はてなキーワード: ガードレールとは
電車乗ってたら気分悪くなったから、着いた駅で降りてホームのベンチに座って項垂れてた
そしたらおばあさん?おばさん?ぐらいの女性が「あなた大丈夫?」って声をかけてきた
「大丈夫ですありがとうございます」と答えて、それで去ってくれるかと思ったら女性は心配そうにこちらを見たまま動かない
また話しかけられたら面倒だと思って立ち上がったらふらついてしまって、女性が体を支えてきた
「どの出口から出るの?一緒に行きましょう」と言われて「いえ結構です」と答えたつもりだったが、多分伝わってなくて、引きずられるように一番近い出口から駅の外に出た
日差しが暑くて視界がぐるぐる回り始めて何も言葉が出てこなくて「タクシーを拾いましょう。おうちはどこなの?」と女性が言うのをぼんやりと聞いていた
すると、女性は何を思ったのか突然私の体を放り出して「ちょっと待ってて」と言うとどこかへ去った
私はガードレール?にもたれかかったまま一人では動けず待つしかなかった
しばらくすると女性は戻ってきて「あのお店で休ませてくれるから行きましょう」と目の前にあるカフェを指した
カフェに入るとお店の人が椅子とお水を出してくれて、エアコンが効いて涼しいのもあって大分楽になった
女性は「タクシー拾ってくるわ」と言って店の外に出ていき、しばらくすると戻ってきて店員に「タクシー呼んでくれない?」と言った
水を持ってきた店員に女性は「駅であまりにも顔色が悪くて辛そうにしてるから声をかけたのよ」と誇らしげに話した後、私に向かって「あなた大丈夫?どこの人なの?大丈夫よ一緒にそこまで行ってあげるからね」と言った
その声は静かな店内に響き渡るほど大きく、他の客もこちらをちらちらと見てきた
その後も「お仕事なの?学校?連絡しなくて大丈夫?何歳なの?」と質問が続いて、答えたくはなかったが、助けてもらったくせに態度が悪いと周りから思われるかもしれないと思うと無視できず、私はそれに全部答えた
恥ずかしくて気持ち悪かったが、女性が善意で言ってくれていることもわかったので私は最後に「ありがとうございます」と言った
しばらくしてお店の人が呼んでくれたタクシーがやってきて、また女性に支えられながらタクシーに乗った
お水だけで何も頼まないのは申し訳ない気がしたが、私達にメニューは出されなかったし、気分が悪くて何も受けつけそうになかったので結局何も頼まないまま店を出てしまった
最後まで女性は「大丈夫?」と何度も聞いてきて本当に鬱陶しかった
タクシーに乗って家に着く頃には体調はほとんど回復していて、あのまま無理に動かずベンチで水でも飲んで休んでいればタクシー代もかからなかったのにと思った
あの女性が「いいことをした」と思っているだろうことが本当に腹が立つ
現場付近の堤防道路は幅約5メートル。日常的な車の通行を想定していない「河川管理用通路」に当たり、ガードレールや柵の設置義務はない。だが実態は、民家が立ち並ぶ生活道路で車も通る。
久留米も、もう19時くらいまで明るいけど、
街灯が極端に少ないから。足元暗い。
ガードレールってお高いのよ。人命には替えられないが。
ガードレール盗まれたり、ひどい田舎だからインドと思ってくれて結構@from印西市
千葉県印西市で2017年、酒に酔って暴れていた男性を千葉県警察官が保護し、口にタオルをかませて搬送後、男性が心肺停止となり死亡した事件で、遺族側が県を相手取り、損害賠償を求める訴訟を地裁佐倉支部に起こしていたことが3日、分かった。県は損害賠償金として2750万円を支払うことなどで和解する議案を16日開会の2月定例議会に提案する。
