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FF、ドラクエの古き良き「思い出」を超えろ――絶滅危機を乗り越え、再注目されるドット絵
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任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の誕生から38年。16×16の四角形の集合体にすぎないドット絵の「マリオ」は世界の人々をとりこにした。ゲームは進化して実際の映像に近づく中で、衰退したはずのドット絵が復興し、若い世代にも広がっている。その魅力とは。(取材・文:河村鳴紘/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
今年5月、「ドラゴンクエスト3」のリメイク(対応ハード未定)が発表された。公開されたティザームービーにはキラキラと光を反射する水面や、住人の息づかいが感じられる町の灯りと影の世界が描写されている。
こうした臨場感あふれる表現を可能にしたのが「HD-2D」だ。四角い点を枡目状に並べて表現するレトロなドット絵に3DCGを融合させる手法で、懐かしさと新しさが同居する不思議な魅力がある。
「ドットに関しては『今の時代にこれか』というユーザーの声ももちろんあるんです」
そう語るのは株式会社スクウェア・エニックスのプロデューサー・高橋真志さん。
高橋さんの制作チームでは「狭くともちゃんとユーザーに刺さるものを作ろう」というコンセプトのもと、ドット絵ベースのゲーム制作を開始した。
初めて「HD-2D」を採用したタイトルは、2018年にリリースした「オクトパストラベラー」だ。同作では試行錯誤の末に「HD-2D」というアプローチを見いだした。
「『ファイナルファンタジー5』や『6』のようなドット絵を目指そうとやって……できた試作版の感想が、いい意味でいうと “懐かしいね”、悪い意味でいうと“古臭い”というものでした」
明らかに試作版の方が昔のものよりきれいな絵なのに、なぜか「劣る」ように思えてしまったのだ。
「それは過去の思い出が美化されてしまう『思い出補正』のせいでした。私は初めてスーパーファミコンでプレーしたのが『ファイナルファンタジー5』なのですが、当時の体験とともにドット絵が原風景として強く残っているんです。ユーザーさんも同様に感じ取ってしまうはずだから、その分の下駄を何で履かせるか考えた先に3Dに行き着きました」
FF、ドラクエの古き良き「思い出」を超えろ――絶滅危機を乗り越え、再注目されるドット絵
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任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の誕生から38年。16×16の四角形の集合体にすぎないドット絵の「マリオ」は世界の人々をとりこにした。ゲームは進化して実際の映像に近づく中で、衰退したはずのドット絵が復興し、若い世代にも広がっている。その魅力とは。(取材・文:河村鳴紘/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
今年5月、「ドラゴンクエスト3」のリメイク(対応ハード未定)が発表された。公開されたティザームービーにはキラキラと光を反射する水面や、住人の息づかいが感じられる町の灯りと影の世界が描写されている。
こうした臨場感あふれる表現を可能にしたのが「HD-2D」だ。四角い点を枡目状に並べて表現するレトロなドット絵に3DCGを融合させる手法で、懐かしさと新しさが同居する不思議な魅力がある。
「ドットに関しては『今の時代にこれか』というユーザーの声ももちろんあるんです」
そう語るのは株式会社スクウェア・エニックスのプロデューサー・高橋真志さん。
高橋さんの制作チームでは「狭くともちゃんとユーザーに刺さるものを作ろう」というコンセプトのもと、ドット絵ベースのゲーム制作を開始した。
初めて「HD-2D」を採用したタイトルは、2018年にリリースした「オクトパストラベラー」だ。同作では試行錯誤の末に「HD-2D」というアプローチを見いだした。
「『ファイナルファンタジー5』や『6』のようなドット絵を目指そうとやって……できた試作版の感想が、いい意味でいうと “懐かしいね”、悪い意味でいうと“古臭い”というものでした」
明らかに試作版の方が昔のものよりきれいな絵なのに、なぜか「劣る」ように思えてしまったのだ。
「それは過去の思い出が美化されてしまう『思い出補正』のせいでした。私は初めてスーパーファミコンでプレーしたのが『ファイナルファンタジー5』なのですが、当時の体験とともにドット絵が原風景として強く残っているんです。ユーザーさんも同様に感じ取ってしまうはずだから、その分の下駄を何で履かせるか考えた先に3Dに行き着きました」
再び活況を取り戻したドット絵ゲームだが、2006年ごろになると、モバイルゲームのトレンドはMobageやGREEなどのプラットフォームが提供する「美麗カードゲーム」へと移っていく。小林さんも現場から退きディレクター職に軸足を置いていた。またもドット離れの時代の到来か……。そんな諦念を払拭したのが、2013年にエイリムから出たスマートフォンアプリゲーム「ブレイブ フロンティア」だ。ドット絵ベースRPGにスマートフォンのタップ操作を掛け合わせたゲーム性が90年代のゲームファンを魅了。全世界で合計3800万ダウンロードを記録する大ヒットとなった。
勢いに乗るエイリムにいた元同僚から声がかかり、小林さんも再びドッターとして腕を振るうこととなった。現場では、ユーザーのダイレクトな反応にも触れることができた。
「『やっぱりドット絵好きです』っていう声が、具体的に上がるようになったんです。過去の産物とかではなく、ドット絵はドット絵でいいよね、って認識できました」
さらに大きなうねりをもたらしたのは海外のインディーズゲームだった。
2011年に正式リリースされた「マインクラフト」はドットテイストの3Dブロックによって自由に世界を構築するゲーム。複雑な造形物を描くにはドット絵の素養が必然的に要求される。さまざまなプラットフォームに配信され2億本以上売り上げるなど、一大ブームを巻き起こした。
(Christian Petersen/Getty Images News/ゲッティイメージズ)
