はてなキーワード: ケーススタディとは
☆(007)ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル
33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマン
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司
☆儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一
サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバーグ
陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング
☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ
父が子に語る世界歴史〈2〉中世の世界 ジャワーハルラール ネルー
☆クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史
コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平
竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン
子どもの難問 野矢 茂樹
☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン
☆アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) ドナルド・B・クレイビル
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子
統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ
☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子
☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子
林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二
フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤 隆
オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン
コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ
話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき
Rules of Attraction Bret Easton Ellis
生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴
△ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太
俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本 孝
まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード
足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校
ホテルはメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也
「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田 勝
ファンタジーを読む (岩波現代文庫 〈子どもとファンタジー〉コレクション 2) 河合 隼雄
メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生
(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太
☆☆津波の墓標 石井光太
鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司
☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子
「金縛り]の謎を解く 夢魔・幽体離脱・宇宙人による誘拐 (PHPサイエンス・ワールド新書) 福田 一彦
「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬
秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子
「町おこし」の経営学―ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム
☆なぜ富士宮やきそばはB-1グランプリの覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦
中小都市の「B級グルメ」戦略―新たな価値の創造に挑む10地域 関 満博
習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ
その人の持っている欲が見えなかったり、相手の欲が自分には理解できないとき、
得体のしれないものを相手にしている気がして距離を取ってしまうというのは、割と正常な反応だと思っている。
そして、自分が妻の事を、とても気が合う素敵な人だけどイマイチ根っこのところがよくわからない人だと捉えている理由が、
妻の欲というか、愛情への飢えみたいなものを自分が根本的に全然理解できていなくて、共感できていないからなんじゃないかと思い至った。
私は妻のことは人間的に好きだし尊敬もしている。それは間違いない。
ただ妻の言うところの「恋人として好き」というのが私にはどうも正直よくわからない。
趣味は合う。好きなことや嫌いなことの傾向もかなり合致する。腹を立てるポイントもかなり似通っている。
それらのことから個人的親しさランキング1位の異性だったし、世間的に交際しているととられてもおかしくない頻度で遊んでいたので、
正式に交際するか、ということになって交際を始めたけれど、以後、妻からは度々「私の事好きなの?」「あなたの気持ちがよくわからない」みたいなことを言われるようになった。
それでもやはり気が合うので交際を続けて、数年間の遠距離恋愛も乗り越えて、いい年になったので結婚までした。
たまに別れ話を切り出されたりもしたが、昔やったギャルゲーのルート確定直前の主人公が取りそうな行動を積極的に模倣することで乗り越えてきた。
精神的に未熟な自分でも付け焼刃の模倣で実際になんとかできてしまった点で、折原さんの罪は重い。
私は、妻から「抱きしめて」と言われれば抱きしめられる。でもそれはなんか違うらしい。
それなら、とこちらの都合で抱きしめたいときに抱きしめてみたが、やっぱりダメらしい。邪魔だと言われて邪見にされた。
抱きしめて、と言われずに、抱きしめて欲しいタイミングが最初からわかるものなんだろうか?
必死で妻の気持ちを推測して今だ!というときに抱きしめてみたが、それもやっぱりダメだったらしい。
「何で今そんなことすんの?」と怒り気味に言われてしまった。
どうにもノーヒントは厳しい。せめて両手を広げてアピールするとかしてほしい。
わけがわからなさ過ぎて全部女性ホルモンのせいにしたくなってくる。
何度も訓練を繰り返せば状況や予備動作から推測してスムーズに抱きしめることもできるようになりそうだから頑張りたい。
そのためにもケーススタディを重ねるために最初のうちは抱きしめて欲しいときはそう言って欲しい。
と、状況改善のための解決策を示してみても「だからそうじゃない」と言われてしまう。
「申し訳ないけど、どうにもわからないんだ」と申開いてみたが、「普通わかる」と一蹴されてしまった。
でも、泣いている時に傍に寄って頭を撫でたり背中をさするといいのだというのも、
同じように何度も繰り返しながら覚えたのに、そっちはあまり怒られない。
子供のころからの経験の蓄積があったおかげで、タイミング的な不自然さをあまり感じさせなかったからだろうか。
「恋人的好き」の指標として使われることも多いと思う嫉妬についても、
嫉妬することはあるが、所有物に対する執着と何が違うのかと言われると言葉に詰まってしまう。
実際、正式に交際するまでは妻やその周囲に対して嫉妬の感情を抱いたことすらなかった。
妻の気持ちを理解する助けになるかと思って妻の持っている恋愛漫画を読んでいると、
よく登場人物が正式に恋人契約をしていない相手に一方的に嫉妬したりしているが、その気持ちや感覚はやはり自分にはよくわからない。
そんなことを思う筋合いはないだろうに、なぜ?と思ってしまう。
今のところ結婚もしているし、妻が選ぶパートナーが私であればなお嬉しい。
発達障害を疑われている私といることで、カサンドラ症候群のような状態になっているんだろうかと思っている。
もうすぐ私の発達障害に関する診断結果が出る。
結果を受け入れられるだろうか。状況は改善させられるだろうか。
妻は「あなたを好きでいることに疲れたからだいぶ前にやめちゃったのよ」と言っていた。
なので、今は最終的に「やっぱり私にはあなたの妻は無理だ。」と言われても、それは残念だけど仕方がないことだと覚悟している。
今更ではあるが、向いているか向いていないかで言うと、自分は恋愛や結婚にあまり向いていなかったのだろうとも思う。
今となっては、学童期に発達障害の可能性を指摘されてそのことに薄々気付きながらも、しっかり普通を装えていると信じていた自分の愚かさが腹立たしい。
そして彼女の市場価値が最も高い10代後半から20代後半までの10年近くを奪ってしまったことが申し訳ない。
こんなに影を落とすなら、せめてもっと早くに診断を受けておいて、
もっと早くからお互いの感覚の差と原因を明確にして、精神的負荷を軽減するための方法を第三者を介して模索するべきだったと強く思う。
まだ間に合うのか、もう遅いのかはまだわからない。
http://keisaisaita.hatenablog.jp/entry/2015/06/03/180556 がおもしろかった。
世の中はコモデティですな。
理系なんか数字とか論文要旨でわかる人にだけ正確につたわりゃいいんだけど。
伝説(判例でもケーススタディでも)の蓄積+身なりだの生活習慣だので「信頼」を得て仕事してるんだろうな。
面倒なボランティア仕事はやりたがらないからこうなったんだろうな。
横車を押せないことに「納得」したければ金払えってもヨコグルマーが金はらうわけないもんな。
条件に該当するサイト、リストアップいただきありがとうございます!
https://jjyap.wordpress.com/2014/05/24/installing-opencv-2-4-9-on-mac-osx-with-python-support/
OpenCVの導入解説として、初めてこの操作をする人に向けて丁寧に説明されているのは素晴らしい。初めて取り組む人に向けては、ここまで噛み砕くと不安感を払拭できてよさそう。ただし、慣れている、またはOpenCVを実際に使って云々と解説する場合は、コマンドの例は飛ばす方がすっきりしそう。
http://kometchtech.blog.fc2.com/blog-entry-1173.html
わからないことはわからないと書くのは、賛成。Qiitaのような知見をさくっとまとめるサイトなら、これくらいがいいかも。
問題が起きたときに、わからないと一旦置かれていた部分を追いかける必要があるフラグも立ちやすい。
苦しんで覚えるC言語
http://9cguide.appspot.com/ にもアップされているものと同じ?もしそうだとしたら、解説→ドリル→解説…と、学習参考書に近いものを求められているのかと理解している。
自分自身が持つ技術水準や、求められる情報(導入, 応用, ケーススタディのサイズ)によって、読んでもらったときに理解してもらいやすいものは違うことを、別の観点から知ることができてGoodでした。
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さて、自分自身が先に示された6つの条件を満たしていると考えているブログはこんな所。
上記2つはいずれも読者に「ある程度」の知識があることを要求している。その上で、運用している上で遭遇する問題…それもドキュメントにない情報…を、後で同じ問題に遭遇した人が問題解決を再現できる水準で記録されていることに感服する。
