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2017-07-09

土曜日ローカル路線バスの旅Zをタビリスっぽくまとめる。

一行は河口湖からまずは大月方面を目指していきます。その途中の富士山駅都留市駅の2ヶ所で道志村行きのバスがある情報を得ていましたが、いずれもスルーしました。もし道志村方面に向かっていたら、どうなっていたのでしょうか。

道志村山梨県の最東南端の村で山中湖都留市からバスの他、神奈川中央交通相模原市の三ケ木から県境月夜野までバスを走らせています都留市駅羽田さんが行き先を聞いていた、あの月夜野です。

調べてみると以下のルートが見つかりました。

富士山駅11:30(富士急バス12:08山中湖旭日丘13:45(富士急バス)14:35道志小学校14:47(富士急山梨バス)15:05月夜野(徒歩2.3km)東野16:05(神奈川中央交通)16:42三ケ木

月夜野まで来るバスは平日は午前の2便しかないのですが、峠を越えた神奈川県東野まで行けばバスがありました。月夜野まで行ってしまった一行がその場で止まることは考えにくいので、おそらく神奈川県側のバスを見つけることはできたでしょう。

三ケ木から神奈川県橋本からバスが出ており、橋本から北上を続けると、最終的には一行が2日目の日中に到達する青梅線河辺駅まで行くことができます。というわけで半日以上先行することが可能でした。

ただし、一行が新狭山駅で見つけた川越行きや、後述する埼玉から栃木県境越えの接続がうまくいかず、最終的には大月ルートに追いつかれます。とはいえ、八王子川越でじっくりと情報収集を行うこともできたでしょうから道志村ルート検討する価値はあったと思います

一方で都留市駅まで行ってしまった場合はどうだったでしょうか。その場合、一行は都留市駅17:37に出るバスに乗ることになり、さすがにこの時間ではもうバスはなく、神奈川へ抜けるのは翌日になってしまっていました。というわけで、都留市駅まで来た一行が大月ルート選択したのは正解でした。

ところで、一行が東桂入口でタッチの差で逃した「路線バス」ですが、あれは事前予約制のデマンドタクシーだったので、今までのルール上では乗車できませんでした。ただ、路線バスの旅は厳格にルール運用されているとは限らないので(今回も路線バスではない、宿の送迎バスの利用が認められました)もしかしたら便乗を申し出てOKだったら認めていたかもしれません。その場合都留市駅に14:10に着くことになりましたが、先へ行くバスはなく、大月へは放送と同様のバスに乗ることになりました。このほか、都留市の循環バス都留文科大学まで来ていますが、時間は合いませんでした。

一方で大月への移動は途中徒歩を挟んでいますが、実は都留市駅からバスリニア見学センター大月駅行きのバスに経路が繋がっています

都留市駅16:30(富士急山梨バス)16:44大原入口17:19(富士急山梨バス17:30大月駅

しかし、リニア見学センター大月駅は月曜運休で、もしロケ日が月曜日では利用できませんでした。同じバス会社で直通便もあるにも関わらず一行どころかバス会社の人も気づかないのは考えにくいので、ロケ日は月曜日だったと考えるのが妥当です。

2日目は奥多摩日原鍾乳洞に立ち寄るなどの停滞はありましたが、先へ進めなかったので大きな影響はありませんでした。しかし、ポイント川越での選択でした。

川越で、上尾桶川鴻巣の3方向へバスがありましたが、羽田さんの「鴻巣には何もない」の一言で一行は上尾を目指すことになりました。しかし、この3方向で上尾もっとも南にあり、先に進むには損をしています。そして、結果的にこの決断運命を大きく左右します。

