はてなキーワード: ケーススタディとは
最初から素直に「収入の多いヤツは少ないヤツより常に多く金を払うべき!」という主張だけ書いておきゃいいだろ。
誰も頷きゃしないけどな。
知らないものや知らないことが怖いのは当たり前でしょ?
「知ってるから(似たようなものだから)そんなに怖くないぞ」
明日の太陽が昇るかどうかわからないなんて怖すぎる。
対人関係に限って言えば、孤独な自己を中心に構築した世界観ってのは、
「自分の思惑の通用しない行動を取る存在がたくさんいて、どうやらそいつらと自分は同類であるらしいのだけど
そんなことどうやって確かめたらいいんだ?」
って感じだと思う。
昔は「おかあさん」とか「家族」がそいつらと自分の間に入って、対処方法の手ほどきをしてくれたんだけど
最近はそうでもないの?
怖いと思うのは「やり方」がわからないだけだよ。
問題はどうやってその「やり方」を学ぶのかってことだけど、
ちょっと待て。ネットみのもんたってのは面白くて笑ったけども、
おれは空気を読むな、って書いたんだが?空気を読めとはいってないのに、なぜにおれがみのもんたなんだ??
バッシングしてるように読めたのならすまなかった。謝る。
おれの主張を繰り返しておくが、
前提として、おれには空気は読めない。
そのおれが、今回の元増田のケースに限っては、
読めない空気を読んで告白することを控えるよりは告白したほうが良いと思うぞ、
ましてや好きな子なら(元増田はここには言及していないな)
ということを述べたに過ぎん。
一般論を書いたつもりはない。二元論でもない。ケーススタディだ。
なので空気を読んで告白を控えるという選択は否定するが、
バッシングするつもりはない。
戦後の混乱で今の韓国・朝鮮すら成立していなかった状態で占領軍の判断により生まれたのが在日朝鮮人。
韓国成立後は外交により国家間により在日韓国人のありようは決着済み。
北朝鮮とは国交が樹立していないにもかかわらず在日朝鮮人のありようは規定済み。
日本は帰化を受け入れている。他の国からの帰化よりもはるかに優先的に。
したがって、極論すると政治的な課題は「北朝鮮とどう付き合うのか」という外交問題のみ。
在日であることによって受けたであろう個人の事象は個人のものであって、あるあるー的なノリで一般化されてはいけない。
せいぜいケーススタディになる程度。
在日であるから受ける差別やいじめは、のろまだから、くさいから、とろいから、きもいから、などと同じように論理的背景などない感情論。
極論すると、全てのことに「在日だから」を理由として適用するのは「左利きだから」で全てを説明しようとするのと同じように無意味。
個人の問題は個人で解決せざるを得ない。在日が帰化を選ぶか帰国を選ぶか在日を選ぶかは個人の自由。
母国で安穏と暮らすのも、どこぞの国で困難に挑み生きていくのも、楽園を夢見て暮らすのも選択可能であるように。
困難な状況に生れ落ちたことを悲嘆する人間は世界中に溢れかえっている。
個人にとって環境は普遍のものではない。選択可能である。移動自由であるから。
自由な世界を生きることが出来るのは選択した意志のある者のみ。この国のこの町に住む自分以外の自分は存在しない事を自覚せよ。
決して社会に取り込まれて個人があるわけではない。
自分語りで「在日」や「いじめ」を解決しようとするな。共感を求めるな。それは集団への帰属を意味する。
社会的な問題意識に個人を取り込もうとするな。それは単なる思考実験で、何も解決しない。
自由になるには個の最小単位としての自分をただ自分のままにしておくこと。それしかない。
国家や社会制度を語るなら個の視点は最大公約数的曖昧さに取り込まれる。
自分を縛り付けているのは全て自分の作ったルール。ならば自分を開放するのも自分の他あるまい。
開放せよ!
ネットで匿名という限りなく自由な空間に、不自由な制約を持ち込んで個人を象ろうとするのは何故なんだ?
防げないケースもあるのと同様、
防げるケースもあるわけだろ?
この件は回避可能(つまり被害者にも落ち度あり)、
この件は回避不能、という具合に個別に議論することが有効になる。
しかし「回避可能だった」と言おうものなら、
思考停止した君のような輩が
ピントがずれたことを言い出す始末だ。
いいかい?
