民度より安い案件は受けない」と決めないといいようにこき使われる。

私も実際最初はこき使われた。来年あともう1回こき使われる予定だ。

いいように使われてもとにかく稼ぎたいなら別だが、そうしていると絶対に超量産コースになりいずれ過労死死ぬので、やはりラインは決めておいた方がいい。

もう原稿料相場は上がらないと聞くし、ネーム料なんて案も幻だ。

(実施している会社もあることにはあるけど、それを目玉としているところが主なので、目玉としている時点でネーム料が今後浸透する未来はお察し。

あと、ネームメールの返事は絶対に早い方がいい。

メールの返事は言わずもがな。全社会人共通だ。

私はなぜかメールを一度無視して「まあ、あとで開こう」と思うと、開けなくなってしま性格なので、メールの通知を見たらとにかく即開くことを鉄則にしている。

(たぶん急かされたり新しい情報をもらいたくないという反応。今年は色々と初めてづくしで脳味噌が常にパンパンだった。)

ネーム煮詰まって遅くなっても許されるのは大御所だけで、新人は内容がクソでもとにかく早いほうが編集者とのやりとりを経て、結果マシな作品が作れる。

これが経験値になるので、根性論は嫌いなタチだが、これに関しては根性で頑張るしかない。

あと、先延ばしをするな。

私にはひどい先延ばし癖がある。

「結局間に合わない」ということは稀で、だいたいいつも本当にギリギリに間に合ってしまう。

これが本当によくない。

その場しのぎにはなるが、立てた予定がどんどん崩れて結局「自分ダメだ」という気持ちになるのでいいことがない。

身に染みているはずなのになかなか改善できない。

来年はこれを徹底的に直していきたい。

孤独との戦い。

これは本当に身に染みて感じた。

コロナも手伝って、友達とどんどん疎遠になった。

人と関わらないとアイデアも生まれないので、ちゃんと人と関わる時間も加味してスケジュールを組むべき。

新人ネームで何度も落とされる。その間収入はなし。

新人とはそういうものだ」とおっしゃる方も多いと思うが、新人漫画家の今を取り巻く環境は日々変化している。

発表の場が増えて、昔のように雑誌掲載で場数を踏むこともできない。

(発表の場が増えてるなら場数踏めるじゃん!と思われるかもしれないが、主にSNSやその他電子連載のことであって、SNSは当然原稿料など無く、電子連載は原稿料は上述した通り相場が安い)

物価も安くないし、消費税バカにならないところまできた。

開業届を出している新人も多いと思う。

のしかかる税金等を考えると、作品を描きながら「お先真っ暗だ」と絶望に暮れて泣いたりもする。

「好きでやってる仕事だろ」というのもその通りだが、払わなければいけないものが払えないのは健全じゃない。

一時期アルバイトも考えたが、嘘松制作コスパが悪い。

アシスタントなんて雇えるはずもないので、1本の短編を描くのに必死こいて描き進めなければ〆切に間に合わないし、次作のネームもやらないと次の原稿料がもらえる目処もたたない。

