はてなキーワード: 情動とは
クリエイティビティが大事だとかなんとかすぐ言うこんな世の中だけど、クリエイティビティは人生のバックグラウンドから醸成される性質であってスキルのようにサクッと身につけられるものじゃない。
と言う自分もクリエイティブな人間に憧れを持っている。クリエイターとして何かを表現する人間になりたいと思う。別にそれで一発当てて富を築いたり、名を残したりしたいわけじゃない。
アートが好きだ。生み出された表現のバックグラウンド、クリエイターの心情を知ることで、何かインスピレーションを得たような気分になる。
だがその実これはクリエイティブへの憧れをアートをただ消費することで満たそうとしているに過ぎない。自分はいつも作品の対面側にいて、作品の背後にはいない。
絵を描くのは元々得意で真面目に練習して描こうとしたり、他にも文章を書こうとしたこともあったが、表現する方法を知っていてもそもそも自分の内側には表現したいものがないことに気付いてしまう。中身のない絵が上手く描けることにも大した喜びを感じられないのでやめてしまった。
プログラミングが生業だが、こんなアプリケーションがあったら便利だとか、こんなものが作れたら面白いとか素敵だとかクールだとか、そんなアイデアも想像力も全くない。それをどんどん思いついて生み出すクリエイティブな人間を身近に見たり、求めずとも情報が入ってくる環境にいるだけに、自分は全くもってクリエイティブな性質ではないということを認めざるを得ない。自分は人のアイデアに乗っかりそれを作る手伝いをして対価を貰っているだけ。
クリエイティブじゃない背景的な理由の一つとして、自分には強い情動のようなものが全然ないということがある気がしている。
一つの物事に真剣に最後まで取り組んで、歓喜したり絶望したり激怒した経験がない。子供の頃から大きく感情を波立てながら何かにぶつかった覚えがない。大した苦難も努力もないままここまで来てしまった。今だって自分はクリエイティブじゃないなんて言っても別にそれが人生の壁になっているわけじゃない。
新しいことを始めるのが好きで趣味は多いが、一生かけて情熱を注ぎ続けられるライフワークと呼べるようなものは持っていない。一生付き合っていたいと思う人間関係も持っていない。そういうものを持つ人に憧れて色々なことに手を出しているというのも無意識下にあるのかもしれない。
自分にとって趣味と呼べるものほとんど全てが一過性で、表面的に消費することで短期的な快楽を得ているに過ぎない。ある程度まで知識や経験を得たら満足して次に目移りし、浅い知識だけが広がっていく。
短いスパンで大きな意味もなく職場や住居や友人関係など環境を変えたがるのも同じなのかもしれない。
金への執着もない。これはすでに現状何不自由ないというのもあるし、今以上に経済的に豊かな暮らしに憧れているわけでもない。
性愛への情熱もない。異性への好奇心も性欲に駆り立てられて行動することもここ数年でほとんどなくなってしまった。最近は結婚や子供を持つというライフイベントが何か自分を変えてくれるんじゃないかと思って行動しているが、多分そんなことはないと冷笑するもう一人の自分がいる。
失われた20年に生まれ育った自分の同世代には同じように感じている人間が少なくないのではと勝手に憶測している。いわゆるミドルエイジクライシスに似た状態に早くもなってしまっている。
アートに限らず新しいものを生み出す発想の源泉が、生活や仕事のちょっとしたフラストレーションに始まり、自分の置かれた境遇や社会への不満、抑圧への抵抗、強い欲望などの情動であるならば、それらのような感情が枯渇した何も表現できない何にも情熱的になれない自分のような人間が、あと70年近くある人生を何のために過ごせばいいのか分からなくなる。
「おジャ魔女どれみ」をふと思い出した
あのあたりで一回、Googleの画像検索が肌色なことが問題になったはずで
で、なんで思い出したかって、「おジャ魔女どれみ」のファンアートじゃない版権絵も
見る人が見れば「エロい」のだよね
狙ってるだろ、みたいな話は普通にできた
では、「おジャ魔女どれみ」にはそういう要素が含まれることを前提に話が為されるべきなのか?
