はてなキーワード: ベジタリアンとは
辛ラーメンってなんか辛いは辛いけどそればかり際立って、味に深み、いやもっと言うとうまみが足りないなと思ったわけ。
そんで原材料を見てみると、なんと動物性の材料が一切入ってないベジタリアンメニューみたいな構成だった。
しいたけの破片やみそは微量に入ってるんだけど、日本人が汁物に求めるうまみ量には達してない感じ。
うまみ成分としてはグアニル酸、グルタミン酸が入ってることになるが、動物性のイノシン酸が足りない。
これらは同時に使うと相乗作用が起きてよりうまみを強く感じるんだ。
なのでほんだしか、粉にした花かつおなんかをみそ汁作るとき並にガッツリ入れてやることがマストだと思う。
どうやら調べた感じ、韓国内で売られている辛ラーメンには牛ベースの材料も入っているらしいが、それはそうだろうと思う。
なのでダシダ(牛ベースの粉末だし調味料)とか持ってるならそっちを加えたほうが韓国らしくなるかもね。
日本のラーメンだと必ず油分が小袋で入っているんだが、それがないせいもあるかもな。
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トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ
毎回議論が脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ
なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく
文献を引いてくる気はないし単語とかいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない
これは自分がトランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである
あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい
性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である
その違和感を改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする
この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない
そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない
それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う
どれくらいいるのかはわからない
もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう
手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない
性同一性障害の治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない
五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう
今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はいる
特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている
現状のずれとは何か?
もともとこれは性同一性障害の患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったことである
性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)
トランスジェンダーという概念は性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい
本来の性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある
幼少期から違和感があった人のなかにも性同一性障害ではない人もいる
ここが本当にややこしい
色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった
今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと
女の体でも男だと思っているし、逆もまたしかり
だから外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない
そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる
その一環として自分の望む性別に戸籍を変えたいというのは、自然な流れである
性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている
で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在が社会の中で存在感を増すということは必然的に性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである
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性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す
トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる
疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする
そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダーの定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない
ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定数いるからだ
自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う
ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる
もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアンと認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな
そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない
いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない
実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない
トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的に性別というのは可逆的なものになる
いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている
実際どういう扱いなんだろうな
トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる
不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い
GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている
特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い
唯一にして絶対の正解はない
正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる
置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ
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さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダーを社会のなかで存在を増していくとどうなるか
でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然
段階的な対応が求められる
私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対に必要だと思っている
ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように
ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない
そういう感じのイメージ
いまトランスジェンダーが議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う