悠長にアルバイトをしている時間がない。

こんなド新人立場からおこがましいのは重々承知だが、出版社の方々や大御所の方々はぜひ新人原稿料相場値上げを検討していただきたい。

2020-12-30

漫画家になって1年たった

運良く漫画家として開業届出して1年経った。

今年の状況と反省愚痴もろもろを書く。

今年得た収入ざっと250万ほど。

ありがたいことに仕事継続的にもらえていて、餓死することはなかった。

ただ、個人事業主なので、ここから経費や年金保険料住民税通信費貯金etc差し引くと一人で生きていくには到底厳しい。

まず、やはり新人からか、原稿料が安かった。

出版大手3社で描いていないと、新人相場よりさらマイナス1000〜3000円くらいが平均だ。

薄利多売みたいな状況。

アニメーターと似ている。

漫画制作コスパが悪いとよく言われるが、とにかく量産しないと食っていけない。

昨今の漫画電子化で発表の場が増えて、意外にも一定画力があれば連載案件はそこらに転がっている。

ただ、安い。

よくツイッター等で話題になるような驚きの安さな案件はきちんと見定めて関わらないようにしているが、

ある程度のラインで「この価格より安い案件は受けない」と決めないといいようにこき使われる。

私も実際最初はこき使われた。来年あともう1回こき使われる予定だ。

いいように使われてもとにかく稼ぎたいなら別だが、そうしていると絶対に超量産コースになりいずれ過労死死ぬので、やはりラインは決めておいた方がいい。

もう原稿料相場は上がらないと聞くし、ネーム料なんて案も幻だ。

(実施している会社もあることにはあるけど、それを目玉としているところが主なので、目玉としている時点でネーム料が今後浸透する未来はお察し。

あと、ネームメールの返事は絶対に早い方がいい。

メールの返事は言わずもがな。全社会人共通だ。

私はなぜかメールを一度無視して「まあ、あとで開こう」と思うと、開けなくなってしま性格なので、メールの通知を見たらとにかく即開くことを鉄則にしている。

(たぶん急かされたり新しい情報をもらいたくないという反応。今年は色々と初めてづくしで脳味噌が常にパンパンだった。)

ネーム煮詰まって遅くなっても許されるのは大御所だけで、新人は内容がクソでもとにかく早いほうが編集者とのやりとりを経て、結果マシな作品が作れる。

これが経験値になるので、根性論は嫌いなタチだが、これに関しては根性で頑張るしかない。

あと、先延ばしをするな。

私にはひどい先延ばし癖がある。

「結局間に合わない」ということは稀で、だいたいいつも本当にギリギリに間に合ってしまう。

これが本当によくない。

その場しのぎにはなるが、立てた予定がどんどん崩れて結局「自分ダメだ」という気持ちになるのでいいことがない。

身に染みているはずなのになかなか改善できない。

来年はこれを徹底的に直していきたい。

孤独との戦い。

これは本当に身に染みて感じた。

コロナも手伝って、友達とどんどん疎遠になった。

人と関わらないとアイデアも生まれないので、ちゃんと人と関わる時間も加味してスケジュールを組むべき。

新人ネームで何度も落とされる。その間収入はなし。

新人とはそういうものだ」とおっしゃる方も多いと思うが、新人漫画家の今を取り巻く環境は日々変化している。

発表の場が増えて、昔のように雑誌掲載で場数を踏むこともできない。

(発表の場が増えてるなら場数踏めるじゃん!と思われるかもしれないが、主にSNSやその他電子連載のことであって、SNSは当然原稿料など無く、電子連載は原稿料は上述した通り相場が安い)

物価も安くないし、消費税バカにならないところまできた。

開業届を出している新人も多いと思う。

のしかかる税金等を考えると、作品を描きながら「お先真っ暗だ」と絶望に暮れて泣いたりもする。

「好きでやってる仕事だろ」というのもその通りだが、払わなければいけないものが払えないのは健全じゃない。

一時期アルバイトも考えたが、漫画制作コスパが悪い。

アシスタントなんて雇えるはずもないので、1本の短編を描くのに必死こいて描き進めなければ〆切に間に合わないし、次作のネームもやらないと次の原稿料がもらえる目処もたたない。

悠長にアルバイトをしている時間がない。

こんなド新人立場からおこがましいのは重々承知だが、出版社の方々や大御所の方々はぜひ新人原稿料相場値上げを検討していただきたい。

2020-12-27

anond:20201226143724

縋る思いで行った産業医に薬(ジプレキサっていう抗精神病薬)を飲んだ方がいいといわれて突っぱねて数か月、なんとか回復してきた。だって心が弱っている医療従事者に誰も世話してもらいたくないでしょう?別に薬を否定するわけじゃないけど、もう少し踏んばりたかったし、負けたくなかった。正直自分はあまり心が強くない方なんだと思う。

医療従事者のくせに精神障害について無理解な言説を垂れ流すことを自制することができないのに、患者や同僚のコロナに対する浅慮さを責めて恥じない図太さに恐れいるね

こんな非常時かつ高ストレス環境にいて精神が参ってしまうのは当然のことで(心が弱いとか強いではない)、それを認められず根性論を唱える人の方が医療従事者としての信頼を置くに足る人物でないと判断したくなるね

