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はてなキーワード: 情動とは

2021-12-28

anond:20211227191543

死刑相当の犯罪をする人間一般的感覚は当てはまらない。

なるほど。ここが私と違う感じがするな。

精神状態尋常ではないだろうし、一般的感覚をそのまま当てはめてしまうのは良くないというのは同意する。

死への恐怖とか痛みへの忌避感みたいな生物としての基本的情動に関しても、普通とは違うだろうという認識

私は少なくともそこのあたりは変わらないと考えている。

廃止弁護団が強くおすのが理由と考える方が妥当

前提なしに妥当と考えるには根拠が乏しいと私は思う。

死刑判決に納得がいかないので再審請求する」に比べて

死刑判決を受け入れているが、弁護団が強くおすので再審請求する」

は「死刑囚の意思に反していても弁護団再審請求するはず」という暗黙の前提が追加されている。

死刑囚の意思に反しての再審請求常態化していることに関する資料があれば考えを変える用意はある。

死刑を望むというよりも、やったことに対して死をもって償う覚悟があるかどうか

「死にたくない」と「死をもって償う覚悟がある」は両立するんじゃないかな?

そこについてはどう思う?

2021-12-05

最近はもう怒りすらなくなりつつあって、なんというか、人生に対する所感が「無」なんすよね

こんな世に産みやがって!みたいな怒りがちょっと前は確かにあったんだが、それが無くなった

まあええよ、しゃあないよな、で終わり

全部許す 全部どうでもいい

何にもムカつかない

ネットの争いにもどうにも乗れなくなった

かといって、感動コンテンツをみても感動せん

俺は感情をなくしてしまってとても悲しいよ

というのは嘘で、仕事したくねえなあ、っていうのは、非常にジェニュインで、ピュアで、ストロング情動ですね

ガチで辞めてえ

やっぱそこなのかもしれないな

俺は、どんな貧困生活でも良いから、とにかく働きたくないのかもしれない

欲を言うと小説家かになりたいんだが、それって無理くせえ、なぜなら書きたいものも書く力もない

川端散歩するだけで毎日5000円くらい入ってこねえかなあ

そういう暮らしが俺はしたい

2021-11-30

anond:20211130123447

女には批判審美眼がなく情動でわーきゃーしているだけだが、男は本質を見ると思っているのでは?

本質(ってなんだろね)ではなく情動評価を決めることに対して批判的な人は、

アイドルにわーきゃー言う男オタクも苦々しく思うだろうし、女流プロみたいのを顔で持て囃すオッサンにも批判的じゃないか

ただ一連の流れで思ったのは、女性のほうがわーきゃーを素直に出すのに対して、

男性は「俺は情動ではなく本質を見ている」感を出しがちに見えるかも 一般的に言って

アイドルオタは「〇〇の音楽性が…」みたいなこと言いがち

女オタは素直にかっこいい!死ぬ!っていうタイプが多いように見える

わーきゃー言うこと自体に対する姿勢文化的性差はあるのかもね

2021-11-22

anond:20211122141005

なんていうか、「普通人生」をやっていく人って趣味嗜好や価値観や何を心地よいと感じるか(あるいは何を不快に感じるか)といった脳みそ情動的な部分から普通」なんだよね。

増田はそれなんだろうか?もしそうならやりようはあるだろう(考え方や行動の問題)。そうでないけれどそれでも「普通」を求めるのなら、社会適応するための苦しい修行がどこかで必要となるだろう(脳を作り変える必要性の問題)。

2021-11-01

現代政治運動における嘲笑効果戦略

政治運動において敵対者への嘲笑時代地域を超えて普遍的である

SNSにおいても、特定政治家のみならず支持者や大衆への嘲りは、もはや見飽きた光景だ。

だがその効用は明らかとは言い難い。

嘲笑することは一見敵対者への攻撃にはなるが、第三者の反応はまちまちだ。

一緒になって攻撃するか、逆に攻撃者への批判を呼び起こすか、そういった争い自体忌避して場を立ち去るか。

とくに、最後効果、つまり政治自体忌避させる原因を、政治運動における嘲笑帰結する分析もある。

支持を拡大するという目的マイナスにもなりうるのにも関わらず、なぜここまで嘲笑が溢れているのだろうか。



社会学において支配関係類型化した初期の学者であるマックス・ヴェーバーは、政治運動上層部運動員に与える精神報酬ひとつだとしていた。

選挙活動などの強力な支配行動に人々を動員するには当然、従わない人間よりも多くの報酬必要である

しかし、(とくに猟官制の廃止された後の)民主主義では、大衆を動員するときに直接的な経済的見返りを与えられない。

それ故に様々な精神的見返りを与えることが必要であり、「嘲笑のための大義名分」がそれにあたるのだと。

この描像だと、嘲笑あくま精神的な見返りのひとつであり、怒りや復讐心の発散なとど同列とされ、そこまで重視はされていない。

政治家トップダウンで操る戦術オプションとして扱われている。



現代的な心理学の描像だと、嘲笑もっと政治に直結したものだとみなされる。

そもそも、「笑い」という行為や付随する情動は、自他の思考や行動の間違いを指摘するために獲得されたと考えられている。

人は、社会的に正常な状態だと思いこんでいた状態が間違っていると発見したとき、その気付きに対して笑う。

自分が間違っていたと自分で気づいた場合には行動を改めるだけだが、重要なのはこれが仲間に、かつ攻撃的に向けられたとき(すなわち嘲笑)だ。

期待されている効果は、間違っていた人間が態度を改め、仲間に従うことだ。

だが、仲間の「間違い」に気づいたとしても、実際に正しいのは自分なのか、相手なのか。それはどうやって決まる?

社会的な正常さを決めるのは、群れの政治力学だ。人間原始的社会は単純な多数決でもないし、かといってリーダー強者による完全な序列制でもない。

たとえば、強く序列が高い人間の笑いには追従の笑いをもたらす効果がある。これによって周囲から笑われた人間は態度を改める。

しかし、リーダーが明らかに間違っている場合には、群れの全員から嘲笑され、リーダー側が反省を強いられる場合もある。

場違いな場面で他人を笑った人間が、逆に間違いを笑われることもあるだろう。

このように、嘲笑とは複雑な政治行為の最も原始的な発露であり、人間特有の行動である



無論、現実、とくにSNS上の政治言論における嘲笑はこの2つの描像の中間にあるというのが実際のところだろう。

特定政党政治家言論人が嘲笑行動を種々の政治目的扇動する場合もありうる。

そういった目的を持たない、無意識の笑いが政治シーンに影響を与えることもある。

もちろん、この無意識なかに個人政治信条も含まれている。

ただ、そういった背景を無視して効果だけを見れば、ひとつほぼ明らかな事実がある。



嘲笑多数派を固めるためだけに有効であり、それ以外の場合には逆効果になる、ということだ。

集団的に行われる嘲笑は、味方には精神報酬をあたえ、仲間関係確認し、支持を固めて動員する効果がある。

また、怒って反応する敵対者あぶり出し、敵として認定することもできる。

日和見派のうち気の弱い人間には追従笑いを引き起こす。彼らはすくなくとも言論の場では逆らわないことが期待できる。

そして、何よりも重要なことに、それ以外の無関心層を遠ざける効果がある。

これによって、多数派勝利を確定させる一方、少数派にとっては確定するのは敗北となる。


さて、ここから考えると、もしあなたがすでに多数派だとわかっている場合だけ、集団嘲笑戦略をとるのが合理的である

という非常に単純な戦略しか導かれないように思われる。

だが現実には、少数派が集団的他人嘲笑し、かえって袋叩きに合い、劣勢を固めてしまうという現象はありふれている。これは何を意味するか?

まず、自分多数派か少数派かを判断するのは、大半の人間には難しい。

社会調査などの客観的指標でなく、周囲の人間意見を重視してしまバイアスは容易には逃れがたい。

次に、感情を抑えてまでマクロ合理的政治行動を行うほどのインセンティブ個人にはない。

感情進化的な意味では合理的であったとしても、それは過去環境適応したものであり、現代政治における合理性とは相容れない。

これらはそもそも戦略的に振る舞えない個人がいるという問題だ。



が、真に重大なのは、この理由により「少数派に属している時、味方が嘲笑という不合理な選択をとりうる。そしてそれに対する良い戦略がない」ということだろう。

その味方は自身多数派だと意識的あるいは無意識に考えている。

嘲笑追従しないことは、対象孤立させるシグナルとなるし、たしなめたり批判したりすれば敵対行為だとみなされるだろう。

よって追従することが局所的には合理的だが、それにより嘲笑は拡大し、多数派敵対者日和見派の目にとまり、敗北を拡大することに貢献してしまうのだ。



この問題にたいする回答は筆者の力量では思いつかない。

SNS上において政治言説をひろめたい、政治的に少数派であると考えている人々は、この現象対応する戦略を考案する必要があるだろう。

2021-10-05

シン・26歳(95年生まれオタク日記人生

https://anond.hatelabo.jp/20211004080408

注意。自分語りです。

上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。

結論から言っちゃうと、上の26歳増田オタクではないと感じている。

俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。

当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。

小学校の時に電車男が大流行して、オタクという概念への認知が生まれ

小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、

子供性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である

小学生自分爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョスレエロ関係スレを食い入るように見ていた。

確か11歳か12歳のころ、ジャンプサンデーマガジンを購読するようになる。

2ちゃん価値観を刷り込まれた俺は「ドラマバラエティは下らない」という結論に至り、

高校生くらいまでSMAPメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。

ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。

映画になるまでフレディってクロマティ高校キャラという認識しかなかった。

ちなみに当時好きだった漫画日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。

だが、オカズドラゴンボールブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~こち亀エロシーンであったことが記録されている。死にたい

本屋立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌クリムゾン先生存在を知り、自分性癖ソフト陵辱であることに気がつく。

だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。

早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。

また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、

同時期にハヤテのごとく!SSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントボコボコにされたらしい。

今となっては恥ずかしいが、アニメほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。

日記落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースター武器にやたら憧れていたらしい。

とにかくそなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。

情報の授業の時間FLASHを見て喜んでいる層に「やれやれもっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分FLASHにハマっていた。

オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。

そしてドラマ舞台であった秋葉原では路上ハルヒダンスを展開するオタクニュースにもなった

秋葉原オタク秋葉系みたいな概念世間に浸透していった時期だと思う

しかし、中学に上がる前にその秋葉原秋葉原通り魔事件が起きた

宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人加藤オタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク危険人物みたいな風潮が強まった

でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う

しろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画流行っていたのでオタク文化イメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う

ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板長門×キョンSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァナデシコGS美神SS経由でハマった)

だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。

中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSS乱造して、

パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。

ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。

あと『スクールランブル』の八雲播磨、『Dグレマン』のリナリーアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったかおにぎり派だったか記憶が定かでなくなってしまったが。

というか、日記を見るにリア友情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。

そして中学では満を持してニコニコ動画流行った

その影響でボーカロイド流行ったし、ひぐらし流行った

当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動MAD動画経由で再びブームに火がついた

そして物語シリーズけいおん!、あとやっぱりハルヒ流行った

影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった

この頃のお昼の放送

AKB系列ジャニーズ系列ボーカロイドアニソン(主にけいおん!ハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった

けいおん!オリコン1位をとってMステで紹介されたのもこの頃だった記憶

俺の中でニコニコ微妙位置づけに入る。

ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。

大体この世代ネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。

物語はこの世代だったか?もう少し後だった記憶があるのだが。

AKBジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたか応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。

ボカロは何か合わなかった。

同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分演出たかたからで、エロゲはシコるためである

帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリア乱菊同人誌レジまで持って行ったのだが、

「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。

だが、その後、代引きAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。

俺が人生で初めてセックスというもの理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックス理解していなかったのだなあ)

そこから2ちゃんエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレ毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。

名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。

また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。

古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。

やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。

また、無駄ガンダムSEEDを叩き、無印ガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、

ひぐらしスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書日記に残されており、今、ダメージを受けている。

小~中の時代にこじらせすぎて、Mステ人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。

ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。

一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)

高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された

たこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーから世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラス過半数スマートフォンになっていた

そして何より重要なのがソーシャルゲーム流行だと思う

当時はソシャゲ黎明期パズドラ寡占市場だった

みんな暇があったらパズドラやってた

そしてこうしたソシャゲアニメを見ない人達アニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる

ソシャゲキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザイン自然と親しむ様になった

これはパチンコ好きのヤンキーエヴァアクエリオン抵抗なくなる現象に近いと思う

それを未成年世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代アニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる

ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。

パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手ものである

デレマス呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)

200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?

まどマギSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。

だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものから

「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、

やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。

(ちなみにそいつとは、高校を通して仲良くやっていた)

そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞投稿した。

文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFateパクリ会心ネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。

「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。

この頃には、同世代でそれこそボカロ成功したり、ラノベ作家デビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。

その後、なんだかんだあって、大学卒業し、今はアニメ業界にいる。

有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲーム出版関係人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。

ネット上の文字列雑誌写真インクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。

仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。

周りでも海外への配信権を売るビジネス好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。

以上が、大体の俺の人生であるオタク人生であると言っていいんじゃないだろうか。

引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。

君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。

そして、結論を書こう。

26歳の今、俺がリアルに感じていることを書いてしまうと。

この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。

アニメは間違いだった。

漫画も間違いだった。

ゲームは間違いだった。

ラノベは間違いだった。

インターネット文化は間違いだった。

この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。

今後、善いものが生まれることも、おそらくない。

オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。

俺は、あらゆる表現規制に賛成する。

オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。

2021-10-03

ヤフコメマナーが悪いだけなのでは

眞子さま小室圭さんにヤフコメ炎上 根底に“妬み”が引き起こす情動パニック

https://news.yahoo.co.jp/articles/9935069fde3409e91b9df659647ba804e07a063d

眞子さま小室圭さん結婚へ 「妬み」を吐き出すあさましい人たち

https://news.yahoo.co.jp/articles/51d7fa904bc4865c8100a4befd29fea81453c3ae

台風とき区役所ホームレスを追い出した話とかに本当にひどい侮辱的なコメントがあふれているのはヤフコメ

大手運営なのにここまでひどいのはヤフコメだけだろう

あさましい人があさましいコメントしてるんじゃなくて、悪意あるコメントが大好きな人たちがヤフコメに集結しているのでしょ

まともな人は悪意の羅列に気分が悪いから参加してないよ

2021-09-02

anond:20210831215059

この好みの映画アニメから思うけど、元増田は「音や色や動き」の方に強く情動を揺さぶられる方なんじゃないかな?

から話の内容の問題じゃなくマンガという表現方法にピンとこないのだと思う。

こればっかりはマンガを読み慣れないとどうしようもない。自分別に大丈夫な方だけど、それでもよくできた四コマ系のアニメゆるキャンとか、まちかどまぞくとか)を見てからマンガ原作を読むとなかなか入り込めなかったりする。ツボっているポイントが声とか動きだったりするからだ。

から「この作品!」とか思わずに、雑誌を読むのが良いと思う。変にあたまからストーリーを追っかけるより適当にこれ面白そう、って思ってから単行本に入ってもいい。

雑誌なら「ハルタ」とかそのへんがいいかな?