完全ドットベースのインディーズゲームでは2015年リリースの「Undertale」もその代表格だ。アメリカのゲームクリエイターであるトビー・フォックス氏の個人開発で、100万本以上の売り上げを誇る。モンスターのすむ地底世界を舞台に、子どもが地上に戻るための冒険をする……という内容だ。ゲーム好きをうならせるストーリーと個人開発とは思えぬほどの異常な細部へのこだわりが熱狂的なファンを獲得し、口コミで広がっていった。
CGに比べて制作コストの低いドット絵はインディーズゲームクリエイターに好まれた。しかし、あくまでクリエイターの趣味の領域にとどまり、それ以上の広がりにはつながりにくい一面もあった。そこにSteam等のゲーム配信プラットフォームや、Twitter、YouTubeといったSNSの普及もあいまって多くの人の目に触れ、ドット絵の灯が紡がれたといえる。特にマインクラフトに関してはティーン層にも広くリーチし、新たなドット絵ユーザーの拡大に大きく寄与している。
テレビゲームからモバイルゲームへと、時代に応じて活躍の場を広げてきたドット絵。
近年はゲームの世界だけでなく、「ピクセルアート」のように、ドット絵をゲーム以外の文脈と接続しながら新たな魅力を発信する試みもある。
シブヤピクセルアート プロデューサー 小野氏(左)・代表 坂口氏(右)
東京・渋谷で2017年から毎年展開されるアートイベント「SHIBUYA PIXEL ART」。
「近年、街がDX化される中で、文化的なものを組み込みたいと考えた」
「ゲーム文脈から拡張されたピクセルアートを、多様な形で展開できる場所として渋谷を選んだ」
現在は50人以上のクリエイターが国内外から参加し、大手企業による協賛やアーティスト・ゆずとのコラボレーションなど盛り上がりを見せている。
参加クリエイターのうち、3割が10~20代と若い。彼らにはドット絵のシンプルな技法が新鮮に映るという。また、四角形の集合体で構成するドット絵に対して縦横ではなく「斜め」の線を使い物議を醸すなど、“常識”に挑む斬新なアプローチが光る。
バウエル・ジゼル・愛華さん
「SHIBUYA PIXEL ART 2021」で優秀賞を受賞した高校生モデルのバウエル・ジゼル・愛華さんもその一人。ドット絵をプログラムで動かすYouTubeの企画がきっかけで、ドット絵を描くようになった。「少ないピクセルの中でどれだけきれいに描けるか、というのが楽しい」と話す。下書きもせず何となくテーマを決め、タブレットとペンでバランス良くモノを配置しながら作りあげてしまう。
「SHIBUYA PIXEL ART 2021」で優秀賞を受賞したバウエルさんの作品
「粗いドットのデジタルの雰囲気が逆に新しい」とバウエルさん。ドット絵は新たなファン・クリエイターを取り込みながら、活躍の場を広げている。
新世代も取り込みながら進化を続けるドット絵。制作中の「ドラゴンクエスト3 HD-2D リメイク」にも、新たな可能性を示す仕上がりを期待したい。
【うるてぃましっくす いつわりのよげんしゃ】
開発元 インフィニティー
定価 9800円(税別)
プレイ人数 1人
判定 なし
世界3大RPG『ウルティマ』シリーズ第6作のスーパーファミコン移植版。
プレイヤーは「アバタールの聖者」と呼ばれる君自身。謎の敵『ガーゴイル』との戦いの勃発により、再びブリタニアに召還される事となる。
特徴
自由度が非常に高い。
逆に言えば、どこから進めるべきか具体的なヒントが極端に少なく、何をすればいいのか分からなくなることがとても多い。
同じ世界3大RPGの『Might and Magic』同様、クリアを目指すのではなく冒険そのものを楽しむためのゲームである。あちらに比べれば随分と親切設計なので敷居は低い。
ただクリアを目指すためだけにプレイすると、クリアに関係ないイベントでガッカリしたり、謎解きで心が折れてしまったりするかもしれない。数日でクリアしようなどと考えず、コツコツと冒険を楽しむという心構えで挑むべきだろう。
人との会話は「なまえ」「しごと」などキーワードを質問することで情報を聞き出す選択制。洋ゲーはこういう形式が多い。
衛兵などを除いて全ての一般人に名前がある。普通のRPGのように一言しか発しないモブキャラが大量に歩いているという不自然さがない。
一度会話した事のある人物は最初の挨拶が変わるのですぐにわかる。
使ってもなくならない重要アイテムで、主人公の周囲のいずれかのマスにおいて使うと、マスによって決まった位置にワープできる。
ただし、主人公の真下などの簡単な位置におくだけで『ガーゴイル』の巣くうある重要な場所にワープできてしまう為、いきなり訳の分からない場所に放り出されて強力なガーゴイルに襲われて面食らうのもまたお約束。ちなみにそれらの場所はゲーム後半でかならず行く必要が出てくる場所なのだが、ゲーム開始直後からいきなりいけてしまうのはどうなのか。
従来のようなムーンゲートシステムも健在。ただし位置固定ではなく、ムーンストーンを埋めた場所に現れるようになった。固定電話から携帯電話に進化したような感じ。
「ゲート・トラベル」という魔法を使えば、そのムーンストーンを埋めた場所にワープができる。ただしLV7魔法なので主人公をだいぶ育てないと使えない。
ダンジョンは3Dではなくなり、「ドラクエ1」のように、主人公の周囲以外が全て真っ暗になる。
「たいまつ」や魔法「ライト」を用いて周囲を明るくして進むのが定石となる。なお、奥深くもぐっていくほど、BGMがだんだんと暗くなり、音量が小さくなっていくという特徴がある。
ちなみにこのゲームの「たいまつ」は、片手に持つアイテムなので、たいまつを持つキャラは、たいまつが消えるまで両手装備武器を装備できない事になる。また、一度持つと消えるまで外せない。
街にいる兵士に戦いを挑める。
ただし、カルマシステム(後述)の関係で、こちらに危害を加えてこないものを攻撃するのは得策ではない。
過去作と違い、ロードブリティッシュ(この世界の統治者)と一戦交えることは出来ない。
この世界の住民すべてが1分単位(!)で生活しており、夜になると宿屋すら閉まってしまう。
かわりに「キャンプ」システムで、時間経過+回復が可能。ただし、各々のキャラが食料を持ってないと回復できないので注意。
魔法は店で呪文の書かれた紙を購入して、呪文の書というアイテムに書き込む事で使用できる。
本作では主人公以外のキャラはMPが非常に低いので、魔法キャラは必然的に主人公のみとなる。本作は魔法にレベルが定められており、レベルが高い魔法は、キャラのレベルがそれに届かないと使えない*1。