ただ最近はまず公式とマニュアルを見に行って、よくわからなければググって傍系のStackOverflow(一番これが多いです)・英語圏のブログ・解説サイトに行く、エラーが出たら--debugしてみてよくわからなかったらエラーをググるなどの使い方をしているので、あまり日本のブログにぶち当たることは無いです。
これは同感。公式マニュアルを見たら解決する問題が多いし、公式マニュアルで嘘をつかれる可能性は比較的低い。
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技術ブログを書いている人間として、嬉しいなと思うのはこんな順番。
で、何より嬉しいのは、なんてことはない話だが…
である。
ある種の人々は言いようのない劣等感を感じている。というか、青春期、人々の多くは言いようのない劣等感を感じているように思う。それは書物で見る限り昔からのようだ。
「その劣等感はどこから来たのか?」とか「どんな理由で感じるのか?」という問いにはあまり意味はない。おそらくそれは青年が何者でもなくて何が出来るかもわからない不安感から生じているのだとは思うけれど、そんなことが分かったところで劣等感はなくならないからだ。正解でも不正解でも、あんまり意味がない。
十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20141202220427
上の増田は嘆いているけれどその苦しさってそこまでユニークじゃない。「大人」の多くはその苦しみを経過して(乗り越えてとは言わない)大人になっているよ。
大人だってむかしは若者だったし若者だった以上にチンピラだった。Webの情報支援がなかった昔の若者はいまの若者以上に何も出来なくてずっとずっとボンクラだった。大人の多くは自己努力で青春だの成長だのしてきたつもりでいるから、上から目線で説教したりするかもしれかもしれないけれど、それって高度成長期があったせいであって別段昔の若者が優れてたわけじゃない。
断言する、昔の若者はボンクラだった。公平のために弁護すると、それは昔の若者の能力が低かったというよりも、さまざまな課題解決のためのフレームやマニュアルが共有化されていなかったせいだ。だからその時代、口コミや師弟関係や親族関係が重要だったしコミュ障は今よりずっとスポイルされてた。また、だからこそ「無鉄砲な行動力」が重要視されていた。体当たりでノウハウを積み重ねるというのが今よりずっと意味があったからだ。(なぜならそうして取得したノウハウは簡単には共有されないので差別化の原資になったからだ)。
今の若者はWebによる情報支援があり、さまざまな課題に関して極上のマニュアルを入手することが出来る。遭遇しうるありとあらゆる問題に対して、それを解決した先人がいて、おおよそどうすればいいのかわからないということがない。進学、就職、研究、技術的な学習、恋愛、人間関係、法律問題。様々なマニュアルや手記がWebにはある。少なくとも手がかりは存在する。
そのメリットがある半面、隣を走ってる同年代の姿もよく見えるようになって、それが劣等感レンズとして視界をゆがめている部分があるにせよ、それでもこの情報支援は大きい。今の若者は昔の若者の無意味に強気なボンクラさに比べて、様々なことを実にスマートにこなす。紳士だし慌てないし礼儀正しいし、誤解を恐れずに言えば「有能」だ。
それはおそらく、いわれのない劣等感にさいなまれている増田でさえ有能なんだ。
オタクがサブカルを敵視したのか、サブカルがオタクを差別したのか、はてなブックマークのコメント欄も白熱しており、ヤンキーも巻き込んで混然としています。
http://hatenanews.com/articles/201412/23089
だから、この記事に見られるようなオタクとサブカル、あるいはそれに加えてヤンキー同士の抗争というのも実は本質的ではない。本質は劣等感だ。
いわれのない劣等感がまず先だって存在し、その劣等感は消去できない。麻痺させるしかない。劣等感を麻痺させるいわば痛み止めとして、この種の抗争が存在する。ほとんどすべての人間は、無名の置換可能な消費単位でしかない。若者であればそれはなおさらだ。そんなことは当たり前なのだから、そこで劣等感を感じるべきではない。しかし青春期の自意識にとってはそうではないので、劣等感を感じるし、その劣等感を痛み止めするために、近しい場所にいる別の消費者を罵倒してるだけだ。
歳をとるとその過程で様々なケーススタディを経験するし、見聞する。若いころ、世界には才能ある人(100点)とクズ(0点)しかいないように思う。
もちろん年を取ったこの世界にも100点の人と0点の人はいる。でもそれ以外の点数の人々もいるってわかってくる。わかってくるっていうのは、例えば42点の人がいるということじゃない。そんなことは(理論的には)若者の時だってわかっていた。
わかるのは「42点の人と41点の人の間にある差」だ。そのわずか1点の差が、彼我の間の明暗を分けるというような例をたくさん目にすることになる。「1点の差の大きさ」が実感としてわかるようになる。そもそもある年代を100点で分割すれば、任意の社会人が自分の職場で見ることのできる人間の幅なんて5点差くらいしかないんだ。「俺の今いる会社にいるのは38点~43点」とかそんな感じ。しかしたかがその5点の間の距離が、越えがたく遠いということもわかる。新入社員39点が40点に成長するのはすごく大変だ。
そしてこの点数はジャンルや技能ごとに分かれていてその種類も百種類じゃ利かないってこともわかってくる。つまりどういうことかというと、人間ってのは恐ろしく膨大なパラメータで構成されていて、若いころ思ってたよりもその距離感は遠く、埋めがたく、複雑だってことだ。マクロに見てみれば確かに消費単位としての人間なんて似たようなものだけど、ミクロに見てみればAさんにできてBさんにはできない、って問題にあふれすぎている。卑近なことでいってみれば「議事録を手際よくまとめてコピーして事前に配布しておく」程度のことでさえ、人間と人間の間には差があって埋めがたい――それが中年になるとわかる。
その種の格差ってのはもちろん絶望でもあるんだけど、一方で解脱というか、いいことでもある。
少なくとも「世界は才能ある人(100点)とクズ(0点)でできている」みたいに乱暴で便利で安易な絶望には向かわないですむようになる。
世界を二種類で塗り分けるってのはずいぶん簡単で、その若い絶望は手抜きだったんだな、ってわかるようになるんだ。
若者はまだケーススタディが足りてないから「俺は0点だ!世界はクソだ!」とか叫ぶけれど、ちゃんと観察を続ければ(たとえば)自分は28点だってのがわかってくる。もちろん自分が28点しかないってのは、そりゃたしかにがっかりするけれど、27点の人との間にある圧倒的なアドバンテージも同時にわかってくる。それが解れば、28点全部を放り出して「俺は0点だ!」なんて思いもしなくなる。
それに遠いとはいえ29点の方向もわかるようになる。29点になる為の1点を100分割して28・01点のためになら多少歩くことだってできる。これはなにも努力至上主義みたいな話ではなくて、どちらかというと、真っ暗で見たことも聞いたこともない砂漠に放り出された時、地図を持ってるのと持ってないのとでは大違いだ、という話に近い。努力をしなきゃならん、すべきだ、という話ではなくて、自分に何が出来て何ができないか(=自分の点数もわからない)で生きていくのは、生死にかかわるほど不便だってのももちろんだけど、ただわからないというそれだけで死ぬほど不安で不幸なことだって話だ。
そんなわけで、ここでいう若さ特有の劣等感は嵐みたいなもので中年になれば消える。すくなくともどっかの職場で働いて自分の姿が見えてくれば薄れていく。1点の差を乗り越えるためにグダグダ数年を過ごせば、懐かしくなる程度には過去になる。そこだけは、おっさんとして、安心してもいいんだよ、と言いたい。
○針生雄吉君 ぜひともそれは強調していただきたいわけであります。エイズに対してはコンドームです。それから、避妊の効果についてはビルないしは低用量ビル、そういうふうにはっきり教えてあげなければわからないわけです。コーラで洗浄すれば妊娠しないなどという、それぐらいの程度の知識しか持っていないというのがティーンエージャーの一般的な誤った不正確な情報であるとも言われているわけでございますので、そういうことに関しましてはエイズの予防教育と同じぐらいの重要性を持って文部省は対処すべきであろうと思います。
最後に、質問ではなくて私の主張の一つとして申し述べたいことがあるわけであります。それは性教育への東洋医学思想の応用ということであります。
御存じのように、青春の悩みのテレホン相談なんかでも常に二〇から三〇%でトップを占めております中学生、高校生の性に関する悩みのベストワンは、男子の場合は射精に関するものであります。性教育は射精教育なりとまで言われておるわけであります。特に、これは特別な例でありますけれども、教育ママが我が子のそういった射精、自慰というような、そういう我が子の悩みを見かねて母子相姦にまで至ったなどというおぞましい事態も発生しておるわけであります。
マスターべーション、オナニー、自慰について文部省のこの手引の中にも、「仲間から教えられたり、マスコミ等で知ったり、自ら発見するなどして、多くの男子が自慰(マスターべーション、オナニー)を経験するようになり、それに対する不安や悩みを克服しなければならない。最近は女子もかなりの者が自慰を経験するようになっているといわれる。」と、その重要性は指摘しておりますけれども、この手引書の「性に関する指導事例とその考察」の中では、ケーススタディーの中ではマイナス面への配慮を求めつつも、「男子の自慰(マスターべーション、オナニー)は一般的な性行動で、多少の不安や葛藤を持ちながらもほとんどの男子は、自分なりの判断や意志力でコントロールし克服していく。」であるとか、あるいは総理府のアンケート調査の答えでは、自慰については当然だと思う、やむを得ない行為と答えている者が男子高校生の七〇・九%を占め、罪悪感を持っている者、よくない行為だと思う者は一・一%にすぎないという、そういう総理府のアンケート結果を引用しているなど、射精あるいは自慰というものがその個人にとって将来悪い影響を与える可能性が強いという立場はとっていないんです。むしろ、「自慰は無害だという表層的な指導に終わらず」云々という表現などに見られるように、自慰は無害であるというそういう考え方の傾向がにじみ出ているように感ずるのであります。
それに対する、自慰というものが有害である、無害である、有害論、無害論というものはいろいろな場面で言われておりますけれども、一つの東洋医学的な思想の考え方としては、必ずしもこれは東洋医学の代表的なものではございませんけれども、有名だという点で、皆さんがよく御存じだという点で引用したいと思うのであります。
江戸時代の儒医学者であります貝原益軒のあちわした「養生訓」というものの中に、東洋医学の一つの考え方としてこんなものがございます。私の主張を申し上げる上で参考までに申し上げたいと思うのであります。
腎は五臓の本、碑は滋養の源也。ここを以て、
し。保ち養って堅固にすべし、本固ければ身安
し。という、一回お聞きになっただけではわからないと思います。
年若き時より、男女の欲ふかくして、精気を
多くへらしたる人は、土付きさかんなれ共、下
て、必短命なり。つつしむべし。と、こうあります。
二十歳以前をいはざるは、意あるべし。二十
歳以前、血気生発して、いまだ堅固ならず。此
持しばしばもらせば、発生の気を損じて、一生
いずれにしても、この東洋医学的な考え方からいうと、非常にあり余って困る人は時々ガス抜きをするのは結構であるけれども、要するに生命の根本としてのそういった腎、東洋医学では泌尿生殖器の働きを腎という言葉で表現するわけでありますけれども、それを大切にしていけば長生きもできるし、健康にもなるし、寝たきりにもならないんだと、こういう教えがあるわけなんです。そういった物の見方に対しても目を向けていくということが非常に大切だと思います。
最後に、大臣、もしよろしければそういった東洋医学的な考え方に対する大臣としての個人的な御所見をお聞きして終わりたいと思います。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 先生から御質問の通告がありまして、先生からいただいたものでありましょうか、貝原益軒の「養生訓」の一部を先ほど読んでおりましたが、正直言ってまだ理解できない部分もあります。東洋医学という考え方は私も非常に興味がありますし、東洋医学の先生に何度もお会いをしたこともあります。西洋医学と全く物の見方が違いますから、東洋医学の場合は科学的というよりも、何か生命とか、あるいは人間のあるべき姿のようなものと健康というものを結びつけて理解しようとする傾向があるように私は理解をしておるわけでございます。