議案などによると、印西市で17年6月、男性が酔って暴れたため知人が110番通報。駆け付けた警察官が男性にタオルをかませ、脈拍などの確認を行いながら印西署に搬送した。到着時に男性が心肺停止状態となっており、2週間後に死亡した。関与した警察官3人は業務上過失致死罪で罰金刑が確定している。
自宅が最寄り駅から下ったところにあるのね
だから帰途で石造りの階段を下るわけだが、その階段って最上段から初段まですっぽりと左右を建造物の擁壁に挟まれていて、降りきるとそこからT字に幅員の狭い歩道(人2人分)が開けていて、前方にはガードレールを挟んで二車線の車道が歩道に平行して開けてるのね
先日俺がその階段を下り終え歩道に半身を乗り出した瞬間に、ママチャリが徐行しながら突っ込んできたのよ
俺は急いで身を引いたけどギョッとしたよね
ママチャリの運転者は急ブレーキをかけると右によろけた車体を片足で何とか抑えて停止した
見ると、ママチャリの後部座席に、見た目学齢期未満って感じの男児が眠っていた
運転者はその母親と思しき女で、その右隣には彼女の夫らしき男性もいて、こちらは徒歩の装いをしており、どうやら二人は顔を向き合わせながら談笑しつつこの歩道を歩いてきた様子だった
いや、おかしいだろ
人2人分の幅員しかない歩道を、1人が徒歩で、1人がママチャリを徐行しながら並んで歩くこともそうだが、後部座席に男児が眠った状態で座っているのに、夫の歩行速度に合わせて徐行するのは危ないだろ
実際件のママチャリは左右にゆらゆらと揺れながら突撃してきたからね
俺が持ち前の電光石火で避けたから事なきを得たけど、子供を乗せたチャリの動きじゃないよあれは
で、その母親、俺に対して謝りもせず、後ろの息子を気に掛けるでもなく、体制を立て直すと何事もなかったかの様に例の徐行を再開。夫の方はそんな彼女に連れ添いながら今度は彼女の腰に手を添えることで安全性を確保したつもりでいた
俺は思い出しだよ、今年の夏のことだ
俺の家の庭に向かいの家の男児が闖入して、高さ6尺ほどの物置の屋根に登って遊び始めた
俺は注意したよね。そんなところで遊んでいると転んで怪我をしても知らないぞ、と
男児は俺の顔と暫し凝然と見つめたかと思うと、さっと身を翻して庭から立ち去ったよね
ごめんなさい、わかりました、うーせーばーか、何れもなし
実はこれ、初めてのことじゃない
もう何度もこの無愛想な小人に庭を踏み荒らされているんだよ俺は
親は知ってるはずだ、決して共働き親の鍵っ子や待機児童の類いではない
発達障がいで時間の管理を不得手とする俺は、朝は毎回バスの停留所まで走らなければならない
「おはようございます!」とこちらも返してやると、返事が返ることを予想していなかったのだろうが、円らな瞳を一際丸く拡げて狐につままれた様子だった
ガキが……
を踏みます。フルブレーキングとは、クラッチペダルとブレーキペダルを踏み抜くことです。
万が一、右足でアクセルペダルを間違えて踏んでも、クラッチペダルを踏み込んでいるのでエンジンとギアは切り離されているから、エンジンは空転してものすごい音にはなりますが車は惰性で前に出るだけで加速しません。
体勢が崩れてクラッチペダルを踏めずに、ブレーキペダルとアクセルペダルを踏んだ場合、ブレーキペダルが優先されるのでエンジンが止まるか、クラッチが滑って煙がでます。
つまり、間違えてどの組み合わせでペダルを踏んでも、加速して100キロを超える暴走車になることはありえないんです。
マニュアル車は両足を放しても車が止まる
ギアがロー(1速)か2速に入っていれば、ブレーキ、クラッチペダル、アクセルのすべてのペダルを踏まなくてもエンジンブレーキがきいて車はとまります。
