はてなキーワード: 根性論とは
数々の解析によりその正体は遂に解き明かされました。
根性を上げると何が上がるか? → ラストスパートの速度が上がる
これ自体は間違っていませんでした。むしろ根性の効果をシンプルに言うならこれしかないほど正しかったです。バクシンバクシーン
ただしその過程はやや複雑ですので、まずはラストスパートの仕組みについて説明させていただきます。
最終コーナーを抜けた辺りでウマ娘はラストスパートに入るのはご存知でしょうが、このタイミングとそこからの加速はステータスで決定します。
育てたウマ娘によってラストスパートが始まるのが遅かったり早かったりするのは単なるカメラワークによる演出ではありません。
ウマ娘はラストスパートに入るといよいよ猛烈な勢いで速度を上げていき、それに伴いスタミナは急激に減少していきます。
「ウマ娘はラストスパートで全力を出しすぎると途中でスタミナが切れると判断した場合、スタミナが途中で切れないギリギリの加速でラストスパートを駆け抜けます」。
つまり、ラストスパートにおける速度はウマ娘がそれまでに残すことが出来たスタミナに依存するということです。
さて、カンのいい人は話の流れがもう見えてきていると思います。
根性を上げると、スタミナ消費量が減少し、結果的にラストスパートに多くのスタミナを残すことが出来るようになります。
これはウマ娘のスタミナ計算が「(スタミナ+回復スキル)*補正値A/(補正値B*根性)」のような形になっているということです。
つまり、根性が低すぎるとスタミナをいくら上げてもスタミナ不足に陥りラストスパートになる頃にはバテてしまうということです。
全身全霊最強伝説から分かるように、ウマ娘は結局の所ラストスパートを最も速い速度で駆け抜けられるかのゲームです。
その際に重要なのがスピードであり、ボトルネックとなるのがスタミナであり、そのボトルネックの狭まりを抑えるのが根性ということなのです。
スタミナの効果は最高速を維持するものと考えられがちですが、ゲームシステムに照らし合わせると「ラストスパートで末脚勝負を仕掛ける際に制限がかけられることを回避するもの」と捉えたほうがより正確です。
そして、根性が低いとスタミナを維持することが出来ず、マエストロや好転一息を使って必死にスミタナを底上げすることで結果的にボトルネックが少しは解消されてレースで良い結果が出ていたということです。
とはいえ根性というやや上げにくいステータスを強化する手間を考えればマエストロを取ってしまった方が手っ取り早いという育成論が全く間違っているわけではありません。
ですが育成終了時の根性が300を下回っているとかであるのならば、流石にそのウマ娘は根性がなさすぎると言わざるを得ません。
とはいえ根性も極端に低いとどうしようもないだけで、ある程度以上になればスタミナとの相互互換なりますので、マエストロを抜いてタンホイザを入れるべきとまでは言えません。
じゃあどうしろっていうんだよと言われても、私が答えを知りたいぐらいですね。
そもそも走行距離が短距離であればスタミナはパワー育成のオマケの400根性もURA優勝ボーナス等をかき集めての220とかでも十分っぽいですし……。
もちろん長距離ともなれば根性とスタミナの両方を上げていきたいですが、やりすぎるとスピードパワーを上げきれずに今度は増やしすぎたスタミナが使いきれないという事になりますのでマエストロ系で上手くお茶を濁してトレーニングの時間を稼ぎたい……うーん……うーん……
いやーウマ娘って奥が深いですねー
会社の営業のおじさん、人格は善良寄りだし、体力の限界まで頑張ってるのはわかるから
あまりきついことを言いたくはないのだが、
会社の体質として、営業一人あたりの業務量が明らかにキャパシティをオーバーしており、
そのしわ寄せが別の部門、具体的には俺のところまで発生している
おじさんや営業は辛い思いをしているのは知っているが、残念ながら彼らも無能である
弱音を吐かずに精一杯努力するのが僕らの仕事です。じゃねーんだよ
お前らの仕事はキャパオーバーだから会社の上層部にクレームを出しまくって業務量を減らすか人を増やすように働きかけることなんだよ
問題を問題としてきちんとまな板にあげず、根性論で処理しようとした挙句に、処理しきれずに溢れた下水がこっちにまで流れてきてんだよ
地方私文(1敗)
浪人(2敗)
コミュ障(3敗)
クソ雑魚国家資格は持ってるけどその資格を使う職には就きたくない(4敗)
競争が苦手(5敗)
そもそもやりたいことがない(6敗)
バイトリーダーじゃない(7敗)
3月はゼミの教授の言うことに従って資格関連の業界のES出してSPI受けて面接行ったけどさぁ、資格持ってても普通に意味ねえんだわ。やっぱ"人間力"よなぁ。5社受けて全部1次面接で落ちたわ。特に大企業ってわけでもないのにな。向いてないのはわかってんだから適性検査で弾いてくれや。
ゼミの教授にもキャリセンの職員にも〇〇さんはやればできる的な扱いされるけどさぁ、二十数年生きてきたら自分では分かる通り、やってこれやねんな。
そりゃこの地域では頭良い高校卒だし資格とかTOEICスコアとかまあそこそこ持ってるしGPAも高えのは確かだけど、そんなのマジでクソほども自慢にならんし、結局F欄やし、まずやればできる子は浪人なんかしねぇし3年の3月から就活始めたりもしねぇんよな。
分かってることは自己肯定感の低さとかやる気のなさとか自分の立場を踏まえてない冷笑的なスタンスとか自分自身の人生なのになぜか客観視してしまっていることとかで、それただの怠け癖のある社会不適合者なんよなーって。これが自己分析か?
自己肯定感の低さとかやる気のなさはまあ昔からなんで変えられないわな。
小中高と同じ部活やってたけどほぼほぼベンチだったんよな。まあ実際普通に下手だったんだろうけど、監督やらコーチやら同輩から決まって言われる「お前はやればできるのにな〜」というお言葉。
やってこれやねんな。
元々の能力値が低いんだよ。
まあ部活で言えば周りの自分と同じ状況の奴は必死になって監督にゴマすって試合に出ようとしてたけど。
それが「やる」ってことなんだろうかね〜とか、まず俗に言うエンジョイ勢だから試合出なくたって良いよなぁとか考えちゃってなんもせんかったな。
練習に監督が来たときだけ動きが1.5倍になる他の部員見てキモって思ってな。
そういうお前が一番キモいって話。それも分かってる(と言いながら多分分かっていないんだろう)。
「お前はもう少し媚びを売るようにしたら人生楽になると思うよ」っていつか友人に言われたな。
まあその通りだと思う。それすらも面倒くさいからやらんのやけど。
自己肯定感のなさは成功体験のなさ由縁とか言うけど、今のところ何したって成功って感じないしよく言われるたとえみたいに、朝起きれた偉い!とはならんのよな。
部活10年続けました!バイト3年間続けてます!←続けてるだけじゃん。惰性でしょ?
