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2024-10-28

anond:20241027115735

永井みみ先生の「ミシンと金魚」親がいるなら、これを読んでおけ。介護認知症やら、そこらへんの変な書籍より断然価値があるぞ

2024-10-24

ビッグコミックスペリオール史上最も重要マンガ5選

https://anond.hatelabo.jp/20241023001913

リーを見てみると週刊チャンピオンやあろうことか少女漫画を一緒くたでまとめ切った方もいらしてすごいなと思いつつ、自分が愛読している雑誌自分の手でどうにか出来そうなのはどこかな?と考えた末に選んだのはこの雑誌でした。

自分が読んだ時の実感と漫画史においての位置とこの雑誌の不遇というか地味というか中途半端なところを捉えつつ僭越ながら書かせていただきます

この雑誌しかたらこから黄金期じゃないかなあ。

味いちもんめシリーズ/原作:あべ善太 作画:倉田よしみ(協力:福田幸江、花形怜、久部緑郎) 1986-連載中(備考:連載開始時の掲載誌ビッグコミックオリジナル増刊)

この雑誌の創刊から連載されているレジェンド中居正広ごきげんようSMAP内での格差をボヤいてすぐに企画されたテレビドラマでも知られている、あともう少しで40年というロングセラー

初っ端で辻調服部喧嘩を売ったり最近ではマナー講師血祭りにしたりするが普段は素朴な和食職人物で『江戸前の旬』をはじめ青年誌に多数のフォロワーが。

ストーリーテリングが下手なので先輩後輩が突然消えたりするがそれも意外と飲食店あるあるなので気にならないという奇跡最近再遊記の久部さんが合流したのでもう少し話が落ち着きそう。

あずみAZUMI/小山ゆう 連載期間1994年14号 - 2008年23号(あずみ) 2009年2号 - 2014年6号(AZUMI)

ヤングサンデー武田鉄矢と組んで坂本龍馬を描き切り名実ともに小学館巨匠漫画家のひとりへ。『おーい龍馬』のときでもたまに見せる残虐シーンの迫力にただものではない雰囲気を出していたがスペリオール移籍した今作でリミッターが脱落。

英雄とされた数々の武将たちやその配下忍者刺客その他が凄腕のスナイパーである無垢美少女あずみの手によってどんどん殺される。味方もモブ平等に斬られて命を落とす。そしてちゃんと血みどろに表現する。

そしてこのあずみという美少女無垢という設定の元よく全裸になる。修行の滝行で全裸。お風呂全裸。戦って切り刻まれて半裸。よく本番やらなかったな。作者の好みがそっちじゃなくて良かったな。(当時実写主演が決まってた上戸彩に過大な期待と心配があったという)

実写化も落ち着き人気が下火になったなと思ったら話をまとまらないまま終了。突然題名が『AZUMI舞台幕末となる。というよりは舞台は前作『おーい龍馬』の世界に入りあずみはついに…(これは読んでくれ)

小山ゆう恐るべし。今ビッグコミックで描いているけど大丈夫かな……。

ラーメン発見伝シリーズ(ラーメン発見伝らーめん才遊記・らーめん再遊記)/原作:久部緑郎 作画:河合単 連載期間1999年23号-2009年15号(発見伝)2009年17号-2014年5号(才遊記)2020年5号-連載中

天才原田の「イエース!!」が話題になりついにこの作品がこの雑誌看板まで登り詰めた。だって最初の頃このマンガで一番目立ってたキャラクター藤本くんでも佐倉さんでもあの芹沢達也でもなく「ラーメン石神秀幸」だったんだから。化けたよホント

オーソドックスな主役藤本くんの成長譚だった発見伝の次に「誰も共感できない天才ゆとりちゃんを主役に据え上司芹沢の苦労を引き出しラスボス芹沢とは違った側面を引き出したのも憎い。『銀平飯科帳』(たまには新作書いてください)を挟んで再び出てきたときには芹沢達也というキャラクターが完成していた。その間に脇のキャラクター造形が一段と深みを増し(永友とか坪内とかよく考えついたな。モデルが誰だろう…)現在にいたる。