マニュアル車には、左足で踏むパーキングブレーキはありません。手で引っ張るサイドブレーキになっています。だから、助手席の人がいれば、サイドブレーキを助手席の人が引っ張ってハンドルを左に切るだけで車は縁石やガードレールに乗り上げて止まります。
ローギア(1速)に入れて、左足でクラッチを踏み続ける「半クラッチ」でズルズルと走る
クラッチペダルとアクセルペダルを放すと車はエンジンが止まって(エンスト)しまう
エンストした状態では、アクセルペダルを踏んでも車はまったく動かない
なので、安全なのです。
夜だったはずだ。7時半だったか、ともかくその頃にはもう、すっかり暗くなっていた。そこを自転車で行くのだ。所在は、比較的には都会の方だったから、宵闇はネオン光や、車が放つ種々の光が斑に照らしている。そこを、当時中一だった私(以下、私と呼称する)が、幼稚な自転車で通行するのである。むろん、舐められる。
塾まで、至極単純な道のりで、自宅から、三十分もせず到着する。順路も、ちょっと右左、捻じ曲がった局所を踏破すると、後の二十何分を道なりに、ひたすらに直進するのみだ。国道から、十分も満たない近所だからだろうか。交通の便を良く配された、長い道路の両脇には、BOOK〇FF、PCでない方のマック、小さな銀行……大抵の設備が整っている。つまり、人目だって、十二分にあった。
そこは、少し幅狭な通路だった。少なくとも、まだ自転車道を通行することに、一縷の不安を持っていた私にとっては、その通路は少し手狭で、七面倒な場所であったことに違いない。幾つかの難所を脱した私は、もう二分も立たない内に、目的地にたどり着く手はずとなっていた。もう着くのだ。気だるさと同時に、私の顔はほころんでいる。前から、二人組の男が歩いてくる。
水溜まりボ〇ドみたいな二人だった。違いと言えば、デブの方が金髪だったと言う位である。それ以外は、本当に酷似していた。
私は、車道に幅を寄せた。その時、自動車道を大きく乗り越えトラックが接近していたし、ガードレールもあったので、どのみちそうする他ない。当然、私は二人組が、通りやすいよう、右に固まってくれる事を期待していた。
その期待は砕かれる。そうした類の善意どころか、彼らは私へと悪意すら向けてくる始末だ。具体的には、私の通行を阻む様に立ちふさがると、デブは何を考えたか、「こんばんは」と言う。
怖いと感じた。私は一層横に寄せると、少し、身を縮めた。一瞬、彼らは不気味な沈黙を保ったと思うと、私の右をぬるりと通過してゆく。デブは再度、「こんばんは」と言った。先程より大きい。彼の声は、記憶に定かではないけれども、高い声をしていたはずだ。その高い声が張り上げられるのだ。再度、「こんばんは」と言った。ほぼ怒鳴る様だった。男の身も蓋も無い叫び声は、あなたも聞き覚えがあるのではないか。私はそれに強い不安を覚える。恐怖ではない。しかし、どうも、身の安全が脅かされる様な気がしてならなくなるのだ。
その瞬間もそれだった。恐怖はなく、不安だけが総体を循環するのだ。不愉快な感覚だった。横のガリが笑う。何故か笑う。彼らは、人を脅かすことに悦びを見出しているに違いない。双方とも笑うその声は、喜悦と興奮に歪んでいた。
彼らは通り過ぎてゆく。距離の壁が初めて私に事態の終息を確信させた。気付けば私は塾内に入っていた。授業はするすると脳に染みわたるようだ。私は、その日から少し、見た目に気を遣うようになった。あの日買った競技用自転車は今は錆びつき、備え付けの駐輪場に放置され、今も風雨に打たれている。
ハロはご存知?
しかしですねレース用の車ってのは屋根がない車もたくさんあるんです。
Formula-1とかって知ってますかね?
