2014-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20140217180618

確かにそうなのかも知れない。

だが、それは健全なことではない。

指摘の通り、祈願内容を偽らざるを得ない理由があったとしても、それは健全な行いとはとても言えない。

祈願を受けて精神的安定を得たいだけなら正直にそう言わないといけない。(実際、受けたいだけという人も来る)

仮にそうだったとしても、目的を偽る限り、正直に「ただ祈願を受けたいだけなんですよ」と自分達の口で言ってくれない限り、状況が変化したとは言えないし、先へも進めない。

それでは何も、結局は数年前から何一つ変わらないからだ。

精神的安定を月一で片道二時間かかる場所に求めに行くのは個人の自由だが、問題がゼロ距離すなわち自分の家の中にあるというのなら、少なくない時間や金を精神的安定に割く前にまずそれに取り組むべきだ。

仮にこの夫婦に息子なんていなかったとしても、毎日帰って寝る自分達の家の中に、問題が変わらず存在している事だけは確かだ。(ごく一般的夫婦者はここまで頻繁に祈願を受けに来ない)

精神的安定を求めるのは、健全精神状態の維持を望む、自然な心の働きだろう。

外的な要因によって心のバランスを保とうとするのはいいが、だがいずれは自分の足だけで立たなければいけない。

自分の足で立たなければ、ずっと搾取されるばかりだ。

たばこお酒ドラッグ依存中毒性のあるものは世の中に沢山あるが、ほとんどの人間はそれらに依存し頼ることな自分の足だけで立っている。

依存対象がたとえ無害なものであったとしても、その無害なもの依存するのはいけないことだ。

二本の足があるのだから

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