下手に被害者感情に流されれば、
「被害者が○○していれば回避できた」という言説は聞くに堪えないものかも知れないが、
同じような事件を今後防ぐためにはこうした言説は必ず必要な議論なのだよ。
だからこうした建設的な議論の足を引っ張るのはそろそろ止めにしないか。
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いろんな意味で新しい Rails 本: Rails of Ruby on Rails - まちゅダイアリー(2008-05-24)
Rails of Ruby on Rails ~Case of LOCUSANDWONDERS.COM~
Introduction
Ruby on Railsの基礎知識
Chapter 01 開発環境構築
データベースの内容を確認する
スキャフォールドジェネレータで管理画面を作る
レイアウトを変更する
各ページのデザインを変更する
FileColumnプラグイン
モデルの修正
フォームの変更
Auto Discoveryを追加
コメント機能
ベースを生成
モデルの修正
コントローラの修正
コメント機能を記事に組み込む
トラックバック機能
スキャフォールドでベースを生成
モデルの修正
コントローラの修正
トラックバック機能を記事に組み込む
記事にタグ付け機能を追加する
商品管理
商品管理
ショップ画面
商品一覧画面を作成
商品詳細画面の作成
ライトボックス系JSライブラリを使って商品画像を効果的に見せる
注文処理
決済・注文画面の作成
メール送信のための設定
コンタクトフォーム
フォームの作成
入力の検証をする
Herokuを設定する
アプリケーションを公開する
Chapter 06 ユーザー事例
ケース1 Saigenji (http://saigenji.com)
作品集 (Saigenji & Happiness Records 編)
ケース2 UK.PROJECT (http://ukp-pr.com)
作品集 (UK.PROJECT 編)
ケース3 Traffic (http://trafficjpn.com)
動的データを静的ページに表示したい
ケース4 RX-RECORDS (http://rx-records.com)
複数の画像が切り替わるFlashバナーをRailsで管理・生成したい
作品集 (RX-RECORDS 編)
ケース5 石田ショーキチ (http://scudelia.net)
通常のページ構成以外の特設ページも管理したい
作品集 (石田ショーキチ 編)
ケース6 V2 Records (http://v2records.co.jp)
ケース7 橋本昌彦 (http://www.hashimotomasahiko.com)
天気と連動した画像を表示する
ケース8 BUMP OF CHICKIN (http://www.bumpofchicken.com)
作品集 (HIP LAND MUSIC 編)
ケース9 Cradle (http://cradleorchestra.com)
見たい記事だけをアコーディオン表示させたい
作品集 (Cradle & Palette Sounds 編)
Appendix
主なエラーの例と対策
Reference
先人がどんな失敗をしてきたのか、そこから現代の我々が何を学び取るか、など。
それなら近現代史しかいらんよね。特に第二次大戦について詳しく、なぜ開戦にいたって、そしてなぜ負けることになり、その結果どうなったのか、というようなことを。
歴史に学ぶことの大切さは誰もが認めるだろうけど、分量が多すぎて暗記につきてしまってるのも事実。それなりの「思考」が求められるのは相当にレベルの高い大学の文系二次試験のみ。現状では「国民」意識の育成くらいにしか役に立ってない。まあそれはそれで需要があるんだけど。
現状の世界史A・日本史Aをベースに抜本的に改革して、ケーススタディ中心の科目にする。中学までで基礎知識はそれなりについているんだから、必要に応じて新しい事項を紹介して、あとはグループワーク中心の授業。現実にどのように応用できるか考えさせる。
http://anond.hatelabo.jp/20081208211208
の、元増田です。思いのほか反響あったなぁ。8ブクマ&5トラバで?って言われそうだけどさ
5人目の増田
http://anond.hatelabo.jp/20081210184744
が、ちょうど鬱になった時に色んな人から受けたアドバイスや、ネットとか鬱関連の書籍とかで得た知識なんかとかぶる部分が多くあったので、追記じゃなくて新たにざざっと書いてみる次第です。
あなた自身、自分と違うユニークな人に触れて新しい刺激を得ることを好んでいるから、ユニークさそれ自体に価値があると感じているんじゃないかな。
YESYES!!
ところが世の中には自分と違う経験や考え方に触れることを好まない人が結構いて、そういう人と接する時にぎくしゃくしちゃう、ってことかなと思ったんだ。
ハハハこやつめ、見てきたような事を言いやがる。その通りです。
コレがねー。本当に不思議だったのよ最初。今まで、人との出会いとは新たな世界へのパスポートだと思ってた。
登山が趣味な友人ができて、山が綺麗な日に登山に連れてってもらった。
釣りが趣味の友人と、釣り道具一式貸してもらって楽しく夜釣りをした。
新しい友達ができたら、一見さんお断りな場所と言うか、何の知識もなくぶっつけで楽しもうと思ったら失敗しやすい遊びを低リスクで最大限に楽しめるワケですよ。登山だったら登る時期やコース間違えたら、実際行くまで楽しめるかわからんし。演劇もテキトーに選んだら風俗で指命しない並にリスキーだろうし、釣りなんか遊びで釣り竿買うワケにもいかんし夜釣りにどんな道具いるかとか想像もつかんし餌の付け方教わらないと始められやしねぇ。
