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はてなキーワード: 巡礼とは

2016-09-13

anond:20160913145807

西に住む若い女子が本気で審神者になりたがっていれば、行って介錯してやり

東に住む若い腐女子は赤安の住む部屋の空気になることを夢見ていれば、行って腕時計麻酔銃で眠らせてやり

日本の裏側に住むオタク聖地巡礼京都巡礼したいと思っていれば、行って怖がらなくてもいいと言い

京都に住むオタクビッグサイトのある東京を羨んでいれば、つまらいからやめろと言い

ロシアに住むレイヤー白人制服コスは滑稽だと嘆けば、涙を流し

福岡に住むライトオタが黄色人種が派手なコスプレをすることを嘲笑っていれば、オロオロ歩く

そういう増田に私はなりたい

2016-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20160719213527

下手にクズなくせに「俺はクズなんかじゃない!」って思うと解離性パーソナリティ障害になるんだよ

ならクズ自分クズと認めて統一を図った方が結果的ストレスが無い

それに世の中のどうしようもない問題っていうのは何をしようがどうやったって解決しないんだ

介護殺人インタビューを聞きながらオナニーしてもしなくてもこの人は助からなかったんだなって思うと

自分いかにちっぽけな存在再確認できるだろ?

何一つ変えられないんだから生きてようが死んでいようが同じこと、同じことだ

テレビで後悔している殺人者が心の中ではスッキリしたと思ってようが

本気で泣いていようが俺には確認することができないし

来年も再来年も似たような介護殺人が何件も発生する

イエスキリストがこの地を巡礼していけば変わるかもしれないが今の日本にそんなやつはいない

なら俺が悲しもうが泣こうが全部無駄

数千年かけても過去偉人は誰も解決できなかったし未来でも解決できないだろう

この世の終わってる恥部でも見て、個人の生き恥よりもマシだと思い歩き続ける他ない

2015-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20151210220420

y_arimが切断し、消毒先生Twitter巡礼に赴き、ekkenが逝き、activecuteがletterdustに乗っ取られいぬさんbotになり、次はmukkeがどうにかなってしまうというのか・・・

旧きはてなー記憶の彼方に去ってしまうな

2015-10-12

孤独のグルメSeason5で思ったこと

新しい客が来た時に既存客が席をずらす描写が多いのは、「巡礼空気読め」ってことなのかと思ったり。

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150803121052

1945年に15歳~30歳だった人が2015年に85歳~100歳な訳で

まあ寿命を考えると死が近い訳でというかバタバタ死んでるだろうし

死のその前に語り口を記録しておきたいとか犬の巡礼的な意味もあるだろうし

2015-07-09

Web制作トラブルを名指しで中傷したコンサルタントトンデモな客

2015/7/6 BusinessJournalに「低レベルすぎるウェブ制作会社に注意!客の要求無視逆ギレして成果物全部削除&連絡拒絶」という記事掲載される

ttp://biz-journal.jp/2015/07/post_10624.html

http://megalodon.jp/2015-0709-1915-43/biz-journal.jp/2015/07/post_10624.html

要約:発注通りに制作を行わないWeb制作会社エレファントコミュニケーションズ。納期直前になっても、オーダーした通りのデザインになっておらず、発注者のA社はカンカン

社長謝罪と説明にくるアポを取り決めたが、当日来たのは制作担当社員2名。(ディレクターデザイナー

ディレクター制作会社側に非はなく、今後も対応を続けると表明。

しかし、その後制作会社社長から

「B氏は、当社を著しく侮辱する発言を行った」

「今回のウェブサイトリニューアル仕事からは一切手を引く」

サーバーは空の状態に戻す」

とし、ウェブサイトの公開ができないことに。

発注者は、事業に影響がおよび、機会損失につながったと主張

この記事を書いたのは、株式会社ヴィベアータ代表取締役ブラック企業アナリスト新田 龍なる人物。

ttp://viebeata.com/

この記事掲載された時点から発注から視点しか記述されていない」ことがWeb業界内で不審がる声があがった。

また、発注者匿名としながら、問題とされる制作会社エレファントコミュニケーションズ」は会社実名名指しであったことも疑惑をよんだ。

2015/7/9 エレファントコミュニケーションズ、声明を発表

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=980053998693287&id=204780772887284

要約:

新田龍なる人物から取材は受けていない

発注者である「A社」は名指ししないものの「カルマ清算コース」なるサービス提供する運営会社である>>

・打ち合わせ時に、社員に対し、精神的に非難する暴言があった

社員を守るため、このような対応をとっている

カルマ清算コース

ttp://lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1237.html

http://megalodon.jp/2015-0709-1931-22/lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1237.html

BizJournalで述べられていた「サーバー廃棄にともない、ブログにてサイト運営を引き継いでいる」ことを伺わせる。

インフォメーション

ノア・アカデミーホームページは、現在制作中です。皆さまには、ご不便をおかけしております。ノア・アカデミーホームページが完成するまでの間、2daysワークショップ、1dayセミナーの新情報、料金案内などは、当ブログ上にてご案内いたします。

◆ 住所

〒108-0075  東京都港区港南4丁目

JR山手線 品川駅 港南口(東口)を出て徒歩約8分 アクセスはこちら

e-mail : info@noah-z-academy.com

なお、noah-z-academy.comは、現在BASIC認証によるアクセス制限がかけられている

ノアアカデミー主宰者と思われる人物 伊藤 美海

伊藤 美海

ノア・アカデミー代表

2001年四国八十八カ所巡礼にて数々の神秘体験を経た後、人類の霊的進化を促すために必要な膨大な情報を様々な次元領域から得る。その後、陰陽法則マスターした自身過去生に属する感覚記憶を辿りながら、2011年には今生におけるリマスターを完遂。その裏付けとして完成させたメソッド人格統合」(総合法令出版)には、個が内なる統合を果たし輪廻を制するに至るまでの指針が明瞭に示されている。

2015年3月に前身であるリラアカデミーを閉鎖し、同年4月には更なる高みに臨むべく、新たにノア・アカデミーを発足。

ttp://lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1244.html

http://megalodon.jp/2015-0709-1935-12/lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1244.html

ノアアカデミー旧称リラアカデミー

伊藤美海検索すると、リラアカデミーがヒットする。

ttp://www.ly-ra-academy.com/

http://megalodon.jp/2015-0709-1936-47/www.ly-ra-academy.com/

リラアカデミー」は、2015年4月1日より

「ノア・アカデミー」として、リニューアルいたしました。

ノア・アカデミーホームページは、現在制作中です。

皆さまには、ご不便をおかけしております

ノア・アカデミーホームページが完成するまでの間、2daysワークショップ

1dayセミナーの新情報、料金案内などは、ノアブログ上にてご案内いたします。

こちらをクリックしてください → ノアブログ

リラアカデミーとは、どのようなものだったのか

http://web.archive.org/web/20150214221322/http://www.ly-ra-academy.com/program.html

確かな霊的進化を果たしたい人たちへ

表面的な癒しや善信仰ポジティブシンキング)に逃げるのではなく、目の前の現実と向き合い、自身課題直視することなしに、霊的成長を果たすことはできません。

リラアカデミーでは、それぞれの事情経済状況に合わせて、個々が望む結果を得ることができるよう、様々なプログラムを用意しております

ゆったりとした、マイペースな取り組みを望む人は、個人セッションを。

時間で集中して、カルマ清算や人格統合ノウハウに触れたい人は、『2days集中ワークショップ』を。

人と関わるなかで、徹底した表現力やコミュニケーション能力を身につけながら、本格的なカルマ清算にチャレンジしたい人は、『カルマ清算コース』を。

スピリチュアルリーダーとして、周囲の人たちや、時代を率いることが可能な意識レベルにまで到達したい人は、『スピリチュアルリーダー養成スクール』を。

あなたにとって、最も適した環境を選んで下さい。

所感

エレファントコミュニケーションズは、コーポレートサイト見る限り、しっかりした案件を多く手がけているのに、なんでこんなトンデモなの引き受けちゃったのかな??

2015/7/23 追記

しばらく当該案件ヲチをさぼってたのですが、若干動きがあった模様

新田氏反論する

ttp://ameblo.jp/nitta-ryo/entry-12049856050.html

http://megalodon.jp/2015-0723-1737-23/ameblo.jp/nitta-ryo/entry-12049856050.html

先方代表者は「取材の申込みを受けたことすらありません」と

 弁明しているが、当方は本年5月12日取材依頼書を送付

 しており、1週間の回答期限を過ぎても先方から何ら連絡は

 なかった

・先方代表者は「納期間近のある時、A社から突然弊社従業員

 A社に呼びつけられた」とあるが、実際は事前アポがなされ、

 代表者自身訪問することになっていたのにドタキャンし、

 結果的従業員対応を丸投げしている

顧客から預かっている既存データまで全部削除し、

 「入金するまで復旧対応しない」という対応についての

 説明は依然としてなされていない

なお、続報を準備中とのこと。

BizJournalの記事、取り下げ中

ttp://biz-journal.jp/2015/07/post_10624.html

いつごろ取下げられたのかは不明Wayback machineでは、7/8付の状態では公開中であったことが確認されている。

2015-07-01

クソッタレ絶歌」とかいう本を読んだけど、つまらなかった。

 1

 6月11日に、「絶歌」は発売された。その直後、この本の刊行を報道で知った遺族のうちの一人が、遺憾であるコメントを発表した。

 以来、今日に至るまで、様々な人々が—— 専門家知識人芸能人ライタークリエイターetc——、この本についてコメントをしたり、記事を発表している。

 少しだけ、どこかで見たような光景だな、と俺は思った。

 原発だ。

 震災以来、原発というのは、賛成だろうと反対だろうと、何かしらの意見を持たなければならないような問題になった。「どうでもいい」「どっちでもいい」というような態度は許されない。誰しもが原発に対して、真剣に考えなければならない(あるいは、そのフリをしなくてはならない)、そんな風潮が蔓延している。