もっとも北にある鴻巣へ行っていたどうなっていたでしょうか。放送では19:13の鴻巣駅西口行が紹介されていました。

川越駅19:13(東武バス20:00鴻巣駅20:22(朝日バス)21:00加須駅南口

このように放送では3日目の午後に到達していた加須に2日目に到着することになりました。

ちなみに3方向の真ん中にある桶川を経由する場合、その日は桶川泊りになりますが、桶川から菖蒲車庫行きの朝日バスが頻発しており、多少は歩く距離時間を稼げたと思います

ただ、後述しますが放送通りに柳生駅に着いても挽回可能でした。

3日目はどのルートを通っても、結果的には加須市へ収斂し、柳生駅を目指すことになります。そこで、柳生駅から先のルートですが、放送では一駅先の板倉東洋大前まで歩き、そこで歩き疲れた一行は館林駅行きのバスを利用します。結果的にはこの選択が致命傷となり、最後まで挽回することができませんでした。ルイルイと蛭子さんが旅をした第18回の水戸善光寺の回でも佐野市足利市脱出に苦労し乗り継ぎ失敗となりましたが、結果的には同じような失敗になりました。放送でも紹介されていましたが、足利市佐野市の両市は、JR両毛線東武線などの鉄道網が発達している分、市外とのバス路線接続に乏しく、市境は徒歩で越えなければなりません。両市の経由は避けたいところです。その一方で板倉東洋大前駅から館林市方面への広域バスはありますが、栃木方面へ行くバスはありません。

では、柳生駅から直接栃木市方面に行くルートはなかったのでしょうか。

柳生駅から少し北上したところに「きたかわべ」という道の駅があります。ここは埼玉県群馬県県境にありますが、なんと平日に限り栃木市コミュニティバス県境を越えてここまでやってきています

3日目を加須からスタートした場合放送でも一行が利用した柳生駅行きのバスの初便に乗り柳生駅には9:46に着いていました。ここから次のようなルートが考えられます

柳生駅(徒歩0.75km)道の駅たかわべ10:45(栃木市バス12:02栃木駅南口

川越ショートカットと合わせて放送ルートよりも丸1日早く栃木市入りをしました。ちなみに、道の駅たかわべまで来るバスはこれが初便で、1日目を道志村ルートで先行していたとしても、ここで追いつかれます

しかし、道の駅たかわべまで栃木市コミュニティバスが来ているとは、地元の人々の情報がなければまず想像できないでしょう。放送では柳生駅で有力な情報が得られず、板倉東洋大前駅まで歩いていますが、このルートでも同じような展開になったと思います

しかし、板倉東洋大前で北行きのバスがないことを知った一行が次の藤岡駅まで歩けばあるいは、と考えるかもしれません。そうなるとこんなルートになります

柳生駅(徒歩7km ※板倉東洋大前駅経由)藤岡駅12:02(栃木市バス)13:33栃木駅南口

いずれにしても栃木駅には1日近く早く到達できます

栃木駅から先は放送ルートと同じく東武金崎駅楡木車庫とつないで宇都宮駅に行くのが最速です。例えば柳生駅藤岡駅を徒歩で繋いでいた場合にはこうなります

栃木駅北口16:23栃木市バス17:20東武金崎駅(徒歩4.4km)楡木車庫19:35(関東自動車20:17宇都宮駅西口

ちなみに、栃木駅を13:45に出るバスもあり、これに乗ると宇都宮駅の到着は18:27になります市バス運転手から事前に情報が得ていれば、決して不可能ではない乗り継ぎかと思われます。もちろん、道の駅たかわべからバスに乗れていれば、これよりもずっと早く宇都宮へ到着できます

さて、放送では14:00(正しくは13:26平成29年7月10日訂正)に柳生駅にたどり着いていますが、道の駅たかわべまで足を延ばしていれば同じバスの終便である14:55発のバスに乗れていました。その場合、以下のようにつなぐことが可能です。

柳生駅(徒歩0.75km)道の駅たかわべ14:55(栃木市バス)16:12栃木駅南口(以降、上のルートと同じ)

このように上尾経由でも3日目に宇都宮へ到達することは可能でした。

そして、運命の4日目。放送では佐野市スタートし、栃木市宇都宮市上河内氏家とつなぎ、ここでバスがつながらず、無念の断念となりました。那須塩原駅発の那須岳ロープ行きの最終が14:45だったことを思うと、一行が楡木車庫へ向かって歩いている間に最終が行ってしまっていたという辛い幕切れだったのですが、なんとかゴールにたどり着いてみましょう。