麺一郎・汁二郎・具三郎のあとどういう風に物語を作っていくのか、ちょっと目が離せない。

サンクチュアリ/原作:史村翔 作画:池上遼一 連載期間1990年-1995年

トリリオンゲームと迷ったが池上遼一の「ストレート」を分かっていないと「魔球」が分からないということでこの作品を。

ヤクザ政治家という表裏のサクセスストーリーを同時進行に描き10巻という巻数でまとめ上げた手腕が見事。

医龍-Team Medical Dragon-/原案:永井明 作画:乃木坂太郎 連載期間2002年10号 - 2011年4号

マイケル・クライトン原案の『ER緊急救命室』がブームとなり医療ものドラママンガが作られたが程よいエンタメ性とキャラクター造形の上手さで最大の影響を与えた作品2006年の実写化ドラマからフォロワー作が目白押しとなる『コードブルーからドクターX』に至るまで医龍が無ければ存在し得なかったと言っても過言ではない。

あと乃木坂太郎先生も『夏目アラタの結婚』でさらに化ける。

選外になった作品

もともと他の小学館青年誌に比べて年齢層がなかなかはっきりせず漫画家が集まりづらかった。転機はヤングサンデー休刊によって作家がここまで辿り着いたことだと思われる。

今回選べなかった作品は以下の通り

岡崎に捧ぐ/やまもとさほ

岡崎さんの話より自分語りの方がやりたそうな感じがずっとあったが、本当に岡崎さんと仲が良かったのかねえ?

女の子ものがたり・上京ものがたり・営業ものがたり/西原理恵子

きれいなサイバラ。まあ少しずつキレイなままでいられないところがチラホラ。

西原理恵子人生画力対決ダーリンは70歳シリーズ/西原理恵子

汚いサイバラ画力勝負は羽海野先生を担ぎ出したのが最大の功績。高須のアレはもうすでにギャグですらならなくなった。クマごまかしているが細かく見るとさあ。

江川西本/原作:森高夕次 作画:星野泰視

哲也の頃から星野先生の眼がたまらない。ヤバい人の描き方いつもすごいよなあ。森高先生はグダるクセどうにかして下さい。

夢かもしんない・本気のしるし・ルナハイツ/星里もちる

星里もちるギアに入ったのがスペリオール時代特に『本気のしるし』は凄かった。凄かったけど選びたくない。あとこころまれたのは『夢かも…』の方。

血の轍/押見修造

すごい作品ですよ。よくこんなの描けるなと。これからどう評価されるかちょっとからないけど、選びたくない。そういう作品なので覚悟を。

キーチ!!・キーチvs/新井英樹

モーニングヤンサンスピリッツで傑作をものにしながらここは合わなかった。

コタローは一人暮らし/津村マミ

最悪の想像をしながらコタロー中心にコミュニティができてくるし現実の苦さが時々感じるのもいい。結末もベストじゃないけどそれしかないのかあという納得も。

遅ればせながら追記

Moonlight Mile機動戦士ガンダムサンダーボルト/大田垣康雄

書いていたはずなのに抜けてて顔面蒼白に。とはいえギリギリ次点なのは吾郎と理代子の性的な強さについて行けなかったのと第二部になってから長官になり責任に押し潰されつつある吾郎キャラ違和感を感じて。

