2014-01-01

インパール作戦から生還した祖父、餅を喉に詰まらせ死去

まずはじめに断っておくがこれは何も虚構新聞みたいなくだらないネタではない。

俺はあの手の誰も徳をしない、内輪ネタマスターベーションが大嫌いな人間だという事をご理解願う。

そしてあなた今日、ここを見ているという事は少なから大日本帝国が掲げた戦略から見ても無視は出来ないはずだ。

大日本帝国は同じ島国の大英帝国が全世界の三分の一を植民地化したケーススタディをお手本に海南の支配という戦略を企てた。

しかし、その戦略シーレーンに対する見識の甘さ、ロジスティクスをおろそかにした見識の甘さによって失敗した。

海戦当時、兵器ではドイツジェット機Uボート日本の大鑑、零戦空母などどれをとっても、兵器近代化という点では枢軸国が有利だった。

ロンメル三川 軍一など優れた作戦を遂行する指揮官枢軸国には存在した。

マッカーサーパットンなど連合国側の指揮官は決して優秀ではなかった。

これ以上、大東亜戦争の話しをすると長くなるし軍オタから色々と細かい意見を述べられるので割愛させて戴く。

今日、俺がいいたい事はたった1つ!

今が最悪の状態だ、そう言えるうちはまだ最悪の状態ではない

どこの誰がいったのかよく分からん小見出し言葉は俺の祖父の事をよく表している。

祖父はきっとインパール作戦最中、今が最悪の状態だ。と心の中で思っただろう。

弾薬は底をつき、食料はなくなり、体力の弱った兵士伝染病が襲う。

機関銃火炎放射器で攻めてくるイギリス軍に雨で錆びた銃剣ひとつで勇敢に向かっていく兵隊

この頃、日本インドシンガポールにおける制空権を完全に失っているので容赦ない空爆もうける。

平和ボケしている今のあなたがたには想像すら出来ない地獄絵図を、生前に祖父が語っていた。

その地獄絵図の話しを祖父は何故か、私にしかしなかった。父も兄もそんな話し聞いた事が無いという。

おそらく日の丸を背負って戦った兵隊の誇りがあるから祖父は他言しなかったのだろう。

大本営から退却命令が出てインパールから帰ってきたという事実は、けっして誇れるものではなかったのだと思う。

ではなぜ、祖父は私にインパール作戦の話しをしたのか?それは私が3才の時に戦争の話しを根掘り葉掘り聞いたからだ。

かわいそうなぞう」という絵本を読んだ3才の私は戦争に対する好奇心が止められなかったのだ。

当時の私の好奇心といったら夜9時からはじまるドラマ毎度おさわがせします」と「戦争」この2つしかなった。

兄が寝てる横の部屋で母と一緒にテレビの音量を下げて「毎度おさわがせします」を楽しく見ていたもんだ。

祖父は祖父で俺がまだ3才だからと油断してインパール作戦の事をぺらぺら喋ったのだと思う。

そんな祖父が7年前のお正月に餅を喉に詰まらせて死んだ。

インパール作戦地獄から生きて帰ってきた祖父の命を奪ったのは餅だった。サ●ウの切り餅

祖父はきっとインパール作戦当時、今が最悪の状態だと思ったに違いない。

しかし本当に最悪の状態というのは餅を喉に詰まらせて脳に酸素供給されなくなり意識朦朧としてきた時だった。

毎年、この時期になると祖父の事を思い出す。

  • 自分の祖父は2回も乗ってた船が機雷に当たって沈んだ上、たまたま休暇貰って親戚の家に寄ってた日に東京大空襲に遭った。 親戚はなんとか無事だった(家は全焼)けど、祖父の「戦...

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  • 今が最悪の状態だ、そう言えるうちはまだ最悪の状態ではない それで何がいいたいのかよくわからないが 口を塞がれた状態が最悪だって言いたいのか?

  • しかし本当に最悪の状態というのは餅を喉に詰まらせて脳に酸素が供給されなくなり意識が朦朧としてきた時だった。 http://anond.hatelabo.jp/20140101211041 つまり、インパール作戦の時は「...

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