非現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる
それに対してびっくりしてしまう一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい
こういう人たちはトランスジェンダーをサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな
なぜならそんな風に一般大衆を論破してもトランスジェンダーの理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだからだ
ロビー活動としては下の下、愚の骨頂
トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性は女性です」の言葉が象徴するように常に周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる
だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない
まだその段階にない
それが性別でわけられたスペース利用についての議論のスタート地点
ではゴールはどこなのか?
これは人によって目指すものが異なるだろう
そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう
望むゴールが違えば話はどんどん食い違う
譲歩しているのだ、と双方が思っている
トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている
混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う
いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう
私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている
性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合は一定数残していく
その数のバランスはニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい
以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました
色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった
満足しました
コスパって自分の中の尺度としては使うかもしれない。でも他人と共有するのは難しいと思う。
コストって誰にとっても同じ。マックのチーズバーガーは誰が買っても200円。そこに趣味嗜好思想信条を挟む余地はない。でもパフォーマンスはそれが全て。どう受け取るかなんだから。
ベジタリアンか潔癖か肉が好きかジャンクフードか嫌いか。痩せたいからと低カロリーを好むか、金が無いからより高カロリーなものを求めるか。エシカルコンシャスネスみたいな点ではネオリベかレイシストか共同体主義者かどうかだって無関係じゃないだろうし。何を求めるかもバラバラならコスパだって不揃いになる。
まあハンバーガーならシンプルに味が一番の興味になる事が多いだろうけど、味なんて好みの分かれるものの代表例だろうし。評価の物差しすらも常に共有されてる訳じゃない。
車とかならまあ分かりやすいかもしれない。単に移動手段と割り切る人は少なからずいるだろうし、それなら車体が安く燃費も良い、操作性が快適で安全性も高い、そういうのがコスパの優れた車って事になると思う。
ただそれは単なる移動手段と目的を定めた場合であって、そのコスパをもってしてカッコイイ車を求める人を非合理的だとなじるのはナンセンスだし。
都市部/地方に住むか、車や家を持つ/持たないか、ブランド品を身に着ける/身に着けない事のコスパを論じるのってインターネットで大人気だけど、それは相手が自分と同じ目的でなければコスパの議論なんて始まらないし、人間が全員同じ目的で生きてるなんて事もない訳だし。
相手が自分と同じ思想信条を共有していると断定した上で「コスパの悪い生き方をするバカ」みたいな事を言う人もいるみたいだし、宗教の時代って全然終わってないなって思う。
ヴィーガン発祥の地でもあるイギリスは、世界で最もヴィーガン人口の割合が多い国といわれています。
2014年から2018年にかけてヴィーガンの数が4倍の60万人にまで増えたことが、英国ヴィーガン協会の調査で明らかになりました。
これは環境や動物福祉への意識が高いためとみられています。例えば、食品についての関心事項として動物福祉を挙げる人は、消費者の43%に上ります(英国食品基準庁調べ)。
スーパーや飲食店などでヴィーガン食品を多く取り扱っていることもあり、ヴィーガン食の選択肢が豊富なことも大きな要因です。
アメリカでは、ここ数年でヴィーガン人口が爆発的に増え、2019年の調査では970万人ほど。また年平均で4%近く、ヴィーガン人口は増え続けているといいます。
特にミレニアル世代といわれる、10代〜30代前半に実践者が多い傾向です。アメリカでは10人に4人が肥満といわれており、多くの人が自国の食事は不健康だと感じています。
肥満が心疾患などの病気を引き起こすこと、医療費が高いなどの理由から、食生活を見直し、ヴィーガンを実践する人が増えている傾向です。
(参照:Yahoo!ニュース)
肉の生産国として有名なオーストラリアでも、ここ数年でヴィーガンが増加しています。オーストラリアは若い世代に実践者が多く、一説には国民の10人に1人がヴィーガンともいわれています。
オーストラリアはアメリカとトップを争うほどの肥満大国でしたが、政府の働きかけもあり健康志向の人が増えたことが、ヴィーガンが増加した理由といえるでしょう。それに加えて動物愛護や環境問題への関心が高まったことも要因です。
酒のツマミになる話で「河童に一つだけ質問出来るとしたら何を訊く」という大悟の問いかけがあった
なんだろうな…
「人類の敵ですか?」
かな
でも、牛とかも襲うから人類だけの敵ってことは無いだろうな(生物全体の敵?)
「尻子玉抜く理由はなんですか?」
の方が良いかな?動物や人を襲うのは遊びの一貫の様に感じる。「食べる為」とかではなさげ(つーか肉食なのか?胡瓜好きとか言ってるからベジタリアンな可能性もあるよな。藻とか喰ってそうだし)
あ、
「なんで亀の甲羅を背負ってるんですか?(防御するなら頭部にすべきなのに何故背中?ファッション?)」
の方が良いかな?
水死した人の怨念とかだっけ。中華系由来とかもあるかな(そもそも日本オリジナルの妖怪ってなんだろうな?)
まあ、色々な由来があった気がする。自分は折口信夫の本なんか読まないから、たぶん京極夏彦かなんかで読んでるんだろうけど
いま、wiki見てきたけど「土木に従事した(合羽橋の由来になった)」ってのもあった。そうだそうだ。そんな話も読んだことある!
妖怪ってそういった「何かしらの存在意義・理由」を持ってるよなあ
人間からするとわけわからん悪戯したり人命を脅かしたりする存在だけど、なんか意味あるんだよな
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokusai_kappa.jpg?uselang=ja
面白いですね!木星の衛星に住む生活は、地球とはかなり異なるでしょうね。太陽から遠い場所では寒さが厳しいかもしれませんが、室内で快適に過ごすことができるのは良いことですね。
動物を食べないというのは、ベジタリアンやヴィーガンの考え方に似ていますね。昆虫を食べるというのは、いくつかの地域や文化で行われている食事習慣です。それは資源の利用効率が高いことが一因かもしれませんね。
野菜を冷凍しておくことは、長期間の保存に適していますし、必要な時に解凍して食べることができるので便利ですね。
木星の衛星での生活は、地球とは異なる要素がたくさんあるでしょうが、その特異性を楽しんでいるようですね。宇宙での生活は、新しい挑戦と発見が待っていることでしょう!
やっぱベジタリアンってクソだわ。マスダーも肉を食え肉を。
ひとかけ ニンニクだね。ニンニクは剥くとミカンの房みたいになってるからその一房分くらい。8gくらいかな
いしづき(食材の特定名称) キノコだね。精進料理やベジタリアンでは肉の歯ごたえといって珍重されるんだけどたいていは切りおとすものだね。えのきだけは石突きにオガクズが混じるから、外からみえるよりちょい上で切り落とそう。
縞に切る 茄子かキュウリかな? シマシマになるように皮を剥くとなんかかっこいいだけだとおもう。
削ぎ切る(切ったもの使うの?捨てるの?) これは両方あるけど石突き・茄子のへたは捨てるね。刺身やチャーシューはもちろん捨てないね。常識で判断するかここにまた聞きに来て。
聞き慣れない材料または調味料(多分スパイス)(パクチーや大葉みたいな香草を調味料でなく野菜として使う頭おかしいレシピもあるので油断できない) パクチー大葉おいしいよ。あと地方野菜とかあるからまあググれ
ブレンダーとかプロセッサーとかスパチュラとかの謎の調理器具 スパチュラはバケガクでも美術でも使う、単なるヘラだよ。プロセッサーは処理機で(刻むマシンで誤用されてそう)ブレンダーはブレンドするものだよ(練るマシンで誤用されてそう)。