サンダーボルトもすごい作品だしムーンライトマイルで培った描写力が生かされて思わずため息が出るのだがこれはファーストガンダムありきなんだよなあと。

響 〜小説家になる方法〜/柳本光晴

芥川・直木同時候補はさすがに冷ややかになる。曽田正人細野不二彦ならある程度カタチを見せるけど『龍と苺』もそうだがサンプルの出し方が下手。

フットボールネイション/大武ユキ

身体のことは多分どのサッカーマンガより知識量が多い。だからプロ選手からの支持が大きいんだろうな。下部リーグにしては上手すぎるのはご愛嬌か。

劇光仮面/山口貴由

これはこれから。『覚悟』や『シグルイ』とは別の話の流れが見えるのが頼もしい。

淋しいのはアンタだけじゃない/吉本浩二

佐村河内サイドからもう一度盗作事件を掘り起こすつもりだったのに聴覚障害について触れていくうちにいろいろ見えてくることに。それでも佐村河内夫妻はひどいけど。

2024-10-11

授業で短歌に興味を持ったら図書館に行け

断言する、学校図書室は短歌好きにはクソだ

なぜってそもそも数が少なすぎる、置いてあるとしてもせいぜい20程度、しか現代歌人ほとんどないなんてこともしばしば

それと一つの作者に対して1、2冊は少なす

石川啄木みたいに一冊しかないならまだしも、塚本邦雄俵万智の様に複数冊出している歌人は何冊か読むと傾向や時代の変化が感じ取られるから

面白いのに…

それで図書館に行ったら、あるかどうかわかんないけど短歌雑誌を読め。とりあえず色んな人の短歌が乗ってるし、読んでりゃひとりふたり気になった歌人が出るだろう。

さっぱり分かんなくてもいい、いいが

メモをしておくといいぞ。後で調べたり分かったりして「あっ!」ってなるから

で、短歌 俳句の棚は色々ごちゃ混ぜになってる

花の本もあれば技術的な本も

その中でおすすめなのが穂村弘の本だ

この方の大ファンからなのもあるが、この人は

若者にハマる短歌が多いし、技術的な解説も分かりやすい。逆に分かりにくいのは寺山修司歌論

あれは私でもわからんとこはある。

後はあればだけど斉藤斎藤とか永井祐とかもいいぞ。口語だし、世界観共感やすい。

私は好きじゃないけど、宇野なずきとかもいいんじゃないか?

それで読んで行くと疼いて疼いて堪らくなる時がある、短歌を作りたくて堪らなくなるんだ

こうなったら読んでる場合じゃない、本を戻して図書から脱出して短歌メモしろ

その時にしか作れない短歌絶対にある

もうめちゃくちゃでいい、31文字に合わせるなんて後からでいい、短歌しろ

言葉が足りないなら戻って辞書を引け、辞書

面白いマジで

から言えるのはそれだけだ

短歌楽しいぞ 苦しい時もあるけど

2024-10-08

ほな、相対性理論っちゅうのを簡単説明するで

相対性理論(Soutaiseiriron)は、日本バンドやねん。2006年に結成されて、独特な音楽スタイル歌詞で人気を集めてるんやで。メンバーは、ボーカルやくしまるえつこさんを中心に、ギターベースドラムの4人組やねん。

彼らの音楽は、ポップ、ロックエレクトロニカなど、いろんなジャンルミックスしてて、ちょっと不思議な感じがするんやけど、それがまた魅力的やねん。歌詞も独特で、日常出来事感情を詩的に表現してるんや。

例えば、「シフォン主義」っていうアルバムは、軽やかでふわっとした感じの曲が多くて、聴いてるとなんか心が軽くなるんや。やくしまるさんの声も、透明感があって、聴いてると癒されるんやで。

相対性理論音楽は、ちょっと変わってるけど、聴けば聴くほどハマる魅力があるんや。ぜひ一度聴いてみてな!

(もう少し詳しく教えてください)

もちろんやで!相対性理論についてもう少し詳しく説明するわな。

メンバーについて

相対性理論メンバーは、以下の通りやで:

やくしまるえつこボーカル):バンドの顔であり、独特な声と歌詞で知られてるんや。彼女ソロでも活動してて、アートデザインの分野でも才能を発揮してるんやで。

永井聖一(ギター):バンドサウンドを支えるギタリストで、独特なギタープレイが特徴やねん。

真部脩一(ベース):リズムセクション担当してて、バンド音楽に深みを与えてるんや。

西浦謙助(ドラム):バンドビートを刻むドラマーで、リズム感が抜群やねん。

音楽スタイル

相対性理論音楽は、ジャンルの枠にとらわれへんのが特徴やねん。ポップ、ロックエレクトロニカジャズなど、いろんな要素を取り入れてて、聴くたびに新しい発見があるんや。例えば、「シフォン主義」や「ハイファ新書」っていうアルバムは、どちらも違った雰囲気を持ってて、バンド多様性が感じられるんや。

歌詞の魅力

やくしまるえつこさんの歌詞は、日常出来事感情を詩的に表現してるんや。例えば、「LOVEずっきゅん」っていう曲は、恋愛のドキドキ感をユーモラスに描いてて、聴いてると楽しくなるんや。他にも、「ミスパラレルワールド」っていう曲は、ちょっと不思議世界観を持ってて、聴く人を引き込む力があるんやで。

ライブパフォーマンス

相対性理論ライブは、視覚的にも楽しめるんや。やくしまるさんの独特な衣装ステージ演出が、音楽と相まって、観客を魅了するんや。ライブしか味わえへん一体感があって、ファンにとってはたまら体験やねん。

相対性理論音楽は、聴けば聴くほど新しい発見があって、何度でも楽しめるんや。ぜひ、いろんな曲を聴いてみてな!

