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2019-06-20

anond:20190620145908

これは女性特有権力一種から閉鎖的空間だと増幅されるんだと思うよ。

もちろん男性もやることではあるけどね。


女性権力の一つに承認力の強さってのがある。

例えばあるコミュニティ内において男性だらけで固まっていると社会から危険集団であるとみなされる可能性が高くなる。

これは犯罪者の内訳として男性が非常に多いという特徴があるから

まり女性というのは社会的に安全安心ものであるという無意識の共有概念存在するんだ。

これは男性女性も持ってて「女性安全である」という概念人類ほとんどで共有してる。

から女性がある人間を好んだりすることってのは社会的に非常に強い意味を持つ。

まり女性が「あの人が好きです」とか「あの人は優しいです」というとそれだけで社会的に安全だとみなされる効用がある。

もちろんこれも男女にかかわらず作用する。

なので、女性他人を褒めること自体ものすごいパワーがあって世間から推奨されるように感じてくる。

これが女性性における承認権力

これは逆説的にに人を否定することに対しても恐ろしい効力を発揮する。


こういう女性権力自覚していない女性は徐々にこの行為に酔うようになってくる。

特に女性で固まるコミュニティ内はどんどん歯止めが利かなくなる。

褒めれば褒めるほど身内や自分好きな人や物はエンパワメントしていくし、外様人間はどんどん悪魔化していく。

から外の人間を定期的に連れてくる必要があるんだけど、女性だとミイラ取りがミイラなっちゃうし

男性コミュニティに入れるってのも解決策にはならないし、実際危険なこともあるから推奨はしない。

なぜならこの承認権力エンパワメントされた男性暴走するから


このエコーチェンバーはすごく不健全快感を生むしかなり危険兆候なので少しコミュニティから距離を置くことも考えてもいいと思う。

もちろんみんなが自覚して節度を守ってるんなら問題ないよ。

2019-06-16

Metoo、Kutoo、パンスト、箸などの偏見エンパワメントしぐさ

頭の悪さを晒すゲーム?なんで流行ってんの?

2019-06-14

自分の見た目に興味がない

最低限の無難な格好はしてるけどそれ以上の装いやメイクに興味がない

そういうことを言うと「もっと自分大事にして」「自尊心が弱ってる」とか言われるのが不快

見た目に興味がない人はどこか心がおかしいに違いないという価値観を平然と垂れ流す無神経さが嫌いだ

他人の心のうちを勝手見積もって頼んでないのにエンパワメントしようとする傲慢さも嫌いだ

あんたらに心配してもらわなくても私はちゃんと私のことを愛してるんで

2019-06-10

anond:20190609214735

彼女らは言ってみりゃ武装するつもりで主体的に履いてるわけで、本来ドレスコードってそういうものでしょ。その場で最大の効果を上げるために服や靴を選んでる。そして、足が痛かったらフラットシューズ履くし、スニーカー履く。それが許されない職場だったら辞めて他に行くでしょうね。

翻って、KuTuuって騒いでる人たちって、自分意志ハイヒールを脱ぐことを選べないのよ。だから対外的に見て異様に見えるし、日本の女ってそこまで低い地位なのかって驚かれてる。

でも、その実態って、みんながヒール履いてるのに自分だけフラットシューズを履く勇気がなかったり、ドレスコードとしてヒールの靴って書いてあれば「足が痛いかフラットじゃダメですか」なんて聞こうともしない。クビになるかも知れないし、ヒール我慢してる他の女からいじめられるかも知れないからね。会社からハイヒール履かなくていいでちゅよー おくつは自由でちゅよー」って言われないと怖くて靴一つ選べない。だからみんなでハッシュタグつけて騒いで、なんとかお上禁止してもらおう、そういう甘ったるいアクションなのわけ。後進国以前よ。

#MeTooはいわば密室のことであり、告発することで自分恥部さらリスクがある、だから、あのような形であなただけじゃないという連帯を取る意味はあったかも知れないけど、#KuTuuはその猿真似しか見えない。服装規定が明文化されたルールであるのなら、表で一人ひとりが、あるいは同じ職場の誰かと一緒に立ち向かえる理不尽なのに、どうしてインターネット上の見も知らぬ誰かとふんわり徒党を組む必要があるのか。

こういう運動エンパワメント目的にしたものならまだわかるんだよ。「私は自分会社ルールを変えました。みんなも声上げて変えましょう」とか「同業種でヒールの高さに規定がある企業とない企業を比べました。就活生は参考にしてね」とか、そういうのは実がある活動じゃない?。でも、そのゴールが「厚労省規制してもらいましょう」ってとこで脱力ですよ。なんで横並びを求めるのよ。

自分職場理不尽ルールがあるのなら、自分がそこで反対すべきだし、自分職場で戦うべきだと思う。

もし、それが明文化されていない暗黙のルールであるなら、戦うまでもなく、黙ってフラットシューズ履いていきゃいいんだよ。それで職場と揉めたら、そこではじめて社会問題にするべきだよ。

この問題で声を上げている人の大多数は実際にヒール強制されてないと思う。ルールもないのに、暗黙の了解として「みんなこうだから実質強制されてる」と決め込んでるだけ。

今の世の中、冠婚葬祭でもヒール強制されてないんだよ。ビジネス現場だってスーツにあうフラットシューズが大流行だよ。フラットシューズ文句いわれたら「足痛めちゃいましてね」って笑えばいいだけの話じゃないの。黙ってても、50過ぎたら足もむくむし黒い健康シューズみたいのが主流だし、子育て世代は危ないからやっぱりフラットシューズ履いてるよ。それなのに「冠婚葬祭でもヒール強制されないようになるといいですね」とか言っちゃってる。文句言う人も今どきほんといないよ。今日、今からその靴を脱いで履き替えるだけのことがどうしてできないのかと思う。

