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2021-06-27

anond:20210627052725

自由恋愛弊害

子供の数が減るばかりか、子供の性能すら低くしている。

これについてだんまり教育評論家をつるし上げろ!

2021-06-24

相手立場に立って考えてみる能力なるものは、そもそも日本民族に備わっていない。

わとりん2 @watorintaro女が「相手立場になって考えてみる能力」が決定的に欠如しているのがとても良くわかりますね。ツイッターバトルにおけるミラーリングが下手くそすぎるのも全く同じ理由だと思います

相手立場に立って考えてみる能力というのは、もう21世紀には不要になったのかもしれない。

田舎から東京大学に進学しても「うっざ!」という人間が多く、個人能力を育てようと誰もしない。

女は子供を産め、大学大学院は必要がないと、一方的にどやし続けた男たち。

発達障害危険だという教育評論家は、昭和時代の不良やヤンキー問題をなかったことにして通り過ぎる。


こんな程度の貧しい日本民族に「相手立場に立って考えてみる能力」なるものが備わっているといえるのだろうか?

からそんなものないのに「相手立場に立って考えてみる能力」を強要する男たち。

相手立場に立って考えてみる能力」が備わっていたのは、第二次世界大戦終了後に物資を届けたアメリカ兵ではないのか?


私は愚痴人間ではないので、日本を救う改善策は何か言ってみようと思う。

日本必要なのはエマニュエル・トッド予言した「市民同士の戦争」ではないだろうか?

いじめっ子の親だと思えば復讐し、女子教育権利を奪おうとしたものを密告して逮捕

これがやはり正しい全体主義であり、民主主義はそれに及ばないということではないだろうか?

2021-04-15

ほとんどの人は大学に行く必要は無い

まず言っとくと、大学就職予備校ではないから、就職に不利になるとかそんなのは知らん。この反論をよこしてくる奴は、文章の一文目すら読めないアホだから無視する。

大学に行っても、ほとんどの人はそこで習うことを身に付けられないし、将来役に立つこともないから、そいつらが大学に行くのは無駄だ。

ところが、インターネット上を見ていると、大学教育必要性を説く自称知識人が驚くほどいる。いわく、「大学教養を身に付け、豊かな人生を送るために重要」だとか。

もちろん、本当に「教養」のある人がこういうことを言ってる分にはいいのだが、そうじゃない人がこんなことを言ってるのは相当恥ずかしい。童貞セックステクニックを語っているようなものだ。

専攻にもよるが、大学専門課程の内容をきちんと理解している学生は、東大京大でも上位の2〜3割程度だ。それよりもレベルの低い大学では、その割合もっと低い。

インターネット評論かましてる連中の大半は、言うまでもなく、残りの7割強の層である。こいつらはただ遊びに大学に行ってるのと変わらないし、もちろん「教養」なんて身についていない。

というより、こいつらは大学、真面目に勉強している学生企業などにとって迷惑なのだ

標準的な履修内容が理解できない人が大半であるため、大学はそれに配慮する必要が出てくる。

たとえば、授業のレベルは落とさざるを得ない。真面目な学生は授業から十分な内容を学ぶことができない。

それでもなお、再履修や留年をする馬鹿一定数おり、翌年の担当教員TA大学院生、事務員などに多大な迷惑をかけている。

大学の成績は当てにならないから、企業採用活動形骸化する。結果、多くの学生勉強するインセンティブを失い、ますます全体の学力は低下していく。

彼らがインターネット上で教育評論をするなら、

「私は大学で何も勉強してきませんでした。今では、そのことを本当に後悔しており、同級生大学職員の皆様に多大な迷惑をかけたことを申し訳なく思っております。」

くらいの前置きがあってもいい。彼らはなぜそうしないのか。要するに自分大学に行ったのは無駄だったと自覚できていないのだ。それどころか、自分大学で何か貴重な能力を得たと思い込んでいる。

