はてなキーワード: 日活ロマンポルノとは
「ハートを打ちのめせ!」という少女漫画がエロティックで当時衝撃受けたな
中学生で日活ロマンポルノをやりたいという趣旨だったそうなのでだいたい全部性的な話なのだが、特に印象に残ってるのはアツコの話だ
中3のアツコは同級生の彼氏とヤりまくっているのだが、彼氏は典型的な田舎DQNであり、デート先でアツコが「これかわいい、でも高い~」などとアクセサリを手にしようものなら、後から万引きして渡すなど倫理観がなかった
それでも好きだし付き合ってたのだが、彼氏がDQNなのはみんなが知っていることであり、別れた方がいいとたびたび周囲に言われた
実は彼氏は彼氏宅でヤる際に、隣室に友人や後輩を潜ませており、生セックスの見学をさせてあげる代わりに1人につき1000円もらうという商売をやっていた
アツコに怒られて万引きをやめたので、その商売で得た金でアツコへのプレゼントを買っていた
彼氏の友人から贖罪とともに過去に見学をしたことがあると打ち明けられ、見学のことを知ったアツコはとうとう彼氏に嫌気が差し、それを通り越し恐怖を感じて別れを告げた
後日、彼氏はアツコのもとへ押しかけ「全員分のを撮ってきたからこれでおあいこだ、お前だけが見られっぱなしじゃない」とポラロイドの写真を見せた
セックスを一方的に見られ裸を見られたことにアツコが怒って別れを告げたなら、見学者たち全員の裸の写真を撮ってアツコに見せればおあいこだという理論だ
彼氏の友人のうち陽キャたちはピースして撮影されているが、嫌がって抵抗したのに無理矢理撮られたのだろう、殴打痕だらけでボコボコにされている者もいた
アツコはそんな写真などで許せるはずがなく、ますます彼氏に恐怖しついていけないと思ったが、結局泣き縋られて哀れになって彼氏とよりを戻してしまう
少女漫画、基本的には優等生が多いし、エロ系の俺様キャラでも金持ちエリート故の俺様みたいなのだから、なんか田舎の頭が悪くて貧乏な家庭で育ったDQN中学生の生々しさを描く、下品さを描ける少女漫画というのは当時びっくりした
なんでそんな男とよりを戻しちゃうんだよと怒りに震えたね
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
アマゾンで日活ロマンポルノ見てたんだけど有名女性芸能人を拉致した男性が彼女に
「お前はなんだ!言え!」って迫って、女性が自分の芸名を答える場面があったのね。
で、それに対して男性が「違う!お前は黒豚だ!私は黒豚ですって言え!」って詰めてたんだけど
これやっぱ芸能人は位が高いから豚じゃなくてちょっと高級な黒豚にしたのかな?
黒豚は日本だと鹿児島県産の「かごしま黒豚」が有名だけど、割と日本各地にご当地黒豚がいる。
俺の地元の埼玉では黒豚といえば「彩の国黒豚」だったりするし。
地方に転勤になって彩の国黒豚全く売ってなくてビックリしたよね。
ちなみに日本では「黒豚」と呼んでいい肉はバークシャー純粋種の豚肉のみと法律で決まってる。
書く。
[コナンが超人すぎる。普通の人にはラナを助けられない。ダイスとモンスリーはずるい] ← 古代人の生き残りだから理由があるだろ(全部は見てないけど)足指の動きがおもろい。昭和の少年のふとももと足指を鑑賞するアニメ。
[クラリスがピュアすぎる。あんな娘存在しない。ルパンが奇麗すぎる。五右衛門がナンパすぎる] ←アニメファンは気づいていたのに上映館が少なくテレビの金ローで枠とった。999やヤマトなどはタイアップ曲がものすごく浮いていてバカにされてるのにカリシロは歌までしっかりよくて全体のヨーロピアンな雰囲気がよい。わざわざヨーロッパ(今より円が安いころ)いかなくても実写や特撮と戦えるところをじっくりみせてもらった。ハイジでためてた高原ヨーロッパの清涼感からするとあれくらいはキレイじゃないとダメだろ。人は添え物。というか地上波でモンキーパンチのセックスアンドシーフみたいなやつだせるわけねえだろが(原作レイプ1)