 そんな光景に、どこか似ている、と俺は思った。この本の出版に関して、肯定的だろうと否定的だろうと、有名人(というかライタークリエイター芸能人)は、何かしらコメントをしなくてはならない。そんな雰囲気が漂っているような気がした。

 また、ネットでもあちこちで、この本のことが言及されている。その内容(というか質)も、原発に関するもの似ている。有意義ものあるけれど、ほとんどが似たり寄ったりな退屈な意見で、特にAmazonレビューに関しては、まぁ、平均的な人間の平均的な意見が読める、という以上の価値はない。

 なんというかまさに「脱法ハーブ握手会風営法放射能ダサいダンスダウンロードって言ったら負け」状態だ。

 2

 俺がこの本を読んだ理由は、端的に言えば好奇心だ。この本が発売されると知ったとき純粋に読みたいと思った。ただの好奇心

 この際だから、書いてしまおう。俺は小説を書いている。ほとんどの人は知らないと思うが、Amazonで販売出できるKDP(Kindle Direct Publishing)で発表もしている。つまり創作をする人間として、この本に興味を持った。

 この本の元になった事件は、説明するまでもなく、後のフィクションに多大な影響を与えている。俺が知っている範囲だけでも、舞城王太郎佐藤友哉あたりは確実に影響を受けているだろうし(舞城の『阿修羅ガール』に出てくる鬼畜殺人鬼グルグル魔人を知っているか?)、奥浩哉GANTZ』に出てくる西なんかは、もうまんまだ。他にも探せばたくさん出てくるだろう。

 創作をする人間として、そんな風に後のフィクションに、作家たちに影響を与えた事件当事者が書いた手記に興味を持つことは、そんなに不思議ではない、と思う。だから手に取った。ただ、これは弁解だ、言い訳だ。下世話な好奇心で読んだ、と言われても反論は出来ない。

(これは余談だが、先述したとおり、この本は6月11日に発売された。ニュースになったのも、その二三日前だったと思う。しかし、振り返って見ると、五月の終わりに、この事件モデルにした窪美澄さよならニルヴァーナ」が出ているし、そのちょっと前には、34歳になったとある小説家事件現場巡礼(?)するという内容の佐藤友哉ドグマ34」がすばる4月号に掲載されいてる。偶然か? さらに余談だが去年放映されていた、金城一紀脚本ドラマボーダー」の第三話は、殺人を犯した元少年が手記を出版しようとして遺族に殺されてしまう、といった内容だった。まぁ、偶然だろう)

 3

 事件当時、俺はまだ小学生だった。けれど、この事件のことは、やはり印象に残っている。

 俺は子供のころ、モデルガンが好きで、アクション映画などの銃撃戦のシーンを見てはひとり興奮していた。シュワルツェネッガーバンバン人間を撃ち殺しているのを観ながら熱狂している俺を見て、母親心配していた。俺も子供心に「自分は人が死ぬことになにも思わないのか」などと普通のことを普通に思っていた。平均的だ。

 そしてこの事件以降、子供によるセンセーショナル事件は、たびたび起こる。「キレる17歳」などいうキャッチコピーがつき、まるで急に少年犯罪が増えたかのように報道された。

 フィクションも影響を受ける。バスジャック事件を題材にした青山真治映画ユリイカ」などだ。

 開き直るわけではないが、俺は上記の作品たちが好きだ。だから作者に興味があるし、その作者に影響を与えた題材、事件にも興味がある。センセーショナル事件は、良くも悪くも、フィクションに影響を与えているのだ。

 ただ、報道のされ方、ニュースの選ばれ方のせいなのか、はたまた「事実小説より奇なり」なのか、現実では悲惨ニュースが相次ぐ。自然災害は仕方がないにしても、凡人には理解できない理由で、または理解できないほど身勝手理由で、色々な事件が起こる。無差別殺人闇サイト児童虐待世紀末を過ぎても、この手のニュースには事欠かない。

「近頃はありきたりのリアリズムに追いつかれそうにも見える」

 これは、とある賞の選評の一部だ。とある作品に向けられた言葉ではあるが、なんだかフィクションがひどくしらけてしまときに、この言葉がふと思い浮かぶ。

 所詮、作り物の物語では現実には勝てないのだろうか、と。

 我ながらバカなことを書いているな、とは思う。でも、俺は嫌なのだ。俺はフィクションが好きで、物語が好きで、小説が好きなのだ。だから、読むし、書いている。書いては直して、また書いている。

 この本が出たときも、似たようなことを思った。批判が溢れ出ているのに、蓋を開ければベストセラーだ。売れているからって、優れたものじゃないってことは判っている。それは音楽映画も本も同じだ。

 4

 そして、この本を読んでみた。内心ドキドキしていた。偉そうな事を言っておきながら、日本犯罪史上稀に見る(仰々しい枕詞だ)事件を起こした、当事者の手記。正直、影響を受けてしまったらどうしようか、とも思った。俺は本を読む以上、どんな本でも最大限影響を受けるつもりで読んでいる(そうでなければ読む意味なんてない)。ただ、この本だけは、少し怖かった。

 しかし、どうだろう。前半はネット揶揄されている通り、自己陶酔しきった糞ポエムだった。ガラガラライブハウス演奏しているクソみたいなバンド歌詞でも、これよりはほんの少しマシだろう。ただ、文章自体は上手いな、とも思った。読ませる文章だ。特に、後半の面会に来た弟のやり取りの場面では、ちょっとぐっと来た。少しだけ泣きそうにもなった。

 でもこれは(ここまで書いておいてなんだが)、所謂ただのお涙頂戴話だ。当たり前の反応というか、けして面白かったというわけではない。

 そう、端的に言って「つまらなかった」というのが、この本を読んでの感想だ。

 一部で神格化カリスマと化している「殺人鬼」だが、彼はつまらない、ただの普通の人だったのだ。多くのフィクションに影響を与え、ひとたび本を出版すれば大いに話題になる「あの人」は、普通人間だった。

 前半のあの糞ポエムが、それを象徴している気がした。あの稚拙で過剰な修飾表現は恐らくわざとで、そうやって過剰に飾らなければならないほど、内容は、実は普通なのだ。

 これについてはロマンポルシェロマン優光さんが書いた記事に頷ける箇所があった。

“この本には特にそういうところがないのだ。(性的偏向については代入される対象おかしいだけで数式は同じなので、対象がいくら理解できなくても根本的に理解できないというわけではない。) 普通の人が普通に想像したような話が続くだけである。 ”

 http://bucchinews.com/subcul/5203.html

 普通理由普通の狂い方をした。どこまでいっても普通だ。

 5

 少し前になるが、日曜の午前にやっている「ワイドナショー」という番組で、店の商品に爪楊枝を刺す場面をYouTube投稿した少年ニュースをやっていた。

 それを観た松本人志が、「全然おもしろくない。声も張ってないし」とコメントしていた。他の出演者は「そこですか?w」といった感じだったが、俺は、松ちゃんはこういうコメントをどんどんしていったほうが良い、と思った。

 つまり、つまらないものは、つまらないというべきなのだ。そして、松本人志のようなおもしろい人は、こういうくだらないことをする人間に向かって「全然笑えない。おもしろくない」ともっというべきなのだ

 同じ番組で、松ちゃんは、この本は読まない、といっていた。遺族の方がここまで言うのなら、と。立派な態度だと思う。下世話な好奇心で読むヤツに比べたら、遥かにマシな態度だ。

 でも、俺は松ちゃんに読んでほしい。この本を読んで、おもしろくない、と言ってほしい。

「俺に影響受けてるのかもしれへんけど、お前の本、つまんなかったで」と言ってほしいのだ。

 舞城でもユヤタンでも乙一でも、こんな本より、俺の小説のほうがおもしろいぜって言ってほしい。なにがベストセラーだ!っていってほしい。

 だから、俺は敢えて言う。

 俺の小説のほうがおもしろいぜ。

 自分に取っての本当のことを書いたのかもしれないが、ハッキリ言ってフィクションのほうがおもしろいぜ。普通理由普通の狂い方をした普通人間なんかより、グルグル魔人のほうが狂ってるぜ。なんせウンコパン三世〜♫ デレッデレ〜♫ なのだ

 だから俺は、この本を批判するならおもしろい人たちに、「つまらない!」って言葉こそ、声高に叫んで欲しい。

 6

 最後に、舞城王太郎小説の一部を引用して終わる。

 

“結局のところ、人生で起こるすべての本当のことは、陳腐薄っぺら通俗なのだ。そうじゃないことは小説の中にしかない。だから小説の中で、つまんないなあと思うとき、わりとそれが人生の本当のことを書いているってのがあって、だから小説って難しい”(舞城王太郎/パッキャラ魔道