結局、何におびえてるかというと、一人だけ浮くのが嫌なだけでしょ? もっというと、自分他人を「イタい」とか「マナー違反」とか陰口言うから自分も言われるのが怖くて仕方ない。

でも、どんな場所でも好きなように振る舞ってる人はだいたい周囲から怒られたりはしないし、だれもそこまで他人の服や靴なんて気にしてない。

結局、直接自分で声を上げないし自分では動かない、会社お墨付きいただきお局に目をつけられず小町で陰口書かれずマナー講師に怒られない保障がほしい、なんならお上規制してもらいたくてしかたない、そういうハッシュタグ運動家ほど、自分の作った社会通念に他人を押し込めようとするんだよ。そういう奴隷根性が遅れてると思うわ。

2019-06-08

id:hokke-ookami さん、あのさあ……

「ジェンダー」という台詞と、漫画の細部に宿る神 - 法華狼の日記

記事の本題はどうでもいい。気になるのはここ。

楠本まき氏の下記インタビュー記事に対しても、どうやら引用された一コマの印象が一人歩きしているところがあるらしい。

楠本まき氏の漫画は、あえていえば「オサレ」と評されるようなタイプ作品であるインタビューで語られたような社会的メッセージ作品内の台詞でわかりやす説明するような作風ではない。

たとえば「通り魔説教」*1と評される『クロエ流儀』のように主人公特権的メッセージを主張するタイプ作品ではないし、作者が在特会を当然視*2する『魔法少女プリティベル』のように作者自身メッセージがむきだしなタイプ作品でもない。

インタビュー楠本まき氏は「ステレオタイプを描いちゃうのは、キャラクターの設定を詰めきれていないということでもある」と語り、「エプロン姿にオタマ」という事例をあげていた。

しかし、そもそもジェンダーバイアス」という話題に限っても自論を答えられること自体作品の細部までこだわっているということではないだろうか。楠本まき氏は「ジェンダー」だけをテーマにしているわけではないのだから

ちゃごちゃ言っているが、要は、例の「ジェンダーバイアスに「よいジェンダーバイアス」とか「許容範囲ジェンダーバイアス」なんてないんですからなくなった方がいいですよね?」というセリフ作品全体のテーマ、ないしは作者である楠本まき自身の考えとは違う、という主張らしい。

なるほど、主人公とはいえフィクション登場人物安易に作者本人と重ね合わせるのは危険だし、実際読んだことはないので分からないけど楠本まき作品本来そういう直接的なメッセージからは遠い作風なのかもしれませんね。

でもさあ、最初にあのコマをわざわざ作中から引用」して取り上げたのは、楠本まき本人じゃん?

エンパワメント。|楠本まき|note

発売中の2月号では、総てのジェンダーバイアスのかかった漫画よ滅びろ、と、いう趣旨のことを描いたのですが、

漫画家の皆さん、ひとつご協力よろしくお願いします。作家が皆今後一斉に、もう、使い古されたジェンダーステレオタイプを描くのはやめよう、と、意識するだけで、ほぼ解決したも同然です。

今まで気づかずうっかり自己偏見をそのまま垂れ流してきてしまっていたとして、たとえば担当さんに言われて初めて気づいたら、そこで悔い改めるなり恥じ入るなり、身悶えして変わればいいじゃない。

それとこのインタビューの内容を合わせれば、ほぼほぼ、あのコマのあのセリフが作者自身メッセージですって認めたようなもんじゃん?

「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」。漫画家・楠本まきはなぜ登場人物にこう語らせたのか | ハフポスト

仮に自分の考えはこのキャラのこのセリフとは違う、それは完全な「誤解」だというのなら、noteでもTwitterでもいくらでも説明の機会はあったのに、これまで楠本まきはずっとスルーしてきたわけじゃん?

なにがどう「引用された一コマの印象が一人歩きしているところがある」の?ねえ、id:hokke-ookami さん?

ここでこう言っても絶対に信じてもらえないだろうけど、私はどちらかといえばリベラル左派の側の人間だ。人生軽く行き詰まってるけど、どうせ死ぬなら適当ネトウヨ集団と刺し違えるのも悪くないかもと軽く思ってるぐらいには。

でも、ガチリベラルな人たちが時々やる、こういう下らない擁護(なのか?)だけは見てて本当にイライラする。事実事実と認めない、論点を果てしなくズラして問題を無かったことにしようとする手法

お願いだから絶対にやめてほしい。こんなやり方、保守バカに付け入る隙を与えるだけでしょ。

頼むよ、ほんと。

2019-04-08

anond:20190408152438

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。

おうち探しの結論が「大好きなフレンズと一緒のここがおうち」であるなら、「人間フレンズにひどいことした」は、避けて通れないかと。

イルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える

元々の話は、人間動物ねじ曲げてしまたことの悲劇、罪悪感、グロテスクサが表現されてるか、でしたよね。それらは一つの責任の取り方かもしれませんが、そうしたニュアンスは、存在しないかと。リョコウバトの場合、「君の家族は全員死んだけど他にも仲間はいるよ。殺したの俺の仲間だけど」というのが「責任」かと言われると、ちょっと。もちろん、絶滅動物に対して人間が償うべきなのか、どう償うのかは、大きなテーマであり、けもフレ2内の1エピソードとして処理するのは限りなく無理です。しかし、だったら最初からリョコウバトを出さなければ良いかと思うわけです。そのあたりが深く考えてないという話です。

余談ですが「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います

キュルルが、イエイヌ孤独、寂しさを理解しつつも、「飼い主の責任」のために去って行く、と、取れる描写があればよかったですね。また飼い主の責任の話を強調するなら、イエイヌが「ヒトなら誰でもよい」と言ってしまってるのがダメでしょう。イヌは「ヒトなら誰でもよい」生き物ではないわけで、そっちのほうが誤解が大きいし、「イヌは人なら誰でもいいんだから、他の人に、あげればいいじゃん」という無責任に繋がりかねません。