ただいまの貝原益軒の「養生訓」につきましても、単に科学的に物を言ったというよりも、人生かくあるべしという貝原益軒の人生観、あるいは人生訓のようなものと彼流の性についての考え方が結びついたものと思いますので、大変興味を持って読ませていただいたところでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1170/12303101170002c.html
朝日新聞社が慰安婦報道で撤回して謝罪しなくて自社に批判的な広告や記事の掲載を拒否してとかで散々なことになっているようなのだが、この件の内容については妙なこと書くと右からも左からも袋叩きにされるので止めておくとして、少なくとも明らかなのは、撤回宣言後の朝日新聞社の対応がどうやら最悪で、社そのものにとってことごとく評判を落としており、権威が地に落ちてしまっていてよろしくないということだと思う。これまでもマスコミの権威は、インターネットが普及して以来落ち続けているとは思うが、曲がりなりにも日本のクオリティペーパーの一つとして、今回の件は致命的な問題のように思われる。よほど朝日新聞的思想こそ真理と凝り固まっていない限りは、知的な人間を自認するものならば、今回の対応が重大な問題だと認識するだろう。全体として、意思決定機関の取っている行動が悪すぎる。朝日はまるで、自分で自分を殴りつけるようなことをしているようだ。ただ、そうだとして正しい対応はなんなのだろう。ひたすら平謝りすべきか。様々な批判や批難をすべて掲載した上で、なお開き直ればよかったのだろうか。僕だったら後者かなと思うが、実際それをやったらうまくいくものだろうか。まあよくわからない。
同じ構図は理化学研究所がそうであるように思う。理化学研究所が当初は小保方擁護のために動き出したのは確かだろうが、少なくとも3月の時点で、ほぼ不正と捏造であろうということで事態の収集に動いていたように見えたし、あのころの理研の見解によれば少なくとも今より数カ月前には懲戒処分が終わっているはずだった。だけど結局事態はまったく収集せずに、なにかを隠蔽しようとしている理研、笹井さんを自殺に追い込んだ理研というふうにことごとく評判を落とし、権威が地に落ちてしまっていてよろしくない。野依さんの立場に別の人間がいて、その人間がうまく事態を収集できたのならば、それは現在の野依さんを批判する理由になるのだろう。ではどうすればよかったかというと、最初の記者会見の時怒りのあまりムスッとしていた野依さんが、その科学者としての直観のままに、科学の名のもとに「笹井さんも含め」厳しい処断をまずしておけば、と僕だったら思うが、実際それをやったらうまくいくものだろうか。わからない。
というわけで、危機的状況に置かれた時、僕にはどのやり方が正しいのか分からないが、世の中のどこかには分かる人がいるんだろう。昔から言われていることだけど、やはり日本的組織にはもっともっとリーダー、マネージャーとしての手腕のある人が必要なんだろうなぁ。カルロス・ゴーンみたいなの。
うわさに聞くところによれば、ハーバードビジネススクールとかはいろいろなケーススタディを繰り返すのだとか。前述のように、手段はいろいろ思い浮かぶけれどもどれならうまくいくかはわからない、という状況に対し、ケーススタディは非常に有効な指標となりそうだ。少しかっこつけて言えば、歴史に学ぶということなんだろう。その中に、上記のように、組織に危機的な状況をもたらすような事件が起こったような対処の仕方、というようなのがあるのかも。
少なくとも私が知るかぎり、大学・研究所にそんなトレーニングを受けた人はいない。官僚だと、MBA留学してる人がいるはずなので、そういう人材がいるのかも。ただまぁ、あまりいいたくないけど、文科・厚労の官僚のレベルと、財務・経産・外務の官僚のレベルには明らかに差がある。やはり私の昔の友人とかで優秀な人間はほぼすべて後者にいるからなぁ。とすると、大学・研究所を指導したり、そこに天下りしてきたりする文科・厚労の官僚がそういうふうな優秀な素養を持ってるってことはあまり期待できないのかもなぁ。朝日新聞はどうなのかな?東大法で固まってそうなイメージあるけど・・・
まあ、MBAなんていうことはまったくわからずに書いているので、実際にMBA取った人がいたとしたら教えて下さいな。大いに自説をぶっていただき、いかにMBAが素晴らしいか(もしくは私が言うほど大したもんではないか)を教えて欲しい。もし前者だとするなら、次の日本の組織の危機的状況にあたってはMBA取得者が対応していただけるように、出世に邁進していただきたいものである。今回の朝日や理研の件を例にあげて、自分ならいかにうまくやれるかをプレゼンしていただきたい。研究機関でもよろしくおねがいしますよ。
今回明治大サークルの歌舞伎町での一件がびっくりするほどメディアにスルーされてるのを見て思ったのだが
確かに飲み会であの手の事件取り上げることかよと言われればそれまでだが
この手の事件のある意味ケーススタディと言えるスーパーフリー事件の主犯が
明治よりも学歴的には良いし学閥が強いとされている大学の生徒だったにも関わらず
あれだけ騒がれたのに引き換え今回のスルーっぷりはホントに不思議だと思う
正直学歴的にはそこまでではないにもかかわらず早慶以上に顔が利くのだからすごい学校なんだなと思った
あと個人的な体験から思うに
確かに自分の周り見ても明治出身者は卒業後何年経っても愛校心の強い人が多い気がする
スーフリで問題になった早慶出身の人たちよりも愛校心が強い人が多い
やはりそういった事もあるのかなと思った。
まず、前提として。この日記を書こうと思った理由は2つある。
ひとつは単純に自分の気持ちを吐きだしたかったから。2つ目は、「なぜ死にたいという思考までたどり着いたのか」を書くことで、自殺についてのケーススタディの役立つかもしれない、という思いがあったからだ。まぁこんな匿名の日記を誰が読むか、とか、好き好んでスタディするのか、みたいな思いは勿論あるが。
あと、書き手について。自分は大学4年生だ。大学は私立で、専門性も学費もかなり高い。入学時から東京の外れで一人暮らしをしながら通っている。就職活動中で、無い内定。
「死にたい」という気持ちは、複合的な理由から生まれるようだ。
【就職活動が上手くいかないこと】
正直なところ、自分の就職先は才能がものをいう世界のため、実力が無いと就職をするのが厳しい。勿論専門とは関係のないところに行っても良いのだが、どうにも夢を諦められない。しかし、才能が無い。ひとつの手段として、一般的な職に就き、専門のことは趣味に抑えることも考えた。しかし、そもそも職に就けないのだからどうしようもない。
自分は、大学生である今が一番幸せだと思っている。したいことができて、時間をゆっくりと使うことができる。しかし就職すると、自分の時間はぐっと減ってしまうだろう。さらにもし、仕事にきちんとした意味を見いだせなかったとしたら。それは長い苦しみの末死ぬのと同じではないのだろうか。だったら今、楽しいと思える段階で死ぬ方がよほど合理的ではないだろうか。
【やる気がでないこと】
自分は努力厨だ。努力すれば大体の物事は叶うし、努力出来ないのは自分がたるんでいるからだと考えていた。しかし今、その気持ちが首を絞めている。やる気が出ないから自分を責める、しかしやる気が出るまでやってみるも、うまくいかない。そしてまたやる気が無いからと自分を責める。責めてばかりなのでやる気も潰える。結果は出ない。そもそも褒められるようなことをしていないので、自己嫌悪のスパイラルに陥るのだ。
【その他諸々】
たとえば、臼蓋形成不全という病を患っていること。大掛かりな手術をしない場合、早くて10年年後、痛みで足が動かせなくなるらしい。あとは、数百万の奨学金という名の借金を背負っていること。中学のとき一度自殺を図った(方法はとても死ねるようなものではないお粗末なものだったが)ことによる人生の延長戦感。今まであまり必要とされてきたことがないこと。何をやっても感動しなくなったこと。ネット依存がひどいこと。今日は新学期の授業があったのに寝坊で出なかったこと。などなど。
自分の場合は全体を通して「理想と違う自分への嫌悪」が気持ちとして大きいが、やはりちいさなきっかけが積み重なってこうなってしまうのだろう。
○最終的な決め手
最終的な決め手は、自分でも笑ってしまうが「Twitterの退会」だった。
【依存による退会を決意】
自分のアカウントは、現実の知人とは一切繋がりを持たず、漫画やゲームの趣味でつながるものだった。アニメ化の話でリプライを飛ばしあったり、ちょっとした日々のことをツイートしたり。しかし、最近どうにも依存が過ぎた。リプライが来ないことにそわそわし、つねにタイムラインを監視しつづける日々。ひょっとしたらやる気がでないのは断続的にTwitterをやるせいでは無いのだろうかと思った自分は、思い切ってアカウントを消すことにした。アカウント連携を外し、理由は述べずに明日で退会する旨のツイートをする。これにはとても勇気がいった。(余談だが、同時に今まで積み上げてきたものをぶち壊す高揚感もあった)
【アカウント削除という擬似的な死】
Twitterを止めることは、つまり「ネット」社会的に死んだことに他ならない。「ソーシャル自殺」と言っても良いだろう。ネット世代の馬鹿な考えに思えるかもしれないが、直接的な繋がりのないソーシャルネットワークでは、消えたアカウントとは(新しくアカウントを作らない限り)永遠に会えなくなる。そしてこの擬似的な死を体験することが、死にたいという気持ちをはっきりと持つ決め手となった。漠然とした感情であった自殺を、バーチャル的にでも体験してしまい具体化することで、形を持ってしまったのだ。
自分も例に漏れず、孤独だ。孤独は嫌いじゃないし上手く付き合ってるつもりだが、「死にたい」という気持ちを加速させる力を持っている。
【何でも話せる友人がいない】
自分は昔から誰ともペアになれなかった。「AとBっていつも一緒にいるね」と思われたことは一度も無かった。そもそも、固定のグループにいることがなく、クラスのグループの3,4つを転々としていた。だからグループ全体での遊びに誘われることはほぼなかった。そういうわけで、周りに人がいるのに大して仲のいい人はおらず、ましてや「死にたい」などと言おうものなら中二病かと一笑に付されること請け合いだった。(そう思ってしまうくらい、プライドが高いということも理由のひとつだろうが…)
【親にも話せない】
バイトもしておらず、サークルも似たような有様だったので、自分は一人暮らしを始めてからずっと親にだけ相談をしてきた。しかし、「死にたい」という気持ちは親にも言えなかった。勿論生んでくれたから申し訳ない、という気持ちからでもあったが、それよりもっと大きな理由があった。まず、父はこのご時世珍しくはないが、心の病気を患っていた。母はそんな父の言動から「人生の希望」を失ってしまった。今の母は、ネットゲームを生き甲斐にしている。そんな彼らに「死にたい」とは言えまい。
というか先日、実際に「辛い」ということを電話で母に相談したのだが、「そんなこと言われても」「そうは言ってもやるしかないでしょ」「アンタは頑張ってるよ」と、返答した。
その間ずっと、受話器越しにキーボードを叩く音が聞こえていた。
そういうわけで、「死にたい」ということを話せる人間がいなかった。カウンセリングも対して役に立たなかったし、心療内科には毎週薬を渡されるだけで終わった。一番心が軽くなったのは横浜中華街の占い師だったなんて、いっそ笑えてすらくる。
ともかく、きっかけを与えられた「死にたい気持ち」は、孤独によってより膨らんでしまうということだ。
○で、自殺するの?
ここまで書いておいてなんだが、おそらくすぐに自殺することは無いだろう。勿論今も死にたいという気持ちはかわらない。未来に希望も持てないし、内定も無いし、やる気もでないし、自己嫌悪もひどい。しかし吐露したことによって気持ちの整理がついたし、少しすっきりもした。それについさっき思い出した、母に言われた一言が、自分の自殺をかろうじて止めてくれている。
「旦那が心の病気になったのは、自分の責任でもある。もしアンタもそういう病気になったら、私はもっと自己嫌悪が酷くなる」
だから自分は心の病気にもなれないし、自殺もできない。もう死ぬしか助かる道はないと分かっているけれど、両親の死や自我崩壊など、更に大きな決め手ができるまで、自分は「死にたい」という気持ちを心に持ちながら、生きていくしか無いようだ。
いや、だからね、あなたが釣り認定する人間は不快だ!って言うのは勝手な感想だからどうでもいいんだけど、
こんな匿名の場で、いきなりあり得なそうな話を聞かされても、そりゃ嘘だろ?って思うのは当たり前の話だ、ってことをずっと言ってるんだけど?
