はてなキーワード: 良心とは
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
https://youtube.com/watch?v=E9pWHK-bD-U
会計士とか将来のことを考えてるようで、ホステスで客を引っ張ることで協調性を鍛えるとかパパ活をしてたり、さらには詐欺という会計士になれなくなるリスクある行為をやっていたりとズレたことを言っていてヤバい。
まあ、執行猶予付きとはいえ禁固刑が出たので会計士になんてなれないけどな。笑
こういう良心がブレーキにならない犯罪者対策のためにも、犯罪者になるといろんな資格職に就けなくなることはもっと周知しておくほうがいいかもな。
https://wakailaw.com/keiji/6131
それにしてもこんな犯罪者が犯罪を重ねながら男に対して罪悪感を抱かなくなったのは昨今の異常なフェミの影響が大きいんじゃないか?
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
――――――――
おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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例えばハンセン氏病や数々の公害病、増田の言う「活動家」や一部の言う「マスゴミ」とやらが黙ってたらもっと早く、うまく解決できたなんて世界線
法律の制定が権利主張なしに良心に満ちた人々によって行われるとでも信じているのだろうか。大したお花畑。激しくない権利主張は現実として黙殺されるだけ。差別者が被差別者の大人しい主張に傾聴すると思うかい?
な?
典型的だろ?
過去の「人権がなかった」時代の過激な運動で「人権を認めさせた」事を以って
なんで同列に並べんの?
【今】殴ってる相手は、他人から人権奪ってせせら嗤ってるクズなのか?
それとも、リソースが足りなくてどうにもならない奴なのか?
もしかしたら、善意を搾取されてるのは叩いてる相手かも知れんぞ?
想像力がなさすぎるんだよ
正義に酔いすぎ
吐き気がするよ
イーロンとうとう印象操作されててかわいそう
Twitter買おっかな〜(チラッチラッ)やーめた!したら訴訟起こされただけなのにどうしてここまで言われないといけないのか
文化の盗用ならぬ、活動家による手柄の横取りを礼賛する内容になっている。
「わきまえない人たちが敢えてコンフリクトを起こすことでマジョリティは不承不承マイノリティの要求に対応してきた。今日では皆がその積み重ねの恩恵に与っている」
それは本当か?
例えば男女同権を推し進めてきたのは何ものの力か。戦争や産業に従事する上での、腕力の重要度の低下。家事専従者が必須でなくなったこと。そして法改正。ハードウェアの進歩と制度的な裏書きが社会を動かしてきたのだ。
フェミニストによる道義的非難に耐えかねて、あるいはその啓蒙に感激して動くほどに社会はヤワでも腰軽くもない。イズムにイズムをぶつけても1ミリも動きはしないのである。
バリアフリーのためのインフラ整備だって同じだ。増田は利用者の視点のみから「先人の闘争のおかげ」としているがただの想像でしかない。商業上の要請や建築法規に基づき、あるいは単に業務の一環として、少しずつ尽力してきた無名の貢献者はいなかったものとされている。
繰り返すがマジョリティは非難に耐えかねたり説教に感激して動くほどナイーブではない(へりくだって情を乞えではなく、マジョリティの冷たさ薄情さをナメるなと言っている)。活動家のおかげ説はそのフィクションに立脚している。その結果として何が起きるか。
小さなコンフリクトを平熱で改善につなげるべきところ、常にこうして感情的な分断ネタとして消費される「型」が出来上がってしまうのだ。施設側が100%悪い!いや車椅子の側が100%悪い!と。
「日本社会はいまだこんなに遅れているから、こういう機会を捉えて燃やさないと変わらない」というのは因果が逆で、無駄に燃やしてばかりだから協働の文化の成熟がスポイルされているのだ。
誰かが白眼視を恐れずいきなりギャーって騒いでくれたら「正直助かるわけよ〜」って言ってるが普通に恥ずかしい発想だと思わないか?
そうやって物理的/道徳的に担当者を責めたてるという要望の仕方が本当に合理的だと思うか?社会は基本的に事なかれ主義で、ノイジークレーマーには「特別あつかい」でお茶を濁すのだ。
「クレーマーがほどほどに騒いでくれると有り難い」ってバカみたいな結論だぞ。
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共産党赤旗、コンビニで見かけた成人誌の密告フォームを作成「国連に持ち込んで問題にする」ヤングジャンプ、ヤングキング、ヤングアニマルなどが対象
こういうのも同工。
とっくにエロ本が完全撤退したあとでヤンジャンとか燃やそうとしてんの。
「ワシが育てたムーブ」にコロっと引っかかってんじゃねえよ
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法律の制定が権利主張なしに良心に満ちた人々によって行われるとでも信じているのだろうか。大したお花畑。激しくない権利主張は現実として黙殺されるだけ。差別者が被差別者の大人しい主張に傾聴すると思うかい?