年間GPA4.0でした!←でもお前勉強してないしF欄じゃん?
資格一発合格しました!←特に本気になって取り組んだわけじゃないやん。クソ楽テスト受かって何になるの?
テストとかなら結果出て5秒間くらいは嬉しいけど、その後は自分にツッこまれて「ま、こんなもんだろうな」って気持ちになってしまうんよな。みんなそうかもしれないけれど。
こういうの見ると自虐風自慢というか、自己肯定感ないって言う割に自分のことを高評価しすぎてる奴に見えるかもしれないけど、そこんところはよくわからんのよな。
とまあ、話は逸れるわ就活には関係ないわ、クソみたいな駄文書いてる暇なんてねえんだし、とにかく考えたってどうにもならんのだから早く必死になれって話なんよな。
必死になれないのはクズだから。まず必死になるってなんなん?根性論じゃなくてやり方を教えてほしいんだよな。
まあでも、そんなすぐに人に頼ろうとするクズに就職先はありませーん。
どうしたらいいんだろう?わからん。誰か教えてくれ。
人間どんな立場でもうっかりすると根性論大好きなのにイキリ冷笑系になっちゃうのでは…って以前から思ってたけど、それの確信が増えたのと改めてこうならないように気をつけようって背筋伸ばせたのはよかった
続き
https://anond.hatelabo.jp/20210320124138
女性がおしとやかを押し付けられるように、男性も力強さを押し付けられるているもんや。
ワイら男だって、女性になりたかったと思う人はそれなりにおるんやで。
それにさ、おしとやかさを選ばされてるはずやのに、日本の女性ってそこまでおしとやかな人多いやろか?
家でお父さんに汚い口利く人って結構おるし、若い子が使う流行の言葉なんてアホっぽいものが多いやろ。何言っているのか意味がわからんしな。
正直淑女みたいな人を全然見た事がないわ。
けど、異性との出会いの場では淑女感を出している人って多いよな?
つまるところ、環境的に強いられているとかではなくて、異性を意識するとそう感じるってことやろ。
ただ、異性の場であったとしても、自分がそうせないけないと思っていることやから自発的にやるんやろ?だれも強制はしていないはずやで?
そうすれば、良い印象を与えられるって考えるから行動するんやろ?
別にやらなくてもいいものを、自分が得たいなにかのために勝手にやってるだけやん。
でも、環境や人のせいにすんなや。
けど意外とこう考えてる女性も少なくないやろうから、まともな妄想をしたことに対して+10点
好きな人には触りたいし触ってほしいが、好きじゃない人には触りたくないし触ってほしくない。
それは言葉も同じだと言うことが、男にはピンと来ていない。だから「ノリ」や「みんな」や「欲求」を、目の前の繊細な心より優先させてしまう。
ということで、男は仕方ない生き物だからね、勘弁してよ。こういうものだから許してよ。なんて言いたくない。今まで散々我慢してきたんだから、もう許さなくていいからね。
いやなぁもう、あのなぁ〜
「好きな人には触りたいし触ってほしいが、好きじゃない人には触りたくないし触ってほしくない。
それは言葉も同じだと言うことが、男にはピンと来ていない。」
これさ言葉と同じってのは違くないか?使ってる文字が一言一句一緒か?違うやん。ワイがピンと来てないだけなんか?
まぁいいや、言葉を裏返すと同じ意味ってことで例えていると思うんやけど、それでも好きの対義語って嫌いやねんからなんか引っかかるわ。
果たして好きじゃない人って大きな枠で考えていいものなのか微妙に感じるとこやねんな。
もっと柔らかく考えれば、ここでは、好きなじゃない人=全く好意のない異性ってことになると想像するんやが、それでも触れる、触れられることに絶対不快感を感じるわけではないと思うんやけどな。
触れてほしくないやつって嫌いな人や知らない人やないか?
それから、
>「「ノリ」や「みんな」や「欲求」を、目の前の繊細な心より優先させてしまう。」
女性は、異性に悪い印象を与えないようにその場のノリを優先したりしなかったんか?
みんなに省かれないように、自分を殺して周りに合わせるようにしなかったんか?
自分の好きって欲を優先して、周りを無下にしたことはないんか?
お前さんの場合、下品なノリや欲求に対してずっと言ってるのかもしれない、それなら言葉足りてないし、他の要素持ち出してくるから話がブレブレなんや。ほんとに読んでて頭痛くなるんやで。この文章読むだけでバファリン5錠も飲んどるワイの身にもなってくれや。
OK。その下品ってことで考えるけど、女性側は本当に許さなくていいとワイも思う。
性的な発言や行為をされたのなら、警察を呼ぶなり、責任者に言うなりで然るべき罰を与えてやればいい。
罰則を与えることができないことがあることも、精神的ダメージをケアすることもできないこともわかっているが、そうすることしかできないってのが現状や。
そう考えると女性ってだけで、恐怖心を抱えながら生きていかなければならないのかもしれんな。
それは、とても辛いことだとワイも思う。
ただ、そうだったとしても、そうゆう人が男には多いからと大きく括り、男ってだけで軽蔑するのはあまりにも極端すぎる。
そうゆう男の人とはできるだけ関わらないようにする境界線を作ってほしいわ。
判断も含めかなり難しい事だとは思うが、もし傷つかないように生きようとするのならば、社会はおろかだれとも関わらないようにしなければならない。
そっちの方がかなり厳しいものや。
そして、それらは女性だけに強いられることではなく、少なからず男性側にもあることを知っていてほしい。
ワイらは、男ってだけで不良やチンピラに絡まれることがあったり、男ってだけで勤務先ではパワハラ的なノリを強いられることもある、男だからって根性論を叩きつけられ無理を強いられることも少なくない。
女性でもあったりすることかもしれないが、男にだからこそ容易にやりやすいってことを重視してもらえると助かる。
けど、本当に男性が受けている被害がしょぼいのなら、自殺している人の割合で男性が多くなる事は謎なんや。
ちょっと話がそれてしまったし、下手に長くなってしまったので-25点
ふたりきりにもなれないなら、もう何も言わないで。
「ふたりきりにもなれないなら、もう何も言わないで。」
てかさ、聞きたくないのならおまえさんが飲み会にいかなければ良いやん。
飲み会じゃなくも、外見に対する発言は割と日常で生まれるやん、それが不快ならできるだけ人とか関わらないようにするのが正解やろ。
てか、改めて思ったけど、なんでお前さんの感じる価値観でかわいいを封じ込めたりせないかんねん。
ほんまにアホらしいから-2兆点。
「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない。
かわいいと言われても、そんなことないですと返せば「いやかわいいって」とゴリ押しを喰らい、ありがとうございますと返せば「調子乗ってる?笑」と餌食にされる。逃げ道がない。そういうことはふたりきりのときに言えばいい。」
「かわいいねとみんなの前で言うということ。
それは、かわいいねと言われない人を作るということ」
確かにこれらのことは間違っていないと思う。
ただ、やっぱりそうだからといって、言わないようにするってのは短絡的すぎだ。
遊びに誘うってことは、遊びに誘わない子を作ることになるし。
誰かと付き合うってことは、付き合わない人を作るとゆうことだ。
遊びの場合、周りの子らも絶対に誘えわなきゃいけないのか?それとも遊びを誘うならLINEで誘うわなきゃならないのか?もしくは他の子がいないときか?