[死んだのに生き返るなんて原作と全然違うじゃん。あと、土鬼どこいった]←原作派のいいぐさじゃん。まあ俺も原作の後半のきれいなジャイアンみたいなやつらをたたきのめす現地民ナウシカ好きだけど。映画は、ほぼクロトワの映画やぞ
[パズーがホストかってくらいホスト。見張りの時飛行船の上でやってるよあれ]←今のホストってあの程度でいいのか?なら50代男性マジで全員おまえらより男子力たかいわ…おまえら全員誘い受けなんだな…
[声優。トトロの息臭そう]←25年たってもスキャンダルおこさない声優っていいよね(鈴木なんとかとか櫻井なんとかとかだったら今頃大変なことに)トトロはおまえら世代でいうピカチュウ。ちょっとおぼえて書いてやるとめちゃ絵が上手い人っていわれる
[ニシンのパイは実際見るとグロいよねぇ。あと、パンツ]←宮崎駿のパンツ罪を直視したければパンダコパンダを見ろ。あいつはロリ。あとこの辺から堂々と原作レイプしはじめるの巨匠とはいえどうかとおもう。
[なんで豚になるんだよ] ←書いてる宮崎の自画像1。鳥山明とおなじで一生フィギュア・ジオラマつくっていたかった性癖がでてて割と好きだが。それより、併映が問題。覚せい剤スキャンダルをおこしたチャゲアスのOnYourMarkが封印されてるの解せぬ。オタクだの表自戦を名乗って「作品評価と作者の行状は切り離せ」いうならまっさきにこいつを騒ぐはずなんだが?性犯罪ばっかりなのおかしいよな。
[タタラ場で働く女たちの服装が乱れているのが気になって集中できない]←若者のリビドーがあれで騒ぐならおまえら日活ロマンポルノみたら爆発しちゃうんじゃねえの。緊縛そば打ちでも見てろ。26年前の映画がいまだに歴代興行収入7位にいる。ちなこれつくったときの宮崎57。女性から異議なし。ジャージでもどうでもいいんだよ。働く女性の表現、トロフィーワイフ化されてない女性表現として宮崎にしてはとても正しいほうだ。
[カオナシって結局何だったん] ←ネットで強いくせに人前では「ア」しかいえなくなるおまえらそのものだよ
[動く城のハウルでよかったんじゃない?タイトル] ←もはやそこしかケチがつけられんのか… まあ観客全員ハウルが抱くから(開始3分で)あとは多少カエル化しても宮崎と大泉洋と経験豊富なばあさんズがなんとかしてくれます
多少原作レイプみがあって重病女性をおこらせたがゲドではもっと盛大に怒らせている
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原作をいい方向にレイプ。というかわりと文章通りなんだがデコの可愛さは民衆にはまだ早かったんや
キャラデザと声優と二人乗りの自動車が最高。原作は馬車だから原作レイプだけど。唯一ブロマンス的深読みができる宮崎作品だが完全ヘテロで夫人に全員メロメロいっちゃうのでワトスンヒロインにしてあげてほしかったんよ(cv内海賢二だけど)…。(完全ヘテロでメロメロ、ではないドリカム編成という意味でオンユアマークはよいぞ)
(ここから追記)バロンと豚猫の階級差がすごいんだけど実は豚猫のほうがかっこいいというこれも宮崎の自己投影がここちよい(そう、俺たちは怠け者が実は好きだ。あれっオレなんかやっちゃいました?の元祖だろあの豚猫)。元増田原作未読だけどもはや東京西部の田園都市線あたりに生息していたラクロス女子を伝える文化遺産として永久保存したほうがいい。バロンはのちのハウルというかわりと連荘ででてきて急にどうしたとおもった
(追記ここまで)原作レイプだけど黒歴史に共感性羞恥をおぼえる腐女子多数。聖司の解釈がブレすぎて最近実写がでてしまう