呪文の書は片手装備扱いであり、装備していないと呪文を使えない。よって本作では主人公に両手武器を装備させるのは得策ではない。強力な武器はデュプレなどに任せるのが吉である。
戦闘はMAP上でそのまま行われるタクティカルバトルとなっている。
敵は基本的に強くなく、難易度は比較的優しい部類。だが、例外としてガーゴイルやデーモン、ドラゴンなどの強モンスターは一変して本当に手強い。
消費アイテムの「火炎瓶」が、範囲攻撃+安価+なかなかの威力なので、これを投げつけていればいつのまにか敵が死んでいる。人に投げつけてはいけません
因みに経験値は敵を倒したキャラのみが得るシステムの為、育てたいキャラがいる場合は火炎瓶を投げまくる事も多い。
一部の魔法以外は、その攻撃範囲内に味方がいると味方までダメージを喰らうこともある。
ごく一部の重要なアイテム以外は、キャラクターによって装備できるアイテムに違いはない。没個性ととるか自由度が高いととるかはプレイヤー次第。
弓矢などの飛び道具は、力ではなく素早さが重要になる。力の高いキャラは剣などの武器で直接攻撃を、素早さの高いキャラは弓矢で援護をするという役割になる。
弓には「普通の弓」と「クロスボウ」の違いがあり、使用する矢が違う。
『カルマ』と呼ばれるシステムがある。最高値は100で、最低値は0。
「人のお願いを適えてあげる」「物をめぐんであげる」「神殿でレベルアップする」など、良い事をすると上がり、「物を盗む」「兵士や無害な動物に攻撃を仕掛ける」「嘘をつく」など、悪いことをするとカルマ(業)が下がってしまう。
敵に攻撃を仕掛けられた場合は、反撃で倒してしまっても正当防衛ということでカルマは低下しない。環境の悪い場所では猫やウサギなども襲いかかってくることがある。
カルマが下がると、店の価格が高くなるほか、死亡からの復活時に総合EXPが減るという仕様がある*2。経験値を稼ぎにくい本作において、これは非常に辛い。
さらに、終盤のイベント時に『カルマ』が80以下の状態である選択肢を選ぶと、ゲーム進行ができなくなる*3。該当の選択肢を選ぶ際には、カルマが80以上あるかどうか必ず確認する事。
救済措置として、シェイムのダンジョンにいるイバラというNPCに食料をあげるたびにカルマが1上昇するようになっているので、どうしても行き詰まったらここで調整する事が出来る。だが、このダンジョン自体がかなり入り組んでおりイバラのところにたどり着くのも苦労するので、悪人プレイをするには相応のデメリットがあると暗に伝えてくれている要素ともとれる。
LVアップは『神殿』と呼ばれる場所で行う。この『神殿』は、最初はガーゴイルに占拠されており、解放の為に『ルーン』なるアイテムを探す必要がある。また、既存のRPGと違い、そのキャラの総合EXPが一定値を超えているとレベルアップができるシステムとなっている*4。
本作での最高レベルは8。一見低いように見えるが、本作で敵から得られるEXPは多くても60前後がいいところ。そしてLV8に必要な総合EXPは6400と、実際にプレイすると分かるがかなりの敵を倒さなくては到達できない数値である。
神殿を解放すると『ムーンストーン』というアイテムが手に入る。これはゲームクリアに必要なので、必然的に、8つある神殿全てを解放しなければならない。
また神殿によって、LVアップボーナスが違う。能力値に差が出るので、LVアップの際に方針を決めておこう。
STR+3の「勇敢さ」、INT+3の「誠実さ」、AGI+3の「優しさ」、全パラメータ+1の「清らかさ」のいずれかでLVアップするのが望ましい。他の神殿はLVアップボーナスが少ないため、損してしまう。
ただしどの神殿でも、最初の1回目のレベルアップ時のみカルマが+10されるため、無駄ではない。補欠となる仲間にレベルアップさせてカルマを回復するのにも使える。
シリーズキャラ「ねずみのシェリー」は、本作ではなんとアイテムとして持ち歩く事になる。
その小さいサイズから、主人公達が入れない場所のアイテム回収に用いる。実は重要アイテムの回収の為にシェリーが必要な場面もある。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
なんでもアメリカではファミコン(NES)でFF1を出した後、スーパーファミコン(SNES)で「(日本の)FF4」を「FF2」として売り出したものの、売り上げが思ったほどではなかったそうで、「アメリカの方々に複雑なRPGは受けないようだ」という分析のもと、もっとシンプルなゲームの開発を始めたのだそうじゃ
そうしてリリースされたのが、かんたんおてがるすごろく風RPGの Final Fantasy Mystic Quest (ファイナルファンタジーUSA)であり、結果アメリカ人ゲームマニアが「バカにしとんのか」と大激怒……というような風の噂を耳にして幾年月
今日、YouTubeでたまたまFF USAのサントラがレコメンドされてきたのでコメント見たら、英語のコメントで「曲はね…曲はいいんだよ」「ゲーム本編のことはどうでもいいがBGMはベスト」といった噂に違わぬ反応がある一方、「俺はフランス人で、これやったときはまだ英語もよくわからない6歳だった。このゲームから学校で習うよりもっと多くの英単語を学んだし、実際これくらいのがゲーム初心者の自分にはちょうどよかった」みたいなことを書いてる人がいて、そのコメントからは少し悲しげな感じも受けた
作品の受容のされかたというのはそれぞれなのだなあということを思うと同時に、どんなにひどい作品だとしても軽々しくけなせば制作者以外にも傷つく人がいるのかもしれないなあと考えた秋の夕暮れであった
レトロゲームの偽物がここ数年通販サイトなどで目立ってきている。
本稿ではその原因や、「偽物の質」の紹介、偽物の販売方法、買い手側の対策と反応あたりを主軸に語ってみたい。
なお私の専門分野はファミコンカセットのみであり、レトロゲーム全般としては事実と齟齬があったり記述が不十分である可能性がある。ご海容いただきたい。また不備を指摘していただけたらありがたい。
発売から数十年が経過し、ソフトの評価が定まり、さらに希少性も高まっている。
特に、箱や説明書がついている状態のいいものは値段が跳ね上がる傾向がある。
「悪い嘘」「優しい嘘」があるように、偽物にもいろいろなパターンがある。
一般流通していたファミコンで一番高価な『サマーカーニバル92烈火』の偽物は2010年代後半からアジア圏からやってきている。