それに対して、あなたは、行間を読めばいい、とか、自分には理解できない話なのは伝える側が馬鹿だからと思考停止だ、とか
信じない側を馬鹿にしたいようだけど、んな馬鹿な話ありますか?ってことを言ってるわけ。
体験したことが無いからわからないんだろ?とか言うけど、だったら体験したやつらだけで話をしてればいいだろ?
それ以外は信じられないよ、体験してないんだから。
信じてもらいたいなら、そのなかから少しでも人に確証を与えるような物を出さないと。
それが「行間」だとかだろ?
何も無いのに思考開始出来るわけ無いだろ?
「昨日宇宙人を見ました」
っていきなり言われて、それをどう信じるの?どこからどう考え始めるの?
それに加えて、具体的に、その宇宙人の様子だとか、時間だとか、色々情報があって初めてそれについて思考開始できるだろ?
加えて匿名の場で注目を集めようとする釣りはもはやそこら中にあるわけで、増田の投稿なんてほとんどがつくり話なんだから。
まずは釣だ、っていうのが基本。
そこで信じて貰いたかったらある程度信じられる内容にしなきゃいけないのは当然の話し。
もちろん、事実でも作り話でも、それをきっかけにケーススタディーをする、と言う場面はある。
が、ここは増田だ。増田では、単に、その「事実」に対してあーだこーだ言いたいだけ。
それが実際に起こってなかったらどうでもいい話、と思う人間が居るだけ。ケーススタディーとかそんな高尚なことをする場ではない。
だからこそ、「釣り」によって事実でもないことに反応してるのを見るのを面白がる人間が居るわけで。
ご理解いただけますか?議論の本筋が?
???
内容だけで釣り判定しないでよ。
内容以外のどこで判定しろと?
ちゃんと釣り針があるか見極めてよ。
ただの悪口と変わらないよ
悪口www
自分の辛い事実書いて釣り判定されて悲しかったの?可哀想にねwww
じゃあ書くなよ。アホか。
突拍子もない起こり得なそうな事実を書くならそれが釣り判定されるのは大前提として書けよ。
それがほんとに事実で、絶対に世の中に伝えなきゃいけないことなら実名でどこかに書けよ。
どうしたって匿名で、ってんなら、その事実を確証させる何かが無ければ信じてもらえないに決まってんだろ。
事実、ネットにある「実話」で匿名だったりで有名なものはほぼすべては嘘なんだから。
中には「ケーススタディ」としてあり得なそうな事実を話し合う、ということが大事な場面もあるが、
こんな所で盛り上がるのは、単純に、あり得なそうなことが、ホントに起こったんだ???ってことが理由なんだから、
その「釣り」がある程度文化として根付いて、2chみたいに最後に晒したりするならいいが、
こんな投げっぱなしの所でしかも元増田とそのトラバが見分け付かずに誰がどう反応してるのかさえ全く分からない場で
もともと、もっと違った方向のサービスだから流行ったんじゃないのか?
今や、増田は2ちゃんねるの劣化版、ならまだいいが、小町の劣化版に成り下がってる。
なんなの?
まずはじめに断っておくがこれは何も虚構新聞みたいなくだらないネタではない。
俺はあの手の誰も徳をしない、内輪ネタのマスターベーションが大嫌いな人間だという事をご理解願う。
そしてあなたが今日、ここを見ているという事は少なからず大日本帝国が掲げた戦略から見ても無視は出来ないはずだ。
大日本帝国は同じ島国の大英帝国が全世界の三分の一を植民地化したケーススタディをお手本に海南の支配という戦略を企てた。
しかし、その戦略はシーレーンに対する見識の甘さ、ロジスティクスをおろそかにした見識の甘さによって失敗した。
海戦当時、兵器ではドイツのジェット機、Uボート、日本の大鑑、零戦、空母などどれをとっても、兵器の近代化という点では枢軸国が有利だった。
ロンメル、三川 軍一など優れた作戦を遂行する指揮官も枢軸国には存在した。
マッカーサー、パットンなど連合国側の指揮官は決して優秀ではなかった。
これ以上、大東亜戦争の話しをすると長くなるし軍オタから色々と細かい意見を述べられるので割愛させて戴く。
今日、俺がいいたい事はたった1つ!
どこの誰がいったのかよく分からんが小見出しの言葉は俺の祖父の事をよく表している。
祖父はきっとインパール作戦の最中、今が最悪の状態だ。と心の中で思っただろう。
弾薬は底をつき、食料はなくなり、体力の弱った兵士を伝染病が襲う。
機関銃と火炎放射器で攻めてくるイギリス軍に雨で錆びた銃剣ひとつで勇敢に向かっていく兵隊。
この頃、日本はインド、シンガポールにおける制空権を完全に失っているので容赦ない空爆もうける。
平和ボケしている今のあなたがたには想像すら出来ない地獄絵図を、生前に祖父が語っていた。
その地獄絵図の話しを祖父は何故か、私にしかしなかった。父も兄もそんな話し聞いた事が無いという。
おそらく日の丸を背負って戦った兵隊の誇りがあるから祖父は他言しなかったのだろう。
大本営から退却命令が出てインパールから帰ってきたという事実は、けっして誇れるものではなかったのだと思う。
ではなぜ、祖父は私にインパール作戦の話しをしたのか?それは私が3才の時に戦争の話しを根掘り葉掘り聞いたからだ。
「かわいそうなぞう」という絵本を読んだ3才の私は戦争に対する好奇心が止められなかったのだ。
当時の私の好奇心といったら夜9時からはじまるドラマ「毎度おさわがせします」と「戦争」この2つしかなった。
兄が寝てる横の部屋で母と一緒にテレビの音量を下げて「毎度おさわがせします」を楽しく見ていたもんだ。
祖父は祖父で俺がまだ3才だからと油断してインパール作戦の事をぺらぺら喋ったのだと思う。
インパール作戦の地獄から生きて帰ってきた祖父の命を奪ったのは餅だった。サ●ウの切り餅
祖父はきっとインパール作戦当時、今が最悪の状態だと思ったに違いない。
しかし本当に最悪の状態というのは餅を喉に詰まらせて脳に酸素が供給されなくなり意識が朦朧としてきた時だった。
毎年、この時期になると祖父の事を思い出す。
こういう人が新興宗教にハマりやすい、というサンプルケースか?w
まぁ、毎日多種多様な人と接してるとケーススタディが蓄積されて、パっと見でその人がどんなタイプかって当てやすくなるんだよね。占い師しかり、マッサージ師しかり。
「人を見る目」と言い換えてもいい。魔法でも才能でもなんでもない、例えば膨大なデータベースを持つGoogleの検索が他より優れているってのと同じ話だ。
その「目」を、人を騙したり抱き込んだりする目的で使ってるのがこれだな。その手口に、世間知らずで素直な人、性善説だけをベースに思考してる人ほどコロっといっちゃう。世知辛い話だけど。
そうやって色々と言い当てられたことは「おーよく見抜くなー、さすが接客業」と感心するだけで済ませればいいのに、加えてその相手が言うことは全て正しいみたいな錯覚に陥る人があぶない。あげく勝手に自己啓発しちゃったりその相手を無条件に信用あるいは崇拝しちゃう人が危ない。優れたGoogleで検索したサイトはぜんぶ善良で安全なサイトだと思い込むのと同じ話だ。
人を見る目があることと、その人のアドバイスが的確かどうかは全く別問題なのにね。
児童ポルノ規制が「架空の表現」にまで及ぶことは明らかに「児童の権利保護」の観点から見て無意味だし
何より表現の自由を守れなくなるので、そこはもう議論の余地がないと思ってる。
でも、じゃあ実際、性被害に遭う児童を現実的にどう守ればいいのか。
児童性愛者について社会は、法は、道徳はどう対峙、対話していけばいいのか。
そんなことを数日考えてる。
「自分はペドフィリアで、いつか現実に子供に害を加えるかもしれない不安を抱えている」
と私に言っていた。
私は「自覚症状があって、自身が悩んでいるなら、カウンセリングなりすれば良いのでは」
と言ったが、実際、現実的にそういったセラピーは無いらしく、相談する相手はおろか
打ち明ける場所や機会がそもそも無いという。
自分も「児童性愛者」に対して道徳的にも社会的にも、どうスタンスを取ればいいのかわからない。
だからアドバイスも、自分の価値基準も持てず、言葉に詰まってしまった。
ちなみに、その集まりはセクシュアルマイノリティと家族が集まれるイベントだったのだが
「ジェンダーやLGBTという枠とは(小児性愛は)違うし、児童福祉の観点から言えば治療の対象だ」と
あまり望ましい対話ができなかったらしい。
話を戻すと、アニメや同人などで現在ふつうに流通している「ロリ・ショタ」的コンテンツを消費している人らと
実在する児童のポルノを消費する(あるいは性嗜好障害としての)ペドフィリアとは、もう根本的に違うということ。
それは概ね同意が得られそうだけど、じゃあペドフィリアの人は、その性嗜好自体が社会的に憎悪されるべきものなのかと言えば
それは思想の自由から権利が守られるべきで、実際に加害者がいなければ現状、法的には問題がない。
だけど、社会規範的、道徳的に「ペドフィリアである事実」の人をどう扱えばいいのかというコンセンサスが日本にはないと思ったのね。
声高に児童ポルノをすべて禁止すべき!と叫ぶ人たちは、そういった実在する「児童の性被害」や虐待に対して、主体的に問題に取り合っているのか。
タブー視や軽視せずに、犯罪の原因や事実、ケーススタディについて議論しようと取り組もうとしてきたのか、と疑問に思うわけ。
実際、上述した彼のように、その性嗜好が社会的に許されないと認知した人は、どこへ行けばいいのか、それを用意しようとした人がいるのか。
ただ、そういう人間や「似たような因子」をタブー視して「すべて禁止!」しようとしているだけじゃないのかって思う。
そういう浅知恵じゃ、「加害者になる可能性」も「被害の予防」もできないと思う。
けれど、「ペドフィリアは危ない因子だから、こちらへどうぞ!」とは簡単にいかないような気がしている。
もちろん性衝動が抑えられない精神医学的な意味での「異常行動」の問題はしかるべき治療をすればいいけど
そうではない様々なケースに、社会はどう捉えればいいのか…とも考えていて…
まずはカウンセリングを自主的にしたい人の為のリソースがあるべきとは思うけど、「社会的な同意」としてのコンセンサスや整備が
つまり被害者がいない場合のペドフィリアを糾弾せず冷静に「異常性」だけを判断し分別できるシステムとか。
1. 恋愛の諸段階
男の目線で見た場合、女子と恋愛するに当たってはいくつかの段階が存在する。
① 出会い、② 好感ゲット(彼氏候補になる)、③ 好意ゲット(付き合いたいと思わせる)、④ 口説く、⑤ セックス。
このうち②と③については女子の側のサインを見定めていくことになる。つまり②' 「脈あり」サインと③' 「口説いて」サインを女子は発している。
以下では、上記の恋愛の諸段階ごとにポイントを解説していく。他サイトの情報も大いに引用させていただく。
2. ① 出会い
(1) 出会う手段
出会いについては、合コン、街コン、異業種交流会、SNS、職場・学校のつながりなどがある。また、ナンパらしくないナンパ、「シチュエーションナンパ」というものも存在する。
意外と知らない恋愛の秘密: ③出会って勝負!?シチュエーションナンパ!