私なら、最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。

何歳くらいを対象に考えてるのかわかりませんが、「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからないと思います

サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。

あの時、サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、「同じ系統のパワー」に見えるんですよね。一期の野生解放と同じものか、ちょっと混乱する。

内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。

念のために確認しますが、私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います。一つの作品で、画面に映ったこと全部に完璧説明をつけようとすると、かえって面白くなくなるので。それを理解した上で「すべてに筋を通すべく没頭」するのは一つの楽しみ方ですが、作品単体にそれを要求する必要はない。わからないことがあることを含めて楽しめば良いかと。もちろん、楽しめないほど大きな矛盾があれば別ですが、私はそれは感じませんでした。

他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。

続編作品のほうが様々な制約があり、オリジナル新作ほど融通が利かないのはその通りだと思います現場の方々は整合性を取ろうとしたのだと思いますけもフレ2で、派手でない部分で、筋、整合性を通してる部分があるのも、もちろんだと思います

その上で、重要な部分で、フウチョウが出てきたりするあたりはファンタジーであるなと。「記憶ケムリクサが不自然に発動したこと」にご都合性がないとは言いませんが、「幻想だか現実だかもよくわからないフウチョウコンビが、どこにでも現れて説教する」は、後者のほうがファンタジー度が高いでしょう。

キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要がありますベタなのは、それによってセルリアンを倒す助けになるとかですね。そうでなくても構いませんが、そういうのが必要です。けもフレ1で、かばちゃんミライフレンズ化だったというのは、「セルリアンに食べられたかばんちゃんが復活した理由」というドラマと結びついてるから意味があるわけです。

ワカバ場合ワカバリン関係性、ケムリクサの赤い霧の世界がなぜ生まれたか姉妹達とはなんだったのか、という、キャラ動機起源世界の成り立ちが解かれて、それが最終決戦の盛り上がりに繋がるところに意味があるわけです。ワカバが、宇宙人なのか、天使なのかの細部は、想像に任せるで良いのです。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

合理性があろうがあるまいが、1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います

そして「”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしま」うこと自体簡単かもしれませんが、その結果、出来上がった作品面白くなるか、評価されるかというと、それはまた別問題ですよね。「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

不備について、いくつかは、これまでにも書いたと思います。この記事だと、イエイヌ周りとか、キュルルちゃんの「おうち」「正体」周りですね。

細かな不備はさておき、大きく重要なのは、おっしゃっていた「視聴者視点では行動が横暴に見える。」という点が、印象に残る点だと思います。作り手の意図として「視聴者に対して、キュルルを横暴に見せたい」と思っていたわけではないでしょう。だとするのなら、意図に対して演出脚本が失敗しているわけです。

初見ではわからいかもしれないが、よく考えるとわかる」部分があるのは作品に深みを増しますが、それは細部にやる話で、ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない、というのが普通の作劇かと。

anond:20190408014023

広い意味調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまます

けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカアシカにショーをさせ、イエイヌ人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。そうだとするとヒトの業はアンチテーゼとしては機能しないです。ただ、テーマについて、議論を受けて改めて考えなおしてみたのですが、それぞれ責任の取り方を示唆する決着にはなってたと思いますイルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える。イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います木村監督仕事受けたあとインタビューで「娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ」とお話したそうです。この言葉謙遜、およびプロとしての矜持だった、道具に徹するという意志の現れだったのでしょうが騒動で傷ついていたファンには「たつき監督への侮辱か」と受け取られてしまったようで、残念なことです。作劇のプロとしての基準がどのようなものか存じませんが、一般的エンタメ方法論の尺度では、(見得を切った割には)十分な水準に達していなかったということでしょうか。俺としてはとっちらかっているとまでは思えなかったです。

「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。性格自己申告の目的がわかりやすくするため、と申しました。サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。むしろ俺は貴方レベルでそれを見落としたことに驚いています。すくなくとも演出の目論見は失敗したと言っていいでしょうね。

ミドリケムリクサ自体回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。

いただいた他の論はあまり説得力を感じませんでしたが、この解釈は的を射ていると思います考察によって筋を通すことができる、それに耐えられる作品になっている。そういう信頼がたつき監督にはあり、木村監督には無かったのでしょう。見返しておられるとのことで詳しくは控えますが、あらゆるポイント伏線と回収があります。りんが記憶の草を触られて居心地悪くしているシーンは流し見るとなんかエッチ雰囲気に見えてしまますが、きちんと意味のある描写です。内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。俺はけもフレ2もSFアドベンチャーとして設定を考察していますしかし先に触れてらっしゃいますが、全体的な伏線-回収のスタイルには2つの作品は確かに大きく異なっています

「さぁとっとと野生解放するのです」… かの名言を忘れているとは。おっしゃる通りで返す言葉もないです。やれやれ咀嚼が足りてないですね。噛めば噛むほど味が出る、これがたつき監督けもフレ1以後の作品凄さでした。個人的には、けもフレ2もそのスピリットを色濃く受け継いでいるように思えます

ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなりますけもフレ2は、そういう作品ではないので、

これには異を唱えておきますけもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。ボスウォッチでキュルルちゃんを探すことができてしまうと、けもフレ1で海に落ちたボスラッキービーストは探せなかったのと矛盾が出る。伏線だけでなく視聴者の印象にも配慮しなくてはならない。最終話唐突ボートが出てくると、あれ? けもフレ1のかばちゃん出立でバスを使ったのはなぜだよ、というショックを与える可能性があるので、うみのフレンズ回で予め出しておく。”うみのごきげん”はそのタイミングで合わせて出す。パーク内でのボスウォッチの在り方は、けもフレ1では”脳みそソコについてんのか!?”というビックリ要素でしか無かったですが、バスハンドルディスプレイウォッチをかざせというようなGUIがあるところからみて、ウォッチボス形態の一つだったと考えられます。そして引き出しに大量の異型筐体のボスウォッチ。「コレを持っていって」っと手渡す。様々な疑問に筋を通す解釈を俺は見つけることができました。見逃してしまうような設定開示を考察で結ぶことができる、これはたつき監督お家芸だったはずですが、継いだ最初仕事再現できる手腕には舌を巻きます

このようにけもフレ2では設定が矛盾しないように、しかもそれを前面に押し出さず(制作が苦労している感が出ないように)背後で処理している。考察を進めると考える上でヒントになる(あるいは制限になる)情報があちこちにあるわけです。視聴時の情報の引っかからなさが、けもフレ2の優れたポイントです。キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズなら、コレは擬似的に不老不死を実現していることになる。そうすると、けもフレ1の山頂の戦闘機にも理屈がつけられるような気がしませんか。よくある批判に、キュルルちゃんの正体が最終的には謎じゃないか、というものがありますがそれを言うと、わかばの正体も最終的には謎でした。俺から見ると、どちらも読み解くのが… とても楽しい貴方ほどのレベル視聴者にこの作品メルヘン扱いされているのは、勿体無いことこのうえないです。”義憤”や”同調圧力”などがそうさせてるとしたら… ううむ、最初の諍いのとき制作プライドを曲げてでも頭を下げて、互いに許し合うべきだった。残念です。

あのシーン(引用者注けもフレ1の全員集合シーン)を、フレンズセルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラ基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

2019-03-05

anond:20190304231849

新しいものさしで眺めて初めて本当は嫌だったと認識するようになった。

以前は別のものさしで測っていて望ましいと思って率先してやってた。

これをエンパワメントって言うのなんだかなあと思う。

2019-03-04

anond:20190304060721

分かってないなあ

から#metoo共感によるエンパワメントなんだって

やすだの石を投げるだの絶対に許さないだの、そういうものとして把握しようとすることがそもそもズレてる

2018-12-09

そうは言ってもさ、ブスじゃん?

http://papapico.hatenablog.com/entry/2018/12/06/125644

このぱぴこさんの記事をはじめとする相席スタート山崎ケイの「ちょうどいいブス」論批判を読んで。

私は批判してる人たちみたいに賢くもタフでも正しくもないのでまとまりないですけど。

でもまぁ明らかにブスだからさ。

「そんなことないよー!」待ちとかじゃなくてさ。

美醜ってそこそこ歴史の積み重ねられてきた強度のある価値観で、資生堂あたりが「美人バランス」に基づいたメーキャップ提案なんかする程度には明確な基準があるわけでしょ?

そこに照らし合わせたら、明確に私は美しくないし、ブスなんですよ。客観的事実として。

30年くらい生きてたらそれはもう揺るぎない事実として理解しますよ。

そこで事実として「ブスなんでね」って話をしてるのに、アリアグランデに「そんなことない! あなた可愛いわ!」とか言われたって、いやいや、今そういう話してねえから

可愛いとかマインドの話じゃなくて物理的な、造形の話をしてるわけだから

自分のことは好きですよ。でも自分最高!と「私はブスである」という自認は別に普通に両立するじゃないですか。

っていうとまた「自分呪いをかけるな!」とか言い出す人が現れるんだろうけど。

この「呪い」って言葉も使われすぎていいかげんうんざり

呪いを解除せよ!って言いまくってる人たちが逆にスピった人とかカルトの人みたいで怖い。押し付けがましい。

ささやかだけど住み慣れた我が家リビングで寛いでたら知らない人がいきなり「この家は呪われてますよ!!」って上がり込んできた感じ。いや、そういうの興味ないんで…

とか言っても「あなたはまだ洗脳されてるだけ!私も目覚めるまではそうだったの!」みたいな反応されるだけなんだろうな…そういう話の通じない感じまで含めて本当にもううんざり

つか、「逃げ恥」ってそんな絶賛されるほどの作品か?? 面白かったけどさぁ。

そもそも星野源こそを「ちょうどいいブス」としてサブカル女の皆さんは慰み者として消費してきたわけですよね?

イケメンすぎるのは無理」「程よくクズ香りがするところがいい」とか言ってさ。

たまたま星野源音楽の才能もあったけど完全に俳優仕事から人気先行してる以上そこは否定させませんよ。

あと劇団雌猫界隈の「最高の女」みたいなノリもキモい

メイクしたりオシャレしたり自分肯定するのは楽しい、気分がいい、それはわかるけど「美容によって救われた、自分肯定できた」「わんわん泣いた」とか言い出してるのもう自己啓発サークル告白タイムみたいで引く。

そこまで入れ込むか?みたいな、もっと気楽にメイクしておめかしして楽しい、くらいのノリじゃダメなんですか?

おさ旦那さんとか最近完全にスピすれすれじゃん。

モテ至上主義に反対するあまりモテ意識する人を叩きはじめてるし。

たぶんぱぴこさんはじめ、この「ちょうもいいブス」に怒ってる人って、山崎ケイよりかは「ブスじゃない」んだと思うし、自意識も「いうても私は顔立ち自体は悪くないし、まあ美人寄りだし…」くらいの感じなんだと思うんですよ。

それなのに自分にも「ブス扱い」の火の粉が飛んでくるんじゃないかと思って怒ってるんだと思うんですよ。

でもそれはあなたをブス扱いした人に都度怒ればいい話じゃないすか。

ブスがブスと自認してることにまで怒らないでほしいんですよね…

当時は子供だったから知らないけど、酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」が叩きワードとして使われるようになり、当事者から忌み嫌われたときの流れってこういう感じだったのかなって思う。

ていうか、ぱぴこさんめちゃくちゃパワーカップル側の人間じゃないですか?