2021-08-18

女性の方が男性より育児に向いている」への反響の中から面白いと思った意見抜粋

anond:20210816210852

mochinki スーパーの買い物袋と子どもベビーカーを全部抱えても平気な筋力とリーチの長さは、育児にとても役立つよ。
kijtra 向いてるかどうかで判断ちゃうと、女性より育児に向いてる男性もいるだろうから平行線だよ。
hiroshe 前提がステレオタイプ過ぎ。全然当てはまらないケースも今はたくさんあるで。
strbrsh うちは多分父母ともに子供と過ごす時間は半々くらいで持ってると思うんだけど、最近はお父さん好き!みたいな感じで、好意比重は行ったり来たりしてる。妻も俺も得意不得意あるので、補い合えてるんじゃないかと。
catbears そうかも知れないし生物的に実際そうであっても、それを超えて機能するために社会があるわけで苦手な側は克服する手段必要でそれを選べる豊かさと機能はあるはず。
konayama 出産直後で満身創痍母親より体力のある父親の方が長時間抱っこや夜泣き対応できるし育児に向いているのでは?
napsucks 新生児期は睡眠時間ズラして夫が夜中に哺乳瓶でミルクをあげると妻は6時間眠れるのでメンタル破損防止になる。空腹で泣く前に哺乳瓶を突っ込むドリームフィードをすればほぼ手間もない。手抜きしてラクラク育児
vkara そんなことはない。世の会社社畜欲しさに母親押し付け社会を作っただけ。妊娠出産で苦しまなくても、養子とかで血のつながりはなくてもちゃんと愛して育てられる。
c87 頑張って抱っこしてた夫によくなついますけどね
yoru_zi 「自分以上の命であるように、我が子を慈しみ大切に育てる」妊娠中、鬱すぎてそんなこと微塵も考えられなかったよ。全ての女性がそんな感性持ってるわけじゃない。男性の方が慈しんでるパターンもあるよ。
adhd1978bba えー。10ヶ月大変に自分呪い、子を呪い、産むしかなくて産んだ人を知ってる。慈しみってなんやねん。「手術無しでおろせないか」みたいな日々の人もいるよ。男性保育士で有能な人いっぱいみたよ???
nami-hey75 粉ミルクなどない時代には太古の昔から母親が乳を与えなければ死んでいただろうけど、現代ではどちらが乳を与えようと栄養さえ摂取出来れば赤子は死なない。よって性別関係ない。
vndn 筋力があった方がいいだろうから、傾向で言ったら男性の方が適性が高いのではないかと思う。
yako_baum 育児は向き不向き関係なく子がいたらしなきゃいけないものから、問いにならない。私だって向いてないなぁと思いながら10年以上子育てしてる(なぜ3人産んだ)(本文読んでない)
liif 10ヶ月お腹にいたから男女差あるって乱暴すぎな理論な気が。やむなき事情選択母乳あげない母親もいるし。向いてるかどうかは個人差の方が男女差より大きい気がする。
alt-native 性別関係なく 少なくとも自分は向いてないと思っている。
matchy2 仮に女性のほうが育児にむいているとして、必ずしもむいているひとだけに押し付けられるものではないと思うのだけれど
villoxu “男性筋肉質で堅い腕より女性の柔らかみのある腕に抱かれる事を好む。"については幻想な気がするし、筋肉質なほうが抱くのに向いてそう。
damehobbyanimelike-913 なるほど抱っこ紐やベビーカー代用品ですね。カンガルーにでも子育てをさせるのがよいかと……科学の力ナメんな
issai1010 うちは母乳以外は全部夫がやるくらいの気持ちで(とはいっても実際は6割くらい)やったけど、寝るときはパパにくっつくし外ではパパと手をつなぐし転んだ時の第一声は「パパ~泣」だよ。嘘だと思うならやってみ?
akashi735 あなた感想ですよね。ウソつくのやめてもらっていいですか?ってやつ。うちの息子は0歳から今までずっとパパっこ。
Phenomenon がっつり育休取ったけど「おっぱい出ない」以外では同意できないな。出産で体力落ちてる女性より男性のほうが体力的に向いている気さえするよ。
hope_ring 母親育児放棄気味で父親が引き取った例を知っている。性差による傾向はあるかもしれないが個人差っぽい
mkotatsu もし男が育児するのが当たり前の社会だったら「男の方が育児にむいてるよね。力持ちだし、感情的子供の情操教育にぴったり」て言われてると思うわ。人類のこの周りに合わせた雑さが地球覇権取った秘訣だと思う
monacal 母乳以外は父親でも何とかなる、と男性による育児漫画でよくみる。育児は体力勝負なところもあるし2人がかりでできるならそれに越したことはない。何より出産直後の母親は全治1ヶ月の重症みたいな状態だし。
wildhog 子供荷物ベビーカー抱えて階段登ったりするのは男の方が得意かも
wdnsdy 個人的には、父親の方ががっちりしてて安定感があって高さもあったから、父親に抱き上げてもらう方が好きだったが…父親の方が25センチも高いか普通に眺めが良かったし。子供は柔らかい方が好きってどこ情報だよ?
ayumun 父子家庭全否定だな。粉ミルクが無い時代山羊の乳とか米の研ぎ汁を飲ませてたので、増田理論だと人類男性よりも山羊や米の方が育児に向いている事になるな。
Domino-R 生物学的な比較なら、家事育児は結局は体力仕事なので男の方が向いてる。経験的には抱っこは嫁よりオレの方が上手かったぞ。ただ問題は誰がやるかより、どれだけ(周囲が)サポートできるかだがな。
Nigitama 0~4歳くらいまでは腕力必要なので、平均を取るなら男性のが向いているのでは?
chikayours 産後体力のない母性よりは力仕事可能な点においては男性のが育児に向いてるのでは。他人生命を維持するために要するタスクを覚えて実行することにおいては障害がない限り男女を問わないと思うよ。
kagecage ここのブコメを見ると「男性育児において不利というわけではない」ということがよくわかっていいな。/夫の方が繊細な気配りができるので育児向いてるだろうなーとは思っている。
masanoT 身体的なところもあるかもしれんけど、それ以上に自分育児することを前向きにとらえているかの方が大きいよ。自分に向いてないって思ってる人は単純にめんどくってやりたくないんだよ。
chi-Haya 最初は誰でもいいけど少ししたら長くいる人のことが好きになるという話がある。母が一緒のことが多いから、母が有利?になりやすいだけ。母乳じゃないとダメなら母乳飲めない子は死ぬと言う生物学的選択があるはず。
hedgehogx アジアでは男性育児する風習結構あるので1度行ってみるといい。
exaray 「違いがあるかどうか」と「役割分担を完全に区別せねばならないほどの有意な違いがあるかどうか」は全然別の話ですよ。「違いの有無」ばかり見て、「違いの程度の問題」を無視してはいけません。
L3msh0 まだこんなこと本気で思ってる人がいるんだという驚きがある。
studymonster 性差が大きな意味を持つ分野もあるけど、育児に関して言えば個人差と経験が大きいと思う。子煩悩の夫の育児スキルは私より高い。お腹の子を慈しむのも夫の方が上で、妊娠中の私のガサツな行動はよく叱られていた。
wakuwakuojisan 向き不向きは個人差でしかなく性別差ではないと思う。というか仮にそうでなかったとしても政治的正しさとしてはそういうことにしておかないと「男の方が仕事に向いているから」って理由賃金格差正当化されちゃう
misomico 多くの点で、性差個人差を超えない
moandsa 傾向はあるかもしれないが個体差もっと大きい。だいたい慈しんでとかそんなロンマンチックなもんない。切られた傷と寝不足乳首痛いだけ。体力ある人が適任。
differential 私の母は子供育児も嫌いで我が子だから仕方なく育てたと言ってたよ笑。孫にも興味なかった。性別より個体差の方が大きんじゃないかなぁ。子を虐待する女も掃いて捨てるほどいるでしょう?
shields-pikes お前は日本会議かなんかの父権主義カルト信者か。/乳児は完全ミルクでも立派に育つ。男性にできない育児家事なんて存在しない。懐くかどうかなんて、接触時間の長さ次第だよ。育児に本気で時間を割いてないだけ。
noki_e 事実ではないですね。有害な言説なので二度と言わないでほしい。我が家では幼児危険予測安全確保やら遊び相手駄々を宥めるのも寝かしつけのゆらゆらも夫のが全然上手いよ馬鹿にすんじゃねえよ
Fuggi 否。むしろ女性一般情動共感力が強すぎて新生児育児に向いてない。赤ん坊が大泣きしてるのは不満があるからだが、母親を責めてるわけじゃない。感情を切って必要なことだけする男性の方が向いてる。
amematarou 女性が向いてるんじゃなくて、女性ホルモンメンタル作用子育てに命がけで取り組むが、男性は一歩引いて見ている。結果、女性がやりたいだけやるので女ばっかりになる。別に向いてるんじゃない。
sin20xx "自分以上の命であるように、我が子を慈しみ大切に育てる"は所謂呪い言葉な。男性でも女性でも一定割合子供無償の愛を注げるのと同じで男性同様に女性にも我が子ですら愛情が湧かない人もいる。それが現実
greenbuddha138 性差より個人差の方が大きいことは知っておくべき
kaishaku01 女で母性本能ゼロなので、こういう意見を見るたびに自分ろくでなしに思えてつらい。子供一生懸命育てているしかわいいが、確実に向いていないと痛感する。
ginga0118 母親お腹の中にいる頃から繋がっていたのでよく赤ちゃんの鳴き声でなにを欲してるか分かると言うが、あれは嘘だ。単なる経験による気配りによるもの。嫁より俺の方が子供の言いたいことは分かっている。
quick_past ぜんぜん違う。男性男性世界を守るために女性をなんとしても家に閉じ込めたい。そういう偏見を補強するための詭弁だよ。本人が望んでもやらせない上に、ちやほやされなくなるぞと脅す。それが君等だ。
esbee 増田、ワイ育休取得したけど、別に変わらないよ。ほっといたら死ぬんだからやれる人がやるしかないんだよ。それが女性であるべきというのは原始時代の発想で、文明社会である自覚があるんなら否定せなあかん
ameshonyan そうかね?うちの娘はマッチョなパパに高い高いしてもらったり体使った遊びしてもらうときが一番ご機嫌だよ。それぞれが得意なことを分担するのがいいんじゃないの。
kerokimu 子供が懐くのは単に世話して愛情を与えてくれる人だからな気がするが
camaci_mv おれ育休とって母親が働いてるあいガッツリ育児したけど、2歳になる息子氏はかなりパパっ子ですよ。「父親に育てられた子は不幸」という萩生発言は根にもってる(唐突政権批判
yomichi47 初乳後はミルク大丈夫実践済。妻は子の泣き声の意味理解出来ず、自分が全対応したので子供達は私の抱っこじゃないと寝なくなったし、私宛にしか泣かなくなった。結論、赤子の要望対応できる方が向いている
pptppc2 未来人です。「アンドロイドに育てられた子供は人肌の暖かさを知らないから冷たい人間に育つ」などという差別未来でも後を絶ちません。このような考え方はこの増田のような人間が発端であると考えています
atahara 筋肉のある男性の方が子供を長時間抱っこ出来るし、元気な子供に付き合って遊ぶのも体力のある男性の方が向いてるとも言える。この辺は個人差の方が大きいよ。
el-condor 「事実」と言うに足るだけのデータを持っているなら学問価値が高そうなので公開宜しく/ヒトの本能支配の弱さを考えると、個人差の方が余程大きそう。
vanillayeti あのね、女だって産んだ瞬間から母性本能ダダ漏れになるわけじゃないんだよ。女だって最初出産子育てはわからないことだらけだけどやるしかいからやってるだけ。女もあなたと全く同じ人間なんだよ
abinosuke 「授乳しながら寝落ちすると子供を死なせてしまリスクがあるから身体授乳器官を備えた女性育児に向かない」なんて事だって言えるよ。育児環境はそれぞれ違うから向く向かないなんて発想は無意味だと思う
nowa_s 子育てしたことないけど、もしすることになったら、行動にムラがあってガサツでうっかり屋で人の気持ちが分からない自分(女)より、何かと行き届いててマメ几帳面で人をよく見てる夫の方が向いてそうだとは常々思う
grdgs んなこたあない。この増田は女を家庭に押し込め、男が社会強者位置を譲りたくないという意図があるようにしか見えないね
tvxqqqq 下方婚して夫にガッツリ育休とってもらって自分仕事復帰したけど、うちの家庭だと乳以外の面では「長い時間一緒にいた人間を好む」が答えだったよ。夫の育休期間は夫がいないと泣いてた。
mayumayu_nimolove 男女で分ける考え方が良くないんだよ。男でも保育士かいるだろ。性別関係ない。で、何でこの考え方がいけないかって言うと、女なんだから、男なんだからって性別押し付けられちゃう社会。わかる?
Yutorigen 身体的特徴の差と見せかけつつ殆ど精神論じゃねーか。男性マウントを取りたいのか女性育児押し付けたいのかは知らんが黙っとけ。
t-tanaka 「向いている側だけがやる」という考えが根本的に間違っている。子供は必ず複数大人で育てなければならない。向き不向きば関係なく,育児は全員でやるんだよ。

そうですかね?「男性育児能力女性に劣る」とは考えにくいです

仮に女性育児能力が高かったとして

1.範囲限定的

2.能力的に多少

可能性が高いと思います

まず、「女性10か月以上」からの件はただの精神論客観性に乏しいです。

また母乳を高評価するのは良いんだけど、それは乳児期の授乳という年代的にも分野的にも限られたものとなります

子ども柔らかい肌を好むから女性の方が育児能力が高いは出典不明です。仮にこれが大きな差であったとしても0歳1歳程度にしか関係がないのではありませんか。

逆に言って女性の優位性と言うのがこの程度しか出てこないならば女性育児に向いているというのは買い被りである可能性が高いように思います

ステレオタイプでしょう。

男性でも育児に向いてる人もいるし女性でも育児に向いてない人もいる。

嫁が正社員で稼いでくるから旦那退職して育児してる感じの家庭を知ってるけど幸せそうだし。

女性の方がとか男性の方がとか言うてるうちはあきまへんなあ。

ここまで見た傾向として

男性女性性差による育児能力の違いは殆ど無い。強いて言うなら体力と筋力がある分男性の方が育児に向いているとさえ言える。
女性育児が得意という考え方は典型的ステレオタイプであり事実に反している。