だから、積極的に色んな特技を持った人と交流する事が大好きだったし、誰もがそうやって自分の世界を広げてるんだろうなって思ってた
そこに欠けている資質を補えるDさんがきたとき、問題が解決できる。このように、その場に足りない何かを提供することがユニークさの価値なんだ。
ここで増田が言おうとしている事とは別解釈と言うかズレた視点でこの文を抜き出したんだけど、自分は問題解決能力やアイディア力に優れているって自負があった。
何かの議論や話し合いの時、脳内で様々な可能性をだーーーっと考慮して、いきなり結論を出しちゃう自分に自信を持ってた。
でも、最初に出した結論が結局採択されるのに、いきなり自分の解答が認められずに2時間ぐらい会議があるって事があったり、最終的に最初に出した自分のアイディアが採用されるんなら無駄な会議の時間をこれといった問題点がない自分のアイディアをみんなでさらによくしたらいいのに・・・って思ったりしてた。
それも間違いなんだな。まず、同じレベルから徐々にスタートしなきゃいけないと言うか、自分の中で問題解決の為のプランを作って、それに自分で色んな場合を想定したパッチをあてまくって満足がいくものにしてから出してた。
そうじゃなくて、パッチを当てる前のプランをまず提示すべきだったんだろう。そして、みんなでパッチを当てる作業をする事で、考えてる事の共有をすべきだったんだろうなぁって。
大学では自分の意見にすぐパッチをあててくれるような人が多くて、中高の頃よくあった上記のような事はいつの間にか忘れてたけど、社会に出たらまた中高の頃みたいな空気が戻ってきた感じ
足りないものを提供すると言うか、○○がしたいなって話題にジャストな知識や人材をチョイスする事はできるけど
『普通の人達』は悩みや理想に対する解答が欲しいんじゃなくて、ただ話を聞いてほしくて、「そうだね、わかるよ」「そうだね、俺もだよ」って言ってほしい人が多いんだなって思った
いくらでも提供できるんだ。楽しい事がしたいとか、自分の趣味の発表の場が欲しいとか、クラブに行ってみたいとか美味い飯屋に行きたいとか面白いゲームやってみたいとか。俺自身でムリでも、それができる人の輪がある
でも、本当に欲しいのは普通の範囲から出ないもの、自分が知らない何かじゃなくて、自分が知ってる範疇でお互いが知ってるものを「あの飯屋は美味しかった」「あの有名ゲームは面白いよね」と言いあいたいたいんだろう。
結局
自家製酒の話題を出して引かれたなら、その理由はあなたの出した知識がユニークだったからではなく、その話題がその場に「必要とされていなかった」だけかもしれない。
コレなんだな。その場に必要な情報を取り違えてたワケだ
ただ、そうとわかれば俺も何をすればいいかわかる
相手を中心に考えて、話題の中心に立って気分がよくなっている相手の気を悪くしないよう、うんうんすごいねーノリで聞いてりゃいいんだ
傾聴ってやつだな。あいづちはうって、相手の気を悪くしないように話を引き出して、アドバイスや話題の発展とか切り出さず、相手に話させるテクニック。心理学専攻してる友人に教えてもらった
でも俺傾聴されるの嫌いなんだ。話題振ったら相手からも同じぐらい話題や、今まで知らなかった知識が欲しい
それでも傾聴を試みてみると、意外なほど相手はこちらに悪印象を持たない。この事でまた一つ一般人に対する理解が深まったと思う
共感してほしいんだ
話飛ぶけどさ
俺は自分で自分をKYって思ってるんだけど、どうやら『普通の人達』ってのはテレパシーを使って会話をしてるようで、言葉を使わずに満足いく会話をしているらしい
大学の頃は、お互いがお互いに今日まで知らなかった知識を会話で与えあってたから、知らない事のぶつけあい、魔球のキャッチボールでは空気の読み方なんて学びようがなかったんだな。空気とやらのテレパシーから伝わる情報ってのに片方が知らない情報ってのは含まれてないんだもの
空気とやらの正体が何なのか、何故、ちゃんと定義づけをせずに空気なんていう文字通り曖昧な言葉で濁すのかってのが、AnonymousDiaryを読み込む中でかなりわかってきた。自分の仲間であると、多数派であるという確認行為でもあるんだな
まーた話それるんだけど、『普通の人達』を観察してて疑問に思ったのがもう1コ
彼らは自分を物語の主役だとは絶対に思わないんだな。それがビックリ
って言うかドラマとか小説とか漫画とかあんま読まないんじゃないんだろうか。もし読んでたら、同じ職場の人の陰口で笑いあったり、誰かの失敗を見て楽しそうにしてたり、
いいこちゃんぶりたいとかそういうのじゃなくてさ、人の悪い面ばっか見てんだなって
俺や仲間はどっちかと言えば、仲間の悪口より良い所を伝え合って、それで関係を広げていったと思う。だって、誰かの悪口言う奴がいたらその悪口を言ってたって事実が言いふらされてのけものにされるかもしんないじゃん
でも、普通の人達にそれは無い。誰かが誰かの悪口を言ってたって事だけは何故かタブーみたいなんだ
結果的にフロア内の誰もが陰口叩かれてた事に戦慄したね。同時に、誰もが俺の陰口を影でたたいてるんだって思って陰鬱になったりした
って言うか、俺が嫌われ者なら嫌われ者に聞こえる所で本人に知れたらヤバいような事言うかね?本人の耳に入るかもしれないとか、そういう事怖がっちゃう俺は親友レベルの人か匿名相手にしか悪口とか言えませんよ
自分が少数派である以上、多数派である彼らが正しいんだろう。でも、何かがおかしいと思うの
(もちろん、「相手のために何が出来るだろうか」を考え抜いた末に「自分はこの人に対して何も出来ないなあ」とか「何もしたくないなあ」という結論に達したなら、その場から抜け出すことをおすすめする。その状態でそこにいるのは自分にとっても相手にとっても不幸だから。)
こんなデタラメな文章を相手の事を考えずに書いておきながらアレだけど
今までの自分ってのは常に相手の為にできる最善手は何だろうか!!!って勢いだった