出会いを増やすことのメリットは、意中の女子を複数作ることで一人の女子に執着しないで済むこと。
女の子とは複数つき合え!「メイド喫茶元オーナーが非モテだけに教える 脱・非モテ講座」 第1回 | 非モテタイムズ
一人の女子に執着してしまうことは、恋愛経験の乏しい男がやってしまいがちなミス。以下のリンクにそのリスクが詳しく書かれている。
なぜタイプの女性には好かれないのか?|出会いゼロの口下手でおとなしいサラリーマンが、たった2時間で10人の女友達をつくり、50日後には最愛の彼女を手に入れた究極の方法!
3. ② 好感ゲット
(1) 清潔感
清潔ではなく、清潔「感」であることに注意。つまり、あくまで女子目線であるということ。女友達がいるなら率直な意見を聞きたいところ。
清潔感なんて当たり前と思いつつも、できていない男が多い。ここで恋愛の実質競争率はかなり下がっている。
ア ヒゲ
重要なのは、a 深剃りできるシェーバー・カミソリを使うこと、b 抑毛効果のあるアフターシェーブローションを使うこと。
イ ヘアスタイル
寝ぐせ厳禁。美容院は1ヶ月~1ヶ月半に一度。ワックスの使い方については以下のリンクを参照。
なぜか雑誌にも載ってない、ワックスの使い方。ベタ付かせずに立ち上げる方法。 | スクリットのブログ
ウ スキンケア
(2) コミュニケーション
ア 相手目線
女子とまだあまり仲良くなっていない段階でやりがちなミスが、当たり障りのない話題を話したり、自分のことをベラベラ話してしまうこと。どのような会話が女子にとって心地良いかを考え、戦略的に会話を展開していくことが重要。
初対面の女性と何を話せばいいの?|出会いゼロの口下手でおとなしいサラリーマンが、たった2時間で10人の女友達をつくり、50日後には最愛の彼女を手に入れた究極の方法!
イ 褒める
的確な褒め言葉を繰り出せる男は、相手をよく観察しているし、余裕のある証拠。当然ながらモテる。
ウ 感情を込めること
女子同士の会話を観察していると、そこでは感情を共有することが主題になっている。感情を込めて話すと、女子は安心して聞けるらしい。
人にモテる上手な会話術~聞き方・話し方~ | nanapi [ナナピ]
エ 目を見て話すこと
これも当たり前ながらできていない男が多い。そして効果は絶大。
恋愛心理学のコラム〜 恋愛心理学 その1 好感度を格段にupする方法
オ 敬語
初対面や年上の女子に対してつい敬語を使ってしまいがちだが、女子はそれを心理的な距離と感じるらしい。敬語のままでは距離はなかなか縮まらない。
敬語の扱い方をマスターすれば距離感をコントロールできます|会話技術|女性との会話・コミュニケーションなら【モテる会話.com】
(3) 色気
男の色気を感じるとき その1 おんなのこのキモチ[女性・心理・恋愛]
(4) モテ期を演出する
女子は暗示に弱いため、コミュニティーの中で良いイメージを作ることでモテ期を演出することができる。
(5) 「脈あり」サイン
「脈あり」サインは様々なものがあるが、こちらのアプローチに対するリアクションというよりは、女子の側でわざわざ何らかのアクションを起こしてくることのほうが多いと感じている。恋愛が魚釣りに例えられるゆえんはこの辺りにあると考える。
4. ③ 好意ゲット
(1) 総論
恋愛で最も難しいのはこの段階であると考える。女子と出会うことに成功し、第1印象で良い感触をつかめたのに、その後のデートにつながらないという経験をお持ちの方は多いだろう。
この段階で大切なのは、「追えば逃げる、逃げれば追う」という原理である。そして、女子から好意を得るためには、必ず追われる男にならなければならないということである。したがって、恋愛では始まりから終わりまで「追われる男になること」を戦略として位置付けなければならない。
なお、「追えば逃げる、逃げれば追う」と似た言葉として「押し / 引き」があるが、前者が戦略だとすれば後者は戦術に位置付けられると考える。
(2) 「追われる男」とはどんな男か
ア 女子に対する魅力を上げる
恋愛には多大なエネルギーと時間を要するため、それと引き換えにでも付き合いたいと感じる男でなければ女子は好きにならない。「魅力」にも様々なものがあるが、ここでも女子をよく観察して、その視点に立つことが重要。
イ 「押し / 引き」と好意のバランス
「コイツ、私のこと好きなんだな」と感じた時点で相手に魅力を感じなくなるのは女子も同じ。したがって、「好き」の気持ちは常に相手のほうが大きい状態にあることが望ましい。「押し / 引き」によってこれをコントロールすることになる。
好きな女性を永遠に惚れさせるには|出会いゼロの口下手でおとなしいサラリーマンが、たった2時間で10人の女友達をつくり、50日後には最愛の彼女を手に入れた究極の方法!
(3) メール
メールについては様々な意見があるが、私は以下のブログ主と同じ立場に立つ。「会っていない時に口説かないで、会っている時に口説く」というのが基本的な考えである。
女性を虜にする危険なメール術|出会いゼロの口下手でおとなしいサラリーマンが、たった2時間で10人の女友達をつくり、50日後には最愛の彼女を手に入れた究極の方法!
(4) デートに誘う
デートに誘うときも、「追われる男」になるという目的を忘れてはならない。「コイツ、私のこと好きなんだな」と思われたら十中八九断わられる。
(5) 恋愛話
友達から彼氏に進むためには、女子に自分との恋愛を意識させる必要がある。そのときにキーとなる会話が恋愛話。
(6) スキンシップ
ここでは軽いスキンシップを想定している。肩が触れたり、腕に触ったり、手をつないだり、肩を抱いたりといった。第1回目のデートではこのようなスキンシップをゴールにするといい。個人的には握手やハイタッチが自然にできておススメではある。
結婚相談所アイコミュニケーションのメルマガ。スキンシップ(前編)。お見合い、パーティー、結婚相談、結婚情報、結婚情報サービス、結婚紹介、結婚仲介します。
「コイツ、私のこと好きなんだな」と感じた時点で女子の気持ちが離れるのと反対に、「あの人、私のこと好きなのかな?」と感じることで女子はその男を気にするようになっていく。このような心の作用は女子の妄想好きから来るものでもあり、「ミステリアス」な人が好きというよく言われる言葉とも合致している。
要するに、「追われる男」になるためにはわかりやすい男であってはいけないということである。
女性の感情を揺さぶり、あなたの虜にする方法|出会いゼロの口下手でおとなしいサラリーマンが、たった2時間で10人の女友達をつくり、50日後には最愛の彼女を手に入れた究極の方法!
5. ④ 口説く
「告白」は、付き合うか付き合わないかの決断を女子に迫ることである。これに対し「口説く」とは、この男とぜひ付き合いたいという心理状態に女子を導く行為である。
具体的には、キスをゴールに据えて、そこまでのプロセスを考えてみるとわかりやすい。
(2) 舞台設定
女子を口説くためには、それにふさわしい舞台が必要となる。バーであれば、個人的にはアットホームな雰囲気のあるダイニングバーを勧める。
また、時間帯はほぼ例外なく夜になる。夜景のきれいな場所は予め調べておくといい。
(3) キス
ここまで準備したのにキスで幻滅されては元も子もない。以下のリンクでは無難ながら上手なキスの仕方を解説している。
6. ⑤ セックス
ほとんどの女子に受け容れられるセックスの流れは以下のサイトで解説されている。
官能小説やエッチ漫画ならLCスタイル[女性のための無料官能サイト]
7. 終わりに
個人的な覚え書きではあるが、もしこれが誰かの目に触れ、その誰かの恋愛が上手くいくきっかけとなればこれほど嬉しいことはない。
第1章 プログラミング概念入門 1.1 計算器 1.2 変数 1.3 関数 1.4 リスト 1.5 リストについての関数 1.6 プログラムの正しさ 1.7 計算量 1.8 遅延計算 1.9 高階プログラミング 1.10 並列性 1.11 データフロー 1.12 明示的状態 1.13 オブジェクト 1.14 クラス 1.15 非決定性と時間 1.16 原子性 1.17 ここからどこへ行くのか? 1.18 練習問題 第1部 一般的計算モデル 第2章 宣言的計算モデル 2.1 実用的プログラミング言語の定義 2.1.1 言語の構文 2.1.2 言語の意味 2.2 単一代入格納域 2.2.1 宣言的変数 2.2.2 値格納域 2.2.3 値生成 2.2.4 変数識別子 2.2.5 識別子を使う値生成 2.2.6 部分値 2.2.7 変数の,変数への束縛 2.2.8 データフロー変数 2.3 核言語 2.3.1 構文 2.3.2 値と型 2.3.3 基本型 2.3.4 レコードと手続き 2.3.5 基本操作 2.4 核言語の意味 2.4.1 基本概念 2.4.2 抽象マシン 2.4.3 待機不能な文 2.4.4 待機可能な文 2.4.5 基本概念再訪 2.5 メモリ管理 2.5.1 末尾呼び出し最適化 2.5.2 メモリライフサイクル 2.5.3 ガーベッジコレクション 2.5.4 ガーベッジコレクションは魔術ではない 2.5.5 Mozartのガーベッジコレクタ 2.6 核言語から実用的言語へ 2.6.1 構文上の便宜 2.6.2 関数(fun文) 2.6.3 対話的インターフェース(declare文) 2.7 例外 2.7.1 動機と基本概念 2.7.2 例外を持つ宣言的モデル 2.7.3 親言語の構文 2.7.4 システム例外 2.8 進んだ話題 2.8.1 関数型プログラミング言語 2.8.2 単一化と内含(entailment) 2.8.3 動的型付けと静的型付け 2.9 練習問題 第3章 宣言的プログラミング技法 3.1 宣言的とはどういうことか? 3.1.1 宣言的プログラムの分類 3.1.2 仕様記述言語 3.1.3 宣言的モデルにおいてコンポーネントを実装すること 3.2 反復計算 3.2.1 一般的図式 3.2.2 数についての反復 3.2.3 局所的手続きを使うこと 3.2.4 一般的図式から制御抽象へ 3.3 再帰計算 3.3.1 スタックの大きさの増加 3.3.2 代入ベースの抽象マシン 3.3.3 再帰計算を反復計算に変換すること 3.4 再帰を用いるプログラミング 3.4.1 型の記法 3.4.2 リストについてのプログラミング 3.4.3 アキュムレータ 3.4.4 差分リスト 3.4.5 キュー 3.4.6 木 3.4.7 木を描画すること 3.4.8 構文解析 3.5 時間効率と空間効率 3.5.1 実行時間 3.5.2 メモリ使用量 3.5.3 償却的計算量 3.5.4 性能についての考察 3.6 高階プログラミング 3.6.1 基本操作 3.6.2 ループ抽象 3.6.3 ループの言語的支援 3.6.4 データ駆動技法 3.6.5 明示的遅延計算 3.6.6 カリー化 3.7 抽象データ型 3.7.1 宣言的スタック 3.7.2 宣言的辞書 3.7.3 単語出現頻度アプリケーション 3.7.4 安全な抽象データ型 3.7.5 安全な型を備えた宣言的モデル 3.7.6 安全な宣言的辞書 3.7.7 資格とセキュリティ 3.8 宣言的でない必要物 3.8.1 ファイルを伴うテキスト入出力 3.8.2 グラフィカルユーザインタフェースを伴うテキスト入出力 3.8.3 ファイルとの状態なしデータI/O 3.9 小規模プログラム設計 3.9.1 設計方法 3.9.2 プログラム設計の例 3.9.3 ソフトウェアコンポーネント 3.9.4 スタンドアロンプログラムの例 3.10 練習問題 第4章 宣言的並列性 4.1 データ駆動並列モデル 4.1.1 基本概念 4.1.2 スレッドの意味 4.1.3 実行列 4.1.4 宣言的並列性とは何か? 