ああいう車。屋根がなくてドライバーの頭部が外へとむき出しとなっている車。
そういう車、当たり前なんですが屋根がないのでドライバーの頭部へものが飛んできたら直撃します。
もちろんヘルメットはかぶっていますがヘルメットでは防ぎきれない衝撃は多々あるわけで。
大昔によくあったのはレース中のクラッシュでタイヤが飛んでくる、とかですね。
それによる死亡事故も昔はしばしば起こっていました。
あとレースの車って軽いから衝撃で浮き上がったりするんですね。
そういう飛んだ車が運悪くドライバーの頭部へと突撃してくパターンなんかもあります。
だから割と昔からこれは危険だから保護装置をドライバーの頭部を守るフレームのようなものをつけねばならないでしょうと
提言はされていたわけです。
ところがこれは長きに渡り反対勢力によって保護装置の導入は見送られてきた歴史があります。
曰く、ドライバーの頭部周辺にフレームを配置したりしたらFormulaカーの見栄えが悪くなるから、Formulaカーの伝統に反するからってことで。
すったもんだの末にハロが導入されたときにも、かっこ悪いと一部では大不評でした。
すぐに見慣れるよ、との声も多数ありましたが、それでも皆本音では格好悪いよね安全には変えれないけど、と思ってました。
とはいえとはいえ、ハロが導入されてからの数々のクラッシュでハロの有効性が証明されます。
レース中に浮き上がったマシンのタイヤがドライバーの頭部めがけて落下する、なんて場面でも
ちなみにハロの強度はロンドンの2階建てバスが落下してきても耐えうる強度らしいです。
あとレース中のマシントラブルでちょっと考えられないような角度、猛スピードでガートレールへと車が突進したときにも
車が衝撃吸収構造により文字通りバラバラになりつつガードレールを歪めながら車が突き刺さった際にも
ハロのおかげでドライバーの生存空間が確保されたおかげで死ななかったねということが起こったり、
そういう事例に枚挙にいとまがないです。
「命には優劣がある」
「自分がいつホームレスになるかもしれないのだから、そんなことを言うべきではない」
──はぁ。
「命は平等に尊いもの。価値があるかどうかで決めることではない」
──そうかい。
「人間は弱い者を守り、人権を、法律を、福祉を発展させることで繁栄する生存戦略を選んだのだから、見当違い」
──ふぅん。
しかし。
あなたがいつか上司になるかもしれないのに、上司の陰口を言ったことはないのか? クレーム電話の陰口は? お役所の受付の陰口は? あなたがいつか誰かにとっての陰口の対象になるのなら、陰口をしないのか?
命の価値が同じなら、自分の愛娘と無縁のホームレスも同じ価値か? どちらかしか救えないのなら、娘が助かって欲しいと祈るのでは?
日本が家長制度を導入していたら政略結婚や男女不平等が正しいのか? それを嫌って現在の日本にシフトしたのでは? ならば現在の法体制を疑うことが悪にならないはすだろう?
まるで話にならない。
私は年間、数百冊の書籍を読み、誰よりも勉強している自負がある。
だからこそ、システマチックな物言いだけれども、間違っているとは思わない。
──私は、個人として、陰口を言うこともある。
──私は、個人として、生存戦略よりも個人の自由や整合性を選びたい。
「社会的影響力のある者が公の場で個人の感想を言ってはならないと主張するその根拠は?」
「普段見てもいないYouTubeチャンネルの内容にまで立ち入って、怒りたいだけ怒り、自分の主張を押し付ける行為は正しいのか?」
「私が自殺をしたら、あなた方が私をいじめ殺したことになるが、あなた方の大好きな『命の価値が平等』という主張はどこに行ったのか?」
例えば「子どもが真似してホームレスを軽視するかもしれない」というけれど、それは「模倣犯になるかもしれないから」とニュース番組を一切見せないのと同じでは?
あなた方の子どもが、あなた方の主張する善悪の区別がつかないのなら、「歴史の真似をするかもしれない」といって戦争を教えないのか? すべてを教えて個人に取捨選択させるのが教育なのでは?