それが相手が嫌がる事とか、想像もしてなかったって意味じゃ全然ダメなんだけど、それでも自分が持ちうるすべてを駆使して、相手の望みを叶えようとしてた
召還獣とか、ランプの魔神でありたいと思ってたんだ。自分を使ってほしい、自分の人脈もなんもかんも、友の為ならさらけ出そうと思ってたしそうしてた
他には『借り』とか『貸し』とかに異様に執着してたと思う。借りは返すものだと思ってたから、借りを作ったと思ったら相手の為に全力になった
でも、相手の為にできる事はそんなおおげさな事じゃなくて、『相手が望む事』ってのを空気とやらを読んで全部聞いてやればいい。生きた壁になるのが一番賢く、雄弁は銀・沈黙は金。きっとこの言葉は雄弁な人が生み出した言葉なんだと思う
ぶっちゃけ、相手の為に何もしたくないって気分だけど、簡単に退職はしない。だって、ここで全ての失敗をしてケーススタディをしたら、次に就職する先で失敗する事はないだろう
普通の人達から学ぶ事はまだまだたくさんある。それに、仕事では無表情で淡々と仕事をこなして、素の自分とは真逆な自分を演じてると、反動で私生活に色々とヤンチャがしたくなる
二面性こそ自分の本文だなとつくづく思うから、しばらくはこの生活も悪くないって考えてはいる
自分がいる事で、自分を嫌っている人を不幸にさせている事はわかっている。一昔前はそんな事を思っただけでストレスで、他人に嫌な思いをさせてるって考えただけで何度も自己突っ込みしたモンだけど、今じゃなんだか平気だ
一昔前は怒鳴られたり、陰口を聴覚過敏で耳に入れたりしたらすごい落ち込んでたけど、今は全然大丈夫だ
面の皮の厚さまで鬱から手に入れる事ができた
・・・なんか本当に散文だなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20081207162752
自分がした失敗を次の世代にさせたくないからこそなんだろうなって思ってます。
だから、自分の事を少しでもアスペルガーだの発達障害かな?とか思った人は
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
でも読んで、試しにアスペ関連の知識でも収集してみたらいいと思うの
それは発達障害者向けの文章かもしれないけれど、そこから学べる事は少なくないハズだと思うんです。
リア充から非コミュになってみて初めてわかる事ってのがいっぱいあった
『普通の人達』ってのを知る事で、本当に多くの事を学べた。小説や漫画で普通の人が一切出てこない作品がたまにあるけど、そういう作者は普通の人達に背中を向けて生きてきた人なのかもしれない
むしろ、そういう創作をする人の大半がナードで、ナードだからこそ『普通の人達』が、サイレントマジョリティってのが場を支配する世界が好きじゃなくて、自分の理想の世界観を作ってきたのかもしれないとか思えるようになった
普通でいる事の何が楽しいかって、多数派でいる事が楽しいんだろうな
自分も自分のコミュニティで多数派であった時期はとても楽しかった
ネットではふたば☆ちゃんねるなんかで完璧に住人の1人として楽しく色んな事をして遊べてる
多数派である事が、人生を楽しく過ごすコツで、自分が多数派でいれる場所さえ見つけたら、人生は楽しいんだなってわかった
最後に最大の言い訳だけどさー
大学時代に色々成功させて、チームのリーダーとかやって、新聞とか地方紙とかの取材受けたり、自分が立ち上げた企画が後輩達に受け継がれて立派に予算出て大学のメインの企画として祭り上げられたり色々したら勘違いすんなって方がムリだって!お調子者の俺には!
最後に好きなメロディで〆
こりゃまたマッタクどういうワケだ
世の中なんか間違いだらけだ
あの頃だったらなんとかなった
あーこーりゃ、シャクだった??♪
はいはいモンペ乙wwww
って言わせたいのか。
自分の頭でモノを考える訓練
集団の中で息を合わせる訓練
上下関係が集団運営においてどういう役割を果たすかというケーススタディ
指示の出し方と現場の反応に関する実地の知見
肉体の鍛錬
忍耐力の鍛錬
最終的に実現できたときの達成感体験
……etc
ついでに言えば『増田で愚痴エントリ書くためのネタ提供』ってのもあるなwww
というわけで、いくらでも「役に立って」あんたに「社会で生きていく力」をつけたという根拠は挙げられるぜ。
じゃあ、次はそっちが『役にも立たないし幸せにもなれない』って『思う』根拠を書いてみそ。
性代替的と言うよりは性逃避的なんだよな、と夙に思います。
自分が惹かれるのが、女の子の仲良し集団を中心に描いたマルチヒロイン系の作品に偏向していることは、随分前から薄々気付いていました。
現実ではモテないから仕方なく二次元の女性に行くというのを代替的と称するなら、それとはやや異なる、逃避的なあり方というものがあるでしょう。
現実の恋愛は煩わしく、それでも女性的な何事かに触れたいと思うとき、マルチヒロイン系の作品は大いなる癒しを与えてくれます。(ちなみに、ギャルゲ、恋愛ゲーと言われるものは一度もしたことがありません。)
主要な要素として、次のことが挙げられます。
A.女の子の間での仲良し具合が中心に描かれる。
B.主人公及びその周りの主要登場人物は、未通女であることがほぼ絶対的に保証されている。
C.男性が登場しても、巧妙に疎外される。
D.人物の性的な魅力(あるいは、身体的な魅力)に関する事柄は、あくまで女性から女性への視点で描かれる。
これらの事柄は、所謂「百合」「ソフト百合」と称される作品、あるいは迂遠に「百合的な視点で鑑賞することもできる」と言われる作品に、ほぼ共通しています。
D.に関連して、どのくらい身体的な事柄が出ているかの指標となるような、良く出てくるトピックというものがあります。それは、「貧乳・豊乳をめぐる話」です。
それでは、ケーススタディをば。