上述の通り完全品となると値段が跳ね上がるため、箱と説明書と付属の葉書などを偽造するもの。
全部偽造のものもあれば、中身のソフトだけ本物で入れ物その他を偽造するパターンがあるようだ。
後者は、ゲーム芸人フジタという人物がyoutubeで紹介している。
お察しの方も多いかもしれないが、ヤフオク・メルカリあたりが「主戦場」になる。
具体的にはあげないけれども、悪名高い出品者が名前を変えながら活動している(悪名高いのに名前変わるのは変かもしれないが)。
2ch5chにレトロゲームの偽物に関する情報スレがあるので気になる方は見てみると良いだろう。
偽物を買わないようにすることと表裏一体になっている。
よくわからない話だが、本物より安い。コピー商品であることの言い逃れになるのだろうか。
これも言い逃れのために書いている。値段の安さとセットになっており、ある種「誠実」と言える。
もちろん、偽物(データをコピーしたもの)を売るのはどうかとも思うが、後述の、買い手側の「プレイできればそれでいい」という問題につながる。
この辺りは普段鍛えているであろう各自のインターネット筋力が試されるところ。
本稿では深入りしない。
個別のソフトには、もちろん本物と偽物とを見分けるポイントがある。わかりやすいもので言うと、カセットの形状が異なるものがある。
他にラベルのデザインなどで違いを見つけられればよいのだが、実は、違いを指摘してネットで情報発信すればするほど、対策を促してしまうと言う問題がある。
昨今、偽物への注意を促す文章がネット上にも増えてきたがあえてこうした見分け方を書かない場合も多いようだ。
スーパーファミコンはここ数年で地獄の様相を呈しており、中の基盤のニンテンドーのロゴまでも偽造したソフトがあるらしい。
今までは中を見たら一目瞭然だったものが、これで本格的に区別がつかなくなってきているそうだ。
これらはかなり大切なムーブで、お店はプライド持って販売している。偽物売ったら評判が下がる。本当に迷ったらぶっちゃけ駿河屋で買った方がいいに決まっている。
竹馬やベーゴマと違い、テレビゲームはゲームの情報こそが本質だ。そして、テレビゲームではその本質が容易にコピーできてしまう。
偽物でも遊べてしまう。ここに、偽物販売が蔓延する裾野がある。そして頂にはプレミアソフトの偽造の問題がある。
俺はもちろん現物を取り扱ってこそだと思うけれども、エミュレーターの問題なども絡んで、とても難しい問題と思っている。
・レトロゲームソフトは増えないのだから、希少性は増すばかりで、すなわち偽物は増え続けるものと思う。
・普通は商品価値の下がる「カセット背面への名前の書き込み」「ラベルの剥がれ」などは、今後逆にそのソフトが純正品であることの証左となり、むしろこっちの方が値段が高まるかもしれないとも感じている。
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
バカが考えもせずに「ゲームに批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネットで散見される。
録画してカウチポテトで爆笑しながら鑑賞したいくらいおもしろいバカなんだけど、バカが心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲームに批評は今も昔もこれからも存在しないので大丈夫です。
「あらゆるゲームを網羅しているフリができる人がいないから」。
批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、
じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品を位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。
で、その歴史が何でなりたっているかというと、網羅性と「名作」への共同幻想なわけですよ。
これがゲームでは大変むずかしい。
網羅性とは最初に言った「あらゆるゲームを網羅しているフリ」です。
まあ不可能ですよね。どっかのエレクトロミュージシャンがファミコンで発売されたソフトをすべて買って遊んでいたと語っていた記憶がありますが、それが可能だったのはせいぜいファミコンまでだったでしょう。
現在は主要なコンソールだけでも三つもプラットフォームがありますし、PCのインディーゲームにまで手を伸ばしたらキリがない。
プレイ時間だって今どきの大作となれば、クリアまで100時間超えなんてのは普通です。一日一時間〜二時間ずつ進めたとしても一つのタイトルに二ヶ月もかかりっきりになってしまう。そのあいだに、映画なら50本も観られるのに。
JRPGは基本的にレベル上げにさえ時間さえかければクリアできますが、一部のアクションゲームやシューティング、パズルゲームなどはプレイヤーのスキルに依存するため、下手くそはクリアできないという事態が普通に発生する。映画や小説はとりあえず読めば、内容を理解できているかどうかに関わらず、エンディングまでいけます。ゲームはそれすら許さない。そして、ゲームジャンルの得意不得意は人によって異なる。
映画にだってホラー専門の批評家や、SF専門の評論家もいるじゃないか、それと同じでJRPGしかできない人がJRPGの範囲で批評をやる分にはかまわないのでは? と反論される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、○○専門の批評が成り立つのはメインストリームの批評が存在するからこそであり、そうした足場をそもそも持たないゲーム批評では専門批評もまたありえないのです。攻撃してくる相手がいないことにはカウンターパンチを打てないのといっしょです。
じゃあ、映画の批評家とかは映画ぜんぶ観ているのか。もちろん、そんなわけはない。他の芸術・文学分野でも供給はとっく過多に成り果てている。
でも、かれらは「すべて観ている・読んでいるフリ」ができるわけです。
あああの作家のあの作品ね。こんな感じなんでしょ。と観なくてもいえる。
なぜそんなことが可能なのかといえば、軸となる歴史的名作についての共通了解があるから。
暇さえあれば「20世紀の名作ベスト100!」とかオールタイム・ベスト投票企画をしょっちゅうやっている。
そんな五年とか十年とかの間隔で投票してもメンツ変わらんやろ、と思うし実際にかわりばえしない。しかし、とにかく議論のベースとなる古典を決めておいて、ノるにしろアンチするにしろ、その上でバトりあう。