私の動画のコメント欄に呪詛を吐き出すのが正しい行為か? それを堂々と子どもに見せられるのか? 「将来子どもが何かしでかすかも」という不確定な要素よりも、他人に呪詛を吐く姿をこそ子どもに見せてはならないのでは?
もしかすると、多少の表現の不備はあったのかもしれない(否、あったとすればそれは受け取る側の浅学さ、浅薄さであるとも思う)。けれども、私が間違っているとは思えない。仮に誤っていると主張するのであれば、客観的かつ信頼性に足る根拠を示してほしい。私はいつでも謝罪し、反省し、訂正し、その正しさを誠実な態度で以て最大限に広く周知することを誓う。
勘違いされがちだが、私は基本的に論破されたがりなのだ。普段から道に外れたセンセーショナルなことを言っている自覚はあるけれども、それは新たな論理で正してほしいことの裏返しだ。それは、強がりや掌返しではなく、心の奥からそう思う。
けれども、その正しい根拠を募っても、いつまで経っても出てこない。だから私は怒っているのかもしれない。
「私のような厄介な人間に、正しさを説いてくれ!」と。
「私程度の小悪党が駄々をこねている間に、本当の悪党に対抗する武器を見つけろ!」と。
「正しさを曖昧にして二千年以上も生きてるんじゃない!」と。
そう言葉にすると、ふつふつと怒りが沸く。たかが日本のような小さな国で、数百万人の支持者を持っている程度の小悪党の暴走すら止められないのは、あなた方人類の怠慢であると──心底、怒っている。
私を否定できないのであれば、現時点において私が正しいことになる。
否、正しいかどうかはわからないが、しかし間違っていないことになる。
もし「正解」という道があるとしたら、私はその縁に立っているだけなのだ。危うい縁に。
けれども、違反でなければ過ちではない──。
◇
……と。
私は、思考を切るためにスマートフォンの画面をオフにする。今日は考えることが多い。浅い割に多いのだ。批判ってものは。
スマートフォンを手に乗せたまま信号が緑になるのを待つ。手のひらの中で今も生まれているだろう主張の嵐を持て余しながら、ほんの僅か、足元のコンクリートブロックが割れているのを感じ、身体を一歩前に進ませる。爪先が少し、車道を踏んだ。
と、深夜の街に相応しくないスピードの車が近づいてきた。物騒だなぁ、と思いつつも、スマートフォンの裏面を何の気なしに眇めていると、
身体に強い衝撃が走った。
衝撃が先か、轟音が先かはわからない。視界が宙を舞い、まるで目ヤニだらけの朝のようにぼやけたからだ。
続いて、痛み。
大きな銅鑼を打ったかのような、押して引いての波紋が身体中を暴れている。その振幅は自分の身体を越えているように錯覚するほどで、立ち上がることはできない。否、仮に足を踏ん張っても立つことは不可能だろう。なぜなら、膝下がひしゃげて見当違いの方向を向いているからだ。
次に、不快さ。
胃の内容物がまるでネズミになったかのように這いずり回る──実際には胃の方が動いているのだろうが、しかし這い上がってくる吐瀉物は鉄臭く、“血の通った何か”を飲み込んだ報いとばかりに喉を押し広げ、ほとんど無抵抗に半固形の何かが口や鼻から垂れる。
さらに、熱さ。
命の素がどんどん外に溢れるような、そんな感覚。身体の芯は生きる手だてを探してやけに熱っぽく、しかし手足は凍えるほど冷たい。小さな穴の開いた水風船をただ見ているだけしかできないような、取り返しのつかなさと焦燥感。何かを決定的に失う瞬間というのを久々に味わう──忘れていたのかもしれない。あるいは見ない振りを。もしくは「自分は失わない」と高をくくっていたのかもしれない。
私は、急速に死に向かっていた。
