はてなキーワード: カナ表記とは
サウザン・ドレッシングとは、マヨネーズをベースにビネガーやケチャップなどを加え、みじん切りにしたピクルスや玉ねぎを混ぜこんだドレッシングのことを言う。
英語ではThousand Island Dressingと書く。
Thousand Islandとは、アメリカとカナダの国境にあるオンタリオ湖と、そこから流れ出すセントローレンス川のあわいに浮かぶ「サウザンド諸島」のことである。
このドレッシングがなぜ「サウザンド諸島」の名を冠するのかについては、日本では「ドレッシングに浮かぶピクルスがサウザンド諸島のようだから」と説明されることもあるが、Wikipediaでは普通に「サウザンド諸島で生まれたドレッシングだから」と説明されている。
前者の説は、英語圏ではまったく見かけないので、おそらくキユーピーが広めたガセだろう。
さて、「Thousand」のカナ表記は、通常なら「サウザンド」である。
にもかかわらず、なぜ日本では「サウザン・ドレッシング」という表記が定着したのだろうか。
疑問に思った増田は、いつものようにGoogle Booksへと飛んだ。
軽く検索してみたところ、古くは1952年「American Cooking in Japan」でサウザン・ドレッシングが紹介されていた。
この本は、日本に駐留している米軍兵士の妻が、日本人の家政婦にアメリカ料理を教えるための本だったらしい。
American Cooking in Japan - Elizabeth B. Patterson - Google ブックス
同じく1952年の「七輪で出来るアメリカ料理」という書籍も出てくる。
この本はロングセラーだったようで1970年に第23刷を数えていたという。
七輪で出來るアメリカ料理 - George E. Engler - Google ブックス
こうした英語と日本語を対訳した料理本によって、サウザン・ドレッシングが戦後日本に知られていったことは、まず間違いないだろう。
ただし、この時点ではまだ「サウザンド・アイランド・ドレッシング」と表記されていた。
では「サウザンド」が「サウザン」と表記されたのはいつ頃なのか。
まず、キユーピーが「サウザンアイランドドレッシング」を最初に発売したのは1963年のようだ。
ただし、この写真を見るかぎり、ラベルにはThousand Island Dressingと書かれているだけで、それを「サウザン」と読ませていたかはわからない。
「サウザン」表記で確認できるかぎり最も古いのは1973年のキユーピードレッシングの広告で、右下のほうに書かれているのを見つけることができる。
他社ではライオンも1973年ごろに「サウザンアイランド」のドレッシングを発売していたようだ。
1979年ごろに発売されたネスレのマギー・クリームドレッシングもこう謳っていた。
おなじみのフレーバー、フレンチをはじめ、スパイスのきいたイタリアン、ピクルスの甘味をいかしたサウザンアイランドの、 3 つのおいしさがそろっています。
ちなみに同時期のカゴメは「サウザンド・ドレッシング」派だったようだ。
たとえばスパゲッティやピザなどのナポリタンソース、濃厚なサラダソースのサウザンドドレッシング。そのほか、トマトソースやフレンチドレッシングにケチャップを加えてトマトドレッシング。
サラダ文化・ドレッシング文化が日本に広まったのが1970年代であり、それに乗って大手企業がドレッシングのバリエーションを拡充していくなかで、「サウザン」という表記が広まっていった、ということが言えると思う。
では「なぜ各企業がサウザンドをサウザンと表記したのか」について検討したい。
まず思いつくのは、当時はまだ「Thousand」のカナ表記として「サウザンド」が定着しておらず、語末の子音が抜けて「サウザン」と表記されることもあった、という可能性だ。