ゲームにはそれがない。
けれども、なぜそれが画期であり古典なのかを説明できる人はそんなにいない。
ものによったら「その世代にたくさんの人が遊んだから名前が残っているだけ」というのもある。別にそれで残って悪いことはないんだけど、歴史に対する位置付けはやっぱりできていない。
映画や小説だって簡単にアクセスできる古典とできない古典の差がはげしいんだけど、ゲームほどじゃない。
今でこそニンテンドーもソニーもアーカイブスを持ってはいるんだけど、新機種に切り替わるごとにゼロからまたスクラップ&ビルドしているかんじで、ぜんぜん蓄積になってない。どうせ、昔を懐かしんでる年寄りしかやんねえだろ、みたいなナメた意識がありありと伺える。
出している側がそんなんだから、受け取る側の意識が育つわけない。
しかしうちではそのぐらいの価格帯の商品を買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけだった
子供には長すぎる数ヶ月を過ごし、ようやくそのタイミングを迎えたとき
ポケモン赤はプレゼントしてもらえたがゲームボーイは与えられなかった
代わりに与えられたのはスーパーファミコンに挿して遊ぶスーパーゲームボーイだった
素直にゲームボーイではなかったのは、携帯機であるため親の監視外で遊ばせたくないという思惑があったらしい
それに加えて
・小さな液晶を覗き込むよりTV画面の方が視力低下の影響も多少はマシだろう
という考えもあったようだ
友達と遊ぶときにはプレイ環境一式を外に持ち出すわけにはいかず
ソフトしかないのでそれぞれがゲームボーイを持ち寄って遊ぶ空間では自分はプレイすることはできない
公園ではもちろん無理だし
友達のゲームボーイを借りるにしてもみんなまず自分が遊びたいのは当然だ、貸してもらえることなど少ない
友達の家で遊ぶときでも、わざわざそこのスーパーファミコンを借りるというのも不自然でハードルが高く実現することは少なかった
そもそもその時に発売していた初代スーパーゲームボーイには通信端子が無いのだ
(通信端子のあるスーパーゲームボーイ2が発売したのはそれより後のことで、スーパーゲームボーイを既に持っている子供が買い換えるにもメリットが少なかった)
混ざれるはずなのに混ざれない
一番下が自分だった
悪意を持って明確に仲間外れにされることはなかったが
その場でポケモンを一緒に遊べる仲間の方が親交が深くなるのは当たり前で
それがすごく惨めだった
20年以上たった今、その時のヒエラルキーが流石にそこまで尾を引いているはずもなく
ふとあの時の疎外感を思い出す時がある
他と同等に揃えてもらえない子は
かつての自分と同じように寂しい思いをしているのだろうかと
ぼんやりと思いを馳せるのだ
はてブを見る限り、結構な共感があったようで、書いた甲斐があった。
寄せられたコメントの中からいくつか取り上げたいものがあったので、追記しておきます。
自分の回りにもいました。
貧乏だから買ってあげられない、というケースは見なかったけど、親の方針でゲームを買ってもらえない子。
90年代当時の親世代にとって、まだゲームへの偏見や未知なるものという認識は多かったと思います。
やはり、禁止されている子供は逆に執着してしまう傾向にありました。
大人になって反動でゲーム三昧の人もそれなりにいるでしょうね。
かく言う自分も、完全禁止でないにせよ少しずつ不便や不満を重ねていたので、
これは、当時は仕方のない話かと思っています。
特に恨んだとか、間違っていたとは考えていません。
子供のコミュニケーションツールとして重要なポジションにあったことは理解できていなかったのですから。
ゲーム世代が親になり、かつての苦労と大人目線での懸念から葛藤しているのもわかる話です。
ゲームに理解があっても程よい距離感で向き合わせるには難しいでしょうね。
ネット接続やSNSの広がりもあり、フォローアップしてあげることの難易度も上がってしまいました。
自分の家に呼べば友達がゲームボーイを持ってきて、自分は自分のスーファミで遊べますよね。
ここは地理的な問題なのですが、小学校から自分の家が一番遠くにあり、坂の上にありました。
いわゆる新興住宅地(○○台と名前のつくような所)です。集まるには不向きでした。
たまり場になる友達の家がありましたが、ゲームが多かったり集まりやすい立地にあったのが大きな理由ですね。
対戦というより、自分のポケモンを進めつつ、お互いの進行状況をその場で共有して楽しむ、という場でした。
ポケモンスタジアムは持っている子もいましたが、起動率はそこまで高くなかったですね。
ゲームボーイで何をしていたかと言うと、赤緑の出現ポケモンが違うので、
赤でしか出現しないマンキーを持ってない緑の子のためにその場でマンキーを捕まえて交換してあげる、なんて光景も有りました。
うちの地域でポケモンスタジアムが脚光を浴びたのは、ポケスタ金銀が発売されてからでした。
しかし、そこまで来るとポケモン一色ってほどのブームでは無くなっていました。
あくまで、ポケモン赤緑の一時期だけがそれ以外がほぼ無いぐらいに占めるコンテンツだったんですよね。
やりましたよ!スーパーマリオワールドや星のカービィスーパーデラックスなど。
ドラゴンクエストなど1人用RPGをプレイしている様子を眺めつつ、自分は置いてある漫画を読みふけるなんてこともしましたね。
その話を盛り込むと要旨がボヤけてしまうので、今回はポケモン赤緑の話に絞っていました。
みんな揃ってポケモンに傾倒した時期があって、そこで疎外感を覚えたのは大袈裟に受け取ったことでもなく事実です。
バトエンやカード、すごろくなんかも出ていたので、ポケモンブランドを冠した交流ツールはゲームに限った話でもないですけどね。
あ、やってます。
図鑑は剣盾時点までコンプしてます。アンノーンもビビヨンも今の所全種揃ってますよ。
対戦はあまり興味ないですが。
ええ、それを狙いました。
あの時代を生きていた人が「ポケモン」「スーパーゲームボーイ」と聞いたら
ピンと来るだろうな、という期待を込めてタイトルに入れておきました。
(続き)
といった問屋関係の逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋も小売店もメーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会と二次問屋は、問屋の本分である「日本全国に適正量の在庫のゲームソフトを流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。