(では最後に、相対性理論現代の音楽シーンへの影響を教えてください)

相対性理論は、現代日本音楽シーンに大きな影響を与えてるんやで。彼らの独特な音楽スタイルアプローチは、多くのアーティストバンドインスピレーションを与えてるんや。

音楽スタイル革新

相対性理論は、ジャンルの枠にとらわれない音楽を作り出してるんや。ポップ、ロックエレクトロニカジャズなど、さまざまな要素をミックスして、新しいサウンドを生み出してるんや。これが、他のアーティストにも影響を与えて、ジャンルを超えた音楽可能性を広げてるんやで。

歌詞の影響

やくしまるえつこさんの詩的でユニーク歌詞は、多くのリスナー共感を呼んでるんや。日常出来事感情を独特な視点で描くことで、他のアーティストにも新しい表現方法を示してるんや。特に若い世代アーティストにとって、やくしまるさんの歌詞は大きなインスピレーション源になってるんやで。

インディーズシーンへの貢献

相対性理論は、インディーズシーンからスタートして、メジャー成功を収めたバンドやねん。これが、他のインディーズアーティストにとっても希望となってるんや。自分たち音楽を信じて続ければ、成功できるというメッセージを伝えてるんやで。

コラボレーションと影響

相対性理論は、他のアーティストとのコラボレーション積極的に行ってるんや。これが、音楽シーン全体に新しい風を吹き込んでるんや。例えば、やくしまるえつこさんはソロ活動でも多くのアーティストと共演してて、その影響力は計り知れないんやで。

相対性理論音楽は、聴く人に新しい視点感覚提供して、現代の音楽シーンに多大な影響を与えてるんや。これからも、彼らの音楽がどのように進化していくのか楽しみやねん。

他にも気になることがあったら、何でも聞いてや~。

https://anond.hatelabo.jp/20241008145649

https://anond.hatelabo.jp/20241006225346

2024-08-08

さら追記

https://anond.hatelabo.jp/20240807091141

引用元を書けと言われたので書く。

/よみびとしらず

古今和歌集 出版社忘れた

/俵万智

風のてのひら 河出書房新社

/寺山修司

寺山修司歌集 講談社学術文庫

/小山光夫

橐駝 現代短歌

/土屋文明

往還集 岩波書店

/野口あや子

くびすじの欠片 短歌研究文庫

/永井

日本の中でたのしく暮らす 短歌研究

/穂村弘

シンジゲート 沖積舍

/林あまり

現代短歌 2018年12月号より 現代短歌

/服部真理子

行け荒野へと 本阿弥書店

/杉崎恒夫

パン屋パンセ 六花書林

//森垣岳

多分現代短歌 2018年3月現代短歌

/俵万智

プーさんの鼻 文藝春秋

「じゅうろくとよんといちと

じゅういちとじゅうに=(にあまり)」

自作) 未発表

○方は二十五 鈍器ブローカー 秘書求む。__

桃色の踵の

しかもなほ雨、ひとらみな十字架うつしずかなる釘音きけり

塚本邦雄 自選集から引用 出版社忘れた

2024-08-07

よいなと思う短歌を書く。

すがるなく秋のはぎわらあさたちてたび行く人をいつかとかまたん/よみびとしらず
花札の絵柄のような春よ来いなんてことない日も悪くない/俵万智
しろ手に堕ちし雲雀をにぎりしめ君のピアノを窓より覗く/寺山修司
足もとに末枯れゆく草おほひゐてザボンひとつを分けあひて食ふ/小山光夫
山川のとどろとどろと暮れゆけば西の狭間の光こほしも/土屋文明
やるせないと思えるうちはまだ光っているのだろうなブラウスふわり/野口あや子
いるんだろうけど家に入って来ないから五月は終わり蚊を見ていない/永井
夕焼けの雲に向かって「アカ」「アオ」と水兵さんの手旗信号/穂村弘
台風が近づく朝にサキちゃんもカイくんも来てお鍋は空っぽ/林あまり
泳ぐには少し早いね真っ白な切手を売って暮らしていたい/服部真理子
やさしくて怖い人ってあるでしょうたとえば無人改札機みたいな/杉崎恒夫
あたたかな桃と思えば産まれ出てまもなく吾子の頭に触れる/森垣岳
ついてってやれるのはその入り口まであとは一人でおやすみ坊や/俵万智