コロナ風邪と主張する類の人間と同じレベルの話をしてるんだよ

休職なりなんなりした方が自分健康のためでもあり、患者のためでもあるだろう

2020-12-23

anond:20201223082652

みんな金がないと生きていけないから働かなきゃいけないってだけなのに、働いても金にならないしハードル無意味に高くて苦痛を産みやすいのが問題なのよ

バカ上司やクソ客に詰られながらフルタイムで働いて手取り15万なんてやってられないでしょ

根性論でどうにかできる時代は終わったんだよ

働くことのメリットが働かないことのメリットを超えて来ないのが異常かつ目に見えた諸悪の根源

2020-12-08

鬼滅の炭治郎が長男から!でなんでも頑張るのって根性論よな

世の中の長男はどう思ってんの

2020-11-13

結局根性って必要だとおもう

きれいごとを抜きにすると。

根性論とか昭和かよってなるかもしれないけど、結局根性重要だとおもう。

2020-11-12

anond:20201112145442

そういう考えをすればするほどどんどん負荷がかかっていく社会であってほしいわ

根性論を押しつけたせいでそれで自分が潰され自分自分嘲笑し続けなければ一貫性が保てなくなり醜態晒す

クズはいかにクズって顔しててほしいんだよ

2020-10-12

anond:20201012123117

家をあけて虐待死に追い込む親も最近しょっちゅう新聞に載ってる

熱を出して家に一人とか死ねっていわれてるようなもん

保育園幼稚園小学生低学年は子供の体質にもよるが毎冬感染症にかかる

冬でも半袖半ズボンにさせておけば丈夫に育つんだなんていう根性論はサヴァイバーバイアスだってとっくに馬脚を表してるからぜったいやるなよ

2020-10-01

悲報人類が食べられる草、ほうれん草しかない件

ほうれん草偉大すぎて草」

 「いや、他にもあるだろ」

  「たとえば?」

 「???ホウレンソウが大切だよ」」

  「老害乙」

   「いや実際実務ではコミュ力大事だろ。コミュ症かな?」

    「根性論をやめろ。ヒューマンエラーをなくすにはコミュ力じゃなくてフールプルーフ設計必要

     「IT系コンサルに毟られてそう」

 「柏餅に使う柏の葉は?」

  「柏の葉食べてて草」

   「え?食べるが?え?」

    「ガチで食べてて草」

 「ほうれん草おひたしにすると、おいしい」

 「人類ほうれん草のことを何も知らない」

 「ほうれん草を讃えよ」

 「じゃあお前の晩飯ほうれん草な」

  「そんなにほうれん草が好きなら一生ほうれん草だけ食って生きてろ」

   「俺は幼稚園の頃からほうれん草が大嫌いだ」

    「ほうれん草という字を見ただけで虫唾が走る

 「草でも食ってろ」

 「ポパイかな?」

  「ポパイとは?」

   「ポパイだが?」

    「なんだポパイか……」

  「缶詰にして栄養価は失われないのだろうか?」

 「ローリエはい論破

  「ローリエ食べてて草」

 「パセリなどもある」

 「ほかに大根の葉とかあるじゃん

  「葉じゃん。草」

   「現代人は草と葉の区別もつかない。嘆かわしいことだよ」

 「茶葉は普通食べないしね」

  「茶葉をモリモリ食べてる姿を想像して草」

 「ほうれん草ステマ

 「人類などと主語の大きいことを言っているが貴殿古今東西のあらゆる食生活を熟知しているとでも?」

 「そもそも草とは一体なんだ?」

  「草を見たことがない?」

   「草の定義の話をしている」

    「定義など知らん。ペンペン草のように草と明言されているものけが草だ」

     「ペンペン草食べてて草」

      「ウッセェ草履ぶつけるぞ!!!