という傾向が分かった。ブックマーカー意見統合すれば「育児の上手い下手に性別関係ないが、体力と筋力の方で男性の方が有利」という事になった。

これから男性育児担当女性が外に出て働くケースも増えるんだろうな、と思った。

2021-08-17

anond:20210817114950

大人しかいない世界に住んでるって妄想を信じ込んでいるほうがきもちわるいとおもう

かわいがれるだけの情動を思い出せよ

2021-08-13

anond:20210813132225

メンタリストDaiGoが言ってるのは生活保護ホームレスよりネコチャンを救えってド直球のかわいそうランキングなんだよな。

おっさんより女性を救えとか。

若くて美人電通社員過労死たらこれは社会問題だとはてブで吹き上がったり

そこそこ若くてそこそこきれいなスリランカ女性が酷い扱いで死んだら出入国在留管理局への怒りをはてブに書き殴ったりも同じ。

救済が必要ネコチャンとかの弱者に寄り添うのは大事だけど、それは情動に従えば簡単で何も考えずにできる。

そうじゃないキモくて金のないおっさんとか、その成れの果てのホームレスの救済を考えるのは情だけでは限界があって

社会の仕組みや構造を知って想像力を働かせて情による直感抑制して理知的に考える必要がある。

情による直感に突き動かされて何も考えずに発言するはてなーメンタリストDaiGoと同じだよ。

2021-08-01

今日新型コロナワクチン二回目を打った。

ワクチンを二回打ってもウィルス保有する可能性は無くならない。症状が出る可能性も無くはないし、未接種者に移してしま可能性もある。集団免疫成立か、コロナ感染終息までマスクはつけていよう。」

理性さんはそう言うが、

ワクチン打ったんだからマスクなんてもういいじゃん。」

と、せっかちな情動さんが即座に自動判断して私の行動を支配してしまうのか、気付けばさっそくマスク習慣がおろそかになる瞬間があって恐ろしい。

しばらくはワクチンを打ったことは忘れて暮らそう。

2021-07-29

フェミニストと会話する上での困難ポイント

https://anond.hatelabo.jp/20210729090330

フェミニスト的な申し立てする人にしばしば見られる困ったポイントが大体出てる。

めんどいけど箇条書きする。 

 

 

 

1 理屈が通じねえ

この事について、「金田氏はかつてキャラクターレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」

として反感を示している人も多く見られた。

 

まりレイプという展開を娯楽として消費した事がある人間は、

レイプに対して嫌悪感を示す事は許されない、それは矛盾している。と言いたいのだろうか。

そりゃあそうでしょうよ。

BLレイプファンタジーとバキのレイプファンタジーで何が違うのか

わたしお気持ち」を超えた客観的論理での説明必要になりますよね。

 

これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。

「0か100か」とか「自分は思う」とかじゃなくて

違いを説明する責任はあるでしょ。

 

そこから不満ヅラをするのは

自分のぼけぼけーっとした気持ち」と「他者にご披露できる論理」との区別がついてないっていう黄信号

 

 

2 フィクション現実区別がつかねえ

頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか

「異性から無理矢理性的な事をされてしまうという妄想

好きな人現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人レイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?

はあ?

バキだってフィクションですが?

 

さらっと当たり前みたいに

まるでついていけない異星の論理展開おっぱじめるのやめてもらえませんか。

 

が、こうやって一連の呟きを見ると

性的な事を望んでいる人間性的な事をされる妄想は好きだけど、現実での性暴力絶対ダメ」という

金田氏のスタンスは一貫していると思う。

いや金田をたたいてる人間でも「金田現実での性暴力を推奨してる」なんて言ってねーだろ。

何の話をしてんだよ。

正しく金田氏が言うように『「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人』が噛み付いているのだな

という印象を感じずにはいられない所があるかなぁ。

こいつまともに会話やコミュニケーション成り立つ相手なのかなあ

という疑念を感じずにはいられないところがあるかなあ。あなた

不特定多数相手合意の上で性的な事をしたいキャラ妄想」と、「強者相手意思無視して性暴力を振るう事」は、

似て非なる、どころか全く別の事柄である本来混同のしようがない。

BLフィクションでバキは現実

みたいな次元混同に躊躇のない論理展開する人が 

分別重要さを説くとかしびれるな。

 

 

3 読んでねえ

自分週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、

「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど

チャンピオンには好きな作品も多いのでチャンピオンコミックスは何冊も持っています

えっ ちょっと待って。

問題の回を読まずにこんだけ長広舌振るってたのか?

 

あのさあ、本当にお前、議論スタート以前のところなんだけど。

大丈夫なの?

なんで問題の物を読みもせず「問題だ!」「ケシカラン!」とか大声出せちゃうの?

あたまゲームスパークなの?

 

 

4 結局違いが説明できねえ

男性男性から暴力を受けるのは『男性の中に女の部分があるから』『相手から見ると男ではなく女だからレイプされた』と

被害を受けた男性が思い込んでしまい命を懸けた登山家になる話は、男性に性暴力を受けた男性の傷を抉りかねない。

そんなんBLレイプファンタジーだって同じこと言えるじゃん。

「気づいてなかったけど実は望んでた」っていう展開や心理描写を性暴力被害者に堂々と見せられんの?

  

そういう現実との混同を始めるならBLとバキに差なんか数ミリもねーぞ。

 

BLにせよバキにせよ表現を守るための論陣

フィクション現実区別をつけてくださいねしかありえないんだよ。

だって現実だったら絶対許されないことをやってんだから

  

 

BLはその論陣の外でも生存合理化できると思ってんの?

その間抜け危機感ゼロな考えはどこからきてんの?

いや「考え」というほど立派なものはないだろうけどね。

あんたらって自分の主張を反転させてチェックするとか客観的に眺めるとか本当に極度に苦手だもんな。

 

  

決して誰にも報復されない、一方的暴力を振るう側である加害者」の範馬勇次郎に、

刃牙シリーズ」の一ファンである金田淳子氏が苦言を呈したくなった気持ちを、自分は分かる。そんな日記でした。

「嫌がってる男をレイプしたら落ちてイチャイチャした受け攻めの恋人関係になれる話」と

「嫌がってる男をレイプしたけど地上最強生物なので報復裁判を受けない話」と

倫理的にor現実への悪影響的にどんだけの差があるの?

なげえお気持ちズベラズベラと垂れ流す前にそこピシッと整理して説明してよ。

 

 

ついでに個人的には板垣が最終的に描きたいのは「メス堕ちする勇次郎」だと思うよ。

本部守護ってやるって言われてあれだけ動揺の描写したのとか見てりゃ伏線は明らかなんだよなあ。

あ、お前は読まずに叩いてるんだっけ。 じゃあ話が通じねーな。

もうこれ根本的に発言権すらないやつなんだけどな。

 

 

5.お前らの根本的な問題

というようにあんたの主張も金田と同じく支離滅裂他者理解できるようなものじゃないんだけどさ、

あんたみたいなのを何度も見てるせいでなんとなく気持ちは読み取れるよ。

保育園先生がグズる子見て何が不満なのかまあまあ察せるみたいにはね。

 

まりあなた達はBLレイプファンタジーは何も考えずに楽しめたのに

バキのレイプファンタジーにはなんらかの現実のような脅威や不快感を覚えたってことでしょ?

 

 

それ自体はいいと思うんだよ。

面白い心の動きだよね。

矛盾してるみたいだけどなんでだろうって深堀したらフィクションの消費体験について面白い話ができる気がする。

 

 

でもあんたらそういうことはまるでしないじゃん?

自分気持ち客観視して整理して分析したりってことしない。

そういう加工を一切経ずに矛盾したハチャメチャなお気持ちのままクレームとして人にぶつける。

(頭ボンヤリ&自分気持ち分析する習慣がないので情動矛盾すら自覚せず「自分お気持ち事実」になってる。) 

   

  

別に第一感として二重基準的な感情持つことはいいんだけどさ、

自分のそういうお気持ちを都度都度自覚して整理してほしい。

 

整理して、「なんで自分はこんなに感じ方が違うのか」を客観的に自問して

他者披露できるような論理を組み立てて、それから人に向けたお口を開いてよ。

 

矛盾だらけのお気持ちのままで人にしゃべって

自分気持ちの整理や腑分け相手側にしてもらう

っていうコミュニケーションスタイルいい加減やめて。

  

究極的に言えばフェミニスト的な人たちに言いたいのってそれだけなんだよ。

 

あんたらと話をするのすげー疲れるの。

自分気持ち論理に加工せずに投げてくるからいちいちこっちで掬い取って整理してあげないといけないから。

 

支離滅裂な話を「ここに矛盾があるけどどうして感じ方が違ったのかな?」とか

こっちがあんたらの心の動きに気付いて聞いてあげないといけないのなんなの?

