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2024-04-02

川勝の次

一回の対話につき十個の地域振興策と三十個の地方助成金プレゼンしない限り、

JR東海及び国との対話拒否する超強硬リニア反対派担ごうぜ

どうせあいつら最短ルートにこだわるから静岡以外は取れないんだし、

徹底的にむしり取ろうぜ

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

2014-11-29

東京岡山あい

岡山山間よりの町で暮らしている。オタク暮らしもずいぶん楽になった。わたしはまんが・ラノベを好み、地上波アニメを見るくらいなので、インターネットほとんどことたりる。

「ことたりる」とは「関東近辺と差がない」という意味だ。購買活動やらアニメをみるだけならもうほとんど差はないように思う(サイン本は望むべくもないが)。しかイベントとなると大阪に来るのを祈るしかない。そしてまずありえない。ツイッターの普及いこうなのだ体感しているのだが、ちょっとしたオンリーイベントが異常に増えた。20スペース、500人くらいのイベント。それってもう用がない人にはまったく無用チョーブツなんだけど、沼の住人にはそこに行って深呼吸したいくらい望んでやまない約束の地だ。先週も東京で私の在住する村(沼)のイベントがあった。当然大枚はたいて上京し、それはそれは楽しい時間を過ごした。本当に頭がしびれるくらい楽しかったし、指先まで血が通ったし、目にうつる景色が天然色だった。普段は2C。

から地方自治体地域振興策として東京までの交通費を補助してほしい。季節に1回でいいから出してほしい。それだけのことでこの行き場のない、変りのない、盛り上がりのない、色のない、興味の持てない、先細るだけの地方都市、生まれ育った町で暮らそうと思える。東京に行きたいだけで暮らしたいわけじゃないんだ。ただ東京までの往復交通費だけで関東圏で暮らせてしまえる事実が耐えられないんだ。別に東京が好きなわけでも、岡山が嫌いなわけでもない。偶に東京に行きたいのを効率化するために関東暮らしたいだけなんだ。わけのわからん○○センターとか職業訓練所とか作る金で何人が東京に行って帰ってくるだろう。帰ってくるんだからいいじゃないか。

2013-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20130304091843

うるせーから調べてきたけど

鷲宮神社においては、彼らが絵馬に『らき☆すた』の登場人物の絵を描いて奉納する、

記念撮影を行う、コスプレ姿で参拝するなどの行動がマスメディアを通じて報じられた[13][14]。

初詣の参拝客も、2008年にはこの年の埼玉県内第3位となる約30万人、

また2009年には同第2位となる約42万人に達し、関係者の驚きを呼んだ[15]。

なお、初詣の参拝客の過去最高は2013年現在2011年から3年連続で約47万人であり安定している[16]。

こうした「巡礼」を受け、鷲宮町商工会(現・鷲宮商工会)は、町独自のオリジナルグッズを制作

同会青年部の運営する大酉茶屋わしのみやや町内の複数の商店にて発売し[17]、

作者や出演声優鷲宮神社への公式参拝イベントを開催した[18]。

その他にも歳末セールで『らき☆すた』のキャラクターをあしらったスクラッチカードを用いるなど、

様々な地域振興策に取り組んでいる。

鷲宮町もこうした経緯から2008年4月1日付で柊一家を町内の架空の住所に住民登録し、

同年4月7日より特別住民票交付を行った[19][20]。

地元商工会や町まで巻き込んだビッグビジネスになってるみたいよ。

10単位て。引くわー。

この巡礼欲ってのが全然理解できないが。


…っていうことを調べて教えてあげたところで

君は感謝するどころか不機嫌になるだけなんだろうけどね。

どーも事実関係が知りたかったんじゃなくて、

オタクなんか影響力が無いに決まってる!」って思いたかっただけっぽいから。

2012-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20120206175659

からの補助で安く新築住宅を借りられて(新築4LDK一戸建てで月4万とか)

中学校から徒歩5分以内、子供医療費タダ

なんていう地域振興策を考えている村が近くにある

それを先に実現した地域なんじゃないか

 
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