 まったくその通りだ。

 そんで、つまんない本のことで、

 いちいち騒ぐのはやめようぜ。

 もっとおもしろい本を読もうぜ。

 もっとおもしろい本の話をしようぜ。

 ありきたりなリアリズムに、負けてたまるかっての。

 おわり。

2015-06-29

いばや通信の人って10年後くらいには教団を形成してそうだよな

結構心に響く人もいてフォロワーも増えて、巡礼の旅とかしてそうだよな

2015-06-09

アニメ舞台になっても、何もしないこの街が好き。

都心ではないが田舎でもない都市に住んでかれこれ5年になるけど、

最近この町もアニメ舞台になってることを知りました。



僕もいわゆる「聖地巡礼」に行ったことあるけど、自分の住んでる街が舞台になるのはまた別。

カメラスマホ持って写真撮りまくり巡礼者を見かけたわけではないですが、

普段自分暮らしてる場所で、そんな人たちにあまり会いたくはないし、

これで市が何か余計なことをしなければいいなと、ずっと思ってます



でも、この町が嫌いというわけじゃない。

しろ、すごく過ごしやすくて大好きですこの町。



隣の有名な都市に挟まれ、まわりと比較すると人口も面積も小さくても、そのぶん家賃も少し安めだし。

これといった名物観光名所なんてなくても、駅に出ればひととおりの必要ものは揃うし。

人も多くも少なくもなく、爺さん婆さんばかりというわけでもなく、それなりに学生も多い。

東京にはちょっと遠いけど、電車でも全然問題ない距離だし。

治安も悪いわけでもなく、ショッピングモールも大きな本屋レンタルショップカフェもある。

それに何と言っても、



アニメを見て、自分の知ってる場所が出てくるたびに、ちょっとわくわくできる。

ポスターイベントなんてなくても、それだけでもう充分。



名物なんてない地味な街でも「暮らしやすさ」を武器に人が集まってくる。

それでいて、ちょっとしたアニメ舞台になってる。

それ以上望むものなんてありません。むしろずっとそのままでいてほしい。




アニメ舞台になっても、何もしないこの街が、僕は大好きです。

2014-04-28

♪燃ーえろよ 燃えろーよー アフィブロ燃えろ

と思いながらしばらく見守ってきたのですが、

やはり炎上具合がいまひとつだな。

というわけで燃料投下。

下が、過去増田投稿した記事なわけですが、

http://anond.hatelabo.jp/20140217175047

さて、増田投稿記事にはブックマーク時にコメントをつけられるという、まさに“批判だけなら誰でもできる”という事実体現たかのごとき機能があります

このブクマコメに返信してみようと思います

まずは総評から



***   ブックマークコメント総評   ***



はい一言で言って皆さん読解力が足りませんねー。

浅い浅い。

まずね。「リピーターになってはいけない」という表現を「祈願を受けに来てはいけない」と誤読する人の多いこと多いこと。

あのね、リピーター意味わかります? 一見さんの事じゃないですよ?

祈願を受けに来ることは否定していないが複数回受けに来るのはよくないと言っている。ここでは頻度や回数を問題にしているわけだ。

皆さんもっとよく文章読みましょうねー。

それと、ツリー全体の内容にまで言及するなら、もっとしっかりその全部を読みましょう。

ツリーの中のどのエントリとどのエントリ元増田が書いたものかすぐにわかるはずですよ? 少なくともこのツリーに関しては。

たっぷり字数を費やしているものと、そうでないもの、そして浅薄で安っぽい脊髄反射めいた反論と、重厚理論にきっちりと裏打ちされた主張。違いは明白ですね。

http://anond.hatelabo.jp/20140217183649

http://anond.hatelabo.jp/20140217185233

http://anond.hatelabo.jp/20140217192523

http://anond.hatelabo.jp/20140218062823

http://anond.hatelabo.jp/20140217200316

http://anond.hatelabo.jp/20140217202300

http://anond.hatelabo.jp/20140218122451

http://anond.hatelabo.jp/20140219135935

http://anond.hatelabo.jp/20140220141948

ツリーの中で私が書いたエントリは以上のみです。

これだけの字数を費やしている元増田エントリと、それ以外のもの

きちんと見分けて、その上で言及しましょうねー。



じゃあ次は、人気コメント(笑)への返信を。



id:tokoroten999

・全くわかっていない。往復4時間かけて数千円の祈祷料を払い長い祈祷を受けるという作業を行うことが人生には必要な時があり、それは時として正面から問題に取り組むことよりも大事ことなんだよ。

A:はいバカー。今書いたような、読解力のない人の典型例ですね。筆者が祈願の必要性については否定しておらず、頻度と回数について否定している事をちゃんと読み解きましょう。巡礼ごっこも程度の問題です。


id:asatti

生臭坊主のたわ言。御利益信仰宗教のすべてではない。この無知さで宗教家を名乗ることがおこがましい。

A:はいバカー。坊主が神神言うわけないですねー。お坊さんが神を崇めると思ってる人と、宗教実務者の私。一体どちらが無知なんでしょうね? 宗教に抱いている幻想を捨てて、現実を見ましょうね。




id:gg7g

・なんか中学生宗教社会批判みたい… 「現実と向き合え!」って叱りつけるか黙って金取るかの二択しかないの?本職がこんなんなら昔話のお坊さんからは随分退化しちゃったんじゃないかな

A:はいバカー。坊主が神神言うわけないですねー。個人の問題は個人で解決するしかないという現実が厳然と存在するからこそ、ご都合主義的展開のドラマ小説が売れるんですねー。神や仏の存在もまたしかり。昔話のお坊さん(笑)しかり。残念ながらあなた幻想を抱いている対象実在しませんよ?




id:sys-arts

風俗嬢説教・・・じゃなくて風俗嬢常連客に説教してる感じ

A:はいバカー。聖職者様が有難くもして下さっているお説教を何と心得ますか。高尚なもの低俗ものになぞらえて歓心を買うやり方はウケ狙いとしては一般的なやり方ですが、品性下劣ですよ?



id:sardine11

・「夫婦が問題にきちんと向き合ってない」と思うなら忠告しろ宗教が使えるならなおさら正命(正しい仕事のこと)を説けるはずだ。依存何が悪い、完全に自立した個人なんて存在しないんだぞ

A:はいバカー。まず、そこまでしてやるだけの給料待遇福利厚生恩恵に預かってはいない、という可能性に留意してから物を言いましょう。そして依存を肯定する人はよく、共存によって成り立っている社会構造を引き合いに出しますが、社会相互扶助で成り立っているのとマヌケ他者依存して生きているのとは何の関係もありません。免罪符捨てましょうね。




id:fukken

・そういう人に「説教」するのも坊主仕事だろ。宗教家カウンセラーとしての側面も持っている

A:はいバカー。坊主が(以下略)。そういう人に説教するのはもう仕事ではないし、またそこまでの給料待遇福利厚生恩恵に預かってはいません。カウンセリングが受けたいのなら、精神病患者レッテルを張られる事を恐れずに、また自分病人である事を認めるのを恐れずに、ちゃんと心療内科へ行くべきですね。ああこれあなたの事ですよ?




id:yachimon

・俺個人は違うなあ。祈る時は問題と向き合う時だな。普段はアニメとかで気を紛らわせられるんだけど、勤行ん時だけは逃げられん。自分の願いを自分で祈願するんだから逃げられる訳がない。祈願を他人任せにするな!

A:はいバカー。自分のお願い事を自分で祈っちゃってるお坊さん来ましたコレ。自分の願いを自分で祈願している人が、他人の祈願依頼を受けて何ができると言うんですかね? 「こういう風に!真剣に祈るんだよ!」って背中で教えているつもりなんですかね? 相手が祈り方を知らないと思っているのなら、傲慢にも程があるどころか参拝者を馬鹿にしきってますよね? あなたは無力で、そして参拝者に対して何もできないんです。その事をまず認めましょうねー。




id:wander1985

・現世利益を神に祈るったらクリスチャンでもなく神道か?とも思ったが、神道って「信仰心」をとやかく言わないような。仏を神に言い換えた坊主だとしても、「信心」を語る浄土系は祈祷をしない。中二病患者っぽい。

A:はいバカー。まず匿名の発言だという点を思い出しましょうね。神道信仰心をとやかく言わないのは言えないからです。なぜ言えないのかは、そこまで個々の宗教定義区別している人間ならば少し考えればわかるはずですね? 他人に安易レッテルを貼る前に、少しは自分で考えましょうね。




id:white_rose

トラバまで読んだけど、この人が本当に聖職者なのかどうか疑問。むしろ普通の人よりそういう資質が欠けてるんじゃないか。

A:はいトップレベルのバカー。トラバまで読んだとか言っちゃってますが、まあ

http://anond.hatelabo.jp/20140217183649

http://anond.hatelabo.jp/20140217185233

http://anond.hatelabo.jp/20140217192523

http://anond.hatelabo.jp/20140218062823

http://anond.hatelabo.jp/20140217200316

http://anond.hatelabo.jp/20140217202300

http://anond.hatelabo.jp/20140218122451

http://anond.hatelabo.jp/20140219135935

http://anond.hatelabo.jp/20140220141948

これ読んでから出直してきて下さいね。あと言っておきますが、宗教において実務に臨むのが聖職者であって、宗教幻想を抱くのは聖職者仕事ではないですからね? 年端もいかない若造理想燃え宗教家みたいな連中は速攻で辞めていって、実務に淡々と向かう職業者が長年支え続けているのがこの世界ですからね。宗教幻想を抱いている人間ほどヘタレ根性無しで実務に耐えられません。宗教理想を抱いている人間ほど聖職者としての資質に欠けた行いをします。聖職者であり続けるのが聖職者としての資質証明であって、聖職者をやめるのが理想家や夢想である事の証明です。宗教とは現実から出発して理想を目指すものですが、あくまでも理想ではなく、ただの現実に過ぎません。あなたの愚かさを常に自覚し忘れない為にも、今のふたつの名言を紙に書いて壁に貼っておくといいですね。




id:p_shirokuma

信仰が形式化した詐欺に堕することがないよう、職業人としてはつとめてください。ネットでの打ち明けはともかく「現場」では。あなた職業あなたの「現場」でしか出来ないことはきっとある筈です。