高学歴首都圏暮らし外資系バリバリ働いて良きパートナーもいて、そりゃあ自己肯定感バリバリだし、古臭い日本お笑い価値観とかルッキズムとか自虐ブスとかにNo!突きつけられますよ。

でも相席スタートとか「ちょうどいいブス」概念ってそういう層の人向けじゃないからさ、最初から

なんでここでは「Not for me」発動されないの??

まぁそういう「古臭いクズ世界」の理屈が通じない書籍出版とかした山崎ケイが浅はかだったって言われたらそうなんだろうけど。

自分の力でそっち側になれなかった人間に対しては「うるせえ!自分の頭で考えてサバイブしろ!」って言い出すんでしょ?

あげく山崎ケイなりにサバイブした形なのにそれすらダメ出しされるって、もうどうすりゃいいんですか。

それこそ「どう転んでも地獄」じゃないですか。

強く正しく賢く誇らしく自分エンパワメントし続けないといけないの、しんどい

醜く頭も悪いキモくて金のないオバさんは辛い。

ていうかこの空気にこそ、

政治的に正しい私たちがこの愚かで無知なブスを啓蒙してやるッ!」

名誉男性になりたがる、古臭い価値観馬鹿のくせに生意気にも持論を語り始めたブスを矯正してやる!!」

調子に乗ったブスをこらしめてやらなくては!!!

みたいなノリを感じて、ブス、恐怖ですわ。

2018-10-14

「まともなフェミニスト」って論理矛盾じゃない?

悪態で言ってるんじゃないよ。

自分なら無理って言うこと。


だってフェミニスト一人一派」以外にまともな定義制限存在しないとすれば

逆にどんな奴がフェミニストを名乗って”同志”になることも咎められないわけで

まともな人ならそんなもん名乗ることに責任もてないなってなるから名乗らなくなる。

名乗る意味もないしね。


善意でとるなら「フェミニスト一人一派」という言い草には

「そんなに学問的な勉強をしてない人でも意思表明や権利主張をし始めた時からあなたはもう立派なフェミニストなんですよ」

っていうエンパワメント的な効果意思が宿ってたのかもしれない


でもいまやもう先駆者達の”活躍”によってすっかりフェミニストの印象は悪くなったか

はっきり学問知識や自負を持って名乗る人(ふぉんとださんとか?)以外はむしろ名乗りたくない称号になってる。

そこで「一人一派」がまた迷惑を掛けるんだけど、

単に意思表明をしてるだけの女性が、名乗りたくもない「フェミニスト」と誤認されることが増えてる。


迷惑レッテルとして「フェミニスト」が貼りついて来る。

「私の主張は別にフェミニストじゃないでしょう」と抗弁しても、

フェミニスト定義や条件が不明で「一人一派」とされてるから

印象でフェミニストっていわれると否定するのが面倒くさくなってる。


まり一人一派って言い出した人はほんとに無責任で無考えなアホ。

anond:20181014112046

2018-10-08

一億歩譲って「女が聞き手からよくない」へのすり替えを認めたとして

お気持ちを押し通させてリケジョ志望(笑)エンパワメント(笑)しろって

キャプテンアメリカゲイしろ運動とかエルサをレズにして女の恋人を扱え運動とかと同様に

 

既存のものに乗っかろうとすんな

自分で作らずに他者要求だけしてる時点でお前の望みは未来永劫叶わねえよバーーーーーカ

で終わるから余計旗色悪くなるんだけど自覚ないのかな

2018-10-05

anond:20181005011545

露出の少ない、白衣の女性がノーベル賞解説聞き手に回れば女の子達のエンパワメントになる

 

フェミの主張で一番わけわからないのがここで、

ノーベル賞を受賞した研究についてエンタメ性を持たせつつ解説するっていうのが番組趣旨なのに

なんで理系志望女子(笑)のために接待じみたお気持ち寄り添いを入れなきゃいけないことになってんだろ?

露出の少ない、白衣の女性がノーベル賞解説聞き手に回れば女の子達のエンパワメントになるんだよね

しか生命科学大学院生レベル知識がその女性にあれば、一方的に相槌を打つだけでなく、適度に会話が成立してマンスプレイニング対策にもなる

露出が少なくて、生命科学系の修士号持ちで、どっかの名門研究機関で務めた経験もある優秀な女性って思い当たる人がいる

キズナアイ降ろして、次回から彼女を呼ぼう

露出が少なすぎて連絡とれるか若干不安なのが玉に瑕だが

2018-07-21

性別変更選手東京五輪で出場可能に? 不公平批判

https://www.asahi.com/articles/ASL6102JFL50UTQP03V.html

こういうのの何が難しいかというと、弱者に有利な形でオリンピックに参加させようとすると、別の弱者を不利にしてしまう構図がある点。

女子男子区別自体なくすという方法もあるが、女子大の存在理由と同じで、女性エンパワメントのためにも専用の競技必要となるはず。

そしてエンパワメント対象女性には、性自認女性である場合も含む。

これもお茶の水女子大と同じで、肉体的には男性であっても、性自認女性であるならエンパワメント対象になるから女子競技に参加を認めるしかない。

逆に肉体が女子であればそれもエンパワメント対象になるので、性自認男性だったとしても女子競技に参加して構わない。

障害者パラリンピックスペシャルオリンピックと同様にLGBT専用のレインボーピックを開催するのも手だが、彼らは障害者みたいな扱いに猛反発する人も多い。

健常者競技の中で包摂するしかないので、結局エンパワメント重視の女子競技での出場をお願いするしかないのだ。

性自認・肉体ともに女性の皆さんも、ここは配慮して共に同じ競技ベストを尽くして欲しい。

2018-05-30

恋愛言語化するサービスって可能だろか

例えば、って話なんだけれども。

”男らしさ”だとか、”優しい”だとか、”誠実”だとかっていう単語制限された状態恋愛言語化するサービスって―流行らない。いや流行らないだろうけども―それなりに人気を得たりしないだろうか。