おわり。

後書

「じゅうろくとよんといちと

じゅういちとじゅうに=(にあまり)」

こんな短歌ばかり作り続けてもう10年になる

改めて先人の残した歌に触れてみると自分の実力の無さに嫌気がさすが同時にもっと短歌を作りたい!と思ってしまうのはなぜなんだろう

金があれば一万冊でも歌集を買いたいものだが、世間のいう貧困のもの生活をしており、それは願いにしからない。ここに取り上げた短歌は家にあった歌集をかき集め、抜粋したものである

本当は塚本邦雄の歌も入れたかったのだが、変換に出てこない一文字があって断念した

多分こんな歌だったらしい

○方は二十五 鈍器ブローカー 秘書求む。__

桃色の踵の

この○だけが思い出せなくて断念した

もしこれを読んであなたもいい短歌が思い出したらそれを大切にしてあげてください



追記

手帳を見返してたら塚本邦雄短歌がもう一首

メモしてあった

しかもなほ雨、ひとらみな十字架うつしずかなる釘音きけり」らしい(合ってる?)

隣に書いてあったのは「男やもめにうじがわく」だった。謎

2024-07-22

挨拶否定的な人の心理

「夜ふかしの読み明かし」というPodcastで哲学対話永井玲衣が「なぜ挨拶をするのか」というテーマ挨拶に対して否定的立場で話していたのが気になったので書いてみる。

アメリカ黒人同士が目と目で挨拶存在承認)し合う、という話が少し前にネットで話題になっていたように、挨拶そもそも相手存在承認だ。

まり「お前の存在無視していない」というメッセージだ。

挨拶しないでけしからん」という意見は「無視しやがってけしからん」と同義だ。

それぐらいで大人げないという意見もあるが、無視はいじめの基本だ。無視だけで人は病むしヘタすれば死ぬ

意図的無視相手存在否定である

お辞儀の確度とか挨拶の仕方に文句をつける人達はクソだが、挨拶されて返さない人は、相手存在否定していい、ひいては相手が死んでも構わないと考えているわけだ。

こう考えると、挨拶がないと怒る側が権力者で怒られるのが若者であっても、挨拶1回しなかっただけで大人げないという意見はあっても、怒ること自体は仕方ないといえるのではないか

挨拶不要考える人は、人間にとって異常な状態である都会での生活を標準だと勘違いしているのではないか

満員電車や、街ですれ違う人に挨拶をしないのは、他人が多すぎて互いを路傍の石のように無視しないとコミュニケーション負荷が高いので、お互いの存在無視あいましょうというコンセンサスが成立しているだけの話である

結論: 挨拶人間の基本

2024-06-19

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

2024-06-16

永井喜四郎

読みは“ながいきしろ”で長生しろのつもり。

何故か変換したらそんな名前が先頭に出て来た

有名なんだろうか

anond:20240613203515

追記)ユロックの母さんの記事面白かったので続きを書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240619014605

本文)

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないもの批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判内面化されていないわ。

そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。

rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。

Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments


もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。それでも村上春樹攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。

追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。

???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。 - tick2tack のブックマーク / はてなブックマーク

tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。

すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれ修正主義はその後、ソ連中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。

まり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態からな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。

(/追記2)

お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の正体って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは当時のバシール大統領断罪をはじめ、現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。





ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義ますます膨れ上がるだろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。

MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員不倫していたことをネタ糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

朝日新聞人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端ポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。

2024-06-08

国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-05-08

anond:20240508111115

ウィキペディアでは省略されているが、丸善石油(現コスモ石油)のテレビCM放映と「モーレツごっこ」が描かれた「ハレンチ学園」との間に、名古屋小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道があった。

マンガや本で「性」を学んだ昭和の男子たち (2017年7月29日) - エキサイトニュース

1969年4月ごろから丸善ガソリンテレビCM『Oh! モーレツ』での女性スカートがまくれ上がる表現が全国のお茶の間に流れ、センセーショナル話題に。名古屋小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道名古屋テレビ番組『やあ!やあ!ガキ大将』内で教育評論家の阿部進氏が報告)がされる騒動になります