4日目を宇都宮からスタートした場合、最もスムーズな乗り継ぎは以下のとおりになります

宇都宮6:38(東野交通)7:30氏家駅前7:37(東野交通)8:13小川仲町8:38(東野交通)9:16大田原市役所入口(徒歩)大田原市役所9:32(大田原市バス10:00那須塩原駅10:45(東野交通)12:02那須岳ロープウェイ

宇都宮氏家バスが朝1便しかないためこの時間に出発となりますが、その後は比較的余裕のある行程です。3人がここまで来てゆったり進もうと思うかどうかはわかりませんが、氏家那須塩原はどこかでバスを1本落としたとしても間に合います

しかし、最終日に慎重を期すために営業所が開いて情報仕入れから出発ということも考えられます宇都宮駅関東自動車営業所は7:30に開くため、それまでは留まって情報を得たとしてもロスにならないと考えても不思議ではありません。その場合氏家直行することはできず、次のようなルートになります

宇都宮8:36(関東自動車)9:06白沢河原(徒歩5.8km)氏家駅10:45(東野交通)11:16小川仲町11:58東野交通)12:36大田原市役所入口(徒歩)大田原市役所13:17大田原市バス)14:15那須塩原駅14:45(東野交通)16:02那須岳ロープウェイ

なお、放送では上河内経由で氏家を目指していましたが、上河内氏家バスが早朝と夕方しかなく、このルートでは使用できませんでした。

この他、羽田さんが矢板市を経由するルートイメージしているようなシーンがありましたが、矢板市は市内で完結する路線バスしか運行しておらず、14時に那須塩原駅に到達するのは不可能です。また、周辺の自治体ではバスではなくデマンドタクシー採用しているケースも多く、他の方法那須方面に進む道はありませんでした。

さらに、赤城からわたらせ渓谷鐵道沿いに足尾日光を目指すルート検討してみましたが、県境越えがうまくいかず断念しました。

まり逆算すると、遅くとも3日目には宇都宮へ到着していなければゴールできなかったということになります

シーズンZ初の失敗となり、改めてバス旅の洗礼を受ける結果となりました。とはいえ、普段は3泊4日ですが、今回はスタート富士山子抱きビューポイント10時台の遅めの出発、一行が見つけていた那須塩原那須岳ロープバスの最終が14時45分だったことを踏まえると、実質3日しかなく、鬼門北関東を抜けていくコース設定でもあり、3回目の田中羽田コンビには酷なお題だったかと思います

番組としては2日目の川越まではほぼ想定通りで、ここでルートをじっくり悩んで…というハイライトシーンが来る予定だったと予想しますが、あっさりと上尾経由を選んでしまい、体力を消耗してしまった結果、栃木市バスに気づくことができず、失敗となりました。初日道志村ルートも含め、ポイントポイント情報をきちんと仕入れることが重要というバス旅の基本を見せつける結果となったのではないかと思います

また、各自治体の公共交通機関への対応の差が浮き彫りになった回でもありました。すなわち、周辺の市町村とも連携して、広域的なコミュニティバス運営を行う自治体領域内で完結するコンパクト運営を行う自治体デマンドタクシーによる地元住民利便性を追究した自治体とある中で、バス旅が結果としてそれに左右されるというのは、バス旅をますます難しいものにしているように思います

ただ、バス旅を成功するかどうかのゲームと捉えた場合、単に路線をつなぐだけではなく、地図を駆使していかに途切れたバス路線を繋ぐか、という旅の視点よりもゲームとしての視点が今後より強調されるような、そんな回だったかと思います

初の失敗を経験した田中羽田コンビが、今後よりシビアな旅を成功させていくことを期待し、今回のまとめとしたいと思います

2017-06-22

訓令式で追試 S県K市のトップは変わらず

国際標準ローマ字は、訓令式じゃね?