A:はいバカー。詐欺である事は皆知っていて、その上で騙されているという茶番の前には「現場」も何もあったもんじゃないんですねー。決まりごとだから従う。慣習だからそうする。歴史を重ねる事により一種の様式美にさえ達した詐欺というものは、そうやって無言にして不動の搾取構造を築くものです。私はその腐敗の中においてラクに飯を食わせてもらう為に聖職者になったのであって、決して理想を抱いて聖職者になったわけでもなければ、切々たる思いを匿名で訴えたわけでもないんですねー。文章が長いのはもともとで、もう長い事書いてもいますブログアクセス数を見てから物言ってくださいねー。


人気(笑)コメント(笑)

ブクマコメなら好きな事言って、言い逃げできる」と思ってる連中にはいい薬になるといいですね!

id:oramudahttp://d.hatena.ne.jp/oramuda/)でしたっと。

2014-01-30

小川一水の「あともう一歩」感を考える

刊行中の「天冥の標」、めちゃくちゃスケールデカ人類年代記です。「導きの星」の5倍くらい(感覚)。巻ごとに世紀がかわる仕様ですから壮大。これがねえ、ガワを見るとすげえおもしろそうだし、実際おもしろいっちゃーおもしろいですけど………なんかこう「あともう一歩欲しいなー」感がこびりついて離れない。こんなにも壮大な作品舞台なのに、壮大なスケールで描かれた書割のように見える瞬間があって、この感じはいったいなんだろなーってずっと疑問に思ってました。

連接小惑星に人工重力を発生させてその上に首都がある宇宙国家とか、地球上のあらゆる生物を生きたままサンプル保管している巨大宇宙船とか、宇宙空間でも死なない種族がつくった脅威の軍艦とか……あんまこう、実感として想起されない。へーって思うくらい。イゼルローンの難攻不落な印象であるとか、地球とはあまりにも異質な惑星フェアリィの土壌とか、そういう圧倒的生々しさ、存在感に欠けているのが「天冥の標」における大きな泣き所であるように感じます

いまのところ出色は4巻。SFにおける未踏の地へのアチーブメントが本当にすごい。このテの設定はむしろエロゲーで使い古されたシチュなんですが、そんなエロゲ設定を本家SF作家SFにしてしまったのが面白い。本当に素晴らしい仕事だと感じました。シリーズ全体の印象でもこの巻は群を抜いています。おそらく圧倒的にキャラクター小説しているせいなんだと思いますキャラクターが動くことによって舞台装置が説明され、読者の目線もまたそちらのほうに向かうというのがうまく働いているように見受けられました。

イゼルローンの存在感とは、巧拙さまざまな将官攻略こころみては散ってゆく描写に基づいてますし、惑星フェアリィの不気味さも、謎空間にとらわれ苦悶する深井中尉や、超理不尽に片腕をうしなう従軍記者といったキャラクタの立ちふるまいによりますキャラクタ存在は、キャラクタ小説以上にSFでこそ必要不可欠であると感じます

こうしてみると、「天冥の標」が慢性的に欠いている要素とは、銀英におけるヤンやラインハルト雪風における深井零やブッカー少佐、すなわち「読者が感情移入してくれる魅力的なキャラクタ」ではないかと思うのです。ノルルスカインは味わい深い造形だが脇役すぎる。クロニクルの辛い所でしょうねー……。魅力的なキャラが動きまわって舞台に彩りが添えられることが少ないせいか、どうにも世界観が書割的に見えてしまう。ほぼ名前が出ただけの黒色中国サンタクルスクリオーリョイスラム巡礼艦隊などの勢力に至ってはまず何者なのかもよくわからんし、7巻にてアイン喪失を嘆いているシーン、本来ならものすごいカタルシスが生まれるはずなのに、感情移入がないのでそんなにパッとしなかった。まあ意味は分かるけど…っていう。うーん。

ところで小川一水作品の暫定第一位はまずまちがいなく「時砂の王」だと思います。遠未来弥生時代リンクしてゆく物語で、著者いわく「もともと中編にする予定だったのが長編サイズになった」という話。全体的にすっきりした流れでムダがまるでない。よくある舞台設定なんですけども、Oも卑弥呼ものすごい心に残っていて、俺大好きです。「あと一歩」感なんてまるで無くて、すべてが完璧に見える。次点は「老ヴォールの惑星」かなー。中編。やはり余分な要素をこそぎ落としたシャープさがあります。どうも小川一水もっと面白くなる文章量って、中編くらいじゃね? って気がしてなりません。

2013-12-26

サルでもわかる靖国参拝

を誰か書いてくれ。

当方戦争のせの字も体験してないゆとりです。

政治家はここまで叩かれながら靖国を参拝することに何の意味があるの?

参拝したら誰かがお金くれるの?

それともイスラムの人がメッカ巡礼するような単に宗教的ものですか?

教えてください。

追記:知りたいのは反対を押し切ってまで参拝するモチベーションは何かということです。本人に何のメリットがあるのか。

追記:初詣や親の墓参りさえ積極的にしない世代なので得るものがないのに神社に行きたい気持ちがわかりません。

追記:はっきり書きます。この状況で参拝なんてしちゃうのは、バカだと思います

追記:「靖国参拝するなら票を入れてやる」みたいな取引があったということですか?

追記:俺が無知なだけで、何か明確な理由があるのかと思ったら反応見る限りそうでもない(意見割れてる)みたいですね。どういうことだ…。そういう事か。

2013-05-08

あなたgmailアカウント作成したのはいつの日?

When Did You Create Your Gmail Account?

を読んでへーっと思ったので勝手に内容紹介。

方法



1. 一番シンプル方法

下記URLを踏む。

https://mail.google.com/mail/#all/p1000000

自動的にリダイレクトされて、最古のメール(が含まれるページ)に飛びます

2. Google+に加入してた場合使える方法

Google TakeoutGoogle+の下あたりにちっちゃくある「Google+ サークル転送ツール」をクリックして

左を見てみよう。

なにが嬉しいの?

Googleアカウント復元ちょっと捗るかもしれません

http://www.ajaxtower.jp/googleaccount/new/index5.html

によれば、googleアカウントを削除しちゃったけどやっぱり復旧したい、

そんな時に行うGoogleアカウント復元方法は下記の二種類だそうだ。

(1)事前に登録してあった携帯電話番号を使用する

(2)本人確認を行う

この『(2)本人確認を行う』の手順を踏む際に「最後パスワード」「最後ログイン日」「アカウント作成した日」を聞かれるそうな。

Androidユーザーじゃなければ携帯番号登録なんてしないだろうし、いつか役立つ日が来るかもです。

関係ないけど、ページを加算すればするほど古くなるデザインってそういや何かなかったっけ?



はてな匿名ダイアリーがあるじゃないか。ということで、実験実験

http://anond.hatelabo.jp/?page=1000000

ぽちっとな

一覧っぽいのがでてきた。

(注: この記事書いてた時。なんか半日Internal Server Errorが出るようになってた。残念)

さらに辿るとページへ。

http://anond.hatelabo.jp/?page=26416

リンクを辿ると最古のポストへ。

ttp://anond.hatelabo.jp/20060923210701

最初期は画像張れたんですね。

いつか、ニコニコ動画で「巡礼タグがついているのを見かけて最初なにが面白いんやらわからなかったけど、

今更ながら、いつも利用しているウェブサービス最初を見るって楽しいなぁ。なるほどねと合点した次第です。

さらオフト

先月4/30にCERNWWW一般公開してちょうど二十年が経過したということで特設サイトを設けてます

http://info.cern.ch/

世界で一番最初に書かれたウェブサイトも下記の場所復元公開中

http://info.cern.ch/hypertext/WWW/TheProject.html

ソースシンプルでいいですねー。

というよりこれがNextコンピュータで産声をあげてから

まだたった二十年ちょいしか経っていないんですね。。。

お、おうと言う気分。

Tumblrで試したけど、こっちはリダイレクトされなかった。

2013-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20130428211703

この人「ファン」じゃないですよ。

大衆に見られる場に文章を置く場合は、もっと作品と向き合って下さい。

作家は命削って書いてるのです。それに対する答えを大衆に向かって発する場合、せめてももっと作家と作品に真摯に向き合うべきだと思います

以下この方の意見に対する個人的な疑問と意見です。長文ですので気が向いたら読んでみて下さい。


村上春樹、段々、一般的な感覚の人々には理解されないようなことを延々と書いてる作家になってるよねーというのは、私も思うなあ。だから、まあ評価が低くなるのもわかるなー。

結構、「純粋」な方向に、ふってきちゃってるよね。そういう(純粋すぎる)のは、狂気というにはわかりにくいんだけど、なんかなあ、真実というところからはずれてきている気がする。うーん。難しいのだけど、一般にピュアであればあるほど、正常といえる水準を超えちゃう確率は高いから。うーん。多分、あまりにも、抽象的なものってちゃんとすればすごい威力あるけど、間違えちゃう可能性は高いよね、という例と似てると思う。

>文章を読んですぐに理解できるのが良作、分からいから駄作なのでしょうか?