実のところ恋愛なんて、大体は何の知見も与えてくれない、性風俗代替案、もしくはロマンチックラブの証拠づくりにしか過ぎないしょうもないことだと、改めて定義づけることはできないだろうか。

いや実際一部の恋愛は素晴らしいと思うし、セックス無償の愛というものによるエンパワメント存在することも知っているけれど、

それはあくまで一部で、世の中で語られている恋愛の話なんて、自分経験自分自身否定したくないあまり言い訳しか過ぎないことが多い。

そして一方で、こうやって僕が恋愛矮小化するのだって、慎重な僕の行動たちを肯定する言い訳しかないのかもしれない。

僕らは恋愛という関係を強固に言語化するほど性愛進化が定まっていない。なぜならそもそも人間が一夫一妻制で進化したのはつい最近のことで、それは性感染症を防ぐためだったり、戦いによる無駄死にを減らすためだといわれているわけだけど、コンドーム社会福祉の登場で、その進化の状況も途上でひっくりかえろうとしている。進化による損失を補うシステムによって、僕たちは僕たちの進化すら否定するような状態になっている。実はポリアモミーやアセクシャル進化最先端にいる人たちで、当然淘汰されるのはアセクシャルだけども、それが一定数発生するのであれば、ゴミどもが言っている”本能による”事実上多夫多妻制などが出来上がるのかもしれない。

ここでいっておかないと、勘違いをされるので表明しておくと、本能に基づくとされる多数の異性との交際に僕は寄与しない。本能によるならばあなたが生まれた時点の一夫一妻を主張するわけで、本能でいろんな異性とヤるという考え方は、性についてなんら思いを巡らさなかったという表明にしかすぎない。そうでないのならばポリアモミーもしくは、進化した人類からというべだ。そこに違和感を覚えるのであれば、あなたは性欲のために進化過程にある人間を騙し、所属する団体に打撃を与える行為を行った、ただの加害者に過ぎない。ここでいう加害とは、モノガミーの考えを抑圧した、あるいはそういった洗脳によって客観的相手レイプしたということにある。

そうした混迷の中で僕たちは恋愛言語化することによって、いったい現在なにを恋愛とするのか、という定義づけを求めているのでないかと思う。いやよくわからん

しかし、定義づけによって、はしごを外されると恐怖している人たちに一応言っておくが、そのサービス自身あなた恋愛を抑圧することではない。世の中はレールから外れた人間でも生きることを許されたシステムとなっており、現在それを目指して努めているのだから、たとえそうでない恋愛であっても社会はそれを許容してくれる。なんかもっと書きたいことがあってそれがこの話のコアな気がするけど、酒を飲んで面倒になったからここまでにする。

2018-05-14

表現さえしてれば褒めてもらえるわけない。表現者は余ってる。

女性シンガーソングライターが、同年代若い女の子ファンがつかなくて、説教おじさんにキャバ嬢扱いされてつらいとか言ってるけど、

説教おじさん追い払ったら、あなた友達しか来てくれないよ。需要無い表現してるってそういうことでしょ。

年代若い女の子ファン需要のあるもの提供できてない。

女性ファン率の高い女性といったら、ゆうこす、みきぽん、関根りさのようなメイクYouTuberとかがある。

彼女たちは女性ファンエンパワメントして、かつ有益情報提供してる。

「ブラのサイズが合ってない人いませんか?正しいブラの合わせ方つけ方を教えます」みたいな動画には、

「抜いた」みたいなコメントをわざわざつけていく男性視聴者が少数居るけど、

女性共感を集める撮り方編集の仕方と、男性に向けた抜きやす撮り方編集の仕方は全然違うものから

女性にとって価値があれば、男性の「抜いた」みたいな少数コメントも、大量の女性ファンによるコメントに流されていく。

西野カナみたいなアーティストにも「ヤリたい」という目線を向ける男性は居るけど、大量の女性ファンいるから、そのパワーでかき消されてる。

必要なのは説教おじさんを追い払う」じゃなくて、

「欲しいファン絶対に獲得する!そのために研究して行動する!」という野心・学習能力・行動力しょうが

望みは何?良質なファンに囲まれて、集客に困らず、おじさんのクソリプ無視できるポジションを得ることだよね?

良質な女性ファンを獲得したいなら、同レベルの売れてない女性シンガーソングライターと「キャバ嬢扱いつらい」と

愚痴りあって慣れあってる暇があったら、成功者研究しろや。

あるいは「キャバ嬢扱いつらい」を曲にしても良いわ。既に女性共感集まってるんだから

 

同様のバカとして、女性ファンを欲しがってる男性向けラノベ作家の知り合いがいるんだけど、

彼の作品って女性が読んでも全く勇気づけられない、楽しい気持ちにもならない、救われもしない、

ただただ「世界がこうだったら男性にとって都合がいいのに」という甘えを見せられた…という読後感なんだよね。

彼はワナビではない。作品出版されてるし、男性ファンはついている。

書きたいものを書いた結果、それを支持してくれる固定の客層みたいなものを得てる。

ある種の男性が喜ぶ作品を作っているから、その種の男性が熱いファンになってくれるという、当然の帰結なんだよね。

男性に夢を見せる作品を作って、女性にウケてモテたい」というのは、本当にバカじゃん。

女性を喜ばせる力のない女性表現者が、性欲おじさんしか来ないって嘆くのも、全く同じに見える。

 