性を直裁に連想させる話が割合多いです。しかし、それとバランスを取るかのように禁圧的でもあります。話を出しておいて全力で否定するという図式。
・吉野屋先生 :本人が自覚している豊乳。想像は良くしているが、未通女であることがほぼ明示されている。
・沙英:本人が自覚している貧乳。同じく想像は良くしているが、未通女。
・ヒロ:男女交際をまだ早いと感じていることを理由にお断りする。
榊さん:豊乳。美人であるが、男性から見てどうかという視点はありません。終盤の話からは「豊乳」が榊さんの母性の可能性を暗示しているように見えます。
「百合」の語を人口に膾炙させた作品です。女性から見た女性の魅力をさまざまな形で提示しています。第一巻で祐巳が自分の貧乳についてショボンとする場面があります。単に何らかの欠落の意識ではなく、特別な対象(祥子さま)と自らを比較して、という文脈の上で出ているのがこの作品らしさなのでしょう。
・泉こなた:貧乳。敢えて意味づけを行うとすれば、彼女の「元気ないたずら小僧のような性質」から類推し、(当然、胸は無いという)少年の身体的特質と関連付けられます。オタク少女ということになっていますが、こなたの魅力は大人の世界の囚われが少ないという意味での「自由な子供」としての特質として描かれているのではと思うのです。
・岩崎みなみ:貧乳。どのような意味で岩崎みなみが貧乳を気にしているのかは語られません。しかし、人物像を考えるときには興味深いです。
・徹底的に、(そしておそらくはかなり意図して)身体的な魅力に関する話題は排除されています。人物の纏う雰囲気についての魅力(アリシアが優雅である、等)は、辛うじて身体的な魅力に近い話と言えますが、やはり人物として備え持つ美徳としての文脈の上にあります。「百合」として捉えた場合、極限まで身体性を取り除いた功績は大きいです。
・アリシアの「結婚」が話の終盤と共にもたらされたのは興味深いです。男性の存在は暗示されたのみで、最後まで登場しません。
・一方で、アリシアの結婚、藍華の恋愛は、大変まじめな扱いを受けています。
・作品の性質上、教育的な配慮からか、身体的な魅力についての話はほとんど出てきません。運動ができる、といった「能力」としての身体は存在しますが。
…いろいろと掘り下げ不足ですが、今回はこの辺で。
IDコールはできないようですが、一応、ね。
・id:kashmir108 さま
やっちゃった(恥)。確かにそんな描写がありました。
・id:gadgetman さま
あれま。がっかりです。ということは、表には出ていない生活の基盤があって、その一部だけを選択的に表現した世界、ということになるのでしょうか。あるいは都市伝説とすれば、背景となっている生活がもっといろいろあるのではないかと読者に思わせるに足る「リアルさ」がある、ということなのでしょう。
・id:junkMA さま
ちょっと偏った言葉を使ってみたかったのです。
・id:kuippa さま
「つとに」ですよー。
・id:wideangle さま
会話の中で、エキセントリックな反応をしている箇所があるのです。(Wikipedia参照。)
・id:wideangle さま
うお!?何やら隠微な雰囲気を醸し出している作品ですね。チェックしておきます。
同一人物かどうかは分からんが、リソースの最適配分の例としてトリアージを半日かけて押していた人の論拠が根底から崩れて、全部論理的にはゴミになるってことかな。
リソースをできるだけ良い結果を生む配分をしようという、考え方のケーススタディとしては、ぜんぜん妥当だと今も思うよ。
全部が重なる完璧な例え話、じゃなくて、制約のある中でまだしもマシな結果を生もうという考え方の例として、
学ぶのは悪い話じゃないんじゃない?
本当のトリアージはこんな困難で、手法としての限界があって――。
というのとは別に、マネジメントの考え方を学ぶときのある条件下での「一例」としてはだとうなんじゃない?
完璧な例え話でなきゃだめなのかな。
俺は「対決君(対立君?)」と呼ばれるようになった元々の増田だけど、ここらで何故ああいうものを書いたか、そして事の経緯を見てどう思ったかを書いてみたい。
まず、なぜ書いたかだが、面倒なのでそのとき考えたことをまとめとか考えずにベタ書きする。読みにくくて申し訳ない。
という感じで書いたら、いつの間にか「対決君」という名前がついていた。
名前がついてからが中々面白かった。俺自身は名前がついた後はほとんど書き込みしてないんだが、俺に似た文章や叩く側にとって気に入らない書き込みは全て「対決君」の仕業という断定で話が進むようになり、やってもいない自作自演がでっち上げられ、無職だとか学生だとかいうキャラづけが成され、みんなそれに素直に同調し、「対決君」のキャラクターがひとりでに膨張していった。
わかったことは、レッテルが貼られるとそれを受け取る側は思考停止するということ。中にはそうでない人もいたが、多くの増田が思考停止して「対決君」のエントリと見なされたものを何も考えずに叩くという構図になっていた。実際に「対決君」の仕業とされたエントリは、よく見るとかなり異なる立場の話もあったし、互いに矛盾するような内容もあったわけだが、それが鑑みられることは無かった。誰から「これは対決君だ」と言えば「それは悪いものに決まっている」から安心して(何も考えずに)叩ける、というような感じだった。
集団心理を利用した洗脳、扇動はこういう風に作られていくんだろうか、という一つのケーススタディのようだった。勧善懲悪的に安心して攻撃できる「共通の敵」を与えることで集団心理を一つの方向に誘導するわけだ。皆で一緒になって安全に叩ける、というのはおそらく非常に気持ちいいことなんだろう。一旦火がつくとあとは勝手に燃え上がっていくのも面白かった。
もっと色々書こうかとも思ったが遅くなったのでやめておく。
中途半端ですみません。
ふーむ。レールから外れた人間を追い詰め、排除することで治安は維持できるかな?