永井氏はその現象インスピレーションを受け、さっそく7月10日発売の『少年ジャンプ/創刊1周年記念号』の巻頭で『ハレンチ学園モーレツごっこの巻』を発表しました。

「スカートめくり」自体は『ハレンチ学園』以前からあった|ちゆ12歳

この記事は、『やあ! やあ! ガキ大将』の司会をしていた阿部進さんが書いており、1969年6月29日放送された回の内容が紹介されています

それによると、6月放送テレビ番組の中で、次のようなやりとりがあったそうです。

番組に出演した子供に、「いま、名古屋地方では、なにが、はやってますか?」と質問

女の子オッパイモミモミっていうのが、はやってるんです。(中略)女の子どうしよ。男の子はやんないの」

男の子「ぼくはネ、スカートをめくるの」

古今亭志ん馬さん(番組ゲスト)「スカートめくりは、うちのコもやってるの。学校でネ。(中略)やられた女の子が、モーレツっていうんだ。スカートめくるのは、べつに、どうってことないよね。おもしろがってやってるだけだもの

これを受けて、7月発売のジャンプで『ハレンチ学園』のスカートまくりの回が掲載されたという順序です。

2024-05-07

anond:20240507153932

こうして公にされてしまたからその屁理屈通用しねえんだわ。

ネットに晒されて害意が明確になって永井の周辺がいつ通報してもおかしくない状態なのに

ブコメ読んでて心情が入ってない短歌を探してたら楽しすぎた件

https://anond.hatelabo.jp/20240506061423

ブコメを読みながら「心情が〜」「我を表現するものが〜」みたいなコメントが気になって

「そんなに心情入れたがるものか?」と思って

心情が無い(?)短歌を探していた






四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら

/俵万智




まず心情で思い浮かんだ一首がこれだった

歌集「風のてのひら」の中に収めらたタイトルにもなっている歌。確かにブコメにあった通り、我を表現してはいるが、心情はどこにあるのだろう

この歌に「私はこう思いました」とか「こうだなぁ」とかは一切無いわけで作者にとって四万十を見た光景を切り取ったそれだけの歌である

だがらずっと私はこの歌には心情は無い!

と信じていたのだが俵万智本人は後書きでこう

語る

川面をなでてゆく風の手のひらは、目には見えないものですが、心には見えるものです。そして心に見えたものが、その時はじめて、歌になってゆくのではないでしょうか」

なんてこった「川面をなでる風の手のひら」自体が心情そのものだったのである

これでまずは一敗




バスタブに座って九九を覚えてる遠くにデルタブルースきこえる

/永井

日本の中でたのしく暮らすより

これは流石に心情は無いでしょう。多分

だけれども現代短歌、というかライトヴァースを

知らない人からしたら「こんなの短歌じゃない!」となるかもしれないかレギュレーション違反






ペーパーフィルター世界の始まりを目守る神々の春のゆうぐれ

/穂村弘

もはや「??」としかならない一首

シンジゲートより抜粋したが、穂村弘ワールドに置いては日常的によくあること。

私はあんまり頭が良くないので心情がどこにあるかとかこの歌は分からないけれど、頭がいい人なら分かるのかな



風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしシーツをかける

/笹井宏之

もう心情とか探してる内にどうでも良くなって

ただ好きだなと思った一首。

この人の歌は本当に変わった歌が多くて

例えば

「みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドドラム

この歌には「みんな」がいて「私」がいない

穂村弘

だが、《私》のエネルギーで照らし出せる世界がある一方で、逆に隠されてしま世界があるのではないか。笹井作品の優しさと透明感に触れて、そんなことをふと思う。とある

そうなって来るとますます短歌俳句ってどう

違うの?となってくるわけで



そんな時、歌人井辻朱美」がパン屋パンセにてこんな事を語っていたのを思い出した

休日のしずかな浮き雲のピザがいちまい配達される

詩歌とはこんなふうにひとつの窓、フレームを作るところから始まる。雑多な混沌を片寄せて、まず何もない空間をこしらえる。きれいになった場所にモノを置く。そうして初めて、そのモノはちゃんとモノとして見え、意味クリアに発信する。」と