しかも、小説ってもともと、正しさ(これも微妙表現だが)がわかりにくいからさ。その上で、村上春樹は、小説の中でも、あえて正しいかどうか(さらに難しい)がよくわからない方向で、突き詰めようとしているんだと思う。そしてそれが、微妙に少しずつ、本当のところからずれてきてしまっている気がする。なんとなく。

小説に正しさはあるのでしょうか。あるとしたら、作家が伝えたいことが読者に伝わっていることくらいではないでしょうか。

Aを書いたから正解、Bを書いたから間違い、という問題ではないと思います


新作について触れると、このタイトル、「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」というタイトルを見た時、私は、これが、作者自身の慰めのために書かれたことがわかったよ。いや、だって村上春樹巡礼、絶対すきだもん。その他もろもろ、このタイトル、考えられないくらいわかりやすいよね。疲れた作者本人の心情と合致していそうだなという意味で。なんかびっくりしました。

>「巡礼」とはどちらの意味ですか?

曲のタイトルの一部としてですか?それとも純粋単語としてですか?


でもさー。。。。こっからは、愚痴だけど。この人は、今まで、すっごい孤独タイプ小説家にもかかわらず、いつも、大衆に向けて、つまりノーベル賞を狙って、書いてきた人なのにね。それで、うまく大衆受けするものがかけないなーってずっと悩んできた人(推定)なのにねえ。。。。

もう少し、わかりやすく説明するために、まず、村上春樹小説家としての才能について書く。幸いなことに、小説を書くというのは、技能を向上させるための課題発見が、その他の技能と比べても最も難しい技能だと思う。要するに、どうやって練習すれば、小説が上達するのかわからないという、あの課題ね。でも、実は、この人の才能の出発点はここにある。つまりある意味で、ものすごくわかりやすいところに、いつも課題があったこの人は、小説家としての技術を「磨く」才能には、ものすごく恵まれていたともいえるのだ。つまり、一般的にヒットしそうな小説が全く書けないという課題。本当に村上春樹ってなんで、こうなんだろうねえ。


>「賞について関心を持たない」

というのが、作家の一貫した公式な姿勢だと思いますが。

大衆受けするものがかけない、とどこで悩んでいたのでしょうか。

そのような悩みを打ち明けたインタビューに興味があるので、出典を教えていただけませんか。



しかもさー。その上で、この人、ひたすら(下手でも)、小説を書くことに対して、わけわかんないくらいの努力家なんだよね。(これは本人の日記エッセイによる。なんでも毎日マラソン練習のようにストイック小説を書きまくっているそうだ。)

ランニングは日課として行われているそうですが、

小説を書かない時期があることは「遠い太鼓」などではっきり明記されています

しろ小説を書かない時期を蓄積させ、小説を書くことに飢えた状態に持って行くことを大切にしているようです。

よって「毎日」というのは適切な表現でないように感じます


はっきりいって、その他の、突如現れる霊的なものに対する本筋から見て不必要で余計な感受性だとか、また作者の孤独に対する鈍感さからくる主人公孤独無意味さとかは、小説家の適性からみると、もうどうしようもなくだめだと思うのだけど。とにかく、その課題大衆受けしない)は誰の目にも明らかなのに、本人は全然それが達成できなくて、その上でなぜかこの人は、小説を書くことに対して非常に努力ができた。または、してきた。これが、村上春樹成功ポイントじゃないかなあ。他の人には色々な意見もあると思うけど、私は、この主張は非常に的を得ていると思うね。


>どうして「霊的なもの」が大衆受けしないと考えますか?

スピリチュアルブーム、パワースポットブームがありましたし、どの雑誌にも占いのページがありますよね?

また需要の無いものに対して努力をしたことが、どうして成功につながるのでしょうか。



さて、その上で、今回の小説に話を戻すと。この作品が珍しく作者自身の慰めのために書かれたことと、村上春樹小説家としての持ち味をちょっと考えてみると、即座にこの作品が駄作であることがわかる。だって、この人は今まで努力してきたことを捨てたわけだから。なんとか、人に受け入れられるようなものを書きたいという課題を捨ててしまった訳だから


>どの点で「努力をしてきたことを捨てた」のかが分かりません。


多分、去年ノーベル賞とれなくて悲しかったのと、もっというと、ノーベル賞を目前にして色々な欲がでて、自分の持ち味とバランスを崩しているのだろうね。なんでも本屋誇大広告によると、この小説は、ほとんど筆をとめずに書かれたそうだ。そんな、当人が趣味でだらだら書いた作品が、これだけバカ売れするんだから商業小説家としては大成功だね。



>こだい‐こうこく【誇大広告】 商品やサービスの内容・価格などが、実際のものより優良または有利である消費者に誤認させるように表示した広告

ですが、どうしてタイトル作家名と発売日のみ明記した出版社から広告が、誇大広告に当たるのでしょうか。それとも書店員の手描きポップを指しているですか?

また、「筆をとめずに書かれた」=「趣味ででだらだら書いた」とはならないのではないでしょうか。

画家スケッチも、ミュージシャン即興演奏も、俳優エチュードも、即興的な表現はすべて否定されるのですか?その瞬間にしかない力や勢いに、魅力はないのですか?


まあー。村上春樹にとって、例え自分がとんでもなく寂しいことに気づいたからって、それで純粋な方向に振り切っちゃうのは、はっきりいってよくない戦略じゃないかなあ。というか、それ、青豆と天吾のストーリー、ひきづってるだけだよねー。いや、1Q84恋愛テーマじゃないから、奇跡的に、ああいうのが物語になったけど。もし恋愛テーマにするんだったら、青豆と天吾のような主人公では小説がかけないでしょー。。。。というかですね。

はっきりいって、もういい加減、孤独をつきつめた作品ではなくて、大恋愛について書くべきなんですよ、村上春樹は。だって、この人が孤独でも、全く悲しくないんだよね。もともとが孤独に鈍感な人なんで。なんとか、もうちょっと大衆コミュニュケーションとるために努力して下さい。それができないなら、今後は、本当に人に認められたいなんて思うのはやめて、出家してくださいなー。

(終)


村上春樹の作品は「アンダーグラウンド」以降どんどん社会性を帯びていると思います

インタビュー集や読者との交流を何冊もの書籍にまとめていることからそれは明らかです。

私見を述べるならば、今回の「色彩を持たない〜」は、「孤独をつきつめた作品」ではないと思います

今回の作品の主人公は具体的な地名風景の描写を付け加えられた最後のシーンの描写からも、内面はどうであれ、外面としてはしっかりと社会性を持った人物ではないかと考えられます

その意味で「ノルウェイの森」の主人公最後に感じた、「僕はどこにいるんだ」という感覚と、対比される作品と考えられます

そのため、「色彩を持たない〜」は、「孤独をつきつめた作品」には少なくとも作家の作品群から位置づけする分に該当しないと考えられます

大衆コミュニケーションとるために努力

とありますが、

村上さんに聞いてみよう」シリーズで読者からの何百もの雑多な質問に答えたり、

少年カフカ」で特定の作品に向けられた読者からフィードバック質問真摯に向き合ったり、

アンダーグラウンド」「約束された場所で」の中で地下鉄サリン事件被害者加害者内面インタビューした作品を出したり、

その他に京都での講演を企画したり、海外では朗読会を行ったり、

十分に大衆コミュニケーションを図ろうとする姿勢があると思うのです。

ここまで大衆コミュニケーションを図ろうとしている長編小説家が私には挙げられません。

その成果も、以前は若い独身男性視点一人称で描かれていた作品が、三人称になったり、また1Q84の牛河のように、全く違う立場の人物の内面を描いたりと、

どんどん小説の中で反映されていると思うのです。

それと、ほとんどはなしたこともない青豆と天吾が互いに十年来想い合う関係こそ「大恋愛」ではないですか?

それと、作家自身が孤独に強いかどうか、という特性と、作家の書いた作品そのものは切り離すべきではないですか?

2013-04-28

村上春樹とその新作についての愚痴(長文)

すっごいだらだらしてた時に、なんとなーく村上春樹の新作についてAmazonレビューをみながら愚痴ったメモが、翌日みたら意味不明だったので晒す。まとまりない上にばかっぽいです笑。



村上春樹、段々、一般的な感覚の人々には理解されないようなことを延々と書いてる作家になってるよねーというのは、私も思うなあ。だから、まあ評価が低くなるのもわかるなー。

結構、「純粋」な方向に、ふってきちゃってるよね。そういう(純粋すぎる)のは、狂気というにはわかりにくいんだけど、なんかなあ、真実というところからはずれてきている気がする。うーん。難しいのだけど、一般にピュアであればあるほど、正常といえる水準を超えちゃう確率は高いから。うーん。多分、あまりにも、抽象的なものってちゃんとすればすごい威力あるけど、間違えちゃう可能性は高いよね、という例と似てると思う。

しかも、小説ってもともと、正しさ(これも微妙表現だが)がわかりにくいからさ。その上で、村上春樹は、小説の中でも、あえて正しいかどうか(さらに難しい)がよくわからない方向で、突き詰めようとしているんだと思う。そしてそれが、微妙に少しずつ、本当のところからずれてきてしまっている気がする。なんとなく。

新作について触れると、このタイトル、「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」というタイトルを見た時、私は、これが、作者自身の慰めのために書かれたことがわかったよ。いや、だって村上春樹巡礼、絶対すきだもん。その他もろもろ、このタイトル、考えられないくらいわかりやすいよね。疲れた作者本人の心情と合致していそうだなという意味で。なんかびっくりしました。