ここで注意をしておきたいのが、「任天堂や初心会が、一方的にサードパーティや小売店から利益を吸い上げている」という既存の論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期の不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。
小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジン・メガドライブの有力ソフトをスーパーファミコンに移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。
市場が拡大している間はそれでもよかった。しかしスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋が小売店と二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフトを投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店に負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。
衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わず、ソニーが直接小売店にものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せで仕入れるしかなかった(違法? しったことか!)からだ。
こんなことが可能なのはプレイステーションがCD-ROMを採用しているからだった。リピート生産がROMほど時間がかからない。お金も自前の工場だからさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫にメーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せも心配いらない。
ROMカセットを採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガもサターンでCD-ROMを採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革は現在すべて崩壊している)
一方、任天堂はROMカセットの採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したことの経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場のリセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンのワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲームの投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティのソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代にトイザらスが日本進出をしてきたとき、任天堂や各大手メーカーに直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長はファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会にハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債は初心会が被り、さらにその負債は小売店に押し付けられた構図だ。)
しかしそれでも、初心会と二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。
スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2も結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会にアナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェアを公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったか)スクウェアは夏休みに入ってしまったので、小売店は真相を確認することができず業界の一大事が起きたのではないかとパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会に危機感は全くなかった。
その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会とエニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会の予測は250万本。エニックスの予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまり、エニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックスは二次出荷を行った。
最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋にメーカーは価値を見出すだろうか?
そして、ついに、終わりのときは訪れた。
1997年2月21日。任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長が宣言した。
幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散は任天堂山内社長と、初心会河田会長のトップ会談で秘密裏に行われた。今後一切の取引は商品ごと個別に行われ、しかも初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフトを投機的に扱って儲けを吸っていた会社は任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。