それってお母さんと小さな子の会話スタイルなんだけど。

 

それで遠慮のない奴らに「お気持ち」って揶揄批判されると

気持ちをもって何が悪いんだ!」とかさらに頓珍漢な逆上してくるでしょ。

対話がすげー難しいじゃん。

  

あんたたちの問題点は他者ディスカッションする以前の準備段階ところにあんのよ。

 

 

追記 ウスラサヨクとの対話が困難である理由

el-condor この記事の筆者のように弁別力の低い人との対話には一般に相当なスキル要求されるもの当方には無理そう。

2021/07/29

弁別」。感心した。

捨て台詞として素晴らしいというか

言葉選びが大変適格で国語は100点。

    

  

べんべつ

弁別

《名・ス他》見分けること。区別すること。識別

転じて、常識で見分けられる是非・善悪道理のわきまえ。

まさにこれがこのアホどもの会話が成り立ちにくい理由根本なわけよ。

 

 

自分の言ってることは道理であり、常識であり、ことは善悪問題であり、だから論理的なチェックを受けたり反論をされたりするのは不当でありプンプンプン!」

ってお気持ちなんだよね。

  

  

なんでバキのレイプダメBLレイプがセーフなのか、フェミニストさんの言ってることなんかおかしくないか

そこを問うたり理屈のチェックしたりすること自体常識がない、わきまえがない普通に考えればわかるでしょ。

と。

 

 

このバカ保守ジジババみたいな台詞サヨクidから飛び出てくるのが現代なわけ。

常識で見分けられる是非・善悪道理のわきまえ」だぜ?すごすぎでしょ。

 

   

   

昔はこのエルコンドル君みたいなレベルって保守やってたんだよ。

頭が悪くて議論が弱くて論理がよくわかんねえって人は保守やってた。

保守なら頭悪くてもできるから

  

自分理屈が立たない部分を「これが普通だ」「これが常識だ」「昔からこうだ」でなんとかしようって勢力

左派進歩派はそこに論理で突っ込んでいって保守イラつかせる役回りでさ。

もの考えるの苦手なウスラボケの期待する「弁別」なんぞは持ってないいったん全部疑わせてもらいますってのが左派進歩派ってものであってな。

   

  

けど今はこういう相場がすっかり通用しなくなって、

「これが普通感覚」「わからないほうがおかしい」「弁別」なんて言い出す脳ヨワちゃん左派ぶるようになってる。

  

  

左派の方がなんかかっこいいと思って左派ぶってるだけ。

いや左派の方がかっこいいのは確かだけどバカにはできねーから左派は。

  

根本的に無理があるから当人も苦しいし矛盾や嫌な思いばっかりだと思う。

もの考えるのがニガテな人間は無理せず保守ネトウヨかやってろって言うんだけどな。

 

けど「弁別」はこの話のかみ合わなさの根本理由を鋭くえぐる大変建設的なコメントだったと思います皮肉抜きに100点。

2021-06-18

anond:20210618095233

大脳が退化してブチギレたり誰彼構わずセクハラする色ボケジジイとかたくさんいるだろ

情動は枯れないぞ

anond:20210618094758

男も本質的情動動物だろ

情動の発露の仕方が違うだけでどっちが優れてるとか劣ってるとかじゃない

2021-06-16

自殺についての考察

この文章を書いている今、かつてなく自殺企図情動が高まっており、それでもなおそれを完遂することへの恐れから、今なるべく頭の中を冷静にして考えたことを書き留めておこうと思い、手を動かしている。

自殺未遂自体は、10年近く前にやったことがある。部屋に一人の状態ベルトで己の首をゆっくり絞めていき、「落ちる」ところまで行ければあとは死ねると思っていたが、結局自分でリミッターを外すことはできなかった。あとは、家にある薬状のものをとにかく全部飲むというのもやったが、たくさん飲めば死ねるような薬はなく、薬効どうしの食い合わせで運よく死ねるということもなかった。私は所詮その程度ですが、こんなのマウントを取り合いをするものではないと思う。

処方された薬は自分判断勝手に飲むのを止めてしまったが、少なくとも今日までは自殺することなく生きてこられた。自殺チャレンジばかりを考える日々から脱却できたきっかけははっきりとは分からない。グラデーションに近いものだと思う。そしてそのグラデーションは真っ白な状態に戻ることは決して無いだろうと感じる。初めて本当に死にたいと考えた日から今日までずっと死のことを意識してきた。下手な例えだけど、シャッフルされた山札から1枚ずつドローしていくうちに「死」を引いてしまったのが10年前で、それ以来ずっと手札に「死」を持っている感じに近い。手札に「死」を持っている状態に慣れていったことで、逆説的に今日までそのカードを使うことなくやってこれたような気がする。

少し話は変わるが、私は私が「自殺したい」と考えていることを他人に表明することをひどく恥ずかしく感じる。そのことを他人に話してしまえば、それは暗に「止めてほしい」ということを意味し、結局のところ本気で死ぬ気はないのだと始めから自己矛盾が露呈してしまうからだ。したがって、本当に死にたいと思うときに私は沈黙するしかない。実際この文章を書くまではそうしてきた。

なるべくキー打つ手を止めないようにするため、文章構成考慮せず思うままに書くことにするが、ご容赦いただきたい。

自殺をしてはいけない理由とは一体なにか?(あるのか?)」という倫理的哲学的問いがある。よく答えとして挙がるのは

①生きていればまだ良いこともあるから

②残された人(家族や友人)が悲しむから

③死を選ぶことはいつでもできるから・誰もがいつかは死ぬから

④(主にキリスト教圏)天国へ行けなくなるから

社会的損失であるから

といったところだと思う(「自殺するには苦痛を伴う」というのは積極的自殺を選ばない理由ではあるが、自殺をしてはいけない理由ではない)。

私はこれらのいずれも失当だと思う。

①生きていれば良いこともある

下らないことを言わないでほしいと私は思う。そりゃ良いことも悪いこともあるだろう。でも結局人生における良いことと悪いことの総量を比べることはできないし、最後には誰もが死ぬである。なぜそれが今ではいけないのか。人生における最後幸福を味わったら後は死んでもいいのだろうか。少なくとも、死にたい気持ち自覚し、それを何度もやり過ごして生きてきた人間にとって、残りの人生死にたい時間とそれをやり過ごしている時間の繰り返しでしかない。

②残された人が悲しむから

実のところ、身体苦痛へのためらいを除いて、これまで私を自殺させなかった理由の最たるものである。幸いにも、私は家族に恵まれたと思うし、私が自殺した後の家族気持ちを考えると涙が出そうになる。しかし、実はそれを私が気にする必要はない。なぜなら、実際に自殺した後に悲嘆に暮れる家族の様を「悲しい」と感じる主体であるところの私はすでにどこにもいないかである。悲しいと感じるのは残された者の気持ちを考える「今のまだ生きている私」であり、その意味身体苦痛へのためらいと同じだ。

少しそれるが、現行刑だって自殺殺人には当てはめていない。自分保護法益である生命自分が終了させたところで罪には問えないからだ(容疑者死亡のため起訴できないというのもある)。

したがって、突き詰めれば、②は(残されることになる)私が悲しいから「自殺してはいけない」ではなく「自殺しないでくれ」というお願いでしかないというのが正しい。

③死を選ぶことはいつでもできるから・誰もがいつかは死ぬから

死を選ぶことは本当にいつでもできるだろうか。中途半端なためらいがなくなったあの瞬間に人生を終わらせておくべきだった、そうすれば今の苦痛を味わうことはなかったのにといずれ後悔しないだろうか。少なくとも私はいま後悔している。10年前に死ねていれば今日苦痛はなかった(10年間の喜びも無価値だったのかと問われれば、少なくとも今の苦痛釣り合うものではなかったと答えるでしょう。死にたいときは常に)。

「死」は切った時点でほかの全ての選択肢を失うという点で最後カードだ。でも結局その理論は①の理由に行きつく。それは「自殺してはいけない理由」にはなりえない。

④(主にキリスト教圏)天国へ行けなくなるから

私が敬虔クリスチャンであればこれほど強い理由はなかったろうと思うが、私を含む非キリスト者には全く通用しない。結局なにがしかへの信仰しか救いにはならないという気がしている。

社会的損失であるから

こんなことを平気で言う人間とは関わらない方が良いですよ。

つまるところ、やっぱり自殺してはいけない理由なんて無いんですよ。

どれも思いとどまらせるための方便しかなくて、あとは本人がするかしないか判断があるだけ。

ここまで書いたところで紛れていた衝動の波が戻ってきた。

ところで私は家に包丁を置いていないのだが、その理由を人には「私は自炊しないので」とへらへら語っているが、実際の理由衝動的に自分使用しないためである。今は刃を己にめり込ませたくてたまらないので、平時の私の判断は正しかったのであり、その正しさを心底憎悪する。

波が収まらない。人生を続けていくことが本当にむなしい。

生きることに意味価値もないですよ。

みんなまだあのカードを引いていないか、引いても上手く手札を回しているだけ。

2021-06-14

anond:20210613220957

世間では失恋と呼ぶ情動も、本人からすると人生をかけた最大の見せ場なんだよね。

けれど結果がどうあれ、それは増田当人だけの物語なんだから行動しておいた方が良かったかもしれない。どっちでも増田は受け入れるでしょ。

2021-06-04

なぜ新聞は「自民党幹部」と書くか

以下に述べることは政治家とか新聞記者回顧録によく書いてあることで、昭和平成政治ウォッチャーにはおそらく常識的な話。今は意外に知らない人が多いようなので書く。

端的にいうと、これは「記者会見やぶら下がりではなく、内輪の懇談で取材した」という意味である

要職にある政治家は、担当記者を集めた内輪の懇談をよくやっている。そこで喋る内容については名前を出さず、「自民党幹部」「政府首脳」などとぼかして記事にするのが暗黙のルール。また、記者とのちょっとした雑談などにも同じルール適用される。名前を出さないかわりに、政治家がざっくばらんに「本音」で話してくれるという仕組み。

記者側のメリットはもちろん独自取材源で記事を書けることだが、政治家の側には「名前を出さずに観測気球を上げられる」というメリットがある。世間一般に対しての観測気球という意味もあるが、永田町の住人(同僚の政治家秘書、各省庁の上層部など)に向けている面も大きい。