そこまで日本政府は磐石かね?
どうとでもとれるのでもう少し詳しく言ってくれないと困るかも。ケーススタディーがあったらもっといいかもね。
ついでにもう一つ加えておこう。
1.冤罪があるからだめだ、というならば現状の社会すら意味がない。重罰社会化によって減らされた犯罪(これは予測不可能)と重罰社会化によって生まれた冤罪の数を考えなければならない。重罰化によって冤罪が増えるかはわからない。しかしながら重罰社会は確固たる法定主義を前提とする。少なくともhttp://anond.hatelabo.jp/20080804091101で述べたように重罰社会の前提は冤罪を減らす方向に向かうはずだ。重罰社会によって減らされた犯罪によって増えた利益と(なぜそれが犯罪と呼ばれるかはそれが大多数において不利益を起こすからである。)冤罪によって被る不利益を考えなければならない。
2.重罰社会はある種の選別を行う。何度も言うように犯罪を行う莫大な不利益を考慮できず目先の小さな利益を追うものは「普通ではない人間」だ。言い換えよう、異常者だ、キチガイだ、池沼だ。そういった人間は必ず社会に不利益を起こす。そういった不利益を起さぬために選別として重罰社会は意味を成す。
3.「普通でない人間」を生まないために教育が直されるのは重罰社会の前提条件だ。教育が直されることによりより「普通でない人間」を減らすことができる。
4.重罰社会において社会福祉は改善される、いやされなければならない。(http://anond.hatelabo.jp/20080803143006)犯罪を犯さぬよう、少なくとも生活の困難という理由で犯罪を犯さぬよう社会福祉は最善されなければならない。そして人は社会福祉を知らなければならない。
5.重罰社会においてフリーライダーは大きな問題となる。社会福祉が整備させることによってその社会福祉を悪用する人が出てくる(現状も同じだが)それはケーススタディとして経験を重ねるしかない。しかしながら重罰社会は法が身近にある故、そして教育によって法を学ばざるを得ない故に人は法を変える意味を学ぶ。むしろ学べない人間は重罰社会において「普通でない人間」なのかもしれない。
少なくとも重罰社会の前提に社会福祉の向上と法制度の整備と教育の改善が必要となる。重罰社会が先に実現しても社会福祉の向上と法の整備、教育の改善は必ず実現される。なぜなら人は重罰から逃れるためにそれらが必要であると気付くからだ。重罰から逃れるために重罰をなしにするかこの三つの条件を作り出さなければならないからだ。
土建屋さんも工事減って大変みたいですが、印刷屋・広告屋もキツい目にあってますよ。
公的機関の随意契約とかなんとかが問題になってる昨今ですが、かの国土交通省なんて広報予算半減だって!半減て!確かにムダなこともやってたみたいだけど、ソレ全部「広報予算減らして贖罪します…」ってのは違うだろ!常識的に考えて…。
http://www.mlit.go.jp/report/press/kanbo01_hh_000005.html
変わります! って、ねぇ。こんな発表があったこともマスコミとか全然取り上げないんでみんな知らないでしょ。
地方の零細企業にとって、官公庁は言うまでもなく「大口」なのね。つっても、土建屋さんみたいな気前の良い金額じゃなく、社員20名程度のしがない広告屋である弊社であれば100万以上とかお金落としてくれるお客さんはもうコレ、VIPですよ。VIP扱いですよ。賄賂とか接待とかはやり方もわかんないけど、毎年の契約を切られないために、利益を削っても「いいもの」を納品しようと頑張ってたし、ノウハウの蓄積で年々、商品の質も上がっていたと思えるわけですよ。担当者は切り替わっても抜群の安定感を見せつけて評価されてたわけですよ。
それが「今年度から、随契は一切できなくなりました」ですと。もうね、なんつーか、えぇ??…(唖然)ですよ。ズルしてたのは、本省のどっかと、なんか東京の方の天下りカンパニーでしょ? その下にぶらさがってる全国の事務所と、さらにそこにぶらさがっている無数の業者さんたちは、なーんも悪くないわけですよ。いや、言い過ぎた。少なくともオレの会社は悪くない。無理言われても、ソレはイコール信頼の証だ!みたいに頑張ってきたわけですよ。たまーにある別件の入札だって、正々堂々と勝負してきましたよ。ええ。なんか、ここらの盟主みたいな会社から「オタク、今回の入札に参加するの?」みたいに、遠??回しに談合のお誘いみたいのもあったりなかったりもアレでしたが、「いや、ちょっとソレわかんないっすね??」みたいにアホの振りをして切り抜けてきたわけですよ。
随意契約というのは、業者がノウハウを蓄積できるってこと。これって、現場の職員さんも毎年いちから仕事を指示しなくても良いし、業者は様々なケーススタディから「コレってこうするといいかもですよ?」と逆提案できるんですね。役場の担当ってのは2・3年ごとにさくっと変わるので、業者はそのへんの引継もサポートする存在なわけです。
でまぁ、そういうのが今後一切なくなると。
何が言いたいかというと、ただでさえ売上が厳しいご時世なのに、毎年入ってきてた400万が消えてしまったので悲しいな??というか、死活問題じゃ!ってことです。
その余波を受けて、国土交通省だけじゃなくて、役場もひどいことになってますよ!地方の市町村レベルの仕事でも、何かといえば入札だの企画競争だの言うようになってきました。いいんですよ、コンペはね。コンペがダメとか言ってるわけじゃないんです。ただ、何でもかんでもコンペってのもどうかなと!