「おジャ魔女どれみ」は、陸上競技や水泳競技がエロくない様に、コンテンツとしてはエロくないよ
月曜日のたわわの広告表象を考えたときに、「あれはエロだ」と言ってしまうのなら
問題はエロじゃないのに、強引にエロ要素を抽出して「嘘をついている」と踏み絵をしたところで
陸上競技や水泳競技はエロ枠にならん(社会的にしてはいけない)し、「おジャ魔女どれみ」もエロ枠にならん
で、今回の奴
7ページまで一通り見たけど、取り立ててエロ文法だぁって画像、なかったよ
動物性が前面に出てるね
飼い主とペット、みたいな関係性を描こうとしてるのが情動をくすぐるけど
切なげな顔で描かれたからエロってのも、脊髄反射過ぎるって感じ
宝石の国を読んだけど、何にも衝撃を感じなかった
内容が悪いわけではなく、数々の「あれはやめておけ」「マジでやばい」系の既読者の匂わせのせいである
あれのせいで感動も衝撃も9割削がれたと思う。
「あのねーじつはねーふふふ内緒~」をやられたときの苛々と気色悪さはほとんどの日本人は理解してくれると思う、あれだ。
驚くことがあるけれどそれは教えないという気持ち悪さ…
そこまで言ってしまうなら普通にあらすじを教えてくれればいいのに
本人たちはあれでネタバレ伏せたつもりなんだろうか??
こちらは、漫画のネタを確認しに行くんじゃなくて、読んで感情を動かされることを目的にしているので
ムカつくのは、ふせったーを使って、RT後に「知ってる側の私」として曖昧な意見を言えば、ネタバレに配慮した気分になってるところだ。
映画の「詳しくは言えないけど泣いた」とかも、ああ泣くようなことがあるんだな、という中途半端な知識を得て行くので
「ああここでほとんどの人は泣くのかぁ」と思って終わってしまい、結局泣けない。
そういうネタバレがなければ割と情動動くし、普通に泣くんだけどね。
対策は、本当に楽しみな作品の公開がはじまったら一切SNSをやらないことだと思っており、実行している。
先行上映に行く友人に、自分がみるまで連絡を断つと言ったら悲しまれたが
匂わせが一番むかつくということも、周知されてほしいなと思う
そしたら、それは当然だねとみんなに思ってもらえるかもしれない
ここでいう進歩的左派とは、現状と理想の差を進歩によって埋めようという人々だ。これは保守的右派と対になる。そしてある一面で、進歩派は保守派よりも言行の不一致が起きやすいといえる。なぜなら進歩派は、現状、つまり今行っていることを、理想、つまり思い描いた善い状態に変更しようと試みるのに対し、保守派は今行っていることをこれからも続けようとするからだ。現状維持のほうが言行一致しやすいのは当然と言える。さらに進歩派はしばしば「情動」に逆らう。病によってただれた肌は見る人にしばしば嫌悪を催させるし、見慣れない肌の色はある種の警戒心を刺激するが、進歩派はその類の「情動」に逆らって行動を律することを欲する。基本的に言行一致のための難易度が保守派よりも高い。もちろん実際には保守派も復古と称してまったく歴史に裏付けのないことを始めたりするのだが。
では理想論とはなにか。例えばA地点からB地点まで移動する状況を想定してみよう。二点を直線で結ぶ道を選ぶのが理想だ。でも実際には途中に山や谷があり、あるいは賊が出るとか、体力の問題で途中の街によって休まなければいけないとか、様々な実践上の妥協として遠回りが必要になる。にもかかわらずそれらを無視して直線ルートを強硬に主張するのが、「嫌われる理想論」だろう。
そして進歩派と理想論は隣接していると思う。しばしば併発するといっていいかもしれない。進歩のためとうそぶいて理想論を振りかざす。さらに選民思想(これは保守派にもしばしばみられるが)が加わる。嫌われて当然だと思う。クソ野郎である。でも私は幼き日の私のただれた肌を看護師が慈しんでくれたように、この醜い進歩派を赦そうと思う。
この記事を読んで欲しい。
ネコは他の動物と違って「エサを得るために働く」ことを避ける傾向がある - GIGAZINE
詳細は記事にあるが、仕掛けを解くと餌が出る皿と、そのまま餌が置いてある皿とがあるようなシチュエーションで、「鳥、げっ歯類、オオカミ、霊長類、キリンを含むほとんどの種が、エサのために働くのを好むという全体的な研究結果があります。驚くべきことは、これら全ての種の中でネコだけが逆たかり行動の強い傾向を示さなかった」ということだ。