      「マジレスすると野草とか食べる専門家かいるしペンペン草とかも食べる人もいるかもしれない」

      「ぺんぺん草は普通ナズナなのだが?七草粥の」

       「だとしても、ほうれん草のように日常的に食べられているわけではあるまい」

 「ベジタリアンだったら何か知ってそう」

  「ベジタリアンヴィーガン

  「小松菜とかね。探せばいくらでもある」

   「草と名乗ってないか無効

    「それじゃ日本語だけじゃん」

 「一方パンダは笹を食ってた」

 「シソ。これはガチ

 「みんな海草を忘れてる」

 「改めて考えてみるとほうれん草の「ほうれん」ってなんだよ」

  「知らんのか?ほうれんとは報告と連絡を意味する」

   「巫山戯るな。真面目に議論する気がないなら帰れ」

    「ギ、ギロン?」

 「今丁度ほうれん草を食べてるとこ」

  「これ以上ほうれん草話題を伸ばすな」

   「ちなスムージーにして食べてる。うまい

    「横だがスムージーならば「飲んでる」の間違いでは?日本語は正しく」

2020-09-30

anond:20200930125007

では無いな

ただ強くなるとかよくわからない根性論は投げ捨てて

自分は過剰に気になってしまうとして生きれば良いと思う

過剰に他人が気になるならまずはSNS断ちでは無いだろうか

 

誰かのサポートによる解決を望むなら認知治療じゃないですかね

 

社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています

海外では、SADは一般的理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています

海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、

また、病院に行っている場合でも「自分がSADである認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、

治療の機会を自ら逃していることがうかがえます

一方、日本では、SADという名称病気の症状については、あまり認知されておらず、

その症状の原因を「自分性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。

SADは発病すると、他の精神疾患うつ病アルコール中毒パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医精神科心療内科)の診断を受けてください。

 

 

社会不安障害(SAD)の治療

SADの治療法には大きく分けて、薬物療法認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています

 

薬物療法

 最近研究では、SADは脳(セロトニン神経系ドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、

 現在もその発症原因について、世界中研究が進められています

 海外では、早い時期から薬物による治療研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、

 患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります

 一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、

 患者さんの症状により抗うつ薬抗不安薬なども治療で用いられています

 現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります

 

認知行動療法

 認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。

 認知行動療法では、エクスポージャーソーシャルスキルトレーニング社会技術訓練)などの方法を用いて、

 実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身コントロールできるようにします。

 薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。

 そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から

 順番に解決していくという方法がとられます

 

 

社会不安障害(SAD)の診断

SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、

WHO編「精神および行動の障害ICD-10 などいくつかあります

例として、前者の基準をいくつか示してみます

  • よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
    自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。
  • 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
  • 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
  • 予期不安回避行動、苦痛により、社会生活障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。

 

18才以下の場合は、罹病期間が6ヶ月以上である

罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。

 

e治験.com

http://e-chiken.com/shikkan/shinryo/sad/

2020-09-06

ネトウヨとか日本凄いってSNSで言ってる層が戦争中も日本には世界レベル技術者研究者がいたか原爆開発もコンピュータ開発も可能だったっていうけどさ

そもそも基礎技術力を持った技術者や研究者がいたっていうけど

そいつ投資できるリソースがないんだからしゃーないだろ

イギリス世界初プログラム内蔵型コンピューターのコロッサスを作って稼働させて

アメリカマンハッタン計画天文学的予算ピカドン作って、余った予算諜報員用の特殊作戦クロスボウ現代でさえ特殊部隊で使われてる戦闘ダガーを作ってた頃

お金も資材も避けない日本研究者技術者が作れたものと言えばタンポポコーヒー電気パン、竹槍に竹で作ったゴミみたいなボウガンだけだ

金もねぇロクな人材いね技術もねぇ食料もねぇ

あるのはどうしようもない根性論絶対王政末期のフランス並みの格差社会だけ

現代社会日本ならまだしも、戦前戦中なんて北朝鮮プロトタイプみたいな社会だった国にのどこにそこまで魅力があるんだろうかと思う

2020-09-04

部活動

部活動」を「部・活動」だと思ってる奴が多過ぎる。

何にも分かってない。

部活・道」だから

クラブ活動とは本質的に違うの。

道の探究なの。

剣道とか書道とか茶道とかと同じ。

根性論とか無駄練習とか今時丸刈りとか色々批判する人がいるけど、間違ってる。

道なんだから精神重んじるの当たり前。

から入るのは当然。

今時とか関係ない。道に流行り廃りなんてない。

エンジョイとかあり得ない。

疲れても怪我しても学業に支障を来しても、道に踏み込んだ以上邁進する以外ない。

それが部活動なんだ。

2020-08-31

anond:20200731034501

俺は子供の事平気だったけど、嫁がキレ散らかしてて手に負えなかった。矛先は俺と俺の身内。嫁側には無かったみたい。

おまえが育児に参加しないから嫁が怒ってるんだろとか言われたらブッ飛ばすね。

仕事しながら平日5,6時間育児してたし週末ワンオペも余裕。ミルク病院風呂寝かしつけ一人で出来るしもう嫁いらねーわと思ってた。親権取れそうなタイミングで別れるつもりだった。