4.2 スレッドプログラミングの基本的技法 4.2.1 スレッドを生成すること 4.2.2 スレッドとブラウザ 4.2.3 スレッドを使うデータフロー計算 4.2.4 スレッドのスケジューリング 4.2.5 協調的並列性と競合的並列性 4.2.6 スレッド操作 4.3 ストリーム 4.3.1 基本的生産者/消費者 4.3.2 変換器とパイプライン 4.3.3 資源を管理し,処理能力を改善すること 4.3.4 ストリームオブジェクト 4.3.5 ディジタル論理のシミュレーション 4.4 宣言的並列モデルを直接使うこと 4.4.1 順序決定並列性 4.4.2 コルーチン 4.4.3 並列的合成 4.5 遅延実行 4.5.1 要求駆動並列モデル 4.5.2 宣言的計算モデル 4.5.3 遅延ストリーム 4.5.4 有界バッファ 4.5.5 ファイルを遅延的に読み込むこと 4.5.6 ハミング問題 4.5.7 遅延リスト操作 4.5.8 永続的キューとアルゴリズム設計 4.5.9 リスト内包表記 4.6 甘いリアルタイムプログラミング 4.6.1 基本操作 4.6.2 ティッキング(ticking) 4.7 Haskell言語 4.7.1 計算モデル 4.7.2 遅延計算 4.7.3 カリー化 4.7.4 多態型 4.7.5 型クラス 4.8 宣言的プログラムの限界と拡張 4.8.1 効率性 4.8.2 モジュラ性 4.8.3 非決定性 4.8.4 現実世界 4.8.5 正しいモデルを選ぶこと 4.8.6 拡張されたモデル 4.8.7 異なるモデルを一緒に使うこと 4.9 進んだ話題 4.9.1 例外を持つ宣言的並列モデル 4.9.2 さらに遅延実行について 4.9.3 通信チャンネルとしてのデータフロー変数 4.9.4 さらに同期について 4.9.5 データフロー変数の有用性 4.10 歴史に関する注記 4.11 練習問題 第5章 メッセージ伝達並列性 5.1 メッセージ伝達並列モデル 5.1.1 ポート 5.1.2 ポートの意味 5.2 ポートオブジェクト 5.2.1 NewPortObject抽象 5.2.2 例 5.2.3 ポートオブジェクトに関する議論 5.3 簡単なメッセージプロトコル 5.3.1 RMI(遠隔メソッド起動) 5.3.2 非同期RMI 5.3.3 コールバックのあるRMI(スレッド使用) 5.3.4 コールバックのあるRMI(継続のためのレコード使用) 5.3.5 コールバックのあるRMI(継続のための手続き使用) 5.3.6 エラー報告 5.3.7 コールバックのある非同期RMI 5.3.8 二重コールバック 5.4 並列性のためのプログラム設計 5.4.1 並列コンポーネントを使うプログラミング 5.4.2 設計方法 5.4.3 並列性パターンとしての機能的構成要素 5.5 リフト制御システム 5.5.1 状態遷移図 5.5.2 実装 5.5.3 リフト制御システムの改良 5.6 メソッド伝達モデルを直接使用すること 5.6.1 1つのスレッドを共有する複数のポートオブジェクト 5.6.2 ポートを使う並列キュー 5.6.3 終点検出を行うスレッド抽象 5.6.4 直列依存関係の除去 5.7 Erlang言語 5.7.1 計算モデル 5.7.2 Erlangプログラミング入門 5.7.3 receive操作 5.8 進んだ話題 5.8.1 非決定性並列モデル 5.9 練習問題 第6章 明示的状態 6.1 状態とは何か? 6.1.1 暗黙的(宣言的)状態 6.1.2 明示的状態 6.2 状態とシステム構築 6.2.1 システムの性質 6.2.2 コンポーネントベースプログラミング 6.2.3 オブジェクト指向プログラミング 6.3 明示的状態を持つ宣言的モデル 6.3.1 セル 6.3.2 セルの意味 6.3.3 宣言的プログラミングとの関係 6.3.4 共有と同等 6.4 データ抽象 6.4.1 データ抽象を組織する8つの方法 6.4.2 スタックの変種 6.4.3 多態性 6.4.4 引数受け渡し 6.4.5 取り消し可能資格 6.5 状態ありコレクション 6.5.1 インデックス付きコレクション 6.5.2 インデックス付きコレクションを選ぶこと 6.5.3 その他のコレクション 6.6 状態に関する推論 6.6.1 不変表明 6.6.2 例 6.6.3 表明 6.6.4 証明規則 6.6.5 正常終了 6.7 大規模プログラムの設計 6.7.1 設計方法 6.7.2 階層的システム構造 6.7.3 保守性 6.7.4 将来の発展 6.7.5 さらに深く知るために 6.8 ケーススタディ 6.8.1 遷移的閉包 6.8.2 単語出現頻度(状態あり辞書を使用する) 6.8.3 乱数を生成すること 6.8.4 口コミシミュレーション 6.9 進んだ話題 6.9.1 状態ありプログラミングの限界 6.9.2 メモリ管理と外部参照 6.10 練習問題 第7章 オブジェクト指向プログラミング 7.1 継承 7.2 完全なデータ抽象としてのクラス 7.2.1 例 7.2.2 この例の意味 7.2.3 クラスとオブジェクトを定義すること 7.2.4 クラスメンバ 7.2.5 属性を初期化すること 7.2.6 第1級メッセージ 7.2.7 第1級の属性 7.2.8 プログラミング技法 7.3 漸増的データ抽象としてのクラス 7.3.1 継承グラフ 7.3.2 メソッドアクセス制御(静的束縛と動的束縛) 7.3.3 カプセル化制御 7.3.4 転嫁と委任 7.3.5 内省 7.4 継承を使うプログラミング 7.4.1 継承の正しい使い方 7.4.2 型に従って階層を構成すること 7.4.3 汎用クラス 7.4.4 多重継承 7.4.5 多重継承に関するおおざっぱな指針 7.4.6 クラス図の目的 7.4.7 デザインパターン 7.5 他の計算モデルとの関係 7.5.1 オブジェクトベースプログラミングとコンポーネントベースプログラミング 7.5.2 高階プログラミング 7.5.3 関数分解と型分解 7.5.4 すべてをオブジェクトにすべきか? 7.6 オブジェクトシステムを実装すること 7.6.1 抽象図 7.6.2 クラスを実装すること 7.6.3 オブジェクトの実装 7.6.4 継承の実装 7.7 Java言語(直列部分) 7.7.1 計算モデル 7.7.2 Javaプログラミング入門 7.8 能動的オブジェクト 7.8.1 例 7.8.2 NewActive抽象 7.8.3 フラウィウス・ヨセフスの問題 7.8.4 その他の能動的オブジェクト抽象 7.8.5 能動的オブジェクトを使うイベントマネージャ 7.9 練習問題 第8章 状態共有並列性 8.1 状態共有並列モデル 8.2 並列性を持つプログラミング 8.2.1 さまざまな手法の概観 8.2.2 状態共有並列モデルを直接使うこと 8.2.3 原子的アクションを使うプログラミング 8.2.4 さらに読むべき本 8.3 ロック 8.3.1 状態あり並列データ抽象を構築すること 8.3.2 タプル空間(Linda) 8.3.3 ロックを実装すること 8.4 モニタ 8.4.1 定義 8.4.2 有界バッファ 8.4.3 モニタを使うプログラミング 8.4.4 モニタを実装すること 8.4.5 モニタの別の意味 8.5 トランザクション 8.5.1 並列性制御 8.5.2 簡易トランザクションマネージャ 8.5.3 セルについてのトランザクション 8.5.4 セルについてのトランザクションを実装すること 8.5.5 トランザクションについてさらに 8.6 Java言語(並列部分) 8.6.1 ロック 8.6.2 モニタ 8.7 練習問題 第9章 関係プログラミング 9.1 関係計算モデル 9.1.1 choice文とfail文 9.1.2 探索木 9.1.3 カプセル化された 9.1.4 Solve関数 9.2 別の例 9.2.1 数値例 9.2.2 パズルとnクイーン問題 9.3 論理型プログラミングとの関係 9.3.1 論理と論理型プログラミング 9.3.2 操作的意味と論理的意味 9.3.3 非決定性論理型プログラミング 9.3.4 純粋Prologとの関係 9.3.5 他のモデルにおける論理型プログラミング 9.4 自然言語構文解析 9.4.1 簡単な文法 9.4.2 この文法に従う構文解析 9.4.3 構文木を生成すること 9.4.4 限定記号を生成すること 9.4.5 パーサを走らせること 9.4.6 パーサを「逆向きに(backward)」走らせること 9.4.7 単一化文法 9.5 文法インタプリタ 9.5.1 簡単な文法 9.5.2 文法のコード化 9.5.3 文法インタプリタを走らせること 9.5.4 文法インタプリタを実装すること 9.6 データベース 9.6.1 関係を定義すること 9.6.2 関係を使って計算すること 9.6.3 関係を実装すること 9.7 Prolog言語 9.7.1 計算モデル 9.7.2 Prologプログラミング入門 9.7.3 Prologプログラムを関係プログラムに翻訳すること 9.8 練習問題 第2部 特殊化された計算モデル 第10章 グラフィカルユーザインタフェースプログラミング 10.1 宣言的/手続き的方法 10.2 宣言的/手続き的方法を使うこと 10.2.1 基本的ユーザインタフェースの要素 10.2.2 GUIを構築すること 10.2.3 宣言的座標 10.2.4 リサイズ時の宣言的振る舞い 10.2.5 ウィジェットの動的振る舞い 10.3 対話的学習ツールPrototyper 10.4 ケーススタディ 10.4.1 簡単なプログレスモニタ 10.4.2 簡単なカレンダウィジェット 10.4.3 ユーザインタフェースの動的生成 10.4.4 状況順応時計 10.5 GUIツールを実装すること 10.6 練習問題 第11章 分散プログラミング 11.1 分散システムの分類 