任天堂はスーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり、予測のノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋は不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。かつての山内社長の言葉だが、流通のプロがプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。
実はこの流通改革に前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアがプレイステーションに参入する条件として、コンビニに自分たちで卸すデジキューブをSCEに許可させた。
もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店に流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアはSCEを通さず自前で流通させるという。
このあたりを詳しく解説する。SCEはソフトメーカーと協議し、ゲームソフトの初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。
SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋も使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合はSCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。
と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカーが営業をしかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEがOKを出さない場合、本当にそのソフトは流通しなくなる。実際に飯野賢治がプレイステーション版Dの食卓で自分たちで在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治はセガ陣営への鞍替えをしたことがあった。
ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂もSCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂は初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかしスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCEは流通に関わらず、スクウェアが直接小売店とコンビニにゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。
いったいどういうことだ、SCEはロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである。
コナミはSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミはSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスクや小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通が完璧というわけではない。結果的に大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。
プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的に任天堂に要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂は簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界の流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミ、カプコン、コーエー、スクウェア、エニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり元初心会の問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。
解体された初心会はボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店と取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。
しかも任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングはバンダイ系列のハピネットに買収された。石川玩具はタカラへ事業譲渡した。松葉屋はラスコムに事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz)
そしてジェスネットは任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会が解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂が流通するようになった。
こうして初心会は歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法に市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会が市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定なものであり、なおかつ悪行も任天堂の山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。
悪徳の町、ソドムとゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。
参考文献
東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会を抜き打ち解散した山内・任天堂 焦りの流通改革