当時は言いがかり暴言ばかりだったから、なんて女だと愛想つかしてたけど、保育園に預けて復職したら落ち着いて昔のように戻った。当時のことはあまり覚えてないとさ。

って感じで子供を扱いやすいと感じるかは受け手状態によっても変わると思うし、まず自分普通状態じゃない事を自覚して、環境を変えたほうがいいと思う。

ガルガル期だとかふわふわした表現ごまかされてるけど、産後鬱とかもっと認知されるべきではないかな。産後クライシスとか鬱のせいだろ、と。

知り合いは1人目は上手くいってたらしいが2人目でこの状態になって旦那が愛想つかして逃げられたらしいし、産後メンタルヘルス根性論止めて行政やらもっと力入れてほしい。核家族だと行き場なくてホント詰む。

いね、大変だよね、わかるよ、あと少しで楽になるよ、ゆっくり休んで、じゃなくてあれは別人、心の病。

うちは女同士の共感コミュニケーション悪化させてる気がするわ。敵認定思い込みが凄まじい。自分の目耳で確認してもないのに虚言に共感して助長させてた嫁側連中の事思い出すと今もムカつく。これは愚痴

2020-08-29

感想を欲してやまないってどういう気持ち

腐女子やけど、高校生の時に初めて作った携帯サイト掲示板を付けた

ただ単に当時はサイトと言ったら掲示板を付けるのがデフォルトっぽい空気を感じていたし、御多分に漏れフォレストページでも簡単掲示板を付けることができたかコンテンツの1つとした

ただそれだけだ

ただ紙に丸ペンコピックで描いたの絵の写メを載せていただけだったが、なぜか掲示板には書き込みがあった

意味がわからなかった

私はリア友でもない他人サイト掲示板に絵の感想を書き込もうなどと考えたことがなかった

そして携帯サイトリア友には教えていない

このロジックでよく考えたらそもそも最初から掲示板を付ける必要がなかった

なにも考えていなかった

知らん他人と絡むのは怖いかリンクページなどは絶対作らないと思った時点で掲示板コンテンツに入れるべきじゃなかった。アホだ

なぜか私のペンネームそっくり名前で書き込む人もいたし(私が〇〇、相手が〇〇ぽん)、たまたま似たペンネームなのかな?と思うようにしたかったけど書き込み頻度も高い

とても穏やかな文体で決して荒らしなどではないとはわかるのだがどうしても怖かった

こんなガキの絵を褒めてくれる優しい人はたまたま娘の携帯を見てサイトを見つけたリアル私の母かな?と本気で思っていたし今でも少しはそう思ってる

まあ、リアル私の母はそんなふうに携帯サイト掲示板を使いこなしたりできないのだけど

そして褒めてくれるのが好意だろうと、逆に怖い。だって顔も知らん人だよ?私におべっか使う必要はない

それが怖い。この気持ち共感してくれる人を遠くから見つけることができたらとても嬉しいくらい、インターネット世論から外れた感情かなと思っている

Twitterとかでも「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいな私と正反対の極論の方が大きく聞こえるから

あと知らん他人インターネット上で、特に私の絵を媒介して絡むのは嫌だがリアルで知らん他人と話すのは好きだ

インターネット世論で嫌われがちな絡んでくるショップ店員と話すのが大好きだ

まあそれはアパレル販売員ではない裏方だからというのもでかいけど、美容師とか、旅行中にその辺にいる人たちとかと話すのも好きだ

でもインターネット上で私の絵を媒介して絡むのは嫌だし、リア友でも相手が私の絵を変な持ち上げ方してくると徐々に気まずくなるのもうわかったか自作同人誌渡す時はでかい声で「絶対感想とか言わないでね!」と言う

感想いらないなら不特定多数に絵を見せるな」みたいな極論も聞いたことあるけど、私は自分の絵も漫画も好きで並べておきたいし、サイトを作ったり新しいSNS登録するのも好き