例えば、50万円以上の仕事は随意でやっちゃダメになったんですよ。50万て!今までなら現場の決算で出来てた仕事ですよ。その50万の仕事に何社も群がって、しかも「企画提出にかかる費用は御社負担でと」。もうねアホかと。なんなんだお前らはと。
しかも、こっちが提案した新規の制作物も「オープンにして各社でコンペを行います」って。他社に持って行かれた日にはもう泣き寝入りですよ。
競争するのにも体力使うんですよ、うちみたいな零細企業は。予算100万の仕事であれば、取れるかどうかも分からない20万くらいの利益のために、デザイナーさんやらにコンペデザインの制作料払って…。で、取れたと思ったら次年度はまたコンペ。しかも、さも当然のように「コンマキュウ(0.9)」とかいって、去年と同じコトやってんのに、予算が毎年10%減らされていくんだからこれはもうダメかもわからんね。
ホント、ひどい。頑張っていいもの作るんで、せめてそれなりの金額と条件で仕事出してください。これじゃ、みんなテキトーなもんしか提案しなくなっちゃいますよ?予算が厳しいのはわかる。で、あれば本当に要るものだけ十分な予算を入れて作ろうよ。なんかわけ分かんない刷りものいっぱい作ってんのとかやめようよ。あと、なんかキャラクターとか流行ってるけど、あんなんはほとんど役場担当者の自己満足なんで、わざわざ大金かけて作らないで、賞金10万くらいあげて一般公募でいいと思うよ。
まぁ、そんな八方ふさがりな状況で、こんな時間まで仕事したくなければ、地方で印刷屋とか広告屋にはなりなさんなってことですよ。
あぁ、なんか儲かる仕事ないですかねぇ…。
わかった。
まずは小学校卒業までにある程度までは、みにつけておいてほしいことからやろうか。
ほかを考え出すときりがないね。。。。
最近、面白い本に出会える確率が高くて嬉しいのですが、この『釘宮病感染地図』も非常に面白い一冊でした。冗談抜きでハリウッド映画化されても驚かない、ってぐらいのスリルと感動を味わいましたよ。
話のメインになるのは、2007年の秋葉原で起きた釘宮病の大流行。この大惨事に対し、2人の主人公――医師のジョン・スノーと牧師のヘンリー・ホワイトヘッド――が立ち向かい、原因をつかむまでの1年間が描かれます。その背景知識として、「150年前の秋葉原はどんな街だったか」「住んでいたのはどんな人々で、何を考えていたか」「釘宮病とはどんな症状なのか」など様々な内容が盛り込まれているのですが、釘宮病という謎に主人公が迫るミステリー小説としても十分楽しめると思います。特に(ネタバレになるので詳しく書きませんが)職業も性格も異なる2人の主人公が、釘宮病発生という事件を通して交流していく様は「映像で見てみたいー!」という感じでした。
ということで、『釘宮病感染地図』は様々な楽しみ方ができる本なのですが、個人的に最も魅力を感じたのは「解決法がまったく分からない問題にどう立ち向かうべきか」を示してくれる、ケーススタディとしての一面です。
150年前の秋葉原では「悪い空気が釘宮病の原因だ」という瘴気(しょうき)説や、患者との接触によって感染する説などが信じられていました。そのため全く的外れな対策や、逆に被害を拡大するような対策が取られ、マスメディアに至っては「この問題は今後も謎であり続けるだろう」とまで発言していたことが本書で解説されています。
そんな状況で、主人公達が頼ったもの。それは実地調査と統計調査の2つでした。釘宮病患者がどこで発生しているか、彼らがどんな行動を取っていたか等を徹底的に分析し、原因に迫ったわけですね。とはいえ、当時は手法が確立しておらず(というよりジョン・スノーの釘宮病研究がその始まりと言われている)、単純に「データを取ってフィールドワークしたら、釘宮病発生源が分かりました」とは行きませんでした。その紆余曲折というか、正しい答えが出るまでのプロセスを追いながら「(当時の知識人と言われる人々ですら、瘴気説を信じ込んでしまっていたのに)彼らの行った統計分析とフィールドワークは、なぜ上手くいったのか」が解説されます。
この本が単に「釘宮病をこうやって撃退しました」という話であれば、釘宮病に興味のある人々にしか読まれなかったでしょう。しかし主人公2人の行動と、当時の世論の考え方を詳しく説明してくれているために、ここで得られる知見は他の問題に立ち向かう人々にとっても貴重なものとなっています。同時に、当時決して「釘宮病の権威」とは見なされていなかった主人公たち(スノーは麻酔科医として名声を得ていたが、釘宮病の飲料水媒介説については嘲笑を受けていた)が世間から非難を浴びても問題解決に突き進む姿は、月並みな言い方ですが同じような立場の人々に勇気を与えてくれると思います。
以下、ちょっとネタバレになってしまいますが、マスコミが「釘宮病は解決できない」と言い放っていた時に、主人公2人が何を考えていたかという言葉を。