しかしGoogle Booksで戦前の書籍などを検索してみると、「Thousand」のカナ表記は当たり前のように「サウザンド」で定着しているし、「サウザン」と書けば「Southern」、すなわち「南部」を指すことが圧倒的に多かったようだ。
となると、さすがに1970年代にもなって「Thousand」を「サウザン」と表記することは無いと思われる。
次に「サウザンド・アイランド(千の島)」を「サウザン・アイランド(南の島)」と勘違いした可能性が思いつく。
が、サウザン・ドレッシングを最初に出したキユーピーは、ラベルに「Thousand Island Dressing」と表記していたので違うだろう。
そうすると、単なる「略称」であるとか、「語呂の良さ」を重視したものなのではないか。
特にキユーピーが「サウザン」と表記していたのは普通に略称だろうと思う(ちなみに現在の商品では「1000アイランド」と表記されている)。
キユーピーが最初に「サウザン」として売り出して知名度を高めたので、他社もそれに合わせて「サウザン・アイランド」だとか言い始めたのではないか。
また、カゴメが表記していたような「サウザンドドレッシング」では「ド」が重なってしまうので、「ド」がひとつ無くなって「サウザンドレッシング」になったということもあるかもしれない。
私からは以上だ。
誰かキユーピー(@kewpie_official)に真相を訊いてきてくれ。
追記。
これは私も調査の初期に見つけて、一時は「朝日新聞黒幕説」も考えたのだが、そのときは「70年代に用例が増えたこと」のほうを重視して除外したのだった。
しかし、ひと晩ぐっすり眠って整理された脳であらためて確認してみると、この1960年の朝日新聞の記事は、おぼろげながらキユーピーとの関係を示唆しているように思える。
サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方アメリカの代表的なドレッシングでローンのある地名を取った名で、ピンク色のドレッシングの中の、色玉子)を島にたとえたもの。
そう、キユーピーがしきりに主張している「ドレッシングに浮かぶ具材をサウザンド諸島に見立てた」という説が、既にここで出てきているのだ。
ドレッシングなどに関するQ&A|よくお寄せいただくご質問|お客様相談室|キユーピー
細かく刻んだピクルスが、ドレッシングの中に「1000の島が浮かんでいる」ように見えることから、この名前が付いたようです。
キユーピーの社員なりが1960年のこの記事を読んでサウザン・ドレッシングを知り、自社で製品化したのが1963年の「キユーピー・アイランド」だった、という可能性は充分にありうるのではないか。
京アニの自社レーベル「KAエスマ文庫」の新人賞から出てきた和風ファンタジー。荒削りだけど面白かった。
主人公はYAMA育ちの少年で、「典薬寮の魔女」と渾名される少女の護衛を命ぜられる。宮廷で医薬を司る官衙に勤める彼女が情熱を燃やすのは、薬殺を阻止すること。そんな彼女に付き従う少年は、次第に宮中を舞台にした陰謀の渦中に巻き込まれていく……という、和風ファンタジーでミステリとサスペンスをやっている作品。
個人的には、キャラ立てが弱かったのと、主人公の扱いがなんか変、というのを感じた。
まずはキャラ立て。主人公が仕える雪代という少女は典薬寮の魔女と呼ばれていて、実際にクライマックスで壮大な陰謀を暴き出し敵を追い詰めるわけだけど、そこに至るまでに周囲から魔女呼ばわりされたり過去に解決した事件の話をされたりはするのに肝心のリアルタイムで解決した事件がメインの陰謀しか描かれてないからちょっと物足りない。
他作品を引っ張り出すのは気が引けるけど、たとえば〈古典部〉シリーズの第1作『氷菓』だと、主人公である奉太郎が小さな謎をいくつか解決した上で、大きな謎に挑む、という感じになっているから、奉太郎が周囲の人たちから一目置かれてたり嫉妬されてたりするというのが納得できるようになってるし、最後の謎が引き立つんだよね。