勿論localhostネットには上げてない小学生の頃からの絵を全部ずらっと並べたサイトだって作ってるよ

でもコンセプトごとに厳選した絵を載せるサイトワールドワイドウェブに置いて、自分以外の誰かが私の絵を見てる形跡を発見して、どんなふうに見たのかなって生ログのページ遷移時間から想像するのが好き

でもよく知らん他人から接触されるのはいかに相手にとっては好意であろうとまじで怖い

人に絵を見せるならご意見感想を受け入れろなんて暴論だよ

私は好きで趣味で描いてるだけだからこれ以上改善してどうこうとかはそんなに思わんし、技術的に悩む時はあるけどそういう時は絵の上手いリア友相談してるから不特定多数のご意見不要

好きな「趣味」という大枠の中にコアとなる好きな部分と付随する苦手な部分があるのは多くの場合に有り得ることだ

その大枠から苦手な部分を限りなく取り除いて濃厚なコアだけ味わいたいじゃん

好きなことしたいなら苦手なことも受け入れろなんて根性論今時昭和すぎるでしょ

そんなわけで私からしたら「絵」と「不特定多数のご意見・ご感想」にはなんの関わりもないよ

勝手にセットにしないでほしい

まあこれもイマジナリーエネミーを勝手に見て心が騒いでるってだけなんだけど

いくつかの携帯サイトを作った高校生時代が終わり、大学生になると有料鯖を借りてPCサイトを作るようになる

長年ねらー同人板の影響を多分に受けていたため同人サイトとは言え連絡先が1つもないのは無責任と思っていた

そしてメールフォーム拍手感想を送りやすいが業務連絡用と書き添えたメールアドレスのみなら感想を送りにくいらしい

私は〇〇○★yahoo.co.jp(★→@)のような表記がダサく感じて嫌だったので、しっかり@込みでメールアドレスを画像にして貼った

画像ならコピペできないし一文字文字打ち込むのは絶対にめんどくさいからよっぽどの不具合がなければ誰も連絡を取ろうとはしないだろうと踏んだのだ

しかし私はアホの新し物好きなのでpixivに即登録した

そしたらpixivの方でメッセージが来てしまった

クソめんどくさい。適当にお礼を言ってスルーたかったけど多分これが営業ってやつだろうと思った

勝手妄想が膨らんで相手フォローしたり相手作品10点入れた方がいいのかなという圧を勝手に感じた

うそんな妄想をしてしま自分自身が嫌だった。だからとにかく私に触れないでほしかった

Twitterにも即登録した

この頃にはだいぶ学習できてきていたのでかなりお触り禁止感の演出ができていたのではないかと思う

大体の人が黙ってRTいいねだけしてくれるし、bioで予防線張ってるから直リプも無視し放題だ

一言感想空リプ引リツは結構あるけどこれは割とおもしろかった

どうやら私は感想メールに返信しなきゃいけないという義務感の発生が最も嫌だったらしい

でも積極的感想欲しがってると勘違いされたら困るから絶対に反応しないしマシュマロとかは絶対置かない

Twitter見てると前述の「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいなツイートバズるのをたまに見かけるけどどうして?

個人的にはそういう極論を持ってる人ってごく一部で、大半は感想はあったら嬉しいけどなくても別にって人、そして感想不要って人も見かけよりは多いと思ってる

だって感想不要ってわざわざ表明しづらいもの

私は過去経験から感想不要」と明記せずとも感想を送りづらい雰囲気を出すことに長けてきたと思う

でもわざわざ不要と書くのはなんか怖い

感想を欲してやまない、でも全然もらえなくてほぼ飢えてるような過激派、同ジャンルでも目立つからついついヲチってるけど、目視したわけでもないイマジナリー感想不要の人を脳内でっち上げて「嘘つき」とか「聖人君子を気取ってる」とか罵ってるもの

こっちからしたら私が「感想ください!」って言う方が嘘だし、人の好意を受け入れられない私みたいなタイプ感想不要人が聖人君子とはとても思えないけど

本人はほしいもんはほしいって言わなきゃもらえないって発想に捉われてるみたいだけど、逆にあの攻撃性の発露こそが「感想を送りづらいお触り禁止感の演出」の極致にすら思える

まあ私はもっとマイルド自己演出ときいから遠慮するけど

あんなに必死感想を欲しがるのってどんな気持ち

私は割と詳細なウェブ性格診断みたいなのの結果を見るのが結構好きだ

感想を欲しがるのって診断結果を早く見たいような気持ちと近いのかな、と勝手想像している

かになんかそういうののプロが私の漫画を読んで心理分析とかしてくれるならすごく興味ある

お金払ってでも頼むと思う

そもそも箱庭療法のつもりで漫画描いてるし

そういうことなのかな?