あとクソリプ、クソDMについて。相手時間配慮搾取しようとするのはおじさんだけじゃない。

Twitter美容垢で、「美容皮膚科でこういう施術をしてきました」と投稿する人がいると、女性からわんさかリプライがつく。

DMで悩みを一方的に送り付ける女の子、どこの病院いくら施術だったかなどの情報を一通り聞きだして用済みになったらリムーブするような女の子もいる。

おじさんの特徴っていうより、「他人人生自分のために存在する道具」という認識で生きてる人っていうのが一定数居て、

老若男女が関係ないんだよ。そしてそういう人に対しては怒るまでもなくて、自然と呆れられて孤立してく。

女性から無視され、孤立してる男性に性欲向けられるだけの存在」として路上ライブするのって切なすぎるじゃん。

良いファンつけられるように頑張ってほしい。悪いファン存在感が相対的に小さくなって、消えてしまうくらいに、

良いファンに囲まれ戦略を考え抜いてほしい。

2018-02-19

福祉こころが死んだ

障害児者支援仕事をしてきた支援員だけど、この仕事ってつらすぎない?

何度か転職してきてわかったことは、この業界にいる人は全員心に闇抱えてるってことだった。学歴コンプから知的障害者支援してると心が休まるって人、虐待受けてた過去自分の代わりに発達障害児を救いたいって人、など働く動機自分のためでしかない。しか法人側も職員も、さも人の役に立ちたいってキラキラした大義を掲げてさ。気持ち悪いんだよ。

露骨な人は、立場が弱い人に八つ当たりしてお金もらえて、こんないい仕事ないなって言ってた。利用者を怖がらせて笑って、でも本人には善意を装って「あなたに自立してほしいから厳しいこと言ってるんだ、わかるよね?」なんて話してた。

社会福祉士勉強で、利用者主体人権尊重、施しではなくエンパワメントをなんてつらつら覚えてきたけど、実際そんな聖人君子たことない。「現場では支援員が主導権握らないとなめられる、自己管理もできないのに権利主張してるんじゃねえ、彼らが何の役に立つ?自立?できると思うか?」って言葉をたくさん聞いてきた。

そろそろ辞めどきだな。自分利用者権利擁護して、意思決定支援して、主体性尊重するんだって気張って働いてきた。利用者さんとも信頼関係ができて「やさしい〇〇さん いつもありがとう」なんて手紙もらったりもする。けど、上司からは「世の中理不尽なんだよ、きれいごと言ってんじゃねえよ、お前はお勉強ばっかりしてきて、世の中わかってねえな」って毎日罵倒されていい加減疲れた

少し前から精神科行ってたが、ついに診断名ついて休職が決まった。支援する側からされる側になった 。人生ってつらいよな。いつか聖人君子降臨するまでなんとか生き抜いていこうな。

2017-01-15

えんぱわめんと

性労働社(仮)宣言(試)

 宣言

 全国に散在する私たち性労働者よ団結せよ

 長い間いじめられて来た姉妹兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた私たちのための運動が、何等の有難い効果をもたらさなかった事実は、それ等のすべてが私たちによって、又他の人々によってつねに人間冒涜されていた罰であったのだ。そしてこれ等の人間大事にしながら消し去るかの如き運動は、かえって多くの姉妹兄弟堕落させた事を想えば、この際私たちの中より人間尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である

 姉妹兄弟よ、私たちの先輩は自由平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる分断政策犠牲者であり人間らしき職業的殉教者であったのだ。親密なる刻を与える報酬として、生々しき親密な情の誠を剥ぎ取られ、心の渇きを潤す代価として、暖い人間の心を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして私たちは、この血を享けて人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。

 私たち性労働である事を誇り得る時が来たのだ。

 私たちは、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、先輩を辱しめ、人間冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか人間大事にしながら消し去る事が何んであるかをよく知っている私たちは、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである

 性労働社(仮)は、かくして生れた。

 人の世に熱あれ、人間に光あれ

某年某月某日

綱領

一、性労働者は性労働自身の行動によつて

   絶対解放を期す

一、私たち性労働者は絶対経済自由職業

   自由社会に対して要求し以て獲得を期す

一、私たち人間性の原理覚醒人類最高の

   完成に向つて突進す

ボクの考えた系(笑)セックスワーカーエンパワメント私的提案です。御笑覧を。

少しふざけてますが、好意的な読みがあれば、趣旨説明したいなと思います。なければそのまま。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

2012-07-10

●出席者(敬称略

写真石原知事と議論する会の様子 石原慎太郎 東京都知事

◆コーディネーター

 須田哲夫 フジテレビアナウンサー

コメンテーター

 川淵三郎 東京都教育委員、公益財団法人日本サッカー協会名誉会長

 工藤定次 青少年自立援助センター理事長

 田上時子 女性子どもエンパワメント関西理事長

 戸塚宏 戸塚ヨットスクール校長

 公募都民等 620人


戸塚コメンテーター

もう一つ、命の大切さという重要な問題が出てくるんですね。秋葉原で7人殺ししまたか、どうして彼がそんなことができたのか。我々はできないでしょう。彼は自分の命が大事じゃないんですよ。だったら、人の命はもっと大事じゃないんです。だから平気で殺せる。

子供の耐性をいかに培うか」~教育再生に向けて東京から考える~平成24年度第1回「~東京ビッグトーク~石原知事と議論する会」

http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/TOMIN/GIRON/eim68100.htm

戸塚ヨットスクール事件

1983年(昭和58年)6月13日、愛知県知多郡美浜町戸塚ヨットスクール戸塚宏校長(当時42歳)ら関係者逮捕された。直接の容疑は、前年の1982年(昭和57年)12月12日に、訓練生である藤沢市鵠沼(くげぬま)中学1年の小川直人(13歳)をヨット上で角材などで殴り、死亡させた傷害致死である。死因は外傷性ショック死だった。