他の子が自分を誘っているのを見たり聞いたりしていた時はどうするんだ?
やっぱりかわいいにのみ言えたことではないし、そんなことをまず考えないといけなくなれば、誰かとコミュニケーションを取ることすらめんどくさくなる。
これが正しいなんて言い出したら、バレンタインできゃっきゃしてる女性陣からチョコもらうことだってありがた迷惑って言ってるようなもんだ。
そうゆうイベント事が嫌いで、チョコもらっても迷惑に感じる男の人の繊細な心はどうすればいいんだ?最初に好きか苦手か聞くのか?
話したことない子からチョコもらったら、いらないって返せばいいのか?
それともありがたくもらうのか?それって完全に外見で好意を持っているわけだよな?自分じゃなく相手の繊細な心を優先するのが正解か?
他の貰えない人に配慮して、全員分は作って来ないのか?
もらう人を作るってことは、貰えない人を作ることでもあるよな?
すべての人の心をカバーすることはできないし、気になる異性が近くにいればその人とたくさんしゃべりたいし、好意を伝えて特別感を出してしまうものだ。
それに、かわいいと言われない人のために、かわいいと言わないってのは配慮しているようで、言われていないだけの女性を蔑んでいることだと思う。
中盤にも書いたが、可愛いと言えないだけの人はかなりいる。
言える人だって、可愛いと思う子に伝えているだけで、その子以外が可愛くないって事になるわけではないだろう。
かわいいって共通の感覚ではなく、人それぞれの基準があるはずだから、可愛いと言ってくれる人だってきっといるはずだ。
そのこと意見ついてこの筆者は、
女性は体力的に弱いんだから、男性はおびえさせないようにさせよう
などの複数の要素を持ち出し、だいたいのことは男性が悪い!かのように書いては自分はこうしているなどのことを聞いてもいないのに書き記している。すべては女性の支持を得るためにであろう。
車道側を男が歩くのは当たり前だよ。
割り勘?なにそれ?男なんだから払うに決まってるじゃん。食事はもちろん高級レストランなどの良いとこに行くのは基本だよ。帰りはもちろん車で送ってあげる。
階段を歩くときは君の手を引いて歩くし、もちろん何事においてもレディーファーストの心を忘れないよ。
辛そうなら何時間でも君の話を聞くし、君が病気の時は風邪だろうが仕事を抜け出しても看病しに行くよ。
この中の一つ二つを異性がやってくれるってのをツイートするとウケるやろ?
けど、ここまで出てきたら流石に気持ち悪いやん?
このnoteはこうゆうことをずらずらと書いているようなもんなんだわ。
賛同している女性の人でも、これの男性に対するパターンを女性が書いてるやつを想像してみ?
やっぱりどこか違和感湧くだろ?
そんなエッセイがここまで賛同を受けてるのはいかがなものかと思う。
部分的に対して賛同しているのかもしれないが、そうだったとしても美味しいものばかり並べられていることに違和感を感じないのはどうなのだろうかと思うばかりだ。
「エッセイなんだから思ったことをつらづら書いていいやろ」、「曲なりにも主観で書くもんやしええやろ」ってのは確かにわかる。
でも、かわいいを伝えられなくなるのと同じように、おかしいと思ったことがおかしいと言えない世の中ってのはさすがには嫌だわ。
そうゆう思いで書いたのである。
言ってることはわかるが、お前が言うな!