でもインターネット上で誰かに感想を送るであろう人の大半は心理分析素人だろうし、別に感想って大部分は心理分析じゃないし、私はいいかなあ

2020-08-23

既卒就活現実

今、私は二年目で大学院中退して、既卒生として就活をしている。学部大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較知名度の高い大学だ。受験勉強したことがない人でも知っているような大学所属していた。

大学院中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかコロナ関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれいたことに起因することは、断言できる。

さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。

企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解共感もできる。

が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。

記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。

からこそ、こうして記事として起こしてみた次第だ。

さて、まずは私の経歴や就活経験から話したいと思う。

私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。

中退という部分を隠して読めば、比較キレイ学歴をしていると思う。

ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ中退をすることとなった。奨学金生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。

就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代友達ウェブテスト替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ES面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。

そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人自発的就活をすることはなかった。

さて、私は無事に大学院合格通知を得ることができた。確か9月10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。

そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。

ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。

結局、私がした就職活動は、企業分析業界分析自己分析ES推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズ上場している中規模投資銀行三井住友銀行に応募してみることとした。

三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったこから、結果に関してはもういうまでもない。

投資銀行については、説明会選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。

さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接私の履歴書に打ち出された単語面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。

そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。

と、学部時代比較的わかりやす就活をできていたので、既卒就活既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。

既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りであるそもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。

学部時代より、より入念にES作成するようにしていた。就活ハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテスト学部時代経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。

他に落ちる原因は何か。ESウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか

さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。

というのも、まず、既卒生の就活記事ハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである既卒生の就活成功談を見ない。

そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったこである)、「既卒大企業就職できた」という記事は見ない。クラシックオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。

勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界職種でないことから断っていた。

話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。

学業においては、学部上位5%以上の英語クラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。

二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。

ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価単位を授与してもらえた。

学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。

課外については、私は文化系サークル所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。

役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル研究会の会長を務めていた。

サークル研究会長については、基本的に後輩の勉強指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。

ただ、企画系については、一筋縄はいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿企画発案や、旅行会社ホテルとの交渉参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。

大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。

…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。

さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージ飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。

精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会からサークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生バイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織移譲に伴ってするべき後輩への引継資料作成が本当に苦痛だった。当然、在学生参加者を募るための広報もしなければならない。

このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンプリンターといった周辺機器一新してもらえた。大変有難かった。

さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシート既卒からという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。

勿論、就活では上記エピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。

成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。

ウェブテストESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。

でも、シンプル留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。

形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である留学インターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプル留年であっても、新卒新卒である既卒には劣らない。

私は、大学を四年間で卒業し、大学院一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。

但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれ大学院を退学をせざるを得なかった。

それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。

新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。

この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。

特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分キャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別残酷ものとなっている。

2020-08-22

今更だけど上野千〇子の祝辞に関して東大生が思うこと

私は一生公教育なんて信じない。私の命は中学受験で救われた。

私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。

とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生放火をし、中学生喫煙し、高校生バイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。

私の家は紛うことなホワイトカラー一家だ。元ボンボンサラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しか女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。

そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的あくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験小学校四年生から始まった。それもSAPIX日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。

しかし、それでも学校教員からの敵意からは逃れられなかった。

彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。

そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。

まずは保護者会で、担任教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生言葉絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。

休み時間円周率計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強しました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからいじめが始まった。

帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。

先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。

おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生なのだクラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは仲間意識の強い」彼らなのだ

悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。

また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。

私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休み図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。

一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこから漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。

担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。

だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。

真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。

別の小学校越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまたからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分学校問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。

私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分オーディションに受かったら、自分母親と隣のクラス教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。

話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。

もし父親先見の明がなかったか、私が過度のストレス受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。

数年前の東大入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれ人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。

エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。

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