もちろん本格ミステリだとキャラよりも謎解きがメインになるから、それまでの実績がちっとも描かれない探偵役がいきなり大きな謎を解いてもいいんだけど、本作はキャラも重視しているように見えるからそれだけだとちょっと不足かなって。
主人公の扱いがなんか変、について。護衛用の人材として連れて来られたやつを助手としてこき使うまではまあいいとして、そいつに医学の知識を勉強しろと言って教育を受けさせるのはマジで謎だった。護衛を敵の襲撃もないのにヘトヘトにしてどうするの……? なんのためにこいつ連れてきたんだよって思っちゃうな。
あと前半で出てくるやつがどう考えても陰謀の関係者だったのは「ですよねーーーーーー」って感じだった。まああからさまに怪しかったからね、しょうがないね。あのポジションのキャラは誰が書いても怪しくならざるを得ないよな……
ここまで文句を書き連ねてきたけど、美点も言っとかないとフェアじゃない。京アニの自社レーベルでやってる以上は当然なんだけど、映像がすごい映えそう。平安時代っぽい都に聳え立つ人工の山、そこに築かれた宮廷、動き回る貴人たちといった都会的な情景と、山奥を走り抜ける少年、荘園に侵入しようとする騎馬の者たち、といったファンタジックな情景が入り混じって、京アニの絵柄で再現されたらとても美しそうだと思った。実際に選評でも
と書かれているので、やっぱりそういうのも重視して選んでるんだろうな。上で書いたように、本筋の事件以外を解決する描写が少なすぎて物足りないので、前半部分にアニオリのエピソードいくつか入れたら1クールアニメになりそう(小並感)。
さて、物語の展開とかではなく些細な点への指摘を。これは好みの問題なんだけど、地の文とかで見知らぬ用語が出てきたときに、それをカッコ書きで説明されると割と萎えるものがある。
いや説明が必要ならそれは地の文でしてほしいし、多少わかんなくても読むのに支障はないわけだし、ファンタジーにわからん言葉が出てくるのはある程度前提なわけですよ。わからん言葉があれば飛ばして読むか辞書で調べるかするし、なんなら咄嗟にわからん言葉が多少出てきた方がファンタジーって感じがして好みだから(自分の日常から離れた世界が描かれてるんだから知らない言葉はあって当然)、カッコ書きで言葉の意味を説明するとかいう野暮はあんまりしないでほしいなというお気持ちがある。
たとえば「刑部省(司法、裁判、刑罰、監獄を管轄する)」「検断(裁判にかけること)」(48頁)なんて、そりゃどちらも耳に馴染んだ言葉ではないかもしれないけど字面で意味がなんとなくわかるし、わからなくてもこの先の理解に別に支障はないんだよね。
「補任(官職を受け取ること)」(111頁)だって歴史に興味があれば知っている語彙だし、知ってなくても読み飛ばせる。「遷任(異動)」(129頁)も左遷を言い渡されるシーンなんだから字面と文脈でわかるでしょ……
さらに、上で挙げたような現代人に馴染みの薄い言葉に説明が要るのはまだわかるとして、基礎的な語彙にカッコ書きで説明されてると、なんというか「この単語にカッコ書きするってことは作者にとってはこの単語は馴染みのないものなのか」というのがわかっちゃって「おいおい……」って感じになるんだよね。
「厨(厨房)、厠(便所)」(66頁)は別に説明要らないだろ! 厠なんて時代もののファンタジー読んでたら普通に出てくるし(西洋風ファンタジーでも使うでしょこのくらい)、厨は音で聞かされたらわかんないかもしれないけど字を見れば意味はわかるわけで。
「茣蓙(敷物)」(108頁)はちょっとビックリした。ええと……ゴザ、見たことありません? ホームセンターで普通に売ってない? 俺、夏場は卓袱台の下にゴザ敷いてるよ? 畳の部屋で暮らしたことがあればゴザなんて誰でも知ってるでしょって思ったけど、ひょっとして最近の人ってそもそも畳の部屋に馴染みが……ない……?