昔でいうモーションキャプチャーかスターシステムにちかい。男性側アイドルが実はヘテロではないお方だったような気がしてヘテロ役として固定されてしまうのが今みるとちょっと気の毒(龍が如くもジャニー報道でそういう気の毒がまじるんだけど)追記 ギバちゃんが界隈に人気だったのは人気だっただけらしいや、よかったな…
顎でパワセクハラのいやらしさをいっぱつ表現。さすがやで。最後飛びまわるのはちゃんと性交比喩してます。たのしいね。
鴨を鬱にしちゃった。原作が息継ぎないけどこれはいい原作レイプだったとおもう(だって下痢たれてやせほそって死ぬ子供なんか地上波で放映できないじゃん)ちなみに原作者を妹のミルクを盗みのみしたことを一生悔いていた。それを宇野に挿絵かかせて夢野久作がごときまがまがしさですごいからおまえら骨餓身峠でも読んでろ
鈴木色強め
跡継ぎィ… 一番原作レイプがひどかったのはこれ。原作ファン俺も怒ったし原作者が怒るのもやむなし(主人公をホワイトウォッシュしちゃってる)。
原作は2巻が至高。名前が大きな意味をもつ世界で名前をうばわれ意味のない神々に仕える巫女。その庭に遠くから使命を帯びて忍びこんだ黒人おっさんを閉じ込めて飼ってるうちに実在をうたがっていた神の怒りが黒人の上に具現化、なんと巫女をつれて脱出し、…てのを日本人の秘島あたりに翻案したほうがずっとおもしろかったんじゃなかろうか。まあもう二度と許可がおりない(原作者死亡)ので新海が別の方面から達成しちゃったので満足するしかないわな。
映画化は13巻の王子とのブロマンス的なやつなんだけどあの心理描写はなかなか映像化できんとおもう。あと1巻師匠との修行のくだりはぶかれてるのも世界説明がなくて意味がわからんだろ。
のちに巫女とゲドは原作で結ばれるんだが、それも非常にいい話でポテンシャルがあった。
なんで息子にやらせたんだよ…。
宮崎に少女漫画ごときつくらすな感。京兄か新海がやれ(のちの京アニスタッフだったらまことにすまねえというか近藤さんか…)
自画像2。日本には地震とか地震とかあったけどずっとスタジオ入りして毎日絵をかいてた宮崎であった。
原作レイ…、もう名前つかわんでええやろ。おもろいけど。ヒチコックの鳥くらい鳥がこええ。
基本宮崎駿は「ヨーロッパの風景」「多摩の風景」に「世界童話全集」「聖母的スーパー女性像(ババアからロリ、人妻まで幅広く)」と「ダメ男のダメこだわり」をのせてすごいパースと動きでごらんくださいと調理する腕前が世界に誇れる巨匠で、だんだん女性像とかがこなれてきておもろくなるばかりなので次もマジがんばってほしい CGとアイフォンはつかえないけど鉛筆と紙で何億稼ぐ男だからゆるしてやれ
おまえらの新海はどうなるんだろうな
庵野は人間的成長したけどその分特撮部分が不評だったのでもう人間ドラマはあんまりつくらんでええとおもう 庵野は青春の日の幻影
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暗い雰囲気、病んだ雰囲気を消費していただけで、今よりはずっと呑気で適当だった印象
ピチカート・ファイヴの曲を時系列に並べると、確かに90年代中頃から暗い曲が出てくるけれど(小西康陽のメンタルの波が影響していたらしい)、やっぱり雰囲気を消費していた感じがして、暗い時代という実感はない
ミニシアターでヌーヴェル・ヴァーグとか日活ロマンポルノとかやってて、エヴァの影響で神代辰巳の青春の蹉跌とか青春の殺人者とか見たけど、60年代から70年代は暗いんだなって思ってた
秋葉原は全盛期へ向かう助走が始まる熱があった頃だろう
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。
AVとの違いでいえば、AVは実際に挿入する(実は日本の法律では挿入行為を記録した映像を公開すると猥褻物頒布になってしまうので、挿入してないという「建前」になっているが)のに比べ、ピンク映画の濡れ場は擬似本番で挿入行為をしないことがほとんど。