最新の総務省データでやってみました。総務省|電子自治体|全国地方公共団体コードね。

1位 S県K市 18

  1. 112011 埼玉県 川越市 S県 K市
  2. 112020 埼玉県 熊谷市 S県 K市
  3. 112038 埼玉県 川口市 S県 K市
  4. 112101 埼玉県 加須市 S県 K市
  5. 112143 埼玉県 春日部市 S県 K市
  6. 112178 埼玉県 鴻巣市 S県 K市
  7. 112224 埼玉県 越谷市 S県 K市
  8. 112321 埼玉県 久喜市 S県 K市
  9. 112330 埼玉県 北本市 S県 K市
  10. 222135 静岡県 掛川市 S県 K市
  11. 222216 静岡県 湖西市 S県 K市
  12. 222241 静岡県 菊川市 S県 K市
  13. 252069 滋賀県 草津市 S県 K市
  14. 252093 滋賀県 甲賀市 S県 K市
  15. 252115 滋賀県 湖南市 S県 K市
  16. 412023 佐賀県 唐津市 S県 K市
  17. 412074 佐賀県 鹿島市 S県 K市
  18. 412104 佐賀県 神埼市 S県 K市

2位 S県H市 17

  1. 112097 埼玉県 飯能市 S県 H市
  2. 112119 埼玉県 本庄市 S県 H市
  3. 112127 埼玉県 東松山市 S県 H市
  4. 112160 埼玉県 羽生市 S県 H市
  5. 112186 埼玉県 深谷市 S県 H市
  6. 112356 埼玉県 富士見市 S県 H市
  7. 112381 埼玉県 蓮田市 S県 H市
  8. 112429 埼玉県 日高市 S県 H市
  9. 112453 埼玉県 ふじみ野市 S県 H市
  10. 221309 静岡県 浜松市 S県 H市
  11. 222071 静岡県 富士宮市 S県 H市
  12. 222101 静岡県 富士市 S県 H市
  13. 222143 静岡県 藤枝市 S県 H市
  14. 222160 静岡県 袋井市 S県 H市
  15. 252026 滋賀県 彦根市 S県 H市
  16. 252131 滋賀県 東近江市 S県 H市
  17. 322024 島根県 浜田市 S県 H市

3位 H県K市 14

  1. 72036 福島県 郡山市 H県 K市
  2. 72087 福島県 喜多方市 H県 K市
  3. 182061 福井県 勝山市 H県 K市
  4. 281000 兵庫県 神戸市 H県 K市
  5. 282103 兵庫県 加古川市 H県 K市
  6. 282171 兵庫県 川西市 H県 K市
  7. 282201 兵庫県 加西市 H県 K市
  8. 282286 兵庫県 加東市 H県 K市
  9. 342025 広島県 呉市 H県 K市
  10. 401005 福岡県 北九州市 H県 K市
  11. 402036 福岡県 久留米市 H県 K市
  12. 402184 福岡県 春日市 H県 K市
  13. 402231 福岡県 古賀市 H県 K市
  14. 402273 福岡県 嘉麻市 H県 K市

4位 A県T市 13

  1. 22063 青森県 十和田市 A県 T市
  2. 22098 青森県 つがる市 A県 T市
  3. 232017 愛知県 豊橋市 A県 T市
  4. 232076 愛知県 豊川市 A県 T市
  5. 232084 愛知県 津島市 A県 T市
  6. 232114 愛知県 豊田市 A県 T市
  7. 232165 愛知県 常滑市 A県 T市
  8. 232220 愛知県 東海市 A県 T市
  9. 232246 愛知県 知多市 A県 T市
  10. 232254 愛知県 知立市 A県 T市
  11. 232271 愛知県 高浜市 A県 T市
  12. 232297 愛知県 豊明市 A県 T市
  13. 232319 愛知県 田原市 A県 T市

4位 I県K市 13

  1. 32069 岩手県 北上市 I県 K市
  2. 32077 岩手県 久慈市 I県 K市
  3. 32115 岩手県 釜石市 I県 K市
  4. 82040 茨城県 古河市 I県 K市
  5. 82155 茨城県 北茨城市 I県 K市
  6. 82163 茨城県 笠間市 I県 K市
  7. 82228 茨城県 鹿嶋市 I県 K市
  8. 82309 茨城県 かすみがうら市 I県 K市
  9. 82325 茨城県 神栖市 I県 K市
  10. 172014 石川県 金沢市 I県 K市
  11. 172031 石川県 小松市 I県 K市
  12. 172065 石川県 加賀市 I県 K市
  13. 172090 石川県 かほく市 I県 K市