まり私がひとつ俳句短歌の違いとして言いたいのはフレームの大きさの違いであ

俳句17音のフレームにどこか季節があって

短歌31音のフレーム自分が反射してる事もあるし季節が見える事もある。そのフレームの中をどうにか素敵にしたいと奮闘する

それが俳句 短歌なのではと

必死フレームに収めようとすればするほど、フレームは歪んでしまうし、収めなければフレームある意味が無くなる。だからむずかしい

でも楽しいのだ、よく分かってないけれど



最後ちょっとだけ不思議な歌を上げておく

死刑囚はこぼれてゆくトラックタイヤにつきてゐ花粉見ゆ

/寺山修司





おわり

永井豪フェミニズム

永井豪漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります

少年漫画には歴然エロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画エロからも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。

永井は、1970年前後少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女ヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画あんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女主人公しかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身性別を超越した存在として描かれます。)

実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったもの比較すれば、永井作品いか先進的であったか理解できると思います

強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女今日少年漫画女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性エロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています

私は、永井作品が、1970年から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。

そんな永井先生仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります

anond:20240506130556

2024-02-27

Vtuberおすすめ教えて

動画配信黎明期からゲーム配信とか好きで見てるしやったこともあるんだけど、

近年のVtuberブームには全然乗っかれない。

何でなのかなって考えると、やっぱり自分は素の人間が好きだし見たいんだなって思う

Vtuberってそもそもキャラクターを演じてるという前提があって、

もちろんその中で素が見える場面はあるんだと思うんだけど、基本的にはペルソナだよね。

逆に、顔出しのYoutuberだって完全に素の自分じゃなく演じてる部分はあると思うんだけど。

結局、嘘の自分、本当の自分、のどちらを押し出しいるか

自分がハマってきた動画配信者を振り返ると、基本的本音で語る配信者が多かった。

もちろんそこにも作り上げられた虚像もあるんだけど、根本的に自分に似てるってのもあるのかな。

アイドルとして見ているというよりは、どこか友達の延長線上というか、

からやってほしいゲーム送ったりしたことはあるけどスパチャとかいう発想にはならない。

今、そういう配信者で残ってるのって加藤純一界隈くらいしかいないけど。

一番ハマったのは永井兄弟ピアキャスでつないでYP眺めてた頃、めちゃめちゃ楽しかったな。

何が言いたいかっていうと、そんな俺でもハマれそうなVtuberがいたら教えてほしい。

2024-01-07

小学校の時に顔がキモくて永井菌とか言われてた永井くんは

中高時代にすごくスラっと背が伸びて結構男前になり

成績が良くなって普通に彼女できてたな

2023-12-03

縦書きを試してみる

永井

こんなんもあったわ

Change.org




#軍拡より生活 !~未来の子どもたちのために平和を!

24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。

 政府がこれまで掲げてきた、少子化対策労働者賃上げ女性や1人親家庭、非正規労働者性的マイノリティ子どもなど、社会的弱者のための公的支援政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。

 政府の全世代社会保障構築会議は昨年末改革の方向を示しましたが、働く女性過半数を占める非正規労働者子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本教育への公的支出先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊課題である少子化が防げません。

 ところが、自民党税制調査会は、こうした課題真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税所得税たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。

 子ども女性少子化対策なおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和模索してください。

 今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活平和を守る「女性目線政治必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業技術人材投資してください。女性安心して生活し、働ける環境なしでは、男性子ども貧困します。

 戦後安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙国民投票もなく、特に女性社会的弱者の声を聞くこともなく進められています私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。

 私たちは、岸田文雄首相政府与党野党各党の代表連合代表に対し、

 1、軍事費GDP比2%を撤回すること

 2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性子ども若者社会的弱者目線に立った政策を進めること

 この2点を行うことを強く求めます。   

平和を求め軍拡を許さない女たちの会

竹信三恵子 ジャーナリスト和光大学名誉教授

杉浦ひとみ 弁護士

上野千鶴子 WAN理事長 東京大名誉教授

前田佳子 日本女医会長

田中優子 法政大前総長

奥谷禮子 ザ・アール創業者

伊藤和子ヒューマンライツナウ副理事長 弁護士

和田静香 ライター

菱山南帆子 市民運動家

福田香子 アクティビスト

平井美津子 大阪大学立命館非常勤講師

浜矩子 経済学者

東村アキコ 漫画家

代表賛同人(順不同)