挿入行為を行うものは「ハードコア」(欧米発祥の呼び方)と呼ばれて区別される。
またピンク映画の「18禁」はあくまで自主規制のレーティングであり、AVのように条例でも指定されるものとは種類が違う。
普通のR-15映画やゲームのレーティング等と同様に考えてもらえればわかりやすい。
だからレンタル店などでもAVは条例に基づき暖簾奥などに隔離されるが、ピンク映画は「18禁」の表示がありながらも一般の棚に並べられる。
ピンク映画出身で他に有名な映画監督だと、近年クリーピーでも存在感を見せたJホラーの黒沢清、平成ガメラや実写版デスノートでおなじみの金子修介か。
よかろう、本コメント補足委員長に立候補いたすwww 無事当選、九頭龍閃wwww コポォwwwwwwwww
まず、増田氏は「ロマンポルノ」という単語を使っておるが、それだと「日活ロマンポルノ」だけを指してしまう気がすなるwww
この定義なら、大手以外の映画製作会社によって作られたポルノ映画全体のことを言えるのでまほろ駅前多田便利軒www
はい、ここで増田のシナプスに注目ゥwww 彼のシナプスは「大手映画」という単語をキャッチしたことにより分子レベルで疑問が浮かんだでござるな?www な?www なあなあ?wwwwwww
ピンク映画が流行る前の1960年頃、日本の映画製作は大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が牛耳っており、五社協定というものが結ばれていた。
ドプフォwww つい五社協定なんていうマニアックな単語が出てしまったwww 五社協定というのは、専属監督・俳優らに関する協定のことでござるなwww 他社所属の監督・俳優の引きぬきや貸出は禁止ですというモノwww ま、これぐらいのボキャブラリィ存じ上げておったかwww スマヌスマヌwww
なんでそんな協定ができたかwww 当時は多大な需要を満たすために、スター俳優を中心としたシステムを作り上げて大量の本数を作っていたのじゃwww
そうなると、客を呼べるスターを引き抜いちゃえばいいじゃんと泥沼の戦いになってしまうとwww
ところが、1960年代後半になると、日本における製作本数のうち半分近くがピンク映画になった。(ピンク映画自体の製作本数も桁違いに増えた)
正解はテレビでしたーwwwwwwwwwwww ブフォオッwwwwwwwwww
テレビの浸透によって映画館への客足は鈍り大手五社の製作本数も激減www 五社協定(新東宝が倒産し、日活が加入)は1971年をもって消滅www
つまりですなあwww 映画文化自体は残りつつも、製作は予算の安いピンク映画に流れたというわけでござるwww
だから、増田の言った「昔にはよくある光景」っていうのは正解かもしれないwww
正直、拙者は資料でしかわからないけどwww フォヌカポゥwwwwwwwwwwwwwwww
ちなみに、ピンク映画は「低予算かつ女の裸が映っていれば何でもいい」という思想があるwww そのため、敷居が低いことから作家性が強い作品も多いwww
浜野佐知のように一般映画では稀有だった女性監督ですら存在したwww
最近の若者も知ってそうな人だったら、「愛のむきだし」の園子温や「カツベン」の周防正行などなどwww
そんな感じで由緒あるピンク映画界隈だけれども、最近は廃れつつあるらしい。
ちょっとググってみたのですが、かつて200本以上の製作本数を誇ったピンク映画ですが、2010年には50本近くになってしまったとか。
どことなく漂う昭和の残り香は消えゆく文化の残滓。跡をたどって、DVDなどで新しい世界を覗いてみるのもオツなものかもしれません。(「成人映画館」自体はかなり敷居が高い印象・・・)