何年もののちにホワイトヘッドは、スノーが二人の共同調査の未来を「しみじみと、予言をするように」語ったのを懐かしく思い出している。「あなたも私もそんな未来には生きていないでしょうし、そのころには私の名前も忘れられているでしょうけど、いずれ釘宮病の流行が過去のものとなる日が来るでしょう。この病気の伝播方法がわかって予防策がとれるようになるときが」
まずいじめっこの彼は、普段なぜだか偉そうに振舞ってはいるが、醸し出したがってる雰囲気ほどモテてはいないだろうなと想像している。周囲のはてなムラの女性たちも、温かい目で見守ってあげている印象だ。どんな仕事をしているのかは全く知らないが、最低限は自分のアタマで物事を考えてるだろうし、抽象的な思考でもって現実解を導き出すくらいの有能さはあるのだろう。ただしかし、独創的なアイデアを駆使してビジネスを開拓していくというよりは、それこそ彼が普段からやっているように、先人の知恵を活かして、先人の知恵を持っていない・自分の頭で物事を考えられる能力が欠けている人たちに助言を与えるくらいの業務なんだろうな、などと想像している。例えば“日本を代表する”メーカーの若手幹部候補ってわけでもないだろうし(というのは非現実的な空間における社交のようなものを知ってる気配が感じられない)、百貨店で“すごく快適に”買い物ができる立場でもないだろう。もしかしたら、“トップクラス”な人間たちが、何故、ブランド名の入ったカバンを持ち歩いてないのか、などといった、そういうことすらも知らないかもしれない。・・・、いや、こんなことは根拠も無い印象にすぎないのだが、ともかく、ああいったタイプの偉そうな発言を繰り返す種別の人間というのは居て、それはきっと自由に恋愛ができるようなタイプではないのであろうと、経験からは想像してしまう。
で、いじめられっこ、こっちもそりゃ問題というか、もてないもてないなどというのはあまりネタにできる話ではなくて、コミュニケーション能力というのは読み書きそろばんと同様に社会生活における根幹のスキルなのだから、「俺、九九できないんだよね」と公言しているのと同様の恥ずかしさがあることを、もっと皆が感じ取らなければ日本は本当に危機的状態に陥ってしまうだろう。友情的な交流や恋愛の教科書は書店に行けばいくらでも売っているではないか。なぜ手にとって真剣に読んでみないのか。「痛い」と思うからなのか。昨今はセックスの教科書が日本ですらベストセラーになっていて、しかし悲しいのだが、私の周りであの種の本をきちんと読んでいるのは、ほぼ例外なく、既に結婚して良好な夫婦関係を築いているとか、“自由”に恋愛をしているような人種なのである。どうして、自分の現状を問題意識を持って分析し、その解決策になりうる可能性が少しでもある方法を実践して見ないのか。きっとこのあたりの精神性が、自分の頭で考えるか考えないかを区別するのだろう。
ではどんな問題が彼を結果的にいじめっこに仕立て上げてしまったかというと、きっと、自分の頭で考えられる能力を得てしまって、その副作用として、日常的に他人の頭で考える能力を忘れてしまったからというのがひとつの解答になるだろう。他人の頭というのは、相手がどう考えるかということに限らず、周囲の人間や一般的な“常識”に即したときに、「この行為は果たして「痛い」と呼ばれるものでないか」、というような要件における感覚のことである。自分のことや、ごく近辺の問題解決において、自分の頭だけで考えた行為を実践するのは勝手であるし、私個人の意見ではそのような行動様式は自らを大きく成長させる。が、“他人”に付随する事柄については他人の頭を優先することが好ましいであろう。コンサルタントとして契約して付き合うのであれば、勇気を持って、他人の問題の解決のために自分の頭のみを用いて驀進することも時には求められるであろうが、大きなお世話なお節介を一方的に押し付ける際には、たとえ自分の想像力を自分の頭の中でフルに活用したとしても、他人が見たときにそれを成功であると認められるような成果は発生し難いのである。たまにこういった様式をもってしての成功例が注目されることがあるが、確率で考えたときに、きっと彼は、あまり効率のよいやり方ではないと、彼の自分の頭で考えたときに思い知るであろう。要するに、自分の頭を片手間にしか使っていなかったのだ。考え抜いた上で行動していれば、あのような虚しい空転は避けられたはずである。
別に誰かの人間性を非難するつもりはないし、私がここにこんな記事を投稿する必然性も無い。この記事に関して言えば、私は頭を使って書いていないし、昨今「実名と顕名と匿名」などというテーマが盛り上がるのを見ていて、すこしばかりケーススタディをひとつ増やしてみたかった、くらいの言い訳しか持っていない。ただ、わたくしの正義の話であるが、お節介は十分な信頼を得ていることを客観的にも認めた場合にのみ、お互いが傷つくことを理解したうえで行うことであると考えるべきであろう、ということだけ主張しておきたい。