以上オーバードーズおじさんでした。
※ちょっとだけフェイクを入れてます。衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。
何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束の時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。
ADHDの特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身がADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳を相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそも、こちらから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である。内密な話を勝手に打ち明けた担任も担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。
我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に。
父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。
自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。
これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生は自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。
どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。
ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身のADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないからダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。
ADHDというのは脳の障害の一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害である。ドラえもんにおけるジャイアンとのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。
ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。
「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。
「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10倍努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。
母から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分で朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活でクタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。
それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。
「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活で活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。
父は「その経験も大人になれば必要なスキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。
学校の宿題を終わらせても、自分の時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強を強要された。
この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明したかった。
虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれば自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽極まりなかった。
「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。
しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。
思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。
少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。
母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分の命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。
そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。
父と母はよく喧嘩していた。
変な始まり方から喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。
見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。
母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。
私は子供に喧嘩の責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。
父は「お前の教育(しつけ)がなってないから子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。
しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ。
おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。
そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。
母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉の暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。
正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたから20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。
母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。
父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。
おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。
暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。
他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。
「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。
私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的に押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。
今なお人生の目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人に迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってからは迷惑をかけっぱなしで自分の能力の低さに愕然とした。
母からはいつも努力の過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。
むしろ店長からは憐れみと嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。
いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るものは勝手に出るし、出ないものは努力しても全く出ない。
私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。
「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活は楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。
馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。
ひたすら耐えるだけの人生だった。
こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。
もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてももう頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。
どうせ何やっても失敗するというのに。
政府はTwitterを結構うまく活用していると思う。でもTwitterユーザーとインスタユーザーはやや分断されているんだよね。
TikTok、インスタ、YouTubeあたりをもっと効果的に活用すべき。
特にインスタは、反ワクチンなんかの入口になりやすい。これは本当に危険だ。
ポンチ絵も、もっとインスタナイズドしてわかりやすくすべきだ。
世の中にはインスタから殆どの情報を得ようとするちょっと頭の弱い人も多い。文章が読めない人が想像以上にいるのがこの世だ。
でも、そんな人々の頭の弱さや情報リテラシーの無さ、人格を否定しても意味がない。情報教育が重要。その通り。でもみんなが教育されたことを身につけられるわけではない。
天才もいる。馬鹿もいる。教育である程度は改善できるだろうが、教育だけでなんとかしようとするのは根性論だ。
ヒューマンエラーは避けられないと、エラー前提でシステムを組むように、馬鹿の存在は仕方がないと割り切って、どんな馬鹿にでもわかる正しい情報を発信してあげないとダメなんだよ。
政府広報は頑張って欲しい。
遅くないかどうかはそれこそ人によるよ
あとちゃんと上たどってみてくれればわかるけど現時点でできるアドバイスも3つした上でいっています
こうやってタブー扱い、言葉狩りして大騒ぎして荒らし回るやつのほうがどうかしてるとおもうよ
「えっ、そんな大騒ぎするようなことなんだ。やっぱりうちの子にそんなレッテルをつけちゃいけなかったんだ。」って感じさせようとしている。
このだれにも理解されない一人で感じている”育てづらさ”に名前がついたほうが対処も調べやすい求めやすいし安心したって親御さんをいっぱいみたよ。子育てやったことない人とか、今まさに子育てや介護を「されている側」の横増田たちにはささるんだろうけどさ。
たとえば入学前までには対処しなきゃいけない時がくるかも(養護学級のほうが合ってる子かもしれない)。
でも仕事が5年以内にどうなるかどうかはわからない。産休育休ですむうちにできることはやったほうがいい。
一時期のみの夜泣きで収まって保育園でもそうトラブルない子なら元増田もバリバリ働いてるうちに忘れりゃいい。
でもこうやって自分の困りをすっかり忘れて「うちの子は大丈夫だったから」って理由で他人に余計な「安心しろ」だの「ゆったり」だの「夫を責めろ」だの実効性のない余計なアドバイスしちゃう横増田になるくらいならいつまででも念頭においときゃいいとおもうけどね。
こうやって感情的になって事務的に合理的に処理できない「日本人風の場当たり的なやさしさ」にくるまれてる人はたぶん2人めこわくてうめねえだろうな。困っていても根本的な解決(ネットの外にあるリアルな社会というセーフティネット)にたどりつかせないで孤立させようとする圧力がいっぱいあるんだもん。だれか耐えられないだろう、かわいそうに、耳栓をまずしろ・・っていってやれよ。だれも辛さをわからずにココロでセットクして対処させようとしてる。育児板じゃないからこんなもんなんだろうけどさ。あほか。根性論か。
忘れていたので追記。ミステリをろくに読まずにアンチ・ミステリを読んで気取るのもどうかと思ったが、メタフィクション的なものにひかれる性分なもので手に取ってしまった。
これはミステリを楽しむ読者に対する批評(いやがらせ)であり、こじらせ文学青年崩れの自分は、こうした読者に喧嘩を売る態度を好んでいる。だから、旧劇場版のエヴァンゲリオンや新劇場版のQも同じ理由で偏愛している。かなり楽しんだ。
余談だが、「トップをねらえ2!」もまた、自分のやっていることに対してかなり自覚的・批評的だと感じている。まっすぐな努力と根性の物語にも見えるくせに、根性論に否定的な者が終盤になって気合で新たな力に目覚め、努力と根性ばかり口にしていたキャラクターが実は才能の塊であった、という皮肉が好きだ。
小説というのは何歳になって読んでもいいものであって、ペースも人それぞれだから、何歳までの必読書という声は基本的に無視していいと自分は考えている。自分が学生の頃に古典ばかり読んでいたのは単純に背伸びがしたかっただけで、振り返ってみればそれ以上の意味はない。また、「ラノベにエロシーンが出てきてもどうせパンチラかせいぜい裸を見るくらい。だったら本番行為やそれ以上の何でもありの純文学を読みたい」と考えたからでもある。もしかしたら、自分が男子校出身者だったから、女子のいる高校生活を読むことがうらやましくて耐えられなかったからかもしれないが。
さて、好きに読めばいいと書いたものの、若いうちに読んでおいたほうがいいと考える理由もそれなりにある。一つは体力的な問題だ。年齢を重ねると物理的に目が酷使できなくなってくるし、重苦しい物語を読む体力もなくなってくる。自分も身につまされる話よりも、読んでいて気持ちがいい話ばかり読むようになってきてしまったし、芥川賞さえ読んでいない作品が多い。もう一つの理由は、だんだんとフィクションに飽きてくることだ。飽きるというか、何となく手が伸びなくなってくる。その代わりにエッセイ的なもの、身辺雑記的なものに魅力を感じるようになった。「永日小品」とか「武蔵野」とか、古典の日記文学だとか。
それも飽きたら、ノンフィクションを手に取ることにしている。最近読んで面白かったのはリチャード・C・フランシス「家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」だ。好きなものを好きな時に好きなように読む。読書ってはそういう私的なもので、他人からとやかく言われる筋合いのものではない。
正直なところ、同時代の作品を読んだほうが財産になる気がする。古典は、好きな作家が薦めていたのだとか、尊敬する人が影響を受けた作品だとか、国語の授業で出てきて面白そうなのや、読書家の友人の一押し作品、くらいを読めば十分だろう。現在の僕らの問題意識に直接答えるのは現代の作品だ。現代の作品に飽きたら古典に手を出すのはありかもしれないが。
もちろん、古典はいいものばかり残っているからはずれを引きにくい、というメリットもある。自分が読んでいた理由の一つがそれだ。加えて、古典が答えをくれることもある。古典の場合、素朴な問いに正面から取り組んでいることが多く、僕らみたいな一般人が考える哲学的な疑問はとっくに古典で扱っているので、さまざまな疑問を僕らの代わりに考えてくれており思考の節約になるし、多くの場合安易なハッピーエンドとも無縁だ。好きになったから読んだ、それだけのことだ。
それに、古典の知識があると、同時代の芸術をより楽しめたり、当時の日本や世界の空気を空想する楽しみが増えたりする。古典の翻案作品も深く楽しめる。だが、古いのばかり読んでいては現代から目を背けてしまうことになるだろう。
もちろん、現代から逃避するために古典を読むのもありではあるけれども、自分にとって古典を読むことは、現実に直面するための準備・バッファでもあった。言い換えるならば、最初は逃避のつもりだったけれども、古典を読むことで蓄積された感受性が、面倒くさい現実に対処する能力を多少は授けてくれた、ということだ。
また、もしもまっとうな作家を目指しているのなら、最先端の作品のみならず、そのジャンルの古典的な作品を最低限読む必要は出てくる。ミステリなら基本的なトリック、SFなら実在架空を問わず科学的な理論を知らないと書けない。けれども、読書エンジョイ勢としては気にする必要はない。必読書リストが必要になってくるのは作家になりたい人間くらいだろう。
ちなみに、度を越して読破量を自慢してくる人間は気にしなくていい。そういうのは根本的に、ポケモンの名前をどれだけ言えるようになったかを見せびらかしているようなものだ、と自分は考えている。何かを全部暗記したリコレクションしたりするのは楽しいものだけれども、興味がない人に自慢してもしょうがないし、敷居を高くするだけのことだ。それよりは、気に入った作品を何度も読み返すほうがよほど豊かな読書ライフを送れる。通読でなくても本棚から二三冊手に取って、ぱらぱらとお気に入りのページを読み返すことでどれほど心が休まることか。
自分にとって文学とは、わけのわからない世界に対する防壁だった。近頃は昔ほど心に壁を築いてはいないかもしれないが、物語が今まで自分を守ってくれた記憶に、今でも支えられている。
気が向いたら日本文学編、あるいは池澤夏樹の世界文学全集編を(オリジナルで)やるかもしれない。しかし、面倒くさいので相当先になりそうだ。
以上。
1) 元々出世意欲が低く打診しても断られる
まるで“山口先生が知らない問題”であるかのような口ぶりだが、2)と3)は山口先生の解析で男女の賃金格差の主因足りえないことが示されている(個別でも組み合わせても)。山口先生が研究で(たぶん)扱っていない1)についても要因の一つたり得るがエビデンスは少ない。
1) → 出世意欲の男女差では賃金/管理職割合格差を説明しきれない(調査も少ない)。
2) → 勤続年数が同じ(寿退社しない)でも格差は残る。また夫選びは勤続年数に影響を与えるファクターたり得るが、勤続年数そのものは格差の主因ではないことは今言った通り(※7)。
3) → 学歴で補正しても格差は残る。また大学での専攻の男女差でも格差を説明しきれない。
※7:ダグラス=有沢の法則というものが知られており、これは夫婦間の給与格差が大きいほど妻の就業(継続)確率が下がるというもの。日本ではちらほらとエビデンスがあり、勤続年数を媒介として男女の給与格差に影響を与え得る要素の一つ。
最後にもう一度確認です。私と山口先生は結果としてのファクトの認識は共有しています。そこに異存はありません。