(あ、でもホムセンとかでもカナ表記しか見たことがなくて、家族との会話とかでは音でしか知らないので、こんな漢字を使うんだというのは知らなかった。ひとつ勉強になった)
作者さんはあとがきで「ふと『日本人って日本のことあんまり知らないよね?』と疑問を抱いた」(380頁)って書いてるけど、あ、ほんとに知らなかったんですねという感がありありと出ているので逆に納得してしまった。そりゃ、ゴザに説明が要ると判断する人からすれば補任とかも謎の用語に見えるんだろうな……
まあカッコ書きされてる注釈は映像化するときには特に説明とかされない感じなんだろうな、と思うので、些細なことと言えば些細なことではあるのだけれど。
ところで、本作を読んで気に入ったのなら、沢村凛『黄金の王 白銀の王』(角川文庫)も勧めたい。『典薬寮の魔女』と同様に上代日本風の異世界を舞台にした作品で、陰謀渦巻く宮廷の物語なのだけれど、薬殺阻止を掲げる『典薬寮の魔女』と違って『黄金の王 白銀の王』の主人公たちが目指すのは「内戦を終わらせる」こと。何十年も氏族対立が続いた国で、憎しみ合う2つの氏族の若き長同士が、事あるごとに紛争を再燃させて敵対氏族を根絶やしにしようとする味方を抑えながら戦争を終わらせるために薄氷の上を歩き続けるお話です。凡百の戦争ものよりも遥かにハラハラドキドキさせられる作品。
これ、オンナのカラダは気持ちいいってタイトルの本を男性が出そうもんなら,フェミ激おこ案件じゃないでしょうか?
オトコの▶カタカナで記号化 人格ある特定の誰かではなく男という属性のみを意図
カラダは▶上と同じ。カナ表記によって人格ある特定の誰かではなく、オトコのと続けることで一般的な男性が生まれながらに持つ肉体を意図
気持ちいい▶性欲の発動
つまり、生物学的ジェンダーである男性が生まれ持つ肉体(人間の首から下と言い換えてもいいいです)を性欲の対象として自らの性欲消費に使うことを表明したものとみなせるのですが、これは性をオンナに変えたとき果たしてフェミニストはそれを許すでしょうか。
かつて新聞記事に「美人の首無し死体発見」というタイトルが踊り、書いた記者の潜在的な女性へのルッキズムが暴かれ大きな問題になりました。しかし、ここでオトコのカラダは気持ちいいということも、男という属性の首無しの肉体を愛玩対象として考えているという意味で同じように批判されなければならないはずではないでしょうか。
また日頃女児と思われる体型の絵や創作物への性的視線イコール犯罪と結びつける言動が多いフェミニストたちの多くがBLや二次創作で成人男性をショタ(少年)に肉体を変換して描写していることを知っています。それはか弱い男児をペド目線で性的消費する女性の嗜好を刺激し、助長してる、まさしく描かれているのが女児であれば涙が溢れる忌まわしいではことありませんか?
昨日女性は創作物に性欲を欲しないと言ったありえないピンぼけ発言でネットを賑わせた編集者がいましたが、それはあまりにも無知すぎるのでここでは触れません。
以上、オトコを女性自らが性欲の対象としてモノ的に消費することを是とするような自らの立ち位置にも関わらずキズナアイや萌え絵、ポルノといった議論に加わることのおかしさに気づいていないようですので我慢できず書いた次第です。
ちょっとシャレオツな音楽系サイトとかで見かける「インタヴュー」って書き方
「v」をカナ表記すると「ヴ」になるから、「view」は「ヴュー」になる…そう、なるよね…と理屈では分かっていても、読めない
「ヴ」が「ウにてんてん」なばっかりに、黙読するときにも脳内で「ウ」側に引っ張られてしまうのだと思う
あと、拗音のュの前にはイの段が来るべきだろう!という気持ちもあって、「ヴュー」はどうにも認めがたい
いっそ「インタイ゙ュー」とでも書いてくれた方がまだ読めるような気もするがどうか
イ゙ュー
あっ投稿してから思い付いた、「インタヴィウ」って書くのがいいんじゃねえだろうか
これなら読める