ぼやけた視界から判断できる限り、交通事故──らしい。私を轢いたと思しき自動車は、「ガードレールに刺さっている」と表現するしかないほどに大袈裟に半壊ならぬ七割ほど破壊されている。
──なお、今の私に知る由はないが、この自動車の運転手は病院へと急いでいた。
というのも、彼の愛娘が突然大量の吐血をしたため、一も二もなく最高の速度で病院へと向かっていたのだった。
皮肉なことに。
運転手は、彼の大切な命を優先したのだ。彼の咄嗟の行動に間違いはなかった。
私は助けを呼ぼうとするも、体力的な問題なのか、あるいはどこか発声に関わる器官が深刻なダメージを受けているからか、大きな声が出ない。口腔内から聞こえる「ヒュー」という音がやけに空々しい。
頭を打っていないことが幸いして意識はあるけれども、しかし長く保たないことは確かである。否、どんな仮定の話をしようとも、命を失ったことはないから“失ってみるまでわからない”──。
そんな“悠長なこと”を考えていると、ふと視界の端で動くものが見えた。それはのっそりと立ち上がり、「く」の字に曲がっていたり、すっくと立ち上がったりしている。何かを引きずる者もいる。
元々いたのか、騒ぎを聞きつけたのかはわからないが、どうやら人間のようだ。ああ、助けてくれ──!
そう口元を歪ませると、どうやら仲間同士で話し合いをしている様子だった。冷えは身体中に広がり、今にも意識を失ってしまいそうだ。早く、早く救急車を!
どのくらい経っただろうか。実際には数十秒くらいなのだろうが、その時間は誇張なく一時間に感じる。身体の中から聞こえる「ぎっぎっ」という音が何に起因するかもわからない。車が焼けているのか、瞳孔の機能が低下しているのか、まぶしくて人間たちの姿が見えない。
轟音で痺れた耳が復活した頃、声が聞こえた。
「俺らのねぐらにさ、仏さんが転がってたら良くないよな」
「な」
「他に行くアテもないし」
会話からするに、ここに住んでいる住民──ねぐら? つまりここら辺に住んでいる──ホームレスの……集団?
「仏さんには悪いけどなァ」
「な」
「すまんなぁ。でも俺らも優先するモンがあるんだぁ」
「手は合わせておこうか」
「だなぁ」
「成仏しておくれな」
な! 待て! 待ってくれ! 私はまだ生きている! ただ、声が出なくて、ア、まぶしくて、身体が、動か……なくて、そん、な死体に向けるよう、な、目を、そんな真似を、命を命とも思わない真似を、なぜできるんだ! ア、ア…考え直してくれ! 今すぐ!
くぐもったガサガサという音が聞こえる。普段寒さを避けるためのブルーシートか何かだろうか。数人の男たちが私の身体を包み始めた。
男たちの声は続く。
「口から血の泡が出てるな」
「そっか、お医者さんかぁ。……人生、何があるかわからないね」
いしゃ………? まって……。
「気のせいだろ! 見るなよ! 目を合わすと取り憑かれるって話だぞ」
そんなの……“えびでんす”が……ない……よたばなし……で……。
「じゃあ、せーので」
「うん」
「川に流すなんて、罰が当たるかもしんねぇけどさ」
「ま、許してくれなんて言わねぇよ。俺たちの“個人的な事情”だしなぁ」
「……」
「かもなぁ」
「だからさ」
「俺たちは……。
いや、誰もがみんな、間違ってないのさ。
きっとな」
(了)
走行中にナビとして使っていたiPhoneからライトニングケーブルが外れていたことに気がついたので
付け直すためにちょっと駐車できるスペースを見つけてバイクを停車した
それで、ごそごそとケーブルをつけ直していたんだけど、どこからともなく「ニャー…」という鳴き声
あたりを見回したらガードレールの向こうの森の中から猫が出てきた
子猫というには大きいが成猫ではない
餌をねだっているのかなんなのか、ニャーニャーと鳴きながらめっちゃ足にまとわりついてきて