インターネットでは誰でも評論家になれてしまうから、こういう自分エリートだと勘違いした底辺ウヨウヨいる。

2021-03-30

高専存在を知らない教育関係者自分無知を少しは恥じろ

教育関係者ですら、高専存在を知らない人がいる。高専という進学先があることが見えていない人がいる。理工系に関心がありそうな子供に、「高専って選択肢もあるけど、どうだ?」というアドバイス一つできない教師塾講師がいる。教育評論家でありながら、高専存在を徹底的に無視するような人もいる。(一例 https://toyokeizai.net/articles/-/394133?display=b

嘆かわしいことであると同時に、非常に由々しき問題だと思う。

工業科学技術に関心のある子供なら、誰でも高専と聞けば少なからぬ興味を持つだろう。そして、高専にするのか普通科にするのか、その違いをよく考えて、悩んだ末に自分で進路を決定することは、それ自体がよい学びの題材であり、豊かな経験である普通科に進学するにしても、何も考えずにみんなそうしているしそれしか選択肢がないと思うから普通科に行くのと、高専比較した上で普通科を選ぶのとでは全く違う。高専存在無視する教育者は、この「悩む機会」すら子供に与えないという点で、その無知職務怠慢を厳しく非難されるべきなのだ

2021-02-15

anond:20210215092517

人として、多様性社会の一員として大切なことを学べる。

インクルシブ実践は健常者にとってもメリットが大きいって教育評論家や人権作文大賞に選ばれた作文が言ってる。

2018-07-18

anond:20180717214249

教育評論家の尾木直樹氏(尾木ママ)が使う言葉の語尾に

「~かしら」がついているのは、教養があるから???

2015-04-13

東京都青少年問題協議会にブーたれる仁藤夢乃のアホっぷり。

http://ameblo.jp/colabo-yumeno/entry-12012978757.html

この記事について。まー、わりと、この人なんもわかってないよね。

要するにだ、この手の委員会意味ってのは、ほとんど事務局行政)のプランオーソライズするところにしか意味が無いってこと。ここでできることというのは、行政プランを認めるか、認めないか、ということしかない。どんな行政施策だってメリットデメリットがあり、利害関係者を100%納得させることなんて不可能である以上、どこかでえいやと決めなきゃならない。そこで、行政外部有識者を使って、その施策が正しいとオーソライズする必要があるわけだ。その意味じゃ、こういう委員会やら協議会というのは行政アリバイ工作しかない。

さらに言えば、彼女の言う通りにして、この手の委員会が活発な議論をして、きちんと意見プランをまとめ上げるというのはほぼ不可能に近い。この手の有識者というのは、その選任について利害関係者や政治家意向というのを無視できない。そうなると、この仁藤夢乃みたいなバリバリ福祉ボランティアみたいなのも選任しなきゃならないし、凝り固まった教育ママのなれの果てのようなオバサンや、ゴチゴチの右翼みたいな教育評論家を自称するオッサン、あるいは教育問題について一家言ある大学先生などなど、様々な意向のある人間を集めることになる。そして、彼らの意見を集約しようとすれば、対立の果てに結論が出ないことになるか、あるいは、妥協の果てのキメラのような歪な施策しかまれない。まさに、ラクダとは委員会デザインした馬であるということわざのとおりにしかならない。

ついでに言えば、オーソライズをするという機能を果たすためには、その委員権威性が必要であり、権威がある人というのは忙しく、高いギャラを必要とする(高いギャラそのもの権威標章なのだ)ため、実質的勉強施策プラニングするようなことは出来ないのだ。もし、ここでまともなプラニングをしようと言うならば、委員に今の100倍のギャラを与えて、スタッフを雇わせて、シンクタンク形成し、協議会プレゼンテーションの場にするぐらいしか方法はない。それでも委員報酬無駄だって言うなら、この手の委員会だか審議会だか協議会だかをやめちまえばいいんだが、やめたらやめたで施策オーソライズが出来なくなるので、事務局利害関係者の意向を汲んだキメラを作るか(今でもその傾向はあるが、さらにひどくなるだろう)、あるいはぶっ叩かれて何もできなくなるかしかない。