平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH
大森田不可止 @omorita
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958
これは本当にその通りだと思う。元増田じゃないけど、自分の好みを書くからおすすめを教えてください。お願いします。
ジャンルでいえばRPG・シミュレーションが好き。アクションが苦手。
Horizon Zero DawnとゼルダのおかげでオープンワールドRPGが面白いことがわかったが、なんせ3D酔いが辛い。ドラクエビルダーズでも酔うくらい耐性がないです。
オンライン対戦や協力プレイには興味がない。マイペースで遊べるゲームが好き。
<好きなゲーム>
Championship Managerだった頃から大好き。
毎年新しいのが出ており、マイナーチェンジを超えない作品もあったが近年はどんどん良くなっている。2021は最高傑作。
・ロマンシング・サガ
技のひらめきが楽しい、技をひらめく度に戦略性が変わるので戦闘に飽きない。
『スカーレットグレイス・緋色の野望』『スカーレットグレイス』『ミンストレル・ソング』の順番で好き。2と3もスーパーファミコンでかなり遊んだが、リメイクは期待外れだった(背景だけきれいになってキャラクターのドットの粗さが目についた、Reユニバースのキャラ絵のほうがきれいに見える)
先月『ファイナルファンタジーX』をプレイしたが、始まって3分で"FF10 ムービー スキップ"をググっていた。長いムービーを見るのがだるい、その時間の分遊びたい。
演出薄目のコマンド式RPG『オクトパス・トラベラー』は悪くなかったけれど、戦闘が単調で2週目をやろうとは思わなかった。(『スカーレットグレイス』は12週クリア済み、『スカーレットグレイス・緋色の野望』は9週目)
・女神転生
ペルソナは1・2の雰囲気が好き。3以降のコミュニティシステムも面白いけど、高校生の悩みとか聞くのはだるい。
初めてクリアしたアクションRPG。世界観とストーリーが良い。
狩りゲーだが、狩る対象が機械なので動物虐待的な感じがしない。
地形を利用する・ワイヤーや爆弾を使う等、アクションが苦手でも作戦で勝てるのでその工夫が面白かった。
3D酔いが辛かった。
・ゼルダBoW
Horizon Zero Dawnがクリアできたので、これもイケるのではと思い手を出してみた。
こちらも正攻法できつい敵には爆弾やマグネキャッチなど工夫で何とかなるので、クリアできた。
お使い感がほぼないところが好き。気ままに祠をやったり、料理したり、犬をなでたりとまったり楽しんだ。
焚火や夜空を眺めたり、まるで一人でキャンプをしているような楽しさがある。
3D酔いもわりと少な目でよかった。
<好きだったが新作はやらなくなったゲーム>
・三國志
たぶん10(武将プレイメインと君主プレイメインが交互に出ていた頃)までプレイしていたはず。
とくに代り映えせず必要スペックだけ上がっているのか、ゲームのテンポが悪くなっている気がするので最近はやっていない。
創造までプレイ。こちらも三國志と同じく代り映えなしかなと思っている。
お馬さんを育てるゲームは好きなのでまた遊びたいけれど、三國志・信長と同じくゲームシステムは代り映えせず、必要スペックだけ上がっているのだとしたら最新版を買うのも躊躇われる。どれを買えば良いのかわからない。
・アトリエ
アイテムを合成する系のゲームが好きなので、黄昏シリーズまではプレイ済み。
ユーディのアトリエが一番好きだった。どのシリーズも期限までに何かをすることが求められるが、ユーディはそういうのが無いのでひたすらまったりできる。
新しくなるたびに調合システムが複雑になって、もうそろそろ着いて行けなくなりそう。
ライザはシリーズが完結したら買うかもしれない。
新作出ない。Wizライクを探して遊んだりするが当たりは少ない。
最近のダンジョン潜る系はキャラが使い捨てになるゲームが多い気がする。キャラは愛着をもって育てたい派なのでそういうゲームがやりたい。
『ザンキゼロ』はダンジョンのギミックや武器の作成などは進化したウィズのようにも思えるが戦闘が十字キーを使ったヒット&アウェイ方式で忙しい。
そしてストーリーに癖がある。ゲーム途中でこれまでのお話が読める機能が使えるようになるが、「こんなしんどいストーリーを繰り返し読むユーザ居るのか?マジか?ボケてんのか?」と思ったのが印象に残っている。
何故かやらなくなった。
シムシティライクな『Cities Skyline』も買ってみたけど、Switch版だったせいか操作性がピンと来ず、遊ぶところまで行かなかった。
いよいよもうスーパーマリオ35が今月で終わっちゃうのでしっかりやり込んでおかなくてはと意気込みを晒しまくっているんだけど、
みんなでテトリスで戦うやつは
1位にはなれないけど
どう足掻いても無理よね。
たまに奇跡が起こるわよ。
誰かが2-3に行ったら
プクプクだらけ!
誰かがちょっとでも難しい先のステージに行ったら一気に混沌としたカオスが訪れるし、
もうファイヤーマリオじゃないと詰む敵の配置とかもう止めて欲しいんだけど、
これもバトルだから仕方ないわね。
いよいよもうスーパーマリオ35がサービス期間終了間際の際の佳境の域よ。
どう頑張ってもランキングが10000位ぐらいで
強者の猛者に溢れているわ。
そんでスーパーマリオ35バトルに飽きてきたら
他のゲームで遊んでみたりするんだけど、
私のそのゲーム機の中にはスーパーファミコンのスーパーマリオワールドも遊べて、
これやった途端に
私はそもそもとしてスーパーファミコンにリアルタイムで接したことがないゼット世代の申し子なので、
でね、
スペアリブ買ってきて
そのスーパーにはなかなか肉ぶりのいいスペアリブが置いてなかったから半ば諦めていたんだけど、
ちょうどその時寄ってみたら、
そのスペアリブの様子はさながらマンガ肉と言っても良いほどの良い肉っぷりで
思わず2パック買って、
これはもう美味しいスペアリブのスープを作らなくては!って使命感に駆られたものの、
反省。
美味しく頂くことにするわ!
うふふ。
朝は朝とてしっかり食べとかないとって感じよ。
グレープフルーツを昨日午前中輪切りにしたものを仕込んでおいたので、
なんか最近
着るモノが本当に困るわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!