twitter.com/SeanKy_/status…
問題は解釈のほうです。確かに前世紀なら男女雇用機会均等法などを必要としていたこともあり、男女差別があったと言っていいでしょう。
しかし、2020年女性管理職30%の目標に起業が本気で取り組み、男性の育休を強制的に取らせる施策が広がるこの時代に、女性に昇進を打診しても断ってしまう問題や、自分より所得の高い夫を選び寿退社してしまう問題、進学段階で工学系に進まない問題に取り組む必要が出ているのです。
本気で取り組んですごーい。2020年までに女性管理職30%の目標が出たのは2003年で、女性躍進法が2016年、そして今年やっぱ無理だから2030年までに延長。本気の努力凄いなあ。男も強制されると育休をとるなんてスゴイね!ほんとに凄い時代だよ取得率8%だけど。
なおショーン君の挙げたいずれもが男女の給与格差の主因ではないことは既に示した通り。解析結果を“ファクト”と呼ぶなら、君が挙げた3つは解釈どころではなく“ファクト”に反する主張だよ(※8)。
そして実はさりげないすり替えがある。「自分より所得の高い夫を選び寿退社してしまう問題」?先のツイートでも「2) 夫選びの指向で寿退社が多くなる」と言ったね。
思い出してほしいが、夫選び云々でショーン君が言ってたのは「女が転勤についてこない夫を選ぶ問題」だ。
これが寿退社(結婚を機とした離職)とどう関係するんだ?結婚したら即座に転勤を命じられる慣習でもあるのか日本には。寿退社するなら転勤は関係ないし、転勤時の夫婦の不一致で辞めるならそれは寿退社じゃない。
いやまあ『「妻の出世を邪魔する夫」を選ぶ妻』より、「金持ち男と結婚して退社する女」をディスる方が楽とは思うがね。
※8:繰り返すが、それらは当然ファクターの一つたり得る。もっと言えば説明力があんまり高くないファクターでもある。そしてそれだけでは説明できない男女格差が存在するのが“ファクト”である。
nikkei.com/article/DGXLAS…
2019年の男の育休取得率8%弱なんだけど。みずほは2015年で1.5%、2021年現在未達成(恐らく)。宣言するだけで「頑張ってる!」って……
まあ男にも男の事情があるのさ。男が育休取れない(“取らない”とは言うまい)のは女の育児家事のハイウェイトと鏡うつしだ。根性論でどっちが悪いというもんでもない。
大企業/大きな事業所では私の論が成り立つが、小さな事業所では成り立たないのはnoteでも書いた通りです。
ただし、両者は表裏一体で、大企業では休職・退職に対する労働力の調整を転勤の強制によって行えるのに対して小さな事業所ではそれが出来ないわけですが、
中小企業は配置転換や転勤させるにもその補充元がいないので、最初から問題を回避するために退職や休職をしなそうなメンバーを選んでいるというセレクションバイアスが差別の原因であり、解消するには「転勤を受け入れる従業員のいる大きな事業所にしろ」という話になってしまうと。
間接差別と統計的差別を直球でぶち上げてくるなんて、ショーン君は凄いなあ。
第7条 事業主は、募集及び採用並びに前条各号に掲げる事項に関する措置であって労働者の性別以外の事由を要件とするもののうち、措置の要件を満たす男性及び女性の比率その他の事情を勘案して実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置として厚生労働省令で定めるものについては、当該措置の対象となる業務の性質に照らして当該措置の実施が当該業務の遂行上特に必要である場合、事業の運営の状況に照らして当該措置の実施が雇用管理上特に必要である場合その他の合理的な理由がある場合でなければ、これを講じてはならない。
簡単な要約は
間接差別とは、
① 労働者の募集又は採用に当たって、労働者の身長、体重又は体力を要件とするもの
② コース別雇用管理における総合職の労働者の募集又は採用に当たって、転居を伴う転勤に応じることができることを要件とすること
「ある企業が一定の嗜好をもって被雇用者を選別する場合(白人がいいとか男がいいとか)、実際のパフォーマンスで白人/黒人、男性/女性で差がなくとも格差が生じる。ただし、それは経済的に不合理であり(より優秀な黒人や白人を逃がす)、合理的に被雇用者を選ぶ別の企業との競争で不利になるため、差別的な企業は市場から淘汰されていく」という理論。
統計的差別論にはいくつかのタイプがあるがここではPhelpsのものを紹介する。
「“雇用者側が評価する資質について、志願者/被雇用者には個人差がある”かつ“雇用者側が評価する資質について、志願者/被雇用者の属するグループ間に統計的な差が存在する”ことが前提。そのうえで、志願者/被雇用者の個人の資質を見極めるより、グループ間の統計的な差を知る/調べる方がコストが低く済む場合、個人ではなくその属するグループに基づいて扱い(雇用の可否、賃金や昇進、教育投資等)を決定する方が(経済的に)合理的である。その結果、統計的差別は淘汰されずに市場に残り続ける。」
例を挙げるなら、ある女性社員個人が早期に離職するか分からない場合、女性全体の統計的データをもとに長時間労働せず早期離職するものと判断してOJT等の投資を控える。
3人に2人の女性が早期離職する場合、大きなコストをかけて誰が辞めるか誰がそうでないかを見極めるより、全員に投資しない選択をした方が安く済む。
3人に1人の女性社員が長時間労働を厭わず定年までバリバリ働く場合でも関係ない。合理性の前の致し方ない犠牲というやつである。
別の例なら男性保育士。男性は女性より圧倒的に性犯罪を犯しやすいという統計的データにもとづき、男性保育士の性犯罪リスクを厭って採用を見送るあるいは女性保育士より低く評価するなど。
山口先生は長年この統計的差別を批判している。「差別はいけない」というだけでなく、「本当に合理的かそれ?」という批判である。
詳しくは山口(2008,2010)でも読んでくれもう疲れた。
いやあ疲れました。ここまで書いてもうギブアップ。まだ件のtogetterまとめは続くけど、これ以上はキツい。精神的にも実作業的にも。
山口先生も災難だったろう。自分の名前出して間違ったこと言ってる人がいるから訂正したら、論点でジャグリングしながら錐揉み回転で突っ込んでくるんだもん。そら逃げるわ。
この増田書くのに結構時間かけて文献読んで論理チェックしてと、得るものは無し。絶対コラムとか講演のために時間使った方がいいわ。不毛。
そもそもネットバトル自体、ツイッター歴1年と3カ月、総ツイート500ちょいのライトユーザーたる山口先生には厳しかろう。
もっとネットバトルに慣れてる、そうだなNATROM先生あたりならきっと最初に「まず“時短や離職で賃金格差が生じた”というのは撤回するということでよろしいですか?」とか詰めるだろう。
とまれ、ここまで書いた分だけでも賢明な諸君はいろいろ察してくれるだろう。僕ぁもう疲れたよ。
念のために言っておくが、山口先生や他の研究者が挙げている男女賃金格差の要素は、それぞれ解決すべき問題の一つである。正体不明のファクターなんて対処しようがないからね。
しかしその解決は社会的な要因あるいはシステムへの介入(企業の自助努力だけでなく国からの援助も含む)によるものであり、個々人の意識や行動にそれを求める精神論はお呼びではない。
最後に一言で件のtogetterまとめの流れを言えば、“起結転転転転転転転”。ではさようなら。
山口一男 (2008) 男女の賃金格差解消への道筋―統計的差別の経済的不合理の理論的・実証的根拠.日本労働研究雑誌 50(5), 40-68.
山口一男 (2010) 常勤者の過剰就業とワーク・ファミリー。コンフリクト.RIETI-DP 10-J-008
山口一男 (2014a) ホワイトカラー正社員の管理職割合の男女格差の決定要因.日本労働研究雑誌 56(7), 17-32.
山口一男 (2014b) ホワイトカラー正社員の男女の所得格差―格差を生む約 80%のメ
山口一男 (2016) 男女の職業分離の要因と結果―女性活躍推進の今一つの大きな障害について. RIETI-DP 16-J-001.
馬欣欣,乾友彦 (2016) 正規社員が管理職になる決定要因およびその男女間の格差―従業員と企業のマッチングデータに基づく実証分析―.RIETI-DP 16-J-015.
馬欣欣,乾友彦,児玉直美 (2017) 管理職における男女間格差 : 日本の従業員と企業のマッチングデータに基づく実証分析 (小特集 日本の格差問題).経済研究 68(2), 114-131.
Gijsbert Stoet, David C. Geary (2018) The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education. Psychological Science 29(4), 581-593.
Gijsbert Stoet, David C. Geary (2020) Corrigendum: The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education. Psychological Science 31(1), 110-111.
Sarah S. Richardson, Meredith W. Reiches, Joe Bruch, Marion Boulicault, Nicole E. Noll, Heather Shattuck-Heidorn (2020) Is There a Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Math (STEM)? Commentary on the Study by Stoet and Geary (2018). Psychological Science 31(3), 338-341.