11.2 分散モデル 11.3 宣言的データの分散 11.3.1 オープン分散と大域的ネーミング 11.3.2 宣言的データを共有すること 11.3.3 チケット配布 11.3.4 ストリーム通信 11.4 状態の分散 11.4.1 単純状態共有 11.4.2 分散字句的スコープ 11.5 ネットワークアウェアネス 11.6 共通分散プログラミングパターン 11.6.1 静的オブジェクトとモバイルオブジェクト 11.6.2 非同期的オブジェクトとデータフロー 11.6.3 サーバ 11.6.4 クローズド分散 11.7 分散プロトコル 11.7.1 言語実体 11.7.2 モバイル状態プロトコル 11.7.3 分散束縛プロトコル 11.7.4 メモリ管理 11.8 部分的失敗 11.8.1 失敗モデル 11.8.2 失敗処理の簡単な場合 11.8.3 回復可能サーバ 11.8.4 アクティブフォールトトレランス 11.9 セキュリティ 11.10 アプリケーションを構築すること 11.10.1 まずは集中,後に分散 11.10.2 部分的失敗に対処すること 11.10.3 分散コンポーネント 11.11 練習問題 第12章 制約プログラミング 12.1 伝播・探索法 12.1.1 基本的考え方 12.1.2 部分情報を使って計算すること 12.1.3 例 12.1.4 この例を実行すること 12.1.5 まとめ 12.2 プログラミング技法 12.2.1 覆面算 12.2.2 回文積再訪 12.3 制約ベース計算モデル 12.3.1 基本的制約と伝播子 12.3.2 計算空間の探索をプログラムすること 12.4 計算空間を定義し,使うこと 12.4.1 深さ優先探索エンジン 12.4.2 検索エンジンの実行例 12.4.3 計算空間の生成 12.4.4 空間の実行 12.4.5 制約の登録 12.4.6 並列的伝播 12.4.7 分配(探索準備) 12.4.8 空間の状態 12.4.9 空間のクローン 12.4.10 選択肢を先に任せること 12.4.11 空間をマージすること 12.4.12 空間失敗 12.4.13 空間に計算を注入すること 12.5 関係計算モデルを実装すること 12.5.1 choice文 12.5.2 Solve関数 12.6 練習問題 第3部 意味 第13章 言語意味 13.1 一般的計算モデル 13.1.1 格納域 13.1.2 単一代入(制約)格納域 13.1.3 抽象構文 13.1.4 構造的規則 13.1.5 直列実行と並列実行 13.1.6 抽象マシンの意味との比較 13.1.7 変数導入 13.1.8 同等性の強制(tell) 13.1.9 条件文(ask) 13.1.10 名前 13.1.11 手続き抽象 13.1.12 明示的状態 13.1.13 by-need同期 13.1.14 読み出し専用変数 13.1.15 例外処理 13.1.16 失敗値 13.1.17 変数置き換え 13.2 宣言的並列性 13.2.1 部分停止と全体停止 13.2.2 論理的同値 13.2.3 宣言的並列性の形式的定義 13.2.4 合流性 13.3 8つの計算モデル 13.4 よくある抽象の意味 13.5 歴史に関する注記 13.6 練習問題
韓流をユニクロや通販番組に例えたビジネス的な側面からの説明を目にするようになる一方で
兼ねてからあった韓国・マスコミに対する反感もネット上で盛り上がっている。
でもここでしたい話は「いつものあれ」ではないもっとこんがらがった話だ。
「愛国・反日」でも「ビジネス的に成り立つから」でもない話だ。
アイデンティティの不安から震災と三島由紀夫の舞台をきっかけに愛国心に拠り所を見つけた中で
2chでありがちな韓国陰謀論を信じ、感情が高ぶったという単純な話、「いつものあれ」だなと個人的には受け止めていた。
しかしながら、色々考えてみると、これはもっと深い問題だ。
つまり単なる嫌韓の吹き上がりでも、背後に反日組織がいるのでもない、
費用対効果とか、嫌なら見なきゃいいとかではない、もっと複雑な話を含んでる。
この話は様々な要因が組み合わさっているため、一言で言えないような話だ。
だからこそ、陰謀論にもとびつきたくもなるし、「いつものあれ」と言いたくもなるかもしれない。
だけど、それだけの話でもない。
論点をあえて挙げようとすれば
グローバリズム・自由市場経済・コンテンツと文化政策・資本主義・大手メディア・スポンサー・広告代理店利益主義批判
日本コンテンツの制作能力の低下・韓国コンテンツ(音楽・ドラマ・映画)の分野におけるそれぞれの価値
商品とナショナリティの関係(コンテンツとそれ以外の製品、あるいは韓国の国家政策)
日本の指針・自己存在のアイデンティティの不安・社会的流動化・歴史問題・ナショナリズム・ネットの議論、などなど
様々な要因が混在している、一筋縄ではいかない話だ。
だから一方が一方を批判したとしても、それぞれが抱えている論点が喰い違っているし、一生噛み合いそうにない。
それと同時に、この問題は現在の世界を捉える上で、格好のケーススタディでもあるような気がしている。
amazonで本買って、windowsのPCで、スタバに立ち寄って、マックで飯喰って、BOSEのイヤホンで洋楽聴きながら、iPhoneでtwitterを眺めてることに対して
アメリカを批判する人に出会ったことがないし、ほとんどの人はたぶんグローバリゼーションオールオッケーで
Tシャツは中国製で、ジーパンはベトナム製の生活で、それは安くてめちゃくちゃ快適で、その快適さを無くしてまで守るべき価値はあるか、みたいな話。
そうなってくると、そもそも日本という国は何の価値を目指しているのか、何の理念に基づいているのかとかいう話。
グローバル化で国内の雇用が失われるとしてそれを保護すべきか、農業は、コンテンツは、車は、それを分ける差は。
コンテンツは文化政策として、自由市場に制約をかけるべきだというのなら、それはどの程度まで、何をもって制約をするのか、誰がそれを補償するのかとか。
あるいは、言うべきは「韓流ブームは捏造なのに、なぜそれを流すのか」ではなく
「採算が取れるくらいは流行っているからといって、外国のコンテンツばかり流していいのか」であるかもしれないし
それを真剣に考えるなら、ソフトパワーとしてのアニメ含む日本文化輸出の国家戦略とのダブスタはどうすんのとかいう話。
嫌韓の思想に吸収されているある部分の人たちは、嘘を流して自分たちを搾取しようとする広告代理店や権益や情報を一人占めするマスコミに対する反感であったり
自分たちの守るべき価値が脅かされているという流動性の増す社会に対する不安を感じている。
これは反グローバリゼーション・反メディア企業といった欧米によく見られる左翼思想につながりうるようなものでもある。
しかし、反グローバリゼーションや反マスコミメディアといった思想を持つ人たちの受け皿として、日本の左翼は機能しておらず
結果として嫌韓・あるいは保守という形に収まるというねじれ現象があったりもする。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html
のっかかってるものを自覚しなきゃならない。
グローバリゼーションと聞いて、ふーんと思うだけで、のっかかっている。
メイドインチャイナとアメリカ企業が与えてくれる快適さと安さにのっかって
コンテンツがグローバリゼーションしはじめれば、それを否定する論理も肯定する論理も貧弱だ。
グローバリゼーションだけじゃなくて、快適だから依存してるあれやこれに対する論理がこれから先も通用するかどうか。
グローバリズムという点だけでも、そもそもここで論じきれる話じゃないけど、議論すべきことはもっとある。
「いつものあれ、そんだけの話」じゃない話をもっと聞きたい。
直接想いを告げることはできませんでしたが、いつも一緒に遊んでいました。
時を経て、高校生となり、一丁前に恋人ができ、すっかり忘れていたつもりでした。
ところがどっこい、ある日突然私の前に現れて、楽しかったこと、
私が楽しくなれるようなことを次々としては去っていきました。
そう、夢の中で。
あれ?なんでこの人の夢を見るのだろう?
とっくに忘れていたつもりだったのに。
その後も何度か、突然夢の中に顔をだしては
心がポワンと温かくなるようなことを次々としでかして去っていきます。
学生から社会人となり、大人の階段を徐々にのぼり始めていました。
その後私は
いろんな人と出会い、いろんな人に恋をし、
その時その時を全力で
楽しんだり苦しんだり泣いたり笑ったりしながら過ごしてきました。
そしてある日、
その代わり、今後は別の人が現れるようになりました。
その頃私は、ブログを立ち上げ始めた時期でネットという世界に興味津々。
その日は普通に会話をし、
気にせず帰ってきました。
その後、メッセンジャーを通して文字で会話をするようになり、
この時も私には、付き合い始めたばかりの彼氏もいて、
ただただ、会話するのが楽しくて
それどころかいつも怒られてばかりで
というか怒らせるようなことをしでかしている私が悪いのですが
その人が突然夢の中にでてくるようになったことは
本人には口が裂けても言えません。
言ったら「きめえよ、ふざけんな」と怒られること確定だし。
また、言ってしまうことで大事な何かが壊れてしまうような気がして
ところがそんなことに気を遣うなら、もっと別のことに気を遣えよ
と、自分で自分を責めてあげたいことをやらかしてしまったのです。
平身低頭で謝ったのですが、許してくれる気配がまったく感じられず
なのに夢の中には相変わらずちゃっかり現れてくれちゃって
目頭が熱くなるようなうれしいことをジャンジャンやらかしていくのです。
夢から目覚めると、指先までほわっと温かくなっていて
定期的に夢の中にはでてきてくれますが、
実際には二度と話すことができなくなってから2.3年の月日が流れていました。
ベッドに横になり漫画を読み始めた時にそれはやってきたのです。
ひとりぼっちだった寂しさと、6階という高所にいた為、
「私、淘汰されるかも・・・今度は私の番だったんだ」
という諦めと恐怖が入り混じった感情がドクドクと体中を駆け巡りました。
棚という棚から物が飛び出し、食器や鏡が割れる音が響き渡ります。
ニュージーランドで起きた震災の家屋倒壊をニュース映像で見ていたので
あの映像が頭の中でシンクロしていきます。このマンションは突貫工事で建てたっぽく
新築なのにあちこちに不具合がでていて、やばそうな気配を醸し出していたからです。
揺れが若干収まったあたりで、外の様子を見てみることにしました。
そして子どもの泣き声が。
2つ先の部屋に住んでいる子でした。
ドアが開いていたので様子を見に行くと、お母さんが放心状態で立っています。
小学生の女の子がワンワン泣いている2.3歳くらいの妹を抱きかかえるようにして立っています。
とりあえず避難だ!