それ以前には次のような死亡及び行方不明事件があった。

1979年(昭和54年)2月、少年(13歳)が死亡(病死として不起訴)。1980年(昭和55年)11月、古川幸嗣(21歳)が死亡。1982年(昭和57年)8月、奄美大島での合宿の帰りにフェリーから水谷真(当時15歳)と杉浦秀一(当時15歳)が太平洋に飛び込んで行方不明

だが、訓練中に訓練生3人が死亡したのも事実であった。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/totuka.htm

2011-01-22

「一番」が受ける補正というチート

1 人間社会的生物である。集団の中にいることで安心や力を得る。つまり、集団は個人をエンパワメントする。

起業起業だといろいろ言う割にサラリーマンになる奴がこれほど多いのはなぜ? 人はなぜツレとつるむの? DQNはなぜ集団でウンコ座りなの? なんでヒキコモリは心を病むの? それは全部同じことで人間社会的生物からという答えに帰着する。

チンパンジーの生態を研究していたある学者「そもそも『一匹のチンパンジー』はチンパンジーはない」。「チンパンジー」のチンパンジー性は集団の中でしか見られなくて、一匹だと消えるということらしい。一匹だけ隔離したチンパンジーを観察すると、およそチンパンジーと思えないような行動しか示さないのだそうだ。

ゴリラも、群れの中で非常に複雑な社会をつくることで知られているが、人間ゴリラチンパンジーは、猿の仲間の中でも遺伝子的にきわめて近縁である人間社会もまた「驚くほど複雑」で、「そもそも『一人の人間』は人間はいえない」かもしれない。集団の中にいる人間は、ただ一人でいるときと違う「何かの力」を得ることができる。あるサイトに集う人間の数が一定量を超えると、そこに不思議な万能感が漂うこともよく知られている(増田であれ2ちゃんであれ)。

2 集団には序列が存在する(基準はいろいろあり得る)。序列を生み出す動機の一つは、1で得られるパワーである

さて、その集団の中には自然発生的に「序列」が生まれるが、これが生まれる理由は集団の生まれる理由と同じと考えるのが自然だ。つまり「集団」の中には、「集団」から得られる「力(あるいは恩恵)」を得やすいポジションとそうでないポジションがあり、そのポジションの奪い合いが「序列」という形で現れることになる、という感じ。たとえば、目に見える敵からじぶんを守ろうと思うと、「最前線」よりは「中心」にいる方が集団の恩恵が得られる。もちろん、だからといってみんなが「最前線」を避け「中心」を奪い合うと、集団は崩壊する。だから、集団を維持するために、たいていの集団は「『最前線』でがんばったものが『中心』にいけるのだ」というシステム(あるいはそういう幻想)をつくることになる。最前線犠牲だけを強いる集団は遠から崩壊する。前者は「出世システムのある会社後者はいじめの起こっている教室などだ。

3 任意の集団で「トップ」の得るパワーは「最下層」の得られるパワーとはケタ違いである。

同じような目的をもった集団は、複数存在する。従って集団にも序列が生まれる(たとえば「学校」の序列など)。上位集団Aのトップが得るパワーは、下位集団Bのトップが得るパワーより大きく、集団Aの下位が得るパワーは集団Bの下位が得るパワーより大きい。当然ながら、上位集団Aに属するために必要なコストも、下位集団Bに属するために必要なコストより大きい。

だが、下位集団Bの上位層と上位集団Aの下位層では、その関係が逆転するということも、非常に重要ポイントである。なぜそのようなことが起こるかというと、上で述べるように、上位層の得るパワーは等比的でなくケタ違いに(相乗的に)増大していくから。小さな会社の役員が得る満足感や能力や結果としての成長度合いは、大会社使い捨て層が得られる満足感、能力、成長を大きく凌駕することが多い。

「いや、そんなことはない、大会社からこそ、巨大なプロジェクトに関わったり、普通では会えない大物とのコネクションが生まれたりするのだ。『田舎学問より京の昼寝』ということわざもある。」という意見もあろう。確かにそう感じるときもあるだろうが、果たしてその「巨大プロジェクト」や「大物」から見たとき、どうなのか。「巨大プロジェクト」はその人がいなければ動かないのか? 「大物」はプロジェクト使い捨て要員の一人をいちいち覚えているのだろうか? そのような状態を優位に利用してそこから抜き出ることができる人は、単にもともとすごい能力をもっている人なのではないだろうか。京(都会)で昼寝してる人間と、田舎学問をしている人間。「田舎」にもチャンスがごろごろ転がっていて、「田舎」でも成長が期待できる、いや、情報化の結果「田舎」という概念自体が大きく変化しているのが現代という時代ではないだろうか。

孫さんとコネクトするために必要なのは大会社社員という身分よりも、たったひとつの興味深いつぶやきであったりするように。

4 結論

むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ(小集団のトップであるのがよい、大きな集団の最下層となるよりは)」。

無理をして入った進学校でオチこぼれになるのと、無理なく入った下位校でトップクラスになってみんなにすごいすごい言われる状況と、どちらが人間の成長によい環境だろうか。集団のトップ(あるいは上位層)になることから得られるパワーは、本当にケタ違いに大きい。そのことの意味を、何度でもかみしめるべきだ。起業家起業しろしろ言うことの本当の意味はそこにある。分不相応に大きな集団の中で挫折しそうになってる人は、本当にもったいないと思う。その間違ったスケールメリットへの信仰を捨て、もう一度小さな集団の中に帰れば、あなたはまだまだ驚くほどの可能性があり、それを後押しする環境あなたを評価する人々がいて、輝ける賞賛に満ちた人生があるのに。

http://anond.hatelabo.jp/20110121111630

 
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