歩き出せばそれについてくる
猫になつかれるのはうれしいが、ツーリング中だし本州在住で海を越えて連れて帰るわけにも行かないし途方に暮れた
離れた温泉街まで連れて行ってもいいが、住民には迷惑なような気もするし交番(あったかは不明)に連れて行っても困られそうだし
ここで人に餌をもらっているとしたら逆に生存確率を下げるかもしれない
結局、バイクから少し離れたところにまで歩いて行って、猫がついてきたのを確認してからダッシュでバイクに戻って発進した
発進時に後ろを見たときにはすでに猫の姿はなかった
どうすればよかったのかまだよくわかってない
土石流が流れてきたと思われるルートを遡ったけど、幅1メートルもない水路に過ぎない。
ストビューで行ける再上流あたり。左側のガードレールしたの細い部分が水路。
https://goo.gl/maps/zXmtG7PRpzDhaMSw7
https://goo.gl/maps/7ECheTATc7M5vxjE6
現場近く。もう幅50cmぐらい。
https://goo.gl/maps/QDDm2jvzPYxgbWX56
振り返れば海が見える。美しい土地だ。
https://goo.gl/maps/JjH5fz9dob9gQ5iJ9
ストビューで見えてる多くの家が被災してしまっているのだろう。
あのアホ客を「悪気はなかった、故意ではなかった」「防護策がないのが悪い、道の狭いのが悪い」「叩きすぎ」(全部実際のブコメであった)と言ってる連中って、
池袋暴走事故の飯塚被告にも「悪気はなかった、故意ではなかった」「誤操作を防ぐ装置がないのが悪い」「叩きすぎ」と同じように擁護しててのかね。
先日の2園児死亡事故でも「ガードレールがないのが悪い、道の狭さが悪い」「叩きすぎ」と擁護したのかね。
絶対してないよね。
アホ客が若い女だから同情心全開に発揮してるだけで、高齢じいさんやオッサンがやらかした上記2事故では同情して擁護なんてしてないよね。
「飲酒運転は故意だ」…そうだね、自転車の進路妨害してデカイ看板掲げたのも故意だね。トラック運転手も事故を起こす故意はなかったよ。
まして飯塚被告なんて「高齢である」だけが原因で、アホ女のように若く認知能力も十分にあったわけでない(=責任能力はより低い)のに、今回と比べ物にならないくらい叩かれてたよね。「自分がやらかしたときの想像して地獄だった」なんて想像力豊かなブコメがスター集めてトップブコメになったこと、あったっけ?
「人が死んだから重大だ」…そうだね、今回は運良く死者はいなかったけど、いてもおかしくない規模の事故だったね。死者の有無は運でしかないよね。運の良さ悪さを本人の責に帰すの?
結局、今回のアホ客が「若い女だから」同情されて他責にする責任転嫁ブコメがたくさんついて増田も人気集めるし、
池袋暴走や2園児死亡事故はじいさん、オッサンだから同情心など呼び起こさず叩かれるんだよね。
今回の事故を男女逆にして考えたらよくわかるよ。
「女性自転車競技でアホ男がレースも見ずに看板で進路妨害して大規模落車、何十人もの女性選手たちが腕の皮が裂けてて流血したり、肺破裂したり、骨折したりと重症を追い、今回のレースでリタイヤどころか選手生命まで絶たれてしまった。アホ男は手当も謝罪もせず現場から逃走。
そんな事故が起きたとき、「叩きすぎ」なんて増田やブコメが人気集めるなんて事が有るか。かけてもいいが絶対無いね。今回と違って女性選手への同情ブコメが殺到して、やらかしたアホ男は叩かれるばかりになるよ。(そういや今回は純粋な被害者である男性選手達への同情ブコメはほとんど無いね)
結局のとこ、女にばかり同情が集まるという性差別なんだよね。