4位 K県K市 13

  1. 141305 神奈川県 川崎市 K県 K市
  2. 142042 神奈川県 鎌倉市 K県 K市
  3. 372056 香川県 観音寺市 K県 K市
  4. 392014 高知県 高知市 K県 K市
  5. 392111 高知県 香南市 K県 K市
  6. 392120 高知県 香美市 K県 K市
  7. 431001 熊本県 熊本市 K県 K市
  8. 432105 熊本県 菊池市 K県 K市
  9. 432121 熊本県 上天草市 K県 K市
  10. 432164 熊本県 合志市 K県 K市
  11. 462012 鹿児島県 鹿児島市 K県 K市
  12. 462039 鹿児島県 鹿屋市 K県 K市
  13. 462187 鹿児島県 霧島市 K県 K市

7位 S県S市 12

  1. 111007 埼玉県 さいたま市 S県 S市
  2. 112151 埼玉県 狭山市 S県 S市
  3. 112216 埼玉県 草加市 S県 S市
  4. 112283 埼玉県 志木市 S県 S市
  5. 112399 埼玉県 坂戸市 S県 S市
  6. 112402 埼玉県 幸手市 S県 S市
  7. 112461 埼玉県 白岡市 S県 S市
  8. 221007 静岡県 静岡市 S県 S市
  9. 222097 静岡県 島田市 S県 S市
  10. 222194 静岡県 下田市 S県 S市
  11. 222208 静岡県 裾野市 S県 S市
  12. 412015 佐賀県 佐賀市 S県 S市

8位 H県A市 11

  1. 72028 福島県 会津若松市 H県 A市
  2. 182087 福井県 あわら市 H県 A市
  3. 282022 兵庫県 尼崎市 H県 A市
  4. 282031 兵庫県 明石市 H県 A市
  5. 282065 兵庫県 芦屋市 H県 A市
  6. 282081 兵庫県 相生市 H県 A市
  7. 282120 兵庫県 赤穂市 H県 A市
  8. 282251 兵庫県 朝来市 H県 A市
  9. 282260 兵庫県 淡路市 H県 A市
  10. 342149 広島県 安芸高田市 H県 A市
  11. 402281 福岡県 朝倉市 H県 A市

8位 H県T市 11

  1. 72117 福島県 田村市 H県 T市
  2. 182028 福井県 敦賀市 H県 T市
  3. 282090 兵庫県 豊岡市 H県 T市
  4. 282146 兵庫県 宝塚市 H県 T市
  5. 282162 兵庫県 高砂市 H県 T市
  6. 282235 兵庫県 丹波市 H県 T市
  7. 282294 兵庫県 たつの市 H県 T市
  8. 342033 広島県 竹原市 H県 T市
  9. 402061 福岡県 田川市 H県 T市
  10. 402117 福岡県 筑後市 H県 T市
  11. 402176 福岡県 筑紫野市 H県 T市

8位 N県S市 11

  1. 152048 新潟県 三条市 N県 S市
  2. 152064 新潟県 新発田市 N県 S市
  3. 152242 新潟県 佐渡市 N県 S市
  4. 202061 長野県 諏訪市 N県 S市
  5. 202070 長野県 須坂市 N県 S市
  6. 202151 長野県 塩尻市 N県 S市
  7. 202177 長野県 佐久市 N県 S市
  8. 292061 奈良県 桜井市 N県 S市
  9. 422029 長崎県 佐世保市 N県 S市
  10. 422037 長崎県 島原市 N県 S市
  11. 422126 長崎県 西海市 N県 S市

8位 T県K市 11

  1. 92053 栃木県 鹿沼市 T県 K市
  2. 122068 千葉県 木更津市 T県 K市
  3. 122173 千葉県 柏市 T県 K市
  4. 122181 千葉県 勝浦市 T県 K市
  5. 122238 千葉県 鴨川市 T県 K市
  6. 122246 千葉県 鎌ケ谷市 T県 K市
  7. 122254 千葉県 君津市 T県 K市
  8. 122360 千葉県 香取市 T県 K市
  9. 162078 富山県 黒部市 T県 K市
  10. 312037 鳥取県 倉吉市 T県 K市
  11. 362034 徳島県 小松島市 T県 K市