でもさー。。。。こっからは、愚痴だけど。この人は、今まで、すっごい孤独タイプ小説家にもかかわらず、いつも、大衆に向けて、つまりノーベル賞を狙って、書いてきた人なのにね。それで、うまく大衆受けするものがかけないなーってずっと悩んできた人(推定)なのにねえ。。。。

もう少し、わかりやすく説明するために、まず、村上春樹小説家としての才能について書く。幸いなことに、小説を書くというのは、技能を向上させるための課題発見が、その他の技能と比べても最も難しい技能だと思う。要するに、どうやって練習すれば、小説が上達するのかわからないという、あの課題ね。でも、実は、この人の才能の出発点はここにある。つまりある意味で、ものすごくわかりやすいところに、いつも課題があったこの人は、小説家としての技術を「磨く」才能には、ものすごく恵まれていたともいえるのだ。つまり、一般的にヒットしそうな小説が全く書けないという課題。本当に村上春樹ってなんで、こうなんだろうねえ。

しかもさー。その上で、この人、ひたすら(下手でも)、小説を書くことに対して、わけわかんないくらいの努力家なんだよね。(これは本人の日記エッセイによる。なんでも毎日マラソン練習のようにストイック小説を書きまくっているそうだ。)

はっきりいって、その他の、突如現れる霊的なものに対する本筋から見て不必要で余計な感受性だとか、また作者の孤独に対する鈍感さからくる主人公孤独無意味さとかは、小説家の適性からみると、もうどうしようもなくだめだと思うのだけど。とにかく、その課題大衆受けしない)は誰の目にも明らかなのに、本人は全然それが達成できなくて、その上でなぜかこの人は、小説を書くことに対して非常に努力ができた。または、してきた。これが、村上春樹成功ポイントじゃないかなあ。他の人には色々な意見もあると思うけど、私は、この主張は非常に的を得ていると思うね。

さて、その上で、今回の小説に話を戻すと。この作品が珍しく作者自身の慰めのために書かれたことと、村上春樹小説家としての持ち味をちょっと考えてみると、即座にこの作品が駄作であることがわかる。だって、この人は今まで努力してきたことを捨てたわけだから。なんとか、人に受け入れられるようなものを書きたいという課題を捨ててしまった訳だから

多分、去年ノーベル賞とれなくて悲しかったのと、もっというと、ノーベル賞を目前にして色々な欲がでて、自分の持ち味とバランスを崩しているのだろうね。なんでも本屋誇大広告によると、この小説は、ほとんど筆をとめずに書かれたそうだ。そんな、当人が趣味でだらだら書いた作品が、これだけバカ売れするんだから商業小説家としては大成功だね。

まあー。村上春樹にとって、例え自分がとんでもなく寂しいことに気づいたからって、それで純粋な方向に振り切っちゃうのは、はっきりいってよくない戦略じゃないかなあ。というか、それ、青豆と天吾のストーリー、ひきづってるだけだよねー。いや、1Q84恋愛テーマじゃないから、奇跡的に、ああいうのが物語になったけど。もし恋愛テーマにするんだったら、青豆と天吾のような主人公では小説がかけないでしょー。。。。というかですね。

はっきりいって、もういい加減、孤独をつきつめた作品ではなくて、大恋愛について書くべきなんですよ、村上春樹は。だって、この人が孤独でも、全く悲しくないんだよね。もともとが孤独に鈍感な人なんで。なんとか、もうちょっと大衆コミュニュケーションとるために努力して下さい。それができないなら、今後は、本当に人に認められたいなんて思うのはやめて、出家してくださいなー。

(終)

2013-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20130304091843

うるせーから調べてきたけど

鷲宮神社においては、彼らが絵馬に『らき☆すた』の登場人物の絵を描いて奉納する、

記念撮影を行う、コスプレ姿で参拝するなどの行動がマスメディアを通じて報じられた[13][14]。

初詣の参拝客も、2008年にはこの年の埼玉県内第3位となる約30万人、

また2009年には同第2位となる約42万人に達し、関係者の驚きを呼んだ[15]。

なお、初詣の参拝客の過去最高は2013年現在2011年から3年連続で約47万人であり安定している[16]。

こうした「巡礼」を受け、鷲宮町商工会(現・鷲宮商工会)は、町独自のオリジナルグッズを制作

同会青年部の運営する大酉茶屋わしのみやや町内の複数の商店にて発売し[17]、

作者や出演声優鷲宮神社への公式参拝イベントを開催した[18]。

その他にも歳末セールで『らき☆すた』のキャラクターをあしらったスクラッチカードを用いるなど、

様々な地域振興策に取り組んでいる。

鷲宮町もこうした経緯から2008年4月1日付で柊一家を町内の架空の住所に住民登録し、

同年4月7日より特別住民票交付を行った[19][20]。

地元商工会や町まで巻き込んだビッグビジネスになってるみたいよ。

10単位て。引くわー。

この巡礼欲ってのが全然理解できないが。


…っていうことを調べて教えてあげたところで

君は感謝するどころか不機嫌になるだけなんだろうけどね。

どーも事実関係が知りたかったんじゃなくて、

オタクなんか影響力が無いに決まってる!」って思いたかっただけっぽいから。

たまこまーけっと舞台となっている出町桝形商店街は寂れてないことについて

なんか、アニメを機にこの商店街も活気を呈してるのかな…?と書く聖地巡礼者がちらちらおり、ちょっといらっときたので(かつ情報提供もかねて)。

商店街=寂れてるという先入観で語らないでくださいませ。

この商店街京都大学同志社大学に挟まれ、駅前しかも終着駅)で、近くに三菱UFJ銀行みずほ銀行支店を有しているという抜群の立地で、

かつ地域最安値に近いスーパー2軒、100円ショップ2軒、それに価格競争挑める八百屋肉屋ドラッグストアを有していて、

さら食べログでもかなり上位に位置する和菓子屋うどん+鯖寿司屋島耕作で話題にもなった皿洗うと無料餃子の王将有してるんす。

寂れてるわけないじゃん。つか、珍しいくらい活気ある商店街で、だからこそ、たまこまーけっとあの世界観になるのです。

ってことで、巡礼者はぜひ上記の事項を知って、巡礼してくださいな。

2012-04-30

こばなし

ネトウヨと友人が話していた

ネトウヨ「昨日は、凄く悲しいことがあったんだ」

友人「何があったんだ?」

ネトウヨ「家の近くで、統一教会巡礼ツアーに行くバス事故を起こして乗っていた全員が亡くなったんだ」

友人「お前、やっぱりそっち系だったのか」

ネトウヨ「そうじゃないよ、俺は見たんだ」

友人「何をだよ」

ネトウヨ「座席に一つ空席があったんだ」

2012-04-02

(雑感)Facebookに見る実名主義と経歴社会

日本Facebook流行らないと言われていた。(実際には利用者数は増加し続けている訳でその懸念はどうだったのかというところに疑問を感じたりもするのだが)流行らないと思われていた理由に実名主義日本で受けないというものがある。実際、Facebook上にはニックネームらしい人物の多数登録されているので実名主義が完全に浸透したというわけではなさそうである

 そこで、日本で何故実名主義流行らないかを考えてみた。

個人の経歴に対する考え方の相違

 経歴に対する考え方が日本アメリカでは決定的に異なっている。どう異なっているのか?

日本

各個人の人生全てを判断しようとする。

アメリカ

各個人の成功歴を判断しようとする。

と私は考えている。つまりアメリカにおける経歴の考え方は、ある特定の個人がある行動を達成させるだけの能力があったのか、また現在その能力を有しているのかという判断指標であると私は思うわけである

ここではその例を一つあげようと思う。「マイクタイソン」と「江夏豊」を比較してみる。

マイクタイソン江夏豊

この二人を同列で並べるのは少し馬鹿げているかもしれないが、共に覚せい剤経験者でありその国のスポーツ分野において多大なる貢献をした人物という点では変わらない。

マイクタイソンの悪歴

耳噛み事件

翌年6月28日に行われた再戦では、ホリフィールドWBA世界ヘビー級王座に挑戦するが、耳噛み事件(雑誌等で世紀の噛み付きとも称された)を起こし、2回の耳噛みにより3R終了時に失格負けとなった。この反則行為により、試合後はリング上で大混乱となり、一年間のライセンス停止処分を受けた。

1999年に復帰するも、年に1試合程度と試合間隔が極端に開くようになる。2002年6月8日にレノックス・ルイスの持つWBCIBF、IBO世界ヘビー級王座に挑戦。結果は8RKO負け。2003年6月暴行容疑で再度逮捕

2004年4月15日K-1試合出場契約を結ぶ。日本国内でのプロモート契約であるが、薬物犯罪者という理由で日本に入国できなかったため、実現は不可能であった。2004年7月30日、復帰戦となるノンタイトルマッチで1ラウンド中盤で膝の靭帯断裂。その怪我が響き、ダニー・ウィリアムズに4ラウンドKO負け。2004年12月、器物損壊容疑で逮捕

波乱に満ちた生活

2006年12月29日自動車ナイトクラブから帰宅する途中にパトカーと遭遇。衝突しかけた折りに取り調べを受けた際、飲酒運転およびコカイン使用所持(再犯)が発覚したことにより逮捕された。2007年11月19日禁固1日と執行猶予3年の判決