というのも、永田町の住人というのは一般人よりも新聞を熱心に読んでおり、かつ「政府首脳」などといった新聞記法にも通じているため、「これは誰それが言った」「誰それは、こういう意図発言している」と即座に文脈理解できるのである。要は、学校裏サイト新聞にアウトソースしているようなものだ。

こうした取材方法には、当然ながらいくつも問題がある。

政治家記者との癒着

懇談は、政治家による記者へのサービス意味合いを持つ。「忙しいのに時間を取ってくれた」「言いにくいことを言ってくれた」という恩義には人は弱いものである。有能な政治家はこの「持ちつ持たれつ」の関係を利用し、マスメディアに出る情報コントロールする。

大手メディア政治家囲い込み

このインナーサークル独立系メディアフリーランスは立ち入ることができない。よく言われる記者クラブの弊害というやつ。

発言責任を誰も取らない

オフレコでの発言は、誰が言ったのか明示されない。よって誰も発言責任を取らない。これは裏を返せば、記者の匙加減で発言を誇張・歪曲しても厳しく追求されないということでもある。せいぜい次の懇談で「俺、あんなこと言ってないよ」と苦笑される程度だろう。つまり記者がその気になれば、フェイクニュースに限りなく近いものを流すこともできる(この意味石平氏の指摘は正しい)。

記者会見形骸化する

懇談などの「裏」で情報を取れるのであれば、「表」の記者会見政治家を鋭く追及する必要はない。首相大臣記者会見大手メディア記者的外れ質問が多いことと、この問題根底でつながっている。

情動忖度政治が動く

偉い人の「お気持ち」を忖度して政治が動く傾向を助長する。今回の件でいえば、もしかすると尾身会長自民党幹部から直接何も言われず、周りの人から幹事長政調会長総務会長)、怒ってるらしいよ」と伝えられているかもしれない。いや直接言えよ。

こういった諸々の問題があるので、この取材スタイルは手放しに褒めてよいものではない。今の時代に合うとも思えないし、そろそろ廃れていってくれないものかと思うが、どうなんだろうね。

2021-05-17

anond:20210516220449

非常に理性主義で、人間に寄りそうとかいいながら、やはり人間感情無視してきただったということだねえ。

 

21世紀思想情動いかに取り込むかの話になっていく。

2021-05-16

効率的に動こう、行動にはきちんとした根拠目的を持とうということを、自分自身に対して真面目にやってるだけでも

からは打算的に見られてたりして微妙な気分になる。

何も考えず思いつきと情動で動いてる人間にとっては打算的に見えるのかもしれないけど、それは違うだろって思う。

2021-03-31

VTuberの“BL同人誌朗読”、BL以外の同人誌だったら「炎上」しなかった

BL同人誌の内容をVTuberであるさくらみこさんと宝鐘マリンさんが配信内で「朗読」したとして「炎上」した件ですが、当初から腐女子界隈とVTuber界隈の抗争の様相を呈しており、一方を装った愉快犯が現れたり、誤情報拡散されたりと、見るに堪えない状況です。

そこで、BLVTuber両方が好きで、腐女子界隈とVTuber界隈いずれにもつながりのある私が、できるだけ客観的彼女たちの「炎上」の経緯を整理しようと思いました。

以下では、この「炎上」の背景にある腐女子界隈の不文律としての「掟」や、一次情報であるVTuberの元配信について言及しつつ、実態を伝えられたらと思います

また、そのうえで、百合VTuber本人などBL以外の同人誌であれば「炎上」しなかったという考えの根拠説明します。

やや長めですが、3日前の「作戦会議」の配信から経緯を把握している方も、後半部分には目を留めていただけると幸いです。

BL同人誌までの経緯

元となった配信は、3月28日(日)13時から10時間以上にわたって行われた、『ときめきメモリアル2』というギャルゲーの実況配信です。

この日は前日同様、オフコラボで、さくらみこさんと宝鐘マリンさんは同じ一室にいて、ゲームを実況したり、サプライズプレゼントを贈ったりしていました。話題となったBL同人誌も、サプライズプレゼントとして贈られたものでした。

配信内でのサプライズやドッキリは、突発的なものではなく、事前にリスナーとともに作戦が練られたものでした。

この日の3日前にはみこさんが、2日前にはマリンさんが、それぞれ土日のオフコラボへの「作戦会議」と称した配信をしています

これらの配信は、オフコラボ相手へのサプライズ案をリスナーに募る内容でした。そして、みこさんの「作戦会議」のなかで、リスナーからBL同人誌冷蔵庫に入れてプレゼントする」というサプライズ提案されたのでした。

なぜ「BL同人誌」なのかというと、マリンさんがBL好きであることを以前から公言していたためです。

この件においてBL同人誌は、あくまサプライズプレゼントの一つとして、みこさんがマリンさんのために用意したものでした。

同人誌朗読スパチャを稼いだ」という意見拡散されていますが、配信の主目的あくまギャルゲー実況にありました。

BL同人誌が登場したのは、そのなかでの「サプライズプレゼント」のゆえであり、配信内で同人誌自体あくまで脇役でした。(ギャルゲー実況配信10時間以上ありましたが、BL同人誌への言及は数分間で、それも「スパチャを稼ぐ」ためではありませんでした)

VTuberによるBL同人誌の「朗読

さて、「BL同人誌冷蔵庫に入れてサプライズプレゼントする」という作戦は、みこさんのマリンさんへの、冷蔵庫飲み物を取ってきてという言葉から開始されます

そうして、マリンさんは冷蔵庫なかにBL本を発見することとなり、その遠回しすぎるシュールな渡し方に爆笑しながら部屋に戻ってきます

Twitterなどでは、BL同人誌の内容を嘲笑しているとの意見もありますが、あくまサプライズプレゼントとしてのBL本の「奇抜な渡し方」に対しての笑いでした。

続く笑いも、内容そのものに対してではなく、作品タイトルや2つの台詞の奇抜さに対してのものです。

陽キャオタク創作嘲笑した」という構図に見立て意見Twitter上にありましたが、両名とも二次元好きで、そもそもこの配信自体ギャルゲー実況です。

では、二人は、このBL同人誌の内容をどのように「朗読」したのでしょうか。

この後、VTuber二人は作品タイトルと2つの台詞言及します。

作品タイトルは、躊躇いながらもマリンさんが部分的に伏せつつ発音し、続いて裏表紙にある「シャトルの発射まで時間がある」という台詞をみこさんが低い声で発音、そして「中に出せよ」という台詞強気受けによる命令形であることに着目しつつマリンさんが発音します。

作品タイトルは、ガン●ムの登場人物名前を奇抜にもじったもので、それが二人の笑いを誘います。二人はBL本の「奇抜な渡し方」の時点からほぼ休みなく笑っており、ツボが浅くなっている状態です。

シャトルの発射まで時間がある」という台詞は、ガン●ムをある程度知っている人ならばわかりますが、印象に残る強烈なものなので、二人は笑います

BL同人誌の「朗読」の一部始終は、以上の通りです。

当然のことながら、作品タイトルと2つの台詞を発することが「朗読」に該当するかどうか、VTuber界隈から意見が上がります

それに対して、腐女子界隈では、元配信を視聴していないこともあり、事実とは異なる「朗読」という伝聞やそこから憶測拡散され、「炎上」が拡大していきます

当初、BL同人誌の「朗読」は(二次創作物であっても)著作権問題だとして批判されていました。

しかし、実際には「朗読」ではなく、著作権上も問題ないことが切り抜きなどからかめられ、法的な問題でないと明らかになります

そうして腐女子界隈の一部でも「朗読」でない点を認める意見が現れるようになるのですが、それでも否定意見はやみません。

朗読」ではないとしても、腐女子界隈の基準では問題があるということです。

以下では、腐女子界隈に特有規範について触れていくのですが、その前に「朗読」という認識形成過程確認しましょう。

いったい、なぜ、「朗読」したとして「炎上」したのでしょうか。

朗読」という言葉とともに拡散、「炎上

作品タイトル部分的に伏せられていたとはいえ配信内容から作品特定され、エゴサを経た作者さんがTwitterにて言及することになります

ツイートの内容は、「私の本朗読してスパチャ貰われてる」という報告に、「ぶいちゅばって何でこんなに人気なの……??」とVTuber自体への批判を含んだものでした。

朗読」という単語は、おそらくエゴサから引用したのでしょう。作者さんも「~っぽい」と表現を用いていたので、元配信確認したわけではなかったようです。

しか結果的に、この投稿は、腐女子界隈とVTuber界隈で急速に拡散され、腐女子界隈では次々と「朗読」が話題になり議論が紛糾する一方で、VTuber界隈では「朗読」は拡大解釈だという意見が上がります。また、「何でこんなに人気なの……??」という表現からVTuberのものを貶められたという認識が広がります

いずれの界隈にも感情的意見を書き込む層はいもので、決して一部とは言いがたい数の人々のあいだで、誹謗中傷の投げ合いにまで発展します。

作者さんは、まとめサイトへの対策などからTwitterアカウントに鍵をかけ、これが双方にさらなる邪推を生んだりもします。

作者さんのbioを見ると「早急に事態収束するよう祈ります」「訴訟しません」「キレてません」と記載されているのですが、争いは作者さんを置き去りにしてエスカレートしていきます

それから朗読」という言葉腐女子界隈の広範で用いられ、「min_retweets:500 朗読」とTwitter検索すると確かめられるように、「朗読」についていくつもの投稿拡散されていきます

伝聞が伝聞を呼び、人々の感情を逆なでし、「朗読配信という憶測ばかりが、噂の伝言ゲームのように一人歩きしていったのです。

それに対して、VTuber界隈では「朗読」というデマ拡散されているとして一次情報(元配信)の確認を求めます。ですがこの時点ですでに元配信は削除されていたので、一部の人々は切り抜き動画を視聴することになりますTwitter上でも切り抜きが投稿され、拡散されました)。