とある増田経由でこのtogetterまとめにたどり着いたが。これはひどい。
山口先生の解析では山口(2008)で“男女の所得格差は男性に比べ女性に非正規雇用が多いことが一因ではあるが、より大きな原因は正規雇用者中の男女格差で、特に女性の管理職昇進率が男性に比べ著しく低いことが要因だ”ということが示され、さらに山口(2014ab)で勤続年数・就業時間・年齢・学歴・職場の種類だけでは男女の管理職割合/所得の格差を説明しきれない(これらの項目が全て同じだったとしてもまだ大きな男女格差が残る)ことが示された(※1,2)。
つまり、ショーン君の「山口一男氏を始めとして、多くの研究から所得の男女格差は女性が辞めたり時短にした結果によって生じているもので、そうしなければ女性の所得は男性並みであることが分かっておりますので、女性も自信をもって主たる家計支持者になって大丈夫ですよ。」は間違い。
むしろ何で山口先生の名前出したん?たぶん読んでないでしょ君。それで本人から訂正されるって一番恥ずかしいやつぅ。
……とまあ本来はここで終わり。あるいは、少し後退して「賃金の男女格差の要因の一部には女性が辞めたり時短にすることが含まれうる」と主張を弱めるか。はたまた「貴方の論文/解析は間違っている」と文献を挙げるか自分の研究結果を出すか。
※1:就業時間と管理職割合の関係は因果が両方向(長く労働する社員は管理職になりやすい/管理職になると労働時間が長くなる)だが、前者だけを考慮している。そのため、就業時間の実際の説明力は解析結果よりもっと弱い。
※2:平均の就業時間ではなく、就業時間区分に分けてその割合で解析している。理由としては平均値だとあまり男女差は無いが、区分分けすると“長時間労働者”区分の割合で男女差が大きくなるため。平均差より区分分けして解析した方が労働時間の説明力が高くなる。山口(2014a)では具体的に述べてはいないが山口(2014b)では週当たり平均労働時間の男女差は約4時間だが区分分けすると労働時間50時間以上の区分で女性割合が男性の3分の1になる。
ここからショーン君は鮮やかな論点ずらしを見せる。「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」という自分の発端のツイートとそれへの指摘は無視して、別の話を始める。
まあショーン君も実際に解析結果見て「あ、ヤベ」って思ったんだろうなあ。他の人の研究でも女の時短とか離職は数あるファクターの一つに過ぎないし。
『「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」ではありませんよ。要素の一つにすぎません』に反論しようがない。
でも凄いよショーン君は。まるで最初っからそう言ってたみたいに論点ずらすんだもん。ネット論客かくあるべし、みたいな?尊敬はしないけど。
1) 日本でも同じ勤続年数・職位・職階であれば所得の男女差はない
2) 日本の所得の男女差はa.勤続年数・職位・職階の分布の違いとb.職種の分布の違いで説明できる
というのが基本かと思います。
うんうん。まあもう少し言えば補正後も男女差は残るし、職階の分布の男女差の説明変数の一つが勤続年数なんだけど、まあ細かいことはいいんだよ。
山口先生と私が違っているのはそのファクトの解釈です。山口先生は例えば《意思決定ラインの登用には男性が優先されていると考えられ》とここに男女差別があるのだという解釈になっています。ですが、この解釈には直接的なエビデンスがありません。
うん?差別?突然出てきたが何の話だ。実際に解析結果では「係長‐課長‐部長という意思決定ラインの登用には男性が優先されている」し、少なくとも引用元では山口先生はそれを差別と呼んでいないぞ。
事務職コースみたいな、女性が多く(というか実質女性向け職)かつ賃金・昇給が低く抑えられている企業内コース制度のことは間接差別だと言ってるけど。
2020年管理職30%目標など企業も努力しており、その中で問題になってくるのが「女性に昇進を打診しても断られる」「管理職候補だった女性が寿退社してしまう」という問題です。女性の昇進意欲については山口先生の間接的データの解釈とは別に直接的エビデンスが存在します。
うぅん!?“昇進意欲”なるものが唐突に出てきた。え?女の時短や離職で賃金格差が生じてるんじゃなかったの?
しれっと別の話始めないでよショーン君。たぶん山口先生も混乱したでよ。
例えば、『多様な選択を可能にする学びに関する調査報告書』(gender.go.jp/research/kenky…)では女性の昇進意欲は男性のそれの半分です。パーソルの調査(rc.persol-group.co.jp/research/activ…)でも同様の結果で、日本の女性はアジアの中でも管理職昇進意欲が最低で、男女のオッズ比も最も大きい。
「女性に昇進を打診したのに断られる」という企業の困惑は実際そうでしょう。引用先から図表を持ってくるとこのようになります。
この問題は日本に限った話ではなく、例えばスーザン・ピンカーが「なぜ女は昇進を拒むのか」(hanmoto.com/bd/isbn/978415…)という本を書いていたりしますが、この本の主張はともあれ多かれ少なかれ「女性に昇進を断られる」という問題は現実的な話ではあります。
いやしれっと進めないでよね。それに女は昇進意欲が小さいんじゃい!と連呼されてもさ、それが職階分布の男女差をどれくらい説明できるのかなんも言ってないじゃん?(※3)
いやはややっぱりすり替えがうまい。女は昇進意欲が小さいというエビデンスを、それによって職階分布の男女差ひいては男女の賃金格差が生じているというエビデンスに誤認させてる。
山口先生がただ結果を述べているだけなのを「男女差別があるのだという解釈」ということにして信頼を毀損しようとする。
やりますねえ!
※3:たしか昇進・労働意欲の影響を調べた解析もあった気がする。あ、これだ馬&乾(2016)。これだと係長への昇進は意欲で一部説明可能だが課長以上はできないって結果。ちなみにこの調査では、管理職割合については属性格差(人的資本の男女差)より評価格差(人的資本の評価における男女格差。例えば同じ人的資本を持つ男女では男性の方がより評価されるなど)の影響の方が大きく、男女の職階差は差別的扱いに由来するものと結論付けている。馬ら(2017)でも昇進意欲の影響を見てるがこちらはもっと説明力が少ない。
次に、寿退社の話です。スローター「仕事と家庭は両立できない?」とその種になっているコラム"Why Women Still Can’t Have It All"(theatlantic.com/magazine/archi…)やサンドバーグ「Lean In」では夫選びの重要性が説かれます。妻の出世に協力的な夫でないと出世は難しいと言う話です。
こらまたアクロバティックな方向転換。なぜに夫選びの話に?
43歳でFacebookのCOO(その前はGoogle、さらにその前は米財務省の首席補佐官、その前はetc.)のスーパーウーマン、シェリル・サンドバーグが「女のリーダー少なすぎ!女だからって仕事辞めなくていいよ!子育ても仕事も両立できるし、バリバリ働けばキャリアだって男に負けない!頑張れ頑張れできるできる!!」と抜かすLean In (悪意的要約)と、それに「いや無理だし」と返しているアン・マリー・スローターを同じ意図で引用するってどういう脳みそだ。ほんとに読んだん?