2008年5月16日ジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー“Tyson”が第61回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映された。同日行われた記者会見では、タイソン本人が作品の題材となった自らの人生について語った。

2009年6月6日ラスベガスで3度目の結婚式を挙げた[4]。11月12日ロサンゼルス国際空港自分家族写真を撮ろうとしたカメラマンともみ合いになり暴行をした疑いで逮捕されたが、その後証拠不十分のため不起訴処分となった。

2010年7月2日メッカ巡礼のためサウジアラビア入りをする[5]。

表彰歴(実績を除く)

国際ボクシング殿堂

2011年6月12日ボクシングを志してから目標でもあった国際ボクシング殿堂への殿堂入りを果たす。

WWE殿堂

ライセンス停止中の1998年3月29日アメリカのプロレス団体WWEの『レッスルマニアXIV』のメインイベントにて特別レフェリーを務めた経緯から2012年3月31日WWE殿堂に迎えられた。


江夏豊の悪歴

1993年3月3日覚醒剤所持の現行犯で、覚せい剤取締法違反により逮捕される。覚醒剤の所持量が多かったため、初犯ながら懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け静岡刑務所に服役、名球会からも退会した(これについては自主退会とも、金田正一会長による除名とも言われている。現在は復帰)。1995年4月27日に仮釈放され、出所後は野球解説者・評論家に復帰した。

表彰歴

なし

何故江夏豊野球殿堂入りを果せないのか

一時の気の迷いで薬物に手を出し、自ら指導者の道を断ってしまったことを悔やむ声は多い。また現在の選定方式で江夏が選ばれる事はもう無いが、野球殿堂入りを熱望するプロ野球関係者も多い。

とあるように野球殿堂入りを望む人間も多い。にも関わらず殿堂入り果たしていない。世界記録であるシーズン401奪三振、最優秀救援投手5回、オールスター9連続三振ノーヒットノーラン達成。功績から考えれば殿堂入りをすべきものである。これがアメリカ社会であったならばマイクタイソン同様に殿堂入りしているだろうと私は考えている。マイクタイソンはその悪歴を有しながら殿堂入り果たしている。これは彼のその分野における功績のみが評価されたものだと言ってもいい。必要なことは成功、実現したという経歴であって決して悪歴ではない。しかし、日本に至ってはそうはならない。一度でも道を踏み外せばどれだけの実績を持っていても社会的に評価されなくなってしまう。そのことを表しているいい例だと私は思っている。

実名主義の浸透に望むこと

これは私の希望である実名主義の浸透の鍵を握るのは経歴に対する考え方にあると私は思っている。一つの汚点によってその後の人生全ての功績が無駄になるのが今の日本だ。だからこそ実名を避け匿名を利用する人が多いと思うのである。経歴において必要なことは過去の失敗や悪行ではない。これから成そうとしていることが成功可能かどうかにある。あって欲しいというのが私の意見だ。Facebookに望むこと。それは実名主義の浸透によって今の日本の経歴に対する考え方を一掃して欲しいと思うのである。仮に日本FaceBook実名主義が浸透する時には、経歴に対する考え方は変わっているであろう。失敗しても立ち直れる世界。何らかの理由により犯罪者となった者が更生することのできる社会。それを私は望むのであり、Facebook上での偽名利用は止むを得ないのではないのかと思う。。

以下参照及びに引用
マイクタイソンに関する事項

マイク・タイソン - Wikipedia

江夏豊に関する事項

江夏豊 - Wikipedia

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。

村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。

といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」

実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。

彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。

この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。

驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。

「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事

村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。

2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である

車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。

村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。

こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。

こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。

世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

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2011-07-12

荻窪への聖地巡礼に際して特に注意していただきたい1つのこと

http://d.hatena.ne.jp/riyot/20110710/1310309043

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-2780.html

私は荻窪駅徒歩n分圏内に住んでおり、毎日荻窪駅を利用している者です

さて、ピングドラムなるアニメの主人公らの自宅があり、あずささんがインタビュー中に迷い込んでしまったとのことで、聖地と化す可能性が高い荻窪駅周辺。既に多くの方が聖地巡礼と題し、荻窪駅周辺を探索してらっしゃるそうです

電車によるアクセスが良いため、今後も巡礼者が増えることが予想されます荻窪在住の者として、これは非常にうれしいことですしかし、聖地巡礼にまつわるトラブルの話も絶えませんので、荻窪もそういったことに巻き込まれないかと心配されます

何に注意すればいいの?

当然、マナーは守っていただきたいですね。これはどこに巡礼する場合でも同じですですが、荻窪場合特に通行の妨げだけはなさらぬようにお願いしたいのです

それってマナーのうちに入るよね?と思われるかもしれませんが、人が多く、道が狭い荻窪駅周辺でこのマナーを守るのが難しいのです

人が多い?

荻窪駅は1日あたり延べ15.5万人(JR 8.5万人+東京メトロ7万人)が利用する駅ですので、新宿駅池袋駅ほどではないにしろ、人が多いです荻窪駅はJRの他の駅と違って南北が線路によって分断されており、荻窪駅そのもの南北を介する通路となっている関係で、駅そのものの利用者は鉄道の利用者だけではありません。

さらに、専業主婦の方が大勢暮らしていらっしゃいますので、朝と夕方のラッシュのみならず、昼間の時間帯もかなり人が多いです

道が狭い?

荻窪駅周辺は、基本的にすべての道が狭いと思った方がいいですアニメに登場する場面は往々にして車の通行が多く、ガードレールで守られた安全地帯は2人がすれ違うのがやっと、という狭さです

まり、1人立ち止まるだけで、すれ違うことすら難しくなるということです

具体的には?

例えば、アニメと同じ構図で荻窪駅南口2番出口の写真撮影するためにはカメラ屋の前で構える必要がありますが、この位置はガードレールで守られた領域の中でもかなり狭い方です。立ち止まるだけでも通行の妨げとなってしまます。それでいて、駅前ということで通行する人間の数が非常に多いです。通行を妨げられた住民は逃げ場所がありませんので、ここで通行を妨げることは多くの住民の反感を買うことになります

旅館西郊もOKストアも、ガードレールの中から撮影になります特にOKストアは目の前が環八通りということもあり、通行人の数はかなり多いです

なんで通行を妨げちゃいけないのか?

通行を妨げてはならない理由は、地域住民から不審者が増加したとみなされた場合、(良い、悪いに関わらず)巡礼者そのものが排斥対象となってしまうことが予想されるからです

これは過去に発生した抗議運動からわかるのですが、地域住民は自分子供が安全に過ごせることが一番大事であり、これを脅かしかねない事態には断固反対します。例えば、荻窪駅南口前を通る道路は片道通行ですが、両面通行化する計画が過去にあがっていました。道の幅は両面通行するには十分でしたが、住民の反対にあい、今もなお片面通行のままです。反対の理由は、両面通行にすることにより車の通行が増大し、それに伴って(主に子供の)交通事故が増加することが懸念されるからでした。

何が言いたいかといいますと、これほどまでに慎重な方々が大勢いらっしゃる中で、巡礼と題して不審な行為を敢行する勇者が増加傾向にあると発覚したら、不審な行為をはたらいていた者のみならず全巡礼者がただではすまないということです。これは荻窪に限らず、人口の多い地域における聖地巡礼が孕むリスクです

通行を妨げ、カメラで特定箇所の写真だけをバシャバシャ撮るというのは、撮っている本人が思っている以上に不審な行為に見えます。少なくともアニメを見ない、インターネットも使わない層の方が、特定箇所に集まって嬉しそうに同じもの撮影する方々(しかも面識は全然無い)に対して悪いとは思わなくても「何をやっているんだろう…」と不審に思うことは、想像に難くないでしょう。

巡礼者が歓迎される対象になるには、とにかくマナーを守ること。怪しまれるようなことは慎むこと。そして、その上で地域住民の方に感謝されることです

どうすればいいの?

撮影スポットに人があまりいない場合撮影をすぐさま終わらせ、その場からすぐに立ち去ってください。

撮影スポットに人が溢れかえっている場合は、荻窪近辺の店で適当時間を潰したのちに再チャレンジしてください。

どこで暇を潰せばいいの?

残念なことに、撮影スポットの多い南口には時間の潰せそうなメジャーなお店があまりありませんが、北口や西口にはそれなりに有名なお店が並んでいます

スターバックスコーヒー
西口北方向、ルミネの1F
マクドナルド
西口北方向、ルミネタウンセブンの向かい
ケンタッキーフライドチキン
北口、派出所
ブックオフ
北口、出て目の前の交差点
サイゼリア
北口、タウンセブン7F
吉野家
西口北方向、出て最初の道を吉祥寺方向に歩いた右手
ミスタードーナツ
西口北方向、直進した突き当たり

(他に良さげなお店があったら追記します)

とても過ごしやすいマイナーなお店もたくさんありますが、それはぜひともご自分探検していただければと思います

それでは、

良い荻窪巡礼を!