法整備はエンジニアリングを後追いするという本質論を主張する上で全然重要でないから詳論してない所に、隙があると思いこんでこうしてバカが頭をねじ込んでくる。
まあいったん対立のパターンができてしまうことの弊害はこういうことなんだ。それぞれの陣営の正義の能無しが問題の周りを固めてしまい、手つかずにさせてしまう。
実際にコツコツ手を動かす人を遠ざけ、吊し上げが好きな奴ばかりが集まってくる。
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「穏当に地道に“活動”してる人もいる」
そらそうよ。みなまで言わなかったけど。
自由な市民としての矜持を持ち、選挙にいく以外でもあらゆるチャンネルを探って社会の運営/改善に参画しようとする、リベラルであるとはそういうことだ。そこには当然にして摩擦が生じることもある。
くだんの車椅子インフルエンサーのことも別に迷惑100%とは評価していない。施設側のモノの言いようにカチンと来たのも想像はできる。
そんなに難しいこと言ってないが、まあはてな界隈にもうなんも期待してないのはある
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毎たび最後に同じようなこと言ってるが、一言マウンティングじゃなくてトラバで字数気にせず堂々反論すれば?でもお前らは絶対に自分の発言に責任持たないんだよな。ピンポンダッシュに最適化したカス連中
こうした資本主義的功利主義的価値観を持つ一方で、見返りを期待せずに何かをしてあげるのも縁という。
一見すると良心の施しであるが、実際はポジティブなスクリーニングなのだろう。
つまり、無私の奉仕を無頓着に受け取るような人間に次はなく、利害関係について厳密に感覚を研ぎ澄ませてきた人間はなんとかしてその恩に報いようとするのだから、次も会おうと思うわけである。
人助けでもあるし、人試しでもある。
正確にはプロデューサーではなくエグゼクティブプロデューサーらしい(製作指揮ね)
「ハマスの野蛮人とその支援者を例外なく跡形もなくなるまで爆撃しろ。豚の残り滓と一緒に土に還してしまえ」
「停戦なく、妥協なく、容赦なく #KillThemAll(ハッシュタグ、皆殺しにしろ)」
アカデミー賞受賞作の君の名前で僕を呼んでに対しては24歳と17歳の男性同士の恋愛を描いたことに対して「良心の欠如」と発言したが彼は60歳のときに19歳の女と付き合っている。
同性愛を公言して結婚、代理母出産で授かった俳優の男児が女性的な格好をしていた写真を見たジェームズの発言。
「こりゃあスイートだな。まあ待っていろよ。この可哀想な子どもが成長し、お前たちが何をしでかしたのか気付く日をな。そして、お前たちの切断遺体をガレージの冷凍庫に詰め込む日を待つがいい。」
オッペンハイマーにどのような形であれ関わっているのは確かで、しかもオスカーの舞台で謝辞を送られるような製作指揮という立場なことは、洋画、ノーランファンは隠そうとしているし、映画と無関係だ!とアピールもしている(まあエグゼクティブプロデューサーを無関係と言う人なんか常識的にはいないのでジェームズと同じく極論だろうけど)
まあそれでも受け取り方はトランプ支持者とそれ以外では違うもんだし人それぞれって感じですかね
サイバーメガネさんとかピピピさんとかが話題になってた頃にはてなやってて、今は見るだけだけど、あのときは、匿名ダイアリーの価値がよくわかってなかった。
元カノから1万4千字のDMが来て、罪悪感でSNSをやめてから、自分の感情を表現する場所がなくなった。
もうSNSには戻りたいと思わないけど、ブログやnoteをやるほどではないし、掲示板を日記に使用するのも少し違和感があると思ってたら、はてなの匿名ダイアリーがあった。
先日、昔の職場の同僚と北千住の焼き肉に行って、近況報告や昔話などした。
同僚っていっても自分は20代で相手は40代で、そこそこ金を持ってる人
自分は金が欲しいと思っているので、その人の考えや生き方を参考にしてる。
それに勉強家だった。
一通り肉を頼んでご飯と酒を1,2杯飲んでもっぱら金の話しかしてない。それでどういうわけか秋葉原のコンカフェに行くことになった。
昔行ってた良心的な価格のコンカフェ系列を知ってたので、そこに行くことにした。
秋葉原もコンカフェも1年ぶりだった。今では当たり前にいる客引きの多さに感心しながら、目的のコンカフェに行った。
昔行ってた店舗は潰れたのを知っていたので、同系列の姉妹店に行った。
SNSやってた頃に見知った名前の嬢が対応してくれたので、キャスドリと2人分のドリンク頼んでから、潰れた店舗や今の店舗に在籍してた子の昔話・転生話とか自分がホームベーカリーでライ麦パン焼いてる話とか話自体は他愛ない話をして1時間で切り上げた。
色んな話をしたと思う。
アルコールは3杯も飲んでない。
そんなに酔ってないはずなのに、楽しかった。生きる喜びを感じた。
節度を守って楽しむ、というのはこういうことなのかもしれない。
それに何歳になっても勉強や研究をしようとする人には頭が下がる。
自分の身にしみた。