結局のところ、施策を展開するためには予算必要であり、予算を認めるのは議会であり、議会は様々なバックグラウンド利害関係を背負った議員構成されているんだから、単純な正義が通ると考えているのは愚かを通り越して、最早害悪しかない。

その上で、彼女自分正義を実現したいならば、委員立場を利用して事務局積極的に関与し、あるいは情報提供をしたり、逆に情報提供を受けたりして、事務局原案からいじらなきゃならないのだが、こんなブログ記事を上げた時点で腫物に触るように扱う委員の枠に入ってしまったので、そのやり方も無理だろうね。ご愁傷様なことです。

2014-04-20

入学式を欠席する担任教師に呆れてしまう理由を考えてみた

担任が「息子の入学式」で欠席、どう思う?

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/11262/result

まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。

そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。

 

よく、国民教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラム教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。

公務員から職業人だから

今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。

私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。

 

日本人一般にある仕事優先論というのも、ちょっと違いそうだ。

批判している人は「担任なのだから」と言っている人が多い。

担任教師への高いハードル

呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。

なのに担任教師に呆れるとはどういうことなのか。

それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。

 

そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。

学校が親に課すハードルも高いのである

 

私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。

 

学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。

(この高いハードルを「親は学校/先生子供人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)

 

家族のために計画的休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。

からさまに生徒を二の次にすることへの反感

たとえば医師患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。

気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい大丈夫です」と言わなければならない。

実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。

 

でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。

たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」

「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」

 

このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。

 

担任教師の家族危篤場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの

でも、自分の子供の入学式に出るために計画的学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。

「誠意がない」と感じるのではないか。

 

「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。

 

蕎麦屋の出前」という言葉がある。

最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。

でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。

なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。

 

そう、ウソをつくのだ。ウソ方便

ウソ方便ではなく、ただのウソに。

これまではウソ方便で良かったのだ。医者患者優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。

 

だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。

 

そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。

ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。

 

今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。

今はもちろんそれはできない。

ウソはもはやただのウソ、悪なのである

 

後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。

 

「知らぬが仏」という言葉もある。

自分自身はどうなのか。

さて、では自分自身はどうなのか。

通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。

 

自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。

 

担任教師が休むことそのものが、子供教育にとって良いことだ、という意見もあった。

行動を通じて労働者権利ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。

 

とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。

でもこの話ではなぜか感情が先に立つのだ。

 

友人とも対話した。

 

友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法現場無視してよいのか」

自分担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」

 

友人「副担任や教務主任での代行ではだめなのか?」

自分体調不良家族の不幸以外は、認めがたい」

 

友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」

自分計画的休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」

 

友人「妊娠はどうか?」

自分妊娠計画的ものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」

 

友人「教師のなり手が減るぞ」

自分「有能でも信念がないのはだめだ」

 

このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。

そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。

 

昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分出身校に誇りを持っている。

(誇りがあるメンバーけが集まったのかもしれない)

同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。

(このサイトを見つけてメンバー同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県福岡県高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682

 

受験できる範囲内の県立高校としては一応トップ学校入学して3日目から、まぁ右翼ヤクザのような指導を受けるわけです。

高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。

「○せ」みたいな内容の。

希望者が入る部活でもなんでもなく、全員が。

 

親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。

その後の学校から親への態度も、基本的には一方通行だった。

課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。

夏休み冬休みも補習授業がある。

一方で体育祭ともなれば、放課後強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。

 

それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから学校先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。

その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。

公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。

 

こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。

そう、最初に書いたように「自分の個人的な体験に置き換えて語ってしまいました」ということなのだ。

 
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