2011-07-09

さいきんのバンドをいくつか聞いて

さいきんのバンドをいくつか聞いたので書いておく。

http://www.youtube.com/watch?v=daYHYidtws4

http://www.youtube.com/watch?v=RHZOmNCBKJY

http://www.youtube.com/watch?v=rIGd3u0lUwE

http://www.youtube.com/watch?v=301PWeR9KK0

  • watashino aishita manatsu no shinigami/死んだ僕の彼女

http://www.youtube.com/watch?v=XDlKs1bAADI

  • 世界の終わり/幻の命

http://www.youtube.com/watch?v=H51Xj5aEgkA

http://www.youtube.com/watch?v=RhEg1_ZUobU

http://www.youtube.com/watch?v=c7apuNjIRe0

http://www.youtube.com/watch?v=WXWg7ysYefY

  • キドリキドリ / Say Hello!!(I'm not a slave)

http://www.youtube.com/watch?v=j1OZ2oOl_to

http://www.youtube.com/watch?v=8127HPlsdig

http://www.youtube.com/watch?v=bwT30DWZIm8

http://www.youtube.com/watch?v=tSjaP8cxHw0

http://www.youtube.com/watch?v=r0WUxscyB1g

http://www.youtube.com/watch?v=WlAEr95RrOk

http://www.youtube.com/watch?v=3lua8WEpbjA

http://www.youtube.com/watch?v=gOqNlnPuWEU

http://www.youtube.com/watch?v=LiGgmVCzgfI

http://www.youtube.com/watch?v=7spTUBPFG2o

http://www.youtube.com/watch?v=UUIjIgNUFpQ

2011-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20110127214807

初心者パワースポット巡礼

明治神宮の井戸みたい首都圏だけじゃなく

四国たい国内だけじゃなく

ハワイとか世界中いろんなとこにスポットがある。


そのうちヒーリング

段々修行が深まってくるとやっぱり自分癒し手側として鍛錬を積むようになる。


親戚の独身女性が元外資バリバリキャリアウーマンなんだけど今ではヒーラーやってる。

あの手のものは大抵アメリカ人教祖なので(反動としての精神主義先進国から

その人はキャリアウーマン時代の行動力と英語力で通訳や渉外をして

本人も熱心に勉強や訓練をしたので

ある流派の高名なヒーラーの日本で第一の高弟のようになっている。

楽しそうだし交流や顧客も多いみたいだ。


ただやっぱりこういうのはどうしても新興宗教カルトが隣接するので

あなたスピリチュアル趣味を持つとしても

ぶっとんだ高額の料金を求められたり

反社会的な教義や気風があったり

個人の生活まで踏み込むような制約があったり

個人崇拝の気があったり

ということがあれば、その集団を見抜いて即撤退する賢明さが必要になる。


結局常識のセンスと知性が重要だよ。

科学医療を否定するとか

習い事じゃすまない金銭的時間的負担を強いるとか

人間関係が不健康とか

そういうのは常識のセンスさえあれば感じ取れるから

感じ取ったらそっちを優先すること。

2011-01-09

異邦人を知りたければ、彼らの倫理観を知れ。その逆がそいつ本質だ。

男らしく、なんて言葉が有るのは、自然に任せるとナヨナヨするから

女らしく、なんて言葉が有るのは、自然に任せるとガサツになるから

日本で忠義を重んじる武士道が発達したのは、自然に任せると下剋上とか平気ですから

欧州で礼節を重んじる騎士道が発達したのは、自然に任せると下品で無礼なことを平気ですから

中国で仁義を重んじる論語が受けたのは、自然に任せると不義な行いを平気ですから

米国スポーツマンシップが受けたのは、自然に任せると卑怯な行いを平気ですから

キリスト教が傲慢を最大の罪としたのは、彼らが傲慢だったから。

仏教諸行無常を説いたのは、彼らが物質に固執するから

イスラム教五行のうち三行を割いて信仰告白祈祷巡礼を盛り込んだのは、彼らがすぐに信仰を忘れるから

2010-09-13

新石器捏造疑惑

早いもんで日本中を揺るがした旧石器捏造問題から10年がたちます。

なんと今度は新石器捏造疑惑が持ち上がっているのです!しかも朝日新聞VS読売新聞という面白い対決になっています。

歴史界のスクープ合戦」として、なぜか「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」の公認会計士山田真哉先生がこの事件の概要を説明していて知りました。

http://plaza.rakuten.co.jp/kaikeishi/diary/201009060000/

おおまかな流れは上のブログにあるとおりですが、なんだか面白そうなので、ネットに載っていない記事をさがしに図書館新聞めくってきたところ、以下のようなタイムラインでした。

7月9日夕刊の社会面で朝日新聞

遣唐使「円仁」の名刻んだ石板、中国発見

と、慈覚大師円仁(えんにん)が中国で残した石板をはけーーんと歴史スクープ!?

http://www.asahi.com/culture/update/0709/TKY201007090344.html

7月10日には朝日新聞文化面で、どうやって石板が見つかったかを渡辺延志記者が詳しく説明しているんですが、捏造疑惑が出た今よんでみると、この時点でかなり怪しいです。「上、上、中国人のお坊さんがタライを頭に落とそうとしている!」「後ろ!後ろ!円仁のふりしたお坊さんの幽霊が!」ってドリフを見ているような気分になりますよ。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007100161.html

例えばですね、

  法王寺の僧が訪ねてきたのは今年1月。住職の林慶仁さんに石板の写真を示し、「調べても中国には該当者が見あたらない」と、そこに刻まれている「円仁」についての説明を求めた。驚いた林住職が、酒寄雅志国学院栃木短大教授相談し、研究が始まった。

 おいおい。「円仁WHO?ゴゾンジデスカ?」って、とりあえず日本に来る前にググれかす!あっ、グーグル中国から撤退したんだっけ。

 「あの~、もしかしてオタクのお寺さんに円仁さんいませんか?」とかいきなり門を叩いたのだろうか。円仁さんは天台宗のお坊さんでしたので、普通比叡山延暦寺に行きそうなものですが、専門の僧侶の多い比叡山を避けて、なぜか生誕の地の栃木にわざわざいくという怪しさ。

もうひとつ例えば

  巡礼行記に、法王寺に立ち寄ったとの記載はないが、鄭州を出た日に「仏教は東へと伝わる」と記していた。石板の冒頭の一節とよく似た認識だ。

 これも今だから、ではありますが。「そりゃ、ぱくったから、よく似ていて当たり前だろ」と突っ込みたくなりますね。

一番興味深いのは、

  書道史の見地からは「唐代の楷書(かいしょ)として疑問はない」(書家飯島太千雄氏)、文体には「日本人が書いた漢文特有の雰囲気がある」(気賀沢保規明治教授)などの評価を得た。 <<

 と、専門家が御墨付きのコメントを寄せているのですが、最初にでてる「疑問はない」としていた飯島さんというのが、なんと今回の捏造疑惑を暴いてしまったのです!朝日新聞にしてみれば青天の霹靂といったところでしょうか。

 ちなみに9月6日の読売新聞紙上によりますと、飯島さんは最初から疑いを持っていたそうで、「2枚目があろうとなかろうととても本物とは認められない」としていますし、「発掘以外で見つかったものはかなりの確率で偽物と疑うのは常識」とおっしゃっていますから、むしろ、飯島さんが最初の記事で自分の話が「疑問はない」となって青天の霹靂だったのかもしれませんが

ともかく、

朝日新聞スクープをうけて、7月10日には読売新聞が夕刊で、7月18日に持ち込まれたお寺さんの地元下野新聞ニュースにしています。

こうして歴史の新たな1ページが書き込まれた、と思いきや、忘れたころに衝撃的なスクープがでました。

8月27日に読売新聞社会面で

「円仁の石板」偽物か、寺出版の拓本と別物

とやったのです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100827-OYT1T00018.htm

リンク切れです)

中国法王寺が「この世に一つしかない」といっている石板の拓本(墨をつけて写した紙)が2種類も見つかったのです。見つけたのはさきにでてきた飯島さんでした。

続いて、9月3日には、「ゴミの中に第二の石板、円仁の石板さらに疑問も」という第二弾の記事が出ました。後日掲載された写真では段ボールゴミの下に埋もれていたのか、隠されていたかのようでした。しかも、痛いことに、まわりの模様がちょうど1センチ間隔で、現代のメートル法が使われていたのです。冒頭の山田先生ブログでも、メートル法のところが強調されていて噴きました。

下野新聞は同じ日に「本物?偽者?広がる論争 文言同じ2種類存在 中国で確認「円仁の石板」と、「危ないな、でも地元だし、信じてあげたいなあ」という感じでフォローしています。

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100903/376063

そして、面白いのは、同じ日の朝日新聞にもひっそりと、「2枚目の石板見つかる」と書いていたのです。しかし、偽物説には触れず、これだけを読む限りでは「円仁さんは1枚目を作ってみたけど、ちょっと構図が気に入らないからもう1枚作ったみたい。むしろ本物度が高まるんじゃない?」というトーンでした。ネットには載ってませんでした。

メートル法がなければ、「へえ、そういうこともありなのかな」と感じて、とりわけおかしいと思わなかったかもしれません。

このまま、逃げ切れるかと思ったら、9月6日には読売新聞がだめ押しの詳細な記事を文化面にアップしてしまいました。この記事であげられたいくつもの問題点クリアして、本物の円仁の石板とするには、偶然に偶然を重ねるようなアクロバティックな理論を展開しないとならないでしょう。なにより最大にして、一番目に乗り越えないといけないハードルはやっぱりメートル法存在ですよね。

果たして朝日新聞は反論できるのか、それともほっかむりするのか。そして、毎日新聞は、いつ、どちら側に参戦するのか。ところで私が家でとっている日経新聞に出ることはあるのか。楽しみですね~。

つまり、言いたいことは、中国にはこれからも日本人ガンガンだまされるよ、ってことではなく、捏造問題も10年がたち、旧石器から新石器(石板ですが・・・)に進化した、ということです。

さいなら~

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