8位 T県T市 11

  1. 92037 栃木県 栃木市 T県 T市
  2. 121002 千葉県 千葉市 T県 T市
  3. 122025 千葉県 銚子市 T県 T市
  4. 122050 千葉県 館山市 T県 T市
  5. 122131 千葉県 東金市 T県 T市
  6. 122335 千葉県 富里市 T県 T市
  7. 162019 富山県 富山市 T県 T市
  8. 162027 富山県 高岡市 T県 T市
  9. 162086 富山県 砺波市 T県 T市
  10. 312011 鳥取県 鳥取市 T県 T市
  11. 362018 徳島県 徳島市 T県 T市

追試しやすいように元データと、正解を一緒に並べておいたよ。

なんか間違ってたら教えてね。

https://anond.hatelabo.jp/20170527201015

2017-05-19

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

2016-08-02

県庁所在地あるある

北海道

東北地方

関東地方

北陸地方

東海地方

近畿地方

  • 神戸県ではない。
  • 都構想をやるのかやらないのかはっきりしろ
  • 大津存在を忘れそうになる。
  • 結局三重はどこに入るのか。

中国地方

四国地方

  • 香川高松さえ押さえれば楽勝。やはり素直。

九州地方

沖縄

2008-12-26

県名と県庁所在地名が違う都市にものすごく嫉妬してる

うらやましいんだよね。

金沢とか松江とか那覇とか。

有名なのなら神戸とか横浜とか札幌(県ではないが)とか。

俺はなんの変哲もない○○県○○市生まれ。

○○は同じ文字が入る。ダサッ!

ただ、調べてみると意外なことに、

違う名前県庁所在地はどうやら新政府と一悶着あったらしい。

この辺は諸説あるからいまいち分かんないんだけどね。

それでも俺は羨ましいんだよなあ、

県名と違う県庁所在地が。

だってさあ、例えば(大分の)別府に住んでいたとして、

大分市に行くのを「大分市に行く」とか「大分に行く」とか、

あるいは「市内に行く」とか言ったりする訳だぜ?

それに、例えば「盛岡行く」って言ったら盛岡市しかないけどさあ、

秋田行く」って秋田市秋田県のどこかか、判断つかねえだろ。

いや、まあそこは言葉足らずが悪い、って話ではあるんだけど、

なんていうのかなー、カッコイイんだよね。

県名と違う県庁所在地が。

ただ、東京ならおそらく「中野に行く」とか「渋谷に行く」って感じで、

区名とか地区名が入るんだろうね。大阪も「難波」「梅田」みたく。

イメージだけど、「23区に行く」とか「大阪市に行く」とか

言わないんじゃないかなあ。

少なくとも俺は関西在住だけど「大阪市に行く」って言わないんだよな。

あと三重の奴、例えば鈴鹿にいる奴とかって、

津市に行くのなんて言うんだろうな。

「俺明日ついく」とか言うわけ?

マジでかっこいいんですけど。

群馬高崎の人たちとか、

カジュアルに「前橋行ってくるよ」とか言うんだろ?

すげえクールだよ、それ。

鳴門市民が「徳島行く」って言ったとして、

「お前は現時点で徳島存在してるから

正確には徳島市に行く、だろ?」

とか訂正したくなるよな。

いや、俺もそういう呼び方をすることが多いけどさあ。

紛らわしいんだよね。

あと栃木市とか沖縄市はなんかかわいそうだなあ、

とか思ったり。笑えるけど。

こういうもどかしさを持ってたり、

素直に嫉妬してるのって、俺だけですか?

だれか俺とこのモヤモヤ感を共有してくれませんか?

とりあえず県名と県庁所在地名が違う県(道)に住んでる

北海道

岩手

宮城

群馬

栃木

茨城

山梨

神奈川

石川

愛知

三重

滋賀

兵庫

島根

愛媛

香川

沖縄

は俺の気持ちがあんまり分かんないと思うから死んで下さい。

(ていうか九州って全部県名と県庁所在地名一致してるんだね)

 
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