しかし切り抜き動画もまた文脈が省略されているために、あらぬ誤解を生み出すことになりました。

切り抜きを観ると、「朗読」の誤解は解けますしかし「BL同人誌が晒されて嘲笑された」ように受け取れることから、そのような認識腐女子界隈に広がっていきます

実際には、先述したように、VTuber二名作品嘲笑したわけではありませんでした。

このように、「朗読」による「炎上」は、もともと「朗読」だとして著作権的な問題とされていたのが、作者さんを置き去りにして、「晒されて嘲笑された」問題にすり替わっていきます

そうして、「朗読ではないとしても、読み上げたことが問題」「逆カプ表記をしたのが許せない」「影から引きずり出して明るみに出したのが許せない」という主張がなされるのです。

腐女子界隈特有規範が背景にある

朗読ではないとしても、読み上げたことが問題」とは言いますが、VTuber界隈をはじめとして、腐女子界隈以外では、作品タイトルや一部の台詞を読み上げたところで批判対象にはならない傾向があります

例えば、Twitter上で自分の入手した同人誌写真を、「戦利品ゲット!」という気分で投稿したとしても、問題視されることはありません。

しかし、腐女子界隈では、これは大問題です。にわかには理解しがたいかもしれませんが、作品を公の場に明るみにするのは事実上の禁忌とされる傾向があるのです。

同人誌写真のみならず、作品タイトルも、作品内容も、直接的な言及は控えられています

ですから配信内などでBL同人誌を取り上げるのは、以ての外ということになるのです。

こうした傾向は、女性オタク文化のなかでも特に腐女子界隈に顕著で、百合作品異性愛作品の界隈ではあまり見られません。

腐女子界隈はさまざまな事情から村社会化しているがゆえに、ほかにも数多くの特殊な掟があります。「逆カプ表記」もそうした禁忌の一つです。

件の配信内でも、BL同人誌について、あまりBLに詳しくないみこさんが「逆カプ」だと勘違いし、マリンさんが訂正する場面があり、Twitterでは「朗読」と併せて「逆カプ表記」が批判されていました。

結局のところ、BL同人誌サプライズプレゼントとしたみこさんとマリンさんは、このような腐女子界隈での規範に従っていないととらえられたがゆえに、作者さんを置き去りにして「炎上」につながったのでした。

ですが、そうは言っても、法的には問題のないことに対してまで、法律をさし置いて界隈独自規範によって判断するのは、あまりに強権的ではないでしょうか。

他の界隈にまで独自規範を遵守させようとする姿勢は、自国の法を他国内部にまで適用させようとするも同然の姿勢ではないでしょうか。

百合界隈であれ、異性愛作品の界隈であれ、またVTuber界隈であれ、配信内で同じ出来事があったとしても、批判は集中しなかったでしょう。また、BL同人誌でも、海外の界隈であれば同じく批判されることはなかったでしょう(海外の界隈では「逆カプ表記」が許されているなど、界隈としての特殊性はあまり見られません)。

以上より、本件は、腐女子界隈の特殊規範存在を前提に成立した「炎上」として理解できます

VTuber界隈の文化的感覚BL同人誌を取り上げたことこそが問題として「炎上」につながったのです。

この出来事は、VTuber界隈と腐女子界隈の文化性の相違による、ディスコミュニケーションだったと言えそうです。

(ところで、本筋から離れるので深入りはしませんが、「逆カプ」がだめということになっているのは、そもそもBL文化男性表象を用いた異性愛表現からです。BLは、男性同性愛者の作り手が極端に希少であることからも明らかなように、実際には男性表象を用いて異性愛を語り直す表現なのです。受け攻めは女性男性対応し、だからこそ受けの発言行為も表情も女性的に描かれているのです。

ですからこの場合、受け攻めの反転である「逆カプ」は、男女の反転同然であり、そのような意味合いにおいて「地雷」だとして非難されるのです。

しかし、いくら地雷」だとしても現在BL自体異性愛ジェンダーロールを同性愛に持ち込む点で、「強制的異性愛」一歩手前でLGBTQ的にグレーな行為ですし、また感情基準禁忌定義することは感情で法を定めるような危うさを含んでいます。あらかじめ論理性を劣位に退け、情動性を優位に配するのですから

「逆カプ」について、「地雷」だから言及禁忌とする規範は、盲目的に「好き」だけを肯定し「嫌い」を徹底して排斥する、同一性称揚かつ多様性全否定である点も見逃せません。

この点については、腐女子界隈の内部から批判もあるのですが、全体として賛成多数となっており画一的で抑圧的な趨勢は変わっておりません)

おわりに

VTuberさくらみこさんと宝鐘マリンさんが配信内でBL同人誌を「朗読」したとして「炎上」したこの一件は、そもそも朗読」という伝聞が拡散され、感情的憶測を次々に引き起こしたという、事実に基づかない「炎上」でした。

事実に基づいた批判であれば、VTuber界隈からの反発もこれほどまでに大きくならず、腐女子界隈とVTuber界隈による衝突の様相を呈することもなかったでしょう。

「min_retweets:500 朗読」などでTwitter検索すると、一次情報を知らずに噂に便乗した投稿が何件も拡散されています事実確認もせず、濡れ衣を着せることも躊躇わず、伝聞をもとに憶測から感情を爆発させられればそれで納得できてしまうのだろう――との印象を、VTuber界隈に広げることになっています

さらに、切り抜きなどを経て「朗読」という誤解が解かれたかと思いきや、被害者意識の先行か、「晒されて嘲笑された」と悪意的に読解し、またも事実とは異なる憶測で「炎上」を加速させていきます

そのうえ、作品への言及自体腐女子界隈独自規範に反しているとして、非難するようになります

しかし、界隈のルールを、界隈の外側にまで求めるのは、自国の法を他国にまで適用しようとするも同然の行為で、あまりに強権的です。他の界隈ではありえません。

それに、無知からとった行動が、たまたま界隈の規範に反するものだったとしても、悪意的にばかりとらえるべきではないでしょう。

この件でVTuber本人は、BL同人誌プレゼントとして用意し、サプライズのために冷蔵庫に入れ、そうした渡し方や作品タイトル台詞の奇抜さによって笑いを引き起こしたのでした。

そこに悪意は見られませんでした。

しかし、にもかかわらずTwitterを中心に、「朗読」という伝聞から悪意的に解釈され、事実とは異なる感情的憶測拡散され、切り抜きからも悪意的に誤読され、誹謗中傷を投げられるという被害を、VTuber本人が強いられることになったのです。

このような構図では、Googleアナティクスの仕様から台湾言及しただけでVTuber本人が大陸ネットユーザーから攻撃を受けた、昨年9月の一件と重ねてしまます(詳細は、「ホロライブ 台湾」などで検索してみてください)。

前々から気になっていたことですが、腐女子界隈は、この件に限らず、伝聞や憶測で悪意的に解釈するのではなく、事実に基づいて慎重に意見することが必要です。

事実とは異なる憶測や誤解で非難すれば、それは単なる誹謗中傷となり「ネットリンチ」につながります

続き:https://anond.hatelabo.jp/20210331233146

2021-03-21

(ネタバレ)新劇場版しか見てないんだけどシン・エヴァ面白かった

TV版、旧劇場版を全く見たことなくて序破Q→シン・エヴァだけを見た人間ネタバレ感想です。

序を見てみようと思ったきっかけは覚えてない。最初から話を語り直すよという点が後発組としては見やすいというか、せっかくだから見てみるか!くらいの軽い気持ちだったんだと思う。

序の感想は「あれ、思ったよりも全然わかりやすい?」だった。もっと難解な話だと思ってたので、意外にとっつきやすくてびっくりしたし、何より絵が見てて楽しい戦闘シーンにワクワクした。

破の感想は「あれ!?なんかめちゃくちゃ面白くない!?」だった。爽快感があった。ウジウジしてることで日本一有名な中学生シンジくんが、アスカレイと協力して使徒を倒してて感動したし、ラストシーンは自らの意志レイを救うために突き進んでて、そんな明確な自我の発露できる子だったんだ?!ってびっくりした。あそこでかかる翼をくださいは怖かった。

でも、Qの感想は「…やべえ何だコレ全然わかんねえ!」だった。まじで一気に何もわからなくなって、シンジくんばりに放り出された気分になった。ピアノいたことないはずなのにがっつり連弾できとるの嘘やろ?になって笑ってしまった、カヲルくんとのピアノのシーンばっかり印象が強くて、あとは正直なにも覚えていない…!