夫選びに限定したって、サンドバーグは「理解のある夫くんが居れば無問題」、スローターは「夫は重要だけど、それだけじゃ無理」と言っている。
ちなみにショーン君の引用しているアン・マリー・スローターの文は日本語訳があるので置いとくよ。→https://courrier.jp/news/archives/77602/
最近の共働き志向の中では「出世に伴う転勤・引っ越しについてくる配偶者か否か」という問題で表出しやすくなっています。先生も研究者ですからポストを得るのに引っ越しが必要であり、現実的に引っ越しについてくる配偶者か別居を選ぶかしか選択肢がないのはご存じでしょう。
ただし、引っ越しについてくる夫を選ぶ女性が極めて少ないのは、中野円佳「育休世代のジレンマ」(kobunsha.com/shelf/book/isb…)4章2「なぜ夫選びに失敗するのか?」や、
あるいは有名どころで上野千鶴子のインタビュー(toyokeizai.net/articles/-/224…)にもそれは表れています。他人に白河桃子『「専業主夫」になりたい男たち』も同じ旨が書かれます。
女性が結婚相手選びで所得を重視するのは婚活産業や少子化関連の調査から明瞭で、言ってしまえば女性は自分の出世の邪魔になる夫を選んでしまうのですが、ここを変えようとしてもプライバシーへの干渉になるので、現実問題としてはここが非常に大きなボトルネックになっています。
まだまだ続くよ夫選びの話。ええい印象論はいい。エビデンスを出せエビデンスを。
って言うか最初に言ってた寿退社の話はどうなった。転勤・引っ越しと寿退社に何の関係があるんじゃ。
ちなみに山口(2014a)は制約は多いながらも「既婚および子供の有る女性/男性は、そうでない場合より昇進し難い/易い」という解析結果をだしている。あとさっき引用した馬&乾(2016)では結婚は女性の昇進に影響なし、男性にプラス。
しかし解釈は容易ではない(※4)。「夫が足引っ張るせいで妻が出世できない」のエビデンスには全く足りない。
あとこのツイートからわかるのはショーン君の「女が悪いフィルター」の強さかな。
「出世の邪魔になる夫」の問題じゃなくて『「出世の邪魔になる夫」を選ぶ女』の問題って言うんだぜ。賭けてもいいが、ショーン君ならDV被害はDV男を選ぶ女の問題って言ってくれるはず。
①/② 結婚が男性/女性(の昇進)にプラス/マイナスの効果を生じる
③/④ 独身が男性/女性(の昇進)にマイナス/プラスの効果を生じる
⑤/⑥ 昇進が男性/女性の結婚にプラス/マイナスの効果を生じる
①~⑥は全部同時に成立しうるし、①③⑤は⑦と、②④⑥は⑧と、⑦は⑧と排他である。
さらにプラス/マイナスが具体的に何によってもたらされるかも考えねばならない。超複雑!
最後に専門職の話。これは、実は「ジェンダーギャップ指数が良好な国ほど女性のSTEM系進学率が低くなる」現象があり、Gender-Equality Paradoxという名前で他国でも問題提起されています(eprints.leedsbeckett.ac.uk/id/eprint/4753…)。
問題提起?されたなあ確かに。その論文Stoet&Geary (2018)の信頼性についてだがね。
発端はこの論文に興味を持った他の研究者がデータから結果の再現を試みるも失敗したこと。よく見たらデータ自体も合わない(例えばポーランドの女性のSTEM学位取得率は43%だが、論文中では27%くらいになってる)ことが判明。著者らに問い合わせたんだ。
すると――聞いて驚け!――この論文の著者らはMethodsにも書いていない、非公開の独自の計算方法を用いて数値を算出していたのだと。
でまあ指摘を受けた著者は論文の大幅な――元論文の1割以上、1,113語にも及ぶ――修正をしている(Stoet&Geary, 2020)。
その訂正の多さもさることながら、元論文では言い切っていたところを「傾向(propensity)」という弱い表現に差し替えてる。つまり非公開の手法でデータいじって主張を誇張してたわけだ元論文は。
ぶっちゃけ個人的にはアウトもアウトな話だと思うんだけど、皆さんどう思う?
さらにそれを指摘した学者らの出したRichardson et al. (2020)では、国の数や男女平等の指標等が変わるだけで男女平等とSTEM分野の男女格差の相関は消えることが示された(=Stoet&Geary (2018)に再現性なし)。Richardsonら曰く「複数の指標や手法を試して結果の一貫性を確認すべき。自説に合う結果が出たやつだけ使うのはダメ」とのこと。
おっと、引用元の解説を長々しすぎた。Gender-Equality Paradox云々は置いといて、ショーン君が言いたいことは分かるよ。「女の選好のせい。女が悪い」でしょう?
良い手だが、それは結局ファクターの一つを提示したに過ぎない。それの説明力や、それがどの程度社会的に形成されたものであるのかが重要だ。
ちなみに山口先生の解析では、男女の専攻の選好は理工学部を除き、男女の職業分を説明しない。その理工学部にしても最大推定で約50%しか男女の職業分離を減少させない(※5)。
勘違いしないでほしいが、男女の選好の違いは男女のSTEM分野ないしより広い範囲の職業選択において重要なファクターの一つであることは間違いない。
論点はそれがどれくらい生物学的(対処不能)でどれくらい社会的(対処可能)であるかということだ。極端な主張の人達――100%生物学的 or 100%社会的――もいるがね。
※5:
男女の大学の選好の違いの多くは、男女の職業分離を説明しないが、例外は理工学部の女性の増大で、もし理工学部女性の割合が男性と同等になり、かつ彼女たちの職業分布が男性の理工学部卒の職業分布と同じになるという2条件が満たされるなら、タイプ1型(※6)の専門職割合の男女格差が最大の推定でほぼ半減すると期待できる。
※6: タイプ2専門職=教育・養育、医療・健康・看護、社会福祉分野の専門職から医師・歯科医師、大学教授(教員)を除いたもの。
タイプ1専門職=医師・歯科医師、大学教授(教員)およびタイプ2に含まれない専門職。
1) 元々出世意欲が低く打診しても断られる
まるで“山口先生が知らない問題”であるかのような口ぶりだが、2)と3)は山口先生の解析で男女の賃金格差の主因足りえないことが示されている(個別でも組み合わせても)。山口先生が研究で(たぶん)扱っていない1)についても要因の一つたり得るがエビデンスは少ない。
1) → 出世意欲の男女差では賃金/管理職割合格差を説明しきれない(調査も少ない)。
2) → 勤続年数が同じ(寿退社しない)でも格差は残る。また夫選びは勤続年数に影響を与えるファクターたり得るが、勤続年数そのものは