幸いにもここは避難所である学校の近くです。その親子と一緒に避難所に向かいました。
一人じゃないっていうことで、私自身がすごく救われた気分になりました。
避難解除がなされ、深夜頃、自宅に戻ることができました。
「私まだ、生かされてる」
再びベッドにごろんと横になり、ここで私の走馬灯はまわりはじめました。
私がかかわってきたいろいろな人が頭の中をめぐりはじめました。
真っ先にあの人のことが浮かんできました。
今更連絡なんてできないしなー
なんて思いながら、幸い停電することもなかったので
なんと、あの人からのメッセージが地震直後に入っていたのです。
「だいじょうぶだったか?」
たった一言、
たったその一言だけなのに
まだオンラインっぽかったので、
なんと返事が返ってきました。
2.3年ぶりの会話です。
お互いに地震直後の状況を軽く報告しつつ
最後に
「生き残れたら、また一緒に遊ぼうね」
「絶対やだ」
と帰ってきました。
うんそう、いつも通り。昔と変わらない反応です。
夢の中でいつも助けてもらっていること、
すごくごめんなさいってずっと思っていたこと
言いたいことはたくさんあったけど、
あえて言う必要はありません。
あの人にとっては、ほんの軽い気持ちで声をかけてくれたのでしょう。
全てを伝えてしまうにはあまりにも重過ぎて、
というか
ほどけかけていた紐が、またかろうじて繋がったのに
でもだけど
心って結構通じるんじゃね?
って思えたことは事実だし、
「災い転じて福となす」って結構本当のことなのかもしれません。
知らず知らずのうちに、誰かを救っているかもしれない。
人は誰もがどこかで誰かの救世主になっているのかもしれません。
今日もどこかでまた別の人を救っていることでしょう。
やはり潜在的に想いがあるのかもしれない。
ということで、このお話は一生自分の中にしまっておくつもりでしたが、
今回の大震災で心を病み
あれこれ考えすぎて思い悩んでしまっている人に送りたいと思います。
人と人は繋がっていて
自分の意思とは裏腹に、人を救ったり、時に人を傷つけている。
ということを。
で、結局、私はその救世主にいつかその話をするのかって?
これ以上嫌われると本当に口も聞いてくれなくなりそうなので
事実だけをまとめるつもりで書いた記事だったが、私見を加えてフォローしておく。
未だ@mmmmaetelのtweetがRTされ続けているが、チェーンメールであることの認識がある程度は得られてきたように思う。
犬を飼おうと思ってる方居ませんか?最低な事に実は知り合いのペットショップが倒産してしまい、貰って頂ける方を探しています。と連絡が来ました(/ _ ; )犬種年齢は様々です。RT、口コミして頂けると幸いです(/ _ ; )もし、飼って頂ける方DM頂きたいです!80頭ほど居ます…
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26065008272
最初は「知り合いのペットショップ」と情報源を直接知っているようにつぶやいている。また「80頭」という数字が一連のチェーンメールと一致している。
@yuamasoso 確かにそうですよね…私も仲介人に色々とアドバイスしてるんですが…早く飼い主が見つかる事を祈りますm(._.)m
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26078152400
しかし「仲介人」が登場する。
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26078278232
直接知っているはずだが「東京都浅草の方みたい」と伝聞調になっている。
@nujima 返信ありがとうございます!!いま確認しています☆私は第三者の立ち位置で、どうしてもロスが出てしまい返信が遅くなる場合がありますが、ご了承下さいm(._.)mそれと既に30頭ほど決まっています☆ご希望に添えない場合はごめんなさい!!(>_<)
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26082409352
「第三者の立ち位置」であることを明言。
数人で動いてるので、嬉しい事に私が把握してるのは30頭決まりです❣なので大まかになってしまいますが後15〜20頭くらい新しい飼い主さん探していますRT @chi_bit_ これは大変。東京都で明日面接らしい…。既に30頭ほど決まっているけど残り50頭?気になる方はツイート元へ。
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26085378927
さらに「数人で動いている」ことも明言。
こんにちは(^^)ワンちゃんの件色んな方がRTして頂きたいありがとうございます!!昨日ツイートしてかなりの反響が来まして、RTして頂いたのに申し訳ございませんが一度ここで締め切らせて頂きますm(._.)m本当にありがとうございます!!
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26137268694
twitterにて締め切りを周知しているが、伝わる術がない。RTした者全員が@mmmmaetelの発言を追っているわけではなく、また追っていても他のtweetに埋もれて見つからない可能性が高い。
@tousanpet トイプーなんですが目に障害があったにも関わらず、一生大切にすると誓って頂けたのと信用が持てた方なのでお譲りする事に決まりました!!沢山の方に応援の言葉など頂いて感無量ですがご希望にそえなかった事が心残りです http://twitpic.com/2u1s9x
http://twitter.com/mmmmaetel/status/26198280523
ペットショップなのに「目に障害があ」るトイプードル。また1頭についてしか具体的な報告はない。
以降、今に至るまでRTが拡散するが、@mmmmaetelによるフォローはない。既に締め切りをつぶやいているから必要はない、と考えているのかもしれない。確かに@mmmmaetelによってトイプードル1頭の里親は見つかったかもしれない。が、そのためにとった方法はスジが悪過ぎた。
チェーンメールは流れたが最後、事の経過が追われることはほぼ無い。逆に事の経過を追いたくても、元が正しい情報ではないために不可能である。
今回のtwitterによる拡散では、公式RTを使っていれば拡散自体は防ぐことが可能。しかし、そのtweetを読んだ人の記憶には情報が残るし、訂正情報が新たに確認される可能性も低い。@Muviq915はRTした者全員に訂正連絡をしていたが、それでも情報は拡散し続けた。@TAIKI0628は訂正もせずに全発言を消した。
「ペットショップが倒産して80匹の犬を引き取ってもらいたい事態」が実際に起こったならば、当事者は正しく信頼のおける情報源を用意し、一元化した対応をとることが必要だろう。このテの問題にとって、RTはふさわしくない道具である。
※まあこれでもデマは発生するだろうけど…
あなたは自分が頑張らなければ!と意気込んでしまったのだろう。特に情報源の人がwebの扱いやtwitterに疎いといった場合はなおさらだろう。しかしそれは自分の力を過信しすぎである。第三者の善意による曲解や悪意の方がよほど力は強いのである。すぐに情報は歪んでしまう。
また、善意でやったことなんだからいいじゃない?とか、実際は80匹の犬はいなかったんだからよかった、といった考えも辞めるべきである。2008年は相模原で、今回の件では埼玉でデマによる被害を受けた人がいる。
あなたが善意・良心でその問題に関わりたいならば、情報源と直接コンタクトをとり、自分が第一者として動くべきである。その覚悟が無いのならば、傍観者に徹するべきである。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201003030255.html
学校側はいじめが行われていないか以前から定期的に生徒へアンケートしているが、自殺前の2月8日実施分で、女子生徒からは特に訴えはなかったという。学校側は1日に臨時保護者会を開き、了解を得たうえで2日、2年生と、同じ部に所属する1、3年生の生徒から聞き取りをしたが、いじめの事実は出てきていないとしている。調査については今後も続けるとしている。
調査をつづけるのはいいけど、それ意味あるのかなぁと。
以前から漠然と思っていたけど、この記事を読んではっきりわかった。
いじめがあるかどうかのアンケートだの聞き取りとったモニタリングなんて意味ないよ。
「いじめはありますか」なんて愚問。「朝ごはん毎日食べてますか」と同じくらいナンセンス。
現在進行形でいじめられている立場からすれば、意味ないどころか、「あります」と学校側に伝えて
学校側が対応でもとろうものならその途端に危害が増す可能性があるし、傍観者としても、学校側に知られることで逆にいじめが過酷になりはしないかと考えてしまうので、結局、いじめの事実を報告するインセンティブは極めて低いと思う。「いじめはないと思う」という認知が引き出されるだけ。本当の事実を聞き出すには、何時何分何をしていた、ぐらいの尋問が必要。
昔はさぁ、おおらかだったので、放課後の世界を先生と生徒が共有できた。だからある程度は、生徒同士の交友関係についてそれなりに把握していたし、携帯電話やメールなどもなかったから、いじめのツールはもっと可視的なものが多かった。例えばいじめられる側がどんなあだ名をつけられているかも知ることができたし、なんとなく様子をみていればわかったケースが多かったし、介入のタイミングも測ることができた。現場がみえるというのは大切な要素。
ところが、今はメールや携帯端末を通じたコミュニケーションの実態がほとんどみえない。
もし、学校側からはみえないコミュニケーションのなかにいじめの実態があるのだとすれば、それを監視する方法は、生徒のプライバシーにいっそう踏み込んでゆくしかないと思う。しかしそれは限界があるはず、法的にも、また技術的にも。昨今、他人の子供を叱っただけで「あんた何様ですか」と罵られることがある時代。
近年のいじめの深刻さは、恐らく進化し続ける情報ツールがますますプライバシー侵害機能を充実させている点にあるように思う。かつて写メールが登場したときに、直感的に危惧はしていたが、いじめる側にとってはより快適になり、いじめられる側にとってはますます地獄に、そして監視する側にとってはプライバシーに踏み込めないので手をこまねいている、というのが実情ではないかと思う。
そんな状況にあっても、保護者は学校にモニタリングを要求し、対応を怠っていれば糾弾するかもしれない。
と被害者の保護者は訴える。でもやっぱり難しいよね、現実には。
それに、自分の子供なんだからまずは親のほうで子供がサインを出していないか監督する責任があると思うよ。親だったら自分の子供のプライバシーに学校以上に踏み込めるわけでしょ。
学校側にできることって、ほとんど無意味なモニタリングじゃなくて、たぶん
子供がいじめをしにくい環境を整備する取り組みをつづけることなんじゃないかな。
携帯電話を全面禁止するのもひとつだし、ケーススタディをして人の痛みってなんだろうという学びの機会をつくるのもひとつだし。
でも、不幸にしていじめはなくならないかもしれない。
でも、それは学校がちゃんと監視していれば防げたのかというとそれは違うんじゃないかなと思うのですよね。