そして今回のシン・エヴァの公開。インターネット考察感想で賑わいまくっていて、せっかくならネタバレを経ずにちゃんと見たいなと思い、映画館に行くことを決める。そしてあまりにも話を忘れていることに気づいたので、まずはもう一度序破Qを全部復習した(まじで大半を忘れていたので、見てよかった)。

9年ぶりのQはやっぱしんどかった。見ててとにかく「ディスコミュニケーションは本当に良くない」ってそればっかり思った。シンジくんには、本人にはどうしようもない14年間の空白があるのに誰もそれを埋めてくれなくて、突き放したり否定的言葉を投げつけるばっかで、ようやくすべてを説明してくれたのはよく素性を知らないカヲルくん。とにかく優しい彼にすがるように何か前に進まなきゃ!ってなるシンジくんだけど、あろうことかカヲルくんは目の前で首ぶっとんでしんじゃうし、あまりにもひどすぎる。いや誰かもっと序盤で説明したれよ!みんな、頼むからもっとコミュニケーションをとってくれよ…。でも、「たぶんそういう『他者とのコミュニケーション』がままならないゆえに苦しんでいる話だよな…それをいっちゃあおしまいだよな…」って思って、最後に何を見せてもらえるのかを待とう、って改めてQを見直しながら決意。

そうして復習してから見たシンエヴァなんですが、すごく面白かったです。そして冒頭に、「これまでの新劇場版」を丁寧に振り返る数分間があってずっこけました。復習タイムのいらない親切設計だとは知らなかった。

今回、一番の感想としては、先述の「ディスコミュニケーション」が徹底的に解決されていたところにとても感動したというか、安心させてもらえた。

ものすごく真正から、愚直過ぎるのでは?って思うくらい丁寧に、他者とのコミュニケーションの有り様が描かれていて、見ていてこちらまで肩の荷が下り気持ちになった。

まず第3村の描写、あれこそがずっとシンジくんに足りなかったものだと思った。どうしようもなく傷ついて一人でいたいとき、突き放さず、過剰に干渉せず、でも一人きりにはしないあの距離感大人になったトウジやケンスケ、内面大人アスカシンジに接するあの姿は、Qまでの世界の中でシンジが一度も与えてもらえなかったものから、あの時間物語を終わらせる上で、シンジを立ち上がらせる上で重要なのは納得感しかなかったし、見ていてこちらも癒やされる感覚があった。あの尺は絶対必要だったと思う。でも、加持さん死んどるのはつらすぎた…。

「これが最後だと思うから」って明確に言葉に出してシンジと会話をしに来るアスカ。いやお互いにめっちゃ話通じてるやんけ…ってなって泣いた。

甲板でのミサトさんとのお別れのシーンは、「行きなさいシンジくん!」の呪いから、静かにお互いを解放できている感じがして、どうしたって泣いた。もう会えないことが薄々わかってる、いってきます/いってらっしゃいは辛い。そのあとミサトさん犠牲になるのもえーなんで!?って思ったけど、後を託されたリツコが全く動じずに「ベストを尽くすわ」って引き受けるところ、そのものわかりの良さが辛くて泣いた。

ゲンドウとの対話は、お父さんいつからそんな喋れるようになったん!?ってくらいめちゃくちゃどストレートに心情吐露するからただただびっくりしたし、「いやそれでこの物語成立する?大丈夫カタルシスまれる?」って一瞬ヒヤヒヤして醒めた感じになりかけて見ていたのに、それでも!幼いシンジを抱きしめて謝るシーンは、やっぱりぼたぼた涙が出た。おとうさーん。。気づくのおせ~よ!!!

最後シンジの内側からユイが出てきて守ってくれるところも、そんな都合よくていいんかー!?とも思ったけど、抱き合う両親を後にして自分人生に改めて旅立つことができたシンジくん…って思ったら、いや何よその解放と祝福、って気持ちでまた泣いてしまった。

レイアスカカヲルそれぞれと会話してじゃんじゃんケリをつけていくところも、シンジくんがそんなふうにしっかりとした自我を持って、他者のために自分言葉を使おうとできてる事実が尊くて泣いた。

まり、かなりしょっちゅう泣いて見てました。でも別に「泣かされてる!お涙頂戴だ!」って感じではなくて、物語の持つ情動というか、エネルギーうねりみたいなもの、エンドマークに向かって絶対にこのでかい塊を運んでいくんだっていう意志、そういうものを感じたりもして、ええもん見たな…って涙だった。半ば説明がつかないような、見てると勝手に出てくる涙って感じだった。

ラストシーン、あのシンジくんが!?大人になった姿…!14歳の姿から逃れて、自立した大人として最後に現れるのって、なんて力強く、全力の「今を生きること」の肯定なんだろうと思う。そこでマリが隣にいることには、何故かわからないけど、とてもすんなりと納得がいった。そして何より、海が青くて嬉しかった。

鑑賞後に色んな考察を読んだけど、リアルタイム世代の人とは見ているものバックグラウンドが違いすぎるから、その観点の違いだけでも面白かったです。アスカ名前が変わったことと、旧劇場版ラストとを絡めて、惣流/式波ふたりともきっと救われている、っていう考察複数読めたのが特にしかった。そして宇部興産全然からなかったので知識が増えました。戦闘シーンが物足りないという意見はなるほどと思った。たしかに序破で感じた絵的なカタルシスはなかったかもしれない…というか、シン・エヴァ戦闘シーンは全体的に画面内の情報量が多すぎて、ついていけなかったかも。。

大量の新用語とかカヲルくんの立ち位置の謎っぷりとか理解できてないところも正直たくさんあるんだけど、それでも「楽しかったなー!」って思った。

こんなふうに屈託なく(といったらいいんだろうか?)楽しまれる作品であることを、果たして過去監督作品自体や、はたまたファンが望んでいたのかは正直わからないんだけど、

新劇場版しか知らない人間のひとりとして、最終地点を物語として楽しめた!という感想でした。見てよかったなと思う。せっかくだからなにか感想を書こうと思ったらけっこう長くなってしまった…

2021-03-16

anond:20210313235019

増田に似てるわ

創作系の趣味がいいよ&プロ比較して物を作ることを極めないから~とかブコメとかでさんざん言われてるけど、違うんだよな

物を作る過程やはじめたては楽しいけど根本的に自分の作るものに興味持てないんだよな

創作系の趣味の人って基本、内に沸き起こる情動音楽にぶつけたり絵にぶつけたりして趣味にしてくんだと思うけどマジでそれがない

それがないのでなんとなく他人がぶつけた作品をみていいな~と思ってそれをなんとなく模倣することしかできないんよ情動がないから だから飽きる

ただ模倣する能力に長けているので一定水準以上は出来ると思う

承認欲がないと思い込んでるけど結局足りないのは承認欲求とドーパミンじゃないか

個人的おすすめネトゲだね FPS・対戦ゲームとか、反復運動戦術知識他人より上に行けるチーム戦系

ネトゲリアルスポーツより人間関係希薄だし手軽にできるし大体が真剣にやってないからすぐ上に行けて報酬系満たされて楽しいぞ+女だと大体姫扱いされるから一石二鳥

2021-02-09

個人サイト始めてちょっと経った

一次創作二次創作含めて描いた絵は今までツイッターピクシブしか公開してなかったのだけどついに個人サイト建てた。

サイト建てて数ヶ月経った。思った通り人が全然来ない。良かった。本当に良かった。

自分は絵とマンガ情動が溢れた時に描くだけ描いて、せっかく描いたし他人の見えるとこ置いとくかってノリで投稿してただけなので。自分では道端の小石みたいに特に価値もなく見向きもされないものと思って出したものが、他人の目に留まって良さげな反応返されるとビビってしまう。

情けない話、ピクシブブクマいいねの数が増えてるの見たりツイッターのふぁぼりつ数が増えるの見るとビクビクしてたんだ。

身内以外に反応をもらうというと「私なんかの絵が見られてる!?」ってすごくびっくりして恐れ多くなって萎縮してしまう性分なことに加えて、(特に二次創作ちょっとでも拡散されると)「私の間違ってるかもしれない好き勝手な読解と解釈に基づくお話が人目に晒されている!これが公式様およびファンの誰かの地雷でご気分を害してたらどうしよう!ごめんなさい!ああああ!」って思って耐えられなくなってたので……

元々そんなにフォロワー数もない弱小絵描きなのだけど、個人サイト掲載物はツイッターピクシブと比べて輪をかけて見られない。アクセス数だけで見るならツイッター>>>>>>>Pixiv>>(超えられない壁)>>個人サイトって感じがする。

そりゃそうだ。たくさんの魅力的なコンテンツがあふれるSNSって広場からわざわざ足を運んで何処ぞの誰かのホームページに訪れなければいけないんだから

他人の訪れなさも実感できたことだし、今までよりは気楽にやれるかもしれない。

「界隈を盛り上げるため、コンテンツの存続につなげるため、SNSではどんどん名前出してこう!」みたいなご意見もたまにツイッターで見るけど、自分にはそれはできないや。ごめんね。コンテンツへの好意を表明したことで生じるファンコミュニティでの人間関係の維持疲れちゃった。なんか「ずっと好きでい続けなきゃいけない」「夢中になってる姿晒さなきゃいけない」って思い込みやすくて疲れちゃうのだな。

もうずっと前にツイッターでかつてのフォロワーさんに言われた「〇〇のこと好きじゃなくなったんですか?」って言われたショックから未だに立ち直れてない。いや、思い返せる範囲では今まで好きになったものを好きじゃなくなったことはないし、ツイッターで呟く頻度が減ったってだけで好意の減衰を疑われてると思うと、疑われないためには「こんなに好きです!」ってポーズをずっと取ってなきゃいけないのかなって思えてきてしんどくて。

いけない。愚痴になってしまった。

まあ、そう言う諸々の理由で、創作物掲載する場所SNS以外に欲しかたか個人サイト建てたんだしな。

ツイッターピクシブ更新がいつ再開されるかはわかりません。気分が向いたら戻るかも。

しばらく人のいない場所でひとりぼっちで壁打ち楽しみます

好きに楽しむぞー!

2021-01-08

恋愛感情の延長で結婚を考えるのは幼稚(笑)ってマジョリティの発想だよね

よく婚活アドバイスとかで恋愛感情を抱ける相手結婚に向いてる相手かどうかは別、結婚恋愛の延長で考えてはいけないとか言う意味で「恋愛感情のゴールで結婚とか思ってるんだ(笑)」というマウントがあるが、待ってほしい。これはマジョリティの考え方でマイノリティを圧迫している。

デミ・セクシュアルというセクシュアリティがある。平たく言うと、恋愛性愛衝動や突発的な情動産物ではないタイプである相手をよく知り、人生ともに歩めるパートナーと思えてはじめて恋愛感情が芽生えるような、そういう衝動とか唐突恋愛とは無縁なタイプ性的マイノリティ

このタイプにとっては恋愛結婚はわりと地続きであり、地続きでも実際あまり問題がない。マジョリティ感覚で言えば、結婚に向いている人が恋愛対象となるから

自分はデミセクではないが、だからこそ、些細なところにマジョリティの抑圧ってあるよなーと思うという話

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