望月衣塑子 新聞記者

島田雅彦 作家

駒井知会 弁護士

中島京子  小説家

狩野史枝  与那国島の明るい未来を願ういそばの会

高橋済   弁護士

吉永みち子 コラムニスト

米澤明憲 東京大名誉教授

武市正人 東京大名誉教授

西山誠子 弁護士

長谷部大介 DJ/サウンドプロデューサー

井上春生 映画監督

向井徹 編集者

鳥越俊太郎 ニュース職人

平嶋彰英 立教大学経済学部研究所研究員

安彦恵里香 Social Book Café ハチドリ舎

木村医師・文筆人        

古橋綾 大学准教授

渡部睦美 記者編集者

三牧聖子 同志社大学

本田宏 NPO法人利用制度研究会理事

前田亜紀 ドキュメンタリー映像作家/プロデューサー

小野川文子 北海道教育大学教授

吉岡正晴 音楽ジャーナリスト

宮嶋みぎわ 音楽

津山恵子 ジャーナリスト

黒部エリ 叙述業

三上智恵 映画監督

佐々木芳郎 写真家映像作家

加藤雅司 歯科技工士

五野井郁夫 政治学者

髙橋済 弁護士

石田多叡子 自営業

疋田哲夫 放送作家

海北由希子 自営業 

川口真由美 シンガーソングライター

松井寛子 映画宣伝 

柏崎智子 新聞記者

大坂恭子 弁護士          

西山温子 入管面会活動フレンズ」        

出田阿生 新聞記者          

小林由比 新聞記者

奥野斐 新聞記者

藤原恵美子 映画製作 

青木正美 医師   

元橋利恵 大阪大学大学人間科学研究科招へい研究員

清末愛沙 室蘭工業大学大学教授

星野親行 僧侶 

丸川司文 僧侶

加藤真悟 僧侶

那須野あつ子 僧侶

森祐昭 僧侶

徳正俊平 僧侶

木山響心 僧侶

永井康子 一般社団法人 WITH理事

原田冨美子 編集者 

大袈裟太郎 ジャーナリストラッパー

高瀬毅 ノンフィクション作家

中山和郎 合同会社 きろくびと

米田龍也 日刊ゲンダイ 

まのあけみ 名古屋入管人権侵害をなくす市民の会

高田健 総がかり行動実行委員会共同代表

岡田元治 株式会社リンク 代表取締役社長

アルテイシア 作家

朝岡晶子 団体職員

佐治洋 CL代表取締役

豊島智子 ふくふく女将

山田厚史 ジャーナリストデモクラシータイム同人

志葉玲 戦場ジャーナリスト

山岡淳一郎 ジャーナリスト

進藤榮一 筑波大名教授

小林三四郎 配給会社代表       

山崎雅弘 戦史・紛争研究家

小泉朋 映画プロデューサー

北原みのり 作家

庵逧由香 立命館准教授

富岡Grico ドラマー

宮子あずさ 看護師

猪股哲 南西諸島ピースネット共同代表

中津留章仁 劇作家演出家 

石山悦子 演芸作家

大川和子 遺品3Rディレクター

橋本智子 弁護士

馬場紀子 医師 

生田あい 沖縄意見広告運動事務局長

上原公子 元国立市

秋山則子 新聞記者

小林美穂子 つくろい東京ファンド

比企敦子 日本キリスト教議会(NCC)教育主査

中谷臣 東山高校教師

浜田真理子 音楽

深月ユリア ジャーナリスト女優

白井聡 政治学者

高田昌幸 大学教員

海野雅威 音楽

ジョー横溝 『君に問う』編集長ラジオDJ

松元ヒロ スタンダップ・コメディアン 

田中稔 社会新報編集長

藤井誠二 ノンフィクションライター

島薗進 NPO東京自由大学学長

前川喜平 元文科事務次官

三枝成彰 作曲家

打越正行 社会学者

長間信子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

福浜美津子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

山口京子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

増田雅昭 会社員音楽ブロガー

川上真二 社会福祉士

立岩陽一郎 InFact 編集長

北丸雄二 ジャーナリスト作家

宮崎亮 新聞記者

竹田昌弘 通信社記者

鈴木耕 一般社団法人ジン代表理事

岡田行雄 刑事法研究者

恭子 矯風会グループ代表

永尾佳代 熊本原発止めたい女たちの会代表

シェリーめぐみ ジャーナリスト

松本圭介 歌手

有田芳生 ジャーナリスト

工藤剛史 CL取締役

中田亮 音楽

柏尾安希子 神奈川新聞記者

黒田貴子 歴史教育者協議会副委員長

丹羽雅代 一票で変える女たちの会

後藤弘子 千葉大

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