ネコは我々霊長類が囚われている「仕事のあとのビールは旨いなあ」みたいなくだらない幻想に囚われたがる情動を排除できる極めて賢明な動物だと言えよう。ある種のハッカーと共通する素質だ。
ちょっとしたコメントの言葉尻に倫理観が測られうるというスタンスは、社会的ステータスも健全な生活も持ち合わせていない根無草でも有象無象の人間集団の中から己の知性とセンスでいじめられっ子から一発逆転を狙える幻想と同一平面上にあってさ。
おまえらが軽率に解釈違いの人間をブロックしたり、言及するしないや言説の真偽に対して異常なこだわりを持っているのは自分の価値を知的優越性にのみ置いていることから生じている弊害で、現実的課題の解決と社会生活の遂行とは全くのねじれの位置にあることに気付いた方がいいよ。
おまえらの中ではもうとっくに降りたことになっている土俵の上にいる真っ当な健常者たちを直視しろよ。自分の能力の低さを直視しろよ。
いつものメンツで毎晩毎晩「より良いインターネットユーザーであるには」とかなんとか議論するのもやめなよ。
誰も見向きもしないようなサブカル知識の重箱の隅をほじくり回してアレは良いコレは悪いの判断の線引きを行ったり来たりさせるのもやめなよ。
気付いてるんでしょ?それがピントのずれた行為だってことに。薄々わかっていても決定的な事柄に着手するのを遅らせ続けてさ、インターネットでのポジションを維持しようと思って我々は螺旋的に発展してるって自嘲するのもやめようよ。
助けてくれよ。こんなつまらないことばっか書かないと気分が落ち着かないんだよ。情動失禁にすぎない最悪の棚上げ行為をこんな場末の痰壷吹き溜りに書き散らさないと何も手につかないんだよ。もっとちゃんとしたい、海が見たい、人を愛したい。
わかるでしょ。何を言いたかったのかもわからないくらい、心がざわついていて、落ち着かないんだよ。
お前らがコソコソとSNSで気に食わないなと思ってそれとなくぼやかして言及している奴らはこんなに頭が悪いんだよ。
ほわせぷキッズより
セックスするなよ
なぜセックスするんだ
体調悪いから休むのは仕方ない、それはそうだ
明らかに顔色悪いし、そりゃ休んだほうがいいっすよ
言わねえけど、なんつうか、普通の病気なんかと違うじゃん因果関係が
お前タイミング的に1〜2月くらいにそういう感じでバリバリやってたからいま産休で〜すってことになってんだろ
何してんだよマジで
俺が毎日8〜9時まで残ってるのは、上が無能で業務の割り振りが異常なのと、俺が無能で仕事が遅いからであり、お前の産休は関係ない
でもなあ、お前……お前と同じ業務受け持ってる人たちを見ろよ
そりゃまあ上が悪いよ 上は本当に悪い
お前が産休に入らない状態でも普通に全員8時までは残業してるもん となりの部署が5時台にほぼ全員帰ってる状態でよ
上は本当に頭がおかしいし、俺はサッサとこんな糞会社辞めるつもりだ
お前もやめるつもりなのかもしれないし、それは正しいと思う
思うんだけど、でも、上がクソゴミのカスで頭おかしいことってお前も知ってたはずじゃん
お前が中出しセックスキメて産休に入ったら、そのお鉢が同業務を担当してる人たちに降りかかることって容易に想像ついたじゃん
人が増えるなんてことはなく、シンプルに1.5人分こなせ!って感じになることは分かってただろ
羨ましいよ
羨ましいんだよな実際
俺も休みたい
とにかく社会が狂ってんだと思う
素直に生きててよかった、みんなもっと生きてくれと思える社会であってほしいんだよな
そうであれば、前提として妊娠という行為に好感をもつこともできようというもの
そんで、仕事がキツすぎんだよ
俺も毎日5時台に帰ってりゃ、誰がどんだけ休もうが全然気にならねー
5時台に帰った日なんて、ほぼ休みの日みたいな充実感あるもんな 5時台に帰ったことないけどな
ほんで、産休に入ったら人が補充されりゃいいんだ
いいんだ、というか、されないとダメだろ
自分が抜けたらその分の仕事がそのまま誰かに上乗せされる、って状況だと、マジメな人妊娠できねーじゃん
そりゃ少子化も進むってえ!
俺はいまは反出生主義者だから少子化バンバン進めえ!なんて思ってるけど、みんな幸せなのがいいっていう素直な気持ちもあり、反出生主義はなんやかんや言っても結局現状の不幸さによって生まれてるって気はしてるから、心が二つある
つまりこう、みんなユルく働いて、人生楽勝じゃん!と思って、なんも考えずに子供バンバン作って、生まれた子供もラクな人生で、っていうのが一番いいんすよ
いや、今もしてないわけじゃないんだが
妊娠報告があったとき、ふざけるな〜!殺すぞ〜!という情動が顔に表出するのを抑えられていたかわからない
表出してなかったらいいなと思う
そういうことなんすよ
どっちが幸せなんだ?
俺が思うに、亀なんじゃないかな
俺は日光浴とか全然できなくて、仕事の合間にちょっと外に出るスキがあったとき、できるだけ日向を歩くようにしている
涙ぐましい努力!
亀はどうか
基本的に、やりたいようにやってるように見える
まあ、べつに生きたくねえのに、生きろと本能が言うから生きてます、やりたくはねえです、って言われたらそれはそうなんだけど、それを言うなら俺だってそうだもん
苦しい、日光なんて浴びたくない、泳ぎたくない、こんなところでジッとしていたくない!っていうような情動は、すくなくとも俺には読み取れない
やりたいようにやってるように見える(2)
その時点で俺に勝ってるのは明白
俺はもう、何一つアンダー・コントロールじゃないですもんね
何も思い通りにならねえよお!
睡眠すら思い通りにできない
実はあるんだろうか?
やつらまで鬱病だったら、ほかならぬ生命そのものが呪いだって話になってくるじゃんね
まあ実際そうなんじゃないか?という気もするのは事実ですが……
いやいや、しかし、やっぱ、ミシシッピ・アカミミガメは幸せでいてほしいんすよ
俺も幸せでいてほしいけどな
俺も亀も幸せだったらそれが一番いいよね
今話題の『大怪獣のあとしまつ』を観てきた。というか宣伝を頑張っていたので土曜に見た。
今や『大怪獣のあとしまつ』は令和のデビルマンだのどうのこうの、「クソ映画」として各所でぶっ叩かれまくっているのは皆さんご存じだろう。
でも、正直そうやって叩くのをやめて欲しいのだ。別にこの作品に限らず。
とはいえ、誤解しないで欲しい。私は映画館で上映される映画を見ている間、映画をつまらないとは別に感じていなかった。
皆さんの感想を見てこの映画の感想は「つまらない」に決定したのである。
私は例えば最近の映画だと『呪術廻戦0』と『コンフィデンスマンJP』の新作を見たが、これについては「面白い」と判断している。
別に、『大怪獣のあとしまつ』と『呪術廻戦0』を映画館で観ている時の私個人の情動の動きは大して差異はない。
ただ、レビューで面白いと評判のいいものはものは「ああ、やっぱり面白かったんだな」、と思うし、みんながつまらないつまらないと言っていたら「あれはつまらなかったんだな」と思う、それだけの話である。
どこが面白くてどこがつまらなかったか、などという核心的情報がネットに無料で転がっているのが現代の良い所だ。
私は映画は週に1~2本は劇場で観るようにしているし、大体のメジャーな漫画雑誌は買っているし、本などは結構見る方だが、全ての作品に対して、その方式で自分の感情と作品への評価をコントロールしている。
感想がネットにないような作品も多いが、その場合については「何も感じていない」というのが私のスタンスだ。
基本的に例外はない。SNSに書いてあるみなさんの感想が、私の感想である。私は現代人として胸を張ってこれで良いと思っているし、私のような人間も多いと感じている。
つまり何が言いたいのかというと、皆さんが「つまらない」と言うと、私の映画体験が「つまらない時間を過ごした」ということになってしまうからやめて欲しいということだ。
作品が面白いかつまらないかを決めるのは私や作品ごときではない。みんなの感想だ。
逆説的に言うのであれば、みんなの感想が「面白い!」だけであればその映画は面白い映画なのだ。
作品というのは調理されていない原材料のようなもので、みんなの感想という味付けがあって初めて完成するのが現代である。
皆さんがつまらないと感じたものをつまらないと叫ぶ行為は、即ち味付けの段階でドパドパと唐辛子を思いきり振りかけるような行為なのである。
というか、世の中の人間は100人いたら90人は、私を含めて1人では作品が面白いか面白くないかなどわからないのだ。
作品のどこが良かったか、どこが悪かったかを単独で感じることができる人間は稀である。
そういう、何かを感じることができる特別な人達は、私のような凡百な人間のためにも、どうか「面白い」だとか「どこが良かった」だとか、そういう感想だけをばら撒いていただきたい。